パレスティナ2001 - ver.12

その1その2その3その4その5その6その7その8その9その10その11その13その14その15その16その17その18その19その20その21その22その23その24その25その26その27その28その29






タクシーとの戦い


エルサレムに行くときのこと。 初めは乗り合いであったので、料金交渉はしなかったのだが、 最後エレツに行った時は一人になっていたので、おそらくふっかけてくるだろうと思っていたところ、 案の定30NIS と言ってきた。
もともとスペシャルにはなっていないので、10NISも払えば十分なのだが、 スペシャルだとしても20NISで十分な距離である。 そう判断し、まず、多少オーバーに怒って20NIS 渡して、そのままスタスタと降りていった。 これで、追ってくれば少ない、追って来なければ十分な金額だということと考えてみた。
すると案の定追ってこない。 なるほど、これは使える手だと思った。
これから、タクシーにぼられそうになったら、基本的にリーズナブルな値段のちょっと多い金を渡したのち、 勝手に出てくれば良いことが分かった、

さて、エレツのゲートを出て困ったのが、次のタクシーである。 ベツレヘムに行こうにもタクシーがいない。 ようやく見つけたタクシーの運転手はベツレヘムというと、難色を示し、 200NISというようにふっかけてくる。距離的には直線距離で70kmだから、 スペシャルだとそのくらいにはなり、 日本円にすればそんなではないのだが、 こっちとしてもすんなり払うのはしゃくである。
ということで、いろいろ交渉した結果、100NIS で60kmくらいの距離にあるベルシーバに行き、 そこからバスにのってベツレヘムに行く、 ということで落ち着いた。これだと大分安くなる。
これも初めはスペシャルのつもりで乗ったのだが、 やはり子供連れのアラブ女性が一緒になることとなり、しかも彼女は子供を2人連れて、 45NISで行ったので、やはりこれでもぼられていた。
結局彼女以外の空席分を私が払ったことになる。
ベルシーバからベツレヘムは結局いけず、エルサレムに行くことになった。 バスは36NISでエルサレムに行く。 まあ、エレツから200NIS払うと思えば、いくらかは得をしたともいえる。

さて、翌日のべツレヘム行きの話。
本来ベツレヘムにはシェルートだと3NISなのだが、スペシャルタクシーだと25NISかかる。 しかし、すでにお昼になり、あまり時間もないので、しょうがないので25NISで ベツレヘムのチェックポイント(イスラエル側)に行く。イスラエルのタクシーはここまでで、 そこからは、パレスティナ側に入り、タクシーを乗り換える。
そのタクシーで市内に向かう途中、ドライバーが商談を持ちかけてきた。 聖誕教会、ミルクグロット、羊飼いの野、ヘロデオンを1時間でまわるので、100NISでどうだ、と言う。 通常ヘロデオンだけで100NISかかるので、これは結構いい話ではある。 他の場所を含め、全部回るのはちょっと1時間では無理だと思ったが、彼は大丈夫だという。 こういう大丈夫は大抵当てにならず、料金はあとでもめるのだが、時間もないので そういう交渉はあとでするということにして、とりあえず100NISということで契約した。
そして、旧市街に戻ってきて終了となった。時間がやはり約1時間45分かかった。
もめると思った料金はやはりもめて、時間が超過したから150NIS払えという。 こっちは、行くはずだったミルクグロットは閉まっていて、羊飼いの野の教会のなかには入れないし、 もともと1時間で行けるといったのはお前だ。と例によってオーバーに怒って100NIS だけ渡して、すたすたタクシーを降りた。 やはり追ってこないので、これで終了。こんなものである。

その後、旧市街を通って、別のタクシーを拾い、ボーダーまで行った。 ボーダーにタクシー会社のオフィスがあったので、ベツレヘム行きのタクシーを頼んだが、250NISとかいってふっかけるので、 しょうがないので、エルサレムに行くことにした。
すると、ボーダーを越える前に、なんとさっきのタクシードライバーがボーダーまで来て、金をよこせといってきた。 なるほど、やはり100NISは安すぎたのかと思いつつ、彼はボーダーを越えることは出来ないので、こちらの勝ち。 無視して、さっさとボーダーを越えた。だんだん、分かってきた。 ちなみに、旧市街からボーダーに来るタクシー代も踏み倒してしまった。 こちらは払うつもりでいたのだが、まあ、そういうこともあって良いだろう。いままで散々貢いできたのだから。
エルサレムでエレツまで交渉したが、シェルートは1時間ほど待たなくてはならないそうで、 面倒なので、スペシャルで、結局200NIS払うこととなったが、ベツレヘムーエルサレムが25NIS なので、まあ少しは得したのかもしれない。シェルートだとおそらく4-50NISであるはずで、10人乗りを一人でのったから仕方がない。ただ、すでに3時半であり、この時間にエルサレムからガザに行く車がそんなにあるとは思えないので、仕方がないところだ。
エレツのボーダーに着き、パレスティナ側に出たところで、ガザ行きのタクシーでまたもめた。
スペシャルで乗るなら50NISだというので、自分は来たときは15NIS で来た(実際は20NIS)と文句を言ったら、 20NISでいいことになったが、スペシャルといいながら、やはり別の客をもう一人乗せて行くことになった。 このあたり、なかなか、アラブ人は手ごわい。タクシーとの交渉で始まり、終わった旅行であった。


パレスティナテレビに出演!?


今日は、フィース明けで久々の仕事であった。病院にいくとDr.Hazamが会うなり、
「お前はこの間テレビに出ていただろう?見たぞ」
と言う。何のことか分からずにいると、
「テレビでShifaに患者が運ばれて処置をしてるところにお前が写っていた。」
とのことである。 この間の当直中のBeit Hanounの攻撃はかなりひどく、ニュースでも散々やっていたらしい。 処置中もテレビ局がカメラを回しながら近くにいたのは分かっていたが、 本当に写されていたらしい。
残念ながら、私自身はそのニュースを見ていないのだが、 他のレジデントにもテレビに写っていたと指摘されたので、本当だったのだろう。 めでたいというのかなんと言うのか複雑である。

テレビのせいでもないだろうが、私がShifaで働いていることは院内で周知の事実になってきた。 現在は、向こうに手術日と当番日と外来日に週3日行っている状態である。 このことはHusamも知っているのだが、さすがにPRCSとしても自分のところで少しは働いてもらおうと思ったのか、 今日になって
「PRCSの別のClinicで働いてはどうか?」と言う打診があった。 日中そのClinicで働いて、もし緊急でなにかあったときはAl Quds病院のほうに戻ってくるということで良いらしい。 こちらとしてはPRCSには世話になっているし、Al Quds病院にいてもしょうがないので、もちろんOKした。
ただし、ShifaのER当番日と手術日には行かせてほしいというと、 まあ向こうもこちらが外科医だと言うことを考慮したのか何とか納得してくれた。
その後Husamにもあって同じことを言われたが、彼も週に1-2回ShifaにいくということでOKしてくれた。 こんなところで、先の人間関係が役に立ったようである。

ラマダンが終わりAl Quds病院も少しは患者が増えるかと思っていたが、やはりいつもと変わらず外来には患者が来ない。 Dr.Hazamがいうには、
「私は今まで、ハンユニスやShifaで散々働いてきた。だから今はここでブレークを取っているのだ。」
とのこと。 なるほど、そう考えればこんなに仕事がなくて金がもらえるのだから楽なものである。
ふと先日のタクシードライバーの言葉を思い出した。
「上の方の金持ちの人間は、寝ていても裕福に暮らしている」
もしかしたら、彼のいっていたのはこういうことなのかも知れない。