パレスティナ2002 - ver.27
その1、
その2、
その3、
その4、
その5、
その6、
その7、
その8、
その9、
その10、
その11、
その12、
その13、
その14、
その15、
その16、
その17、
その18、
その19、
その20、
その21、
その22、
その23、
その24、
その25、
その26、
その28、
その29、
Shifa最終当直
今日はAmalの日だったが、先日来の風邪の調子が今ひとつで、昨日ガザとハンユニスの間が閉鎖されていたこと、
天気も非常に悪く、寒かったことなどがあいまって、Amalに行くのは止めてホテルで午前中療養した。
そして午後、大分回復してきたところで、Shifaに出かけた。
今日の午後は天気が急に良くなり、いつもタクシーで行く道なのだが、今日は歩いていくことにした。
いく途中いつも通る道沿いにある難民キャンプを通り過ぎた。
何故かここだけ、ぽつんと残された形で、貧しい家々が並んでおり、子供達が道にあふれている(写真左)。
前に中に入ったこともあるが、子供達が群がってきて大変であった。
ちょうどラファの難民キャンプと状況は似ている。
こういうところがまだまだガザにもあるのだ。
また、道すがらパレスティナ警察も通り過ぎた。
ここは何度も爆撃を受けているところで、道から中を見ても瓦礫の山がよく分かる(写真右)。
思わず写真を撮ってしまったが、実はno photographingという看板があった。しかし撮ってしまったものは仕方がない。
そして、Shifaに着いた。
今日のERは天気がいいから、結構患者が来るかと思っていたが、それほどでもない。
しかし、一旦、縫合が始まると、やはり処置室に処置待ちの患者(主に子供)が列をなして並び、大変な状況になる。
中は中で、泣き叫ぶ子供をなだめたり、押さえつけたりと修羅場が展開されている。
夕方、片麻痺があって糖尿がある70歳の男性が、一週間排便がなく、腹部膨満、嘔吐を主訴で来院した。
レントゲンを撮ると、巨大結腸である。著明な脱水で、白血球も4万をこえ、血糖が560、電解質もKが6.8と危険な状態である。
即入院となった。
この患者は、病棟医の手術は不可能との判断で、内科に送られ、結局その日の夜、死亡した。
今日の担当はDr.Saraなのだが、彼の判断はいつも結構ドライで、無駄な手術はしない。
また、彼らにとって、70歳と言う年齢は日本人にとっての90歳くらいの感覚であり、すでに天寿をまっとうしたと考えるようだ。
実際、日本では70歳くらいの手術患者は山ほどいるが、ちょうど癌好発年齢である70歳くらいになると、
「神のところに行くので、もう手術はしたくない」といって、手術を拒否するケースが多いらしく、
そのことも癌の手術が少ない理由のひとつだそうだ。
そして、夕方5時過ぎ、いつも何かがこのあたりの時間になると必ず起きるのたが、今日も1人急患が運ばれてきた。
20才台の若い女性が首を刺されたということで、搬送された。原因は家族間のトラブルである。
即ER-ICU収容になる。刺されたショックもあって、やや不穏状態だが、意識清明で血圧も保たれている。
エアエントリーも問題ない。しかし、場所がちょうど内頚動脈、静脈のあたりであり、内出血がひどい。
採血ではやはり貧血になっており、ラインから輸血を開始した。
しばらく様子をみるが、刺創の部分の腫れが次第にひどくなってきているように思われた。
動脈は大丈夫そうであるが、頚静脈の損傷がある可能性はあるので、血管外科医を呼んだ。
そして、彼らの判断でやはり緊急手術をすることとなった。そのまま手術室に直行した。
開けてみると、胸鎖乳突筋の損傷と動脈の枝からの出血が見られ、それをまず結紮止血した。
他に静脈性の出血によると思われる血腫はあるものの、すでに新たな出血はないようで、
少なくとも本管が損傷されているようではないということになり、ドレーンをいれて終了となった。
しかし、イスラエルの攻撃がなくとも、身内間の抗争はあるようで、彼らの場合家族の喧嘩といっても、半端ではない。
一段落してERに戻ると、今度は3ヶ月の女児が、熱傷で搬送されてきた。
顔面に3度、胸部から首が2度の熱傷で、体表面積的には20%程度なのだが、気道熱傷が問題である。
小児外科医がよばれて、対応するがラインがとれない。
結局カットダウンをしてソケイから中心静脈ラインをいれ、今度は挿管ということになったが、とてもまともに、
挿管できそうもないので、耳鼻科医を呼んで、手術室で気管切開をするということになった。
今日は、一般外科の緊急手術はないのだが、こういった関係で、しょっちゅう手術室に来ることになる。
静脈麻酔をかけて、まず麻酔科医が通常の挿管を試みた。やはり難渋している。
しかし、首も熱傷がひどく、気管切開も容易ではない。
いろいろ工夫するうち、結局、何とか麻酔医が挿管に成功した。
そして、ICU入室となる。
ただ、今後予後は非常に厳しいと言うことと、救命されても、熱傷が顔面全体に及んでいるので、女児であることを考えると、
非常にmiserableである。
今日の手術騒ぎはこれで終了。
12時前には落ち着いたので、当直的には比較的楽なほうであった。
今日は寝床がなくERで就寝となった。
翌朝ERで起床。7時半。
例によって、モーニングレポートに行って、回診。
前々回に入院した胸部刺創の患者も元気である。
他、FDで様子を見ていた子供も問題はなかったようで、今朝は元気である。
ハルワジールクリニック最終日
Shifaの当直明けで、今日はクリニック最終日。特にいつもと変わりはない。
今朝のモーニングタイムには、いつものフールと、ファラーフェルのほかにハンモスと
サハリというなすの揚げ物がついた(写真)。
患者は少なく、今日は診察と言うより、皆とおしゃべりをして一日終わってしまった。
この日は丁度、給料日なのか、給与明細を皆が持っていた。
見せてくれたが、薬剤師の給料が額面1436NIS、手取り1272NIS。
事務職員の給与は額面875NISで手取り532NISである。
かなり厳しいそうだ。
薬剤師は二人の子持ちだが、以前は他の場所でも働いており、二重に給料をもらっていたので、
これでも何とかなっていたが、現在はここしか仕事がないので、非常に厳しいという。
最後の最後まで、パレスティナの現実をみることになる。
そして、最後に記念撮影をして終了。
これで、このクリニックは最後になった。
その後、AlqudsでPRCSのスタッフに帰国の話をする。ちょうど食堂でMR、Hussamに会いその旨を伝えた。
その後、部屋に帰って、寝不足のため早々に睡眠した。