パレスティナ2001 - ver.11

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エルサレム



フィースの休みを使って、1泊2日の小旅行に出かけた。行き先はエルサレム、ベツレヘムである。
朝10時過ぎにホテルを出発。ガザのボーダーであるエレツまでタクシーで行く。
エレツからはベツレヘムに行くのが難しいので、まずタクシーでベルシーバまで行き、そこから乗り換えることにした。
そして、ベルシーバのバスターミナルに着いた。久々の先進国である。 マクドナルドもあった。しかし、軍人も多く、若い女性兵士も銃を持ってうろうろしている。 イスラエルならではの光景である。
ちなみに、当然のことだが、パレスティナには、マクドナルドもセブンイレブンもない。
さて、ベルシーバからベツレヘム行きバスが出ているかと思いきや、 ここはやはりイスラエル側なので、出ていない。 仕方がないのでエルサレムに行きそこからベツレヘムを目指すことにした。
ただし、このご時世。イスラエル側で一番危ないのは路線バスでの自爆テロであるから、少し緊張したが、 やたら沢山兵士が乗ってきたので、少し安心した。

エルサレムの中央バスステーションに着いたらすでに4時過ぎで、もう遅かったので、 今日はベツレヘムには行かず、エルサレムに泊まることにした。
ということで、新市街に行き、宿を探す。 ちょうど新市街の中心、シオン広場のすぐ近くにあるGolden Jerusalem hotelという 一泊50US$の中級ホテルの泊まった。やはりイスラエルは物価が高い。

チェックインするやいなや、ホテルのフロントの男が
「これからオリーブの丘まで行くけど一緒にいくか」
というので、断る理由もないので行くことにした。
この男はロシア系のユダヤ人で、移住してから13年たつ。 今日は友達である同じロシア系の学生と一緒にロシア正教の教会に行くことになっていたようだ。
今まで、PRCSであった医師もそうなのだが、ロシア系の人間は英語が下手なので、 会話が大変である。
聞くと、どうもフロントの男はユダヤ教徒であるが、連れの男はキリスト教徒であるようだ。
まず、旧市街に入り、聖墳墓教会に行った。 ここはキリストが十字架にかけられた教会であり、普段は観光客が沢山来ているはずなのだが、 このご時世で、全く観光客はいないそうだ。
(写真右:聖墳墓教会内のイエスの息を引き取った場所にあるギリシャ正教の祭壇)
周囲の店も閉まっているところが多い。今回の旅行中、私を見ると、皆ツーリストとは思わず、
「お前はジャーナリストか?」という質問が来ることが多かった。 つまり、外国人はジャーナリストくらいしか今の時期、ここには来ないらしい。
聖墳墓教会でクリスチャンの学生はひとしきり祈りを捧げていたが、ユダヤ教徒の男と私は、 適当に合わせて祈っている振りをしてみた。
その後、私の観光を兼ねて、いろいろ寄ってくれようとしたのか、まず嘆きの壁に行き(写真左)、 そこから外に出て、城壁の外に発掘された古い遺跡である、オフェル考古学ガーデンを見た。
これは主にユダヤ教徒の男がいやに熱心に説明してくれたのだが、何故かと思ったら、要するに、 今は岩のドーム(モスク)が立っている下には 、ユダヤの神殿時代の遺跡があるのだということを私に示したかったらしい。
ちなみに、エルサレムにおける、ムスリムとユダヤのもっとも重大な問題は、まさにこの点であり、 両者の聖地が同じところに存在することにある。 岩のドーム周囲の嘆きの壁で、ユダヤ教徒はユダヤの神殿の再建を夢見て、なんと2000年間祈リ続けているのだ。 今回のインティファーダの直接の原因も、このモスクの立つ神殿の丘に、現イスラエル首相のシャロンが足を踏み入れたことからはじまる。

そこから、ケデロンの谷とオリーブ山方面に行き、オリーブ山の中腹にあるロシア正教の教会に行った。 ここはマグダラのマリア教会と言い、今回メインの目的地であり、行ったときにはちょうどミサをやっていた。 クリスチャンの学生は、ここでも非常に熱心に祈っていたが、やはりユダヤ教徒の男と私は やり方もわからず、適当にやっていた。ただ、ロシア正教の教会のミサに出ることなんておそらく今後ないと思うので、 一応、見学していた。司祭、修道女が黒ずくめの厳かな衣装を見につけ、なんだか怪しげな雰囲気である。 およそ30分くらいで学生はお祈りが終わったらしく我々も引き上げた。

そのあと、帰る途中で、ユダヤ教徒の男がダビデ王の墓を見るかといってきたので、見に行った。 まず、ムスリムエリアからヴィアドロローサを上がっていき、ユダヤ人地区に入り、 カルドというエルサレムの古いメインストリートを通ってアルメニア人地区に行った。 ヴィアドロローサはもちろん、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘に行くまでにのぼった坂である。 (写真左:翌日のヴィアドロローサ)
ダビデ王の墓はシオンの丘という、ユダヤ人地区からアルメニア人地区に入ったところにある。 この丘はまさに、シオニズムの語源となった丘である。 この近辺にマリア永眠教会と鶏鳴教会もある。 残念ながらそのときはもう暗くてすでにしまっていたので、明日来ることにして、さっさと引き上げた。
とにかく、彼らは自分の宗教に関することは詳しく、いろいろと教えたがる。 ただ、宗教が違ってもロシア人同士は中がよさそうであった。このあたり、日本人にはピンと来ない。
その日はホテルに帰り、食事をして寝た。

翌朝、起きるのがちょっと遅かったが、9時半にホテルを出た。 昨日一通り説明してもらったので、昨晩回ったところを一通り明るいなかで復習しながら回ってみた。

まずヤッフォ門からアルメニア人地区に入り、ダビデの塔を見てシオンの丘に行った。
そして、ダビデ王の墓、最後の晩餐の部屋を見た。 ダビデ王の墓は今日は見ることができた(写真右)。 ダビデ王は古代ユダヤ国家の第二代の王で、その時代にエルサレムが首都となった。 紀元前1000年くらいの話である。 ちなみに、その子ソロモンが神殿の丘にユダヤの神殿を立てたのである。
ここはユダヤ教的に神聖な場所であり、嘆きの壁と同様、 キッパをかぶる。
そこから2階に上がると、イエスの最後の晩餐の部屋がある(写真左)。
部屋自体は殺風景でなんと言うこともない。
ここで、イエスが処刑前の晩に弟子を集めて、十字架を前に最後の訓話を語ったとのことである。
ダヴィンチの名作とは全くイメージが違う。

そこから出て、次に近くにあるマリア永眠教会に行った。 もちろん聖母マリアを祭って作られたものである。ここは新しい教会で歴史的いわれはない。
ここで、カメラの電池がなくなったので、近くにいた子供と散々値切り交渉をした後、 電池を買った。 きちんとシーリングされていたので、そのとき確認しなかったのがいけなかったのだが、その後、 その電池はすでにパワーがないことが分かった。
実は他の場所で買った電池も使えなかったので、初めカメラが壊れたのかと思っていたが、 ホテルに帰った後、日本から持ってきた電池では使えたので、結局電池切れの電池を売っていたことになる。 電池は新品として売られていても信用してはいけないという教訓になった。こんなこともあるのである。

その後、ユダヤ人地区を昨日とは逆に、カルドを通って行き、途中折れて、嘆きの壁を回って、 糞門から外に出て、オフェル考古学ガーデンをみながらオリーブ山、ケデロンの谷方面に行った。
昼間見るとこの辺は非常に壮大な風景である。ケデロンの谷には、4-5世紀につくられた預言者の墓があり、 太古の昔をしのばせる(写真右)。
ちなみに、最後の審判のときに、イスラム教では神殿の丘に、ユダヤ教ではこのオリーブ山にメシアが降り立つとされている。 このあたり、種々の宗教の聖地だらけである。
そして、またヴィアドロローサから旧市街に入り、その神殿の丘に入ろうとしたのだが、 今は観光客は入ることが出来ないそうで、イスラエルの軍人に追い返されて、入れなかった。
このことをあとでアラブ人のタクシードライバーに言うと、
「それはツーリストだというからいけないので、自分はムスリムで祈りにきたといえば入ることが出来るのだ」 と教えてくれた。なるほどそのとおりである。
その後、ヴィアドロローサを上って行き、いくつかイエスの立ち寄ったstationを見て、 途中でムスリムエリアをダマスカスゲート方面に折れて、ダマスカスゲートから外に出た。 これだけ観光客のいない中で、ダマスカスゲート近くのムスリムエリアには沢山のムスリムがいて、 ごった返していた。
しかし、これで、旧市街は相当歩いたので、かなりの土地勘ができた。 おそらくもう迷うことはない。


ベツレヘム




ダマスカスゲート近くからタクシーでベツレヘムに向かった。
そして、まず聖誕教会に行った。 ここは、その名のとおりイエスが生まれたとされる洞窟の上に立っていて、ベツレヘムの観光の目玉である。 クリスマスのときは通常世界中から観光客がきて盛大に祝うことになっているが今年はどうかわからない。
教会自体は建物も古く、結構汚い。行ったときにはちょうど地下の洞窟で、ミサが行われていた(写真右)。 なかなか雰囲気が出ている。
その後、聖誕教会を出て、ミルクグロットに行ったが、ここはクロ−ズ。観光客がいないからだと思われる。



その後、ヘロデオンに行く。ここはユダヤがローマ軍と戦っていた時代、ヘロデ王が紀元前24年に築いた要塞で、小高い丘の上にある。 地下にはトンネルが張り巡らされる。 ここは、もちろんイスラエルの管理であり、イスラエル国旗が掲揚されて、イスラエル軍兵士が警備していたが、観光客は私しかいなかった。
頂上は360度パノラマが広がる。ベツレヘムの旧市街と反対側に、ベツレヘムのユダヤ人入植地が見えた。 このあたり、微妙な地域である。
ヘロデオンから旧市街方向に戻って、羊飼いの野の教会(ギリシャ正教)に行った。 ここでは神の使いが羊飼いに聖誕を告げたとされている場所である。 教会の敷地には入れたが、教会内部には入れなかった。これもおそらく観光客が少ないためだと思われる。
ここで観光は終了。
ということでエルサレム経由でようやく帰宅。 なかなか大変な旅行であった。