パレスティナ2002 - ver.23

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*:例によって、一部刺激の強い内容、写真を含んでいますことをおことわりしておきます。


今日も激しいShifaの当直



今日はアマル病院の日。 朝からアマルに行く。 ここは基本的にあまり大きな手術はなく、今日はVaricoceleの手術が2件、 裂肛の手術が2件と肛門のSkin Tagが一件である。
Varicoceleは日本ではやはり泌尿器科医が多くやるのではないかと思われるのだが、 Dr.Ahmad Schawanは良くやるらしい。 手術はソケイ管を出して、精巣側に追っていき、静脈瘤を結紮切除するだけなので、非常に簡単である。 術後、3-4日は一時精巣は腫大するものの、側腹血行が発達して、元に戻るそうである。
裂肛の頻度は痔核と同様パレスティナでは多いとのことで、ほとんどが便秘によるものだそうだ。 肛門が狭いことによる場合、手術適応になる。
手術はLaudinの手術と言っていたが、肛門を広げて括約筋を一部切ると言う手術である。 なんと言うことはなく指でググッと広げるだけなので2分で終わる。
Skin Tagは裂肛によく合併しており、本来取る必要はないのだが、 患者が気にするからと言う理由でここでは切っているらしい。
ということで、今日の手術も10時半頃には終わった。

このあと、時間があるので、ハンユニスの町まで行くことにした。
このamal病院の一体は、ハンユニスでも貧しいエリアであり、周囲には粗末な家が立ち並ぶ。 明らかに生活レベルはガザより低そうである。 壁にもあちこちに政治的な落書きがしてあって、ハマスの本拠地だけのことはある。
町の中心までは大した距離でもないので、歩いていくことにした。 道は以前ここには滞在していたので、よく覚えている。
ハンユニスの中心部にはモスクがあり、その周囲は商店街になっている。 今日は日曜で平日だが、人々でにぎわっていた。
ふと、モスクの横をみると、壊れたビルがあった。 聞くとここはイスラエルに爆撃された跡なのだそうだ。 ハンユニスの繁華街のど真ん中である。 ハンユニスのまさに中心地なので、非常に象徴的な光景である。


そのうち、街宣車のようなトラックが走ってきて、 なにやら勇ましい音楽を流しながらシュプレヒコールをあげている。 ちょうど日本の右翼のような感じである。
ここハンユニスは過激派のハマスの拠点であるので、やはりこういう輩が多いようだ。 ガザとはやはりちょっと雰囲気が違う。
近くにケバブ屋があったので、昼ごはんを食べるために入って、一服して、 さあガザに帰ろうと思ったときに、デモ隊に出くわした。
例によって仲間の死体を担いで、叫びながら歩いていくデモである。 前後は兵士がブロックしていて、大変な群集である。
もしかしたら、この間のイスラエルのアタックの時の犠牲者かもしれない。 人々は殺気立っているので、ちょっと写真をとるのもためらわれた。
そのうち、雨が降ってきた。今日は特別寒い。さっさとガザに帰ることにした。

ガザに帰り、夜の当直のためにちょっと休んで、夕方Shifaに行った。
すると、ちょうど緊急手術が終わったところであった。
今日は帝王切開後の大きな腹壁ヘルニアのヘルニアが出ているところの皮膚が炎症を起こして、 膿瘍になったと言う患者を緊急でヘルニア根治術をしたと言う。 初め、私のことを待っていてくれてたようで、ちょっと申し訳なかった。
その後、外来には大した患者は来なくて、今日は落ち着いているなんて話していた。 まあそういう時は大体危ないのが常である。

夜間、Dr.Mohmedと一緒に病棟を回るとき、よくお茶を飲みに行くところの病院職員が、 胸部のレントゲンを持ってきた。何かというと、彼のレントゲンである。
みると分かるように左胸部に弾丸が残っている。 もうかれこれ15年くらいになるどうだが、特に悪さをしていないようだ。
しかし、いつも考えもしなかったが、このようにここの人たちは銃創が非常に頻繁にある。 何気なく会っていた身近な人が、このように銃創の既往があったりして、弾丸が体に残っているなんてのを見ると、 あらためてその頻度の多さを認識した。

Dr.Mohmedといろいろ、そのとき話をした。
パレスティナの医療の問題点について、Dr.Mohamedには、いろいろ言っているが、彼は非常に聴く耳を持っている。
先日の超音波の件でも、緊急の外傷の患者の評価に外科医が超音波を施行した場合の正診率をだして、 「緊急の現場では外科医も超音波を施行すべきである」とした論文を探し出して私に示してくれた。
これはアメリカから出た論文で、前書きにヨーロッパや日本では外科医が超音波を業務で使用するが、 アメリカの外科医は超音波をやらないと言うことが書いてあった。
つまり、現在のパレスティナはアメリカ流というわけだ。 Dr.Mohamedはチャンスがあれば自分も超音波をやってみたいと言ってくれた。 ということで、私が今まで言って来たこともまんざらむだではなかったようだ。
これは放射線医にも直接、「救急の現場で外科医に超音波をやらせたらどうか」と聞いたときも、 彼らもその意見に同意してくれたが、実は以前すでに内科の医師に教えて、実際病棟に超音波の機械が置いてあるにもかかわらず、 誰も使わないのだと嘆いていた。
ということで、彼らは基本的には非常に向上心のある者達であり、建設的な意見についてはいろいろ考えてくれることが分かった。

話は変わって、パレスティナでのアラファトの支持について聞いてみた。 彼が言うには、
「パレスティナの人間は皆PAには非常に不満を持っている。 しかし、今はイスラエルと戦っている最中であり、非常事態である。 それに対処するためには彼らを支持して、パレスティナがまとまる以外に選択肢はないので仕方なく支持しているのだ」とのことだ。
Shifaの病院職員もPAの職員ではあるのだが、PAのなかでもその給料は非常に低く抑えられているそうで、 ここの医師の給料も基準からいうと非常に低く抑えられているそうだ。
一方、PA上層部で全く仕事をしていない人間が非常に多くの給料をもらっているという。
イスラエル占領下では、もともとパレスティナの社会は機会均等であり、実力があればそれなりのポストが与えられたという。 しかし、現在では職員の採用から昇進もすべてコネの世界であり、PAの上層部とコネクションのあるものだけが 良いポストにつくことが出来るそうで、実力があって、ハードに働いてもそれが報われないのだそうだ。
そういうことで民衆の大半は非常にPAにたいして不満を持っているらしい。
PRCSはPAとは違うが、海外からDonationをもらっており、同様の性格を持つ。
名誉総裁のFathiについては、残念ながらよく言う人は私が聞いた限りでは一人もいない。
「あいつはアル中でとんでもないクソ野郎だ」という言葉だけが、Shifaの医師の間からよく聞かれる。

落ち着いているうちに夜食を食べるということになった。 今日はファラーフェルともう一つ別にハンモスというのが加わった。 これはフールのようにしてパンにつけて食べるのだが、フールよりおいしい。 ハンモスのほうがかなり高いらしく、たしかに高いなりのことはあって、非常に気に入った。

その後手術室を覗きに行くと、ERのチーフであるDr.Moawiaが熱く語っていた。 この人はいつも熱く語る人で、すぐ話が演説口調になる。そして、いろんな人とよく戦いしょっちゅう口論をしている。 しかし、基本的にいい人で、ここの医師には信頼されており、人気がある。 今日はイスラエルが不審船を拿捕した件で、パレスティナに武器密輸をしようとしたとして、プロパガンダしたが、 アメリカがレバノンの船だと認め、それを否定したといったようなニュースについて、いろいろ語っていたようだ。
細かいところはアラビア語だったので、完全には分からなかった。

夜10時過ぎ、救急外来から虫垂炎が来た。手術適応である。 ここの当直で、緊急手術のなかったことは一度もない。また、虫垂炎が来なかったときも一度もない。
そして、緊急手術となり、11時過ぎに入室となり、手術を施行した。 大抵一件は虫垂炎がくるので、こんなものだろうと思っていたら、その後夜中の1時過ぎ、立て続けに2件虫垂炎が来た。 こんな時間に何で来るのかと思うが、2人ともこんな時間に来るだけあって結構な炎症である。
ひどい腹膜炎ではないので、時間も時間なので、抗生剤で朝まで様子を見ることにした。 そして、ようやく、これで終わりと思ったら、最後にすごいのが待っていた。

朝4時に、68才の男性が大量の吐血で来た。聞くと一週間まえから便が出ないのと、 腹痛が続いていたそうだ。
内科に何回か行ったのだが、そのたびに大した検査もしないまま薬だけで帰されていたらしい。
みるとものすごい腹満であり、血圧が触れない。すぐ輸血と輸液を開始した。 レントゲンでは完全な腸閉塞であるが、手術の既往はない。
検査をすると、白血球が2万5千を超え、腎機能が悪化している。 脱水の為もあるが、それだけでない可能性もある。
幸い超音波で消化管穿孔は否定された。
この患者はもともと糖尿病があって、心臓も悪く、心房細動、心筋虚血の既往もあり、強心剤、 抗凝固剤も飲んでいる。
とにかく、状態が著しく悪いことはわかった。腹部の様子では緊急手術が必要である。 血漿製剤や昇圧剤を使ったほうが良い状態なのだが、そういった場合はこの病院では一般病棟ではなく ICUに入るらしい。
ということで、朝になってICUに入り、緊急手術をするかどうかということになった。




ICUでは早速挿管し、中心静脈ラインが入り、ドーパミンが開始され、インスリンが開始され、いわゆるインテンシブケアが始まった。 腹部所見からは手術が必要なのだが、ICU側は状態が悪くて、全身麻酔をかけれる状態でないという。 これが単なる腸閉塞なら良いが、腸間膜静脈血栓症の可能性も考えられ、その場合、 待っていると救命は不可能である。
しばらく、検討が行われている間に、夜中に入った虫垂炎の患者を二人とも手術をした。
そして、その手術後、家族とも話をした結果、やはり緊急開腹が必要と言う判断で、手術に臨んだ。

そして、開腹すると、最悪の予想が当たり腸間膜静脈血栓症であった。
小腸の大半が壊死に陥っていたので、小腸の大部分を切除する手術を施行した。 残った小腸は30cmだけである。そして洗浄し、ドレーンを入れて終了した。
小腸壊死の切除範囲が正しいかどうかを見極めるため、2日後にsecond look operationをするため閉腹はナイロンで一層とした。
Dr.Awadの話だと、腸間膜静脈血栓症は少なくとも今年だけで3例目だというので、この病院ではかなり多いことになる。 日本でも症例はあるのだが、非常にまれであり、しかも救命は非常に難しいとされている。
この症例も、高齢で、糖尿病があり、心臓も悪く、発症から時間がたっており、状態も悪いので、救命は一般的に非常に難しい。 救命されても、小腸の大量切除後は栄養管理も難しい。

例によって、ここの外科医は手術をするだけで、術後の患者の全身管理やオーダーに関しては完全にICU頼みとなっているので、 あとはICUの実力が試されるということになる。
しかし、やはりここの当直はただでは終わらなかった。すべて終了したのが、午後3時半であった。 明日は通常の手術日である。今日の患者がどうなるかが気がかりである。 昨日から急にこちらは寒くなり、風邪をひいたようでのどが痛い。早く帰って明日に備えることにした。