パレスティナ2001 - ver.18

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*:例によって、一部刺激の強い内容、写真を含んでいますことをおことわりしておきます。


またまた長いShifaの当直その3


AlQuds病院で、Dr.Elenの初日の手術の準備をしている頃、私はShifaで当番の日だったので、 手術が午後であるのを確認してから、Shifaに行った。
朝の回診では、この間の腹部銃創の患者を見たが、経過は非常に順調であり、問題ない。 骨盤内の弾丸に関しては、側面像で仙骨内にとどまっていることが確認され、フォローアップということになった (写真右:仙骨内に弾丸が見える)。
他には例によって糖尿病の壊疽の患者が新しく何人か入っていたが、こちらに関しては、 やはりなかなかうまくいっていない患者が多く、長期入院になっているケースもある。
回診中、病棟で、外科医の他のグループである、Dr.ベスーニのチームと一緒になった。 Dr.ベスーニはこの間手術室で一緒になった外科医で主に胃腸外科が専門である。 日本ではあまりケースの多くない、逆流性食道炎の手術や胃潰瘍の迷走神経切離術などが専門のようで、 いろいろ持論を語ってくれた。 そして、何故かDr.ベスーニのチームの回診にも連れて行かれて、銃創による腹部外傷の患者の回復ぶりを自慢された(写真右)。
そして、これがきっかけで、Dr.ベスーニのチームにも知り合いが出来て、 彼らの当番の日や手術日にもShifaに来ていいことになった。 このように、Shifaでも、だんだんみんなに認知されて、いろいろ活動範囲が広がってきた。
その後、ERで働く。例によって、外傷がのべつ巻くなくくる。
その間、前々回の当直で血気胸でICUに入った患者が転送されてきた。 かれは結局ICUに3日ほど入院したのち、イスラエルの病院に転院となり、そのまま保存的に加療され、 全身状態は落ち着いたのだが、熱発は続くのであとはこっちで見てほしいということだった。 とりあえず、入院となるが、写真左のようにかなり元気になっている。
いくつか縫合をしているうちにお昼になり、Dr.Elenの手術のほうがあるので、一旦AlQudsのほうに戻り。 3時頃またShifaに戻った。


ShifaのERに行くと、早速患者が沢山いる。言葉の問題で、病歴を取ったりするのは無理なので、 主に処置を担当するが、一旦処置室に入り、縫合などを始めると、延々次々と患者が来て終わらず、 処置室に缶詰めという状況になる。しかも子供が多いので泣き叫んだり、暴れたりと手がかかる。




ある程度、終わったかと思ったとき、午後の5時頃、救急車で交通外傷が搬送されてきた。(写真右) 両側の脛骨の骨折と、頭部外傷があり、意識はなく、瞳孔に左右差がある。
呼吸状態もおかしく、血圧も低いので、挿管し、ラインをとって輸液、輸血を開始する。 また、膀胱カテーテルから血尿が見られた。 とりあえず、胸部、腹部、頭部、骨盤、両側の下肢のレントゲンをとり、そして、血圧が落ち着いてきたところで、 ERの処置室から超音波、CTに向かった。腹部、骨盤内の超音波上は出血はないが、 CT上は広汎な脳室内出血と脳挫傷がある。脳外科的には手術の適応はないという。


グラスゴーコーマスケールで3以下の場合、回復の見込みは極めて難しく、通常は開頭術の適応にはならないそうだ。 そして、そのまま人工呼吸器で現状を維持していくしかないらしい。
レントゲン上は、胸腹部は問題ないが、骨盤骨折があった。血圧は落ち着いたので、とにかく、まずICUに搬送する。 そして、レスピレータをつけて、あれこれ処置をして落ち着いたかと思ったら、突然心停止となった。 そして、直ちに蘇生を行ったが、きっかり20分後、蘇生に反応せず、結局そのままICUで死亡した。 この辺ICUはドライである。心停止したときから時計をみていたので、もともと難しいことは分かっていたようだ。

左:頭部CT。脳室内出血が分かる。
中:Xrayでは骨盤骨折
右:ER-ICUで挿管された患者。


そうこうするうち、9時頃になってERに戻った。
バタバタして、こちらは手術室に行くどころではなかった間に、また虫垂炎が二人入り、二人とも手術になったそうだ。 ERはこの時点でも患者は途切れるどころか、ますますにぎわっている。また、警察関係が多いので、もめ事があったらしい。 あれこれ、外傷を見ていると、11時頃ICUで呼ばれた。
すると、さっきバタバタしているときに同時に運ばれてきて ICUに入った11歳の頭部銃創の少年が皮下気腫になっているという。 銃創の原因は、ハマスと警察の揉め事に巻き込まれたようだ。 我々が交通外傷を処置している際に、緊急手術で開頭したが、出血がひどく、出血を止めるのが大変だったらしい。
もちろんレスピレータにつながっているが、頚部から下腹部まで広汎に皮下気腫がある。 胸部レンゲン上は血気胸はないが、縦隔気腫とおぼしき影がある。 バイタルは安定しているが、この状態で開胸手術が出来るかどうかは難しい。
とにかく、CTをとって確定診断をするということになった。夜の12時に放射線科医を呼びCTをとる。 これも、パレスティナ流なのだが、とにかく放射線科医が来ないとCTも撮ってはいけないようだ。 よって、CTを撮るまで結構待たされた。
結果は明らかな縦隔気腫。穿孔部位がどこの気管や気管支なのか、もしくは食道なのかどうかは不明である。 胸部外科にコンサルトするが、頭がすでに脳死に近い状態であることと、全身状態を考えて、その日の手術の適応はなしと判断された。
この一連の経過で分かったことは、やはり彼らは診断を放射線医任せであるということから、当然のことながら、 一般医は超音波にせよCTにせよ、彼ら自身では診断できず、放射線科医の言うがままである。
また、重傷患者の全身管理はICUの医師にまかせっきりなので、一般外科医の全身管理に関する能力は低い。 もともと、ここでは術後重症になるような手術自体をしていないということもある。 専門家がいるので、まあ良いともいえるが、これは日本との大きな違いである。
この患者は、実はハマスでなく、警察側の流れ弾に当たったということで、家族と政府の側がもめているそうだ。 そういうこともあり、政府の病院であるShifaで死亡すると問題があるという社会的理由で、結局翌日イスラエルの病院に転送となった。 こういうことは非常に珍しいらしい。
これらが終了したのが3時過ぎで、結局寝たのが4時であった。

左上:ICUで人工呼吸器につながれた頭部銃創の少年。
右中上:胸部Xrayで皮下気腫と縦隔気腫。
右上:頭部Xrayで銃弾による骨折。射入口は前頭部、射出口は後側頭骨。
左下:胸部CTで著明な縦隔気腫と心嚢気腫。
左中下:頭部CTで著明な脳室内出血。



そして連続当直



そして連日の当直となった。この日の担当はDr.ベスーニのチームのDr.Fathiである。
彼の経歴は、ロシアのモスクワ大学を卒業、一年パレスティナで働いた後、またロシアに行き、モスクワ大学で3年間働いて、 一般外科の第一段階のスペシャリティをとり、その後またパレスティナに戻ってきて、現在Shifaで3年目だそうである。
外科の経験年数は私と同じ位なのだが、聞くと彼はShifa の2年半の間に虫垂切除を200-300例、 鼠径ヘルニアを100例以上やったそうで、外傷による消化管穿孔を含め、ここに来る緊急のありとあらゆる手術を相当数こなしている。
ここでは、ちょうど一昔前に虫垂炎が外科の主要テーマだった時代のようであり、 虫垂切除をいかに小さな傷で短時間に出来るかがここの外科医のステータスである。 今は、日本では昔ほど虫垂切除の例数は多くなく、日本の若手の外科医よりも、 パレスティナの外科医のほうがこういった症例の経験数は格段に多い。
しかし、逆にパレスティナには胃癌や大腸癌などの日本で一般にある症例は非常にすくなく、癌患者は病棟にほとんどいない。
これは、ロシア出身の彼も不思議がっていた。かれも、ロシアでは毎日、胃癌で胃切除をしていたそうである。 そして、ロシアに胃潰瘍や胃癌の多い理由は明らかだそうで、それはウォッカのためだそうだ。話の真偽は不明である。

この日のDutyは前日の嵐のようなDutyとは違い、非常に静かだった。日中は入院はなしだそうだ。 Fathiに言わせると、木曜の夜は忙しいが、金曜日の夜は基本的に静かなのだそうだ。
この夜は交通外傷の子供で、入院中の患者の貧血が進んでいるという問い合わせがあったが、とくに問題はなかった。 あとは外来から急性胆のう炎の患者が一人入院した位であった。
このときの超音波のときに、Fathiが放射線科医に私が日本で超音波をやっているということを話してくれて、 Dutyの日に私が超音波をやることの許可が出た。これで、また少し活動の範囲が広がった。
10時過ぎに、一人また虫垂炎疑いの若い女性が入院してきた。
この患者はここの外科医であるDr.Ronの親類だそうで、Fathiは初め超音波をオーダーして、様子を見ようとしたのだが、 Dr.Ronが自分で手術をするつもりで、どんどん手術の話を進めてしまい、緊急手術になった。
結局、虫垂切除をしたものの、所見はなく、卵巣のう腫もなかった。原因不明で手術は終了。 こういうことは日本でもあるのだが、この患者は私も様子をみれそうだと思ったので、明らかに手術の適応に問題があったと思われる。
ただ、私も手術に入ったが、Dr.Ronの手術は非常にうまかった。 逆に言えばうまいが故に、自分でやろうとして、適応を見誤ったとも言える。まあ、この辺も日本でもある話である。
Dr.Fathiとはこの日時間があったこともあり、いろいろと話したが、彼は非常にアクティブで優秀であり、経験が豊富であった。 ロシアでは、麻酔薬が高いこともあり、虫垂炎やヘルニア、胆嚢摘出まで局所麻酔でやるのだとかいう話も聞いた。 全く所かわればいろいろ変わったことがあってこういった話を聞くのは面白い。
せっかくなので彼にいろいろShifaの現状を聞いた。
一般外科のベッド数は本来全部で28床しかなく、それを4グループで分け合っている。 よって、入院日数は限りなく短くしていて、ソケイヘルニア、腹腔鏡下の胆摘は手術の2日後、虫垂炎は通常手術の3日後に退院となる。
しかし、実際は外科は結構他科の病棟にも勢力を伸ばしている。
4グループのうちでも、私のもともといるDr.AhmedのグループとDr.ベスーニのグループがどうもアクティブであるようで、 この二つのグループで外科の症例を稼いでいる。 Dr.Ahmedのグループは、ER好きな若手が多く、その理由は分かるのだが、Dr.ベスーニのグループが多いのは、 Dr.ベスーニの実力と Dr.Fathiのアクティブなところにもよるようだ。
ということで、私はうまいこと二大勢力のグループとコネクションができたことになる。
一般外科の入院患者には外傷が多く、ちなみに、この日の外科の入院患者は、
男性はGun Shot8名、RTA(交通事故)2名、FD(転落)1名、胆石胆嚢炎3名、Diabetic Foot5名、鼠径ヘルニア2名、 急性虫垂炎1名、蜂窩織炎2名、十二指腸潰瘍1名、原因不明の急性腹症1名。
女性は、胆石胆嚢炎4名、急性虫垂炎3名、Diabetic Foot4名、Gun Shot1名、FD1名、他は原因不明の急性腹症、 乳腺膿瘍、下肢膿瘍、大腿動脈塞栓、上腕動脈塞栓、各1名ずつである。
癌患者は見事なまでにいない。日本で外科医をやっている人間としては、全く別の科で働いているようである。
この日はその後も大した患者は来ず、3時過ぎには就寝。早朝に長期経過の右下腹部痛が入院したのみで終了した。 ShifaのER当直にも、こういう日もやはりあるようだ。今まで、すごい日にばかりあたったので、 毎日大変な状態なのかと思ったいたが、そうでもないようだ。

翌日の朝は、Shifaの外科医全員でのカンファがあった。 4グループが一堂に会し、救急の担当者もいるので、4-50人の医師が並んでおり、なかなか迫力がある。
実はこれは毎朝あるようなのだが、いままで、休前日にばかりいたので、翌日が休みであり、その存在を知らなかったのである。 そのカンファで前日と前々日の二日分の当直の報告を全員の前で担当者がすることになっている。 前日の分はDr.Fathiがして、特に問題もなく終わった。
しかし、前々日の分をDr.Aliがすると、交通外傷と頭部銃創の二人の所でやはり喧々諤々の議論となった。 ICUで死亡した交通外傷については、患者のマネージメントに関する責任者の不在のようなところが問題となっており、
「外科医はその場でイニシアチブをとってマネージメントをせよ」というような発言があると、救急の責任者が、
「その時には重傷者が二人続けてきたので、現場では精一杯のことをしたのだ」と言うと、
「いや私は重傷患者が4人いっぺんに来たが全員を助けたことがある」というような自慢話まで飛び出し、大変な騒ぎであった。
このあたりも、日本でも良くある議論なのだが、基本的には現場にいなかった医師が結果論であれこれ論評し、 それに対してその現場にいた医師が反論するという構図である。
頭部銃創患者についても、縦隔気腫の手術適応などの点が議論になっていて、カンファが終わってもあちらこちらで議論は続いていた。
これも、パレスティナでは良くあることだが、とにかく彼らは議論好きである。 ちょっとしたお茶のみ話でも、次第に激しい議論の応酬になることは頻繁にある。 しかも、結構根拠のないことをいかにも自信をもって話すので、ついそうなのかなと信じてしまうと実はとんでもない嘘だったりする。
また、ちょっと前に知ったことを、いかにも100年前からでも知っていたがごとく話をして議論をする姿も良く見かける。 しかし、事の真偽はともかく、その場ではとにかく、議論に勝つテクニックは磨かれており、その辺日本人よりは上である。
いや、実は日本人が議論下手であることの方が、国際的には特異なのかもしれない。