パレスティナ2002 - ver.26

その1その2その3その4その5その6その7その8その9その10その11その12その13その14その15その16その17その18その19その20その21その22その23その24その25その27その28その29





Shifa休日当番日




今日は久しぶりに良い天気であるが、まだ結構寒い。
今日は月に一度の休日当番日であり、朝からShifaで当番の仕事に行った。
先月は確か、ちょうどBeit Hanounの攻撃で大変な日だったが、早いもので、それからもう一月経ったわけである。

今日も回診から始まった。4F病棟の患者は糖尿の患者以外は経過良好である。
ICUの腸間膜静脈塞栓の術後の患者は、クレアチニンは1.7に下がったのだが、ビリルビンが10.0と上がってきてちょっと具合が悪い。 まだまだICUから出れる状態ではなさそうである。


その後、ERに行って患者を見た。今日は前回ほど沢山患者が来てはいないが、それでも、 整形では大腿骨頚部骨折が3人ほど来て、皆手術室直行になっていたし、外科では、また乳腺膿瘍が一人入院になった。
何故か、今日は泌尿器科系の患者が多く、睾丸捻転疑いで来て、結局副睾丸炎として処理された患者が二人、 15年前のTUR後の出血が一人来たが、泌尿器科医はコンサルタントしかいないので、ある程度は外科で処理をしなければならなかった。 しかし、このあたりの処理も外科医でありながら皆良く知っている。
FDも何人か来たが、皆たいしたことはない。縫合の患者も適当にこなしながら、こんな感じで、午前中は終わった。
午後は、30%の熱傷の子供や、巨舌症で突然死して、死んだ状態で連れてこられた子供などが目立ったところで、 一人、FDの全身打撲と骨盤骨折疑いで入院したが、ここの当直にしては平和な時間がすぎていった。 しかし、大抵なにかあり、このままでは終わらない。




午後5時過ぎ、外傷が救急車で搬送された。左側腹部の刺傷である。家族間の揉め事で兄弟に刺されたということだ。 見ると呼吸困難を訴えている。
ER-ICUに運び入れる。聴診上エアエントリーは良いようで、呼吸困難はpsychicのようだが、 刺傷は深そうで、場所から言って、胸腔内でなければ、腹腔内になるはずで、脾臓が心配である。血圧は保たれている。
Dr.Mohmedが来てどうするのかと思ったら、彼の判断は余計な検査は一切無しで手術室直行であった。 よって、ERに入った10分後くらいにはもう手術室に入り、手術台の上に乗っていた。
手術室も現在は緊急対応のシフトであるから、こういう対応はきわめて早い。
Dr.MohmedにERでの救急患者の検査待ちが長すぎて問題があると指摘したことが前にあったが、 彼が、本当の緊急の際は、極めて早く対応し手術が出来る体制にあるといっていたのはこういうことだったらしい。
すぐに麻酔がかけられ、Explorationで上腹部を開腹した。そして、左側腹部にガーゼを入れると、やはり結構出血している。 ということで、大きく開腹しなおして、もう一度良く調べた。
すると、刺傷は結腸の脾極付近の側腹部から腹腔内に入り、脾臓の表面をかすって、横隔膜を貫いていた。 幸い結腸には、穿孔は無かった。
結局、脾臓の表面からの出血を修復し、横隔膜を修復し、腸に穿孔のないことを確認して、閉腹し、 外から胸腔ドレーンをいれて終了した。
結果的には、開腹は必要で、この判断は間違いなかった。 日本なら、本当は術前超音波くらいはしたいところだが、ここでは時間がかかるし、脾門部から出血していた場合は、 放射線医を待っている時間はない。
いつもは、超音波一つにやたら時間がかかり、何とかならないものかといつも思っていたのだが、 少なくともこういった外傷患者の緊急手術への対応の速さは、日本の病院と比較して、極めて早いことは間違いない。 さすが、インティファーダできたえられているだけのことはある。

その後は、また虫垂炎や胆嚢炎が入院してきたが、保存的に見れそうで、12時過ぎには終了。 就寝と言う非常に楽な当番日であった。


朝Shifaで目覚めて、モーニングレポート終了後、本来PRCSのクリニックに行くのだが、 今日は48才の男性で大腸癌疑いの回盲部腫瘤の手術をするという。 しかもこの患者がRecklinghauzen病という特殊な病気であり、非常に興味をそそられる患者だったので、 手術を見学してから帰ることにした。
術前診断では、注腸造影、CTともに大腸癌の診断であった。Recklinghauzen病では悪性腫瘍を合併しやすいので、おかしくはない。
みると体表には確かにRecklinghauzen病特有の、neurofibromaによるカフェオレスポットが見られる。
全身麻酔下で開腹。回盲部を検索する。 すると、腫瘤は結腸壁ではなく、腸間膜に存在し、Dr.Kandilによると炎症性の腫瘤のようだということである。 そうなると、回盲部切除では侵襲が大きすぎる。結局、虫垂切除をして、腫瘤の生検を出して、終了となった。 これが、悪性腫瘍でない場合は、どうと言うこともない。
このような症例は日本でもあるが、悪性腫瘍であれば結構珍しく、よく症例報告されるくらいである。
ここは150万人のガザの地区の唯一のセンター病院なので、このような珍しい症例が集まってくるのだと思われる。 症例数も多いので、医学的なスタディをすることも可能である。 ただし、ここの医師には、スタディをやるような余裕はないし、する気もなさそうである。


PRCSジャバリヤクリニック



このあと、いつものようにPRCSのクリニックに行った。
ちょうど、Dr.Musaが来ており、ジャバリヤのクリニックにいくというので、前から見学したいと思っていたところなので、 ついでに一緒に見に行くことにした。
ジャバリアのクリニックは、前に見学した救急のstationの隣にあった。規模はガザのクリニックより狭い。 医師はガザと同様、女医さんが一人いるだけである。あとは、薬局と診察室と処置室があるという小さなクリニックである。 場所はジャバリアの中心なのだが、周囲はオレンジやレモンの農園で、立地が良いとも思われず、患者数も少なそうである。
今日は、ガザから薬品を届けて、ジャバリアにある超音波の機械をガザに運ぶために来たらしい。



実はJPMAがここを改修して、医師や看護婦を派遣するというプロジェクトがあるというので、見に来て見たのだが、 ちょっとこの状態では、残念ながら改修しても患者がくるようには思われない。
ジャバリアにはすでにUNRWAの大きなクリニックがあり、PRCSのクリニックに来てもらうためには、 それなりのメリットがなければならないが、これではいくら改修してもたちうちできそうもない。 やはり、医療機関としてのPRCSには限界があるようだ。
すくなくとも医療協力としては、救急システムや、保険衛生の啓蒙などの活動にしぼったほうが良いように思われた。
一旦ガザのクリニックに帰ってきたが、今日はこれで終了。 その後、旧市街に戻って、飛行機のチケットをチェックして帰る。 のどの調子はまだまだ良くない。ということで、あとはホテルで療養した。


Rafahの攻撃


1月9日にハマスがイスラエル兵士を4人殺害した報復として、 イスラエル軍が1月10日にRafahの民家を75軒ブルドーザーで破壊した。
その現場に、PRCSのメンバーが行き、写真を撮ってきて、コンピュータルームで処理していたので、 写真の一部をもらった。その写真がこれである。
一体どういう発想から、こういった報復の形になるのか理解に苦しむが、 イスラエル軍はパレスティナ人をいじめることにかけては、非常に知恵が働く。
難民キャンプの民家を破壊するのは、どう考えても民間人をいじめているだけにしかならないと思うのだが、 イスラエルとしては正当性があるというのだろう。
パレスティナは大家族だから、一軒あたりの家族数が多い。 75軒の家が破壊されると、一軒7-8人いるとすると5-600人が家を失ったことになる。
アラファトが停戦を呼びかけて以来、明らかにパレスティナ側の攻撃は自制されていたのに、 イスラエルが入植地付近でパレスティナ人を殺害したり、武器密輸船問題で挑発したりして、 結局また元に戻りそうである。
パレスティナ人はこんなことをもう何十年も繰り返しているので、慣れっこになっているとのことである。
和平プロセスに戻して、早く独立したいパレスティナにとって、衝突をエスカレートさせて得るものはなく、 この対立で、戦いをエスカレートさせているのはイスラエル側であるといわざるを得ない。
イスラエルとしては、圧倒的な武力でパレスティナを殲滅することも出来るわけで、 特に、軍人上がりのシャロンは、和平を進めようとする気はさらさらないように思われる。