パレスティナ2002 - ver.28

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Shifa最終日



今日はShifa最終日。そして最後の手術日でもある。
8時半過ぎにShifaに行く。まずいつものように、4階の回診をした。
一昨日入院したRTAの子供は、超音波上、肝外傷の疑いがあったが、採血では貧血が進行していることはなく、 アクティブな出血はないということで、経過観察となる。他には特に問題となる患者はいなかった。
そして、ICUへ行った。
懸案の腸間膜静脈塞栓の患者は、もう術後一週間以上経ち、一時ビリルビンが10以上あったが、現在では3.5くらいに下がってきた。 呼吸状態も良く、レスピレーターも外れ、昨日抜管になった。 もうおそらく大丈夫で、外科病棟に帰ってくるだろう。
とりあえず、急性期は何とか乗り切ったことになる。しかし、長期的には、栄養管理の問題があり、簡単にはいかないだろう。

その後手術室に行った。


一件目の手術はもう始まっていた。胆石の女性患者である。 この手術はとりあえず腹腔鏡下でスタートしたが、出血がひどいためオープンになった。 と言っても、これはやむをえない点もあって、患者は体重が100kgくらいある高度の肥満である。 しかし、高度の肥満患者は、開腹にしても手術はやはり大変だった。 こういうような高度の肥満患者が次々といるので、ここの外科は大変である。

その次は若い男性の腹腔鏡下胆嚢摘出でこちらはスリムな体型であり、比較的簡単に行った。
ただ実は、途中、胆嚢を一部損傷して胆汁が流出したが、洗浄しただけでドレーンは入れなかった。 ここでは基本的に腹腔鏡下の胆嚢摘出ででドレーンをいれることはないそうで、このように胆汁が漏れた場合でも、 少量の場合はやはり入れないそうだ。これで今まで特に問題はないそうである。

そして、最後は虫垂膿瘍疑いの女性の診断的腹腔鏡だった。
まず初めに腹腔鏡で観察したのだが、見ると結局卵巣嚢腫であった。 診断後そのまま摘出に移り、結局腹腔鏡下で摘出することが出来た。 これはDr.Ahmad Kandilがやったのだが、胆嚢摘出で慣れていることもあり、このくらいの腹腔鏡科手術は問題ないようだ。 なかなかのテクニックである。
本来、卵巣嚢腫はもちろんここでも婦人科医がやるのだが、こういった虫垂膿瘍との鑑別が問題になるケースでは、 外科で診断的腹腔鏡をやり、卵巣嚢腫の場合でも、そのまま外科で腹腔鏡下で摘出してしまうそうだ。
その後普通のソケイヘルニアをやってこれで終了。Shifaでの全手術が終了した。

その後、食事を取る前にERに行くと、なんと3年前、ハンユニスで一緒だったDr.Najahにあった。 なんと彼女は現在Shifaで働いているという。私が来てからも、病院にいたはずなのだが、ずっと知らなかった。 これは、私の関係のあった二つのグループでないグループにいたためのようである。 しかし、前回ハンユニスで一緒だったDrには、Ahmad Schawanしか会えていなかったので、最終日になったがDr.Najahに会えてよかった。 ということで記念に一緒に写真をとってみた。


その後、Dr Awadに紹介されて、el wafa病院という、ガザにある障害者のためのリハビリ専門病院を見学した。 ここも前々から行こうといいながら行けずに、今日になってしまった場所である。
ここはアラブの他の国や、ブリティシュカウンシルなどの援助をうけているプライベート病院であり、 ガザ唯一の障害者のリハビリ病院である。
プライベートの病院のため、保険の問題があるが、外傷後のリハビリなど、Shifaからの患者の紹介も多く、 そういった場合はMOHの保険が使える。
ガザでは外傷が多い結果、頭部外傷や、脊損となって障害者となったものが多い。
また糖尿病性壊疽に陥った患者に対する下肢の切断のケースなどでも、Shifaでは長期入院はむずかしいので、 術後のリハビリのために、多くはこの病院に送るそうだ。
実際私が手術にかかわった下肢切断の患者もここに入院しており、病棟で久々に会った。。
2階にはブリティシュカウンシルなどの援助をうけて、やはり慢性疾患である関節リューマチの病棟を新しく作っているそうで、 この二月にはオープンするという。
日本では、通常こういったリハビリ施設は脳出血や脳梗塞の患者が多いが、ガザでは若い外傷患者が多いので、 受傷後のリハビリや職業訓練などの専門家は結構求められている。
流れとしては、外傷患者は、まずShifaなどで急性期の治療を行った後、ここに送られて入院し亜急性期の治療、及びリハビリを開始する。 その後は外来でリハビリを続け、場合によっては訪問看護も行っているという。
入院施設は50床程度で、男女20人づつに子供が10人ほどである。 現在作っている2階の病棟が完成すると、もっと多くの患者を収容できる体制になるという。
ここでは海外のボランティアの医師を技師を受け入れることは可能であるとのことで、連絡先を聞いておいた。



そして、この日で私が最後だったので、Dr.Awadが、その後、もう一つ、ちょっと特殊な病院に案内してくれると言うことで、 行ってみた。
そして、Public Aid Societyというクリニックを見学した。
ここは、パレスティナ人によるNGOであり、各分野のスペシャリストを擁する。
そして、彼らの通常業務の終了した後、午後3時から6時に外来を開き、10数人のスペシャリストが同じビル内で分かれて、 質の高い医療を提供しているという。

基本的には、彼らのここでの給料はわずかで、主にボランティアの側面が多く、貧しい人々には無料で医療を提供もしている。


彼らのポリシーとして、どこからも援助をもらわず自前でやると言うことで、その理由はDonationに頼ると、 結局Donationがないと活動が立ち行かなくなるからだそうだ。 やはり彼らも、現在のPA、PRCSなどの既存の医療機関の問題点をよく分かっている。
ここには、外来の施設以外に、入院施設もあり、手術室と分娩室が附属してある。 よって入院は、主に外科と産科であるが、ここで外の病院の医師が手術をすることも許可しているという。
手術料金は手術室を使用するのと、麻酔医の料金、及びこれに外科医の料金が加わる。 結構お金はかかり、この辺はやはりプライベートの病院の難点である。

ここで、Dr Awadの友人であるDr.Husamという泌尿器科のスペシャリストにもあった。 彼は、トルコで泌尿器科のスペシャリストを取り、Shifaでも働いているのだが、ShifaではERでしか働くことが出来ず、折角のキャリアを生かせていないという。 このあたり、PAの病院では、Authorityに関係したものが、キャリアにかかわらず採用されるらしく、 そのため彼はShifaのスタッフの泌尿器科医よりもキャリアがあるにもかかわらず、採用されないのだそうだ。 このあたりも、パレスティナの大きな問題点である。
そこで、彼は、ここで泌尿器科医として働いているとのことである。 しかし、この病院は半ばボランティアなので、お金にはならない。 外来一人につき本来50NIS のところ、この病院は25NISでやっている。 そして、その中から医師の給料は65%になるので、一人患者を見て、16NIS程度である。 この日は12人の患者だったと言うので、この日の給料は192NISとなる。
彼がいうには、パレスティナの医療の問題として、特殊領域のスペシャリストが足りないとのことで、 たとえば血管外科医や肝臓外科医の不在のため、多くの外傷で、救命できなかったケースがあるとのことだ。


そしてテルアビブへ



今日はガザ最終日。朝起床して、荷物の整理にかかる。 2ヵ月弱の滞在であったが、大して荷物は増えていない。
荷物整理がすんで、朝からAlQud病院の各セクションに行って、色々と挨拶をしてきた。 Dr.MohmoudやDr.Khailyなどのなじみの医師に会ってから、外科の外来などにも行って、 看護婦さんにも一通り挨拶をしてきた。
その後、いつものようにPRCSのコンピュータルームに行き、 ここのスタッフであるMyassarとMasoudと話をしてから、お別れをした。 Myassarはちょっと待っててというと、山のようにみやげ物を持ってきてくれた。 いずれもPRCSがらみのものでmade in Parestineである。ありがたいものである。
その後、Husamに会いに行き、今日で帰ることを言うと、
「出発は1時にして、12時からsmall partyをやるから5階に来い」ということになる。 Husamはこういう気配りは非常にきく。
荷物を完全にまとめて、12時に5Fに行く。主にPRCSのメンバーが集まってくれて、パーティーが始まる。 初めにPRCSの代表から挨拶があった後、私がスピーチして、ケーキカット。 こんな短時間によくこれだけの段取りを整えたものだ。
そして、パーティが始まったが。 小さなパーティーなので、食べ物もすぐになくなり、私も早く出なければならないので、早々に会場を後にした。 1時前にはホテルを出た。エレツまで車で送ってもらう。 ここのところ、情勢が怪しくなっているので、どうかと思ったが、エレツでは予想に反して、たいしたことも無く通過した。
エレツからテルアビブはタクシーで150NIS。 ベンヤフーダ通りというテルアビブの安宿街に行き、See side Hotelに泊まる。(一泊150NIS)
夕食はちょっと豪華にケバブで68NISかかった。さすが先進国は物価が高い。

翌早朝にホテルをチェックアウトし、タクシーで空港まで80NIS。 空港の入り口からチェックをされて、質問攻めに会う。
ガザで医師のボランティアをしていたと言うと、証明を見せろとか、どこでどういうことをしていたかとか、色々質問が来る。 何でこの時期に来るのかとか、どうやってこのミッションが決まったかなど質問は多岐にわたる。
3年前と同様に、例によって、入れ替わりで二人が質問をしにきて、その整合性をチェックする。 最後に偉い人にお伺いを立てたら、なんとその係員は3年前に、 私を担当した係官であり、私のことを覚えていた。
彼の口添えがあったからも知れないが、その後は結構スムースに事が運んだ。 しかし、やはり荷物の全面チェックは欠かされなかった。
特に今回はコンピュータやデジカメなどの電化製品が多く、充電器具を含め、すべての器具をチェックする念の入れようである。 その後、出国手続きまで係官が着いてきて、出国して終了した。全2時間の行程であった。 出発3時間前に行って正解であった。