白樺八青(しらかば・やお)オフィシャルウェブサイト〜風の通る部屋〜 

エッセイ>わ・た・し・の時間

「ほんとうに必要なもの」

大した理由もなく、ふとしたきっかけで、携帯電話を手放して一ヶ月が過ぎました。

仕事を辞める気なのか、変なヤツに追われているのか、通話料がついに払えなくなったのか。未だに諸説紛々、私の知らないところで、さまざまな憶測が飛んでいるようです。

現代人にとって、今や必須アイテムとなったケイタイ。その命綱を手放すことは、ずいぶん突拍子もない行動だったのだと今さらながら知った私です。

確かに、少なからず周囲の人たちに迷惑もかけています。すぐに連絡出来た人間が一向につかまらないのですから、イライラを募らせている人もいるでしょう。


気づいたこと

でも、それなのに、何なのでしょう、この気持ちよさ。思えば初めて携帯電話を手にしてから6年以上、いつもその存在を意識していました。ベルの音が空耳だったこともしばしば、「圏外」表示が出ると それだけで、なんだか落ちつきませんでした。

「ケイタイがないと待ち合わせの時不便でしょう」と言われます。いえいえ、そんなことはありません。「ごめん、ちょっと遅れる」すぐに電話を入れられるから、安心して遅れられる。便利と言ったってそれくらいのものです。

この一件で「ああ、よかった」と言ったのは、ただ一人、母でした。自動車での移動中、運転しながら電話で話しているのではないかと心配していたそうです。母もひと安心。これも小さな親孝行でしょうか。


「名古屋リビング新聞」2003年03月
『わ・た・しの時間』