白樺八青(しらかば・やお)オフィシャルウェブサイト〜風の通る部屋〜 

エッセイ>わ・た・し・の時間

「心が遊ぶ時」

先日カメラをプレゼントされました。カメラなんて高価なものを!と、おそるおそる箱を開けてみると、ずいぶん軽いカメラです。よく見ると、構造は単純。本体もレンズもプラスチック製、…はっきり言って「おもちゃ」です。

説明書を読むと、ずいぶんふざけたことが書かれています。「写真の出来には当たりはずれがあるので、大切な一枚は絶対このカメラで撮らないでください」。

なんだこれ?と初めはむっとしました。それから、「これだけ欠陥だらけのカメラが堂々と売られるには、きっとそれなりの理由があるだろう」そう思い直し調べてみました。なんと世界中のカメラマニアの間で熱狂的に支持されていると言うではありませんか。


大人もおもちゃを持とう

思い通りに撮れないチープなカメラに振り回され一喜一憂するカメラマンたちの姿が浮かんできました。

思えばカメラとは、数字に強くないと扱えない、言い換えれば数字を操れれば失敗はまずないという常識がありました。しかし、このおもちゃに関しては、数字とは無縁、運とセンスが決め手です。そうなのです。昔のカメラはこうだったのです。おもちゃのように単純な構造でした。単純だからこそ、扱いが難しく奥も深かったのです。

さて、今の私たちの暮らしは…やはり数字至上主義?無駄をなくして効率よくという考え方が主流でしょう。そこに現れた一台のおもちゃカメラは、私の中に固まっていた価値観をガラガラと崩してくれました。


「名古屋リビング新聞」2003年01月
『わ・た・しの時間』