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エッセイ>わ・た・し・の時間

「聴く」

あなたは、まわりで音が鳴っている時、音がない時、どちらの時に心が落ち着きますか。

人によっては、活字中毒ならぬ、「音中毒」という方がいるのではないでしょうか。たとえば、見もしないのにテレビをつけてしまう、車に乗ったらまずラジオのスイッチをつける、何かが鳴っている方が集中できる。こんな自覚症状がある方は、明らかに音中毒です。

さて、「聞く」という行為には、大きく分けて二種類あります。ひとつは音声を「耳に感じて」理解する、もうひとつは「耳を傾けて」聞き取る、いわゆる「聴く」ことです。

私がこのごろ感じるのは、多くの人が、この「聴く」能力が低くなってきてしまったのではないかということです。


耳を澄まそう

私は、仕事がら学校へ出かけていって、音楽鑑賞会や朗読会を開いたりする事が多いのですが、始まった途端にその学校の生徒たちがどのくらい「聴く」楽しさや喜びを知っているかが分かります。それは、「聴こう」と耳を澄ました瞬間に、とても心地いい静寂が生まれるからです。

そういえば「普段どんな音楽を聴いているのですか」という質問に、「日ごろはまったく音のない生活を送っています」と答えた作曲家の言葉に、とても共感を覚えたことがありました。

影があるから光が映える、おなかがすいているからおいしく感じる。同様に、美しい音、素晴らしい音楽と出会うためには、生活の中に「静寂」を取り戻す必要があると思うのです。


名古屋リビング新聞2001年11
「わ・た・しの時間」