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「手紙」

誰かへ連絡をしたい時、私もこのごろは、インターネットとキーボードに頼りきりの毎日です。文字も書かなければ手紙など言うに及ばず、実に情け無い状態です。

そんな乾いた生活を送る私のもとに、砂漠で出会うオアシスのように素敵な手紙を下さる方がいます。

どんな風に素敵かと言うと…、一つ、手書きであること。二つ、墨で書かれていること。三つ、その人にしか書けない文字であること。四つ、ひと文字ひと文字心を込めて書かれてあること。

これだけ挙げれば、多分分かって頂けるでしょう。こんな手紙がポストに届いたら、あなたもうれしくなるのではありませんか?


自分流のスタイル

信じられないのですが、その方、以前は文字を書くのが苦手で、いわゆる「悪筆」だったそうです。しかしある日、ご自分が送った手紙が無造作にゴミ箱に捨てられているのを偶然目にしてしまい、ショックを受け、「捨てられない手紙を書こう」と心に誓ったそうなのです。

その方の「書」は個性的です。いわゆる「上手いでしょう」といわんばかりの達筆ではありません。筆記具は筆に限らず、割り箸や、木の枝や、さまざまなものが道具になります。そして、紙に向かって文字を書く時の楽しそうな表情は、まるで小さな子どもがはじめて文字を覚えたときの表情そのものなのです。

その方の書に触れ、その姿を目にすると、私も無性に文字を書きたくなります。自分流の何かは、思うほどたやすく出来るものではありませんが、いつか私らしい「手紙」が生まれる日に思いを馳せます。


「名古屋リビング新聞」2002年10月
『わ・た・しの時間』