今日はネタがないので、少々語りなどを。
ギャルゲーにしろその他のジャンルにせよ、物語から受ける感動というのは、おおよそ二種類に分けられると思うのです。
ひとつは、何か圧倒的な「世界」を見せ付けられて、そこに引き込まれてしまうという類の感動。
それはたとえば、世界観がものすごく作りこまれていたり、人間関係や舞台背景がとても巧妙に仕組まれていたして、そういう部分の見事さから受ける感動です。
もうひとつは、人の心の中に入り込んでくる類の感動。
これは、いわゆる「感情移入」によって生じる感情ですね。人の生き死になんかがその典型です。登場人物の言動や思考、生き様そのものに対して強く共感したりすると、感動と呼べるものになります。
この二つの感動は、基本的に排他的なわけではなく、むしろ相乗効果も期待できます。優れた作品ならば、大抵この両方を兼ね備えてます。
俺が最近プレイしたゲームで言うならば、『CROSS†CHANNEL』なんかが、この二つを分かりやすい形で提供していたように思えます。その二つを徹底的に尖らせるために、少々アクの強い作風になっていますが、壊れた世界から受ける絶望感と、そこで生きる、どこか壊れた登場人物たちの生き様から受けたものは、確かに感動といってよいものでした。
この作品は、先述した二つの感動の相乗効果が極めて高いことも特徴です。どちらかというと、やや「感情移入」の方が強いかな? 「世界」の方は結局のところ、「感情移入」の方を盛り上げるためにこそあるものだ、という印象もありました。
ギャルゲーというのは基本的に、「感情移入」の方を表現しやすいジャンルです。ほとんどの作品は主人公視点で、しかも、恋愛とかセックスといったものが欠かせないテーマになるわけですから、これはまあ当たり前といっても過言ではありません。どうしたって色事は欠かせないわけで、いわゆる「世界」の方は、そのあたりをきちんと抑えた上で、それから……ということになってしまうのです。
だから、ギャルゲーで「世界」の方の感動を提供しようとなると、どうしても大作になってしまいます。これが漫画や小説ならば、どっちも手軽に……というのもなんですが、表現のしやすさでいうならば、それに必要な労力はだいたい同じようなものだと思います。
ギャルゲーで「世界」重視の作品というと、代表的なものはやはり『この世の果てで恋を唄う少女 YU−NO』でしょう。分かりやすいほどに圧倒的な「世界」がウリの作品です。もちろん、「感情移入」の方もきちんと抑えてますが、やはりYU-NOは、あの「世界」があるからこその作品です。
TYPE-MOONの諸作品も、どちらかというと「世界」により大きなウェイトが置かれているような気がします。
「感情移入」重視の作品はいちいち挙げるまでもありませんが、いわゆる萌えゲーは確実にそうですし、泣きゲー、鬱ゲーと呼ばれる作品も、まず「感情移入」あってこそのものでしょう。
ただ、こうした作品においても、「感情移入」だけでなく「世界」の方もふんだんに提供しようとしているものは多いので、厳密に、「これは世界重視系の作品、こっちは感情移入系の……」と区別することには、あんまり意味がないという気もします。ギャルゲーの特性的に、「感情移入」の方が表現しやすいということだけは、先述したとおりの事実ですけれども。
この手の話を突き詰めていくと、そもそも「感動」ってなによ、何のために感動したがるのよ、というお話になるので、今日はこれ以上言及することはしませんが、まあ、俺は日ごろ、こんなことも思っているよ、ということで。気が向いたら続きも語ります。