ということで、新年早々ハートフルな気分になりましたー。
ネクロマンティックラブストーリー『沙耶の唄』、コンプー。
『鬼哭街』よりややボリュームがある、というくらいなので、一晩費やしてプレイするのにはちょうど良かったです。以下、ネタバレ含めて感想を。
<以下、ネタバレ感想>
どれだけグロいかキツいかカニバルいのかと、かつて『ふにく倶楽部』という死姦専門アンソロジーを読んで酷い目にあった俺としては、かなり戦々恐々としつつ始めたのですが、いざプレイしてみると、最初の10秒こそかなりキましたが、続けているうちに、そのあたりは気にならなくなったというか、物語に引き込まれるあまり、好奇心が遥かに勝って嫌悪感を駆逐してしまった、という印象でした。嬉しい誤算というべきか。
最初の10秒における「うひぃ!」感も、すぐに「そうきたかー!」という驚嘆に変わりましたし、異世界的視界と沙耶の使い方があまりにも巧みなため、むしろ本来彼らに対してあるべき嫌悪感がなくなってしまっていることに、逆に恐ろしさすら感じたり。沙耶は怖い子です。正体とかいう以前に、その可愛さが。郁紀は置かれた状況差し引いても嫌なヤツだけど。
グロもカニバルも、旧作品における銃撃やら壮絶のりものバトルやらと同じく、あくまで、物語の演出のための小道具としてのみ使われているわけです。本来、カニバルものがかなりダメな俺がほとんど嫌悪を感じなかったのは、そういうクールな使い方に徹底してくれたからでしょう。これがほんの少しでも作者側のフェチズムが覗けてしまうと、吐き気を催すのかもしれませんが。ちょうど、佐川一政の漫画を読んだときみたいに。あれは一生忘れられない。ぜひ忘れたいのに。
今回の沙耶というキャラに関しては、もう世界に誇れる萌えを我々にもたらしていると言ってよいでしょう。世界中の誰が認めなくても俺が認めます。いや、たぶん同意者は多そうですけど。白い病室エンドでの、あのいじらしさときたら! でもやっぱり、虚淵氏はロリなんだなあ、としみじみ思ったりも。いや、あれならロリでもゼノでも一向に構いません。(ゼノ……WIZ3でミューズフェスの宝珠を守っている方々。沙耶の親戚筋と思われます)
で今回は、その外観こそ、声明文の通り新境地といえば新境地なのですが、やっぱりニトロの子はニトロの子としか言いようがなかった、というのが結論ではないかと。もちろん、良い意味で。銃やカンフーに頼ることなく、しかしニトロ過去作(特にファントム)において最も肝要である、人が戦う理由や意思といったものは、むしろ過剰な戦闘技術や描写がない分、より鮮明になっていたといえるのではないでしょうか。耕司視点だと、そのあたりが良く分かります。
とはいえ、拳銃とか斧とかのステキ絵が出てきたときには、「やっぱりかよ!」と、内心で突っ込まずにはいられませんでしたが。大笑いしつつ。そういえば今回、どういうわけかプレイしていて、笑うべきところではないところでやたら笑ってしまったような気が。「捕食者」とか「星」とか、そういう何気なく出てくる致命的なキーワードを目の当たりにするたび、うわあ、とか、うひい、とか言いつつ大喜び。
話を元に戻しますが、今回のようなテーマの作品であれば、いわゆるプロの、濃密な戦闘描写は、かえってテーマ性を散漫にさせてしまうような気がします。それを如実に感じたのが、なにをかくそう『鬼哭街』。あれは確かにステキな戦闘で我々を酔わせてくれましたが、ラストのあの端麗との(頭)ハッピーエンドを迎え、その情緒を表現するうえでは、かえってその戦闘重視(?)な基本路線が、そこでの表現の幅を狭くしてしまったという弊害があったようにも思えます。ホージュンとのラストバトルが今ひとつノれなかったのは、そのへんもちょっと関わっているかも。だから、俺としては『鬼哭街』と『沙耶の唄』とでは、沙耶の方をより高く評価したいです。種類は違えど、その外面的表現における迫力だけなら、互角なほどにすごいわけですから。
とにかく、新境地開拓――と言っても、手に持つ武器の種類を、剣から弓に変えたというくらいの意味でしょうが――堪能させていただきました。細かい不満を言えば、バックログの使い方がやや面倒なのと、遥の肉体改造シーンをもっと濃厚に描いて欲しかったなあ、と。(←なんだかんだ言って好きなのか。ええ好きなのです。子供の頃、孔雀王の対吸血鬼編でのエログロで勃起した身としては)
そして、エンディングの曲は、通例どおり、実に美しいです。……あっ、うわ、うわっ、俺、このサウンドシーンの背景絵すごく駄目! ギョロギョロする眼球、俺の大弱点! ひぎぃー! しかし、この画面開かないと聞けないし……うわわわわっ。(←怖い怖いも好きのうち)