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10月4日(土)
うあっあ、実写セラムン、うっかり見逃したー! 大ショック。
……しかし、実際に試聴し強烈なショックをうけたらしいたびさんの様子を見るに、運が良かったのか悪かったのか判断しかねるところも。
『涼宮ハルヒの溜息』(谷川流、スニーカー文庫)読了。
前巻『〜憂鬱』で明示された各方面の設定・ギミックを、もう一度おさらいして強調するためのインターミッション、といったところか。以前に引き続き、世界の特異点として様々に異変・混沌・迷惑を大生産するハルヒ。それをそれぞれのポジショニングに合わせてフォローする3勢力。お前らはなんなんだと主人公的には言いたいところだが(朝比奈さんはちょっぴり除きたい気分ではあろうが実はそのあたりも密かに罠っぽい)、なによりもまず、そもそもの大根本の大原因であるところのハルヒについてまず問い詰めたい、小一時間ほど問い詰めたいというか説教食らわせたいさあ食らわせてやろう――って、それがトリガーかよ、結局例の如く微妙な綱渡り的にバランスを保たなければならない調停訳かよでもまあいいやわりとそれ嬉しいし、認めたくはないがどうやらそうらしく、なんてこったと思いながら、まあやってやろうじゃんやってやろうとも――と思いつつ、なんだかんだ頑張って現状維持、と。
ハルヒの暴走・暴発・暴虐は相変わらずギリギリな感じで、俺は大好きというかむしろ愛すら感じるなのですが、ハルヒの行動の許される境界線というのは非常に不安定で、今までのところなんとなく「まあハルヒだし」で収まっており、それが収まるのもハルヒが常人を軽く超越するポジティブなパワーを示すがゆえなのですが、まあ分かりやすく言えば、元気な中学生の悪ノリ大はしゃぎがどこまで許されるか的な(格こそ違えど根本的にはそれと同じ)危ういバランスの上に成り立っており、周囲の人間(というかキョン)がいつ「てめえ、いいかげんにしろ」とマジギレしてしまうかもしれないシロモノ。
それに、ハルヒ次第で世界が――という基本設定まで加わっているという、厄介極まりない危ういバランスこそが、ハルヒ(というか、ハルヒシリーズそのもの)の魅力なんじゃないか、と俺は思っております。今回は、その構造を改めて浮き彫りにした巻、といったところでしょうか。
たとえるなら、ハルヒは大暴れする猫です。それも子猫。その猫はとりあえず家中を泥のついた脚で歩き回り、好き勝手な場所で放尿・脱糞しくさり、高価な藤家具を爪とぎにし、小鳥を捕まえようとして植木鉢を破壊し――いわゆる一つの馬鹿猫のレッテルを貼ってしかるべきなのですが、しかしながら、なんだかんだいって子猫であり、猫愛好家の人間としては「このクソ猫、目の前でミカンの皮潰すぞコラ」と悪態をつきつつも、なんとなくその暴れっぷりを愛でずにはいられないという存在ではないかと。だって子猫って、馬鹿なところも含めて可愛いもん。問答無用で。いや、猫嫌いな人は本気で駆除したくなるだろうけど。
涼宮ハルヒのシリーズは、この例えでいうところの子猫が、実は世界の命運を担った超重要な存在だった、というようなもので。その重要な存在たる子猫を巡って、様々な思惑を持った存在が介入してくるも、その重要さの内容に「猫本人をどうにかするわけにはいかない」という何らかの理由があり、仕方なくそれらの勢力は、子猫の買主であるところのキョンの周囲にご近所さんとして引っ越してくる、って感じで。買主のキョンはひたすらに迷惑をしつつ。そして当の子猫は、なにしろ猫なので、そんなこと知ったことかという風に人々の思惑(キョン含む)を無視し、好き勝手暴れて、その新しいご近所さんの洗濯物のブラジャーを盗んだり、車に轢かれそうになったりして、周囲の人間は大パニック。でも、その猫の飼い主であるキョンこそが、色々と気苦労しながらも「お前はー!」と、なんだかんだと主人としての責務を果たし、子猫はそれを受けて、主人のことが好きなんだかどうでもいいんだかわからないまま(はたから見る分には。でも多分好き。その前提があるからこそ猫は可愛らしい)、結局猫的に好き勝手生きている、と。
置き換えてみるとこんな感じではないかと。俺的にはこう認識しております。
で、今回の巻について。
そのあたりの設定関連の裏を匂わせる、部分部分に蒔かれた伏線を読み解いていこうとすると、色々と面白げなことも考えられていい感じではあるのですが――しかしながら、こういうシリーズ展開を行っていくのであれば、その手のじっくり考えて味わいたい部分だけでなく、もうちょい読んだその場で破顔してしまうかのような美味しい系のあれやこれやを、あからさまでない程度に「狙って」いって欲しかったな、という思いもちょっぴりと。いや、少なくとも、『〜憂鬱』で示していた分の萌えシチュ生産過程はしっかりと押さえているのですが、しかしせっかく従来の、「ハルヒがみくるたんにセクハラ→萌えシチュ大生産」というベーシックな過程に、キョン(というか=読者)側からの「それはどうだろう」的な介入が発生し、さあ次のステージへ、という部分を――実のところ、それはさらりとながら確かに書かれてはいるのですが――それが、設定おさらいの説明的部分に引っ張られてか、味わいがちょっぴり薄々になってしまったような感じが。
たとえば、古泉の狂言回し的な長々しい説明的会話は、そういうキャラクターだということもあり、避け得ないんだろうけど、でもむしろ、そのあたりの説明的な部分こそをさらりと流し、もっと表面的な部分(日常的な人間関係の部分とか)をこそ濃厚に描写して欲しいなあ、と思うわけで。せっかく、そんなに急展開の発生しなかったシリーズの中間部分なのだから。せっかくの胸強調みくるたんイラスト大量増産(前作での「みくるたんの乳分が足りねえ!」的な要望を受けてか)が、逆に本文中でのみくる分がワンパターンになりすぎてしまい、効果半減という気がしました。逆に長門分は上々。これも「裏でがんばってるけど本文ではさらっと」なんだけど、むしろそれが効を奏する系のキャラクターなので。
……とまあ、前作の大興奮を引き継いでいるがゆえの希望・要望がかなりあり、それからすると不満な部分も多いのですが、やはりなんだかんだいって、今回も非常に楽しめました。
なんといっても、さらっと書かれている細やかな部分に、妄想を膨らませられる部分が非常に多いのです。世界のギミック的な部分しかり、萌え部分しかり。キョンに叱られた後、部室でひとりぽつんたたずみ、密かに髪の毛をポニーテールにしていたハルヒなんて、想像しただけで俺は絶頂に達しそうなのですが。ほんと、ホントにさりげない書き方をして下さっております。なんとも心憎い。いや、それ以前の、キョンがハルヒに対しキレるシーンだけで、俺はもう顔がニヤけてしまうのを押さえられません。そう、それこそ! そう来なくては!
だいたい、ハルヒがみくるたんにセクハラ三昧が極まっているのって、なんとなくキョンの存在が無意識的に影響しているような気がするのですが、これは俺の妄想でしょうか。 ハルヒ、(所有物だと思っている)キョンがみくるたんにハァハァしているのが気に食わない → でも、自分が嫉妬しているとなど気づきもしない(キョンへの好意は明らかに無意識のレベルだし) → よって、その鬱憤を晴らす最適な手段として、自分の嗜好にも合ったセクハラ行為が生じる ……とこのような。その構造がまた良い感じにスパイラルしているのも素晴らしい。今回キョンがハルヒにキレた原因も、そこから生じたものですし。だって、<ネタバレ回避>古泉とキスしろだなんて、明らかにキョンに対しての嫌がらせっぽいじゃないですか(ハルヒは全く自覚してないところがまたステキ)
これにみくるたんの抱えているあれこれ(裏設定とか、単純なキョンへの好意とか)が加われば、もはやギャルゲー的な萌えの発生構造としては、文句のつけようのない完成度になり得るはず。期待期待。大期待。
あと、今回はなんといっても長門。無口系キャラとして、どんどんいい感じになってきております。今回の挿絵で一番良かったのは、やはりみくるたんの乳乱舞を押さえて、長門の魔法使い&猫のアレでしょう。
そしてキョンの妹。もはやいわずもがな。たった数行の説明だけなのに、なんだろう、この濃密な萌えの気配は。短編では出番あったりするのだろうか。あるだろうなあ。どきどきわくわくが押さえられません。