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■ (KJHH) カナヤマ 日本の歴史 ハンドブック。
KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY
HANDBOOK.
● カナヤマ 室町幕府 ガイドブック。
KANAYAMA’S GUIDEBOOK ON THE
MUROMACHI SHOGUNATE GOVERNMENT.
『 カナヤマ
室町幕府・政権
年代順出来事
ブック。 』
メ ニュー (目次)。
■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。
□ 室町幕府ガイドブック。
■ 室町幕府 (概要・ テーマ別
各事柄)。
□ 室町幕府の組織(仕組み)。
□ 室町幕府の将軍(初代〜
第15代)。
□ 応仁の乱以後の室町幕府。
□ 室町時代後期の畿内 付近
の実質支配者の一覧表。
□ 室町幕府の関東統治。
(概要)。
■ 室町幕府の関係史料。
□ 足利氏 画像アルバム No.1。
■ 室町幕府前期近くの関係史料。
□ 足利尊氏ガイドブック。
■ 室町幕府中期近くの関係史料。
No.1。
■ 室町幕府後期近くの関係史料。
□ 織田信長ガイドブック。
ブック。
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ブック。
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ブック。
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◆ カナヤマ 室町幕府・政権
年代順 出来事ブック。
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◆ (Kjhh)
室町幕府・政権
年代順出来事
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◆ 室町幕府・政権
年代順出来事
(詳細・各年)。
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■ 室町幕府・政権 年代順
出来事 (詳細項目)。
就任表。
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■ 室町幕府中期近くの関係史料。
No.1。
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□ 織田信長ガイドブック。
ブック。
■ 備考。
■ 当書籍では、 歴史の出来事の5W1H
(いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どの
ように) や、 歴史の出来事の流れ(原因
理由⇒事件勃発⇒経過⇒結果⇒原因理
由)に沿って、歴史(過去)の出来事を分か
り易く、説明している。
■ より理解を深めるために、
『 日本史辞典の、
「日本の政権・政府」 、
織田信長 ( おだのぶなが)、
豊臣秀吉 (と よとみひでよし)、
徳川家康 ( とくがわいえやす)、
今川義元 (い まがわよしもと)、
北条氏康 (ほうじょううじやす)、
明智光秀 (あけちみつひで)、
上杉謙信 (うえすぎけんしん)、
武田信玄 (たけだし んげん)、
武田勝頼 (たけだしんげん) 』
の項目も参照してください。
■ 西暦・和暦の記載。
● この年代順出来事は、
西暦を先に、その後ろの( )内に和暦を記載し
ている。
● この年代順出来事に記載されている日付(年
月日)は、 一般の歴史書で使用されているの
と同じように、1872年(明治5年)以前は旧暦
(太陰太陽暦)を用い、 1873年(明治6年)
以後は新暦(太陽暦)を用いている。
◆ では、室町幕府に関係する出来事を、年代順に、
見てみよう。
■ さあ、室町幕府に関する様々な出来事を見て
みよう。
● 歴史学の立場から、室町幕府の実像を見てみ
よう。
● 歴史学の立場から、年代を追って、室町幕府
の実像を見てみよう (歴史の物事には、虚像
と実像があるが)。
● 日付は、一般の歴史書と同様に全て旧暦で
ある。
● 現代も、過去の時代も、人間は、利害と感情
(友愛)等で行動し、富、名誉、権力等を手に
入れるために努力する。
人類の歴史は、 平和と戦争の歴史で
ある。 人は、美しき者、平和を好む者であり、
人は、醜き者、争う者でもある。
□ 室町幕府ガイドブック へ。
◆ 室町幕府・政権
年代順出来事
(詳細・各年)。
41037。
■ 『 では、年代を追って、室町幕府の活動
を詳しく見てみよう。 』
■ 1305年 (嘉元3年) 7月。
● 足利尊氏の誕生。
■ 1305年(嘉元3年)7月27日に、足利尊氏
(あしかがたかうじ、室町幕府創立者、初代将軍
(将軍在位:1338年ー1358年))が、 鎌倉幕
府の有力御家人の足利貞氏(さだうじ)の次男
として生まれる。
● 足利尊氏は、 初め高氏と名乗り、1333年
より尊氏と名乗る。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1333年 (元弘3年)。
■ 足利尊氏の鎌倉幕府への反乱。
● 1333年(元弘3年)に、足利尊氏は、丹波
国篠村八幡宮(たんばのくに・しのむらはちま
んぐう)で、鎌倉幕府への反乱を宣言する。
● 同年に、足利尊氏は、 鎌倉幕府の西国支
配の拠点の京都の六波羅探題(ろくはらたん
だい)を滅ぼす。
■ 建武の新政の開始。
● 1333年(元弘3年)に、後醍醐天皇の独裁
体制である建武の新政(1333年〜1336年)
が始まる。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1335年 (建武2年)。
■ 中先代の乱が起こる。
● 1335年(建武2年)に、北条高時の遺児・
北条時行(ほうじょうときゆき)を擁する鎌倉北
条氏残党の反乱である中先代の乱(なかせ
んだいのらん)が起こり、鎌倉北条氏残党の
北条時行の軍勢は、尊氏弟・足利直義(なお
よし)が駐屯する鎌倉を一時占拠する。
● 1335年(建武2年)に、足利直義(ただ
よし)は、鎌倉を脱出する際に、鎌倉で幽閉
されていた、後醍醐天皇の子の、護良親王
(もりよししんのう)を独断で殺害する。
■ 足利尊氏が後醍醐天皇から離反。
● 足利尊氏は、「征夷大将軍」の号を得て、
鎌倉へ出陣したいと後醍醐天皇に申し出た
が、後醍醐天皇は許可しなかった。
1335年(建武2年)8月2日に、足利尊氏
は、 後醍醐天皇の許可を得ないまま、軍勢を
率いて京(きょう、京都)より鎌倉へ向った。
足利尊氏の京(京都)出発後、後醍醐天皇は、
やむなく、足利尊氏に「征東将軍」の号を与え
る。
● 尊氏の軍勢は、直義の軍勢と合流して、
相模川の戦いで、鎌倉北条氏残党の北条時
行の軍勢を駆逐し、8月19日に、鎌倉を奪還
する。
● 足利尊氏は、そのまま鎌倉に本拠を置き、
独自に恩賞を与え始め、京都の後醍醐天皇の
上洛の命令を拒んで、独自の武家政権創始の
動きを見せ始める。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1336年 (建武3年、延元元年)。
● 北朝、南朝の成立。
■ 北朝の成立。
● 1336年(建武3年/延元元年)6月に、足利
尊氏は、京(きょう、京都)を制圧し、
1336年(建武3年/延元元年)8月5日には、
光厳上皇(こうごんじょうこう)の院宣(いんぜ
ん)により、後醍醐天皇に代わって光明天皇
(こうみょうてんのう、1336年ー1348年)が
即位し、北朝が成立する。
● 足利政権の樹立。
■ 1336年(建武3年/延元元年)11月7日に、
足利尊氏は、建武式目(けんむしきもく)を
定めて、政権の基本方針とし、新たな武家政権
の成立を宣言した。 実質的には、室町幕府(=
足利幕府)が発足する。 尊氏は北朝より権大
納言(ごんだいなごん)に任じられ、「鎌倉大納
言」と称され、鎌倉将軍(鎌倉殿)を継承する存
在とみなされる。
● 南朝の成立。
■ 一方、後醍醐天皇は、1336年(建武3年/
延元元年)12月21日に、京(きょう、京都)を
脱出して吉野に逃れ、独自の朝廷を樹立し、
南朝が成立する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1338年 (暦応元年、延元3年)。
● 足利尊氏が室町幕府の
初代将軍に就任する。
■ 1338年(建武5年/延元3年)8月11日に、
尊氏が、室町幕府(= 足利幕府)の初代将
足利軍に就任する。
■ 1338年(建武5年/延元3年)8月11日に、
足利尊氏は、北朝の光明天皇により、征夷
大将軍(せいいたいしょうぐん)に任じられ、
室町幕府(= 足利幕府)が、名実ともに、成立
する。
■ 足利 尊氏の将軍就任。
● 1338年(建武5年/延元3年)8月11日に、
足利 尊氏 (あしかが たかうじ、高氏(たかう
じ)、幼名:又太郎、生没年:1305年〜1358
年) が、 室町幕府(= 足利幕府)の初代将軍
(将軍在任:1338年〜1358年)に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1358年 (正平13年)。
● 足利義詮が室町幕府の
初代将軍に就任する。
■ 1358年(正平13年/延文3年)に、
室町幕府(= 足利幕府)の初代将軍の足利
尊氏が病死し、尊氏の子の足利義詮が第
2代将軍に就任する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1358年(正平(しょうへい)13年/延文3
年)4月に、足利尊氏が死去し(没し)、同年
12月に、足利義詮(あしかがよしあきら、
室町幕府・第2代将軍 (将軍在位:1358
年ー1367年))が、北朝により、征夷大将
軍(せいいたいしょうぐん)に任じられる。
■ 足利 尊氏の将軍退任と足利義詮の将
軍就任。
● 足利 尊氏の病死。
1358年(正平13年/延文3年)4月
に、 室町幕府(= 足利幕府)の初代将軍の
足利 尊氏 (あしかが たかうじ、高氏(たか
うじ)、幼名:又太郎、将軍在任:1338年〜
1358年、生没年:1305年〜1358年)が、
病死する。
● 足利 義詮の将軍就任。
135 8年(正平13年/延文3年)12月
18日に、 足利 義詮(あしか が よしあきら、
幼名:千寿王、生没年:1330年〜1367年)
が、 室町幕府(= 足利幕府)の第2代将軍
(将軍在任:135 8 年〜1367年)に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1367年 (正平22年、貞治6年)。
■ 1367年(正平22年、貞治6年)11月に
足利義詮が重病となる。11月25日に、足利
義満に政務を委譲し、細川頼之(ほそかわよ
りゆき)を管領とし、足利義満の後見とした。
● 1367年(正平22年、貞治6年)12月
7日に、足利義詮が死去する(没する)。
● 1368年(正平23年、応安元年)4月に、
管領・細川頼之を烏帽子親(えぼしおや)とし
て、足利義満の元服が行われた。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義詮 の将軍退任と足利義満の将軍
就任。
● 1367年(正平22年/貞治6年)12月7日
に、 室町幕府(= 足利幕府)の第2代将軍の
義詮(あしかが よしあきら、幼名:千寿王、
将軍在任:1358 年〜1367年、生没年:
1330年〜1367年) が、病死し、足利義満
が足利将軍家の家督を継ぐ。
● 1369年(正平24年/応安2年)12月30日
に、足利 義満 (あしかが よしみつ、幼名:
春王、晩年、 号:道有、道義、生没年:1358年
〜1408年)は、 正式に、室町幕府(= 足利
幕府)の第3 代将軍(将軍在任:1369年〜
1394年)に就任する。
■ 1369年 (正平24年、応安2年)。
■ 1369年(正平24年、応安2年)に、 足利
義満(あしかがよしみつ、室町幕府・第3代将軍
(将軍在位:1369年ー1394年))が、北朝に
より、正式に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)
に任じられる。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義詮 の将軍退任と足利義満の将軍
就任。
● 1367年(正平22年/貞治6年)12月に、
室町幕府(= 足利幕府)の第2代将軍の義詮
(あしかが よしあきら、幼名:千寿王、将軍在
任:1358 年〜1367年、生没年:1330年〜
1367年) が、病死し、 足利義満が足利将
軍家を継ぐ。
● 1369年(正平24年/応安2年)に、足利
義満 (あしかが よしみつ、幼名:春王、晩年、
号:道有、道義、生没年:1358年〜1408年)
は、 正式に、室町幕府(= 足利幕府)の第3
代将軍(将軍在任:1369年〜1394年)に就
任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1378年 (天授4年、永和4年)。
■ 1378年(天授4年、永和4年)に、足利義
満は、北小路室町に、室町第(室町邸)の
造営を始める。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1381年 (永徳元年)。
■ 1381年(永徳元年)に、北小路室町の室
町第(室町邸)が完成し、足利義満は、足利氏
の邸宅を、三条坊門より北小路室町に移し、
幕府の政庁とした。
現在、その室町第(むろまちてい、室町邸)
の所在地より、足利氏の幕府を、室町幕府と呼
んでいる。
移転後の室町第(室町邸)は、後に「花
の御所」(はなのごしょ、1381年〜1476年)
と呼ばれる。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1392年 (元中9年、明徳3年)。
● 南北朝合一。
■ 1392年(元中9年、明徳3年)に、足利義
満は、南北朝合一を実現し、58年にわたる、
朝廷の分裂を終わらせる (明徳の和約)。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1394年 (応永元年)。
■ 1394年(応永元年)に、足利義満は、将軍
職を嫡男の足利義持(よしもち)に譲って、隠居
する。 しかし、室町幕府の政治上の実権は、
握り続けた。
■ 1394年(応永元年)に、足利義持(あしか
がよしもち、将軍在任:1394年ー1423年)は、
義満より将軍職を譲られ、9歳で室町幕府の
第4代将軍に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義満の将軍退任と足利義持の将軍
就任。
● 1394年(応永元年)12月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の第3代将軍の足利 義満(あ
しかが よしみつ)、将軍在任:1369年〜13
94年、生没年:1358年〜1408年) が、子
の足利 義持に将軍職を譲り、 足利 義持(あ
しかが よしもち、生没年:1386年〜1428
年)は、 室町幕府(= 足利幕府)の第4代将
軍(将軍在任:1394年〜1423年)に就任
する。
■ 1397年 (応永4年)。
■ 1397年(応永4年)に、足利義満は、西園
寺家(さいおんじけ)から、京都北山の「北山
第」(ほくさんてい)を譲り受ける。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1399年 (応永6年)。
■ 足利義満は、1397年(応永4年)に、西園
寺家(さいおんじけ)から譲り受けた、「北山第」
(ほくさんてい)に、舎利殿(しゃりでん)の金閣
を中心とする山荘 (さんそう、北山第(きたや
まてい)、北山殿(きたやまどの)) を造成し、
足利義満は、1399年(応永6年)以後、この山
荘に本格的に移り住み、活動の拠点とする。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1401年 (応永8年)。
■ 1401年(応永8年)に、足利義満により、
勘合貿易(かんごうぼうえき、1401年ー15
49年、19回)が始まる。
勘合貿易(かんごうぼうえき)は、朝貢貿易
の日明貿易であり、 室町時代に、日本が中
国の明朝と行った公貿易(正式な貿易)である。
遣明船派遣による対明貿易の勘合貿易は、
日本側に莫大な利益をもたらした。
1557年(弘治3年)に、大内氏が名実
ともに滅びたことで、勘合貿易)は行われなく
なった。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1408年 (応永15年)。
■ 1408年(応永15年)に、足利義満は、死
去する。
■ 1423年 (応永30年)。
■ 1423年(応永30年)3月18日に、足利義
持は、嫡子の足利義量(よしかず)に将軍職を
譲る。
■ 1423年(応永30年)3月18日に、足利義
量(あしかがよしかず、将軍在職:1423年ー
1425年)は、室町幕府の第5代将軍に就任す
る。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義持の将軍退任と足利義量の将
軍就任。
● 1423年(応永30年)3月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の、第4代将軍の足利 義持
(あしかが よしもち)、将軍在任:1394年〜
1423年、生没年:1386年〜1428年) が、
嫡子の足利 義量に将軍職を譲り、 足利 義
量 (あしかが よしかず、生没年:1407年〜
1425年)が、 室町幕府(= 足利幕府)の第
5代将軍(将軍在任:1423年〜1425年)に
就任する。
■ 1425年 (応永32年)。
■ 1425年(応永32年)2月27日に、足利義
量(あしかがよしかず)は、19歳で急死する。
足利義量に子がなく、足利義持にも他に
男子がいなかったため、室町幕府は、将軍不
在のまま、前将軍の足利義持が、幕政を統轄
する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義量の将軍退任と足利義教の将軍
就任。
● 1425年(応永32年)2月に、室町幕府
(= 足利幕府)の第5代将軍の足利 義量
(あしかが よしかず)、将軍在任:1423年
〜1425年)が、病死する。
● 1428年(応永35年)1月に、室町幕府
(= 足利幕府)の第4代将軍の足利 義持が
病死する。
● 1429年(正長2年)2月に、室町幕府
(= 足利幕府)の、第6代将軍の足利 義教
(あしかが よしのり、義宣(よしのぶ)、法名:
義円(ぎえん)、幼名:春寅)、将軍在任:)が、
室町幕府(= 足利幕府)の第6代将軍(将軍
在任:1429年〜1441年)に就任する。
■ 1428年 (応永35年)。
■ 1428年(応永35年)1月18日に、足利
義持は、後継者の指名を拒否し、死去する。
義持の死後、1428年(応永35年)1月
19日に、足利義教(よしのり)が、籤(くじ)に
より、将軍職を継ぐこととなった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 足利 義量の将軍退任と足利義教の将
軍就任。
● 1425年(応永32年)2月に、室町幕府
(= 足利幕府)の第5代将軍の足利 義量
(あしかが よしかず)、将軍在任:1423年
〜1425年、生没年:1407〜1425年)が、
病死する。
● 1428年(応永35年)1月に、室町幕府
(= 足利幕府)の、第4代将軍の足利 義持
(よしもち、将軍在任:1394年〜1423年、
生没年:1386年〜1428年)が病死する。
● 1429年(正長2年)2月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の、第6代将軍の足利 義教
(あしかが よしのり、義宣(よしのぶ)、法名:
義円(ぎえん)、幼名:春寅)、生没年:1394
〜1441年)が、 室町幕府(= 足利幕府)の
第6代将軍(将軍在任:1429年〜1441年)
に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1429年 (正長2年)。
■ 足利 義量の将軍退任と足利義教の将
軍就任。
● 1425年(応永32年)2月に、室町幕府
(= 足利幕府)の第5代将軍の足利 義量
(あしかが よしかず)、将軍在任:1423年
〜1425年、生没年:1407〜1425年)が、
病死する。
● 1428年(応永35年)1月に、室町幕府
(= 足利幕府)の、第4代将軍の足利 義持
(よしもち、将軍在任:1394年〜1423年、
生没年:1386年〜1428年)が病死する。
● 1429年(正長2年)2月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の、第6代将軍の足利 義教
(あしかが よしのり、義宣(よしのぶ)、法名:
義円(ぎえん)、幼名:春寅)、生没年:1394
〜1441年)が、 室町幕府(= 足利幕府)の
第6代将軍(将軍在任:1429年〜1441年)
に就任する。
■ 1429年(正長2年)3月15日に、足利義教
(あしかがよしのり、将軍在職:1429年ー14
41年)は、 正式に、室町幕府の第6代将軍に
就任する。
足利義教の目標は、室町幕府の権力の回
復と将軍親政の復活であった。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1441年 (嘉吉元年)。
■ 1441年(嘉吉元年)6月24日に、室町幕
府(= 足利幕府)の第6代将軍の、足利義教
が、暗殺される。
■ 足利 義教の将軍退任と足利義勝の将軍
就任。
● 1441年(嘉吉元年)6月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の第6代将軍の足利 義教
(あしかが よしのり、義宣(よしのぶ)、法名:
義円(ぎえん)、幼名:春寅)、将軍在任:14
29年〜1441年、生没年:1394 年〜1441
年)が、殺害される (嘉吉の変)。
● 1442年(嘉吉3年)11月に、足利 義勝
(あしかが よしかつ、幼名:千也茶丸(せんや
ちゃまる)、生没年:1434年〜1443年)は、
室町幕府(= 足利幕府)の第7代将軍(将軍
在任:1442年〜1443年)に就任する。
■ 1442年 (嘉吉2年)。
■ 足利義教の死後、1442年(嘉吉2年)11
月に、管領・細川持之(ほそかわもちゆき)に
擁されて、9歳で元服して、足利義教の子の
足利義勝 (あしかがよしかつ、将軍在職:14
42年ー1443年)が、室町幕府の第7代将軍
に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義教の将軍退任と足利義勝の将軍
就任。
● 1441年(嘉吉元年)6月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の第6代将軍の足利 義教
(あしかが よしのり、義宣(よしのぶ)、法名:
義円(ぎえん)、幼名:春寅)、将軍在任:14
29年〜1441年、生没年:1394 年〜1441
年)が、殺害される (嘉吉の変)。
● 1442年(嘉吉3年)11月に、足利 義勝
(あしかが よしかつ、幼名:千也茶丸(せんや
ちゃまる)、生没年:1434年〜1443年)は、
室町幕府(= 足利幕府)の第7代将軍(将軍
在任:1442年〜1443年)に就任する。
■ 1443年 (嘉吉3年)。
■ 1443年(嘉吉3年)に、室町幕府(= 足
利幕府)の第7代将軍の足利義勝が早世す
る。
足利義勝は、 足利義教の子である。
■ 足利 義勝の将軍退任と足利義政の将
軍就任。
● 1443年(嘉吉3年)7月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の第7代将軍の足利 義勝
(あしかが よしかつ、幼名:千也茶丸(せん
やちゃまる)、将軍在任:1442年〜1443
年、生没年:1434年〜1443年)が、早世
し、1449年(文安6年)まで、 将軍職は不
在となる。
● 1449年(文安6年)4月に、 足利 義
政 (あしか が よしまさ、義成(よししげ)、
幼名:三寅、三春、生没年:1436年〜14
90年)は、 室町幕府(= 足利幕府)の第8
代将軍(在任:1449年〜1473年)に就任
する。
■ 1449年 (文安6年)。
■ 1449年(文安6年)4月29日に、足利義政
(あしかがよしまさ、将軍在職:1449年ー
1473年)が、 管領・畠山持国(はたけやまも
ちくに)の後見を得て、室町幕府の第8代将軍
に就任する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 足利 義勝の将軍退任と足利義政の将
軍就任。
● 1443年(嘉吉3年)7月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の第7代将軍の足利 義勝
(あしかが よしかつ、幼名:千也茶丸(せん
やちゃまる)、将軍在任:1442年〜1443
年、生没年:1434年〜1443年)が、早世
し、1449年(文安6年)まで、 将軍職は不
在となる。
● 1449年(文安6年)4月に、 足利 義政
(あしか が よしまさ、義成(よししげ)、
幼名:三寅、三春、生没年:1436年〜14
90年)は、 室町幕府(= 足利幕府)の第8
代将軍(在任:1449年〜1473年)に就任
する。
■ 1473年 (文明5年)。
■ 足利義尚の将軍就任。
● 1473年(文明5年)12月19日に、足利義尚
(あしかがよしひさ、将軍在職:1473年ー
1489年)が、 若年で義政から将軍職を譲
られ、 室町幕府の第9代将軍に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利義政の大御所政治。
● 室町幕府前将軍の大御所の足利義政は、
1473年(文明5年)に、足利義尚が若年で
室町幕府の第9代将軍になったあとも、室町
幕府の政治の実権を手放さず、1486年(文
明18年)まで、政務を行った。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義政の将軍退任と足利義尚の将軍
就任。
● 1473年(文明5年)12月に、 室町幕府
(= 足利幕府)の第8代将軍の足利 義政
(あしかが よしまさ、義成(よししげ)、幼名:
三寅、三春、将軍在任:1449年〜1473年、
生没年:1436年〜1490年) が、子の足利
義尚(義熙)に将軍職を譲り、 足利 義尚
(あしかが よしひさ、晩年、義熙(よしひろ)、
生没年:1465年〜1489年)が、 室町幕府
(= 足利幕府)の第9代将軍(在任:1473年
〜1489年)に就任する。
■ 1486年 (文明18年)。
■ 足利義尚の政務の開始。
● 室町幕府前将軍の大御所の足利義政は、
1473年(文明5年)に足利義尚が数え年9歳
で第9代将軍になったあとも、室町幕府の政治
の実権を手放さず、1486年(文明18年)まで、
政務を行っていた。
● しかし、1486年(文明18年)12月に、足
利義政は、室町幕府の政務からの引退を表明
し、第9代将軍の足利義尚が、代わって、室町
幕府の政務を行う。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1489年 (長享3年)。
■ 1489年(長享3年)3月26日に、室町幕府
の第9代将軍の足利義尚が、病死する。
■ 足利 義尚の将軍退任と足利義稙・第1次政
権の将軍就任。
● 足利 義尚の病死。
1489年(長徳3年)3月に、室町幕府(= 足
利幕府)の第9代将軍の足利 義尚 (あしかが
よしひさ、将軍在任:1473 年〜1489年、生
没年:1465年〜1489年)が病死する。
● 足利 義尚の後継者。
1490年(延徳2年)7月に、足利 義稙 (あ
しかがよしたね、義尹(よ しただ)、義材(よし
き)、生没年:1466年〜1523年) が、 足利
義政・日野富子夫妻の支持で、 室町幕府の第
10代将軍 (将軍在任、 第1次政権:1490年
〜1493年、第2次政権:1508年〜1521年)
に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1490年 (延徳2年)。
■ 足利 義尚の将軍退任と足利義稙・第1次政
権の将軍就任。
● 1489年(長徳3年)3月に、室町幕府(= 足
利幕府)の第9代将軍の足利 義尚 (あしかが
よしひさ、将軍在任:1473 年〜1489年、生
没年:1465年〜1489年)が病死する。
● 1490年(延徳2年)7月に、足利 義稙 (あ
しかがよしたね、義尹(よ しただ)、義材(よし
き)、生没年:1466年〜1523年) が、 足利
義政・日野富子夫妻の支持で、 室町幕府の第
10代将軍 (将軍在任、 第1次政権:1490年
〜1493年、第2次政権:1508年〜1521年)
に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1493年 (明応2年)。
● 明応の政変。
■ 1493年(明応2年)4月に、明応の政変が
起こり、 細川政元、日野富子、伊勢貞宗らに
よって、足利義澄 ( 義高、義遐、法名:清晃)
を室町幕府の第11代将軍に擁立して、10代
将軍の足 利義稙 (よしたね 、= 義尹(よした
だ)、義材(よしき))を廃するクーデターが起こ
る。
■ 1494年(明応3年)12月に、足利義澄
(よしずみ、= 義高(よしたか)、義遐(よしとお)、
法名:清晃(せいこう))、生没年:1480年ー
1511年) が、 室町幕府の第11代将軍(将
軍在任:1494年〜1508年)に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利義稙・第1次政権の将軍退任と足利 義
澄の将軍就任。
● 1493年(明応2年)4月に、室町幕府(=
足利幕府)の第10代将軍・第1次政権の足
利 義稙 (よしたね 、= 義尹(よしただ)、義材
(よしき)、生没年:1466年〜1523年、将軍
在任、 第1次政権:1490年 〜1493年、
第2次政権:1508年〜1521年)が、細川
政元らによって追放され る。
● 1494年(明応3年)12月に、足利 義澄
(よしずみ、= 義高(よしたか)、義遐(よしとお)、
法名:清晃(せいこう)、生没年:1480年〜
1511年) は、 室町幕府の第11代将軍( 将
軍在任:149 4年〜1508年)となる。
■ 1494年 (明応3年)。
■ 足利義稙・第1次政権の将軍退任と足利 義
澄の将軍就任。
● 1493年(明応2年)4月に、室町幕府(=
足利幕府)の第10代将軍・第1次政権の足
利 義稙 (よしたね 、= 義尹(よしただ)、義材
(よしき)、生没年:1466年〜1523年、将軍
在任、 第1次政権:1490年〜1493年、
第2次政権:1508年〜1521年) が、細川
政元らによって追放され る。
● 1494年(明応3年)12月に、足利 義澄
(よしずみ、= 義高(よしたか)、義遐(よしとお)、
法名:清晃(せいこう)、生没年:1480年〜
1511年) は、 室町幕府の第11代将軍( 将
軍在任:149 4年〜1508年)となる。
■ 1507年 (永正4年)。
■ 1507年(永正4年)に、 室町幕府の管領
の細川政元が暗殺され、 政元の3人の養子
によって、細川氏が分裂状態に陥る(永正の
錯乱)。
■ 1508年 (永正5年)。
■ 1508年(永正5年)4月に、足利義稙(よ
したね、義尹(よしただ)、義材(よしき))は、
大内氏(おおうちし)の軍事力に支えられ、上
洛の軍を起こし、また、細川高国(ほそかわた
かくに)の助力も得て、11代将軍の足利義澄
(よしずみ)や管領・細川澄元を京(きょう、京
都)から追放し、京に入る。
足利義稙( 義尹、義材)は、1508年(永
正5年)7月に、足利義稙(義尹、義材)は、
室町幕府(= 足利幕府)の将軍(第10代将軍・
後期:1508年〜1521年)に復帰する。
足利義稙(義尹、義材)は、7月に、細川
高国を管領に任じる。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義澄 の将軍退任と足利義稙・第2次政
権の将軍就任。
● 1508年(永正5年)4月に、室町幕府の前
将軍の足利義稙(義尹、義材)を 擁立して大内
義興は上洛の軍を起こし、その後、11代将軍
の足利義澄 (よしずみ、= 義高(よしたか)、義
遐(よしとお)、法名:清晃(せいこう)、将軍在
任:1493年〜15 08年、生没年:1480年〜
1511年) は京(きょう、京都)から逃れ、将軍
職を廃され、 7月に、室町幕府(= 足利幕府)
の第10代将軍の足利義稙 (よしたね、= 義尹
(よしただ)、義材(よしき)、生没年:1466年〜
1523年) が、 再び将軍 (第10代将軍・第
2次政権:1508年〜1521年) となる。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1521年 (永正18年、大永元年)。
■ 1521年 (永正18年、大永(だいえい)
元年(8/23改元))に、足利義稙 (よした
ね、義材(よしき)、義尹(よしただ))は、
細川高国と不和となり、細川高国は、別の
将軍を擁立する。
1521年(永正18年)3月7日に、管領・
細川高国と対立した足利義稙(義材、義尹)
は、京(きょう、京都)を出奔(しゅっぽん)す
る。 足利義稙(義材、義尹)の放逐(ほう
ちく)を決意した細川高国は、足利義晴(よし
はる、亀王丸)を代わりの将軍として招くこと
にした。 1521年(永正18年)7月6日に、
足利義晴(よしはる、亀王丸)は、播磨(はり
ま)から上洛し、細川高国の歓迎を受ける。
1521年(永正18年)7月28日に、足利
義晴(よしはる、亀王丸)は、朝廷より義晴(よ
しはる)の名を与えられる。 その後、1521
年(大永元年)12月25日に、朝廷から征夷
大将軍に任じられ、室町幕府(= 足利幕府)の
第12代将軍となる。 将軍となった足利義晴
(よしはる)は、11歳で、若いため、細川高国、
政所執事(まんどころしつじ)の伊勢貞忠、そ
の他多くの者が将軍を補佐した。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利義稙・第2次政権の将軍退任と足利
義晴の将軍就任。
● 1521年 (永正18年、大永(だいえい)
元年(8/23改元))3月に、室町幕府の第
10代将軍・第2次政権の足利義稙 (よした
ね、義尹(よしただ)、義材(よしき)、生没年:
1466年〜1523年、将軍在任、 第1次政権:
1490年 〜1493年、第2次政権:1508年
〜1521年) は、 管領・細川高国と対立し、
細川高国は、足利義晴(幼名:亀王丸)を代わ
りの将軍として招くことにし、 1521年(大永
元年)12月に、足利義晴 (よしはる、幼名:
亀王丸、生没年:1511年〜1550年) は、
室町幕府(= 足利幕府)の第12代将軍 (将
軍在任:1521年〜1546年) に就任する。
■ 1526年 (大永6年)。
■ 1526年(大永6年)に、細川氏内で、内
紛が起こる。 細川高国と対立していた細川
六郎(後の細川晴元)は、阿波の国人・三好
元長の援助をうけて、足利義晴の弟・義維を
擁立して、細川高国と戦う。
● 1527年(大永7年)2月に、桂川原の戦
いで、細川高国が敗(やぶ)れ、細川六郎
(後の細川晴元)が勝つと、細川六郎(後の
細川晴元)や三好元長が入京し、将軍の足利
義晴(よしはる)は、細川高国を伴い、近江国
(おうみのくに、現・滋賀県の相当地域)に逃
れる。 しかし、足利義晴は、細川六郎(後の
細川晴元)と交渉し、1527年(大永7年)10
月に、京(きょう、京都)に帰還する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1528年 (享禄元年)。
■ 1528年(享禄元年)に、足利義晴は、細
川六郎(後の細川晴元)や三好元長と対立し、
近江国の朽木(くちき)に逃れる。
1531年(享禄4年)に、足利義晴方の
細川高国が、細川六郎(細川晴元)方と
戦い、中嶋の戦い及び大物崩れで敗れて、自
害する。
その後、細川六郎(細川晴元)方の細川
六郎(細川晴元)と三好元長とが対立し、15
32年(天文元年)に、三好元長が討たれる後、
約3年間、足利義晴は、近江の観音寺城山麓
に幕府を移す。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1534年 (天文3年)。
■ 1534年(天文3年)に、細川六郎(細川
晴元)と和解し、9月に、帰京する。
1535年(天文4年)に、細川六郎は、
義晴から偏諱を受けて、細川晴元と名乗る。
その後、足利義晴は、京に出仕する細
川晴元を支持し、政権の安定期を迎える。
1543年(天文12年)に、細川氏綱が、
細川晴元打倒の兵をあげる。 しかし、足利
義晴は、細川晴元支持の姿勢を変えなかっ
た。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1546年 (天文15年)。
■ 足利 義輝は、父・足利義晴(よしはる)の
避難先の近江(おうみ、滋賀県)の坂本で、15
46年(天文15年)に、元服と同時に、11歳で、
父・義晴から将軍職を譲られる。 名を足利義藤
と名乗る。 その後、1554年(天文23年)に、
足利義輝(よしてる)に名を改める(改名する)。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利義晴の将軍退任と足利義輝の将軍就
任。
● 1546年(天文15年)12月に、室町幕府の
第12代将軍の足利義晴 (よしはる、幼名:亀
王丸、将軍在任:1521年〜1546年、生没年:
1511年〜1550年) は、 子の足利義輝(義
藤、幼名:菊幡丸)に将軍職を譲り、 1546年
(天文15年)12月に、足利 義輝 (よしてる、
義藤(よしふじ)、幼名:菊幡丸(きくどうまる)、
生没年:1536年ー1565年) は、 室町幕府
(= 足利幕府)の第13代将軍 (将軍在任:15
46年〜1565年)に就任する。
■ 1546年(天文15年)に入り、畠山政国が
細川氏綱方に加わり戦況が変わり、1546年
(天文15年)9月に細川晴元は丹波国へ落ち
延びる。 細川氏綱方は、足利義晴に細川氏
綱方への支持を求める。 細川晴元の苦境を
みた足利義晴は、細川晴元を排斥しようと画
策する。
● しかし、1546年(天文15年)11月に足
利義晴は、細川晴元方と戦い(舎利寺の戦い)、
敗れ、京を追われ、近江坂本に避難する。
避難先の近江坂本で、1546年(天文15
年)の12月19日に、足利義晴は、嫡男・足利
義藤(幼名:菊幡丸(きくどうまる)、足利義輝)
を元服させ、12月20日に、足利義晴は、将軍
職を足利義藤(よしふじ、足利義輝)に譲った。
以後、足利義晴は、大御所として、幼少の足利
義藤(足利義輝)の後見人となり、その後、京
(きょう、京都)の慈照寺(銀閣寺)に帰る。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1547年 (天文16年)。
■ 1547年(天文16年)7月29日に、足利
義晴や足利義藤(よしふじ、足利義輝)は、
細川晴元と和睦し、京(きょう、京都)にもどる。
■ 1549年 (天文18年)。
■ 1549年(天文18年)に、細川晴元 と、細
川晴元の家臣で畿内に大勢力をもつ三好長慶
とが対立し、6月に戦いが起こり (江口の戦い)、
細川晴元が敗れ、 この際、足利義晴や足利
義藤(よしふじ、足利義輝)は、細川晴元に協力
したため、細川晴元と共に、近江朽木谷に逃れ
る。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1550年 (天文19年)。
■ 1550年(天文19年)5月4日に、足利
義晴が、近江の穴太(滋賀県大津市穴太)で、
死去する(病死する)。 享年40歳であった。
■ 1550年(天文19年)に、 足利義藤(よ
しふじ、足利義輝、義晴の子)は、 京(きょ
う、京都)を奪還しようと、三好長慶軍と戦う
が(中尾城の戦い)、戦局は好転せず。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1551年 (天文20年)。
■ 1551年(天文20年)3月に、足利義藤
(よしふじ、足利義輝)は、京(きょう、京都)
の伊勢貞孝の屋敷に、進士賢光を潜入させ、
来訪した三好長慶の暗殺をはかるが、失敗
する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1552年 (天文21年)。
■ 1552年(天文21年)1月に、足利義藤
(よしふじ、足利義輝)は、三好長慶と和睦し、
京(きょう、京都)に戻る。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1553年 (天文22年)。
■ 1553年(天文22年)の3月に、足利義藤
(よしふじ、足利義輝)は、三好長慶(みよしな
がよし)との和約を破棄し、細川晴元と協力し
て、三好長慶と戦い、8月に、幕府軍が籠城
する霊山城が落とされ(東山霊山城の戦い)、
近江朽木谷(おうみくちきだに)に逃れ、以後
約5年間、この地で暮らす。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1554年(天文23年)2月12日に、足利
義藤(よしふじ、足利義輝)は、近江朽木谷で、
名を義輝に改める。
■ 1558年 (永禄元年)。
■ 1558年(永禄元年)の3月に、足利 義輝
は、三好長慶打倒のため、近江朽木谷で挙兵
し、 11月に、六角義賢の仲介により、三好
長慶との間に和議が成立し、約5年ぶりの入
洛が実現し、京(きょう、京都)の御所での幕府
政治が再開する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義輝は、1558年(永禄元年)に、細
川氏の家臣で畿内に勢力をもつ戦国大名、三
好長慶(みよし ちょうけい・ながよし、1522〜
64年)との間に和議が成立し、京(都)に戻り
(入洛が実現し)、京(きょう、京都)で、室町幕
府の政治を再開する。
三好長慶は、足利 義輝より幕府の相伴衆
(しょうばんしゅう、管領に次ぐ身分)に任じられ、
管領の役職を代行して、幕政の実権を握る。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利 義輝は、幕府権力と将軍権威(威信)
の復活をめざし、諸国の戦国大名との交流に努
める。 戦国大名同士の抗争の調停を行ったり、
懐柔策として遍諱として自分の名「輝」の一字や
将軍家の通字「義」を戦国大名へ与えたりした。
次第に、諸大名から、将軍として認められる。
織田信長や上杉謙信も上洛して、足利 義輝に
拝謁(はいえつ)している。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1564年 (永禄7年)。
■ 1564年(永禄7年)に、幕政の実権を握っ
軍の足利 義輝(あしかが よしてる)は、これを
好機として、幕府権力の復活をめざす 。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1565年 (永禄8年)。
■ 永禄の政変。
● 三好長慶の死後、幕政の実権を握ろうと目
論(もくろ)む、松永久秀(まつながひさひで) や
三好三人衆(みよしさんにんしゅう)が足利義栄
(あしかが よしひで)を擁立し、 義輝を排除し
ようとして、 1565年(永禄8年)5月に、義輝
の二条御所を襲撃して、 足利 義輝は、奮戦
(ふんせん)したが、殺害される。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 13代将軍・足利義輝惨殺後、1565年
(永禄8年)から、 松永久秀と三好三人衆
の権力抗争が開始される。
■ 足利義輝の将軍退任と足利義栄の将軍
就任。
● 1565年(永禄8年)5月に、松永久秀(ま
つながひさひで)や三好三人衆(みよしさんに
んしゅう)によって、室町幕府の第13代将軍の
足利 義輝 (あしかが よしてる、義藤(よしふ
じ)、幼名:幡菊丸(きくどうまる) 、将軍在任:
1546年〜1565年、生没年:1536年ー15
65年) が、 殺害される (永禄の政変)、
その後、1568年(永禄11年)まで、将軍不在
となる。
● 1568年(永禄11年)2月に、 三好三人
衆によって擁立されて、足利義栄 (あしかが
よしひで、 = 義親(よしちか)または義勝(よし
かつ)、生没年:1538年または1540年〜
1568年) は、 室町幕府(= 足利幕府)の
第14代将軍 (将軍在任:1568年2月〜9月
または10月) に就任する。
■ 1565年 (永禄8年)。
■ 1565年(永禄8年)5月に、足利 義輝の
暗殺時のこの時、足利 義輝の弟の覚慶(かく
けい、足利義昭、足利義晴の次男、興福寺の
僧)は、松永久通らによって捕縛され、興福寺
に幽閉され、監視される。 1565年(永禄8
年)7月28日に、覚慶(かくけい、足利義昭)
は、細川藤孝らによって助けられて、脱出する。
1565年(永禄8年)11月21日に、近江
国矢島村に進出し、在所とする(矢島御所)。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1566年 (永禄9年)。
■ 1566年(永禄9年)2月17日に、 覚慶
(かくけい、足利義昭)は、矢島御所で、還俗
して、足利義秋(あしかがよしあき)と名乗る。
その後、足利義秋(よしあき、覚慶、足利
義昭)は、各地の大名に、足利義秋(足利義
昭)の上洛への助力を要請する。
● 信長の足利義昭擁立第1次上洛
の失敗。
■ 1566年(永禄9年)8月に、足利義秋(よ
しあき、覚慶、足利義昭)の要請に応じ、上洛
の兵を起こした織田信長の軍は、斎藤龍興の
襲撃にあって尾張国に撤退する。
■ 1566年(永禄9年)8月に、見切りをつけ、
足利義秋 (よしあき、覚慶、足利義昭)は、
妹婿の武田義統を頼り、若狭国へ移る。
更に、足利義秋(よしあき、覚慶、足利義
昭)は、1566年(永禄9年)9月には、越前国
の朝倉義景のもとへ移り、上洛への助力を要
請し、そのまま、長期、滞在する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1568年 (永禄11年)。
■ 京の実質支配者である三好三人衆が擁立
する将軍候補の足利義栄は、 1568年(永禄
11年)2月8日に、摂津国滞在のまま、将軍宣
下を受けた。
■ 1565年(永禄8年)5月に、 室町幕府の
第13代将軍の足利 義輝(よしてる)は、松永
久秀や三好三人衆によって殺害され、 その
後、1568年(永禄11年)2月に、足利義栄
(よしひで)は、三好三人衆によって擁立され、
摂津国滞在のまま、朝廷から将軍宣下を受け、
9月または10月)となる。
■ 足利義輝の将軍退任と足利義栄の将軍
就任。
● 1565年(永禄8年)5月に、松永久秀(ま
つながひさひで)や三好三人衆(みよしさんに
んしゅう)によって、室町幕府の第13代将軍の
足利 義輝 (あしかが よしてる、義藤(よしふ
じ)、幼名:幡菊丸(きくどうまる) 、将軍在任:
1546年〜1565年、生没年:1536年ー15
65年) が、 殺害される (永禄の政変)、
その後、1568年(永禄11年)まで、将軍不
在となる。
■ 永禄の政変。
● 1564年(永禄7年)に、幕政の実権を握っ
軍の足利 義輝(あしかが よしてる)は、これを
好機として、幕府権力の復活をめざし、将軍親
政を行おうとするが、 三好長慶の死後の幕政
の実権を握ることを目論(もくろ)む、三好三人
がひさひで)とが足利義栄(あし かが よしひで)
を擁立し、足利義輝を排除しようとして、 15
65年(永禄8年)5月に、三好義継(よしつぐ、
三好長慶の甥)、三好三人衆、松永久通(ひさ
みち、松永久秀の子)の三好・松永軍が、足利
義輝の二条御所を取り囲み、政治的要求を行
い(突き付け)、足利義輝側は、その要求を拒
否し、三好・松永側と足利義輝側の両軍の衝
突に発展し、戦いになり、結果的に三好・松永
側は、義輝の二条御所を襲撃し、 足利 義輝
は、奮戦(ふんせん)したが、殺害される。
1565年(永禄8年)5月19日に、
約1万人の軍勢を率いた三好・松永軍が、
二条御所 (にじょうごしょ、「足利義輝築・
二条御所」、= 烏丸中御門第、1559年ー
1565年)を襲撃し、将軍、幕臣、将軍母・妻
を殺害し、殺戮が終わると、御所に火をかけ、
多くの殿舎が炎に包まれる。
足利 義輝(生没年:1536年ー15
65年)は、 (数え年)享年30歳であった。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1568年(永禄11年)2月に、 三好三人
衆によって擁立されて、足利義栄 (あしかが
よしひで、 = 義親(よしちか)または義勝(よし
かつ)、生没年:1538年または1540年〜
1568年) は、 室町幕府(= 足利幕府)の
第14代将軍 (在任:1568年2月〜9月また
は10月) に就任する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1568年 (永禄11年)。
■ 足利家の足利義昭は、 朝倉義景に上洛
を期待していたが、朝倉義景は動かなかった。
そこで、1566年(永禄9年)の前回の信
長の上洛の失敗を考慮せず、1568年(永禄
11年)6月に、今回、美濃国を奪取した織田信
長に対し、足利義昭は、京都に攻め上(のぼ)
って自分を、征夷大将軍(室町幕府の将軍)に
つけるように要請する。
1568年(永禄11年)6月に、足利氏の
足利義昭の要請を受けて、義昭の使者として、
細井藤孝と共に、明智光秀が、織田信長と会
見し、義昭の要請を伝える。
織田信長は、今回、足利家の足利義昭の
要請を 受け入れ、1568年(永禄11年)9月に、
京(きょう、京都)に攻め上(のぼ)って、1568
年(永禄11年)10月に、足利義昭を、征夷大
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1568年 (永禄11年)。
■ 1568年(永禄11年)4月15日に、足利
義秋(よしあき、覚慶、足利義昭)は、 越前
で、元服式を行い、義昭(よしあき)と改名し
た。 加冠役は、朝倉義景が務める。
■ 1568年 (永禄11年)。
● 信長の足利義昭擁立第2次上洛
の成功。
■ 足利家の足利義昭は、 朝倉義景に上洛
を期待していたが、朝倉義景は動かなかった。
そこで、1566年(永禄9年)の前回の信
長の上洛の失敗を考慮せず、1568年(永禄
11年)6月に、今回、美濃国を奪取した織田信
長に対し、足利義昭は、京都に攻め上(のぼ)
って自分を、征夷大将軍(室町幕府の将軍)に
つけるように要請する。
1568年(永禄11年)6月に、足利氏の
足利義昭の要請を受けて、義昭の使者として、
細井藤孝と共に、明智光秀が、織田信長と会
見し、義昭の要請を伝える。
織田信長は、今回、足利家の足利義昭の
要請を 受け入れ、1568年(永禄11年)9月に、
京(きょう、京都)に攻め上(のぼ)って、1568
年(永禄11年)10月に、足利義昭を、征夷大
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 1568年 (永禄11年)。
■ やっと、1568年(永禄11年)2月に、三
好三人衆の推挙により、 足利義栄(足利義
輝の従兄弟)が、 室町幕府の第14代将軍
となる。
しかし、三好三人衆と松永久秀の抗争
が止らず、 1568年(永禄11年)9月には、
織田信長が、 足利義昭(あしかがよしあき、
足利義輝の弟)を擁立(ようりつ)して上洛し
てきた。 三好三人衆は、織田信長に畿内で
抗戦したが敗れ、 松永久秀も織田信長に臣
従し、足利義栄は、阿波国(あわのくに)に逃
れ、9〜10月に急死(病死)し、 障害がなく
なり、1568年(永禄11年)10月に、足利義
昭が、室町幕府(= 足利幕府)の第15代将軍
となる。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 足利義栄の将軍退任と足利義昭の将軍
就任。
● 1568年(永禄11年)9〜10月に、室町
幕府の第14代将軍の足利義栄 (あしかが
よしひで、 = 義親(よしちか)または義勝(よし
かつ)、将軍在任:1568年2月〜9月または
10月、生没年:1538年または1540年〜
1568年) は、病死し、 一方、足利義昭
(あしかが よしあき、 = 義秋(よしあき)、法
名:覚慶(かくけい)、生没年:1537年〜15
97年) は、 織田信長に擁立されて上洛し、
1568年(永禄11年)10月に、室町幕府(=
足利幕府)の第15代将軍 (将軍在任:15
68年ー1588年) に就任する。
■ 1569年 (永禄12年)。
■ 幕府再興を念願とする足利義昭と武力によ
る天下統一を狙(ねら)う織田信長との思惑
は違っていたため、両者の関係は、徐々に悪
化していく。
■ 将軍権力を制約するために、1569年(永
禄12年)1月に、織田信長は、 殿中御掟(で
んちゅうおんおきて)という9箇条の掟書を足利
義昭に承認させた。 更に、1570年(永禄13
年)1月には、5箇条が追加され、足利義昭は
これも承認する。
■ 1572年 (元亀3年)。
■ 織田信長に不満をもった足利義昭は、15
71年(元亀2年)の頃から、織田信長と敵対さ
せるため、武田信玄、毛利輝元、本願寺顕如
(ほんがんじけんにょ)、上杉謙信、六角義賢
などの、多くの大名・寺社に御内書(ごないし
ょ)を下し始める(送り始める)。 これにより、
浅倉義景、浅井長政、延暦寺、三好三人衆、
三好義継などのかねてから信長に敵対して
いた大名・寺社の他に、御内書に賛同した大
名・寺社が加わり、信長包囲網が形成される。
■ 1572年 (元亀3年)。
■ 1572年(元亀3年)10月に、織田信長
は、足利義昭に対して、17条の意見書を送
付した。 この意見書は、足利義昭の様々な
点を批判している。
これによって、織田信長と足利義昭の
対立は、決定的なものとなった。
■ 1572年(元亀3年)に、足利義昭は、
織田信長との戦いを決意する。
■ 足利義昭の要請を受けて、1572年(元
亀3年)に、武田信玄は、織田信長の軍を討
ち、上洛するために進軍を開始する。
しかし、武田信玄の病状が悪化したた
め、武田軍は、1573年(元亀4年)4月に、
甲斐本国へ撤退を始め、信玄は、4月12日
に死去した(病死した)。
■ 1573年 (元亀4年)。
■ 1573年(元亀4年)に、足利義昭は、義昭
の洛中の居城の烏丸中御門第(からすまなか
みかどだい)に籠城して織田信長に対し挙兵し、
4月に講和を結ぶ。
更に、足利義昭は、1573年(元亀4年)
7月に、南山城(みなみやましろ)の要害・槇島
城(まきしまじょう)に籠城して織田信長に対し
挙兵し、7月に、降伏する。
1573年(元亀4年)7月に、足利義昭は、
織田信長よって、京(きょう、京都)から追放さ
れる。
■ 1573年 (元亀4年)。
■ 足利 義昭は、将軍就任後、織田信長と徐
々に不和となり、最後は敵対し、足利 義昭は、
1573年(元亀4年)に、織田信長によって、京
(きょう、京都)を追われて、室町幕府は、事実
上、滅亡する(幕を閉じる)。
但し、足利 義昭は、1588年(天正16年)
まで室町幕府(= 足利幕府)の将軍職を保ち続
けた。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 室町幕府の滅亡と足利義昭の将軍退任。
● 1573年(元亀4年) 7月に、足利 義昭
(あしかが よしあき、 = 義秋(よしあき)、法
名:覚慶(かくけい)、将軍在任:1568年ー
1588年、生没年:1537年ー1597年) は、
織田信長によって、京(きょう、京都)を追わ
れて、室町幕府(= 足利幕府、1338年−15
73年)は、事実上、滅亡する。
● 豊臣政権確立後、1588年(天正16年)
1月に、足利 義昭 (義秋、法名:覚慶、生没
年:1537年ー1597年)は、 将軍職( 将軍
在任:1568年ー1588年)を辞し、 室町幕
府(= 足利幕府)は、名実ともに、幕を閉じる
(終わる)。 足利 義昭は、 室町幕府(= 足
利幕府)の最後の将軍となる。
■ 1587年 (天正15年)。
■ 足利 義昭(1537年ー1597年)は、後に、
豊臣秀吉の保護をうけ る。
● 足利 義昭は、1587年(天正15年)に、
豊臣秀吉により、山城国槙島(やましろのくに・
まきしま)1万石の大名となる。
■ 1588年 (天正16年)。
■ 足利 義昭 (1537年ー1597年)は、
豊臣政権確立後、1588年(天正16年)1月に
将軍職を辞し、前将軍だった貴人として 処遇さ
れ、余生を送る。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 室町幕府の滅亡と足利義昭の将軍退任。
● 1573年(元亀4年) 7月に、足利 義昭
(あしかが よしあき、 = 義秋(よしあき)、法
名:覚慶(かくけい)、将軍在任:1568年ー
1588年、生没年:1537年ー1597年) は、
織田信長によって、京(きょう、京都)を追わ
れて、室町幕府(= 足利幕府、1338年−15
73年)は、事実上、滅亡する。
● 豊臣政権確立後、1588年(天正16年)
1月に、足利 義昭 (義秋、法名:覚慶、生没
年:1537年ー1597年)は、 将軍職( 将軍
在任:1568年ー1588年)を辞し、 室町幕
府(= 足利幕府)は、名実ともに、幕を閉じる
(終わる)。 足利 義昭は、 室町幕府(= 足
利幕府)の最後の将軍となる。
□ 室町幕府ガイドブック へ。
◆ 当書籍の内容。
■ 初学者・初心者向 インターネット用
室町幕府(= 足利幕府)ガイドブック。
■ パソコン、 携帯用パソコン(PC)、 タブレ
ット端末(PC)、 スマートフォン、 ウエア
ラブル端末、 スマートテレビ用 電子書籍。
■ この本1冊で (このホームページ1つで)、
室町幕府(= 足利幕府)のこと(概略)が、
一通り、わかる。
■ 足利尊氏は、 1336年(建武3年、延元元
年)に、京(きょう、京都)に、室町幕府(むろ
まちばくふ、= 足利幕府)を事実上(実質上)
樹立する。
室町幕府(= 足利幕府)は、1336年
(建武3年、延元元年)から1573年(元亀
4年)まで、事実上(実質上)存続する。
■ 室町幕府(= 足利幕府)は、 武家政権で、
足利氏独裁政権であり、 室町時代 (13
36年〜1573年)に、1336年(建武3年/
延元元年)から1573年(元亀4年)まで、
日本本土を支配する。
■ TKKI カナヤマ著 室町幕府(= 足利幕府)
ガイドブック。
□ 室町幕府ガイドブック へ。
◆ 室町幕府・政権
出来事 (概要)。
◆ 室町幕府・政権
出来事 (概要・
テーマ別各事柄)。
41038。
□ 室町幕府・将軍
◆ 室町幕府・将軍(初代〜
第15代)就任表。
■ 室町幕府 (= 足利幕府)は、
15代の足利氏・将軍が、就任し、
1336年または1338年より、1573年まで、
存続する。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
■ 室町幕府の将軍
(初代〜第15代)就任表。
■ 室町幕府・将軍(初代〜第15代)。
〇 足利 尊氏 (あしかたかうじ) 。
■ 室町幕府の 初代将軍。
(将軍在任:1338 年〜1358年)。
(生没年: 1305年〜1358年)。
○ 下野国足利荘の領主で、鎌倉
幕府・御家人の足利貞氏(さだうじ)
の子。
○ 室町幕府の創立者。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
〇 足利 義詮 (あしかが よしあきら)。
■ 室町幕府の第2代将軍。
(将軍在任:1358年〜1367年)。
(生没年: 1330年〜1367年)。
○ 初代将軍・尊氏(たかうじ)の子。
〇 足利 義満 (あしかが よしみつ) 。
■ 室町幕府の第3代将軍。
(将軍在任:1369年〜1394年)。
(生没年: 1358年〜1408年)。
○ 2代将軍・義詮(よしあきら)の子。
〇 足利 義持 (あしかが よしもち)。
■ 室町幕府の第4代将軍。
(将軍在任:1394年〜1423年)。
(生没年: 1386年〜1428年)。
○ 3代将軍・義満(よしみつ)の子。
〇 足利 義量 (あしかが よしかず)。
■ 室町幕府の第5代将軍。
(将軍在任:1423年〜1425年)。
(生没年: 1407年〜1425年)。
○ 4代将軍・義持(よしもち)の子。
〇 足利 義教 (あしかが よしのり)。
■ 室町幕府の第6代将軍。
(将軍在任:1429年〜1441年)。
(生没年: 1394年〜1441年)。
○ 3代将軍・義満(よしみつ)の子。
〇 足利 義勝 (あしかが よしかつ)。
■ 室町幕府の第7代将軍。
(将軍在任:1441年〜1443年)。
(生没年: 1434年〜1443年)。
○ 6代将軍・義教(よしのり)の子。
〇 足利 義政 (あしかが よしまさ)。
■ 室町幕府の第8代将軍。
(将軍在任:1449年〜1473年)。
(生没年: 1436年〜1490年)。
○ 6代将軍・義教(よしのり)の子。
〇 足利 義尚 (あしかが よしひさ)。
■ 室町幕府の第9代将軍。
(将軍在任:1473年〜1489年)。
(生没年: 1465年〜1489年)。
○ 8代将軍・義政(よしまさ)の子。
○ 足利義政と日野富子との間の子。
〇 足利 義稙 (あしかが よしたね) 。
■ 室町幕府の第10代将軍 。
(= 足利義材(よしき) 、足利義尹
(よしただ))。
(将軍在任:1490年〜1493年、
1508年〜1521年)。
(生没年: 1466年〜1523年)。
○ 足利義視(よしみ、足利義政の弟)
の子。
○ 6代将軍・義教(よしのり)の孫。
〇 足利 義澄 (あしかが よしずみ) 。
■ 室町幕府の第11代将軍。
(将軍在任:1494年〜1508年)。
(生没年: 1480年〜1511年)。
○ 堀越公方(ほりごえくぼう)・足利 政
知 (まさとも、足利義政の兄弟)の子、
〇 6代将軍・義教(よしのり)の 孫。
〇 足利 義晴 (あしかが よしはる)。
■ 室町幕府の第12代将軍。
(将軍在任:1521年〜1546年)。
(生没年: 1511年〜1550年)。
○ 11代将軍・義澄(よしずみ)の子。
〇 足利 義輝 (あしかが よしてる) 。
■ 室町幕府の第13代将軍。
(将軍在任:1546年〜1565年)。
(生没年: 1536年〜1565年)。
○ 12代将軍・義晴(よしはる)の子。
〇 足利 義栄 (あしかが よしひで)。
■ 室町幕府の第14代将軍。
(将軍在任:1568年)。
(生没年: 1538年〜 1568年)。
○ 12代将軍・義晴(よしはる)の甥
(おい) 。
○ 11代将軍・義澄(よしずみ)の孫。
〇 足利 義昭 (あしかが よしあき)。
■ 室町幕府の第15代将軍 。
(将軍在任:1568年〜15 88年)。
(生没年: 1537年〜1597年)。
○ 12代将軍・義晴(よしはる)の子 。
○ 13代将軍・義輝(よしてる)の弟。
○ 室町幕府の最後の将軍 。
● TKKI カナヤマ著 室町幕府ガイドブック。
□ 室町幕府ガイドブック へ。
『 あなたのハートには
何が残りましたか? 』。
以 上。