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KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY
HANDBOOK.
◆ カナヤマ足利尊氏ガイドブック。
KANAYAMA’S GUIDEBOOK ON
ASHIKAGA Takauji.
『 (Kjhh)41517
カナヤマ
足利尊氏
関連 年代順
出来事ブック。 』
■ パソコン(PC)、 携帯用パソコン(PC)、
タブレット端末(PC)、 スマートフォン、
ウエアラブル端末、 スマートテレビ用
電子書籍。
メ ニュー (目次)。
■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。
□ 足利尊氏ガイドブック。
■ 足利 尊氏 (概要・ テーマ別
各事柄)。
□ 足利 尊氏の活動
(鎌倉幕府打倒、
建武政権との対立、
室町幕府の創立、基礎作り、
など)。
□ 足利 尊氏の氏名。
□ 足利 尊氏の一族。
□ 足利 尊氏の家臣、同盟者。
■ 足利尊氏と同時代近くの関係資料。
□ 足利氏 画像アルバム No.1。
□ 鎌倉幕府ガイドブック。
ブック。
□ 室町幕府ガイドブック。
ブック。
■ 上位のWEBサイト。
□ (KOH) カナヤマ オフィシャル >
□ (Cse) 国際理解総合サイト >
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□ (Kjhh) この日本語ページ。
■ カナヤマ 主要 公式ホームページ
略語一覧表。
□ 主要サイトの略語・説明表。
□ 足利尊氏ガイドブッ クへ。
◆ カナヤマ 足利尊氏
ガイドブック。
■ 当ホームページの制作・著作権 TKKI カナヤマ。
◆ 足利尊氏 関連年代順
出来事ブックの内容 :
■ 初学者・初心者向 足利尊氏ガイドブック。
■ 初学者・初心者向 足利尊氏 ( あしかが
たかうじ)関連 電子書籍。
■ パソコン、携帯パソコン(PC)、スマート
テレビ、タブレット端末(PC)、スマートフォン、
ウェアラブル端末 用 電子書籍。
■ この本1冊で (このホームページ1つで)、
足利尊氏のこと(概略)が、一通り、わかる。
■ 足利尊氏は、
鎌倉時代(1185年〜1333年)の末期、
建武時代(1333年〜1336年)、
室町時代(1336年〜1573年)の初期
に活躍した武将であり、
鎌倉幕府の有力御家人であり、
鎌倉幕府を倒し、建武政権と対立し、
室町幕府(= 足利幕府)を創立し、
室町幕府(= 足利幕府)の初代将軍となり、
室町幕府(= 足利幕府)の基礎を固め、
日本本土を支配した人物である。
■ 足利尊氏の入門ガイドブック。
■ 足利尊氏の 初心者・初学者向 インター
ネット用 オンライン書籍(ブック)。
■ 日本史書、日本史の電子書籍。
■ パソコン、携帯情報端末(PDA)用 電子書籍。
■ TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
□ 足利尊氏ガイドブッ クへ。
◆ (Kjhh)
足利尊氏 関連
年代順出来事
ブック (総合)。
◆ 足利尊氏 関連
年代順出来事
(詳細・各年)。
■ 足利尊氏 関連年代順
出来事 (詳細項目)。
□ 足利尊氏ガイドブック。
■ 足利 尊氏 (概要・ テーマ別
各事柄)。
□ 足利 尊氏の活動
(鎌倉幕府打倒、
建武政権との対立、
室町幕府の創立、基礎作り、
など)。
□ 足利 尊氏の氏名。
□ 足利 尊氏の一族。
□ 足利 尊氏の家臣、同盟者。
■ 足利尊氏と同時代近くの関係資料。
□ 足利氏 画像アルバム No.1。
□ 鎌倉幕府ガイドブック。
ブック。
□ 室町幕府ガイドブック。
ブック。
■ 記述参照史料。
■ 足利尊氏関連の記述に関しては、
当書は、 史実(歴史の事実)を記載している
ため、 一次史料(同時期記録史料)で信頼
できる公家、武家、僧侶の日記、手紙などの
史料を中心に記載している。
● 当書は、 北条得宗家が鎌倉時代後期1300
年頃編集・成立した『吾妻鏡』(あずまかがみ)
では、 鎌倉北条氏に不都合な部分は、事実
の改ざんや隠ぺいがあり、 『吾妻鏡』では、
鎌倉北条氏に不都合な歴史記述部分は参考
にしていない。
■ 備考。
■ 当書籍では、 歴史の出来事の5W1H
(いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どの
ように) や、 歴史の出来事の流れ(原因
理由⇒事件勃発⇒経過⇒結果⇒原因理
由)に沿って、歴史(過去)の出来事を分か
り易く、説明している。
■ より理解を深めるために、 日本史辞典の、
「荘園・公領制」、
(うちか んれい)」、「御内人」、
「六波羅探題」、
の項目も参照してください。
■ 西暦・和暦の記載。
● この年代順出来事は、
西暦を先に、その後ろの( )内に和暦を記載し
ている。
● この年代順出来事に記載されている日付(年
月日)は、 一般の歴史書で使用されているの
と同じように、1872年(明治5年)以前は旧暦
(太陰太陽暦)を用い、 1873年(明治6年)
以後は新暦(太陽暦)を用いている。
◆ では、足利尊氏 (あしかが たかうじ)に関係す
る出来事を、年代順に、見てみよう。
■ さあ、足利尊氏に関する色々な出来事を見て
みよう。
● 歴史学の立場から、足利尊氏の生涯や実像
(真実の姿)を見てみよう。
● 歴史学の立場から、年代を追って、足利尊氏
の実像 (歴史的有名な人物には、虚像と実
像があるが)を見てみよう。
● 日付は、一般の歴史書と同様に全て旧暦で
ある。
● 現代も、過去の時代も、人間は、利害と感情
(友愛)等で行動し、富、名誉、権力等を手に
入れるために努力する。
人類の歴史は、 平和と戦争の歴史で
ある。 人は、美しき者、平和を好む者であり、
人は、醜き者、争う者でもある。
□ 足利尊氏ガイドブッ クへ。
◆ 足利尊氏 関連
年代順出来事
(詳細・各年)。
■ 『 では、年代を追って、足利尊氏の活動
を詳しく見てみよう。 』
■ 1305年 (嘉元3年)。
● 足利尊氏の誕生。
■ 1305年(嘉元(かげん)3年)に、
足利尊氏 (あしかがたかうじ、生没年:
1305年〜1358年)
が産まれる。
● 1305年(嘉元(かげん)3年)7月27日に、
足利尊氏(又太郎)は、 足利貞氏の次男と
して、母の実家の上杉氏の本拠地の丹波国
上杉荘で、生まれる。
尊氏の生母は、 足利貞氏・側室夫人
の上杉清子であり、 母の実家の上杉氏の
本拠地の丹波国上杉荘で、生まれる。
■ 一方、尊氏の兄には、 足利貞氏・正室夫
人の北条顕時の娘・釈迦堂殿が産んだ足利
高義(あしかがたかよし、1297年ー1317
年)がいる。
しかし、貞氏嫡男の足利高義は、 若年
時死去したため、足利貞氏の、次男で側室夫
人の子の足利尊氏が、貞氏嫡男となり、足利
氏の家督を継承する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 1306年 (嘉元4年・徳治元年)。
■ 1306年、
● 嘉元4年 (1月1日ー12月1 4日)。
● 徳治(とくじ)元年
(12月14日ー12月29日または30日)。
■ 1307年 (徳治2年)。
■ 1307年(徳治2年)。
■ 1308年 (徳治3年・延慶元年)。
■ 1308年、
● 徳治3年 (1月1日ー10月 9日)。
● 延慶(えんきょう)元年
(10月9日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1309年 (延慶2年)。
■ 1309年(延慶2年)。
■ 1310年 (延慶3年)。
■ 1310年(延慶3年)。
■ 1311年 (延慶4年・応長元年)。
■ 1311年、
● 延慶4年 (1月1日ー4月2 8日)。
● 応長(おうちょう)元年
(4月28日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1312年 (応長2年・正和元年)。
■ 1312年、
● 応長2年 (1月1日ー3月 20日)。
● 正和(しょうわ)元年
(3月20日ー12月29日または30日)。
■ 1313年 (正和2年)。
■ 1313年(正和2年)。
■ 1314年 (正和3年)。
■ 1314年(正和3年)。
■ 1315年 (正和4年)。
■ 1315年(正和4年)。
■ 1316年 (正和5年)。
■ 1316年(正和5年)。
■ 1317年 (正和6年・文保元年)。
■ 1317年、
● 正和6年 (1月1日ー2月 3日)。
● 文保(ぶんぽう)元年
(2月3日ー12月29日または30日)。
● 足利尊氏が嫡男となる。
■ 尊氏の異母兄で、足利貞氏の長男で嫡子である、
足利貞氏・正室夫人の北条顕時の娘・釈迦
堂殿が産んだ足利高義(あしかがたかよし、
1297年ー1317年)が、 1317年(文保
元年)6月24日に、若年で死去し、
足利貞氏の次男で側室夫人・上杉清子との間の
男子の足利尊氏が足利貞氏の嫡男となる。
● 文保の和談。
■ 1317年(文保元年)4月に、 文保の
和談(ぶんぽうのわだん)が成る。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1318年 (文保2年)。
■ 1318年(文保2年)。
■ 1319年 (文保3年・元応元年)。
■ 1319年、
● 文保3年 (1月1日ー 4月2 8日)。
● 元応(げんおう)元年
(4月28日ー12月29日または30日)。
● 尊氏が元服する(成人となる)。
● 尊氏が足利高氏と称する。
■ 1319年(元応元年)10月10日に、
足利尊氏(又太郎)は、 数え年15歳で、
従五位下(じょごいのげ)に叙せられ
治部大輔に任じられ、元服し、
北条氏得宗・北条高時(ほうじょうたかとき)
より偏諱(へんき、かたいみ な)を賜り(を
受け)、高氏(1319年〜1333年)と名乗る。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1320年 (元応2年)。
■ 1320年(元応2年)。
■ 1321年 (元応3年・元亨元年)。
■ 1321年、
● 元応3年 (1月1日ー 2月2 3日)。
● 元亨(げんこう)元年
(2月23日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1322年 (元亨2年)。
■ 1322年(元亨2年)。
■ 1323年 (元亨3年)。
■ 1323年(元亨3年)。
■ 1324年 (元亨4年・正中元年)。
■ 1324年、
● 元亨4年 (1月1日ー12月 9日)。
● 正中(しょうちゅう)元年
(12月9日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 正中の変が起こる。
■ 正中の変。
● 1324年(元亨4年)9月に、 正中の変
(しょうちゅうのへん)が起こる。
■ 1325年 (正中2年)。
■ 1325年(正中2年)。
■ 1326年 (正中3年・嘉暦元年)。
■ 1326年、
● 正中3年 (1月1日ー 4月2 6日)。
● 嘉暦(かりゃく)元年
(4月26日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1327年 (嘉暦2年)。
■ 1327年(嘉暦2年)。
■ 1328年 (嘉暦3年)。
■ 1328年(嘉暦3年)。
■ 1329年 (嘉暦4年・元徳元年)。
■ 1329年、
● 嘉暦4年 (1月1日ー 8月2 9日)。
● 元徳(げんとく)元年
(8月29日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1330年 (元徳2年)。
■ 1330年(元徳2年)。
■ 1331年 (元徳3年/元弘元年)。
◆ 1331年、
■ 光厳(こうごん)天皇(持明院統(じみょうい
んとう)、鎌倉幕府擁立)方の暦年号 :
● 元徳3年。
■ 後醍醐(ごだいご)天皇(大覚寺統(だいか
くじとう))方の暦年号 :
● 元徳3年 (1月1日ー8月 9日)。
● 元弘(げんこう)元年
(8月9日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 元弘の乱が起こる。
■ 元弘の乱。
● 1331年(元徳3年)4月に、 元弘の乱
(げんこうのらん、1331年4月〜1333年
6月) が、起こる。
● 元弘の乱 (げんこうのらん、1331年4月ー
1333年6月) は、
後醍醐天皇側近の吉田貞房(よしださだふさ)
が鎌倉幕府の六波羅探題へ天皇の倒幕計画
を密告した1331年(元徳3年)4月29日から、
後醍醐天皇が京(きょう、京都)に凱旋し、建武
の新政を始める1333年(元弘3年)6月5日まで
である。
● 元弘の変 (げんこうのへん、1331年4月ー
1332年4月) は、
後醍醐天皇側近の吉田貞房(よしださだふさ)
が鎌倉幕府の六波羅探題へ天皇の倒幕計画
を密告した1331年(元徳3年)4月29日から、
幕府が事態の終結を公式に宣言する1332年
(元徳4年/元弘 2年)4月10日まで
である。
● 後醍醐天皇が笠置山に移る。
■ 後醍醐天皇の笠置山行幸。
● 1331年(元徳3年/元弘元年)8月 後半に、
後醍醐天皇(ごだいごてんのう、生没年:
1288年ー1339年)が、笠置寺 (かさぎ
でら、山城・笠置山の寺)に行幸(ぎょうこ
う)する(に移り、挙兵する)。
● 楠木正成が挙兵する。
■ 楠木正成の挙兵。
● 1331年(元徳3年/元弘元年)9月に、
楠木正成(くすのきまさしげ)が、挙兵する。
● 光厳天皇が即位する。
■ 1331年(元徳3年/元弘元年)9月に、
鎌倉幕府は、持明院統 (じみょういんとう)の
光厳(こうごん)天皇を擁立し即位させる。
■ 1332年 (元徳4年・正慶元年/
元弘2年)。
◆ 1332年、
■ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)方の
暦年号 :
● 元徳4年 (1月1日ー4月2 8日)。
● 正慶(しょうきょう、しょうけい)元年
(4月28日ー12月29日または30日)。
■ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号 :
● 元弘2年。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 後醍醐天皇が隠岐配流。
■ 後醍醐天皇の隠岐配流。
● 1332年(元徳4年/元弘2年 )3月に、
後醍醐天皇が隠岐(おき)の隠岐島に配流
(はいる)される(流される)。
■ 1333年 (正慶2年/元弘3年)。
◆ 1333年、
■ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)方
の暦年号 :
● 正慶2年 (1月1日ー5月25日)。
鎌倉幕府滅亡により暦年号編成中止。
● 1333年5月22日に、鎌倉幕府が
滅び (鎌倉幕府の実質上の最高指
導者の北条氏得宗・北条高時が自害・
敗死し)、5月25日に、後醍醐天皇が
光厳天皇を廃位して元号を「元弘」に
統一する。
■ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号 :
● 元弘3年。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 後醍醐天皇が隠岐脱出。
■ 後醍醐天皇の隠岐脱出。
● 1333年(正慶2年/元弘3年)閏2月に、
後醍醐天皇が隠岐(おき)から脱出する。
● 尊氏が鎌倉幕府に反乱を起こし、
京の六波羅探題を攻め滅ぼす。
■ 足利尊氏の反乱・挙兵と六波羅探題打倒。
● 1333年(正慶2年/元弘3年)5月に、
足利尊氏(足利高氏)が、 京(きょう、京都)
んだい)を攻め滅ぼす。
● 1333年(正慶2年/元弘3年)5月7日に、
足利尊氏(足利高氏)が、 京(きょう、京都)
んだい)を攻撃し、南北両探題の武士が
六波羅探題を脱出して(落ち延びて)、六波
羅探題を攻め滅ぼす。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 新田義貞が鎌倉幕府に反乱を
起こし、本拠地の鎌倉を攻め、
鎌倉幕府を滅ぼす。
■ 新田義貞の反乱・挙兵と鎌倉幕府滅亡。
● 1333年(正慶2年/元弘3年)5月に、
新田義貞(にったよしさだ)が、鎌倉を攻め、
鎌倉幕府を滅ぼす。
● 1333年(正慶2年/元弘3年)5月22日に、
新田義貞の軍が、鎌倉を攻め、鎌倉の東勝
寺で、鎌倉幕府の実質上の最高指導者の
鎌倉北条氏得宗・北条高時(ほうじょうたか
とき)が自害し敗死して、鎌倉幕府が滅びる。
● 醍醐天皇が建武政権を樹立。
■ 後醍醐天皇の建武政権樹立。
● 1333年(元弘3年)6月に、 後醍醐天皇
が、 京(きょう、京都)に戻り、建武政権
(1333〜1336年)を樹立する。
後醍醐天皇による天皇親政の、建武の
新政(1333年〜1336年)が始まる。
● 1333年(元弘3年)6月5日に、後醍醐天皇
が京(きょう、京都)に凱旋し、建武の新政を
始める。
● 建武政権が個別安堵法を制定、
記録所、恩賞方を設置。
■ 建武政権の個別安堵法、記録所、恩賞方
の設置。
● 1333年(元弘3年)6月に、後醍醐天皇は、
帰京し(京都に戻り)、 個別安堵法(こべつ
あんどほう)を制定し、 記録所(きろくしょ)
や恩賞方(おんしょうがた)などを設置する。
● 足利尊氏が高氏から尊氏に改名。
■ 足利高氏(足利尊氏)の改名。
● 1333年(元弘3年)8月に、足利高氏(足
利尊氏)は、 足利尊氏と改名する。
1333年(元弘3年)8月2日に、足利高
氏(足利尊氏)は、 後醍醐天皇から天皇の
諱(いみな)「尊治」から偏諱を受けて、高氏
から尊氏へと改名する。
● 建武政権が雑訴 決断所、武者所
を設置。
■ 建武政権の雑訴 決断所、武者所の設置。
● 1333年(元弘3年)9月に、 後醍醐天皇は、
雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(む
しゃどころ)を設置する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1334年 (元弘4年・建武元年)。
◆ 1334年、
■ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号 :
● 元弘4年 (1月1日ー1月2 9日)。
● 建武(けんむ)元年
(1月29日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 護良親王が鎌倉へ配流。
■ 1334年(建武元年)11月に、 足利尊氏
を敵視する、護良親王(もりよししんのう、
大塔宮(おおとうのみや))が、鎌倉に配流
(はいる)される。
■ 1335年 (建武2年)。
◆ 1335年、
■ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号 :
● 建武2年。
● 北条残党が反乱を起こす。
● 足利直義が幽閉中の護良
親王を殺害。
■ 中先代の乱が起こる。
● 1335年(建武2年)7月に、 中先代の
乱 (なかせんだいのらん)が起こる。
● 信濃国で北条高時の遺児・北条時行
を擁立した北条氏の残党の反乱である
中先代の乱が起こり、北条時行の軍勢は、
足利直義が守る鎌倉を一時占拠する。
● 中先代の乱中に、足利尊氏の実弟の
足利直義(ただよし)は、独断で、鎌倉を
脱出する際に、 鎌倉で幽閉中の護良親
王 (もりよししんのう、大塔宮(おおとう
のみや))を殺害する。
● 尊氏が北条残党の反乱を鎮圧
するため、勅許なく鎌倉へ下向。
■ 足利尊氏が、天皇の許可を得ず、京(きょ
う、京都)より鎌倉に下向。
● 1335年(建武2年)8月2日に、足利尊氏
は、 後醍醐天皇の許可を得ないまま、軍
勢を率いて、京(きょう、京都)より鎌倉に
下向し、鎌倉脱出の弟の足利直義の軍勢
と合流し、相模川の戦いで北条時行の軍
勢を駆逐し、8月19日に、鎌倉を回復する。
その後、そのまま、足利尊氏は、鎌倉
に本拠を置き、独自に恩賞を与え、後醍醐
天皇の上洛の命令も拒む。
怒った後醍醐天皇は、新田義貞に軍
勢を率いて鎌倉へ向かい足利尊氏を討伐
するように命じる。
● 尊氏が建武政権と敵対する。
■ 足利尊氏は建武政権と敵対する。
● 足利尊氏は、 京より来る足利尊氏討伐
の新田軍と戦う決意を固めて、1335年
(建武2年)12月に、箱根・竹ノ下の戦い
で新田軍を破り、京(きょう、京都)への進
軍を始め、ここに、足利尊氏は、決定的に、
後醍醐天皇の建武政権(1333年〜13
36年)と敵対する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1336年 (建武3年/建武3年・
延元元年)。
◆ 1336年、
■ 北朝(持明院統、光厳・光明(こうごん・
こうみょう)天皇系統)方の暦年号 :
● 建武3年。
■ 南朝(大覚寺統、後醍醐天皇系統)方
の暦年号 :
● 建武3年 (1月1日ー2月2 9日)。
● 延元(えんげん)元年
(2月29日ー12月29日または30日)。
● 尊氏が入京後九州へ下る。
■ 足利尊氏の入京。
● 1336年(建武3年)正月に、後醍醐天皇
に敵対した足利尊氏の軍勢は、 京(きょう、
京都)に入る。
● しかし、その後、足利尊氏の軍勢は、
後醍醐天皇の軍勢に負け、足利尊氏は、
九州に下(くだ)り、1336年(建武3年/
延元元年)3月に、九州で軍勢を立て直し、
その後、京に向かう。
● 足利尊氏の軍勢は、 九州から京(きょ
う、京都)に向かう途中で、 持明院統の
光厳(こうごん)上皇の院宣(いんぜん)
を得て、更に西国の武士を急速に傘下
に集め、東上する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 湊川の戦いで
楠木正成が敗死する。
● 尊氏が湊川の戦いで勝ち、
京を制圧する。
■ 湊川の戦いと尊氏の京の制圧。
● 1336年(建武3年/延元元年)5月に、
足利尊氏は、 京に向かう途中の、湊川
の戦い (みなとがわのたたかい)で勝利
を得て、 6月には京(きょう、京都)を制
圧する。
● 足利尊氏に敵対する、楠木正成(くす
のきまさしげ)は、湊川の戦いで敗死する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 尊氏が持明院統の光明天皇
を擁立し、北朝が成立する。
■ 足利尊氏の、光明天皇擁立。
● 1336年(建武3年/延元元年)8月に、
足利尊氏は、 持明院統の光明(こうみょう)
天皇を擁立する。
● 室町幕府が実質上成立。
■ 足利政権の成立。
● 1336年(建武3年/延元元年)11月に、
足利尊氏は、 「建武式目」を制定し政権
の基本方針を示し、新たな武家政権の鎌
倉幕府(= 足利幕府)が、実質上(事実上)
成立する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 後醍醐天皇が吉野に移り、南朝
が成立し、南北朝時代が始まる。
■ 南北朝分立の開始。
● 1336年(建武3年/延元元年)12月に、
後醍醐天皇が、 吉野(よしの)に潜幸する
(南北朝分立)。
■ 1337年 (建武4年/延元2年)。
◆ 1337年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号 :建武4年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:延元2年。
■ 1338年 (建武5年・暦応元年/
延元3年)。
◆ 1338年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号 ;
● 建武5年 (1月1日ー8月2 8日)。
● 暦応(りゃくおう、れきおう)元年
(8月28日ー12月29日または30日)。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号。
● 延元3年。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 南朝(後醍醐天皇)方の
北畠顕家が敗死。
■ 北畠顕家の敗死。
● 1338年(建武5年/延元3年)5月に、
足利尊氏に敵対する、北畠顕家(きたば
たけあきいえ)が、 石津(いしづ)の戦い
で敗死する。
● 南朝(後醍醐天皇)方の
新田義貞が敗死。
■ 新田義貞の敗死。
● 1338年(建武5年/延元3年)閏7月に、
足利尊氏に敵対する、新田義貞(にったよ
しさだ)が、藤島(ふじしま)の戦いで敗死
する。
● 尊氏が征夷大将軍に任じら
れる。
● 室町幕府が名実共に成立。
■ 室町幕府(= 足利幕府) が名実共に成立。
● 1338年(建武5元年/延元3年)8月 11日に、
足利尊氏が、北朝の光明天皇より(朝廷
より) 征夷大将軍の宣下を受け、征夷
の初 代将軍とな り、 ここに、名実共に、
室町幕府(= 足利幕府)が成立する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1339年 (暦応2年/延元4年)。
◆ 1339年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号: 暦応2年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 延元4年。
● 南朝の後醍醐天皇が崩御
(死去)。
■ 後醍醐天皇崩御。
● 1339年(暦応2年/延元4年)8月に、
後醍醐天皇が、崩御 (ほうぎょ)する (死去
する)。
■ 1340年 (暦応3年/延元5年・
興国元年)。
◆ 1340年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号 :
● 暦応3年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号 :
● 延元5年 (1月1日ー4月2 8日)。
● 興国(こうこく)元年
(4月28日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1341年 (暦応4年/興国2年)。
◆ 1341年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号: 暦応4年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 興国2年。
■ 1342年 (暦応5年・康永元年/
興国3年)。
◆ 1342年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号 :
● 暦応5年 (1月1日ー4月2 7日)。
● 康永(こうえい)元年
(4月27日ー12月29日または30日)。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号 :
● 興国3年。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1343年 (康永2年/興国4年)。
◆ 1343年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:康永2年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 興国4年。
■ 1344年 (康永3年/興国5年)。
◆ 1344年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:康永3年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:興国5年 。
■ 1345年 (康永4年・貞和元年/
興国6年)。
◆ 1345年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:
● 康永4年(1月1日ー10月 21日)。
● 貞和(じょうわ、ていわ)元年
(10月21日ー12月29日または30日)。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 興国6年。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1346年 (貞和2年/興国7年・
正平元年)。
◆ 1346年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:貞和2年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:
● 興国7年(1月1日ー12月 8日) 。
● 正平(しょうへい)元年
(12月8日ー12月29日または30日)。
■ 1347年 (貞和3年/正平2年)。
◆ 1347年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:貞和3年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 正平2年。
■ 1348年 (貞和4年/正平3年)。
◆ 1348年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号: 貞和4年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 正平3年。
● 南朝方の楠木正行が敗死。
■ 楠木正行敗死。
● 1348年(貞和4年/正平3年)1月に、
足利尊氏に敵対する、楠木正成の子の
楠木正行(くすのきまさつら)が、 四条畷
(しじょうなわて)の戦いで敗死する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1349年 (貞和5年/正平4年)。
◆ 1349年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号: 貞和5年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 正平4年。
● 尊氏の子の基氏が、鎌倉公方
に就任。
■ 足利基氏の鎌倉公方就任。
● 1349年(貞和5年/正平4年)9月に、
足利尊氏の子の足利基氏(もとうじ)が、
関東を統轄支配する地方行政機関の、
鎌倉公方(かまくらくぼう)に就任する。
■ 1350年 (貞和6年・観応元年/
正平5年)。
◆ 1350年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:
● 貞和6年 (1月1日ー2月2 7日)。
● 観応(かんのう、かんおう)元年
(2月27日ー12月29日または30日)。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 正平5年。
● 尊氏と弟の直義が敵対し、
観応の擾乱が始まる。
■ 観応の擾乱の開始。
● 1350年(観応元年/正平5年)10月に、
足利尊氏 と 、 足利直義(あひかがただよ
し)が、対立し、 観応の擾乱 (かんのうの
じょうらん、1350年〜1352年)が始まる。
● 観応の擾乱 (かんのうのじょうらん、1350
年〜1352年)では、
足利義詮( あしかがよしあきら、尊氏の嫡子)
は、 足利尊氏と共に戦い 、
足利直冬(あしかがただふゆ、尊氏の庶子)
は、 足利直義と共に戦う。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1351年 (観応2年/正平6年)。
◆ 1351年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:観応2年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:正平6年。
● 尊氏執事の高師直が敗戦時
殺害される。
■ 足利尊氏執事の高師直が殺害される。
● 1351年(観応2年/正平6年)2月に、
足利尊氏の執事(しつじ)の高師直(こう
のもろなお)が、敗戦時、殺害される。
● 北朝方の尊氏が南朝方に帰順し、
南北朝が一時的に南朝へ統一
される。
■ 正平一統。
● 1351年(観応2年/正平6年)10月に、
足利尊氏は、南朝に降(くだ)り、 足利直義
(ただよし)追討綸旨(りんじ)を得る (正平
一統)。
● 1351年(観応2年、正平6年)に、北朝を
擁立する足利尊氏が、南朝に帰順し、皇統
が一時的に南朝へ統一される正平一統が
成立する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1352年 (観応3年・文和元年/
正平7年)。
◆ 1352年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:
● 観応3年 (1月1日ー9月2 7日)。
● 文和(ぶんな、ぶんわ)元年
(9月27日ー12月29日または30日)。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:正平7年。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
● 足利直義は捕縛され急死し、
観応の擾乱が終わる。
■ 足利直義死去。
● 1352年(観応3年/正平7年)2月に、
足利尊氏に降参し捕縛され幽閉中の、尊氏
の実弟の足利直義(あひかがただよし)が
死去する (病死または毒殺)。
足利尊氏が、実弟の足利直義(ただ
よし)を毒殺したという説がある。
● 尊氏は北朝を復活させる。
■ 尊氏の後光厳天皇擁立。
● 1351年(観応2年/正平6年)に、北朝を
擁立する足利尊氏が、南朝に帰順し、皇統
が一時的に南朝へ統一される正平一統が
成立する。
しかし、1352年(観応3年/正平7年)に、
南朝が、京(きょう、京都)を軍事的に制圧し、
足利尊氏の嫡子の足利義詮(よしあきら)を
京から追い出し、正平一統は破綻する。
その後、1352年(観応3年/正平7年)に、
北朝方が再び京都を奪還し、 足利尊氏は、
佐々木道誉の協力を得て、北朝(持明院統)
の弥仁(いやひと)皇子を擁立し、1352年
(観応3年/正平7年)8月17日に、後光厳
天皇(ごこうごんてんのう、天皇在位:1352
年ー1371年)として即位させ、尊氏は、北朝
を復活させる。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1353年 (文和2年/正平8年)。
◆ 1353年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:文和2年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:正平8年。
■ 1354年 (文和3年/正平9年)。
◆ 1354年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:文和3年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:正平9年 。
■ 1355年 (文和4年/正平10年)。
◆ 1355年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:文和4年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号: 正平 10年。
■ 1356年 (文和5年・延文元年/
正平11年)。
◆ 1356年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:
● 文和5年(1月1日ー3月2 8日)。
● 延文(えんぶん)元年
(3月28日ー12月29日または30日)。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号。
正平11年。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
■ 1357年 (延文2年/正平12年)。
◆ 1357年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:延文2年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:正平12年。
● 南朝方の北畠親房が死去。
■ 北畠親房死去。
● 1357年(延文2年/正平12年)に、 南朝
の公家の北畠親房 (きたばたけちかふさ)
が死去する。
■ 1358年 (延文3年/正平13年)。
◆ 1358年、
■ 北朝(持明院統)方の暦年号:延文3年。
■ 南朝(大覚寺統)方の暦年号:正平13年。
■ 1358年(延文3年/正平13年)に、 足利
● 北朝方の足利尊氏が死去。
■ 足利尊氏死去。
● 1358年(延文3年/正平13年)4月30日
に、 足利尊氏は、 京(きょう、京都)の二条
万里小路第(にじょうまでのこうじてい、現・京
都市下京区)で、死去する。
● TKKI カナヤマ著 足利尊氏ガイドブック。
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何が残りましたか? 』。
以 上。