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 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 こ 』。

 No.0302。

 

メ ニュー (目次)  #jpmenu     

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 日本史 辞典 (総合)

□             ● 事柄順。

〇 ごう   (ごう)。

         (別名: お 江(おごう)、小督(おごう)

          お江与(おえよ)、(落飾後)崇源院

                       (すうげんいん))。

         (1573〜1626年)。

         ○ 浅井3姉妹 (あざいさんしまい、

          茶々、初、江(ちゃちゃ、はつ、ごう)

          の一人。

         ○ 江戸幕府・第2代将軍・徳川

          秀忠の正室夫人。

         ○ 江戸幕府・第3代将軍・徳川

          家光の生母。

         ○ 淀の方(淀殿)の妹。

            (⇒ お江(おごう)関連出来事

                   (年 代順・詳細)) 。

          (⇒ お江簡略年表)。

         (⇒ お江詳細年表)。

 

 

  

   ○ 上記は、 上野樹里(うえのじゅり)の演じる、 お江 

    (おごう、小督(おごう)、お江与(おえよ)、崇源院(す

        うげんいん))。

   ○ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国 』 (NHK2011年大

    河ドラマ)のドラマPR壁紙。

 

 

□ 日本史 辞典 の「 こ 」 基本見出し語

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 ● 五十音順 (アイウエオ順)。

 

■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

■ 上位のWEBサイト。 

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#jpdictionary(general)

 

◆ 日本史辞典

 

● 見出し語はグリーンでマークされています

 

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□ 日本史 辞典 の 「 こ 」 基本見出し語

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#ko

 

#go

 

■ 江 

       (ごう)  (お江、小督)

   (崇源院)(お江与)

 

■ 江。

■ 生没年 : 1573年(元亀4年)〜1626年(寛永3年)。

■ 名称 : 江 (ごう)。  

● 別名 : お江 (おごう)、小督 (おごう)、 お江与 (おえよ)、

 江姫(ごうひめ)、 (落飾(出家)後は)  崇源院 (すうげんいん)

 と称した。

●  (いみな) : 達子 (さとこ、朝廷から賜(たまわ)った名)。

● 正式名 : お江(おごう、於江)の方、 お江与(おえよ、於江与)

 の方、 浅井 江 (あざい ごう), 浅井 達子 (あざい さとこ)。

(注意) 前近代日本の人名

○ 前近代日本では、改名自由。上層者は、複数自己名所持。

○ 前近代日本では、父系一族名中心。

○  前近代日本では、女性は、通常、個人名のみで自他呼称。

○ 前近代日本では、夫婦別姓

■ 安土桃山時代江戸時代初期の女性。

■ 江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の正室・夫人。

○ 前近代日本では、 一夫多妻制

■ 豊臣秀吉の側室・夫人の淀殿の、妹。

■ 近江(おうみ、滋賀県)の戦国大名浅井長政 と 織田信長

 妹・お市(おいち) との間に生まれた、三女。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 浅井3姉妹 (浅井長政の3人の娘、 茶々  (ちゃちゃ、淀殿)、

  (はつ、常高院)、  (ごう、小督( おごう)、お江与(おえよ)、

 崇源院(すうげんいん)) の一人。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室・夫人である、お江(おごう、

 崇源院 (すうげんいん)、お江与(おえよ)) は、 5つの顔を持

 っている。

● 「織田信長の姪(めい)」、 「豊臣秀吉の養女」、 「徳川家康の

 義理の娘」、 「3代将軍・徳川家光の母」、 「明正天皇の祖母」。

■ 2度の落城で父母を失った後、 豊臣秀吉の庇護(ひご)を受け

 る。 最初の夫の佐治一成と離縁、再婚の夫の豊臣秀勝と死別し、

 再々婚の夫の徳川秀忠との間に、徳川家光、千姫、和子など2男

 5女をもうけた。

■ 小谷城(おだにじょう)落城時・父の浅井長政を失い、 北庄城

 (きたのしょうじょう)落城時・母のお市を失う。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 3度の政略結婚をした女性。

■ 第一番目の夫の佐治 一成 (さじ かずなり)とは、離縁させら

 れる。

■ 第ニ番目の夫の豊臣 秀勝 (とよとみ ひでかつ、羽柴秀勝(は

 しばひでかつ))とは、死別する (朝鮮戦役の文禄の役中病死)。

■ 第三番目の夫の徳川 秀忠 ( とくがわ ひでただ) とは円満 

 で、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室の夫人となり、  秀忠と

 の間に2男5女をもうける。

■ 子 は、 2男6女をもうけた。 豊臣秀勝との間に、 完子(さだ

 こ)をもうけ、 徳川秀忠との間に、千姫(せんひめ)、 珠姫(た

 まひめ)、 勝姫(かつひめ)、 初姫(はつひめ)、 徳川家光(と

 くがわいえみつ)、 徳川忠長(とくがわただなが)、 和子(かず

 こ、まさこ) をもうけた。 

■ 江(ごう)の娘である、千姫(せんひめ) は、 豊臣秀頼の正

 室・夫人 となる。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 江(ごう)の娘である、和子(かずこ、まさこ)は、 後水尾天皇

 (ごみずのおてんのう)の中宮(ちゅうぐう、夫人)となり、 後に、

 明正(めいしょう)天皇(在位1629〜43年、女帝の生母となる。

■ 江(ごう)の男子である、徳川家光 は、  江戸幕府3代将軍

 となる。

● 江(ごう)は、 江戸幕府・第3代将軍・徳川家光の生母となる。

■ 江(ごう)は、 徳川家康より任命された、徳川家光の乳母(う

 ば)のお福(おふく、春日局) と対立し 、 家光の弟の徳川忠長

 (駿府城主)を偏愛した。

 

□ 江(お 江) 関連出来事 (年代順・詳細)

□ 江( お江) 簡略年表

 

□ お江( お江与、崇源院)は、5つの顔をもっている

□ お江(お江与、崇源院)の氏名

□ お江(お江与、崇源院)の父母の死と落城

□ お江(お江与、崇源院)の子供達

□ 3度の政略結婚をした、 お江(お江与、崇源院)

□ 将軍の生母であった、 お江(お江与、崇源院)

□ 豊臣秀頼の義母であった、 お江(お江与、崇源院)

□ 天皇の、義母、祖母であった、 お江(お江与、崇源院)

□ 世継ぎをめぐる、女の戦い

□ お江(お江与、崇源院)の墓 

 

□ お江(お江与、崇源院)が登場する、面白く、

  興味深い、ドラマ、映画、ドキュメンタリー

 

□ 江 (お江、お江与、崇源院)の宝塔 (増上

  寺・徳川家霊廟内)

 

  

   ○ 上記は、 上野樹里(うえのじゅり)の演じる、 お江 

    (おごう、小督(おごう)、お江与(おえよ)、崇源院(す

    うげんいん))。

   ○ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国 』 (NHK2011年大

    河ドラマ)のドラマPR壁紙。

 

■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 近江(おうみ)の戦国大名・浅

 井長政 と 織田信長の妹・お市 との間に生まれた、 女性 である。

 お江(お江与、崇源院)  は、 近江(おうみ、滋賀県)の戦国大名、

 浅井長政の三女 で 、 織田信長の姪(めい) である。 

■ お江(お江与、崇源院) は、 豊臣秀吉の側室(夫人)の淀殿の、

 妹 である。

 

■ お江(お江与、崇源院) (おごう、生没年1573〜1626年) は、 

 浅井長政の三女で、 徳川秀忠の正室・夫人  であった。  

■ お江(お江与、崇源院) は、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の御

 台所(みだいどころ、将軍正室) である。

■ お江(お江与、崇源院) は、 安土桃山時代、江戸時代初期の女

 性で、 江戸幕府・第2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)の 正室・夫人 

 で、 忠秀の男子、江戸幕府・第3代将軍・徳川家光の生母 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

#go-herfivepositions

 

■ お江(お江与、崇源院)は、5つの顔をもっている。

● 江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室・夫人である、 お江(おごう、

 お江与、崇源院) は、 「織田信長の姪(めい)」 であり、  「豊臣秀

 吉の養女」 であり、 「徳川家康の義理の娘」 であり、 「3代将軍・

 徳川家光の母」 であり、 「明正天皇の祖母」 という5つの顔を持つ

 女性 でもある

 

■ 「織田信長の姪(めい)」

● お江(お江与、崇源院)の母のお市 は、 織田信長の妹であり、お 

 江(お江与、崇源院) は、 織田信長の姪(めい) である。 

■ 「豊臣秀吉の養女」 

● お江(お江与、崇源院) は、 豊臣秀吉やねねにかわいがられ、 

 豊臣秀吉の養女になり、 豊臣秀吉の命(め い)で、豊臣秀吉の娘

 として、徳川秀忠に嫁いでいる。 お江(お江与、崇源院)  は、「豊臣

 秀吉の養女」 である。

■ 「徳川家康の義理の娘」

● お江(お江与、崇源院) は、 徳川家康の三男の徳川秀忠の正室

 ・夫人となり、 徳川家康 は、 お江(お江与、崇源院) の義父 とな

 り、 お江(お江与、崇源院) は、 「徳川家康の義理の娘」  である。

 「3代将軍・徳川家光の母」 

● お江(お江与、崇源院) は、 江戸幕府2代将軍の徳川秀忠との間

 に、 徳川家光をもうけ 、 家光が3代将軍となる。 お江(お江与、崇

 源院) は、 「将軍の母」 である。 

 「明正天皇の祖母」

● お江(お江与、崇源院)と徳川秀忠との娘の和子 (かずこ、まさこ)

 は、 後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう、夫人)となり、 和

 子は、 後水尾天皇との間に、娘をもうけ、 次期天皇の明正(めいし

 ょう)天皇(在位1629〜43年、女帝 となる。 お江 (お江与、崇源

 院)は、 「天皇の祖母」  である。

 

 

#go-hernames

 

■ お江(お江与、崇源院)の氏名。

■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 生没年は、1573年(天正元

 年)〜1626年(寛永3年) で、 別名は、 江 (ごう)、 お江与 (お

 えよ)、 (落飾(出家)後は) 崇源院 (すうげんいん) と称した。  

● お江(お江与、崇源院) の別名の、 達子 (さとこ) は、 朝廷

 より賜(たまわ)った名 (朝廷より従一位を賜った際に授かった名) 

 で、諱(いみな)であり、 公(おおやけ)の場面、公文書でのみ使用

 した。 

● お江(お江与、崇源院) の正式名は、 お江(おごう、於江)の方、

 お江与(おえよ、於江与)の方、 浅井 江 (あざい ごう)、 浅井

   (あざい さとこ) である。  

(注意) 前近代日本の人名

○ 前近代日本では、改名自由。上層者は、複数自己名所持。

○ 前近代日本では、父系一族名中心。

○  前近代日本では、女性は、通常、個人名のみで自他呼称。

○ 前近代日本では、夫婦別姓

 

 

#go-herparents

 

■ お江(お江与、崇源院)の父母の死と落城。

■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 浅井3姉妹 (浅井長政の3 

 人の娘、茶々(ちゃちゃ、淀殿)、 初 (はつ、常高院)、 江 (ごう、

 お江与、崇源院))の 一人 である。

 

■ お江(お江与、崇源院) は、 2度の憂き目(うきめ)にあう。 即

 ち、1度目は小谷城(おだにじょう)落城時父・浅井長 政(あざい

 ながまさ)を失い(乳児時)、 2度目 は、北庄城(きたのしょうじょ

 う)落城時母・お 市(おいち)を失う(少女時)。 その後、 お江(お

 江与、崇源院)  は、3回結婚する。 即ち、 1度目は夫の佐治一

 成とは 離縁となり、2度目は夫の豊臣秀勝とは死別し、 そして、

 3度目は夫の徳川秀忠の正室の夫人となり、 2男5女をもうける。 

 

■ お江(お江与、崇源院) は、小谷城(おだにじょう)落城時の父

 ・浅井長政 自害  と 北庄城(きたのしょうじょう)落城時の母・お

 市自害 の憂き目(うきめ)にあう。

● 1573年(元亀4年)に、 父・浅井長政の小谷城 は、秀吉の指

 揮する織田軍に攻められて、 父・浅井長政は自害し、炎 の中で、

 母・お市は、 乳児のお江(小督)を含めた浅井3姉妹を連れて、

 小谷城から落ちのびる。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

● 1583年(天正11年)に、母・お市の2番目の夫の柴田勝家の

 北庄城 (きたのしょうじょう) は、 秀吉の指揮する羽柴軍(豊臣

 軍)に攻められて、 母・お市は自害し、 炎の中で、 少女のお江

 (お江与、崇源院)を含めた浅井3姉妹は、北庄城から落ちのびる。

 

 

#go-herchildren

 

■ お江(お江与、崇源院)の子供達。

■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、2男6女をもうけた。 豊臣

 秀勝との間に、完子(さだこ)をもうけ、 徳川秀忠との間に、千姫

 (せんひめ)、 珠姫(たまひめ)、 勝姫(かつひめ)、 初姫(はつ

 ひめ)、 徳川家光(とくがわいえみつ)、 徳川忠長(とくがわただ 

 なが)、 和子(まさこ、かずこ) をもうけた。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

● お江(お江与、崇源院) は、 2男6女をもうけた。 豊臣秀勝と

 の間 に、完子 (さだこ、1592−1658年)をもうけ、 徳川秀忠

 との間に、千姫 (せんひめ、秀忠長女、1597−1666年)、 珠

 姫 (たまひめ、秀忠次女、1599−1622年)、 勝姫 (かつひめ、

 秀忠三女、1601−72年)、  初姫 (はつひめ、秀忠四女、16

 02−30年)、 徳川家光 (とくがわいえみつ、 秀忠次男、1604

 −51年)、 徳川忠長 (とくがわただなが、 秀忠三男、1606−

 33年)、 和子 (かずこ、まさこ、秀忠五女、1607−78年) をも

 うけた。

 

 

#go-threemarriages

 

■ 3度の政略結婚をした、お江(お江与、崇源院)。

■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 1番目の夫・佐治一成とは

 離縁し、 2番目の夫・豊臣秀勝とは死別し、 3番目の夫・徳川秀忠

 とは円満な後半生を送る。

● お江(お江与、崇源院) は、 1番目の夫・佐治一成 (さじかずな

 り)に1584年に嫁ぎ同年離縁し、 2番目の夫・豊臣秀勝(とよとみ

 ひでかつ)に1592年に嫁ぎ同年死別し、 3番目の夫・徳川秀忠(と

 よとみひでただ)に1595年に嫁ぎ、 円満な生活、後半生を送り、 

 1626年に生涯を終えた。

■ 現在の日本では、結婚の9割が、2人の本人の意思で結婚する恋

 愛結婚であるが、 安土桃山時代・江戸時代初期の当時の政略結婚

 では、男女本人の意思に関係なく、両家の家父長が、結婚を決めて、

 結婚し、結婚当日に結婚相手に初めて会うことも多かった。 お江(お

 江与、崇源院)も、 秀吉の命(めい)で、そのような政略結婚を、3度、

 行った。

 

■ お江(おごう、お江与、崇源院)の第一番目の夫 は、 佐治一成 

 (さじ かずなり)であり、 離縁となった。

● お江(お江与、崇源院)の第一番目の夫 は、 佐治一成(さじ か

 ずなり) である (佐治一成の夫人:1584年)。

● お江(お江与、崇源院) は、 1584年(天正12年)に、羽柴秀吉

 (豊臣秀吉)の命(めい、計らい、仲介)で、 母・お市の姉(お犬の方・

 織田信長の妹)の子の、佐治一成と婚儀を結ぶ(に嫁す)。

● 佐治一成 は 1584年に、 秀吉と対立したため、お江(お江与、

 崇源院)お江(小督)は、 秀吉により 離縁させられた。

 

■ お江(お江与、崇源院)の第ニ番目の夫  は、 豊臣秀勝 (とよと

 みひでかつ、羽柴秀勝(はしばひでかつ)) であり、 朝鮮戦役中

 に病死し、死別となった。

● お江(お江与、崇源院)の第ニ番目の夫  は、 豊臣秀勝(とよと

 みひでかつ、羽柴秀勝(はしばひでかつ))である (豊臣秀勝の夫人

 :1592年)。

● お江(お江与、崇源院)は、 1592年(文禄元年)に、 豊臣秀吉

 の 命(めい、計らい、仲介 )で、 豊臣秀勝と婚儀を結ぶ(に嫁ぐ)。

● 豊臣秀勝 は、1592年に、 朝鮮戦役の文禄の役(ぶんろくの

 えき、1592年〜1593年)で出陣中に病死し、 お江(お江与、崇

 源院)は、 夫と死別した。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

● 秀勝とお江(お江与、崇源院)との間には娘の完子(さだこ、1592

 〜1658年)がいたが、 秀勝死後、 完子は、姉の淀殿に養育され、 

 後に、公家の九条忠栄(幸家)に嫁いだ。

 

■ お江(お江与、崇源院)の第三番目の夫  は、 徳川 秀忠(ひでた

 だ)であり、 秀忠とは円満で、秀忠との間に2男5女をもうけ、 平穏な

 後半生を送り、 1626年に生涯を終えた。

● お江(お江与、崇源院)の第三番目の夫  は、 徳川秀忠 (とくが

 わひでただ、江戸幕府2代将軍) で ある (徳川秀忠の夫人:1595

 〜1626年)。

● お江(お江与、崇源院) は、1595年(文禄4年)に、 豊臣秀吉の

 命(めい、計らい、仲介)で、 徳川秀忠と婚儀を結ぶ(に嫁ぐ)。

● 徳川秀忠 は、 徳川家康の三男で、 徳川宗家(本家)の家督を

 継ぎ、江戸幕府2代将軍となり、 お江(お江与、崇源院) は、 幕府

  2代将軍の徳川秀忠の正室・夫人 となった。

● お江(お江与、崇源院) は、  徳川 秀忠(ひでただ)とは円満で、

 子宝に恵まれ、 秀忠 との間に、2男5女をもうけた。 千姫(せんひ

 め)、 珠姫(たまひめ)、 勝姫(かつひめ)、 初姫(はつひめ)、徳

 川家光(とくがわいえみつ)、 徳川忠長(とくがわただなが)、 和子

 (かずこ、まさこ) である。

 

 

#go-motherofshoguntokugawaiemitsu

 

■ 将軍の生母であった、お江(お江与、崇源院)。

■ お江(おごう、お江与、崇源院)の男子である、徳川家光  (とくが

 わいえみつ) は、 江戸幕府3代将軍 となる。

● お江(お江与、崇源院) は、 江戸幕府・3代将軍・徳川家光の生

 母となる。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

#go-motherinlawoftoyotomihideyori

 

■ 豊臣秀頼の義母であった、 お江(お江与、崇源院)。

■ お江(お江与、崇源院)の娘である、千姫 (せんひめ)は、 豊臣

 秀頼の正室・夫人 となる。

 

 

#go-motherinlawofgomizunooemperor

 

■ 天皇の義母、祖母であった、 お江(お江与、崇源院)。

■ お江(おごう、お江与、崇源院)の娘である、和子 (かずこ、まさこ) 

 は、後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう、夫人)となり、 後

 に、明正(めいしょう)天皇(在位1629〜43年、女帝の生母となる。

 

 

#go-hersquarrelingwithkasuganotsubone

 

■ 世継ぎをめぐる、女の戦い。

 お江(おごう、お江与、崇源院) は、  徳川家康より任命された、

 徳川家光の乳母(うば)のお福 (おふく、春日局) と対立した。

 お江(お江与、崇源院) は、 夫の将軍・徳川秀忠との間に2人の

 男子、 家光(いえみつ)と 忠長(ただなが)をもうけたが、 お福( おふ

 く、春日局、家光の乳母)の権力拡大を阻止するため、 お福になつ

 く「家光」より、 伯父(おじ)の織田信長に似ていて、自分になつく「忠

 長」(家光の弟、駿府城主)を可愛(かわい)がり、重んじた。

 

 

#go-hergrave

 

■ お江(お江与、崇源院) の墓 

■ お江(おごう、お江与、崇源院)の墓所は、 東京(江戸)の徳川家

 菩提寺の1つの、 芝・増上寺 にある。

□ お江 (お江与、崇源院) の宝塔 (増上寺・徳川家霊廟内)

 

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#go-appearingscenes

 

♪♪ お江(お江与、崇源院) が登場する、面白く、

 興味深い、ドラマ、映画、ドキュメンタリー。

 

 江 (ごう、お江・小督、お江与、崇源院) が登場

 する、面白く、興味深い関連ドラマ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 歴史のドラマ、映

 画 は、史実(歴史上の事実) と 架空の出来事 が 混じって描

 かれています。 また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』 (日本の2011年

  HK大河ドラマ) 

● 江(ごう)を演じる女優名 : 上野 樹里 (うえの じゅり)。

 

■ 『 寧々〜おんな太閤記 (ねね おんなたいこうき) 』 

 (日本の2009年製作テレビ東京・テレビドラマ)。 

● 江(ごう)を演じた女優名 : 高橋かおり。

 

■ 『 天下騒乱〜徳川三代の陰謀 (てんかそうらん〜 

 とくがわさんだいのいんぼう) 』 (日本の2006年製作テレビ

 東京・テレビドラマ)。 

● 江(ごう)を演じた女優名 : かたせ 梨乃 。

 

■ 『 大奥・第一章 (おおおく だいいっしょう) 』 (日本

 の2004・2005年製作フジテレビ・テレビドラマ)。

● 江(ごう)を演じた女優名 : 高島 礼子 。

● 初代将軍家康、2代将軍秀忠、3代将軍家光の時代 と その時

 代の大奥を描いたドラマ。  松下由樹、 高島礼子、 瀬戸朝香な 

 どが出演。

 

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上