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カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 す 』
No.0326。
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□ 日本史 辞典 (総合)。
□ す ● 事柄順。
〇 すう 崇源院 (すうげんいん) 。
(1573〜1626年)。
○ 浅井3姉妹の一人。
○ 江戸幕府・第2代将軍・徳
川秀忠の正室・夫人。
○ 3代将軍・徳川家光の生母。
○ 淀の方の妹。
(⇒ 崇源院(お江)関連出来事
(年代順・詳細))。
(⇒ 崇源院(お江)簡略年表)。
○ 上記は、 上野樹里(うえのじゅり)の演じる、 お江
(おごう、小督(おごう)、お江与(おえよ)、崇源院(す
うげんいん))。
○ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国 』 (NHK2011年大河
ドラマ)のドラマPR壁紙。
■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
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◆ 日本史辞典。
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■ 崇源院
(すうげんいん)
(お江、小督)(お江与)(江)。
■ 崇源院。
■ 生没年 : 1573年(元亀4年)〜1626年(寛永3年)。
■ 名称 : 崇源院 (すうげんいん)。
● 別名 : 江 (ごう)、 お江 (おごう)、 小督 (おごう)、
お江与 (おえよ)、 江姫(ごうひめ)、 (落飾(出家)後は)
崇源院(すうげんい ん) と称した。
● 諱 (いみな) : 達子 (さとこ、朝廷から賜(たまわ)っ
た名)。
● 正式名 : お江(おごう、於江)の方、 お江与(おえよ、
於江与)の方、 浅井 江 (あざい ごう), 浅井 達子 (あ
ざい さとこ)。
(注意) 前近代日本の人名。
○ 前近代日本では、改名自由。上層者は、複数自己名所持。
○ 前近代日本では、父系一族名中心。
○ 前近代日本では、女性は、通常、個人名のみで自他呼称。
○ 前近代日本では、夫婦別姓。
■ 江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の正室・夫人。
■ 豊臣秀吉の側室・夫人の淀殿の、妹。
■ 近江(おうみ、滋賀県)の戦国大名・浅井長政 と 織田信長の
妹・お市(おいち) との間に生まれた、三女。
■ 浅井3姉妹 (浅井長政の3人の娘、 茶々 (ちゃちゃ、淀殿)、
初 (はつ、常高院)、 江 (ごう、小督( おごう)、お江与(おえよ)、
崇源院(すうげんいん)) の一人。
■ 江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室・夫人である、崇源院 (す
うげんいん、お江(おごう)、お江与(おえよ)) は、 5つの顔を持
っている。
● 「織田信長の姪(めい)」、 「豊臣秀吉の養女」、 「徳川家康の
義理の娘」、 「3代将軍・徳川家光の母」、 「明正天皇の祖母」。
■ 2度の落城で父母を失った後、 豊臣秀吉の庇護(ひご)を受け
る。 最初の夫の佐治一成と離縁、再婚の夫の豊臣秀勝と死別し、
再々婚の夫の徳川秀忠との間に、徳川家光、千姫、和子など2男
5女をもうけた。
■ 小谷城(おだにじょう)落城時・父の浅井長政を失い、 北庄城
(きたのしょうじょう)落城時・母のお市を失う。
■ 3度の政略結婚をした女性。
■ 第一番目の夫の佐治 一成 (さじ かずなり)とは、離縁させら
れる。
■ 第ニ番目の夫の豊臣 秀勝 (とよとみ ひでかつ)(羽柴秀勝(は
しばひでかつ))とは、死別する (朝鮮戦役の文禄の役中病死)。
2代将軍・徳川秀忠の正室の夫人となり、秀忠との間に2男5女
をもうける。
■ 子 は、 2男6女をもうけた。 豊臣秀勝との間に、 完子(さだ
こ)をもうけ、 徳川秀忠との間に、千姫(せんひめ)、 珠姫(た
まひめ)、 勝姫(かつひめ)、 初姫(はつひめ)、 徳川家光(と
くがわいえみつ)、 徳川忠長(とくがわただなが)、 和子(かず
こ、まさこ) をもうけた。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 崇源院(すうげんいん、お江(おごう))の 娘ある、千姫 は、豊
■ 崇源院(すうげんいん、お江(おごう))の 娘である、和子(かず
こ、まさこ)は、 後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう、夫
人)となり、 後に、明正(めいしょう)天皇(在位1629〜43年、
女帝)の 生母 となる。
■ 崇源院 (すうげんいん、お江(おごう))の男子である、 徳川
家光 は、 江戸幕府3代将軍 となる。
● 崇源院 (お江) は、 江戸幕府・3代将軍・徳川家光の生母と
なる。
● 崇源院 (お江) は、 徳川家康より任命された、徳川家光の乳
母(うば 、めのと) のお福(おふく、春日局) と対立し、 家光の弟
の徳川忠長(駿府城主) を偏愛した。
□ 世継ぎをめぐる、女の戦い。
□ 崇源院( お江、お江与)の宝塔 (増上寺・徳川家霊廟内)。
○ 上記は、 上野樹里(うえのじゅり)の演じる、 お江
(おごう、小督(おごう)、お江与(おえよ)、崇源院(す
うげんいん))。
○ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国 』 (NHK2011年大河
ドラマ)のドラマPR壁紙。
■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 近江(おうみ)の戦国大名・浅
井長政 と 織田信長の妹・お市 との間に生まれた、 女性 である。
■ お江(お江与、崇源院) は、 近江(おうみ、滋賀県)の戦国大名、
浅井長政の三女 で 、 織田信長の姪(めい) である。
■ お江(お江与、崇源院) は、 豊臣秀吉の側室(夫人)の淀殿の、
妹 である。
■ お江(お江与、崇源院) (おごう、生没年1573〜1626年) は、
浅井長政の三女で、 徳川秀忠の正室・夫人 であった。
■ お江(お江与、崇源院) は、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の御
台所(みだいどころ、将軍正室) である。
■ お江(お江与、崇源院) は、 安土桃山時代、江戸時代初期の女
性で、 江戸幕府・第2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)の 正室・夫人
で、 忠秀の男子、江戸幕府・第3代将軍・徳川家光の生母 である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ お江(お江与、崇源院)は、5つの顔をもっている。
● 江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室・夫人である、 お江(おごう、
お江与、崇源院) は、 「織田信長の姪(めい)」 であり、 「豊臣秀
吉の養女」 であり、 「徳川家康の義理の娘」 であり、 「3代将軍・
徳川家光の母」 であり、 「明正天皇の祖母」 という5つの顔を持つ
女性 でもある。
■ 「織田信長の姪(めい)」
● お江(お江与、崇源院)の母のお市 は、 織田信長の妹であり、お
江(お江与、崇源院) は、 織田信長の姪(めい) である。
■ 「豊臣秀吉の養女」
● お江(お江与、崇源院) は、 豊臣秀吉やねねにかわいがられ、
豊臣秀吉の養女になり、 豊臣秀吉の命(め い)で、豊臣秀吉の娘
として、徳川秀忠に嫁いでいる。 お江(お江与、崇源院) は、「豊臣
秀吉の養女」 である。
■ 「徳川家康の義理の娘」
● お江(お江与、崇源院) は、 徳川家康の三男の徳川秀忠の正室
・夫人となり、 徳川家康 は、 お江(お江与、崇源院) の義父 とな
り、 お江(お江与、崇源院) は、 「徳川家康の義理の娘」 である。
■ 「3代将軍・徳川家光の母」
● お江(お江与、崇源院) は、 江戸幕府2代将軍の徳川秀忠との間
に、 徳川家光をもうけ 、 家光が3代将軍となる。 お江(お江与、崇
源院) は、 「将軍の母」 である。
■ 「明正天皇の祖母」
● お江(お江与、崇源院)と徳川秀忠との娘の和子 (かずこ、まさこ)
は、 後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう、夫人)となり、 和
子は、 後水尾天皇との間に、娘をもうけ、 次期天皇の明正(めいし
ょう)天皇(在位1629〜43年、女帝) となる。 お江 (お江与、崇源
院)は、 「天皇の祖母」 である。
■ お江(お江与、崇源院)の氏名。
■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 生没年は、1573年(天正元
年)〜1626年(寛永3年) で、 別名は、 江 (ごう)、 お江与 (お
えよ)、 (落飾(出家)後は) 崇源院 (すうげんいん) と称した。
● お江(お江与、崇源院) の別名の、 達子 (さとこ) は、 朝廷
より賜(たまわ)った名 (朝廷より従一位を賜った際に授かった名)
で、諱(いみな)であり、 公(おおやけ)の場面、公文書でのみ使用
した。
● お江(お江与、崇源院) の正式名は、 お江(おごう、於江)の方、
お江与(おえよ、於江与)の方、 浅井 江 (あざい ごう)、 浅井 達
子 (あざい さとこ) である。
(注意) 前近代日本の人名。
○ 前近代日本では、改名自由。上層者は、複数自己名所持。
○ 前近代日本では、父系一族名中心。
○ 前近代日本では、女性は、通常、個人名のみで自他呼称。
○ 前近代日本では、夫婦別姓。
■ お江(お江与、崇源院)の父母の死と落城。
■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 浅井3姉妹 (浅井長政の3
人の娘、茶々(ちゃちゃ、淀殿)、 初 (はつ、常高院)、 江 (ごう、
お江与、崇源院))の 一人 である。
■ お江(お江与、崇源院) は、 2度の憂き目(うきめ)にあう。 即
ち、1度目は小谷城(おだにじょう)落城時父・浅井長 政(あざい
ながまさ)を失い(乳児時)、 2度目 は、北庄城(きたのしょうじょ
う)落城時母・お 市(おいち)を失う(少女時)。 その後、 お江(お
江与、崇源院) は、3回結婚する。 即ち、 1度目は夫の佐治一
成とは 離縁となり、2度目は夫の豊臣秀勝とは死別し、 そして、
3度目は夫の徳川秀忠の正室の夫人となり、 2男5女をもうける。
■ お江(お江与、崇源院) は、小谷城(おだにじょう)落城時の父
・浅井長政 自害 と 北庄城(きたのしょうじょう)落城時の母・お
市自害 の憂き目(うきめ)にあう。
● 1573年(元亀4年)に、 父・浅井長政の小谷城 は、秀吉の指
揮する織田軍に攻められて、 父・浅井長政は自害し、炎 の中で、
母・お市は、 乳児のお江(小督)を含めた浅井3姉妹を連れて、
小谷城から落ちのびる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 1583年(天正11年)に、母・お市の2番目の夫の柴田勝家の
北庄城 (きたのしょうじょう) は、 秀吉の指揮する羽柴軍(豊臣
軍)に攻められて、 母・お市は自害し、 炎の中で、 少女のお江
(お江与、崇源院)を含めた浅井3姉妹は、北庄城から落ちのびる。
■ お江(お江与、崇源院)の子供達。
■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、2男6女をもうけた。 豊臣
秀勝との間に、完子(さだこ)をもうけ、 徳川秀忠との間に、千姫
(せんひめ)、 珠姫(たまひめ)、 勝姫(かつひめ)、 初姫(はつ
ひめ)、 徳川家光(とくがわいえみつ)、 徳川忠長(とくがわただ
なが)、 和子(まさこ、かずこ) をもうけた。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● お江(お江与、崇源院) は、 2男6女をもうけた。 豊臣秀勝と
の間 に、完子 (さだこ、1592−1658年)をもうけ、 徳川秀忠
との間に、千姫 (せんひめ、秀忠長女、1597−1666年)、 珠
姫 (たまひめ、秀忠次女、1599−1622年)、 勝姫 (かつひめ、
秀忠三女、1601−72年)、 初姫 (はつひめ、秀忠四女、16
02−30年)、 徳川家光 (とくがわいえみつ、 秀忠次男、1604
−51年)、 徳川忠長 (とくがわただなが、 秀忠三男、1606−
33年)、 和子 (かずこ、まさこ、秀忠五女、1607−78年) をも
うけた。
■ 3度の政略結婚をした、お江(お江与、崇源院)。
■ お江(おごう、お江与、崇源院) は、 1番目の夫・佐治一成とは
離縁し、 2番目の夫・豊臣秀勝とは死別し、 3番目の夫・徳川秀忠
とは円満な後半生を送る。
● お江(お江与、崇源院) は、 1番目の夫・佐治一成 (さじかずな
り)に1584年に嫁ぎ同年離縁し、 2番目の夫・豊臣秀勝(とよとみ
ひでかつ)に1592年に嫁ぎ同年死別し、 3番目の夫・徳川秀忠(と
よとみひでただ)に1595年に嫁ぎ、 円満な生活、後半生を送り、
1626年に生涯を終えた。
■ 現在の日本では、結婚の9割が、2人の本人の意思で結婚する恋
愛結婚であるが、 安土桃山時代・江戸時代初期の当時の政略結婚
では、男女本人の意思に関係なく、両家の家父長が、結婚を決めて、
結婚し、結婚当日に結婚相手に初めて会うことも多かった。 お江(お
江与、崇源院)も、 秀吉の命(めい)で、そのような政略結婚を、3度、
行った。
■ お江(おごう、お江与、崇源院)の第一番目の夫 は、 佐治一成
(さじ かずなり)であり、 離縁となった。
● お江(お江与、崇源院)の第一番目の夫 は、 佐治一成(さじ か
ずなり) である (佐治一成の夫人:1584年)。
● お江(お江与、崇源院) は、 1584年(天正12年)に、羽柴秀吉
(豊臣秀吉)の命(めい、計らい、仲介)で、 母・お市の姉(お犬の方・
織田信長の妹)の子の、佐治一成と婚儀を結ぶ(に嫁す)。
● 佐治一成 は 1584年に、 秀吉と対立したため、お江(お江与、
崇源院)お江(小督)は、 秀吉により 離縁させられた。
■ お江(お江与、崇源院)の第ニ番目の夫 は、 豊臣秀勝 (とよと
みひでかつ、羽柴秀勝(はしばひでかつ)) であり、 朝鮮戦役中
に病死し、死別となった。
● お江(お江与、崇源院)の第ニ番目の夫 は、 豊臣秀勝(とよと
みひでかつ、羽柴秀勝(はしばひでかつ))である (豊臣秀勝の夫人
:1592年)。
● お江(お江与、崇源院)は、 1592年(文禄元年)に、 豊臣秀吉
の 命(めい、計らい、仲介 )で、 豊臣秀勝と婚儀を結ぶ(に嫁ぐ)。
● 豊臣秀勝 は、1592年に、 朝鮮戦役の文禄の役(ぶんろくの
えき、1592年〜1593年)で出陣中に病死し、 お江(お江与、崇
源院)は、 夫と死別した。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
● 秀勝とお江(お江与、崇源院)との間には娘の完子(さだこ、1592
〜1658年)がいたが、 秀勝死後、 完子は、姉の淀殿に養育され、
後に、公家の九条忠栄(幸家)に嫁いだ。
■ お江(お江与、崇源院)の第三番目の夫 は、 徳川 秀忠(ひでた
だ)であり、 秀忠とは円満で、秀忠との間に2男5女をもうけ、 平穏な
後半生を送り、 1626年に生涯を終えた。
● お江(お江与、崇源院)の第三番目の夫 は、 徳川秀忠 (とくが
わひでただ、江戸幕府2代将軍) で ある (徳川秀忠の夫人:1595
〜1626年)。
● お江(お江与、崇源院) は、1595年(文禄4年)に、 豊臣秀吉の
命(めい、計らい、仲介)で、 徳川秀忠と婚儀を結ぶ(に嫁ぐ)。
● 徳川秀忠 は、 徳川家康の三男で、 徳川宗家(本家)の家督を
継ぎ、江戸幕府2代将軍となり、 お江(お江与、崇源院) は、 幕府
2代将軍の徳川秀忠の正室・夫人 となった。
● お江(お江与、崇源院) は、 徳川 秀忠(ひでただ)とは円満で、
子宝に恵まれ、 秀忠 との間に、2男5女をもうけた。 千姫(せんひ
め)、 珠姫(たまひめ)、 勝姫(かつひめ)、 初姫(はつひめ)、徳
川家光(とくがわいえみつ)、 徳川忠長(とくがわただなが)、 和子
(かずこ、まさこ) である。
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■ 将軍の生母であった、お江(お江与、崇源院)。
■ お江(おごう、お江与、崇源院)の男子である、徳川家光 (とくが
わいえみつ) は、 江戸幕府3代将軍 となる。
● お江(お江与、崇源院) は、 江戸幕府・3代将軍・徳川家光の生
母となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
#sugenin-motherinlawoftoyotomihideyori
■ 豊臣秀頼の義母であった、 お江(お江与、崇源院)。
■ お江(お江与、崇源院)の娘である、千姫 (せんひめ)は、 豊臣
秀頼の正室・夫人 となる。
#sugenin-motherinlawofgomizunooemperor
■ 天皇の義母、祖母であった、 お江(お江与、崇源院)。
■ お江(おごう、お江与、崇源院)の娘である、和子 (かずこ、まさこ)
は、後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう、夫人)となり、 後
に、明正(めいしょう)天皇(在位1629〜43年、女帝)の生母となる。
#sugenin-squarrelingwithherwetnurse
■ 世継ぎをめぐる、女の戦い。
● お江(おごう、お江与、崇源院) は、 徳川家康より任命された、
徳川家光の乳母(うば)のお福 (おふく、春日局) と対立した。
● お江(お江与、崇源院) は、 夫の将軍・徳川秀忠との間に2人の
男子、 家光(いえみつ)と 忠長(ただなが)をもうけたが、 お福( おふ
く、春日局、家光の乳母)の権力拡大を阻止するため、 お福になつ
く「家光」より、 伯父(おじ)の織田信長に似ていて、自分になつく「忠
長」(家光の弟、駿府城主)を可愛(かわい)がり、重んじた。
■ お江(お江与、崇源院) の墓。
■ お江(おごう、お江与、崇源院)の墓所は、 東京(江戸)の徳川家
菩提寺の1つの、 芝・増上寺 にある。
□ お江 (お江与、崇源院) の宝塔 (増上寺・徳川家霊廟内)。
□ 日本史 辞典 の 「 す 」 基本見出し語サイト の先頭ページへ 。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
♪♪ お江(お江与、崇源院) が登場する、面白く、興
味深い、ドラマ、映画、ドキュメンタリー。
★ 崇源院(すうげんいん、お江・小督(おごう)、お江
与)が登場する、面白く、興味深い関連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 歴史のドラマ、映
画 は、史実(歴史上の事実) と 架空の出来事 が 混じって描
かれています。 また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』 (日本の2011年
NHK大河ドラマ)。
● 崇源院(すうげんいん、お江(おごう))を演じる俳優名 : 上野
樹里 (うえの じゅり) 。
■ 『 寧々〜おんな太閤記 (ねね おんなたいこうき) 』
(日本の2009年製作テレビ東京・テレビドラマ)。
● 崇源院(すうげんいん、お江(おごう))を演じた女優名 : 高橋
かおり。
■ 『 天下騒乱〜徳川三代の陰謀 (てんかそうらん
〜とくがわさんだいのいんぼう) 』 (日本の2006年製作テレ
ビ東京・テレビドラマ)。
● 崇源院(すうげんいん、お江(おごう))を演じた俳優名 : かたせ
梨乃 。
■ 『 大奥・第一章 (おおおく だいいっしょう) 』 (日本
の2004・2005年製作フジテレビ・テレビドラマ)。
● 崇源院(すうげんいん、お江(おごう))を演じた俳優名 : 高島
礼子。
● 初代将軍家康、2代将軍秀忠、3代将軍家光の時代 と その時代
の大奥を描いたドラマ。 松下由樹、 高島礼子、 瀬戸朝香 など
が出演。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上