Rock Listner's Guide To Jazz Music

ヘッドフォン・システムの導入
(2009年2月)



音楽の聴き方のひとつにヘッドフォンという形態がある。ヘッドフォンのメリットはスピーカーのようにセッティングを気にする必要がなく、外部と遮断されたノイズレスな環境を確保することができ、極めて豊かな情報量で音楽を表現できることにある。しかも、近所や家族に気兼ねすることなく好みの音量で音楽再生を楽しめることが、一般的住居で生活する人にとってはもっとも大きな利点。更に、価格にして10倍以上するスピーカーに匹敵する情報量を誇り、微細な音の再生力という点において極めてコスト・パフォーマンスが高いのも大きな特徴です。

しかしながら、僕は音楽(特に低音)は耳だけでなく体で感じ取るものであると思っているし、自然な音場感を重視するということもあってヘッドフォンにはかなり否定的で、iPod など外で音楽を楽しみたい場合はともかく、家でヘッドフォンを使用して音楽を聴くことに意義をまったく感じていなかった。特にヘッドフォンの特質とも言える閉鎖感が強い音場がどうにも馴染めない。

だからいくら情報量が豊富であっても、周囲の音が侵入しない、あるいは漏れないことこそが最大のメリットであると思えるヘッドフォンは妥協の産物でしかないと思っていた。そもそも、寝室のデノンRCD-CX1にはヘッドフォン端子があり、もし興味を持っていたら既に活用していたことでしょう。

ところが某日、暇つぶしで入った秋葉原のヨドバシカメラでスタックスのヘッドフォンを試聴してその考えがガラリと変わってしまった。そして今は寝室にΛ(ラムダ)シリーズのイヤースピーカーが鎮座しているというわけです。

このヘッドフォン・システムは、僕のイメージしていたヘッドフォンと大きく違うところが二点ある。

ひとつ目は開放型であるところ。これはスタックスだけのアドバンテージではありませんが、外部との音の遮断というヘッドフォンの意義のひとつを放棄した開放型ヘッドフォンは音場の閉塞感がかなり緩和される。耳の至近距離から音が出ているという物理的制約を超越することはないとはいえ、密閉式とは比べモノにならないほど自然な広がりで音楽が表現される開放型ヘッドフォンをこれまで聴いたことがなかった(つまり無知だったということですな)だけに驚きと感動があった。ちなみに両手でイヤースピーカーを覆って聴くと、あの聴き覚えのある密閉式のような音場になります。

もうひとつはダイナミック型ヘッドフォンとは異質の、柔らかく自然でリッチな音色を持っていること。ダイナミック型のヘッドフォンもメーカーやモデルによって音の性格が実にさまざまとはいえ、エレクトロスタティック型の奏でる音はそのどれとも質感が異なり、このヘッドフォンでなければ聴くことができないサウンドが出てくる。スタックスの製品がどのモデルでも基本的な音色が同じ傾向にあるのは、世界中を見回してもほとんど唯一と言っても良い、エレクトロスタティック型を採用しているからでしょう。

もちろん情報量は豊富で、管楽器奏者の息遣いやヴィブラートが明確に聴き取れたり、「こんなところでオブリガードを入れていたんだ」「こんなに細かいブラシの使い方をしていたんだ」という発見は当然のようにある。ただ、これだけの投資(実勢価格はトムフォードの高級革靴程度)をすれば、いや、その半分程度の投資であってもヘッドフォンというのは十分に情報量に優れているもので、それじたいがスタックスの魅力というわけではありません。

一方で、これもエレクトリスタティック型の特性なのか、低音の量感が控え目で、特にベースの音の厚みを表現するのは苦手。柔らかみのある音をウリにしているだけあって迫力を求める人にはこのヘッドフォンはいかにも物足りないと感じられるに違いない。つまり、低音重視で押し出しの強いサウンドを求める僕の好みとはまるで違う性格の製品であるということ。そういう意味でこれまでの僕のオーディオ選びとはまったく違うアプローチで選択した製品ということになります。ではなぜ心を奪われてしまったかというと、ごく簡単に言えば楽器の音がとても上質に響くから。特に生楽器については演奏者が込めたエモーションをより深く感じ取ることができるところが魅力で、この一点においてスタックスの製品は他に代わりがないと思わせるほどの独自性がある

ここまで称賛しつつ、それでも僕にとってヘッドフォンが音楽の楽しみ方の中心になることは今後もないでしょう。スタックスのヘッドフォンは生楽器の表現に長けているものの、必ずしも万能というわけではなく、ポップスやロックの作り込まれたスタジオ録音の再生ではそれほど良さが生きてこないし、低音が薄いためにグルーヴ感の表現もあまり得意ではない。それでも、妥協でも次善の策でもない、このヘッドフォンでしかできないできない音楽表現を聴けることには意義がある。

オーディオに限らず、国産の工業製品といえば日本人らしい上げ膳据え膳的なきめ細かさ、そして完成度と信頼性に優れている反面、その製品の本質(オーディオならサウンドの表現)で人の心を掴むようなものが実に少ない。少なくとも個人的にはそう思わせるようなモノに出会ったことがなかった。しかし、スタックスのサウンドには心の琴線に触れるだけの個性があり、どの国に持っていっても胸を張れるアイデンティティがあると思う。国産でそんな工業製品があるということを教えてくれただけで、このヘッドフォン・システムに出会えて良かったと思います。

尚、導入に際してはスタックスの他のモデルとの聴き比べもしてみました。(当時)最上位モデルのヘッドフォンSR-007Aは確かにより高い解像感を誇るものの、価格差を正当化できるほどの差はなく、強いて言えば音の傾向も(実は工業製品として優れているという意味になるけれど)わずかに標準的なダイナミック型ヘッドフォンに近く、SR-404の方によりスタックスらしさがあるように感じた。SR-404のひとつ下位に位置づけられているSRS-303は音の傾向は同じであるものの、こちらは実売で8,000円程度の価格差以上に解像度や情報量といったオーディオ的パフォーマンスに違いを感じたため、あえて積極的に選ぶ理由が見つからなかった。

一方、ドライバーユニットはSRS-4040の構成要素であり真空管を採用したSRM-006tAに対して、オーソドックスな「石」のSRM-323Aがあります。オーディオの世界ではまるで通の嗜みとばかりに過大に評価されている感もある真空管というデバイスですが、寿命と安定した品質の持続性に難があるというのは欠点でしかないと僕は思っていて、電源を入れてからウォーミングアップで待つ(SRM-006tAの場合は18秒)という儀式に悦びも感じないために本当はSRM-323Aを本命にしていた。ところが、少し聴いてみただけでもSRM-006tAとSRM-323Aは違う。それは優劣ではなく、柔らかく音場に広がり感がある前者に対して、一体感とまとまりののある後者という性格の違いで、ヘッドフォンとしては望外に広い音場にこそスタックスの本領があると感じていた僕は、真空管というデネガティヴ要素があってもSRM-006tAの魅力に抗うことができなかったというわけです。

(追記)イヤースピーカーをSR-507にグレードアップしました。要約して評すれば、SR-404よりも解像度が高まり、低音が強化されているというスタックス社自身のアナウンス、また世間の評判通りの音質。音のリアリティの違いはオーディオに関心を持っている人なら誰にでも感じ取れるレベルで、低音は厚みが増して、例えば輪郭だけしか表現できなかったベースの音が芯のある低音として表現できるようになった。工業製品として至極まっとうな進化と言えます。これを以てスタックスらしさが後退したと評す人がいるようですが、独特のわずかな曇りがかかって低音が抜けているのがスタックスらしさだと考えている人の意見のように思えます。柔らかく繊細で美しい表現をするという点で、また、強化されたと言っても決して低音が得意とは言えないという点で、SR-507の音の性格は従来のΛシリーズと何ら変わりありません。従来の少しもやっとした音をスタックスらしさとする人にはSR-404の方が、静電型らしい音を持ちながら解像度が上がり低音もある程度補強されていることをポジティヴに受け取れる人はSR-507の方が向いている。恐らくどちらかに好みが分かれると思われるため、使い分けに意義を感じられる人は少ないでしょう。スタックスらしい音を楽しむという意味ではSR-404でもある意味十分とも言えるので、一気に1.75倍も跳ね上がったSR-507の価格は正当とは言えないかもしれない。僕は、SR-507はスタックスΛシリーズらしさを十分に備えつつ、最も豊かに音を表現できるイヤースピーカーとして価値があるモデルだと思います。

ヘッドフォン・システムの満足度:★★★★ コスト・パフォーマンス:★★★