Rock Listner's Guide To Jazz Music

やっぱり音楽はライヴ!

これまでに行ったコンサートの全記録です。人生の大部分を音楽好きとして過ごしてきたこともあり、幅が広がってきてしまいました。そんなところを含め自分の音楽史を表してると思います。



記念すべき初コンサートはクイーン。確か席は武道館の後ろから3列目くらい、ステージを照らすあの豪華な照明器具を上から見るような形でずいぶん遠かったことを思い出す。このころは、正直なところ音楽のことなんてわかっていなかったし、生演奏を聴いて良いか悪いかもわからなかった。ただ、動いているクイーンがそこに居るだけで良かった。そして最初から最後まで歌っていた。それで十分。もうかなり昔のことなのにフレディのアクションをハッキリと思い出すことができる。これが最後の来日。観ることができて本当に良かった。

高校生のころは完全にハードロック小僧だった。そして当時人気絶頂だったのがナイト・レンジャー。恥ずかしながらジェフ・ワトソンがこんなにソロを取っていることをライヴを観るまで知らなかった。あと、覚えているのがジャック・ブレイズがぜんぜんまともにベースを弾いていなかったこと(苦笑)。今思うとB級バンドだったけどこのグループはいい曲が沢山あったと思う。

アルバム「Flash」のときのツアー。レコードと同じメロディを演奏をするのではなくても聴き応えのあるプレイがあるというのを初めて教えてくれたのがジェフ・ベックだった。あんなルックスでもショルダー・キーボードを抱えたヤン・ハマーはものすごくカッコよかったし、小さい体で迫力のドラムを聴かせるサイモン・フィリップスが凄かった。もっともテクニックの面でその前に観たロジャー・テイラーとケリー・ケイギーと比較するのもおかしいんだけれど。反面、ジミー・ホールは生で聴くとショボかった。当時ハードロック以外で夢中になれたのはジェフだけだった。

アルバム「Whitesnake(Surpens Albus)」が全米で大ヒットしていたとあって大盛り上がりで観ていたことを思い出す。でも、メンバーがエイドリアン・バンデンバーグ、ヴィヴィアン・キャンベル、ルディ・サーゾ、トミー・アルドリッジというアルバムとはぜんぜん違う顔ぶれ。後でFMでも放送されたものを改めて聴いてただのヘヴィ・メタル・グループになっていたことにガッカリした。カヴァーデイルのヴォーカルも雑で、今思うとたいしたことないライヴだった。

オリジナル・メンバーで復活したエアロスミスが「Permanent Vacation」でセールス的にも復活したときの来日公演。とにかく凄かった。ロックン・ロールっているのはこういうもんだということを体で教えてくれたライヴだった。ジョー・ペリーだけじゃなくてブラッド・ウィットフォードもリード・ギターを沢山弾いてることを初めて知った。トム・ハミルトンのベースもカッコ良かった(ベースがクッキリ聴こえる音の良さにも驚いた)し、ジョーイ・クレイマーのドラムだってロックン・ロールらしい迫力があった。今まで観た中で一番凄みを感じたライヴ。このころ、エアロはまだ好きモノのためのバンドだったなあ。

サミー・ヘイガー加入後のヴァン・ヘイレンのライヴ。東京ドームでライヴを観たのはこれが初めてだった。あまりの音の悪さにビックリ。開演前に流れていたデフ・レパードの曲を「ねえねえ、これってバン・ヘーレン?」と訊いていたネーチャンがいて、ああ、これだけの規模のコンサートだとファンじゃない人も大勢いるんだなあと実感したのも懐かしい。肝心の内容はあまり覚えていない。ヴァン・ヘイレンを理解できるようになったのはそれから何年も後になってから。

シンプル極まりないアメリカ南部系ロックバンド、ジョージア・サテライツ。今思うとなんでこんなバンドがあんなに売れたのか不思議で仕方がない。その勢いは、トム・クルーズ主演の映画「カクテル」のサントラに曲を提供するほどだった。こんなに至近距離でライヴを観たのは初めてだったという悦びが記憶に残っている。バンドの音もヘヴィでかなりハードロック的だった。B級だったけど、いいバンドだったなあ。この後、人気が急降下。解散してしまったのが残念。近所のクラブで演奏していたアンちゃんが大ヒットをかます、ある意味アメリカン・ドリームを体現していたバンドだったと思う。

有明コロシアムで開催されたロック・フェスティバル、KIRIN BEER'S NEW GIGS。他の会場でも開催され日によって出演者が違った。他の日の出演者で覚えているのはリチャード・マークス、チャック・ベリー。

最初のバンドはスティーヴ・ルカサー・バンド。ルカサー自身がヴォーカルも担当。バンドのレベルはイマイチだった。

2番目は、当時アメリカで大ヒットしていたバッド・イングリッシュ。ヒット性を持ったいかにもアメリカンなロック・グループで、前のバンドと比べるとちゃんとしたヴォーカリスト(ジョン・ウェイト)がいて、それによってバンドが締まって見えることを認識。ニール・ショーンのギターはなるほど上手かった。

3番目は、この日の出演者の中では異色の10人組ファンク・グループ、タワー・オブ・パワー。長いキャリアを持つグループだけあって、そのステージは流石の貫禄。そして楽しい。生のホーンがこんなにカッコいいとは。この後しばらく、このグループにはハマッた。この日初めてアンコールの要求が出たほどパフォーマンスは素晴らしいものだった。

4番目はお目当てのジェフ・ベック。日本先行発売だった「Guitar Shop」リリースから確か一週間も経っていなかった時期だったと記憶してる。テリー・ボジオは凄腕ドラマーとして名前だけは知っていて勝手にいかつい風貌を想像していたら、モデルのようなルックスであまりのカッコよさにビックリ。そして迫力のドラムにただただ圧倒された。一方でトニー・ハイマスはあまりステージ向きなミュージシャンではないと感じた。台風接近(翌日公演は中止だった)により、途中から豪雨。ずぶ濡れになると開き直ってハイになるという経験をしたのもいい思い出。

最後は、ルカサー、ショーンを加えて "Going Down" を演奏。ヴォーカルはルカサー(他の日の公演ではジョン・ウェイトが歌ったらしい)。お祭りセッションとなって大団円。

ストーンズは枯れすぎていて個人的にはあまり好きではない。それでも初来日公演の話題性(東京ドームで10連続公演)もあり、やっぱり生で観てみたいと思って行った。レフトのポールからライトにポールまでがステージというバカでかさに驚いたんだけれど、本来ストーンズはシンプルなロックン・ロール・バンドで、あまりにもショウアップされたステージに違和感を覚えた記憶が。1曲終わるごとに長いインターバルがあったのは歳のせいだったのかステージの構成が甘かったのか。

詳細は、YESの項目にある「An Evening Of Yes Music Plus」参照。NHKホールは音が良かった。

前回の来日公演でノックアウトされたエアロスミス。もちろん期待して行った。しかし、新しいアルバムが出たこともあってか古いレパートリーが激減、コンサートも前回より短く、普通のロック・コンサートになってしまっていた。前回の好印象が自分の中で増幅されてしまったのかもしれないけれど、印象はかなり薄い。あと、横浜アリーナは音が悪かった。

前回の来日公演があまりにも素晴らしく、公演ごとにセットリストが違ったことから、このときの日本ツアーは2日分もチケットを購入。だけど、セット・リストはほとんど違わなかった記憶がある。唯一覚えているのは "Toys In The Attic" をこの日は聴けたことくらい。

80年代前半に大ヒットしていたエイジアが再結成。スティーヴ・ハウに代わって在籍していたのはパット・スロールで、その性格はかなり違って普通のハードロック的なものということもあってバンドじたいの魅力が薄れていたのは確か。それでも、この頃のウェットンは声も見た目も十分まともだったし、演奏も安定していたので、あの栄光のエイジアを体験できただけでも良かったかなと。オフィシャル・ブートレグとしてこの日のライヴ盤が出ているらしい。

再結成したディープ・パープルもイアン・ギランが脱退。代わりに加入したのがジョー・リン・ターナーという人事が情けないと思いつつ生リッチー観たさにチケットをゲット。そのリッチー、アンプの裏に隠れて殆ど前に出てこないしギターもやる気なし。レインボウのビデオで激しくアクションを決めていたあの人と同じ人物とは思えなかった。正直、金返せと言いたくなる酷さだったけれどジョン・ロードのオルガンの存在感と、全盛期から迫力こそ薄れたものの独自のリズム感を披露したイアン・ペイスのドラムは観ておいて良かったと今でも思う。

LAメタルと呼ばれる当時の西海岸ヘヴィ・メタルの中でも、渋いブルースを売りにしていたグレイト・ホワイト。今思うとB級バンドだったと思うけど、当時の僕はブルージーはハードロックが大好きだったので、ツボに嵌っていた。でもライヴのことはあんまり覚えていない。ジャック・ラッセル(だったっけ?)の声はレコードと遜色なかったような気がする。

アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウの公演でブラッフォードのドラムに感銘を受けて、アースワークスの公演にトライ。ジャズのライヴ、クラブという会場、曲も知らないのに観にいくという初モノづくしの挑戦だったけれど、シンセ・ドラムを駆使したブラッフォードのプレイは期待に違わず素晴らしかった。手拍子や細かいパーカッションの音まで聴き取れる狭い会場の良さを実感。音楽そのものは、当時の僕にはちょっとソフト過ぎる感じだったけれど演奏が良かったので十分楽しめた。

89年の KIRIN BEER'S NEW GIGS で好印象だったタワー・オブ・パワー。しかし CD は殆ど廃盤で入手できない状況が続いていた(当時は Amazon なんてなかったんですよ)ところ、ニュー・アルバム「Monster On A Leash」をリリースし来日。タイトなリズム・セクションに鉄壁のホーン・アンサンブル、余裕たっぷりの楽しいステージ。充実のステージにライヴ・バンドとしての底力を見た。ロック以外に大好きなバンドができた瞬間でもあった。

当時話題だった8人イエス公演。来日発表当時はブラッフォードの参加はなかったところ急遽直前に参加が決定。そのブラッフォードは正直なところお仕事モードだったけれど、この企画はお祭りだったからまあそれもしょうがない。リック・ウェイクマンとトレヴァー・ラビンが妙に仲が良さそうだったことを覚えている程度でライヴ・パフォーマンスは記憶にない。

若手ながら70年代ハード・ロックのようなサウンドを聴かせるブラック・クロウズ。実際のステージも浮ついたところがなく、地味なんだけど地に足がついたロックン・ロールでいいバンドだった。

同じく70年代的ハード・ロック、英国の雄だったのがこのサンダー。ライヴで評価を高めたグループだったけになかなか良いパフォーマンスだった。ダニー・ボウスの声はよく通るしルーク・モレイのいかにもアイドルはジミー・ペイジというムードも70年代的だった。いいバンドでしたね。

バンドとして絶頂期だったときのエクストリーム。生で観るとドラムの力量のなさが分かってしまったけれど、さすがにバンドとしては勢いがあった。後半はホーン・セクションを加えてのパフォーマンスだったと記憶している。ちなみに武道館のアリーナは後にも先にもこのときだけ。最近は武道館でコンサートって洋楽ではあまりやりませんねえ。

90年代に入り、活発に活動をしはじめたタワーは、短いインターバルで再来日。会場はオール・スタンディングの狭いところでこのバンドにはよく合っていたかも。1st サックスが変わっていた程度で前回とほぼ同じメンバーだったはず。この日も満足のライヴだった。

ここまでの流れからすると異色なアーティストと思われるでしょうが、僕は SADE が好き。彼女の持っているエキゾチックな雰囲気は最高だし、声、歌い方が素晴らしい。ライヴでも艶やかで大人の華やかさが印象的だった。バンドの実力も高く素晴らしいステージ。SADE は女性ファンが多いようで会場には女性が多数。仕方なく同伴させられたと思われる横に座っていた男たちは、気持ち良さそうに船を漕いでいた。音楽がわからない人をこういうライヴに連れてきちゃダメですな。

アルバム 「Muddy Water Blues」 に伴うソロ・ツアー。会場の年齢層も高く、開演を知らせるブザーが鳴っても全員着席したまま会場が暗転。ドラム・スティックを打ちながら「ワン、トゥー、ワン・トゥー・スリー・・・」という掛け声に導かれ曲が始まるとステージがライトアップ。曲は "Can't Get Enough"。ステージ中央にはマイクスタンドをクルクル回すポール・ロジャースが! 座っていた僕はその瞬間、興奮の余り立ち上がっていた。いや、会場全体が同時に立ち上がっていた。ロック・コンサートというととにかく立たねばという妙な脅迫的なムードがあるけれど、このとき会場に居た人は間違いなく皆自発的に立ち上がっていた。このツアーは、ニール・ショーン、ピノ・パラディーノ、ディーン・カストロノヴァというメンツ。演奏も良かったけど、ポールのヴォーカルの素晴らしさに圧倒された。選曲は、フリーやバッド・カンパニーのレパートリーもバランスよく織り交ぜたベスト・オブ・ポール・ロジャース。素晴らしかった。

クイーン活動停止後、自らのバンドを率いて活動していたブライアン・メイ単独の初来日。ブライアンの人柄とクイーン時代よりもぐっとこじんまりとした会場とが相まってアット・ホームな雰囲気だった。そうは言っても決して日和見的なものではなく、しっかりとハード・ロックなコンサートだったのもブライアンの資質に負うところが大きく、さらになんと言ってもコージー・パウエルの存在感たるや、それはそれは強烈だった。コージーといえばハード・ロック好きから絶大なる支持を受ける豪腕ドラマーとして知られているけれど僕は「悪くはないけどそんなに凄いかねえ」なんて思っていた程度。でも生で観てその凄さわかった。この人は本当にカッコいい。なるほど、これが男が惚れるってヤツなんだなということを思い知らされた。"Since You've Been Gone"のリフをブライアンが刻み始めたときには本当に驚いたのと同時に大興奮。ほとんど無視されているけれど、いいバンドでしたよ。

ロバート・プラント化に向けて一直線だったデヴィッド・カヴァーデイルがついに本家と組んだユニットとして話題だったこのグループ。アルバムは曲がイマイチでどうということはなかったけれどライヴとなると話は別。とにかく生のジミー・ペイジを観れるというだけで夢のような体験だった。自分のアイドルと競演して嬉々としていたカヴァーデイルはこの際あまり重要ではなかった。デニー・カーマッシは彼なりにヘヴィなドラムを叩いていて腕は確かだということも実感した記憶がある。

当時、人気絶頂で飛ぶ鳥も落とす勢いだったレニー・クラヴィッツ。黒人でここまでロック色が強い、逆に言うと黒っぽさが希薄な人は珍しかった。そこに黒人そのものの声が乗るとそれはもうレニー・クラヴィッツの音楽として成立してしまうという明快さ。ハード・ロックのコンサートと言っても差し支えのない内容だったという印象があるけれど、個人的にはこの頃よりもファースト・アルバムのころの彼の方が好き。あと、手数が多くてうるさいだけのヘタクソな女性ドラマーはいただけなかった。

それまでに武道館で何度かライヴを観ていたものの、空席がこんなに目立ったのはこのときが最初で最後。何しろ2階の東と西のスタンドは空きスペース。もっとも人気の面でハートの全盛期はとうに過ぎていたので無理もなかった。それでも内容は素晴らしかった。やはり2人のハーモニーの相性の良さは他では得がたいものがある。ステージで見栄えがするのは金髪でスタイルのいいナンシーで、声援も多かったんだけど、殆どステージ上で動かずにアメイジングなヴォーカルを聴かせるアン・ウィルソンは凄いと思った。ハードな曲とアコースティックな曲を半々くらいに織り交ぜた構成も2人のヴォーカルの実力を堪能するのにピッタリでとても良いコンサートだった。

「Get A Grip」もヒットし、いよいよ大スターに登りつめる直前のころのエアロスミス。ライヴ・パフォーマンスはさすがに良かったけれど「Permanent Vacation」以降、アルバムが3枚もヒットしたせいもあって古い曲が激減。"Train Kept A Rollin'"も演らずに寂しかった。次の日本ツアーからエアロスミスはスタジアムで行われるようになる。

ロジャー・テイラーがついにソロで来日。1曲目は "Kind Of Magic" 。ソロとクイーンの曲を織り交ぜの構成だった記憶があるけれど、バックにクイーンの写真を映し出したりして、なんか悲しみを引きずりまくっていたのがブライアンのソロとは違ったところ。ロジャーは当然ステージ中央の前列に立ち、しかし左右にタイコを配置するというなんとも妙な構図で、正直なところフロントマンとしての資質は弱いと感じた。"Tenement Funster"を生で聴けたのには感激しちゃったけど。

90125イエスの公演。驚いたのはトレヴァー・ラビンの存在感でキーボード・ソロまで取ってまさにバンドの中心的存在であることが嫌でもわかった。これをもって解散してしまった90125イエスなので観ておいてよかった。

94年11月(日にちは失念)のタワー・オブ・パワーのステージ。移動前のブルーノートでとにかく狭かった。その分、バンドは至近距離でほんの5m前にならぶ10人組は迫力たっぷり。本当に生演奏を聴いていると実感できる経験だった。当時はジャズ・スタイルのショウ(ブルーノートは2部制)に馴染みがなく、1時間強という短い演奏時間がちょっと不満でした。

このときの来日公演は DVD 化されているので内容はよく知られるところ。本当に凄かった。初めて本物のプログレを観たという実感があった。ブラッフォードの本当の凄さを知ったのもこのとき。ダブル・トリオ時代のクリムゾンがもっとも乗っていたときのライヴを観れたのは本当に幸運だった。

またまた続く、タワー・オブ・パワー。この頃になると、知識も増えて耳が肥えてきて、ドラマーがもう一歩であるところが見えてきたりもしたんだけれど、楽しく乗らせていただきました。

なんと再結成したレインボウ。アルバムは本当につまらなかったけど自分のグループならきっと前回のディープ・パープルのようなことはなくしっかりとリッチーはやってくれるだろうという期待を持って行った。確かにリッチーは別人のようにアクションをキメていたものの、かつての勢いはなく「お仕事」感が残るものだった。

ジミー・ペイジが観れるならカヴァーデイルが相手でもいいや、と思って以前は観に行ったのにまさかロバート・プラントとの組み合わせで観ることができるとは夢にも思わなかった。インド系(?)楽器奏者を何人か帯同させ、ツェッペリンのもうひとつの持ち味であるオリエンタル・ムードな曲を多く演奏していたのは、ツェッペリンをハード・ロック・グループとしてしか見ていない人には不満だったらしいんだけど"Kashmir"に代表されるようにこの種の音楽もツェッペリンの大事な部分と理解している僕にとってはかなり楽しめた。もう2度と観れないと思うので行っておいて本当に良かった。

96年、今さらナイト・レンジャー。しかも、オリジナル・メンバー。こんな狭いところで間近に観れるとは。10年前に武道館で観たときにはライヴのことなんて何もわかっていなかったけれど、聴く耳ができてから冷静に観ると結構雑なバンドだったんだなあと思ってしまった。特にドラムのヘタさにはまいりました。そう思いつつも、曲の良さを改めて再認識。ブラッド・ギルスのプレイは10年前よりもはるかに燃えていた。

再結成していたときの来日公演。さして期待もしていなくて伝説のグループを一度観ておくか程度のノリで行った。グレッグ・レイクの声は艶を完全に失っていて、それはそれは悲しかったけれどこればかりは仕方がない。その代りキース・エマーソンのパフォーマンスも楽しめたし、カール・パーマーが予想外に良かった。アンコールは確か20分くらいの曲で休みなくパワフルに叩きつけるドラムにエイジアとは違うものを感じた。往年のパワーはなかったものの、内容は悪くなかったです。

確か2階スタンドの後から3列目くらいの席だったと思う。遠かった。目で見る彼らの動きと音が一致しない(距離が遠すぎて音が到達するのが遅いってこと)くらい遠かった。それでもその派手なショウを観て、ああこれがキッスのエンターテイメントなんだということは理解できた。でも2006年の UDO Music Festival のときの方が内容は良かったと思う。

日にちは98年4月9日か10日、場所は赤坂ブリッツにて、King Crimson ProjeKct という名義で、ProjeKct TwoとBruford Levin Upper Extrimitiesのジョイント・ライヴがあった。ProjeKct Twoはエイドリアン・ブリューの独特なリズム感とあと一歩で自己満足の領域に入りそうはフリップが記憶に残っている。B.L.U.E. の方がライブとしては見応えがあって、いつも通りに変拍子を繰り出すブラッフォード、スティックを縦横無尽に駆使するレヴィン、フリップ以上に変なギターの音を出すデイヴィッド・トーン、今やイケメン・トランぺッターとして不動の地位を築いたクリス・ボッティのクールで熱いプレイを良く覚えている。この会場は、背の低い僕には見にくくて、そこが一番記憶に残っていたりするけれど。

いつも通りの楽しませてもらいました。グレッグ・アダムスがいないのは寂しかったなあ。正直なところ、何度も行っているので記憶が曖昧。

ブライアン・メイ、2枚目のソロ・アルバムに伴うツアー。もちろんコージーはおらず後任は確かエリック・シンガーだったと記憶している。エリックも悪くはなかったんだけれど、さすがにコージーと比べると分が悪い。ライヴじたいは前回と変わらずフレンドリーなムードがあって良かった。ブライアンはもうソロとしてツアーをやることはないだろうから今となっては貴重なライヴだったかもしれない。

このライヴは最高だった。席が良かったおかげもあったけれどビッグバンドを生で聴くことじたいが楽しかった、バンドとしてのまとまりも良くプロの集団だなって思った。ライヴが終わったあと幸せな気分にさせてくれたという意味では過去のどのライヴと比較しても上。ブライアン・セッツァーもカッコよかったし。やっぱり管楽器は生が一番。

確かこのときからドラムにデヴィッド・ガリバルディが復帰していたはずで、かなり期待して行ったんだけれど意外やおとなし目のプレイ。演奏じたいは安定していて、ここ最近のドラマーに中では一番まともだったけれどちょっとお仕事感があったのかそれとも衰えだったのか。

印刷がかすれてよく見えませんが2000年10月4日、渋谷公会堂のキング・クリムゾン公演。仕事で外回りをしているときにかけていたラジオで「これからキング・クリムゾン公演の緊急予約を受け付けます」といきなり始まり、携帯で電話をかけて入手したチケットはトレイ・ガンの目の前の1列目だった。こんな至近距離で観れたことは本当に幸運だったのに、それをもってしてもこのラインナップは好きになれなかった。途中でエイドリアン・ブリューのギターから音が出なくなって、ロバート・フリップの機嫌が悪くなるんじゃないかとハラハラ。

デジタル路線になって初めて観たジェフ・ベック。ジェフのプレイは満足できたけれど70年代の曲を演奏させるとバックバンドが馬脚を現すという感じで如何ともしがたいものがあった。ジェニファー・バトゥンもたいしたことなかった。女じゃなかったら誰も注目しないと思う。

曲も知らずに、ただブラッフォードのドラムが聴きたいというだけで行った。アコースティック・ジャズ初体験。席に着いたらドリンクと食べ物をオーダーするというジャズ・クラブのスタイルにおののきながら金もないのに見栄を張って注文したっけ。それはともかく、ジャズのことなどまったくわかっていなかった当時でも、間近で観るブラッフォードのドラムは凄かった。余談ですが、入場前の入り口付近を塞ぐように立っていた邪魔な僕に「スイマセン」と声をかけて中に入っていったのはビルで、それだけのことに感動していしまいました。

久々のブラック・クロウズ。彼らは現代における最高のグループだと思っているんだけれど、この日はなぜか気分が盛り上がらなかったっけ。好きなミューシャンで演奏が悪いわけでもないのに気分が盛り上がらないときってやっぱりありますよね?

アコースティック・ジャズになってから2度目アースワークス。このころちょうどジャズを聴きはじめたとはいえ、まだまだぜんぜんわかっていなかった頃。サックスがティム・ガーランドに代わったばかりで、そんなジャズ知らずの僕でも前任者よりは上だと思った。この日は席も素晴らしくバンドもブラッフォードのプレイも堪能し大満足。クラブで観るジャズの素晴らしさを教えられた日でもある。

前回があまりにも素晴らしかったのでもちろん今回も。ベースのアンちゃんが小柄な人に代わっていて妙にかっこ悪かった。前回とは異なり、ベース、ドラムとのトリオでの演奏も披露。オープニングが 007 のテーマだったのが 007 好きな僕には結構ハマってしまった。ただし、赤坂BRITZ は当然立ち見で開演まで立ちっぱなし、始まればおしくら饅頭状態という鑑賞スタイル。優雅なジャズ・クラブでのライヴを経験したあとだっただけに35歳のおじさんには相当辛かった。

2002年6月15日のエルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシンのライヴ。ジャズを聴きはじめて思ったこと。それは多くの巨人たちが既にお亡くなりになっていること。つまり生で観られない。ならば健在な人は観ておこうと考えはじめたころにやってきたエルヴィン。このとき既に75歳。もちろん往年の演奏を期待していたわけではありませんが、ステージまで歩いていく足取りは弱々しく「大丈夫かいな」と心配になったものの、ステージ中央の前面に据え付けられたドラムセットに腰掛け、カウントを取り始めるとシャキっとなるのだから驚く。かつての荒々しいパワーこそなくとも繰り出されるリズム感と根底にある力強さは間違いなくエルヴィンそのものだった。この2年後に亡くなってしまったこともあって本当に観ておいて良かった。

初めてのジャズ・フェスティバル。昼間は暑くて厳しかったけれど肘掛けつきのイスに身を委ねながら開放的な空気の中で聴くジャズはなかなか良いものだった。

最初は寺井尚子とコバに東京フィルの組み合わせで、楽しくJAZZの大スタンダード大会。次にコバのバンドで3曲。アコースティックギター2本にパーカッションという組み合わせ。「ぼくはJAZZの人じゃないんですけど」などと言って笑いを誘う。

寺井尚子クインテット。ジャズ・バイオリンの良さはよくわからないけれど思ったより演奏が激しいのに驚いた。見た目が良いのでそれで得をしている気もしましたが。

熱帯JAZZ楽団。こういうシチュエーションにピッタリの楽しい演奏。ただ、余裕のある遊び心みたいな部分が希薄なところに日本人の弱点が出ている感じもした。

ハービー・ハンコックの Future 2 Future バンド。こりゃ JAZZ じゃありませんな。それでもバンドの演奏レベルは高く、女性ドラマー、テリ・リン・キャリントンの地に足の着いたプレイに感心。ウォレス・ルーニーは服装も含めて70年代のマイルスみたいだった。

ウェイン・ショーター・カルテット。夕暮れ時に放つショーターのサックスの音色は神秘的ですらあった。バックバンドの実力も申し分なし。

最後はみんなでスーパー・セッション。ハンコックとショーターのグループ総出演。オマーラ・ポルトゥオンドゥという老女性シンガー(当時71歳)も加わる。

本当の最後が、そのオマーラ・ポルトゥオンドゥのグループでアフロ・キューバン・ミュージックを展開。これが思いのほか楽しくてよかった。

ぐったり疲れた1日だったけど、ショーターを生で観ることができたのが最大の収穫。

マンハッタン・トランスファーはその完璧なコーラス・ワークと娯楽性溢れるステージで定評があるのは知っていたので一度観てみようと思い立っての鑑賞。確かに定評どおりの内容を堪能できました。でも、歌モノに弱い自分を再認識した時間でもありました。

ヌーヴォ・メタルを標榜していたころのクリムゾン。前回よりも演奏が締まった感じだったように記憶している。相変わらず僕の好みのサウンドではなかったけど、それ以上になんとかしてほしかったのは「ステテコ隊」と呼ばれたエイドリアン・ブリューとトレイ・ガンの服装(あれは衣装とは呼べない)。このときのライヴは DVD 「Eyes Wide Open」 としても発売されていてそこで確認できる、というか記録に残ってしまっている。

2度目開催の東京ジャズ。この年は冷夏だったのにこの日だけ暑かった。

まずは、前田憲男が率いるビッグバンドの演奏。「最高のメンバーを集めた」とパンフに書いてある通り、ほとんど日本人のメンバーのレベルは高い。アフロキューバンなパーカッションも入って夏のこういうイベントのオープニングとしては言うことなし。

ユッスー・ンドゥール。既に世界中に名が知れ渡るアフリカ・セネガルのミュージシャン。アフリカ音楽のルーツをベースにしながら世界に通用するわかりやすさを通俗性があるのがいいところだと思った。バンド全体に黒人の持つ骨太なパワーを感じて「本物」を聴いている感じがした。

ヒップ・ホップのスピーチ(SPEECH)。ワタクシ、ヒップホップだけはわかりません。退屈。

ハービー・ハンコック・トリオ。ベースはクリスチャン・マクブライドにドラムがジャック・デジョネットという強力メンバー。ハンコックのピアノも含めこれは楽しめました。出演予定だったダイアナ・クラール(本当は観たかった)が感冒で出演キャンセルだったためにステージが長かった。

ジョシュア・レッドマン・エラスティック・バンド。このとき初めてジョシュア・レッドマンを知る。夕暮れ時に入ってからの演奏で上半身裸で汗だくになって熱演するレッドマンは華があるし演奏もパワフル。70年代的なノスタルジックなキーボードを聴かせるサム・ヤエルの渋さと手数番長のジェフ・バラードにも圧倒された。こういう大きなステージでも十分魅せるパフォーマンスで素晴らしかった。

恒例のスーパー・セッションは、スピーチに合わせてヒップ・ホップ大会になってしまい退屈極まりなかった。

生きているうちにジャズ・ジャイアントを観ておこう計画の一環。1曲15分くらいの長尺演奏ばかりにもかかわらず休憩を挟みながらも2時間吹きまくっていたロリンズじいさんのパワフルさに感嘆。

ミケル・ボルストラップというピアニストとビル・ブラッフォードのデュオ。かなり即興性に高いライヴで何度も鑑賞するタイプの音楽ではないものの、打楽器奏者ブラッフォードを堪能するには格好のフォーマットだった。しかも 3m 前にドラムセットがあるという好席のおかげで稀代の打楽器奏者の技をかぶりつきで見れたのが素晴らしき体験だった。

その2日後はアースワークス。やっぱり音楽的にはこちらの方が楽しめる。ティム・ガーランドの重要性が増しグループが充実期に入ってきた印象だった。

このトリオのインプロヴィゼーションが好きなんだけど、このときは全曲スタンダードでがっかり。それはともかく、咳払いをするのも憚られるようなクラシックでも聴くかのような厳格な会場のムードで、本人もそんなムードがまんざらじゃないという感じで噂どおりナルシスティック。偉人と狂信的なファンだけが酔いしれる閉鎖的な空気に嫌気がさしてしまった。たぶんもう二度と行かないでしょう。

2004年6月11日、六本木サテンドールでの矢野沙織。今はこういうクラブではもう観れないのかな? メンバーは向井滋春(tb)、今泉正明(p)、佐瀬正(b)、瀧幸一郎(ds)。皆さん結構芸達者で楽しめた。矢野は MC のときは自信なさげにボソボソと喋っていていかにもまだ子供な雰囲気でしたが、アルトを吹き始めるとそれが変わるから面白かった。休憩時間にひとつずつテーブルをまわっていたのも初々しかったなあ。日本人のジャズもいいじゃないかと思ったけれど、7ヵ月後に見たベニー・ゴルソンを観てからやっぱり流れている血が違うというか演奏の余裕が違うというか埋めがたいギャップがあることを肌で感じてしまった。

3回目の東京JAZZは会場を変えて東京ビッグサイト。開放感はないけれど涼しく快適なところで見るのもいいかと思ったものの着席した時点で前途多難を悟る。前年までは背もたれ肘掛け付き大柄なイスだったのになんとパイプイス。横の人と肩をすり合わせながら丸1日のステージを観るのはかなり辛く、以降このイベントに行かなくなってしまった。よってあまり内容も記憶にない。夏のフェスティバルは屋外開催を望みたいところ。

ブルー・エアロノーツ・オーケストラ。当時は「スウィング・ガールズ」が大ヒット中というご時世もあってか女の子だけのビッグバンド。内容は記憶にない。

上原ひろみ。広い会場でオーディエンスの隅々まで凄さを伝えるほどのバンドではないというのが正直なところ。スケール感に乏しい。たぶん今はもっと良いバンドになっているんじゃないかなあ。

フライド・プライド。ごめんなさい。どヘタな歌に聴かせどころというものを知らないギタリストのパフォーマンスは退屈極まりなかった。これが実力派と言われてしまうところが日本の音楽の実情でしょう。

リール・ピープル。退屈だったので席を離れてウロウロしながら観てた。ロンドンのハウス・ミュージック系グループ。この種の音楽は肌に合わないけれどヒップホップほどは退屈ではなく一癖あるところが英国らしいとも思った。

TOTO。そう、あの TOTO。この日のラインナップの中では浮いていたけれど観客の年齢層がマッチしていたので結構ウケていた。でも内容はヒドかった。歌はヘタクソ、ギターはただ荒っぽいだけ。かつて優秀なセッション・ミュージシャンが集まってできたというテクニックは見る影もなし。これを某ジャズ専門誌で絶賛していた大物評論家もいましたが、こんなレベルのバンドで絶賛されたらまともなロック・バンドが可哀想。

クリヤ・マコト SUPER JAZZ FUNK PROJECT featuring 椎名純平。覚えてない。なんかナルシストっぽい人だなと思った程度。

セロニアス・モンク・インスティトゥート・オブ・ジャズ・アンサンブル。確かにモンクに通じる不思議な音楽を奏でるグループでしたが、熱さやグルーヴといった言葉とは無縁の空気が心地よく船を漕ぎ始める人もチラホラ。リオーネル・ルエケという、弾くというよりは音を出すだけのギタリストは僕には難しすぎてよくわからなかった。

ハービー・ハンコック・カルテット。メンバーはウェイン・ショーター、デイヴ・ホランド、ブライアン・ブレイド。ゲストで前出のリオーネル・ルエケも参加。内容は、簡単に言うと静かに展開される音数の少ないフリージャズ。船を漕ぎ始める人続出。退屈。

2005年1月29日のベニー・ゴルソン。映画「ターミナル」に出演したのに合わせるかのように来日。映画での紹介のされかたの通り、モダンジャズ全盛期を知る数少ない生き残りなので観ておかなくては、ということで行った。よって演奏にそれほど期待していたわけでなく、実際テナーの演奏もゆったりしたもので感銘を受けるものではなかったんだけど、"Whisper Not""Killer Joe""I Remember Clifford""Blues March"といったゴルソン・オリジナルが次々に演奏されるとやっぱり歴史の一部なんだなあと嫌でも実感させられるというもの。また、全体に余裕を感じる空気はやはり本物の黒人ミュージシャンでないと醸し出せないものであることも痛感した。

アルバムもリリースしていないのに突然の来日。ここ最近の来日公演とはメンバーをガラリと変えてのニュー・グループでヴォーカルとしてなんとジミー・ホールも帯同。内容はこれまでのジェフの歴史をたどる幅広い選曲でしたが、どうせヴォーカリストがいるのならもっと歌ものをやってほしかった。バンドの実力は高く演奏は安定していて良かった反面、目新しさがないのが寂しかった。それでもジェフのプレイはさすが。

実質はサンタナのグループにショーターとハンコックがゲスト参加した形。よってバンドの実力は高くサンタナのライヴとして十分楽しめた。驚きはマイルスの"In A Silent Way/It's About That Time"を完全に演奏したこと。はじまったときには我が耳を疑いましたが、これが聴けただけでもとても良い思い出。サンタナの曲で体を揺らしていた人たちは固まってたけど (追伸:このときはまだサンタナがジャズに近い人ということを知りませんでした)。

2005年9月25日のジョシュア・レッドマン。サム・ヤエルにジェフ・バラード、あとギタリストという4人編成。クラブという至近距離で観れる状況だっただけに大いに期待したのですが、以前、東京JAZZで観たときよりも全体に大人しく感じてなんか気持ちが盛り上がらなかった。

まさか生でクイーンの曲を聴くことがあろうとは。正直に言えばロジャーの衰え(モタるドラムに迫力が減退したヴォーカル)は隠せなかったし、やはり普通のロック・ベーシストでは柔軟なクイーンの演奏の良さを再現できないことを思い知らされた夜でもありましたが、久しぶりに歌えるコンサートだったというだけで新鮮だったかも。ポール・ロジャースのヴォーカルは相変わらず上手かったんですが、フリーやバッド・カンパニーの曲で盛り下がる観客が悲しかった。クイーンの曲を聴けた悦びとクイーンはもうないという悲しみが複雑に入り混じったライヴだった。

現代のジャズ・ミュージシャンでもっとも観たかったのがこのブラッド・メルドー。実際演奏は素晴らしく十分すぎるほど期待に応えてくれた。ジェフ・バラードの暴れっぷりも凄まじく、会場には感嘆の声すら上がっていたほど。確かアンコールを5回くらいやったはず。"Exit Music"を生で聴けて感動。観れてよかった。

ご存知、ロングランを誇るクイーンのミュージカル。演奏は生バンドによるもので、レッド・スペシャルを持った2人のギタリスト、ベース、ドラム、キーボード3人、パーカッションという編成。まあ、演奏だけ聴いたらたいしたことがないんだけど痒いところに手の届いたコピーぶりで、ミュージカルの伴奏としては十分。観客に演奏者が見えるのは新宿コマだけで、外国の公演では人目につかない舞台裏で演奏しているのだとか。舞台の方はというと、ストーリーは他愛のないものですが、そんなことはどうでもよくて出演者の達者な歌と踊りで十分楽しめた。意外と後期からの選曲が多く、歌詞(字幕が出る)も含めて改めて後期の曲の素晴らしさを認識した次第。とにかく娯楽に徹した作りはクイーンの本質を受け継いだもので、それこそが何よりも素晴らしい。ミュージカルと言うよりはロック・コンサートのノリで観客の盛り上がりも素晴らしく、コアなクイーン・ファンがこんなにいたんだと感じることができて非常に嬉しかった。この日はフレディの命日ということもあって、終演後、主役のピーター・マーフィーがステージに登場、みんなでもう一度 We Will Rock You を大合唱するという演出も。あと内容とはまったく関係ないんですが、この日、当日券窓口に並ぼうとしたら、僕より少し上の世代の女性が声を掛けてきて「娘が来れなくなったので差し上げます」とタダで観戦してしまった。しかも席はど真ん中の前から3列目(席は4列目から)。こんなに楽しませてもらって本当に感謝しています。

ニューヨークでジャズ・クラブを、3日で7件ハシゴしました。詳しくは「ジャズ・クラブ日記 Vol.1 (2007年)」を。

「そういえばロン・カーターってまだ観てないなあ。ご健在のうちに観ておこう」。それだけがチケット購入の決め手だった。だからそんなに期待もしていなかった。実際に観たら、その低い期待をも下回る演奏で参りましたね。特に酷かったのはタイミングも音程も外しまくっていたショーター。ハンコックはもう何も創造性があるなんて思っていなかったので想定範囲。お目当てのロン・カーターはあの電気増幅ベースの独特な音使いで「なるほど」という感じ。デジョネットはまあ堅実に楽しめた。最大の問題点は4人の間に緊張感がまったくなかったことで、とにかくこんなに退屈なジャズは初めて聴いた。どうせなら開き直って昔の曲ばかりやれば良かったのに、長くて小難しくて抽象的な曲まで演るものだから、もう本当に寝なかった自分を褒めてあげたい気分。アンコールの "Footprints" で、ロンがあのベースリフを刻んでショーターが入ってくるところだけは「おおっ、オリジナルぅ」と思ったものの、その感動は長続きしなかった。このコンサートで満足できた人は、この4人だったら何でもいいという人だと思う。当初の目的は達成できたのに虚しさだけが残った。

ジム・ホール・トリオ。2008年1月26日、六本木のビルボード・ライヴにて。全員白人によるシンプルなトリオ編成。ホールのギター・スタイルは昔と変わらず、スタンダードと比較的現代風の曲/演奏を織り交ぜ、しかし一貫した円熟のプレイを披露。激しさとは無縁ながら、なかなか観ることができないこのフォーマットならではの緩〜い「間」がなんとも言えない。会場の雰囲気も良く久し振りにジャズ・クラブのムードも楽しめまた。やっぱりジャズはクラブで聴くのがいいなあと再認識。もう少しジャズ・ミュージシャンをブッキングしてくれたらビルボードに足を運ぶ機会が増えるかも。

2008年5月6日〜12日まで再びマンハッタンへ。詳細は「ジャズ・クラブ日記 Vol.2 (2008年)」を。

2008年5月18日、ブルーノート東京の 1st set。9年半ぶりのタワー・オブ・パワー。エミリオ、ドクター、ロッコ、ガリバルディの4人以外は、当たり前だけど全員知らない。大代表曲をあえて外したかのように "You Strike My Main Nerve" "Get Yo' Feet Back On The Ground" "Time Will Tell" "It's Not the Crime" "(To Say the Least) You're the Most" "Ain't Nothin' Stoppin' Us Now" という渋めの曲が次々に出てくるのは楽しかった。そうかと思えば90年代の "How Could This Happen To Me" も演ったりして。正直なところ、演奏に往年の味を求めるの酷だけど、ステージがパワフルで楽しいのは相変わらず。アンコールの "Knock Yourself Out" は興奮しちゃったなあ。

80年代にアメリカのヒットチャートを席巻したこの2つのグループを、それから20年以上のときを経てダブル・ヘッドラインで観れるなんて誰が予想しただろうか。ある意味寂しいことではあるけれど、観る方には予想外の楽しみ方ではある。チケットはある程度売れていたものの、前日公演も含めて当日券が販売されていたことに時の流れを感じてしまう。

始めにリアルな話をしてしまうと、デヴィッド・カヴァーデイルの声の衰えは隠しきれない。それは80年代後半から見えていたとはいえ、今やただ叫んでいるだけで歌と呼ぶことさえ抵抗を感じてしまうほどそのヴォーカルはお粗末。はしゃいで奇声を発するだけの中年男では寂しい。アルバム「Serpens Albus」の後からロバート・プラント化、凡庸なへヴィ・メタル化した路線は今でも変わらない。ダグ・アルドリッチとレブ・ビーチのツイン・ギターを看板としたバンドの演奏は安定していて悪くないし、今のメンツに70年代の曲は合わないからという事情はあるとはいえ新曲も積極的に取り入れたセット・リストは今を生きるグループとしての気概が見える。

一方のデフ・レパードは、新曲は2曲だけであとは80年代全盛期のセット・リスト。特に「High And Dry」から3曲も演ったのは嬉しい誤算。もともと演奏レベルはたいしたことがないんだけど、その前にホワイトスネイクを観たこともあって余計につまらないと思ってしまった。

と、ネガティヴなコメントばかり並んでしまった。ではつまらなかったかと言えばまったく逆。久し振りのロック・コンサートでその空気感が新鮮に感じたこともあるけれど、彼らの全盛期の曲が素晴らしいことを再認識したから。パフォーマンスに観るべきものがなくても彼らが作った資産は色褪せていないことを再認識した。おかげで気持は20年前にタイムスリップ。楽しかった。

2009年1月4日、パット・メセニー・グループの 1st セット。メンバーはメセニーのほかに、ライル・メイズ(key)、スティーヴ・ロドビー(b)、アントニオ・サンチェス(ds)というレギュラー・メンバー。ファンに石を投げられそうだけれど、僕はギタリストとしてのメセニーはそれほどたいしたことないと思っている。メセニーの持ち味は、色彩感豊かなサウンドと卓抜した技術を持ちながらも控え目に支えるバックの演奏にある。つまりパット・メセニー・グループが、そしてそれを統率する音楽家としてのメセニーが素晴らしい。要はメイズとメセニーのサウンドこそが重要。この日はメセニー・グループ名義としては珍しくクラブでの公演、演奏を身近に楽しめるとなれば見る価値があるというもの。スタジオ盤より少なめの4人編成とあってサウンドの色彩感に陰りがあるかもという事前の懸念はまったく杞憂にすぎず、実に素晴らしいパフォーマンスを楽しめたのはやはりメイズがいたからでしょう。生で観るサンチェスのドラムはやはりさすがといえるレベルで、それだけでも満足できた。

5年半ぶりのブライアン・セッツァー・オーケストラ。席は3列目ながら右隅でトランペットとトロンボーンのセクションはPAに隠れてまったく見えなかった。全員で楽しげに盛り立てるあの姿が見れなかったのは実に悲しかったけど、その代りにセッツァーが何度も目の前に来てくれた。ロカビリーに人生を捧げてきた、いやステージに立っていることそのものが人生であるその人を目の当たりにしていると、そんな彼の生き様を全身で受け止めたかのような重みを感じて涙腺が緩んでしまう。中盤のトリオによるパフォーマンスに割いた時間が結構長く、その分ギターを堪能できたのも席が前の方だったから。ロカビリーにビッグバンドというアメリカの文化を体現する素晴らしいパフォーマンスに放心。

同じようなセットリストのライヴを重ねる近年のジェフ・ベックに少々落胆気味だったこともあり、今回の来日公演は見送るつもりでいた。しかし、エリック・クラプトンとのジョイントとなれば話は別。
先発はジェフ。1時間少々のコンパクトなステージとはいえプレイは冴えている。バンドの演奏もタイトで生で観るとやっぱりいいなあと思わせる。音量が控え目で席が良かったせいかこの規模の会場としては望外に音が良かったのも楽しめた要因。タル嬢との「ベース連弾」というサービスもこれまで観たことがない趣向で何よりも本人が楽しんでいるところが印象的。それでもやっぱりジェフにはもうちょっと新しい音楽をやってもらいたいという思いは残った。
一方で、これまでクラプトンにはほとんど興味を覚えたことがなく、なかなか良いギタリストだなと思っていた程度。それでも70年代までのクラプトンの音楽はいいなと思う。でも80年代以降は「ギターが上手いポップ歌手」にしか見えない。ステージは一人でアコギの弾き語りで始まり、7人のメンバーが揃ってからアンプラグド・ライヴがしばらく続くというマッタリ構成。ストラトキャスターに持ち替えてからもブルージーでポップな演奏に終始、マッタリしているところは変わらない。ところが、これが生で聴くと意外といい。こういうライヴもアリかもと思えるようになったのは自分の歳のせいか。想定外だったのはもう一人ギタリストがいて、そちらに多くのソロを弾かせていることで、しかもこのギタリストが実にイイ。やはりクラプトンはギタリストとして自分を表現しようという気持ちが薄いことがわかる。でもそれは必ずしも悪いことではなく、音楽家としてそういう在り方を選んだというだけのこと。この2人の選んだ道は近いようで果てしなく遠く、ロックという音楽の奥深さを感じてしまった。ステージは1時間弱で「すぐに戻ってくるから」というクラプトンのMCで終了。
短いインターバルを挟み、クラプトン・バンドに客演する形でジェフが登場。この2人が並んでいる姿を見るだけで何かこう、こみ上げてくる来るものがある。ブルースを基本にしたシンプルな演奏にジェフのギターが切り込む斬り込む。こんなにアツいジェフは初めて見た。そしてブルースを弾かせてもジェフでしかあり得ない鋭いフレーズで圧倒的な演奏を聴かせるのだから堪らない。クラプトンもいいプレイを聴かせるものの、終始大人な態度でバトルにはなっていなかったのは少々残念。それでもこの二人のプレイを同時に観れる(二人のセッションだけで40分くらいはあったはず)という歴史的な夜に立ち会えただけでも十分すぎるというものです。

2009年3月29日、テレンス・ブランチャード、ブルーノート東京の 1st set。最近のブルーノートは日曜日の 1st setをずいぶん早い時間(この日は16時開始)に設定している。個人的には大歓迎なんだけれど、年初に観たパット・メセニーが大盛況だったのと比べると、この日はフロアのテーブル席(それ以外はもちろん空席)で半分くらいしか入っていなかった。この時間帯だと飲食も控え目になるだろうし、この日のように客足が遠のけば、あってほしくないけれど方針変換もあり得るかも。
そのような余談はともかく、オーソドックス故に表現に新味を持たせることが難しい、トランペット、テナー・サックス、ピアノ、ベース、ドラムというクインテット編成でしっかりと現代のジャズを演りきったことを高く評価したい。知的でクール、しかし難解で長尺な曲はやや聴き手を選ぶものの、なかなかこういう質の高いジャズというのは聴けるもんじゃない。息苦しいと言っても差支えないシリアスなムードを緩和するためか、後半はフォービートの曲にしてConfirmationのフレーズも織り交ぜ、そしてその連続性にこの音楽が伝統の上に成立していることを見せつける。フリューゲンルホンを連想させるブランチャードの柔らかいトランペットの表現も抑揚があって素晴らしく、音楽全体をコントロールしているところも素晴らしい。こんなに良質な音楽なのにこの観客数とは日本のジャズ・ファンも見る目がない。ステージを降りるときに、ベースの男が通路脇で拍手している僕の肩をポンッと叩いて行ったのは、少ない観客の中、満足そうな表情をしていたからだろうか。

2009年4月25日、ブルーノート東京でジョシュア・レッドマンの 2nd set。近2作「Back East」「Compass」の路線を踏まえたピアノレス・トリオ編成でベースはリューベン・ロジャース、ドラムはグレゴリー・ハッチンソン。3人の絡みは緻密で計算された高度なもの、その代わりソロは自由に演りましょうというのがこのトリオの行き方のようだ。つまり絡み具合で言うとビル・エヴァンス・トリオのような有機的なものというよりは、オスカー・ピーターソン・トリオ的な統制の取れたスタイル。もともとジョシュアはソニー・ロリンズやオーネット・コールマンほどにはフレージングに幅があるわけではなく、それゆえにソリッドでタイトかつパワフルなスタイルが独自のトリオ表現へと昇華する結果となっている。ベース・ソロのスペースが多かったのにはやや閉口したけれど、3人の超高精度な演奏を前にしてみればそんなことは些細な不満に過ぎない。これまた現代ジャズのひとつのスタイルとして他では得難いカッコよさに圧倒されるライヴだった。

2009年7月6日、ブルーノート東京でファラオ・サンダースの 1st set。編成はオーソドックスなワン・ホーン・カルテット。ちなみに僕は特にファラオのファンではない。でも、コルトレーン・ミュージックの継承者が存命(御歳67歳)のうちに観ておこうという動機。ステージに登場するや怖いオーラを発散させているファラオが美しいバラードを歌い上げるところから始まる。以降、自分の勝手な想像とは違ってオーソドックスなフォービート・ジャズが展開され、そのサウンドもテナーの音色もどこかアトランティック時代のころのコルトレーンを彷彿とさせる。でも、それってちょっとどうなんだろう。他の人が演ったら「なんだコルトレーンじゃん」と馬鹿にされそう、でも、後継者だからいいか、というだけでは寂しい。フレージングにはスムーズさもないし、元より表現力で勝負するタイプでもない。しかも、音のバランスが気に入らないのか終始エンジニア氏に文句を言い、マウスピースを何度も気にしていて演奏に集中していない。更に、道ですれ違ったら目を合わせたくないほど怖い顔と鋭い眼光という外見なものだから不機嫌そうなことこの上ない。初日の最初のステージで気分も乗っていないんだろうかと観ている方がハラハラしてこちらも演奏に集中できやしない。そんなムードで気がつけばもう50分が過ぎて、ああ、残念なライヴになってしまいそうと観念しかけていると、"The Creator Has A Master Plan"が始まり、ファラオがマイクを取って歌い始め、腰をくねらせはじめる。僕の苦手なファラオのリーダー作の曲、しかし、これまでのムードとは急転してファラオが俄然ノッている。これが楽しい。これまでのフラストレーションはどこへやら、ファラオ・ワールドに一気に惹き込まれてしまった。そうか、これがファラオ・サンダースの音楽だったんだと肌身に感じることができたことでこれまでの不満は吹っ飛んでしまった。正直、ファラオのリーダー・アルバムは聴く気にならなかったけれど、ようやくこの世界が分かってきたような気がする。やっぱり生で見てこそ本質が見えてくるということってあるんだなと再認識。これだからライヴはやめられない。
(追記)どうやら音のバランスを執拗に気にするのはよくあることらしいです。尚、某掲示板によるとセットリストは以下の通り。
1. Greatest Love Of All
2. Lazy Bird
3. A Nightingale Sang In Berkeley Square
4. Just For The Love
5. The Creator Has A Master Plan
6. Highlife

ロンドン・パリ旅行で行ったライヴなど、3公演。
2010年9月26日、ロンドンのロニースコッツ。ジェフ・ベックの映像&音源でロック・ファンにも有名になったこのクラブは、ロンドンのジャズ・クラブの老舗でマイルスやショーターなどの大物などが数多く出演していたところ。外国のジャズクラブとしては広い方で200人くらいは入りそう。しかも、どの席からでも見やすそうで非常に良いシート・レイアウト。客の入りは半分くらい。ちなみに、食べたバーガーはあまり美味しくなかった。この日は月に一度の Funk Affair の日。黒人ヴォーカル、ルイズ・ポロックという女性ヴォーカル、エレピ、ベース、ドラム(ジャミロクワイのデレク・マッケンジー)、曲によって3本の管楽器が加わるという編成。演奏は70年代ファンクの再現で、演奏もかなりグルーヴィかつハイレベルで非常に楽しかった。特にドラムは非常に巧くてこう言ってはなんだけどジャミロクワイのドラマーにしておくのは勿体ないくらいだった。翌日以降の旅行の予定が詰まっていたので1stセットで退場したけれど、ほかの客は誰も帰る様子がなかったのでそのまま次も見れそうな雰囲気だった。
9月27日、ロンドンのトッテナムコートにあるドミニオン・シアターでミュージカル「We Will Rock You」を観劇。かなり年季の入った古い劇場で、自由に席を選べることをいいことに3列目の中央をインターネットで予約していたものの、ステージの位置が大変高く、常に見上げる形になって辛かった。たぶん10列目くらいが見やすいのではないかと思われる。英語が予想以上にわからず困ったけれど、パフォーマンスは楽しめた。4年前にコマ劇場で観たオージー・キャストの方が個人的には好き。平日とあって観客の入りは6割程度で50歳以上のシニア層が目立っていた。盛り上がるというよりは気軽に楽しむミュージカルとして親しまれている雰囲気で、コマ劇場のような熱心なファンの集まりとはだいぶ趣が違う。でもこれこそが、英国では誰でも知っているクイーンの親しまれているミュージカルということなんでしょう。
10月2日、パリのデュック・デ・ロンバール(Duc Des Lombards)。ここは100人くらいがキャパのちゃんとしたジャズ・クラブ。吹き抜けの2階もあってそこでも演奏が聴ける。食事はパリの食のレベルを考えるとマズい。出演は出演はバプティスト・ハービン・カルテットという、アルトサックス奏者のワン・ホーン。正直なところ二流レベルのアルト。時にフラジオ奏法を混ぜてのまずまずの熱演75分だったけれど、ドラムもイマイチで、比べちゃいけないんだけどニューヨークのクラブよりレベルが低い。救いは左手でもアドリブを取るピアニストがまあまあ良かったことくらい。パリはジャズの街と言われるけれど現代でそれを感じさせるミュージシャンは知らないし、現実を見てますますその印象が強くなってしまった。確か45ユーロくらいした記憶があるけれど、このレベルならマンハッタンなら20ドル以下で見ることができる。
(番外編)
9月25日。ロンドン・バービカン・ホールでクラシックの生演奏を初体験。ワレリー・ゲルギエフ指揮のロンドン交響楽団で曲は「カルメン」と現代音楽(ステージに上がった作曲家と曲名は失念)、そして「展覧会の絵」。遅刻してカルメンを聴けないという失態を犯したのは今でも後悔しているけれど、初めて聴く生のオーケストラの音の美しさと迫力はかなりのインパクト。ちなみに演奏の良し悪しまではまるでわかっていない。「展覧会の絵」の最初のトランペット・ソロ、出だしで音を微妙に外していたのはちょっとした驚きでクラシックでもこんなことがあるんだ、と思った。

ボズを除くオリジナル・メンバーでバッド・カンパニーが再結成。これまでも一時的再結成はあったものの人気のあるアメリカに限定、しかし今回はなんと日本にまで来てしまった。ところが来日直前にミック・ラルフスが手術のために日本ツアー参加をキャンセル、もともとサポート・メンバーとして帯同する予定だったハワード・リースの一人ギター体制でツアーを敢行することに。プロモーターの売り方が「オリジナルメンバー」であったためか払い戻しまで受け付けていたけど恐らく応じた人は少なかったのでは? 内容は、結論から言うとイマイチであった。ポールは声も巧さも相変わらずだったものの少々雑で気持ちがうまく噛み合っていない感じで、サイモン・カークは生で見ると決してウマくないのが改めてわかってしまう。しかも、アンコールを入れても80分弱くらいという淡白さで、2曲目に "Can't Get Enough" を早くも持ってきたセット構成は裏目、CD 「Hard Rock Live」に収録されている "Run With The Pack" "Live For The Music" "Good Lovin' Gone Bad" も演らないのでは不満のひとつでも言いたくなるってもんだ。とはいえ、ポールの生歌で聴ける数々のバドカン・ナンバー、往年ほどではないにしてもやっぱりカークならではのリズム感ですべてが正当化されてしまう。これがスタイルを確立した者の強みだろう。そうなると、あまり影響がないと思っていたラルフスのヘナチョコなギターがなかったというのが本当に惜しまれてしまうのである。

2011年1月14日、ブルーノート東京にてマッコイ・タイナー・トリオ・ウィズ・スペシャル・ゲスト・エリック・アレキサンダー&ホセ・ジェイムズ、“ミュージック・オブ・ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン” という企画の 1stセット。 一度は生で見ておこうのひとり、マッコイ・タイナー。目的も「見ておこう」だからして、72歳の演奏そのものには特に期待していなかった。それでも指の動かなさ、リズムのもたつきは目に余るものがあり、「あのマッコイ」ということを抜きにはお金を取る価値がないくらいピアノは酷かった。当然、バンドのメンバーも常にマッコイがついてこれているかを確認しながらの演奏となり、もはや評価云々という話ではない。それでも、ピアノのトーン/タッチは確かにマッコイそのもだったから、それを生で聴けただけで今回の目的は叶った。
そもそもの企画である、ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマンはまずは横に置いておいて"Fly With The Wind"でスタート。トリオで2曲目、3曲目に「The Real McCoy」収録の "Blues On The Corner"を演奏したあと、ホセ・ジェイムズが加わって「再現」が始まる。歌は巧いことは巧いけれどズバ抜けて巧いというところまでは行っていない。でも、この人の歌、声には色気がある。ルックスも良く、生で楽しめるヴォーカルだと思った。そして耳馴染みの曲にコルトレーンそのもののトーンで吹くエリック・アレキサンダーのテナーが素晴らしい。つまり、名誉職マッコイを立てながらも企画通りに楽しめたライヴだった。

2011年2月20日、ブルーノート東京にてロイ・ハーグローヴ・クインテットの2ndセット。個人的にはロイ・ハーグローヴに特別な思い入れがあるわけではないものの、最近、オーソドックスで骨太なジャズが聴きたいという思いが溜まっていた。そんな思いに応えてくれるだろうと期待してのライヴ。オーソドックスなクインテット編成、しかも全員黒人というのはいまどき珍しい。始まってみると、いかにも現代のメインストリーム・ジャズという演奏。安易に普通のフォービートにはせず、以前観たテレンス・ブランチャードほどではないにしても少々小難しい。演奏レベルは全員ハイレベル。実は最近観てきたライヴの演奏レベルはイマイチなものばかりでストレスが溜まっていた。それをすべて吹き飛ばしてくれる素晴らしさ。プロたるもの、このくらいの演奏はしてほしい。演奏は徐々に熱を帯び、火を噴くようなブローも飛び出す。ハーグローヴ自身のヴォーカル(ま、そんなに上手くはないけど)も交えながら、曲もR&B的な方向に転換、わかりやすいエンターテイメントになっていく。正直に言うと、あえて王道的なフレーズを避けているかのようなハーグローヴのソロは決め手に欠けるし、アルトのソロもやや単調だったという思いもある。でも、これだけの熱さで王道的なジャズを演ってくれたんだから大満足。いやー、久しぶりにいいライヴを観させてもらいました。
Roy Hargrove (tp,flh)
Justin Robinson (as)
Sullivan Fortner (p)
Ameen Saleem (b)
Montez Coleman (ds)

5月4日、ラ・フォル・ジュルネでオリヴィエ・シャルネ(ヴァイオリン)、アンリ・ドマルケット(チェロ)、エマニュエル・シュトロッセ(ピアノ)による、ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ op.40、ラフマニノフ:ロマンス op.6-1、ラフマニノフ:ヴォカリーズ、ラフマニノフ:悲しみの三重奏曲第1番を。初の室内楽系も生音の素晴らしさが身に染みた。あとはヴァイオリニストの鼻息が荒かったことも。
5月5日、清水和音(ピアノ)、ジャン=ジャック・カントロフ指揮、シンフォニア・ヴァルソヴィニアによる、ラフマニノフ:ヴォカリーズとラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番。
もうひとつ、児玉桃(ピアノ)、フェイサル・カルイ指揮、ベアルン地方ポー管弦楽団による、ショスタコーヴィチ:バレエ組曲第1番とチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。
共に生オケの素晴らしさを堪能したのに加え、クラシックに疎くても知っているチャイコの第2番がこんなに素晴らしい曲だということを始めて認識した。このイベントはいろいろ聴けてチケット代もほどほどなので楽しい。

ここまで一連の流れからは想定できない系列のグループなのは、実は妻のお付き合いで行ったから。この種のグループのライヴに行ったのも初めてでいろんな意味で新鮮だった。ハードロック系を見てきた身にはナヨナヨした男ばっかりで相当頼りなく見える。元来、演奏技術を云々するバンドではないし、2時間もたせるほどの曲の幅も演奏の深みもない。それでも、伝統的な英国ロック・ポップを、伝統芸として、しかも何の気負いもなく演っている姿が実に潔い。勿体ぶったグループ名とアルバム・タイトルから気負った気難しい英国人をイメージしてたから大違い。いやむしろここまで気負いがない人たちも珍しく、どうしても必要とも思えない弦楽器奏者を5人もわざわざ連れてきているのも、こだわっているんだか何も考えていないのかさっぱりわからないところが面白い。いい意味での究極のアマチュアイズムで成り立っている奇妙な草食系バンド。意外と歳をとってから聴けるバンドなのでは?

2011年7月22日、ローマ・オペラ座でヴェルディの「アッティラ」を観劇。指揮はリッカルド・ムーティ。正直なところオペラに関心があったわけでもないんだけれど、せっかくローマに来たのでということでの観劇。主役級4人の歌の力強さには圧倒されたし、劇の雰囲気にも満足。月並みだけれど、人の声の力って凄いと思った。

2012年5月27日、ブルーノート東京にてゲイリー・バートン・カルテットの 1stセット。
Julian Lage(g)
Jorge Roeder(b)
Antonio Sanchez(ds)
正直なところ、「まあ、一度くらい見ておいてもいいかな」くらいの思いと、アントニオ・サンチェスなら行ってみようかという軽いノリで行ってみた。ニュー・カルテットでアルバムを出した後での来日だったからなのか、まずバンドとしての充実度、完成度とフレッシュさが漲っていて、期待以上どころかこれまでに観たライヴの中でも指折りのパフォーマンスと断言できる素晴らしさに終わってからも余韻が抜けなかった。とかくビッグネームのライヴは、演奏家としてのピークは過ぎていて、貫禄と看板を楽しむ趣があるもの(それはそれで悪くない)だけれど、バートン自身の演奏も含め、このカルテットの発するオーラは現役一線級の凄み。それでいて良い意味での余裕がある。サンチェスのドラムは期待通りのハイレベル、ホルヘ・ローデールの安定感とテクニックも良かったけれど、セミアコースティック・ギターのジュリアン・レイジのテクニックと自分のカラーを持ったフレージングはまさに逸材と呼ぶに相応しい。観ておいて本当に良かった。これだからライヴに行くのはやめられない。

3回のアンコールを含む約2時間の熱演。1曲目からこのトリオでしかできない有機的なインタープレイの応酬を見せつける。最新作「Ode」の曲は演らず、新たなピアノ・トリオの高みを目指すかのようなチャレンジングな演奏が続く。ポール・マッカートニー"My Valetine"、ビートルズ"And I Love Her"、ビーチボーイズ"Friends"をオリジナリティ豊かに料理。しかしながら、曲調はすべて拍を取れない曖昧なリズムのものばかりで、バランスを欠いていたのは否めない。それはメルドー自身が狙ったものだったんだろうけれど、舟を漕いでいた人をチラホラ見かけたのも事実。ポップな"Wonderwall"や、オーソドックスな"C.T.A"のような曲を混ぜてバランス良くやって欲しかったというのが本音である。スピーディな曲がなかったために本領を発揮していたとは言い難いながらもジェフ・バラードのドラムは多彩であり、安定してぶ厚いベースを刻むラリー・グラナディアの腕前は流石だった。このトリオの集大成的な演奏が聴けるのでは?という期待とは違っていたため、不満が残ったのも事実ながら、グラナディアのアルコ弾きをフィーチャーしたメルドー自作曲のオリジナリティなどに聴きどころは確かにあって、お金を払っっただけの価値は一応あったとは思う。
SET LIST
Great Day (Paul McCartney)
Friends (Brian Wilson)
Sanctus (Brad Mehldau)
And I love her (Lennon/McCartney)
Ten tunes (Brad Mehldau)
My Valentine (Paul McCartney)
<Encore>
Untitled (Brad Mehldau)
Holland (Sufjan Stevens)
Cheryl (Charlie Parker)

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲〜ヴェヌスベルクの音楽(パリ版)
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデより 前奏曲と愛の死
ブルックナー:交響曲第3番(1889年第3稿 ノーヴァク版)
(アンコール)マイスタージンガー第1幕前奏曲
まだクラシックを聴き始めたばかりだった、これより半年前ころに海外の一流オケを聴きたいと思ってチケットを購入。その頃、なんとなく良さがわかってきたベートーヴェンのプログラムは悪い席しか残っていなかったので、やはり気に入っていたタンホイザー序曲を演奏するこの日をチョイス。メインのブルックナーは当時は3番は聴いたことすらなかった。その後4ヶ月の予習期間を経て当日を迎える。
まずはワーグナーのタンホイザー序曲から。ドイツ一流オケの美しさと力強い鳴りに心が満たされていく。トリスタンとイゾルデのようなゆったりとした曲でも緊張感が高く優雅。そして休憩を挟んでブルックナーの第3番。
始まってすぐ、それまでとまるで違う空気に支配される。更に高い緊張感とスケールの大きな鳴り。最初に3分で「これはただ事では済まない」という予感が走る。噂どおり、恣意的にテンポを揺らし、ゆったりと大きな表現をするマゼールの指揮がスケール感を更に広げていく。およそ1時間の曲に中だるみなど皆無で、壮大なフィナーレまで圧倒されっぱなしだった。一体感があり、手堅いように聴こえながらも優雅な音を奏でるだけでなく音圧も凄まじい。
まだ心の底から良いと思っていたわけではなかったブルックナーの楽曲について「そうか、こういう音を表現したかったのか」と、より深く理解できるようになったのも大きな収穫。もともとワーグナーやブルックナーを得意とするミュンヘンフィルを、やはりブルックナーで実績のあるマゼールが振る。今回の日本公演では3つのプログラムを用意していて、ワーグナーとブルックナーで固めたこの日の演目こそが一番の見せ場だったんじゃないかと思う。チケットを買ったときはそんなことをまったく知らなかったんだから本当に運が良かったとしかいいようがない。

2013年5月4日、5日、国際フォーラムにおいてラ・フォル・ジュルネ 2013 「パリ、至福の時」で3公演。
【1】
指揮:川瀬賢太郎、読売日本交響楽団による、デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」とサン=サーンス「交響曲第3番オルガン付き」。(以上、ホールA)
【2】
ヴァイオリン:デボラ・ネムタヌ、指揮:フェイサル・カルイ、ラムルー管弦楽団による、サン=サーンス「序奏とロンド・カプリチョーソ」と「ハバネラ」、デュカス「魔法使いの弟子」、シャブリエの狂想曲「スペイン」。(ホールA)
【3】
ピアノ:児玉桃、指揮:パスカル・ロフェ、フランス国立ロワール管弦楽団による、ラヴェル「左手のため協奏曲」と「ダフニスとクロエ第2組曲」。(ホールC)

初めて日本のオケを聴いた。これは仕方がないとはいえ若い指揮者には貫禄がなく統制しきれていない印象。演奏はホールAという音響に不利な会場であることを差し引いても力不足は否めず。不揃いで荒い金管の響きが美しさをスポイルしてしまっていたのも残念。
翌日のラムルー管弦楽団(女性が多くて見た目も華やか)では1階席で音が上に抜けてしまうという更に悪い音響条件であったにもかかわらず、音は豊かで演奏の技術もまとまりも遥かに上。偶然、同じ曲を聴いたこともあり、指揮者とオケの基礎体力の違いを感じてしまった。特に「スペイン」は3拍子のスウィング感が大胆で、とても楽しい演奏。生演奏はこうでなきゃという醍醐味があった。
最後のロワール管弦楽団はベテランが多い編成で落ち着いた雰囲気。児玉桃に明確なミスタッチが見られたのは残念だったとはいえ、左手だけのピアノ演奏の妙技を楽しめた。2曲ともラヴェルの色彩感豊かな曲調を迫力たっぷりに、しかも余裕をもって演奏していたところはさすが。
クラシックの王道であるドイツ、オーストリア系のものを中心にロシア系のものまでしか目が行き届いていないのが現時点での自分のクラシックの世界なので、フランスものは後回しになっているんだけれど、だからこそ今年のラ・フォル・ジュルネの企画は興味を持って行ってみた。フランスものは、ドイツ系クラシックとはまったく異質の魅力があり、そのカラフルかつ小粋で楽しい音世界は他で得られないものであることを実感できて大変楽しい経験だった。観たフランスの楽団は決してトップクラスではなかったのかもしれないけれど、それでもこれだけ豊かな音楽を奏でることができるんだから自国文化の底力というのは凄いと感じ入った次第です。

ベートーヴェン:交響曲第7番
ブラームス:交響曲第1番
(アンコール)
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
知名度、格といった部分でそれほど高い評価を受けているまでは言いがたい指揮者とオーケストラ。名を成した指揮者、オケの公演と比べると大変良心的な値付けなところに却って不安を感じつつも、ドレスデンの地に根付いたドイツ・オケの伝統芸みたいなものががきっとあるのではないかという思いと、自分にとって横綱、大関クラスくらい好きな2曲を同時に聴けるプログラムに惹かれて行ってみた。
最初はベートーヴェンの7番。ヴァイオリンを左右両翼配置にしたレイアウトは始めての体験。この7番は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの役割分担が結構ハッキリしていて、両翼配置の効果が良く出ていたように思う。また、CDで聴いているときはあまり気付いていなかったんだけれど、ヴァイオリン以外の各楽器の役割分担もハッキリしていて、生で見ているとそれぞれのパートの役割が良く見えて、オーケストレーションの構成をより理解できるところが面白かった。演奏は、貫禄タップリとまではいかないものの、しっかり地に足がついたもので、まとまりがあり、指揮者の統制がしっかりと利いている印象。弦の音は優雅は言い過ぎにしても十分に美しく、見せ場の多い木管、金管も安定しているように感じた。明るく爽やかでメリハリがあって若々しく、第4楽章のスピード感はなかなかの見せ場だった。
ブラームスの1番になると、ヴァイオリンを含めオーソドックスな配置に変更。2曲とも見せ場が多い大事なパートのオーボエ奏者が交代、コンマスはコンミスに交代、編成も増えてより重厚な音に変貌。曲の変化でここまでサウンドが変わってくるのは初めての経験。ベートーヴェンと比べるとオケの楽器の使い方がまるで違うことがとてもよくわかる。乱暴な言い方をすると、パートごとの構成を積み重ねて曲を紡いでいたベートーヴェンに対し、オケ全体で大きな音の塊を構築するブラームスという感じ。ちなみに何方かのツイッターによるとベートーヴェンの7番は「両翼配置、ほぼノンビブラート、古楽ティンパニ(ブラ1では違うセット)を使用した古楽的アプローチ」だったそうで、ブラームスとオケの響きがだいぶ違っていたのはその影響が大きかったのかもしれない。
ハンガリー舞曲5番は、テンポをかなり大げさに揺り動かして遊び心たっぷり。アンコールはこのくらい遊んでもらった方が楽しい。ドイツ・オケによるドイツ名曲プログラム、期待通りに楽しめた。

ブラームス交響曲第2番
ブラームス交響曲第3番
指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。
国内オーケストラも一度しっかりと聴いてみようと、N響定期公演に足を運んでみた。
結論から言うと、これまでに見た外国オケと比べるとやはり見劣りするのは否めない。トランペットとホルンは、一気にフォルテに立ち上がるような場面で音がふらつくなど、不安定なところが耳につく。木管は乱れこそないものの音に余裕がなく木管ならではの芳醇さがない。弦楽器は響きの豊かさがもうひとつ足りないし、オケの聞かせどころである合奏時の一体感が出ていない。ティンパは音を引き締める役割を担えず、不安定感を増長してしまっている。指揮者が国際レベルでも、オケの地力の低さ、足腰の弱さは如何ともしがたいとうのが正直なところ。決して世界で一流の評価を受けているとは言い難いドレスデン・フィルや、ラ・フォル・ジュルネで見てきたような無名海外オケと比べても確実にレベルは落ちる。僕はジャズでも、日本人の演奏は基礎体力が低くて観ないんだけれど、同じようなものをオーケストラに感じてしまった。やはり西洋の文化を自分のものにするというのは至難の業で、ましてやオーケストラとなると数人ががんばれば壁を越えることができるというものではないというのがハッキリと見えてしまった。とはいえ、その分チケット代は大変リーズナブルであるので、生のオーケストラの音を感じる機会としては悪くないとも思う。実際、ブラームスの3番の曲そのものの良さを見直したのはやはり生の管弦楽の音のおかげだったのだから。

ワーヘナール:序曲「じゃじゃ馬ならし」
ストラヴィンスキー :「火の鳥」
チャイコフスキー:交響曲第5番
(アンコール)チャイコフスキー眠れる森の美女「パノラマ」
この年、この月の東京は凄いことになっていた。月初からヤルヴィ&パリ管、続いてティーレマン&ウィーン・フィルが来日、先週から今週にかけてはヤンソンス&コンセルトヘボウとラトル&ベルリン・フィルがバッティングしている。キャンセルになってしまったけれど、先月はアバド&ルツェルンまでもが来ることになっていた。オーケストラ世界のTOP3として長年確固たる地位を保っている3つが揃い踏みでチケット代は大変高価にもかかわらず、ウィーン・フィルとベルリン・フィルは取れず、やむを得ずコンセルトヘボウを選んだ。ちょっとしか聴いたことがなもののヤンソンスはアッサリしていて面白みに欠けるというのがそれまでの印象。
最初にあまり馴染みのない「じゃじゃ馬ならし」。短いけれど、忙しく各楽器の見せ場がある楽しい曲。こういう曲は正確さよりもオケ全体が小気味良くスウィングしないと曲の楽しさが出ない。それを余裕たっぷりで聴かせてしまう懐の深さにすぐに圧倒されてしまった。いや、始まって30秒でもう「これはリッチな音楽だな」と思わせるほど、聴いたことのないような芳醇な音が出てくる。
リズムにキレがあって統率性も圧巻、金管はきらびやかなのに主張しすぎることがなく正確で整った音(特にホルンが上手かった)、木管は揃いも揃って美しく芳醇な音色を奏でる。弦の見事な揃い方と美しさはこれまでに聴いたことがない。世界の一流オーケストラというのはここまで素晴らしい音がするのかと感動する。聴き始めて数分で「ああ、これは凄い」と思ったのは春先に観たミュンヘン・フィル以来のこと。
もともとそれほど好きなわけではない「火の鳥」も、複雑な展開を余裕たっぷりにこなしてしまうだけに悪いはずがない。ダイナミックレンジが広いこの曲の真の姿が見えたような気がする。
そしてチャイコフスキー交響曲第5番。これ目当てに来ただけにそれまで2曲よりはある程度の期待値を持って聴いた。思ったよりゆったりと始まり、弦が加わってくると音楽が躍動してくる。薄味と思っていたヤンソンス、特徴がないと思っていたコンセルトヘボウの音は、自身の知識と感性が不足していただけなんだと痛感する。それにしても第2楽章のスケールの大きさ、美しさはなんなんだろう。フィナーレの盛り上げ方もわざとらしくなく自然に、それでいて雄大に高揚させる。
いや、参りました。オーケストラ音楽というのはこんなに凄いものかと。そしてヤンソンスはアッサリ味でもとても上質さがあるということを痛感しました。これまでに聴いた中でオケのレベルは間違いなくNo.1。

ベートーヴェン バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲
ブラームス ピアノ協奏曲第1番 (ピアノ:エレーヌ・グリモー)
(アンコール)ラフマニノフ絵画的練習曲「音の絵」
ブラームス 交響曲第4番
(アンコール)エルガー「朝の歌」
まずは肩慣らしの「プロメテウスの創造物」序曲。最初から力感溢れる音が出てきて少々驚く。演奏はダイナミックで、さすがに前日のコンセルトヘボウと同等とまではいかないもののオケの技量にも不足をまったく感じない。弦の音も綺麗で良く鳴っているし、木管も金管も安定していて安心して聴ける。日本のオケとは比べ物にならないくらい音が豊か。
グリモーのピアノ協奏曲第1番は、同じくネルソンス指揮のバイエルン放送交響楽団で新譜をリリースしたばかり。オケの格落ちを勝手にイメージしての鑑賞だったけれどこちらも不足感はまったくない。ピアノをダイナミックにサポートし、CDでは味わえない深い響きに包まれる。第1楽章の導入の厚みなどなかなかのもの。グリモーの演奏は、CDで所有しているエミール・ギレリスのような重厚さこそないものの端正で瑞々しい。独奏部が多い第2楽章は、出番控えめのオケの広がりも相まって美しい。勢いづく見せ場の第3楽章は期待通りにブラームスらしい重厚なオケの推進力と細身のグリモー渾身の打鍵。いいモノ聴かせてもらったという気持ちで満たされる。
そして、メインの交響曲第4番。若い指揮者なのでスピーディにやるのかと思ったら出だしはかなりゆったりと。ここまで遅くねっとりとした進め方は他では聴いたことがない。でもこの曲には合っているし、オケの響きが良いので優雅に聴こえる。何より弦の音色が美しい。木管は全体に整っていて綺麗だし、金管も安定している。席の位置によるものかティンパニはかなりの迫力をもって響く。この曲を味わうのに申し分のない音色が嬉しい。ネルソンスはドンドンと足を踏み鳴らし、時に指揮台からこぼれ落ちるんじゃないかと心配になるほどのがぶり寄りと横移動(ツイッターでどなたかが「紙相撲のよう」と上手いこと言っていて笑ってしまった)。オケはスケールの大きい雄大なサウンドで指揮者の鼓舞に応える。こういうのを熱演と言うんでしょう。第1楽章、第4楽章は最初ゆったり、最後は快速にという盛り上げ方。第3楽章の迫力も見事。細かいあら探しをするよりも、正対して音楽そのもを受け止めたくなる。強いて言えばこの曲としては陰影のようなものが足りないかもしれないけれど、立派に音楽を鳴らしきっていて若々しい。
皇太子ご夫妻がも鑑賞された格調高い前日のコンセルトヘボウに対して、シャツ姿の指揮者やアンコール前にヴィオラ主席(奥様が日本人らしい)に日本語で曲紹介させるなどアットホームかつ笑いに包まれた雰囲気はある意味正反対で指揮者の個性が良く出ていたんじゃないでしょうか。

2014年1月2日、ブルーノート東京にて HIROMI THE TRIO PROJECT featuring Anthony Jackson & Simon Phillips の 2nd セット。
上原ひろみはライヴに行こうかと思うにはあとひと押し足りないというのが僕個人の勝手な思いだった。しかし、ブルーノートで観ることができるとなれば話は別。
複雑な曲展開と変拍子を多用しながら一糸乱れぬ演奏はさすがと唸らせるに十分。アンソニー・ジャクソンはスタジオ盤同様控えめながら、ライヴらしくより自由な演奏で6弦ベースの妙技を堪能できた。サイモンは相変わらず左右の手足を自由自在に使いこなして複雑かつシャープなドラミング。有名グループでの代役やセッション・ドラマーとしての仕事ではなく、サイモン・フィリップスのドラムを求められてのグループに参加なだけに思う存分叩いてくれる。それを5メートル前で観れるのだから堪らない。
新曲を4曲も披露し、いずれもトリオとして更なる進化と深化を感じさせる演奏になっていることは少々驚いた。このメンツで長期活動は難しいだろう、アルバムもおそらく2枚で終わりなんじゃないかと勝手に思っていたんだけれど、4曲を聴くと次のアルバムも作る気であることがヒシヒシと伝わってくる。
ただ難を言えば、ジャズクラブという箱においてはサイモンのロック・ドラミングはラウド過ぎでピアノの音をかき消してしまう場面も少なくなかった。スタジオ盤の絶妙なバランスは失われてしまっている。でもたぶんそれは上原ひろみもわかっているはずで、そんなバランスよりも生演奏の勢いを採っているんじゃないかと思う。ピアノもスタジオ盤のような構成力よりも勢いを重視したものだったし、スタジオ盤とライヴは切り離して考えているに違いない。年明け一発目のライヴ、幸先の良いスタートです。

【演目】
メンデルスゾーン 序曲「ルイ・ブラス」
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲(五嶋みどり)
(アンコール)J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
1曲めはメンデルスゾーンの「ルイ・ブラス」。音が出てきてすぐに本場ドイツオケの整った響きが安心感を呼ぶ。短い曲だけれど、交響曲に劣らないオーケストラのスケールを要求する曲で、軽快で華やかなメンデルスゾーンらしい響きを味わえる。音色はあまりツヤや華やかさはないけれどそこは老舗オーケストラの特徴なのかもしれない五嶋みどりをソリストに迎えたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。大股で堂々と立ち、体をくねらせながら何かに取り憑かれたかのようにヴァイオリンを弾く姿はテレビで観た通り。その見た目とは裏腹に出てくる音は清楚で決して過度な情念を上乗せしたようなものではないところはCDで聴いた通りの印象。僕はまだ技術的なところはわからないけれど、それでも良い演奏であることは感じ取れた。五嶋みどりのソリストとしての力量はむしろアンコールのバッハの無伴奏の方で、まともにヴァイオリン・ソロを聴いたのは初めてということもあってなかなか良かった。そしてメインはショスタコーヴィチの交響曲第5番。ちなみにシャイーとゲヴァントハウスと言うと、ベートーヴェンやブラームスの交響曲全集の快速テンポによる演奏のイメージが強く、ここでも同じような演奏が展開されるかと勝手に予想していたら、冒頭からゆったりと重厚な入り方。それでも重々しいところまではいかないところがシャイーの表現ということか。この曲に入ってから俄然オケの鳴りが充実してくる。豊かなダイナミクスとカッチリとした合奏能力が素晴らしい。フルートをはじめ木管の美しさは特筆モノだし、金管の鳴りっぷりとティンパニの強打は迫力たっぷり。少し渋めのサウンドがショスタコーヴィチの曲によく合っている。反面、バーンスタインの演奏のように情念を感じさせるものはあまりなく、最終楽章を予想外に遅いテンポでゆったりと進めても現代風のスマートさがある。これはこれでひとつの素晴らしい演奏だったと思う。

ラ・フォル・ジュルネ 2014で4公演。
5/3(土)
【1】
指揮:小泉和裕
演奏:東京都交響楽団
演目:ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」(ホールC)
会場:ホールC
【2】
演奏:プラジャーク弦楽四重奏団
演目:ベートーヴェン弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」
ベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」
会場:ホールB7

5/4(日)
【3】
演奏:ボリス・ベレゾフスキー(p)
アンリ・ドマルケット(vc)
ドミトリー・マフチン (vl)
演目:ショパン チェロ・ソナタ
ショパンピアノ三重奏曲
会場:よみうりホール
【4】
演奏:トリオ・ヴァンダラー
演目:シューベルト・ピアノ三重奏曲第2番
会場:ホールB7

【1】
これまで日本のオケの実力に疑問符を投げかけてきたものの、まだ聴いたことのない都響で会場はホールC、そして大好きな「英雄」というわけで選んでみた。席が1階の8列目と近かったこともあってか従来の日本のオケに感じなかった楽器の鳴りっぷりの良さが嬉しい誤算。厳しく見ればそれでもまだもう一声オケの一体感と迫力が欲しいし、傷こそなかったものの金管は余裕がなかったことも事実だけれども、コンマスの熱の入り様もよく、好演だったと思います。生で観るとオケの動きがわかっていい。指揮者の棒捌きは地味で観ていて面白いとはいえず・・・。テンポが全体に遅く、ピリオド・スタイルとは真逆の演奏で、やや間延び感が(特に第2楽章)。

【2】
初めてのB7ホールは約800人収容で、演目からある程度人気を得ているが故の広めの会場。席は後方で、演奏が始まると音がかなり遠い印象。というか音楽演奏のためのホールではなく音がかなりデッドで音がほとんど響かない。ステージが低く視覚的にもよろしくない環境で後方席はちょっとキツかった。演奏は悪いとは思わなかったんだけれど、会場のマズさに閉口。このときはこんなものかと思ったんだけれども・・・。
【3】
こちらも初めてのよみうりホール。コンサートのためのホールではないものの、一応演奏会も想定してると思われる会場とあって楽器の響きは良好。席が7列目の中央というのも功を奏したかもしれない。やはり前日のホールB7の音響は特殊だったと思わざるをえない。チェロの胴鳴りから豊かに響いてオーディオでは絶対に出ない素晴らしい生音を堪能できた。ピアノ三重奏曲でのバイオリンもとても良い響き。ベレゾフスキーのピアノはミスタッチが多いとツイートされたりしていたけれど僕にはわからなかった。いずれにしても4回のプログラム中もっとも楽しめた良いコンサートだった。
【4】
再度B7ホール。左端だったとはいえ今度は8列目と前の方でだいぶ音は聞こえたけれどやはりこの会場は音が響かない。よみうりホールで良い音で聴いたばかりだけにチェロとヴァイオリンの響きが萎んで聴こえてしまう。曲はショパンに比べると古典的でわかりやすく、やや長めの曲ながら素晴らしいコンビネーションで演奏を堪能できた。

というわけで、今回は背伸びして室内楽系を中心に選んでみたけれど、ちょっと僕にはまだ難しかったかもしれない。もちろん演奏の良さ、曲の素晴らしさは感じられたのだけれど、やはり室内楽系はちんまりしていて、何かこう興奮するものがないので時に少々眠くなってしまったのも事実。まだまだ、もっと勉強しないと。とはいえ、チェロの音の美しさは印象的でもちろん観てよかったと思う。あと、B7ホールはちょっと考えもの。よほどのプログラムでも無い限り次回からは積極的に選ばないと思う。

およそ5年ぶりのブライアン・セッツァー・オーケストラ。このグループの魅力である、娯楽性に満ちた楽しくエネルギッシュでなステージを今回も楽しめた。とはいえ、今回はセッツァーの衰えを感じてしまったのも事実。特に前半は指がもつれ気味で全体にギターにキレがなかったように思う。御大も既に55歳、昔観たときにはまだ40代前半だったことを思えば仕方ない。あと、今回のオーケストラのメンバーはキャラが立った人がいなくてステージ全体で楽しさをアピールするこのグループの魅力が少し落ちていたようにも思う(おなじみの顔もいましたが)。およそ80分という尺の短さも淡白で、これも御大の衰えが原因だったとしたらちょっと悲しい。それでもこのグループは存在することじたいに意義があると思える良さがあることは今回も感じたし、これからも元気にずっと続けてほしい。

【演目】
ラヴェル マ・メール・ロワ
ラヴェル ピアノ協奏曲(小菅優)
[アンコール] ショパン 練習曲op.25-1
サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン:石丸由佳)
[アンコール] フォーレ パヴァーヌ、オッフェンバック 天国と地獄
指揮はレナード・スラットキン。
1曲めの「マ・メール・ロワ」は、弦は美しく音色はリッチ、木管は芳醇かつ明瞭で、それほど大きな音を出す場面がない金管がまた安定感抜群の上手さ(特にホルン)。強い音をガンガンと出す曲でなくとも色彩を感じさせる響きが心地よく、聴き入ってしまう。
2曲めの「ピアノ協奏曲」は、オケの編成が小さいもののラヴェルらしい明るい色彩感に富み、よりオケが自由に鳴り響いていかにもフランスと思わせる音。オーケストラの実力は国内オーケストラでは出せない響きでチケット代を思うとかなり得した気分になれる。小菅優の実力は、例によってソリストの判断基準を持ち合わせていない僕にはわからなかったけれど、彼女はピアノに向かっているときの雰囲気は良い意味で女らしさが出ていなくて堂々としたところに好感。
休憩後にはメインのサン=サーンス、オルガン付き。編成は一気に大型化し、管楽器の増員が目につく。後期ロマン派の曲らしくダイナミックにオケが響いて気分を高揚させる。スラットキンはスマートな棒さばきで、テンポは中庸、変なアクセントの付け方をしたり、勢いに任せた演奏はしないんだけれど、オケが有機的に、時に力強く、時に美しくと表現が豊か。高度なドイツオケのように軍隊調の統制ではなく良い意味の緩さがあるところはフランスのオケらしいといったところなのかもしれない。期待していたオルガンは、地響きのような重低音と厚みのある中域の音を体で感じられるスケールの大きな音で、初めて体験する本物のサウンドは期待どおりの迫力。オケと一体となったときのクライマックスはなかなか感動的で胸がいっぱいになってしまった。会場の違いとオルガンの違いで、以前の読響と比べるのはフェアではないことは承知の上で言わせてもらうなら、別の曲のように素晴らしく、この曲はこんなにいい曲だったのかと認識を改めることになるほどだった。
アンコールの「天国と地獄」では、指揮者が台から降りて観客に手拍子を煽る演出で陽気に終了。テンポが早いから観客の手拍子が走り気味で合っていなかったけれど、それもまた楽しかった。
なにしろとても良いサウンドのオケで大変満足できるコンサートだった。有名オケだけが素晴らしいわけではないことを痛感。個人的には3月のシャイー&ゲヴァントハウスよりもこちらの方が楽しめた。

2014年8月17日、SUMMER SONICの2日目、マリン・ステージを途中から。
【木村カエラ】
歌は正直なところかなり不安定。でもノリの良い曲になるとそれほど気にならなかった。彼女はステージ映えするし声も良い。女性に支持者が多いように変に男に媚びたところがないのも好感が持てるし、ロック系女性シンガーのスターとして素養は十分に見える。残念ながら曲に消耗品的なものが多いのでもうちょっと普遍性のある名曲と呼べるようなものがあると本当の意味でのスターになれるのかも。
【Dreams Come True】
邦楽の中では歌が上手いとされる吉田美和ではあるけれど、得意な声域から少し外れると不安定になる。それは織り込み済みなので、まあいいんだけれど、素っ頓狂な声で変なしゃべり方のMCにはちょっと気恥ずかしさを覚える。でも、音楽はもともとしっかりしているし、何しろ誰でも知っているヒット曲をたくさん持っているのはこういうフェスでは強み。"Love Love Love"を生で聴いたら妙に感動してしまった。
【Richie Sambora featuring ORIANTHI】
ボン・ジョヴィの昔のヒット曲以外は盛り上がらないし、曲も演奏もつまらなくてグダグダ。もう少し上手いんじゃないかと思っていた歌もアレレ状態。毎曲のようにギターを持ち変えるものの、そのギター・プレイが単調で音楽にも幅がない(まあ、ボン・ジョヴィのアルバムのプレイでわかってはいたけど)。底の浅さが見えてしまった感じで、この人はやっぱり主役の脇にいるポジションが向いているのだと納得することになってしまった。話題性のある女性ギタリストも見どころ特になし。
【AVRIL LAVIGNE】
やや奇抜なメイクでノリノリなロックというイメージのみの予備知識で接する。バンドはここまでの出演者の中で一番の安定感。軽快でもヘヴィでラウドなサウンドは、邦楽には望めない骨太さがある。アヴリルは歌い方はバリエーションがないけれど思ったより声が綺麗でよく伸びるし音程も安定している。もうちょっとトンガッたキャラかと思ったら衣装含めラブリーなイメージで売っていることを初めて知った。始まった当初は、なかなかいいじゃないかと思って楽しんでいたんだけれどステージが進んでも同じような曲が続く一本調子。こんなに単調なステージは60分でもちょっとキツイと思ってしまった。でも、彼女はスター性はやっぱりありますね。
【QUEEN + Adam Labbert】
正直に告白するとこれを目的に来たにもかかわらず、あまり期待していなかった。気持ちが盛り上がらないまま、オープニングのSEが流れ始める。でも始まってみたら、まあ圧巻でしたね。とにかくこれまでのバンドとは格が違う。バラエティに富んだ名曲の数々、そして曲そのものが持つ普遍的な魅力。恐らく、初めて観た人も少なくなかったと思われるほぼ満席のスタジアムにいたオーディエンスは良い曲を持っていることの強みをまざまざと見せつけられたに違いない。アダム・ランバートも実際に見てみるとそれほど印象が悪くなく、随所にフレディへの尊敬が見られるところがうれしい。ブライアンのギターはまったく衰えはなくて、演奏はかなりラフだったけれど太くて迫力ある現役そのものの音。ロジャーは若い時のようなキレがないのは仕方ないとして2005年に観て落胆したときから衰えの加速はなく最低ラインは維持、健闘していたと思う。

夏フェスは2003年の東京JAZZ以来で、開放的な気分を含めてかなり楽しめた。

9/2 オーケストラ・コンサート
1曲目は、指揮者なしで演奏されるモーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」。まったく予習してなかったのが迂闊だったんだけれど、木管8人(オーボエ、ファゴット、クラリネット、バセット・ホルン各2人)に4人のホルンとコントラバス1人という編成ということすら知らず、室内楽の楽しみ方をまだわかっていない僕には少々お上品すぎる演奏で、曲がまた思ったより長かったこともあって少々眠い時間を過ごすことになってしまった。とはいえ、オーボエとクラリネットの第1奏者(外国人)の音色の素晴らしさはそんな僕でも感銘を受けるほどのもので腕の確かさをここで既に実感することに。
そしてメインが小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラによるベルリオーズの幻想交響曲。基本的に椅子に座りながらの指揮である小澤のアクションに応えるオケのサウンドは、骨太で力強く、その鳴りっぷりに最初から圧倒されっぱなしだった。カッチリと統制が取れているという感じはあまりしないものの、弦が活き活きと雄弁に歌う。モーツァルトでも活躍したオーボエ、クラリネットに加えフルートの豊かかつクリアでで美しい響きも素晴らしい。これまで日本のオケに良い印象を持ったことがなかったこともあって、精鋭集団と言えども所詮日本人中心の所帯なのでは?という懸念は最初の5分で完全に吹っ飛んでしまった。寄せ集めでありながら海外オケと遜色のない鳴りの凄さを体全体で受け止めさせられる、と言ったら良いだろうか。ベルリオーズの幻想交響曲は、ベートーヴェンの少し後の時代に書かれた曲なのにロマン派の音楽として十分な新しさがあることに一目置いていたものの、大好きと言えるほど気に入っていたっわけではなかった。そして、過去の経験から、それほど好きというわけでもない曲で感動させてくれるとしたらそれはオケが素晴らしいからというのが僕の見解であり、この日はまさにそういう思いをさせてくれる演奏だったと言える。日本人(とはいっても管楽器は要所に外国人がいるけれど)でもここまでできるというのは誇らしい。


9/3 マーカス・ロバーツ・トリオ・コンサート
演奏は可もなく不可もなく、まあ普通でした。マーカスはエキセントリックなピアニストではないし、曲もスタンダードが中心で少々面白みのない内容。曲はこのフェス用に選んだものなのか、いつもこんな感じなのか知らないけれど、余りにも伝統的ジャズ・ピアノ・トリオのオーソドックスなものばかり。でも実際に聴く機会がない(当たり前すぎて演奏されない)"Billy Boy" "Armad's Blues" というところを実演で聴けたことはなんだか妙に嬉しかった。ベースとドラムは水準をクリアしているものの、こちらもあと一癖面白みが欲しいところ。

この日はまず、ツィメルマンのブラームスのピアノ協奏曲第1番。この曲はちょうど1年前にグリモーとネルソンスBCSOで聴いている。コンサート歴が浅い僕にとって、実は同じ曲を違う演奏者で聴くのは初めての体験でもある。会場も席も違うので直接の比較は意味がないとは思いつつ、ずいぶん違う印象を受けた。まず、オケの鳴りっぷりが予想ほどは良くない。コンチェルトとしては大きめの編成(14型くらい?)ながら、「う〜ん、悪くないけどこんなもんなのかな」という思いが頭をよぎる。一方でツィメルマンのピアノは端正で美しく、それでいて力強さに溢れていて男性ならではの芯の通った音が響く。同じ強さで弾いても女性のそれとは基礎体力の違いのようなものがあり、エンジンで例えて言うのなら、同じ馬力(音量)を出していてもトルクが太いからエンジンを回していない(余力がある)というような違いを感じる。ツィメルマンの演奏を聴いて、「ああ、この曲はこんなに体力が必要で大変な曲だったんだ」と実感することになった。ミスと思われるところや勢い余ってと思えるところもあったし、オケとのまとまりももうひとつだったけれど、第2楽章の美しさ、第3楽章の勢いという見せ場の表現はしっかりしていて演奏としてはとても印象に残るものだった。後で思い起こすと特にピアノの音の印象が強く残っていて、それはオケを必要以上に派手に鳴らさずに、あくまでもピアノに寄り添う伴奏をしていたからなのかな、と思うようになっていった。
シュトラウスではオケの編成が更に拡大、ホルン以外の金管が大勢加わり、多彩な打楽器やハープ奏者も現れる。弦楽器も全パート増員(いわゆる16型クラスに拡大)。「ドン・ファン」の印象的な冒頭からオケの鳴りっぷりが一変、一流オケならの音の塊が放出される。コンマス、オーボエのソロは活躍の場が多く演奏も見事だったし、ホルン(大きめの外しも一発あったけれど)の響きも雄大だったり、個別の演奏力も堪能。CDで予習していたときは漫然と聴いていたこともあってゆったり静かなパートがなんとなく過ぎていたんだけれど、木管が実に美しいアンサンブルで色彩を与えていてシュトラウスの曲のおける木管の重要性がとてもよくわかる。こういう発見も生演奏の醍醐味。ヤンソンスは全体にゆったりと、時にじっくりとテンポを落とすシーンもあったりと恣意的な揺らし方をしていて、ケレン味があったのは少々以外な感じで「薔薇の騎士」で特にそういう傾向が強く出ていた。人によっては流れが悪いと思ったかもしれない。その「薔薇の騎士」、最後のワルツ部の入りがものすごくズレたり、全体を通して演奏にいくつかの傷があったことは否めないけれど、なんだか人間味があっていいじゃないか、と僕は寛大に受け止めて楽しんでしまった。もちろん、僕が重視する「オケ総体としての鳴り・表現」がしっかりしているからという前提であり、日本のオケでこんな感じだとたぶん「あーあ」と思っていたと思う。
今回のアンコールは、なかなか実演で聴く機会の少なさそうで尚且つ初めて聴いてもとても楽しめるものを選んでくれたようだ。特にリゲティの民族臭漂う現代曲はソロの見せ場もたっぷりで観客を楽しませてくれる要素たっぷりの曲。有名曲で多くの人を楽しませるのも良いけれど、このように隠れた娯楽性豊かな曲を演奏してくれるのもまた楽しい。

【演目】
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
ブラームスヴァイオリン協奏曲(ソリスト:クリスチャン・テツラフ)
(アンコール)J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番より"ラルゴ"
ブラームス交響曲第2番
(アンコール)ブラームス ハンガリー舞曲 第3番、第5番
「ハイドンの主題による変奏曲」は思ったより普通な演奏。席が後方から3列目と遠かったため、小編成オーケストラの音が届いてくれるか懸念があったものの、オケの鳴りじたいはまずまず。細くデュナーミクを動かし、メリハリのある演奏であることが既に見えてきている。
次の「ヴァイオリン協奏曲」は、テツラフの荒々しい演奏が鮮烈。これまた席が遠いことから音が届くか心配していたんだけれど、繊細な音も含めて伸びやかに耳に飛び込んできてまったく不足がない。緩徐楽章でも艶のある音で退屈させない。第3楽章では力んで前のめりな入り方をしつつ、一貫して荒々しくも激しい演奏を貫いた。オケもソロに合わせてかなり鳴りっぷりが急変。フル・オーケストラの厚みある音とはまたひと味ちがうけれど物足りなさは感じない。正直なところ、この曲でこんなに楽しめるとは思わなかった。この日のベスト。
「交響曲第2番」は、ヴァイオリン協奏曲の勢いそのままに演奏される。俊敏でダイナミックで豪放。オケは意外とカッチリと揃った感じはなく、木管も金管も外さないけれど惚れ惚れするような芳醇な音色というわけでもなく、正直なところ凄く上手いとまでは思わなかった。でもガツガツと勢いが凄まじく、自発性があって機敏で瞬発力のあるところは少人数オケだからこそなんでしょう。

【演目】
ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲
サン=サーンス ヴァイオリン協奏曲(ソリスト:ルノー・カプソン)
(アンコール)グルック メロディ
ムソルグスキー ( ラヴェル編曲 ) 組曲 『 展覧会の絵 』
(アンコール)ビゼー カルメン第3幕の間奏曲 カルメン第1幕の前奏曲
ドビュッシーは抽象的で色彩感のある音楽というイメージ通り。フルートの柔らかい響き、オケの芳醇なサウンドが美しい。
サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は伸びやかに歌うフレーズが多くて、カプソンの演奏も実直で明瞭。スッキリとわかりやすいサン=サーンスらしさがよく出た演奏だったと思う。この曲は生で聴いたことで見直した。
メインの「展覧会の絵」は実はクラシックに興味がなかった5年前、新婚旅行で行ったロンドンでゲルギエフ指揮LSOで生演奏に触れた思い出の曲。そのときは生の音の素晴らしさに満足して終わってしまい、演奏の質も何も覚えていない。今回はある程度クラシックに触れてからの演奏でとても楽しめた。編成が大きく、ラヴェルの編曲が多彩なこともよくわかった。大音量で盛り上がる曲なだけでに理屈抜きで楽しめた。

ブルーノート東京にてMEHLIANAこと、ブラッド・メルドー&マーク・ジュリアナのデュオ、3/13の1stセット。アルバムの方は、古いエレピやシンセのサウンドをメルドー流に料理したサウンドにあまり良い感触を持っていなかったけれど、こうやってライヴで聴くと動きがすべて見えることもあって受ける印象は大違いだった。力任せに走らないジュリアナのドラムは高度に安定、目配せすることもない2人を見ていると予め曲の流れは決まっていることがわかるものの、CDでは感じられない自由にやって良い領域が明らかにあって、その場で作り出される音を肌で感じることができるのがブルーノートという箱で観る醍醐味だと実感。キーボードとドラムのデュオというのはよく考えるとマンハッタンのジャズ・クラブだったらどこかで誰かがやっていてもおかしくないもので、ある意味ニューヨークの日常から生まれ得る音楽の一部を最上のミュージシャンで魅せてもらったということもできると思う。

【演目】
ブルックナー 交響曲第8番
演奏は、それはもうとてつもなく素晴らしかった。細かい点を挙げれば多少の乱れはあったと思うし、各パートそれぞれが惚れ惚れするほどの美音だったかと言うとそこまでではなかったと思う(日本のオケよりはずっと上手いケド)。でも、オケの鳴りっぷりは凄かった。金管のパワーと艶のある木管、美音だけでなく雑味も含んだ良い意味での粗さと美しさを兼ね備えた弦のバランスが良く、まさにオーケストラが高らかに歌っている状態。譜面に沿ってお稽古の延長で演奏するのではなく、あくまでも自発的に表現するのが海外オケの特徴であることは過去2年のコンサート通いの経験でわかってきたけれど、ここまで立派にオケが鳴っている状態はそう何度も経験してない。その数少ない似た経験のひとつが2013年に観たマゼール指揮ミュンヘンフィルのブルックナー3番だったので、そもそもブルックナーの曲がオケのこういう一面を必然的に引き出し、オケもそれに応えないと成立しない音楽なのかも、と思ったりもする。ヤノフスキの指揮はオーソドックスで、テンポを上げるところはキレ良く、溜めるところは溜める感じで僕の好みに近かったのも感動を大きくしてくれた要因。いずれにしてもここまで圧倒される演奏を聴けたことは本当に幸運だったと思える。長丁場でお尻が痛くなっても「ああ、このまま終わらずにずっと続いてくれたらいいのに」と願うような気持ちになれることはそうはないに違いない。これだけの充実感を味わったあとではアンコールなしは正解。演奏終了で指揮者がタクトを振り上げて停止したままの結構な時間がそのまま長い静寂になり、タクトを下ろすと盛大な拍手とブラヴォーという観客のマナーが感動を倍加させてくれたのも素晴らしい体験だった。

【演目】
マーラー 交響曲第6番
初めてのマーラー、初めてのアメリのオケ。
編成が大きい曲が生演奏でより映えることは、過去に聴いたブルックナーの経験からなんとなく想像がついていたけれど、それをわかった上でもやはり圧倒されてしまった。各パートの動きを俯瞰して見ていても他の作曲家の曲とは動きが違うし、多種多様の楽器が代わる代わる多彩な音を奏でるオーケストレーションの面白さも存分に味わうことができて見ていて実に面白い。マーラーでは度々見られるホルンや木管の持ち上げ、第4楽章のハンマーの一撃(二撃?)は視覚的にも迫力満点、譜面では「複数のシンバル」と指定されているところで見せた5人同時の「バッシャーン」など音響効果だけを取っても楽しく観ることができる。「マーラーは生(あるいは映像)で」とおっしゃる御仁が多い理由を嫌でもわからせてくれる楽しい体験だった。
ロサンゼルス・フィルハーモニックは、とにかくすべてのパートの鳴りっぷりが凄まじい。編成が大きいという理由はもちろんあるんだけれども、金管も木管も押し出しが強く、弦もとても良く歌う。特に木管に圧力を感じたのは初めての経験だった。オケ全体が活発に歌うという観点で言えば、これまでに見たどのオケよりも上だったように思うし、各パートも乱れることなく合奏力も高い。また、これは土地柄のせいなのか出てくるサウンドが明るい。ある意味エンターテイメント性が高いサウンドだと思うので、マーラーに死や苦悩、ドロドロした情念(例えばテンシュテットのような)を求めると、ちょっと違うなあという人もいるに違いないけれど、どんな音楽も基本的には娯楽と考えている僕のような人間には大いに楽しめる性格のオケだった。

ラ・フォル・ジュルネ 2015で3公演。
5/4(月)
【1】
演奏:アルデオ弦楽四重奏団
演目:シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
会場:ホールB5
僕は室内楽系にはまだあまり触れていないんだけれど、実はこの曲、父が大好きだったらしく、子供のころに何度も聴かされてきたのでほとんど頭に入っていて、それでは生で聴いてみようと選んだプログラム。アルデオ弦楽四重奏曲は女性のカルテットで、冒頭から緊張感あふれるこの曲をソフトに始めて「おやおや?」と思ったものの、然るべきとろこでは力強く、フィナーレは足を踏み鳴らしたりしてなかなかの熱演でした。記憶に埋め込まれていた曲の素晴らしさをようやく理解できた感じで大満足。B5会場は始めてだったけれど、こじんまりとしていて好印象。

【2】
演奏:アンドラーシュ・ケラー(cond、vl)
セルゲ・ツィンマーマン(vl)
コンチェルト・ブダペスト
演目:バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調
バッハ ヴァイオリン協奏曲第1番
バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調
会場:ホールB7
バッハはまだ真面目に聴いたことがなく、演奏会もそれほど多くないのでこんなときでもなければ生で聴かないかなあと思っての選択。このB7会場は広い(800名以上収容)ので、人気プログラムが多いものの、昨年観て思ったのは広いわりにはステージが低くて演奏者が見えにくいのと、音楽用の会場でないので音がものすごくデッドであったことで印象は最悪でできれば選びたくなかった会場。今年は大型モニターを左右に設置して見やすさに配慮されていて、音の響きもずいぶん良くなったように感じた。音の響きが良く感じたのは、去年の四重奏団だったのに対して今年はチェンバロ含め16名の楽団にソリストという編成だったせいもあるかもしれないけれど、何か改善したんだろうか。肝心の演奏は、特に悪いとも良いとも思わず・・・、まあ、バロックはまだよくわかりませんね。でも、初の生のバロックは心地よく聴けたので満足。

【3】
指揮:アジス・ショハキモフ
演奏:エカテリーナ・デルジャヴィナ(p)
デュッセルドフ交響楽団
演目:シューベルト 「ロザムンデ」序曲
シューマン ピアノ協奏曲
会場:ホールC
実はこれが一番期待していたプログラム。意外と演奏機会が少ない、ロマンチックなシューマンのピアノ協奏曲を生で聴いてみたかった。これまでのラ・フォル・ジュルネで、海外オケの演奏はほとんど好印象だったので一定レベル以上のものは聴けるだろうという期待もあった。ところが、1曲めの「ロザムンデ」からオケの響きが弱く、音の艶やかさもない。音を外すとか揃っていないとかはないものの、とにかく音の主張が感じられなかった。それはピアノも同様で、こちらもこれと言って主張も感じられず。これが芸風と言われればそうなのかもしれないけれど、これまで観たどの海外オケ系の演奏よりも音に豊かさが感じられず、シューマンの優しさあふれるロマンチックさがなかったのはちょっと残念だった。

【演目】
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番
(アンコール)
ベートーヴェン バガテル op. 119-8(ジャパン・アーツの発表より)
最初はまず全ピアノ協奏曲の中でも一番編成が小さい第2番から。アンスネスが振り、曲が始まると小編成のオーケストラながらリッチな音が出てくる。弦も木管もその芳醇としか言い様がないほど柔らかく豊かな音を発していて聴き惚れてしまう。もちろん、威圧感やけたたましい音がするわけではないけれど、それは曲がそもそも要求していないから当たり前で、それでも一瞬のフォルテなどで瞬発力も鋭いものがあるだろうことが垣間見える。ピアノは透き通るような透明感を持っていて、この古典的協奏曲の軽やかさを引き出している。でも決して軽々しさがないのはオケ同様によく響かせて柔らかく丁寧に演奏していたからではないかと思う。続く第3番では、トランペット、クラリネット、ティンパニなどが増員され、古典的な2番より新しい感覚が加わる。それでもオケの編成は小さく、しかしながら芳醇さは失われないどころかますます増すばかり。多少の重厚さが加わりつつも古典的な素朴さを失わずにこの曲の素性の良さを引き出している印象。素朴で静かに始まるところにベートーヴェンのさすがのセンスを伺わせる第4番は、第1楽章後半と第2楽章はソロ・パートが多く、その音空間がまた美しくも心地よい。フィナーレのいかにもベートーヴェンらしい高揚感も力強く、この曲の良さを堪能させてくれるものだった。曲も会場も違うので比較するのはフェアでないと思うけれど、このオケは過去2年で観てきたゲヴァントハウス管弦楽団やバイエルン放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィルなどよりもずっと巧い印象。

コットンクラブにてサイモン・フィリップス・プロトコル、2015年6月19日 1stセット。ここ2年で2枚もアルバムをリリースするなど、忙しいはずなのに結構本気でやっているサイモンのソロ・プロジェクト。メンバーはアルバムと同じく、アンディ・ティモンズ(ギター)、スティーヴ・ウェインガート(キーボード)、アーネスト・ティブス(ベース)という顔ぶれ。アルバムでの高度の演奏をそのまま再現する4人とも技量は大したもの。特にキーボードは掘り出し物だと思う。それにしてもサイモンは凄い。つまらないという人もいるかもしれないけれど、あの大仕掛なドラムセットをここまで自分のものにしている人はいないと思う。間近で思う存分叩くサイモンを観れただけで満足。

2007年、2008年にジャズを本場で聴くために行ったマンハッタンに行き、今回はクラシックを本場で聴くためにウィーンとベルリンに行った。
【1】
<会場>ウィーン楽友教会
ブロムシュテット指揮ウィーン交響楽団
<演目>ベートーヴェン:交響曲第4番
ニールセン:交響曲第5番
音楽の旅、第1日目はウォーミングアップ的にウィーン交響楽団を見た。しかし、これをウォーミングアップと言ってしまうのはあまりに失礼な上手いオケ。またなかなか日本では聴けないニールセンは実演で聴くと実にスケールが大きく、オケの表現の雄大さにも驚いた。


【2】
<会場>ウィーン楽友教会
ヤンソンス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
<演目>マーラー:交響曲第3番 (アルト:ベルナルダ・フィンク)
マーラーの対策をヤンソンス指揮ウィーンフィルで、聴けるだけで至福の喜び。美しくも優雅な弦、見事な響きとアンサンブルのウィンナーホルン、奥深くから響く神秘的なポストホルン、フィンクの力強い声、声量温で美声響く合唱隊、すべてが揃い、学友会協会特有の多めな残響が独特な世界にしてしまう。ヤンソンスが曲の方針を決めているのは間違いなく、しかしオケのサウンドには確固たる主張があった。


【3】
<会場>ベルリン・フィルハーモニー
ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
<演目>
ハイドン:交響曲第80番
陳銀淑(チン・ウンスク):
ソプラノと管弦楽のための「Le Silence des Sirenes(水の精の沈黙)」
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン)
ハイドンは室内オケの規模でもハッキリと明瞭で豊かな音色と完璧な技巧が圧巻。チン・ウンスクの現代曲は
ラトルが指揮台に上がるとそのまま頭を垂れてじっと静止、しばらくすると遠くから歌声が聞こえ始める。通路からソプラノのバーバラ・ハンニガンがパステルカラーの派手な衣装で歌いながら登場。そのまま歌いながら歩いてステージに上がって行く。現代曲らしく、複雑かつアヴァンギャルドなリズムとオーケストレーション、そして大人数を要する幾多の打楽器の複雑な絡み合い。ハンニガンは何かが憑依したかのように歌い、時にラトルと手を合わせたりもする。衣装やこれら演出はどうやら作曲家が指定しているようで、曲が終わったあとに登場した作曲家の陳銀淑もハンニガンと同じような色彩の服を着ていた。
最後はブラームスのピアノ協奏曲第1番。ツィメルマンによるこの曲は昨秋、ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団で聴いたけれど、まずは導入部のテンポ設定がずっと早いところからして違っていた。オケは繊細さ、正確さ、音の艶やかさ、スケール感すべてが上回って早めのテンポに難なく追随していて感心するばかり。ツィメルマンも入魂の熱演で、持ち前の端正さを保ちつつ力強く、時に勢い余って先走る場面も。席からは手の動きもバッチリ見えて臨場感たっぷりで楽しめた。



【4】
<会場>ベルリン・フィルハーモニー
ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団
<演目>
R.シュトラウス:英雄の生涯
この日はカジュアルコンサートで全席自由、指揮者もオケのメンバーも私服。最初にソヒエフが英語で曲の解説を、曲の一部を演奏をしながら20分ほど解説。それから通しで演奏という進め方。前日にベルリン・フィルを観ていたので見劣りするかと思ったらまったくそんなことがなく立派な演奏に感服。

ハーディング指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期公演
ソプラノ:ドロテア・レシュマン
メゾ・ソプラノ:クリスティアーネ・ストーティン
合唱:栗友会合唱団
<演目>
マーラー 交響曲第2番「復活」
これまでの経験で日本のオケの地力のなさはよくわかったつもりだったんだけれども、新日本フィル、ハーディングはまだ未体験であったこと、マーラーの復活を生でどうしても聴きたくなったこともあって聴きに行った。結論から言うと、予想通り、日本のオケの地力のなさを確認することになってしまった。第1楽章のシンバルが鳴るところまででもう弦の響きが貧弱であることが露呈、金管、木管はまずまずよくやっていたと思うけれどズッコケるところもあったし、鳴りに余裕が無い。全体的に頑張っていて熱演だったとは思うけれど、アンサンブルも揃いきらないし、音量だけでごまかしていた感じすらあった。残念ながらこれが日本のオケの現状なんでしょう。海外オケよりチケットが安いんだから、というのは言い訳にならない。楽友協会でウィーン交響楽団の一番高い席はこの日のチケットより安いし、オケの実力差は比較するのも憚られるほど違うのだから。

ポリャンスキー指揮 ロシア国立交響楽団
<演目>
チャイコフスキー 交響曲第4番
チャイコフスキー 交響曲第5番
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲壮」
リーズナブルなプライスと怒涛のプログラムに惹かれて行ってみた。結論からいうと価格相応という感じ。知名度が高いオケほど弦も木管も響かないし、金管は海外オーケストラとは思えないほど不安定で荒っぽい。Twitterなどでは「歴史に残る」などどと賞賛の声一色、現地では演奏終了の残響が消えないうちからそろって大勢で拍手とかつて見たことがないほどのブラボー隊の叫びが響き、なんだか異様な雰囲気。何か大事なものを聴き逃していたんだろうか。「悲壮」のときにはお疲れで眠っている観客も多かったし、単に食べ放題バイキングのようなコンサートで決して美味しくはなかった。

メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番(ピアノ;ユリアンナ・アヴデーエワ)
(アンコール)
●ショパン 24の前奏曲 op.28-15「雨だれ」
ブラームス 交響曲第1番
(アンコール)
●グリーク 2つの悲しい旋律より「過ぎし春」op.34-2
●モーツァルト 「フィガロの結婚」序曲
導入を担うメンデルスゾーンが流れて来ると、4ヶ月前に聴いたときとはだいぶ響きが違う。ツヤがなくて鳴りも控え目。
2曲めのベートーヴェンでもオケの印象は変わらず。この曲としては規模の大きい編成で演奏されていて音の厚みはあるんだけれど、やはり音がくすんでいる。言いようによっては表面的な美しさよりも渋みが勝ったサウンドで、これはこれでひとつの個性だと思えてくる。しかし、こちらの聴きどころは当然ピアノ。この日観たアヴデーエワは、とても印象が良かった。女性ゆえのタッチの軽さは当然のこと、しかし一音一音ずつが明瞭で粒立ちが綺麗に揃っていて尚且つ有機的に聴こえる。基本的には理知的な演奏ながら冷たい印象は皆無。だから音楽が生き生きして聴こえてくる。アンコールのショパンも端正かつ豊かな表現。
休憩後のブラームスは編成が増えてぐっと厚みを増す。そうそう、このサウンドこそがベルリンで聴いた(そのときは「英雄の生涯」)サウンドに近い。このオケは編成が大きく、重厚な曲に合っているんだろうか。それでもサウンドの渋みはこの日通して変わらない印象で、それを僕は個性として楽しめた。こういうブラームスもいい。また、アンコールで演奏された曲も良い意味で肩の力が抜けていて開放的なサウンドに聴こえた。ベルリンで聴いたときはカジュアルコンサートだったから、ひょっとしたら少しばかりリラックスして演奏したほうがこのオケは良い響きをだすんじゃないかな、とも思った。
オケとしてビッシリと厳格に揃った精度があるかというとそうではないと思う。記憶に深く刻まれる感動があったかというとそこまででもない。それでも、個性豊かなサウンドを楽しめた良いコンサートだったと思う。

プロコフィエフ:『ロメオとジュリエット』組曲より
◯「モンタギュー家とキャピュレット家」(第2組曲第1曲)
◯「少女ジュリエット」(第2組曲第2曲)
◯「修道士ローレンス」(第2組曲第3曲)
◯「仮面」(第1組曲第5曲)
◯「ジュリエットの墓の前のロメオ」(第2組曲第7曲)
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
ブルックナー:交響曲 第4番 「ロマンティック」
まずはプロコフィエフのロメオとジュリエットから。一音めから引き締まった豊かな音色を予感させる衝撃的な始まり。最初に出てくる音でいきなり圧倒するというのはコンサートの構成としてはなかなか効果的。重厚さと艶のある明るい音色が見事にブレンドされ、金管、木管の高いレベルでの安定感が素晴らしく、2年半前に圧倒されたときの印象そのもの。もちろん指揮者が変わって曲の表現の仕方が違うことは明白であるけれども、オケが主張している音にはいささかのブレも感じない。ベルリン・フィルの鉄壁のアンサンブルとはまた違うこのオケならではの主張のあるまとまり、個性があって本当に素晴らしかった。
ドンファンの入りは勢い余ってややバラつきがあったものの、持ち直し、快活なテンポで颯爽とした若々しいドンファン。しかし、軽々しくはなく重厚さもあるところがこのオケの良いところ。音楽監督に就任したばかりのゲルギエフのスタイルにのっとった上で、オケの主張をしっかり聴かせるところに思わず唸ってしまう。
メインのブルックナーは、冒頭の深淵なホルンの響きが予想通り素晴らしい。ブルックナーは、曲がそうなのだから当然ゆったりとした深みのある表現が求められるところで、オケは難なくそれをこなしてしまう。同時にスピードを上げるところでは迫力と推進力も必要であるのがブルックナー、ゲルギエフは全体に早めのテンポでオケの厚みのある推進力を引き出す。2年半に観たときと変わらぬ素晴らしいオケの実力を再認識する見事な響きに圧倒されっぱなしだった。

マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット、コットン・クラブ 2016年1月3日1stセット。
Mark Guiliana(ds)
Shai Maestro(p)
Jason Rigby(ts)
Chris Morrissey(b)
ブラッド・メルドーのつながりで知ったマーク・ジュリアナが本業のエレクトリック路線とは別に始めたアコースティック・ジャズのカルテット。始まって3曲は、いわゆる今風アコースティック・ジャズの典型的なサウンド。安易なフォービートは使わず、良く言えば柔軟な、悪く言えば掴みどころのないリズムが続き、ジョシュア・レッドマンのグループ、James Farmのような今風のサウンドが聴こえてくる。そこからポップさを取り除いて抽象性をやや強くしているとはいえ、これだけでは個性が足りないし予想通りすぎてつまらない。
ピアノのシャイ・マエストロのフレージングは普通のジャズ・ピアニストのテイストと明らかに違っていて、妖しさと洗練がうまく融合した不思議なムードが面白い。テナーのジェイソン・リグビーはあまり主張しないタイプでそのバランス感がこのグループの持ち味になっている。イマドキのスタイルでなんでも弾きこなすベースは器用でいながら奇をてらったところがなく好印象。リーダーのドラムのスタイルはメルドーのときほどにはグルーヴ感を出さずに小技でリズムを支える感じ。もうひとつ面白くないなあ、と思い始めると4曲めは突然フォービート。ここでのジュリアナのビート感はジャズ・ドラマーそのもので、なるほど確実にこの人の基本にはジャズがあるなという説得力があった。その後もわかりやすいリズムの曲を混ぜ始め、通して聴くと多様なリズムと音楽性に満ちたグループだとわかるステージになっていた。テナーが抜けてピアノ・トリオ状態になったときにグループのカラーがガラッと変わる二面性も面白い。ジュリアナはトニー・ウィリアムスがアイドルとのことだけれども僕はむしろエルヴィン・ジョーンズのほうに近似性を感じた。タムタム、フロア・タムのチューニングとフィル入れ方に重々しさがあって、大きなボールを転がすかのようなグルーヴ感があるから。後半でテナーとデュオになるシーンがあり、コルトレーンとエルヴィンへのオマージュと現代風解釈に聴こえた。もちろん決して物真似になっておらず自分たちのカラーで表現できているところは実力があるからこそなんでしょう。

まずは、ベートーヴェンの5番。ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団のCDは早めのテンポで進むが、この日はゆったりめ。CSOと言えば金管が有名という先入観で接したものの、そもそもベートーヴェンが金管セクションは少なめの編成であることから特別凄いという印象は受けなかった。それよりも厚めの弦の響きと、木管セクションのケレン味のない伸びやかな音に耳を奪われる。そして弱音部の音の確かさと豊かさにむしろ底力を感じる。各セクションの揃いも見事なもの。あ〜、なんて上手いオケを聴いているんだろうという感慨に浸れる。この曲だけでオーディエンスを魅了しきったと言ってもいいかもしれない。
マーラーの1番は、導入の静かなパートで弦の弱音の素晴らしさが遺憾なく発揮される。木管の出番も多いから、こちらも見せ場の連続と言って良いほど巧さを堪能できる。そして大幅に増員された金管楽器。ホーンのアンサンブルや鳴らし方は精密機械のような正確さというよりはエネルギッシュな力感溢れるもの。全体にややゆったりと歌わせるテンポで進み、よりテンポ落として演奏された第4楽章のフィナーレは、ムーティ独特の溜めも相まって圧倒的で、なるほどこれが金管のCSOと言われる所以かと納得させるに十分なパフォーマンスだった。女性グランカッサ奏者の上手さもこのフィナーレ大きく下支えしていたことも付け加えておきたい。

【演目】
ブルックナー 交響曲第5番

コントラバスのピチカートで静かに始まる交響曲第5番は、最初の聴かせどころの合奏に入るとオケが雄叫びを上げる。この掴みだけでオケの実力が十分伝わってくる。倍管編成であることもあって迫力満点。倍管なので一人一人が力んで大きい音を出す必要もないから音の厚みに無理がない。そして弦がまた負けずによく歌う。この弦の鳴りがあるからこその倍管編成という印象すら漂ってくる。ホルンは3人、5人の2列で第3楽章までは5人のみでで、最終楽章で4人、4人の列に変わり8人で音の厚みを出していた(2列で役割分担があったようにも聴こえたがよくわからず)。ティンパニは同じフレーズを2人で打つのではなく、基本的には第1奏者のみでの演奏。合奏で強めで連打しているところから急に静かに切り替わってティンパニも弱く叩き変えないといけないところで、強い音の第1ティンパニをミュートで止めて、弱い音を第2ティンパニで引き継ぐことで不要な響きを持たせないようにするためだけに贅沢に2人を使っているように見えた(フィナーレは2人で同時連打していたけれど)。今回の席からは、指揮者の動きはもちろんのこと、これら各楽器の動きがハッキリと見えて曲の構成がとてもよくわかったところもすごく面白かったところ。尚、テンポ設定はベルリン・フィルとのCDと似た印象で早めのところは推進力を重視した印象。それでも、第4楽章のフィナーレはぐっとペースを落としてスケールの大きさを前面に押し出したものだった。
何にしても圧巻の演奏で、どのパートもレベルが高く、オケとしてのまとまりも言うことなし。聴き惚れてしまう繊細な音から荒々しい(しかし粗さを微塵も感じさせない)壮大なトゥッティまで表現の幅の広さにも唸ってしまう。歌劇場オケと思って聴く前にハードルを上げていなかったせいもあるとはいえ、一級品の演奏を聴いたという充足感はかなりのもの。こういう鳴り方、歌い方、彫りの深い音の構築美、そしてただ上手いだけではない音の主張というあたりは残念ながら日本のオケには望めない。こんなに素晴らしい演奏でブルックナーの5番を聴ける機会はそう多くはないんじゃないだろうか。それなのに半分しかオーディエンスがいないとは。しかし、曲が終わると5秒ほどの静寂をおいてからの嵐のような拍手が起きていたことが、この日のコンサートの素晴らしさを物語っていたと思う。オケのメンバーの表情は清々しく、しかし「望外に素晴らしい演奏ができた」的な達成感というよりは、マエストロも含めて「いつも通りうまくやったのさ」という感じで余裕があるようにすら見えたのがまた印象的だった。

【演目】
モーツァルト ピアノ協奏曲第22番(バレンボイム弾き振り)
ブルックナー 交響曲第6番

この日はまずはモーツァルトのピアノ協奏曲第22番から。この曲もまた、ブルックナーの6番と同じようにモーツァルトのピアノ協奏曲の中ではやや渋めの選曲。初めて生で聴くモーツァルトのピアノ協奏曲は軽快でとても心地よい。昨日、重厚な響きを聴かせていたオケは、軽やかなこの曲でもとても気持ちよく歌っていてやはり実力の確かさを感じる。ただし、これまでテレビで観てきたのと同様にピアニスト:バレンボイムは独特なリズム感と揺らし方に個性があって、あんまり印象が良くない。曲も正直なところそれほど面白くなくて眠くなってしまった。

休憩後のステージは、前日とは違って管楽器も標準編成。そもそも、同じオーケストラで同じ作曲家の演奏を2日連続で聴くという経験は初めてのことで、当たり前のことながら同じサウンドがちゃんと聴こえてきたところに感心する(金管、木管の顔ぶれは結構違っていたけれど)。演奏のレベルは前日に引き続き素晴らしい。でも、昨日のような凄みまでには到達していなかったように感じた。それは2日続けて聴いたからオケの音の予想がついてしまっていた(新鮮味が薄くなった)ことと、曲が異なり狙った方向性が違っていただろうということも理由ではあったと思うけれど、オーディエンスの熱狂も前日の方がずっと凄かったことを考えるとパフォーマンスが聴き手に与えたインパクトにはやはり差があったということでしょう。

Queen+Adam Lambertを観に行った2014年サマソニ、ダイジェスト放送していたときに目に付いたのがヴィンテージ・トラブルだった。以来、一度ライヴを見たいと思いつづけてようやく実現。タイ・テイラーが"さくらさくら"をソウルフルに歌い上げて始まったステージは、アップテンポに飛ばし、中盤にミドルテンポの曲やバラードを、最後に2枚のアルバムのオープニング曲 ”Run Like A River” ”Blues Hand Me Down” で盛り上げるという構成。彼らの演奏は正確さや安定度を売りにしているわけではなく、ツボを心得た「あんたわかってるねえ」的なものがあって、R&B、ロックの下地がしっかりしている。申し訳ないけれど、前座のウルフルズとは音楽の基礎体力が違う。アンコールに"Run Outta You"を持ってきたのは少々意外で、ヴォーカルが中心のバンドがオーソドックスな3ピース・ブルースロック・バンドとしての地力を魅せつけるなかなの聴き物だった(スティーヴィー・レイ・ヴォーンかと思ったくらい)。タイ・テイラーのパフォーマンスは、どこか芸人風のコミカルさが漂っていて、良くも悪くも真面目さに見える他の3人とのギャップがあって面白い。アンコールを含めて、実質90分というステージは演る方も観る方も丁度良い長さだった。

ラ・フォル・ジュルネ 2016で2公演
2016/5/4(月)
【1】
演奏:
・アブデル・ラーマン・エル=バシャ
演目:
・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第15番 ニ長調 op.28「田園」
・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31-2「テンペスト」
・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調op.53「ワルトシュタイン」
会場:ホールB7
B7ホールは本来は単なるイベントスペースでデッドな音響がよろしくない会場ながら、今回は3列目という良席が取れたこともあって演奏に集中できた。エル=バシャは初めて聴いてみて評判通り感情抑制気味。そうかと言って機械的ではなく、折り目正しいとも少し違う、実直で穏やかな温もりも漂うなんとも言葉にするのが難しい演奏。一音一音に一切の濁りがない澄み渡った響きに、ピアノってこんな音が出るんだと新鮮な驚きを感じた。

【2】
演奏:
・オリヴィエ・シャルリエ (ヴァイオリン)
・アンヌ・ケフェレック (ピアノ)
演目:
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op.24「春」
・ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 op.78「雨の歌」
会場:ホールB7
実際に演奏している姿を見て「あれ?」と思った通り、このオリヴィエ・シャルリエというヴァイオリニストは初めてLFJに行った5年前にラフマニノフの「悲しみの三重奏曲」を聴いた人だった。響きがデッドな会場のせいかやや音の伸びを欠く印象。2曲を通して聴いてみると、30歳くらいのときに作曲されたベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは素朴で若々しく(悪く言うとやや青臭い)、46歳くらいに作曲されたブラームスのヴァイオリン・ソナタでは構成がしっかりしていて深みのある曲であることがよくわかって面白く聴くことができた。

(演目)
・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 二長調
【アンコール】
・バッハ:無伴奏ヴァイオリン パルティータ#2 サラバンド ニ短調 BWV1004
(ヴァイオリン:レイ・チェン)
・R.シュトラウス: 交響詩「英雄の生涯」
【アンコール】
・J.シュトラウスU ピチカート・ポルカ
・R.シュトラウス 「薔薇の騎士」よりワルツ
まずはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ベートーヴェンのピアノ協奏曲と同様に小編成のオケ。若手有望株と言われるレイ・チェンの独奏は、フレッシュで力強く、艶やかに響いて気持ち良い。これからもチェックしておきたいと思わせるだけの演奏を聴かせてくれた。一方で、以前から思っていたものの、この曲は正直言ってベートーヴェンの曲の中ではあまり面白くない、ということを再認識してしまった。メロディにもうひとつ魅力がなく、繰り返しが多くて冗長。ベートーヴェンの曲としては演奏機会があまり多くない(今年は多いけど)のは曲の魅力が薄いからではないかとの思いがより強くなってしまったかもしれない。
休憩後の「英雄の生涯」は、さすがに大編成の迫力ある鳴りっぷり。精緻な演奏というのはもちろん素晴らしいけれど、僕は楽器が良く歌い、オケとして一体化したサウンドが出てくること(日本のオケが苦手としているところだ)を求めているので、その点でかなり満足できるもの。とはいえ、ここ1年で一流オケの凄まじい演奏を聴いてきただけに、そこまでには至っていないとかなというのが正直なところ。特に悪いというわけではないものの、金管と木管は響きに柔らかさと豊かさがもう一歩足りない。一方で弦はとても良く歌い、艶やかさもあってなかなかのもの。実力的にはおよそ1年前に観たウィーン交響楽団に迫るものがあったんじゃないだろうか。他のウィーンのオケと比べると音色がやや明るいところもこのオケの特徴だと思った。有名一流オケほどの実力とは言えないかもしれないけれど、このオケの鳴り方はとても好ましい。付け加えると、見せ場の多いこの曲で大変素晴らしい演奏を聴かせてくれたコンミスの実力はかなりのものだった。

(演目)
・J.シュトラウスU:ウィーンの森の物語
・プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
(ヴァイオリン:五嶋龍)
・ブラームス:交響曲第2番
【アンコール】
・バッハ:羊は安らかに草を食み(ストコフスキー編曲)
アメリカのオケとしてはやや意表を突く選曲、ヨハン・シュトラウスUから。う〜ん、可もなく不可もなし。弦の歌い方、木管金管の響きも悪くはないけれど良くもない。最近耳が肥えてきているせいか、「やっぱり生演奏ってすごいなあ」というまでの感動に至らない。

プロコフィエフのソリストは五嶋龍。これまた悪くないけれどこれと言って良いとも感じない。そもそもこの曲は歌い上げるタイプと言うよりはややトリッキーなフレーズで技巧を小気味良く聴かせることができるかがポイントと僕は捉えていて、その点で物足りない。CDで持っているチョン・キョンファの演奏は伸びやかで良く歌いつつその小気味よさが感じられる(しかも繊細さもある)のだから、力量の差があることは残念ながら認めないわけにはいかないでしょう。
メインのブラームスの2番は若い指揮者らしく、キビキビと溌剌とした演奏で、ゆったりと歌わせるところはそれなりに歌わせるスタイル。しかし、オケから出てくる音は中庸で「やっぱりCDじゃこの音は味わえない。生演奏はこれだからやめられない」と思わせるほどの音の説得力がない。弦の音に艶と適度なしなやかさがなくてむしろ少し乾いたサウンドだったところが個人的には残念なところで、また僕が一番生演奏に求めているオケ全体の鳴り、歌い方が足りない。演奏に大きな傷がなくとも、圧倒されるような主張を感じることができなかった。

2016年7月8日、ブルーノート東京でタワー・オブ・パワーの2nd set。
しばらく遠ざかっていたので知らなかったんだけれど、ここ数年はロッコの体調不良とガリバルディの脱退などで2人の揃い踏みは久しぶりとのこと。そして、長らくリード・ヴォーカルを務めていたラリー・ブラッグスに代わって新ヴォーカリストが加入したとのこと。ブラッグスは近年ではもっとも素晴らしいヴォーカルを聴かせていただけにここは期待半分、不安半分。
いざ始まると、そんな能書きなど吹っ飛び、久しぶりのタワーにテンションがマックスに!8年前に「今のタワーはこんなもんかな」と思った記憶が悪い意味で増幅されていたのかもしれないけれど、なんのなんの、演奏もいいじゃないか!手数が減っても、タイトで複雑なリズムと柔軟性を備えるガリバルディのドラムはやはりタワーには欠かせない。病気から復帰したロッコのウネリも過去に観たどのライヴよりもグルーヴを感じてくれた。ブラスは変わらず高値安定。ソロ時間まで与えられたギターもなかなかだったし、ハモンドを響かせるキーボードもイイ。新ヴォーカリストは前任者ほどの安定感はないものの、やや高めの声質でレニ・ウィリアムス時代の曲がハマる。
This Time Is Real
Don't Change Horses
Just When We Start Makin' It
Only So Much Oil n The Ground
(To Say the Least) You're The Most
Just Enough And Too Much
Ain't Nothin' Stoppin' Us Now
あたりの曲は初めてか一度くらいしかライヴ聴いた覚えがなく、それぞれ演奏も良くて大感激&大満足。定番曲として外して欲しくない
What Is Hip
So Very Hard To Go
Soul Vaccination
も押さえてあってこのセットリストは完璧だった。1st setで演奏されていたらしい"Down To The Night Club"と"You're Still A Young Man"は個人的には重要ではなかったの2nd setで大正解。

31年前に同じ場所で観たクイーンが人生初のコンサートだったことを思うと感慨に浸らずにはいられない。ブライアンもロジャーも、そして自分も齢を取った。それでも立派な娯楽ショーをやっているんだから頭が下がる。アダムはゲイのキャラクターを更に前面に押し出して、このライヴ用ユニットに更に溶け込んだ印象。難曲が多いクイーンの曲を幅広く歌いこなし、特に"Who Wants To Live Forever"の熱唱はネットでも大評判だった。演出的には2年前のサマソニで観ていただけにサプライズは少なかったものの、そのときカットされていたロジャー親子のドラムバトルからの"Under Pressure"の流れは良かった。個人的には大好きな"Don't Stop Me Now"が聴けたことも嬉しかった。

指揮:ズービン・メータ
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:吉田珠代
メゾ・ソプラノ:藤村実穂子
テノール:福井 敬
バス:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒ
合唱:サントリーホール30周年記念合唱団
(演目)
・モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」
・ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」
まずはモーツァルトの「リンツ」から。実はモーツァルトの交響曲を生演奏で聴くのは初めてのこと。しかもウィーン・フィルだから悪いはずがない。小編成の古典派交響曲(クラリネットもフルートもいない木管編成なんて初めて聴いた)であっても典雅に歌うオケが素晴らしい。まさに芳醇にして美音。楽友協会で観たときとは席も違うし会場の響きも違っていたにもかかわらず、確固としたウィーン・フィルのサウンドがそこにはあった。ベルリン・フィルの精緻なアンサンブルとは向いている方向が明らかに違っていて、ある種の緩みがあるところがアイデンティティ。それはよく言われるところではあるけれど、肌身でそれを感じることができた。
第九は第1楽章冒頭から、典雅なモーツァルトとは一変する。「リンツ」の作曲は1783年、第九は1824年とその差は41年しかないにもかかわらず、今では「古典」と名付けられて年寄り向けのジャンルである保守的な音楽が、作曲者が生きていた時代には変化・進化し続けていたことに思いが及ぶ。「リンツ」に引き続き、豊かな美音に身を委ね続ける。それだけで素晴らしい体験。そして第4楽章は更に異次元に入る。人間が作った音楽というのはこんなに凄いものなんだと思わせる曲は、個人的にはこの第九を差し置いて他には思い浮かばない。メータはあまり大げさに曲にアクセントを付けないし、大風呂敷を広げたりもしないし、オケに厳格さを求めるわけでもない。でも、この名曲中の名曲をウィーン・フィルの音色で聴くにはそれでいい。最近のウィーン・フィルはかつてのような優雅な響きが減退し、時代に取り残されたオケだと言う人もいるけれど、まだまだ伝統の音色は引き継がれていて他のオケとは一線を画す独自の音色を持っている。サントリーホールで聴いてもその音色は優雅で古臭いとも時代遅れだとも感じなかった。すべてが素晴らしかったけれど強いて言うなら(「リンツ」も含め)緩徐楽章における美しさは特に聴きどころだったと思う。

2016年10月14日、ジョシュア・レッドマン&ブラッド・メルドー、コットン・クラブ 2016年10月14日2ndセット。
苦手とするデュオであっても、僕が唯一現役ジャズ・ミュージシャンで追いかけている2人の組み合わせ、しかもジャズ・クラブで観れるとなれば話はちょっと違ってくる。 やはり生で聴くと音の輝きが違う。メルドーのピアノをたっぷり味わえたのはもちろん、ジョシュアのサックスをここまで純粋にじっくりと集中して聴いたことはこれまでになく、その素晴らしい音色と表現力に唸ってしまった。演奏もCDに収められたものより自由奔放(恐らくCDにはまとまりのある演奏が選ばれた)で、生で聴くことでより楽しめる演奏だったように思う。

(演目)
モーツァルト:交響曲第34番
ブルックナー:交響曲第7番
ノンヴィブラートで軽やかかつ典雅に演奏されたモーツァルトからして音が素晴らしい。ただ、曲そのものの魅力に欠けるのは否めないという思いと、なかなか聴く機会がない曲をこの見事な音で聴くことができたという気持ちが入り交じる。ブルックナーは出だしから圧倒的。古楽のアプローチを聴かせていたモーツァルトから打って変わって、ヴィブラートをかけたロマン派の正統的アプローチ。とにかく良く弦が歌うし、厚みもある。トレモロの美しさといったらそれはもう筆舌に尽くしがたい。木管は特別な音とまでは言えないものの、金管の響きと厚みはかなりのもの。ブルックナーとはかくあるべしという確信に満ちたスケールの大きな演奏だった。ブロムシュテットの安定した曲の運び方がこれらを引き出しているし、オケとの一体感が信頼の厚さを示していたと思う。

ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ
指揮:カチュン・ウォン
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
(演目)
ストラヴィンスキー:ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ
ストラヴィンスキー:バレエ組曲《火の鳥》(1919年版)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ストラヴィンスキーの「ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ」は、あまり知名度が高くなく実演機会も少ない曲。コンチェルトとは趣が少し違ってピアノとオケが終始同じようなバランスで絡み合い進み、木管とのソロの掛け合いを楽しむタイプでなかなか興味深い曲。CD(手持ちはヤンソンスRCO)と比べると生演奏ならではダイナミクスは感じたものの、曲そのものの魅力という意味ではもうひとつといった印象。
「火の鳥」を聴いて、ああやはり日本のオケは力不足だなとしみじみ感じてしまった。決して下手であるとか音が綺麗でないとかいったことはないんだけれど、やはり楽器が歌っていないし、音に色気や艶が足りない。オケ全体の主張も足りないし、ここぞというところの合奏の一体感に乏しい。加えて言うと、若き指揮者はどこか頼りなく、オケに遠慮がちに慎重に振っているように見えた。
最後はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。女性としては打鍵に十分な力強さを感じた第1楽章はもうひとつ乗り切れていない印象。しかし、第2楽章からは持ち前の流麗な指の運びと明瞭なタッチが本領を発揮、彼女らしいピアノを堪能できた。技術も表現も流石と思える演奏だった。ただ、強いていうならば、この曲は時に過剰と思えるパッションが似合う曲でもあるので、物足りないと感じた人もいたかもしれない。

まずはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ジョシュア・ベルは結構ねっとり歌わせるタイプで、個人的にはどちらかといえば好きなタイプ。最初のソロが終了し、オケがドッとなるところで僕が好きな「良く鳴る」オケだとわかる。良い演奏だと思いつつ、あまり入り込めなかったのは、そもそもこの曲がそれほど好きでないから。それほど長い曲でもないので、それでも飽きずに聴き通すことができた。
さて、期待していたマーラー。第1楽章、ハーディングはとてもゆったりと進める。バーンスタインに匹敵するほどゆったりすぎて音楽の流れがスポイルされるほどだったけれども、ハーディングはこう演りたかったんでしょう。一方で、テンポを上げるところ、締めるところではキビキビとメリハリを持たせる。パリ管は、金管、木管についてはそれほど印象的ではない。特にこの曲における最重要パート、トランペットは破綻こそしていなかったものの余裕たっぷりに歌っているというほどではなかった。木管陣も、決して力不足ではないにしても聴き惚れるほどには至らない。一方で、弦の響きはとても芳醇で、しかもドイツ系のオケとは違って暖色系の色彩がある。第4楽章のアダージェットは、そんな音色の素晴らしさを存分に味わうことができたと思う。

(演目)
マーラー:交響曲第9番
第1楽章。ゆったりと、静かに始まるヴァイオリンの繊細な音に早くも今日の演奏を予感させる。間もなく襲う、程よいタメを伴う最初のクライマックス。ここでもう涙目に。ああ、これはもう2年前に観たあのときのバイエルンとは別のオケの音に聴こえる。
ヴァイオリンは見せ場の多かった第2も含めて美しさが際立っている。2日前に聴いたパリ管の膨よかな美音とは違って、端正な、それでいてたっぷりと歌う美しさ。ヤンソンスというとただ単に上品で綺麗なだけでつまらないという人もいるけれど、マーラーは激情的にしなくても圧倒できるというお手本のような演奏。
弦は低減の厚みも素晴らしい。また、金管のハイレベルで安定した響きも、大人数の木管も素晴らしいという言葉しか出てこない。木管各パート主席のソロ・パートは朗々と歌う美しさと鋭さも兼ね備えている。オーボエ、クラリネット、フルート、ファゴットのすべてが超ハイレベルで聴き惚れてしまう。
スケルツォ的な第2楽章は軽快でも分厚い響き、そして第3楽章はマーラーならではの激しさに圧倒される。
ヤンソンスが手を合わせて祈っているかのような姿勢から始まった第4楽章では、また弦の端正でありながら芳醇で美しい響きが圧巻。こんなに美しい音楽がこの世に存在するのかという感動で、ついに頬を涙が伝い始める。マーラーが指示する「死に絶えるように」終わり、ヤンソンスが手を降ろしてしばしの、誰もが息を呑む静寂が続く。静止したヤンソンスが姿勢を崩すと、これまで聴いたことのない一斉のブラボーの嵐。これ以上何を望むというのだろう。大好きな第9番をこんなに素晴らしい演奏で聴ける幸せ。

2017/5/5(金)
【1】
指揮:パスカル・ロフェ
演奏:フランス国立ロワール管弦楽団
演目:
・デュカス 魔法使いの弟子
・サン=サーンス 死の舞踏
・ラヴェル:ボレロ

【2】
指揮:パスカル・ロフェ
演奏:竹澤恭子(ヴァイオリン)、フランス国立ロワール管弦楽団
・シベリウス:悲しきワルツ
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
まずは【1】の公演から。ロワール管弦楽団は、決して上手いオケではないと思う。在京メジャーオケの方がむしろ上手いはず。でもその歌い方はやはり海外オケならではだし、音色が明るくてこのフランスものプログラムは熟れた演奏で、楽しく聴くことができた。通常の海外オケのコンサートでは意外と聴く機会がないボレロを聴けたのも収穫。実際に観ながら聴いているとオーケストレーションの巧みさ、面白さもよくわかるし、最後にコントラバスが立ち上がるのもたぶん譜面に指示がある演出なんでしょう。終演し、通例どおり拍手で呼び出された指揮者が「私のJobはEasyです。みんな優れたMusicisanだから」と言って合図だけ出すと、もう一度「ボレロ」の終盤をオケだけで演奏、指揮者は指揮台を降りてオケだけで演奏するという余興も楽しく、お祭りイベントに相応しい楽しいプログラムで大満足。
【2】は、個人的に一番好きなヴァイオリン協奏曲を生で聴いてみたいという理由でチョイス。【1】と指揮者とオケが一緒なのは単なる偶然で、まったく求められるものが違う曲で聴き比べることができるというのはそれはそれで楽しみにしていたところ。結論から言うと、シベリウスはもうひとつだったかも。もちろん明らかに合わない、良くないというほどではなかったものの、【1】での自然で自発的な、音楽が溢れ出る感じには及ばないといったとこか。ソリストの竹澤恭子は熱演ではあったものの、シベリウスのこの曲に対しては力みと受けれてしまう演奏でもあると感じた。まあ、もちろんこれは僕の感じ方なので、ポジティヴに受け止めた人もいたんじゃないかと思います。

颯爽と「ドン・ファン」。なかなか気持ち良い出だし。サロネンはアクションもキビキビと若々しく、オケをリードしている感がよく出ている。しかし緩徐部での優美さが、弦はまずまず美しい響きを聴かせているのに今ひとつ。まあでも1曲目なのでこんなものでしょう。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。チョ・ソンジンは的確かつ正確な、それでいて有機的なタッチ。ただし、緩さや間といった余裕があまりない印象で、上手いんだけど窮屈な感じがしてしまう。もちろん技術はしっかりしているし、悪い演奏ではない。ありきたりな言い方になってしまうけれど、若さ、青臭さを感じさせてしまっていたように思う。アクションが大きいことが余計にそう感じさせたのかもしれない。好印象だったアンスネス(ちょうど2年前の同じ日に聴いた)、アヴデーエワでの演奏と比べると一段落ちるけれど、こういう演奏が好きという人もいるのかもしれない。
ベートーヴェンの交響曲第7番、最初の「ジャアン」。もちろん、多くの楽器が同時に鳴っているんだけれども、普通はヴァイオリンの音が印象に残るところ。この日、聴こえてきたのはトランペット。しかも支配的なほどに大音量の。「あれ、トランペットの人、最初だけやらかしちゃったのか?」と思ってそのまま聴き進んで行ってもここぞというときに他の楽器の音をかき消すほど目立ち続けるトランペット。あれ?今日の席はトランペットの音のホットスポットに当たっちゃった?いや、前の曲まではそんなことなかったな、これは意図的にやっているのかな、なんてことが頭をぐるぐるめぐり続けているうちに曲は終了。要はトランペットの音が終始目立ちすぎていて曲に集中できなかったということ。アンコールのシベリウスがほぼ金管なし(ホルンがわずかに補助に入る程度)の演奏でようやく落ち着いて聴けたというのもちょっと悲しい。
フィルハーモニア管弦楽団の評価云々は今回はちょっとできない。もちろんLFJで聴いたロワール管とは格が違うし、上手くハマったときはもっと良い演奏を聴かせてくれるであろうポテンシャルは感じたので他のプログラムで聴いてみたいところ。

ブルーノート・ハワイ、5月29日、リヴィング・カラーのファーストセット。
ライヴ・パフォーマンスはさすがの一言。ヴァーノン・リードはさすがに以前ほどは指が動かないとはいえ、バンドとしての演奏のレベルは高く、特にドラムのウィリアム・E・カルホーンの重くタイトなドラミングは、CDから窺い知れるレベルの通りで、このドラムが演奏のクオリティを支えていることが良くわかる。とにかく上手い。テクニックに溺れるタイプではなく、ビート、グルーヴを創出するというドラムのもっとも重要な仕事をハイレベルでこなしていて素晴らしい。
70分くらいのステージが終わったあと、ブルーノートのブティック(グッズショップ)を除くと、ヴァーノン・リードとコリー・グローヴァーがサインに応じていて、客が少ないこともあって一緒に写真撮影。ヴァーノン・リードに「もう20年以上活動しているね」と言うと「ああ、いろいろあったけれど長くやってるよ」と優しく話しかけてもらって感激。途中からベースのダグ・ウィンビッシュも現れ、「86年に武道館であなたに会った」と言うと「ミック・ジャガー?」「いや、ジェフ・ベック」と言うと「ヤン・ハマー、ジミー・ホール、サイモン・フィリップスと演ったときだね」と言ってくれてこれまた感激。

2017年6月9日、丸の内コットンクラブ、ジェフ・バラード・トリオの2ndセット。。
演奏の方向性はジェフのソロアルバムと同じで、ギターが時にベースの役割を担いつつも、音の隙間をジェフのドラムで埋める、独特の音空間を構築。ただ、この日聴いた演奏ではスタジオ盤ほどの音楽性の幅は感じられず、やや単調だったように思う。若手のギターもテナー・サックスも技量は確かだったし、もちろん主役のジェフのドラムは躍動していた。制約の多い編成ゆえにある程度は単調になってしまうのは仕方ないところなのかもしれない。それでも、ジャズ・クラブでの生演奏ならでの、腹に響く他にはないジェフのドラムを、本人がやりたいように叩いている音を体に浴びて楽しむ。定形のリズムを刻むだけではない、独自のタイム感覚とタイトなグルーヴを堪能できただけで贅沢な時間を味わうことができて満足。

ベートーヴェンのエグモント序曲。さすがに個人技がしっかりしていて上手い。弦の音は美しく、木管も金管も澄んだ音でよく歌っている。一瞬アンサンブルが乱れて音のフォーカルが甘くところも散見されたとはいえ、オケの地力は確か。
ベートーヴェン交響曲8番は、ゲヴァントハウスの録音ほどでないにしてもシャイーらしいキビキビとした進行で、強弱のアクセントもメリハリのある演奏。正直なところ、ベートーヴェンの交響曲の中では最も地味なこの曲、こうして見ながら聴いてみると木管の構成がしっかりと練られていて良く出来ているなあと感心してしまう。もちろんその木管の上手さがそう感じさせている理由のひとつだったのは間違いない。
ストラヴィンスキーの春の祭典になると編成が一気に倍増。特に金管と木管の人数が圧巻で、見慣れない楽器も多数あり、その規模と楽器の種類の多さはマーラーの交響曲をも凌駕する壮大なものになる。イントロのファゴットの音の引き方がこんなに長いのは初めてで、しかし不自然でも嫌味でもないのは、聴衆の耳を独り占めするに足りる上手さあってのこと。曲が進むに連れ、膨大な数の金管と木管が複雑に絡み合い、普通なら個人技の見せ場と言えるパートが瞬時にあちこちに切り替わり、更に同時進行して行く様は壮観で、マーラーを聴き慣れた耳でもソリストを目で追いかけるのに苦労する。これは、聴いて面白いだけでなく見ても楽しい曲。オケの技量を要求される難曲を、この質の高い演奏で聴けたのは素晴らしい体験。
トータルの演奏時間70分程度のプログラムでで、弦を朗々と歌わせる選曲というわけでもなかったため、やや物足りなさがあったものの、アンコールで火の鳥「魔王カスチェイの凶悪な踊り」を迫力のノリで聴かせてくれたことでそんな不満も吹っ飛んでしまった。
終演後は、オケのメンバー同士でにこやかに称え合い、チームワークの良さも見えた良いコンサートでした。やはりオケのメンバーが楽しそうにやっているコンサートは良いものです。

【演目】
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲
(アンコール)
イベール:間奏曲
ラフマニノフ:交響曲第2番
(アンコール)
ラフマニノフ:ヴォカリーズ
モーツァルトはボストン交響楽団の主席フルート奏者であるエリザベス・ロウと同首席ハープ奏者のジェシカ・ジュウがソリストを務めての演奏。軽快なテンポで始まり、室内オーケストラのような小編成(木管はオーボエ2本、金管はホルン2本だけ、チェロとコントラバスはそれぞれ4本2本)のオケは抑えめに優しい音色で軽やかに音を紡ぐ。その後も典雅な終始モーツァルト・ワールド。もともと音量が大きくない楽器の協奏曲、モーツァルトはかくあるべしという感じ。ただ僕は、小奇麗な美音を味わうことはできても、曲そのものはあまり面白いものではないと思っていたので、心地よすぎてやや眠くなってしまった。
ラフマニノフは今回、初めて生演奏に接してみてオーケストレーションが独特であることを実感。ベートーヴェンやブラームスのようなきっちりとしたパートの組み立て、流れと比べると構成がモヤっとした印象。また、ボストン交響楽団の木管部隊は、個人技はまずまずでも聴き惚れるレベルとまでは言えないところがそう感じさせた理由なのかもしない。金管はやや音が荒く、合奏時の精度ももうひとつ。でも、アメリカのオーケストラらしい馬力は流石だった。曲そのものはロマンティックで濃厚な甘さを持ち味とするだけに、弦の表現が求められるところで、その点は文句もうなし。ネルソンスの芸風もあって、ゆったり、ねっとりと奏でる弦は雄弁に歌い、やや明るさを伴う音色はこれまで聴いたオケの中でも最上級の美しさ。ラフマニノフはこのくらいやっちゃっいましょうという潔さが良い。席の正面に位置していたせいか、チェロやコントラバスの余裕たっぷりの鳴りっぷりも印象的だった。

【演目】
ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲(フランク・ペーター・ツィマーマン)
(アンコール)J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より「アレグロ」
ブラームス: 交響曲第1番
ハイドンやモーツァルトの協奏曲ほどではないにしても、編成は小さめのベートーヴェン、穏やかに始まる最初の30秒で、オケから滑らかでリッチなサウンドが滲み出て来る。ああ、4年前に聴いたときと同じだなあ、と思わず頬が緩んでしまう。ツィマーマンは、品良く穏やかに、それでいて美しく歌い、時に情感も顕にするという、余裕たっぷりの見事な演奏。ツィマーマンは、ソロが休みのときでも第1ヴァイオリンのパート(時にはヴィオラのパートまで)を弾くという、演奏そのものを楽しむ余裕まで見えて、力まなくても聴き手を魅了できることを示していたように思う。ツィマーマンのしなやかさとオケの音色が見事な一致をしているところもお見事。
メインはブラームスの交響曲第1番。重厚に始まる第1楽章。テンポは適度に早くもなく遅くもなく丁度良い塩梅。いや少し早めか?それにしても、金管、木管の各パートの上手いこと上手いこと。全部のパートが上手いだけでなく、バランスが取れていてアンサンブルも見事で、オケ総体の実力として本当に素晴らしい、と途中何度も唸ってしまった。弦があまりにも艶々しているのでドイツ的な渋みが欲しい人には少々物足りないかもしれないけれどその弦の確かな歌い方も見事なもの。第4楽章ではテンポをぐっと落として始まり、途中は早めで終盤はまた遅めという展開。最近リリースされたマーラーの2番のSACDもそうだけれど、ガッティはテンポを落とすと決めたところはガクンと落とす。ただ、この日は第3楽章までのテンポ感と第4楽章のテンポ感のつながりがあまり良いように思えなかった。それでもこれだけの音で聴けたブラームスに満足。艶々なブラームスはこれでこれでアリでしょう。

【演目】
ハイドン:チェロ協奏曲 第1番(タチアナ・ヴァシリエヴァ)
(アンコール)J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番より「プレリュード」
マーラー:交響曲第4番 (ソプラノ:マリン・ビストレム)
ハイドンのチェロ協奏曲は、室内オーケストラの規模にコンセルトヘボウのチェロ主席がソリストとあって、どこかアットホームな雰囲気。ガッティはオケにお任せ状態で、ときどき体を動かす程度。席の関係で前日よりも音がやや音が遠いもののオケの美音は相変わらずで典雅。曲としてはそれほど面白いものではないものの、こうした曲もたまにはいいものです。
マーラーの4番は、木管パートに聴かせどころが多く、コンセルトヘボウはまさにうってつけ。実際、素晴らしく艶のある音で魅了してくれたし、見ながら聴いてみて木管のオーケストレーションの面白さもたっぷり味わうことができた。ホルンとトランペットも上手さが際立っていて、聴き惚れることしばしば。ところが、曲がどうにも僕の内面に突き刺さってこない。こんなに良い演奏だというのに。急に部分的にテンポを早めるところがちょっと気になりはしたんだけれど、そんなことに眉をひそめるほど僕は神経質ではない。第3楽章の終盤に舞台右袖からソプラノ歌手が登場し、ティンパニの右隣に立ってそのまま第4楽章に入るという演出。個人的には、この楽章の歌は透き通るような率直な歌い方が好みなんですが、代役の歌手は微妙に揺らす感じ。そんなところもあまり心を動かされなかった理由なのかもしれない。僕は、どのようなスタイルで演奏されたとしても自分の「こう在るべき論」といのは持たないようにして、「この指揮者はこう表現するんだね」と受け止める方だと思っているんですが、やはり肌に合わないということはあるのかもしれない。

【演目】
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第3番
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第4番(デニス・マツーエフ)
(アンコール)ラフマニノフ:練習曲 『音の絵』 Op.39-2
ラフマニノフ:交響的舞曲
(アンコール)メンデルスゾーン: 『真夏の夜の夢』 よりスケルツォ
この日は昼の部と夜の部でピアノ協奏曲4曲をすべて演ってしまいましょうという企画。夜の部のみの鑑賞。
まずはピアノ協奏曲第3番。序盤の物悲しい旋律を繊細に弾くマツーエフは、以前テレビで見たパワフルなイメージとは異なるもの。体格に似合わぬデリケートなタッチに驚きつつも、第3楽章の激しいパートではやはりパワフルに体を揺らしながら鍵盤を叩きつける。しかし、無理して強打している印象や、粗雑な印象は皆無で、余裕を持って迫力のある打鍵を、正確さにいささかの影響も与えずに圧倒する様は、単なる力技的な印象とはまったく異なるもので、まさにラフマニノフのコンチェルトを弾くに相応しいと何度も曲中で頷くいてしまっていた。第4番(この日4曲目の演奏!)でもマツーエフのエネルギッシュな演奏はいささかの疲れを感じさせない。こちらはラフマニノフにしてや少しトリッキーなオーケストレーションがされていて、実演で観ているとそこも楽しめる。
最後は交響的舞曲。協奏曲のときに既に見えていたものの、このオケの実力はなかなか大したもの。弦の音は滑らかで膨よかに良く歌う。金管木管は超高機能オケのようなアンサンブル世間での評価や認知度を誇るオケに比べるとやや緩い印象はあるものの、実によく歌うオケで個人的にはとても好きなタイプ。途中、木管(珍しくサックスが入っている)の掛け合いパートで伸び伸びとコール&レスポンスするところはある意味本日のハイライトになっていた。是非、他の曲も聴いてみたいと思わせる素晴らしいオケでだった。

【演目】
モーツァルト:ロンド イ短調 K. 511
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K. 300d
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 Op. 101
シューマン:ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 Op. 22
ショパン:4つのマズルカ
 第14番 ト短調 Op. 24-1
 第15番 ハ長調 Op. 24-2
 第16番 変イ長調 Op. 24-3
 第17番 変ロ短調 Op. 24-4
ショパン:ポロネーズ 第6番 変イ長調 「英雄」 Op. 53
(アンコール)
ブラームス:6つの小品 Op.118 第2番 間奏曲イ長調
ショパン:前奏曲 第7番 イ長調 Op.28-7
遅刻してモーツァルトは会場外のスピーカーで聴くことに。それでももうピアノの軽快な美しさが垣間見える。ピアノソナタ第8番が終わったところで入場。
ベートーヴェンは手持ち音源音源のバックハウス、グルダ、バレンボイムと比較してもあまり奇をてらうことのないまっとうな演奏。それでも弱音部の繊細なタッチと美しさ、正確な表現にうっとりしてしまう。
シューマンのピアノソナタ第2番は手持ちの音源がアシュケナージのもので、比較すると冒頭で少し溜め方が違って、おっ、となる。それでも基本的な表現はベートーヴェンのときと大きくは違わない。この曲ならでは情熱的なテイストも過剰にならないバランスでやはり品位のある表現。
ショパンのマズルカは手持ち音源がルービンシュタインとの比較で、さすがに古いルービンシュタインの演奏と比べるとかなり洗練された表現で、ここはブレハッチの個性が存分に出ている感じでした。英雄ポロネーズは本人のCDと比べてやや緩い感じで演奏され、生演奏ならではの適度に力が抜けた演奏が楽しめたと思う。
アンコールでは、個人的にあまり馴染みのないブラームスに続いて、ショパン前奏曲第7番(パンシロンのあの曲)を過剰な表現を抑えたやはり親しみのある演奏でまとめていた。
全体を通して、ブレハッチに抱いていたイメージどおりの演奏で、タッチの繊細さと粒立ちの良い美音、時に音を濁らせてただ綺麗なだけで終わらせない表現の幅を堪能できたと思う。実際に見たブレハッチは思ったより小柄で、既に32歳であるにもかかわらず、所作が少年のように礼儀正しく純粋な音楽青年という印象だったのも僕にとってはちょっと意外だった。これまでにあまり真剣に聴いてこなかったピアノの面白さ、理解がさらに深まった有意義なコンサートに満足。

2018/5/4(金)
【1】
指揮:ラルス・フォークト
演奏:ロイヤル・ノーザン・シンフォニア
演目:
・モーツァルト:オヘ゜ラ《ト゛ン・シ゛ョウ゛ァンニ》K.527 序曲
・ストラウ゛ィンスキー:弦楽のための協奏曲 ニ調
・モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504「フ゜ラハ」

【2】
演奏:アルク・トリオ(依田真宣vl、山本直輝vcl、小澤佳永fp)
演目:
・ショハ゜ン:ヒ゜アノ三重奏曲 ト短調 op.8
・トゥリーナ:ヒ゜アノ三重奏曲第2番 ロ短調 op.76
ラルス・フォークトって指揮もやっていたのね、という軽い驚きを覚えつつ、名前も知らないオーケストラを聴く。演奏に傷もなく、アンサンブルは良好。快速テンポの「プラハ」第3楽章は木管がやや乱れたりはしていたものの、しなやかな美音の表現(特に「プラハ」の第2楽章)はなかなかのものでエリザベス女王からロイヤルの称号をいただいたというのも頷ける演奏。ほとんど聴く機会がないストラヴィンスキーの協奏曲の独特の響きを楽めたのもなかなか貴重な体験だった。
2つ目の室内楽も、なかなか良かった。普段聴かない曲をじっくり味わうという意味でやはり生演奏は良い。室内楽の演奏レベルについてはまだあまりわかっていないということもあり、演奏家のことを知らなくても楽しめる。ショパンのピアノ三重奏は18歳のときに書かれたもので、完成度はほどほど、垢抜けしておらず、ショパンらしい哀愁もそれほど前面に出ていない曲で、それでもじっくり生で聴いてみるとなかなか良い曲と実感する。わかりやすい、スペインのテイストが横溢しているトゥリーナの曲は、馴染みがなくても楽しめるもので、これも面白く聴くことができた。

【演目】
交響曲第2番 op.36
交響曲第6番 op.68
「レオノーレ」序曲第3番 op.72b
まずは交響曲第2番から。始まって2分もしないうちに、ああこのオケは上手いと確信。ヴァイオリンはよく歌い、美しく、しかしただ甘味でなく格調高さまで感じさせる。チェロやコントラバスの響きも豊か。木管はどのパートもハイレベルで金管も非の打ち所がない。特筆すべきは、これら各パートのレベルの高さに加えて、全体のバランス、アンサンブルが見事であること。上手いからと言って出過ぎたところ、落ち着けがましいところがなく、しかしオケ全体は余裕を持って豊かに音を紡ぎ出してる。編成としては決して大きくない曲であるのもかかわらず、サウンドがリッチで締りがある。このオーケストラで聴く2番はまさに極上品。もともと2番は好きな曲ではあるんだけれども、こんなに素晴らしい曲なんだと改めて思い知らされた。特に第2楽章の美しさと言ったらそれはもう言葉に表せないほどで、生涯忘れられない2番を聴いたという思い。
大幅に編成が増強された第6番は、やはり一分の隙もない見事な演奏。ところがテンポ設定が、クライバーかカラヤンかと思うような早めの設定で、僕の好みから言うともう少し落ち着いた演奏で聴きたかったというのが正直なところ。一方で、活力漲る田園と捉えるなら、これほど素晴らしい演奏はない、と感じた方もいたに違いない。好みのテンポではなかったというだけで残念と思ったわけではなく、素晴らしい演奏を聴いたという思いに揺るぎはない。
最後に演奏したレオノーレ。これがまた圧巻。ベートーヴェンの序曲は全集の余りスペースに入っていてあまり真面目に聴いていないというのが正直なところだったけれど、ここまでの演奏を聴かされると曲の底力を思い知らされる。後半のステージ裏から聴こえるトランペット・ソロがそれはもう見事で、いや本当にいいものを聴かさてもらいましたと大満足。

【演目】
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」
(ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン)
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 op.72
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
まずは、今年生誕100年を迎えたバーンスタインの交響曲第2番から。大編成でダイナミックな曲は生で聴くとやはりスケール感が倍増。繊細な弱音をかくも美しく響かせる(ピアノを習ってから弱音とその表現の難しさがわかるようになった)ツィメルマンのピアノ、そして雄弁なオケの響きが一級品の音楽となって、良いものを聴いた感に満たされる。オケのレベルは世界でもトップクラスで、僕がオケの実力の判断基準のひとつとしている、弱音での音の美しさも申し分ない。
次は、より気軽に聴けるドヴォルザークのスラヴ舞曲。躍動感とスラヴ臭漂う哀愁の表現はラトルの得意とするところで、この曲でオケな見事の歌いっぷりがより明確になる。楽しさと美しさを備えたこの曲は、単曲でアンコールに演奏されることはよくあるけれど、このレベルのオケで通して聴ける機会は少なく、躍動と美を交互に配した構成の良さを再認識。ロンドン交響楽団は弦に品位ある艶を備えた美しさがあり、金管木管も技量的に優れていてオケ全体がよく歌う。更にオケ全体のバランスが良いところが素晴らしい。
3曲目のシンフォニエッタはP席の最後列、パイプオルガンの前に9人とトランペット奏者がズラリと並ぶ。冒頭のトランペットによるファンファーレは、それなりの人数によるものだろうとは思っていたものの、9人も居て、しかもこの高い位置から放出されるファンファーレの響きと音圧は相当なもの。オーディオではどうやっても再現できない音響とはまさにこのこと。生で聴いてこの曲が内包していた魅力を教えてもらえたような気がする。

【演目】
ヘレン・グライム:織り成された空間(日本初演)
マーラー:交響曲第9番
1曲目は典型的な現代音楽。聴いて楽しいものではないんだけれど、20分くらいとあって前菜として楽しめた。このような曲を日本で採り上げる意欲的なプログラムは、他のオケにも見習ってほしいところ(有名曲ばかりを要求する主催者と観客にも)。
マーラーの9番は表現の振幅が大きく、大げさにやりすぎると低俗に、抑えすぎると物足りない、ということになりかねないので、そのバランスをどう取るかか指揮者の腕の見せどころ。ラトルは重くなりすぎることなく、しかもスケールの大きい表現をオケから引き出す。この日もオケのパフォーマンスは前日と全く同等(2日続けて同じオケを聴くとデキに差があることも少なくない)の素晴らしさ。

【演目】
シューマン:交響曲第1番 「春」 op.38
シューマン:交響曲第2番 op.61
シュターツカペレ・ドレスデンのサウンドは、やや渋めの音色で、コンセルトヘボウのような暖色系の音とは全く違っている。渋めといってもそれは音色の話で、弦はよく歌っていて弱音の表現力も高い。金管、木管も派手さはないものの、実に安定していて安心して身を任せられる技術があり、オケ全体のレベルは非常に高い。ベルリン・ドイツ放送交響楽団、バンベルク交響楽団の音色と似た傾向のいかにもドイツ的なサウンドで聴くシューマンは、まさにドイツ音楽そのもの。ティーレマンは時にぐっとテンポを落としたり、タメたりと得意な芸風を存分に披露。単調になりがちなシューマンの交響曲は、このくらい大胆にやってくれた方がいい。このオケのパフォーマンスを聴いていると、ブルックナーやブラームスを是非聴いてみたいと思わせる。でも、シューマンもこの指揮者、オケにとてもよく合っている。シューマンは力量のないオケだったり、優等生的な指揮だと退屈しそうな感じもするので、ティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンで聴く機会を持てたのは本当に良かった。

2019年2月23日(土)コブルーノート東京、クリス・ボッティの2ndセット。
参加メンバー:
Sy Smith (vo)
Andy Snitzer (sax)
Joey DeFrancesco (org)
Eldar Djangirov (p)
Erin Schreiber (vln)
Leonardo Amuedo (g)
Reggie Hamilton (b)
Lee Pearson (ds)
この小さな会場で聴くあのトランペットのサウンドはやはりイイ。管楽器の生音(半分PA通しの音ですが)ってイイなあ、と改めて思い出す。1曲めはキーボードだけをバックにお得意の"Ave Maria"で入る。その後は、ベース(曲によってウッド・ベースとエレキを使い分け)とドラムが出ずっぱりなだけで、あとは入れ代わり立ち代わり目まぐるしく演奏メンバーが変わる。"I Thought About You" "So What" "When I Fall In Love" といったマイルス縁の曲を中心に、"Cinema Paradiso" や、レッド・ツェッペリンの "Kashimir"(ボッティ抜けてヴァイオリン中心)まで飛び出す幅の広さメンバーがコロコロ入れ替わり、それに応じてさまざまな曲が演奏されるので観ていて楽しくて飽きない。特筆すべき、誰一人として「まあ、この程度の人もいるかも」と思わせれることがなく全員、演奏の腕が確かなこと。特に印象に残るのは、セントルイス交響楽団でアシスタント・コンサートマスターを勤めているというエリン・シュレイバーのヴァイオリンと、ジョーイ・デフランセスコ(12年前にマンハッタンのJazz Standard)で観たことがある)のオルガン、そして鉄壁かつ聴かせどころを心得たベースとドラム。ギターも含めてみんな上手い。上手すぎる。
演奏が始まって1時間くらいが経過して、もうそろそろ最後の曲かなと思っていると、会場席に歌手のサイ・スミスが登場して歌い始める。ショウは更に続いて、終わったときには1時間半以上が経過、ボリューム感でもお腹いっぱいに満足させてくれる。
演奏中は、お休み中のメンバーが合いの手を入れたり、観客とカジュアルな会話をしたり、とにかく楽しく、リラックスした様子が会場を包み込む。ボッティのCDを聴いて「悪くないんだけど安楽でお高くとまったムード・ミュージック」と思っていたんだけれど、ライヴは熱量も表現も幅が広いし、根底にはバート・バカラックやトニー・ベネットのようなアメリカン・エンターテイメントの世界にも通じていて、観ている者を楽しませるショウとして一級品だった。CDで作り上げているイメージとは異なり、ライヴ自由に伸び伸びと自分の音楽を演っているクリス・ボッティの本来の姿はこういうものんだということが、ということがよくわかった。

2019年3月19日(水)ブルーノート東京、マデリン・ペルー、2ndセット。
メンバー:
Madeleine Peyroux(vo, g, uke)
Andy Ezrin(key)
Jon Herington(g)
Paul Frazier(b)
Graham Hawthorne(ds)
生で見るマデリン・ペルーは、飾ったところや華がなく、(こう言っては失礼ですが)ふつうのおばさんという風情。ジャケットやアーティスト写真と比べると「おっとっと」と思うくらい小太りな感じでスターのようなオーラは一切ない。あまりそういうショービジネス的な世界に関心があるようには見えず、好きな歌をただ歌っているといううストリート感漂うムード。実際にライヴで聴くと、歌い方はかなり崩している、というかそもそもちゃんと歌おうとしていない。音程もリズムのとり方も自由気ままで、マイクとの距離のとり方もあまり気にしていないのか、マイク越しと生声が入り交じって聴こえる場面もあった。もちろん、正確に歌えないという不安定さではなく、CDのようにキッチリ歌おうとしていない気負いやパフォーマンスのない歌を聴いて、ああ、これが普段着の彼女なんだなあということが良く伝わってきた。音楽的には全体的にブルースの影響を個人的には感じた。実際にブルース色がある曲も1曲演奏していたけれど、そういった表面的なものではなく、ステージを通して彼女の根底にブルースというアメリカが生んだ音楽がしっかりと根づいている。これはCDからは感じられなかったところで、こうしたところも普段着の彼女と感じさせた一因かもしれない。そういう意味で言うと、CDは随分とガッチリとプロデュースして作られたものであるということがよく分かるステージだった。

LAPの印象は4年前とまったく変わらなかった。どのセクションも実に良く歌う。金管の華やかな響きはもちろん、木管のパワーをここまで感じさせるオケは珍しいと思う。そうかと言って弦が劣るかというとこちらも微音の繊細な響きからたっぷりと歌わせるところまで、それはそれは見事な響き。総じて、音の渋みや陰りや彫りの深さという表現ではなく、華やかで押し出し感の強さがLAPの特徴で、4年ぶりに観て、これはオケの持ち味なんだなと確信。
こう書くと、死を意識したマーラーの9番を表現するには深刻さや切実さ、ドロドロした雑味が足りないんじゃないかと思われるかもしれないけれど、それはその通りだと思う。華やかと書いたとはいえ、音色が常に明るいという意味ではなく、シリアスな表現を求められるパートではしっかりと重々しさや寂れた感じのサウンドが出てくる。ただ、オケの持っている本質的な部分として、ある意味娯楽的な表現になっているように感じられ、それは土地柄を考えれば当然なことでもあるように思う。
ドゥダメルの指揮ぶりは、以前よりは落ち着き気味のアクション、それでもここぞというところでは大きな身振りでオケを煽る。第1楽章では、オケのまとまりにあれ?と感じるところもあったけれど、徐々に熟れてきて、第3楽章のフィナーレの勢いと激しさは、ドゥダメルLAPの良さが良く出ていた瞬間。第4楽章で求められる弦(特にヴァイオリン)の美しさとダイナミクスも素晴らしかった。

2019年4月6日(土)ブルーノート東京、チック・コリアの2ndセット。
Chick Corea (p)
Chiristian McBride (b)
Brian Brade (ds)
チックのピアノに合わせてオーディエンスにハミングさせるという和やかな雰囲気から "La Fiesta" になだれ込むというスタート。演奏に入ると3人の緊密なプレイに目が釘付けになってしまう。クリスチャン・マクブライドの高速かつ正確かつメロディックなベースと、無限の引き出しを持つブライアン・ブレイドのツボを抑えたドラムで紡がれる演奏はCDで聴けたあの演奏そのもので、思わず身を乗り出して聴いてしまう。そうは言ってもそこはジャズのライヴ。CDの、ある意味カッチリとした演奏(CDはやはり繰り返し聴くに耐えるキッチリした演奏を選んでいる)とは一味違う緩さもある。その緩さは、演奏が弛緩しているということではなく、良い意味での遊びを持たせたもので、演奏の質はCDで聴けるものとまったく遜色はない。もちろん、CDに収録されていた "This Is New" "Alice In Wonderland" なども、その場限りの空気で演奏される。この日観たステージでは、CDに一部にあったようなフリーな展開の曲がなく、自作として(書いたけど譜面を失くしてしまったと言いつつ、8ページの譜面をピアノに置いていた)スパニッシュ・ソングと紹介していた曲を中心に形式がキッチリした曲で占められていたけれど、自由度は至るところにあって、やはり一瞬たりとも目が離せない。ジャズのおおらかさ、楽しさを持ちながら、最高レベルの音楽性と技術も備えた演奏を聴いていると、気がつけば1時間15分くらいがあっという間に過ぎてしまっていることに自分でも驚いてしまった。そこからアンコールにさらに応えてまた余裕たっぷりにモンクの曲で締めてくれて大団円。とにかく、いいもん聴かせてもらいました、という感想しか出てこない。

【演目】
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(辻彩奈)
(アンコール)バッハ 無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番 "ガヴォット"
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
辻彩奈はテレビで観た印象そのままの感じ。正確さも楽器の歌わせ方も大したもので、技術はとてもしっかりしているし表現力もある。若さ漲る直線的な勢いが前面に出た演奏で、音楽が硬いし、曲に深く入り込んで独自の表現で聴かせるのはまだまだこれからという感じで、悪くいうと青臭い。どう表現するかの手法を含めた技術はすでに高いレベルにあるけれど、その技術をどう使ったら音楽として素晴らしい表現になるか、という音楽性はかなり未熟な印象。でも、この若さ(21歳)で表現の深さまで求めるのは流石に酷というもので、これからもっと良い演奏家になっていってほしいと期待感を抱かせるポテンシャルはあると思った。
マーラー第6番は、ガッシリしたオケの鳴りとともに始まり、良い演奏になりそうな予感。実際このオケは楽器の歌いっぷりがとても良く、精度よりも演奏者の自発的な表現を重視する僕好みのタイプ。特に木管の元気な鳴り方は、なかなかのもの。しかし、ずっと聴き進めて行くと、線の揃いが怪しいところが少なからずあり、特定の楽器が鳴りすぎていたりするところなどが耳に付きはじめる。これは指揮者の責任でもあるけれど、オケ全体のアンサンブルが良くないし、パート間の音のつながりも良くない。短くてシンプルな曲なら誤魔化せたかもしれないけれど、マーラーの第6番という大曲だとそうはいかない。
それでも前述の通り、スイス・ロマンド管弦楽団は楽器、オケの歌いっぷりは素晴らしい。過去に観てきたオケの中でも上位に来ると言ってもいいくらいで、優れた音楽監督、指揮者がうまく統制できたら素晴らしい演奏を聴かせるんじゃないかという期待感を持たせるだけのポテンシャルはあったと思う。

【演目】
ペルト:ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 (五嶋みどり)
(アンコール)バッハ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番第3楽章ラルゴ
トゥール:テンペストの呪文
シベリウス:交響曲第2番
(アンコール)
レポ・スメラ:スプリング・フライ
ヒューゴ・アルヴェーン:羊飼いの娘の踊り
1曲め、「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」は金管木管抜きの漂うような弦楽曲。美しくも、やや映画音楽的な10分程度の曲。
そして、個人的には本日のメインである「ヴァイオリン協奏曲」。オケがドンと入ってくる前の冒頭ソロだけで気持ちを激しく揺さぶる五嶋みどりに早くも圧倒されてしまう。例によって足をぐっと踏ん張って体をよじらせるように弾く五嶋みどりは、見た目とは裏腹に情感過多にならなず、繊細な表現に心を砕く演奏が持ち味と思っていたんだけれど、この日は想像以上に情感に溢れた熱演で、もちろんそれでも格調高さがいささかも失われていないところに聴き入るばかり。精度の高いフレージングでも機械的なムードは皆無、激しさ、繊細さ、そしてダイナミズムも圧倒的で、世界の一流奏者であることを存分に見せつけた演奏に、ホント、イイもの聴かせてもらいましたという感謝の気持ちしか出てこない。
休憩から、威勢のいい「テンペストの呪文」を挟んでの「交響曲第2番」。オケは精鋭集団というだけに流石の響き。金管木管はアンサンブルにところどころ難があったりはしたけれど、ソロ・パートはまずまず、弦は雄弁に歌い、積極的な主体性が前面に出たなかなかの実力のオケであることがわかる(HPにある、ルツェルン祝祭管弦楽団に匹敵は言い過ぎだけど)。シベリウスの寒々とした音色を見事に表現し、時に大上段に構えた煽りを交えつつパーヴォの機敏な進行でキビキビとした演奏は聴き応えがあり、初めて聴くシベリウスを存分に味わうことができた。

2019/5/3(金)
【1】
指揮:リオ・クオクマン
演奏:ウラル・フィルハーモニー・ユース管弦楽団
演目:
・フロレンツ:交響詩「クザル・ギラーヌ(赤照の砂漠)」op.18
・ブルッフ:スコットランド幻想曲op.46 (vl:梁美沙[ヤン・ミサ])
【2】
演奏:アナスタシア・コベキナ(vc)、パロマ・クーイデル(p)
演目:
・ブーランジェ:チェロとピアノのための3つの作品
・ヒナステラ:パンペアーナ 第2番
・フォーレ:ゆりかご op.23-1
・ブラームス:チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 op.99

【1】
ユースオケということで、ハードルを上げず、より気軽な気持ちで聴いてみる。日本初演のフロレンツの曲は長い(20分以上)わりには、これと言った展開もメリハリもない曲で睡魔に襲われてしまう。ブルッフは、元気いっぱいの若いソリストの熱演とオケの好サポートもあって、なかなかの好演。あまりオケへの技術的要求度が高い曲ではなさそうではあったんですが、僕の目からみたら子供みたいに見える、女性比率8割以上の若いメンバーで聴く演奏は予想以上に良い演奏で、あまり生で聴く機会のないこの曲を楽しめるプログラムでした。
【2】
94年生まれという若きチェリストをメインに、それほど馴染み深くない小曲とブラームスのソナタというプログラム。現代的なブーランジェ、モダンなラテン・テイストのヒナステラ、ロマンチックなフォーレと選曲が良かった。コベキナのチェロは若さ溢れる激しさ(ちと鼻息が大きすぎるけど・・・)と瑞々しさがあるし、ルックスも良くてこれからスターになる可能性十分という感じです。こういう若く有望な演奏家を紹介するのもLFJの大事な役割。サポートのクーイデルのピアノも素晴らしい・・・と思えるようになったのは自分でもピアノを弾くようになったからで、足元まで見えていたのでペダルの観察などしながら聴き入りました。やはりプロのピアニストって凄いなあ・・・。これまでLFJで聴いた中で屈指の演奏でした。

前回、2012年のときは抽象的でスローな曲がほとんどとあって、なんだか掴みどころのない演奏で、船を漕ぐオーディエンスも少なからず見かけた、少々自己満足的なコンサートだったことを思い出す。結論から言うと、今回は普通のジャズ・ピアノ・トリオらしい演奏を楽しめる内容だった。ただし、近年のメルドーはあまり指を忙しく回す演奏を志向しておらず、かつでのArt Of Trio時代とはスタイルが変わってきていて、数曲演奏されたアップテンポの曲を含めて内向的な演奏に終始。もちろん、これはこれでメルドーの魅力ではあるんだけれど、例えば「Brad Mehldau Trio Live」の "Black Hole Sun" のような自由度の高い演奏を織り交ぜるなど、幅をもたせてくれても良かったんじゃないかな、という思いも過ってしまう。もちろん、演奏の質は高く、特に今回はジェフ・バラードの見せ場も結構あり、ジャズらしい楽しみがあって、内容について不満はちょっとした個人的な思いに過ぎない。コルトレーンの "Inch Warm" を面白く料理したり、メルドーが演奏するのは初めて聴く"When I Fall In Love" がメルドーらしいスタイルで美しく演奏されるなど、聴きどころはもちろんあった。
それでも僕は思ってしまう。このメンツでの演奏ももうだいぶ長くなり、ややマンネリ化しているのも事実ではないかと。ピアノ・トリオでできる演奏スタイルはやはりどこかで限界が来てしまうもので、それはビル・エヴァンスやキース・ジャレットでも避けられなかったところ。4月に観たチック・コリア・トリオが、その時、その場での呼吸を感じさせるものだったのに対して、曲が始まるときと終わるとき以外は目配せもしない3人の、良く言えば完成された、悪く言えば型にハマった演奏だったとは言えると思う。なんていろいろ書いたけれど、やはりこの3人でなければ聴けないクオリティの演奏だったことは間違いなく、悪い演奏だったなんて言うつもりはありません。

【演目】
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(ユリア・フィッシャー)
(アンコール)パガニーニ:24の奇想曲第2番
ブラームス:交響曲第1番
(アンコール)ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
この日のお目当てはユリア・フィッシャー。端正でありながら単なる折り目正しさに収まることなく、情感が豊か、抑えるところは抑えつつ、ここぞいうところでの荒々しさも当然備え、その表現の幅の広さと曲の場面にあった表情作りの巧さがあり、それを曲全体の表現に昇華させている。完璧にコントロールされた微音の美しさと繊細な響きが出色で、第2楽章は素晴らしい聴きどころだった。このまま演奏が終わらなければいいのに、と思う演奏を聴けたことは本当に幸せなこと。
後半の交響曲第1番。オーソドックスなテンポによる進行と、誇張のない自然で柔らかい表現が心地よく、シュターツカペレ・ドレスデンにも通じるドイツオケらしい少し渋めの(洗練を志向していないとも言える)サウンドが曲に良く合っている。厳しい目で見ると、金管と(オーボエ以外の)木管に力強さに物足りなさがあった(上手くないのに汚い音で大きな音を出されるよりはずっと好ましい)し、テンポを急に上げたときに弦のセクションが乱れたりする場面もあったけれど、手練の曲ということもあってブラームスの良さを上手く表現していた。

たまたま旅行に行っていたハワイのブルーノートでクリス・ボティ2019年7月14日(日)1stセット。客入りは7割くらいと上々。2月のブルーノート東京でゲスト参加していたジョーイ・デフランセスコはいなかったし、女性ヴァイオリニストが違う人(MCからこの日の人が本来のレギュラー・メンバーな感じ)だった。演奏曲はあまり被っていなかったものの、5ヶ月前と内容は似たような感じで90分たっぷりと楽しませてくれらのも同様。改めて観て思ったのは、ドラムとベースがとても上手いということ。ジャズ・クラブで展開するアメリカン・エンターテイメントというジャンルにおいても、ライヴが素晴らしいと思える基礎となるのはやはりベースとドラムであることを再認識。日本人皆無の客席反応はスポンティニアスかつナチュラル。この種の音楽が彼らに深く根付いていることも感じさせてくれたライヴでもあった。

【演目】
スメタナ:モルダウ〜連作交響詩「わが祖国」より
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(樫本大進)
(アンコール)J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番より「ガヴォット」
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
(アンコール)エルガー:エニグマ変奏曲 Op.36-9 「ニムロッド」
まずはチェコフルにとってお家芸でもあるモルダウはさすが手慣れたもの。誰でも知っていながら、意外と実演を聴く機会が少ないこの曲、こんなにいい曲だったのかと再認識。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も、オケの表現は好調。ただし、樫本大進のソロはあまり僕の心には響かない。もちろん技術が足りないとかそういったことはないんだけれど、小刻みなヴィブラートを多様する演奏は一本調子でもうひとつといったところ。
ここまでの演奏から、期待が高まるメインのチャイコフスキー交響曲第6番は、ゆったりと歌わせた演奏。近年ではクリアでテキパキした演奏が多く、それらと比べると洗練されていなくてどこか野暮ったい。でも、それがチャイコフスキーのバタ臭さにとても良く合っている。流れが自然で、恣意的に効果を狙ったところがどこにもなく、見方によっては少々古い演奏だったかもしれない。でも、こういう普遍的な演奏もまたいいもの。オケの演奏スタイルも洗練されていないし、もの凄く高精度な演奏というわけではないものの、とても安定していて各パートもオケ全体もとても良く歌っているから安心して身を任せることができる。ありそうで意外とない、心地よい演奏とでも言ったらいいんでしょうか。出過ぎたところがなく、力任せなところもなく、アンサンブルが素晴らしくて、「イイ音楽を聴いた」という幸福感に満たされる。

【演目】
チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲(リサ・バティアシュヴィリ)
(アンコール)マチャヴァリアニ:ジョージアの民謡よりDoluri
マーラー: 交響曲第5番
3年前に観たときの印象が薄いフィラデルフィア管弦楽団。
まず、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は奇しくも2週間前の樫本大進とチェコフルで聴いたばかりとあって聴き比べとなった(チケット発売時にはプロコフィエフだったけどプログラムが変更された)。
まず、オケの鳴りが違う。音の厚み、切れ味、正確さ。バティアシュヴィリのソロはさすがで、溜めるところ、突き進むところ、歌わせるところ、濁らせるところなどの使い分けが巧みで尚且、全体を通して聴いても流れが自然で表現に一貫性があるところが素晴らしい。ルックスが良いスター奏者だからそこそこの演奏なのかも、という事前に勝手に想像したたことに申し訳なさすら感じてしまうほどの圧巻の演奏。そもそもこのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、曲こそわかりやすくてシンプルではあるけれど、ソロ・パートは他の有名協奏曲(メンデルスゾーン、ブラームス、シベリウスなど)と比べても表現の自由度が高く、奏者の底力が試される曲で、それ故に実力を見せつけられた感じ。申し訳ないけれど、2週間前に聴いた曲と同じとは思えないほどの違いがあった。
続くマーラーの交響曲第5番も、豪華絢爛で圧倒的な音量のオケが本領を発揮。弦の歌いっぷりは見事で低弦は厚みたっぷり、金管木管も安定していて安心して爆音に身を任せられる演奏。ネゼ=セガンは、溜めるところを溜めすぎな大見得を切る演奏にバタ臭さを感じさせるものの、エンタメ味を横溢させる綺羅びやかなサウンドに合っているにも確かで、とても楽しめる演奏だった。

【演目】
ブルックナー:交響曲第8番(ハース版)
(アンコール)ヨーゼフ・シュトラウス「天空の音楽」
いつも、どのオケの上手さ、あるいは足りていないところなど演奏技量について書いてしまっているんだけれど、この日はそんな次元の話ではなかった。どのパートも素晴らしく、アンサンブルは見事、なによりもオケとしての音色と表現に圧倒的な説得力がある。オーケストラ音楽というのは技量の良し悪しを見極めることがその楽しみ方ではなく、オケが何を表現して、曲をどこまでの次元に持っていけるかというものが問われる、それを堪能するという当たり前のことを思い知らされた。
もちろん、他のオケのブルックナーだって素晴らしい演奏はあるに違いない。でも、この日の演奏は、美しさ、激しさ、音色、気品、誠実さなど他に代えがたい唯一無二の演奏だったことだけは言える。こんな演奏はそう何度も聴けるものじゃないだろうと思わせるに十分な高みにあった。それは演奏を終えたあとのティーレマンの表情にも表れていたように思う。
通常はあまりブルックナーの大作のあとにやらないアンコール。僕もこの第8番を聴いたあとにアンコールをあまり聴きたいとは思わないんだけれど、ウィンナー・ワルツをウィーンフィルで聴く体験もまた特別なものだった。
もういう演奏を体験できるからコンサート通いはやめられない。

【演目】
ワーグナー: 楽劇「タンホイザー」序曲
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第2番(ラン・ラン)
(アンコール)メンデルスゾーン:『無言歌集』より「紡ぎ歌」
ブラームス: 交響曲第4番
(アンコール)ブラームス:ハンガリー舞曲第3番、第1番
「タンホイザー」は個人的に好きな曲で、以前、マゼール指揮ミュンヘン・フィルで聴いたパリ版ではなく、一般的な短いバージョン(ウィーン版?)。それでも、オケの実力を存分に感じさせる見事な演奏で、ワーグナーならではの独特のオーケストレーションを堪能。
次は、テレビでの露出度が多く、旧来の評論家筋にはあまり評判がよろしくないラン・ランによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番。実際には第1番より先に作曲され、編成が小さい(ティンパニもない)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の中でももっとも古典的で、プロコフィエフやラフマニノフのような高度な技術を要求されるわけではないこの曲をどのように演奏するのか。第2楽章でピアニシモの透明感溢れる美音を聴かせる表現力をしっかりと聴かせつつも、およそ譜面には書いていないであろうケレン味たっぷりの演奏で、格調高い芸術と構えて聴く人はきっと顔をしかめたに違いない。でも、僕はもともとクラシックであろうとも音楽は娯楽だと考えているので、エンターテイナーぶりをニヤニヤしながら楽しんで聴くことができた。皆が皆、ラン・ランのようになってしまったら、それもちょっと違うだろうとは思うけれど、楽しそうに弾くラン・ランのスタイルは唯一無二で、人気がある理由もよくわかった。とにかく、こんなに個性的なスタイルでベートーヴェンを弾く人はいないでしょう。
メインは、これまた個人的に大好きなブラームス交響曲第4番。2年前にコンセルトヘボウでブラームスの交響曲第1番を聴いたときに、その演奏の素晴らしさを認めつつも、色彩感や温もりが表に出すぎていて、ブラームスにはもう少し渋みが欲しいという贅沢なことを感じたものだった。更に渋みが欲しいと思わせる第4番をどのように聴かせてくれるのか。サウンドはその2年前の印象とは違ってとくに弦の音に枯れた哀愁を伴っていて好印象。それでもドイツのオケのような音ともまた違うコンセルトヘボウならではのサウンドであるところが素晴らしい。ただし、ビロードのようなと評される滑らかさはやや損なわれていて、第1楽章と第4楽章の終盤をかなり速いテンポにしていたところが好みに合わず、感動にまでは至らなかったのは要因はそのあたりにありそう。ここは好みの問題でもあるので、まあ、仕方ないでしょう。それにしても木管奏者は相変わらず漏れなくハイレベルで聴き惚れるとしか言いようがない上手さ。木管楽器がオケのサウンドをどれだけ豊かにするかを見せつけられたかのよう。何度聴いても素晴らしいオーケストラです。

実に2年ぶりのライヴはキング・クリムゾン。本サイトはジャズに興味を示している人に情報を提供したいという主旨で始めたんだけれども、音源が多いこともあって実はキング・クリムゾンの情報が一番多く掲載されている。そこまでのマニアである僕が、2014年にトリプル・ドラム編成になってからの記事を一切書いていない理由はつまらなくなって興味を失ってしまったから。3人ドラム編成は単に役割分担しているだけで人数による妙味はないし、演奏している曲は過去の曲ばかりという懐メロバンドになってしまって、CDを聴いてブルーレイを見ても面白くなかった。でも一度も生で見ないで決めつけるのは良くない、しかもこのコロナ禍で隔離されることを厭わず来日、今回で最後になるかもしれないということもあって行くことに。結果・・・眠くなりました。演奏は流石に上手いし、過去の名曲もしっかり再現していたし、何かが悪いということではなかったんだけれど、なんでこんなに退屈なんだろうと考え込んでしまった。結論は「トリプル・ドラムだから」。ドラムという楽器は言うまでもなくリズムの土台を支えるのことが最も重要な仕事。でもそれだけなら機械にやらせれば良い、というとになってしまう。ドラマーの存在意義は何かと行ったら、リズムやグルーヴを創出して推進力を生み出すことにあると僕は考えている。そのリズムは指示された通りに正確にトレースすれば良いというものではなく、何よりも自発的にリズムとグルーヴを創り出すことが大きな役割である。しかし3人で役割分担するから重視されるのは連携であり、アンサンブルになる。つまり他の2人に合わせて叩かなくてはならないからドラマーにとってもっとも重要な自発性が希薄になってしまう。ダブルトリオ時代は相手に合わせるなんてことが眼中にないビル・ブルーフォードが好き勝手やっていたからそのような縛りを感じなかったけれど、今の3人はテクニックはしっかりしていても3人というフォーマットの中できっちり棲み分けてその枠の中で仕事をしているにすぎない、いや3人だからそうせざるを得ない。これまでCDで聴いてきて「つまらないなあ」と思っていた理由が生で聴いたら明らかになったという残念な結果に。
でも行っておいて良かった。コロナ禍でホテルに隔離されることも厭わず、日本までわざわざ来てくれたことにまず感謝したいです。この日はまさかの"Schizoid Man"抜きセットリストで驚いたけれど、過去の名曲をフリップのギターで聴けるのは恐らくこれが最後のチャンス。終演後、ステージに1人残って客席に深々と頭を下げているフリップ(前回のツアーでもやってたかもしれないけど)を見て、本当にこれで終わりなのかもしれないと思い、これまで素晴らしい音楽をありがとうと心の中でつぶやいて感謝の気持ちを伝えました。クリムゾン・マニアとして、そのような機会を持てたことは幸せなことです。

上原ひろみ ザ・ピアノ・クインテット、ブルーノート東京、2022年1月2日 1stセット。
このピアノ・クインテットはコロナ禍で海外アーティストとの共演が困難な中で何ができるかを模索して企画されたもので、なかなか良いアイディア。当然、ビート感が強いピアノ・トリオのような演奏にはならず、表面的にはアタック感が薄い落ち着いた曲に終始するんだけれど、いつも通り自作曲で自分の音楽として演奏されているところが潔い。CDと比べると、ライヴらしくソロ・パートを多めに取ってのパフォーマンス。そもそもピアノも弦楽器の生音で聴かせるものだから、狭い会場でのライヴではやはりその音の生々しさが映える。クラシックの世界では決して世界の一流とは言えない日本人奏者だけれど、各人のソロ・パートを聴いていると日本のトップ・オーケストラで演奏してるだけあってこういう場で聴くには申し分ない上手さ。ピアノもその場の気分に則った自由な表現になっていてライヴならでは演奏。ブルーノートで演奏するジャズ・ミュージシャンは、結構ラフで正直なところダサい服装の人が多い中にあってタキシードとドレスを着る弦楽陣と、独特のドレスと柄がお揃いのスニーカーでしっかり外見も作り上げてあるところも彼女の考えるアーティストとしての在り方への思いが伝わってくる。やはり音楽って、生演奏っていいなと再認識させてくれた上原ひろみ ザ・ピアノ・クインテット。年明け早々に音楽を聴く喜びを実感させてくれた上原ひろみと弦楽奏者たちに感謝です。

2022年4月29日 吉祥寺SOMETIME 大西順子カルテット
大西順子 (p)
大儀見元 (per)
井上陽介(b)
吉良創太(ds)
昨年末にリリースされた「Grand Voyage」のメンバーによるもの。1曲目が終わると、その場にいた多くの人が感じていたであろうことを大西自身が苦笑いしながら思わずボヤいてほのぼのとした笑いが起きる。「(目の前にいるドラムが)うるさ〜い」。全国各地を回って主にホールで演奏しているので、演奏者自身もこの狭い環境で音のバランスが良くないことは苦笑いするしかないんでしょう。生で聴いてみて改めて感じることはドラムとパーカッションが、自由な領域を持ちつつも緻密に計算されたアレンジに基づいて一体となってグルーヴを作っていること。大西が譜面を時々見ながら演奏していることを含めて、ある程度の基本ラインを押さえた上で、ほぼアルバム収録曲のセットリストながら尺が長く(特に2nd setは実質ピアノ・ソロの"Kippy"を除いて各曲は15分超え)、いかにもジャズのライヴらしい即興性(時にフリー・ジャズ的展開も)と熱量の高い演奏をたっぷり聴かせる充実のパフォーマンスだった。「Grand Voyage」を聴いても感じられるところではあるんだけれど、このグループは形式上はピアノ・トリオ+パーカッション編成ながら、パーカッションは補足的な役割ではなく、1/4またはそれ以上の役割を担っていて4人のジャズとして成立していることがライヴだとよりハッキリとわかる。また、ライヴではパーカッションでラテンのテイストを前面に出すことはなく、あくまでもこのグループにおけるジャズ表現の一員として機能していることもより深く理解できる。そのグループとしての在り方はオリジナリティが高く、もっと高く評価されてもいんじゃないかと思わずにはいられなかった。

大西順子セクステット@ブルーノート東京2022年6月30日 2nd set。
広瀬未来 (tp)
吉本章紘 (ts, ss, fl)
和田充弘 (tb)
大西順子 (p, key)
井上陽介 (b, elb)
吉良創太 (ds)
トロンボーンの和田充弘は新メンバー。ジャズ・トロンボーンというとJ.J.ジョンソンのように(トロンボーンで吹くには難しい)速いパッセージで惹きつけるタイプのプレイヤーもいる中、朗々と歌うトロンボーンらしいソロを取るタイプ。どちらが良いというわけではないんだけれど、前任者と比べるともうひと押し、もう一癖あってもいいんじゃないかなというのが正直な感想。加入したばかりなのでこれから本領発揮するのかもしれない。ドラムもCDの高橋信之介からカルテットのメンバーである吉良創太にチェンジ。カンカンと高めのスネア音で刻みをしっかり入れる前任者に対して吉良はスピーディに推進するタイプとあってリズムの進み方は少々CDとは異なっている。
とはいえ、グループ全体のサウンド志向はこれまでと変わりはなく、期待通りのもの。この日だけのライヴのために10時間もリハーサルをやったと井上がコメントをしていることからも(そして全員が譜面を見ながら演奏していたことからも)わかる通り、ジャムセッション的なノリ一発の単調なものではなく、変拍子を多様多用するなど曲の構成も良く練られたもの。それでも演奏じたいは前述の通りカッチリしたものではなく、少し緩くて、粗い。
フロント3管(特にトランペットとトロンボーン)は高度なテクニックを持っているわけではない。もちろんジャズはテクニックがあればいいってものでもない。技術というよりも演奏家としての自己の押し出しがもう一歩あればというところはライヴで観ても印象は変わらなかった。ベースは4月にトリオで観たときと同様、腰が座った安定感のあるまさにベースの役割のお手本とも言うべき演奏。ピアノは今となっては珍しい伝統的黒人スタイルのいつものダイナミックな大西節で長めのソロ・パートももちろん用意されていた。
と、個別の演奏をどうのこうのというのはこのグループにとってはあまり重要ではなく、ニューヨークの先端ジャズのスタイルなんて知らんけど的な我道を行く日本人的なジャズ表現を楽しむべきもの。そして、メンバーをまとめ、自由にやらせてそれをコンダクトしている大西のバンドリーダーぶりを楽しむもの。ダイレクトに、肌でそれらを感じることができるのが生演奏の魅力。そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれないけれど、過去3年、生演奏に触れる機会が少なかったからこそ、当たり前の魅力にありがたみを感じた一夜だった。

2022年11月15日
サントリーホール
指揮:アンドリス・ネルソンス
演奏:ボストン交響楽団
【演目】
ショウ:Punctum(オーケストラ版)[日本初演]
モーツァルト:交響曲第40番
R. シュトラウス:アルプス交響曲
実に3年ぶりのクラシックのコンサート。キャロライン・ショウの曲は弦楽のみでの演奏。前衛性はなく、でも不思議な響きが続き、なんだか弦楽オーケストレーションの響きの実験を聴かされている感じ。
次はモーツァルトの交響曲第40番。つまらないとか演奏が良くないということはなかったけれどこれと言って印象に残らず。第2楽章はいくらなんでもテンポが遅すぎて集中力が持たない。
メインはアルプス交響曲。CDで聴いていたあの響きはこういう楽器の組み合わせで出しているのかという発見が多くとても興味深く聴いた。また、生音のオーケストラの響きはCDの枠など軽くはみ出すスケールと多彩、多様性があることが、この曲ではより炙り出されてそのダイナミクスに圧倒されてしまった。大編成の生オーケストラ、しかも地力のあるオーケストラで聴くことでこそ最大限その魅力を享受できる曲の最右翼に挙げられる大曲だということをまざまざと見せつけられた思いがする。この曲についてはネルソンスの芸風と、ボストン交響楽団の体幹の強靭さもハマっていた。演奏時間は58分と雄大さを押し出した仕立てだった。

【演目】
ブラームス:交響曲第3番
ブラームス:交響曲第4番
バレンボイムの体調が良くない(年齢的に仕方がないんだけど)という話がしばらく前から伝わってきていて、キャンセルになると思っていたSKBのブラームスチクルスはティーレマンが代役を務めた。ブラームスの第3番が始まると、ああ、ドイツのオケの音だなあ、久しぶりだなこの音という感慨に浸る。シュターツカペレ・ドレスデンやベルリン・ドイツ交響楽団などでも経験した、ややくすんだ渋めの弦の音色が特徴的。木管勢の安定感と歌わせっぷりも見事。オケの素晴らしさは6年前とまったく変わらない。ティーレマンは強弱とテンポのメリハリを付ける指揮で、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集と同じ芸風で想定通りではあるけれど、その振れ幅の大きさはやはり生で聴くことで享受できることを再認識。まあ、CDのダイナミックレンジなんて生演奏に比べたらぜんぜん小さいわけですから当然ではある。このドイツ音色で聴く第4番はもう白眉としか言いようがない。ブラームスが52歳のときに作曲したこの曲は寂寥感に満ちていて、ドイツオケの渋いサウンドで演奏されることでその味わいがより深いものになる。もちろんいろいろなスタイル、音色の演奏があるところがクラシックの楽しみではあるんだけれど、シュターツカペレ・ベルリンが演奏する第4番は最上級の演奏のひとつと言って良い素晴らしいものだったと思う。精度という意味ではベルリン・フィルやバイエルンには叶わないかなとも思うけれど、このオケは音色と歌い方が本当に素晴らしい。

ロバート・グラスパー・トリオ、ブルーノート東京、2023年1月2日の1stセット。
Robert Glasper (p、key)
Burniss Travis (b)
Justin Tyson (ds)
Jahi Sundance (DJ)
ピアノとキーボードを並べ、DJのサウンドエフェクトも挿入したそのサウンドはやはりヒップホップ路線。近年のCDは様々なゲストを招き、相応に作り込まれたものであるのに対して、ライヴではライヴらしい自由かつ緩い演奏が展開される。同じリズムパターンを繰り返すのはヒップホップの特徴のひとつではあるけれど、1曲の演奏が長め(概ね10分以上)なところはライヴならでは。6弦ベースのグルーヴ感はファンク系のそれやジャズ系のそれとも異なるヒップホップ系のスタイルで、いかにもライヴな演奏になっているのは生ドラムを含め、人が刻むビート感に負うところが大きく、そのグルーヴに身を任せているのが心地よい。コルトレーンの"Gianat Steps"やティアーズ・フォー・フィアーズの"Everybody Wants To Rule The World"をモチーフにフレキシブルに曲を展開させて楽しませてくれる。もちろんジャズ的な演奏も織り交ぜながら。作り込まれたスタジオ・アルバムとは少々異なる、自由度の高いこの演奏こそがグラスパーの素の姿ということなのかもしれない。それは時に冗長で締まりがないということでもあるんだけれど、ライヴとはそういうもの。日本人アーティストにはない黒人メンバーによるリズムを味わうことができたのもかなり久しぶりのことで、それがなんだか嬉しかった年明けを飾るライヴだった。

2023年4月29日
デイヴィッド・ゲフィン・ホール
指揮:ジョナソン・ヘイワード
演奏:ニューヨーク・フィルハーモニック
【演目】
カストリ:リネージ
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(クリスティアン・テツラフ)
ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲
当初は、カリーナ・カネリキス(Karina Canellakis)という女性指揮者が予定されていたところ、コンサートの2ヶ月も前に交代のアナウンスがあり、2021年から北西ドイツフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めているというジョナソン・ヘイワードに交代。
1曲目は、ニューヨーク在住ではコロンビア大学の音楽助教授を務める女性作曲家、ピアニストのゾーシャ・ディ・カストリ(Zosha Di Castri)のリネージ(Lineage)という現代曲。正直なところ現代曲はどれも面白くなく、この曲もその例に漏れなった。それでも日本では聴く機会がないこともあり、たまにはこういう曲を聴くのもいいかなあといったところ。
次はテツラフのソロによるブラームスのヴァイオリン協奏曲。テツラフでの同曲は、9年前にパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマ−フィル・ブレーメンとの演奏でオペラシティで聴いていて、そのときは小編成オーケストラでスピーディな演奏をするオケをバックにしていたこともあって、テツラフの演奏はかなり荒削りだった記憶がある。9年経って見たテツラフの風貌はよりワイルドなオヤジ感が出ていて、演奏のスタイルは従来と同じという印象。初めて聴くニューヨーク・フィルは、弦、木管は温もりのある艶やかなサウンドと、地力のある安定した金管が耳に残る素晴らしいサウンドで、近年はあまり良い評価を聞かないオケとはいえ、ワルター、バーンスタインの時代から一流オーケストラと称される実力を十分感じられるもの。テツラフの力演は、もう少し美しい音での歌わせ方だといいんだけどなあと思いつつ、これはこれでいでいいかなあという感想。それでもニューヨークの観客には受けが良く終演後は大声でのブラヴォーとスタンディングオベーションで迎えていた。余談ながら第1楽章が終わったところで盛大な拍手があったのはニューヨークという土地柄のせいだったからだろうか。
3曲目は、日本で海外オケのプログラムで見かけたことがないルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」で、手持ちのCD(ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と小澤征爾指揮シカゴ交響楽団)で聴いてそれほど感銘を受けていたわけではなかったんだけれど、実演を聴くと良い意味で印象が大違いだった。派手でダイナミックな曲は生演奏で聴くと聴き映えするし、オケの地力が曲の力強さとサウンドの鮮やかさをより一層引き出していたように思う。生演奏で聴いてみないと曲の魅力を真に理解することはできないものなんだなあということはこれまでに何度も経験しているけれど、ここで改めて再認識。

観に行ったのは2023年4月30日(日)の2ndセット。CDとは異なる顔ぶれによるオーソドックスなピアノ・トリオ編成(全日程の半分はもう1人別のベース奏者)。
Samara Joy (vo)
Luther Allison (p)
Felix Moseholm (b)
Evan Sherman (ds)
実績あるバックメンバーに才人ギタリスト、パスクァーレ・グラッソというCDと比べると演奏者のレベルは明らかに1ランクダウン。セシル・マクローリン・サルヴァントの「Dreams And Daggers(大半がVillage Vanguardのライヴ)」のバックメンバーは伴奏という役割に徹していながらも演奏レベルが高く、それと比較しても1ランク落ちは否めないし、技術的には日本のトップクラスの奏者よりも下と言っても言い過ぎではない。しかしその緩さと余裕の構えは単に技量不足の日本人では出せない本場の演奏家だけが醸し出せるムードがあり、まったく問題にはならない。歌を聴くことが目的であれば特別突き抜けたところがなくてもそれで十分。肝心の歌は、何しろ本人が1メートル前の正面で歌っているのでPA越しの声と生声が半分ずつ聴こえている状態。CDのように畏まってお上品に歌うというよりは、ジャズ・ヴォーカルのスタイルを保ちながら思いのままに自由に、そして伸びやかに歌っている。自由と言っても音程のコントロールに乱れは微塵もなく、声量は圧巻。バックの演奏が控えめということもあって歌そのものを客に浴びせかけているかのよう。曲間での観客とのやりとりも旺盛で「カップルで来ている人どのくらいいる?連れ添って何年?」とオーディエンスに問いかけると「Thirty Two !」「Fourty Two !」と活発に反応、それを歌詞に組みこんで歌うなどアットホームなムードも狭い会場ならでは。冷静に見るとライヴ盤として残せる(何度も繰り返し聴くに耐える)完成度とはいろんな意味で言い難いパフォーマンスだったのは事実ながら、プロデュースが行き届き過ぎているCDとは違う、歌を歌う喜びが溢れ出ていた普段着のサマラ・ジョイをたっぷり堪能することができた。

クリスチャン・マクブライド・ニュー・ジョーン、ブルーノート東京、2023年5月25日の2ndセット。
[1] Head Bedlam
[2] Sightseeing
[3] Ballad for Earnie Washington
[4] Seek The Source
[5] Dolphy Dust
[6] The Good Life
[7] Walkin’ Funny
Josh Evans (tp)
Marcus Strickland (ts, bcl)
Christian McBride (b)
Nasheet Waits (ds)
スタジオ録音よりも表現の振れ幅が当然大きくなり、各メンバーが与えられたスペースは広く(平均1曲10分以上の演奏)、高度な演奏技術に下支えされたフレーズが淀みなく湧き出てくる。それは想定された方向性ではあったけれど、各人が浴びせかけるフレーズの質の高さにグイグイ惹きつけられる。これほど隙がなく質の高い演奏はなかなか聴けるものじゃない。自由度が高く、フリーも見え隠れする演奏でありながら、個人としてもグループとしても控えめな理性と知性を感じさせるという懐の深さに思わず唸ってしまう。4人とも演奏技術は高度なのは周知の事実、生で聴くと特にその凄さを感じさせるのがマクブライドのベースの技量と、ナシート・ウェイツの時にエド・ブラックウェルやチャールズ・モフェット(2人共オーネット人脈のドラマーだ)を連想させる跳ね方を織り交ぜたビジーなドラミング。

大西順子トリオ、ブルーノート東京、2023年6月10日の2ndセット
 大西順子 (p)
 Joe Sanders (b)
 Greg Hutchinson (ds)
[1] Almost Like Me
[2] Printmakers
[3] Musical Moments
[4] Never Let Me Go
[5] Eulogia
-Encore-
[6] Us Three
これまでのアルバムに収録してきた曲を中心としたセットリストの実際のライヴは、期待に応える実に充実した演奏だった。大西順子が現在日本での活動の主軸としているグループは、もちろんピアニストとしての見せ場はありつつも、グループとしての表現を意識したもの、つまりバンド・リーダーとして全体を俯瞰する演奏になっている。この日は、そうしたリーダーとしての役割というよりは、ピアニストとしての大西順子そのものの演奏が全面に出たものであったことが過去2回観たライヴとは大きく異なる。急造グループであり、グレッグとジョーが来日してから初めて顔を合わせたリハーサルを経てのライヴながら最終日3日目の2ndセットだったせいか、3人の演奏は阿吽の呼吸で進む。ピアノは若い頃のようにエリントンやモンクの影響を隠さずにパキッと切れのある弾き方ではなく、黒人ピアニストの巨匠たちのルーツをベースにしつつもリズム感はある意味緩さを伴うもので、それを衰えと捉える人もいるかもしれないけれど、成熟して良い意味で隙と余裕がある演奏(ジャズはきっちり折り目正しく弾けばいいってもんじゃない)だと僕は感じた。グレッグのドラムは正確でキレがあり、黒人ならではの重みを備えた力強さとウネリがあり、ブラシや小技もふんだんに織り交ぜた、まさに一級品のプレイ。ジョー・サンダースは堅実な音使いながら濃密なグルーヴ感があるという、いかにもベースらしい骨太のベースを聴かせる。事前に期待していた黒人ならではのリズムの力強さをたっぷり堪能することができて僕は終始テンションが上がりっぱなしだった。

セシル・マクロリン・サルヴァント、丸の内コットンクラブ、2023年6月27日の2ndセット
Cecil McLorin Salvant (vo)
Surivan Fortner (p)
スタンダード、コテコテのブルース、ミュージカル曲(My Favorite Things、Climb Ev'ry Mountain, Something's Coming, 10 Minutes Ago)が中心で、現代のポピュラー曲はなしというセットリスト。それに合わせてか、フォートナーのピアノは古典的ジャズのフィーリングで、曲を巧みに転がす。セシルはそれに乗るかと思えば、自ら歌のみで自走し、そこににピアノが付いていく、といった変化がその場の2人の阿吽の呼吸で進んでいく。セシルの声は所謂ソウル系シンガーのように張り上げているわけではないのに声の張りと声量は圧巻。個人的には「元々のタイトルは"Life is lonley”だったのよ」と歌い終わったあとに紹介した、そして個人的に大好きな曲"Lush Life"をこの場で聴くことができて幸せな気分に。デュオで1時間のステージは中弛みするかも、という懸念は杞憂に終わり、個人宅のサロンに招かれて聴いているかのようなリラックスしたムードで、飾り気のない2人のパフォーマンスを聴くというなかなか得難い豊かな時間を過ごすことができた。

2023年11月9日
文京シビックホール
指揮:ファビオ・ルイージ
演奏:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
【演目】
ビゼー: 交響曲第1番
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
(アンコール)
チャイコフスキー:エフゲニー・オネーギンよりポロネーズ
ビゼーの交響曲は、CDで聴いてあまり感銘を受けない曲で、それは実演で聴いてもその印象は変わらず。そもそもビゼー自身が発表したものではなく、後に発掘された、17歳のときに書いた習作とも言える曲なので完成度が高いとはお世辞にも言えない。メインのドヴォルザーク「新世界より」は、言うまでもなくすべての交響曲の中でもっとも有名な曲、そして完成度の高い曲として知られている。聴けば、ビゼーの交響曲とは何から何までレベルが違う。そもそもドヴォルザークが51歳のときに書いた曲と比較するのはフェアではないとはいえ「新世界より」は構成やオーケストレーションなどバランスの悪さや隙がまったくなく、折り目正しさもあれば荒々しさもあり、そしてもちろん美しさもたっぷりとあって、形式的にも完璧にまとまっているということを実演で肌身で感じることができた。でそれを受け止めることができる。プログラムで意図的に狙っていたかは定かではないけれど、ビゼーの交響曲と比較してドヴォルザークの「新世界より」は弦五部の人数こそおよそ1.5倍増という違いはるものの、木管(フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2)と金管(ホルン4、トランペット2)はまったく同じ編成、「新世界より」はチューバとトロンボーンが加わるとはいえ登場はごく一部分のみであることから、曲の構造やオーケストレーションが大きく異なることで、同じ楽器でもこんなにも次元の違う曲ができるということを感じさせることになっていた。

【演目】
モーツァルト: 交響曲第29番
ベルク:オーケストラのための3つの小品
ブラームス:交響曲第4番
8年ぶり2度めの、そしてキリル・ペトレンコでの初のベルリン・フィル鑑賞。モーツァルトは軽やかな進み。ただ、大音量を出す曲でないにも関わらずオケ全体がの歌いっぷりの良さは隠しようがなく、押し付けがましくなく、力みもなく豊かに鳴っている。筋肉質のアスリートが何気ない動作でも強靭な体幹が見え隠れするような感じ。ホルンとオーボエだけの管楽器が音に奥行きを与えている。これを聴いただけでも他のオケでは味わえないような見事な演奏。次は普段は聴かないベルク。大編成によるアヴァンギャルドな音の連なりをベルリン・フィルのダイナミクスとアンサンブルで圧倒。実演を聴いても難解な印象は変わらなかったけれど、この曲が持つドロドロとした混沌さ体で浴びる体験はこれはこれで唯一無二のものだった。ブラームス交響曲第4番は大好きな曲で、過去に他のオケで3回聴いた実演とは次元が違っていた。ゆったりと丁寧に入る最初のシソの2音だけで心を鷲掴みにされてしまう。ペトレンコ指揮の他の曲と同様に速いテンポで進むのではないかと勝手に予想していたのと異なり、ゆったりと進める。しかし、響きは古典的ではなくサウンドは瑞々しい。過去の生演奏の経験からこの曲は大感動するタイプの曲じゃないかなと思っていたんだけれど第1楽章のクライマックスの諦観溢れる慈悲深い音に圧倒されて思わず涙がこぼれてしまう。第2楽章もゆったりと進め、金管木管の個人技と見事なアンサンブルにウットリ、第3楽章は一転して高い機動性を存分に発揮した切れ味が炸裂(このテンポでアンサンブルが乱れないのは他のオケでは経験がない)、間を置かずに続けた第4楽章はゆったりと進めてフィナーレはオケのエネルギーを全開放した推進力と圧力で締める。繰り返しになりますが、これまで聴いてきた第4番とは次元が違う圧巻の第4番だった。