■ 2025年に読んだ本
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久しぶりに読むアガサ・クリスティ作品だったが、純粋ミステリではなく、よくできた心理小説だった。それでも、読ませる技術はミステリそのもので、その手腕には惚れ惚れするほど。子育てを終えた女性がこれまでの人生を振り返る中で、自身の人生に隠された秘密があらわになっていく。その様は非常にサスペンスフルで読み応えがある。このラストをどう捉えるかは読む人によって変わるだろう。僕は、なんと容赦のない著者よ、と恐ろしくなった。
イタリアの作家が、コロナ発生直後の2020年2月から3月の騒動期に書いたエッセイ。そのあとに続くさらなるパンデミックの混乱を考えると、ここで書かれていることの意味をとらえるのは難しい。あらためてコロナについて考えたいと思って手に取ったが、やや期待はずれだったが、仕方ないのだろう。
かつて小学生の頃に古本屋で見つけ、読まないままにいつか手放してしまった一冊をずっと覚えていて、このたびネット古本で取り寄せて読んでみた。1970年代後半の頃に既に古本だったわけだから、奥付を見ると昭和46年、つまり1971年の作品だった。主人公の女性ノラの弟の様子が徐々におかしくなっていく様が描かれ、この弟がデラニー。つまり、彼に悪霊がとりつくというホラーなのだが、雰囲気としてはどこかあっけらかんとしていて、日本のホラー小説の暗さは感じられない。ホラーというよりサスペンス小説の趣があり、それはラストまでずっと続く。怖さを期待して読むとつらいかな。
仕事柄、紅茶を基礎から勉強しようと思って手にした一冊。2016年発行なので、情報はやや古いかもしれないが、本当にゼロから学ぶには良い本だと思う。序盤はインドとスリランカの各種紅茶の紹介から始まり、その他の国の紅茶、そして茶葉の分類、精製法などの説明が続く。後半は紅茶の歴史がおもしろく描かれており、一冊まるごと楽しめるようになっており、読みやすくてためになる。
読書会の課題本となったことで、数年ぶりに再読。ヒカリという、聖者でも悪者でもない特別なキャラを生み出した著者に感服する。所属の劇団員たちとの恋愛模様を繰り広げ、短い付き合いと別れを繰り返す様は、サークル・クラッシャーと言われてもおかしくないほど。なのに、かつて彼女と関わった全員がそのことを懐かしく愛おしくさえ思い出すことができるヒカリとは、いったい何だったのだろうと思ってしまう。主人公が出てこない形の小説はいろいろとあるが、その中でも稀有な一作。読みやすいのに人間の深みを感じさせてくれる、著者ならではの一作。
生涯に著したのが短編集と長編が1冊だけという、寡作の作家。日本では短編集が2冊に分けられて出版され、先に読んだ『冬の犬』が元の短編集の後半、本作が前半となる。つまり本作が著者のデビュー作とも言える。どの作品も、著者が過ごしたカナダのケープ・ブレトン島が舞台になっている。かつてスコットランドを追われた人々が移り住んだこの島は、誰もが厳しい環境の中でぎりぎりの生活をしながら、遠い故郷であるケルトの文化を守り続けている。
本作は、八篇の短編が書かれた年代順に並んでいるため、序盤はやや若書きの粗さのようなものが感じられる。それでも、3作目の表題作あたりからぐっと惹き込まれた。貧しい家庭で暮らす十八歳の少年が、いつしか盛り場のビリヤードに夢中になり、賭けのゲームで金を手にするが、いさんで帰った家で両親から思わぬ反応が返ってくる。 五作目の「秋へ」でも、似たような貧しい一家が描かれる、父親が冬に出稼ぎに行き、残された母親は馬の世話が大変だからと売りに出そうとする。幼い兄弟は馴れ親しんだ馬を手放すことに反対するが、それでも兄は家庭の事情を理解し、無邪気に反対する弟をいさめようとする、という切ない物語だ。 「ランキンズ岬への道」は、ケープ・ブレトン島に住む祖母に、孫である青年が会いに行く話。青年は命の危機を抱えており、祖母がかつてどのように厳しい人生を生き抜いてきたかの話を聞こうとする。遠く離れたカナダの僻地で、日本とはまったく環境も背景も違うのにこれだけ惹き込まれるところに、やはり人間というものがどこか深いところで繋がっているのだと思わせてくれる。
インド人の両親に生まれながら、アメリカで英語の小説を発表する著者の、デビュー短編集。アメリカに住むインド人の話や、インドが舞台の話が9篇、収められている。著者の経歴や小説の内容は、中国出身のイーユン・リーや、タイ出身のラッタウット・ラープチャルーンサップとも重なる。本書では、登場人物に対して「人間なんてこんなもんさ」と、やや冷ややかな視線が向けられているのが特徴的だと思う。停電の夜の対処で思惑がすれ違う夫婦を描いた表題作「停電の夜に」、インドを訪れたアメリカ人家族と地元民のガイドとの交流を描く「病気の通訳」、かつては豪邸に仕えていたと話す老婦人に周囲からは疑惑のまなざしが向けられる「本物の門番」などに顕著だろう。そんななか、僕は「ビビ・ハルダーの治療」がいちばん気に入った。生まれつき病弱なビビは、町なかで突然倒れたり急に暴れ出したりする症状のせいで、満足に外に出ることもできない。そんな彼女が最後にとった行動は、彼女なりの世の中への反抗とも希望ともとれる。
2024年に発売された新型mRNAワクチンのレプリコンは、ワクチンが体内で増殖して止まらない、呼気からでもその症状が移るかもしれないという思惑が日本中をかけめぐり、大きな問題となった。そのさなか、世界で初めて製造販売承認を受けてレプリコンを販売した「Meiji Seika ファルマ」社の実際の社員が書いたのが本書だ。
レプリコンが販売される前から、著者はmRNAワクチンの危険性を把握していた。それは、ワクチンで身近な社員を亡くすという経験があってのものだったが、レプリコン販売に至ってもう我慢ができないという思いに至ったらしい。 僕はワクチンのみならず西洋医学全般に異議を持っているため、コロナワクチンは一度も接種していない。本書を読み、とくに第3章以降の、mRNAワクチンがいかに危険か、そしてレプリコンはそこにさらなる危険が重なっており、絶対に忌避すべきものかということがよく理解できた。 本書の発刊後、「Meiji Seika ファルマ」社が意見を表明したが、チームKというのは複数人ではなく個人であること、亡くなった社員と著者の間に交流はなかったことなど、異論は些末なものでしかなく、かえってそれ以外の 記載事項がすべて真実であることの証左になっている。できるかぎり多くの人に本書を読んでもらいたいと願う。
体が弱く職場では“はかない”存在として認識される芦川。同僚の押尾は、芦川がただ一人残業も免除され、体調不良で休んだり早退しても上司や同僚が文句も言わず受け入れてくれること、その“おわび”にと彼女が翌朝手の込んだケーキやお菓子を作ってきてふるまうのを、苦々しく思っている。秘かに芦川と付き合っている二谷は、誰もが食事を楽しみに美味しく食べていることに違和感を抱き、芦川の作るお菓子を陰でこっそり捨てている。芦川の思惑はまったく明かされず、視点が押尾と二谷で入れ替わりながら、芦川をめぐる考察が描写されていく。
芥川賞受賞作だが、僕は世評ほど深くは楽しめなかった。誰もが抱きつつ口にしない小さな違和感を表出すること、多数の人にとって普通のことがそうではない人がいて苦しんでいることを小説として表現するという意図はわかるが、押尾の「弱い人なら何でも許されていいのか」という疑問、二谷の「食べることを快く思わない人もいるんだ」という主張が、何度か彼らの口から直接的に発せられ、しかもそれらが最初から最後まで続くだけなのだ。上手く小説化しているという手腕は認めるが、小さいところで著者が満足している気もした。
大学卒業後に単身でイタリアで通信社を立ち上げ、イタリア国内のニュースを見つけては日本へ発信する仕事を始めた著者。大学時代にたまたま研究対象として選んだナポリで体験したカルチャーギャップ、通信社での苦労の日々、ささいなきっかけで数年間、船上で暮らした経緯など、イタリアでの様々なできごとが綴られる。
序盤の通信社のくだりがやや冗長なこと、ときおり挟まれるブンガク的な表現の違和感なども感じつつ、やはりイタリアという国の欠点さえ含めた魅力の一端を垣間見させてくれる、すぐれたエッセイに仕上がっている。
僕の信奉するサイモントン療法を紹介する内容だが、1994年という比較的古い時期に書かれた書物であること、サイモントン先生自身ではなく、この療法を受けた一人の患者の書いた内容が主軸になっていることで、それほど期待せずに読み始めた。ところが、記事を書いているリード・ヘンソンという方は、まさにサイモントン療法の真髄を理解し、実践してきたらしく、患者からの視線を備えたサイモントン療法を的確に伝えており、驚かされた。同療法については、僕もサイモントン先生や、日本での第一人者、川畑伸子さんの著書を読み、講演を聞き、かなり理解を進めていたつもりだったが、本書を読んでさらに一歩、深いところまで理解が及んだ。これはおそらくサイモントン先生自身が驚いたところだろうし、だからこうして一冊の本に結実しているのだろう。
タレント光浦靖子さんによる、カナダ留学エピソードをまとめたエッセイ集。タレント業を休んでカナダ留学を決めたものの、コロナ禍到来により頓挫した経緯はニュースで知っていて、せっかく決意したのに大変だなあと思っていた。今回本書を読んでみて、思った以上に大変だったことがよくわかった。
50代でカナダへの留学を決意し、コロナ禍で長い期間隔離を強いられ、入学しても英語がぜんぜん上達せず、同級生からは馬鹿にされて友だちもできず、高額な入学金や授業料を無駄にしたりという難しい状況が次々に訪れるなか、根っからの悲観的思考のため、すぐにくじけて事態が停滞し、どうしようもない状況に陥ってしまう。それでも面白いのは、どんな厳しい状況にあっても、最後にはなんとかなってしまうという、人生の不思議さだ。楽しい経験はほとんどなく辛いことばかりなので少々気が滅入ってもくるが、最後まで読むと、人間はどんなことがあっても大丈夫なんだという安らぎに包まれる。
名著『死ぬ瞬間』を著した著者の半生を描く自叙伝。著書から、なんとなく皮肉屋な感じが伺えたが、幼少期から相当の苦労をして生きてきたことがわかる。そしてその過程で様々な大事なことを学び、なにが起ころうと、それは起こるべくして起こったのだという確信を得るに至る。死にゆく人々に寄り添い、人が死ぬまでの過程を観察する中で、体と心、魂の一体として人が存在することを感じ、だからこそ次に、死んだあとに人はどうなるのか、に興味が向くのもまた自然の成り行きだった。
僕の信奉するサイモントン療法に通じる、というかサイモントン療法が著者の考えから多くを取り入れているのだろうと推測するのだが、すべてが僕には腑に落ちる内容だった。人生の中でも大切にしたい一冊となった。
東山彰良氏の小説は、『僕が殺した人と僕を殺した人』依頼、2冊め。『僕が〜』がとても良かったので、直木賞受賞作の本作も期待して読み始めた。台湾旅行に行く前だったので読みたいと思ったせいもある。17才の主人公・葉秋生(イエチョウシェン)は台北で町のワルたちと関わりながら暮らしている。祖父を殺した犯人を探し、自らのルーツを探っていくが、真相は意外なところにあった、というお話。めくるめく冒険譚が繰り広げられるが、なんだか芯がはっきりしない印象もあり、『僕が〜』ほどには楽しめずに終わってしまった。
台湾旅行に先立ち、読んでみた。日本翻訳大賞受賞作ということで期待が大きく、さぞや美味しい食べ物が美味しそうに描かれるのかと思っていたが、読んでみるとたしかに食べ物の記述は多いものの、あまり美味しそうに思えず、小説としてもさほど面白いと思えなかった。とくに主人公の性格がどうにも好きになれず、乗り切れなかった。
イーユン・リーを読むのは3冊目で、短編集は『千年の祈り』以来だ。中年女性が過去に軍隊で一緒になった上官の死去をきっかけに過去を振り返る冒頭の『優しさ』から強く惹き込まれる。それから、代理出産を依頼した女性との確執を描いた『獄』がまた素晴らしかった。どの作品も、短いながらに人生を感じさせるドラマがあり、読み応えがある。そのぶん、あまりにも作り込み過ぎてわざとらしいと感じるような作品もあった。
イギリスのユーモア文学の古典として有名な一作。三人の男と犬がボートで旅をする話だが、なかなかボートの旅が始まらず、かつての自分の失敗談、友人の失敗談などが延々と続く。そして旅が始まれば始まったで、なんでそんなミスを犯すのかというバカな失敗の連続であきれてしまう。これを楽しめるか退屈と思うかは人にもよるが、僕はそこそこ楽しめた。犬がもう少しかわいく描かれればいいのにとも思う。
これはさすがに評判どおりの名著。シオニズムのことはある程度は知っていたが、第二次大戦後にヨーロッパ中にあふれ祖国にも帰れなくなった大量のユダヤ人の住処を探す必要があり、各国がイスラエル建国を援助した経緯や、経験なユダヤ教徒ほど、自分たちの国は神が与えてくれるものであって、人間が定めたイスラエルを建国することは間違っていると思っていたことなどは、本書で初めて知った。また、冒頭の年表がすごく有意義で、1993年のオスロ合意の2年後に、調印したイスラエルのラビン首相が暗殺されたこと、2005年にいったんイスラエルがガザから撤退したと思ったら2年後にガザを完全封鎖したことなど、歴史が一目でわかるようになっている。
評判に押され、たまらず図書館で借りて読んだ。これは全小説好きにお勧めしたい一冊。少年同士の友情譚に始まり、やがては小説を読む意義や楽しさが語られていく。エントロピー増大の法則との絡め方、小説とは創作であり、つまりは嘘なわけだから、無限に話を膨らませられること、そして小説でいろんな人生を体験できることなど、途中から、「うんうん、そうそう」と大きく頷きながら読み、途中ではすこし泣きそうになってしまった。最後には大きな秘密が明かされ、その爽快感も楽しめる。
映画評論家の町山智浩さんがお勧めされていた一冊。映画で描かれる様々なことは、すべて通過儀礼という観点で読み解ける、という内容。『ローマの休日』『スタンド・バイ・ミー』『桜の園』といった内外の名作が、この観点で解き明かされていくのは、勉強になるし痛快でもある。ただ、すべてを通過儀礼に押し込めるのも一面的だとも感じた。
僕の人生で大きな存在であるサイモントン療法の、日本での第一人者・川畑伸子氏の著書。15年前に出版された前著に近年の修正をくわえ、新装版として発刊された。この前著はどこかで借りて読んだが、今回、あらためて本書を購入して熟読した。もともとはがん治療のプログラムとして開発された本療法だが、僕はメンタルの不調や不眠症のための治療として活用した。それらが完治したのはひとえにこの療法のおかげであり、他にも様々に有効な用途があると思う。すべての人にお勧めしたい一冊。
2017年の刊行時に話題となり、気になっていた一冊。ナイジェリア出身の主人公がマンハッタンを歩き、そこで見聞きしたものに思いを寄せる。そこにはナイジェリア人であることや黒人であることが大きな影を落としている。同じ境遇の著者が、自身の経験を元にした、半自伝的小説といえるだろう。ときおり小説や映画の紹介がはさまれる部分は、ブックガイドや映画ガイドとしても有用だ。あまりに淡々としすぎているせいでやや読みづらいものの、その中でときおり叫びのように放たれる怒りを潜めた言葉に打たれる。
コロナ禍でもマスクを強要せず、クラスターが出ても冷静に賢明に対処したことで話題になったケア施設「いろ葉」。本書は施設長による独自の介護理論と実践をまとめたものだが、介護のみならず人生を考えるための指南書として、実に有用で示唆に富んだ素晴らしい内容で感激した。
先述のとおり、コロナ禍でも状況に応じてマスクを外したり、面会も許可したり、歩けなくなったからといって即、介護ベッドではなく布団で寝かせることもあったりなど、とにかく常識や慣行に流されず、そのときその場の判断で対処していく方法が徹底されている。あくまでも患者視点に立ち、決められた介護の手順ではなく、患者の人生そのものをサポートする。著者は本書で、三つの「イキカタ」を説きます。患者のこれまでの人生ストーリーを大事にする「生き方」、患者それぞれに合った過ごし方や介護の仕方を考える「活き方」、終末期をどう過ごすかを考える「逝き方」。三つそれぞれについて、実際の介護の例を通して説明されているから、わかりやすく、強く納得することができる。 本書を読み通すと、介護の問題のみならず、人間関係全般、そして生きること全般についての示唆を与えてくれることがわかる。ここ数年で読んだなかでは、もっとも強く感銘を受けた本となった。 |
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