■ 2020年に読んだ本
  
自分の主催する読書会で課題図書に選んだため、再読。これまでに何度読んだかわからないほど、大好きな小説。これまで、本作のどこがいいのかをなかなか言語化できなかったが、今回つづけて二回読み通してみて、少しわかった気がする。詳細は、読書会の報告を参照。

★読書会の報告
http://www.gen3.jp/gen3salon.htm#20201213
2020年12月 「猫は知っていた/仁木悦子」 (講談社・文庫)
僕が小学生の頃(40年以上前)から、女性作家の書いた日本のミステリの草分け的作品として知っていたが、ついぞ読んだことがなかった。今回、ペットの出てくる作品を紹介するブログ用に、初めて読んでみた。思ったより軽いテイストで、思ったより時代設定が古いのが印象的。防空壕がまだ残っていて、それがミステリの重要な舞台となるのだ。やや日本語のおかしいところ、トリックの強引なところは気になるけれど、読んで損はない作品。

★ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/7336bbf623ac5d91b2a4d8802d27d406
舞台は、イングランドにある一つの通り。ある日、この場所で何か不吉なことが起きたようだが、なかなかその詳細は明かされず、通り沿いに住む人々の生活が事細かに描かれていく。同時に、かつてこの通りに住んでいた一人の女性が数年後に望まない妊娠をした際の様子が、章ごとに分かれて並行して描かれる。これら二つの線が一つに重なるとき、そこに一つの奇跡が出現する。
 SNSでとても評判の高い一作だったが、登場人物が多く、誰々がこうして、次に誰々がこうして、という表現が延々と続くのになかなか慣れず、読むのに苦労した。それでも最後には胸を熱くさせられる力作。苦労して読んだかいがあった。
2020年12月 「中国行きのスロウ・ボート/村上春樹」 (中央公論新社・文庫)
村上春樹の長編は苦手だしほとんど読んだことがないのだけれど、短編集は割と好きでいくつか読んでいる。本作は、(後から知ったのだが)村上春樹が最初に出した短編集らしく、彼のエッセンスが凝縮されている気がする。脈絡のない話が多いが、タイトルだけ先に決めて思うままに書いていく手法のものが大半らしく、確かに気の向くまま、物語性を排したまま進んでいく作品ばかりだ。それでも作品として成立しているのは見事というほかない。折に触れ読み直してみたくなる作品集。
2020年11月 「かか/宇佐見りん」 (河出書房新社・単行本)
三島由紀夫賞を最年少で受賞した話題作。しかもこれがデビュー作だ。19歳の浪人生〈うーちゃん〉が、精神を病んでしまった〈かか〉こと母親への思いを痛切に書きなぐる。冒頭の、浴槽で金魚を飼っているシーンからして、尋常ではないオリジナリティを感じた。ただ、〈かかを産みたかった〉として熊野へ旅立つ心情や行為を完全には飲み込めなかった。僕には母娘の話というより、〈うーちゃん〉の自分が女性であることへの戸惑いや不安、ひいては拒絶とさえ言える思いがひしひしと伝わってきた。独自の「かか語」で書かれた文体は、すらすらとは読めずに苦労するし、とくに好みの内容、好みの文体というわけでもないけれど、心に引っ掛かった。次作以降も読んでみたいと思える作家だ。
2020年11月 「パトロネ/藤野可織」 (集英社・文庫)
藤野可織という作家はなかなかに厄介だ。ふつう、人が小説を読むのはおもに物語(=ドラマ)を読みたいからであり、物語性を排した本作のような小説は、評価に困る。ただ、巻末の星野智幸さんの解説が素晴らしくて、「無調の音楽を聴いているような読感」というのは、まさに言い得て妙だ。
 本作には表題作を含む2編が収録されているが、いずれも物語性を想起させるような書き方になっておらず、主人公の女性の行動するまま、思うままにその風景がリアルに描写されていく。かと思えば、ひょいと何気なく超自然のものがまぎれこんでくる。もう、面白いとか面白くないとかどうでもいいという感じ。ところが読者は面白さを求めてしまうから、このような小説には戸惑う。これが現代小説のひとつなのだろうけれど、評価に迷う。つまらないわけではないが、読んで面白かったかといわれると首をひねる。
2020年11月 「改良/遠野 遥」 (河出書房新社・単行本)
芥川賞作家遠野遥氏のデビュー作。少し前に読んだ『かか』と同時に文藝賞を受賞したというから、この回のレベルは凄かった。本作では、青年の性をめぐるリアルな心情が描かれる。若い著者にとっての切実な問題意識、というのはテーマ的なオリジナリティは低いけれど、ときおりはさまれるなんとものんびりした、意図的かどうかさえわからないささやかなユーモア感覚があり、これが著者の大きな特質ではないかと感じた。
 内容については、やはり僕にとっては切実な問題ではないテーマだけにさほど大きく心を動かされることはなく、ラスト近く、主人公がとある暴力を受けた際の対抗手段が、ほぼ思った通りで意外性がなかったのも残念だった。
読書会の課題図書となり、二回読んだのだが、一読目はあまりピンとこなかった。ゴーギャンがモデルと聞いて、画家としての激しい芸術性のようなものを期待したせいかもしれない。二度目は〈わたし〉という語り手を意識して読んでみると、面白みがわかってきた。
 本作の構造は「グレート・ギャツビー」に似ていて、語り手の〈わたし〉は芸術を解さず人格者でもない俗人だ。主人公ストリックランドの言動を、〈わたし〉の平凡な感想(それは読者の感想でもある)と比較することで、ストリックランドの異常さが浮き彫りになる仕組み。芸術においては、自分が満足できればいいとするストリックランド。いっぽう、〈わたし〉を含む我々一般人は、何かしらの自己承認欲求を満たそうとするわけで、ストリックランドとは相いれない。ところが最終的に〈わたし〉の審美眼にも変化が訪れ、物語のドライブ感が生まれる。
 絵の才能はないが優れた評価眼を持つストルーヴェの存在も面白い。彼は、妻の渾身の願いを振り切ってまで病身のストリックランドを自宅に呼び寄せ、絵を描く手助けをし、結果としてそれが悲劇的な顛末を招くことになるのだが、芸術と芸術家を守ることにもなった。さしずめ、狂気の芸術家ストリックランドに対し、ストルーヴェは狂気の批評家と言えよう。
 結局、ストリックランドは、無から何かを生み出したかった。世間の評価など関係ない。それが芸術だった。そうした彼に完全に共感はできないが、誰しもが憧れる、一理を突いていると思わせる部分を持っているから、この小説がここまで読み継がれてきたのだと思う。ときおりはさまれるユーモア、皮肉の利いた粋なセリフなどと共に、味わい深い一作。
2020年11月 「千の扉/柴崎 友香」 (中央公論新社・文庫)
単行本が出た時に読んで感銘を受け、その後、どこがおもしろかったのかを忘れた頃に文庫化されたのでまた読んでみた。団地をめぐる小説というと地味で小さな話という印象を受けるけれど、実に壮大な物語だった。一つの団地から様々な人々の歴史が語られ、ひいては日本という国のありようさえ見えてくる。この題材で、こんなに平易で読みやすいのに、ここまで深い小説が作れることに驚く。
2020年11月 「推し、燃ゆ/宇佐見 りん」 (河出書房新社・単行本)
デビュー作『かか』も相当なものだったが、二作目のこちらはさらに著者の特質が発揮され、読みごたえを増している。僕はこれまで、アイドルにも何に対しても“推し”たことはなく、“推し”を“推す”人たちの熱狂的な姿を、ある程度冷ややかな視線で見ていた。著者は『かか』でも“推し”について描いており、著者自身が“推す”人、あるいは“推す”人の感覚を共有できる人なのだろうと推測する。
 僕は本書のあかりの姿を見て、どうしても精神に問題を抱えた人、と思ってしまう。本人が幸せならそれでいいのかもしれないし、こういう風に生きるしかない人がいるのかも、とは思うけれど、実際に自分に近しい人がこうだったらと思うと、簡単に肯定はできない。だいたいこのあかりという人は、自分が受ける被害については非難するのに、自分が与える被害については考えない。たとえば彼女の姉は、彼女からかなりひどい被害をこうむっていると思うが、それを理解はしない。客観的にみればよほど姉の側の肩を持ちたくなる。こうした描写を、著者は主人公あかりに寄り添うだけでなく俯瞰的に描けるのだから、すごい作家だと思う。
2020年10月 「アラスカ 光と風/星野道夫」 (福音館書店・単行本)
星野道夫さんのエッセイ集はたくさん出版されているが、オリジナルはその半分ほどで、本書はその第一作。アラスカに行こうと思い立ったきっかけに始まり、何度かの大きな撮影旅について語られる。『旅をする木』のような雑多なエッセイ集というより、ある程度まとまった文章が堪能できる。星野さんの文章は、ひとつひとつに魂がこめられ、それでいて妙に飾ることのないシンプルな表現に終始し、人の心を打つ。一つの撮影旅をまとまった形で読めるのも興味深い。これからも星野さんの文章は、一生に渡って読み続けることになると思う。
タイトル通り、古今の文学に登場する猫の小説が紹介されている。『吾輩は猫である/夏目漱石』や『黒猫/ポー』にくわえ、かなりマニアックな作品も出てくるので、ペットに関するブログを書いている身としては、重宝する。今後この中からいくつかを読み、ブログで紹介する予定。ただ、初版が出たのが1995年だから、紹介作品が古めなのが難。
2020年10月 「カラフル/森 絵都」 (文藝春秋・文庫)
いつも参加している読書会の課題本として読んだ。森絵都さんを読むのは初めてで、児童文学出身の直木賞作家というくらいの認識だった。本作はヤングアダルト小説と位置づけされており、自殺した中学生男子が生き返り、自分自身の価値を再認識するというわかりやすい内容だ。とても読みやすい小説で、引っ掛かりなくすらすらと読めるのは凄い。ラストの真とプラプラのやりとりも気が利いていて面白い。悪い小説ではないし、中学生や読書初心者にはお勧めできる。
 ただ、53歳の自分に必要な小説ではないし、新しい気づきや驚きはなかった。キャラクターの多面性(読者ごとの揺らぎ)がないため魅力に乏しく、寄り道なくすらすらとストーリーをたどっていくところも、小説としての深みを感じられない。ユーモアや比喩にもセンスを感じられない。
 僕が本作でいちばんぐっときたのは、最後の真とプラプラのやりとり(文庫版p244〜245)だ。〈でも、自分のこととなると〜いろいろ慎重になるし、不安にもなる〉〈下界でまた気持ちが縮こまりそうになったら、再挑戦の四カ月を思いだしてください。自分で自分を縛らず、自由に動いていたあの感覚を。そしてあなたを支えてくれた人たちのことを〉。つまり、誰もが他人には簡単にアドバイスできるけれど、自分のこととなると慎重になるし緊張するからうまくできない。他人の人生だと思えばいいし、人生を長めのホームステイだと思えばいい、というメッセージ。これには心を動かされた。
 ちなみに僕は、真の母親が大嫌いだ。〈何も持って生まれなかった人間の悲しみ〉などと言うが、自由に動く手や足、目や耳を持っている。経済的余裕も持っているのに、何を甘えたことを言っているのかと腹が立ってしまった。そして、「何も持たない」自分の新たな挑戦が不倫だったという浅はかさ。これを誠が喝破するシーンは胸がすっとした。
2020年10月 「関野吉晴対談集/関野吉晴・『望星』編集部」 (東海教育研究所・単行本)
僕の大好きな探検家・関野吉晴さんが、偉大なプロジェクト「グレートジャーニー」の前後におこなった対談をまとめたもの。対談相手によって、専門的になりすぎたり、あまり僕の好きなポイントの話ではなかったりして、期待したほどではなかったけれど、椎名誠さんや龍村仁さんとの対談シーンには心踊らされた。
少し前に読んで感服した『灯台守の話』同様、本作もまた“物語ること”に関する小説だった。主人公の歴史学教師トム・クリックが生徒に向かって話しかける体裁で、イギリスのフェンズと呼ばれる湿地帯の歴史が語られていく。
 人は起こった出来事についてその意味(理由)を求める。たとえばトムの妻は最近、嬰児誘拐という罪を犯したが、なぜ彼女はそんなことをしたのか。あるいは、トムはなぜ長年勤めた学校を去ろうとしているのか。あるいは、トムの兄はなぜ精神に障害を負っているのか。あるいは、トムが若い頃、なぜ友人が死に至ったのか。
 数々の出来事は、その前後の物語(=歴史)を通じてようやく理解される。たとえばフランス革命がその後の歴史により意味づけられるように。だからトムは歴史を語り続ける。フェンズの町に干拓の手が入り、どんな人々が町で権力を握り、町がどう変わっていくのか。そうしてトムの祖先に至る長い長い物語がつむがれていく。
 500ページを越える長編だが、本当に読み応えがあった。一つの町の歴史という大枠と、一人の男性教師の人生という小さな枠が同時に語られ、それらを通じて人間とは何か、社会とは何かが浮かび上がってくる。壮大な叙事詩だ。かといって難しい話ばかりではない。トムの青春時代の甘く恥ずかしいエピソード、誰が殺人を犯したのかというミステリーなどが歴史の合間に語られ、読む興味は尽きない。大著にして大傑作。
奥泉光をずっと読もうと思っていて、ようやく手に取った一冊。とはいえ、奥泉文学のメインではなく、肩の力を抜いて書かれた、ダメ男ミステリコメディとでも言おうか。とにかく桑潟幸一が情けなくていじましくて笑えてくる。文章で笑わせるのはかなり難しいけれど、さすがに奥泉さんの文章は素晴らしく、軽いタッチなのに薄っぺらな文章になっていない。読んでいる間じゅう、本当に楽しいと思えるのは久しぶりだった。シリーズ化された他の作品も読んでみたいし、それ以外の奥泉作品も読んでみたいと思わせてくれる。
著者のお二人は、記憶に新しい2018年の展覧会をはじめ、数多くのフェルメール展を企画してきた。その目からフェルメール作品を日本に呼ぶ方法やその苦労などが語られる。フェルメール作品といえば30数点しかないことで有名だが、そのうちのどれが日本に来やすいのか、どれが絶対に来ないのか、次に来るのはどれかなどを詳しく教えてくれる。フェルメール好きとしては滅法おもしろい内容で、食い入るように読んだ。フェルメール研究の概要も知ることができ、フェルメール好きならば必携の一冊。
2020年 9月 「いやしい鳥/藤野可織」 (河出書房新社・文庫)
藤野可織さんのデビュー短編集。中編2本と短編1本が収録されている。藤野さんについては前に『ファイナルガール』を読んで気に入ったので、最初から追ってみようと思い、まずこの本を手にとった。3作共に、鳥や花が変異したり恐竜が出てきたりといった超自然を扱っており、それは『ファイナルガール』にも通じるのだけれど、本作はやや冗長で面白みに欠ける印象だった。藤野さんは短いもののほうが切れ味鋭くて面白い気がする。その意味で、本作においてもいちばん短い「胡蝶蘭」がいちばん面白かった。
2020年 9月 「異邦人/カミュ」 (新潮社・文庫)
犬の出てくる小説としてブログで紹介したので、まずはそちらを読んでほしい。
ペットシッターの紹介する本や映画あれこれ

ここでは、ブログに書ききれなかったところを補足する。

ムルソーの人間性に関する一般的な解釈は、「感情がない」「冷たい」「不条理だ」といったところだろうが、これらはやや的外れな気がする。マリイへの性的欲望、友人への共感、老人への優しさなど、感情が直接描かれないにせよ、彼の内面を想像できる描写はいくつもある。また、本作を詳細に読んでみれば、彼なりの論理を貫いて行動し、客観的に価値判断できるものに従っていることが見えてくるため、不条理という評価も適当ではなさそうだ。たとえその価値判断が、「〜しない理由がない」という消極的な行動原理(p30〈彼と話をしない理由がない〉、p35〈彼を満足させない理由がない〉等)だったとしても。

ムルソーと母親との仲はあまり良くなかったと思われるが、そんなことは世間によくある話で、それをおかしいと思うのは、「人は必ず母親を愛し、母親が死んだら悲しむものだ」というつたない先入観に基づいた、単なる同調圧力だろう。ただ、僕が思うにムルソーは、世間一般の持つ感情の一部、とくに愛情というものが何なのかよくわからない、あるいは愛情を否定したがっているのではないかという気がする。だから、一般的な楽しさや喜び、幸せを感じられないのではないか。人生そのものが不条理(=無意味)に思えていたのではないか。そして、死を前にして初めて、生きる意味を見出したのではないか。そんな気がする。

他に特筆すべきなのは、やけに詩的で饒舌な風景描写だ。とくに、ぎらぎらする真夏の太陽のイメージが鮮烈で、しつこいほどくりかえされるそうした描写が本作を特徴づけている。とにかく、ずっと前に読んだ時の印象とは違い、非常に読みごたえのあるリアリズム小説だと感じた。

一点、翻訳の古さがすこし気になった。悪い訳ではないけれど、さすがに名詞(ブドウ酒、腸詰、手提、腰掛、ミルクコーヒー等)には難があるので、そろそろ新訳が出てもいいかと思う。
本書のコンセプトは前に読んだ『「社会調査」のウソ』と似ていて、世間で常識とされている常識、とくに社会調査に基づく認識の誤りを指摘するというもの。20章に渡り、日本人は本当に勤勉なのか、フリーターは良くないのか、イギリス人は日本人に比べて立派なのか、少子化は問題なのか等について論じられていきます。典型的なのは第2章「キレやすいのは誰か」で、「最近は凶悪な少年犯罪が増えた」という一般認識がいかに間違っているかが紹介されており、僕もこの話題に触れる時には例に引くところです。本物のデータを使い、なかなか痛快に論破してくれるので面白いです。
 ただ、全体としてやや大衆を小馬鹿にする皮肉な書き方になっていて、「間違った社会認識をあえて肯定しておき、その姿を自分で笑う」といった感じが、(いけ好かないのはおいたとしても)読むのにわかりづらくなっています。また、社会常識を正すために使われる、「本当はこうだ」というデータや調査についてもやはり理論として弱いところがあったりして、やはり社会学という学問そのものの不備が際立つ結果になっています。
2020年 8月 「鑑賞のための西洋美術史入門/早坂優子」 (視覚デザイン研究所・単行本)
絵画鑑賞が好きなので、美術関連の本はときおり読みます。本書は、くだけた感じで写真や図、イラストを多用して読みやすさを追求しているようですが、情報がばらけてしまい、かえって読みづらくなっています。一番「読みやすい」のは文字だけで一直線に書いてある形式に決まっています。そこに適宜、写真や図を挿入するくらいが、僕としてはありがたい。西洋絵画の歴史が一通り書かれているので、通史としては悪くないのですが、いかんせん構成がごちゃごちゃしています。
2020年 8月 「サブリナ/ニック・ドルナソ」 (早川書房・単行本)
猫の出てくる作品としてブログで紹介するために読んだ。本書はグラフィック・ノベルとも言われるがつまりは漫画、なのに英国ブッカー賞にノミネートされるなど、その内容を高く評価されている。たしかに現代社会をうまく表現した、なんとも薄気味悪い一冊だった。イラストタッチの絵と独特のリズムが最初は読みづらく感じたが、慣れればそれが快感になってくる。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/0a0e22e3e54a2cc7f698b626071c6190
2020年 8月 「眠れる美女/川端康成」 (新潮社・文庫)
老人が全裸で眠る女性に添い寝するという倒錯的なエロ話、というイメージで読み始め、確かにその通りだし、老人は性行為に及ばないまでもちゃっかりいろんなところを触ったりもするのだけれど、眠る女性を横目に老人が過去を振り返りながら自分の心情を吐露していく、これは心理小説だと感じた。併録の「片腕」は、女性の片腕をぽんと取り外して持ち帰り、その腕と添い寝しながら語らい合うという、幻想耽美小説。もう一遍の「散りぬるを」は、身近な女性二人が殺された事件を元に、ある男性が犯人像に迫りそれは自分の人生ともつながっていく、これまた江戸川乱歩風の心理小説。有名な『雪国』『伊豆の踊子』にまったくピンと来なかったけれど、これらの短編三つはいずれも読みごたえがあり、かなり気に入ってしまった。
崖の上に斜めに建つ家に住み、母娘で体を結んで生活するところからしてつかみは完璧だが、その奇矯かつハイテンションな物語パワーを最後まで途切れさせないという、緻密でパワフルで極上の一作。
 身寄りを亡くし、灯台守の見習いとして灯台で暮らすことになった少女シルバー。仕事はもちろん灯台の作業を覚えること、そして物語を語り継いでいくことだ。師匠の灯台守ピューは、はるか昔この町に起きた出来事を、まるでその場に居合わせたかのように話す。
 ピューの話は、対立する二項を並べることで物事の深淵を抉り出していく。かつて町に住んでいたダーク牧師の二重生活に潜む光と闇、人間の二面性と不可思議性、物語を語ることと人生を生きること、神と進化論、古いものと新しいもの、男と女、生と死、愛と自然、科学と自然。それらは簡単に決着のつかないものばかりだが、物語として語り継ぐことで常に俎上に載せられ、人は思索を続ける。
 単行本で250ページ足らず、しかも改行や改ページが多いので、すぐに読めてしまう分量だ。なのにこの小説には実に多彩なテーマが盛り込まれている。
2020年 8月 「モモ/ミヒャエル・エンデ」 (岩波書店・全集)
読書会の課題図書となったために手に取った。前に読んだことはあったが、もう20年以上前のことで、細かい内容は忘れていた。
 「自分の心の中に自分の時間があり、それを追求することが大事」というテーマがあり、それを巡って一級のエンタテインメントが展開する。モモが時間をつかさどるマイスター・ホラの元に行き、そこで見た美しい景色、それが実はモモ自身の心の中なのだと告げられるシーンが、本当に素晴らしい。「時間は本当に自分のものであるあいだだけ、生きた時間でいられる」「現在を見ようと思っても過去になるだけ」「光を見るために目があり、音を聞くために耳があるように、時間を感じ取るために心がある」といった言葉の数々も、一つ一つが胸に突き刺さってくる。
 ただいくつか気になった点もあった。せかせかせず、時間を大事に使おうという主張はわかるが、そのためには不要な行動をしないことも大切だ。僕は、せかせかはしたくないが、てきぱきはしていたい。ゆっくりのんびりするのはいいが、ぐだぐだしたくはない。そのあたりの言及が本作ではなかった。また、結局みんなで仲良くが一番、という主張がかいまみえるところにも、やや違和感を覚えた。
「ヌヌ」とは、フランスの俗語でベビーシッターのこと。フランスでは一般的なのか知らないが、子供の面倒をみるだけでなく食事の準備や掃除までおこなう、家政婦のような感じで本書には登場する。
 優秀なヌヌとして評判のルイーズは、雇用先のマッセ夫妻に重宝されていた。夫妻はルイーズをバカンス先に連れていくほど気に入っていたが、小さなすれ違い、認識のずれが徐々に生まれていき、貧しく寂しい人生を送ってきたルイーズと成功者の一員であるマッセ夫妻との溝が深まっていく。
 じつは結末は冒頭で明かされている。マッセ夫妻の二人の小さな子供たちが、ルイーズによって殺害されたのだ。だから読者は、なぜ優秀なヌヌであるルイーズが殺害にまで至ったのかを知るためにページを繰ることになる。それぞれの置かれた立場、そこでの行動と心理が緻密に描写され、短いながら非常に読み応えのある一級品の小説だ。本作はフランスの小説界の最高峰の賞であるゴンクール賞を受賞した。
2020年 8月 「まる子だった/さくらももこ」 (集英社・文庫)
さくらももこさんによる、おもに小学生時代を懐古したエッセイ集。仕事の空き時間に読めるよう、カバンに常備してあった。さくらさんは僕とほぼ同世代なので、当時の文化的な背景や世情、風俗などはよくわかる。まさにちびまる子ちゃん風のほのぼのエピソード、とくに家族との意識の違いによるもどかしさなどが表現されており、軽く読むにはぴったりの一冊だった。
 ただ、静岡は地方都市とはいえ関東圏に近く、兵庫の田舎に住んでいた僕としてはやはりズレを感じてしまう。成人して以降は成功一直線の漫画家さんなので、子供時代に多少の苦労をしたとしても、なんだかお嬢様の文句を聞かされているような気になり、あまり共感できない。また、巻末の糸井重里氏との対談は、「私達は普通の人とは違う楽しみを持っている」という気取りが感じられて、ややいけ好かない印象を受けてしまった。
2020年 7月 「天使/佐藤亜紀」 (文藝春秋・文庫)
読んだ人の誰もが絶賛してやまない佐藤亜紀さん。僕は本作と、本作の前にはデビュー作の『バルタザールの遍歴』も読んだけれど、正直、存分に楽しめたとは言えない。なにせ説明も描写も極限まで削ぎ落としてある分、一度読んだだけではわかりづらいシーンが多い。それは歴史的事実とか人物相関とかいう前に、そもそもいま読んでいる文章で何が起こっているのか、何がドラマ要素、物語要素になっているのかがわかりづらいのだ。どうやらこの二人は対決しているらしいがその道理がわからない、といったような描写が多く、なかなかのめりこむことができないままに終わってしまった。もちろん、研ぎ澄まされた文章の切れ味は各所で感じ取れる。僕は佐藤亜紀の良い読者ではなさそうだ。
2020年 7月 「私のいない高校/青木淳悟」 (講談社・単行本)
『最愛の子ども/松浦理英子』の読書会のため、参考文献として読みました。過去に行われた読書会で、この両者の関連性に言及されていたからです。本書では、海外留学生を迎えた高校の日常が担任教師の目から淡々と描かれます。物語性やテーマを徹底的に排除してあり、課題図書とは真逆と言えるでしょう。物語性がないからつまらないかというとそんなことはなく、徹底した冷めた描写に妙なリアリティと説得力、面白みがあり、これはこれでなかなか興味深いものでした。
2020年 7月 「最愛の子ども/松浦 理英子」 (文藝春秋・文庫)
以前に二回読んだ時には今一つポイントがつかめず、今回読書会のために読み直してようやく見えてきました。本作は一見、非常に読みやすいけれど、実は様々な要素を含んだ弩級の傑作です!
 まずは、新しい関係性の提示という点。日夏と真汐、空穂の関係は、単なる友情とは言えず、かといってレズビアンでもない。肉体関係までは発展しないけれども、肉体的な接触の快楽を否定してもいない。この絶妙なラインが非常に現代的であり興味深いところです。これまでにも一貫して性器結合を伴わない性愛のあり方を探ってきた著者の真骨頂とも言えます。
 新しい関係性という点で、家族への言及もありました。主役三人はいずれも家庭環境に問題を抱えています。本作がまた凡百の小説と異なるのは、家族の絆を再生しようという方向には全くいかず、新しい家族、新しい共同体で生きていくことが示唆されているところ。家族という枠にとらわれず、疑似家族で生きていけばいいのでは、という提案です。
 また、キャラクター小説としても面白く読めます。主要三人の他の登場人物たちにも味があり、とくに印象的だったのが美少女の苑子。何も考えず能天気に生きる彼女は、男子クラスのボスと付き合い始めるものの、また気まぐれに自分から別れを切り出します。たしかに実生活でも、真面目に考えて行動する人ほど傷つきやすく、ふだん何も考えていない苑子のような人が楽に生きて長生きしそうな気はします。
 そして本作において最も大きな特色と言えるのが、〈わたしたち〉という不思議な視点人物の存在です。とりあえず、〈わたしたち〉が誰なのかを特定することに意味はなさそうです。〈わたしたち〉とは共同体そのものであり、ある一時期の女生徒全般の持つ意思、と捉えるのがいいのではないでしょうか。本文にも、〈わたしたちは小さな世界に閉じ込められて粘つく培養液で絡め合わされたまだ何ものでもない生きものの集合体を語るために「わたしたち」という主語を選んでいる〉と実は明確に書かれています。僕は最初に読んだとき、上記のような〈わたしたち〉の存在を認めつつも、ひとつ納得できない点がありました。それは、「世間の描く女子高生像と本当の女子高生は違う、本当の自分たちを見てよ」という主張のはずなのに、〈わたしたち〉だって主人公三人を好きなように歪めているではないか、という疑問でした。今回の読書会のために三度目の通読をし、ようやくその疑問が解決できた気がします。それは、〈わたしたち〉の抱く願いが、主人公三人を通して描かれているのだろう、という解釈です。現実がどうであれ、実現の可能性がどうであれ、〈わたしたち〉はこういう風に生きていきたい、という願いが描かれている。その願いとは、人と優しい関係を築きたいとか、幸せな人生を送りたいといった、ごくありふれた、真っ当なものです。ラストで、真汐の言葉を借りてこうした願いが宣言のように強調されています。
〈いったいどれだけ賢ければ波風立てずに生きて行けるのだろう。どれだけ美しければ世間にだいじにされるのだろう。どれだけまっすぐに育てばすこやかな性欲が宿るのだろう。どれだけ性格がよければ今のわたしが全く愛せない人たちを愛せるのだろう。気が遠くなる。楽しいことばかりではない道が目の前に果てしなく続いている。〉
 本書では、少女達のこうしたストレートな主張が、実に回りくどい手法で描かれています。そして、実は〈最愛の子ども〉とは、〈わたしたち〉の抱くこうした願いそのものなのではないかという気がします。そう思いながら最後の一文を読むと、ぐっときて涙が出そうになります。

盛り上がった読書会の開催報告はこちら
2020年 6月 「三の隣は五号室/長嶋 有」 (中央公論新社・文庫)
長嶋有という作家は、日常をさりげなく奇妙な形で切り取り、そこにドラマを生み出す名人だ。今回も、なんということはない普通の人々を描きながら、実に考えさせられる作品に仕上がっている。
 とある安アパートの一室が舞台で、その部屋に暮らした歴代の住人達を一人ずつ丁寧に綴っていく。この設定が非常に独創的だ。思えば歴代の住人同士というものは、一度も会ったことがないにも関わらず、同じ部屋で暮らす深い関係でもあるという、奇妙なつながりを持つ。誰かが置いた物や誰かが空けた穴が、以降に住む人に影響を与える。どの部屋に眠るか、どこに何を置くか、どこに不便を感じるかなど、住人それぞれの色ややり方があるのも面白い。それらを縦断的に見られるのが小説の特権で、彼らの何気ない日常を見ていくと、そこに、人間そのものに対する愛おしさが感じられてくる。よくこんな小説を思いつくなあ。
2020年 6月 「体の贈り物/レベッカ・ブラウン」 (マガジンハウス・単行本)
著者のレベッカ・ブラウンは、前に読んだ『犬たち』がかなり変てこな小説だったので、やや身構えつつ読んだ。そしたら意外にも純然なリアリズム小説で、素晴らしい作品だった。読み終えてからもう一度かみしめ、体の一部に取り込むように最初から読み直した。
 一人の女性ホームケアワーカーの物語だ。幾人もの利用者たちとの関わりの中で、彼らの人生の一端に触れ、さまざまな大事なものを〈贈り物〉として受け取っていく。
 自然食志向なのに甘いシナモンロールが大好きなリック。いつもは買ってきてくれるよう〈私〉に頼むのに、今日は要らないという。行ってみるとそこには思いがけない光景が待っていた――。
 独立心が強く、決して子供には手助けさせようとしないコニー。利用者なのに逆に〈私〉に気を使い、世話を焼こうとする。食事がうまくできない彼女は、隠れてバスルームで吐く。〈私〉は知らないふりをしながら掃除を続ける――。
 ホスピスに予約をしていたのにいざ空きが出ると尻込みするエドは、〈私〉が問い質そうとすると急に攻撃的になり、嘘をついてホスピス入院を遅らせる。ところがいざホスピスに入った彼に会いに行くと、とても元気になっていた。友だちもでき、彼らはホスピス入院を断ったエドをヒーローのようにはやし立てた。けれど、彼らが一人また一人と死んでいくにつれ、〈どうせすぐ死んでしまうのに、友だちなんか作りたくない〉と消極的になっていく。〈何かあるたびに、一歩ずつ進んでいく〉〈新しいことがあるたび、何かをなくしちゃうみたいでさ〉と嘆くエドが、最後にとった行動とは――。
 出てくる利用者たち一様に、下るしかない人生を生きている。彼らに関わる〈私〉は、彼らを否定するでもなく、なるべく快適になるよう、傷つけないようにサポートをする。それでも嫌な言葉を投げつけられたり、どうしてもやりたくない作業も出てくる。人生のなんともやりきれない負の面ばかりが見えてきて、〈私〉の心もときに折れそうになる。そうした心のやりとりが、実に素直に表現されており、人生の深い部分に触れることができる。
 巻末の訳者あとがきにある通り、こうした題材の小説は、いくらでも陳腐な感動話になり下がることはできるし、そういう作品はたくさんある。著者はホームケアワーカーとして働いたことがあり、本書はその時の体験が元になってはいるけれど、極力情に流されない乾いた筆致が貫かれ、そこに人間の深い哀しみや人生の不可思議がにじみ出てくる。訳者の柴田元幸さんの言葉が素晴らしかったから、ひいておきたい。
〈こういう体験を、「そのまま綴る」ほど難しいことはない。語るはしから、「物語」が付着してしまう。「物語」を排するためにこそ、作家としての技量が必要なのだ。〉
2020年 6月 「霧に橋を架ける/キジ・ジョンスン」 (東京創元社・文庫)
動物の出てくる話がたくさん掲載されているということで、ブログ用に読んだ。SFはやや苦手な分野なのだが、本作は純SFというよりもファンタジー小説、不条理小説の色合いが濃く、とっつきづらい作品がある一方、ぐっとくる作品もたくさんあった。
 年老いた犬との旅を通じて別れの奇跡を体験する「蜜蜂の川の流れる先で」、26匹の猿が忽然と消えてはおみやげを持って帰ってくる不思議を描いた「26モンキーズ、そして時の裂け目」も素晴らしいのだが、圧巻は表題作。もっとも文量が多く、重厚な物語を楽しませてくれる。

★詳細は、2回に分けて書いたブログをお読みください。
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/342aee6c2189379adb3b3ec590dad426
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/eccb5ccb4a596eded05343b6cf5ce117
2020年 5月 「絡新婦の理/京極夏彦」 (講談社・文庫)
コロナ騒動で時間があるこの時期だから、というわけでもないが、ずっと積読にしてあった本書に着手。なにしろ1380ページほどもある“巨大な”文庫本。手で持って読むのが大変だったが、京極堂シリーズはとても読みやすいので、読むこと自体は苦にならなかった。
 冒頭でいきなり、京極堂と犯人とが対峙するという大胆な仕掛けが施されている。ラストシーンを先に持ってきているのだ。だからそこだけ読んでも内容はわからない。その後にあらためて物語がスタートし、読者は、さっきのは一体なんだったのだろうと思いつつ読み進めることになる。そして最後まで読み終えたあと、もう一度冒頭を読んで納得する。桜舞い散るそのシーンの美しさとあいまって、仕掛けはばっちりうまくいっていると思う。これには驚いた。
 タイトルとこの仕掛けで予想はつくだろうから明かしてもいいと思うが、今回のテーマはずばり、フェミニズムだ。京極堂の蘊蓄は相変わらずで、半分ほどは理解できない。錯綜する事実関係、人間関係には目が眩みそうになるけれど、怪奇趣味と懐古趣味をふんだんに盛り込んだミステリー小説として、最後まで面白く読めた。「狂骨の夢」「鉄鼠の檻」 あたりはやや物足りなく感じていたが、本作でまたシリーズ全体への興味が復活した。
2020年 5月 「人生がときめく片づけの魔法/近藤麻理恵」 (サンマーク出版・単行本)
これはとんでもない本と出会ってしまった。書かれていることにビンビン反応し、心から強くうなずくことばかり。以前から断捨離の考え方に共感を持っていたが、本書も、考え方としてはほぼ断捨離と同じだ。すなわち、“捨てる”こと自体に意味があるのではなく、大事なものを“残す”ために、それ以外を捨てるということだ。そうして大事なものを選ぶ過程が自己を見つめ直すきっかけとなり、人生を大きく変えていく。つまり、ただの片づけ方の方法論に留まらず、うまく生きられない人全般に向けた、人生の指南書だ。
 ちょっとかわいい女子が書いた軽いベストセラー本、などと舐めている人がいたら、とんでもない。この本には、そんじょそこらの自己啓発本など千冊束になっても敵わない内容が詰まっている。
2020年 5月 「太陽の塔/森見登美彦」 (新潮社・文庫)
日本ファンタジーノベル大賞を受賞した、森見登美彦のデビュー作。著者の特徴でもある京都の大学生のいじましい暮らしぶりが、ファンタジーを交えて描かれていく。本作でのファンタジー要素は“妄想”として描かれ、どこまでが本当でどこまでが妄想なのかもあいまいになっている。そもそも、主人公がむかし付き合っていたという女性自体、存在しないかもしれないのだ。読者はそうしてふわふわした気持ちのまま、著者の描いた世界をさ迷い歩くこととなる。大傑作『夜は短し歩けよ乙女』に比べると発想の広がりに乏しく、大傑作とまでは言えないけれど、著者の来歴を知る上で貴重な一作。
2020年 5月 「私のギリシャ神話/阿刀田高」 (集英社・文庫)
西洋絵画を好きになり見ていくと、キリスト教とギリシャ神話を勉強したいという気持ちが湧いてくる。これら二つは、実に多くの絵画でテーマとして描かれるからだ。キリスト教については、阿刀田高氏の『旧約聖書を知っていますか』『新約聖書を知っていますか』の2冊がたいへん面白かったので、ギリシャ神話についても同氏の著作を手にとった。
 結果として、やはり正解だった。ギリシャ神話に関する本は多数あり、たいていは神話を一律に紹介していくものが多い。本作では、メインのエピソードに絞りつつ、ギリシャ神話全体の体系がどうなっているのかをわかりやすく説明してくれる。とくに、各地の伝承の寄せ集めであって話の相互で矛盾があること、つまらない話も多いことなどを教えてくれるので、初心者に優しい。絵画鑑賞の補助とする程度なら、これ一冊でじゅうぶん間に合うだろう。
2020年 5月 「人生がときめく片づけの魔法2/近藤 麻理恵」 (河出書房新社・単行本)
パート2に面白いものはない、とは映画でよく言われるが、本においても同じだろう。ベストセラー本にはたいてい続編が出て、それは搾りかすのようなものか、一作目の焼き直しに終わるケースが大半だ。しかし本作は、一作目を補いつつ、さらに実践的なやり方を紹介している。一作目を読んだけれど片づけに失敗した人に、どうしてうまくいかないのか、どうすればよいのかという道を与えてくれる。そして思想的な面でも、さらなる深まりを見せてくれるのだ。あらためてすごい著者だと感心した。
2020年 5月 「聖なるズー/濱野 ちひろ」 (集英社・単行本)
2019年の開高健ノンフィクション賞を受賞した作品。まさに著者渾身の一作で、久しぶりにがつんと来るノンフィクションを読んだ。もちろんゲテモノ趣味ではない。これは動物愛護、そして愛そのものに対する真摯な問いかけだ。
 著者は学生時代、交際相手からDVと性暴力を受けていた。実に十年の歳月を費やしようやく男とは手が切れたが、その後も自分を責め続け、愛とセックスを軽蔑し続けた。それでも傷は癒えず、自分を救うために選んだのが愛とセックスを学術的に見つめ直すことだった。大学院に入学し、文化人類学のセクシャリティ研究の道に進む。そこで出会ったのが動物性愛というテーマだった。動物性愛者、つまり動物とセックスする人たちの研究。理屈づけは難しいが、著者にはなぜかそのテーマが引っ掛かり、自分を救ってくれるのではないかという個人的希望で研究を進める。その成果をまとめたものが本書だ。
 ドイツには動物性愛者の団体「ゼータ」があることを知り、ドイツに赴く。ここで著者のやり方がすごいのだが、初対面の人とコンタクトをとり、話をすることが可能になれば、その人の家に行って何日も泊まり込んで話を聞くのだ。
 ドイツでももちろん動物性愛者は異端で、社会からの白眼視は免れない。ゼータはおもに動物愛護団体から徹底的に叩かれる。合意のないセックスは動物への虐待ではないか、という非難だ。ところが取材を続けるうち、決してそうではないことに著者は気づく。
 動物性愛者はズーフィリア、略してズーと呼ばれる。ズーの人達は、「動物とのセックスの合意は得られている」「これは彼らへの深い愛情の表現なのだ」「お互いが望んだ時にだけセックスをする」という。しかも、ほぼすべての場合、動物のほうから“誘ってくる”のだと。言葉では説明できないけれど、体験すれば100%理解できるらしい。それを聞いた著者は、そんなことがあり得るのかと戸惑う。確かに自分も動物を好きだし、懐いてくれるのもわかるけれど、動物とセックスをしたいと思ったことはないし、相手から“誘われた”経験もない。彼らの意見は正しいのか、こんなことをやっていて自分の傷は癒えるのか。著者はそうした疑問をずっと抱いたまま取材を進める。
 性の対等性という観点から動物性愛を見れば、人と動物は言葉が通じないから性行為の同意は取れず、非対等であり虐待だ。つまり、著者自身が受けた性暴力と同じなのだ。著者の戸惑いと共に読者も、自分ならどうする、どう思う、と考え続ける。
 主にドイツでおこなわれた取材が終わる頃、著者の心境に変化が訪れる。なぜ自分がこのテーマを選んだのか、自分の体験とどう結びついていくのかがおぼろげに見えてくるのだ。ラストのあたりで僕は体に戦慄が走るような感慨を味わった。本当に体が震えた。
2020年 4月 「猫に時間の流れる/保坂和志」 (中央公論社・文庫)
まったく難解ではなく、凝った言い回しもせず、それでいて流れるように心地いいこの文章はなかなか書けるものではない。そして全編猫に関する興味と愛情に溢れている。猫の小説を読みたいなら、まずはこの著者の作品群を一通り読めばいいのでは、と思ってしまうほど。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/f2a3cba9b75253d5b44fc06812d14741
前に読んだ『友だち/ジーグリッド・ヌーネス』の中に本書が紹介されていたので、読んでみた。詩人リルケが、詩人志望の男性との間で交わした書簡がそのまま掲載されている。ただの一般人を相手に、ここまで親身になり、有益なアドバイスを送っていることに驚かされるが、書かれていることは単に詩人としての心構えに留まらず、人が生きる上でたくさんのメッセージが含まれていて、僕の心にも深く沁みた。時に難しすぎる表現が出てきて読みづらい部分はあるが、参考にできる考えがたくさん含まれているので、いろんな人におすすめできる一冊。
2020年 4月 「美しい夏の行方/辻邦生」 (中央公論新社・文庫)
著者が1980年代にイタリア各地を旅した際のエッセイ。僕も2018年にイタリアを旅し、感銘を受けた記憶が強いので、同じ場所をどうとらえ、どう表現するのかを興味深く読み、各地の風景を懐かしく思い出した。
 著者は、小説でも大仰な表現、西洋に対する臆面のない憧れが目立ったが、エッセイでもそれは引き継がれていて、本当にイタリアが大好きだということはわかるのだけれど、ここまで大げさに褒められたらイタリアのほうが居心地悪く感じるのではと思ってしまう。僕もイタリアは好きだしまた何度も行きたいという気持ちが強い反面、嫌な目にもいっぱい遭ったので、思いはもっと複雑だ。
2020年 3月 「友だち/シーグリッド・ヌーネス」 (新潮社・全集)
本書の紹介文はたいてい、「主人公の女性作家が、亡くなった友人の飼い犬を引き取り、一緒に暮らし始める」といった内容で書かれているが、そんな単純なものではない。人と犬との絆を語るとともに、生と死、男と女、人間と犬、そして愛。さまざまな思索が文章に入り込み、主人公の頭の中を覗き込んだ気にさせられる。その過程でいろんな本や映画が語られ、それらが良質なブックガイド、映画ガイドにもなっている。僕としては獣医とのやりとりや、擬人化するしかない、犬たちの飼い主への思いに強く心を揺さぶられた。

無数の語るべき美点のある小説。その深さに打ちのめされる。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/61174c1b31a6c411a1691a25c86f701e
2020年 3月 「文豪たちの怪しい宴/鯨 統一郎」 (東京創元社・文庫)
デビュー作「邪馬台国はどこですか?」で独自の歴史解釈をミステリ形式でつづるという離れ業で耳目を集めた鯨統一郎。その後も、「新・世界の七不思議」などの同系統作品を送り続けていたが、最新作は、過去の名作小説の新解釈ものだ。『こころ/夏目漱石』は百合小説だった、『走れメロス/太宰治』は友人の見た夢だった、などなど、誰もが知っている作品にまったく違う解釈を与える。ただ、前作までと比べ、こじつけ感が増した割に、なるほどと思わせる要素が少ない。文学者の右往左往する心理模様がずっとワンパターンなのも読んでいて苦しかった。
2020年 3月 「柩の中の猫/小池真理子」 (集英社・文庫)
ブログで紹介するために読んでみたのだが、これはちょっと載せられない、とあきらめた。小池真理子さんを読むのはこれが初めてで、あまり巧くないなあ、と読み始めてすぐに思った。「このあと、あんなひどいことが起こるとは思わなかった」とか、「なぜか不吉な予感に襲われた」など、これからの展開を先に書いてしまい、本当にその通りに出来事が起こるので先が読めてしまう。ミステリーやサスペンスは意外な展開というのがキモだと思うのだが、ことごとくそれを外してしまっている。猫がタイトルで、最後まで猫のイメージは出てくるものの、結果としてさしたる存在感を示していない。登場人物たちの心理や行動も一直線で、人間心理の綾がまったく感じられなかった。
2020年 3月 「冬の犬/アリステア・マクラウド」 (新潮社・単行本)
初めて読む作家だったが、とても気に入ってしまった。短編を16本、長編を1本だけ書いて亡くなった寡作の人で、短編集2冊、長編1冊がすべて邦訳されている。そして、そのどれもが同じく、カナダにあるケープ・ブレトン島という小さな島が舞台だ。
 今回読んだのは短編集の一つで、8本が収められている。ケープ・ブレトン島のあるノヴァ・スコシアという地域は、名前のとおり、スコットランドからの移民が多く住むところだ。むかし、スコットランドの領主が羊毛産業を発展させるべく、土地を牧羊地にするため住民を追い出したという。これは「クリアランス」と呼ばれるできごとで、追い出された住民たちは近くの都市部へ移るほか、世界各地に散っていった。その一つがカナダのこの地域だった。
 本書を読んで、僕はそうした歴史を初めて知り、興味を抱いた。移民たちは自らのルーツであるケルト文化を大切に守り、ゲール語を話しているという。小説の中には、そうした歴史に基づく暮らしや文化が息づいていると同時に、どこにいてもやはり同じ人間だと思わせるような、生きる苦しみ、恋愛や家庭の悩みなどが描かれている。8作どれもが読み応えがあって素晴らしいが、とくに「完璧なる調和」「島」の二本は完成度が高い。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/6df23972957e65629c6a95afaa470f15
ポール・オースターの小説は、僕には手ごわい。話が思うとおりにまったく進まず、そこを「面白い」と思えるところまで僕の読解力が追いつかない。
 話としては、病気で先の短いウィリーが飼い犬のミスター・ボーンズの世話を知り合いに頼む件が軸で進んでいくのだが、そこへミスター・ボーンズの回想が混じり、知り合いに会う計画もすんなりとは進まない。ミスター・ボーンズが見た夢の話があり、夢の中の犬がまた夢を見ていたりして、いったいいつの時代の出来事なのか、いま起きているのは真実なのか空想なのか、判然としなくなってくる。それでも頑張って読んでいくと、不思議に清々しい読後感が待っているのだ。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/c3b849040aef78e9e74c3efe8e58f9b2
この著者の作品を読むのは、『犯罪』『コリーニ事件』に続き、3作目。デビュー作にして話題をさらった『犯罪』に続く、第二短編集が本作だ。数ページ程度からの短い作品が多いが、簡潔に提示される文章の行間を読者が埋めていく、この読み心地が気持ちよくて癖になる。ただ、第二短編集となるとそのあたりにややマンネリ感が出てくるのも否めない。
2020年 2月 「牝猫/コレット」 (岩波書店・文庫)
1933年に書かれたフランス文学。読み始めると、ああ、いかにもフランス文学だなあという気がする。まわりくどいというか、すんなり筋を進めようとしないというか、まあ僕にはなかなか苦手だ。登場人物たちも、金持ちの嫌味な奴ばかりで、全く好きになれない。それでも猫は猫として気ままにふるまい、かわいさを爆発させている。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/c38ac3682cb84975802223500191d676
2020年 1月 「その姿の消し方/堀江 敏幸」 (新潮社・文庫)
2020年初っ端の読書に、堀江敏幸さんを選んだ。周りの知人数人からお勧めされていた影響も大きい。
 語り手の男性が、フランス留学時代に偶然みつけた古い絵葉書に惹かれる。なんの変哲もない建物の写真と、裏には不思議な十行の詩。男性はフランスを再訪し、詩を書いた作者と建物を探し歩く。
 独特の形式の小説だ。詩人と建物の謎をめぐるミステリのように始まりつつ、目的そのものよりは、目的を追う過程で出会った人々、そこで起こる些細なできごとへと小説の焦点は移っていく。絵葉書はその後にまた何枚か見つかるのだが、その解釈をめぐる思索が、創造の裏側を見るようで楽しい。また、次第にこの小説の文章自体がその詩に影響されていくさまも面白い。

ブログで紹介するため再読したが、やはり超一級のエンタメ作品だと再認識。20世紀という戦争の時代を犬の視点から語り直し、そこに現代パートのロシアマフィアとチェチェンマフィアと日本のヤクザの抗争劇が入り混じる。興奮し、涙しながら突っ走るように読んだ。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/5ba7a601ef00c53d6ff1fd2ded91a2c8
2020年 1月 「友だち幻想/菅野仁」 (筑摩書房・新書)
読書会の課題本として読んだ。そもそも僕は社会学という学問をあまり信用していない。たいていは少ないサンプルから「世の中はこうだ、人間はこうだ」という大きな結論を導き出すもので、「なんとなくそう思う」という話の延長に過ぎない。なので、本作も眉唾で読み始めた。
 結果、いい意味でも悪い意味でも“軽い”本だと感じた。人と人とは本来異質なものであり、簡単にわかりあえることはない。無闇に友だちを増やそうとするのではなく、置かれた環境で身の処し方を探るしかない、という本書の主張には、概略で同意できる。これは、以前に読んだ平田オリザ氏の「わかりあえないことから」とも同じ主張だが、本書ではあまり深く突っ込んだ考察はされず、考え方の糸口を提示するに留めている。
 人間関係に悩む人、とくに、若い人や学生には有用なのではないかと思う。「どんなに身近でも他者であり、異質性を持つ」「ルールを大切にするのは、管理のためではなく自由のため」というあたりもわかりやすくて良い。ただ一点、ときおりはさまれる軽薄なイラストが全くいただけず、嫌悪感すら覚えた。
何気なく再読を始めたら、意外にもよく猫が出てくるので、猫小説というほどではないが、ブログで紹介することにした。年老いたノアの穏やかな暮らしと回想、家族との思い出。静かな静かな物語の中に、どす黒いとも言える波乱の人生が浮かび上がる。レアード・ハントの小説は、語り口はゆったりとしているのに、描かれているのは意外に派手なドラマ、というバランスで、そこが本当に好きだ。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/72b41b31a0beae8ff65301e3d441b88a
2020年 1月 「若き日の哀しみ/ダニロ・キシュ」 (東京創元社・文庫)
ブログのために犬や猫などの動物が出てくる作品をいろいろと読んでいる。本作については、今回動物の本を調べてみるまでまったく知らず、著者の名前もまったく聞いたことがなかった。旧ユーゴスラビア系の作家自体、おそらく読んだことがない。著者はユダヤ人の父親とモンテネグロ人の母親を持ち、少年時代に第二次大戦を迎える。父親はナチスに捕らえられ、アウシュビッツ収容所に送られる。そうした激動の時代をほぼ私小説のように連作短編形式で綴ったのが本作。ポエティックかつユーモラスに描かれていながら、実は奥底に根強い戦争への嫌悪感が漂っている。知らない人にはぜひお勧めしたい一冊。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/e71d98803c8e827f497f0cd7ac30b550
2020年 1月 「三億円事件/一橋文哉」 (新潮社・文庫)
出版時からずっと読みたいと思い続けたきたものを、ようやく読むことができた。以前写真週刊誌に、三億円事件犯人のモンタージュ写真が実は事件直前に亡くなった少年のものだったという記事が載っていて、元写真との比較を見ると確かにその少年に間違いなかった。そして、真犯人は警察官の息子であり、それを隠すために警察はニセの写真を用意したのだ、とも書かれていたように思う。僕はこれが真相なのかと思っていたが、本書ではまた違う見解が紹介されていて、なかなかに信ぴょう性の高いものに感じた。
 ただ、いま調べてみると、本作の主張はけっこうトンデモ説のように世間では扱われているようで、確かに論理の飛躍もあるように思う。正確さを重視するあまり、不要なまでに記録的要素がそのまま紹介されていたりして、読み物としてもあまりいい構成だとも思えない。もっと要点を絞ってくれたほうが読みやすいはずだ。それでも、三億円事件を語るなら外せない一冊であることに間違いはない。
2020年 1月 「タマや/金井美恵子」 (河出書房新社・文庫)
これもブログのために再読してみたが、初読の時よりも楽しめたように思う。やはり文章の巧さは圧倒的で、読む楽しみを十分に味わわせてくれる。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/fe7e722fda487e5bf7dceed0aed1ce8e