ネット上を散策していると、月に10冊以上も読んでいる人がいて感心しますが、僕の読むのはせいぜい3〜4冊程度です。自分の興味の湧いたものを、ジャンルを問わず雑読しています。

タイトルをクリックすると、評価コメントが表示されます。なお、評価および点数についてはあくまでも個人の主観によるものですので、参考程度に留めておいて下さい。
◆評価基準
  … 読む価値ゼロ
  … 読むに耐えない内容が多くある
  … 読めるるが、いくつか難点がある
  … 可もなく不可もなし
  … 少なくとも何らかの得るものがあった
  … なかなか面白い。読書の楽しみがある
  … かなり面白い。これだから読書はやめられない
  … 素晴らしい一作。感動した!
  … 完璧! 出会えたことが奇跡の作品
  
前に読んで気に入った『ワニの町へ来たスパイ』の、シリーズ第2作。田舎町シンフルに戻ってきたいけ好かない元ミスコン女王・パンジーが殺される。疑いをかけられたのが、おなじみCIA工作員の女性主人公・フォーチュンだ。容疑を晴らすべく彼女は、アイダ・ベル&ガーティという元気もりもりおばあちゃんズと共に、ドタバタ捜索劇を繰り広げる。前作から1年を待たずに出版されるというスケジュールのためか、やや構築に粗さも感じられるものの、物語の疾走感、フォーチュン達の連携プレイの小気味よさなど、読む楽しさは存分に味わわせてくれる。まさしく町ぐるみの犯罪ともいえる顛末と共に、今回の読みどころの一つは、イケメン保安官カーターとフォーチュンの関係が微妙に変化していくところだろう。二人の関係がどうなっていくのか、次回作への期待を抱かせてくれる。
2024年 4月 「一冊でわかるイギリス史/小林照夫」 (河出書房新社・新書)
イギリス一国の歴史を記した本を読んでみたいと思い手に取った。内容をはしょり過ぎだとか大事な部分が抜けているという評価はあるようだが、あえてそうすることで、短い分量ながらイギリスの概略通史を紹介することができ、僕には有益な一冊となった。抜けているところやさらなる詳細は、この本を読み終えてまた他書をひもとけばよい。
 とにかくイギリス史においては、ヘンリー7世と8世が飛びぬけて興味深いということがわかった。このあたりの経緯を誰かに話したくてうずうずしている。それだけでも大きな収穫だ。
2024年 3月 「地雷グリコ/青崎有吾」 (KADOKAWA・単行本)
11文字の檻』につづき、青崎有吾作品を読むのはこれが2冊目。高校を舞台にした連作短編集だ。
 毎回、一つのゲームや遊びが提示され、その競技の中に巧妙にドラマが埋め込まれている。たとえば誰もが子供時代に遊んだ「グリコ」。じゃんけんで勝ったほうがグーなら「グリコ」で3歩、チョキなら「チヨコレート」で6歩、という風に進んで勝ち負けを競う。これに「地雷」というルールを付加したのが「地雷グリコ」だ。勝負は階段で行われ、地雷が仕掛けられた段に止まったら10段戻る。先に最上段にたどり着いたほうが勝ちだ。学園祭での場所取りをめぐり、主人公の女子高生・真兎(まと)が先輩と競う姿を描くのが冒頭の表題作。
 単純なルール付加だけでこれだけ緊迫した展開になることに驚き、それをどんでん返しの続く見事なストーリーに落とし込んだ作者の手腕にまた驚かされる。シンプルなルールゆえに「その手があったか」と唸らされる意味では、表題作のほか、「自由律ジャンケン」も素晴らしかった。同時に学園もの、青春ものとしての要素もたっぷりで、若い人も楽しめる一冊だろう。
 連作の後半に進むにつれ仕掛けがどんどん複雑になっていき、ラストの「フォールーム・ポーカー」あたりはルールと状況が複雑すぎて、やや爽快さに欠けるきらいがある。ただ、主人公の真兎が次々と難敵を下していく過程で、彼女の中学時代のエピソードや友人との交流もサブ的に描かれ、それが最終作で結実するという意味では、やはり見事な構成と言うしかない。一作ごとに相当シビアで緻密な構築を要求される作品なので、著者が本作を書き切った功績は大きいと思う。
2024年 3月 「身体のいいなり/内澤旬子」 (朝日新聞出版・文庫)
屠畜に興味を持って世界中を飛び回ったり、今度は自分で豚を育ててみたり、小豆島に移住したりと奇抜な生き方を続ける著者だが、本作は彼女が乳癌と診断された際の闘病体験を、これまた奇妙に赤裸々につづる内容となっている。
 巻末で彼女は語る。〈私のように意志ばかり肥大させて生きてきたような人間には、それはちょうど良い体験だったのかもしれない。(中略)癌を通じて、私の意志は一度身体に降参し、身体のいいなりになるしかなかったのだ〉
 この言葉がタイトルになったわけだ。身体を無視して好きなようにやってきたが、結局はそれが身体に無理を生じさせ、しかも身体を治さなければ好きな生き方もできない、身体のいいなりになるしかない、という意味だ。この結論に至る傷だらけの過程が著者の体験の特殊性を生み、本書の読みどころとなっている。
 ただ僕は本書を読んでもう一つ、「医療のいいなり」という言葉が浮かんだ。医療が何よりの正義で必ず従わなければならない、という信仰に基づいて彼女は行動しているわけだが、僕個人としてはそこに大いなる疑問を感じた。僕は本書で書かれている医療、治療をほとんど全く信じていない。だからここで紹介されている治療はまったく意味がないどころか、体に害でしかない、と思う点では、本書は受け入れられなかった。
ナチズムやファシズムに関する小説は数多くあるが、イタリア内にあるドイツ語圏の村という設定が独自だ。主人公のトリーナは、ファシズムの名のもとに近隣の村が蹂躙され、イタリアへの同化を強いられる状況に苦しんでいる。そこへダム建設の話がもちあがり、湖に沈む村からの立ち退きを要求される。夫は村にとどまることを主張し、息子はナチスが自分達を助けてくれると信じている。やがて第二次大戦の脅威が忍び寄り、トリーナ一家に過酷な運命が襲いかかる。
 本作はトリーナが娘に語りかける形式をとっているが、その理由が明かされる部分が切ない。誰もが幸せを望みながら、それぞれの思いを胸に引き裂かれざるをえないのだ。穏やかな場面と激しい場面とが変わらず丁寧な描写でつづられ、読者はトリーナの置かれた状況に否応なく引き込まれていく。読み終えて表紙を見直せば、歴史の暴力が作り上げた限りなく美しい光景が胸を打つ。
ジャネット・ウィンターソンのデビュー長編にして自伝的側面の強い作品。どこまでが事実なのかは想像するしかないが、強烈な個性を持つ母親から正負両面において大きな影響を受けたこと、田舎町においてレズビアンであることがいかに生き辛いものであったかというあたりは、ほぼ事実とみて間違いなさそうだ。
 同著者の小説はこれまで、『灯台守の話』『フランキスシュタイン』の2作を読み、どちらも大好きな小説になった。これら2作に共通するのが、メインの物語と平行して様々な別の物語が語られるところだが、このデビュー作から既にその方法がとられている。自伝的ストーリーの合間に突如としてアーサー王の物語がはさまれたりするが、そうしたやり方は、作を重ねるにつれ洗練していったように感じる。
2024年 2月 「君のクイズ/小川哲」 (朝日新聞出版・単行本)
小川哲作品を読むのは『地図と拳』に続いて2作目。よく言われるように、作風の多彩さにまず驚く。綿密な調査の元に書かれた大河ドラマだった『地図と拳』に対し、本作はクイズ番組を題材にした、大衆向けの軽快な一品だ。
 テレビのクイズ番組で、問題が一言も発せられないうちにボタンが押され、正解するという事態が起きる。なぜそんなことが可能だったのか、不正はなかったのかと裏事情を探る過程はやがて、プレイヤー達の人生や生きる姿勢にまでつながっていく。著者のクイズに対する関心、人間や人生に対する興味がびしびしと伝わってくるから、この人の書く作品は単なるエンタメに終わっていない。
昨年のニュージーランド旅行の際、ニュージーランドの作家の本ということで選んだ。少しずつ読んでいる津村紀久子さんの『やりなおし世界文学』で紹介されていたせいもある。
 冒頭の一篇「園遊会」は、割と有名な一作。1950年代の翻訳のせいか、読みづらいというほどではないが、なんとなく日本語に違和感を覚えてしまい、入り込むのに時間がかかった。上流階級の子女の素直すぎる反応が描かれるが、彼女に同意できるか否か、考えさせられるのが面白いと思った。続く「パーカーおばあさんの人生」は、老いた女性の悲哀を皮肉まじりに描く。その後も、割に短く断片的な小品がつづき、アリ・スミスの『五月 その他の短編』を読んだ時のような戸惑いを覚えた。
 印象が変わったのが、「船の旅」だ。これも短い一作ながら、少女が一人で船旅に出なければならない理由、その状況や心情が見事に描写され、感心というか感嘆してしまった。そこからは、いじわるユーモアがさく裂する「鳩氏と鳩夫人」も楽しく読めたし、やはり船を舞台にしたドラマティックな一篇「見知らぬ者」にも唸らされた。
 一冊を読んで感じたのは、独特の皮肉交じりのユーモアや予定調和のないストーリーで、そしてなにより細密かつ的確な描写力にしびれた。これはすごい作家に出会ってしまった。