■ 2021年に読んだ本
  
リディア・デイヴィスの名は、以前読んだ『掃除婦のための手引き書』の著者ルシア・ベルリンをベタ褒めした文章(『掃除婦の〜』内に収録)を読んだのがきっかけだった。
 本書には51の短編小説が収録されており、ほんの数行程度で断片的に箴言のようなインパクトを残す超短編から、わざと古文のような言葉遣いの妙な旅行記など、内容はバラエティに富んでいる。それでも僕が惹かれるのは、カウボーイと結婚することを夢想する女性を描いた「大学教師」や、大きな屋敷に住み込み管理人として働いた一年を描く「サン・マルタン」など、ある程度の分量とストーリー性のあるものだ。自分の好みのありようを探る意味でも貴重な読書体験になった。
2021年12月 「残月記/小田雅久仁」 (双葉社・単行本)
前作『本にだって雄と雌があります』から、なんと9年ぶりの新作。誰もが待っていた小田さんの新作は、やはりただものではなかった。それぞれ月にまつわる3作の中短編が収められ、ジャンル分けは難しいがホラーファンタジーと言っていいだろう。ある瞬間に世界が入れ替わってしまった男の悲劇を描く「そして月がふりかえる」、枕元に置いて寝ると不思議な夢を見るという月景石にまつわる奇譚「月景石」、も良いが、圧巻は最後におかれた中編の表題作「残月記」。月昂と呼ばれる難病に冒された主人公の冬芽(とうが)が、権力者による闘技会に駆り出され、生死を賭けた闘いに明け暮れる。ファンタジー要素にアクション要素も加わり、一人の女性との絆に涙する恋愛小説でもある、懐が深く読み応えのある小説。あわせてもそれほど長い作品ではないのに、読み終えた後に深い充足感が得られる一冊。
単行本が出た2011年当初からいつか読もうと思い続け、ようやく願いが叶った。僕は力道山は過去の映像でしか知らないが、70年代から80年代のプロレスは好きでずっと見ていた。
 本書はプロレス黎明期の裏面史かと思っていたのだが、3分の2ほどは柔道の歴史だった。現代の柔道は講道館柔道と呼ばれるもので、近年になってよりスポーツに近くなった。端的に言えば、投げ技と、それに続く寝技が基本となり、締め技は付属的なもので打撃は禁止されている。かつての柔道は武道であり、実戦的なものだった。だから投げ技はもちろん、締め技と打撃も重要な要素だった。そんな中で驚異的な練習量により道を極め、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで称えられたのが、木村政彦だった。
 本書は木村政彦サイドから力道山戦を描いており、あの試合での木村の立場、柔道とプロレスの関係を描くため、柔道の歴史をひもとくところから始めるのは必然だった。長い物語だったが、全編をわくわくしながら読み通した。木村政彦という人間がいかに非凡な存在だったかがよくわかり、そんな大きな存在が柔道やプロレスの歴史のせいで脇に追いやられていくのを知るのはいたたまれなかった。それにしても著者はよく調べ上げ、これを書き切ったと思う。偉大な功績だ。
2021年11月 「ポトスライムの舟/津村 記久子」 (講談社・文庫)
津村記久子作品を読むのは二作目で、前が『つまらない住宅地のすべての家』だったのだが、あちらはエンタメ紙に掲載されただけあってストーリー性に富んで読みやすかったのに対し、おそらく著者の本領はこちらだろう本作においては、平凡な日常に見える光のようなものを描いているのだろうけれど、さすがに地味で入り込み辛かった。僕の読書が今回は失敗したのだと思う。
毎度おなじみ、妹尾河童さんによるイラスト旅エッセイ。今回はヨーロッパ各地を巡る旅で、著者が出会った建物や風景をスケッチし、文章を綴る。写真とは違い、手書きのイラストは何とも言えない味わいがあるもので、自分が行ったことのある都市にはさらに興味が倍増し、楽しんで読めた。ただ、後半はホテルの部屋のイラストが頻発し、しかも同じホテルの別の部屋だったりして、少々飽きてくるのが難点。
読書会の課題本として手に取った。なんと、全世界で読まれた本のベスト5位に入るらしく(ちなみに1位は聖書)、8500万部も売れたらしい。
 本書に出てくる錬金術は、自分の夢を追求し、それを叶えることのたとえとして読んだ。自分の内なる声に耳を傾けることの大切さ、夢を追うから自分に失望するのではなく、傷つくことを恐れることが自分を貶めることになるということが描かれていたように思う。伝えたいことはわかるのだけれど、そのための物語にやや難があると感じた。とくに、ラストでの宝物の扱い、途中で出会う少女との関係など、首をひねるところも多く、伝えたいことのために人や物がただの道具として扱われている気がした。専門の翻訳家ではない方の訳文も、ぎこちないところがいくつか見られた。
2021年 9月 「クロイドン発12時30分/F・W・クロフツ」 (東京創元社・文庫)
クロイドン発12時30分の飛行機に乗った老人が殺され、その犯人の青年視点で、彼がなぜ殺害を企て、どう実行したかが詳細に語られる。子供の頃から倒叙ミステリの傑作として書名だけは知っており、長い長い時間を経てようやく読むことができた。
 クロイドンは、ロンドンにヒースロー空港ができるまでの主要空港で、タイトルは航空便を表すが、今となっては電車のように思えてしまう。綿密な計画がどこで破綻していくのかを読む進めるのは面白く、後半は法廷劇になって雰囲気が違っていくのも興味深い。ただ、主人公があまりにもクソ男なので感情移入できず、そこが少し残念だった。
映画『アウトレイジ・ビヨンド』で強烈な印象を残した俳優の塩見三省さん。2014年に脳出血で倒れ、半身不随になりながらも懸命のリハビリで仕事に復帰されたが、そのいきさつをご自分でエッセイにまとめられたのがこの一冊。
 本書の始めに、杖を持ち、体のバランスが崩れた著者の写真がある。2021年の撮影だから、発病当初はもっと酷い状況だった。自分の姿を鏡で見た著者は、泣き叫んで荒れたらしいが、とにかくこの現状を受け止めることから始めるしかない。自分のありのままの姿を受け入れなければリハビリもできないし、体も精神も上向いていかない。
 現状を受け入れる、と言葉では簡単に言えるが、半身不随になり、リハビリをしても元の体には戻れないという状況を受け入れるのは想像を絶することだ。五体満足な人間であっても、自分のありのままを受け入れることは難しい。著者は先の見えない絶望と孤独と無気力のなかで、どうしてもすがりつく何かがほしくて、動く右手を使って夢中で文章を書き始めた。リハビリとか生きるためというより、今できること、書くという行為に没頭した。
 まずは病気や入院生活の話から始め、その後の苦難の日々をつづっていると、若い日の思い出や影響を受けた人たちの姿が浮かんできた。それらを無作為に書き出していく中で、著者は徐々に自分の価値を見出していく。過去の自分の行為が、強い自己肯定感をもたらしてくれることに気づく。
 一般読者としては、有名な俳優達との交流を知るのもめっぽう面白い。学生時代、神戸の異人館にいたら浅川マキが来て一緒に歌ったとか、大杉連とそんなに昔からつるんでいたんだとか、想像どおり岸部一徳はいい人なんだとか、松岡茉優はすごい子だなあとか。その他、若い頃にヨーロッパを放浪した話、舞台俳優から映画に拠点を変えた経緯など、どれもが興味深い。それらはすべて、努力や勇気を持って臨んだ行為の貴重な記録だ。夢中で書き続けるうちに著者は、過去の自分が今の自分のお手本になってくれることに気づく。同時に、今の生き方が未来の自分の支えになる、だから今をしっかり生きようという指針が生まれる。このあたりは非常にダイナミックで説得力がある。
 本書はだから、こんなオレでも真面目に頑張った、みたいな単純な感動ものではない。けっして上手な文章だとか、練られた構成ということもないが、だからこそ生々しい言葉、真に心から出てきた言葉が並んでいる。立派な人が強くがんばった話だと読む方が引け目を感じてしまうけれど、我々と同じように弱く壊れやすい人間が、情けないほど傷つきやけになり、それでも前向きに生きていく姿は共感と感動を生む。そこらの自己啓発書などより、よほど多くのことを教えてくれる。様々な境遇の人の心に突き刺さるだろう一冊だ。
2021年 8月 「イタリアからの手紙/塩野 七生」 (新潮社・文庫)
イタリアに旅行して以来、イタリア関連の本をときおり読んでいる。塩野七生さんの本は、書店に並ぶ大著の数々を一冊も読んだことがなく、軽く読めるエッセイとして本書を選んだ。イタリアの諸都市に関する短いエッセイが並んでおり、読んで楽しいことこの上ない。カラヴァッジョの絵で有名な骸骨寺や、シチリアのマフィアに関する笑えない話などがとくに印象深かった。
発酵学者である著者が、世界中の珍しい発酵食品を食べ歩いて書いたルポルタージュ。過去にテレビ番組も作られていて、そちらもめっぽう面白かった。とにかく著者の発酵食の好きさ加減が度を越していて、危険な領域でも踏み込んでいき、なおかついつも満面の笑顔で幸せそうだ。
 発酵食といえばスウェーデンのシュール・ストレンミングというニシンの缶詰が有名だが、世界には他にも、川ガニを潰してどろどろにしたものを発酵させたり、カエルやトカゲの肉を米と一緒に発酵させたものもある。著者いわく、どれもすごく臭くて、すごくおいしいらしい。
 なかでも一番すごいのは、北極圏で作られるキビヤック。大きなアザラシの肉を食べ尽くしたあと、空洞になったお腹の中に小鳥を二百羽くらい詰め込む。アザラシの腹を縫い合わせ、土に埋めて三年間発酵させるると、鳥は発酵されて羽根以外ぜんぶドロドロになり、現地の人はその鳥のお尻に口をつけて中の体液を吸うのだ!! 冒険家の植村直己さんもこれが大好きで、遠征のたびに常備していたという。
 珍しい発酵食では日本も負けていない。ヒヨドリの内臓の塩辛、シャケの腎臓の塩辛、ナマコを使うコノワタなど、豊かな発酵食文化がある。著者が世界で最も珍しい発酵食品と絶賛するのは、フグの卵巣の糠漬けだ。フグの卵巣には大人五十人を殺せるくらいの猛毒があるが、これに塩をくわえることで少しずつ毒抜きをし、糠に漬け込む。完成まで三年ほどもかかる、執念のような発酵食だ。
2021年 8月 「台北プライベートアイ/紀 蔚然」 (文藝春秋・単行本)
元劇作家で大学教授だった呉誠(ウー・チェン)は、五十歳を機に仕事を投げ出し、私立探偵を開業する。特別頭がいいわけでもなく若い頃からパニック障害で薬に依存する呉誠は、捜査も推理もすんなりとはいかない。最初の依頼をなんとか解決すると、ほどなく彼は連続殺人事件に巻き込まれていく。
 呉誠の披露する自虐的な語りも独特でおもしろく、映画化されたら絶対面白くなる題材だろう。新趣向の台湾版ハードボイルドといったところだが、そもそもハードボイルドが苦手な僕には、やや読みづらいところはあった。連続殺人事件で容疑者となった呉誠がとる斬新な捜査手法が面白い。
2021年 8月 「星の時/クラリッセ・リスペクトル」 (河出書房新社・単行本)
なかなか込み入った構造の小説で、正直とっつきにくかったし、内容を十分に味わえたとは言えない。ロドリーゴという作家が哀れな少女マカベーアの人生を語るという大枠で、ロドリーゴが何度もメタ的に小説に口を出すものだから、物語に集中できなかった。
 本作について、書評家の豊崎由美さんがトークイベントで語られていた。マカベーアの運命を知ったあと、この小説を“面白く”読んでいた自分を恥じることになる、そこで読書という行為が自己批判を生むのだという。また、小説の主人公がどこからやってくるのかという問いかけになっている、という2点を指摘されていて、少しわかった気がした。
2021年 7月 「消失の惑星/ジュリア・フィリップス」 (早川書房・単行本)
舞台はロシア極東にあるカムチャツカ半島。わびしい海辺の町で幼い姉妹が失踪し、犯人が見つからないまま日々が過ぎていく。そこで語られるのは、様々な女性たちの日常だ。
 13歳の少女オーリャは、仲の良かったディアナから突然無視されるようになる。ディアナの母親ワレンチナはソ連統治時代に過ごした少女期を懐かしむあまり、よそ者が多くなった現状を嘆き、そのせいでオーリャ一家が気に入らない。恋人のマックスと一緒にキャンプに来たカーチャは、彼がクズ男だと知りつつ魅力にあらがえない。北の町から来た女子大学生のクシューシャは、故郷の恋人に行動を詮索され、周りからは田舎者だと馬鹿にされる。口うるさい母親から常に子ども扱いされるナターシャは、いつまでも自分に自信が持てず鬱屈をためて生きている。
 姉妹の母親や誘拐の目撃者など事件に関連する者もいれば関係のない人もおり、誰もが自分の置かれた状況で何かしらの苦悩を抱えて生きている。人物どうしの関係性が徐々に明かされていくのも面白い。犯罪を描くが犯罪小説ではなく、犯罪を軸にした人間ドラマ。そこがとんでもなく面白い。結局、この年に読んだ海外文学ではベストの一冊となった。
 僕は男性として、やや男が悪く書かれ過ぎというか、あまりにも能無しで馬鹿みたいに書かれている気がしたが、本当にそうなのだから仕方がない。自分がこうした振る舞いをしていないことだけを祈る。
舞台は何の変哲もない住宅街。路地に並んだ十軒の家庭は、一見普通に見えてそれぞれに問題を抱えている。老いた母を亡くしたばかりの中年女性。問題行動をおこす生徒に振り回される大学講師夫妻。無軌道な息子を持て余す両親。ひそかに犯罪をくわだてる一人暮らしの男性。
 近所づきあいは薄いものの、あるとき女性の脱獄囚が逃げてきたという知らせが入り、住宅地に動揺が走る。住民たちが交代で見張りを始めるのだが、逃亡犯から身を守ろうとする意識の中で彼らの関係性が少しずつ変化し、連帯感が芽生えていく。
 ある犯罪をめぐる群像劇、という意味では前に紹介した『消失の惑星』と同じだ。逃亡犯との関係性の中で、語り手の人物たちがそれぞれに違った思惑で動き、それらが重なって大きなドラマを生む。
 みんなで揚げそばを食べるシーンが印象的だ。付き合いの薄かった住民たちが同じものを美味しく食べることで、わずかな親近感が生まれ、連帯意識が芽生えていく。菓子研究家・福田里香さんのいう「フード理論」の通りだ。その小さな連帯意識が誰かの人生を大きく変える。自分でも気づかない自分の価値を人との関わりで気づかされ、そこに誰にも気づかれない奇跡が生まれる。美しく優しい小説だと思う。ラストの清々しさは近年の小説の中でもピカイチ。
大富豪の実業家サー・ジャックが、暇にまかせ、丸々イングランドを模したテーマパークを作ろうと思い立つ。島を一つ買い取り、そこにビッグベンやバッキンガム宮殿、ストーンヘンジなど、あまたの観光地を再現するという壮大な計画だ。遠くにある本物より、近くにある偽物に人は集まる。イングランドに点在する観光地を回るのは大変だが、この島に来れば全部が揃っている、という触れ込みだ。傲岸で皮肉屋のサー・ジャックは、自信満々でテーマパークをオープンするが、果たしてその結末は――。
 映画化もされた『終わりの感覚』では、ミステリ仕立てながら深い人間考察と問いかけを与えてくれたジュリアン・バーンズ。本作はそれより10年以上前に出版され、今年になって文庫本として再刊された。『終わりの感覚』はやや暗くて重い内容だったが、本作はすこぶる明るくて軽い小説。それでいて現代社会へのきつい風刺ともなっている。
 サー・ジャックや側近たちの度を超えた皮肉とユーモアは、知的レベルの高さに裏打ちされたものだ。著者は相当のインテリなのだろう。僕などはついていけないところがたくさんあった。
 無敵に思えたサー・ジャックの前に、伏兵として一人の女性スタッフが立ち上がり、思わぬ方向に物語が進んでいくのも面白い。壮大な嘘を本物らしく思わせる詭弁も楽しくて、ひねくれた話が好きな方にはお勧めの一冊だ。
2021年 6月 「正欲/朝井 リョウ」 (新潮社・単行本)
LGBTQを筆頭として、多様性が指向される時代だ。世の中の少数派を認めようとする動きは一見良いことに思えるが、「ほんとにそんなことできるの?」「差別をなくそうと言いながら、本気で嫌悪感を抱く対象はやっぱり排除するんじゃないの?」と本書は問いかける。
 ある犯罪をめぐる群像劇という意味では、最近読んだ『消失の惑星/ジュリア・フィリップス』『つまらない住宅地のすべての家/津村紀久子』にも近い。けれど、描くテーマは朝井リョウらしい意地悪さに満ちている。
 多くの人物が登場するなか、大学生の八重子の描き方が特徴的だ。彼女は容姿に自信がなく、大学祭でのダイバーシティ活動に精を出す。差別をなくし、少数派を受け入れる社会にしようと頑張っているけれど、「それってしょせん、想定しうる少数派にしか向けられていないだろう」と著者は訴える。人間は結局多数派を指向し、完全なマイノリティは排除するんじゃないか、と。

【以下、ネタバレ感想】
すこし気になったのは、夏月と佳道が、水に興奮するという自分達の性的指向について、やや深刻に考え過ぎではないかというところ。確かに一般的ではないけれど、特に社会に迷惑をかけたり人を混乱させることでもないから、時間をかけて訴えればやがて社会にも受け入れられる可能性が高い。いっぽう、本作では「真の悪」として有無を言わさず処理されてしまった小児性愛者がいるが、彼こそが真に描かれるべきではないだろうか。小児性愛や死体性愛など、どうあっても社会に受け入れられない、それでもどうしてもそういう対象にしか興味を抱けない人は、じゃあいったいどう生きていけばいいのか。「それは犯罪だから駄目」とは簡単に言えるけれど、本書でも描かれたとおり、性的指向は自分では決められない。本書では、そこへの言及がなかったのが不満だった。
『世界屠畜紀行』で世界各地の屠畜現場を紹介した著者が、遂にみずから家畜を飼育して食べてみたいと思い立ち、実践した記録。三匹の豚を飼うため東京から千葉の僻地に移り住み、豚小屋を建て、日々豚の飼育に奮闘する毎日。心配事は尽きず、豚は思うように動かず育たず、それでも決められた期限内に屠畜場に運び込まねばならない。
 非常に意義深いこころみであり、読み物としてとてつもなく面白かった。食べるためなら動物を殺してもいいのかという、我々が普段は忘れている、あるいは忘れたふりをしていることを正面から問い直している。
 かわいがって育てた末にその豚を屠畜して食べる、というところが最大のポイントだろう。豚の飼育と屠畜、それぞれ独立して考えれば単なる作業に終わるが、二つが結びつくと愛と生命の問題が顔を出す。これは相当に厳しい。愛玩動物と食肉動物の違いとはなんだろうという深遠なテーマが、豚の飼育奮戦記と同時に語られるから、頭がぐるんぐるんと揺さぶられる。
 ラストで屠畜されるところまで来ると、読んでいるだけなのに胸がしめつけられる思いがした。でもこれを、単純にかわいそうという言葉で片付けてはいけないのだ。
2021年 5月 「複眼人/呉明益」 (KADOKAWA・単行本)
巨大なゴミの塊が台湾に流れ着き、ゴミと共に漂着した少年アトレは、台湾在住のアリスと巡り合う。アリスは愛する家族を亡くし、死すら考えるほど絶望していたが、古来の風習を守る少年と交流するうち、響きあうものを感じていく。
 冒頭、海に詳しい掌海師(しょうかいし)と山に詳しい掌地師(しょうちし)の話、神の化身の魚を食べるとヘソにうろこが生える話など、アトレの生まれた島の描写がファンタジー色満載でそそられる。そこから環境破壊への警鐘につながっていくものの、安易な自然崇拝を唱えるのではなく、人工的な社会にも肯定の目を向ける。結局、制御不能という意味では、自然も人間の行動も同じなのだろう。このあたり、宮崎駿の『もののけ姫』や、漫画版『風の谷のナウシカ』にも通じる。
 アトレとアリスは育った環境も考え方もまるで違うけれど、自分の背負った事情や起きてしまったどうしようもない出来事を受け入れようとする点では同じだ。どんなに愛していても、他人にしてあげられないこと、手を出してはいけないことがある。アリスはアトレとの交流の中でそうした共通点を見出し、生きようとする思いを取り戻していく。
 実にさまざまなテーマを内包する作品だ。生き物を殺すことの是非、死が近いほど生きている実感が湧くこと、詩や歌が時代や空間、人種を越えて響き合うこと。それらがアトレとアリスの交流の中でさりげなく描かれていく。豊かな小説だと思う。
2021年 5月 「テスカトリポカ/佐藤究」 (KADOKAWA・単行本)
物語の発端は、麻薬カルテルのはびこるメキシコの犯罪都市。巨大勢力のエル・カサソラズが新興勢力により壊滅させられ、ただ一人生き残った幹部のバルミロはインドネシアへと逃げ延びる。そこにはもう一人の主人公、末永がいた。高名な心臓外科医だった末永は、日本で不祥事を起こしたためジャカルタに身を隠していた。バルミロと出会った末永は、自らのオペ技術を生かした臓器売買ビジネスをもちかける。二人は密かに日本へと渡り、着々と準備を進めていく。大きな闇ビジネスが日本に誕生しようとしていた――。
 圧倒的なスケールで、エンタメを読む醍醐味を十二分に味わわせてくれる作品だ。荒唐無稽な物語なのに嘘っぽくならないのは、人物や出来事を仔細に描き込み、小さなリアリティを積み重ねていくからだ。出来の悪い小説はそのあたりを簡単に済まそうとするから、薄っぺらで鼻白むものになる。残虐描写にも容赦はなく、映画化にも向いているだろう。
 特にアステカの歴史が詳細に語られる部分が圧巻で、バルミロという稀代の悪者がどうして生まれたかの説明になっている。東京五輪やコロナ禍まで取り入れることで現在性とのリンクも張られ、没入度は底なしだ。超一級品のエンタメとして、堂々たる作品だと思う。
2021年 5月 「泡/松家 仁之」 (集英社・単行本)
主人公は、東京に住む男子高校生の薫。学校や世間の押しつけがましさに耐えられない薫は、高二で学校に行けなくなり、大叔父の兼定のもとで暮らすようになる。兼定は、遠く離れた町でジャズ喫茶を営んでいた。店を手伝うようになった薫は、全てを手際よくこなす店員の岡田に憧れるものの、自分とのあまりの違いから劣等感に苛まれる。やがて仕事に慣れてきた頃、薫の前に魅力的な女性が現れる――。

 少年の成長物語を楽しめる、意外にストレートな青春小説だった。自己評価と周囲の評価は異なるもので、薫は自分が思うほど不器用でも頼りなくもなく、ちゃっかり青春を謳歌する普通の高校生だ。僕なんかの高校時代よりよほど華やかでうらやましい。自信を持っていいんだよと彼に言ってあげたい。
 親との関係性に悩むのも、この年齢なら普通の話。すぐそばにいる、関係の深い存在ほど、ストレートに愛することが難しい。
 大叔父の兼定には、薫との相違と共通点の両方がある。薫は兼定をおもしろい人だからと慕い、薫の両親は遊び人で信用ならないと思っているが、本当はどちらも違う。兼定は誰と接するにでも一定の距離を取り、必要以上に踏み込まない。戦争前後の辛い体験から、一人の人間の無力さを骨の髄まで感じている。いい意味で諦め、最終的にはなるようにしかならないと思っている。必要以上に構おうとしないから、薫は自分で考えて行動しなければならず、結果として薫は成長する。本作の爽やかさの源泉はこのあたりにあるのだろう。
 タイトルの「泡」がさまざまな意味で使われるところも面白い。風呂場で薫が出すおならの泡が、薫自身の情けなさの象徴になっている。海沿いを歩けば、生まれては消えていく海の泡のようなものだと薫は自分を思う。こうした重層的なイメージが重なり合い、この小説が形作られていく。
 兼定と並んで特筆すべきキャラクターが、猫のタロだ。タロはストーリーに何ら関係しないけれど、干渉するのもされるのも好まず、個人が独立して生きることを尊重している。兼定や岡田の生き方に通じるところもあり、これからどうやって生きていこうかと考える薫にも大きな影響を与えている。だから本作は、猫小説でもある。
『批評理論入門/広野由美子』を読むため、批評の題材となっている本書を手に取った。僕も含め、映画などでその存在を知っていながら、小説を読んだことのない人は多いだろう。
 映画と違って小説は構成が込み入っており、北極探検を目指すウォルトンという青年が海で漂流していたフランケンシュタインを救助し、恐ろしい怪物の話を聞くという内容になっている。しかもウォルトンが姉に宛てた手紙として語られるため、書簡体小説でもある。そして映画版との一番の違いは、怪物が流暢にしゃべるところ。映画では物言わず暴れる姿が印象的だったが、小説版では怪物自身が話す身の上話が別の哀愁を誘う。
 構成の面白みや凝った修辞が批評の題材として合っていたのだろうが、小説としてみればあまりいい出来とも思えない。フランケンシュタインがどう怪物を創りあげたのか、そこにこそ苦労があるはずなのにまったく省かれており、リアリティに欠ける。また、怪物がまるで幽霊か超能力者のように無敵でかつ国や陸海の区別を問わず動き回り、万能のスパイのようにフランケンシュタインを付け回し殺戮を重ねるところも、まったくリアリティ抜きで描かれているから、しらけてしまう。
 巻末の新藤純子氏による解説が質、量ともに素晴らしいので一読の価値がある。そしてその中でも、「全体的な完成度は今一歩」と書かれている。
2021年 4月 「批評理論入門/広野由美子」 (中央公論新社・新書)
小説理論について、一つの小説を詳しく分析して書かれているが、題材がなんと、メアリ・シェリーの書いた『フランケンシュタイン』! 急いでそちらを読んでから、本書を読んだ。技法的な部分と批評的な部分に分けて丁寧に解説されており、小説について批評らしきものを語る際には必須の一冊と言える。後半はやや難解になるが、全体的に平易で読みやすいのも良い。
2021年 4月 「おちび/エドワード・ケアリー」 (東京創元社・単行本)
エドワード・ケアリーの最新作。だいぶ前に買っていたのを、時間に余裕ができたのを見計らい、満を持して読んだ。実在したマダム・タッソーをほぼ史実に従って描き、合間を恐るべき奇想をもって埋めていくという新たな試み。これが大成功を収め、奇妙で味わい深い小説となった。特に後半、フランス革命になだれこんでいき、マリーが監獄に捕らえられるあたりの展開がなんとも素晴らしい。数年前にダヴィッドの描いた『マラーの死』を鑑賞したことがあったので、マラーとダヴィッドのいきさつなどはとても興味深かった。

・ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/3fabfcd18fe9ab8ada1f3b64321d4fba
2021年 4月 「舟を編む/三浦しをん」 (光文社・文庫)
本屋大賞受賞作で、読書会の課題図書になったので読んでみた。ストーリーがまずあって、そこに文章をあてはめていった感じで、キャラクターに味がなく、生きていない。ストーリーにおいても、やることが全てすんなりうまくいくため、葛藤がない。題材は悪くないのだが、辞書を作る小説なら、言語の具体的な例をもっともっと並べるべき。ユーモアのセンスが欠けているのも厳しい。
2021年 3月 「颶風の王/河崎秋子」 (KADOKAWA・文庫)
羊飼い兼作家という異色の作家による、馬と人間との不思議な結びつきを描いた作品。雪洞に閉じ込められた身重の女性が馬の肉を食らって生き延びるという序盤から、異様な迫力を感じる。ただ、やや説明口調が多く、最初に立てたプランのとおりに小説が進んでいく感じで、躍動感が足りない気がした。それでも、人間の手ではどうしようもない自然の脅威を、「オヨバヌ」ものとして容赦なく描いたところは素晴らしい。

★ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/2af13474f5a228d4ede5d52e2b2c910c
読書会の課題図書になったため、再読。以前にも自分が進行役を務めた読書会で取り上げたことがあり、これで4度目くらいの通読になる。あらためて思ったのは、話題がいろんな方向に飛び、(特に初読の場合には)雑然とした読後感になるということ。
 僕が思う限り、本書のポイントは大きく2つ。一つは、人と人はそもそもわかりあえないのだということを前提とし、そこでなんとかうまく生きられるような技術を身につけるのが大事ということ。これは生来の資質に関係なく、身につけることは可能。コミュニケーションなんてその程度のことと思えば気が楽になる。
 もう1つのポイントは、コンテクスト(言葉の裏にある、本当に言いたいこと)を読まないと不全で不毛なコミュニケーションになるということ。
 さらに、演劇にたずさわる著者の立場から、コミュニケーションにおける演劇の効用が語られる。実際に演じてみることで、他人の行動や考え方を疑似体験でき、相手を理解する助けとなる。そもそも人は日常的に様々な役割を演じているという意味でも、演劇に着目するのは理にかなっている。
2021年 2月 「誰でもない/ファン・ジョンウン」 (晶文社・単行本)
ディディの傘』の読書会のため、再読した。韓国社会を背景にした独特の生き辛さが各所ににじみ出てきており、異国としての韓国を感じると共に、やはり人間の悩みはいずこも同じだなあという共通性も感じる。
 本作中の一編「笑う男」は、『ディディの傘』の「d」が書かれるきっかけになった作品。多少設定は違うものの、主人公は同じような痛みと思いを抱えて生きている。ある不幸な記憶を抱える中年夫婦がヨーロッパを旅する「誰も行ったことがない」は、初読の記憶よりも陰鬱な内容だったが心に沁みた。格差社会を上流側から描いた珍しい作品「上流には猛禽類」もほんとうに面白い。初読時にも思ったが、これまで読んだ短編集の中でも一、二を争う出来栄え。
オンライン読書会で参加者さんから教えて頂いた一冊。著者の伊藤亜紗さんは「美学」の専門家で、美学の定義が難しいのだけれど、どうやらアートや心身の仕組みなどを哲学的に探求する学問らしい。本作では視覚障害者へのインタビューから、彼らと健常者との世界の認識の違いを浮き彫りにし、そこから健常者も学ぶことがあるのではという論考を進めていく。
 最初に前提として、視覚障害者と一口に言っても様々な人がいるからひとくくりにはできない、と語られる。見落としがちだが確かにその通りだ。「個別」と「一般」のバランスをどこで取るのかは難しいところで、本書はそこにも挑戦している。
 読み進めると、目が見える人はとにかく視覚に頼ってしまい、それゆえに不適当な行動を起こしていることがわかってくる。見えない人が世界を3D的に捉えているという指摘も面白い。また、見えない人が絵画鑑賞を楽しむことができるか否かというあたりは、絵画の好きな身にとっては興味深いものだった。
 一点やや気になったのは、視覚障害者のユーモアなど、やはり健常者という圧倒的優位の立場から殿様的に見物している感じがしたところ。ともあれ、一般向けに書かれているため非常に読みやすく、それでいて示唆に富んだ好著。
ミステリーの名作、そしてジョン・ディクソン・カーの代表作の一つとして名高い本作。小学校の頃から題名は知っていてことあるごとに読もうかと思いつつ、五十代なかばにしてようやく手に取った。美貌の令嬢イヴが離婚した相手から言い寄られ、その現場で殺人事件を目撃する。警察に呼ばれ、目撃者として話をするうち、徐々にイヴの立場が悪くなっていく。果たして真犯人は誰か。
 序盤はかなり面白く読んだのだが、探偵役のキンロス博士が、真相を突き止めているのにもったいぶってなかなか言わない展開がつづき、イライラしてしまった。くわえて登場人物にもあまり魅力を感じない。真相がわかったあとは、やはりミステリーの常で「ああ、そういうことか」となってしまい、特に読み終えた感慨などは残らない。もうこういう小説をそんなに楽しめなくなってしまった。
それぞれ癖のある猫たちが集まり、みなしごになったカモメの子供を育て、飛ぶことを教えてあげるお話。児童向けに書かれたせいで、話が一直線に進み、やや深みに欠ける。それでもさまざまな動物たちが力を合わせて難事に取り組む姿は感動的だし、微笑ましい。

★ブログでの紹介
https://blog.goo.ne.jp/gen3_petcolumn/e/a2fb425a40c53dbb2e133d022f09d312
2021年 1月 「ディディの傘/ファン・ジョンウン」 (亜紀書房・単行本)
近くて遠い国、韓国。日本人にとって大きな違いを感じる要素の一つが、韓国人のデモへの姿勢ではなかろうか。国のあり方に対して不満を持つ民衆が蜂起し、大きなデモを起こす風景は、日本で見られることはない。いっぽう、最終的に個人一人一人が生き辛さを抱え、自らの存在意義を問うところは、いずこも同じと思える。
 本書には、まったく異なる二つの中編が収録されているが、どちらの主人公達も同じ時代を生き、とある時間、とある場所で交錯する。民衆の革命により国が動いたと思いきや、新たな激動により押しつぶされる、そんな繰り返しの歴史において、自らの無力感、存在意義を問う市井の人びとを、ひりひりするようなリアルさをもって描いた力作。ファン・ジョンウンの小説は、本当に痛々しくも現代をえぐり出して見せてくれる。
多くの人がオールタイムベストに挙げる名作。しかし、僕にはかなり手ごわかった。冒頭からニーチェの永劫回帰論が登場するなど哲学的思索がところどころに挟まれ、さらに東欧の政治事情も絡んでくるので、なじみが薄く興味も薄い僕には、のめり込んで読むには至らなかった。
 タイトルは、人間存在の「取るに足りなさ」だと思うと、『ディディの傘/ファン・ジョンウン』にも通じる気がする。ものすごく平たく言えば、真面目に生きていろんな重荷を背負い苦悩を感じるのと、能天気に生きて何も背負わず苦しみも感じないのと、どっちが幸せだろう、ということかな。とにかく本書は読む時期を非常に選ぶ作品なのだろう。いつか再挑戦するときがくるかもしれない。
2021年 1月 「破局/遠野遥」 (河出書房新社・単行本)
遠野遥の芥川賞受賞作。テーマや読感としてはデビュー作に近く、青年男子の抱える、性を中心とした日常世界での生きづらさのようなところが描かれる。主人公に共感できるかどうかは作品の良しあしと関係ないとは思うのだけれど、やはり本作のような小説は、主人公の立場を理解できるかどうかで作品の評価が変わってくる気がする。やたら女にモテて元ラグビーの名選手、というあたりで、僕なんかは少しひいてしまう。それでもこの著者の語り口は独特で、乾いた笑いのセンスが冴えている。ときおりはさまれる疑問型の文章も不思議で面白い。麻衣子の語るホラーファンタジーのような昔話が、最初はまったく関係ないように思えて、ラストできいてくるあたり、計算しているのかいないのかわからないが、非常に読み応えがある。
2021年 1月 「女性画家列伝/若桑みどり」 (岩波書店・新書)
歴史上、女性画家はいくら秀でた才能を持っていても素晴らしい絵画を描いても、女性だというだけで表舞台に立てず、虐げられてきた。著者は国内外のこうした女性画家たちを集め、紹介している。シュザンヌ・ヴァラドンやアルテミジア・ジェンティレスキ、マリー・ローランサン、上村松園あたりは知っていたが、それ以外は名前も聞いたことがない画家ばかりだった。画風も様々で、著者は褒め一辺倒ではなくちゃんと作品の批判もしつつ、やはり女性画家たちがいかに不当な扱いを受けてきたかを切々と訴える。
 著者自身がそうした女性差別を受け、不満を抱え、それが本書で爆発している感じで、その勢いに気圧されそうにもなるが、良書であることに間違いはない。1985年発行という古い本だが、まったく色褪せていない。今の時代にもぴったりで、もっと読まれていい本だと思う。図版が小さくて見づらいのが惜しい。
2021年 1月 「1984年のUWF/柳澤 健」 (文藝春秋・文庫)
UWFにそれほどのめりこんだ訳ではないが、前田日明は好きで、90年代にWOWOWで放送されたリングスは欠かさず見ていた。本作はその前田選手について詳しく書かれているということで、読んでみた。
 プロレスはフィックスト・マッチ(事前に勝敗とフィニッシュ技が決められている試合)、つまりは八百長であるという大前提から始まり、新日本プロレスのタイガーマスク登場のあたりから順に追っていく。孤高の天才・佐山聡(タイガーマスク)がどう考えてプロレスからUWFへと進み、さらにUWFから離れて独自の総合格闘技を切り開いていくかが、とてもよく理解できた。もちろん、本書に書かれた内容の信憑性の議論はあるだろう。前田選手などはほぼ完全に否定し、自分でUWF史の本を書いた。僕は前田選手のファンだったが、同時にリングスの試合にはどうも八百長の雰囲気がすると前々から思っていたし、数々の事象から考えるに、本書の内容はほぼ事実なのではないかと思う。これ一冊で、UWFの前と後がよくわかる。好著だと思う。
2021年 1月 「遠い町から来た話/ショーン・タン」 (河出書房新社・単行本)
ショーン・タン作品に触れるのは二作目。『アライバル』は文字がなく絵だけで物語を構成していたが、今回は少し文字が多めの絵本というくらいのバランス。ショーン・タンお得意の、小さくて不思議なものがたくさん出てくる。掌編小説がいくつか並んでおり、それらは直接の関係はないけれど、不思議に胸に同じような感慨を抱かせてくれる。冒頭の本当に短い話「水牛」と、兄弟の冒険譚「ぼくらの探検旅行」がお気に入り。