■ 2009年に読んだ本
  
2009年12月 「恐怖の谷/コナン・ドイル」 (新潮社・文庫)
4篇存在するシャーロック・ホームズもの長編のうち、最後に書かれた作品。いつも書いているとおり、ホームズものの短編は短い文量で切れ味鋭く、ホームズの推理が冴え渡るのに対し、長編は論理的に推理を積み重ねる展開はすくなく、冒険ものに近くなります。長編第一作の「緋色の研究」(感想はこちら)と同様、二部構成となっており、前半で事件のあらまし、後半では事件が起きるまでの犯人の半生が描かれます。これで長編全4作を読み終えましたが、僕としては本作が一番気に入りました。恐怖の谷と呼ばれる、犯人が暮らしていた街が実に生き生きと描かれ、その時代や場所の空気が伝わってきます。また、長編4作の中で、ミステリとしての醍醐味がもっともよく味わえる作品でもあると思います。
2009年12月 「旅をする木/星野道夫」 (文藝春秋・文庫)
写真家、星野道夫という名は、僕の興味のど真ん中でないにせよ、常に心のどこかに存在していました。写真展を見に行ったり、写真集を買ったり、在りし日の映像を見たり。この年の9月に「地球交響曲〜ガイアシンフォニー」という映画を観て、ふたたび星野さんに対する興味が高まりました。本書はこの映画の中で紹介されていたもので、さっそく入手し、読んでみました。星野さんがアラスカに心を惹かれる過程や実際に移り住んでからの生活が、エッセイ形式でつづられます。思っていた以上に深い内容で、人生、生命観において僕の思っていた方向性をより強めてくれるものでした。特に最終章の「ワスレナグサ」は、これ単独で読んでも素晴らしい内容です。ほんの6ページほどの中に星野さんの人生がすべて詰まっている気がします。
2009年11月 「まほちゃんの家/しまおまほ」 (WAVE出版・単行本)
著者は、僕が最近よくポッドキャストで聴いている、「ウィークエンドシャッフル」(番組HP)という番組の出演者です。気怠さと気丈さを兼ね備えた独特のキャラクターで、メインパーソナリティの宇多丸氏が非常に美しい文章だとこの本をほめていたので、手にとってみました。また、彼女の祖父である島尾敏雄氏の書いた有名な「死の棘」という作品をずっと読みたいと思いながら叶っておらず、その意味でも興味を持って本書を読みました。

 結果、それほど美文ということもなく、内容的にもさほど目を引く部分はありませんでした。ただ、両親からの強い抑圧、あなたはこうしなさい、これはダメ、という有言無言の強制力が今もなお彼女を支配し続けていることはわかりました。なんだかこういう女性は多いような気がします。そうして親の言うことには絶対に逆らえず、自分の人生を生かせてもらえない。これは大いなる不幸だと思います。
2009年10月 「鉄鼠の檻/京極夏彦」 (講談社・文庫)
京極堂シリーズ第4弾。今回のテーマはずばり、「禅」です。もうすこし平たく、「仏教」と言ってもいいでしょう。京極道の蘊蓄は今回も冴え渡り、その内容が僕には縁遠い仏教ということで、読むのに難を要しました。そしてまた長い! これまでの3作も長かったですが、今回が最長、なんと1341ページですよ。普通の長編の4〜5冊分くらいありますね。

 本作は、ここまでの京極堂シリーズ中最高傑作という評判もあれば、失敗作だという声も聞きます。僕の感想はというと、後者に近い感じですね。長大な物語に相応する内容が感じられなかった。長いから読むのが苦になるということではありません。むしろ、仏教関連以外のところは平易で読みやすく、さらに改行も多いので、さくさくと読み進めることができます。
 京極氏の書く文章は実に艶やかで読み応えがあるなあと感じたのは初期作品群の頃だけで、本作に至るともう、とにかく長くするために文章や展開を引き延ばしているとしか思えません。さらっと書けば済むところを勿体つけて何ページも引っ張る。言いたいことやこれから起こることは先にわかってしまったりするから、こうなると読むのは単なる作業になってしまいます。「魍魎の匣」(感想)や「狂骨の夢」(感想)にも部分的にそう感じることはあったけれど、本作は全体的な印象がそうなのです。

 内容的にも、いろんなものを詰め込んでいる割にはそれらが有機的に絡み合わず、ただの寄せ集めにしか感じられません。山下と菅原の確執、山下の成長などは、まったく省いて構わないと思います。<以下、ネタバレ気味>今川や飯窪などの重要人物についても、なんだか最終的に大きな意味を持つには至らなかった印象が強いですね。

 ということで終盤のクライマックス直前まではもっと低い点数をつけようと思ったのですが、最後の解決部分、とくに犯人の動機について明かされると、すこし評価が上がりました。この動機についても物議を醸しているようですが、僕はこの部分は評価しています。仏教を題材にしたミステリーとして、よくできた魅力的な真相だと感心しました。
2009年 9月 「ボードレール詩集/ボードレール」 (新潮社・文庫)
ずっと以前、太宰治だったか誰かの小説にボードレールの詩の一節、「われは傷口にしてナイフ」という数文が紹介されていて、鮮烈な印象を持った記憶があります。この詩が「悪の華」に収録されているらしく、いつか読んでみたいと思っていました。
 今回読んだのは、その、「悪の華」および同じ新潮文庫に収められている「巴里の憂鬱」から70篇あまりがセレクトされたものです。最初のうち、堀口大學氏の超絶和訳があまりにも高尚すぎて僕の理解が追いつかず、何が書いてあるのかよくわかりませんでした。それでもなんとか読み進めていくうち、その独自の世界が少しずつ開けていきました。パリは僕の大好きな街ですが、そのパリをこんなにも毒々しく描いた人がいたのかという点で新鮮でしたし、やはり堀口氏の日本語の素晴らしさ、奥の深さにはため息をつかされました。
 結局、「われは傷口にしてナイフ」という一節の入った作品は、この中にはありませんでした。やはり「悪の華」を読んでみないといけないですね。
今年の3月に読んだ「医者ができること、してはいけないこと」に引き続き、愛知県碧南市にある小澤医院の院長先生の著書。内容は前作とほぼ共通しており、小澤医師が現代医療にどう疑問を持ち、それにより普通の医師であることを放棄し、代替医療を中心に据えた治療を実施するに至ったかという経緯、そして現在おこなわれている治療内容の紹介がなされている。
 「医者が〜」について、古くなった点を改訂し、さらに論考を深めた内容となっている。特に今回目を引いたのは、波動検査というものについて、その歴史を含めて詳しく紹介されていたところだ。以前に読んだ「病気にならない人は知っている/ケヴィン・トルドー」にも、小澤医院で使用されているのと違う機種が紹介されていて、どう関係するのかと疑問に思っていたところを、明確に答えてくれました。
2009年 8月 「暗闇の中で子供/舞城王太郎」 (講談社・新書)
以前に読んだ「煙か土か食い物」の続編で、奈津川家サーガの第二章となる作品。前作では四男の四郎が語り部で、今回は三郎。キャラクターに違いはあるものの、暴力まみれの描写と展開は相変わらずで、この内容についていけない読者は少なからずいると思う。僕も読み始め当初は少々辛く感じた。読書という行為は文字を読むことで頭の中に世界を構築することだが、構築されるイメージがあまりにもパワフルなため、それに対応できるくらいこちらにもエネルギーが溢れていないと頭が拒否反応を起こして読み進められない。こうした感想だけではピンと来ないだろうが、書店で最初の2〜3ページを読んでみればすぐにわかる。

 ストーリーは前作を引き継いでいて、しかも前作を上回るような異常な展開を見せる。核となるのは殺人事件の謎解きなのだが、奈津川家を巡る三郎の回想が挟まれ、夢か現実がわからないまま物語が進んでいき、読者はただ翻弄されるしかない。謎は解かれないままどんどん膨れあがっていく。どうなるのかと思っていたら、とんでもないラストが待っている。
 僕としては、前作を評価しながらもラストのまとめ方には不満を持っていた。本作は逆に、途中の語り口や展開に前作ほどの衝撃を感じなかったぶん、ラストの衝撃は大きかった。これは、究極の救いの形ではないか。

 ところで本作には、全体を通じた大きな仕掛けがある。これはネットでも評判なので、調べるとすぐに出てくる。したがってこれから読もうと思っている方は、すぐに目についてしまうので、あまり調べないほうがいい。伏せ字で書くと、<以下、ネタバレです。読みたい方はマウスでドラッグして表示させて下さい>「THREE」以降は三郎による創作物だというもので、別に著者がそう言っているわけではなく、読んで必ずしもそうだと断言できるものでない。ただ、僕としてはこの説には賛成する。ヒントは、ある人物の殺され方について、あれっ、と思ったら要注意、というところか。
2009年 8月 「古伝空手の発想/小林信也」 (光文社・新書)
スポーツライターである著者の小林氏は、僕がポッドキャスティングで毎週聴いている「キラ☆キラ」という番組に出演されている。番組中で氏は何度か、スポーツを筋力中心で捉えるのは間違いであり、体本来の持っている力を引き出すことこそ大事だ、という旨の発言をされてきた。本書で紹介されている沖縄古伝空手が、その方法だという。“型”を重んじ、その型に従って体を動かすことで、信じられないほどの力を発揮することができる。その具体的な例がいくつか紹介されている。
 一読して、これは面白い、と思った。そして、紹介されている型どおりにやってみると、確かに体に力がみなぎる気がしてくる。体調も良くなる。
 数年来、健康に関する本をいくつか読んできた。様々な主義主張はあるものの、一環して言えるのは、身体と精神とは実に強固に結びついており、互いに大きな影響を及ぼし合うということだった。本書は、その考え方における新たなアプローチだと感じる。非常に魅力的な内容である。次はぜひ、師範である宇城憲治氏の著書を読んでみたい。
40年以上も前のベストセラーである。僕も10年以上前に一度読み、感銘を受けた。今回読んだのは、当時の邦訳版が全面改訳されたもので、旧訳版にあった誤訳を直し、省略されていた多数のインタビューも復活して収められている。

 人が死に至るときどのような反応を示すのか、どういった経緯をたどるのか。膨大な数のインタビューをこなした末にまとめられた本書は現在、死に瀕した患者を扱ううえでのバイブルとなっているようだ。
 ロス博士の試みは、今ですら画期的なものである。何しろ、“不治の病で死にそうな”患者のもとにおもむき、自分の死についてどう思うのかと問うのである。ただでさえ心が沈んでいる患者に追い打ちをかけるようなものである。心ある医師や看護婦は、心あるゆえに止めるだろう。そうした著者の苦労についても事細かに書かれている。ただ、患者、というか人間というのは不思議にしぶとくできているもので、実際インタビューを行ってみると、当初は驚いたり警戒したり反撥したりするものの、最終的にはおおむね協力的にインタビューに答えてくれている。本書に紹介されている限りでは、医師や看護婦が危惧したような事態、例えばインタビューを受けることで容態が悪くなったりなどに陥ったことはほとんどないようだ。

 ロス博士は、患者が医師から余命を知らされたあとにどういった経緯をたどるのかを、(1)否認と孤立、(2)怒り、(3)取り引き、(4)抑鬱、(5)受容、という5つの段階に分けている。そして、それぞれの段階において周りの人間がどうサポートすればよいのかが書かれている。つまり本書は、患者向けに書かれたというよりは、医療関係者、家族などに向けて書かれたものと言ってよいだろう。もちろん患者が読んでもプラスになることは多いだろうけれど。

 以前に読んだ時にはただただ感心するばかりだったのだが、今回読み直してみて、すこし甘い点があるなとも感じた。つまり、インタビューの末にたどりついた結論には、「そういうケースもあるが、そうでないケースもあるだろう」というものも含まれており、万人に当てはまるとは言えないのでは、と思うのである。なんだか感傷的な思いこみによる決めつけを感じる部分もある。ロス博士は本書を執筆後、死後の世界、臨死体験、輪廻転生といった方向に興味が向かったらしく、本書でおこなわれたインタビューとその解析をもうあと数十年も繰り返したあとで本書を書き直したら、また深い結論が得られただろうと思う。すこしもったいない気がする。
2009年 6月 「若きウェルテルの悩み/ゲーテ」 (新潮社・文庫)
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン95冊目。
 有名な作品なのに読むのはこれが初めてでした。題名からして、青年が恋に悩む青臭い話かと思っていたら、まあ大意はそれで合っているのですが、人生における様々な示唆に富んだ内容で驚かされました。
 ウェルテルはロッテに恋いこがれ、悩む過程において、恋だけではなく人が生きていくうえで大切なものに考えを巡らせていきます。そしてその考え方において共感できる部分がたくさんありました。
 巻末の資料で初めて知ったのですが、ゲーテという人は多才な人だったようで、文学において小説、詩、戯曲など幅広い作品を手がけるだけではなく、政治家、弁護士などの職に就き、自然科学者として地質学、鉱物学、植物学、解剖学などの分野で成果をあげるなど、まるでレオナルド・ダ・ヴィンチばりの活躍です。そうした多方面の素養のおかげで、小説に深みが与えられているのでしょう。
2009年 6月 「檸檬/梶井基次郎」 (新潮社・文庫)
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン96冊目。もうあと少しだ。
 梶井基次郎という人は、わずか31歳でこの世を去りました。若い頃から結核を患い、その苦しみにさいなまれ続けた人生でした。この短編集は、彼の人生そのものです。レモンを書店の書棚に置いて立ち去る表題作をはじめ、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という書き出しで有名な「桜の樹の下には」など、作品のすべてには彼の闘病生活の投影が見られます。それでいて作風は多彩で、散文詩のようなものから、ときには江戸川乱歩を思わせるミステリー仕立てのものまであったりして、収録されている二十編それぞれに味があり、じつに楽しめる一冊になっています。僕としては「冬の蝿」がいちばん気に入りました。
「夜間飛行」を読んで興味が沸いたサン・テグジュペリのもっとも有名な作品です。ただし、主に子供用に書かれたせいもあって、こめられた寓意があまりにわかりやす過ぎるのと、著者本人の描いたイラスト(本を出版する際は必ずこのイラストを併載しなければならないそうです)がイメージを限定してしまうことが、やはり子供の読みものという印象を持ってしまいました。
2009年 5月 「幽霊たち/ポール・オースター」 (新潮社・文庫)
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン94冊目。
 現代アメリカ作家として名高いオースター、初読です。なんとも不思議な読後感でした。実に簡素な文章がぽんぽんと続いていき、話は予定調和とはまったく違う方向へと進んでいきます。
 登場人物は、探偵である主人公のブルー、依頼主のホワイト、上司のブラウンなど、そして出だしからして謎めいています。だからといって本作をミステリーとして読んでいくと肩すかしを食らいます。<以下、ネタバレです。読みたい方はマウスでドラッグして表示させて下さい>ミステリー的な謎解きは最後までありません。つまり、ホワイトやブラックの正体は誰なのか、また、ブルー自身と彼らの関係はどうなるのか、このあたりは最後にはもうどうでもよくなっていきます。彼らは「幽霊たち」であり、けっきょく誰でもないのです。
 いい小説というのは、作者がすべてを書ききらず、解釈に余白を残すものです。そしてその余白を読者がそれぞれ自由に埋めていくことで満足感を得られる。ただ本作はその余白がかなり大きなスペースを占めているため、埋めきれません。ブルーとブラックがお互いを自分の影のように思い、じつはお互いに実体がないこと、ブラックが書いている本が実はこの小説そのものだ、ということ、それから短い割に魅力的なエピソードの連続など、面白い要素がたくさん詰まっていることは認めるのですが。


 読み終えてほとんど理解できず、思わずもう一度読んでしまいました。それでも、あまりぴんと来ませんでした。訳者の柴田元幸さんがあとがきで「エレガントな前衛」と評していますが、確かにそんな感じのする小説ですね。ちょっと僕は苦手かなあ。
活性酸素が良くない、というのはいろんなところで読んだり耳にしたりします。いったいこの「活性酸素」とは何だろう、といつも思っていました。普通の酸素分子や酸素イオンとどう違うのか、高校で化学を専攻していた時には活性酸素なんてまったく習わなかったので、たとえば化学式でどう書くのだろう、などなど、ずっと疑問を抱いたままで、いつかこのあたりのことをちゃんと知りたいとずっと思っていました。

 そこでこの本ですが、活性酸素が何なのか、しっかり理解することができました。ネットで調べてみても、ラジカルやらフリーラジカルやらいろんな言葉が出てきて、しかもなんだかはっきりしない。それがこの本ではしっかり書かれています。その意味では非常に満足のいく内容でした。ただ、それ以外の部分、活性酸素に対抗するにはどうすればいいか、どういう食事をとればいいのか、というあたりは、1999年に書かれた本なのでちょっと情報が古い気がしました。
2009年 4月 「羅生門・鼻/芥川龍之介」 (新潮社・文庫)
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン93冊目。
 今昔物語など中世の物語から題材をとり、独自の解釈で再現した「王朝もの」と呼ばれる作品集。「羅生門」や「鼻」は教科書に掲載されるなど、あらすじをご存じの方も多いかと思います。僕は、「羅生門」「鼻」「盛遠と袈裟」あたりが好きですね。切れのよさを感じさせる短編だと思います。

 著者が昔の話を元に再生産した理由が、巻末の解説で紹介されています。要するに昔の話というのはただ物語の筋をなぞるだけで人物を掘り下げて描くようなことはしない。それでも人間の心のうちというのは単純なものではないだろうから、(当時の)現代小説風に心理描写を加えることで過去の作品を語り直すことができる、それが著者のねらいだったようです。そのこころみは成功していると思われます。

 「邪宗門」という中編は、ヒーロー的な若殿様と邪教をあやつる法師との対決模様が描かれていて珍しく派手な活劇ものになりそうなのですが、残念ながら未完に終わっています。
2009年 4月 「くっすん大黒/町田康」 (文藝春秋・文庫)
町田康初読、そして気に入りました! 最初のページを読むと、何だこりゃと思われる方もいるかもしれません。関西弁の口語体をそのまま文章に直したような独特の語り口。でも、通して読んでみるとこれがしっかり文学になっているんですね。いたずらに書き散らしたような文章の合間に、やけに昔風の言葉や言い回しが挟み込まれており、著者の町田氏はただのパンク野郎ではなく、豊富な読書量に裏打ちされた知性の持ち主なのだとわかります。そう思うと一発感覚で書かれたようなこの作品が、じつは技巧に富んだ、ある種お行儀のよい、教科書通りの文学を実現しているような気にもなります。
2009年 3月 「死神の精度/伊坂幸太郎」 (文藝春秋・文庫)
現代エンターテインメント小説の騎手、伊坂幸太郎氏、初読です。
 主人公は死神。そういう異名を持つ人、ではなく本物の死神です。数日後に死ぬことを運命づけられた人間のもとへ出向き、最終的にその人の死を実行するか否か、最終判断を下すのが任務。そんな死神と人間との不思議な触れあいを描いた短編集です。

 人気のある作家さんです。コンスタントに作品を発表し、そのどれもが非常に評判がいい。歌野晶午さんと並び、いつかは読んでみたい作家さんの一人でした。読んでみた感想は……うーん、この程度のものか、というのが素直なところです。独特の文体、と賞されることは多いのですが、僕には、エンターテインメント小説にありがちの、説明だらけで艶のひとつもない文章にしか思えませんでした。まあ歌野氏に比べれば、ときおりはっとするような文章もなくはないのですが。

 本作は、同じ主人公“死神”が登場する連作ミステリー短編集です。殺人事件もあるにはありますが、毎回提示される謎の正体はこじんまりとしたものが多いですね。ジャンルとしては、日常ミステリと呼んでいいでしょう。
猫を飼ってらっしゃる知人から、著者の須崎氏のことを知りました。獣医でありながら手術をおこなわず、薬も使わずに動物達を治すという方です。西洋医学に疑問を持ち、巷で売られているペットフードにも反旗をひるがえし、食事療法を中心とした独自の診療をおこなってらっしゃいます。なんと、犬や猫に玄米菜食をさせるのですよ。これらが人間によいというのは僕もいろんなところで知識を得てきましたが、やはり動物にも効くらしいのです。ガンやアトピーなどはペットにとっても難病ですが、これらが須崎先生の手によって治った例がいくつもあるそうです。

 なぜこうした、普通の獣医さんとはまったく違った診療をしているのか、その理由がこの本に書かれています。須崎先生のお父さんや叔父さんが、がんや脳梗塞といった病気に冒され、家族としてその治療に関わる過程で、西洋医学の医者のやり方に大いなる疑問を感じたそうです。そこで、食事療法などの代替療法を勉強され、ひいてはそれがご自分の仕事にまで結びつくこととなったようです。僕も代替療法についてはいろいろと調べたことがあり、それはペットにもかなりの部分で通じているんだということがわかりました。

 本書では、糖尿病、がん、アレルギー性皮膚炎などの治療例、それから、症状別のレシピなどが紹介されています。また、病気でないペットについても、健康を保つためには日頃どういう食事をさせるのがよいのか、ためになる知識が数多く書かれています。
ひとつ上の紹介本の須崎先生は獣医さんでしたが、この小澤先生は、人間を治療するお医者さんです。おそらく日本に一人きりじゃないでしょうか、薬を使わず手術もせずに治療をおこなうお医者さんです。QRSと呼ばれる波動測定装置を使い、いわゆる代替医療のみを用いて治療をおこないます。基本は食事療法であり、治療用剤なども使いますがあくまでも補助的なものにすぎません。
 以前は大学病院に勤務し、普通の治療を行っていたそうです。それがある時、西洋医学に疑問と限界を感じ、飛び出しました。治療の根本にあるのは、マクロビオティックです。食事は玄米菜食中心で、野菜は必ず火を通し、塩はある程度までならどんどん摂りましょうという方針です。
 これまで僕が読んできた代替医療関連の本と共通する部分は多かったのですが、この本の特色は、実際に代替医療のみで治療を行っている現役のお医者さんであること、それに基づいた具体的な診療方法が掲載されていることです。とくに、波動測定装置と生体血液細胞分析検査が興味深い。波動測定装置は、実は上記の須崎獣医も使ってらっしゃる機械で、患者の全身の状態、どこがどのように悪いのかを、患者にダメージをまったく与えずに測定できる点が優れています。また、血液検査では、生きている血液の顕微鏡画像をリアルタイムで患者と共に確認できます。この効果たるや、絶大なものでしょう。

 この本に惹かれたのは、小澤先生の診療所がかなり近い場所にあるということでした。いちど僕も検査を受けに行ってみようかなと思っています。
2009年 3月 「老人と海/ヘミングウェイ」 (新潮社・文庫)
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン92冊目。
 ヘミングウェイを初めて読みました。この圧倒的な描写力には驚かされますね。老人が海に出て一匹の大魚と格闘する様が克明に描かれます。老人の体の痛みが伝わってくるようです。著者はこの物語によって何かの主張をしたいわけではなく、ただこの老人とその周りの世界とを表出して見せることのみが目的のように思われます。ですので、読んでいて少々退屈ではあります。
 巻末で、著者の福田恆存氏による解説が掲載されています。前に「ハムレット」の感想でも書きましたが、この人の文章はすごいですね。アメリカ文学とヨーロッパ文学の違いを論じていて、とてもわかりやすく、他の作品も読んでみようという気にさせられます。
ずっと気になっていた作家さんでした。2003年に文学界新人賞を受賞したデビュー作です。作家評として、純文学でありながらエンターテインメント文学にも近い、ということを聞いたことがありましたが、なるほどと思いました。非常に読みやすい文章だけれど、通常のエンターテインメント小説にありがちな、艶のないつまらない文章ではまったくないのです。
 表題作は90ページ足らず、併録の「第七障害」も80ページそこそこという文量で、会話文も多いですから、すぐに読めてしまいます。それでも、短い中にきらりと輝く表現が散りばめられていて、頭の中に世界が作られていき、人物達が息づいてきます。とても巧い作家さんですね。とくに、会話文が抜群です。

 表題作では、主人公である20代後半の女性が、勃起不全の若手議員、鬱病のヤクザ、40過ぎたいとこの居候などとの交流を通じ、独自の飄々とした生き方を送るさまが描かれます。僕の好みとしては、ドラッグやセックスを打算的にさばさばと登場させる、なんとなく今どき風の小説は鼻について好みではないのですが、不思議とこの小説はすんなりと受け入れることができました。
 「第七障害」も表題作と同じような女性が主人公です。乗馬の試合で馬と共に転倒し、馬を安楽死に追いやったことを悔やんでいる、という冒頭の説明部分にいまひとつ芸がなく、やや落ちるかと思って読んでいると、彼女が別れた恋人の妹と同居生活をはじめるあたりから、一気に活気づいてきます。ただ、モチーフとなる心の傷とそれを乗り越える過程が浅い気がしますね。
 とても読みやすくて、しかも文学を味わえる作品でした。今後もこの作家を追っていきたいと思います。
このサイトを開設以来初めて、同じ作品の再読感想となりました。前回は2000年9月(感想はこちら)で、友達から借りて読んだのでした。ブックオフでは必ずといっていいほど見かけるので、いつか自分で買おうと思っていました。

 2回目にして評価は上がりました。前回は、物事の複雑さや人と人との交流の難しさという点を中心に感想を書きました。今回も同様に、人の思いはなかなか相手に伝わらず、表面的な態度からは計り知れない内面を誰もが持っているものだということを感じました。
 心に強く残った言葉に、「人を判断する前に、その人のモカシン靴をはいて三カ月歩くといい」というものがありました。これはアメリカインディアンの格言らしく、外側からみると間違いだらけのばかげた行動にみえても、その人と同じ行動をしてみて初めて行動の動機や気持ちが理解できる、ということです。
 さらに今回気づいたのは、自分自身といかに向き合うかということが何より大事なのだということ。ギリシャの格言として引かれる「汝自身を知れ」という言葉、それから、「唯一信頼できるほんものの教師は、自分の意識なのだ」という言葉が印象的でした。

 著者はこの本を書いた当時、まだ三十代なかばでしたが、作品の主人公オルガと同じような祖母を持っており、彼女をモデルに小説を書いたとのことです。たぶん祖母との交流を通じて、書きたいことが胸に積み上げられてきて、それをどうしても外に出したくて小説という形にしたのだと思います。そのせいか、テーマ性は強いのですが、小説として昇華しきれていない部分も見受けられます。ただ、よい作品であることに間違いはありません。
(注)グレー部分はネタバレです!読みたい方はマウスでドラッグして表示させて下さい。
 本格ミステリ作家としては名高い歌野氏、初読です。もっとも有名な「葉桜の季節に君を想うということ」にも興味があったのですが、本作の評判も耳にしていたので、先に手を出してみました。いろんな書評において、ミステリの枠を超越した衝撃作だの、実験的作品だのという文句が踊っていました。たしかにあまりない試みだとは思いますが、これって単なる夢オチの連続に過ぎないと思います。また、「子供を思う親の複雑な気持ちが描かれている」という感想も多くありましたが、僕はぜんぜんそんな風に思いませんでした。書かれているのは、誰にでも思いつくたぐいのものです。
 そしてラスト、僕は、「殺人鬼/綾辻行人」や「黒い仏/殊能将之」のような大仕掛けを予想していましたが、まったく拍子抜けでした。とつぜん「パンドラの匣」のイメージを持ってこられても、説得力はありません。このイメージが作品全体を貫くものならいいと思いますが。

 現代ミステリ作家の例にもれず、文章は何の艶もない、手垢にまみれた表現のオンパレードです。セリフ部分にはとくに、まったくリアリティも魅力もありません。要するにこの作品にあるのは、読者の低俗な好奇心を喚起する煽りだけです。
 子供だましだ、こんなの。
清水さんの小説はずっと好きで読んできましたが、今回は初のエッセイ集です。様々な雑誌等で発表された小品を寄せ集めたもので、言語論、名古屋論など、テーマ別にまとめてあります。どれも平凡な内容で、小説ほどには楽しめませんでした。というか、自分の過去の書評を確かめてみると、ここ数年読んだ小説のほうの評価もあまり高くはなく、これは同じくずっと好きだった遠藤周作さんと同様、年齢と共に好みが違ってきて、昔は楽しめたものが今はそれほどでもなくなったという感じなのかもしれません。
2009年 1月 「夜間飛行/サン・テグジュペリ」 (新潮社・文庫)
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン91冊目。
 年始早々、素晴らしい作品と出会うことができました。サン・テグジュペリといえばもちろん「星の王子さま」の作者として名高いわけですが、僕はそちらは読んでいません。本作は、1900年代初頭、航空業の黎明期に危険な夜間飛行を敢行する人々が描かれる表題作のほか、著者のデビュー作である「南方郵便機」が収録されています。
 サン・テグジュペリというのは、飛行機のパイロットだったんです。そして、類い希なる文学者、詩人でもありました。パイロットかつ小説家というのは他に例をみないでしょう。この資質を存分に生かし、航空文学とも呼べる境地を開拓していきます。

 「夜間飛行」は、南米からアフリカ、ヨーロッパへと伸びる路線を持つ航空輸送会社が舞台です。当時は、毎回の飛行が命がけでした。パイロットは持てる技術の全てを使い、それでも制御しきれずに墜落してしまうことも少なくありません。著者の経験を生かした飛行中の描写はリアルで迫力がありますが、この作品の主人公は、そんなパイロット達をあやつる上司のリヴィエールです。彼は、航空業務に滞りのないよう、様々な問題を解決していきます。なにもそこまで、と思えるほど非情な方法を使い、従業員に恨みを買うこともあります。
 ときには彼も迷うことがありますが、ただ航空事業を存続させるという唯一の目的に向かい、決断を下します。誰とも心を通わせることのない孤高の存在ですが、真に飛行機を愛したゆえの人生なのでしょう。そこが、主人公に共感できずとも読者の心を打つのだと思います。

 「夜間飛行」では、ときおり詩的な表現が出てきて、詩が苦手な僕としては読むのに苦労しました。ところが「南方郵便機」は全編が詩的表現で構成されており、途中まで読んでも、ほとんど何が書いてあるのか理解できませんでした。数十ページ読んだ時点で、これは僕には無理だ、と放り投げたくなりました。なんだか怒りさえ沸いてきました。それでも思い返し、もう一度頭から読み直してみました。そして、なるべく文章を“読む”というよりは“感じる”ように読み進めてみると、今度はすんなり頭に入っていきました。
 本作では、パイロットが主人公であり、同僚との友情、それから恋人との確執が描かれます。いったん読めるようになると、文章の美しさ、書かれている内容の美しさを肌で感じられるようになりました。読んでいてすごく心地よいのです。こんな感触は初めてでした。
 本当に美しい作品でした。僕はこの作品を読むことで、新しい読書方法を獲得できたと思います。この作品に出会えたことに感謝の気持ちで一杯です。
 
 アニメ作家の宮崎駿氏も、サン・テグジュペリのファンだとのことです。確かに氏の作品はもう空を飛ぶこと一色ですから、ルーツはここにあったというのは納得できます。新潮文庫で出されている二作品の表紙イラストは宮崎氏の手によるものです。