■ 2023年に読んだ本
  
2023年12月 「優しい地獄/イリナ・グリゴレ」 (亜紀書房・単行本)
1984年、ルーマニアに生まれた著者がつづる自伝エッセイ。社会主義政権下で過ごした幼年時代、貧困にあえぎ、暴力的な父親に手を焼いたこと。チェルノブイリ原発事故で被害を受け、そのせいで腫瘍ができ手術したことなど、過酷な状況を生き抜いた半生が紹介される。合間に、書物や映画からの引用や哲学的考察がはさまり、日常のできごとが深い意味を持って立ち上がってくる。
 ルーマニアの作家が書いた、というくらいの知識で読み始めたため、翻訳作品だと思っていたら著者本人が日本語で書いたものだと途中で気づいた。(なぜ表紙に訳者名がないのかなあとのんきに思っていた。)
 いくつもの印象的な言葉がある。
〈社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の身体がどうやって生きていくのか、という実験だった〉
〈工場は子供の目線から見ると、人間と機械が混ざった、豚の内臓のような無茶苦茶な空間に映った〉
〈資本主義では完璧な身体でいることを求められる〉
〈正直に言うと戦争、原発事故、社会主義こそ病気だった。今も世界が傷んでいる〉
 戦争、原発事故、社会主義の三つを並べて語れるのはこの著者だけだろう。彼女の心身に、これら三つが同等に並んであることに、強い衝撃を受けた。
惜しくも2023年に亡くなられた龍村仁さんのライフワークだった映画『地球交響曲』シリーズにおいて、第三作はこれまた僕の大好きな写真家・星野道夫さんを主軸に据えた作品だった。ところが、撮影開始の直前、不意の事故で星野さんが亡くなってしまう。主役がいなくなったのだから当然、全く別の映画になるかと思いきやそうではなかった。
 本書は、星野さんが亡くなり、映画をどうしようかと奔走するところから始まる。不思議な縁がつながり、まさに星野さんが生きているかのような映画が仕上がるまでの経緯がつづられ、それは神秘的で不思議であると同時に、生命の崇高さを称えるできごとにも思える。
 僕が本書を最初に読んだのは、2010年のイギリス旅行前だった。当時、パニック障害のような症状に苦しめられていて、あがくようにこの本を手に取った。結果、僕を救ってくれた一冊となった。今回、ニュージーランド旅行を控えて似たような状態に陥り、やはり心に浮かんだのがこの本だった。僕の人生の深いところに寄り添ってくれる一冊である。
2023年11月 「犬が星見た/武田百合子」 (中央公論新社・文庫)
以前に主宰していたオンライン読書会で、参加者さんから教えてもらった一冊。著者の視点がユニークで新鮮で天真爛漫、という紹介を受けたが、まさに同じ感想を僕も抱いた。ニュージーランド旅行に持参し、旅の途中で読むという経験も楽しかった。
 1960年代に数カ月をかけて鉄道でロシアを横断することからして稀有な旅になるだろうが、夫である作家の武田泰淳氏をはじめ、同行者にクセのある人物が多く、彼らの奇行と、それでも愛すべき人々であるというところがうまく描かれている。文体も、文学を学んだ作家の書くものとは異なる、粗削りで奔放で突き放したような書き方に、大いなる個性が見て取れる。著者はこの旅日記をしたためたのち、夫の泰淳を看取り、十数年書き溜めた日記を出版した『富士日記』で大評判となる。本書は、その2年後に刊行されたものだ。

2023年10月 「11文字の檻/青崎有吾」 (東京創元社・文庫)
青崎有吾氏、初読。書店やネットであまりにも評判がいいので、旅行のお共に選んでみた。読み始めてすぐ、エンタメ作家にしては文章が上手いと感じた。2〜3ページの掌編から100ページ程の中編まで、内容もまた多岐に渡っており、実に収穫の多い短編集である。
 「加速してゆく」「噤ヶ森の硝子屋敷」「your name」「飽くまで」あたりは、ミステリ形式で時に小気味よく、時にじっくりと読ませる。「前髪は空を向いている」は青春小説、「クレープまでは終わらせない」「恋澤姉妹」はSFファンタジーと、かなり異なるジャンルを自由に行き来して読者を楽しませてくれる。
 圧巻はラストにおかれた表題作。SF的な設定ながら、11文字のパスワードを様々な要素から推理するという純粋ミステリーが主軸となり、そこにキャラクター要素や人間ドラマが絡んできて、最後まで読む勢いを止められない。
 若い著者だけあって、どの作品にも青春の匂いが漂っており、それは僕のような老いた読者にも好感が持てる。また感心したのは、著者がきちんと比喩を使おうとする点だ。ものすごく比喩表現が上手いとまでは言わないが、意識的に書こうとする姿勢は、やがてさらに素晴らしい小説を書く礎になることだろう。これからが期待できる作家の登場を喜びたい。
2023年 9月 「黄色い家/川上未映子」 (中央公論新社・単行本)
かつて、〈黄美子さん〉と過ごした黄色い家があった。〈わたし〉こと主人公の花は当時の記憶をたどり、自分たちがいったいそこで何をし、どう感じていたのかを探る。
 サスペンスフルな展開によるリーダビリティは抜群で、後半になるにつれ各登場人物の異常さが際立っていき、興味は尽きない。ただ、純文学作家・川上未映子さんによる、これは完全なエンタメ小説だ。「ヘヴン」でも感じたことだが、短編で見せるようなとがった個性が見当たらず、そこが不満ではあった。
今更ながらに読み、深い感銘を受けた。どんな環境にあっても喜びや希望は見いだせるし、喜びや希望を失った時に本当の死が訪れる。作中、きっとこの日に解放されると信じていた人が、その日までは元気に過ごし、その日が過ぎて解放されないことを知るやいなや、発病して死んでしまうというエピソードで、まざまざとそれを思い知らされた。と、こうした極限状況に置かれたことのない人間が知ったように言うのは簡単だけれど、それでもこれは真実だと思う。そして、自分はどうなるだろうと考える。
 著者が苦しみの中で妻を想うエピソードも印象的だ。妻のことを想うだけで心が癒され、その癒しは、もはや妻が生きているかどうかにまったく関係がない、と著者は言う。
 もう一つ、最終的に解放されたあとのこと。晴れて自由の身だと知らされ、読者としては彼らがどれほど激しく喜んだろうと想像するが、違った。解放かと思えばそうではなかった、という無限の繰り返しのなかで、猜疑心に心が支配されてしまい、素直に喜ぶことができずに彼らはただ茫然と立ち尽くす。さらには、苦しみばかりの果てしない暮らしの中で、喜ぶという感情を忘れてしまったことも大きかった。
 僕らには想像すらできないことが書かれた読む価値のある一冊だと、心から思う。
2023年 8月 「坊っちゃん改版/夏目漱石」 (新潮社・文庫)
読むのは3回目くらいか。爽やか青春小説のようなイメージをまといながら、読んでみた実際とのギャップにいつも驚かされる。坊っちゃんは世間への猜疑心、反骨精神を持ちながら、誰とも親身になって交流することもできず、結局は老いた下女の清(きよ)だけが心の支えで、そこへ戻っていく。この先彼はどうなるのか心配になってしまう。清の存在は、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンにおける妹とよく似ている。
2023年 8月 「ブルースだってただの唄/藤本和子」 (筑摩書房・単行本)
リチャード・ブローティガンの翻訳などで知られる翻訳家の藤本和子さんによる、インタビュー集というか聞き書き集。アメリカ在住の著者が、黒人女性の生の声を聞いて歩く。そこには単純な平等主義や博愛主義は見当たらない。平和ボケの僕らからすれば、グローバル化によって皆が同等になればよい、などと簡単に思ってしまうが、この現代でも黒人の生きる道は険しい。だから黒人としての独自性や差別に対する怒りを忘れず、それを糧に生きていくしかない、という絶望にも近い思いを抱えて彼らは暮らしている。
すでに僕の人生の大事なパートナーになっているサイモントン療法について、最初に日本に詳しく紹介された一作。サイモントン療法はその後、日本でもNPO法人が設立され、病院でも治療が受けられるようになり、初期の頃から治療体系も変化している。本書は黎明期における治療法が紹介されており、方法論自体は最新ではないものの、治療体系を生み出した背景などもうかがえ、詳細な意味づけも紹介されているため、今でも参考になる部分は多い。
ルパンシリーズは、僕の世代の例に漏れず、南洋一郎氏の翻訳というか翻案版を少年時代に愛読した。その後、大人になってから本家版を読もうと思いつつ果たせず、56歳にして初読となった。本書はルパンシリーズ(創元社版では「リュパン」となる)の第一弾で、リュパン逮捕の一幕から全てが始まる。いろんなところで紹介されていたりネタバレされていたりするため、ストーリーやトリックを知っているものも多く、それを確かめながら読んだ。「女王の首飾り」あたりから徐々に面白みが増し、本短編集の最高傑作であろう「ハートの7」では、序盤から見せ場と魅力的な謎が続き、わくわくさせられる。シリーズ後期になるとリュパンが怪盗ではなく探偵役に回ることが多く、少年版でもそれが不満だったが、本作ではしっかり「魅力的な悪役」に徹していて読みごたえがあった。
2023年 6月 「ヘヴン/川上 未映子」 (講談社・文庫)
川上未映子氏をの作品は、『乳と卵』以来、2作目。互いにいじめられている中学生の男女を、恋愛になりそうでならない微妙な関係性として描く。〈僕〉という一人称で男子の側から語られるのだが、あまりに心情たっぷりで、しかも当たり前の心の動きすぎるきらいがあり、たとえば海外小説のような描写から雰囲気や心情をくみとるような醍醐味が、僕には感じられなかった。
2023年 6月 「呑み込まれた男/エドワード・ケアリー」 (東京創元社・単行本)
ピノキオの物語を、大魚に呑み込まれた造物主ジュゼッペの視点から描き直した作品。暗闇の中で絶望に嘆きながらも、物を創造することによって生き抜いた老人ジュゼッペ。エドワード・ケアリーらしい、モノへのこだわりと創造性がこめられているものの、さすがに全編、魚の腹の中というのはドラマ性に乏しく、読み進めるのに苦労した。
2023年 5月 「五月 その他の短篇/アリ・スミス」 (河出書房新社・単行本)
気になっていた作家、アリ・スミスを初読。短編集で、しっかりストーリーというより、断片的な描写がつづく、やや実験小説のような手触りを感じながら読んだ。あるカップルの会話を視点を変えながら描く「生きるということ」、三人の女性がクリスマスの教会に酔っぱらってやってくる「物語の温度」あたりが気に入った。
カラヴァッジョという画家が大好きで、2018年にイタリアを旅した際には彼の絵が展示してある場所を探し歩いた。たとえばローマのドーリア・パンフィーリ美術館で『洗礼者ヨハネ』の絵を見つけた際、それがカピトリーニ美術館にある同作と共に真作であることをスタッフに教えてもらって興奮したものだが、今回読んだ本作では、この二作の『洗礼者ヨハネ』のうち、どちらが先に描かれどちらがその模写なのか、二人の女学生が綿密に調べて成果を上げるくだりが詳しく紹介されており、興味深く読んだ。話はその後、アイルランドで見つかった『キリストの捕縛』についての顛末が紹介され、その検証において先の女学生二人の功績が有用だったこともわかる。カラヴァッジョ好きなら必読の書だろう。いっぽうそうでない人に本書がどう映るのか、もはや僕にはわからない。
もう読むのは3回目くらいになる、大好きな小説。なのに初読のように新鮮に感じるのは僕の記憶力の悪さばかりではなく、詩的で抽象的な文章が多いため、湧き起こるイメージが読むたびに異なるせいだろう。『こちらあみ子』とテーマが似ており、この状況はどうすればいいのだろうと暗たんたる気持ちになる。だから、主人公ノアに対する父親ヴァージルの行動も、ノアが怒り狂うほどひどいものだとも思えない。とにかく、彼らがこの世界で幸せに暮らしてくれと願わずにいられない。
2023年 4月 「藍色の福音/若松 英輔」 (講談社・単行本)
若松英輔氏の著作を初めて読んだが、とても誠実で、心地よく心に響く文章を書く人だと思った。本作では著者の半生を、出会った人々や書物を紹介しつつ振り返る。サンテグジュペリの『夜間飛行』、リルケの『若き詩人への手紙』、須賀敦子の『ミラノ霧の風景』など、僕が好きな作家や作品がたくさん出てくるので、非常に親近感を覚えつつ読んだ。ときに哲学的な論を展開する部分もあり、そのあたりは僕には理解が及ばないこともあったが、おおむね楽しく読むことができた。
 序盤で遠藤周作の『深い河』に関するくだりがある。著者が若い頃、のちに妻となる女性にこの小説を何気なく贈るのだが、小説には妻が病死する内容が含まれており、著者がのちにほぼ同じような経験をすることになる不思議を回顧している。遠藤周作好きの僕にとっては、このあたりも非常に興味深かった。
2007年には海外の短編小説集で多くの傑作が出たらしいが、本書もそんな一冊。評判に違わぬ素晴らしい短編集だった。著者はタイ系アメリカ人で、収録作はすべて、タイが舞台となる。象と女遊びが目当ての外国人旅行者を冷ややかに見つめた「ガイジン」、少年が年の離れた兄に認められようと虚勢を張ることで危険な目に遭う「カフェ・ラブリーで」、友だちと訪れた徴兵抽選会での複雑な胸の内を描いた「徴兵の日」など、いずれ劣らぬ名品が並ぶ。やがて失明する運命の母親と旅をする表題作に胸を打たれ、とぼけたユーモアとその奥に流れる悲哀を感じる「こんなところで死にたくない」「闘鶏師」など、本当に外れなし。難しい内容や実験的な作品もなく、誰にでも安心してお勧めできる短編集だ。
読書会の課題図書に選ばれ、そうでなければまず読まなかったであろう一作。僕は雑誌などで見かけるお悩み相談が嫌いだ。人生の大事な場面での選択に正解などはなく、「あなたの好きなようにしろ」としか答えようがない。答えるほうも、なんとなく立派で倫理的な、つまりはほとんど助けにならないお題目を並べて終わり、というものがほとんどだ。それに対しこの著者は、自分で考え得る限りの実用的な答えを提示するのが素晴らしい。「売春するくらいなら風俗で働いたほうがよい」など、なかなか普通の識者には書けない、実は本当に助けになる答えだろうという気がする。最初に思っていたよりずっと良かった一作。
最初に出される例がわかりやすい。ある晴れた日にAさんが「今日はいいお出かけ日和だからピクニックに行こう」と家族を誘うが、途中で雨になってしまう。このとき、家族がAさんに対し、「ほんとにいいお出かけ日和ね」と言う。これは論理的には逆のこと、つまり「いいお出かけ日和なんかじゃなかった」ということを言いたいのだが、意味的にはAさんにきちんと伝わり、そこに皮肉(アイロニー)が生まれる。この構造を徹底的に追求したのが本作だ。言語学の専門的な論述が続くのでやや読解に苦しむものの、なんとなく概要はつかめた気がする。後半では文学におけるアイロニーの例が紹介され、文学論にもなっていくところが面白い。
タイトルどおり、何者でもない一人の男性の一生を描いた物語。彼が偉業を達成するわけでもなく、ものすごくドラマチックなことは起こらない。150ページ足らずの中編で、あまりにも地味な話すぎて深く読み込めないままに終わってしまった。時期を変えてもう一度読んでみたい。
近年、『人生がときめく片づけの魔法/近藤麻理恵』を筆頭に断捨離やミニマリズムに関する本が数多く出版されているが、これもそうした一作。断捨離に深く共鳴する僕には、読む内容のほぼすべてに共感できた。
 片づけができない人は、「片づけができるのは一部の“ちゃんとした”人だけで、自分は片づけができない」と思い込んでいる。本書の特徴は、同じように最初は“できない”側の人だった著者が、実践してみたら意外にもすんなりと“できる”側の人になったという点だろう。併録された写真で以前の部屋と今の部屋とを見比べられるのもよい。
 ミニマリズムは目的ではなく、幸せで快適な人生を送るための手段に過ぎないという主張も好きだ。だから物が少なければよいというわけではなく、着地点は人それぞれだし、所有物の多さは好きに決めてよい。そうした謙虚さ、懐の深さがこの本にはある。
 いっぽう、ミニマリズムに興味がない人に向けてのプレゼンとして考えると、本書は今一つうまくいってない。単に説教臭い、押しつけがましい内容に思われる気がする。なぜミニマリズムが大事なのかの導入部を含め、もう少しポイントを絞ってコンパクトにしたほうがさらに良い本になったと思うが、僕にとっては大事な一冊になった。
最近、こうした古典名作ミステリをたまに読んでいる。少年時代、怪人二十面相やホームズものから本の世界に入った頃、世界の名作ミステリのベストテンなどをよく見ていて、前に読んだ『クロイドン発12時30分/F・W・クロフツ』『皇帝のかぎ煙草入れ/ジョン・ディクソン・カー』などとともに、本作も常連の一作だった。
 主人公は、スコットランドヤードの名刑事マーク。事件を捜査していたはずの彼がじつはまぬけな道化役で、のちに真探偵が登場する、というつくりが意外で面白い。ホームズかと思っていたらワトスンだった、というわけだ。ただ、このマークの欠点とそれに関する犯人像が序盤から見え見えなので、まあそうでしょうねえというしかない結果に落ち着く。意外な展開もあったが、あっと驚く仕掛けというほどでもなく、小説としてもミステリとしても消化不良に思えた。
途中でとんでもないことが起こる、そこからが読みどころ、というような書評を読んで、昨年来ずっと気になっていた一冊。年末に読み始め、今年最初の読了本となった。
 確かにこれは紹介に困る。冒頭から短い章立てで、関連のない人物が次々と描かれていく。次第に彼らに一つの共通点が浮かび上がり、急転直下でどえらいことが起きる、というか、起きたことが判明する。たしかにここからが読みどころで、ふたたびそれぞれの人物がじっくり描かれる。これは突飛な設定で描かれた、じつに人間臭い小説だ。いうなれば、想像もできないことが起きた時に人はどう対応していくのか、ということ。いやはや参りました。この手法で人間の深いところに迫っていけるのかと驚いた。賛否両論あるらしいが、僕は素晴らしい作品だと思う。ただ、ミステリという枠にくくられると違和感があるけれど。
2023年 1月 「九月、東京の路上で/加藤 直樹」 (ころから・単行本)
1923年9月に起きた関東大震災の際、「朝鮮人が火をつけた」「朝鮮人が井戸に毒をまいた」といった嘘の情報が飛び交い、蜂起した自警団や一般市民による朝鮮人虐殺が起きた。当初は政府や軍さえそうした噂を信じ込み、朝鮮人への虐待が広がっていった。僕は大まかな知識としては知っていたものの、本書において生々しくその事実を受け止めた。
 被害は朝鮮人だけではなかった。「労働問題で煙たい存在だった」「前から気に入らなかった」という理由で、中国人が殺された。日本人さえ朝鮮人と間違えられて殺されている。いったいこの騒ぎは何なのか。
 僕は、お祭りが好きではない。人が集まって騒いでいるのを見るといつも恐怖を感じる。一人一人は良識人なのに、複数になると途端に「みんなでやれば怖くないし許される、もっとすごいことをやってやれ」の論理が働くのか、無鉄砲なことを始める。大声を出し、極端な行動に出る。そうした気質が悪い方向に出たのが、本件の土台の一つではないか。さらには、いったん疑心暗鬼になると自分や家族を守ろうとする義賊意識により、攻撃を始める面もあるのだろうと思う。
 そして本書の最大の問いかけは、これは1923年の話ではなく、現代に通じる問題だというところだ。2013年あたりに始まったヘイトスピーチは根深い民族差別を浮き彫りにした。ネットではレイシスト達がうようよしている。いつ何時、1923年の悲劇が繰り返されるかわからない。いまここにあるリアルな恐怖を感じる本だった。
2023年 1月 「人喰い/カール・ホフマン」 (亜紀書房・単行本)
1961年、ロックフェラー家の御曹司がニューギニアで消息を絶った。当初は溺死、あるいはサメかワニに食われたのだろうと思われていたが、現地の人々に殺され食べられたという噂もあった。アメリカ人ジャーナリストの著者は2012年、事件の真相を探るため現地へと旅立つ。
 当時のニューギニアの該当部分(島の西半分)はオランダ領だった。オランダは自分達が正しく統治していることを欧米諸国に示すため、人食の習慣がまだ残っていることを隠しておきたかった。そのため現地人に対し、強引な制圧をおこない、時には殺人さえも辞さなかった。いっぽう現地人には精霊信仰など古来からの慣習があり、殺人には殺人で報いることもあった。つまり、オランダ人による制圧という名の殺人に対し、現地人が復讐のために欧米人を殺害することも考えられた。
 じつはロックフェラー事件発生直後、現地に赴いたオランダ人宣教師により、かなり明快な報告書が上がっていたのだが、オランダ当局はこれをもみ消していた。著者は現地に長く滞在し、現地の人々と深い交流を重ねるなかで、すこしずつ真実へと近づいていく。
 本書の半分ほどは、現地の人々といかにコミュニケーションが取れずに苦労したかといった話が延々と続き、読むのがしんどくなる。登場人物も多く、次々と出てくる名前を頭の中で整理するのも大変だ。それが後半、著者が最後に現地に滞在するあたりから、がぜん興味が増す。ここでは触れないが、真相がどうだったのか、ぜひ読んで確かめてみてほしい。
解説を書かれた書評家の豊崎由美さん猛プッシュの一作。主人公の青年ヴィクトール・バトンは、常に孤独を抱えている。そんな彼が出会う様々な人達との交流が、連作短編形式で描かれる。
 バトンは、誰かと友達になりたい、いつか自分を愛してくれる人が現れるはずだと思い、街をさまようけれど、誰も相手にしてくれない。しばらく読めばわかるが、彼はこうした作品によく出てくるナイーブで善良な人物ではまったくない。むしろ、こんなやつ友達がいなくて当然とも思えるような駄目人間である。読者はそうして彼に呆れつつ読み進めるのだが、そのあまりの駄目っぷりに次第にとりつかれ、愛おしくさえ思えてくる。バトンは第一次世界大戦で怪我を負い、傷痍軍人年金をもらって暮らしている。本人の言なので真相は定かでないが、左手が動かないらしい。本作には、そうした戦争の傷跡が漂っているように僕には思えた。数ある駄目男小説の中でもピカイチではなかろうか。表紙の絵が本作の雰囲気をとてもよく現していて、好きだ。