■ 2019年に読んだ本
  
通読するのはこれで三度目。十数年をかけて読み続けているけれど、何度読んでも新鮮に感じる。フランスのどこかの街で起こる小さな、物語とさえ言えないほどの物語。少年とその父母の心に宿る小さな心の動きをすくい取るような文章。大好きな小説としてブログに取り上げましたので、詳しくはそちらを読んでみて下さい。

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2019年12月 「猫の帰還/ロバート・ウェストール」 (徳間書店・単行本)
猫が登場する子供向け作品かと思って読み始めたら、しっかり大人も楽しめるエンタテインメントだった。とにかく描写が細かいこと。著者の作品群を見てみると、戦争と動物という二つは著者のライフワークだったようだ。他の作品も読んでみたくなる。

・ブログでの紹介
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同著者による『猫の帰還』が気に入ったので、再びクリスマス時期にブログで紹介するために読んだ。こちらは児童向けの小説だけれど、おとなが読んでも十分に楽しめる、ボーイ・ミーツ・ガールの王道的作品。猫とのからみも面白く、心が温まる。詳細はブログでどうぞ。

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2019年11月 「乳と卵/川上 未映子」 (文藝春秋・文庫)
恥ずかしながら、川上未映子さんの小説を初めて読んだ。そして才能のある人の文章はこれだけ短くても十分に味わい深いものだとわかった。一文を延々と続けたかと思うと、柔らかな大阪弁が不意に混じり、ときにアクセントとして短文が挿入される。そのリズムの心地よさ。主人公の〈私〉と巻子の姉妹、それから巻子の娘で口をきかない緑子、彼女らを飾らず正当化もせず妙に重いテーマも持たせず、きちんと等身大に描いているところも凄い。難しい表現はなく、きっちり説明もされてわかりやすく読みやすい、なのに圧倒的な個性が感じられる。巧い、としか言いようがない。
2019年11月 「年月日/閻連科」 (白水社・単行本)
中国人作家としては重鎮と言ってもいいのだろうか、閻連科(えん・れんか)の作品を初めて読んだ。忘れ去られたような村にただ一人残り、犬と一緒に暮らすという設定は、『黄色い雨/フリオ・リャマサーレス』とほぼ同じ。ただ、『黄色い雨』が滅びの美学をポエティックに表現したのに対し、本作はどうしようもない酷い状況をいかに生き抜くかというサバイバル小説になっている。人と犬の強い絆を感じるのも特徴だろう。

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様々な職業が、さながら突飛なお仕事紹介のように並べられていく。なにかが始まりそうでなにも起こらずに終わってしまう話も多い。それぞれまったく違う世界を描いているようだが、似たような設定も出てきたりなど、読み始めはやや戸惑った。しかし、これらの短編がほぼ著者の実体験に基づく話だと知り、一気に引き込まれていった。
 アル中の祖父が自分で自分の歯を全部抜く「ドクターH.A.モイニハン」、掃除婦が様々な屋敷に出入りし、雇い主の生活を垣間見る表題作、愚直に奉仕活動を続ける尼僧をバカにしつつその純粋さに惹かれていく「いいと悪い」など、読み応えのある作品がつづくが、その合間に、病を患った妹を中心にした家族との物語が差し込まれていく。僕はなかでも、刑務所を出た後の行く末を知りながら文章づくりに励む「さあ土曜日だ」が、痛々しくて胸を打たれた。
 最初はゆるやかな日常から始まり、読み進むうちに様々な出来事が積み重ねられ、結果として波乱万丈の人生が現出する仕組み。静けさと激しさ、悲しみと怒りなど、あらゆる要素が混じり合ってなおかつ美しい、奇跡のような短編集。
2019年10月 「マチネの終わりに/平野啓一郎」 (文藝春秋・文庫)
読書会の課題本となり、平野啓一郎氏の小説を初めて読んだ。あまりに大衆的なメロドラマで驚いた。そもそも映画化が前提で、“たった三度会っただけの恋愛”というテーマありきで書かれた小説だ、という意見が読書会で出たが、確かにそうかもと思わせる。
 それにしても疵の多い小説だ。まず、三人称多元描写という難しい手法を用いて見事に失敗している。主人公の蒔野と洋子、その他にも何人かの視点で描写されるため、登場人物達の心理が逐一わかってしまい、ハラハラ・ドキドキが生まれない。彼女はどう思っているのだろう、彼の本音はどうなのかしら、ということを読者だけは知っている、という非常に間抜けな状態になる。
 そもそも、蒔野は天才ギタリストらしいが、一般人が考えそうなことを考え、一般人がやりそうなことをやるばかりで、ぜんぜん天才らしくない。常に人を笑わせるキャラらしいが、ジョーク部分を読んでも面白くはない。同様に、洋子の有能さもあまり伝わってこない。
 それからこれは、新聞連載という広く読まれる媒体に書かれたせいかもしれないが、説明が多すぎる。とくに、なにかの描写をしたあと、その行動の背景や心理を説明する箇所が目につき、趣を削がれる。また、会話が本当に不自然かつ面白みに欠ける。蒔野が突然愛の告白をベラベラ喋りはじめた時には目を疑ったほど。
 内容としても、いろんなテーマ(音楽家としてのあり方、テロとそのトラウマ、男女愛と親子愛、社会正義と家庭の幸せ)が提示されながら、結局は深められずに終わってしまう。二人の逢瀬の日にちょうどトラブルが起きるなど、偶然に頼りすぎの展開もいただけない。二度目のすれ違い部分では、アンジャッシュのコントかと思った。
 ただ、良かったところもある。まず、「過去は変えられる」というテーマは魅力的だった。「過去を思う」ことは、「過去をどう意味づけするか」ということであり、意味合いが変われば過去が変わったとも言える。僕の一番好きなシーンは、ラストで洋子が父と会って話すところ。自由意志と運命論という対立項において、未来については自由意志が背中を押してくれるが、過去においては運命論が慰めになることもある、という父親の言葉は胸にしみた。
 というわけで僕の評価は、小説としては中の下くらい、というところ。
2019年10月 「犬たち/レベッカ・ブラウン」 (マガジンハウス・単行本)
ブログのため、動物を扱った小説をいくつか読んでいるが、これはかなり変わった作品。一人暮らしの女性の部屋に、ある日突然、犬が入ってきて暮らし始める。犬の数はどんどん増えていき、女性の生活は圧迫されていくのだが、彼らが何者なのか、何の目的なのかはまったく語られない。幻想的で不条理、なのに妙に温かい読後感に包まれる。この、よくわからんが、なんか引っ掛かる小説、という感覚を大事にしたい。

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2019年10月 「猫語の教科書/ポール・ギャリコ」 (筑摩書房・文庫)
ポール・ギャリコの名は知っていたが、小説を読むのは初めて。ふだん見かける猫の仕草に、こんな深遠な意味が隠されていた、という内容で、猫好きならクスリと笑わされるところが多いだろう。猫好きだった著者らしく、猫と人間への愛にあふれた作品だ。

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2019年10月 「外は夏/キム・エラン」 (亜紀書房・単行本)
久々の韓国文学は、今年出版されたキム・エランの新作短編集。この著者の小説を読むのは初めてで、冒頭3作ほどは、面白いけれど小説としてはやや弱いかな、という印象だった。それが、観念的で難解な「沈黙の未来」を経て、次の「風景の使い道」でぐぐっと引き込まれ、あとは一気に読み切った。その後、ふたたび読み返してみると、男女の格差に疲弊していく三十代カップルを描いた「向こう側」あたりも、なかなか痛いところをついてくる良作だった。
 どの作品も、誰かを失った人が描かれる。普通に生きているように見えて、心に損失や違和感を抱えて暮らしており、「外は夏」というタイトルは、そうした人々の虚無的に冷えた内面と、変わらず脳天気な世の中との対比だと僕は捉えた。
これは、僕が読んだ短編集でも一、二を争う素晴らしさ。どれを取っても甲乙つけがたい作品がバランスよく並んでいる。国書刊行会のウィリアム・トレヴァーのコレクション第一作『聖母の贈り物』も良かったが、途中で中編規模の重たい作品が含まれていて、ややバランスに欠けるきらいがあった。それが本短編集では、実にいい具合に同じようなサイズの作品が並んでおり、それらの一篇一篇がどれ劣らず素晴らしいのだ。しかも、大きなドラマではなく、日常で起こる些細なできごとを、描き方でドラマに仕立て上げている。この著者の手腕には恐れ入る。
 本短編集には一点、アイルランドに関する小説が集められたという特徴がある。この100年ほどの激動の時代を抱えるアイルランドで、それぞれの物語に深く浅くその事情が伺える。一冊読み終える頃にはアイルランドに関する興味が高まり、巻末に訳者が掲載したアイルランド史の概略がまた素晴らしい。
 30ページほどの作品がリズムよく並んでいるので、一気に読むのもよいが、寝る前に一篇ずつ読んで満足しながら眠りにつくのもいい。実際に僕はそうして読み、毎晩幸せな気分で眠りにつくことができた。
野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』は、確か20代の頃に読んだ。当時はけっこう面白く読んだ記憶があるが、主人公ホールデンに共感することはなく、むしろ口先ばかりの嫌な奴(当時の会社にそういう同僚がいたせいもある)と思っていた。
 今回、読書会の課題本となったのを機に、初めて村上春樹訳の本書を読んでみた。やはり、これだけ平易な文章で、大きなストーリーはないのにこれだけ読ませる小説があるのかと感心した。僕の思うところ、本書の感想としてよくある「社会に反抗する無垢な少年の物語」という評価は、見当外れだと思う。ホールデンは一般的な少年の代表ではなく、金もあり、容姿にも恵まれたむしろ特権階級だ。付き合う連中も似た境遇の人達が多く、みなその特権を謳歌して疑いなく生きている。ところがホールデンは、金と容姿に恵まれていても幸せになれないことを、思春期の段階で気づいてしまった。そこに彼の悲劇があるのだと思う。
 彼が社会に対して指摘する問題点は、ほとんどが当たりなのだけれど、50代になった僕からすれば、問題を指摘するのは実にたやすいことで、それを解決するのが至難の技なのだよ、とだけは言っておきたい。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』には、訳者・村上春樹氏の解説が載るはずだったのが、原作者からのお達しにより載せられなくなった。そこで本書が発刊され、解説の全文が掲載された。それを読めるだけでも貴重なのだけれど、本書の大半は村上春樹氏と柴田元幸氏との対談で占められており、『キャッチャー〜』を翻訳するにあたってどこに腐心したのか、詳細に知ることができる。
 有名な野崎訳に比べ、村上訳のほうが表現が柔らかく、現代的で読みやすいとは思うが、ところどころ首をひねる表現があった。「ネッキング」という聞き慣れない言葉が頻出したり、小さな女の子が兄に向かって「あなた」と呼びかけたりなどがそうだが、それらについても解説が載っている。
 とにかく、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだ人は必ずこれを読んだほうがいい、と断言できるほど興奮できる内容だ。
100年以上前に書かれた動物文学の古典として名高い本書だが、まったく古さを感じさせない堂々たる作品だった。犬のバックが人間達に利用され、翻弄され、それでも気高くたくましく生きていく。そして最後は人間達と静かに共存していくかと思いきや、話は違う方向に流れる。短いながらにたくさんのドラマが詰め込まれ、さんざんバックをこき使ってきた男が別れる段になると号泣するところなど、人間の描写の一面的でないところも素晴らしい。

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2019年 9月 「猫の客/平出隆」 (河出書房新社・文庫)
ある夫婦の家にときおりやってきては、可愛い姿を見せる猫。ところがその猫は隣の家の飼い猫だから、無理に引き留めることもできず、好きにさせるしかない。なかなか中途半端な立場だけれど、愛情は募っていくから始末に負えない。詩人でもある著者による、端正で豊かな日本語が誠に素晴らしい一作。そして極上の猫小説でもある。

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2019年 8月 「猫がかわいくなかったら/藤谷治」 (中央公論新社・文庫)
高齢者夫婦が共に入院をし、取り残された一匹の猫。近所に住む猫好きの吉岡夫妻が見かねて世話を買って出るものの、今後どうするか、誰も責任を持って示してくれず、ただ疲弊する日々を送る。
 本作のように、身寄りのない方の入院や死去により、飼っているペットが置き去りにされることはよくある話。しかしそういう人にこそ、生きがいや伴侶としてペットの存在が大きい。本書は、そうした問題提起をしつつユーモアで優しく包んでくれる一冊。個人的には、この吉岡夫妻の行動にも疑問がないではないけれど。
 詳細は、ブログを参照。
2019年 8月 「屍人荘の殺人/今村昌弘」 (東京創元社・単行本)
昨年から今年にかけてまあ大評判の嵐で、ついにこらえきれず読んでみた。ネットでもいまだに伏せられている「○○○が出てくる」というのは単なる舞台設定なので、普段ネタバレに厳しめの僕でさえ全然ネタバレとは思わないけれど、あえてその流れに乗っておく。
 大学生の男女が集まったペンションで起こる、惨劇の数々。ホームズ役の女子学生とワトソン役の新入生がその謎に迫る。舞台設定をうまく使っていろんな展開をし、徐々に状況が変わっていくところなど、よく考えてあって面白い。また、かなり登場人物が多いところを整理し、覚えやすくした工夫にもとても感心する。
 感心しないのはラノベ風のお手軽文体、それからユーモアにもあまりセンスを感じられなかった。こうしたミステリにありがちな、謎が解けてしまえば後には何も残らず、トリックやそのための数々の設定がつぎはぎだらけでリアリティに欠けるあたりも不満が残る。ミステリはそういうものだとは思うけれど。
2019年 8月 「日本美術史/辻惟雄」 (美術出版社・単行本)
『西洋美術史』に続き、日本美術史に関する本と言ったらこれ、ということで読んでみた。『西洋美術史』と同様、学者さんの書いた文章はとにかく固くて読みづらいけれど、縄文時代から現代美術に至るまでの流れをさらりと辿れる意味では非常にありがたい。画家の生没年をグラフで現した付録の年表も見やすくてよい。最近気に入った横山華山がまったく出てこないのには驚いた。
読書会のため、久しぶりに再読。前に読んだのはほぼ10年前で、その時は、わかりやすい寓意の連続から子供向けの作品だという感想を持ち、あまり高くは評価しなかった。今回読み直してみて、かなり印象は変わった。大人に対する皮肉の他、愛情に関する寓意、死にゆく人を前にしてどう気持ちを保つのかなど、前は気づかなかった点がいくつも見えてきて、大人の鑑賞にこそふさわしい名著だと感じた。同時に、僕はやはりこの著者のことを好きだと再認識した。
2019年 8月 「星の王子さま/サン=テグジュペリ」 (文藝春秋・文庫)
「星の王子さま」には、それこそ星のようにたくさんの翻訳があるが、本書は倉橋由美子氏による翻訳版。かなり人気が高いらしく、僕の好きな翻訳家の古屋美登里さんも、この倉橋訳が最も優れているとおっしゃっている。
 倉橋訳の特徴は、とにかく本書は児童書ではなく大人向けの小説だと断じているところで、まずは一人称が「僕」や「ぼく」ではなく、「私」となっている。新潮文庫の河野真理子氏訳に比べ、かなり説明を省いており、クールでシンプルな印象を受ける。いくつか読んでみた中では、僕もこの倉橋訳がいちばんいいと感じた。
動物に関する小説は数あれど、本作は異質な輝きを放つ大傑作。この小説を読み終えた時の衝撃は忘れられない。ティモレオンという一頭の犬が、老人に飼われているところから小説は始まる。きっと善良で忠実なこの犬が飼い主を助け、仲良く暮らしていく話なんだろうなと思っていたら、どんどん違う方向に話は進んでいく。この老人や彼と交流する人々の行為は眉を顰めるほど不謹慎なもので、ティモレオンはそれでもけなげに老人のそばで暮らしている。そんな彼がやがて遠いところに連れ去られ、置き去りにされてしまうまでが第一部。そこからティモレオンが家に戻るまでが第二部で、ここでは、彼が出会う人々が短編集のように一つ一つ綴られていく。とても短い物語の連続だけれど、全てが強い印象を残す強い物語で、読みごたえはたっぷりだ。そうした物語を抜けてきたあとに、驚愕の展開が待ち受けている。
 とにかく強烈な衝撃を受けたい、という方には強くお勧めする小説だ。いっぽう、あまりに刺激が強すぎるものはちょっと、と思われる方はやめておいたほうがいい。忠告しましたよ。

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2019年 8月 「きりこについて/西 加奈子」 (KADOKAWA・文庫)
西加奈子氏を初めて読んでみた。巧いなあ、こういうのが小説だよなあと実感。ブログを書くため、猫の出てくる小説と思って手に取ったが、短い中にたくさんの大事なことが詰め込まれた傑作だった。
 きりこという、不細工な女の子が主人公。〈きりこは、ぶすである〉という強烈な一文から始まり、ことあるごとにきりこの器量がいかに悪いかが繰り返される。最初はやや辟易してしまうが、次第に彼女の周囲の人々が描かれていき、彼らが成長していく過程から実に様々なことを考えさせられる。さらりと読みやすい文体で、人間として大事なことが深いところまで追求されているのだ。本当に上手い。

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なかなか読むことの少ないイタリア文学、しかも児童文学ということで読むのに難儀した。児童文学は総じて寓意性が高く、そこから何を読み取るのか迷ってしまうのだ。子供なら、鏡の向こうに行くこと自体でわくわくさせられるのだろうけれど、大の大人はそれ以上の何かを読み取ろうとしてしまう。どの国のどんな人でも、鏡が不気味だという意識は共通しているようで、少年が鏡の中の世界へ迷い込み、実は薄気味悪い世界だと悟りつつ、身の処し方を体得していく物語、と僕は読んだ。裏と表は簡単に入れ替わる、というテーマもあるのだろう。
2019年 7月 「黄色い雨/フリオ・リャマサーレス」 (河出書房新社・文庫)
こちらも珍しいスペイン文学。本書の存在はずっと前から知っていて、ずっと読みたいと思っていた。過疎化により滅びゆく村に遺された男と雌犬。どちらも老いぼれて先は長くない。過去の回想は幻想ともなり、もはや何が現実なのかも定かではない。執拗に、死に対する空想、恐れなどがくりかえし描写され、そこは退廃した世界なのだけれど、読むと頭の中に鮮やかな黄色い光景が広がっていく。黄色い雨とは、舞い散るポプラの枯葉だったり、男に押し寄せる絶望感だったり、やるせない時間の流れだったり、様々なものの象徴として描かれる。

詳細はブログを参照。
2019年 7月 「ねたあとに/長嶋有」 (朝日新聞出版・文庫)
山荘に集まった男女数人による他愛もない共同生活を、最後まで他愛のないままに描き切る。普通の小説なら誰か一人特異なキャラクターが刺激をもたらすとか、積極的に生きる目的を見つけるとか、小説の持つ役割としての大事なテーマが提示される。小説家は、なにか世間に問いかけたい思いがあって小説を書いているはずだから、どうしてもその思いが作品に現れるのだ。ところが、本作にはそれがない。最後まで、ただのグダグダした生活模様が描かれて終わる。そして、だからこそどうしようもない、人間の人間としてのありようのようなものがほのかに立ち上ってくる。(まさに、立ち上ってくるとしか表現できない。)
 長嶋有は稀有な純文学作家だと思う。そして、とてつもないほど人間を愛し、人間を肯定しているのだと思う。
2019年 6月 「「社会調査」のウソ/谷岡一郎」 (文藝春秋・新書)
世の中に蔓延している社会調査の大半はゴミである。こうした主張のもと、権威あるはずの調査がいかにデタラメで意味がないかを解き明かしていく。僕も著者と似たような意見は持っていて、ほぼ同意しながら読んだ。こういうことを全く考えない人は、絶対に一度読んだほうがいい。ただ、すぐに「クズ」だの「ゴミ」だのと書いてしまう著者の言葉遣いの悪さは、こうした批判書には適さないと思う。こういう言葉遣いだけで内容の信憑性が薄れてしまい、本書の価値が下がってしまう。
ずっと前に同著者の『旧約聖書を知っていますか』を読み、とてもわかりやすくて面白かったので、今回は新約のほうにも手を出した。感想は前作とほぼ同じで、難解で堅苦しい内容を読みやすい形で平易に提示してくれる良書だと思う。とくに、昨年イタリアで様々なキリスト教芸術に触れたこともあり、知的好奇心を大いに満足させてくれた。イタリアの知った場所の話が出てくるのも嬉しかった。
2019年 6月 「猫鳴り/沼田まほかる」 (双葉社・文庫)
ブログのために再読。飼い主さんにとってペットを亡くすのは何より辛いこと。本書には、一匹の猫と人間との関わりを通して、人やペットの区別なく、命とどう向き合っていくのかが描かれている。

詳細はブログを参照。
スチュアート・ダイベック初体験にして大傑作。不良に絡まれながら兄弟の現在を回想する「テ・キエレス」、野生の蘭で儲けようとする悪友との青春冒険譚「蘭」、コミカルかつ懐の深いノワール「胸」など、どれも忘れがたい魅力を放つ11の連作短編集。文章のほんの小さな流れが無数の支流に分かれつつ大河を作りやがて世界を成す。見よ、これが世界だ。けれどただの言葉だ。
2019年 5月 「スイート・マイホーム/神津 凛子」 (講談社・単行本)
昨年の小説現代新人賞受賞作、ということで読んでみた。念願のマイホームを手に入れた男性に訪れる不穏な出来事が描かれる。家を舞台にしたホラー小説はいくつかあると思うが、これは未熟さばかりが目につく小説だった。ストーリーもこなれてないし、描写もなんだか適当な印象を受ける。ただ衝撃を与えるためだけに書かれたような作品。審査員達の激賞が信じがたい。
2019年 5月 「野蛮なアリスさん/ファン・ジョンウン」 (河出書房新社・単行本)
『誰でもない』が素晴らしい短編集だったので、長編のこちらを読んでみた。『誰でもない』では文章の柔らかさと描かれる内容の痛々しさに絶妙のバランスが取られていたが、本作では、著者が〈失敗するに決まっているが、失敗できるときに失敗してみよう〉と発言しているとおり、小説的バランスを無視するほどに痛々しい内容となっている。
 主人公は、女装で町中に立っているホームレスのアリシア。彼が幼少時に住んでいたコモリという村での回想が小説の主な内容となる。韓国が都市開発と不動産バブルに揺れる時代、アリシアは弟と共に暴力的な母親に育てられ、虐げられる日々を送っていた。父はそれを見ないふりをし、補償金目当てで借金までして家を建て、前妻の子供達と共に暮らそうと躍起になっている。暴力の歴史が世代を超えて伝播するさまは、傑作ドキュメンタリー『心臓を貫かれて/マイケル・ギルモア』を彷彿とさせる。
2019年 5月 「ミーのいない朝/稲葉真弓」 (河出書房新社・文庫)
僕がペットシッターという仕事を選ぶきっかけになった本で、何度も読んでいる。とにかく、小説家であり詩人でもあった稲葉真弓さんの文章が素晴らしい。

詳細はブログを参照。
2019年 4月 「風に吹かれて/鈴木敏夫」 (中央公論新社・単行本)
ジブリをずっと支えてきた名物プロデューサー、鈴木敏夫のインタビュー集。鈴木氏の生い立ちから話は始まり、ジブリ創生から2013年あたり(本書の出版時点)までの様々なエピソードを知ることができる。宮崎駿、高畑勲という二人の怪人といかにやりあってきたかという経緯や、映画の興行の詳しい仕組みなど、ディープかつ闇の部分についても赤裸々に語られ、非常に面白く読んだ。とくに、『紅の豚』がなぜヒットしたかという裏事情については、なかなかにエグい話で驚かされる。
 本作のインタビュアーは、音楽評論家の渋谷陽一氏で、彼のインタビューの仕方にはクセがある。相手の鈴木氏がなかなか本音を話そうとしないからではあるのだが、先に結論を決め、そこになんとか導こうとして、「〜でしょ?」「〜だよね」という感じで誘導尋問的に質問をつないでいくのだ。読み始めのうちはそこに抵抗を感じてしまったのだが、鈴木氏の口調からして、確かにこのやり方のほうが真実に近いものを引き出せるのかも、と思い直した。
 内容とは関係なく悔しかったのは、本書が2013年の出版で、ずっと読みたいと思ってようやく買って読んだら、この3月に文庫版が出ていたということ。
2019年 4月 「大誘拐/天藤真」 (東京創元社・文庫)
ミステリーのオールタイムベストでもよく名前の挙がる本作。誘拐された大資産家の老女が犯人達を操って身代金を奪うという画期的なアイデアが本作のキモであり、そのために尽くされる手段の数々がまた奇想天外で面白い。
 ただ、警察パートの描き方には違和感を覚えた。犯人側の事情が読者に明かされているので、警察側がシリアスに立ち回るのが滑稽に見えてしまう。もちろんそこを笑ってくれという意図だろうが、捜査陣のトップである井狩本部長の心情まで描写しても、間抜けが際立つばかりで笑えない。警察側はもっと淡々とした描き方で良かったのに、と思う。
 それにしても、これだけのスケールをコメディタッチで描ききった手腕は凄い。確かに、歴史に残る名作の貫禄は充分だろう。
なにしろ、昨今の韓国文学ブームを、筆頭で引っ張る本作。男権社会において、女性として生まれること自体が恥とでもいうべき、非道な仕打ちの数々。これがほぼ実話だというからあきれる。小説としての出来は今ひとつのようにも思うが、一つの問題提起として僕は感銘を受けた。
 どんな時代であってもどんな習慣であっても、目の前の事態が妥当なのかどうか常に考えて行動する必要がある。そうしないと差別社会であれば平気で差別をし、戦争であれば平気で人を殺す人間になる。
2019年 4月 「ゾンビ論/伊藤美和」 (洋泉社・単行本)
ゾンビ映画研究においては第一人者である伊藤美和氏が、本のサイズに合わせてコンパクトにまとめている。僕は2003年に同氏が書いた『ゾンビ映画大事典』を持っていて、それ以降の動向も知りたかったのだが、そちらはほとんど触れられていなかった。また、共同執筆の方の章については、単なる感想程度のもので、あまり読み応えがない。
2019年 3月 「独りでいるより優しくて/イーユン・リー」 (河出書房新社・単行本)
イーユン・リーを読むのはデビュー短編集「千年の祈り」以来。作風がぜんぜん違うことににまず驚かされる。「千年の〜」は僕の生涯ベスト短編集の一つであり、短いながら鮮烈な印象を残す作品が並び、多彩な題材を扱う手際のよさにしびれた。
 いっぽうの本作は著者にとって二作目の長編であり、三人の主要人物が章ごとにそれぞれの視点で語る形式をとる。ストーリーの軸は、とある毒殺未遂事件の謎解きだ。ところが次第に犯人探しはどうでもよくなり、その過程で見えてくる中国という国柄、中国からアメリカに移り住むことの意味などが読みどころとなっていく。中国と移民先のアメリカ。これは著者の経歴とも重なり、著者はこのテーマを生涯探り続けることになるのだろう。
 ルーユイ(如玉)、モーラン(黙然)、ボーヤン(泊陽)の三人のうち、ひときわ目を惹くのがルーユイの超人性だ。彼女の言動が中心となり、彼女に対するモーランとボーヤンの反応が物語を形づくっていく。僕はモーランのパートに最も惹かれた。他の二人と違い、“普通”の人生を送るしかできない彼女の忸怩たる思いが、胸に迫ってくるからだ。いっぽう、ボーヤンの現代パートはやや魅力に乏しかった気がする。
 凝った言い回しの文章が多く、読み進めるのに時間を要する。焦らずにじっくり取り組んだほうがいい。読み飛ばせる部分は一つもない。
2019年 3月 「蝶のゆくえ/橋本治」 (集英社・文庫)
先日お亡くなりになった橋本治の小説を初めて読んだ。どれか一作選ぶとしたらこれ、とツイッターで薦められており、絶版で入手難なのをたまたま古本で見つけて購入した。
 冒頭の「ふらんだーすの犬」は、タイトルからは絶対に想像できない話。まだ子供のような男女が子供を作り、当然のごとく育てる能力はなく、それでも子供は大きくなっていく。想像を超える展開にそら恐ろしくなるが、きっとこうした出来事は現実にあるのだろうと思うと気が滅入る。
 その他、全部で六本の短編が収録されている。表題の「蝶」とは女性のことで、つまり六本すべてが女性に関わる物語である。二作目の「ごはん」では、女性同士のだらだらとした会話がつづき、読むのを断念しかけたが、踏ん張って読み進めていくとじわじわと内容の深みが迫ってきて、後は完全に引き込まれた。登場人物は泣いたり叫んだりすることはなく、それでいてぬらりとした日常のドラマを見せてくれる。ほんの小さなモチーフを広げていく手腕には感心するばかり。若い頃に読んでいたらきっと理解できなかっただろうと思わせる作品が並んでいる。
2019年 2月 「西洋美術史/高階秀爾」 (美術出版社・単行本)
美術史に関する本を一冊読もうと思い、やはりこれだろうと選んだ。僕が興味のあるのは主に絵画だが、本書ではそれに限らず、彫刻や建築についても紹介されている。当然だが絵画と彫刻、建築には関連性があるため、一緒に歴史をたどっていくとわかりやすくて興味も湧いてくる。それでもやはり、ルネサンスあたりからの絵画の歴史が面白く、ぐいぐい引き込まれて読んだ。言い回しが古臭く学術書っぽいのでやや読みづらいけれど、内容的には申し分がないのではないか。また別の美術史本も読んでみたいと思う。
2019年 2月 「菜食主義者/ハン・ガン」 (クオン・単行本)
どんどん韓国文学を読んでいこうと思い、近作『すべての、白いものたちの』や『ギリシャ語の時間』が大評判となっているハン・ガン氏の、邦訳第一作となる本書を読んでみた。一人の女性がなぜか突然、肉をいっさい食べなくなる。彼女をめぐり、様々な人が様々な反応を示していく。三つの短編が収められており、それぞれ彼女の夫、義兄、姉という3人の目の視点で描かれる、連作短編集だ。ブッカー国際賞を授賞している。
 ただ僕には、本作のリアリティについて疑問を覚えた。たとえば、肉を食べられなくなった女性について、母親は泣き崩れ、父は激しく怒り、家族そろって「とにかく肉を食べなさい」と強要する、というのはどうなのだろう。韓国では父権の強さが根強いとは聞くが、現代社会において、本作のリアリティは受け入れられるのだろうか。肉を食べられなくなった理由はぼんやりと語られ、そこがはっきりとしないところも意図してそう書かれているとは思うけれど、どうも納得できない。
 第二編の「蒙古斑」においては、映像アートを手がける義兄が登場する。小説内で別の芸術、音楽や絵画などを扱うのはなかなか大変だと思うのだが、本作においても、あまりそれが成功しているとは思えない。描かれるアート作品に、まったく魅力を感じず、とても陳腐に思えてくる。そうなると、この小説自体の陳腐さにつながってしまい、本作を高く評価することができない。
 というわけで、他にも僕は本作において各所に作り物感・ニセモノ感を覚えてしまい、物語に没入できなかった。
学生時代、甲斐バンドが大好きでずっと聞いていた。高校から大学にかけての頃の“我が青春のバンド”という感じだった。本書は、音楽ライターである著者が、甲斐バンドの初期12年の活動について、年ごとに詳細に綴ったもの。ずっと昔から知っていたものの買いそびれ、最近になってようやく手に入れた。出版は1985年である。
 「HERO」の大ヒットとTBS「ザ・ベストテン」への一回きりの出演、花園ラグビー場ライブでの事故、漂泊者(アウトロー)のTVドラマ起用など、ほとんどの出来事を知っている中で、その内幕を知るのはとても楽しかった。また、この手の書籍の、年月をおいて読む場合に感じる青臭さについても、微笑ましく読んだ。ただ、1979年正月の民放ジャック、田中一郎の加入など、大きな出来事について語られていないのは不思議だし不満ではある。いずれにせよ、今更ながら甲斐バンドファンなら一度は読んでおくべき一冊であることに間違いはない。いま、どれくらいいるのか知らないけれど。
2019年 1月 「死ぬ気まんまん/佐野洋子」 (光文社・文庫)
「100万回生きたねこ」などの絵本でおなじみ、佐野洋子さんの晩年のエッセイ集。序盤はいじわる婆さんの日記を読むようで、こんな偏屈な方だったんだと驚きつつやや抵抗があったのだが、ご病気の症状が悪化していくにつれ、文章にすこしずつ底知れない凄みが備わっていく。後半は、入院した先で見つめる人々や風景などの描写がすさまじく、巧まざる文章ながら非常に読み応えがあった。
2019年 1月 「体力の正体は筋肉/樋口 満」 (集英社・新書)
五十歳を過ぎて、マッチョになるつもりはないけれど、体力維持のための筋トレは必要なのかなと思っていた矢先、本書のタイトルを見て手に取った。僕としては、具体的な対処法、トレーニング方法を知りたかったのだが、体力にまつわる理屈やデータなどにかなりの文量が割かれており、そこは読み飛ばした。トレーニング方法としては、ローイング(ボートを漕ぐ運動)が有効だとわかったので、実践してみたいと思う。
セネカとは、古代ローマの哲学者。カリグラ帝時代に財務官として重用されるが、その後、姦通罪に問われてコルシカ島へ追放される。本作には、彼が残した作品から、比較的読みやすいもの三編が収められている。古典新訳シリーズらしく、なるたけ現代人にも読みやすいよう配慮された翻訳であるため、古代ローマや哲学に疎い僕でもすらすらと読めた。
 古臭い考え方を押しつけられるのかと思いきや、短い人生をどう有意義に生きるか、絶望にさらされた時にどう対処するかなど、現代にも通じる考え方が紹介されており、充分に有用な内容だった。思ったよりも古代と現代で考え方や生き方は変わらないのだなあと感心もした。
豊崎社長が13年1月にラジオで紹介されてたのを、ようやく読めた。ダーク版『スタンド・バイ・ミー』とでも言おうか。若い頃の友人達との思い出を振り返る男に、隠された事実が突きつけられる。若さゆえのほんのささいな行動が、長い年月を超えて、老いた男に手酷い事態を引き起こすのだ。最近はもうミステリ小説には心を動かされなくなったが、これは違った。人生の不可解、人間関係の不可解を描いた秀作だ。ずんと腹に響くミステリが読みたいなら、ものすごくお勧めの一作。そして、読書会をしたくなる。
2019年 1月 「殺人犯はそこにいる/清水潔」 (新潮社・文庫)
タイトルを見えなくした“目隠し本”として評判となり、周囲でも読んだ人の好評を聞いてきたが、読んでみたらやっぱり抜群に面白かった。足利事件をはじめとして、北関東で起きた5つの幼女殺人事件を同一犯によるものと推定し、著者は調査を進めていく。本書を読むと、僕らが漠然と抱いている「事件が起きれば正義の名の下に警察が捜査をし、裁判所が審判を下す」という理想と現実とがいかにかけ離れているかに唖然としてしまう。警察も検察も、自分達の不利にならないよう、ミスが発覚しないよう、息をするごとくに嘘をつく。事実はねじ曲げられ、まるで関係のない人が犯人に仕立て上げられる。そうして一人の人間の人生が損なわれ、真犯人は野放しにされたままだ。こんなことが本当に起きるのか、あっていいのかという憤りに駆られつつ読み進める。
 特筆すべきは、DNA型鑑定の信頼性だ。専門知識のない我々は、DNAが一致した=真犯人、と思いがちだが、著者は、当時の鑑定がいかにあやふやなものだったかをわかりやすく説明してくれている。この点は大いに勉強になった。
 最後に著者は本書で取り上げた北関東連続殺人事件について、一人の容疑者を挙げ、警察に通報している。本書を読む限り、信憑性は高いように思えるが、警察は動かないままだ。そしてもちろん、真犯人は今もどこかに潜んでいる。

2019年 1月 「李陵・山月記/中島敦」 (新潮社・文庫)
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン100冊目。
これにて遂に完結!ばんざい!

 最後の一冊は、薄いけれど、開いてみれば漢字の羅列。中国の故事を元にした作品なので、地名や人名、道具や出来事など、あらゆるものに漢字があてがわれており、一目見ただけでビビってしまう。ところが読み始めてみれば、意外にすいすいと読めてしまった。
 4つの短編が収められており、それぞれが実にしっかりした内容、そして現代にも通じるテーマを扱っていて本当に面白く読めた。有名な、詩人が虎に変身してしまう哀れを描いた「山月記」、弓矢の達人があまりに名手すぎて最後には弓がなくてもトビを射抜いてしまうという「名人伝」、孔子とそのやんちゃな弟子・子路との顛末を人間味たっぷりに紹介した快作「弟子」など、すべてに読み応えがある。なかでも、漢の武帝時代に仕えた軍人を描いた「李陵」が最高。戦いのすえ捕虜となり、騎馬民族・匈奴の一味となる李陵、怒って李陵の親族を処刑する武帝、李陵を擁護して「宮(きゅう)の罰」、すなわち去勢をされてしまう司馬遷、李陵と同じく捕虜となりながらも自分を失わず李陵をおののかせる蘇武など、キャラクター小説として抜群の冴えを見せている。
震災に関する小説を読みたいと思い、本作を手にした。震災の被災者のストレートな叫びのようなものかと思っていたら、母親を亡くした少女の揺れ動く複雑な心のうちを見事に表現した力作だった。とくに、震災の騒動が徐々におさまり、日常が戻ってきた時にこそ、母を救えなかった悔悟の念に襲われ、本当の苦しみがやってくる、というところにぐっときた。〈日常生活のなかでこそ私は被災した〉という表現は、ちょっとすごい。
 マスコミの欺瞞、それに対して演じてみせる自分、母の遺体を弟に見せることの是非、息子を亡くした女性からの叱責など、いくつかのテーマが散発的に語られて一貫性に欠ける印象はあるが、本作には無理矢理でもそれらを一本にまとめる勢いがある。デビュー作ならこれでいいのかもしれない。実際、僕は何度か胸につまされる箇所があった。
 ちなみに、いっときは騒動となった他作からの引用については、僕はあまり関心はない。実際、引用された箇所を見てもほんの些細な表現だけなので、本作は他作の力によってではなく、著者自身の力によって書かれたものだと確信する。