■ 2022年に読んだ本
  
灯台守の話』が素晴らしかったジャネット・ウィンターソンの、久しぶりの新作。19世紀初頭に『フランケンシュタイン』を10代の若さで書いたメアリー・シェリーの過去パートと、ライというトランスジェンダーの現代パートが交互に描かれる。
 過去パートは、のちに夫となる詩人パーシー・シェリーや同じく詩人のバイロンらと共に怪奇談義を交わした有名な逸話から始まる。たまたま僕が昨年、『フランケンシュタイン』や同作を論じた『批評理論入門』を読んでいたこともあって、ああ、あの話ね、という風に興味深く読み始めた。現代パートではライがセックスボットを製造するロン・ロードという男と会ったり、人工知能を奇怪な形で応用しようとするビクターから研究に誘われたりと、破天荒な展開がつづく。そのうち、過去パートも史実に基づいた内容から著しく離れ、メアリーの小説の登場人物とメアリーが出会う、というメタ展開に発展し、どこに行き着くのかわからない。
 トランスジェンダーのライが、女性として生まれた体を薬で男性に変えようとするのは“人体改造”とも言えるわけで、そこからフランケンシュタインによる人造人間づくりや、ビクターの人工知能を使った人体改造ともつながり、さらには人間の本質とは何かという哲学的な問いに結びついていくところがとてつもなく面白い。著者が創意を縦横無尽に発展させ、知的好奇心と共にユーモアも忘れず、しかも現代社会とのリンクも忘れていないという超絶技巧の小説。
2022年12月 「地図と拳/小川 哲」 (集英社・単行本)
直木賞候補になり、SNSなどを見るにつけ今年この本を読んでいなければ話にならない、と自分で勝手に思ってしまい、もちろん周囲や世間からの熱烈な“推し”の影響もあって手に取った。600ページ越えの大著だが、遅読の僕にしては珍しく、4日で読み切った。次にどうなるのかという興味と読みやすさとが見事に融合し、恐るべきリーダビリティの高さに圧倒された。
 満州を舞台にした、もちろん架空の物語である。けれど、巻末の膨大な参考文献のとおり、史実を徹底的に分析したうえで、ありえたかもしれない世界を見せてくれる。おかげで読者は、小説というエンタテインメントを通して満州の歴史を理解できる。
 面白さの核はやはり人間ドラマだ。完全な善人も完全な悪人もおらず、様々な立場の人間がそれぞれの思惑を胸に行動する。前半で心に残ったのは、満州で布教活動をおこなうロシアのクラスニコフ神父だ。自分の身が危ない状況の中で、人を救うために布教にまい進する姿から、僕は遠藤周作の『沈黙』を読んだ時と同じ感慨を味わった。面白いのは、のちに出てくる、悪者として描かれる憲兵の安井が、自身の語りパートで心中を吐露するところ。彼は、無知で非力な志那人を我々日本人が正しく導いてあげようという、いわば善意から行動をしている。それはつまり、クラスニコフ神父が弱い人民をキリスト教で救ってあげようという気持ちとそう大きく変わらない。客観的にみれば、善の象徴であるクラスニコフと悪の象徴である安井とが、心持ちの部分で似通っているというのが非常に興味深いと思った。
2022年11月 「容疑者の夜行列車/多和田葉子」 (青土社・単行本)
ノーベル賞の候補とも言われる多和田葉子さんがずっと気になっていて、初めて読んだ。難しい内容かと身構えていたら、文章は平易で、ヨーロッパの各都市を列車で巡る旅小説として楽しく読むことができた。大きなドラマが起こるわけではないが、車内で出会った人々や起こった小さなできごとの積み重ねだけで満足でき、時折はっとするほど美しく格調の高い文章が出てきて唸らされる。
 車内で同室となった女性と車掌が、前にどこかで会ったのにお互い思い出せず、語り手は隣でそのやりとりを聞いている。しばらく経ってようやくお互いに経緯を思い出すものの、「あれだったね」「そうだね」という会話だけで、語り手には内容が明かされずにもやもやする、といった何気ない描写も面白い。
 もうひとつ、本作の大きな特徴は、語りが「あなた」という二人称で書かれているところ。本作を読んで気づいたが、「わたし」で書かれる一人称の小説を読んでも、自分の知らない誰かの物語としか感じられず、「彼」「彼女」などの三人称で書かれる小説もしかり。ところが、「あなた」と書かれた文章を読むと、「自分のこと?」という気持ちが沸いてくる。つまり、「あなた」と書かれた時にだけ、読者の中に「わたし」という一人称が浮かんでくるという仕組み。これには驚かされた。いろんな意味で、良い読書体験となった。
フィレンツェに住んでいた著者夫妻による、生活感にあふれる観光案内。中心地にある高くてまずいレストランではなく、安くて本当に美味しい店を紹介してくれるところなど、住んだ人にしか書けない内容だ。約20年前に出された本なので情報が古いのと、やや愚痴っぽい内容が多いところが惜しいが、以前フィレンツェに一週間滞在した僕にとっては、とても楽しい読書となり、次に行った時にはこうしようと思わせてもくれた。
2022年11月 「むらさきのスカートの女/今村夏子」 (朝日新聞出版・文庫)
読書会の課題図書となり、読んだ。今村夏子は『こちらあみ子』『あひる』『星の子』の3作を読み、割と好きな作家ではある。読みやすい平易な文章で人間のどうしようもなさをじっとりと描き、(いい意味で)いやあな気持ちにさせられる作家、というのが僕の印象だ。
 本作は、むらさきのスカートの女がいかに変な人物かを描いているようでいて、実は語り手の黄色いカーディガンの女のほうがよっぽど異常だった、というアイデアが秀逸だが、あまりにもそれ一辺倒なので、これまでの作品にくらべ、ややインパクトに欠けるきらいがあった。つまらなくはないけれど、これで直木賞かなあとも思う。
2022年11月 「こちらあみ子/今村夏子」 (筑摩書房・文庫)
『むらさきのスカートの女』を読んだ勢いで、こちらも再読。やはり本作の切れ味は凄まじい。人間社会の闇を描きつつ、救いの光まで当てて見せる奥行きの深さ。併録の「ピクニック」もまた、不穏なやりとりが最後までつづき、肯定も否定もしないところが素晴らしい。本作を読むと、やはり『むらさきのスカートの女』はやや弱いと言わざるを得ない。
動物が出てくる小説は定期的にチェックしていて、本書もその一つ。書評家の豊崎由美さんが激賞されていたので期待して読み始めたら、かなり変てこで少し下品で、かつ、確かに素晴らしい短編集だった。
 4ページほどの掌編から数十ページに渡る物語もあり、長さも内容の濃さもまちまちなら、犬が出てきたりナメクジが出てきたりカエルが出てきたり、あるいは動物は出て来なかったり。好き勝手に書き散らした感はあるものの、ときおりはっとするような美しい物語もあり、いったいこの作家は何を考えているのかと不思議に思う。
 僕が好きなのは、ゴリラみたいな体格をしたビルという男を描いた「ビル・マクウィル」。背は高くないが両手が長いビルと語り手の〈ぼく〉が列車に轢かれた犬を見つけるのだが、そこからビルの奇矯な行動がつづき、ラストはビルの体格に関連したすさまじいオチがつく。
 もう一つ、卵を丸のみする少女が出てくる「スノウ・フロッグ」も素晴らしい。途中、映画『エクソシスト』ばりのグロシーンが出てきてぎょっとするものの、涙が出るほど美しいラストに心を動かされる。
読書会の課題図書だったので、13年ぶりに再読。老人が一人でカジキ漁に向かう際、仲の良い少年のことを何度も思い出し、「いま彼がいてくれたらなあ」と願う。それは助けてほしいからという理由以外に、自分の雄姿や技術を少年に受け渡したいという思いがあるのではないかと感じた。
 もう一つ抱いた感想は、人は自分に降りかかる災厄について、自分のできる限りのことをやり、それを越えることはただ受け入れるしかない、という人生教訓だ。老人は結局、魚を捕らえたもののサメにすべて食われてしまい、結果として何もしなかったと同じに思えるが、ラストの周囲からの反応を見るとそうではないことがわかる。短いながらも味わい深い、たしかにこれは名作だ。
ウィリアム・トレヴァーを読むのは3作目で、これを含めすべてが短編集だ。普通に生きる市民の生活や人生から、読むに足る内容を汲み出す力量に感服する。なにかが起こりそうで大きなドラマは起こらず、その予感と余韻を味わわせえる名人芸。
シリーズ4作目の『ハートに火をつけないで』の紹介を読んで気になり、第1弾となる本作から読んでみることにした。思っていたとおり、切れ味鋭い快作ミステリで、一気に読み終えた。
 CIAの女性工作員であるレディングは、情に流されて犯したミスにより、ルイジアナの田舎町での隠遁生活を強いられる。穏やかな町で身を隠すつもりが、川にはワニが出没し、町を仕切る老婦人達には生活を乱され、心休まる時はない。やがて、川べりで見つかった人骨をめぐり、殺人事件の謎を追うはめになる。
 美人だが勝ち気な主人公の振る舞いと共に、したたかな老婦人2人とのやりとりが面白く、テンポよくぐいぐい読み進められる。次々と話が展開してゆくスピードは最後まで衰えず、ややてんこ盛りすぎるきらいもあるが、楽しい読書になること間違いなし。これはシリーズ全作を読みたくなる。
2022年 9月 「バーチウッド/ジョン・バンヴィル」 (早川書房・単行本)
図書館の除籍本として置いてあり、翻訳が作家の佐藤亜紀さんだったので何気なく持ち帰った。読んでみたら、これが大傑作! 最近読んだ海外文学ではピカイチの作品だった。
 バーチウッドとは、アイルランドに住む貴族のお屋敷の名前で、そこに住む少年が主人公だ。酒飲みで強権の父親が家をしきり、気弱で夫に従うだけの母親はやがて精神に異常をきたす。かつて一家の主だった祖父母は、身を引きながらも存在感は消していない。
 ある日、父親の妹(少年にとっての叔母)が家を訪れる。なにか兄妹での確執があるようで、横暴にふるまう彼女を父親は疎ましがりつつ放り出さない。少年は叔母の息子と共に日を過ごすが、やがて祖母の身に考えられないほど不幸なできごとが起こり、一族は破滅への道を突き進む。
 こうした没落貴族ものとして前半は読めるが、後半は家を出た少年が奇妙なサーカス一座と共に巡業の旅に出る展開に変わり、津原奏水さんの名短編「五色の舟」(『11』に所収)にも似た奇妙な味わいが楽しめる。そしてラストにはふたたびバーチウッドに戻り、そこで様々な謎が解き明かされるという仕組み。
 固い文章の読みづらさもあり、短めの長編ながら一読では内容がつかみきれなかった。続けて二度目を読み、その重厚な中身を深く味わうことができた。素晴らしい読書体験となった。
小学生の頃、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズやホームズものなど、少年向けミステリを好んで読んでいたのだが、SFにも挑戦してみようかと思い、図書室で借りたのがマーク・トウェインの『アーサー王とあった男』だった。さすがに内容は覚えていないが、ものすごく面白かった記憶がある。中学に入り、やはり図書室でトウェインの 『アーサー王宮廷のヤンキー』という本を借りて読んだら、なんだか知っている話だなあと思い、調べてみたら、同じ原書の別訳だった。正確に言えば、『アーサー王とあった男』は少年向けの抄訳である。完訳のほうは、中学生の自分には内容が濃すぎたか分厚過ぎたかで、読むのを断念してしまった。そのことを40年近く経った今でもずっと覚えていて、いつか完訳版を読破したいと思い続けてきた。今回、ネットで古本を入手し、ようやくその思いを実現することができた。
 アメリカ人の技師がタイムスリップし、アーサー王の支配する時代のイングランドに迷い込む。彼は捕らえられ、処刑されそうになるが、現代人特有の知識と知恵を使って逃れ、以降はアーサー王と共に国の実力者として君臨することになる。奇想天外なアイデアとユーモアにあふれ、そのぶんいささか冗長で退屈な面もあるが、時間をかけてじっくりと読み、楽しむことができた。
2022年 8月 「永遠についての証明/岩井圭也」 (KADOKAWA・文庫)
野性時代フロンティア文学賞受賞作。数学の特別推薦生として大学の数学科に入学した3人の男女、三ツ矢、熊沢、佐那。稀有な才能を発揮して数学の道を突き進む三ツ矢に対し、熊沢は自身の道を見失い模索し、佐那は数学以外の道も探ろうとする。
 数学を題材にし、恋愛や嫉妬もからめた愛憎渦巻く青春群像劇、というのはなかなか新鮮だと思う。ただ、僕は『博士の愛した数式/小川洋子』でも思ったけれど、この小説から数学の美しさ、面白さが今一つ伝わってこないのが不満だった。とくに、三ツ矢の示す証明には飛躍があるが、新任の平賀教授の証明は破綻がない、という対立についてもう少し具体的に示してほしかった。他にも、小説で数式をそこまで書いても仕方がないというのはあろうが、あまりに抽象的な表現ばかりなので、もう少し具体例を示してほしかったところはある。
 その他、ゼミの先輩二人がコメディリリーフ的に物語を深刻になり過ぎないよう導く役割を担うが、彼らが出てくると小説がやや軽薄な印象にもなるから、良し悪しといったところか。
2022年 8月 「夢を食った男たち/阿久悠」 (文藝春秋・文庫)
阿久悠さんの著作を一度読んでみたいと思い、手にしたのが本書。"70年代〜80"年代に放送された伝説のスター発掘番組『スター誕生』の制作裏話が詳細に語られる。1967年生まれの僕はもちろん毎週楽しみに見ていたし、同世代の人の大半もそうだと思う。阿久悠さんが審査員だったのは覚えているが、番組企画から運営までこうも深く関わっていたとは知らなかった。プロが集まって知恵を寄せ合いプロを作っていく、良いプロセスが機能していたことを感じさせてくれる。森昌子、桜田淳子、山口百恵という「花の中三トリオ」をはじめ、岩崎宏美やピンクレディーなど、番組から巣立ったスターたちそれぞれにも紙面を割かれており、こうした歌謡曲にまみれて育った僕にはとても刺激的で興味深く読んだ。
2022年 7月 「小鳥と狼のゲーム/サイモン・パーキン」 (東京創元社・単行本)
歴史の闇に埋もれた事実を追求したノンフィクション。第二次世界大戦時、ドイツのUボート攻撃に手を焼いていたイギリス軍が、ボードゲームを応用して敵艦を叩く方法を開発する。任務には、女性を中心に編成されたチームが当たった。ボードゲームを活用して実際の戦術を決めるというロマン、そして女性がこうして活躍していたのだという事実にしびれる。小説仕立てで書かれているため、読みやすいかわりに冗長な部分も多く、作り物めいてしまうところがやや残念。
2022年 7月 「くるまの娘/宇佐見 りん」 (河出書房新社・単行本)
宇佐見りんはデビュー作から本作まですべて追いかけている。著者には家族という大きくて重いテーマがあるようで、本作もまたしかり。そして、場面の多くが車中で展開されていく自動車小説ともいえる。前二作は一人称語りだったのが、本作では三人称になった。これを著者はインタビューで、〈一人称視点でしか書けない狭さや強さもあると思いますが、今回の小説では家族全員の持つ「自分なりの筋」が読み手に伝わるようにしたかった。それがテーマの根幹にかかわるからです。視点人物から少し距離を取って書くために三人称を採択しました〉と語っている。確かに前二作には、一人称による強烈な語りがあり、そこに惹かれた。本作は描く対象が広がったぶん、その強さが失われた気がするものの、もう一回読んでみるとまた印象が変わるかもしれない。
2022年 7月 「キッチン/吉本ばなな」 (新潮社・文庫)
読書会のため、数十年ぶりに再読。大学生の頃に読んだのは確か、サンプラザ中野さんが雑誌で激賞されていたからだった。内容はほぼ忘れていたものの、感動してしばらく吉本ばななさんの著作を追いかけた覚えがある。
 本書には表題作のほか、「満月−キッチン2」「ムーンライト・シャドウ」という2つの短編が収録される。海燕新人文学賞を受賞したのは表題作単独だが、僕としては「満月−キッチン2」と合わせて一つの作品としたほうが収まりがよい。表題作で提示されたテーマが、この二作目で落とし前がつけられるからだ。テーマとは、「かけがえのないものを失ったとき、人はどう生きるか」というもの。表題作でも二作目でも、大事な人を亡くした主人公は大きな喪失感を抱えている。表面上はさほど出てこないが、主人公は明らかに生きることに戸惑っており、二作目のクライマックスで思い切った行動に出ることにより、これからの浮上をうかがわせる。
 僕がすごいと思ったのは、主人公が一作目で亡くした祖母について、悲しみながらも、一人になった解放感や希望をさらりと表明しているところ。このリアルなバランス感覚、人が亡くなってただ悲しい悲しいと言っているだけの小説ではないところが素晴らしい。
父親の介護に関連して読んだうちでは、もっとも売れた本だろう。それでもベストセラーにありがちな浅い本ではなく、現役医師による、経験と信念に基づいた力強い内容だった。
 病院で手厚い医療を受け、いくつもの器具をつけられて亡くなるより、自宅で自然死するほうが痛みや苦しみがすくないという、これまで何冊か読んだ類書で得た実感を裏打ちしてくれた。とくに肺がんなどの病気の末期は咳や痛みなどの苦痛が激しく、緩和医療に頼ることになるのではと思ってしまうが、そうではないのだと教えてくれる。しかも著者の中村さんは、本書を含め何冊もの著書を残したあと自身も肺がんにかかり、ほとんど治療を受けずに亡くなる直前まで穏やかに過ごしたという。自分の書いた内容を自分で実践する見事な死にざま、生きざまだったと思う。
2022年 6月 「年年歳歳/ファン・ジョンウン」 (河出書房新社・単行本)
韓国の社会と歴史を個人的なドラマの中で描き続けるファン・ジョンウンの最新作。日本デビュー作となった『誰でもない』からずっと追いかけているが、今回もまた極私的な家族の物語の底に、根深い韓国社会の影響がうかがえる。
 朝鮮が日本から解放された翌年の1946年に生まれた女性イン・スンイルは、1950年からの朝鮮戦争に端を発する激動の時代を抑圧に耐えつつ生き抜いた。彼女の二人の娘のうち、長女のハン・ヨンジンは家庭を持ち、母と似たような人生を送るいっぽう、次女のハン・セジンは同性の恋人と共に執筆や演劇に明け暮れている。本書は彼女ら母娘3人それぞれの視点から描かれる連作短編集だ。どの立場にあってもそれぞれの生き辛さがあり、たがいにいがみ合いつつ愛情も共存している。巻末の訳者・斎藤真理子さんによる解説があいかわらず素晴らしく、韓国の歴史を知ったうえで本書を読み直すと見える景色がずっと広く深くなる。
2022年 6月 「イスタンブールで青に溺れる/横道誠」 (文藝春秋・単行本)
発達障碍者である著者が、世界各国を旅して出会ったこと、感じたことをまとめたルポルタージュ。著者は、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)と診断されたほか、発達性協調運動症(DCD)の傾向があり、解離と呼ばれる精神現象もある。僕はまず西洋医学、とくに精神科において、こうした診断名がつくことにあまり意味を感じていない。それは、医者が診断方針と与える薬の種類を決めるための便宜上の決めつけであり、単なる健康保険上の手続きに過ぎないからだが、それは置いておこう。
 僕は本書を、基本的には旅行記としてとらえ、この人が各国で見聞きした風景や人々にどういう感想を抱くのかに興味があった。前半あたりはそうした内容をわくわくしながら読み進めていたのだが、後半においては著者の心象ばかりが先に立ってきて、僕の望む内容とは違ってしまった。これは本書の出来というより、僕の希望と本書の内容とのずれだから仕方がない。
参加した読書会で紹介されて印象に残り、思わず買って読んだ一冊。アフガンからフランスに亡命した著者による、アフガン世界(らしき場所)を舞台にした小説。
 戦場から植物人間状態で帰還した男に、妻が静かに語り続ける。部屋の外はあいかわらず戦闘が続いている。夫にかけるのは優しい愛情の言葉かと思いきや、思わぬ事実と激しい言葉の数々だった。
 アフガン人の小説を初めて読んだ。常に戦闘状態に置かれて暮らすという日本人には想像できない世界で、その設定だけでも充分に興味深い。くわえて、動かない男性に妻が語りかける行為が、石に不幸や苦しみを語るとその石が最後に砕けて苦しみから解放されるという神話になぞらえてあるのも面白い。150ページほどと短く、最後に衝撃の事実が明かされ、構成としても申し分ない。
2022年 5月 「死を生きた人びと/小堀?一郎」 (みすず書房・単行本)
父親の肺がんが発覚し、介護生活を送るようになったせいで、看取りについての本をいくつか読んでいる。訪問診療医の著者による本書は、「こうしたほうがいい」とか「私はこう考える」という思いをただ書き綴るだけでなく、数々の実例を紹介していくことで、読む者がなるべく多角的に事態をとらえ、おのおののやり方を見つけられるよう導いてくれる。訪問診療と往診の違いも知らなかった僕には、大いに参考になった。
 おもに病院診療のひっ迫と医療費を抑える目的で日本はある時から在宅医療へ舵を切ったのだが、まだまだ自宅での安らかな死というものは少ない。ある実例で、二人暮らしだった夫婦の夫が家で死ぬと、妻が一晩を死体と共に過ごさねばならず、それが嫌だから病院で看取りたい、という話が紹介されている。実に様々な理由で、家での看取りが困難になるのだと驚く。
 本書では、一概に家での看取りを勧めるのではなく、病院で死ぬことにも利点はあると説く。そのバランスも素晴らしい。何より大事なことは、各人がそれぞれの状況の中で最善の道を選ぶことだ。
2022年 5月 「ミシンと金魚/永井 みみ」 (集英社・単行本)
ケアマネージャーとして働く著者による、すばる文学賞受賞作。同時期に見た映画『ファーザー』にも通じるテーマで、認知症の人には世界がどう見えるかを、経験に裏打ちされた想像で描く。高齢で認知症を患う〈カケイ〉さんの独特な語り口調が本作の大きな魅力で、さらにはヘルパーの〈みっちゃん〉、〈金魚〉といったキーワードの謎が徐々に解かれていく過程も読書の大きな楽しみとして存分に味わった。惜しむらくは、主治医への反感など、経験者だからこそのどうしても伝えたい主張が物語と関係なく出てくる点と、最後にみんないい人にして話をまとめようとする点。それでも、新人作家のデビュー作としては上々の出来だと思う。
日本におけるカラヴァッジョ研究の第一人者である著者が、カラヴァッジョの一生を丁寧にたどり解説した一冊。稀代の画家がどう生き、どの時点でどの絵を描いたか、その裏事情はどうだったのかを詳細に知ることができる。カラヴァッジョについて知りたければまずこの一冊と思って間違いないだろう。挿入される図版はほぼすべてが白黒だが、印刷状態が良いため、資料として十分に機能している。
2022年 5月 「痛くない死に方/長尾 和宏」 (ブックマン社・単行本)
こちらも、父親の介護の関連で読んだ本。医師である著者は、病院での勤務医として11年を過ごし、管だらけになり苦痛の中で死にゆく患者を1000人ほど見てきた。いっぽう、その後開業医となり、在宅で同じく1000人ほどの患者を看取ってきたが、そのほとんどが痛みや苦痛のない安らかな最期だったという。なぜそうなるのか。つきつめれば理由はただ一つ、病院でおこなう延命治療が苦痛の原因なのだと著者は訴える。
 点滴をするから痰や咳が出る、腹水や胸水は抜いてはいけない、救急車は呼んではいけない、など、臨終に際して重要なことがたくさん書かれていて、とてもためになった。1000円という安さの割に内容のある良書。
1980年代、ホラー好きだった僕はホラー映画専門誌「Vゾーン」を愛読しており、紹介されていたド変態映画『ピンク・フラミンゴ』を見て「うげっ!」となったりしていた。本作はその『ピンク・フラミンゴ』の監督で有名なジョン・ウォーターズがアメリカをヒッチハイクで横断した時の模様を記したものだが、前半は「こんなことが起きたらいいな」「こんなことが起きたらヤだな」という想像を最大限に膨らませたフィクション、後半は「現実はこうでした」というドキュメンタリーという、奇妙な体裁となっている。読みどころは「こんなことが起きたらヤだな」のパートで、さすがの変態エロ趣味が全開しており、起きてほしくないことと言いながら実はそれを楽しんでいる風もあり、最低の出来事がじつは最高の出来事なんじゃないかと思えてくる。真面目に読むと馬鹿を見るので、自分の中の不真面目を前面に出して読むのがよいと思う。
2022年 4月 「喜べ、幸いなる魂よ/佐藤 亜紀」 (KADOKAWA・単行本)
佐藤亜紀さんの小説は、『バルタザールの遍歴』『天使』の2冊を読み、すごい小説だとは思いつつ、その面白さを堪能するには至らなかった。つまり僕には難解だったのだ。それが本作では初めてすんなりと物語世界に溶け込み、楽しむことができた。
 18世紀のフランドル地方が小説の舞台。並外れた知能を持つヤネケとテオの双子姉弟、そこに加わるのが、父親の友人の息子で孤児となったヤン。彼らは少年時代を共に過ごすが、ヤネケは生物学的興味から、ヤンはもちろん性的興味から、人目を忍んで体の関係を結ぶようになる。ずっと関係を続けたいヤンに対し、向上心と勉学心の強いヤネケはそこまで執着がなく、やがて二人は別々の道を歩むことになる。
 ここで登場するのがベギン会という不思議な団体だ。いわば民間運営の修道院とも言える場所で、修道院ほど厳格でないにせよ、キリスト教に仕える身として世間から隔離された場所で清貧の生活を送るところだ。ヤネケはベギン会に入るのだが、そこでも持ち前の能力を存分に発揮し、家業の経営を手伝ったり、独自の論文を発表したりする。
 ある男女の息の長い恋愛と、18世紀フランドルの風俗や男女に関する考え方、徐々に沸き起こる産業革命など、様々な要素が入り乱れつつ、最後は実に人間的で優しいところに着地する。300ページほどの文量に驚くほど豊かな物語を埋め込んだ著者の描きぶりは、鮮やかというほかない。
2022年 3月 「暇と退屈の倫理学/國分 功一郎」 (新潮社・文庫)
暇と退屈についての哲学的考察。といっても、一般の読者が読みやすいようにわかりやすく書かれている。もちろん全てがすっきり理解できるというものではないが、知的好奇心を刺激され、ぐいぐい引っ張られるように読んだ。
 著者がスポーツバーで騒ぐ人を見て、「この人は熱中しているようだけれど少しも楽しそうではない、これはなんだろう」と感じるところから思索が始まる。退屈とは暇とイコールではなく、何かをしている最中でも退屈は同時に存在する、そのあたりの仕組みを解き明かしていくのが本書の大枠だ。そこから僕は、現代人の置かれた状況、特徴的なふるまい、問題点と今後の展望などを読み取った。同時に、書かれていることについての疑問点も湧きあがり、自分なりの解釈や異論、哲学という学問に対する疑問も頭に浮かべながら読んだ。非常に創造的な読書になった。
2022年 3月 「議論のウソ/小笠原喜康」 (講談社・新書)
少年犯罪やゲーム脳、携帯電話の医療への影響、ゆとり教育など、世の中で議論され結論づけられたものがいかに間違いを含んでいるかを論証していくという内容。それぞれのトピックスごとに、「議論のウソ」や「結果の間違い」を指摘していくはずが、そのトピックスの内容の掘り下げに重点が置かれすぎ、そのトピックスそのものの議論になっている。つまらないわけではないが、そもそものテーマからずれている気がする。もう少し要点を絞ってほしかった。
2022年 3月 「最初の悪い男/ミランダ・ジュライ」 (新潮社・単行本)
ミランダ・ジュライ初読。43歳独身女性のシェリルと20歳のクリーが、ふとしたきっかけで同居生活を始める。シェリルは長い一人暮らしの中でいかに効率的に部屋を整えるか、自分なりの“システム”を確立している。極限まで皿の数を減らし、食事は鍋から食べ、美味しい料理ができた鍋は洗わずに次の料理を作る。本は本棚の前で立って読み、もっといいのは読まないこと。全てが行き過ぎで他人から見れば奇異に映るが、彼女の中では完成している。いっぽうのクリーは度を越した汚ギャルで、家の中ではずっとカウチに陣取ってテレビを見ながら携帯をいじり、風呂にはあまり入らず足がとにかく臭い。それぞれ違う意味でイカれた女二人がうまくやっていけるはずもなく、当然のごとく反目し合い、やがていさかいは度を越して激しくなっていく。
 どこへ持っていかれるのかわからないストーリーは、人間の複雑さ、どうにもならなさを体現している。奇天烈な人間を配した奇天烈な物語なのに、そこにはリアルな人間が描かれ、だからこそおかしみや愛おしさが湧きあがる。奇跡のように愛おしい小説。二回くらい泣きそうになった。
2022年 3月 「チェレンコフの眠り/一條次郎」 (新潮社・単行本)
動物が描かれた装丁が印象的な、一條次郎さんの最新作。マフィアに飼われるヒョウアザラシのヒョー、という主人公の設定で充分におかしいが、警官との銃撃戦のすえ一人取り残され、町を歩けば奇っ怪な人々に出会い、動物や幽霊とも会話をし、コインランドリーの洗濯機から地下迷宮に迷い込み、体がどんどん膨れて地球より大きくなる、などなど破天荒な展開が続く。自由な発想のもと、制限なしで好きなように小説を書いている感じで、太いストーリーがあるわけではない。それでもヒョーを中心とした登場人物たちの魅力と、散りばめられた風刺に、ほかほかした気持ちで読み進められる。
2022年 3月 「ヒカリ文集/松浦理英子」 (講談社・単行本)
誰に対しても笑顔で接し、時には深い関係を結びながらすぐに別れを切り出すヒカリ。ヒカリの行為には軽々しさや非情さ、悲しみも感じられるが、同時にその眼差しやいたわりや愛撫は暴力的なまでの癒しを与えてくれる。ヒカリとは誰だったのか、そして何だったのか。かつて彼女と同じ劇団に属していたメンバーが、昔日の思い出を文章にして持ち寄る。
 独自の小説形式とともに、ヒカリという女性について、読み終わった後もずっと考え続けている。断片的に似ているキャラクターを浮かべると、たとえば『紙の月/角田光代』の主人公・梨花。幼い頃から彼女は恵まれない子供に多額の寄付をするなど、人に何かを与える行為を続けている。自己肯定感の極端に低い彼女は、誰かに何を与えることでようやく自分の存在価値を確認する。だから常に与え続けることをやめられない。「与えることの罪」、あるいは「与え続けなければいられないという悲劇」を内包する梨花は、ヒカリと少し似ている。
 『猫と庄造と二人のおんな/谷崎潤一郎』における猫も頭に浮かぶ。主人公の庄造は妻と前妻の二人に翻弄されるのだが、飼い猫のリリーは“かわいい”という最強の武器のもと、神のような立場にいる。誰もリリーには逆らえず、リリーと一緒にいることを望み、そのために彼らの間でいさかいが起こる。この点でリリーとヒカリにも共通点を感じる。
 読了後、本書を課題図書にしたオンライン読書会に参加したのだが、著者の松浦理英子さんも参加され、非常に濃い内容の会となった。
2022年 2月 「十二神将変/塚本 邦雄」 (河出書房新社・文庫)
江戸川乱歩や京極夏彦を思わせる、昭和初期の古めかしい感じにまず惹かれるが、なにしろ難しい漢字の多発する高度な文体に、魅力を感じながらも読みづらさは否めず、苦労しながら読み終えた。ミステリとしての構成や伏線回収などには大きな期待は持たないほうがいいだろうが、とにかく文章に酔いしれるのが本作を楽しむ一番の方法だろう。本作は、二度、三度と読み直すことで価値を再確認できると思う。
2022年 2月 「飢渇の人/エドワード・ケアリー」 (東京創元社・単行本)
独創の極致のような長編小説で有名なエドワード・ケアリーによる、初の短編集。訳者の古屋美登里さんが著者の熱烈なファンで、その熱意におされるように日本オリジナル版として出版された。
 モノや生き物に執着の強い著者の特色が発揮された「吹溜り」「バートン夫人」「毛物」も良いが、ある程度の分量があり物語性を存分に楽しめる中編のほうが好みだった。「かつて、ぼくたちの町で」は、巨大な船を建造する過程で繰り広げられる人間ドラマが面白く、キジ・ジョンスンの『霧に橋を架ける』を思い出した。79ページに描かれる船の絵の片隅に、点で表現された語り手の〈ぼく〉がいるのには笑った。
 「私の仕事の邪魔をする隣人たちへ」は、著者のキャラクター造形の巧みさ、館への執着、皮肉な語り口などが味わえる傑作。そして表題作「飢渇の人」は、あの長編『おちび』に出てきたタンプル大通りで繰り広げられる奇譚。巨体の主人公ポールと彼が見世物小屋で出会った犀(サイ)との不思議な交流を描き、読者の心に優しさと哀しみを同時にもたらしてくれる、こちらも傑作。
2022年 2月 「歩道橋の魔術師/呉 明益」 (河出書房新社・文庫)
呉明益を一躍有名にした連作短編集。僕は台湾には行ったことがないのだが、この本を読むと、かつて存在し、栄えながら滅びてしまった中華商場という場所に不思議な懐かしさを覚えてしまう。そうした郷愁の象徴として存在する魔術師を配置した時点で、本作の成功は約束されたようなものだ。韓国の小説を読んでも思うが、異国ながら似ている文化(食事や生活必需品など)があればまったく違う部分もあり、そこに独特の感慨が湧く。巧みな物語性は言わずもがなで、読み応えのある作品集に仕上がっている。
2022年 2月 「ディディの傘/ファン・ジョンウン」 (亜紀書房・単行本)
これで読むのは4回目くらいになるが、優れた情景描写と人物描写、短い言葉で本質をつくところなど、読むたびに凄みが増し、まだまだ読み込めていないと感じてしまう。韓国全体の〈大きな状況〉と登場人物それぞれの〈小さな状況〉がうまく重なりあい、個人の苦悩が社会の苦難とつながっていることがよく理解できる。また、収録された二編とも、毛色の変わった恋愛小説としても読める。
 今回読んで一番の発見は、「何も言う必要がない」におけるキム・ソリの重要性だ。熟慮と苦悩の主人公に対し、俗物的な一般人として描かれるキム・ソリだが、その言動には一抹の真実が隠されている。それが本作のバランスを保っていて、こういう人物をさりげなく置くところにも著者の非凡さがかいまみえる。

前回読んだ時の感想はこちら
2022年 1月 「約束/イジー・クラトフヴィル」 (河出書房新社・単行本)
第二次大戦後のチェコの都市、ブルノが舞台。戦時中、ナチスドイツの要請で建物を設計した建築家モドラーチェクは、ナチス排斥を進める秘密警察にマークされ、反体制活動の嫌疑をかけられた妹の情報を渡すよう迫られる。その後、ブルノの町に張り巡らされた地下道で、モドラーチェクをはじめ様々な人物が奇妙で残酷な物語を繰り広げる。
 チェコ文学といえばミラン・クンデラくらいしか読んだことがなかったが、本作はかなり変てこで魅力的な小説だった。語り手がどんどん変わっていき、耳馴染みのない名前の人物が登場するせいもあって、最初は読むのに手こずった。ミステリ要素がたっぷりで、私立探偵も登場するが、通常のミステリ的展開から後半は大きくずれていく。ユーモアの感覚も独特だ。あまり読んだことのないタイプの小説で、とにかく新鮮だった。まだしっかり腑に落ちていないので、いつか再読してみたい。
「利他」をキーワードに、様々な分野の書き手が自由に文章を寄せあってできた一冊。僕としては、前に読んだ『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の伊藤亜紗さんの章が一番よかった。というか、僕の望む内容に近かった。
 利他、すなわち他の人のために何をするか、ということは日常的に直面する問題で、しかも思うよりずっと厄介だ。そのあたりを実例に沿って解説してくれるのが伊藤さんの章だったが、その他の方々の章はやや学問的で個人趣味に走ったきらいがあり、すくなくとも僕の望む内容とは少し離れていた。伊藤さんはまとめ役の立場でもあり、あえてかっちりしたテーマやゴールを決めずにこのプロジェクトを進めているようだ。本書はその意味でまだ途中段階ともいえるし、この一冊でなにかが達成されたわけではない。
前作『あの日、君は何をした』から続くシリーズものと知らずに読んだが、十分に楽しめた。最近、ミステリはあまり読んでおらず、この事件の容疑者があっちの事件の現場証拠を残した人で云々、という複雑な展開にやや戸惑ったものの、作品全体にしみわたる人間肯定の視線が温かく、殺人事件ではあるものの最後は清々しい気持ちになる。タイトルの意味がわかった時には、ちょっと泣きそうになった。切れ者とウッカリ者二人の刑事のバディ感も心地よい。
2022年 1月 「私の脳で起こったこと/樋口直美」 (筑摩書房・文庫)
若年性レビー小体型認知症にかかった著者による、日々の記録。この病気にかかった人がどういう経緯をたどり、そこでどう感じるのかが生々しく描かれている。新たな症状が出て不安に陥り、それがなくなって希望が見えたかと思えばまたぶり返し、絶望においやられる、そんな繰り返しの日々は本当に辛い。こうした病気は、高齢者や特定の人だけの話ではないから、わが身に置き換えて読んだ。
 ただ一つ、僕は西洋医学をまったく信じていないため、こうした症状が病院での治療、とくに向精神薬の服用によってもたらされた可能性が高いと思っている。だからこの人がやるべきことは、医学から離れること。西洋医学以外に体を治す方法は存在する。