■ 2011年に読んだ本
  
第22回小説すばる新人賞受賞作。タイトルからして、いわゆる若者文体で描かれる青春小説というイメージを持ってしまい、とくに中高年の方なら敬遠してしまうことも多いと思います。僕もそうでした。最初の4ページほどを読んで投げ出したくなりました。しかし、読み終えてみて、僕はけっこう気に入りました。若者文体の青春小説、というのはまさにその通りだったわけで、そこに読みづらさ、あるいは嫌悪感を感じないではありませんでしたが、この人の文章は素敵です。そこらのケータイ小説と同じだろうと思ってらっしゃる方がいたら、是非読んでみてください。素晴らしい表現、文章がこの小説には詰まっています。そして、そうした文章が、今を生きる若者のリアルさを現出していきます。
 ただ、僕の評価は5点中の3.5点です。70点の出来だということです。作品全体で文章の良さが統一されておらず、陳腐な感じになるところもあります。ストーリーはほとんど無いに等しいのに、実果のパートだけとってつけたような大仰なドラマ仕立てになっているのが、ここがクライマックスなのかもしれませんが、かなり浮いて見えてしまいます。だから70点です。でも、0点だと決めつけている人にはお勧めです。
2011年10月 「となり町戦争/三崎亜記」 (集英社・文庫)
第17回小説すばる新人賞受賞作。書評家豊崎由美さんなどの紹介により、奇妙な味わいの作品を書くというイメージが強い作家さんですが、これがデビュー作です。
 とある平凡な町の広報誌にとつぜん、となり町との開戦を告げる記事が載る。主人公の“僕”は、戦争のゆくえに見守るのだが、いっこうに戦争の気配が伝わって来ず、淡々とした日常が続くばかり。それまで抱いていた戦争のイメージと、今の町の現状との落差に戸惑うばかりだった“僕”は、とある任務を引き受けさせられることになる。
 確かに奇妙な作品ではあります。まあ言ってしまえばこれはSFです。戦争に至る経緯、開戦後の状況などは、リアリズムで考えれば矛盾だらけですが、そこは「そういう世界だから」で済ませるしかありません。それではこの小説から何をくみとるのか。作者は何が言いたいのか。設定の不明瞭さに対し、著者の主張はわりあいとあからさまに主人公の口を通して述べられます。つまり、戦争というものがいかに無秩序で非合理なものなのか、実際の戦争がいかに他愛もなく一般人を巻き添えにしていくのか、ということです。文章は読みやすく、次へ次へと読ませる力はあるものの、主張があまりに説明的に前に出すぎるのが小説的に大きな欠点となっています。一人称で悪い面があからさまに出てしまっています。設定の面白み、ワンアイデアだけで尻すぼみになってしまいました。とくに、文庫版に書き下ろされた別章はまったく頂けません。
2011年10月 「心臓を貫かれて/マイケル・ギルモア」 (文藝春秋・単行本)
10年ぶりくらいに再読しました。(1999年3月の感想はこちら。)大筋は覚えていましたが、二度目の通読においてさえ、衝撃度は計り知れないものがありました。まさに僕の心臓に突き刺さるような、強くて重い作品です。ノンフィンクションでこれほど心揺さぶられる作品はありません。

 著者の兄、ゲイリー・ギルモアは、1976年に二人のモルモン教徒を殺し、死刑となりました。彼は当時、全米でもっとも有名な受刑者でした。理由は、自ら志願して銃殺刑に処せられたからです。本書は、弟マイケルから見たゲイリーについて、彼がなぜ殺人を犯すに至ったのかを、彼らの家族やその祖先にまで遡ることによって解き明かそうとします。
 もちろん、単純な解答など望むべくもありません。同じ境遇にあったマイケルや、長兄のフランクは人を殺さないばかりか、ゲイリーのように人生の大半を刑務所で過ごすような生き方とは全く異なる人生を歩んだわけですから。
 それでも、この家族の物語には、壮絶なドラマが隠されています。著者による原文、そして、村上春樹氏による訳文が共に素晴らしく、うーむと唸らされるような表現が数多く出てきます。短いエピソードをいくつも書き連ねることによって、この壮大なドキュメンタリーは読む者を見事に鋭く“貫いて”いきます。本書は、僕の人生における大切な数冊の一つになりました。

 ちなみに、同じくゲイリー・ギルモアについて書かれた「死刑執行人の歌/ノーマン・メイラー」(2003年12月の感想はこちら)という作品があります。こちらは、第三者のジャーナリストによるインタビューを元に描かれたもので、資料的な意味合いが強くなっています。
2011年10月 「在日/姜尚中」 (講談社・文庫)
歴史に疎い僕は、朝鮮半島についての知識はほぼゼロに等しいほどでした。在日朝鮮人の方々についても、別に差別をするつもりはないけれど、とくに深く考えることもありませんでした。
 本書は、著者自身の人生を生い立ちからたどると共に、朝鮮に関する歴史がとてもわかりやすく紹介されています。まさに書名にあるとおり、在日の方々に関する本を読んでみたいと思って手にしたわけですが、最初に読む本としては適切な内容だったと思います。
 在日朝鮮人への差別というのは現代においても根強く残っていると感じます。それじゃあ韓国へ戻ればいいのかというとそうでもない。在日朝鮮人は、「本国」においてさえやっかい者扱いをされているということを、本書で初めて知りました。そのあたりの歴史的経緯についても、本書ではていねいにわかりやすく描かれています。章ごとに簡単な用語解説が載せてあるのも、あとで振り返るにはちょうどいい構成だと思います。

 ただ、上記のごとく極めて有用な書物だと実感すると共に、正直、僕の中でこの本の評価は、読み進めるごとにコロコロと変わっていきました。最初のうちは、在日であることの苦しみとはそこまで人をさいなむものなのか、と深く考えさせられたのですが、さらに先へ行くと、なんだか不幸自慢をしているけれど、けっきょくこの人の人生ってそんなに悲惨でもないじゃん、という気持ちにもなってきたのです。

 本書を読む限り、著者の人生は常に苦しみと隣り合わせだったようです。この苦悩というのは、普通に日本人として生きている我々にはなかなか理解しえないものです。それでも、酷な言い方になるかもしれませんが、著者を含め、在日の方々の発言を聞いていると、在日であるがゆえにこれだけ苦しい、普通の日本人でありさえすれば苦しみから解放される、という論理が見えてきます。でも、在日以外の人達だって、様々な苦しみを抱えて生きているのです。部落差別、男女差別、病気、身体障害、貧困、家庭環境など、不幸の種はいくらでもあります。いっぽう著者の人生を客観的に眺めてみると、大学に入学し、ドイツに留学もし、たくさんの大事な人と出会い、幸福な結婚をして子供をもうけ、大学に職を得、メディアに登場して著名になり、つまりは富も地位も、ある程度の名誉も、人並みの幸せも手にしている訳です。
 著者の苦悩というのはただ一点、「この先どうなるかわからない」ということだけです。これも先に書いた通り、誰にでもある苦悩でしかありません。もし著者が、「純粋な日本人でありさえすれば苦しみから救われる」と思うのであれば、実際、日本人になってみたところで、別の種類の苦しみがそこに待っているだけでしょう。

 以前、NHKの「真剣10代しゃべり場」という番組でも、在日朝鮮人の少年が出演し、この苦しみをみんなにわかってほしい、と訴えていました。でも例えば彼に、身体障害者の苦しみがどれだけわかるでしょう。難病を抱えている人、家庭内暴力に苦しんでいる人、深刻なセクハラを受けている人、貧困にあえいでいる人、それらの苦しみがどれほどわかり、また、それらの苦しみを抱えた人にどれだけの施しができるというのでしょう。他の人から見た「在日であることの苦しみ」は、こうして並べた様々な苦しみの一つに過ぎないのだということを自覚しない限り、生きる本質は見えてこないと思います。
ホームズ物の短編集が日本で翻訳&出版される際、一つの短編集に収録される作品数が多すぎるとされ、いくつかが未収録となりました。イギリスオリジナル版の5作(「シャーロック・ホームズの冒険」「〃の帰還」「〃の思い出」「〃の事件簿」「〃最後の挨拶」)にくわえ、日本の新潮文庫版にはそれら未収録作品を網羅した、番外編ともいうべき本作があります。未収録だったとはいえ、作品の出来によってふるい落とされたわけではないようで、むしろ珠玉の作品がそろった名短編集となっており、「〃帰還」「〃事件簿」あたりよりも出来はいいのじゃないかと思います。派手なエンディングが楽しい「ノーウッドの建築士」をはじめ、魅惑の謎と冒険に満ちた作品が並んでいます。
タイトルからわかるとおり、ビジネス利用に特化してツイッターを語った一冊。文量とともに、質をともなった素晴らしい内容でした。ツイッターの操作方法やツールの紹介は他書にまかせ、ここではツイッターを何のために、どう使うのか、また、そもそもツイッターとはいかなるツールなのかが歴史とともに順を追って紹介されます。ビジネスにおけるツイッター活用を考えていらっしゃる方には、前に紹介した「小さなお店のツイッター繁盛論/中村仁」と共にお勧めできる本です。
2011年 8月 「私の男/桜庭一樹」 (文藝春秋・文庫)
ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、女性の作家さんです。話題作を次々と発表し、今ノッている若手作家の一人でしょう。本作は栄えある直木賞受賞作であり、著者の代表作に推す批評家も多いようです。前から気になっていた作家さんで、これが初読となりました。ただ、期待が大きかったせいもありましたが、僕にはほとんど響くところはありませんでした。
 禁断の愛を描く、とは本作を評する上で最も一般的な表現です。これは冒頭すぐに明かされることなので伏せ字にはしませんが、主人公の女性・花(はな)は養父・淳悟と肉体関係を結んでいます。インモラルな内容が物議を醸したとされていますが、僕にはさほどの内容とは思えませんでした。文章もなんだかつたなくて、どこかで読んだような表現ばかりが続きます。物語は花の結婚式から幼少時代へと章ごとに遡っていく構成になっており、それが面白いとは言えますが、だんだん明らかになっていく秘密も想像の範疇をまったく越えてくれませんでした。
2011年 7月 「ダック・コール/稲見一良」 (早川書房・文庫)
「ダック・コール」とは鳴き声に似せた音で鴨を呼び寄せる笛のことです。そして表紙にも鴨の絵が描かれているとおり、本作は、野鳥を題材にした短編集です。二十年ほど前の作品ですが、鳥好きの僕としてはずっと気になっていました。
 ハードボイルド的な作品もあればほのぼのファンタジーや老人と少年との冒険ものもあり、内容は多岐に渡っています。文体は硬質で味わいのある表現が多いですね。ただ、描写を説明しすぎるきらいがあって、ちょっと興味を削がれるところがあり、それが残念でした。
2011年 7月 「140文字でわかるツイッター入門/篠田ヒロシ」 (毎日コミュニケーションズ・単行本)
ツイッターにはほとんど興味はなく自分で使うつもりも全くなかったのですが、仕事で使うために一から勉強を始めました。amazonでの人気ランキング上位のものを中心に、図書館で10冊ほどをまとめて借りました。
 本書は、入門と銘打っただけあって、ツイッターとは何ぞやというところから、初期登録の方法、基本的な使い方などがわかりやすくまとめられています。ただ、そうした機能を使って果たして何をするのか、どう楽しむのかといったところは書かれていません。また、2010年10月にツイッターに仕様変更があったのですが、本書はそれ以前に書かれたものであるため、当然古い仕様のままとなっています。それでも、ツイッターの全くの初心者にはお勧めできる内容です。
こちらもツイッター初心者向けの本です。A4より一回り大きいサイズのムックで、大きな絵と文字を使い、わかりやすく書かれています。全くの初歩から始まり、ツイッターをどう楽しむのかという部分にまで踏み込んでいます。わかりづらい専門用語をなるべく使わない点にも好感が持てます。2010年10月の仕様変更にも対応済みです。お勧めサイトやクライアントソフトなども豊富です。これ一冊ですぐに始められる実用書としてお勧めです。
B5版ムックで、こちらも大きな画像を存分に使ってわかりやすく書かれています。ただ、後半3分の1ほどがiPhone・iPad・Androidについての説明なので、それらを持っていない人(僕など)にはまったく意味がありません。
2011年 7月 「夢をかなえるツイッター/内藤みか」 (技術評論社・単行本)
こちらも、まったくの初心者向けというよりはある程度具体的な活用方法が紹介された実用書です。タイトルがとてもいいですね。作家である著者がいかにしてツイッターに深くはまっていったかが順を追って紹介されます。IT技術者とは違った側面から、“柔らかく”ツイッターについて書かれた文章はとても読みやすく、優しい気持ちになります。とはいえ実用的にも有用な本ですよ。
2011年 7月 「小さなお店のツイッター繁盛論/中村仁」 (日本実出版社・単行本)
これまで読んだツイッター関連書で、もっとも読み応えがありました。ツイッターをやっている人なら知らない人はいない、「豚組しゃぶ庵」というお店を経営する中村氏による、実に理論的かつ実用性に富んだ内容です。
 お店や会社を経営する者がいかにツイッターと取り組むかということを真正面から描いています。公式アカウントと勝手口アカウントを持つべきだということ、フォロワー数をいたずらに増やすことはない、量より質が重要だということ、割引だけでは集客は続かないことなど、次々に重要な点が指摘され、それをわかりやすい形での実践方法と共に紹介されていきます。
 自分で苦労してつかみ取ったものをここまでさらけ出してしまっていいの、というくらい細かく書かれています。著者いわく、情報は率先して発信していくことで、また自分に返ってくるのだということでした。
 最も感心し、かつ共感したのは、「ネットやツイッターだからといって特別なことはない。実生活と同じように考えればいいのだ」という考え方です。僕も、とかくネット関係者達がネチケットなどネット特有のルールを力説するのに違和感を持っていたので、快哉を叫びたい気持ちになりました。
本書は、ツイッターについて一通りの知識を得た人のために、実際に仕事にどう生かすのかを紹介したものです。著者がツイッターを有効活用している様々な有名人にインタビューをおこない、それらを通じてツイッターをうまく使いこなし、仕事に役立てるためのコツを伝授してくれます。いわば、ツイッター有効活用のための入門書といった位置づけでお勧めできる本です。
ベストセラー「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」で有名な著者ですが、なんとなくこちらのタイトルのほうに目を引かれて手にしました。この著者は人の目を引くことが本当にうまいですね。本のタイトルを筆頭に、話の提示の仕方から流れにいたるまで、人が「え? それってどういうこと?」という疑問・好奇心を抱き、いわばミステリー小説と同じような興味の持続をもって読み進めることができるつくりになっています。
 いかに数字を読み解き、うまく使うか。会計に関する問題はなにも専門家だけのものではなく、日常生活にいくらでも転がっています。そこでいかにちゃんと頭を使って対処するかが、あくまでもわかりやすく面白く描かれています。
2011年 6月 「何もそこまで/ナンシー関」 (角川書店・文庫)
この著者の名前はいろんなところで目にし耳にしてきましたが、ちゃんと著書を読むのはこれが初めてです。様々な人が、偉人っぽいニュアンスで著者のことを紹介されていますが、僕はちょっとそれには首を傾げます。何度も書いた気がしますが、何かを「指摘」するのはとても簡単なことだと思うのです。著者の場合は主にテレビに出てくる芸能人、タレント、俳優などをターゲットに、お茶の間視線で“多少鋭いつっこみを”、“多少うまい文章で”、入れる。僕にはそれ以上のものは感じられませんでした。書かれている内容にさほど深い思考や論理は見あたりません。本書から何かが生まれたり、誰かの人生を変えたりすることは考えられません。
 まあ一編ずつがごく短いため、軽く読むには最適でしょう。
2011年 6月 「されど われらが日々――/柴田翔」 (文藝春秋・文庫)
学生運動華やかなりし頃の若者たちの葛藤というのは、僕のとても好きな題材です。いつの時代の若者も苦悩しているとは思いますが、やはりこうした時代の、命をかけてまでの情熱というものには心を動かされるものです。文夫と節子の微妙な関係における生への渇望、生きがいのある人生を送らないことが何よりの罪悪という激しい考え方は、今の世において理解しづらいものになっているのではないでしょうか。回想と手紙が連続してちょっとワンパターンになる部分はあり、小説構造としてすこし乱雑な印象は受けるものの、僕の胸にはとても強く響く作品でした。遠藤周作氏の小説にも通じるものがあります。
 本書には、表題作のほか、「ロクタル管の話」という掌編が収録されています。ロクタル管という真空管に魅せられた男の話ですが、非常にマニアックな題材をとりながら、実に見事な作品になっています。これこそ正に「小説」、というべき作品です。読む楽しみをじっくりと味わうことができます。
2011年 5月 「生きがいの創造/飯田史彦」 (PHP・文庫)
この本のタイトル、それから著者が経済学者であることから本書を手に取った方は、その内容に驚かれると思います。本書は、死後の生命や生まれ変わりという現象を科学的に考証しようというものです。“科学的に”というのはつまり、膨大な体験談とそれらの検証内容を列挙することで、死後にも意識は存続すること、死んだのちに別の人間として生まれ変わることは実際にあるのだという結論を導き出すことを意味します。
 体験談には、怪我や病気で生死の境をさまよった人が見た光景、それから、退行催眠(過去にさかのぼる催眠を受けて生まれる前の記憶を蘇らせること)によって語られるものとがあります。もちろん完璧な証明などはもとよりできませんし、否定しようと思えばいくらでもできます。実際に本書ではそれほど列挙されているわけでもなく、別の科学者の著書からの抜粋も多く含まれています。詳しい内容については参考文献を参照ください、ということです。さらに、一つ一つの事例についての検証も完全ではありません。ただ、研究者が怪しげな宗教人などではなく、れっきとした大学教授や医療従事者であること、体験談が膨大な数にのぼることなどから、読んだ人がそれらの信憑性を判断すればよいものと思います。

 本書における最大の功績、そして他の類書と決定的に異なっている点は、死後の世界を信じる立場と信じない立場を比べ、信じる立場にいるほうが圧倒的に“得”であること、死後の世界を信じることで、今の“生”をよりよく謳歌できることを解き明かしたことです。
 僕が影響を受けたサイモントン療法においても同様の考え方があり、さらに理解を深めてくれる本です。ですので、大病に苦しんでいる方、身近な人の看病で苦しんでいる方、身近な人を亡くして苦しんでいる方などには是非いちど読んでみてもらいたいと思います。
2011年 4月 「美女と野球/リリー・フランキー」 (河出書房新社・文庫)
本格的な読書の合間に軽く読めるものを、と思って手に取りました。サブカル界ではもう重鎮のような存在のリリーさんですが、まとまった文章を読むのはこれが初めてでした。雑誌に連載された一篇4〜5ページのエッセイをまとめたものなので、目的どおり軽く楽しめました。やくざな生き方をしているおかげでネタは尽きないのでしょうね。エログロナンセンスな人生を切り取っていけば読み物になるという調子で、なんのためにもならないお話が続きます。確かに面白いといえば面白いですが、積極的に読もうという本ではないですかね。こういうのを積極的に否定するつもりはありませんが、あまりに持ち上げ過ぎるのもどうかという気がします。
2011年 4月 「夜は短し歩けよ乙女/森見登美彦」 (講談社・文庫)
ずっと読んでみたいと思っていた作品をようやく手に取ることができました。軽いノリでいて決してライトノベルや凡百のミステリーなどとは異なる、文学的価値のある文体にひきこまれました。そして主役の二人、もてない男子大学生と不思議ちゃんの彼女。彼らのなんと愛おしくもかわいいことよ。小説はこの二人が細かに語り部を交代しながら進んでいきます。同じ事件に遭遇している最中のお互いの気持ちのずれがなんともおかしいです。ただ、ジャンルとしては、青春小説というよりもファンタジーと思って読んだほうがいい気がします。マジックリアリズム、と難しい表現で紹介されることもあり、この不思議世界に拒否反応を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は楽しめました。
 ひとつ付け加えるなら、前半の衝撃にくらべ、後半に進むにつれて展開が単調になり、意外性という面では弱くなります。ラストもあまりにも当たり前すぎて、そこが不満なところではあります。
2011年 3月 「きれぎれ/町田康」 (文藝春秋・文庫)
前回、「くっすん大黒」を読んだときには気に入ったのですが、読むのはこれで二作目になる町田康作品、今回はあまり楽しめませんでした。芥川賞受賞作を含む二作の中篇が収められています。前作と同じく、一人称の自由な口語体で語られる文体です。舞城王太郎風味が加味されたというか、現実と幻想がぐちゃぐちゃになっていて、これは読む側のパワーを強いられます。今回は僕のほうが追いつかなかったというべきでしょう。でもちょっと本音を言うと、これを読んで、「ああ面白かったなあ、読書って本当にいいものだなあ」と思える人がいるのか、疑問なところもあります。
「’95新潮文庫の100冊」を全部読もうキャンペーン97冊目。あともうひとふんばり。

 いやあ、読み始めは辛かった。なにせ言い回しが「お姉さま、〜でしてよ」「まあどういたしましょう」なんて感じの清きブンガク少女が読むような文体と内容で、なかなか楽しんで読むには至らず。それでもがんばって読み進めるうちに、ようやく面白みがわかってきました。文学的価値も高く、昨今のライトノベルなどとはまったく違うものです。

 文学的価値の一端は、三人称多視点による文体です。つまり、「私は〜」ではなく、「メグが〜」「マーチ夫人が〜」という風に三人称としての記述になっており、かつ、いろんな登場人物の心情に入り込んで描くという、多視点記述が素晴らしい。これは日本の小説ではあまり見られません。三人称で書かれていたとしても、誰か一人の心情のみが記述され、他の人物はその人から見た様子として描かれます。章ごとに視点人物が変わるというのは結構ありますが、その場合でも、同時に何人かの心の中まで描かれることはありません。すなわち、多視点というのは安易にやると無茶苦茶な内容になってしまうのです。それが本作ではまった破綻がみられず、実にスムーズに各人物が描かれ、性格づけがされていきます。
 もっとも、四姉妹のうち、次女のジョーが中心人物だとは言えましょう。おもに彼女の行動を中心に話が進んでいきます。読み始めは名前が覚えられるかなあと危惧していましたが、大丈夫でした。読み終えた今では、メグ、ジョー、ベス、エミイの姿がありありと浮かんできます。なんだかとても気に入ってしまいました。

 43歳、男性の僕でも十分に楽しめる一冊でしたよ。
有名な「キリマンジャロの雪」を読みたくて手に取りました。本書にはその他、「勝者に報酬はない」と題された一連の短篇が14作、その他の短篇が2作、収められています。「キリマンジャロの雪」は巻末に掲載されており、まずはこちらから読みました。もっと起伏したストーリーや心情描写などがあるかと思いきや、キリマンジャロの麓で病に倒れた男と妻の会話、それから男の回想が淡々と書かれているだけで、想像していた作品世界とは違っていました。
 その後は最初に戻り、「勝者に〜」から読み始めたのですが、一作が10ページほどと極端に短く、ワンシーンが断片的に描かれて唐突に終わる作品ばかりで、戸惑ってしまいました。どう楽しんでよいのかがわかりませんでした。後半になると、「ワイオミングのワイン」「ギャンブラーと尼僧とラジオ」など、もう少し文量のある作品が出てきて、このあたりから面白く読めるようになりました。「世界の首都」「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」も、心に響くいい作品でした。そして最後に「キリマンジャロの雪」をもう一度読みました。今度はもっとしっかり、腑に落ちるような読み方ができました。ラストの美しさはたまりませんね。

 ヘミングウェイの手法は、「氷山理論」と呼ばれています。書きたいことのうち8分の1を文章化し、残りの8分の7は書かずにおいて読者にゆだねる、というものです。ちょうど氷山の水面から出ている部分が全体の8分の1であることから来ているようです。だから、普通のわかりやすい小説を読むのに慣れていると、面食らうかもしれません。僕もそうでした。簡単に読み飛ばすようなことができず、書かれた文章の裏に秘められた7倍の量の真意をくみ取らなければ、読書をしたことにならないのです。
 とはいえ、あまり肩肘張って読んだり、読むのをやめてしまっても仕方がありません。この短編集を最初から最後まで読み通せば、心の中に何かが残るはずです。そしてその頃には、ヘミングウェイに大きな興味が湧いてきているはずです。
2011年 2月 「イニシエーション・ラブ/乾くるみ」 (文藝春秋・文庫)
「ラストに大きな衝撃が待っている!」「最後から二行目で、まったく違う小説になる!」など、ネットの書評でも激賞がめだつ作品です。以前に読んだ「葉桜の季節に君を想うということ」の関連として語られることが多く、その手の作品はもういいかなと思ったのですが、なんとなく気になって読んでしまいました。
 僕は、作者の仕掛けた罠にしっかりはまってしまい、謎を事前に解くことはできませんでした。確かに最後から二行目を読むと、これまで読んできた部分がまったく違った意味を持つことにはなります。でも、ただそれだけです。この小説には、僕の考える読書の喜びはあまり含まれていませんでした。なにしろ最初から陳腐な言い回しのつづく、魅力のない文章のオンパレードです。最初はそれが何か意味を持っているのだろうかと勘ぐっていましたが、まったくそんなことはありませんでした。

 思うに、こうした大きな仕掛けは、その仕掛けがなくても十分に小説として楽しめる作品について、おまけとして付加することで真価が発揮されるのではないでしょうか。「葉桜の〜」については、まだその要素があったので楽しむことはできました。本作は、仕掛けをのぞけば、小学生が書いたレベルの青春小説に過ぎません。
 確かにこういうのを面白いと思う人がいるのはわからなくもないけれど、あまり持ち上げすぎないでほしいなあと切に願います。

 ところで著者は男性で、むかし「錦通信」という読書サイトを運営されていた市川尚吾氏だと知った時には驚きました。「錦通信」はけっこう好きで読んでいたのですが、ある時急に閉鎖になりました。当時は別名義で小説を書いていることを明かしておらず、それがどこかでばれたせいでサイトを閉鎖したということでした。
2011年 1月 「野火/大岡昇平」 (新潮社・文庫)
著者の作品でもっとも有名なのは、映画化もされた「事件」だと思いますが、元は戦争文学から出発した作家です。本作は176ページという短い作品であるにもかかわらず、読むのには時間を要しました。内容がみっしりと詰まっています。フィリピン戦線において病気のため兵員失格の烙印を押され、それがそのまま人間失格となる状況でいかに生きていくのか。収容所からも中隊からも見放された田村一等兵は死を覚悟し、死ぬまでは自分の好きに生きていいという自由を得る。同じ身上の仲間はそれゆえ信用するに足らず、衰えた体を抱えたままさまよい歩くすえ、砲弾で飛ばされる人々を隣に見、数々の希望が散っていきます。比喩ではなく草の根をかじり、ヒルまで口に運んで飢えをしのぐ日々。やがて彼はいたるところで目にする人々の死体に目を向けるようになります。
 感銘を受ける点はたくさんありました。けっしてうまくありませんし、言い回しが古いところもありますが、難解な文章ではけっしてありません。それでも読むのには時間とエネルギーを要します。戦後数十年を経た今、まったく違う状況にいる我々が読んで意味があるのか。それはもちろんあります。読書の意義の一つは、自分とはまったく違う人生を疑似体験できるということであり、その意味で本作はたいへん貴重です。多くの人に読んでもらいたいと思う傑作です。

 ところで本作は、楳図かずお氏の漫画「戦闘」(「おろち」第5巻)に影響を与えている気がします。こちらもたいへんおすすめの漫画です。
歌野氏の作品は、「世界の終わり、あるいは始まり」を読んだ時点でもういいかなと思っていたのですが、本作の評判があまりにも良くていろんなところで出てくるので、やっぱり気になって読んでしまいました。
 「何でも屋」を自負する男が探偵まがいの冒険をする羽目になり、それは過去の記憶や周りの人々を巻き込みながらつながっていき、ラストまで突っ走ります。とにかく最後の大仕掛けがすごい、との評判でしたので、気持ちよく騙されたいものだなあと思っていたら、確かにしてやられました。読後感が爽やかなのも悪くありませんし、タイトルもなかなかいいです。著者の日頃の主張なのだと思いますが、最後の主人公の考え方にもたいへん共感させられます。
 ただ、やはり文章は味気なく、謎が明かされた後も、ああなるほどそういうことでここがこうなってたのか、と感心はするもののそれは文学的価値とか読書の楽しみとは違ったもののように僕には感じられます。読後感がいいのは謎解きとはまったく違った点からくるものですし、そもそも謎解きとはいっても、読んでいる最中にはそれほど大きな謎とは思えないものです。だから僕の感想としては、まあまあ楽しめたかな、というくらいでしょうか。
2011年 1月 「こころの処方箋/河合隼雄」 (新潮社・文庫)
心理学者である著書のもとには、さまざまな方が悩みの相談に来られます。その体験をもとにつづられたエッセイです。著者は、世間で通用している常識ではなく、自分の経験から培ってきた考え方に沿って、的確なアドバイスを伝えてくれます。そしてそれこそが、万人に通用する真の意味での「常識」なのです。
 たいへん読み応えがある本です。生きるヒントがたくさん隠されており、どんな人にとっても、またなんど読み返しても得られるものは多いと思います。