June 15, 2004. Tue. 晴れ
友よ、君は人間社会に生きている。だからしてまず影をたっとんでください。(シャミッソー「影をなくした男」)
表題にした物語の主人公、シュレミールは謎の男から「幸運の金袋とひきかえに、あなたの美しい影を譲ってほしい」と言われます。
承知したところ、彼は大金持ちになるのですが、影がないことからさまざまな苦難を経る……というお話です。
表題はそのラストのほう、シュレミールが作者に語りかけている部分から取りました。
いろいろと含蓄があって、考えさせられる話ですね。「影」とは何か、という定義によって、さまざまな解釈が可能な小説です。
さて。
……近鉄・オリックス合併問題なんですが。
もうこれで、決まりなんでしょうか(涙)。
う〜ん、ダイエーも親会社が経営不振ですし、パリーグはいずれ4球団になってしまう可能性が高いわけでして。
いずれ日本の野球は、1リーグ制へ突入でしょうか……。
そうなったら、前期後期制にするしかないのかな……。
パリーグ人気の低迷も問題ですが、やはりこれはFA制度導入から予測された事態ですね……。
選手の年俸がつりあがり、球団経営を圧迫する結果につながり、最終的には一部の高給取り選手やお金持ち球団以外にはすべての野球関係者が首を絞められることとなる、という……。
今、端的に言って野球は人気が下がってきていることは事実だと思います。
昔のように「スポーツといえば野球」という時代ではありません。
一例を挙げますと、日々地上波で放映している巨人戦の視聴者の層は、「水戸黄門」と同一、つまり、50代以上の男性が多数派だそうです。
もちろん数自体が多いので、若い方も大勢いらっしゃるとは思うのですが(^^;。
しかし。
まあ、このまま何の手も打たなければ……だんだん減っていく訳でして……。
ああ、それにしても。
日本を代表する鉄道会社である近鉄が、球団一つ維持できないなんて……(イヤ、イウマイ)。
で、他方。
今、ユーロサッカーをやっています。
はっきり言って、サッカーは試合のあり方の総合的な見地(ワールドカップやユーロ等の大規模国際試合、クラブ選手権、外国籍の選手に対する開放的見地等々)から鑑みて、圧倒的に野球より「面白い」と思います。
私も睡眠時間と健全な生活を犠牲にしてまで、現在スウェーデンVSブルガリア戦を観戦しながらこれを書いています(^^;。
もちろん、スポーツそれ自体の面白さ、洗練具合は野球だってひけをとらないくらいに面白いと、1野球ファンとしては思うのですが。しかし。
それをとりまくグローバルな環境の広大さ、観客動員数等のスケールの大きさ、国境やリーグを越えた試合が多数ある開放感、どれをとってもサッカーの方が「面白い」んですよ、「物語」の規模が違います。これは認めます。
換言すれば、日本の野球は野球というスポーツそれ自体というよりは、その「業界」のかもし出す閉塞感が、人気低迷の根源となっているのかもしれません……。
社会現象をシンプルに考え直すときに。
私は、「今自分が小学生だったら、何を選びたいだろうか?」
ということをシュミレートしてみます。
現在の自分が「経験」として段階を経てきたものを敢えて捨象し、「最初からこれらがあった」場合に、子どもの目ではどのように見えるのだろうか? と。
そうしてみた場合。
まあ、どう考えてもスポーツ好き男子小学生だったら、サッカーをやりたがること必至だと思うんですよね(^^;。
……以前のように野球一辺倒のようなスポーツ環境は、もはや成立不可能である以上、新しい状況に即した野球経営方針が求められているのは必定だと思うのですが……。
え〜、話は変わりまして。
見ましたよ、イングランドVSフランス、それからイタリアVSデンマーク!
いやもう。
とくにイングランドVSフランスなんて、いきなりクライマックスじゃないのよ〜!ってな感じで。
生で見ずにいられるかっ!
朝からバイトなんで、夜12時に寝て、試合開始の3時半に起きましたとも!
……そのまま寝ずにバイトに行って、帰宅してイタリアVSデンマークを見て現在に至っています(^^;。
………気のせいでしょうか、最近謎の不整脈が頻繁に出るようになりました……。
まあ、それはともかく。
イングランドVSフランス戦。
前の前のワールドカップをちょっと髣髴させられるような、ベッカムのへたれ具合が……。
いえ、前半いい具合でアシストして得点に結びついたのはいいんですが、後半のPK外したのを見て……嫌な予感が(^^;。
ちなみに夫は長年プレミアリーグが好きで、マンUファンで、騒がれるずっと以前からのベッカムを見ているのですが。
……真剣に怒ってました(机ぶっとばして、アイスコーヒーをこぼしかけてました。まあ、気持ちは分かります。私も森慎二が逆転満塁ホームラン打たれたときなんか、人間やめてますから……)。
曰く。
「……少しは前のワールドカップでアルゼンチン戦の失敗を払拭したと思ったのに、また『愚か者』とメディアに書かれたいのか、このバカッ!」
……と。
まあ、好きなチームに所属している(た)選手って気にかかる反面、失敗すると「かわいさ余って情けなさ倍増」なんですよね(^^;。
それにしても。
……ジダンすげ〜……。
………単純に、ベッカムとジダンの差だったのかしらん(^^;?
ベッカムファンの方には、申し訳ないんですが(汗)。
【実況中継】
おわ!
ってなこと書いていたら、スウェーデンの得点2点目!
ラーションのヘッドですか!
って、え! ええええっ!
って、またラーションが! 左足で合わせてゴールッ!
……失礼しました。
話は変わって、イタリアVSデンマーク戦の感想です。
まさか。
スコアレスドローだなんて……。
イタリアは、下馬評も上々、優勝候補の筆頭ですよね。
ちなみに、私は今回イタリア優勝を予測し、夫と「回転寿司一回分の食事」を賭けました(^^;。
夫は。
「……いや、分かってる。無理だろうけれども、……でも俺はイングランドに賭ける(涙)!」
と、申しておりました。
まあ、イタリアが優勝したら、ウニとイクラを食べまくろうと思っています♪
【実況中継】
……て、ひょえ〜!
スウェーデンPK!
よ、4点ですか……。
ていうか、いろいろ書こうと思っていたら、スウェーデンに4点目が入りました……。
もはや、分析不能です……。
すいません。
今日は、この変で(^^;。
June 13, 2004. Sun. 晴れ
アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチニハマダ滅亡セヌ。(太宰治「右大臣実朝」)
相変わらず、意味なし文学表題が続きます(^^;。
ちなみに、「人間失格」や「走れメロス」などで有名な太宰ですが、私はこの「右大臣実朝」と「正義と微笑」が好きです♪
さて。
ついに、ついに! EURO 2004開幕ですね〜!
来週からは朝から晩までバイトの日程ですが(仕事が集中するときとそうでないときの差が激しいんです(^^;)、睡眠時間を削り倒しても見ます! ええ!
……これが始まるまでに直しておこうと思った論文が全然直ってませんが、ええ!
初戦、ギリシアVSポルトガルはギリシア勝利にびっくりでした……。
いや〜、下馬評ではポルトガルが勝つ予想が圧倒的だったのに。
びっくり。
「もし負けるとしたら早いうちにギリシアが得点して云々」と某スポーツライターのコラムに書いてありましたが、その通りでした……。
そんなこんなでサッカー熱が盛り上がっていたら、テレビで。
……き、近鉄がオリックスに買われちゃうんですか!?
………交渉中って、うぎゃー! どうなるんでしょうか(汗)? パリーグは1チーム減っちゃう可能性濃厚なんですね!?
あうぅ(涙)。
もしかしたら、パリーグは徐々になくなる運命なんでしょうかね……。
最近、ダイエーも親会社がごたついてますし。西武だって、あの会社は引くときにはあっさり引きそうだし(^^;。
実は、観戦していても「いつまで応援できるのかなぁ」なんて考えていたんですよね……(しみじみ)。
June 12, 2004. Sat. 晴れ
アカイア勢の大いなる誇り、広く世に称えられるオデュッセウスよ、さあここへ来て船を止め、わたしらの声をお聞き。(ホメロス「オデュッセイア」)
表題にしたのは、「オデュッセイア」第十二歌、セイレンの誘惑の箇所です。
さて。
「トロイ」を観てきました。
と、いうわけで、以下感想を書きますので、もし観てなくてネタバレが嫌な方はご注意ください。
まず第一に、全体の感想です。
娯楽大作としては、悪くない映画だったように思います。
ただ。
……歴史ロマン大作って、最近、制作方法がどれも決まりきってしまっているせいでしょうか?
リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」しかり、リドリー・スコットの「グラディエーター」しかり、エドワード・ズウィックの「ラスト・サムライ」しかり。
みんな同じように見えてしまって、監督の個性が感じられないな〜、としみじみ思いました……。
映像の色目、カメラの使い方、モブの動かし方、音楽の感じ、ラストのほうの戦闘シーンはスローモーションで音声がカットされて入るところまで似ているような(汗)。
う〜ん。
やっぱり、現在の映画制作現場では、システムに監督の個性が侵食されてしまっているのでしょうか……(まあこれは、あらゆるものに言いえるのかもですね(^^;)。
ウォルフガング・ペーターゼン監督といえば、「Uボート」であの人間の極限での心理状態を描いた人ですので、もうちょっと違うかな〜とも思ったのですが。
……同じでしたね、残念……(涙)。
二番目に、キャストについて。
ピーター・オトゥールが出ていたのが、ちょっと嬉しかったですね〜(^^;。
風格がありました。
それから、私が一番印象に残ったのは、ヘクトル役のエリック・バナです。
この映画は「イリアス」からインスパイアされた、とクレジットで出ていましたが。「イリアス」その他のトロイ戦争を題材にした物語では、どれもこれもヘクトルは「聡明で品格が高い」素晴らしい人物として描かれています。
……ものすごく難しい役だと思うんですが、雰囲気が出ていました。
パリス役のオーランド・ブルームは、ちょっとハンサムすぎたかな〜(^^;。
いえ。パリスは美男子で有名な人物ですから、あれくらいカッコよくてもいいんですけど、でも。
逸話では。
トロイ戦争の発端になった「ヘレネの略奪」なんですが、これは神話ではパリスが三人の女神の喧嘩を仲裁したのがきっかけとされています。
ヘラ、アテナ、アフロディテの三人のうち、誰が一番美しいか審判しなければならなくなり。
三人の女神は、パリスに賄賂を送ることを約束します。
ヘラは、ギリシアの覇権と富を。
アテナは戦いの勝利と栄光を。
アフロディテはギリシア一の美女(つまりヘレネ)を。
まあ神話ですから、これらはそれぞれ人間の欲望の象徴なわけですね。つまり。
ヘラ→金と権力
アテナ→名誉
アフロディテ→性欲
と。
要約すれば、パリスはこの三つの欲望のうち、一番性欲に弱かった、という訳でして(^^;。
……つまり、もっとタラシな感じの色男が配役のほうが良かったような気がするんですよね。オーランド・ブルームだと、イマイチ清潔そうで……。
ちなみに、この話を最初に読んだのは小学生のときでしたが、「美女を与えるって……人妻じゃん! しかも戦争になってるし、おいおい!」と思った思い出が。
ああ、ギリシアの神様って、このデタラメさ加減がいいんですけどね(^^;。
それから、アキレウスのブラッド・ピットなんですが。
カッコいいと思いますし、嫌いな役者さんじゃないんですけど。
でも。
……何だかな〜、ギリシア一の名剣士にして風のような俊足を誇る豪傑! という感じまで至っていなかったような……。
ブラピのアキレウスは、可愛いというか、お行儀良さそうというか。
アキレウスは、もっと荒くて男くさいイメージなんですよね、私は(^^;。もっとこう、野武士っぽいっていうか……。たとえば戦闘中に気に入らないことがあると仲間まで平気でぶった切ったり、アガメムノンと女性のことでもめたりっていうようなエピソードテンコ盛りな人物ですから(^^;。
ちなみに、映画では従兄弟とされていたパトロクロスは、神話では親友で恋人だったとされています(さすが古代ギリシア(^^;)。だからこそ、パトロクロスを殺されて激怒して、ヘクトルと一騎打ちになるんですが。
ちょっと映画的にはその辺の男同士の恋愛を描くのは厳しかったんで、肉親の情愛に設定が変更されたんでしょうね〜。や○いのみなさんが喜びそうなネタですが……。
ブラピの物足りなさ(?)と対照的に、ショーン・ビーンのオデュッセウスは、胡散臭そうで狡猾そうな感じが出ていてよかったです(^^;。
まあ、ギリシアの叙事詩や神話って、欲望渦巻いていてどろどろなんで(^^;。
ハリウッドヒーローみたいな平面的高潔さを出そうとすると、面白くなくなるんですよね……。
三番目、ストーリー構成について。
十年かかったとされるトロイ戦争を、あんな短期間に要約したかたちで映画にするのは、やっぱり難しかったでしょうか?
ラストがとくに……つらかったです、率直に言って。
十年戦って攻めあぐねて、苦肉の策でオデュッセウスの「木馬」なので、たった1ヶ月程度(多分)であっさり木馬が出てくるのは……う〜ん、まあ、しょうがないか(^^;。
それから。
「トロイ戦争」を描くなら、絶対に出して欲しかった人物が二人足りなかったように思います。
一人はヘクトルとパリスの妹で、悲劇の予言者、カッサンドラ。
もう一人は、木馬をトロイに入れないことを讒言してなぜか大蛇に飲まれて死んでしまった神官ラオコーン。
……せめてこの二人は、見たかったですね。二人とも、トロイの陥落を予見して進言して退けられるんですよ。その辺の人間模様が面白いんですが……、最近の超大作では、複雑な人間模様はNGなんでしょうか(^^;?
あと、個人的にはアガメムノンの妻で、世紀の毒婦、クリュタイムメストラも出してほしかったですが、これはストーリー構成上仕方なかったかなぁ。
でも、アガメムノンがブリュッセウス(って、神話ではヘクトルの従姉妹ではなく、単なるアキレウスが強奪してきた娘ですが)に殺されるのだけは……ちょっと納得できなかったです(涙)。
神話や叙事詩では、アガメムノンは戦争で国を留守にしている間、妻のクリュタイムネストラに浮気されてしまいます。で、戦に勝って帰ってきたところを、情夫と共謀したクリュタイムネストラに殺されるんですよね。ああ、どろどろにキャラが立ってます、ギリシア神話って(^^;。
最後にアエネアスがちょっとだけ出てきたのは、ご愛嬌でしょうか(^^;。トロイ戦争の後、イタリアに渡ってローマ帝国の祖となる人物です(ユリウス・カエサルは、アエネアスの子孫と称していました)。
まあ全体として、「観て損ではないのだけれども、原作の叙事詩や神話が好きな人にはちょっと物足りないかしらん?」という印象ですね(^^;。
というわけで、雑感でした。
June 9, 2004. Wed. くもり
きみの不幸は、ほんとうの人間であることだ。この世界は闘争者のために作られている。(ハーラン・エリスン「世界の中心で愛をさけんだけもの」)
表題の一節は、某ベストセラー小説ではなく、1969年にヒューゴー賞を受賞したSF作品からです。
さて。
先日、夫と深大寺に行ってきました。
水木しげるの妖怪茶屋に行きたかったわけではなく、蕎麦+ソフトクリーム(ここの、おいしいんですよ♪ )を食べに。
……お参りがメインではなくて申し訳ないんですが(^^;。
やたらと天気が良く、
「……暑いな……」
と言ったきり、無言で呆然とたたずむ、暑さに極度に弱い夫……。
いや、しかし。
……30度を越えている日中に、その黒いジャケット(インナーは白シャツ)は、思いっきり日光を吸収して暑さ倍増だと思うわよ(汗)?
と、思ったのですが。
放っておきました(もはやあきらめました。あきらめるって、「明らかになる」ことによって、言っても無駄なことを悟るって意味なんですね、きっと…)。
でも、なぜ。
……なぜこんなに暑いのに黒づくめなんでしょうか、この人は!?
そういえば、あれはいつだったか。
その日も、30度を軽く超える炎天下だったと思います。
路上を歩いていた彼が、いきなり笑い出しました。
どうしたの!? と尋ねると、彼は。
「いや(くっくっく…)、何か知らんが(くっくっくっくっ)、もう笑うしかない暑さだな〜(ふははははははは…)」
とのことで。
しばらく、意味不明に笑いっぱなし……(汗)。
……………。
恐いよ〜! おかーさーん!
キ○ガイがいるよ〜〜〜〜〜〜(不適切な表現、失礼いたします)!!!!!
と、思った記憶が……。
何でしょうね〜?
この人、本当に人間なんでしょうか?
何だか、夏場に熱暴走するノートパソコンみたいな……(汗)?
June 8, 2004. Tue. くもり
鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向って飛ぶ。(ヘルマン・ヘッセ「デミアン」)
表題に使ったこの一節は、聞いたことがある方も多いと思います。
金子修介監督の「1999年の夏休み」(元ネタは、萩尾望都の「トーマの心臓」です)でも、モチーフに使われておりますし。
他にもゲームや漫画、アニメなどでも「本歌取り」されやすいように思いますので(^^;。
まあ、ある意味悩める文学青年小説の王道ですから、この手の作品のモチーフにはなりやすいのでしょうね……。
そういえば、「ラーゼフォン」の卵のモチーフを見たときにも、あ、「デミアン」ぽいな〜、と思った覚えがあります。
それから、「真・女神転生3 NOCTURNE」をやっていても、ちょっと思い出しました。東京受胎のところで。
それはさておき。
ここのところ、ロナルド・レーガンは死去するわ、窪○某は飛び降り自殺騒ぎだわ、いろいろと大変ですね。
それから。
佐世保小学生殺害事件なんですが。
……予想通り、ネット、チャット、前思春期女児といった言葉で問題化されて行っていますね。
6月7日付け、朝日新聞の「ひととき」では、74歳の女性が投書で以下のように述べておりました。
善良で平均的な人の「感慨」と思いますので、参照させていただきます。
「生きる意味をいまだ何も理解していない世代が人を殺す。ゲーム感覚というしかない」
と述べ、この女性は三つの対処法を上げています。
1.自分が生まれたときの家族の喜びを伝えることによって、命の大切さを教える。
2.障害がある子どもや、重病で何年も入院を続ける子どものボランティアをすることによって、生きることの大切さを教える。
3.玩具メーカーは、殺害を含むゲームの生産を一切やめるべきである。手塚治虫の世界に戻ろう。
まず断っておきますと、この方のご意見は非常に善意に溢れたものであり、私も心情倫理的には分かります。
また、この方個人と言うよりは、一般に希釈された「平均的」意見の代弁としてここに引用したものであって、決してこの方個人を批判するつもりはありません(そのため、出版物などの引用物と違い、お名前を書きません。すいません)。
ただ。
あまりに「平均的」で「善良」あるがゆえの恐ろしさもはらんでいる。
私は、そのことを指摘しておきたいのです。責任倫理上の問題として。
第一の点に関しては、言うことはありません。
これは、親子の基本的信頼関係を構築する上で必要なことでしょう。
しかし、第二。
この方は無意識であろうとは思うのですが、障害者の方々のステレオタイプなイメージを短絡的に用いてしまっています。
この考え方は、「障害者の医療モデル」といって、障害者を単純な医療福祉の受け手としての役割にのみ固定してしまい、その個々人の特性を忘却してしまうものでもあります。
さらに。
無意識のうちに「障害者=かわいそうな人」という、いわゆる「個人の悲劇モデル」を踏襲してしまっています(このような議論は、90年代以降イギリスを中心に盛んになってきました)。
私見では、障害をもつ人々と言うのは、決して「健常者に生きる意味を教える」とか「気の毒がられる」ためだけに、社会の中にあるのではありません。当たり前のことですが、個々の幸福や不幸、好き/嫌いを抱えて生活する一個人だと考えます(ただ本当に重篤な疾患を抱えている場合には、「障害個性説」を述べるには無理のあるケースも承知してはおりますけれども)。
もちろん、身体器官の損傷からくる「特殊ニーズ」は派生するでしょう。しかし、それによって個々人の特性を無効化し、一括して「障害者」の枠組みに押し込むのは問題ではないでしょうか?
もっと言えば、現在いわゆる肢体不自由などの「障害者手帳」をもつ人々の約6割は65歳以上の高齢者であり、視覚不自由者も圧倒的に45歳以上で糖尿病などの発症によって失明した「中途失明者」が多いのです。
つまり、先天的なものというよりは、後天的にケアが必要になる方が多いのです。老齢人口比率が増加の一途をたどっている現在、この問題は本当に深刻だと思うのですが。
年齢を重ねると、人間は身体上の問題を抱えることが多くなります。これは仕方のないことです。
したがって、障害をもつ人々へ手を差し伸べよう! というのは本当に立派な意見なのですが、私はこう思うのです。
障害とは決して他人事ではない問題であり、自分ないしは家族がいつでも何らかの身体上の問題を抱える可能性をもっている以上、「施してあげる」のではなく「自分たちの問題」として考えるべきである、と。
少なくとも、哀れむべき「象徴」として使うのは、とても失礼なことなのではないか、と。
もちろん福祉の現場に関わっている方には、違う意見もあるでしょう。
そんなきれいごとでは済まされない、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
……難しい議論であることは、承知しているのですが(^^;。
それから第三。
……やっぱり、年長の方々にはテレビゲーム=悪の根源に見えるのですね……。
以下、屁理屈ですが(^^;。
年間、ゲームやパソコンで死ぬ人は滅多にいませんが、自動車の事故で死ぬ人は1万人ほどいます(私の母も交通事故で亡くなりました)。
……でも、自動車それ自体が非難されることって、ありませんよね……。
………それは、自動車は生活基盤として一般に認知されているからであり、ゲームはあくまでも娯楽で基本的にはいらないものである、と考えられているからでしょうね(^^;。
でも。
ゲームにだっていろいろありますよ、とちょっと反論(^^;。
たしかに、ゾンビやら異生物やらを殺して回るゲームは多いです。RPGなんか、あらかたそうではあります。
でも、友情や愛や夢や諦めない精神について、一生懸命語っている側面にも注目してもらいたいのですが……。
……だいたい「殺害=悪」なんだったら、昔のチャンバラものとか活劇小説なんかも、子どもに有害だってことになりますよね……。
まあ、「ゲーム脳」なんて言葉も持ち出されて、甚だ旗色が悪い昨今ではあります(^^;。
子どものうちから、攻撃心を煽るようなものに浸っちゃマズイというのはあるかもしれません。
しかし、素朴な疑問として。
……子どもたちの「犯罪」は、テレビゲームのせいだけなのでしょうか?
………子どものおかれた環境は、もっと広く社会・経済・文化的諸条件から検討されるべきであって、何か一つだけが直接原因ということはありえないのではないでしょうか?
もっといえば。
今日の女の子の置かれた環境は、非常に苛烈である、と私は考えます。
まだまだ、大人になって成熟していくことについて、幸福なモデルが成立してはいないのです。
たしかに、今日優秀な女性は、活躍してマスメディアをにぎわすようにはなりました。
でも、よくよく見るとそういう女性はある意味速成栽培の野菜みたいなタイプが多い、と私は思うのです。じっくりと育つ時間が与えられていない、と。
テレビをつければ、入社して数年で使い捨てられてしまう女子アナが、メインキャスターのオジサンの横を彩っており。
アイドルも、数年で急速な陳腐化をしていきます。
もちろん素晴らしい能力と技量を備えた、成熟した女性の方々も大勢いるにはいるのですが。
しかし、子どもの視界に入るのは、もっぱらオジサンや男性消費者のお眼鏡にかなうような資質をそなえた人が大半です。
子どもたちは、そういった「社会の本音」に敏感なのではないでしょうか?
女の子たちの間には、「内面をじっくり磨いて、自分の意見や知識を身につけた女性は敬遠される傾向があるのだ」つまり「学校で推奨されるような努力は無駄なのだ」という閉塞感が蔓延してはいないでしょうか?
ボードリヤールによれば、
「資本主義社会では、肉体そのものと肉体を利用した社会的活動や精神的表象は、私有財産一般と同じ地位を与えられる」
のですが、このことは、暗黙のうちに男性一般よりも「美的」な交換価値を付与されることを強制される可能性の高い女性一般に、より妥当するといえるでしょう。
まあつまり、言い換えれば。
「どんなに仕事ができてもお金が稼げても、ブスと言われたらおしまい」
という身も蓋もない現状が横たわっている、と(^^;。
それから佐世保事件では、体重に関する言葉が殺意の引き金になったというのも、気になりました。
少々古い数字しかなくて申し訳ないのですが、厚生省平成10年度国民栄養調査では、15〜19歳・20代の日本人女性の約20%が「やせ」にもかかわらず、「自分は太りすぎ」と考える人が約50%でした。
一方、肥満に関しては、女性は10代で約6%、20代で約7%、30代約14%で過去20年間横ばいであるのに対し、男性は10代が約11%、20代で約19%、30代では約31%と、過去20年間でそれぞれ倍増しています。
しかし男性の場合はたとえ肥満であっても4割はとくに減量を心がけてはいません(^^;。
さらに近年では若い女性を中心に摂食障害(拒食症・過食症)が増加をみせています。厚生省「患者調査」によれば、日本では1984年の外来受診率を100とした拒食症の患者数指数は93年には150を超え、1.5倍に急増しています。
これはこの期間に投薬治療などの治療技術向上のため、躁鬱病、神経症などの精神疾患が減少傾向にあるのに比して著しい増加率であると指摘され得ます。
この傾向は近年も過激化傾向を見せており、若い女性の痩身願望は凄まじいものがあるように見えるのです。件の加害者女児は「30キロ台まで落とす」と言っていたとか……(涙)。
……そんなに痩せようとしなくても、厚塗りメークなんかしなくても、10代なんてそのままで十分可愛いのになぁ。もう、小学生のすべすべほっぺなんて撫でてあげたくなるくらいなのに、なんで最近は小学生まで化粧してるのよ、とつぶやくおばさんがここに一人……(ああしかし、近年の児童に対する性的虐待事件増加のせいで、単に子どもが好きなだけなのに、こういう発言をするとショタコンかロリコンに思われそうで恐い(^^;)。
それから。
話は戻って「手塚治虫」云々なんですが。
代表作である「鉄腕アトム」は、技術による技術の乗り越えの象徴のような漫画です。
技術論は長い間、ナイフのように「料理にも犯罪にも使われるものであるため、要は使用者次第であって技術それ自体には罪はない」とする「技術中立論」が中心的でした。
ところが。
他方で「人を殺すための兵器」という、中立もへったくれもない技術についてはどうするのかという問題について、この「技術中立論」では回答できないのです。
そして、今日中東その他の紛争地帯では、日々このような技術が使用されています。
今日の世界では、技術は(自然科学技術も政治技術も含め)暴力の問題と同時的に目配りしなければならない重要な課題なのです。
問題の射程は、単純に技術によって技術の問題点を改善するという「調整問題」を越えてしまっているのですから……。
手塚治虫は私などが言うのはおこがましい天才であり、稀代のストーリーテラーでもあり、また人道主義者でもありました。
……あまりにも善悪の問題について、教条的にすぎるきらいはありましたが、しかしそこを突き抜けて読者に生死の深淵を垣間見させる力量がありました。
でも。
……手塚は、ある意味冷静に「手塚的世界」の限界を感受していたような気もするのです(ファンの方にはすいませんが)。
たとえば、「鉄腕アトム」には幻のラストがあります。
最終回、アトムは「大人になる」ことを決め、「大人男の顔」を受け取るのです。
しかし、この最終回は作者の手塚治虫自身によって削除されてしまいました。
これが何を意図して行われたものか、正確なところはよく分からないのですが……。
もし「アトムが大人になって」いたら。
日本のアニメ史は、もっと変わったものになっていたでしょうか(^^;?
以上、述べてきたことは、ある意味一般常識的なるものについてのツッコミ(笑)とも言うべきものであり、ご不快に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
ただ。
私は、「善意の意見の内部にはらむ暗黙の了解が世間一般のイメージとして定着し、無意識のうちに特定の個人や事柄を排斥する動きに繋がる」という事態が、とても恐ろしいのです。
それだけは、どうぞ斟酌していただけると大変に嬉しいです。
June 7, 2004. Mon. くもり
おれ自身があの物干しづなに到着するのは、おれが死んで、向こう側に安全な棺桶が用意されたときだ。そのときまでは、おれはどんなに苦しくとも自分ひとりの力で田野を駆けてゆく長距離走者なんだ。(アラン・シリトー「長距離走者の孤独」)
意味はありませんが、文学強化月間とします。
タイトルには私が飽きるまで(笑)、私が好きな文学作品の一節が書かれますが、あんまり気にしないで下さい。
……いえ、やることが多すぎて、小説に現実から逃走フライト中なだけですから(涙)。
ちなみに。
タイトルに使われていた、アラン・シリトーの小説について解説です。
主人公は、非行少年スミス。
貧しい家に生まれて盗みに手を染め、感化院(って少年院みたいなところですね)にぶち込まれるんですが、そこで足の速さを見込まれ、長距離走大会に出場させられるんですよ。
でも。
ぶっちぎりで1位を走ってきたのに、なぜかゴールの物干しづなの前で立ち止まるんですね。他のパブリック・スクールの生徒たちに優勝を譲ってしまう。
そこで、前述の独白です。
……ああ、かっこいい……。と、最初にこの箇所を読んだときに思ったものです(^^;。
社会全般の規制と偽善に対して、たった一人で反抗すること。
感化院の名声なんか上げてやるもんか、と。
こうした一切の反抗を、スミスは「誠実」というんですね。
「誠実」とは何かと言うことを見せてやる。そう考えつつ、ゴール直前で敢然と立ち止まるんです。
ちなみに、この小説は映画化されました。
映画版の、このゴール拒否シーンなんですが。
スミス役の少年(トム・コートネイだったかな)が、ものすごくいい顔で笑うんです……。
って、ちょっと話は逸れますが。
80年代に「サブカル」が流行って以降、小説や思想も一気にポップ化し、ある種の「笑い」の対象になってしまったように思うのです。
少なくとも、もはや90年代はそういう時代でした。
と言うのも、日記でサブカルについて書いていて、自分が学部生だったころのことをつらつら思い出してみるに。
当時バイトをしていた喫茶店で、休憩時間にこのシリトーとか、サリンジャーなんかを読んでいると(←定期的にマイブームです)。
調理場バイトの男の子たちに、「何読んでるの〜?」と尋ねられ。
説明すると、ロクに内容を聞きもしないで。
「ま〜た、不思議なこと言ってるよこの子(笑)!」
という反応が返ってきた思い出があるんですよね……(涙)。
まあ、私の説明が良くなかったのかもしれませんが、しかし。
……小説を読まない彼らにとっては、「文学」「哲学」といったものに関することを話す女の子=「不思議ちゃん」だった訳でして。
恐らくは戸川純以降の「不思議ちゃん」の系譜が、思想や文学の断片を撒き散らす発言(ないしはイメージ戦略)を行っていたことに起因するのでしょう……。
おかげで。
単に地味でトロくて小説が大好きなだけの私も、まとめて「不思議ちゃん」行きだったんですね、思うに……。
いえ。
別に。
……いいんですけどね(涙)。
June 6, 2004. Sun. くもり
感涙…。
論文審査結果キターーーーーーー!
と、いうわけで。
先日投稿した学会誌論文、合格しました。
……ほっとしました(涙)。
それにしても。
この論文はまるきり自信がなかったので、受かっているだけでも驚きでしたが、何だか今までそこの学会に投稿した論文の中で一番評価が高かったような(汗)。
いや〜、優しい審査員の先生に当たったんですね。運が良かったなぁ。
所見(←って、論文の審査員の先生が、「どこが良くてどこが悪かったのか」を書いてくれた講評です。レフェリーつき論文は、落とされても合格でも必ずこれが帰ってきます)を読んだら。
……誤字脱字誤訳の指摘がびっしり(滝汗)。
………よ、よくこれで「優秀」の評価をくださったものです。直します、すいませんすいませんすいませんm(_ _)m。
と、思わず所見を読みつつ正座(^^;。
今週は二本提出ものを出した後、この合格通知でしたので。
約三ヶ月ぶりくらいに、心穏やかに眠れます……(じ〜ん)。
ちょっと、シアワセ〜(^^;。
……さ、次を仕上げよう……。
論文審査といえば。
以前、某誌に投稿した際、私の論文が審査落ちになってしまい。
他の兄弟子たちが、まるで腫れ物に触るように私に遇してくださる中。
夫だけは。
「まあ気にするな、最近あの論文の審査は厳しくなってるっていうからな。ま、俺は一度も落とされたことがないから(←彼はあらゆる論文審査ものに一度も落ちたことがありません。現在でも無敗記録更新中です)、どの程度厳しくなってるのかよく分からないけどな? あ、そうだ、俺の所見見るか♪ 」
と、言って。
自分の「合格」所見を見せてくれたのですが。
その内容は。
「練成された論理展開である」「もはや中堅研究者以上の水準である」「指摘すべき問題は何もはない」
……………ベタ褒め(汗)。
すげーよ……。
……こんなにメチャメチャ褒められてる所見なんて、私、もらったことないよ……。
っていうか。
何でしょうね〜、この「0点取っちゃった相手に、自分の100点の答案用紙を見せて喜ぶ嫌な小学生」みたいな性格は……(涙)。
June 4, 2004. Fri. 晴れ
19000hitありがとうございます〜〜〜〜!
と、いうわけで。
感謝感激でございますm(_ _)m。
え〜(汗)、「連載終了と同時に閉鎖します」宣言をしたにも関わらず、ダラダラ続いてすいません(^^;。
単に、連載の間が空いているだけなんですが……(滝汗)。
うちはwebリングさまへの登録も寡少な秘境サイト(笑)で、その上作品のアップも間が空きっ放し、というヘタレサイトではありますが。
最近、なぜかhit数が増えつつあるような気が……(汗)。
……れ、連載の続きをアップしなければしないときしないしないのですしなくてすいません(意味不明…)。
閑話休題。
……に、しても昨日は妙〜にお客さんが多いかな〜?
と、思ったのですが。
原因が分かりました(きらん☆)。
以下、私信で。
>りしあさ〜ん!
日記リンクどうもありがとうございま〜す(^^;!
って、そちらさまにもHN載ってますから、いいですよね(汗)?
え〜、そちら様にカキコでお礼をとも思ったのですが、何やら長くなりそうなので、ここにまずはお礼をば(そのうち読んでくださると思いつつ(^^;)。
や〜、実はですね〜。
今書いている論文で、サブカルチャーについて触れていたのですが、ちょうどそこに例の小学生殺人事件でして……。
……そーいや、ここ数年、オタク的文化と犯罪が併せて論じられることが多いし、ちょっと註釈で触れておかなくては!
と、思いまして。
まあ、昨日は覚書みたいのを書いていたら、長くなっちゃいました(^^;。
ああ、お書きになられていた「気に入らないことがあるのは当たり前だけれども、そこで凶器を取って殺人者になるのは、やっぱりごく一部の特殊な人間」との意見、その通りだと思います。
まあ、私もネットに関わっていると、美しく素晴らしく友愛に満ち溢れた事態ばかりではないことは、身にしみておりますし(^^;。
何よりも、小学校高学年の女の子なんて、ストレスの塊と言っても過言ではない状況だと思います。
でも。
……それを「子ども」「ネット利用者」「チャット愛好者」に単純に一般化して議論してはならない、と思うのです。
「オタク=犯罪者予備軍」みたいな乱暴な議論も、論外です(^^;。
もちろん、人間同士のこと、ましてや子ども同士ですから喧嘩や言い争いはあって当然、嫌なこともイライラもあって当然だと思うんですよね。
でも、そこで「相手を人気のない教室に呼び出して、殺意をもって首を刃物で斬る」ところまで行動する子どもは、滅多にはいません。
だからこそ、「趣味」と「犯罪」を乱暴に混同して議論するような事態には反論したい、と願うのです。
それから。
「反社会的なるもの」の象徴として、ネットやチャットが過剰に取り沙汰されることの危険性も感じています。
それにしても、話は変わりまして。
ア、ア○生の方って、そんなに、そんなですか(汗)?
や〜、「1メートルあたりの単価が世界一高い」道路なんか作り倒しておいて「踏み切りは開かず」のような、日本の交通行政の予算配分のムチャクチャさ加減を考えたら、まだ成長産業に突っ込むくらいのがマシかしらね〜と半ば自暴気味(?)に書いたのですが。
……そんなですか……(滝汗)。う〜ん(^^;。いえ、ノーコメントでお願いします……。
ただまあ、何事につけ「表現」を行うには、視野狭窄が何よりいけないですよね、その点深く同意です。
ハイデガーも「ハイデガーしか読まないものはハイデガーすらも理解しえないであろう」って言ってますし(やや違)?
いろんなものから精神的知識的栄養補給をしなくちゃだわ、と自戒を込めて思う今日この頃です(^^;。
それから。
著作権問題は、ホント、重要ですよね……。
これから日本は、ますます知的財産で食ってかなくちゃになりますから、税金取るならそこのとこきちんとして欲しいですよ、年金未納同士で鞘当してるのもいいですけど、ねぇ赤い絨毯の上のみなさん(^^;。
ただ、「成長産業」とはいえ、アニメ関係の仕事の雇用条件は決してよくはないみたいですね……。
6月3日付けの毎日新聞によれば。
アニメーターの平均年収は、99年調べで247万円。5割が200万円未満だそうです。
……就業時間も長く、休日出勤も当たり前の世界でこれは大変なのでは……(汗)?
ちなみに話はちょっと変わりますが、日本は特殊技術系専門職の方々の労働形態が、まだまだ過酷であるようです。
もちろん企業によってばらつきがあるので、一般化はできませんが。
過労による労災認定が一番多いのは、SEの方々だとか(この記事は出典忘れました。スイマセン)。
……お、お体にはくれぐれも気をつけられてくださいね?
と、長々と私信、失礼いたしました〜(^^;。
June 3, 2004. Thu. 晴れ
佐世保小学生児童殺害事件に寄す
タイトルの話に入る前に。
何度か書いているので、ご存知の方は多いと思うのですが、私は西武ファンです。
昨日は、西武ドームに行ってまいりました。
でも。
……負けました、オリックスに(涙)
………「見に行くと負ける」の法則払拭できず(連続3回続けて「見に行くと負け」です)。
嗚呼。
ダメだこりゃ(←カメラ目線で、野太い声でよろしくお願いいたします☆)。
どうなんでしょうね〜。西武は今、ギリギリで首位なんですけど。でも。
……しばらく、見に行かないほうがいいのかな〜。
何で私が見に行くと、負けるんでしょうね〜。
おかげで、帰ってきて締め切りものを放ったらかして、「パワプロ」漬けです……(涙)。
え〜、それはともかく、本日のお題です。
話題(?)の佐世保の小学生女児殺害事件なんですが。
これを「ネット空間」全般で置きえる所与の問題と連動し、一般化してとらえるのか、それとも偶発的で特殊な与件としてとらえるのか。
それによって、意見の分かれるところだと思います。
おそらく世間の「声」は、「ネット」「チャット」「パソコン」といった道具や空間と関連させてこの問題を論じる向きが多く、またもや例の「リアルとヴァーチャルの区別がつかない」とか「ネットリテラシーとマナーの関係云々」といった落としどころに落ち着くのではないか、と思われます。
ちなみに何度も言いますが。
リップマンが「擬似環境」論で人間が必ずしも現実の「生の」環境に適応しているわけではないことを喝破したのはすでに1922年のことであり、今更「リアル/ヴァーチャル」といった二項区分をもちだすことは、何ら新しいことではない、と私は考えます。
さて、今日では日本の公立校のほぼ100%がインターネットを利用しており、小学校では児童12.6人に1台の割合でパソコンが置かれています。
私たちの世代では、パソコンはまずスタンドアローンの「道具」として現れたわけですが(って、ババアでスイマセンが(^^;)、今日小学生たちにとって、パソコンはネット世界という位相を垣間見る「環境」与件です。
しかも、少なくとも私たちくらいの世代では、ネットは電話回線用のモデムを外付けで買ってきて、分厚いマニュアルを読んでようやく「成功」したものです。
今日のネット環境になったありがたみは、ひしひしと感じているわけですが。しかし。
……小学生のみなさんくらいになってくると、ブロードバンドなんてものも、水道の蛇口をひねる程度でアクセスできる「環境」なんですよね。
それが悪いとは言いません。
私だって、電気釜で米を炊き、洗濯機で洗濯をする日常を当たり前のものとして育ってきました。
一昔前の人々は、手洗いだったころを思い浮かべ、「今の人は贅沢だ」と言うでしょう。そして洗濯機を大切に使うでしょう。
でも、人は自分が育った技術環境を自然環境と同じく所与の「環境」として生きるものです。そのことについて、一世代前の人間が「感覚的贅沢論」を述べて批判するのは、心情的には分かりますがお門違いでしょう(^^;。
さて、話は元に戻りまして。
オグバーンの「文化遅滞説」ではありませんが、テクノロジーは常にあらゆる制度や道徳よりもたいてい、「先に行って」しまいます。
たとえば臓器移植やクローン技術が可能になった後、それを法律でどう規制するのかが課題となるように。
今日の情報技術環境はもはや後戻りできない以上、議論はそこから開始せねばならないでしょう。
ネットはたしかに便利な技術であり、私も外国の文献や資料に素早くアクセスできる恩恵に浴している一人です。
その意味で、私自身「ネット=悪」とは言えない立場であり、おそらくそのように主張する人も少ないでしょう。
しかし。
ネット空間を「子ども」「若者」「サブカルチャー」と関連付け、ちょうど「ネオ麦茶事件」や「ゴスロリ家族殺傷事件」のように事件の温床と結びつけて論じる立場が多いのは、なぜ(汗)?
ちなみに。
「オタクカルチャー」と「事件」が最初に結びつけて論じられた出来事といえば、「連続幼女誘拐殺傷事件」でしょう。
89年、昭和天皇が崩御し、「いか天」が開始され、女子高生コンクリート詰め事件が起こり、あんまり今では知っている人は少ないとは思うのですが「ダイヤルQ2」サービスが開始されたその年、宮崎被告は逮捕されました。
ちなみに、ダイヤルQ2はエロ系のいかがわしい商売と結びつき、さらにはネットの前哨段階としての「パソ通」の登場によって急速に陳腐化してしまうのですが。
実は最初に「電話線+課金」システムが成立した画期的なシステムだったのです。
たとえばアメリカでは地震の被災者に対する募金などもQ2を通じて行われ、当初はボランタリーセクションを活気付けるツールとして期待されていました。
まあ、そんな話はともかく(^^;。
これに先立って、中森明夫がコミケに集う若者たちを当初は非難と侮蔑の意味をこめて「おたく」(←ちなみに、ひらがなだったんですよ、最初は)と命名したのが1983年のことであり。
この時代、いわゆる「新人類」なんていわれた人たちが元気でした。
中森が「おたく」に示した嫌悪感は、もしかしたら次世代自分たち「新人類」を脅かす消費主体としての嫌悪感だったのかもしれません。
実際、その後70年代以前の権威を引きずっていた「新人類」はある意味駆逐され、代わって「おたく」は「オタク」と呼ばれるようになり「クール」と読み替えられるようになりました。
たとえば今日、日本のアニメ・コミック産業の対北米輸出額は、鉄鋼産業の4倍です。
私見では、この不況の折、政府もアニメ・コミック産業に資金援助を行い、こうした産業の健全育成を進め、外国への下請けをさせずに国内労働市場を活性化させ、ついでに「代々木アニメーション学院」あたりには奨学金を渡すべきではないかと思う今日この頃なのですが(^^;。
……笑い事ではないかもです(資源も乏しく自動車や鉄鋼産業が廃れ行く昨今、この活況はすさまじいですね。国外で日本語を学ぶ外国人の多くはアニメや漫画のファンだといいますし……)。
他方、藤原新也が新聞紙上でゲームと少年犯罪を結びつける発言を行い、物議をかもしたのが1988年です。
80年代と言えば、ファミコンが大普及し、「子どもたちの原風景」が代わってしまった年代でもあります。
この時代。
バブルが開始される前の、フワフワそわそわした「新人類」たちが「ビョーキ」を楽しんでいた一方。
その水面下で、70年代後半〜80年代初頭生まれの子どもたちは、静かにヴァーチャル世界へ親和を開始していました。
89年に「連続幼女誘拐殺人事件」が起きたことは、ある意味象徴的です。もっと言えば、マスメディアがあれを象徴として祭り上げたということも言いえるのですが。
こうして、サブカルチャーと事件を結びつけて論じる状況が整った上で、以降若者事件は常に象徴として「文化色」を帯びることとなっていきます。
その前に。
若者が何らかの形で当該社会の「若者文化」を消費する、というのは当たり前のことです。
その当たり前が、なぜ「事件」とことさらに結び付けられ強調されなければならないのか?
私は、このことが常に疑問でした。
もちろん、彼ら/彼女らの趣味嗜好が少々危なっかしいものであることは感覚としては分かります。
しかし。
……一昔前であったならば、家庭環境や社会的階層および経済格差と結び付けられて論じられていた問題が、なぜ「趣味」の問題と結び付けられるのか?
とりわけ「事件の当事者」が若者であった場合、その傾向は顕著なように思われるのです。
私なりの陳腐な結論としては。
今日のポスト冷戦期を生きる私たちには、もはや「事件の加害者」と「一般の」(←これもある意味ヴァーチャルなものですが(^^;)善男善女との差異は、「趣味」という変数によってしか示されえないからではないでしょうか(その意味で、オタクが「事件化」され出した1989年に、ベルリンの壁が崩壊したことは注目に値しますね)?
フェリックス・ガタリは、「われわれは人種・民族といったもの以前に『スタイル』によって細分化されている」というような趣旨のことを言っていたように思うのですが(うろ覚え、失礼☆)。
そして。
ある種の「趣味」は、より「事件」と結び付けられやすい傾向にあります……そう、「オタク的」なるものは(^^;。
実際には、「オタク/一般市民」をキレイに分け隔てる文法は成立不能でしょう。
しかし、「オタク」は「事件化」されやすい……。ヴァーチャルなものへの過剰な傾倒という文法でもって。でも、そもそもヴァーチャルなものへ傾倒し得るからこそ法や市場も成立可能なわけですし(貨幣なんて、それこそヴァーチャルな「信用」をみんなが信じないと成立しませんよね☆)。
私見では「オタク=ヴァーチャルへの傾倒=犯罪者」と。シンプルな図式で叩くのはもう、飽き飽きです(^^;。
そうではなく。
われわれは誰しもヴァーチャルな世界構築を行い、それにしたがってリアルを感受して生きているのだ、と。その事実をまずは認めましょう、と私は主張したいのです。
議論は、そこから開始すべきです。
そこから、喧嘩や議論が「過剰化」しやすいネット空間の特質をよく学びましょう、と(^^;。
単純に「リアルとヴァーチャルを混同するな」ではなく、「リアルもヴァーチャルも地続き」であり、人間はそもそもヴァーチャルなものに親和しやすいと言う、プラトンがすでに看破していたような事実を教えるべきではないか、と(^^;。
ああ、でも。
……そういった「世界観」を教える哲学って、昨今「役に立たない」といって評判が悪いですよね〜。大学でもどんどん科目から削られていってますし。
まあ、これも個人的な意見ですが。
「リアル/ヴァーチャル」云々言うのでしたら、今こそ哲学を! と思うんです。
人間が世界をいかに認識するのかという「認識論」と、世界はいかにして在るのかという「存在論」この二つを学ぶこと。
これは、複雑化し混乱した今日の技術環境をサバイバルする上での、「精神的基礎体力」となるはずです。
いやもう、ホント。小学校とかで講義してほしいって言われたら、「ゆとりの時間」にでも行きたいですよ、とつぶやく大学非常勤講師(一応)が、ここに一人……(^^;。
June 2, 2004. Wed. 晴れ
自作についてのツブヤキ
最近、こっちの更新を休んでいるくせに、オリジナルのものは論文と平行でに書いています(すいません。今、こっちが出てきてるんです…)。
まあ、ライフワークみたいなもので。そのうち日の目を見るかもしれませんし、永久凍土の下に沈みこんだままかもしれないのですが(^^;。
自作品と批評については、自分でも不可解なのですが。
実のところ。
私は本当の意味では、他人の言葉をきちんと感受できないような気がするのです。根本的には、あんまり他人の言うことに影響を受けません。
……非常に可愛らしくないような気がするのですが(^^;。
「自信がある」とか、「他人をナメてる」ってのとも温度差がありますね〜。
自信なんてありませんし、常に他人にへーこらしている種類の人間ですから(^^;。
どう言ったらいいのか。
他人にけなされると、当然落ち込みますし、どこが悪いのか的を得てくださっている場合には、努力して直します。少なくとも、よりよいものを書こうという意志だけは潰えたことはありません。
逆にほめられると嬉しいですし、喜んでいただけたらもっと頑張ろうと思います。
しかし。
けなされたときにもほめられたときにも、「そういう状態の自分」をいつも、無常なる目が真正面から自分を覗き込んでいるように思われるのです。
「それ」と目が合うと、途端にけなされて落ち込んだ気持ちも、ほめられて嬉しい気持ちも、どこかに消し飛んでしまいます。
そういう問題じゃない、と思って背筋が凍ります。もちろん、けなされるのは「面倒で厄介なこと」です。他人には、認められないよりは認められたほうがずっと生きやすいでしょう。
でも。
ああ、そういう問題じゃないんだ、と思うんです。この感覚は、言語化するのが難しいですね(^^;。
そして同時に、とくとくと水が地面から沸いてくるように純然と「よいものが書きたい」と渇望するのです。論文でも、小説でも、いや、どんな文章でも。
電波な文章ですいませんが(^^;。
June 1, 2004. Tue. くもり
6月になりましたね!
ああ。
脳天気に喜んでいられません。
日は過ぎぬ、締め切りは迫りぬ。
我泣きぬれて。
……蟹とたわむる。
………意味不明。
今週中は、連続多発締め切り状態なのですが。
なぜ私は、ドラフ島(←「パワプロ8」です)に通ってしまうのでしょうか(涙)?
ダメダメでしょうか?
……その通りですね。
でも。
「イリスのアトリエ」も買ってませんし。
新しいゲームを買うのは控えています。
一応自粛モードなんですが。
……世間はこのような人間をダメと呼ぶのでしょうね、きっと……(しくしくしく)。
The world in this trivial DIARY: nothing is new under the sun
|