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January 31, 2004. Sat. 晴れ
アトリエサイト様、1件追加させていただきました〜♪
というわけで、リンク部屋をご確認ください。素敵なアトリエSSを書かれているサイト様です。文章の骨格がしっかりしていて、読みやすいSSです。って、私が言うのもおこがましいんですけど(^^;。

それにしても。
昨日。
私のここのところの心の支えであった「長崎犯科帳」が、ついに終わってしまいました……。

……………。

忠四郎さまぁ〜〜〜〜〜(号泣)!

テレビ東京が入る地域の方にしか分からない(いや、入ってても見ませんよね、乙女の皆様はテレ東の昼の時代劇なんて……)ネタで申し訳ないんですけどねぇ……。ああ、バイトが昼にあるときは、毎回録画してまで見続けていたのに。

とにかく。
痛快な時代劇なんですよ。
舞台は江戸時代末期の長崎。
主役は長崎奉行、平松忠四郎(萬屋錦之介)です。
タイトルに毎回流れるナレーションをそのまま書けば、舞台設定はお分かりでしょう。

「江戸末期の長崎はオランダ貿易に開かれた、ただ一つの港であり、巨大な利権と、暴力の渦巻く暗黒の街であった。この利権を操るものは、一握りの豪商達であり、貧しい人たちは彼らの搾取に泣き、暴力に怯えるしかなかった。ここに、白日の法の下に裁くことをかなわぬものを、闇の法の下に斬ると思い定めた闇の裁き人たちが登場する。人、これを呼んで、闇奉行という……!」

このナレーションの間、ものすご〜いスピードで、くるくるくるくる、背景の画像が変わるんですよ。それがまたカッコいいんです♪
……すげーカットワークしてんな〜、と最初驚いたんですが。
見たら。
オープニングタイトルを監督しているの、実相寺昭雄じゃないですかッ!
庵野秀明も、実相寺昭雄を尊敬しているそうですが。
なるほど、「エヴァ」のオープニングって、これに似てるわ……。

と、思い。
見始めてしまったんですが。

……………。

面白い(ごくり)。
すっげー面白いんですよ、このドラマがッ!
まず、舞台が巨大利権飛び交う、エキゾチックな町長崎ってところがニクイです。
そんでもって、表と裏、二つの顔を使い分ける平松忠四郎がいいんです!
お白州で裃をつけて、公儀のお仕事をしているときもキリっとしていて素敵ですが、普段の歯切れのいい江戸弁で歯切れのいい台詞を言うときも鯔背ですし(ああ、最近ホント、「鯔背(いなせ)」って表現が似合う役者さんが少なくなりましたね……)。
法のもとに裁くことができない悪党を、「闇奉行」となってばしばし切りまくるところもカッコいいんです。この方、本当に質量感を感じさせてくれる刀の扱いをしますよね〜。うわあ、うまい(ごくり)……、と思いながらいつも見ていました。柄の先に手をかけた、と思った瞬間、ひらり、と切っ先が翻り前方の敵三方、いずれも修羅に落つ、ってな感じでしょうか(^^;。
や〜、私が言うまでもないんでしょうが、錦之介の刀さばき、着物の裾さばき、台詞のキレ、どれを取っても「スター」ですね(^^;。

それから、脇を固める役者さんたちとの絡みもいいんですよ。
闇奉行の右腕となって活躍するのは、凄腕の蘭学医者、木暮良順(田中邦衛が演じています)。
酒好きで居酒屋の女将といい仲になって、居酒屋の二階に居候しているんですが、腕は長崎一と言われています。
……常に酒を飲んでますが(^^;、しかしその実、正義感が非常に強く、悪いヤツを放っておけないため、ときどき突っ走っては忠四郎と衝突して、勝手な行動をとります(でも、お約束というか、最後には忠四郎様が助けに来てくれるんですが)。
医者としての腕もぴか一ですが、なんとこの良順先生、鋭く磨いたメスを投げて、敵の急所を一撃で突き刺してやっつけるんです。毎回、お見事です。

それから、情報収集役として走り回るのが、出島の三次(まだ髪があるころの(^^;、若き火野正平が演じてます)。
丸山(って、長崎の吉原みたいなところですね)の妓夫太郎(って、要するにポン引きなんですが)で、裏世界の情報通です。
火野正平が演じている役にしては珍しく、腕っ節も強いんですよね(^^;。
なにやら十手みたいな武器をもって、すばしっこく相手をぶっ倒します。その動きが、ちょこまかしていてなかなか面白いんです。

で。
この三人が並んだ絵が、実にいいんです。
……やっぱ、キャラって、主役と脇役のハーモニーよね〜♪
と、しみじみ思った次第です。
多分、キャラ設定を書いただけで、どういうお話かはもう大体想像がつくだろうかとは思うんですが(^^;。

あ〜、DVD買おうかな……(悩)?
っていうか。
……か、書きたい。侍ものが、激しく書きたいわ……(震)。

追記
「長崎〜」が終わってしまってしょんぼりしていたところ、来週からは同じ時間に錦之介版の「子連れ狼」が入るんですねッ!

………うふうふ。
うふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……。



January 26, 2004. Mon. 晴れ
一昨日の土曜日、
オペラシティにジャン・ヌーベル(←ご存知ですか? 汐留の電通ビルなんかをデザインした建築家です)展を見に行ってきました(25日でお終いなので、やや慌てて(^^;)。
や〜、見ることが出来て、本当に良かったです。
さまざまな建築物の写真や計画案のCGが展示してあり、その概観やコンセプトに宿る詩的な感性、芸術性に心酔し、帰ってきてヴェンチューリの建築論なんかを読み直して。
現在。もう頭の中は「建築っていいわね〜☆」状態です。
私の頭の中では、言語論や文学などの「かたちなきものブーム」と、建築・美術・映画・洋服などの「かたちあるものブーム」が交互に周流する傾向があります(ああ、すぐあっちこっち興味が移動するからいけないんですね〜(^^;)。

いろいろとヌーベルの建築には衝撃を受けたのですが。
何より衝撃を受けたのは。
その、ほとんどの展示品に。

「実現せず」

って書いてあったことでしょうか……。

つまり。
……コンペ、落ちちゃったんですね、ヌーベル先生(涙)。

そーいや、あまりにも落選が多いんで、以前雑誌のインタビューで、
「実現していない(アンビルドの)プロジェクトがたくさんありますが、それはあなたにとってどういう意味をもつものですか?」
と聞かれ、
「私はアンビルドの建築家ではありません。〜中略〜私は実現可能でないプロジェクトは手がけません。あまりにたくさんのコンペに落選しているので、アンビルドの建築家のように見えるかもしれませんがね。しかし、どのプロジェクトも実現を前提にしています。〜中略〜アラブ世界研究所もカルティエ財団もルツェルン文化会議センターにしても、実際に作られない限り、そのイリュージョンを体験することは不可能ですし、物質/非物質の対比を建築の問題として提示するのも難しいわけです」
と、躍起になって反論していました……(長々と引用、すいません)。

なにやら言い回しが難しいな〜、と思われるかもしれません。
そうなんです、難しいんですよ、この方のもの言いって。
ジャン・ヌーベルは、人呼んで「フランスの建築詩人」。
コンペに提出したコンセプトも、本人の建築についての言説も常に全文詩のよう、というよりは詩そのものです。

たとえば。
展示会に飾られた「近接する視座」という言葉の一部です(※実は、原文は改行をかなり大胆に入れてヴィジュアルにも心を配っているのですが、ここでその通りやると読む方の環境によっては大変に見づらいものになってしまうため、断腸の思いでベタベタに均して書きます)。

建築とはしばしば オーギュスト・ペレが定義したところの
空間を組織する技術だと考えられがちだ
この明白な定義を否定はしないが、私にとって好ましい建築とは まずなによりも
文化の一瞬を石化させたものとして
さまざまな欲望の恒常的な証拠として
興味の中心たるべきだ
連綿と継承されつつ、それでいて儚き幾世代たちの
まったく同じ空間の比率を使ってさえ われわれが「建築」することができる
傑作を、あるいは凡作を

空間の幾何学とは、ものごとの本質を満足に定義するものではない 本在は、より深くに在る
技術
素材
光線
装飾
植栽
景観
すべては近づくための口実である 建築物の組成に
全体を形づくる細部と細部の関係性に

「神は細部に宿る」というミース・ファン・デル・ローエの宣言を思い出すが良い
事物のどのような超越も
地霊へのどのような接近も
部分と全体との正しい関係が証明されてこそ存在できるのだから
異なる縮尺の中に潜むこの作用は、まさに鍵である 喜びを
神秘を
魅力を建築にたたえるための

〜中略〜

建築のイマージュは時代のイコノグラフィーに属する
建築家によって選択された感覚は彼が生きている世界から生まれる

…………以上、引用終わりです。
ええ。
こんなコンセプトでコンペに出していたら、そりゃクライアントも「……分からん!」となりますよね〜(^^;。

「実現せず」ですけど、実現してほしかった建築では、たとえば「東京グッゲンハイム美術館」。
お台場に建てるはずだった美術館なんですが、巨大な山のような概観で、こんもりと木が生い茂り、秋には葉が紅葉するんですよ。
海に囲まれて、近代的なユニバーサルビルディングが林立する中、いきなりそんなものが現れる俯瞰図は、なかなかに圧巻でした。
その競技案の一部。

“人工−自然”のパラダイムは、日本文化の基盤の一つであり、日本における造園術の真髄を成すものだ。
つまり瞬間性への執着である。
儚きものたちによる啓示……、それは過ぎゆく時の認識であり、季節の情動である。
自然とは、東京という都市化現象にとって明確な対立要素であろう……。
その隔絶を露にする方法として“人工と自然”を選んだ。

それから、ベルリンの「フランス大使館」(これも実現せず)の競技案の一部。

庭のさまざまな要素が逆光を浴びて、葉は震え出す。
また、夜間の照明に浮かび、反射し、組み込まれ、重なり合い、混沌とする。
儚い時や雲、風、季節。
これらから湧き上がるリズムを内包する、建築計画とまさに不可分の景観によって、
内部の空間は延長され、拡大され、そして誕生させられるのである。

……ヌーベルは常に、その土地の固有性を念頭に入れています。
土地固有性とは、時空間の双方によって形成されたものである、とさまざまな「競技案」は語っています。
それは一方では自然風土に由来したものであり、他方では人間の刻んだ歴史性に由来しています。
建築とはそれらを開示するものである、と。
近代建築は、たとえばユニバーサルビルディング(って、いわゆる普通の四角いビルですね)に代表されるように、そうした時間的・空間的差異を捨象することによって成立しました。
現在、ニューヨークでも、アムステルダムでも、東京でも、北京でも、シンガポールでも、同じビルが世界中に建てられています。そして、そのことついて、通常人々は何も違和感をもちません
しかしこの風景は、人々の認識も含め「異常」なことではないのでしょうか?
ヌーベルの建築はこの「異常」が常識となってしまった世界の中で、通常の建築の位相をずらすことを試みているのです。
だから、「詩」なんです。
「詩」もまた、言葉の位相をずらすことによって、私たちの通常の世界認識のうちに埋没してしまった「何か」を開示します。「王様は裸だ」と(^^;。
その意味で、真に創造的なものは、いかなる表現形式を用いたものであっても常に詩的です。本物の「詩」は、常に権威を根底から覆します。映像であっても、絵画であっても、文学であっても。
ところが、巨大建築物を計画する側は、一般に何らかの権威を示すことを好みます。
まあ。
……この方は、ある意味コンペに落ちまくってしかるべきなんでしょうかね〜(^^;。



January 22, 2004. Thu. 晴れ
死において、世界は、変化するのではなく、存在をやめる(L.ウィトゲンシュタイン)
ウィトゲンシュタイン・マイブームでございます(^^;。
「論理哲学論考」「哲学(的)探究」(全集版じゃなくて、産業図書版の方が好きなので、「哲学的探求」に一票☆)「確実性について」を読み比べております。

「論哲」では、言語は「要素命題」によってできあがっているとされます。「要素命題」とは、それ以上分割することのできない言語の最小単位を意味します。
私たちが日常的に使用する言語はあまりにも複雑である(「論哲」4.002 日常言語は、人間という有機体の一部であり、他の部分に劣らず複雑である。日常言語から言語の論理を直接に読み取ることは人間には不可能である。思考は言語で偽装する。〜中略〜日常言語を理解するための暗黙の取り決めは途方もなく複雑である)、とウィトゲンシュタインは考えました。そのような言語によってつくられた「世界」は、これまた複雑でぐちゃぐちゃしている、とも(^^;。
しかし、それでも言語の分析を行えば、「それ以上分割できない原子的な事実」へ到着することが可能である。つまり「要素命題」というのは、この原子的な事実をそのまま映している、とウィトゲンシュタインは述べました。
で、上のタイトルのような「要素命題」をたくさん並べました。
「要素命題」は、事実と正確に対応している命題、つまり科学における命題であり、これだけが意味のある命題だとウィトゲンシュタインは述べています。
したがって、これまで形而上学によって語られた文は、無意味となるのだ(←……すごいですね〜(^^;。ハイデガーの「プラトン以降の形而上学の転覆」とどっちがすごいんだろ)、と。
その命題は、第一に

1. 世界は成立していることがらの総体である。

という命題から始まります。
そして、

1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。
1.2 世界は諸事実によって、そしてそれが事実のすべてであることによって、規定されている。
1.11 なぜなら、事実の総体は、何が成立しているのかを規定すると同時に、何が成立していないのかをも規定するからである。
1.13 論理空間の中にある諸事実、それが世界である。
1.2 世界は諸事実へと分解される。

え〜、これ以降、世界を成立させているのは事実→事実とは諸事態の成立である→事態とは諸対象の結合→事態の構成要素となりうることは、ものの本質

等々と、続き。

2.013 論理においては、何一つ偶然ではない。

と断言した上で、「あるものがある事態のうちに現れうるならば、その事態の可能性はすでにそのものにおいて先取りされていなければならない」と言っています。
……そんな美しい前提があり得るのだろうか、というツッコミはともかく、そう言いきったのが「論哲」のすごいところですよね……。

さらに。

2.19 世界を写し取ることができるのは、論理像である。
3. 事実の論理像が思考である。
3.01 真なる思考の総体が世界の像である。
3.03 かつてひとはこう言った。神はすべてを創造しうる。ただ論理法則に反することを除いては、と。つまり、「非論理的」な世界について、それがどのようであるかなど、われわれには語りえないのである。

等々と展開し、「思考とは」「命題とは」「記号とは」「シンボルとは」「定義とは」といった命題が続き、

4.0031 すべての哲学は「言語批判」である。

と、言うんですね……。

で、
5.6 私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。

この場合の「言語」というのは、日本語とか英語とかそういった類のものではなく、すべての言語は言語である限りにおいて唯一無二のものである、とウィトゲンシュタインは考えました。世界は、この唯一の言語によってのみ与えられ、それ以外の世界の与えられ方は存在しない。ゆえに、言語の限界が世界の限界なのである、と。

5.62 世界が私の世界であることは、この言語(私が理解する唯一の言語)の限界が私の世界の限界を意味することに示されている。
5.621 世界と生とはひとつである。
5.63 私は私の世界である。

しかし、「私」を通常形成すると考えられているもの、つまり「思考し表象する主体は存在しない」と言うんですね〜。
……「主体は世界に属さない。それは世界の限界である」と。

で、散々展開してきて、結語なんですが。

有名な命題。
7.語りえぬことについては沈黙しなければならない。

と結ばれています。
この結語。
「サイショニモドル」という感じですね〜(ゆえに、「語りえること」のみについて語らなければならない、と非常に逆説的です)。
この「論哲」なんですが、読んでいるうちに、ぐるぐるぐるぐる、サーキュレーションの中にはまり込んだような感覚を覚えます。難しい。ものすご〜く難しいんですけど……ある意味とってもキモチイイ(ポ☆)。専門ではないので、気楽に趣味で読み散らしている程度だからでしょうね〜。これで論文書けって言われたら……血涙流しそうですけど(^^;。

その後書かれた「哲学探究」では、「論理哲学論考」の言語観は否定されました。
ウィトゲンシュタインは、より実際の言葉の使用の場面に目をむけました。これが有名な「言語ゲーム」です(長くなるので、続きは気が向いたら書きますが(^^;)。
言葉はさまざまな状況でいろいろなやり方でつかわれており、「論理哲学論考」で想定したような統一的な言語など存在しない、とあっさりうっちゃってます。
この「あっさり」なんですが。
そーいえば、ウィトゲンシュタインはオーストリア有数の大富豪の子息として生まれたのですが、第一次大戦から復員してきた際、いきなり銀行に現れ、「預けている金はいらない」とこれも「あっさり」、父親から譲り受けた全財産を放棄しています……。
………奇行の目立ちすぎなウィトゲンシュタイン、私のような凡人がその本を読んだところで、飼い猫がご主人の気持ちを解さないようなものなのでしょうね……(^^;。



January 21, 2004. Wed. くもり
……ぐはあ……。
え〜、考えたら前の日記から24時間経ってないのですが、日記です。
現在。
落ち込みまくっております。
月末に出る某雑誌へ書いた私の文章なんですが。
今。
………誤字発見………(号泣)。

なぜなにゆえに、私は誤字脱字に気がつかぬまま文章を書きますか?
なぜ誤字可能性が、私の文章の現前に開かれていますか?
なぜ誤字があり、そしてむしろ誤字がないのではないのですか?

………。

哲学の問題は「私が途方に暮れる」という形を持つ(L.ウィトゲンシュタイン『哲学的探求』命題123)。

……………。

ハッ。
ナチュラルに孤独死しそうな冥府魔道に入っていたわ(いかんいかん☆)。

は〜(脱力ゥ〜)。
……どこかに、「誤字脱字避け」守りを売っている霊験あらたかな神社って、ありませんかね〜……(涙)。
もう二度と誤字入りの最終稿を出すもんかッ(←と、こういうことがあるたびに決意してるんですが(^^;)☆



January 21, 2004. Wed. 晴れ
DEAD OR ALIVE3雑感
……先日、買い叩きのような値段で、ついに買ってしまいました、Xbox……。
でかい。
……でかすぎです。
アメリカ人感覚ではコンパクトなんでしょうか?
こんなものを「小さい」と思う感覚は、少なくとも何エーカーもある土地に芝生を刈り込んだ庭、玄関には白木のブランコが揺れるどでかい家、広々としたリビング、巨大ソファー、ついでに大型犬が2頭ふさふさとした尻尾を振って寄ってくるような家じゃないと、育たないような気がします……。
そーですねぇ。
うちの青白Mac「マキコ」の先代、PowerMac7500(CPUだけG3にとっかえて、ついでにUSBまでつけられるように改造したものです)「マクタロウ」までは行かなくても、……近しい大きさですかね〜(ようするに、旧式のデスクトップマシンに匹敵する大きさってことですね(^^;)。
なにやら、横に置いてあるゲームキューブがこじんまりと可愛らしく、まるで王に傍仕えしている小間使いのようでございます……。
しかし。
……やりたかったんですよ、「パンツァードラグーン オルタ」。
ええ。
……おそらくこのハードの性能をマックスに引き出したといわれる、伝説のドラマティック・シューティングです!
そして。
おそらく、もうこれ以上のゲームは出ない、というか新しいキラーソフトはこれ以上出ないと言われているハードではあります、Xbox……。

もちろん、「〜オルタ」はプレイしたのですが。
いまや。
投売りソフトオンパレードのXboxです。
ってなわけで、買っちまいました、「DOA3」(前置き長☆)!
……バナナの叩き売り状態に安かったんですよ、「DOA3」!
てなわけで、以下雑感です。

え〜、相変わらず、女性キャラの極端な乳揺れがまぶしい格ゲーなんですが(^^;。
しかしですね〜、キレイです、グラフィック……。や〜、はっきり言ってPS2の比ではなく、キレイなんですよ……。しかも、読み込みが速いです!
何でこんないいハードが……ゴニョゴニョな値段で埃をかぶって放置されていたんでしょうね……?
やっぱり、ビル・ゲイツは、日本のゲーム業界をナメてましたかしらん?
それから。
女性キャラばかりがフューチャーされている「DOA」シリーズですが。
男性キャラも盛りだくさんで、面白いんですよ。
中でも私が今回気に入ったのは、若き酔八仙拳使い、ブラッド・ウォンです。
え〜、酔八仙拳というと、「バーチャファイター2」からいた舜帝というお爺さんキャラがいたのですが(この老師は単純に「酔拳」でした)。
……上のブラッドと比較してください……酔拳ファンとしては、「若い酔拳使いが出た♪」だけで、もう、もう……(涙)。
ついでに言うと、初期の「バーチャファイター」は、キャラの生年月日が明記されていたんですよね。1994年当時でこのお爺さん、70歳越えてましたから……今、いくつでしょうか(汗)?
年齢といえば。たしか主役級のアキラ君は1968年生まれだったわけですが(←さすがに最近生年月日書かれてませんね)。
……今年、年男で申年36歳ですか……(昔はもっと爽やかだったのに……)。
………な、何も言うまい……。

さて、私は通常格ゲーでは迎撃技が豊富な中国拳法系を使います。サッカーで言ったらカテナチオ! 野球ならば森西武! イケイケに攻めるよりもガードを固め、最終局面では肉を切らせて骨を断つほうが好みです(←う〜ん、性格悪そう(^^;)。
しかし。
酔拳は、自分が使うより見るほうが好きだったんですよね、上手い人のを……(^^;。
なぜならば、トリッキーでフラクタルなあの動きは、センスと運動神経が要るからです(←その代わり、上手い人は芸術的に上手いんですよ、このキャラ使うの)。
さらに舜帝の場合は、手足が短くて(設定身長164cm)攻撃が届く範囲が狭く、しかも一撃あたりの力が弱くて、勝つのがメチャメチャ難しかったんですよ。
でも。
ブラッドの場合、手足が長く(設定身長182cm)、しかも一撃あたりのパンチ力も舜帝よりも強力です。
ついに。
……ついに、このヘタレゲーマーも酔拳に挑戦する日がやって来たのだわ!

そう思い、サバイバルモード20人抜きに挑戦したのですが。
……10人以上抜けません(号泣)。
………20人抜くと、ブラッドのコスチュームが増えるそうなんですが……本当でしょうか?

ちなみに。
「DOA」は、キャラの年齢、職業、好きなものが明記されているんですよ。

たとえば。

エレナ
年齢:21歳
職業:オペラ歌手
好きなもの:ブラマンジュ

レイファン
年齢:19歳
職業:学生
好きなもの:杏仁豆腐

ザック
年齢:25歳
職業:DJ
好きなもの:アイスクリーム

レオン
年齢:42歳
職業:傭兵
好きなもの:ピッツァ

等々とあって、なかなかバラエティに富んでいるんですが。
しかし、ブラッドの場合。

ブラッド
年齢:30歳
職業:無職
好きなもの:酒

……って。
何と言うか。
……「お婿さんにしたい男性」ワースト1タイプではないでしょうか……(涙)?

てなわけで、取りとめもない話、失礼しました。



January 17, 2004. Sat. くもり
ここ数日、寒いですね〜。
あ、東京は、なんですが……。なにやら東北、北海道あたりは大変なことになっているとか(その方面にお住まいの方、ご無事ですか?)。
北海道といえば、修士のときからの友人が就職して北海道の研究所に行ったのですが。
年賀状で私が「去年結婚しました」って知らせたら。
わざわざお祝いに可愛い小鉢を贈ってきてくれました。ありがたや……(涙)。
彼女はとっても優秀な人で、もう博士号も取っちゃいましたし、研究にしても、その筋では有名なところに就職したので、将来も嘱望されているような才媛なんですが(私の友達は優秀な人ばっかですね……類は友を呼ばずに本人この体たらくですが(^^;)。
っていうか。
……忙しいでしょうにね〜(若手は雑用だらけの中、博士号も取って、本当に大変だろうと思うんですよ)。知らせたらすぐにお祝いを贈ってくるなんて、やっぱりデキル人って、行動が早いですね〜(しみじみ)。

そーいや。
以前学会にて、以前よりご高名は拝聴して、というような先生とお会いしたんですよ。
私はその先生の本を何冊も読んで尊敬しておりましたので、緊張しながらも懇親会の席で話しかけたんですが。
……えっらい気さくな方で(^^;。びっくりでした(しかし、色んな専門の先生と会う機会が多いのですが、本格的に優秀な人に限って気さくな場合が多くてびっくりです)。
すこし前に翻訳なさったご本のことをおっしゃっていたので。
「あ、じゃあ、買います!」
と言ったら。
「うちに何冊も転がってますから、一冊あげますよ?」
と言われ。
まあ、社交辞令くらいには受け取って(^^;、一応名刺を渡しておいたんですよ。
しかし。
果たして、その翌々日。
……宅急便で、本、到着……。
先生、家に帰ってすぐに送ってくださったんだわ……(涙)。
いや、びっくりしました。慌ててお礼状を書きました。
っていうか。
メールの返事やらお礼状の類はすぐに右から左にかたづけよう、と心に決めました……。
ええ。
論文の上がりが遅いんですから、せめてそれぐらいは……(涙)。



January 16, 2004. Fri. 晴れ
久々に新作アップしました〜♪
今更ながら恐縮なんですが、6666番キリリクにお答えいたしました。
お題は「アニス時代のノルエリかクラマリ」でございましたが、どうせならセット抱き合わせ販売(?)ということで、両方の要素を含んだものを書かせていただいた次第です。
works部屋に、エリアト部屋を増設いたしましたので、そちらからどうぞ。

え〜。
アニス時代っていうと。
ノルディスとエリーって、歳はいくつくらいなのでしょうか?
「エリアト」本編で、エリーはすでに二十歳近くなって卒業、で、マイスターランクに行かなかったとして、WSC版「二人のアトリエ」で、すでに4〜5年経過した後に、今度は「アニス」ですから……。

…………。

ま、エリーもノルディス君も、大人になっていてしかるべきですね☆

……っていうか、マリーとクライスはいくつ(どきどき)?

…………。

ま、マリーもクライスも、現在の日本の平均初婚年齢を越えてるってことですね☆

え〜、まあ、そんなことはともかく。
お楽しみいただけましたら幸いです。
折を見て、続きもアップします♪



The world in this trivial DIARY:
nothing is new under the sun





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