音楽の聞こえる喫茶店

「ジャズって、おっさんのやるもんだべ。
インテリ顔(づら)した客がブランデーグラスなんか回してよう」(Swing Girls)

前言
主にジャズのプレイヤーについて、その音楽の特質と代表的な演奏―と言うか、好きな演奏―について好きなことを書こうという、全く個人的な趣味のページです。2004年から、時々思い出したように書いています。
去年(2004)は、エンリコ・ピエラヌンツィやポール・ブレイをよく聴きました。今年になっても、東西のピアノをよく聴いています。しかし、その反動でしょうか、最近、よく聴いているのは、Archie Shepp とか、Roland Kirk とか Dolphy など(笑)です。
ところで、ジャズ・ファンの皆様、菊池成孔+大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー』、もう読まれましたでしょうか? 待望久しい、楽理と文化史を軸にしたジャズの歴史の講義録です。ギャグも含めて中味がぎっしり詰まっています。必読などとは言いませんが、読まないと損です。私は、主に電車の中で読んだので、おかげで二度ほど乗り越しそうになりました。
(2005年7月)
もうすぐ今年も終わりになりますから、まとめの意味で、私的な、今年一年のベスト盤を3枚。
e.s.t. / Viaticum (独ACT/Sony)
Brad Mehldau / Day is Done (米Nonsuch)
Thelonious Monk Quartet with John Coltrane / Live at the Carnegie Hall 1957 (米Blue Note)
Mehldau は前作の「Anything Goes」がよく分かりませんでしたが、新作を聞いて「こういう方向だったのか」と、改めて納得しました。今回からドラマーが替わったので、よく言えばリズムがタイトになった、悪く言えばリズムが五月蝿くなった、という違いはあります。
発掘物のモンク=コルトレーンは、いま聞いても素晴らしい演奏(と音)です。
e.s.t は、ファン向けにライブ音源を含めた同CDの限定二枚組(Platinum Edition)も出ましたが、そちらも素晴らしい出来でした。結局、スヴェンソンとメールドは、今年も相変わらす、新譜が出たら一番気になる二人でした。
(11月14日)
付言―ところで最近は、ジャズよりクラシックばかり聞いています。特に、ショスタコーヴィッチ(の室内楽)。ろくに聞いた覚えがないので、今回まとめて聞いています。
「ジャズ組曲」など、全然ジャズではありませんが、妙に鄙びたメロディと郷愁をそそるような色彩感のハーモニー(とダサいリズム)がなぜか耳に残ります(スタンリー・キューブリックの「Eyes Wide Shut」で使われていた曲です)。


マイルス・デイビス Miles Davis

ジョン・コルトレーン John Coltrane
オーネット・コールマン Ornette Coleman
マリオン・ブラウン Marion Brown
アルバート・アイラー Albert Ayler
アーチー・シェップ Archie Shepp

チャールス・ミンガス Charles Mingus

セシル・テイラー Cecil Taylor
オスカー・ピーターソン Oscar Peterson

キース・ジャレット Keith Jarrett
ポール・ブレイ Paul Bley
ブラッド・メールド Brad Mehldau
ミシェル・ペトルチアーニ Michel Petrucciani
エンリコ・ピエラヌンツィ Enrico Pieranunzi
エスビョルン・スヴェンソン Esbjörn Svensson (e.s.t.)
ビル・チャーラップ Bill Charlap (New York Trio)

ウェザー・リポート Weather Report

秋吉敏子

レスター・ヤング Lester Young & Billie Holiday
デューク・エリントン Duke Ellington

粟村政昭(ジャズ評論家)
寺島靖国(ジャズ随筆家)

『スイング・ジャーナル』(ジャズ雑誌)

付録―クラシックの私的名盤

徳永英明


パソコン時代の音楽
80年代の中頃、レコードからCDに変わっていった頃、音楽を殆んど聴かなかった時期があります。
大学時代は、ジャズばっかり、大学院の頃は、クラシックばっかり、聴いていたのですが、どちらも全然聴かなくなってしまったのです。
仕事が忙しかった(笑)とか、レコードからCDへの移行に乗り遅れたとか、いろいろ理由は考えられます。でも、今考えると、一つは、CDという媒体の持つ問題があります。
帯に短し、襷に長し――CDの時代になって、音楽の聴き方が難しくなりました。
CDの大きさを決めるとき、カラヤンが「(ベートーヴェンの)第九が一枚に入るように」と注文をつけて、片面で75分収録できる今の大きさになったという有名な話があります。
クラシックは「曲」が単位だから、多少長くてもいいのです。でも、ポピュラー音楽に70分は、聞く方にも、CDを作る方にも(たぶん)、長すぎます。
レコードの時代は、ジャズ喫茶と同じように、自宅でもレコードの片面だけ掛けて聴いていました。
ジャズのレコードには、片面に16分から20分くらい、演奏が入っています。それが丁度よかったのです。注意力が持続します。
(さらに昔のSPの時代には、片面3分でしたから、もっと集中して聴けたようです。)
ところが、CDには60分以上、曲が入っています。よっぽどの名盤でも、終わりまで集中して聴き通すのは辛い長さです。
頭から掛けると、たいてい途中で注意力が散漫になり、後ろの方には、何が入っているかも分からない、ということになりがちです。
LPレコードは、ジャケットも含めて「作品」として作られ聞かれました。
それはジャズだけでなく、ロックでも同じで、60年代後半から70年代には、LPは「トータル・アルバム」として作られ、一つのメッセージとして聴き手に送られたのです。
しかしCDではそういう性格が失われました。
鑑賞されるものから、大量に消費されるものになったのです。
少なくとも、作品として作られるポピュラー音楽にとっては、CDは不幸な媒体でした。

ところが、コンピューターの性能が向上して、音楽や映像を難なく処理できるようになって、事情が再び変わりました。
音楽がレコードやCDといった媒体から解放されたのです。今考えると、CDは、デジタル化の最初の一歩にすぎず、過渡的なものだったのです。
近年、CDの売上が落ちていると言われます。その理由の一つに、ネット販売があります。
さらにブロードバンドが一般化すると、CDを買うのではなく、曲をネット上でダウンロードして聴く、というのが普通のことになりそうです。
今、家のコンピュータには、MP3とかWMAとか、圧縮された音楽ファイルが、18000曲近く(80GB)入っています。
中味は主にジャズです。圧縮することで音は多少悪くなりますが、メリットも幾つかあります。
1)CDを取り出さずに、あの音楽家のあの演奏を、と一曲だけ聴くことができます。
(箱入りのCDセットなんて、買っても意外と聞かないものです。でもハードディスクに収めておくことで、手軽に聞けるようになります。)
2)一枚のCDを後ろの曲から、とか、バッハの曲をランダムに、とか、ジャズだけランダムに、とか、自由に聞くことができます。
とりわけ、コンピューター任せで、ランダムに聴けるのは楽しいことです。
普通にCDを聴こうとすると、Glenn Gould のバッハ「ゴールドベルク変奏曲」を、とか最初に選んで聴くことになるわけですが、
そういう場合には、聴く前から何を聴くのか分かっており、先入見と一緒に聴いている、という面があります。
パソコン任せでランダムに流れるようにしておくと、そういう先入見なしで聴きますから、直に音楽と向かい合うことになります。
そうすると、音楽家の名前とか曲の名前とか、余計な言葉がいかに音楽そのものを聴くのを邪魔しているかが、よく分かります。
そういう訳で、近頃は、八割はパソコン経由で音楽を聞くようになっているのです。
あるいは、MP3プレイヤーで、近所を歩きながら聴く、というような聴き方が主流になっています。

そうやっているうちに気づいたことを、いろいろ書いてみようか、というのが、このページです。
音楽を言葉で語るのは空しいところがありますから、結局は、自分はこれが好きだ、という話をするしかないでしょう。
でも、その理由も、少し考えてみたいのです。

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