エスビョルン・スヴェンソン(Esbjörn Svensson)

エスビョルン・スヴェンソンは、1964年生まれの、スウェーデンのピアニスト。ベースのダン・ベルグルンド(Dan Berglund)、ドラムのマグヌス・オストロム(Magnus Öström)とともに、e.s.t. というトリオを組んで、もう十年以上、活動しています。CDは、最新作「Viaticum」(2005)を始め、10枚ほど出ています。(ただし、「Somewhere Else Before」は、ベスト盤。また他に、2000年12月のライブを収めたDVDが一枚があります。)
このトリオは、数年前に、「Winter in Venice」というCDを買って聞いてはいたのですが、いまいちピンと来ず、そのままにしていました。それが昨年(2004)、「E.S.T.Live'95」の一曲目「Say Hello to Mr.D」を聞いて、ピアノのソロから、ベースとドラムが加わってテーマを奏する辺りで感動し(なんという優しくて爽やかな音楽!)、改心したのでした。
最近は、かなり熱心なファンです。
スヴェンソンに一番大きな影響を与えているのは、キース・ジャレットでしょう。「Say Hello to Mr.D」もそうですが、曲想にもピアノのタッチにも、若い頃のキース・ジャレットを聴いているような気にさせるものが、いろいろあります。少なくとも、97年録音の「Winter in Venice」辺りまでは、そういう傾向が見られます。もし、ここに留まっていたら、キースの影響を受けた「just another」な、つまり「他にもある=普通の」、ピアノトリオで終わっていたかもしれません。
しかし、スヴェンソンは変わりました。「エスビョルン・スヴェンソン・トリオ」から「E.S.T.」に名前を変えたことに象徴されるように、音を電気的に歪ませたり、リズムを多様化したりしながら、トリオとしてのトータルな音造りを始めました。「From Gagarin's Point of View」(1998)「Good Morning Susie Soho」(2000)「Strange Place for Snow」(2001)という怒涛の三部作で、E.S.T.としての音楽を打ち出したのです(注1)。
その典型は、「From Gagarin's Point of View」で、そこに収められている「Dodge The Dodo」→「From Gagarin's Point of View」→「The Return of Mohammed」という曲の流れは、現代的な激しいリズムで盛り上げた後、一転して、スロー・バラードにという、メリハリの効いた展開で、E.S.T.の最高の演奏の一つです。その中の「From Gagarin's Point of View」は、E.S.T.がこれまで書いた一番美しい曲だと思います。

私が、E.S.T.に関して一番心配している点は、自分達のプロフィールに、「e.s.t.は、ジャズ・バンドではなく、ジャズも演奏するポップ・バンドだと考えている」と書いている辺りに関係します。確かに、ロック的な音造りもありますし、狭い意味の「ジャズ」に捕われないのが、E.S.T.のよさの一つです。しかし、それによって、ジャズの本質である即興性(この場合、ソロの素晴らしさ)という面が弱まることがないのだろうか、という危惧があるのです。Weather Report のように、ジャズの持つ芸術性(即興性)とポピュラリティを両立させた、いくつかの稀有な例はあります。しかし、ジャズのソロは、普通のポップスに較べれば解り難いものなのですから、幸福な時期が長続きするのは困難でしょうし、結局はポピュラリティの罠に落ちる危険と隣合わせです。向こうでは新作CDも結構売れているようなので、なおさら心配です。

最新作の「Viaticum」は、「臨終の聖餐(せいさん)・聖体の秘跡」といった意味で、表題曲は、E.S.T.に何かあったのだろうかと思わせる、悲愴な曲です(注2)。また、一曲目の「Tide of Trepidation(戦慄の潮)」は、インド洋大津波のチャリティ・コンサートでも演奏されており(ホーム・ページに映像あり)、全体を暗い影が覆っています(注3)。スローでマイナーな曲が多く、一聴後、重い印象が残ります。また曲もよく作られている印象があります。こういうのを聞くと、上に書いたような(「もっとばりばりソロを!」という)危惧を感じるのです。まあ、どれも美しい曲ではあるのですが…。
70年代のキース・ジャレットの名作「生と死の幻想」には、レコードではB面でしたが、「祈り」という、ピアノとベースのデュエットで演じられる、ちょっと暗いロマンティシズムに満ちた瞑想的な曲がありました。重い曲想ですが、心に深く残ります。ベースとピアノが瞑想的なソロをとる「Viaticum」は、ESTの「祈り」です。
ついでに言うと、このCD全体が、ESTの「生と死の幻想」なのかもしれません。また、見方によっては、ESTの最高傑作という評価もあるかもしれません。私は、爽快な感じがする「Gagarin」と「Susie」の方が好きですが。

E.S.T.にちょっと関心があるという人に勧められるのは、「Somewhere Else Before」。これは、「From Gagarin's Point of View」と「Good Morning Susie Soho」からの編集盤で、輸入盤なら、値段も安く買えます。「The Face of Love」以外は、ESTのオリジナル曲ですが、名曲揃いです。でも、E.S.T.が本格的に好きになりそうな人は、オリジナルの二枚を買うべきでしょう。どちらも傑作です。(「Somewhere Else Before」には「Spam-Boo-Limbo part2」という曲が入っています(表記されていません)が、これは「Reminiscence of a Soul」の後半部分で、新しい曲ではありません。)
それから、アメリカ盤の「Seven Days of Falling」は、なんとDVDが一枚ついて2000円もしない、大サービス盤です。ジャパネットの高田さんではありませんが、「買いなさい。今すぐ、買いなさい」と、耳元でささやきたくなる一枚です。(「Vativum」に較べると、曲想も明るめです。)
2000年12月のライブの半分を収録した、このボーナスDVDを見ると、「あの音はこうして出してるんだ!」と、目から鱗その他いろいろだと思います。(時々聞こえる、エレキ・ギターみたいな音は、シンセサイザーなのか、ベースがエレキ・ベースを弾いてるのかと、謎でした。)
初期のものでは、セロニアス・モンクの曲を演奏した「EST Plays Monk」が私は好きです。弦楽四重奏と共演している曲もあり、90%オリジナル曲を演奏するESTとしては異色作です。

この音楽のページは、完全に趣味的なものですから、世界中の誰も見ていないのではないかと思って、自由に書いています。だから、どんどん書いてしまいますが、ジャズ・ピアニスト番付というものを作ってみました。現役の力士―ではなくて、現役のピアニスト限定です。(「ミシェル・ペトルチアーニはどーした?」とか言わないように。)
東の横綱 ブラッド・メールド(好調時は最強)
西の横綱 エンリコ・ピエラヌンツィ(8割近い平均した勝ち星で横綱の地位に)
張出し横綱 キース・ジャレット(病み上がりですから…)
東の大関 ケニー・バロン(キャリアとか貫禄で)、ポール・ブレイ(もしかしたら、土俵が違う?)
西の大関 エスビョルン・スヴェンソン、ラーシュ・ヤンソン
東の小結 ビル・チャーラップ
エスビョルン・スヴェンソンは、「From Gagarin's Point of View」以下の三部作で一度優勝してますから、もう一度優勝したら、綱取りということになります。
はっきり書くと怒られそうなので書いていませんが、ハービー・ハンコックは、ピアニストとしては、東の大関くらいだと思います。(チック・コリアは、引退です。と言うか、シニア・リーグです。)ゴンザロさんは、南の大関でしょうか(注4)。また、e.s.t. に似ているとも言われるThe Bad Plus は、平幕(もしかしたら十両?)です。また、セシル・テイラーは、K1か何か、別のリングということで、省略。
平幕のピアニストについては、別のページで、そのうち書きます。


スヴェンソンの訃報が届きました。
2008年6月14日、ダイビング中の事故で急死。享年44歳。
「Viaticum」の後、2006年に「Tuesday Wonderland」、2007年に二枚組みの傑作ライブ「Line in Hamburg」を発表して、この後も活躍が期待されていただけに、信じられない思いです。
新作を心待ちにするジャズマンは、もう誰が残っているでしょうか?
ご冥福をお祈りします。


注1)デビュー作「When Everyone Has Gone」(1993)で、既にESTを名乗っていますから、こう言うと語弊があるのですが、「Winter in Venice」(1997)までの4枚は、CDのラベルの表記が「Esbjörn Svensson Trio」であり、作曲者にも Svensson の名前がクレジットされています。これに対して、「From Gagarin's Point of View」からは、CDのラベルに大きく「est」の文字があり、作曲者名も「est」となっています。また、内容としても、最初の4枚(なかでも「Winter in Venice」)は、比較的オーソドックスなジャズの「ピアノ・トリオ」ですが、「Gagarin」以降は、通常の「ジャズのピアノ・トリオ」の枠を越えています。

注2)この曲は、デヴュー作「When Everyone Has Gone(みんなが逝ってしまった時)」の表題曲に良く似た曲想で、この曲のリメイクなのかもしれません。両曲を較べてみると、e.s.t.が一貫して持っている音楽性と、十年間に歩んだ道の遥かさ(「What Though The Way May Be Long (道は遠くても)」)が実感されます。

注3)下記のHPにメールアドレスを登録すると、パスワードが送られてきます。因みに、新作の「戦慄の潮」「レヴィアタンからの手紙」といった曲名は、インド洋大津波の後に付けられた(あるいは変更された)のかもしれません。(「レヴィアタン」というのは、『聖書』に出てくる、海の怪獣の名前で、普通は鯨のことだと解釈されています。)

注4)ジャズの本場はアメリカですから、東西に分けるのはバランスが悪いようにも思えますが、ピアノに限っては、西高東低で、ヨーロッパも負けていません。と言うか、ここ十数年は、相撲にモンゴル勢が一大勢力を築いているように、ヨーロッパ勢の地位は確立されています。

→ e.s.t. のホームページ(http://www.est-music.com/)

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