ブラッド・メルドー(Brad Mehldau)

最初に書いたように、私は80年代は、ほとんどジャズを聴いていません。90年代にジャズ界に復帰してからも(―「復帰」って、マイルスとかじゃあるまいし、偉そうですが)、キース・ジャレットやら、マイルスやら、トミー・フラナガンといった、「♪昔の名前で出ています」という人たちのCDを、主に聴いています。今年になってもよく聞いているのは、エンリコ・ピエラヌンツィ と ポール・ブレイといった、基本的には、昔の人です。
しかし、一人だけ、例外があります。ブラッド・メールドです。
(名前の表記は、「メルドー」より「メールド」または「メールドゥ」か「メールドー」の方が正しいような気がします。それに「メルドー」と発音すると、フランス語で「shit」ですし、本人も嫌でしょう。)

メールドのスタイル
ジャズ界の期待の星です。
右手でソロを演じていると思うと、いつに間にか、左手が別の旋律を奏し、二つの旋律が重なってくるという、アクロバティックな奏法は、初めて聞くと、誰でも引っくり返るでしょう。
もともとジャズ・ピアノは、左手で基本的な和音(コード)を押さえながら、右手で旋律(テーマ)とそのヴァリエーションを弾くのが基本スタイルです。その際、左手は、モダン以前のスタイルと違い、右手の添え物的な役割しか持っていません。これはモダン・ピアノの開祖バド・パウエルから始まり、パウエルと並ぶもう一つのスタイルを創ったビル・エヴァンスを経て、さらにその影響下に出た、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットの御三家も、基本的には同じです。
もちろん、中には、デイブ・ブルーベックやボビー・ティモンズ、あるいはマッコイ・タイナーのように、右手でガシガシと和音を押さえる「ブロック・コード」のスタイルや、セシル・テイラーや山下洋輔のように右手も使って打楽器的な演奏をするプレイヤーもいます。でも、右手は和音という役割分担は、意外と同じなのです。
メールドの場合、現代の多くのジャズ・ピアニストがそうであるように、その音楽的な出発点は、ビル・エヴァンスだったようです。初期の演奏は、「エヴァンス派の新人ピアニスト」という枠内に収まっています。
それが次第に、右手の主旋律に、左手の副旋律が加わってきて、時に役割交代し、さらに融合するといった、メールドの演奏を特徴づける独特のスタイルが現われて来ました。それが成功した時の効果は圧倒的です。
マリアン・マクパートランドとの対話で、「それは子どものときにクラシックを習ってた影響ですか、対位法だとか?」という問いに答えて、「そうでしょうね。ジャズ界でなら、アート・テイタム、オスカー・ピーターソン、ビル・エヴァンス、キース・ジャレットみたいな、ハーモニーを大事にするピアニストを尊敬しています。」と言ってますが、モダン・ジャズの本流から少し離れた地点に位置し、一つの曲の中に隠れているいろんな声を同時に発展させていくやり方が、メールドのスタイルを決定づけていると言っていいでしょう。

Village Vanguard でのライブ
そうしたメールドの音楽性が最もよく発揮されたものが、Village Vanguard でのライブでしょう。
Village Vanguard でライブ録音された「The Art of the Trio」と題されたシリーズの三枚(Vol.2, 4, 5)は、みんな凄い演奏です。
私が最初に聴いたのは、「Vol.2」で、一曲だけ聴いてみようと思ってCDプレイヤーに掛けたら、引き込まれて、最後まで聴いてしまいました。そういう風に聞かされてしまうことは、新譜では、滅多にあることではないのです。
また、「Songs」は、スローテンポで、曲を歌い上げるように弾いた演奏で、メルドーの深い心の歌が聴けます。(ちょっと、ディープ過ぎて重いという人がいるかも。)
(続く)

メールドのソロ・ピアノ
2003年に東京で録音したソロのライブ録音が出ました。「Live in Tokyo」、輸入盤は一枚、国内盤は二枚組みです。私はとりあえず輸入盤の方を買い、その後、中古で二枚組みの方を買いました。最後の「River Man」は、強力な左手の叩き出す和音によるソロが、新鮮な響きで、感動ものです。
ソロは、「Elegic Cycles」というアルバムがあります。「Places」にも、ソロが差し挟まれています。
対位法的に音を重ねてゆくやり方は、時に、クラシックのピアノを思わせます。
特にソロの演奏を聴いていると、クラシックの演奏かと思う瞬間があります。
ジャズ特有の、ドライブするリズムという面が、ジャズ・ピアニストとしてのメールドの物足りなさかもしれません。
(続く)

新トリオとメセニーとのデュオ
2005年になって、二つのニュースがありました。まず、Waner Brothers がジャズ部門を廃止したのに伴って、Nonesuch へ移籍し、また、長い間、共演して来たドラマー(Jorge Rossy)が辞め、代わりに新しくJeff Ballard を加えたトリオが誕生しました。(このトリオは、よく言えば、リズムがタイトになって全体の締まりが増した、となり、悪く言えば、ドラムが単調に叩きすぎで五月蝿い、ということになります。)この新トリオでは、スタンダード集の「Day is Done」と、メールドのオリジナル曲を集めた「House on Hill」という二枚のCDが出ています。中でも「Day is Done」は、このトリオのこれからの方向性を示した傑作です。
それと同時に、2005年12月録音の、ギターのパット・メセニーとのデュオが出ました。これも二枚あり、二人のデュオ中心の「Metheny/Mehldau」(2006)と、トリオにメセニーを加えたカルテット中心の「Metheny/Mehldau Quartet」(2007)です。
さて、ギターのメセニーですが、実は、私は、余り興味がありません。ECMに録音した「80/81」とか、CDには名作も少なくないとは思うのですが、肝心のメセニーはいなくてもいいかなと思ってしまうのです。早い話が、メセニーの演奏を聴いて、いいと思うことが余りないのです。
という訳で、メールドとの共演についても、同じ感想を持ちました。つまり、「デュオでやってる曲は、イマイチ面白くないが、カルテットの演奏は悪くない。特に、トリオでやっている部分は、なかなかのものである。」ということです。
あくまでメセニーはゲスト扱いで、トリオもしくはカルテットの演奏を中心に一枚のCDとして発売し、中に一二曲、デュオ(バラードの「Find me in your Dreams」か「Make Peace」)を入れた構成にすれば、「傑作」という評価もあっただろうに―と思うと、まことに残念です。(そんなこと思ってるのは私だけでしょうか?)


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