クラシックの私的名盤

滅多に聴かないと言いつつも、最近、クラシックをいろいろ聴いています。
特に最近は、秋から冬になると、ブラームスとかシベリウスとか、クラシックの気分なのです。
因みに、好きな音楽家は、1)モーツァルト、2)バッハ、3)ドビュシー、4)ブルックナー、辺りで、5位は、その時の気分で、シューベルトだったり、ブラームスだったり、フォーレだったりします。勿論、ベートーヴェンも嫌いな訳がありませんし、最近は、ショスタコーヴィチばかり聴いています。でも、地球最後の日が近づいて、死ぬ前に五曲だけ聴かせてやると言われたら、上の順番でチョイスしそうです。(ジャズだとこれ一曲とか、考えにくいのが不思議。ジャズは曲ではなく演奏を聴くものだからでしょうか。)
持っているCDの枚数という観点から言えば、1)モーツァルト、2)バッハ、3)ショスタコーヴィチ、ここまでが三桁、以下はたぶん二桁の範囲で順不同、という感じです。(普通の人の目からすれば、十分にヲタクでしょうか?)


バッハ
無伴奏チェロ組曲―ビルスマ
世間では、パブロ・カザルスの演奏が決定盤で、それ以外は要らないなどと言う人もいますし、名盤紹介の本などにも、大抵まずカザルス盤が挙がっています。私も学生時代にカザルス盤を買って聴き始めました。優れた曲(と演奏)だとは思いましたが、好きにはなれませんでした。この曲を本当にいい曲だなぁと思うようになったのは、バロック・チェロを用いたビルスマの演奏を聴いてからです。
ビルスマは「バッハ」とか「チェロの聖典」とかいった余計な飾りを取り払って、何の気負いもなくひたすら音楽だけを奏でているように聞こえます。当時としてはまだ珍しかったオリジナル楽器の音色も美しく、(現代のチェロに較べて)軽やかな音の流れに浸ることが出来ます。
ビルスマがバロック・チェロを演奏するようになったのは、長いこと演奏活動を続けているうちに、色々なものが溜まってきたのでしょう、ある日、このままでは音楽が嫌いになってしまうと思ったことが切っ掛けだったそうです。それも私には分かる気がします。
ビルスマにはSonyへの再録音もありますが、Seonに入れた最初のものの方(→特価11枚組にも収録)が私は好きです。
(以上のような事を10年くらい前に書いた訳ですが、最近一番気に入っているのは、ギターへの編曲版で、
イェラン・セルシェル
と読むらしい Göran Söllscher の"J.S.Bach: Suites・Sonata"(ドイツ・グラモフォン)です。
セルシェルは、11弦のギターを使って、リュートのような軽い澄んだ音で、チェロだと重くなることの多いこの曲を、軽やかに演奏しています。
組曲第一番の一曲目など、普通は「ガッガガガ、ガガガガッ」と重~い感じで始まるのですが、セルシェルは弱音で何気なく弾き始めます。チェロという一つの楽器で複数の旋律を弾き分けるためには、最初の音を「ガッ」と強めに弾いて、それが後まで耳に残るようにする必要がある訳でしょうが、ギターの場合、開放された弦から響く音が後まで通奏低音のよう残り、自ずとポリフォニックな構造が浮き彫りになります。また弦弾きで音が連続して繋がっていくチェロとは違い、複数の指で爪弾かれるギターの音は、アタックが強くリズミカルであるだけでなく、残響も豊かで立体的(チェロが二次元ならギターは三次元)です。つまり、音にメリハリがあり、和音と旋律を同時に演奏できるのがギターです。そのようなギターの特質を生かして、本当に何気なく、何の余計なものも混じえず、セルシェルは、バッハの心の歌を聞かせてくれます。リュートとガターの良い所だけを取ったような11弦ギターの奏でる音の美しい響と、演奏の技巧を全く感じさせない音楽への献身が、セルシェルの演奏の美点です。
―しかし、信じられないことに、このCDは現在、AmazonにもHMVにもTower Records見当たりません。
セルシェルの弾いたバッハの「リュート曲集」の方はAmazonでもHMVでも買えますから、興味があれば、そちらの方をどうぞ。
(上記のCDには6曲あるチェロ組曲の中から2曲だけが収録されていますが、「リュート組曲」の一曲はチェロ組曲からの編曲版ですから、このCDでもう一曲聞けます。)
というか、代わりに、
ホプキンソン・スミス
が、リュートを大きくしたようなテオルボという楽器で全曲を演奏しているCD(2枚、1-34-6)がありますから、そちらではどうでしょうか。
というか、ホプキンソン・スミスなら、リュートで演奏している無伴奏ヴァイオリン曲集(Sonatas & Partitas BWV 1001-1006)の方を先に聞いたらどうですか、と言いたい。チェロ以上に、ヴァイオリン一本だけでの演奏(時に高音が耳にきつい)より、何倍か楽しめるはずです。
(両方をセットにした四枚組セットがありますが、注文しても届くかどうか微妙。)
―ついでに書いておくと、「リュート曲集」については、Jacob Lndberg (BIS)、Hopkinson Smith (Astrée)、Lutz Kirchhof (Sony/Vivarte) など、名前も知らない頃に輸入盤で買ってよく聞いていました。今手元にあるはずのCDが見つからないので聞き返せませんが、どれもギターではなくリュートによる素晴らしい演奏で、―「平均律」などに比べると曲も比較的シンプルですから―夜中に掛けると時を忘れてリラックスできます(どれも2枚組で全曲版)。
2016/3/10)

フーガの技法―リステンパルト指揮ザール室内管弦楽団
バッハの音楽は、基本的にポリフォニックで、幾つかの声部が平行して流れていきますから、それらを集中して聴いていれば、それなりに聴けるのですが、それが楽しいかと言われたら、それは別の話、ということになります。とりわけ「フーガの技法」辺りにそういう傾向は顕著です。楽器がオルガンだけとかいうと、少し苦しい場合が多い。
このヴィンシャーマンの編曲による演奏は、各声部の色彩感が豊かで、ポリフォニーが感覚的な喜びを与えてくれます。最も楽しく聴けるバッハの一枚ではないでしょうか。―CDは今は単品(フーガの技法)以外に「管弦楽組曲、ブランデンブルク協奏曲」を含めた6枚組もあります。

ゴールドベルク変奏曲―ドミートリィ・シトコヴェツキーSitkovetsky
この曲の真価を世に知らしめた、グールドの新旧の録音は別格です。しかしグールドのは聴いていて眠くなるような演奏ではありません。不眠症の伯爵のためにバッハが書いたという逸話のある(史実ではなさそう)この曲に最も相応しい演奏は、弦楽三重奏に編曲された、シトコヴェツキー・トリオの演奏(→Orfeo)ではないでしょうか。響きがまろやかで、確かに、聴いていると快適で―いい意味で―眠くなります。
比較的最近になって聴いたのは、「全集」に入っているベルダーのチェンバロによる演奏と、ペライアのピアノによる演奏ですが、どちらも名演でした。

平均律クラヴィーア曲集―リヒテル
レコードがまだ貴重なものだった時代、「無人島に持って行く一枚のレコード」などという企画がよくありましたが、バッハで一枚と言えば(→CDで四枚ですが)、これでしょうか。
まず曲の方ですが、バッハの名曲としては「マタイ受難曲」など他にいろいろあります。しかし度々取り出して聴きたくなるというような性質のものではありません。純粋に音楽だけを楽しむというのであれば、この平均律曲集の二巻は、曲自体が十分に複雑な上に全48曲と曲数も多く、なかなか聞き飽きるということがありません。
次に演奏に関しては、リヒテルの演奏は、もう40年以上前から名盤として有名なものなので、今更別に言うこともありませんが、グールドとか他に名演もあるのに、リヒテルの演奏を選びたくなるのは、よく歌っているから、という点に尽きます。音の流れが心地よく、何時までも聴いていたくなる名盤です。
ピアノではなくチェンバロなら、コープマンか、スコット・ロスを聴きます。

フランス組曲―ペライア
もちろんグールドの演奏もありますが、最近よく聴くのは、ペライア。ペライアはモーツァルトもいいけどバッハもいい。

管弦楽組曲、ブランデンブルグ協奏曲―カール・リヒター
他の演奏で聞くと、そうでもないのですが、リヒターの演奏で聴くと、両方とも、バッハの最高傑作だと言いたいような気にさえなります。なぜか背筋がすっく伸びて、正座して聴いてしまう名演奏。

バッハ全集」(Brilliant Classics)―モーツァルト全集が予想外によかったので、こっちも買ってしまいました。と言うか、カンタータ全集など持っているものを売ったら、これが買えそうになったので、通販で注文してしまいました。昔まだ、Brilliant Classics の名前も知らない頃、中古屋でカンタータ全集の箱を見つけて、余りに安いので試しに何セットか買って聞いてみたら、予想外にいい演奏だったので驚いたことがあります。それが、Brilliant Classics との出会いでした。
ただこちらの方は、160枚(その後出た新版は155枚)、何枚か聞いたという程度で、余り聞いていません。そのうち聴くとは思いますが、全部聴くとは考えられません。(差し替えられた演奏を聴き比べてみると、新版全集の方が、若干レベルが上がっているようです。)


シャルパンティエ
死者のためのミサ曲―コルボ
私にとって、三大レクイエムは、シャルパンティエ、モーツァルト、フォーレ、です。

クープラン
クラヴサン曲集―ヴェイロン・ラクロワの選集は典雅で素晴らしいと思いますが、いかんせん曲数が少ない。全集ということになると、ケネス・ギルバート、オリヴィエ・ボーモン、ミカエル・ボルグステーデなどCDは持っていますが、決定打には欠けます。


モーツァルト
ピアノ協奏曲―グルダ
(全集ということになると、ペライア)
ヴァイオリン協奏曲―クレーメル&アーノンクール
最初に、FM放送か何かで曲の途中から聴いた時には、現代音楽の演奏かと思いました。考えてみれば、同時代の人たちにとってモーツァルトは「現代音楽」だったのでしょう。そういうことを気づかせてくれる演奏。
最近、Brilliant Classics から廉価版で出たカルミニョーラ(Giuliano Carmignola) の古楽器による演奏も素晴らしい。―というようなことを書くと、他にもいろいろ出てきそうですが、頻繁に聴くような曲でもないし、今のところ、この二種類で満足しています。

ピアノ独奏曲―ピリス
今、選んでいます。よく聴くもの以外は処分しようと思って、クリーン、シフ、ヘブラーの新盤とかは売りました。左手が重いのが好ましくありません。ギーゼキングもいいのですが、若干潤いに欠けます。
今のところ、ドイツ・グラモフォンから出ているピリスの新録音が一番文句のつけ所が少ない―と言うか、これがベスト―という印象を持っています。同じピリスの旧録音(Denon)は、残響の少ない録音のせいもあって、初々しいですが、ちょっと線が細い感じがします。
モーツァルト弾きとして有名なヘブラーは、フィリプスに録音した旧盤の方がいいと思います。とりわけ初期のソナタなど、絶品。
最近出たグルダの三枚組み(The Golda Mozart Tapes)も、モーツァルトを真剣に、しかも楽しんで弾いていることが分かる、素晴らしい演奏です。マスター・テープが紛失してしまい、残ったカセット・テープから取られているため、音がイマイチなのが本当に残念。

ヴァイオリン・ソナタ―ピリス&デュメイ
ついでに、ヴァイオリン・ソナタも、ピリスとデュメイのものが私的には一番よさそうなのですが、なぜかCDは一枚しか出ていません。なぜなんでしょうか。
次点として、ツィンマーマンとロンキッヒ、及び、(LP時代によく聴いた)シェリングとヘブラー。
ちょっと変わったものとして、Naxosから出ている西崎崇子とハーデン(何枚も出ている西崎&Jando の方ではない)。ヴァイオリンが蚊の鳴くような音色で、最初聴いたときには録音のミスかと思いましたが、後で聴き直してみると、いつの間にかピアノの音を中心にして、ヴァイオリン伴奏つきのピアノ・ソナタを聴いている気分になります。モーツァルトの時代のヴァイオリン・ソナタというのは、そういうものだったと言われていますし、これはこれで面白い。

交響曲―去年、10枚1500円という、余りの安さに釣られて、アリゴーニの交響曲全集を買ってしまいました。比較的ゆっくりしたテンポの室内楽風の演奏で、さすがに後期の曲は、「そこの所、もっときびきび出来んか」などと言いたくなって、少し物足りない気がしますが、全体として十分楽しめます。
モーツァルトの音楽は、素晴らしい演奏で聴けば、魂を揺さぶる、本当に天才の作品だと思いますし、普通の演奏(あるいは子どもの下手な演奏)であっても、それなりに楽しめます。これはバッハも同じで、曲そのものがしっかりしているので、演奏を選ばないのでしょう。―と書くと、アリゴーニ盤が下手だと言っているように聞こえますが、そんなに下手だという訳ではありません。よく歌う、素朴な味わいを持った演奏だと思います。
学生時代は、セルのレコードを愛聴していました。今持っているCDでは、スイトナーでしょうか。オケはシュータツカペレ・ドレースデン(→10枚組これでもいいのか?→6枚組)。やはりアリゴーニ盤とは格が違います。
ホグウッド=シュレーダーの全集も持ってますが、余り聴きません。全集ということなら、下の「全集」中のリンデンの方が、より好ましいと思います。

魔笛―CDは10セットくらい持っていますが、どれがいいのか、考慮中です。一番よく聴いたのは、ベームですが。

レクイエム―ニコール・マット指揮・南ドイツ室内オーケストラ
下記全集のものです。モーツァルトのレクイエムは、<ある日、黒ずくめの陰気な男がモーツァルトの家の戸を叩いて、名前は言えないが、ある有名な方のためのレクイエムを作曲してほしい、と依頼してきた。それをモーツァルトは自分のことだと思い込んで作曲を始めた>という有名なエピソードが示すように、死の予感の中でモーツァルトが自分のために作曲した、曰くつきの曲ですし、また一部に弟子の手が入っている未完成の遺作ですから、あまり気軽に聞こうという気分にはならない曲です。全集を買ったので―もしかしたら20年ぶりくらいに―聞き直してみました。一曲目から普通ではない悲愴な雰囲気が漂っていますし、三曲目の短くて激しい「怒りの日(dies irae)」(雷にでも撃たれたような気分)を経て、八曲目の悲しみに満ちた「ラクリモサ」に行く辺りでは、完全に心を奪われてしまいました。ここには何か激烈な感情が表現されています。しかし、どんなに悲愴な激しい感情であっても、清明な美しさのうちで描かれていくところが、モーツァルトです。そんな天才の最後の作品。演奏も名演です。

モーツァルト全集」(Brilliant Classics)買いました(全170枚。フランスのAmazonから、送料込みで\13000程度)。値段が値段なので、過大な期待はしていなかったのですが、聴いてみると、演奏は意外と高レベルで、名演と言っていいものが多いのは、嬉しい誤算でした。難点を言えば、自社で録音した古楽器による演奏と、他社の音源を買い取って出している現代楽器による演奏がいかにもちゃんぽんという感じに混在していて、それが「全集」としては中途半端な印象になっている―という点でしょう。全てが古楽器による演奏だったら、本当に素晴らしい「全集」になったと思われます。それくらい、古楽器による演奏がいいのです。古楽器の本場オランダの底力でしょうか。交響曲とかオペラとか「レクイエム」とか、演奏の質の高さは感動ものです。


ベートーヴェン
ピアノ曲―グルダ、ギレリス
弦楽四重奏曲―ジュリアードSQ
交響曲―フルトヴェングラー(最近、聞いた覚えがありませんが、…)

シューベルト
ピアノ曲集―(誰の演奏がいいのでしょうか、考え中。リヒテル、グルダ、ブレンデル、シフ、ルプー、ペライア、ダルベルト…私が持っているCDだけでも、いろいろありますが。)
ピアノ五重奏曲「鱒」―サヴァリッシュ
(昨年(2013年)亡くなったサヴァリッシュさんですが、N響との関わりも深いことから、追悼番組も放送されました。)
歌曲集―フィシャー=ディースカウ、グラハム・ジョンソン
(ともに全集です。)

ブラームス
ピアノ曲集―グールド(晩年の小曲だけを集めた、グールドの名盤があります。)
弦楽五重奏曲―名作の多いブラームスの室内楽の中から一枚だけ選べば、クラリネット五重奏曲か、この弦楽五重奏曲か、どちらかでしょう。
昔は、バルトーク五重奏団のレコードをよく聴いていましたが、今では何がいいのでしょうか。考え中。
ピアノ五重奏曲―ポリーニ&イタリア四重奏団
交響曲―ワルター
最近、モノーラルの全集を買って、時々聞いています。第三、第四は、ブラームスらしさのよく現われた名曲。第一、第二は、ベートーヴェンの真似っぽいし、楽想も何かわざとらしい悲愴味が強すぎて、特に第一は、昔は嫌いでした。しかしながら、全体的に、昔は胸焼けがして余り好まなかったブラームスも、歳と共に、抵抗がなくなってきました。秋が深まると共に、聴きたくなります。
―と、上で書いていますが、追加です。
交響曲―チェリビダッケ
最近(2013年)チェリビダッケのCDを買っていろいろ聴いています。ブラームスの第二番、素晴しいですね。
チェリビダッケの演奏の特徴は、マッシブな響きを嫌い、遅いテンポで細部まで描き出すという点にありますが―それが「ブルックナーに向かない」と下で書いている理由です―、オーケストラ作品でも巨大な室内楽を聴いているような気分になります。ブラームスではそれが効果を発揮しています。
演奏のテンポが遅い事には理由があるようで、息子ヨアン・チェリビダッケの言葉を引用すると―
「父いわく、作品のテンポはスコアに記された数字によって決まるものではなく、スコア内の他の要素、そして演奏がおこなわれる会場の音響によって決められるものです。演奏されている(我々が耳にする)音の複雑な構成要素とその随伴現象(音が一度放たれたのちに異なる響きが次々と生み出される現象)によってテンポは変化します。簡単に申し上げれば、音が多ければ(つまり随伴現象が多ければ)多いほど、まとまった響きとしてそれらの音をすべて知覚するのに時間が必要だということです。したがって音楽の内容が豊かであればあるほどテンポは遅くするべきなのです。」(岡本和子訳)
全体の見通しが悪くなったりしませんか、という反論はすぐに浮かぶものの(これも「ブルックナーに向かない」理由)、意図は分ります。
CDはEMIから安く出ている(「交響曲集」というタイトルで14枚\3000)ミュンヘン・フィルのものよりシュトゥットガルト放送響(ドイツ・グラモフォン)の方がいいような気がします。

ブルックナー
交響曲―シューリヒト、ヴァント、チェリビダッケ
ギュンター・ヴァントは、ブルックナーに関しては最高の指揮者の一人でしょう。本人もブルックナーを得意にしており、ケルン放送交響楽団、北ドイツ放送(NDR)交響楽団、ベルリン・フィルと、三つのオーケストラによる全集&選集があります。70年代末から80年代初めにかけて録音された、最初のケルン放送響との全集は、強烈なリズムに乗って金管が雄叫びを上げ、合奏の多少の乱れなど気にせず、ずんずん大股で進んでいくような、まことに男っぽい演奏で、表面上の欠点はあるものの、ブルックナーの本質を掴んだ素晴らしい演奏だと思いました。(この対極にあるのが、細部のニュアンスを重視した、カラヤンやシャイーの演奏でしょう。)しかしその後、期待して聴いた、80年代末の北ドイツ放送響との第8、第9、第6のCDは、もしかして残響の長すぎる録音のせいなのか、イマイチぱっとせず、一体どうしたのかと疑問に思っていたのですが、これは本人も満足しなかったのでしょう、後に同じオーケストラで再録音しています。さらにその後、他に人材がいなくなったというクラシック界の事情もあってか、晩年は「ドイツ音楽の精髄を受け継ぐ巨匠=マエストロ」という扱いで、広く持て囃されました。しかし、90年代末から21世紀初頭にかけてベルリン・フィルと録音した三回目の選集は、ヴァントの音楽というよりベルリン・フィルが勝手に演奏しているような印象で、スケールが大きいとも言えますが、ヴァントの持ち味は出ていないとも言えるような演奏でした。――という訳で、最初のケルン放送響との全集、もしくは、再録音を含めた北ドイツ放送響との選集の方を、私はより高く買います。打楽器と金管が活躍し、軽くて透明感のあるケルン放送との全集と、より身振りが大きく重厚な北ドイツ放送との録音は、一概にどちらが優れていると言えないほど、性格が違います。
ブルックナーは後期ロマン派の音楽ではありません。個人の内面的な憧憬や心情の葛藤といったものとは無縁の音楽です(―と言うのは、言い過ぎ?)。だから、何でも後期ロマン派の様式で演奏してしまうカラヤンだとか、音楽の精神的統一性を志向するフルトヴェングラーだとか、ブルックナーとは相容れない所があると思います。しかし、第九は違います。第三楽章までしか完成しなかった、この最後の交響曲は、書法も精緻ですが、ロマンチックな要素を含んだ音楽になっています。だからこの曲だけは、ロマンティックに演奏しても聴けるのです。ハイティンクの演奏がその代表で、これはこれでアリかと思ってしまいます(第三楽章は煩くて聴けませんが)。
変わってるのが、テェリビダッケ。組織の一枚一枚を解剖して並べていくようなその演奏は、これがブルックナーかという違和感はありますが、CDを掛けるとつい聴いてしまう魅力があり、やはり優れたものの一つであることは否定できないと思います。テェリビダッケという人は、明らかに変態というか、頭が変というか、くるくるパーなのですが、ただの変態やくるくるパーはない、というところでしょう。本来ならブルックナーに向いているとは思えないのに、にも拘わらず、本人が異常にブルックナー好き(らしい)というのが世の中の不思議なところです。

平成最後の年の秋から冬にかけて、集中的にブルックナーを聴き直しました。
まず聴いたのは、チェリビダッケ。特に第八は、チェリビダッケの演奏の中でも、第八の多くの演奏の中でも、最高のものの一つだと思いました。あの遅いテンポでも、長さを感じません。幾つか録音がありますが、1990年の東京でのライブ録音。(リスボンでのライブが有名ですが、海賊盤だし、聴いていません。)
次に今回(遅ればせながら)初めて聞いたのは、スクロヴァチェフスキ(Skrowaczewski)の全集です。素晴らしい。
全集は0番や00番も含む本当の「交響曲全集」だし、ヴァントに並ぶブルックナー指揮者と言っていい。(2019/5/21)

ドヴォルザーク
第八交響曲ケンペ
ドヴォルザークが、ブルックナーに聞こえます。抱き合わせの、グルダとのモーツァルトも勿論名演。


ショパン
ノクターン(夜想曲)―ルービンシュタイン(ショパンで聴くのは、これだけです。)

ベルリオーズ
幻想交響曲―クレンペラー
若い芸術家が、片思いの恋に悩み、ドラッグでラリって恐ろしい幻想を見る、なんて、どんだけ薄っぺらい話だ、と思うこともあります。
でも音楽は美しいし、クレンペラーの演奏するワルツは、本当に優雅です。

フォーレ
ピアノ曲集―ユボー
フランスのエラートから4枚組CD→選集)が出ていますが、これさえあれば他は要らない、と私は思います。
ピアノ五重奏曲―ユボー&ヴィア・ノヴァ四重奏団
フォーレの室内楽も名作揃いなのですが、一曲と言われれば、二曲あるピアノ五重奏のどちらかでしょう。でも折角CDを買うなら、四枚組の室内楽全集を買っておいても損はしないはず。
レクイエム―コルボ
世間でフォーレと言えば、レクイエムでしょう。確かに心が洗われるような名曲ですし、バッハほど宗教性が強くないので聴きやすいというメリットがあります。
世間で評価の高いクリュイタンスの指揮したものは、私には重くて、良いとは思えません。私がよく聴くのは、クリヴィヌコルボのものです。コルボには新録音もあり、こちらには、「ラシーヌ讃歌」「モテット」「小ミサ曲」も収録されていて、これも名曲名演です。
―そういうことを言えば、この新録音を集めた5枚組(\2400)など、バッハのロ短調ミサ曲なども入っていて、こんなに安くていいものかと疑問に思うほどです。

ドビュシー
前奏曲集―ミケランジェーリ
これも、これと、ギーゼキング(完全主義者で録音の数が極めて少ないミケランジェーリと対照的に、ギーゼキングは全集です)くらいあれば、あとは要らないのではないかと、私は思います。
古いところでは、ベロフとか、比較的新しいところでは、ツィンマーマンとか、マルティーノ・ティリモとか、聴けば面白いですが…。
弦楽四重奏曲―昔LPで出ていた頃は、たいていラベルの弦楽四重奏曲と裏表にカップリングされて出ていました。ラベルの方も、非常によく出来た名曲で、聴くと、ラベルというのは天才だったのだなあと感心したものですが、盤をひっくり返してドビュシーの方を聴くと、その音楽の生き生きとした流れと表現力の強さに、感心ではなく感動してしまう、という仕掛けになっていました。天衣無縫と言うか、メロディーにも和音にも、独創的なものがあります。
先のミケランジェーリは、それをほぼ完璧に演じきった名盤。弦楽四重奏の方は、LP時代には、ジュリアードをよく聴いていましたが…。)
管弦楽集―オランダのBrilliant Classics から、マルティノンの全集が、こんな値段で(4枚\2000)出ているのだから、これで何の不満があるのだと言いたい。

ヤナーチェク
ピアノ曲集―昔から、時々聴いていますが、最近、ますます好きになってきました。ピアノ曲など聴いていると、まるでドビュシーのような自由さと閃きがあり、ワン・アンド・オンリーの存在感が感じられます。
ピアノ曲集は、クロスリーのもの(→オペラ以外の代表作を収めた5枚組)とフィルクスニーのものが好きです。
弦楽四重奏曲―弦楽四重奏曲なら、スメタナ四重奏団の新録音


ショスタコーヴィチ
ピアノ五重奏曲―さて、最近よく聴いているショスタコーヴィチ、一番好きなのは、これです。
ショスタコーヴィチ(1906-75)は今年(2006年)が生誕100年、新録音も復刻もCDはどんどん出そうです。
ショスタコーヴィチの悲劇は、何といってもスターリン時代のソヴィエト連邦で生きなければならなかったことで、「民衆のための芸術」を標榜する政府から、公式に「作品が退廃的」と非難されたりしました。ストラヴィンスキーのような激しいリズムはダメ、流行の12音技法も罷りならぬといった厳しい制限のなかで作曲を続けなければならなかったのです。
ですから、ショスタコーヴィチの作品は、同時代の音楽家たちが「現代音楽」を書いていた時代に、15曲の交響曲、同じく15曲の弦楽四重奏曲といった代表作が示すように、前世紀の音楽形式、前世紀の音楽技法で書かれています。
それがショスタコーヴィチにとって本当に不幸だったのか、私は微妙だと思っていますが、ともかく、逆らったらシベリア送りという過酷な状況下で、多かれ少なかれ、屈折した音楽を書かなければならなかったというのは事実としてあります。
だから―なのかどうかは分かりませんが―ショスタコーヴィチの音楽には分かり難い点があります。
このピアノ五重奏曲にしても、最初に聴いた時には、取り留めのない変てこな音楽に聞こえました。
第一楽章だと、まず、ピアノが大仰な身振りで和音を奏でた後、フォーレを思わせる弦楽器の合奏が続きますが、それが終わると、ピアノが主題を奏します。聴き慣れると、これは実に美しいテーマなのですが、最初は、どこか関節の外れたような、どこが頭でどこが尻尾か分からない、妙なメロディにしか聞こえません。
第二楽章は、これも聴き慣れると精妙な美しいフーガなのですが、弱音で何やら淡々と進んでいきます。
第三楽章と第五楽章には、おどけたようなメロディも現われ、要するに、最初は何が何だか訳が分からないのです。
メロディも、リズムも、途中の転調も、何か少しずつ違うのです。
ところで、他のところでもいろいろ書いていますが、真にオリジナリティのある作品というのは、最初は分かりにくいものです。常人ならぬ鋭い感受性と理解力を持ち合わせた一部の人はいざ知らず、多少とも「普通」である人にとっては、新しいもの=馴染みのないものを受け入れるには、多少の時間がかかります。その作家の天才が隔絶しており、真に新しいもの=オリジナルなものを生み出している場合には尚更です。
私の場合、「何か分からんが、フォーレのピアノ五重奏(この分野の最高傑作)に似てる」と思いながら、何度も聴いているうちに、「あっ、これは!」と思うことが増えていったのです。
既に何十回となく聴いていますが、今のところ聴き飽きる気配がありません。
曲全体が軽やかな清明さに満ちており、第五楽章など、「革命的な思想は鳩の足でやって来る」というニーチェの言葉が思い浮かぶほど、軽やかなダンスのような終わり方をします。
普通の感受性からすれば「変てこ」な楽想も多いショスタコーヴィチの作品の中で、この曲は文句なく美しいものの一つでしょう。
よく聴くCDは、レオンスカヤとボロディン四重奏団
あと、幸いなことに、優れたピアニストであったショスタコーヴィチ自身による演奏も、残っています。

弦楽四重奏曲―交響曲と同じく15曲ある弦楽四重奏の後期の曲を聴いていると、暗~い、厭世的な気分になります。
一番有名な第八番は、「音楽的な自伝」と言われていますが、
全体は、ピアノ五重奏曲と同じように、精密に書かれた名曲です。
特に第二楽章の、暴力的な、不安と怒りと狂気に満ちた楽想は、圧倒的で、
これが音楽による「自伝」なら、ショスタコーヴィチの人生って、何だったのだろうかと思います。

24の前奏曲とフーガ―屈折した表現の多いショスタコーヴィチの中でも、ピアノ曲は、例外的に普通に美しい曲を書いています。
「24の前奏曲とフーガ」は、(続く)


→音楽の聞こえる喫茶店
→村の広場に帰る