クラシックの私的名盤
2026年追記
ジャズのコーナーは、粟村氏の文章をデジタル化しておこうという動機があるので、あちこち書き加えていますが、
クラシックの方は、どの演奏がいいというようなことに関心が薄れているせいか、
まあ、どうでもいいかなという気分なので、
大きな改訂はしませんが、20年前のリンクとか、ほぼ切れているでしょうし、
ショスタコーヴィチの項とか書きかけのままだし
(「24のプレリュードとフーガ」など心の中では何度も書いている)、
少しずつ手を加えます。
しかし今読み返すと、下に短く書いたものは、棺桶盤としては、これで充分ではないか、という気もします。
―はっきり言ってジャズとクラシックの両方を聴く人を昔から信用していない。もっとはっきり言うと両方ともわからない人という認識をもっている。(注1)
―あっ、これは、テラシマ先生。そ~ですか。
―人はカネと富の両方に仕えることはできないのである。(注2)
この場合、前者がジャズ、後者がクラシックのことだとも言えるし、
―カネと富って、同じもんじゃあ…
―また、前者がフュージョン、後者がフォービートだとも言えるのである。
―えっ、それ逆じゃあ…
―従って、フォービート以外のジャズを聴く人は、ジャズが分かってないっ!ということになる。
―論理的には、そうなりますか…
―それ位のこと、知らなかったとは言ってほしくない!
―それは、宇野コーホーさん?
―ジャズ・ファンの皆さんに伺う。デューク・エリントンを好み、語る女性をどう思いますか。
「うーん、どちらかといえば避けたいところだなぁ」
そうでしょ。私もそう思う。(注3)
―エリントンはいいですけど、その「女性」って発言、フェミ的には…。私は何とも思いませんが(キリッ)。
―こういうエピソードがある。モンクの新譜が入りました。聴きにきて下さい。あるジャズ・ファンから招待状が届いた。部屋の中央にカーテンが下がり、中からピアノが聴こえてくる。やはりモンクだ。すばらしい。招待客は一斉に拍手したという。ところが、カーテンの向こうは子どもだった。子どもが一本指で弾いていた。(注4)
―それって、擦り倒された話ですよね。それに私なら、その子どもが天才だったって思いますけど。
―モンクはフォービートじゃない、ノービートだっ!
―あっ、テラシマさん。呼んでますよ。お薬の時間だそうです。
(注1)『JAZZ Japan』2019年12月 120頁
(注2)「神と富の両方に仕えることはできない」(「マタイによる福音書」6章24節)
―仕方ないだろ、カネが好きなんだから。ついホンネが出ちゃうんだよ。
―ヒュージョン店で稼ぎましたよねぇ
―馬鹿言え、あれはそう儲かってはおらんっ!
―ジャズとオーディオの両方が好きって場合は、どうなんですか?
―それも同じだっ!実は両方とも分かっておらんのだ。ってゆーか、それはいい。
―秋音さんと小桜さんの両方が好きって場合は?
―うーん、これは迷う。秋音が本命だが、小桜もエロ可愛いしなあ。う~ん。
まあ、そうだな、据え膳なんとかってゆうし、二人とも一緒に、懇ろになってしまえばいいんじゃないか。
親父もこんな気持ちだったんだって父親と和解できるかもしれんしな。
―テラシマさん、「据え膳」に「懇ろ(ねんごろ)」って、何かエロいこと考えてませんか?
それに、それは、みんなが思っていることですが、言ってはいけないことですよ。(注5)
(注3)『JAZZ Japan』2017年12月 102頁
(注4)同上 132頁
(注5)「青のオーケストラ」 NHKで2026年8月深夜にセカンド・シーズンがまとめて再放送された。
バッハ、モーツァルト、ブルックナー、ショスタコーヴィチの四人については、
長いのでリンク先で。
→バッハ(J. S.Bach)
→モーツァルト(Mozart)
→ブルックナー (Bruckner)
→ショスタコーヴィチ (Shostakovich)
シャルパンティエ(Marc-Antoine.Cherpentier)
死者のためのミサ曲―コルボ
私にとって、三大レクイエムは、シャルパンティエ、モーツァルト、フォーレ、です。
(普通は、モーツァルト、ブラームス、ヴェルディ、ですか。しかし、シャルパンティエはともかく、フォーレが入らないのはなぜ?)
因みに、三大シャルパンティエは、この人と、お菓子のアンリ・シャルパンティエと、ゲノム編集でノーベル賞を獲ったあの人。
クープラン
クラヴサン曲集―ヴェイロン・ラクロワ(Erato)の選集は典雅で素晴らしいと思いますが、いかんせん曲数が少ない。
全集ということになると、ケネス・ギルバート、オリヴィエ・ボーモン、ミカエル・ボルグステーデなどCDは持っていますが、決定打には欠けます。
ベートーヴェン
ピアノ曲―グルダ、ギレリス
(最近、買い直したのは、ギレリスとグールド。ケンプの全集がなぜかBook Offで330円、もちろんそれも買いました。2026年追記)
弦楽四重奏曲―ジュリアードSQ
交響曲―フルトヴェングラー(最近、聞いた覚えがありませんが、…。これも買い直しました。2026年追記)
シューベルト
ピアノ曲集―(誰の演奏がいいのでしょうか、考え中。リヒテル、グルダ、ブレンデル、シフ、ルプー、ペライア、ダルベルト…私が持っているCDだけでも、いろいろありますが。)
ピアノ五重奏曲「鱒」―サヴァリッシュ
(昨年(2013年)亡くなったサヴァリッシュさんですが、N響との関わりも深いことから、追悼番組も放送されました。)
歌曲集―フィシャー=ディースカウ、グラハム・ジョンソン
(ともに全集です。)
ブラームス
ピアノ曲集―グールド(晩年の小曲だけを集めた、グールドの名盤があります。)
弦楽五重奏曲―名作の多いブラームスの室内楽の中から一枚だけ選べば、クラリネット五重奏曲か、この弦楽五重奏曲か、どちらかでしょう。
昔は、バルトーク五重奏団のレコードをよく聴いていましたが、今では何がいいのでしょうか。考え中。
ピアノ五重奏曲―ポリーニ&イタリア四重奏団
交響曲―ワルター
最近、モノーラルの全集を買って、時々聞いています。第三、第四は、ブラームスらしさのよく現われた名曲。第一、第二は、ベートーヴェンの真似っぽいし、楽想も何かわざとらしい悲愴味が強すぎて、特に第一は、昔は嫌いでした。しかしながら、全体的に、昔は胸焼けがして余り好まなかったブラームスも、歳と共に、抵抗がなくなってきました。秋が深まると共に、聴きたくなります。
―と、上で書いていますが、追加です。
交響曲―チェリビダッケ
最近(2013年)チェリビダッケのCDを買っていろいろ聴いています。ブラームスの第二番、素晴しいですね。
チェリビダッケの演奏の特徴は、マッシブな響きを嫌い、遅いテンポで細部まで描き出すという点にありますが―それが「ブルックナーに向かない」と下で書いている理由です―、オーケストラ作品でも巨大な室内楽を聴いているような気分になります。ブラームスではそれが効果を発揮しています。
演奏のテンポが遅い事には理由があるようで、息子ヨアン・チェリビダッケの言葉を引用すると―
「父いわく、作品のテンポはスコアに記された数字によって決まるものではなく、スコア内の他の要素、そして演奏がおこなわれる会場の音響によって決められるものです。演奏されている(我々が耳にする)音の複雑な構成要素とその随伴現象(音が一度放たれたのちに異なる響きが次々と生み出される現象)によってテンポは変化します。簡単に申し上げれば、音が多ければ(つまり随伴現象が多ければ)多いほど、まとまった響きとしてそれらの音をすべて知覚するのに時間が必要だということです。したがって音楽の内容が豊かであればあるほどテンポは遅くするべきなのです。」(岡本和子訳)
全体の見通しが悪くなったりしませんか、という反論はすぐに浮かぶものの(これも「ブルックナーに向かない」理由)、意図は分ります。
CDはEMIから安く出ているミュンヘン・フィルのものよりシュトゥットガルト放送響(ドイツ・グラモフォン)の方がいいような気がします。
ドヴォルザーク
第八交響曲―ケンペ
ドヴォルザークが、ブルックナーに聞こえます。抱き合わせの、グルダとのモーツァルトも勿論名演。
ショパン
ノクターン(夜想曲)―ルービンシュタイン(ショパンで聴くのは、これだけです。)
ベルリオーズ
幻想交響曲―クレンペラー
若い芸術家が、片思いの恋に悩み、ドラッグでハイになって恐ろしい幻想を見る、なんて、どんだけ薄っぺらい話だ、と思うこともあります。
でも音楽は美しいし、クレンペラーの演奏するワルツは、本当に優雅です。
フォーレ
ピアノ曲集―ユボー
フランスのエラートから4枚組CDが出ていますが、これさえあれば他は要らない、と私は思います。
ピアノ五重奏曲―ユボー&ヴィア・ノヴァ四重奏団
フォーレの室内楽も名作揃いなのですが、一曲と言われれば、二曲あるピアノ五重奏のどちらかでしょう。でも折角CDを買うなら、これも四枚組の室内楽全集を買っておいても損はしないはず。
レクイエム―コルボ
世間でフォーレと言えば、レクイエムでしょう。確かに心が洗われるような名曲ですし、バッハほど宗教性が強くないので聴きやすいというメリットがあります。
世間で評価の高いクリュイタンスの指揮したものは、私には重くて、良いとは思えません。私がよく聴くのは、クリヴィヌかコルボのものです。コルボには新録音もあり、こちらには、「ラシーヌ讃歌」「モテット」「小ミサ曲」も収録されていて、これも名曲名演です。
―そういうことを言えば、この新録音を集めた5枚組(\2400)など、バッハのロ短調ミサ曲なども入っていて、こんなに安くていいものかと疑問に思うほどです。
ドビュシー
前奏曲集―ミケランジェーリ
これも、これと、ギーゼキング(完全主義者で録音の数が極めて少ないミケランジェーリと対照的に、ギーゼキングは全集です)くらいあれば、あとは要らないのではないかと、私は思います。
古いところでは、ベロフとか、比較的新しいところでは、ツィンマーマンとか、マルティーノ・ティリモとか、聴けば面白いですが…。
弦楽四重奏曲―昔LPで出ていた頃は、たいていラベルの弦楽四重奏曲と裏表にカップリングされて出ていました。ラベルの方も、非常によく出来た名曲で、聴くと、ラベルというのは天才だったのだなあと感心したものですが、盤をひっくり返してドビュシーの方を聴くと、その音楽の生き生きとした流れと表現力の強さに、感心ではなく感動してしまう、という仕掛けになっていました。天衣無縫と言うか、メロディーにも和音にも、独創的なものがあります。
先のミケランジェーリは、それをほぼ完璧に演じきった名盤。弦楽四重奏の方は、LP時代には、ジュリアードをよく聴いていましたが…。)
管弦楽集―オランダのBrilliant Classics から、マルティノンの全集が、こんな値段で(4枚\2000)出ているのだから、これで何の不満があるのだと言いたい。
ヤナーチェク
ピアノ曲集―昔から、時々聴いていますが、最近、ますます好きになってきました。ピアノ曲など聴いていると、まるでドビュシーのような自由さと閃きがあり、ワン・アンド・オンリーの存在感が感じられます。
ピアノ曲集は、クロスリーのもの(→オペラ以外の代表作を収めた5枚組)とフィルクスニーのものが好きです。
弦楽四重奏曲―弦楽四重奏曲なら、スメタナ四重奏団の新録音。
ストラヴィンスキー
火の鳥―1919年版の組曲、バーンスタイン&ニューヨーク・フィル (1910年版の演奏が多いけど、長過ぎます。1919年版は短くてロマンティックです。)
春の祭典―偶に聴きます。録音は無限にたくさんあります。
→バッハ(J. S.Bach)
→モーツァルト(Mozart)
→ブルックナー (Bruckner)
→ショスタコーヴィチ (Shostakovich)