粟村政昭

粟村政昭氏はジャズ評論家です。
1960年代初めから1981年まで、『スイングジャーナル』誌を中心に評論活動を続け、『ジャズ・レコード・ブック』(東亜音楽社 1968/75/79年)と『モダン・ジャズの歴史』(スイングジャーナル社 1977年)という二冊の著書があります。(82年以降は、84年と91/2年の「奇跡のカムバック」を除くと、ほぼ引退状態です。)

もともと私が自分のホームページを作ろうと考えた動機の一つに、粟村政昭氏の文章を集め、個人的に『粟村政昭全集』を作ろうと思ったことがあります。
70年以降の、雑誌に載った、氏の文章は、ほぼスクラップして持っています。雑誌といっても、大半は『スイング・ジャーナル』ですから、そう難しくはありません。それに、雑誌に載った文章は、図書館に行けば全て集めることも可能です。でも、レコードのライナーノーツなどは、個人の力では、全て集めることは出来ません。そこで、日本中になら、少なくとも何人かはいるであろう、氏のファンもしくはマニアと協力して情報交換し、全ての文章を集める、ということを考えていたのです。
そのためには、氏の文章を公開することが一番効果的なのですが、著作権というものを無視することは出来ません。商業的な利益には何の関係もないとは言っても、人の書いた文章ですから、引用の範囲を超えて、勝手に公表することは出来ないのです。
(今回、ジャズ関係のページを作るついでに、書いておきますが、もし、同じような関心をお持ちの方がおられれば、ご一報下さい。)

ところで、粟村氏のどこがいいのか、と言うと、
1)批評眼の確かさ
2)味のある文章
という二点に尽きます。
私は、1970年代の中頃から『スイング・ジャーナル』を読んでいるのですが、音楽の評価なんて、個人差がありますから、この人の言うことは信用できる、という批評家を見つけることは重要です。ジャズ界の大御所の故油井正一氏とか、当時の編集長の児山紀芳氏とか、けっこう信用していたものです(逆に、今も健筆を振るっておられる岩浪洋三先生とかは…)。なかでも当時「モダンジャズの歴史」を連載中で、「ユーモラスで歯切れのいい」(油井正一評)粟村氏の文章には、段々注目するようになっていったのです。(油井正一氏の評論家としての見識は尊敬しますが、文章はやや軽薄な所があります。児山氏は、何と言っても編集長でしたから、多少割り引いて読まなくてはなりませんでした。)
そういう訳で、溜まった雑誌を捨てる前に、粟村氏の文章は、スクラップして取っておいたのですが、後で読み返しても、けっこう楽しめるのです。今となっては、その名を知る人も少ないでしょうが、全集として後世に残したいという気になります。
また、氏の二冊の著書も、名著で、大学生の頃に、繰り返し読んだものです。(『ジャズ・レコード・ブック』の方は、初版と改訂新版と改訂第二版と、三冊持っています。作品の選択など、内容がそれぞれ違っています。)

ところで、粟村氏がどういう人なのか、75年の『ステレオ』に載った「ジャズと私」という文章から知ることが出来ます。
要約すると、1933年大阪生まれ、実家は製薬会社を経営、自身は京都大学の薬学部、(その封建的な雰囲気に嫌気がさして、医学部に移って)医学部を卒業、その後、医療に従事しながら、ジャズ評論家として活躍。(病院は、1968年『ジャズ・レコード・ブック』初版では、「京都大学付属病院内科」と出ていました。また76年末に「マンネリを自覚しながら仕事を続けるのも……と考えて開業医を止めることにしました」という近況報告がありました。)
氏がジャズに出会ったのは、高校卒業前(1950年頃)のことだそうです。一部、引用すると、
「小生とジャズとの出会いは、ある日突然に、それもこちらから『ひとつ、ジャズなるものを聞いてみよう』といった具合に訪れたのであった」のだそうです。
「夢のお告げの如くに、ジャズをきこうと思い立ったものの、周りに頼りになる友人がいるわけでもないし、止むなく、行きつけのレコード屋へ出向いて、『なんでもいいから、ジャズのレコードを二、三枚……』と申し出る、型破りの入門ぶりでこの道に入ったのであった。
その時、レコード屋のオヤジさんが選んでくれた三枚のSP盤は、スタン・ケントンの『帰れソレントへ』、ラルフ・フラナガンの『唄う風』、それにいま一枚、ビング・クロスビーの唄ものであったが、ケントンの『ソレント』は、ヴィド・ムッソの荒っぽいテナーが気に入らず、『唄う風』は一日で飽き、ビングの唄は『こんな歯ごたえのないのが、アメリカ一の歌手か』ということで、いずれも最低クラスの視聴感で、最初の経験を終えた。」(「申し出る、」の原文は「申し出る。」です。)
こういう具合に引用していると、全部書いてしましそうです。

ともかく、学究肌の人で、ちゃんとレコードを聞いて内容を評価するという点では、ジャズ界でも一二を争う人だと思います。
氏の文章は、「…ではあるが、」という副文章の多い、粘液質の文体で、関西人特有のユーモアを交えた、一種の名文です。雑誌の中に載っていると、読めば署名を見なくとも分ります。
内容的にも、歴史的な観点を持ちながら、演奏の本質を率直に語る、いい文章だと思います。

私が、何より粟村氏を羨ましく思うのは、スウィング時代の終りにジャズを聞き始め、モダンジャズの誕生から発展の時期を、同時代として生きながら、歴史的な名盤を同時代で聴いてくることができた、という点です。私のように、「ジャズは死んだ」と言われ続けた70年代にジャズを聴き始めた者にとって、「Kind of Blue」を新譜として聴くことが出来たなどというのは、信じられないほど幸運なことに思えます。
また、誰でも、自分の時代というものに条件付けられています。ポスト・コルトレーンの時代に育った者にとっては、モダン以前のジャズは勿論、バップやハード・バップでも、リズムや演奏スタイルが、ちょっと古く聞こえるのです。だから私が心から楽しめるのは、60年代以降のジャズであり、せいぜい50年代末くらいからが同時代なのです。モダン以前のルイ・アームストロング(サッチモ)とか、デューク・エリントンとか、レコードやCDも持っていおり、聞けば素晴らしいことは分りますが、「聞いて心から楽しむ」という心境には遠いのです。またモダン・ジャズでも、チャーリー・パーカーやクリフォード・ブラウンといった辺りは、殆んど全ての(正式な)録音を持っていますが、やはり「愛聴する」とは言えません。自分と音楽の間に、少し距離があるのです。(70年代にジャズに巡り会った私――たちの世代?――にとっては、コルトレーン以降のモード奏法がデフォルトだったということでしょう。)
「キング・オリバーからアルバート・アイラーまでを一貫して語れる人は、そう多くないのである」という『ジャズ・レコード・ブック』の推薦の言葉(油井正一)を引用するまでもなく、モダン以前のジャズから、ポストモダンのジャズまでを、音楽的な内容に重点を置いて、同じ視点で評価することができるのが、氏の注目すべき特質です。それは、現在進行形のジャズを、同時代に、一枚一枚レコードを買い聞いて楽しんできたという経歴が、根本にあるからでしょう。
同じ関西に生まれ、ほぼ同じような時期にジャズ・ファンになったらしい児山紀芳氏でも、「ジャズ」という名前で意味されているのは、50年代以降の「モダン・ジャズ」です。その「モダン・ジャズ」でさえ、ウイントン・マーサリスの出現以降は、一つの美学によって作られた「伝統」的な形式の一つになりました。
もう、こういう評論家は、現われないのではないかと思います。

最近出た、「スイングジャーナル」2004年5月臨時増刊号『ジャズレコード黄金時代』にも、氏の評文が収録されています(1967年の分と「問題作を試聴する」「幻の名盤読本」など)。
例えば、アート・ブレイキーの「モーニン」(67年の再発売)を評して、
「かつてファンキー・ブーム華やかなりし頃「ファンキーの教典」の如くに崇められたこのレコードも、前衛ジャズを演ずる一派が確たる発言力を持つようになった今日では、あまりにも時節はずれの発売という感じを禁ずることが出来ない。ジャズに限ったことではあるまいが、げに恐ろしきは「流行遅れ」の一言である。」
以下、「サンジェルマン」でのライブ盤との演奏の違いを述べ、演奏内容を評価しています。粟村節、炸裂です。興味のある方は、御一読を。
(この引用だけだと分かり難いかもしれませんが、これは時流に乗って一時的に持て囃されたものが、時流を外れた時に蒙らざるをえない冷遇の運命を皮肉たっぷりに指摘していて、時流を越えた音楽内容を評価するべしという氏のジャズ観をよく表した文章になっています。)


レコード解説
Joe Bushkin / Piano After Midnight
Charlie Christian Memorial Album
Ornette Coleman / The Shape of Jazz To Come
John Coltrane / Coltrane (Prestige)
Miles Davis / Kind of Blue
Tal Farlow / Fuerst Set
J.J.Johnson
Wynton Kelly / Kelly At Midnite
Thelonious Monk with John Coltrane
Tony Scott Quartet
Sonny Stitt plays from the Pen of Quincy Jones
Lennie Tristano / The New Tristano

Jazz Abstractions / John Lewis Presents Contemporary Music

最近、CDで持っているLPなどを処分しています。持っているのは輸入盤が多く、もともと国内盤は少ないのですが、その中に、粟村氏がライナー・ノーツを書いているものがいくつかありました。それを暇な時、ここに書き写しておきます。(著作権についてセロニアスだ、とかモンクだ、という人は、いつでもご連絡下さい。)


蛇足
先日、某掲示板を読んでいると、「粟村政昭って奴はレコード会社からサンプル盤が送られないと点数を辛くするって豪語した奴」云々という書き込みを目にしました。事実や真実というものは必ず誤解されるものですから、こういう発言を気にしていると、切りがありませんが、今となっては、その典拠を確かめることも困難でしょうから、一言しておきます。
この誤解は、『スイング・ジャーナル』誌で毎年行われている「ジャズ・ディスク大賞」の選考を巡って、当時、評論活動を行っていた慶応大学教授(英文学)の鍵谷幸信氏が『スイング・ジャーナル』1977年3月号(288頁)に書いた一文に端を発しています。引用すると、
「本誌2月号の「ジャズ・ディスク大賞」の投票と選考後記における粟村政昭氏の感想は、まさしく暴言以外のなにものでもない。氏は書いている。「…ただし、テスト盤の来なかった東芝、コロンビアの候補作については、プロモーションというものについて公平を期す意味で、悪いけれど、選考の対象から、はずした」。これはいったいどういうことか。氏はここ数年同じ趣旨のことを書いている。粟村氏はまずなによりも怠慢である。候補作品がレコード会社から送られて来なかったからといって、全く無視するというのは、批評家なる者当然レコード会社からテスト盤は送られてくるもの、という前提に立っている。(中略)ヒヒョウカにはテスト盤を送るべきだと氏は考えているようだが、思い上がりも甚だしい。(後略)」
これに対して、翌4月号(290頁)に、粟村氏の「鍵谷幸信氏に答う」という文が寄せられています。
「小生が、テスト盤の来ないレコードは聴かない――などとは、妄想もいいところ。当方では、テスト盤など来ようが来まいが、目ぼしいレコードは大抵その前に輸入盤で聴いています。投票するとかしないとかは、それとはまったく別の話。スイング・ジャーナル社が主催し、各レコード会社が協賛するという建前で<ジャズ・ディスク大賞>の催しがある以上、建前を無視した商業主義のありかたが指摘されるのは当然と思いますが…。(後略)」
さらに翌5月号には、氏の「論敵(?)」である岩浪洋三氏の「粟村氏の文に一言」という文章も掲載されています。
従って、客観的に見れば、元気はいいが多少思慮に欠ける鍵谷氏が、粟村氏の発言を誤解した上で、無用の論争をした(さらに、以前からの因縁のある岩浪氏が、その尻馬に乗った)、という所でしょう。
実際にレコードのライナー・ノーツにしても、氏は自分が好きな作品しか解説を書かないというスタンスですし、雑誌のレコード評でもレコード会社への苦言も多く、レコード会社の顔色を窺うという様子は全くありません。それは、やはり本業は医者であり音楽はあくまでも趣味であるという良きアマチュアリズムから来ているのでしょう。


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