エンリコ・ピエラヌンツィ(Enrico Pieranunzi)

エンリコ・ピエラヌンツィは、イタリアのピアニストです。1949年生まれだそうですから、もう50歳代半ばで、演奏のキャリアもけっこう長いはずですが、私が聞き始めたのは、比較的最近のことです。(前に書いたときは、4枚しか聞いていませんでしたが、その後、20枚ほど聞きました。)
私が聴いたCDの中では、ベースの「Mads Vinding Trio」の名前で吹き込んだ「The Kingdom」が最高でした。
世評の高い「Seaward(海へ)」(Soul Note)と「Infant Eyes (Plays the Music of Wayne Shorter)」(Challenge)も名作だと思います。
それに較べると有名ではありませんが、私が好きなのは、「Improvised Forms for Trio」(Challenge)で、これは名前の通り、トリオによるフリーな即興演奏です。(メロディアスな要素は少ないので、人には勧めません。)即興演奏家としてのピエラヌンツィの才能の幅を示した一枚です。
「The Kingdom」がいいと言うのは、演奏内容だけでなく、曲のせいもあります。ピエラヌンツィは叙情的ないい曲を書きます。「Seaward」は、殆んどがピエラヌンツィのオリジナル曲です。これに対して「The Kingdom」は、スタンダードが5曲、オリジナルが5曲、フリーな即興演奏が一曲と、バランスがいいのです。レギュラーのトリオでないせいもあるのでしょうが、演奏の緊張感も高く、気迫に満ちています。
四曲目に、不協和音に満ちたフリーな序奏からアップテンポで「Someday my prince will come」に移って行くところなんか、大好きです。
そういう意味では、日本のAlfa Jazz に録音した「The Night Gone By」(と「The Chant of Time」の二枚)も曲のバランスがよく、国内版で手に入りやすいので、ピエラヌンツィを聞いてみようかという人には勧められます。

ジャズ・ピアニストは、だいたい、パウエル派とエバンス派とに分けられます。ビル・エバンス自身が、けっこうバド・パウエルの影響を受けていますから(エバンスのスタイルと思われているものの中にも、よく聞くと、これはパウエル(の影響)だというものがよくあります)、単純に分けることはできないのですが、ヨーロッパのピアニストには、所謂エバンス派が多く、ピエラヌンツィはそのエバンス派の代表格でしょう。
演奏は、エバンス派らしく、スローで叙情的な演奏が多い印象があります。内省的なタイプの人なのでしょう。だから、ピエラヌンツィばかり続けて聞いていると、偶には、激しくアグレッシブな演奏も聞きたいような気分になります。マッコイ・タイナー風とは言いませんが、ブルース臭い、汗の飛び散るような演奏も、聞きたくなるのです。しかし、良くも悪くも、ヨーロッパ風の、なのか、イタリア風の、なのか、ちょっとクラシックの香りのする洗練された演奏を聞かせてくれるのが、ピエラヌンツィです。(そう言えば、「The Kingdom」では、少し汗をかいているような気がします。)
そういう印象を生み出す原因の一つは、録音にもあります。「Seaward」と「Deep Down」(Soul Note)の録音は、残響の多いクラシック風の録音で、ピアノの音が遠くで鳴っている感じがします。そういう意味では、10枚ある yvp music の録音がジャズ的でいい音です。内容は、大半がイタリア人のトリオによるオリジナル曲集で、二枚がソロ演奏です。最初の二枚は「Space Jazz Trio」を名乗っており、ピアノ+伴奏ではなく、ピアノとベースとドラムが対等な立場に立った演奏を目指すと謳っています。確かにベースが頑張っている印象がありますが、それなら、既出の「Mads Vinding Trio」とか、来日した Marc Johnson と Joey Barron とのトリオ(この録音が一番多い)も同じです。(因みに、杉田宏樹『ヨーロッパのジャズレーベル』の yvp music の項は、ピエラヌンツィに関する一番詳しい紹介記事だと思います。)

「Deep Down」(Soul Note)所載の解説(ナット・ヘントフが書いています)によれば、ピエラヌンツィは、1949年ローマ生まれ。五歳の時にピアノを始め、父がギタリストで、ブルースやジャスの即興演奏を教わる。19歳の時、トロンボーンのMarcello Rosa のグループでプロとしての演奏を始め、その後、内外の多くのミュージシャンと共演。75年(26歳)から自分のグループで活動。ピアノの教師でもあり、現在(86年)は、Conservatorio di Musica di Flosinone の正教授。クラシックの室内楽の演奏家でもある。
そう言えば、そういう感じの端正なピアノです。クラシックの演奏家としても十分通用しそうな、抑制の効いた、タッチの揃ったピアノ――そこに、ピエラヌンツィばかり聞いていると感じる不満の一つの理由がありそうです。(本家のビル・エバンスは、時に荒々しいタッチのピアノを弾きます。)
ピエラヌンツィばかり聞かなければよい、と言われそうですが、ピエラヌンツィばかり続けて聞きたくなるような魅力も持っているのです。それは曲や演奏に強い個性と言うか、オリジナリティがある、ということでしょう。ピエラヌンツィの演奏は、しばしば「耽美的」と形容されます。演奏の平均点も高く、杉田宏樹氏が言うように、「ヨーロッパで最高のピアニスト」かもしれません。(「ヨーロッパで」と限定しているのは、本家のキース・ジャレットとか、ブラッド・メルドーとかに遠慮してのことだと思われます。)
上述の「Seaward」と映画音楽のエンリコ・モリコーネの曲を演奏した「Play Morricone」(Cam Jazz)辺りが、そういう「耽美的」な演奏の代表例です。
(2004年10月)

EGEAのピエラヌンツィ
さて、その後もいろいろ聴きました(今のところCDが50枚くらい)。2005年3月の初来日コンサートも一応行きました(二枚組みCD「Live in Japan」が出ていますので聴けば分かりますが、この春のコンサートは「めでたさも中くらいなり」―悪くはないがさほどの出来でもない―という印象でした)。
最近、イタリアのレーベルEGEAから出ているCDをまとめて聴いたので、その感想を書いておきます。
EGEAレーベルはピエラヌンツィのクラシカルな面を捉えた作品が目立ちます。
どのCDでも演奏しているのは、殆んどがピエラヌンツィの叙情溢れるオリジナル曲ですし、何よりも非クラシック的な楽器であるドラムが入っていません。
また録音も、由緒あるオペラ劇場のホールを使用しており、深くまろやかなピアノの音が美しく響きます。
ピエラヌンツィ自身、クラシックの室内楽の演奏も行なっているそうですが、そういう面を強調した作品という印象を受けます。
現在出ているのは、
ピアノ・ソロによる四枚「Con Infinite Voci(無数の声と共に)」(1998/7/19)、「Un' Alba Dipinta Sui Muri(壁に描かれた朝日)」(1998/7/19)、「Perugia Suite(ペルージァ組曲)」(1999/7)、「Canto Nascosto(秘められた歌)」(2000/9)、
トランペットの Enrico Rava とのデュオ(未聴)「Nausica(ナウシカ)」、
ベースの Marc Johnson とのデュオ「Transnoche(夜を越えて)」(2002/4)、
これにクラリネットを加えたトリオ「Racconti Mediterranei(地中海物語)」(2000/2/21)、
さらにこれに弦楽四重奏を加えた「Les Amants(恋する人たち)」(2004/4/14&15)、
また、Luigi Tencoの作品集らしい(未聴)「Danza Di Una Ninfa
(ニンフの踊り)」(2005)などがあります。
(「など」と言ったのは、他に、他レーベルの録音を復刻して出すらしい「ピエラヌンツィ・シリーズ」が予告されており、最初の一枚「Untold Story」(1993/2/15&16)が2006年に出ているからです。)

ピアノ・ソロは、yvp music にもありますが、EGEAのソロは、どれも叙情的な美しい演奏で、ソロ・ピアノ奏者としてのピエラヌンツィの魅力を世に知らせたものです。
中でも私が好きなのは、「Canto Nascosto」。表題曲をはじめ、自作の曲がどれも美しく、最初からいいですが、後半はそれに輪をかけた素晴らしい出来です。ピエラヌンツィのソロを聴いたことがなく、四枚の中から一枚だけ買うというなら、これです。
「Un' Alba Dipinta Sui Muri」と「Con Infinite Voci」は同じ日に録音された演奏。ただし前者はコンサートのライブ録音、後者は、コンサート前後の客が入っていない時に収録された演奏です。
前者(「朝日」)は唐突に自作のブルースで始まります(これを聴くと、ヨーロッパ・ジャズの弱点というか、物足りない点の一つに、こうしたブルース感覚の欠如という点があるという感じがします)。前半は今ひとつ低調ですが、後半の盛り上がりは大したものです。
後者(「声」)は、冒頭からピエラヌンツィ節全開です。後半は短い曲が続き、印象派の小曲集でも聴いているような雰囲気があります。ピエラヌンツィのような耽美的な音楽の場合、このCDのように途中に拍手が入っていないのも、聞き手の集中力を高めて却っていいようです。

ソロ・ピアノにも増して、EGEAの生んだヒット作(音楽的な意味で)は、「Racconti Mediterranei」と「Les Amants」の二枚でしょう。
ピアノとベースに前者はクラリネット、後者はアルト・サックスと弦楽四重奏が加わった編成で、以前レコード屋さんで見たときには、「この楽器編成は何?」と怪訝に思い敬遠していましたが、先日遅まきながら聴いてみて、これはこれでエンリコ音楽の一つの頂点ではないかと思いを改めました。曲も演奏もロマンの香りが濃厚で、特に後者は、ブラームスの室内楽(例えば、同じ「恋人たち」という名がついた弦楽六重奏曲の楽章など)を聞いているような気にさえなります。しかし、これがピエラヌンツィという人の音楽なのでしょう。「何かやってみたいことはないか」とプロデューサーに聞かれて、自分でも思いがけなく即座に答えが出た、と本人が書いていますが、そうした無意識的な試みであっただけに、却って本人の音楽的な資質が遺憾なく発揮されているとも言えます。(弦楽四重奏との共演というと、ジョン・ルイスがMJQなどで試みたものが思い浮かびますが、その場合には、ジャズとクラシックという異質なものの融合という冒険的な性格を持っていました。ピエラヌンツィの場合、そうした実験的な性格は全くなく、ただ心のままに自分の音楽を演奏しているという印象があります。)
ジャズ的な面から見れば、「Racconti Mediterranei」の方が作品としては上かもしれません。多くが譜面に書かれている印象のある「Les Amants」に比べると、少なくとも三人が即興的に刺激しあうインタープレイは、ジャズ的な面白みに溢れています。
ともかくこの二枚は、演奏されている曲も多くが共通しており、兄弟というか姉妹というか親子というか、強い血縁関係にあります。どちらかを聴いて気に入ったら、もう一枚も聴くべき性格のものです。

という訳で、EGEAのCDは勿論国内盤も出ていませんし、レコード店などでも余り置いていませんので、通販で買うことになりますが、今なら、Tower Records (あるいはHMV)で、「Canto Nascosto」と「Racconti Mediterranei」の二枚をポチ(送料も無料ですし)、ということです。(今見ると、「Canto Nascosto」がカタログに出てません。そのうちまた出るでしょうが、代わりなら、「Con Infinite Voci」を。)
(2006年8月)

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