ウェザー・リポート(Weather Report)

最近(2006年)、DVDが出たりしたせいもあって、ウエザー・リポートをいろいろ聞いています。
解散してもう二十年、若い人は知らないでしょうが、70年代最高のフュージョン・バンドでした。

主たるメンバーは、キーボードのジョー・ザビヌル と サックスのウエイン・ショーター、それにベースとドラムスが加わりますが、
そのベース奏者が誰だったかによって、ウエザー・リポートは、だいたい四つの時期に分けることができます。
初代のベーシストは、ミロスラフ・ヴィトウス。1970年から73年頃までで、これが初期、クリスタル時代
作品は、「Weather Report」(1971)、「I Sing The Body Electric」(1972)、「Sweetnighter」(1973)。
二代目は、アルフォンス・ジョンソン。この時期は摸索期で、ファンク時代
作品は、「Mysterious Traveller」(1974)、「Tale Spinnin'」(1975)。
(音楽的には「Sweetnighter」は、この時期に入れるべきですね。)
三代目が、あの天才、ジャコ・パストリアス。
作品は、「Black Market」(1976)、「Heavy Weather」(1977)、「Mr. Gone」(1978)、「8:30」(1979)、「Night Passage」(1980)。
パストリアスが加わっていた、1976年から1980年頃までが、ウエザー・リポートの全盛期でした。
四代目は、ヴィクター・ベイリー。この時期が、衰退期
作品は、「Weather Peport」(1982)、「Procession」(1983)、「Domino Theory」(1984)、「Sportin' Life」(1985)、「This is This」(1986)。
CDは、「Night Passage」まではみんな持っていますが、それ以降は一枚も持っておりません。(註1)

考えてみれば、私が一番ジャズに夢中だった時期に、ウエザー・リポートも最盛期を迎えていた訳ですが、「Heavy Weather」のヒットなどで、ポップスとしての一般的な人気も高く、まじめなジャズ・ファンであった私は、一応は曲を耳にしていても、それほど強い関心は持たなかったのでした。
ところが、ふとした切っかけで、2002年に出た、未発表曲とライブ演奏を集めた二枚組み「Live And Unreleased」を聴いてから、やはりこれは凄いバンドだったと再認識するようになりました。
「やっぱ、いいわ、ニコン」(@Kimutaku)と反省した訳です。
それで今年(2006)になって、「Forecast: Tomorrow」という、1980年のドイツでのコンサートを収録したDVD一枚を含む、三枚組みのベスト盤が出て、さらに76年のモントルーでのライブを収めたDVD「Live At Montreux Jazz Festival」が出るに至って、私の中でブームと化したのでした。

ウエザー・リポートというグループの特徴は、
1)曲作りの完成度の高さ
2)各メンバーのソロイストとしての実力が超一級
3)電気楽器とフュージョン・リズムの導入
という三つにまとめられます。
3)が、このグループを<フュージョン>バンドとして特徴づけているわけですが、ジャズ・バンドとして注目すべき点は、1)と2)です。
世間的には、初期の「Weather Report」(1971)と、最盛期の「Heavy Weather」、「8:30」辺りは、誰もが薦めるこのバンドの代表作でしょう。もちろん、私も好きです。ですが、私が偏愛する作品は、中期の「Sweetnighter」や「Tale Spinnin'」辺りです。
それは、なぜか。
デビュー作「Weather Report」は、完成度も高く、ベストに挙げる人も多い作品ですが、
  リズムが単調な8ビートで飽きる
  作品が完成され過ぎていて、息苦しい
という理由で、私はそれほど好みません。
同じように、「Heavy Weather」も、ポップで親しみやすい曲想にソロの音楽的内容の濃さを併せ持つ、ベスト作候補ですが、
  ポップな音作りが、騙されてるみたいで嫌
  あんまり完成度が高くて嫌
という訳の分からない理由で(笑)、あまり持ち上げたくありません。
しかし、そこを敢えて言わせてもらうと、総じて芸術というものは、完成度が高すぎるのも欠点である場合があります。
世阿弥は、かつて、完全なものは飽きが来やすいから、敢えて未完成な部分、生な部分を残しておかなければならない、と言いました。一つの美学で貫かれたものは、内部で閉じてしまって、息苦しいのです。
(写真を例にとると、『日本フォト・コンテスト』で入選しているアマチュア写真家の作品を見ると、どれも写真としては完成度の高い優れたものであっても、見ているうちに段々飽きてくるという事情に似ています。要するに型に嵌りすぎていて風通しが悪いのです。真に創造的なものはしばしば「破格」です。)
一般的に言っても、完璧に計算され尽くした作品というものは、芸術作品としては未熟(!)なのかもしれませんが、ジャズにおいては、なおさらです。
なぜなら、ジャズという音楽のいいところは、
  包容力のある粘っこいリズム
  次に何が起こるか分からない即興的なスリル
  枠に縛られない自由さ
といった能天気性にあります。だから、アレンジされ過ぎた音楽には、作為が見えすぎて、若干のアレルギー反応が生じるのです。
その点、「Sweetnighter」冒頭の「Boogie Woogie Waltz」など聴くと、「何も考えていない」という感じの、その音楽の能天気さに何かしらほっとし、心から音楽を楽しめるのです。
また、「Tale Spinnin'」は、このグループの方向転換を決定づけた一作であるというだけでなく、
私が最初に買って聴いたウエザー・リポートのレコードであるという、ごく個人的な理由もあって、偏愛しています。

今回、ライブのCDやDVDを聴いて、改めて実感したのは、
2)ソロイストとしての実力
という点です。スタジオ録音の作品は作られ過ぎているという印象があるのに対して、ライブは一回限りのその場の勝負ですから、メンバー個人の演奏を十分に味わうことができます。
76年のモントルー・ジャズ祭での演奏や、ブート(海賊盤)で出回っている1978年9月29日のドイツでのライヴなど、一曲のうちのソロ・パートも多く、ショーターのソロの途中に、ザヴィヌルやジャコのソロが重なって、MJQばりの「集団即興演奏Collective Improvisation」の趣を呈する個所もあり、そういう意味では理想的なジャズ・バンドの演奏でもあります。
また、コンサートの後半には、四人のメンバーそれぞれに独演のスペースを与え、全体の構成に変化をつけており、中でも、一本のベースで同時にハーモニーとメロディを演奏する、ジャコ・パストリアスのベース・ソロなんて、映像で見て今更ながらその天才ぶりを納得するところもあります。
ところで全盛期のウエザー・リポートが満を持して発表した「Mr.Gone」ですが、発売当時は雑誌などでの評価が低く、どちらかと言えば「失敗作」という方向での位置づけに終わっているようです。しかし今改めて聴き直してみると、曲はどれも名曲です。これはザヴィヌルの書いた音楽の一つの頂点かも知れないとさえ思います。
ではなぜそれがウエザー・リポートの代表作とならなかったのか?
その理由の一つは、リズムの問題です。75年の「Tale Spinnin'」でウエザー・リポートが「復活」したのは、その躍動的なリズムにあります。正確な引用ではありませんが、当時このアルバムを評した油井正一氏は、「空を見上げていたウェザー・リポートが、大地に足をつけて踊り始めた」というような言葉で、この方向転換を賞賛しました。その方向転換は、ベースのジャコ・パストリアスの加入によって更に加速し、「Black Market」「Heavy Weather」といったこのグループの押しも押されもしない名作を生み出していくのです。
それが、この「Mr. Gone」ではリズムが極端に抑圧され、何かしら冷めた雰囲気の中で、音楽が構築されていくことになります。
もう一つの理由は、時代からのズレでしょう。突然変異っぽい作品です。でもこういう所にザヴィヌルの音楽の本質が現れているのかもしれないとも思えます。
…音が詰まりすぎていて煩い。モーツァルトがヨーゼフ皇帝から評された「ちょっと音が多すぎる」。シンプルなロックの持つ素朴な味わい。「Bad Company」。ハードボイルド小説の文体。行間から匂い立つような官能性。「pregnant」簡潔で味わいに富む。ライヴでのパフォーマンス。…(続く)

私の推薦盤は、一年毎というか、一枚毎で、「Weather Report」(1971)、「Sweetnighter」(1973)、「Tale Spinnin'」(1975)、「Heavy Weather」(1977)、「8:30」(1979)、ということになります。(さらに絞ると、最初と最後の二枚。つまり「Weather Report」と「8:30」。)
あと、ライブの「Live And Unreleased」とか、上に挙げたDVDとか、でしょうか。
「8:30」は、その3/4はライヴですが、ライヴはこのバンドの隠された魅力を伝えています。

ちなみに、「Weather Report」はもちろん「天気予報」。
「I Sing The Body Electric」は、ホィットマンの詩集『草の葉』中の詩の一節「私は電気の体を歌う」ですが、1969年に出版されたレイ・ブラッドベリの同名のアンソロジーの表題から取ったものでしょう。
「Sweetnighter」は、「one nighter」と言うと「一夜だけの(セックスの)相手」という意味ですから、「甘い夜の相手」という程の意味ではないでしょうか。
「Tale Spinnin'」は、「物語を紡ぐこと」または「ぐるぐる廻る話」、どちらの意味にも取れますが、もしかしたら「Tale」は「Tail(尾)」に掛かっている(「ぐるぐる回る尻尾→犬が自分の尻尾を追いかけて廻っている」)のかもしれません。

註1 残りのもう一人のメンバーであるドラマーに関しては、移動が激しくて、特定できません。
ところで、最近、トニー・ハイマス(Tony Hymas)というイギリスのピアニスト(ロック界ではJeff Beckグループのピアニストとして有名らしい)の「Hope Street MN」(仏Hope Street)というCDを買って聴いてみたところ、これが結構な掘り出し物で、当のピアノも達者ですが、リズム隊も頑張っており、クレジットを見ると、ドラムを叩いているのが、エリック・グラヴァット(Eric Kamau Gravatt)、すなわち、ウエザー・リポートの二代目ドラマーでした。調べてみると、グラヴァットは、どういう訳か世間から忘れられて、今は刑務所の看守をして生計を立てているのだそうです。実力も有り、「元ウエザー・リポート(その他)」という華々しい肩書きと知名度があっても、音楽で生活できないというのでは、ジャズ業界も厳しいのですね。

追記
ジョー・ザヴィヌルが亡くなりました。7月に亡くなった妻マキシンの後を追うように、2007年9月11日、故郷のウイーンで死去。享年75歳。死因は皮膚ガン。
因みに、妻のマキシンは『プレイボーイ』誌にバニーガール姿で登場した最初の黒人女性で、初めてジョーと会ったのは、クラブ「Birdland」だったそうです。一世を風靡したあの名曲「Birdland」の曲名には、そんな由来があったんですね。
1936年、ウイーンのジプシーの家に生まれ、5歳でアコーディオンの演奏を始め、コンゼルヴァロワールでクラシックの専門教育を受けるものの、その後20代でアメリカに渡りジャズ界に身を投じ…と、若い頃から頭は禿げていましたが、男のロマンを感じさせる人生でした。


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