このごろ弐  - 過去の部03年4月〜03年9月 - 

 このページだけ見た人は何のサイト?と思うだろう。自己満足のため、うどんネタで日頃の考えを綴ったものである。
 うどんうどんうどん右を見ても左を見てもうどんである。観光振興から雇用対策、香川県の知名度アップまでうどんである。過去に研究者は机上でうどんを語り現実と乖離した。 事業者は客のためと思い店を新しくして陳腐化した。うまいうどんが食いたい、現在のブーム、そこが原点だった。うどんへの愛情も客への配慮も感じられまま未来の展開が謀られようとしている。
 観光産業や行政の行動には本来中心にいるべき客の姿は見えてこない。 讃岐うどんブーム、香川県で10年、東京で半年、変化の速い時代としてはよく続いたと思う。 持続させる構想がない、讃岐うどん資源も無限ではない、いつかは尽きる。 感じるままにマスメディアや行政への嫌み、皮肉も記した、IT社会の最大の利点は個人が対等に発信できることと信じているから。杞憂に終わればと願っている。
 麺聖のうどんグルメの旅に2002年11月から「このごろ」を掲載した。 自慢じゃないが書くのは遅い、旅の記録を含めて月に2、3回くらいの割でと思っていたが、いい加減なうどんネタが世にあふれているためか週1回以上のペースになった。うどん食いの独り言と思って読んでいただければ幸いである。(2003年2月16日記す)

 もっと昔、2002年11月〜2003年3月はこっち。先の方、2003年10月〜2004年9月はこっち、2004年10月〜2005年3月まではこっち、2005年4月〜2005年12月まではこっち、2006年1月〜2006年6月まではこっち、 2006年7月〜2006年9月まではこっち、2006年10月〜2006年12月まではこっち、 2007年1月〜2007年6月まではこっち、2007年7月〜2007年12月まではこっち、2008年1月〜2008年6月まではこっち、 2008年7月〜2008年12月まではこっち、2009年1月〜2009年7月まではこっち、2009年7月〜2009年12月まではこっち、2010年1月〜2010年6月まではこっち、 2010年7月〜2010年12月まではこっち、2011年1月〜2011年6月まではこっち、2011年7月〜2011年12月まではこっち、2012年1月〜2012年6月まではこっち、 2012年7月〜2012年12月まではこっち、2013年1月〜2013年6月まではこっち、2013年7月〜2013年12月まではこっち、2014年1月〜2014年6月まではこっち、 2014年7月〜2014年12月まではこっち、2015年1月〜2015年6月まではこっち2015年7月〜2015年12月まではこっち


 2003年9月25日(木) 一昨日と昨日「東京の讃岐うどん」を食べて来た。仕事はどうした?うどんを食べること、これが麺聖の仕事である。その道で食べられない漫画家や音楽家も存在する、お金を稼ぐためにやっていることが必ずしも職業ではない。
 で、2日間で6軒13玉ほど食べた。最初の2軒がはずれ、後の4軒は合格だった。はずれの1軒は『偏愛』で2個丼半(3丼満点)、もう1軒は、香川県庁指定の「大使館」だった。好みが違うとこんなにも評価が違うのか、それともたまたまだったのか。最初の2軒がハズレすぎてたので後の評価が甘くなった可能性もある。
 24日11時に西新宿で東京麺通団がオープンした。プレオープンのとき出来が悪かったらしく団長がしきりに最初は70点の出来と予防線を張っていたが、開店直後の出来はかなりよかった(その後は食べてないので知らない)。安定してこの麺を出せれば、「本物は、あとからやってくる。」この言葉にみんなうなずくだろう。
 要望は、あつかけ(あつあつ)」「ひやかけ(ひやひや)」があるのだから「ひやあつ」も欲しい!そういえば、今回食べた他の店でも見なかった、熱い物は熱く、冷たい物は冷たくを定跡から一つの変化手順にすぎなくさせたひやあつは讃岐うどん界最大の発見である、と確信している麺聖には残念なことだ。
 今回、東京の讃岐うどんの夜のレベルの高さを再認識したが、立ち食いでもレベルが高い店があった。本物の讃岐うどんはネギがどうの、いりこがどうだ、小麦は香川県産でと本家面して騒いでいる間に、東京は進歩した。値段は香川県人と東京人の年収に比例しているとすると、讃岐の優位性は、朝うどんが食べれることと製麺所がくっついてること、密度が濃いことだけ、こんな時代になった!わざわざ東京から香川県に讃岐の讃岐うどんを食べに来る必要はもうない?


 2003年9月19日(金) 香川経済レポート(2003/9/15)の巻頭に「県外のどこで作っても“讃岐うどん”では弘法大師も泣いとるのう」なる論評があった、「ブランド力波及に規制も必要」との御説だが、県内県外を問わずまずいうどんによく当たっている麺聖にはその気持ちは理解できる。
 同じような記事が「業界横断でブランド向上」と一昨日の日経の四国経済、「割と簡単に開業できる。それが業界全体の活性化につながっている半面、技量不足でイメージを損ねている場合もあるだろう。頑固さや愛想のなさを売りにしている店は、ただの手抜きではなく、個性として評価されるよう頑張ってほしい」、広島県飲食業生活衛生同業組合の倉本さんの言葉である、お好み焼き店のことについて述べてるのだが。
 先ほどの経済レポートには「コピー組、便乗組などちゃっかりした金儲け集団が、讃岐うどんをだしにしてひと儲け、ひと暴れしようという輩には困ったことである。」と書いてるが、ひょっとしてこの人のこと?と思った。「誰か『タイガースうどん』でもつくってくれないかな(日経こだま2003/9/15)」言うたのは、真鍋武紀とかいう人だが、これなんか典型的な悪乗り便乗組である。
 県外で便乗組がまずいうどんを売っても、讃岐のうどん食いはちっとも困らない、(うどん食いにはブランドは関係ないことは置くとして)本場に比べて県外では、味は落ちると考えるのが通説(現実はそう単純ではない)だからブランドの価値も傷つかないと思う、県内での便乗組とやる気のない組、それにたまたま本物?を求めに来た県外客が当たる、これが一番ブランドを傷つけていると思っている。でもうまいうどん屋100軒にまずいうどん屋700軒、はずれに当たる確率が高い。それも含めての讃岐うどん、心の広い麺聖はそう思っている。


 2003年9月11日(木) 昨日の未明OHK「特報ズバッ 駆けめぐる讃岐うどん」の再放送を見た。テレビについてあれこれ言っても見ていない人にはおもしろくない、とりあえず気になった言葉を(原文のままではない)記すが、新聞のように熟読は出来ないし、動画や音声に引っ張られるから論評は不公平になる。そのつもりで読んで下さい。
 キャスターが井ノ上美恵子さん(どこの誰だか知らない)、コメンテイターが日本うどん学会の三宅会長(うどんについてどういう実績があるか知らない)で讃岐うどんの東京進出後のこの一年を検証している。三宅会長の「ブームではなく生活に定着する食べ物になって欲しいと願っている。」これって東京でのことですか?そうですよね!讃岐以外にもうどんが生活に密着している地域って全国にいっぱいありますから。
 月刊食堂土肥編集長「セルフうどんのスタイルが出てくることによって、初めてうどんのおいしさっていうものに気が付いた消費者が多かった。こんなにうまいうどんが低価格で食べられることに、新鮮な驚きを感じた。」、「外食全体の低価格化で讃岐うどんのニーズが浮かび上がってきた。」なかなか冷静に現実をとらえたコメントと思った。
 三宅会長の「15年前の瀬戸大橋開通時にうどんブームが一度起こっている」、井ノ上さんの「乱立は質の低下を招くおそれがある・・・瀬戸大橋開通時のようにブームに終わらないように」、瀬戸大橋開通時にうどんがブームだったとは初めて知った、イヤー勉強不足だった。で、それはどちらの地域でのブームのことですか?さっきは東京で使ってましたよね!えっ、香川県内のことですか?どこにブームだった証拠が、何をもってブームだったって言うの?瀬戸大橋を見に観光客がたくさん来てそれ目当てのうどんやもどきができただけでは?井ノ上さんでも三宅会長、どっちでもいいから教えてくれませんか!
 麺聖は常々この(香川県内でも県外においてでも)ブームの一番の収穫は(どこの人であろうと)参入する職人さんの多さだと主張してきた。乱立でも何でも数が多ければ、腕のいい奴がやってくる(可能性がある)、当然ぼろも大勢やってきているけど。この番組、なかなかがんばったが、まだまだ考察に未熟さが見られる、持続できるものを一過性のブーム(10年以上も続いて一過性と言うこともないが)に終わらせるのはあなたたちマスメディアとまだ気付きませんか?
 番組で三宅会長が日本うどん学会を「おいしいうどんをいかに作るか、経営のノウハウまで研究する集団」と言ってました、うどん食いのためじゃない、残念なことです。


 2003年9月10日(水) 週刊文春の9月11日号(何故か香川県内で手に入りにくいという噂がある)に「15分で出来る『本格てぬきうどん』」なる記事があった。誰もが手軽に作るれるよう大久保さんという人が編み出したそうである。そのことは非常に喜ばしいが。
 この中で大久保裕弘さんが特許出願中と「ポリ袋法」が紹介されていた。水合わせ、練り、湯煎、練りの4工程からなる法だが、「水合わせ」と2工程目の「練り」までは、香川県内で十年以上前から広く知られているビニール袋に小麦粉と塩水を入れて混ぜ、団子にし鍛える方法と同じである。
 我々は透明な袋をビニール袋と呼んでいるが、ポリ袋はいわゆるビニール袋のことかな?、機能的に違うものだろうか?3工程目の湯煎以後が革新的で出願されたと思うが、最初の2工程が特許の重要な要素ってなことはないはなぁ?広く知られた方法はいくら優れていても特許に値しないはずだから!
 このビニール袋法、香川県内ではポピュラーなので、記事を読んだ誰かが異議申し立てするのを防ぐための買い占め?大久保さんはそんなことする人に読めないし、善通寺駅のキヨスクには平然と並んでいたし、とすると、じゃ・・・!


 2003年9月8日(月) 「本場の讃岐うどんが食べたい!」、先日電話で東京の方(仮にTさんとしよう)に尋ねられた、香川県に来ていただければ・・・「東京で食べたいのだ」、麺聖も40年以上も生きている、麺聖のことを知らない素人のTさんに、海原雄山のように「伝統文化の感動はその地方の土と水と空気の中で・・・(美味しんぼ71巻)」とか、東京の讃岐うどんを偽物(讃岐うどんでもまずいうどんはあるし東京の讃岐うどんでも美味しいうどんはある、は別にして)だなんて講義はしない。
 「教えられない」と答えた、一緒やないか?答えは同じだが、不可能の「られない」である。Tさんは香川県人たるもの東京の讃岐うどん店を知っていて当然と信じこんでいたが、ほとんどの香川県人は県外で、どこのうどんだろうが、うどんを食べない(だから帰りの連絡船に乗ったとき走ってデッキに行きうどんを食べたのである)、店も知らない(それに普通の人は年に1回上京するかしないかだし)。麺聖にしても東京の讃岐うどん店は10軒程度しか食べていない、「さか田」に3回行ったのも3年以上前の事である。
 Tさんに繰り返し説明したが、分かってもらえなかった。ではどうすればよかったのだろう?調べて教えればいい!人に聞けばいい!そんな選択肢もあるだろう、主義主張や信念くらいなら曲げられる、でも私は(たとえ麺聖でなくても)良心に反することはできない。自分が食べたことのない店、勧められない店をニセうどん食いや似非文化人、役人やマスコミ人のようにずうずうしく紹介することはできない。


 2003年9月4日(木) 昨日の朝日のメール欄(第2香川面)に「うどん店前に違法駐車横行」という投書があった。客のマナー、店の無神経さ、取り締まりの放置の3点を指摘していた。雰囲気ではそうだし、迷惑駐車は困る、ただ朝日サンは事実確認したのかな?と疑問を持った。山越、蒲生、宮武、大喜多などは新たな場所に駐車場を確保している。二点目の「駐車場も持たずにうどん店を営む業者の無神経な営利主義である」こんな非常識な人気店が本当にあるのか?
 元々、うどん屋は近所の人を対象にし、そこには違法駐車はありえなかった。今、人気店は駐車場を拡張し、ますます車があふれる悪循環に陥っている。問題の本質は「生活うどん」の崩壊による。この原因が有名店におしかける多数の客だが、解決に麺聖は「うどん屋を探す人に不親切にする県民運動!」を提唱する。間違えないで欲しい「親切」ではなく「不親切」運動、あくまでもうどん屋を尋ねる人にであるが。
 経費をかけず、汗もかかずに視聴率をとろうとした結果の金太郎飴番組、只で麺聖の知識を利用しようとする業界人、ここ何年か麺聖はテレビに出てない。確固たる信念を持ち、多額の謝礼を支払う真剣さがあればアドバイスくらいはしてもいいのだが。
 忙しい時間帯に店に電話をかけたり、人に尋ねる、うどん屋を探す一般の人たち(県民から観光客、ビジネス客それに通過客)にもこの風潮が蔓延したようだ。ちょっと努力(と言うほどのこともない)すれば行ける時代だ。行き当たりばったり(麺聖はこちらを推奨している)を選択したら最後までそれを貫けばいい、迷えば迷ったで生命に関わるもんでもないし、はずれに当たるのもいいもんだ。軽薄な輩に答える義務はないし、歓迎する必要もない、代替の「観光うどん」は用意している。
 みんなで「うどん屋を探す人に不親切な香川県!」を目指そう!ゆったりと美味しいうどんが食べられ、生活者も「生活うどん」もうどん食いも幸せになる。ただこの不親切運動一つだけ心配がある、全国的話題となって今以上に客が押し寄せる、もしそうなれば、いやきっとそうなる?


 2003年9月3日(水) 昨日の日経MJの一面「讃岐うどん店生き残りカケる」に「はなまる」でも百円のうどんだけでは収益は上げづらく、それをトッピングで補っている「できるだけ多くの具材を購入してもらいたいという狙いは、店内の導線に見て取れる。」客は入店、トレー、トッピング、おにぎりの順に「最後にうどんにたどりつく仕組みだ。」、そうだったの!誰が実験したの?はなまるのデータ?
 でも現実にはセルフのうどん屋には2種類の方式がある。はなまるの様にオプションが先でうどんが後とまるいちの様にうどんが先でオプションが後とだが、麺聖はうどんを後にしたのは味にこだわり麺が伸びないようするためと思っていた、客単価のためだったとは、じゃあ何故うどんが先の店は存在するの?客にも店にもどっちにも悪いじゃない、どこかに良さがあるはずだけど?あと左回りと右回りどっちが売上が伸びるの?この問いには(もしこのページを読んでたら)学者サンの集まり日本うどん学会が名誉にかけて、きっと答えてくれるだろう、期待してま〜す!


 2003年8月31日(日) 8月は夏休みのためかアクセス数が伸びました感謝申し上げます。今日はうどんネタは休んで玉藻城の話をします。
 麺聖にうどんネタを語らしたら右に出る人はいない、その他は将棋と国宝と京都が得意である、お城についてもちょっとうるさい。昨日の日経(四国経済面)に玉藻城(高松城)の天守閣復元の記事が載っていた、私は復元に反対である。梅原JR四国社長(県観光協会の会長をしているらしい)の第一次天守閣復元ブームを引きずったような時代錯誤のコメント、綾田114頭取の「船で海側から見る姿は現存する四隅の櫓が映え、実に美しい。」どうも分かってないようである。ご両人ともこんな記事につまらんコメントを寄せる暇があるなら、それぞれ経営者として株式上場に向けた努力と手数料を引き下げる努力をなさるべきと申し上げたい。今海から見る玉藻城は県民ホールや歴史博物館その他のビルに囲まれ「讃州讃岐の高松様は城が見えます波の上」の面影はどこにもない、私にはお城が泣いているように見える。ことでんのホームから内堀、本丸を望んだ景色が私は好きだったがこれも歴史博物館がじゃまをした。景観を壊す主役が文化の振興を図るべく建てられた県教委の建物というのも(県庁も経済界も我々県民も含めた)香川県の文化レベルの低さを象徴している。
 多数の観光客でにぎわっている城下町萩にも津和野にも天守閣はない、これが現実である。朝敵、町の発展のための破壊、空襲と、高松の城と城下町に不幸が重なったのは事実である。でも今さら住民の誰もが愛さない町に金だけつぎ込んでも無駄である。その失敗の典型がお隣にサンポートとして実在する、県庁も市役所も多額の税金を投入しているが港町の風情も玉藻城の水城としての景観もなにも復活させられていない。
 ところで今回の日経の記事、支局長さんの署名入りだが文化の香りがしない。文化ビジネスと謳っているが、文化ではない。私は日経の文化欄は新聞各紙のなかで一番と思い愛読している、ひょっとして支局長さんは経済記者出身かな?なら購読料返せとは言えないか。


 2003年8月30日(土) 相変わらず讃岐うどんの出店の勢いは止まらない。昨日の日経には、はなまるのニューヨーク進出の記事があった。少し前にはJR四国のイスタンブール進出の話題もあった。はなまるの客単価は700円から800円、JRの「さぬきうどん四万十川」は一杯1200円、なかなか高級なうどんのようである。
 ネット上には麺通団の東京のうどん屋開店(予定)もある。「空前の讃岐うどんブームの仕掛け人『麺通団』が贈る、小ネタ満載のさぬきうどん店」こんなコピーが踊っていた。「勝谷誠彦の××な日々」の8月24日の「それ以前から田尾和俊さんと私の間では東京のさぬきうどんバブルはいかがなものかという疑問があった。うどんは実はかなり冷凍に耐える。だから正直言ってコンビニの冷凍うどんを茹でて出せばそれなりの味にはなるのだがそのレベルにすら及ばない店が次々とさぬきからの進出をうたっていたのだから。」と併せて読むと味わい深い、麺聖は「バブルなブームの仕掛け人が麺通団」と解読した!
 でも何故「大使」と名付けるのかなぁ、ゲリラ出身の田尾団長も権力が好きなのかなぁ? 同じ様に権威付けが好きな(当然といえば当然だが)のが香川県庁、県ゆかりの飲食店を「さぬき大使館」に認定している、うどんブームのためうどん屋の大使館も多い。どんな審査をしてるのか知らないが、知事さんの気まぐれか、コネで選んでいる!そう思う方が自然な、麺聖は勧めない店がある。讃岐うどんが食べられると思って入るとひどい目に遭い、県のイメージダウンにつながる(可能性が高い)、なかなか奥深い施策である、少なくとも店を選ぶ手助けにちっともならない。
 これらに比べると、東京さぬき倶楽部をオープンする喜代美山荘の三矢社長の「私はここに香川の『領事館』を作るという意気込みです。(香川経済レポート2003/8/25)」、この領事館がいい、大使館とか大使に比べて謙虚で親しみが持てる。こんなりっぱな経営者の宿を間違っても「大使館」にしてはいけない。
 まさかとは思うが、「さぬき大使館『讃岐うどん大使麺通団』」、「さぬき大使館『四万十川』」実現すればブラックユーモアですな!皆さんつまらない権力にすり寄らないで、味で勝負しませんか!健闘を祈ります。


 2003年8月24日(日) やはり元ネタは昨日か?今日の日経の「窓」、唐突に日本うどん学会設立の記事が載っていた、設立はずっと前のはずだが何故今頃?いろいろ探してYahoo!の社会ニュースで昨日の共同通信「『日本うどん学会』設立 ブーム生かし、実践研究」を発見!でも何故今頃?という疑問は解決されない、何故?麺聖の設立したさぬきうどん学会も早く紹介して欲しいものである。
 「(日本うどん学会の)三宅会長は『うどんの人気は右肩上がりだが、単なる一過性のもので終わらないように研究し、判断材料を提供したい』と話している。(共同通信から)」そうなんだよな、しょせん人事(ひとごと)のうどんを食べない企業家、役人はよくこんなこと言うんだよな。麺聖は一過性で終わらないと「生活」うどんから「観光」うどんへの転換が進むだけだと心配している。三宅先生の専門はマーケティング論と聞いたような気がするが、「一過性のもので終わるとこんないいこともある(あった)」こんな視点で研究してくれたら、純正うどん食いの集まり我がさぬきうどん学会にとってはありがたいんだが。
 準正うどん食いの大学教授や製めん業者らが集まった日本うどん学会の会員はたった50人らしい。我が「さぬきうどん学会」は強引に入会させた弟子と麺聖の2名である、負けとるやないか!


 2003年8月17日(日) 昨日の読売香川版に、ある新規店のことが載っていた。「しょうゆ会社のうどん店 人気」、「さすが老舗 本物の味にこだわり」、「蔵改装 ムード満点」、「めんは県産小麦」、こんな見出しが踊っていた。
 県産小麦を使うと何故美味しいのか?ウソをつくなと突っ込むのは麺聖の持論であるが、そこは今日のところはおいておく。見出しは事実である。記事も概ね正確である。まちには趣があり、建物には風情がある、通りにまで漂ってくる香りに期待で胸がふくらむ。町並みを保存するだけでなく、活用しようとする試みにも賛同できる、うどんブームに乗ることもビジネスだからやむを得ない。
 ただ新聞記者がここで筆を止めてしまったのが惜しい、これでは提灯持ちである。うどん屋でうどんを食べていない、そんなジャーナリストはいない、不自然である、店は本物の素材にこだわっていた、食べた、結果、まずかった、それで書けなかった。そう推察するが、こんな意欲的な店の味を論じないのは不親切である。雰囲気が好評で、訪れる人が多いのであれば、なおのこと見劣りした味についてはっきり書くべきであった、それが店を育てることになる、それで客が来なくなっても、それはそれだけの店だったのだ。損害賠償?記事を見て食べに行く読者には記者は責任を感じないのだろうか?
 麺聖は4月13日(日)の「このごろ」に書いたとき以来行っていない、2度行く勇気がないのである。たまたま行ったときだけがまずかったのかもしれない。でも茶の道では「一期一会」を重視すると聞いた、「いっぺん行ってまずかったうどん屋には、2回は、よー行かん」に相通ずるものがある。
 美味しくなったら再度行きたい。期待している、よって店名は記さない。ついでにこれを読んでいるうどん食い諸君に一言、他人が美味しいと言った、まずいと言った、それで行く、行かないを決めてはいけない、自分の舌で判断すべきである、麺聖があの店をこう言ったから・・・それではダメである!


 2003年8月16日(土) 別府君が「さぬきうどん食べ、歩き」の8月12日付けTopicsに「四国新聞、讃岐うどん遍路のリンク集っていつの間に出来てたんでしょう?新聞社が個人サイトのリンク集ってのも珍しいですね。」と書いてました。
 似たようなのに香川県庁の統計情報のサイトがあります、「平成13年事業所・企業統計調査結果の件数をもとに、多くのホームページなどを参考にさせてもらって、香川県内のうどん店を数えてみました。うどんを食べることを目的に客が訪れ、うどんを提供している所として《間口》を広げてカウントしました。一般食堂、喫茶店はもちろん、駅やスーパーマーケットのうどん店も含めると、平成15年7月現在で900店となりました。(そば屋さんは除いています。)」、統計とは思えないいい加減さが心配になりました、そこのところは今日はおいておきましょう。900店の名前には興味がありますが、発表はされてないようでした。
 情報収集発信の下剋上、ネット社会の特徴が顕著に表れてます。 


 2003年8月12日(火) 一昨日の四国「論点香川」は田尾教授の「さぬき元気大作戦」だった。いまやさぬきうどん中興の祖になった先生に申し上げるのも僭越ではあるが、先生が裸の王様になってもいけないので申し上げる。ゲリラから正規軍になったあとの先生は、(カルチュラル・マネジメント学科の教授という立場上かもしれないが)マネジメントを重要視してきたかのように話す事が多い。麺聖が美味しい、まずいとうどんを食べていた横で、マネジメントを考えながらうどんを食べてたとは知らなかった、ずるいじゃないの、教えてくれれば麺聖もマネジメントを考えながら食べたのに??それはそれとして多分二つの点で誤っている。
 まず一つは、「うどんブームは花開くのに十年かかった」(か三十年かかったかは枝葉なので、触れないが)麺聖は次のように考える。そこにうどんがあって、おいしくて、愛し、食べ続けた人がたくさんいた。その結果たまたまブームと呼ばれるようになった。マネジメントはうどんブームに(負の)影響は与えたかもしれないが、要因ではない。「(近年の讃岐うどんブームの)最大の要因は『うどん店がおもしろいから』である」これは先生自身のことばである(2002/6/9論点香川)。
 二つ目は、「仕掛けは確かに必要かもしれない(2002/6/9論点香川)」として百歩いや万歩譲って先生のマネジメントのおかげだったとしよう。でもこのマネジメントには行政が手を出さなかったという事実がある。それが結果として健全な地域づくりにつながった。先生はそのことを十分に分かっているのになぜ香川県庁のお金(税金)を使っての作戦に参加するのか?表彰の恩返し?私は行政が金と口を出した地域づくりの失敗例は語るのに一晩でも足りないくらいであるが、金と口を出した成功例は片手どころか一つも挙げられない。県庁さんと県庁に期待している県民には気の毒だがこれが現実である。
 香川県民が元気になる必要があると君が考えるのなら、県庁が行動するのではない、先生が行動するのでもない、今この文章を読んでいる君が、君のお金と知恵で行動しなければならないのである。君が自らのお金と意志とでうどんを食べ続けたように!
 私は先生の功績を否定するつもりはないし、足を引っ張るつもりもない。1、2年と功をあせらず「小ネタ満載の5年計画」と名づけたところに冷静さがある。先生の元気大作戦が成功することを祈りながら、明日もまた麺聖はうどんを食べよう! 


 2003年8月10日(日) 先週のうどん団体が三つできたという話、違いをどの団体も説明していないので、公表されている資料でまとめてみた。

団体名 設立 代表者 目 的 会員資格 主な会員 功績
さぬきうどん研究会 1984/1/28 元香川大学教授真部正敏 さぬきうどんの伝統を継承し発展をはかるために文化的、技術的活動を行う 目的を理解した人 佐々木正夫、小島高明、鳥塚晴見 会報「讃岐うどん」発行
日本うどん学会 2003/6/14 香川短大教授三宅耕三 広く専攻分野を異にする研究者、実務家がうどんに関する研究水準の向上に寄与すること 大学・短期大学等の教育機関又は企業等にあって、うどんに関する研究に関心のある者 田尾和俊、勝谷誠彦、盛の大将 なし
さぬきうどん学会 2003/8/3 ただのうどん食い麺聖 学者、行政、マスメディア、観光客にじゃまをされずにうどんを食べる うどんを愛し、食べている人(うどんを食べずにうどんを語る文化人、学者、業界関係者は謝絶) なし なし
 一応これもパロディです。でも麺聖が今うどんを取り巻く状況を憂えているのは事実です。うどん食いの手にうどんを取り戻す必要があります。

 2003年8月9日(土) 子供のころ新聞一面のコラムを要約する宿題があった。昨日の四国の一日一言を読む限り今はこんな宿題を出せないと思った。
 「その(注 本四架橋の)バカ高い通行料のお陰で安価で美味な讃岐うどんが守られた。もし会えたらKさんにうどんの秘密を話してあげたい。」こんな説があるとは勉強不足であった、麺聖でもこれは要約できない、駄洒落でもなさそうだし。コラムニストに問いたい、誰が言ってるの?橋の値段が安いと、安価で美味なうどんはなくなるの?何故?君もそう思って書いたの?論理的でないし、文学的でもない、何より美しくない説である。麺聖からの反証を一つ「都心と陸続きの武蔵野(東村山市、所沢市など)に今も安価で美味な武蔵野うどんがある」、橋の値段とうどんのおいしさは関係ない。
 麺聖は適当にうどんを利用する便乗マスメディアが嫌いである、彼らがいる限り戦う。


 2003年8月3日(日) 「日本うどん学会」という団体が設立されたそうである。新聞各紙にも載っていたから、嫌味を言ってもいいだろう(麺聖はうどんやに対しては強弱に関わらず論評するが、その他はマスメディア、行政、学者、素人で他人を誤らす発信をする人、等々いわゆる強者に限って悪口を書いている)。既に同様の団体に「さぬきうどん研究会」というのがある。学者さんたちの争いで二つになったのならそう言うべきだろうし、明確に目的が違うならその点を言うべきである。報道する人もそこを伝えるべきである。最近うどん学会のサイトを見ようとしたが、32kかつceという環境で見ている私には非常に不親切なサイトであった、どうでもいい画像をなくしテキストベースで作り直して欲しい(初心者でも子供でも作る気持ちさえあれば半日もかからず作れます)。
 昔、田尾団長はうどんを食べずうどんを語る学者さんにウソを語らせてはならないと麺通団を結成した。その結成当時に比べ今の方がうどん食いにとっては環境が悪くなっている。麺聖もここらでうどん食いの団体を立ち上げようか!と、「さぬきうどん学会」設立趣意書(案)を作成した。
 『1990年発行の「うどんグルメの旅」で火がついた空前の讃岐うどんブームは香川県外からの「讃岐うどん巡礼」客の急増で今までうどんを食べてきた我々香川県人がうどんを食べられない状態になっております、一方便乗組によるうどん店の急増は、小規模な家内経営の店に経済的困難を生じさせています。
 うどんは室町時代の切麦がその元祖とされてます。原材料や形から見れば、「そうめん」はうどんではありませんが、「冷麦」、「きしめん」等はうどんの仲間です、呼称に混乱が見られます。
 また、うどんは小麦粉と塩、水を原材料とする単純なものです。何を持って本場とするか根拠はありませんがうどんの本場と、自称する香川県では「うどんは別腹」と言いますが、実際には三度の食事の一つだけうどんを食べる程度の人がほとんどです。もっともたとえ一食でもうどんを食べることにより消費支出がおさえられ、これが香川県民の貯蓄学の高さに結びついていますが、反面で経済発展を阻害しております。讃岐うどん店舗の形態も「一般店(食堂スタイル)」、「セルフ店」、「製麺所付属店」に大別されていますが、そんなに歴史があるものではないようです。
 他方、秋田県の「稲庭うどん」、群馬県の「水沢うどん」、三重県の「伊勢うどん」、愛知県の「きしめん」、奈良県の「三輪そうめん」、福岡県の「博多うどん」などがありますが、稲庭うどん、三輪そうめんは製法的にうどんではありません、また近年まで稲庭うどんを地元で食べる習慣もありませんでした。水沢うどんは商業的に発展したものであまり地域に根付いたものではありません。伊勢うどん、博多うどんはどちらかといえば全国的には無名です。有名無名に関わらず、小麦粉が取れる地域では昔からうどんを食べていました。その地域のバックグランドと深く関わり育まれ近年まで伝えられました。このなかでマーケティングに成功したものが、その地域の郷土食の仮面をかぶり全国に広がったと考えられます。
 このようにみてくると全国規模で普及しているうどんの研究進捗具合ですら、誤解と先入観に満ちたおそまつなものです。鉄の胃袋を持ち食べ歩いた先達によって、かろうじて真実の断片が見えるだけです。一方で最近のブームは、誤った情報を発信しています。讃岐のうどん食いはただ美味い店でうどんを食べたいとだけ願っていました。それが困難なのが今の状況です。
 この様な観点から、うどんを食べることに重きをおいた手法で学際的・業際的な研究を排除すべきであるとの見解に達し、メディア、行政や学者たちから我々うどん食いにうどんを取り戻すことを目的に、「うどんグルメの旅」の意志と「ゲリラうどん通ごっこ軍団(注)」の遺志を継承し、有志はいませんが「さぬきうどん学会」の設立を決定いたしました。
 うどんの文化、地理・歴史、経営・商業等の研究者は不要です、とにかくうどんを愛し、食べている方々が賛同されるのなら参加は拒みません。  麺聖』
 もちろんこれはパロディです。 (注)ゲリラうどん通ごっこ軍団略して麺通団、麺聖は団員ではない、周辺グループである(恐さぬ第4巻)。


 2003年7月31日(木) 7月も今日で終わるが、更新ができてない。さとなお君がさなメモ(7月18付け)に仕事のプレッシャーが心身に影響し、それがサイト運営に影響を及ぼし、それがまた心身に影響を与える旨のことを書いていた。アクセス数にして一桁違うネット界の大御所と比較するのは失礼だとは思うし、原因も少し違うが、麺聖もよく似た症状になっている。
 麺聖も一応サラリーマンである。4月に新しい職場に変わった。これはサラリーマンの義務である、このことはとやかく言わない。ただ理由が「うどん」を知っているから、と言うよりそれ以外考えられない、こうなると違ってくる、二重の意味で侮辱している。一つは仕事に対する評価を行っていない、まあこの点は私が仕事をしていると思いこんでいるだけで、客観的には仕事ができていなかった可能性もあるので許そう。
 だが、「今うどんがブームなので役に立つかも」、これが転勤の理由なら決して許さない。会社は個人の趣味や信条に介入してはならない。「君のためを思って」と言うのは迷惑なことであるし、プラス評価をしていると思っているのなら私のうどんに対する功績も軽く見られたものである。サラリーマンは8時間会社に拘束されている。これでサラリーを得ている。残りの16時間は会社には関係ない時間である、私はうどんを食べ続け麺聖になった。これを会社が利用したいのなら、麺聖に16時間分(寝ている時間もあるから今の倍増くらいか)の報酬を支払う義務がある。例えば香川県知事はうどんで田尾団長を表彰したと風の便りで聞いている。この表彰が適正かどうか、どの程度の報酬に値するか分からない(私は表彰は上から下を見下ろした無礼きわまりない制度という考えを持っている)、ただ、私への会社(我が社とは呼びたくない)の仕打ちと、田尾団長への香川県知事の表彰を比べると、明らかに「麺聖」を冒涜している。見方を変えれば私への人格攻撃=パワハラ(と信じている)だが、その点はここでは触れない、ただ麺聖に対する無理解と非礼には謝罪を要求する。
 ということで4ヶ月たった今も、腹が立つやら、情けないやら。しばらく更新ができそうもありませんが、ご容赦いただきたい。


 2003年7月20日(日) クッキングパパCOOK.806(うえやまとち、モーニング7月31日号、講談社)は博多から香川にうどんツアーに来る話だった。これが実話なら讃岐うどんも本物かもしれない。距離の遠近でなく、博多の麺は讃岐とかなり違うから彼らに受け入れられれば讃岐うどんはかなりの地域で受け入れられる。
 昨日の朝日『オトナの総合学習』のテーマは「うどん巡礼」、県外から繰り返し人が訪れる今のブームを探っていた。「単なる食事でなく、レジャーになっている(田尾教授)」、「ウチとは対極的。店の立地も含めて非日常の体験を求めているのでは(前田はなまる社長)」、「うどんだけでなく、人の温かさにひかれる(神戸市の会社員)」。なるほど、こうしてうどんがどんどん地元から乖離していき、まずくなり、やがてブームは去っていくのか。
 うどんマップを作ったと喜んでいた香川県庁、さして美味しくない市内のうどん屋を名物(美味しくないから名物なのか?)にしたててまで客寄せの手段に使う高松市(マップ作成)や丸亀市(ウェブサイト作成)、うどんで儲けようとするが自ら取材をしない出版社や放送局、間違っている。
 我々はうどんが好きで、愛し、日常的に、腹をおこすため食べてきた。ブームが続こうが消え去ろうと、我々はうどんを食べる、基本はここにある。


 2003年7月6日(日) 私の住む善通寺には、まちづくり会社「(株)まんでがん」というのがある。今回の話はこの会社の評価ではない、名前である。まんでがんとは広辞苑に載っていないから多分方言であろう、すべて、全部、まるごとと言う意味で使っている。(あくまで)うわさだが、まんでがんを名前に使った別の某自治体には、「汚い言葉を使うな」などの意見が関東地方の人から寄せられたそうで、今後は使うのを差し控えるそうである。
 昔よく似た話があった。県外客からの投書をきっかけに、1968年に香川でうどんの足踏みが禁止された。今ではそのうどんを求めて全国から人が押し寄せている・・・。
 アメリカンスタンダードを世界標準だと誤解して取り入れる日本人と、自己の正義を押しつけるおせっかいなアメリカ人の縮約版みたいな話である。他人の意見を聞くことも必要だがそれ以上に自己の文化への愛着は必要である。もっと自信を持とう!(もっともほとんど食べたことのないところのうどんより讃岐うどんがおいしいと言う無知の上に成り立つ自信は不要であるが)。


 2003年6月28日(土) 昨日のテレビ2本から。午前2時過ぎの瀬戸内海放送テレビ欄、『42才の文化祭 讃岐うどん』とあった。高松高校の同窓会だった、(内容のいい悪いではない)どこが讃岐うどんや!夜遅くまで期待して起きてたのに、こんな経験昔何度もあったっけ・・・、良識ある新聞社さん、番組欄の誇大表示と週刊誌の意味ない袋とじ広告は検閲してくれー。
 夜のNHKの「四国羅針盤『検証・さぬきうどん』」どこかで見たような映像をつないだだけの番組で、取り立てて突っ込みどころがないまま終わってしまった。突っ込むとしたら、ゲストの田尾団長のコメントがいつの間にか学者みたいになってしまったことか、ところでゲリラじゃない麺通団(ゲリラうどん通ごっこ軍団の略で麺通団という)ってなんて呼ぶのかな?うどんブームを広げるキーワードを団長は「遊び心」と言っていたが、麺聖は「味」を忘れた遊び心なんか意味がないと信じる。山奥の店にわざわざ行って臨時休業だったり、玉切れだったりしても許せる、そんな遊び心は欲しいが。
 これくらいは書いても団長は怒らんやろう、番組中の「反マニュアル」って、反文化人、反行政、反マスメディアのたとえですよね?


 2003年6月19日(木) だいぶ前に都道府県が東京に開設したアンテナショップの郷土料理が人気という記事(日経2003/4/19)を読んだ。香川県庁も愛媛県庁といっしょに新橋に「かおりひめ」という瀬戸内料理の店を設けたそうで、デジタルTVガイド7月号(東京ニュース通信社)にも載っていた。先日上京する機会があったのでちょっと寄って、熱いのと冷たいのを食べてみた。どちらも無事完食できた、と言うことは、まあ讃岐うどんとして合格か(あつあつはあまり好きでないのでまずい県内の店で泣きながら食べることが多いので)。
 味についての意見が県庁のホームページに寄せられていた。讃岐うどんへの期待の大きさと愛情を物語る話である。麺聖なんかうどんを「美味しい」、「まずい」、「食べられる」程度にしか分類できない、鋭い味覚をもったうどん通がうらやましい。でも、県内に200軒以上はあるまずいうどん屋がダメだと言う声がうどんにうるさい有識者からも出ないのは何でだろう?本当はそっちの方がずっと(税金でうどん屋をやることの是非論を除けば)重要なことである。まあ、うどん屋に行かずうどんを語るうどん通って多いからな!


 2003年6月8日(日) 『あまから手帖』6月号の「讃岐うどん旋風」はスローフードの観点から原料の小麦の自給率が低いことと地粉に論じている。ちょっと誤解があるのかなと感じた。オーストラリアにうどんを食べる習慣はない。だからうどんに適する粉はなかった。偶然発見されたのでもない。オーストラリア人がうどんと日本人の嗜好を研究し、その結果「色白美人」のASWを作った。もし地粉に好みが移るのなら、それにあわせ彼らは粉をブレンドすることになる。
 海原雄山は『美味しんぼ』で、何の変哲のない、昔だれもが食べた料理を莫大なコストをかけて作っている。これは現実である。明治維新以後に我々が手に入したのは少々の便利さではなく一億を越える人口である、土地で採れるものを使うのは理想だ、でも伝統にこだわったり、環境に負荷をかけないように人口を江戸時代なみの三千万人に減らすことはできない。
 隣のおじちゃんの作る農作物は安心できる。じゃ隣の隣は?安心できる。じゃ隣の隣の・・・のオーストラリアは?私は隣の隣の隣のおじさんが作っている農作物が安全だと信じる根拠を持たない。広大な自然いっぱいのオーストラリアで採れた農作物が、ごみごみした香川県で採れるものより安全と感じるほうが残念ながら普通だと思う。また生産者と消費者の交流を図るのなら、国境を閉ざすことに利点はない。
 理想を追求するのを否定はしない、でも文化を博物館に保存すべき固定したものと考えるのは間違っている。対立する文化、他の地方と影響しあって発展するものである。これは食文化も同様である。オーストラリアで安全で讃岐うどんに適した小麦を作るという選択肢を否定的にとらえる必要はないと考える。


 2003年6月4日(水) 民博友の会のセミナー、食の人類学ことはじめ−「華麗なるめんの道」を聞きに先週の金曜日、大阪の阿倍野へ行った。夕方からだがどうせ仕事を休まないかんし、天候も不安なので朝から出かけることにした、昼かなり前に着いてしまうんで何しようかと、時刻表を見ると天王寺から和歌山までが近い、快速だと1時間ほどだ。
 でまずラーメンを食べに和歌山に着いた。タクシーの運転手さん「(自分も他の和歌山の人も)井出商店には行かない、他においしい店はいっぱいある!」この手の話昔讃岐うどんがブレイクする前よく聞いた、昼時に並んでいたのは2、3人だ。今の讃岐は、県外から客が来んでも行列ができる、地元客が行く店に県外客が来ている、和歌山の「土曜、日曜以外は行列はできない、県外客は来ないから」とはかなりようすが違うが・・・。でも普通の店にしか見えなかったマルタカラーメン(車庫系の店とは違う、と思う)のチャーシューはすごかった。650円(?)は得した気分になる。
 目的地の辻調理師専門学校はすごい、徒弟制じゃ若者は呼べないにしてもすごいと思った。石毛直道先生の話は入門編といったところ、もう少し深いところが聞きたかった、1時間ほどじゃ無理かな?次回は乳製品だが、また麺に戻らないかな。


 2003年5月27日(火) 新規店の「データありますか?」掲示板にこんな書き込み見ない?データってそんなにおいしい!かなぁとつい思う。他人の嗜好にいちゃもんつける気持ちはないが、麺聖は店もデータも食べたくない、うどんを食べたい。
 しかしまあこんなにできて大丈夫?他に事業は思いつかないの?くらい全県的にうどん屋ができている。私の住む善通寺にも白川、岸井、細川などなど次々と、これって分類上はセルフ店なんだろうが趣は完全に製麺所である。
 で定休日は?おいしいの?休みだったら別の店に行けばいい、まずかったら違う店を探せばいい!情報で腹をおこさず、とにかくうどんを食べに行こう!


 2003年5月23日(金) 事例3つ、ご意見、ご回答ある方はよろしく!
 (その1)「おか泉は何故、はやっているのですか、高いのに?」讃岐うどんは安さが売りである、それならおか泉に行列はできない(はず)、でも実際にはできている。
 (その2)「県外からまとまって人が来る、夕方に行くのでオプションを残しておいて欲しい」こう頼んだら断られたと、夜まで営業しかつ席数も多い店を選んだようで、当人たちは本心から県外の人たちに「讃岐うどん」を食べてもらいたい、また宣伝したいと思っている。
 その人数は多いので(一度に行くかどうかは別として)店が提供できるうちのかなりの割合になる、先に食べに来る常連さんに申し訳ないからではないでしょうか?こうお答えすると「店にもそう言われた」とおっしゃる。ならどこに不満?と思いはするが、他でも難しい、今の「讃岐うどん」の名声を作った店は、数席程度で多くの客を受け入れできない・・・と説明すると「バスで団体が来ている店もある」と反論が、バスで来られた方も並んでいる、と再度説明することに。地元の人はバスを見ると行く店を変えている不幸な事実は知らないようだ。早朝から昼くらいまで営業している店のうどんがいわゆる「讃岐うどん」だとの説明には、「夜の店もあるではないか」と、あるのは事実だが、話題になっている店の多くは・・・。讃岐のうどん屋の実態を説明するが、どうも理解してもらえないようである。
 (その3)製麺所の多くが日曜休みである。これは近所の工場が休み、納品先の食料品店が休み等の理由による。日曜日に食べたいとの要望は多いが、夫婦あるいは家族でやっている店に無休を求めるのは酷であろう。地元客を切り捨てれば、休みを変えられるが、そのときその店を生活うどんと呼べるのだろうか?
 (仮説)お客様は神様である、要求はわがままでかつ様々である、それにあわせて讃岐のうどん屋の形態も多様化してきた事実もある。でも「神様の声」を聞かなかった店に行列ができているのをどう評価するのか?
 お客様は最大のサービスを要求する権利がある。そしてそれは100円には100円分の、500円には500円分の権利、「リーズナブル」を求める権利である。店もぞんざい、意味ない頑固さは、もしあるなら、改めるべきだが、味への意見を除いて客の声は聞くべきではない。


 2003年5月19日(月) 昨日の四国の『論点香川』で田尾団長が讃岐うどんに関して、他県で成功している人たちの足を引っ張るなと書いてあった。同感である、団長のマネも芸がないように思えるので、別の面から理由を述べよう。昔、四国の追跡『セルフうどん東京上陸(2002/9/22)』に「さぬきうどんの名を汚すのではとの懸念の声も聞こえる。業界にとっては、さぬきうどんを東京や全国に知ってもらえる好機だが、ひと口にうどんといっても奥が深い。これぞさぬきうどんと思われるのには片腹痛さも感じる(抜粋またカッコ略)」。まぁ出遅れた悔しさだろうが、事実に誤解があった。
 彼らは都会に進出したうどんをまずいものと決めつけ、讃岐うどんの評判が落ちるのを懸念していたが、ネット等で見る限り事実は反対である。例えば、小学館文庫の『さぬきうどん偏愛』にこんな文がある。「味についての驚きはそれほどでもなかったんです。でも、大自然の中にあるうどん屋には衝撃を受けました。」県外から何度も来たり、本を書いたりネットに書き込んだりする人たちに、この手の意見がかなり多い、そこには値段とおばちゃんとロケーションを除いて讃岐の優位性は見られない。
 うどんに関しての許容範囲がバザーや給食や一般食堂の干からびた麺を生まれてからずっと食べ続けている香川県民の方が広いのは間違いない。でなきゃ400軒以上のまずい店(誇れるうどんや50軒、特徴がある100軒、普通の店250軒とあわせて800軒)が成り立っていることは説明できない。
 笑ったのは団長の「ちなみに今の讃岐うどん巡りブームの本質は『若者文化』ですよ。」。走馬灯のように、田尾さん、盛の大将、福田さん(2代目うどん王)、さとなおさん、佃さん(メーリングリスト)等々がグルグル、讃岐うどんダイエットの記事でも同じように太った人がグルグル回ったよな、若者には見えないわなぁ!


 2003年5月14日(水) 連休中、京都の神護寺の虫払いに行って来ました。2間続きの座敷に国宝が5点(香川県内には建物を含めて全部で5点の国宝があります)並べてあります。源頼朝像や平重盛像のようにフランスに持っていくとお礼にモナリザが来るような一級の国宝がガラスを通さず見られます。が、客は山越よりずっと少ないです。素材がよくても客がたくさん来るとは限りません。
 で週刊現代(2003/5/24)の『サラリーマン緊急ミーティング』の「手軽なイベント『行列ラーメン屋』」です。「ラーメンなんて並んでまで食べたいか?」「並ぶのってイベントの一つなんだよ。(中略)行列しているところだと、食べるまでの30分とか1時間、(中略)盛り上がれる。あとで『テレビに出ているあの店にいきました』って自慢もできるしね。ディズニーランドで並ぶのと同じなんだよ。」、かなり真理をついています。不景気でも讃岐うどんはがんばっている、だからおまえらもがんばれみたいな意見がありますが、不景気だから讃岐うどんがはやっている面のほうが強いと思いますが・・・。とすると、まだまだはやるということになるんですが?


 2003年4月29日(火) 連休でうどんを食べに来る人が多いのか、新潮文庫の影響かここ何日かアクセス数が増えてます。ゴールデンウィークまっただ中の今日は「うどんツアー客を見るツアー」をしました。12時過ぎから、蒲生、山越、宮武のはしご?です。行列は当然、駐車場待ちの車もいます、姫路、神戸、なにわは言うに及ばず遠くは水戸、宇都宮ナンバーまでありました。
 長蛇の列をクリアーして本当にこの3軒をはしごした方もいると思いますが何時間かかったのでしょうか?常に客が来ると出来立てが食べられる利点があります。でももう適正な客数は越えてます。讃岐うどんで香川県を売りだすのも結構ですが、このあたりは検討されたのでしょうか?うどん屋が勘違いして味が落ちるのは自業自得です。でもマスメディア、行政がよってたかってうどんを食い物にするのは間違ってます。
 観光資源として「讃岐うどん」を考えているならそろそろ考え直す時期ではないでしょうか?規模の拡大、新たな店の展開で解決できることではありません。客が多すぎて地元客が行けない「観光うどん」は、真正性を求める観光客からもそっぽを向かれることになります。
 岐阜県に常連さん、ご近所さん専用の座敷を設けている店がありました、なかなかいいアイディアと思っていますが、もうその程度では解決は難しいかもしれません。それにしてもみなさんお疲れさまです。


 2003年4月22日(火) 昨日の毎日の『余録』は「讃岐うどんがブームだ。」から始まり、田尾団長とうどんブームを簡略に紹介(それ自体はかなり的確である)したあと「ちょっとした切り口とプロモーション次第で成功すると、讃岐うどんの例が示している。」と結ぶ。この結論は誤りであると麺聖は次の点から考える。
 切り口やプロモーションが悪くてもというより、(団長の業績を軽視するつもりはないが)、たとえ田尾和俊氏がいなくても讃岐うどんはいつかは注目されたであろう。手段とか方法とか誰々がというのは、そこにうどんがあったという本質的なことに比べれば些細なことである。
 バブル絶頂期にタウン誌で『ゲリラうどん通ごっこ』の連載は始まり、不況が長引いている今、ブームの花が開いた、不況の今だから花が咲いているのが見つけられたので、いつでも苦境を乗り切る即効性はなかったはずである。十数年の時の経過と今という時を軽視はできない。
 ついでに言えば、ifの話だが、ゲリラうどん通ごっこの連載が『恐るべきさぬきうどん』として出版されなければ(せめて文庫本の全国発売さえなければ)、ホットカプセルのビジネス的成功は別として、ブームが緩やかでより長続きするものになっていたことも間違いない。
 団長が「今のさぬきうどんブームはまだまだ続いて行くだろう」と話したらしいが(香川県のホームページ「かがわ21世紀大賞」の受賞者を表彰、から引用、直接麺聖は聞いていない)、「ちょっとした切り口とプロモーション」以前からうどんを食べ続けている客と行政や観光業者やマスメディアの思惑がどんどん乖離していくブームならうどん食いにとって何の意味もないと麺聖は思う。


 2003年4月20日(日) 昨日の朝日の家庭欄『オトナの総合学習』は近ごろスーパーやコンビニの商品に目立つ『甘栗むいちゃいました(カネボウフーズ)』、『植物物語 溶かして浮かせてしっかり落とすクレンジングオイル(ライオン)』などの長い名前の秘密を探っていた。『恐るべきさぬきうどん』の初版がちょうど10年前、恐るべき田尾先生である。
 実は『麺聖』はある製粉会社の商標でもある。ペンネームになら問題ないだろうが、うどん類は承諾なしではだめである。これを解決する手段?も朝日beにあった。他社が商標登録していたキレイを「2回重ねて商標をクリアし」、『キレイキレイ(ライオン)』に。これが合法なら『麺聖のうどんグルメの旅 修行で鍛えたコシが違います!』これで販売できるかな?


 2003年4月17日(木) 昨日の新聞にマキノ出版の「壮快」と「ゆほびか」の広告が並んであった、両誌ともに讃岐うどんダイエットの記事があった。壮快は2ヶ月連続である。旬は逃さないというかすさまじいプロ意識と言える。香川県にも当然ながら太った人も痩せた人もいる。私の周りのうどんをよく食べている人は太った人が多い。感覚で言えばそうである。摂取カロリーより消費カロリーが多ければ痩せるのだから、安定した体重だった人が今まで食べていた物より、低カロリーの物にしたら、うどん限らず痩せるであろうことは当然の算数だ。
 内容で理解できないのは、「腹持ちがいい」ということ、科学的ではない感じの話だがうどんを噛まない麺聖でさえうどんは消化がいいという気がする。「うどんは別腹」はこのあたりの経験則を言ったのではないだろうか?しっかり噛んでいる人たちが腹持ちがいいと本当に感じているのか?やっぱり科学的分析をお願いしたい!


 2003年4月13日(日) 毎週のように新規店ができています、昨日ある店に行きました。古い建物を利用して趣がありました。値段は少々高めでしたが、醤油にもだしにもこだわりが見えました。
 ここまでならすごくいい店のようですが、残念なのはひやあつ、ひやひやでは食べられなかったことと醤油うどんも熱いののみでした。「できないの?」と尋ねると釜上げの状態で、醤油やだしとのバランスを取っているとのことでした。(異論はあるでしょうが)麺の最高の状態は冷水から取り出したときと麺聖は考えます。このあたりを確かめられた上で釜上げを選択したのでしょうか?釜上げ神話をただ信じただけなのでしょうか?麺へのこだわりをなくすと讃岐うどんにはなりません、これからも麺にはこだわって下さい。


 2003年4月12日(土) 山田家のご主人が最近『さぬきうどんに賭ける』(成山堂書店2003、引用は同書から)という本を出した、成功物語である。この本が駄目という訳ではないが、高橋さんの本を読んでもテーマパークは作れない、伊藤さんの話を聞いても藤田さんの話を聞いてもスーパーもコンビニもファストフードチェーンも作れない。「成功の秘訣」は時を超えられない、アメリカンスタンダードだと海さえ渡ることができない。「失敗した人は、失敗すべきことをして失敗しているように思える。」そうなんだよなぁ、類型化できるであろう失敗事例をまとめれば、讃岐うどんの平均値は上がる、もっとも平均値の向上が讃岐うどんの発展と言えるかどうかは分からないが。暇つぶしには、無謀な若者を誘ったり主体性のないトップに改革のまねごとをさせるだけの成功者の自慢話も必要かも?
 「開店案内や新聞チラシなどの広告は一切するな。花輪も店の前には絶対に置くな」と「勘の良い人でも最低一年の修行は覚悟するのがよい。四季を通じた生地作りを体験する必要があるからだ。」、この2点には麺聖も同意見である。安易に考えている新規店が目立つだけに、修行中の方々よく覚えておくようにネ、あなたが天才でない限りは。


 2003年4月5日(土) 一週間ほど前、身体中に蕁麻疹がでて医者に行った。「一週間はご飯でお腹をおこして下さい」と言われた。人の言うことと世間の常識は否定する私だが、生まれてから医者の言うことと法律とは破ったことがない、実行した。結果体重が減った!ライスダイエットっていいかも?
 昨日の四国の連載『続グルメの哲学』で北川先生が今話題?のうどんダイエットについて書いてある。確かに先生が言うようにハンバーガーやラーメンに代えてうどんを食べるならカロリー摂取量は減るだろうな。
 満足感、満腹感がハンバーガー一個とかけ小のどっちにある?ということか、値段はどちらも同じくらいだから。はなまるやJRが出店に強気なのはそういうことなのか。


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