このごろ六 - 過去の部(06年1月〜06年6月) -

 長かったいわゆるうどんブームが去って一年たちました。意欲的な若手の店で味わえ、有名店では落ち着いて食べられる、うどん好きにはいい時代がきました(06年01月記す)。今回のこのごろ六は、始まりは1月の沖縄旅行、締めくくりは6月の沖縄旅行、別に意識してたんじゃないんですが、沖縄好きなんです。
 2002年11月〜2003年3月はこっち、2003年4月〜2003年9月まではこっち、2003年10月〜2004年9月まではこっち、2004年10月〜2005年3月まではこっち、2005年4月〜2005年12月まではこっち、2006年7月〜2006年9月まではこっち

 2006年6月29日(木)  沖縄に行く前に読んどったら真偽を確かめたのにと残念なのが、県庁が季節ごとに発行している『かがわ さぬき野夏』の「UDON」特集の「『さぬきうどん』のノレンを出す店は沖縄県以外どこに行ってもあり、その数1600を超すというデータもある」。ホントか?ノレンは目視しとらんけど、つい3,4日前名護で屋根だったか壁かに讃岐うどんと大きく書いた店を発見したぞ!昔、石垣島では讃岐うどん店じゃないけどうどんやで食べたし、国際通りのはなまるでも食べた。古いガイド本には那覇の讃岐うどん店の紹介があるし。問題はノレンやけどこれは行って確かめないかん、今週は用があるから来週マイルで飛ぼう…あっ、10月まで待たないかん!1,600の方も数えないかんし大変じゃ。ちゃんと出典書いとってくれ!
 でもこの特集、博報堂が書いたんか県庁が書いたんか知らんけど、東京のうどんブームの訳を明快と決めつけるなど突っ込みどころ満載で楽しい。硬い文章を避けるためとは言えオーソライズされてない説を紹介するなら注釈入れるか署名記事にすべきと思うけど。それにぶっかけうどんの定義も??まぁこれは商標問題(ぶっかけうどんは商標登録されている)をクリアしてるかの方が問題だな!
 
 先週、県庁の請負契約の解除について朝日が読売に二日遅れて記事にした。遅れた分違いを出さねばと朝日は随意契約云々に拘った書き方をしたが、記事のとおりなら、指名競争入札から随意契約に移行しても、公正である。随意契約という言葉にとらわれすぎると、深層をあばかないまま終わってしまう、それが朝日の実力でしょうが。


 2006年6月27日(火)  梅雨まっただ中、仲間6人と梅雨が明けた沖縄に行った。昼前の便なので、途中、山越で腹ごしらえをと寄ったら大賑わいで20分ほど待った。そう言えばこないだから話題にしている源内さん、山越へのいやみをそれとなく(その九十二)書いてあったよなぁ。それと(全然関係ないけど、麺聖は客を馬鹿にする店にはしっかり言わなと思っていたのでここに書こ)その百八十一には「粉のことも大切なのですが、うどんは『水』です。以前の小話で書いたことがあるのですが、『水』の良し悪しで味が大きく左右されます。昔は水の良いところにうどん屋さんがあったものです。なぜ『水』のことを書く"うどんの先生"がいないのか、不思議に思います。」って書いてたけどブーム以前から田尾先生は山越のうまさは水だと(恐るべき『魔法の水から輝く麺』)しっかり書いてたんですけど。ついでに「ぶっかけそば」はなるメニューはないと書いてた(その二十三)けど、柴田書店はぶっかけが寛政の頃かけと呼ばれるようになったとの説(『そば・うどん百味百題』二十三による)を採ってたよなぁ、うどんのルーツもどの説でもいいけど、とりあえず「はくたく」にも触れないと(インターネットで掲載するのであれば、本職のうどん屋以上の知識を持たなきゃね!しつこいって)。
 
 飛行機の中で、ある活動家が持ってきた、ある週刊誌を読んでいたら、ある大きな鉄道会社が、社外の座談会に出席し自社の安全体制について真摯に語った社員に、警告を発したそうな。口ではお客様とか安全第一と言っても嘘なのね、私みたいに顧客のためにとホームページなんかで意見を書いてるとすぐ首だな!

 ソーキそばを食べたいという所望に寄った元祖の一つの丸隆での皆の感想、麺がどん兵衛そっくり!ホントうどんと言っても充分通用する麺です。


 2006年6月23日(金)  職業がら?麺聖はガイドブック以外のうどんに関する本をほぼ購入している。この前触れた『うどん小話』(ネットでも見れる)のなかで源内さんが「本を出したり、インターネットで掲載するのであれば、本職のうどん屋以上の知識を持って欲しいものです(その十五 通)」って書いてるが明らかに源内さんの認識不足。麺聖に言わせれば、本当に知識を高めて欲しいのは800軒のなかの努力しない約9割のうどん屋さんたちなのだが…。ブームとともに育ったファンは、うどんは打つし、数多くの店は回るし、その上情報の共有までしてる、麺聖も及びもしないほど進化している、思い込みで書いて欲しくないなあ!
 目標は蔵書を県立図書館より充実させることなので、源内さんのに限らずもちろんはなまるさんも山田家さんのも持っている。で、最近購入したのが『鳴ちゅる(中野晃治著:メディコム発行)』。あれはいつの頃だっけ、すっかり忘れて思い出せないが、まだホームページを間借りしていた頃だったじゃないかと思うが、徳島の人からメールで鳴門教育大近くのうどんやの紹介があった。しばらく忘れていたのだが、徳島ラーメンを食べに行ったときふと思い出した。運よくラーメン店(多分よあけだった)でたまたま手にしたタウン誌(月刊タウン情報トクシマ)に氏の鳴門うどん探訪記が連載(本のベースはこれ)されており、その後武者修行の旅に書けるくらい回った。大井食堂は確かにユニークだ!


 2006年6月18日(日)  B型肝炎判決の記事を読んで、同時代を生きてきた勝谷さんも日記に書いてたが、あの頃はホント後の方になると針は痛かった。ところで回転式マシンガンのようなのもあったけどなんて名前だったんだろう?同時代を生きたと言えば専門学校時代のサークルの先輩から20数年ぶりに突然電話がかかってきた。仲間の近況を聞くとまさに人生いろいろだが、ところで何の用だったんだろう?

 某経済誌によると、加ト吉(一発で変換できるのがすごい)の冷凍うどんの生産量は一日140万食(ネット上のレポートで150万食と書いてあるのもあった)だそうだ。ということは移出がほとんどだろうから、80グラム*1,400,000食*365日/1,000グラム/1,000キロ=40,880トン、例の食糧庁調査のうどん用小麦粉県内使用量の3分の2は加ト吉が使っている、つまり県民一人当たり年間500玉嵩上げしていることになる。

 ちょっと違うんじゃないと思う日銀総裁の村上ファンド出資の報道(もちろん的確に追求していたキャスターもいたが)、ゼロ金利政策で貧乏人はあえいでいる、こんな中何百万円も儲けている、貧乏人たち許せないだろう、国民感情と言って辞めさせよう!これでは単なるひがみ根性である。
 もうけの多寡でない「中央銀行ナル者ハ一国金融ノ心臓ナリ(大蔵卿松方正義)」問われるのはそこの総裁としての資質であるべきだ。それと村上ファンドを悪と見るのはおかしい、少なくとも当初の理念は正しいのだから、出資したことは褒めてもいいと思う。そんなことより今普通の投資信託は銀行や郵便局で手軽に買える、貧乏人保護のためには手数料稼ぎの何の役にも立たない投資信託こそ追求すべきと思うが如何?


 2006年6月15日(木)  最近気に入ったことば、4年後に期待しよう!いえいえサッカーではありません、香川県知事のことです。もちろん私の作じゃないです、他にも思っている人はいるのです。

 四国検定のテキストをちらっと見たら香川県産小麦について、例によって『和漢三才図会』から「讃州丸亀の産を上となす」の部分が引用されていた。でもこの記述、麺聖が加藤教授から学んだのでは「上トナス」以下「饅頭トナシテ色白シ」と続く。更に「関東及ビ越後ノモノハ甚ダ粘リ、麩筋及ビ素麺トナシテ佳シ」ということになる。前半だけをうどんの広告に使えば、県産小麦が昔からうどん粉として、評価が高かったと誤認させるから、JAROへ通報が必要になる!(何回も書かさんとってくれ)

 昨日の余談の続き、昔10年以上も前、田尾さんといい店を言いあいっこしたとき、田尾さんが源内がいいと言った。麺聖は峠の店でカウンターのたまたま隣に座った夫婦連れの一人が注文したざるが、せいろにあった玉(何秒あるいは何分たった麺かは不明)を水で捌き直してざるに盛ったのを見てしまってたから、いかんと答えたことがあった、と思い出した。


 2006年6月14日(水)  6月13日付けの団長日記に「ここにきて県外からのうどん巡り客が特定の人気店に集中し始めた感じがありますね」と麺聖が言ったと書かれてたが、正確にはこの会話の前に「別府君が(『うどん巡りがメインじゃなくて観光のついでにせっかくならうどんも食べようという普通の観光客の方や手軽に数軒だけ回りたいって人は、ガイドブックに大きく載っている超有名穴場店にまず行くでしょうから、一部の店に集中する傾向がいっそう強まるのも必然かなと思います:5/11付Topics』と)分析していたけどほんとに」という文が挿入されます。電話では( )内はしゃべっていません。
 
 団長の「ブームの局面変化」以下の展開は県外からうどんを食べに来る客がそんなに減っていないことを前提にしないと成り立たない。麺聖はうどん巡りがメインの人が減り、今まで観光のついでにうどんを食べなかった普通の観光客が穴場店に行くのではなく、今まで観光のついでに一般店でうどんを食べていた普通の観光客が穴場店に行くようになった、差引きうどん巡りがメインの人が減っただけ客はかなり減った、つまり「ブームが去りつつある」と言うより終わってしまったと考えている。余談だが一般店の底上げが讃岐うどんの喫緊の課題である。も一つ余談だが、団長が源内さんに嫌われている(6月6日付け団長日記とうどん小話 その百六十二 不思議な国"讃岐" )理由はブーム初期の一般店から穴場店への客の移動にあったと麺聖は睨んでいる(間違っていたらごめんなさい、訂正しますので理由を教えて下さい)。また一つ余談、源内さんは夢2000の偽装を予言したと自慢(うどん小話 番外編 その十五)しているが、警鐘をならし続けた麺聖のページ読んでてくれてたら還暦にはまだまだの若造なのに先のことが見える奴と褒めてくれてたのに、残念。
 そんなこんないつも考えつつ結構真面目に麺聖はうどん屋を回ってるんだが、人からはうどん屋にうどんを食べに行ってるだけと見られているようで、まあ誰が見てもそう見えると思うけど。もっとも県外からうどんを食べに来た客数が分かればこんな議論は不要なのだが、県外からうどんを食べに来た客数と香川県人が年間何玉うどんを食べるかは永遠の謎だから!


 2006年6月12日(月)  まずは知的に、「選びたい人よ出てこい県知事選」。こんなことでは政権交代は夢にもできんと思うが、この夏の県知事選挙で自民党に続いて民主党も真鍋武紀君を推薦することになったようだ。社民党は不戦敗だから、麺聖のように、真鍋君の人格・実績は置いとくとしても(くどいようだが私は国民の利益を無視して農協の利益を考えて行動した人物を知事にふさわしいとして推薦しようとする人の品格を疑うが)、うどんに対する取り組み方で支持できん者は、棄権か何も書かずに投票して意志表示するしかない。つまらん標語を募集するより、首長選挙に不信任投票を採用し、たとえ候補者が一人でも落選する制度にすべきである。「県知事選、選びたい人がなくても投票へ!」これで応募するか。

 土曜、福岡麺通団に夜9時頃行った。どちらかと言えば辺鄙なとこなのに若い女性の二人連れもいたりして賑わっていた。冷かけの麺を頼んで、ひやあつですかと聞き返した従業員がいるのはなかなかである。うどんも讃岐うどんとして合格だろう。それにしても1玉ずつ2種類食べようかと大きさを言わなかったら、体を見て「大ですね」と決めつけられてしまった。飲まないかんから3玉は食えん。博多(福岡も含む)はうどん発祥の地というだけあってうどん店が多い。川端には道の両脇に24時間営業の店がある。1軒はどん兵衛のような麺、1軒は安物の冷凍うどんのような食感、どん兵衛店の方が麺はうまいが、天ぷらは冷凍店がうまい。ともあれ福岡の人は夜が遅い。
 翌朝一度やってみたかったICチェックインをして大阪に飛び、近鉄阿倍野店のグルメ博覧会(6/14まで)に寄った。たまたまだろうが麺聖が大阪や京都に行ったとき日の出が出店しているような気がする。イートインでなかったので宮城の牛たんカレーを食べた。三好さんによるとあごだしの店の売り上げがすごいそうなので寄ったが、2、3質問したら愛想悪かったので、買わなかった。一番行列ができてたのは島根のチーズケーキ店だった。


 2006年6月9日(金)  あちこちに貼ってるので以前から知ってはいたが、『UDON』のポスターを汽車を待ってるときじっくりと見た。麺聖はUDONについて今のところ中立であり、支持不支持は関係者の心がけ次第と思っていた。で、このポスターはマイナス10ポイント、「全米メディアが注目」そんなんではいかんやろ!麺聖は世間が認めようが認めまいがうどんを食べてきた。うどんを食べてきた多くの人たちは同じ気持ちだったろう。他人が注目するかどうかなんて価値観は穴場うどん店とはかけ離れたところにある。このあたりを理解してるか否かが、バッタもんと本物の判別式になるのかもしれない。
 ところで「松井製麺所」って箸袋、映画が取り上げたのは高級うどん店?穴場うどん店で箸袋なんか使ってるとこあったっけ?


 2006年6月1日(木)   はや6月です、今年に入って5月末までで県内192玉、県外48玉食べました。県内の大学生の男女が1年間に食べるうどん玉の平均は187玉(平成10年度地域外食産業振興育成事業実態調査:香川県園芸特産課)なので半年たたずに抜いたことになります。でも、この平均値自体は麺聖(1年に換算)とうどんを食べない人一人を組み合わせた値と同じですからかなり高めです。
 なお、同年にイベント会場で調査した数値は男性310玉、女性149玉だそうです。農林水産フェスティバルといううどんに関心の高い層が集まってたとしても異常な値です。


 2006年5月29日(月)  新しい店に行きました、もちょっと水洗いをしたほうがいいいと思いましたが、まあまあでした。気になったのは高級さを強調したいのか器が重く(かつ縁も厚め)、犬食いになります。それならそれでいいのですが椅子に比べてカウンターが低いので極端な猫背になります。店の人は試食したことがあるんでしょうか?

 うどんには関係ありませんが、土曜の夜は満濃まで蛍を見に行きました。子供の頃は近所で間に合ってたんですが…。20時半ごろがベストのようです。日曜は善通寺の五重塔に登りました。二層までですが大人300円、子供100円、6月15日までです。

 恒例?のGW三週間後(=ASPAC高松期間中)のうどん屋の状況。土曜日曇り、11時15分出発。11時30分ごろ宮武駐車場5分の3程度、行列なし。11時45分山越駐車場満車路駐ちょっと、行列交差点を曲がって10メートル。12時ちょっと前田村駐車場満車、行列数人。12時10分がもう駐車場満車路駐ほとんどなし、行列15メートル30人程度、15分待って大180円を食べる、12時半頃麺切れ。
 日曜日曇り、10時30分出発。10時45分宮武駐車場五分の入り、行列なし。途中長田、小縣家、ともにまあまあ。11時10分谷川駐車場満車路駐あり、行列橋まであと10メートル約40人、40分ほど待って大210円を食べる、到着からすぐに行列は橋まで伸びて帰るときもその状態のまま。12時30分なかむら(飯山町)駐車場広島のJCのバス1台を含め満車、路駐もあり、行列90人以上並ぶ。


 2006年5月25日(木)  「人の行く裏に道あり…」をモットーに生きている麺聖の戯言と思って読んで欲しい。最近うどんを題材にした映画のことで盛り上がっているようだ。特に香川県庁では知事と副知事が丙丁(甲乙ではない)付けがたい馬鹿さ加減で浮かれている。
 私も映画ができること自体を否定はしない。ただ麺聖は映画がうどんの発展に繋がるとする希望的な考えには疑問を持っている。ましてブームの再来を期待し、利用しつくそうとする動きには、反発を覚える。第三次うどんブームにも賛否はあったが、忘れ去れられようとした穴場のうどん屋に日の目を当てたこと、新しい担い手を獲得したことは、今回のブームの正の遺産である。

 映画を利用したブーム=にわか景気が(起こったとして)後に残すものは、何だろう?設備投資で疲弊した業界と味が落ちたとの評判だけになるのでは。そうはならないにしても、多様性がまだ残る讃岐うどんを均質化した味気ないものにする気がする。 「前のブームに何らかの影響を受けた販売者や生産者が、新たなブームを起こすために意図的にメディアを通じて大規模な宣伝を行う事もある。このようなメディア主導型のブームでは、逆に一部の少数グループの反発と離反を招き、終焉と共にブーム前より使用者や利用者が減少することもある」こんな一説が『ウィキペディア』の「ブーム」の概要にあった。まさしく今の麺聖の反発である。
 おいしいうどんを手軽に食べたいと願ってきた、いつまでもそうあって欲しい!それだけなんだが…。


 2006年5月15日(月)  うどんブームがいつ終わったかの話の続きだが、はなまるの店舗展開が150店まで(03年12月)は順調だったがそれ以後売上高ともに鈍ったこと、04年6月にフォー・ユーがうどん事業を譲渡していること、東京の讃岐うどんブームはこのあたりに終わったと推測できる?
 週末、恒例のGW一週間後のうどん屋の状況を見に行った。土曜日雨、11時15分出発。11時30分宮武駐車場5分の2程度、行列なし。11時50分山越駐車場満車路駐ほとんどなし、行列交差点まであと8メートル。12時田村駐車場2台空き、行列なし、取ったばかりの麺で(ひやあつにして)大200円を食べる。12時15分がもう駐車場満車路駐ほとんどなし、行列11メートル。
 日曜日曇り、10時30分出発。10時45分宮武駐車場八分の入り、行列なし。途中長田、小縣家、ともにがらがら。11時20分谷川駐車場満車路駐あり、行列橋まで7メートル。11時50分なかむら(飯山町)駐車場ほぼ満車、行列なし、取ったばかりの麺で(ひやあつにして)大250円を食べる。

 別府君の(5.11のTopics )言う「うどん巡りがメインじゃなくて観光のついでにせっかくならうどんも食べようという普通の観光客の方や手軽に数軒だけ回りたいって人」達により「一部の店に集中する傾向がいっそう強まる」は至言だと思う。ただ、一番減ったのは県外からよーけ客が来るんやきんとブームに遅れんよう並んでた県内人じゃない−そうじゃないことを祈りたいが−だろうか(検証できないかなあ…)?


 2006年5月6日(土)  連休は空いている美術館に限ると「−国宝『源氏物語絵巻』『鳥獣戯画』など一堂公開−大絵巻展」を観に京博に行った。休みの並びがいいのか天候に恵まれたのか、開門前に人がいっぱい並んでいた、空海展以来かな?博物館側もこんなに人が来たこと(4日の13時頃入館約70分待ち)がないのでとまどってるようだった。いいことなんだが、絵巻という特長からか普段はちらっと見るだけの観客がじっくり見ているのが混雑に拍車をかけていた。『玄奘三蔵絵(藤田美術館蔵)』が気に入ったが、一番人気は『鳥獣戯画』、次が『源氏物語絵巻(徳川美術館のぶん)』、三番目が『 信貴山縁起』でこれらを見るためには中で1時間程度また並ぶことになる。
 ふと気付いた、四大絵巻の一つ『伴大納言絵巻』が展示されとらんやんか!今どこに?探してみると所蔵している出光美術館(東京)で展示されている、観に行った。

 ということで、別府君他のページによると大変なことになっている今年の連休後半のうどんやの混雑具合は知らない。でも敢えて書こう!団長日記(5月4日)に団長が「ちなみに『讃岐うどんブームにもかげりが見えている』というコメントをしている県内外の識者たちがおられますが、ぜひフィールドワークをしてからコメントすることをお勧めします(笑)。」こんなことを書いてある。仕方がないGW(今年は前回書いたように宮武が休業なのでお休み)盆、年末、と宮武を見続けてきた識者として麺聖がコメントしよう。なんせ他の識者はフィールドワークなどしないから団長にこう言われると−そうでなくても陰でコソコソしかよう言わんから−反論できず、(別に終わったからと言ってそれ自体は困るってことはないんだが)かげりが見えていないという俗説ができても困るからね。 
 フィールドワークからは平日はもちろんのこと普通の休日には行列が明らかに減っている、連休中の行列は異常値と見るべき、麺聖は「いわゆるブーム」はかげりが見えたというより終わったと考えている。いつから?と聞かれると困るんだが、16年は新規店が約50軒、17年が約30軒、今年はここまで約10軒、かげっている!もちょっと『全店制覇』がきちんと作ってくれてたら、新規店、廃業店の数がきちんと把握できて動向がもっとつかめたのに(惜しい)!他には毎年伸びていた県内のうどん生産量(農林水産省総合食料局:小麦粉使用トン、但し自家製麺は除かれている)が平成15年を頂点に平成16年、17年と連続して減少したというデータもある。ん?平成16年いうたら夢2000の不正表示があった年か、偶然にしろ(平成16年が落ちたのは落ち込み量と発覚の時期から不正表示の影響と推測される)あのあたりが転換点?

 レベルは落としたらいかん、ファンの裾野は広げないかん、常連客は大切にせないかん、(客が)近所に迷惑をかけたらいかんなどなど、博物館もそうだが、うどんやもGWだけもうけてあとは寝て暮らせたらいいのに…。
 ただ『さぬきの夢2000ガイドブック』を作って「本県への観光客の誘客につなげます(香川県庁のホームページ5月2日から)」 や映画を利用してうどん人気を再浮上させようとするのは、(杞憂ならいいのだが)特別展に多数動員して結果として消耗しただけの美術界とイメージが重なって見える。


 2006年4月30日(日)  今日はGW二日目、宮武がGW中休むそうで恒例の定点観測ができないので、近場でうどんを食べた後、谷川(琴南町)を見に行った。12時ごろ行列は橋の半ばくらい、列の後ろには既に売り切れの団扇が掲げられていた。次に山下(善通寺市)、12時半で車があふれており、行列も7メートルくらいあった。

谷川
 
 昨晩は雨の天気予報がはずれ、善通寺で薪能を見た。スピーカーを使ったのは興ざめだったが、まあよかった。ただ、これは主催者がきちんと対処しなければならないことだが、報道関係者以外撮影禁止なのにフラッシュがあちこちで光ったのは残念だった。報道さんもプロじゃない人もいたようで、今日の四国の一面の写真の下手なこと、銭のとれる仕事ではない。

 4月は国立文楽劇場の六世燕三襲名披露に始まり、都をどり、こんぴら歌舞伎、歌舞伎座の六世歌右衛門五年祭、御園座の陽春大歌舞伎、北野をどり、そして善通寺薪能まで舞台三昧の一月でした。国宝は新規に13件観ました、今までで573件観ました、あと約500件、死ぬまでに全部観られるでしょうか?

 今年に入って4月末までで県内146玉、県外38玉食べました。

 2006年4月29日(土)  「個人情報保護法により本人の同意がいります」、うどんで検索していたら、H大学の卒業論文テーマ一覧の『名物の創造と観光〜さぬきうどんを事例に〜』にヒットし、読んでみたく、電話をかけた、その回答が冒頭の返事だ。

 大学生のときにと言ってももう20年以上も前になるが、私は卒論なるものを書かなかった。で、卒論って四年間の成果を世に問うもので、公開が前提のものだと信じていた。どうも違ってたらしく、小中学生の卒業文集や高校生の小論文と同じ扱いのようだ。そもそもどこが個人情報なのか?仮にそうであっても、研究の成果を共有するのが学問である、どこか間違ってる気がする。 


 2006年4月23日(日)  麺聖がうどんの記事に関して、無知と浅い考察の新聞を信用していないことは度々書いてきた。新聞に載ったコメントをもとにコメントの主を非難するのは間違っていると思い1週間待ったが、いまだにコメントの主が新聞社に抗議したとの記事は載っていない、ということで書く。発端は16日の朝日「地域ブランド登録の壁 さぬきうどん全国区×」の記事である。麺聖も個人で申請をし却下されたら法の下の平等に反すると訴えようかと考えたくらい今回の地域団体商標(地域ブランド)に関する商標法の改正に不備があるのは認める。ただ讃岐うどんに関して、一般名称化している、それも現実である。登録ができないことを否定的にとらえるのでなく、至るところで「讃岐うどん」が使われた結果、うどん=讃岐になった。それ以上に、讃岐=香川県も徐々に浸透し、無名だった香川県の知名度も上がった。全国的な知名度、即ち地域の振興を目指す地域ブランドの目的を達成したと考えるべきだ。何より自由な参入撤退が過去においても現在も讃岐うどんを鍛え味を向上させている、遠慮がちに言っても登録できないことは、讃岐うどんとそれを食べる人にとってマイナスにはならないと考える。

 で、非難を始めるわけだが、「(さぬきうどん協同組合の)理事長は『全国的な知名度は我々の努力の成果。それを利用して粗悪品を作る者がいるから登録できないなんておかしい』と怒る(朝日4/16)」、どう考えても「全国的な知名度は我々の努力の成果」このことばは思い上がり。讃岐うどんが全国区になったのは、最初が大阪万博、次が瀬戸大橋開通、自力と言うより他力である。もちろんそれぞれの努力があった上だが、麺聖が常々書いてるように、一番貢献したのは、いつもうどんを食べる客、次が金子正則香川県知事、最後が加ト吉などの冷凍うどん。
 また製麺所巡りを発端に全国に広がった第三次の讃岐うどんブームは穴場うどん店(うどんの提供)が引っ張っており−お土産うどん(うどんのめん)は従であり−ブームの中心の山越などは組合に加盟してはいない。もちろん東京のすみたもさか田も入っていない。決して組合員がいいものを非組合員が粗悪品を作ってるわけではない。麺聖は主力組合員の(実名を出したいくらいだが)SとかKとかいう有名店で何度も粗悪品を食べさせられている、怒る前にまずい店を除名すべきである。
 香川県内のうどん店や製麺所などで構成されると言いながら約百軒しか加入していない「さぬきうどん」組合、常識的に考えて組織率1割未満(香川県内のうどん店と麺類製造業者をあわせると千軒は超える)で讃岐うどんを代表するとは言えないだろうし、讃岐うどんの組合には石丸や久保田など製粉乾麺業者が集まった別のも存在する。第三次ブームに乗り遅れた店が多く、かつ最近名称を「生麺」組合から「さぬきうどん」組合に改名したばかりの組合をブーム便乗組(便乗は必ずしもいつも悪ではないが)と思うのは麺聖だけでしょうか?組合が登録をしたら粗悪品が追放され味が向上すると考えるより、意欲のある若手の進出はなくなり競争もなくなる、そして粗悪品が増えまずくなると考える方が論理的と思うが?

 東京国立博物館の入場料が秋から420円から600円に値上げされるそうだ。独立行政法人化の影響らしい。受益者負担は止むを得ないが、収集、保管、分類、研究は大丈夫なのだろううか?国鉄分割民営化は成功したと言われながら、当初から技術力の低下を招き安全を損ねることが懸念されていながら、結果不幸なことに事実となった。文化とお金を天秤にかけた改革、あまりに目先の利益に目がくらんでいると思う。


 2006年4月14日(金)  昨日の読売香川版の四国観光殿堂の記事「田尾さんは県内のうどん店の大半を食べ歩き」???記者に尋ねる、君は本当に取材をしたのか?思いこみで書いたのか?いつも手抜きの取材をして記事を書くのか?麺聖が田尾団長を知ってから10年以上になる、この間田尾団長が県内のうどん店の大半を食べ歩いたという話は聞いたことがない。
 たかがうどんの記事である、でも他の記事も手抜きや嘘で作られてたりして、ひょっとすると全部そんな記事だったりして!

 朝日の香川版に「道州制四国はどこへ 4県知事に聞く」が連載された。愛媛県知事は中四国州派、徳島県知事は関西州派、高知県知事は道州制反対派、住専問題で国民の利益でなく農協の利益を謀った真鍋武紀君は高松州都狙いの四国州派といったところか。
 私は道州制反対の高松州都反対派、お金のためどっかとくっつかなきゃならないのなら東京に併合してもらいたい!


 2006年4月11日(火)  今日の日経に「『地域ブランド』の商標申請相次ぐ」という見出があった。「九条ねぎ」や「神戸牛」など10日までに324件の申請があったそうだ。讃岐うどんはどうなったんだ?まだ名前は公開されてないのかとネットで検索してみたが、名前が分かるのにはまだ1ヶ月くらいかかるようだ。
 平成17年法律改正(平成17年法律第56号)解説書というのが引っかかって、複数団体による同一商標の使用という補説に、同一地域において、複数の団体が同一の商標を使用し周知になっている場合は、共同出願以外は第4条第1項第10号(他人の業務に係る商品若しくは役務を表示するものとして需要者の間に広く認識されている商標又はこれに類する商標であつて、その商品若しくは役務又はこれらに類似する商品若しくは役務について使用をするものは商標登録を受けることができない)により、地域団体商標の登録を受けることはできない旨が記載されていた。
 素直に読めば讃岐うどんの地域団体商標での登録は不可能と思えますが…。麺聖が讃岐うどんの商標登録に反対しているのは、一部の団体の利益にはなっても、讃岐うどん、広く言えば香川県民や県の利益にはならないと考えているからなのですが、住専問題で国民の利益でなく農協の利益を謀った真鍋武紀君は当然ながら商標登録を後押ししているようです。


 2006年4月10日(月)  昨日は国宝の十便十宜図を観るため東山魁夷せとうち美術館に行った。評判らしいが私にはさほど建物がいいとは感じられなかった。自慢らしい館内からの瀬戸内海もさしてきれいとは思わなかった。陸続きになったとはいえ沙弥島は瀬戸内海の島である、エントランスは島らしさが感じられないし、館内からは瀬戸内海より駐車場が目立つ、興ざめである。
 川端康成のノーベル賞メダルも展示してあった。昔から賞状とかに縁のなかった私は反発心からそういうものを拒絶する(実際もらえる機会は1回、断ったのも1回しかないが)ようになった。でもノーベル賞と文化勲章だけはもらってもいいと思っている。そう言えば田尾団長が四国観光殿堂入りしたそうである。麺聖は「体制になびいた」いうて怒りはしないが、提供資料を基に新聞が書いた讃岐うどんブームを仕掛けた、という殿堂入り理由、そんなに昔の話でないのにいつの間にか事実と違ってしまったような、まっ、マスメディアってその程度のものでしょうが。


 2006年4月5日(水)  信号機の数はこの間書いた。東海林さだおの『ゴハンの丸かじり(文春文庫)』の『セルフのうどんの店築地に誕生』に讃岐について「街中うどん屋やだらけ、交差点の数よりうどん屋の数のほうが多いといわれている。」、なんぼなんでも交差点の数はうどん屋の何倍もあるぞ!それにうどん屋のほうが多かったことは有史以来ないし。

 「はい、グルメ出版編集部、大西です」、最近こんな電話の受け答えをする会社が多い。私だけでしょうか、名前を名乗るのは親切そうなふりをした思いやりのない行為だと思う。大西さんにかけたつもりはないので「えっ、グルメ出版じゃないの?」と尋ね返してしまう。さらに話が進んだ後、話をした相手の名前を知りたい場合、名前を聞いた覚えはあるが、心の準備ができてないうちのことだったので当然覚えていない、どうやってもう一度名前を聞き出そうか悩んでしまう、罪作りなお作法である。何人もで電話を共有する会社でマニュアル化されるとは作った人の想定の範囲外だったのではと思う。
 自分がいやなことは人にはしないというポリシーの私、当然使わないが、それ以上に、社員の(に)こんな受け答えを許容(強要)している会社のレベルは低いと感じてしまう。


 2006年3月31日(金)  明日から4月早いものです、もう1年の4分の1が終わってしまいました。映画のことが話題になってるようです、まっ、いろんな考えがあることは否定しませんが、麺聖にとってうどんは食べるもので、見るものでも、語るものでもありません、何でも香川県庁では職員にエキストラの大動員をかけたようです。勤務時間中に命令系統を使ってまですることでしょうかね?讃岐うどんの商標登録といい目立つことは率先してしようとするが地道にうどんを育てようとしない香川県庁らしい行動と思います。夢2000偽装から何を学んだのでしょうか?

 前回香川県民が1年間に消費する小麦粉の量を10,407トンと認定し、香川県民が1年間に食べる玉数を128玉と推定した。年間200玉論者からは当然疑問の声が上がるだろう、小麦粉量の認定に根拠はあるのか?と。この点について別のアプローチがある。田井昇氏が『讃岐うどん第15号』の「私のこだわりうどん」で計算しているように、同第2号の真部正敏氏の「さぬきうどんに関する香川県民の意識(一)」(昭和58年実施)でのうどんを食べる回数を利用し、人口に食べる頻度をかけ玉数を計算する方法である。それによると県民1人年間129玉食べていることになるそうだ。この場合の年間小麦使用量は、129玉/人*79グラム(田井氏による)/玉*1,025,000人(田井氏による)=10,445トンになる。
 ただ、「断トツの日本一」が実証できていないのが気になっている。うどん生産量第3位の群馬県の使用小麦粉22,132トンを人口2,035,542人で割ると、群馬県民は1人年間136玉食べている!

 今年に入って今日までで県内で108玉、県外で28玉食べました。


 2006年3月24日(金)  鳥取県人権侵害条例のことは以前書いた。今日その凍結案が可決されたようである。おめでたいことだが、構造的に表現の自由への侵害は明らかだから、廃止を求めるため、鳥取に行かない鳥取の物は買わないことを当分の間続けようと思っている。

 地域団体商標のことで資料を調べてるうちに、いろいろ忘れていたネタが見つかった。「讃岐のうどん店は信号の数ほどある」の出所は四国新聞のコラム、もっともコラム原本を手に入れたのではないが、書いた本人が『讃岐うどん第6号』に「饂飩学薀蓄」として触れてるから間違いないだろう。それによると県下の信号機は昭和28年に第1号、昭和59年末までに1千基ということらしい。だとすると、途中の推計は略するが、昭和50年前後に650軒(基)あたりで抜きつ抜かれつしていたことになる?
 一方の「讃岐のうどん店は3000軒ぐらいある」の出所はいまひとつ分からない、田尾さんは吹聴してた人を知ってるらしいが、元になった資料が分からない。

 代わりによく根拠を求められる「香川県人が一年間に食べるうどん玉の数は130玉。全国平均の4倍、断トツの日本一である」と麺聖も書いてある玉数の説明はこんなんでどうだろう。平成16年の全国のうどんの小麦粉使用量は294,875トン(昭和55年度の289,895トンから著しい増加はしていない)、県内の小麦粉使用量は冷凍うどんが開発されてから増加する一方なので、昭和55年度のゆでうどん8,247トンと生うどん2,160トンの合計を採用する。これを平成16年の人口(127,686,608人:1,019,434人)で割ってさらに1玉80グラムとして割ると29玉と128玉になる(データは香川県庁のホームページから)。もっともどれくらい移出されるかは不明(なはず)だから、最近ネットで見た200玉というのも考えられるが…。 


 2006年3月23日(木)  地域団体商標のことは前回書いた。登録異議申立てに備えて、資料を整理しとこうと思って、 いつから「讃岐うどん」ってことばが使われだしたのか調べたがよく分からない。 もし知っている人がいたら資料とともに教えてください! もっともあの小島高明さんが「ところで、郷土食のこのうどんが、 地名を冠せて『讃岐うどん』、と呼ばれるようになったのは、いったい、いつごろからのことだろうか。それを裏付ける資料も、納得のいく証言をしてくれる人も、なかなか見当たらないのが実情である。(讃岐うどん物語:香川県農林水産部園芸特産課発行)」って書いてますが。
  月曜日に有休をとって4連休で東京に行ってきた。 一応うどん喰いなので、しまだ(新宿:2回目)、イーハトーボ(寄居町:2回目)、悠讃(飯田橋:初回)、 小石川(芝:初回)、将八(渋谷:2回目)、釜竹(根津:初回)の7軒で計11玉食べた。 ところで麺聖だけでしょうか?東京の讃岐うどん、固さは追求してるが、粘りには無頓着だと思う。
  国宝ウォッチャーとして東博で地獄草紙、刀剣博物館で明石松平家伝来の太刀、福山阿部家伝来の太刀、御水尾天皇御料の太刀を観る。
  最近はまっている歌舞伎を4日連続で観る。順に国立劇場、コクーン南番、パルコ、コクーン北番。 今年はこれだという歌舞伎(昨年は蜷川歌舞伎、玉三郎の鷺娘、雀右衛門の豊後道成寺)を見ていなかった気がしてたが、 パルコの三谷歌舞伎は秀逸、亀治郎の堀部ホリが絶品、貧乏人に優しい三等席のある歌舞伎座での再演を希望! 十二夜の麻阿といい亀ちゃんはこの手の役がうまくかわいい、こんぴら歌舞伎が楽しみ! 途中コクーンにいるはずの勘三郎が乱入、噂には聞いていたがまさか出くわすとは、 ところで乱入してきた勘三郎が「歌舞伎を書け!」と話しかけた帽子を被っていた観客は誰? 祝WBC世界一!21日コクーンのカーテンコールのとき勘三郎と一緒に万歳をする。
 あと末廣亭の深夜寄席に行って、築地ですし食べて、森美術館に行って、表参道ヒルズに寄って、 ちょっと考えないかん、と思うが、国立で横に座ったおじさんが5月のカレンダーを見てしきりと考え込んでいたので 観劇の予定ですか?と尋ねたときの返事「5月は7回ある!」を見習わないかんとも思う。


 2006年3月20日(月)  ドングリを餌に「長野県伊部里村で生育された『伊部里子豚』(勝谷さん作のジョークです)」を食べながら、もうすぐ4月になる!と気付いた。地域名プラス商品名で商標登録できる地域団体商標がこの4月1日から出願できることは前に書いた。この地域商標はその趣旨からいって、長年地道に普及に努力し周知されるようになったときに、成果を横取りする便乗組を排除するため、その事業協同組合や農業協同組合等の団体に商標を与えることを想定したはず、事業協同組合や農業協同組合等だからといって便乗組に過ぎない団体が登録できるわけではない。

 で讃岐(さぬき)うどんだが、みんなの力でここまできたわけで讃岐(さぬき)うどんの商標を得るのにふさわしい努力をしてきた特定の団体があるとは思えない。グーグルで調べたところ、登録商標の宇都宮餃子ヒット170,000 件に対し讃岐うどんヒット1,780,000 件、他との識別の点では不幸なことだが、讃岐うどんはもはや普通名詞に昇格してしまったと麺聖は思っている。香川県民及び出身者若しくはその指導を受けたものに独占させる制度でもあればいいのだが、そんな都合のいい制度はない。冷たいようだが香川県のメーカーも他県と品質で競っていただくしかない、結果それがうどんのためになると考える。
 よってもし讃岐(さぬき)うどんが特許庁の認識不足で商標登録されれば、麺聖は登録異議申し立てをしようと考えている。ただ問題なのは商標掲載発行の日から2月以内にしなければならないそうなのだが、発行の日ってどうやって知るのだろう?ということで、皆さんにお願い、万一讃岐うどんが商標掲載発行されたら知らせて下さい!


 2006年3月13日(月) 昨日の日曜、久しぶりに宮武に行った。(テレビを見て)やめる前に食べに来たという常連客が多くて、5,6年したらやめようかと言ったはずなのにみんな「やめる」のとこだけ聞いて来ると、大将は笑ってた。やめるのはまだまだ先のことなので安心をとのこと、やめたら隠居うどんをするそうですが。
 上野のかがり火の話をしたら、やはり弟子だったようで。 ある店で基礎を修行した後やって来て、手打ちを習ったそうだ。 何を食べた?と聞かれたのでひやあつ、 東京ではひやあつが通じるが県内では通じない地域もあると答えたら、大将はがんばらないかんなぁと一言言った。

  先日(11日)のこのごろ誤解を招くといけないのでちょっとだけ補足。 決して副知事の川北君が知事の真鍋君を無能呼ばわりしているのではありません。 川北君は1通のメールが来るということは、 その人だけの偏った考えではなく背後には同じ考えを持った多くの県民がいることに心するようにと常日頃言っているのです。 私なんか(いい悪いは別にして)一人の偏った考えだってあるし、知事が無能だと言っているのは、物が分かった少数の県民だけだと思ってたんですが、 川北理論でいくと、そこらじゅうで「知事は無能」、「品格がない」と口々に県民が言ってることになると申し上げたわけで…。


 2006年3月11日(土) 「先日、うどん店○○に県職員が公用車(白い車。2人いて、作業着を着ていた。)で乗り付けて、午後1時すぎまでうどんを食べていた。公用車で乗り付けて、とっくに昼休みが終わっているのに、うどんを食べているというのはどういうことか。」、香川県庁のホームページ、知事へのメールに最近こんなんがあった。回答は出張の途中での食事で不規則な時間になったとのことだったが、こんな質問をすることへ否定的な2名の意見がうどんに関係したサイトにあった。もっともうどん好きの間では、○○はどこ?の方が関心があるようで!

 私はこんな質問と回答が繰り返される知事へのメールは無駄だとかねてから指摘してたが、意外にも最近秀逸なメールを発見した。知事への質問という題で、質問の一部を紹介する。
 「知事は、議会で誰も聞かないのに、自分からまた知事選挙に出たいと表明したと以前新聞に書いていました。しかし、県民にとっては、無能な人が知事になられては困ります。あなたは、2期もやって無能ぶりをさらけ出したんだから、自分で自分の限界を知るべきではないですか。(中略)質問ですが、あなたは、知事となる人間として、具体的にどのような部分において能力・適格性があると自分自身で考えているのですか。実績からは、能力も、適格性も、ついでに言わせていただくと、知事としての品格というものが全くありません。」
 これに対して知事は「私は知事就任以来、県政は県民のためにあるとの原点を肝に銘じ、県勢の発展と県民福祉の向上に、誠心誠意取り組んできております。私への評価は、さまざまな考え方があろうかと思いますが、最終的には有権者である県民の皆さまにご判断いただくことであると考えております。」と答えている。
 およそ質問者の身になってない回答だが、強いてあげればこの「知事就任以来」という言葉がキーワードかな、百歩譲って就任以来が真実だったとしても、それ以前は触れるとマズイのでこう書いたのだろう。何故なら、住専問題で国民の利益を犠牲にして、農協のために公的資金を導入した当時の農水省経済局長は確か真鍋武紀さん?だったと記憶している。だとしたらその功績で農協の支持を得て知事になった!との噂も真実では?なら知事になる資格は元々ないのでは?

 事あるごとに述べてるように、夢2000問題を初めとしてうどんについての舵取りだけを見ても、一人のうどん喰いとして麺聖は真鍋君の知事としての適格性に疑問を抱いてきた。副知事が常々言うように一通のメールの背後には何人もの意見を言わ(orえ)ない、知事を無能と考える県民がいる、適格性への疑問は麺聖の独りよがりではなかったようである。
 なお、メールの主が私でないかと指摘があったが、質問の趣旨に賛成で擬せられることは光栄だが、残念ながら私ではない。 


 2006年3月6日(月) 土日1泊2日で東京に行って、初めての店2軒を含む3軒でうどんを5玉食べてきました。

 JALの1便で羽田へ、先日クイズに答えて商品券をもらったお礼に京浜急行に乗り横浜へ行く。高速鉄道に乗換え馬車道で降り、横浜正金銀行の建物を利用した県立歴史博物館で鶴岡八幡宮の国宝を観る。食事予定の上杉の開店には時間があったので、中華街へ行き1個90円の肉まんを食べる。それにしても中華料理はお一人様には優しくない。まあ貧乏人なので元々コース料理は食べられないが。ふと眼にしたコピーにひかれ、やっぱり麺やこんとんやと、ジャージャー麺と水餃子を食べる。水餃子は戦争中北京に住んでた祖母が作る餃子に似た味がした。まだまだ時間があったので山下公園に行った、30数年ぶり、昔と同じように氷川丸があった。2回目となる上杉では、ひやあつを食べた、少し細め、隣の客のぶっかけは太い気がしたが。高速鉄道に乗り、そのまま東急、地下鉄と乗り継ぎ、御徒町へ。先日東京在住の香川県人に教えてもらった、かがり火を探す。ひやあつ大(で通じた)、宮武風のうどん。レジで感想を聞かれた、麺聖とばれた?おいしかったじゃアドバイスにならない、もう少し勢いが欲しいと答えておいた。東博で時間をつぶし、歌舞伎座夜の部へ。連日の睡眠不足がたたりほとんど眠っていた。はねた後、築地へ行く。夜だというのに複数の店舗を持つすし屋の多くで行列が出来ている。空いていた小さな店で2100円の寿司を食べる。

 翌朝はゆっくりする予定だったがそこは貧乏人、早起きして都美術館のニューヨーク・バーク・コレクション展を観て、アメリカの金持ちは桁が違うと驚きつつ、歌舞伎座昼の部へ。今日は睡眠をたっぷりとったから眼はパッチリ。と思っていたら竹本になったとたん気持ちよくなり、ウトウトしてしまう。同じ三味線でも長唄とか清元なら眠たくないのに。はねた後、根津の釜竹でざるうどん大盛り1,000円(太打ち)を食べる。噛まなければいけないのがちょっと残念?JALの最終便で帰る。


 2006年2月28日(火) 今月やっと3回目の更新なのにもう2月は終わります。今年に入って今日までで県内75玉、県外14玉と体調が悪かったにしては、順調に玉数を重ねています。まあ辞めるまで給料が上がらない腹いせではありませんが、もっぱら国宝ウォッチャーとB級グルメに生きているので当然の成果といえばそれまでですが。最近はこれに観劇が加わって忙しい日々を送っています。
 名を惜しみますので(麺聖を安易に利用しようとした会社に怒ったのも同じ)、別に仕事をサボっているわけではありませんし、現在会社を苦しめている膨大な赤字は仕事第一の人たちが作ったものと覚めた眼で見ています。社訓にあります「1円たりとも無駄にしてはならないことを常に認識して」なんて、一方で壮大な無駄使いを改めてませんのでアリバイ作りに過ぎない、この社訓を印刷したカードを身につけてないと、自室に入らさないと宣わった副社長たちでは経営は改善しない辞めるべきだ!とかねてから主張してきましたが、ベストセラーの『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?山田真哉著:光文社新書』にも同様のケースを「経営者には向いていない。要は、節約をした気になっているだけで会計をみていない」と書いてました。
 ついでにいうと『下流社会(三浦展著:光文社新書)』によると私はかなり「下流的」かつ出世志向が弱くマイペースで自分の好きな仕事をしていきたいと考える「ロハス系」のようです。


 2006年2月26日(日) 先日新しいタウンページが届いた。全店制覇も発売になった(中途半端な成果品、もうちょっと誠実に作れなかったのかと思う)。見比べつつ、索引のチェックを少しずつやっている。

 会社で、私他1名がサービス残業をしてたとき、○売新聞から電話がかかってきた。直接の担当及びグループ員はもう帰っていた。内容は生命、身体、財産にかかわることではなく、かつ急に起こった事件でもないようだった。電話を受けた他1名は帰宅した担当者に連絡を取り回答させた。別の日にも△HKから同じような時間に同じような電話があった。そのときも電話を受けた他1名(先ほどの人物とは別)は帰宅した担当者に連絡を取り回答させた。
 横で聞いていて私は他1名を親切だなあと思い、こんな対応の仕方もあるんだなと初めて知った。他1名の対応を非難すべき趣旨でも立場でもなく(つまり記者たちを非難している)、他人がどう思うかでなく、自分がされて(ORして)嫌なこと(例えば人に迷惑をかけること)は人にしない生き方をしている私にはとてもできない。もし逆の、私が尋ねる立場だったとしたら、営業時間内に問い合わせをしなかったのは、自分のミスである。いればラッキー、不在なら、その責を会社の拘束時間が過ぎている人たちに帰するのは正しくない(今はやりの言葉で言えば自己責任である)、多分こう考える。
 そもそもマスメディアが権力を傘に強いる(マスメディア側が意識していようといなくても事実上そうなっている)のは傲慢以外のなにものでもない、答えが手に入らなくても仕方ない、そんな常識を記者さんたちが持ってくれれば、もっとまともな記事が書けるはず!と、ナノの発信を続ける私は思う。


 2006年2月21日(火) 更新を一度もしないうちに2月もあと1週間、1月は県内で33玉、県外で10玉食べた。別に怠けていたわけではないのだが、職場を変わってからどうも体調が優れない。早く異動させてくれ!と申し出てるのだが…。
 取りあえず自分の身は自分で守るしかない。金曜に休みを取って飛行機に乗った。国立劇場で11時から通しで文楽、その前の空き時間に東京美術倶楽部で国宝林檎花図(畠山記念館)他を駆け足で見る。跳ねたあと虎杖で飲み、カレーうどんを食べる。翌朝5時15分から40分位待って寿司大で食べ、そのまま羽田から福岡へ。博多座の藤十郎襲名披露を通しで見る。昼の部と夜の部の合間に市立博物館で国宝太刀無銘一文字(名物日光一文字)を見る。夜は屋台「あや」で飲んでうどんを食べる。居合わせた人たちと盛り上がり何故か中洲に繰り出す。翌朝伊丹へ。串カツを食べようと思い新世界まで来たが、二日酔いの体が受け付けないようなのでシチューうどんを食べる。文楽劇場で前進座の三人吉三を、松竹座で海老蔵の信長を見、夜遅く新幹線で帰る。
 こんなことをやってたので、八戸には行けませんでした。


 2006年1月27日(金)  田尾団長が団長日記(1/25)に「組織というのはそれがサークルであれ企業であれ、あるいは家庭であれ社会であれ、まず目的がある。目的が複数ある場合は、局面ごとに目的に優先順位がつけられる。そして、個人は目的のある組織に所属したら、その中においては『組織の目的を達成すること』が最優先である。(中略)もちろん個人の信念は組織の中で抹殺されるものではないが、優先順位の原則の話である。『それでも私は個人の信念を優先する』という人は、悪いけど目的のある組織に所属しちゃいけません。自分の信念に合致する組織に移るか、自分一人でやるか、それがたぶんお互いにハッピーになる唯一の道だと思います。」、こんなことを書いてた。
 そう簡単に割り切れるのものかなあ?目的が具体的でも顧客の利益、従業員の利益、株主の利益、どこに重点を置くかでアプローチはかなり違ってくると思う。目的が抽象的な場合は?例えば、私の信念と本来の組織の目的は合致している(と思っている)。でも今のトップが考えている組織の目的と私の信念は合致してない。私はトップの考える目的が間違っていると考えている。こんな場合は信念を優先するためトップを辞めさせてもいいのですか?教えて田尾団長!

 金沢に行ってきた。雪が心配だったが、天気はよかった、日ごろの行いのせいと信じたかったが、もともと金沢は富山なんかに比べると雪が少ないのに加え、今年は他でたくさん降ったせいか、いつもより少ないそうである。珍しいことに仕事である。出張したときに、いろいろ観たりするのがいけないという人たちがいるが、私に言わせれば経費の有効活用も知らない馬鹿者たち。
 で、空いた時間に兼六園、金沢城、尾山神社、長町武家屋敷、にし茶屋街、寺町寺院群、近江町市場、主計町茶屋街、ひがし茶野街、卯辰山山麓寺院群、県立美術館、21世紀美術館等に行って、治部煮を食べた。さすが加賀百万石、富の蓄積が違うと思った。話題の21世紀美術館はなかなか楽しかったが、県立美術館の仁清の雌雄の雉がずっといい。
 うどんは2軒で食べたが、麺は細め、1軒は腰があったが1軒はなかった。

ひがし茶屋街:志摩 治部煮

 2006年1月16日(月) 今日の日経の地域総合面(元ネタは日経グローカルらしい)に「地域団体商標制が4月に始動」とあった。「夕張メロン」や「宇都宮餃子」みたいな「地域名+商品(役務)名」の商標を取り易くする制度であり、全国で350程度出願の可能性があるそうである。
 問題なのは、「香川県のさぬきうどん協同組合(高松市)は『本場手打ちのさぬきうどんを守りたい』と強調する。」と意欲的なこと、さぬきうどん協同組合が何をやってる団体か知らないが、少なくとも讃岐うどんの名称を発案し育ててきたわけでなくかつ讃岐うどん業界を代表しているわけでもない(05/10/06更新のホームページでは組合員数102名)。つまり「その商標が使用をされた結果自己又はその構成員の業務に係る商品又は役務を表示するものとして需要者の間に広く認識されているときは」とは言えなくても取得する資格があるのだろうか?
 便乗組み(麺聖は讃岐うどん協同組合も便乗組と見ているが)を排除するため機械打ちのお土産うどんに商標を使うのが現実的だが、組合が言うように本場の手打ちうどんに「さぬきうどん」商標を使わせることができたら、使える店は10軒程度かな?なかなか面白いアイデアだ!


 2006年1月15日(日) 12月中旬から京都、東京、東京、沖縄、大阪と5週連続で修行に出かけたので、久しぶりに、土曜日は鳥坂の西へ、日曜日は新規店に、うどんや巡りをした。新規店はいまどきこんなんでいいのかというような出来。途中でウォッチした日曜の宮武はバスが来ていたが行列はなかった。
 この間、頭をぶつけたり、風邪をひいたり、年のせいかあんまり無理が利かなくなったようだが、結構脳には刺激があるようで任天堂のゲーム機で脳年齢をチェックしたら35歳だった。


 2006年1月2日(月) あけましておめでとうございます  今年もよろしくお願いします
年賀状ありがとうございました  自慢じゃないが私はまだ書き始めてません  お年玉の抽選日までには無理でも
今年中にはきっと送りたいと思ってます

 昨年は合計、県内で457玉、県外で95玉食べました。 昨年最後のうどんは三年連続の山越、毎年行列が短くなってきています。
 年越し麺は山原そば(沖縄県国頭郡本部町字伊豆味)のソーキそば、 麺の食べ始めは岸本食堂(八重岳店)でした。

山原そば:ソーキそば(大)700円 伊江島:城山 岸本食堂:岸本(三枚肉)そば(大)600円

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