このごろ八 - 過去の部(06年10月〜06年12月) -

 本編の更新が滞ってはや3年、まあうどん屋の紹介程度でしたら、その辺の便乗本でも参照して下さい。安直な定跡本と違って、麺聖のは加藤治郎先生の『将棋は歩から』のように時代を超えるものですから、うどんとは何たるものか?どうあるべきか!がきっと身につくはずです。そうなれば、店がつぶれてもできても、応用できます。いろいろ忙しくて更新できないことを社会人らしくもっともらしく言い訳すればこうなります、と冗談めかしてますが、ある意味本心です。2002年11月〜2003年3月はこっち、2003年4月〜2003年9月まではこっち、2003年10月〜2004年9月まではこっち、2004年10月〜2005年3月まではこっち、2005年4月〜2005年12月まではこっち、2006年1月〜2006年6月まではこっち、2006年7月〜2006年9月まではこっち(06年10月)

 2006年12月27日(水)  長い話はあとに書くが、26日京都の味味香でカレーうどんを食べた。美味しいまずいという前にカレーの粘度に負けてプツンと切れる麺なんかうどんじゃない!麺聖には合わない。帰りには乗り継ぎ時間に新装なった岡山駅改札内の鴨方うどん店に寄ってみた。かけを注文し、壁に貼ってあった鴨方うどんの蘊蓄を読み、時間がかかるなと思ってたら、解凍に時間をかけただけの、ただの冷凍麺が出てきた。

 暮れの忙しい中、との声にもめげず南座顔見世千穐楽!勘三郎さんの襲名披露の口上の場で仁左衛門さんが、襲名披露興業の途中で亡くなられた源左衛門さんのことに触れ、泣かせたが、松嶋屋の孝太郎さん、秀太郎さん、仁左さんのお祝いの言葉は連携したように聞かせた(そうそう仁左さんの俊寛、千穐楽らしい?熱演で、また見てよかったと思った)。『雁のたより』に勘三郎さんが飛び入り出演してみんな大喜び。最後の演目には出番がなく楽屋ですっかり着替えていたのに、終了のアナウンスにもかかわらず続く拍手に、3階から登場した。それにしても2年は楽しかったけど長かった。

 で、ちょっと早いが今年のまとめ。今年一年間に(あと4日あるので食べれば修正するが一応)県内でうどん玉455玉(464玉に修正)、県外で107玉食べた。でも一番感動した麺は沖縄そばの安珍!だったのが少し残念。今年見た歌舞伎で一番よかったのはパルコ劇場の三谷歌舞伎、亀治郎、染五郎の『決闘!高田馬場』。二番目が歌舞伎座、菊五郎、仁左衛門、三津五郎他の『伽羅先代萩』。三番目が国立の吉右衛門の『元禄忠臣蔵』、もっともこれは花道の延長線上といった座席の影響も大きいが。国宝は生まれてから今年末までに記録しているのが613件になった。今年見た中で一番印象に残っているのは伴大納言絵巻(出光美術館)、二番目が東博で見た十一面観音立像(向源寺)。


 2006年12月21日(木)  10年余りに渡って、累計のべ115万人の方々に読んでいただいてきた『麺聖のうどんグルメの旅』ですが、06年末をもって有料でのメール配信に移行することにしました、なんてことはありません。それにしても勝谷さんすごい自信ですね!
 松坂投手の「僕は夢という言葉は(を)好きではない。見ることはできてもかなわないのが夢。大リーグで投げられると信じて、目標にしてやってきたので(僕はずっとここで投げられることを信じてやってきたから)今ここにいると思う(ここにいられると思う)(朝日から引用( )内は勝谷氏から引用)」がいろんなところで取り上げられている。勝谷さんは「破綻しそうな自治体に限って夢という言葉を使いたがる」って言ってるが、破綻の有無にかかわらず行政は「夢」と「未来」が好きだ。もちろん夢を実現しようとしたり、未来なんぞ考えてはいない。それに個人個人の善意を集めていても、そこには大きな利権がうごめいている、さぬきの夢2000なんてその典型でしょ!
 与党の税制改正案がまとまった。票を獲得するためのエサが公共事業投資から企業減税に変わっただけである。見返りが企業献金と思っていたら、さすがに見え見えで止めたみたい。仕方ないパーティ券にするかと言ってたりして?
東京国立博物館
 先週末は東京へ。東京国立博物館へ寄る。東京には銀杏が似合う。時計を忘れたのでアメ横で1050円のを買い、かがり火でうどんを食べる。文楽のチケットが取れなかったので、国立演芸場で小さんの襲名披露を見る。大笑いしたが、やっぱり襲名披露は歌舞伎が華やか。翌日曜は通しで歌舞伎座、はねたあと虎杖でカレーうどんだけ食べようと思ったが、カキの天ぷらが美味しそうだったのでちょっと飲む。翌月曜は朝から築地の寿司大へ。年末を控え異様な混みよう。国立で元禄忠臣蔵の第三部を見て、帰る前に新橋でうどんでも食べようとせとうち旬彩館へ。入口でメニューを見ると17:00からは(中に入るとあるのかもしれないが)うどんがほとんど食べられない。そんなんでええんかと怒りつつ、仕方なくめりけんや新橋店に行って、「ぬくめんと」と言うと店員は怪訝な顔。曲がりなりにも讃岐うどんで売っている店だろうに…。とりあえず「40分もの」くらいの麺を食べる。そのまま、さぬきやに行き、熱いのは避けようと、なめこおろしを頼むと夏メニューだった。東京では冷たいうどんは冬場は食べられないのか?不完全燃焼のまま羽田を後にした。


 2006年12月11日(月)  9日の四国『解説』の「想像してみて欲しい。瀬戸内の海とサンポートのビル群をバックにそびえ立つ白亜の天守を―。」、城郭愛好家の私はそんなおぞましい風景なんぞ見たくない。

 日経新聞という新聞、特に経済関係の記事を、私は信頼していない。でも、意外にも、文化欄の質は高い。9日の『ミュージアム拓く』での美術館への指定管理者制度の導入目的は経費削減、即ち人件費の削減に他ならない、学芸員が命の美術館への導入は疑問という旨の記事はよく書けた!と思う。同じ日に人件費削減だけが主目的だと見え見えのホワイトカラーエグゼンプションを評価する編集委員の主張が載っている新聞とはとても思えない。

 土日京都へ行ってきた。顔見世である。昨年の3月に始まった勘三郎の2年がかりの襲名披露興業もいよいよ最後、歌舞伎座、松竹座、御園座、博多座、康楽館、相模原市民会館、八千代座、嘉穂劇場、金丸座、平成中村座、そして南座よく行ったものである。通しで10時半から21時半までの長丁場、途中の寿曽我対面で少しウトウトしたが、後は眠らずあっという間だった。これで都合15回襲名披露口上を聞いたことになる。翌日開店前から並び、緑寿庵清水の金平糖を買った帰った。


 2006年12月6日(水)  田尾団長が12月3日付けの団長日記に『UDON』のコメンタリーについて書いてた。ある意味のポジショントークだと思う。麺聖は別にうどんで儲けることが悪いと言ってるのではない。うどんのためにならないと麺聖が思うことを自己の利益のためにする人には、たとえそれが団長であろうが、副知事であろうが、あるいは映画監督であろうが非難し、止めるべきであると申し上げてるだけだ。それが讃岐うどんのためと信じて行動し16年たった。
 えっと、『UDON』のどの場面が法律違反かとの質問がありましたので、回答。客のマナーが悪く閉店したうどん屋が、ドラム缶でノレンなどを焼くシーンです。野焼きが許される例外にはならないはず。ところで現実のロケ現場での行為はどうなるの?撮影に使うノレンは廃棄物ではないから廃掃法違反にならない、カットがかかった後は廃棄物だから直ちに火を消さないと違反!本当のとこどうなんでしょうか?真鍋武紀君へのメールで聞いてみようかな!

 あちこちで県知事が逮捕されている。公共事業の予算は減ったが、田舎の主要産業は公共工事のまま、時代は談合を必要悪から悪に変えた。いろんな対策を考えてるようだけど一般競争入札の導入なんかでは大手業者に仕事が集中し、都会と田舎の格差が広がるだけだろう。地方分権を推し進めるためにも国も田舎の産業の育成を真剣に考えるべき!地方は努力が足らん、仕送り(交付税)は減せ、云々、格差の話をこの前少し書いたが、なんとなく話が似てる。地方のがんばりも必要でしょうが出発点が違うのを無視して何でも自己責任にされてもねぇ!

 朝日が6日付けの社説に道路特定財源を一般財源にするのが改革だという意見を述べている。そうだろうか?国交省の肩を持つわけではないが、必要なものを作るため受益者から税を取るというのは分かり易い。道路が必要か否かは国民の合意で決めればいいが、仮に必要のない道路にお金が使われているというのだったら、必要なところまで税を下ればいい、その方がずっと筋道だってると私は思う。見直しには反対しないが、できれば公共交通機関が発達し車が贅沢品の都会と車が必需品の田舎での現状の負担が公平かも議論して欲しい。取りやすいところから取ろうとするのは美しくないし、朝日のような一般財源化が即ち改革との認識も如何なものかと思う。


 2006年12月3日(日)  ちょっと油断してると、12月それも3日になってしまいました。今年に入って11月末までで県内411玉、県外100玉食べました。来年の抱負ということで今までの、県内ひと月30玉、県外ひと月4玉に加え、沖縄そば新規ひと月1軒、国宝新規ひと月1件を目指そうかと思います。このペースを守れば、あと数十年生きられるとして、非公開を除き国宝はすべて見ることになります、もっともこのペースを貫き麺を食べ続けていると、寿命の方が先に尽きる可能もあります。

 郵政造反議員の復帰問題ですが、小泉改革の化けの皮がはがれた今となっても、どうしてマスメディアが、民営化=改革という位置づけするのかよく分かりません。世の中も「格差」が拡がっているかどうか?それが公正な格差かどうか?で盛り上がってますが、取りあえずほとんどの人に関係のない相続税を大幅に上げればどうでしょうか!(余談ですが格差論の中で江戸時代の庶民と比較してという意見がよくあります。昔私も江戸時代は身分制度が厳しく飢饉や一揆ばっかりあった時代と習いましたが、最近ではひょっとして、ある意味とても幸せな時代だったのでは?と考えるようになりました、少数の警察官しかいなく、宵越しの金を持たずに暮らせる世の中って理想的でしょ!)儲けた本人がお金を持つことは当然としても相続人をそんなに優遇させる必要はないでしょう?もともと私は郵政民営化反対ですから、そう感じるのかもしれませんが、私の目から見れば、民営化によって田舎の郵便局は切り捨てられ、代償に国民が監視することのできない巨大な企業を作っただけです。
 どんな田舎でも貯金が利用でき、手紙や小包が届く最低限の保証、採算の取れないことをするのが国の役割です。

 将棋の女流棋士が連盟から独立を目指していると各紙の記事にありました。男性棋士に比べて待遇が悪いと説明がありましたが、ちょっと説明不足です。チェスはスポーツの位置づけで男女別なのだそうですが、将棋は男女一緒です。制度としては女性でも勝てば竜王になれます。ただ、いままで奨励会を卒業し正式のプロになった女性はいません。競技人口が少ないから才能ある人が参入しないということでしょう。その意味で自主運営になり女性への普及が拡大すればいいのですが、待遇改善だけを目指しているのなら勘違いです。

 まだやっていた映画『UDON』の県内での上映が8日で終わるようです、ということは記録達成したのでしょうか?とうとう見てしまった横綱君が感想を書いてますが、やはりここはかなり広く知れ渡ってるとしても、香川県庁が協力応援した映画で、堂々と野焼きが行われていることに突っ込みを入れるのが、職業人としての義務でしょう!


 2006年11月21日(火)  かがわ経済レポート(2006.10.25)の「へんろみち」に讃岐うどんに関して網羅する施設(観光拠点)の提言がなされていた。かって麺聖も相談を受けたことがあるが、昔のうどんを展示することは不可能である。純粋な博物館を作るには資料が少なすぎる。そもそも文献だけを展示しても誰も喜ばない。
 うどん店を集めるのも、一時各地に広まったラーメンコンプレックスはどこも衰退気味、大阪の麺だらけでは当初は出店していたうどん店がすべて撤退した。新横浜のラーメン博物館は成功しているが、後背地人口が違う。それにレシピでかなりのものになるラーメンと違いうどんは打ち手の個性が大きく出る、施設としてペイする報酬でそこそこ腕のある職人が来てくれるのか?職人の確保が一番の問題である。

 21日朝日香川版の『香川経済こっからイキまい!』に松井うどんの大将が出ていた。松井の大将の「映画公開をきっかけに『第2次うどんブーム』と言われ」だが、再三書いてきたように、これだと1次ブームがうどん巡礼が注目されたときで、2次ブームが今回になる。麺聖はそれよりも、開業数に着目した、全国に讃岐うどんが知られるようになった大阪万博でのブームを1次。県外から来る客にきれいな店で豪華なうどんを食べさせようと失敗し、業界が衰退に向かうきっかけとなった瀬戸大橋でのブームを2次。穴場店への興味から讃岐うどん店が再び注目されるようになったのが3次。東京への進出をきっかけとして再び全国制覇を目指した4次。うどんを理解しない人たちが作った映画のおかげで、見かけ上は隆盛に見えるが実は衰退に向かっている今を5次とする方が、時の流れと質の変化に着目したいい分析と思っているが?
 それはそうと朝日の記者の質問の中に「製めん所も含めると県内にうどん店は約1100店」、この1,100の出典は何処?16年の事業所・企業統計でそば・うどん店は665事業所、これに15年の工業統計でのめん類製造業を338事業所を加えると1,003になるのだが!時点と重複と食堂を精算するとそうなるのかな?

 田尾教授が、19日の団長日記に書いてた日曜朝のテレビ、多分私も見たと思う。配分はおかしい!ホワイトカラー・エグゼンプションはおかしい!と書こうと思ってたのだが、先に正反対の意見を団長に書かれてしまった。減税の話のとこは聞いていなかったが、その次の話から想像するに、会社経営の経験がある田尾教授の説明、部分的には正しいのかもしれないが、素材にこだわっってるけどまずいうどんのように総論で間違っている。企業の利益が上がってきた。役員報酬も増えた。株主配当も増えた。でも従業員の給料は増えていない。労働者の経験しかない私の浅はかな考えかもしれないが、役員や株主に支払うお金があるのに従業員に払うお金だけがショートするってことがあるのだろうか?配分の仕方を見直す必要があると思うのが素朴な感情のはずだ。人気取りやばらまきをする必要はないが、政治家にはこんな庶民感覚を大切にできる人を選びたい。


 2006年11月17日(金)  梅原県観光協会会長ら金満家の中国旅行については以前に述べた。現地で食べることに勝る修行はないと常々主張している麺聖は、中国で麺を食べた体験を彼らが語るだけだったら、うらやましくて悔しいと思ったろうがそこを隠して、いいことだと褒めたと思う。批判するのはルーツをシルクロードにもっていった点。知らないでそう言ったのなら単なる馬鹿だし、知ってそう言ったのなら嘘つきである。
 この旅行について四国新聞で県庁の観光交流局長が『空海とうどんのルーツを訪ねて』なる連載を始めた。「世界に向かって讃岐うどんを語ることが必要で…」と意気込むが、この程度の知識で語れるのかとちと不安になる、出来は今ひとつ。1回目の「『麺の道』始まる古都」の見出も、あちこちで無理やりシルクロードと結びつけてしまっては台無し。それと「現在、第二次讃岐うどんブームの到来を予感させる動きが…」と書くが、これでは考察が浅すぎ、とても県の観光戦略を担う局長の職責は果たせまい。2004年版の『現代用語の基礎知識』に「今回のブームは第4次」とあるように、ここは諸説あるのは認める。どれが的確かは今後の検証を待たなければならないが、以前も書いたように、このブームの位置づけはうどん界のみならず、香川県の観光について考えるときにも大きな意味を持つ。まあうどんを知らない人たちによって作られた映画『UDON』を契機とした今回の現象は穴場店への集中をもたらし讃岐うどん衰退のきっかけになったと記録されることになる可能性が高いようだが。
 まだまだ連載は始まったばかり、さすがとうならせるまではいかなくても、そこそこのものになることを、皮肉をこめて、期待しよう!


 2006年11月10日(金)  まずは時事ネタ4題。
 作家や音楽家達が著作権の保護期間の50年から70年への延長を求めて行動を起したことに反対、と以前書いた。この50年は(映画を除いて)公表後でなく死後である。それがどうして創作意欲の向上につながるのか不思議であった。本当のところは外国の多くが70年だから要望しただけという、個人の損得も国家の損得も考えてない単純なものであろう。
 今までの反対論は圧倒的に利用者の側からだったが、やっと慎重論をとなえる著作者の団体が現れたので少し安心した。著作物は埋もれさすより循環させるほうがずっと新たな創作が生み出される!

 タウンミーティングのやらせ質問、何を今さら鬼の首を取ったように騒ぐのか?前日にシナリオができている県議会も、ほとんどやらせでしょ!もしマスメディアが知らなかったとしたらそれは怠慢でしょ!

 アメリカのごり押しに経団連が乗っかったホワイトカラー・エグゼンプション(White Collar exemption)、労働運動総合研究所の試算では年収400万円以上で規制を外すと、労働者は年間1人当たり114万円、全体で約11兆6000億円の残業代を失うそうである。学生時代に8時間は睡眠に、8時間は家庭に、8時間は工場にと8時間労働が決まったと習った。100年もの昔に遡るような制度改正、いったい誰が幸せになるのでしょうか? トヨタが幸せになることだけは間違いないか!

 昔、多分、横綱君がネットに書いてたことがあったと思うが、殺人者が殺人のあと平然と職場に出てくることって、そんなに責められることか?いい悪いは別として、そうせざるを得ないと思うけど!マスメディアも説教する前にマニュアル化した表現こそ考え直すべきだろう。

 香川県庁のホームページに知事へのメールという時々ネタを提供してくれるページがある。最近「うどん店巡りについて」という題で、県外からうどん店巡りに来た友人が某うどん店で3時間待った。もっと時間を有効に使えるように混み具合をリアルタイムで提供するサービスを考えてみてはという旨の提言があった。それぞれの店が、リアルタイムで入力する手間さえ厭わなければそんなに難しくはないと思うけど、今それを導入しても土日はキャパを大幅に越えてるから、昼時は県外客が行きたい有名店は軒並み3時間以上待ちになったりなんかして!そもそも、私は並ばないけど3時間待ちってそんなにすごいことなのか?築地でも有名寿司店の土曜日はそれくらい普通に待つし、みんな楽しんでいるように見えるけどネ。それより築地と香川の一番の違いは、築地の方が常連客に優しいことか。岐阜のうどん屋にもあったけど、常連客の席や入口が用意されている店が築地では多い。もっとも香川の県民性では難しいか!
 ところで知事の回答、聞くところによると部下の作った原案に知事が目を通し、手直しする過程をたどるために、ショーもない質問にも低姿勢で答える欠点がある。たまにはあんたの意見は間違ってるとズバッと言えば存在価値も増すと思うが?
 「なお、本県には、瀬戸内海の地魚、骨付き鳥などのおいしい食べ物のほか、現代アートの美術館や栗林公園、歴史あるまち歩きなど、たくさんのいい所がありますので、お友達には、事前に県内のうどん店を含め、これらの観光地情報をあらかじめ調べた上で、再度来県されるようぜひお勧めください」回答の結びのこんな言葉が原案を書いた職員と了解した知事の未熟さを露呈させる。それは楽しみ方の1つに過ぎない、あらかじめ情報を調べない行き当りばったりの楽しみもある、もっと勉強せないかん!


 2006年11月7日(火)  今日はうどん以外の真面目な話。昨日、知事選の候補者にも名前が挙がったことがある中央官僚が、「これまで培った知識、経験を役立てて、四国の中枢基点都市・高松を目指したい」と高松市長選への出馬表明した。まっ、高松市民でない私にとって誰が市長になろうがどうでもいいことだが、周囲の町々を併合して面積と人口だけは巨大になったけれど県内でのリーダーにもなれない高松が四国の中枢都市を目指すとはお笑いである。
 でも高松市民もそれ以外の香川県民もこの言葉は3年半後までよく覚えておくべきだ。そして彼が市長を単なる踏み台にして知事への鞍替えを表明したら、言葉の礫をぶつけよう!私も協力する。


 2006年11月5日(日)  3日と4日にさぬきうどん技能グランプリの審査会があったと新聞が伝えてた。まだやってたのかと思いつつ読むと、審査員11人の内訳に「さぬきうどん研究会や日本うどん学会の会長ら特別審査員が6人」とある。すんでしまった研究会やブーム便乗のうどんを知らん学会の会長が選ばれて、何で「さぬきうどん学会(平成15年8月設立、会員数5名)」会長の麺聖は呼ばれんのや?まっ、麺聖はおいしいとまずい、好きと嫌いの2通り×2通り都合4種類にしか分類できんけど!
 こんぴら歌舞伎つながりの仲間とまた山鹿温泉に行ってきた。目的は馬刺しである、元い、八千代座である。ほぼ同時期に行われてても、川北副知事が個人の趣味のために税金を使う「さぬき映画祭」と1人1人が力を合わせて作る八千代座公演、大きな差があるもんだと思う道中である。
 早朝、炭酸泉の長湯温泉にも入ったし、秋の岡城にも行った。メロンドームでインスタント太平燕を買った。山鹿では天琴でラーメンを食べ、藤娘、鷺娘。玉三郎さんのカーテンコールでの笑みは、今でもぞくっとする。夜は馬刺しをたらふく食べ、「一晩中掛け流し」の温泉につかった。帰路はめかりPでふじ丸が関門橋を通過するのを見、山口で雪舟展を見て、呉で陸に揚った潜水艦も見たあと、海軍カレーと肉じゃがも食べた。
 1.5泊まる2日、ハプニングもあり盛りだくさんだった。でも、実は、一番印象に残ってるのは、八千代座公演パートUの、こっそり見せてもらった地元「うちわや四代目」の『ふるあめりか』をパロディった寸劇、玉三郎さんも笑う(しかないだろうけど)、絶品だった!
 それにしても山鹿の人たちの親切には地面にめり込むほど頭が下がる思いだ、ありがとうございました。山鹿は奥が深い、来年も行こう!


 2006年11月1日(水)  世界史を教わらなかった生徒は損してると私は思うのですが…。大学では講義にでなくても試験に合格さえすれば単位認定されます。補習の減免やレポートを考える前に試験すべきです。誰も気付かないのかと思ってたら勝谷さんが全国統一試験を提言してました。
 今年もあと2か月、でもよく考えればあと2か月も残して、県内で387玉、県外で92玉(10月31日現在)、年間目標の県内1日1玉、県外1週1玉を達成しました。


 2006年10月28日(土)  和歌山のバスって小豆島のバス並に運賃が上がる、まるでタクシーみたい!誤解している人がいるといけないので書いとくが、麺聖はうどんで生活しているわけではない。ちゃんと別の仕事をしている。で、木、金と和歌山へ出張で行った。個人的には博物館に用があったりと何度か行ってラーメンも何軒かで食べている。旅には割と行く方だが拘束される出張は嫌い、それに普段着んスーツを着ないかんし、ヒゲ剃りも持って行かないかん等々、できれば避けたい。でも、来たからには有効活用と昼に丸宮と丸三、夕食の後にまるやま、次の日の昼に井出商店にと!サイドメニューは早すしとめはりすしで、自由な時間はがんばった。

 ちょうどその日に地域団体商標の第1弾として52件が認定された。全国ブランドじゃないものを登録する趣旨なので当然ながらマイナーなものが目立つ。日経(28日付)によると喜多方ラーメンが落ちて和歌山ラーメンが当選した理由が「様々な地域の飲食店で提供されているうえ、知名度を高めたのが必ずしも出願団体と言い切れない(特許庁)」、これだと讃岐うどんは出願しても当選できないはず、讃岐うどんへの貢献の低い業界団体も出願をあきらめるだろうと一安心!


 2006年10月21日(土)  昨日から技能五輪全国大会が県内で始まった。私も動員で駆り出されたのだが、そこでおもしろいものを見た。全国からの選手たちをお迎えしているあわただしい開会式会場で、きちっとスーツを着た県の幹部が主催者の一員である副知事をわざわざお出迎えしていた。秘書まで連れていた副知事(あとで式次第を見せてもらっても単に列席するだけで特別の用事はなし)はその幹部の申し出を断ることもなく、さも当然といった様子でマンツーマンで案内されていった。お客様をお迎えする式典で、身内への気配りを優先する幹部と、それを受け入れる副知事、およそ組織で出世する人たちの精神構造を勉強させてもらった思いだが、日頃言い続けている「県民本意」がポーズに過ぎず身についていないことが図らずも表れてしまってた。
 意外だったのは技能五輪と聞いてむさいおっさんが一杯集まってくると思ってたのに、(23歳以下の)若くかわいいお嬢さんたちが多かったこと。興味がある人は、サンメッセ他へ(競技は22日まで)どうぞ!

 香川県人のうどんに対する感情には、もちろんうどんを別のことばに置き換えればどこの県の人にも当てはまるだろうが、県外人に自慢したいのに恥ずかしくて躊躇するその一方で根拠なく自慢するという屈折したものがあった。前回のいわゆるブームの功績を新しい職人が参入したことと麺聖は何度も述べているが、その背景には、讃岐うどんの実態と全国のうどん事情を知った香川県人が県外人にうどんを謙虚に自信を持って語れるようになったこと。つまり讃岐うどんの負の存在から正の存在への転換、このことが大きく、その後の変化をもたらした。こんななか映画と絡めて今回のブームを語っている論調に、ちと気になる萌芽を見つけたので書いてみる。
 「そば、ラーメン特化の県もあるし、東京など関東圏の人たちは昔からそばを常食し、うどんは鼻から食べる食習慣はなかった(2006.10.15No.864 かがわ経済ジャーナル『せとうち』−映画「UDON」が香川にもたらしたもの−から、以下引用同じ)」
 笑ってしまった。香川県人だって「うどんは鼻から食べる食習慣はなかった」と思うがそんなことではない。今の県内うどん産業は「一日四杯〜五杯のうどんを平らげる」人たちをターゲットにしているのではないことは経済誌ととして当然言及すべきであろうし、うどんについての知識がないことは経済誌なので仕方がないが、論調に占めるうどんのウエイトを考えると常識程度のことは調べてから書くべきであろう、当然帰結点に影響するのだから。元々関東は小麦の大産地、うどんは広く食べられていた。そのうち狭義の江戸ではそば屋のマーケティング成功からそばが食べられるようになった。でも、今も関東が小麦の産地であることには変わりがなく、武蔵野を始め、埼玉県、群馬県などで伝統食として食べられている。ちなみにあの日清製粉発祥の地は群馬県の館林市である。またこれは関東に限ったことでなく全国各地の小麦の産地にうどんが文化が残っている、信州そばで有名な長野県でも小麦の産地には伝統食としてのうどんがある。
 「香川のうどん好きは少々異常かもわからないが、地元の麺通ぼっこはせっせと食べ歩き、その戦果の数々をお互いに披露しあって満足感にひたっているようだ」
 多分違う、むしろ香川のうどん好きが異常なのは、特定少数の店を贔屓にして京都や神戸から来る人のようにせっせと食べ歩いてくれなかったこと。「地元の麺通ぼっこ」のそんな行動はあっても少数、それにその手法は、ことの是非は置いとくとして、県外人によって導入され、多くはラーメンから学んでいると思われる。
 それと「香川にはもっと奥の深いものがあります」
 昔こんな論調が大勢を占めていたことがあった、でも何の進歩も発展もなかった、そしてうどんを卑下しうどんさえ地盤沈下を起こして香川県も讃岐うどんも全国的には沈んでいた。その後にいわゆるブームが起こった。そんな歴史的事実を知っての意見かどうか、二兎を追う者にならなきゃいいが、気になった。

 実は同号には編集長が『せとうち』と『特別レポート』に映画についての感想を書いてある。『せとうち』には「映画『UDON』はあくまでも一過性のものであり、ブームに便乗したキワ物的作品であることを忘れてはならない」、『特別レポート』には「ほとんどを県内ロケで占めうどんが主役となって映像化されたことは、全く初めての快挙と言えよう」、この褒めるのと、けなすのが同一号に混在するのには笑ってしまうが、大半のロケを香川県で行ったことは賞賛に値するが映画はスカだという意味か!ちまたに言われるように、うどんが地味だから『UDON』が全国的ブームにならなかったとか、方向は違うが「いわば瞬間湯沸器の役割は果たすが、後々の世まで感銘が残るという性質の作品ではない」とか、どことなく監督に遠慮がちの評価のような気がする。うどんを生かせず感銘が残せなかった監督の手腕や才能に疑問を挟むことは映画業界ではタブーなのか?ニンじゃなかったのは間違いないが、と全く関わりのない私は思ってしまう。
 あとちょっと前に書いた観光協会会長たちの中国行きも載ってたが、あんな金持ちの遠足のようなものに価値は見いだせないので載っていたとだけ書いておく。


 2006年10月17日(火)  業務連絡「映画『UDON』大ヒット」12日付の四国本紙に載ってます。香川県内の動員記録更新を目指していると四国は浮かれ気味だが、香川県民の善意のチケット代のほとんどがフジに吸い上げられるわけで、植民地経済みたいでどこか空しい。こういうのに便乗する県庁、サスティナブルな観光振興策ではない。

 またと言われようが週末は東京修行の旅。出光美術館で伴大納言絵巻の上・中・下巻の3巻を観た。中・下巻は初めて、でもやっぱ上巻がよかった。後ろ向きに立つ伴大納言の寂しげで憂えを帯びた姿がせつなすぎる。その後、讃岐うどんの店2軒に行ったが、千石の1軒は近所の客がついているようで開店直後に満席、京成沿いの1軒は改装中で休みだった。東博で休憩してから、4時50分に人形町のプレジール(plaisirフランス語の喜びかな)なる店に行った。どうしてるのかと気になっていた築地の寿司大の店長さんが、日本橋に店を出したと小耳に挟み、「築地」and「寿司大」and「店長」and「日本橋」でネット検索して見つけたのだが、本当に寿司屋かどうかも怪しく、疑い半分で早めに訪ねてみた。おんなじように調べてきた初めて会った某芝の技術者さんやテレビ製作会社のカメラマンさんと盛り上がっているうち、設備会社の社長さん、手鏡を使わない経済評論家さん、築地の週刊誌の美人記者さん、場内の八百屋の若大将カップルなどいろんな人が、店長の人柄を慕ってやって来て、ほとんど近所の居酒屋モード。私なんか5時前から5時間以上も居座るという暴挙を行ってしまった。値段はリーズナブル、夜の寿司屋だからといって5万円握り締めて行く必要はありませんでした。それにしても『UDON』観られてませんね!東京の人がどう感じたのか聞きたかったのですが、香川へうどんを食べに行きたい言ってたグルメな人たちさえ、4人が4人とも観てませんでしたから。
 翌日は昼夜通しで歌舞伎座。御園座の顔見世での左団次さん、今回の弥十郎さんとどう考えても髪結新三の主役は家主さんに思える、どっちもよかったが左団次さんのほうが好きかな。
 翌月曜、早朝からいつものように築地場内、寿司大を覘くと5人も並んでいた。2,3人だとどんなに待っても30分だけど、5人だと思わぬ時間がかかることもある、で、未だ行ったことのなかった丼屋2軒をはしごして、ちょっと休んで大と大和の通りを見ると月曜とは思えない大混雑、昼食は中華店で食べた。これで場内の飲食店は喫茶店と寿司屋(大和、大、文、龍、岩佐を除く)などの他は全店制覇したことなる。昼からは国立劇場で真山青果の元禄忠臣蔵を観てきた。あっという間の4時間30分、セリフ劇にここまで引き込まれるとは思わなかった。やはり脚本って大切というより、すべてかも知れない。3階席とはいえ花道の延長上、吉右衛門さんのひっこみはまるでこちらに向かってくるよう、ラッキーだった。はねた後、銀座のさか田で冷たいぶっかけを食べたがこれはちと硬かった。


 2006年10月12日(木)  観客100万人超、興行収入13億円!ですか、すごいです、いろんな意味で。
 昨日は代休、平日の10時の山越に行った。駐車場は軽くいっぱい、でも店で待ってる客は2人、それも釜玉待ちなので、冷たいうどんを頼んだ麺聖はすぐに食べられた。もっとも広い店内なので、20人以上の客はいたようである。山越からバックして9月に金丸座で襲名披露した勘三郎さんが行きたいと言っていた、研辰の墓を調べてきた。農免を善通寺から山越に行く途中何度も見たことがある「羽床辰蔵の墓」なる道路標識の主が勘九郎の当たり役、野田版研辰の討たれの辰次であり、墓はちょっと入ったところにあった。そのあと高松へ向かい11時過ぎにはりや到着。開店直後にカウンターに座っている数とほぼ同数が後ろに立って待っていた、立ってた3人目で、3釜目に食べられた。

 12日付けの朝日香川版に「『UDON』でブーム再燃」。今回の映画をきっかけとしたいわゆるブーム(以下「今回のブーム」と呼ぶ)を文中の香川県庁のように第2次ととらえるか、第4(あるいは5)次ととらえるかは、小さいようで実はうどんの今後にもかかわってくる大きな問題である。穴場有名店(よく考えるとおかしな呼び名だが)に客が集まり、お土産うどんが売れている今回のブームを、2次ととらえれば能天気な行け行けどんどんの結論になるのは論理的に正しい。でも、麺聖のように4次ととらえないと、なぜ1次、2次がすたれて、3次が起こったかの説明はつかないはず。過去から学ぶことを放棄した県庁の姿勢を情けなく思うとともに、現状は危うい位置にあると考えている。3次以前、ガイドブックに有名店が載り、うどんを食べない先生たちがしたり顔で語っていたとき、昔ながらのうどん店には跡継ぎもなく、どんどん廃業していた。こんなとき日常に食べている人の間から起こったのが3次のブームであり田尾さんもその一員だったはずだ。有名店が穴場店に代わり、うどんを食べない先生が田尾団長に代わっただけなら歴史は繰り返すとしか言えない、不幸なことになってしまう。日常があるからこそお土産うどんは価値を持ち、日常生活から切り離されたとき穴場店はその輝きを失う、このことを忘れてはならない。

 ネット上に、映画で描いてた、ブームを煽りやがて使い捨てるメディアそのものを、今回フジ自ら行ったとの皮肉っぽい感想、麺聖と同じ考えを持つ人がいることを心強く思った。そんな心ある人たちに、こんなん作ったけどどうでしょか?『UDON』をうどんに例えれば、麺打ちも覚束ないのに、量と具をてんこ盛りにして、やたら豪華に見せただけのうどん!


 2006年10月7日(土)  中国を始め世界の麺を食べ歩いた『麺ロードを行く(安藤百福編:講談社)』や『文化麺類学ことはじめ(石毛直道著:フーディアム・コミュニケーション)』には思い出がある。麺聖がうどん屋巡りを始めたころ、お金も、時間も、胃袋もとてもじゃないがかなわん、せめて『日本めん百景(安藤百福編:フーディアム・コミュニケーション)』くらいだったら出来るかも!と武者修行の旅に出た。
 ところで石毛さんの本では、一昨日のラグマンについて、西方起源説を中央アジアから西アジアに行くにつれ麺の比重が低くなることやインドに伝わらなかったことなどの事例を挙げて否定し、名称が中国語由来、中国から伝わったという伝承(西から伝わった伝承もある)などから中国起源説を採用している。
 ここでおさらい。奈良時代に中国から伝わった唐菓子の索餅、こん飩、はくたくの内、こん飩が温飩になり、現在の饂飩になったとよく言われるが、未だ定説ではない。私淑する加藤教授は索麺はそうめん、こん飩は餃子やワンタンの祖先であるが、これとはくたくとが微妙に影響し合い今のうどんになったと述べられていた。石毛先生の本によると空海が唐に留学した頃、唐には不托という切り麺があったようである。もっとも、うどんに直接は繋がらず、室町時代に現れた切り麦が江戸時代の元禄以降に石臼の普及とともに庶民に広がり現在のうどんとなったようである。


 2006年10月5日(木)  麺聖は『UDON』が嫌いらしい、との書き込み見っけ!
 麺聖のホームページは、こちらからの一方的発信を目的としているため、ブログでないし、メールアドレスは公開してるが掲示板も設けていない。多くの人の目に触れないと読者の自己顕示欲は満たされないようで突っ込みのメールもそんなに来ない。で、評判を探るために、たまに「麺聖andUDON」とか「麺聖and川北」とかでチェックしている。このページをずっと見てくれてる人には理解してもらえてるだろうが、麺聖は、嫌いは嫌いで間違いないんだが、その心(理由)が誤解されるのは嫌なのでちょっとまとめてみる。
 スポーツや芝居は、よいプレイに拍手し、下手なプレイにブーイングをし、プレイヤーと観客とが一体となることで、プレイヤーは成長し、ショウは完成していく。映画の世界はよく分からないが、完成したフィルムで封切りするのではないのか。それとも観客の評判や入りによってフィルムが更新されていくのか?
 他のうどん処からは反発を受けようが、心情的には香川県出身の監督、香川県内のロケ、多数の香川県民の出演、テーマがうどん、多くの香川県民が応援したくなるのは分かる(もっとも、この温かさは900軒のうどん屋のうち全国に通用するうどん屋が100軒程度にとどまっている遠因じゃないかとも思っているが)。応援があろうとなかろうとフィルムが改善されるわけもないのだから、行かないことで悪いものを悪いと表明するのも香川県民だからできることだし、義務のはずだ。学芸会ではないんだから、温かく見守ることだけが正しい応援の仕方ではない!もちろん税金や公の立場を利用し、特に県内で封切り後に盛り上げようとしたり、県民に見に行くことを強要するのは、一営利企業への便宜を図ることにつながる恐れが高く、あってはならないはずだ。
 興味ある人には、過去のこのごろを読んでもらいたい。

 話はころっと変わるが、昨日県庁でうどんのルーツを求めて中国を訪問した観光関係者らが「シルクロードは麺ロード」という報告会を開いたそうだ。平日で行けなかったので、チラッと見たテレビと新聞に基づき書く。
 「3000年前の新疆ウイグル自治区の小麦と今の讃岐うどん用小麦のDNAが一致した」と「ラグマンと讃岐うどんとが似ている」、これだけで梅原(県観光協会・JR四国)会長の「讃岐うどんのルーツは3000年前のシルクロードにあった」は強引過ぎよう。
 そう、長安からシルクロードを西へ新疆に伝わったのがラグマンで、長安から東へ日本に伝わったのがうどん、とも考えられる。ところでラグマンとは手延べラーメンの手法で作る(拉條麺つまり拉麺)と聞いてたがうどんに似ているとしたら、切り麺のケシュマ・ラグマン?会に出ていろいろ質問したかったなぁ、残念。
 それにしても中国まで行くとは豪勢なこと、みなさん金持ちなのね!貧乏で外国に行けない麺聖は石毛さんの本(文化麺類学ことはじめ)や安藤さんの本(麺ロードを行く)で仕入れた知識でしゃべるしかないのですが、ところで、この使節団、うどんのルーツの何かつかんできたのですか?
 来年、世界麺サミットを開く構想もあるようだが、何年かに一度大阪で行われているしょぼい食の博覧会や打ち上げ花火のように一発で終わるイベントにはしないで欲しいな! 


 2006年10月2日(月)  祭は終わった。県内館での終了表示はまだないみたいだけど、ワーナー・マイカルは6日終了。ネットで見る限り全国には舞台挨拶があった30日には打ち切っていた映画館もそこそこあったようだ。
 県庁の玄関、廊下に何枚も貼ってあったポスターも知らない間にはがされていた。5週以上たってるから打ち切りという言葉は正確でないけど、関係者は本広監督だから、香川県民は好調だと信じ込まされていたから、気持ちとしては打ち切りなんだろう。
 浮かれていた自称うどん通諸君、近所のうどん屋に行こう!行ったことのないうどん屋にS級店を探しに行こう!それが遠回りのようで讃岐うどんの再生と持続的発展への近道である。


 2006年10月1日(日)  今日から10月、今年もあと3月、3月決算の会社では後半戦!
 昨日車を走らせていると、駐車場待ちの列が出来ている。新規のうどん屋かっ?と見るとマックだった。株主の私としてはうれしいことだが、そう言えば優待券の期限30日までだったよなぁ!私が株主になっているもう一つの吉野家、アメリカ牛が使えない間よくがんばったよなぁと思っているが、最近の牛丼再開の動きには危うさを感じる。社長は危険との噂を根拠がないと切り捨てるが、消費者に開示される情報が少なすぎ。噂にひとつひとつ根拠を持って打ち消すべきである(もっともこれは本来、安全宣言した政府の仕事だろうが)。何度も書くが貧乏な学生時代、マックと吉牛を腹一杯食べられる身分になりたい!と願っていた私からの一言でした。
 せっかく昨日麺聖が新聞記事の締め切りに間に合うように動員数の分析をアップしたのに、今日の読売・毎日・産経は映画館か県庁に聞いただけの誤解を招くデータを県民に紹介している。(東京じゃ駄目だけど)地元が温かく迎えたって、ちょっと違うだろ。何となく新聞が売れない理由が分かるようで。
 気になったニュースを2つほど。

 ソニー製の電池の回収が話題になっている。私のノートパソコンはデルなので、そろそろ(遅いがな)調べよかと確かめたところ、該当品ではないようだ。このところ、トヨタなど日本を代表するメーカーのリコールが相次いでいる。でも、ものづくり日本の衰退は日本人の資質が落ちたと言うより、無理なリストラのつけが目に見える形になってきたとみたい。

 日経30日付けの四国経済に地域団体商標の出願数で香川県が全国最小の2件だと伝えている。讃岐うどんは、3組織の調整がつかず出願できてないそうだ(ところで3組織って?あそことあそことどこ?)。最大規模の組織が組合員わずか102社、この程度の数では合同しても過半数に遠く及ばない、業界を代表しない出願は駄目だと思うけど。それと、一般名詞化しており認められない可能性も高いとも伝えている。何回も書いているが、麺聖は全国的知名度を得た今の時点で、讃岐うどんを代表してない業界団体に、讃岐うどんの名称を独占させることは反対である。
 それにしても2月に真鍋知事は登録をバックアップしたい旨述べていた、川北副知事が映画を考えなしに応援し、結果的に一般名詞化を進めて登録がぶち壊しとは、それぞれの支持母体や趣味のしがらみがあるとは言え見事な連係プレーで…??? 


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