このごろ十九 - 過去の部(12年01月〜12年06月) 

 新年早々更新をさぼってる、と言われたが、そうじゃない。3日の夕方パソコンの画面がオレンジ色のまだら模様になって、そのあとは起動しようとしても、ウンとかスンとかしか言わなくなったのだ(涙)。重要なデータは手動でバックアップしているが、ちょっとしたデータや日々メモっていたことは消えてしまった。家電量販店で一番安いDVD付きのパソコンを購入し、ネットにはピアフ接続して元の環境に戻しつつ記憶をたどりながらやっとここまで復元した。
 うどん県の認知度の高さにうどんブーム再来だと脳天気な人もいるが、どう考えてもプラスとは思えないチェーン化率は高まっている。丸亀製麺も上陸してきた。ホントにこんなんでいいの? 
  2002年11月〜2003年3月はこっち、2003年4月〜2003年9月まではこっち、2003年10月〜2004年9月まではこっち、2004年10月〜2005年3月まではこっち、 2005年4月〜2005年12月まではこっち、2006年1月〜2006年6月まではこっち、2006年7月〜2006年9月まではこっち、2006年10月〜2006年12月まではこっち、 2007年1月〜2007年6月まではこっち、2007年7月〜2007年12月まではこっち、 2008年1月〜2008年6月まではこっち、2008年7月〜2008年12月まではこっち、2009年1月〜2009年6月まではこっち、2009年7月〜2009年12月まではこっち、 2010年1月〜2010年6月まではこっち、2010年7月〜2010年12月まではこっち。2011年1月〜2011年6月まではこっち、2011年7月〜2011年12月まではこっち、2012年7月〜2012年12月まではこっち。 

2012年6月30日(土) 最近、讃岐うどんを扱ったテレビ番組が多い気がする。それも揃いもそろって質が低い。こんなこと知らないだろうネタでマニアだけを対象にするとか、初心者に初めの一歩を伝えるとかできないものか?みんなにそこそこ伝えて視聴率を取りたいというでは誰にとってもおもしろくない。
 22日付の日経四国経済『うどん県の次はアート県』に香川県庁の「たとえて言えば、うどんは機関車。その機関車にアート県などの客車をけん引してもらう」という言葉が載っていた。うまいこというなぁ(笑)。そうそう、この機関車はディーゼル機関車だよなぁ。大衆受けするSLでもなく高性能の電気機関車でもない渋いマニアのみに受ける。客車は客車でそれ自体では客が乗りたくなるものでなく、機関車の走っていく目的地も定まっていない…。

 アートつながりで、来年の瀬戸内国際芸術祭の実行委員会で北川フラム(新潟市美術館長時代にカビと蜘蛛を発生させた人)が前回の93万人を上回る「100万人がかかわれる芸術祭を目指したい」と言ったそうだ。100万人って県の人口を上回る数。県民みんなが参加!と宣伝するためかな?人が右と言えば左を向く麺聖は参加しないぞー(笑)。水増し数字の100万人と言い続けることに田尾団長また情けない思いをしているだろうな。田尾さん、行政とメディアはそんなもんですよ。やっぱり知事を目指すしかないでしょ(笑)。

 6月の備忘録。名城100選1城(洲本城)。歌舞伎3舞台(演舞場、コクーン)、文楽1舞台(文楽劇場)、国宝1件(櫻井神社拝殿)でした。
 今年に入って6月末までに、県外27玉、県内198玉食べました。

2012年6月20日(水) 香川県にとっては、早明浦も満水になるし、あまり被害がなく通り過ぎた印象の台風だった。私の活動する西讃は、朝から風も雨も強くなく夕方には夕焼けが見られた。それにしても不思議なのは朝早くから暴風警報が出ていたこと。こんなんで出していたら、 そのうち「超」暴風警報とかが必要になるのでは。

2012年6月18日(月) 亀治郎改め猿之助の襲名公演を観てきた。中車人気もあってか、即つながった先行電話でも三等チケットが売り切れだったので、手に入れたのは歌舞伎ではあまり好まれない一階席一列目!だからこそ買えたのだろうけど口上にはバッチリだった。それにしても平伏して微動だにしない歌舞伎役者ってすごいと改めて思った。中車は頑張っていたが声がかなりかすれていた、25日間の興業を努めるのは大変なことなんだろう。
 ツリーには登れなかったが、ソラマチのフードコートの宮武うどんで食べた。冷やかけの麺に熱いだしをかけて!と注文したら何の問題もなく通ったのはさすがだった!フルサービスの山田家にも行ったが、ざるぶっかけと言う名のぶっかけ780円!スカイツリー価格なのだろうがコストパフォーマンスが悪すぎる。

2012年6月11日(月) 洲本城に初めて行ってきた。山上の石垣はりっぱだし、登り石垣の痕跡も見られる。でも、名城100選には入っているが、百名城には選ばれていない。百名城の選定者は割と廃城が好きなんだけど、模擬天守が嫌いなようで、落選はそれが原因としか思えない。私なら選ぶ!

2012年6月7日(木) 昨日の金星の太陽面通過!金星って小さいなぁと感じた。それにしても太陽の明るいこと!有効に使えばいろいろ出来るわなぁ、ということで県庁(正確には公社)の塩漬け遊休地に太陽光発電が出来るそうな!こういう事業が成立するのは42円/kWhという買取価格が異常に高すぎるから。
 地方自治体の不良資産や赤字の処理を税金でしようとすると納税者は怒るのに、逆ざやの結果消費者の負担になるメガソーラーには、田尾団長以外から反対の声が聞こえてこないのは何故(笑)。原発事故に便乗して、この不良資産の処理スキームを考えた人は天才だ!
 
 遅ればせながら『ためしてガッテン』の再放送を見た。変な釜たまが多い昨今、正しく卵を扱った作り方には好感が持てた!でも、「コシ」の話題なのに茹で時間の長短による堅さの話だったのは、粘弾性を「コシ」という讃岐うどんの常識では理解できない話だった。
 そうそう「香川では子供でも知っているという、同じ店でも時間帯によってコシが違うという常識」残念ながら麺聖はその答えが分らなかった(笑)。昼に行っても作り置き麺がでる店はあるし、客を見てから茹でる店もある。時間帯の問題じゃないと思うけど。

2012年5月31日(木) うどん好きの県民の話題に上らない朝日「熱血うどん旅」の「私の一杯」編、「私」にはあまり有名でない「香川ゆかりの人」が登場する一方、「一杯」の方は、さか枝、亀山、山神、山下、田村、石丸製麺とそこそこの店が続く。ここでハタと気付いた。「ゆかりの人」を小道具に使ったうどん店紹介なのか!記者が純粋に店を紹介するのでは目新しさがなく、筆力も足りないので考えたのか!でも、技は使ったが所詮基礎体力がない、そこをうどん好きの県民に見透かされて話題にならないのだ。テレビなら低視聴率で打ち切りになるところだが、一ヶ月以上休んだ本編、果たして復活するのか?

 お笑いタレントの母親の生活保護不適正受給問題から始まった騒動、昔かじったことがある私にも言わせて!親子の場合は、所得が一定限度以上あれば認めないと決める、保護を受けていた人が亡くなりプラスの相続財産(田舎の田畑や古びた家屋など)が残れば国は保護に要した費用を回収出来る等の制度改正は必要だろう。時代に合わせ世帯単位から個人単位にする、真に必要な人に保護が行き届くよう手続きを簡単する裏返しに期間を区切る等も検討すべきだ。でも、簡単なのはケースワーカーに調査権を与えることだろうなぁ
 ただ、生活保護に限らず、一連の報道で感じるやたら潔癖性を追求する昨今の風潮、決して健全ではない、もっとも、あの母は純粋な一般人とは言えないと思うし、変な擁護をする評論家や何故か寡黙な橋下氏には何かあると思えてしまう(笑)。
 
 5月の備忘録。名城100選1城(津城)。歌舞伎5舞台(松竹座、中村座、演舞場)、文楽2舞台(国立小劇場)、国宝1件(千手観音立像:法性寺)でした。
 今年に入って5月末までに、県外27玉、県内166玉食べました。

2012年5月25日(金) 善通寺では金環日食が見られないので東京に行って見てきました(笑)、というのは嘘でたまたま観劇に行く日が日食に当たったので海から見ようと船に乗ったら、それがそれ昔瀬戸大橋開通のとき作られた御座船ではないか!ブームが去ったあとこんなところで定期船&貸切船として活躍していたとは!東京で見た多くの人たちと同じように雲の隙間から金環日食見られました。
 で、歌舞伎町にある24時間営業のセルフのうどん屋でうどんを食べたが、これがうまいのうまくないの私が普段食べているうどんとは違う食べ物が出てきた。それが結構流行っているのだから食文化とは奥深いものだ。

 昔うどん屋巡りを始めたころ周りにそんな人はいなかった。今考えると時代をかなり先取りしていたことになる(笑)。城巡りも小学生の頃からの趣味だが、昔はそんな人は少なかった。ブームと言われ隠れファンが現れたこともあろうが、現存天守閣の休日の行列を見るとそれだけでは説明がつかないほど人数が多くなっている。これも時代をかなり先取りしていた(笑)。
 でも、私が城に興味を持った以後も、丸亀城の外堀が埋められる、江戸城の外堀が埋められる、高松城に歴史博物館が建つなどなど、城の受難は続いている。お城というとすぐ天守閣復元という話になるが、それよりも今あるものを活かす見せ方、あるいは長期計画を立て、景観になじまない工作物の撤去、立替時に建物の統一を図るとかの方がファンは増えると思うけど。私の後ろを世間がつけて来てるからそのうち国宝巡りもブームになる(笑)。

 昨日の昼NHKの香川ローカルニュースで香川県庁のホームページに「うどん県統計情報コーナー」があると言ってたので見てみたら、「人口1千人当たり『そば・うどん店』数は全国第1位」、「うどん用小麦粉使用量は全国第1位」、「和風めん(うどん、そうめん等)の年間出荷額は全国第1位」、「1世帯あたりの『生うどん・そば』の支出金額は高松市が全国第1位」という定番データと「『年明けうどん』食べましたか?」というトピックスが載っていた。
 でも、この前までトピックスからリンクされていた「うどん屋が信号機に抜かれた日!」がなくなる(ページはサイト内にあるがどこからリンクされているか不明:検索サイトで、「うどん屋」「信号機」「抜かれた」でヒットする)とは、残念と言うより香川県庁のうどんに対する認識からすればそんなところか…、と思う(笑)。

2012年5月15日(火) 今夏の電力不足問題。国内に50基ある原発の安全性あるいは危険性はどれも同じなのだろうか?活断層、津波、老朽化、原発の型などなどそれぞれ違うから一律に安全又は危険というのはある意味神話ではないか?安全な方からいくつか再稼動する方が、国のためにいいと思うが?

 朝日の熱血うどん旅、6回続いたあと、2回はうどん店巡りバスそのあと2回は有名人と行くうどん屋、でお茶を濁し本編はお休み。ネタ不足だとは思うが、20年くらい経ったら事実を記録したお休み編の方が時代を伝え価値を持ったりして(笑)。 

 ちょっと前の朝日に、沖縄に基地が多いのは差別との記事があった。沖縄の負担軽減は図るべきだが、この朝日の書き方じゃただ煽っているだけと思う。軍事的に価値がある位置だから代替が難しく基地が多いと素直に認識した上で削減の行動をすべきでは。
 40年前の今日、沖縄は日本に復帰した。

2012年5月9日(水) この時期の天候は変動が激しすぎる。羽織るものが欲しい日もあるし、半袖でも暑すぎる日もある。その少し肌寒い日に、桑名城に行った。幕末の藩主が松平容保の弟だった関係からか、維新後、城の石垣は四日市の築港に使われ、本丸、二の丸は堀を残すのみ。元々石垣があったところが無くなると、元々の土塁とは大違い。堀があってもそれはただの西洋風公園。三の丸にわずかに残る石垣にかっての面影を感じた。昼食は、名物「桑名の焼き蛤」ということだが、そこはうどん喰い(笑)、旧東海道、七里の渡しすぐの歌行燈といううどん屋で釜上げうどんと一緒に食べた。
 この後、名城100選の津城に行ったが、本丸北側に残った内堀と石垣はいい感じだが、東と南の郭と内堀と外堀は破壊されており、藤堂32万石の栄華は感じられない。堀跡の表示をする努力が必要かなぁ。100名城には補欠くらいの位置付けか?思うに建物や堀や石垣が残ってるのは当然うれしいが、無くなっててもその跡を示す案内板や今の地図の上に昔の地図を重ね合わせるなんかの工夫があれば、ちょっとした地形の変化にも想像力を働かせられるのでうれしいのだが…。

2012年4月30日(月) 団長日記を見ていたら団長の座右の銘の一つに「明日できることを今日するな」があるそうな!、麺聖の今日できることは今日するな、とちょっと違うか(笑)。
 うどんに対する確固たる信念も理解もないまま行われてるとしか思えない香川県庁の「うどん県。それだけじゃない香川県」プロジェクト、ますます迷走の度合いを増しているように見える。
 「うどんは讃岐うどんとして名物の一つで良いと思います…」という知事への質問メールに「全国ブランドとなった讃岐うどんをてこにして、『それだけじゃない』本県が有する数多くの魅力の情報発信に努めていきたい』と知事は答えたが、どこかうどんブーム以前の低迷期を目指しているように感じる。
 知事には「全国展開するチェーン店」に劣る店が数多くあるのに何故全国ブームになったのかをよく理解し、かつ「本県が有する数多くの魅力」と讃岐うどんの魅力の大きさの違いを冷静に県民に知らせ、讃岐うどんの魅力を失わせない施策を採ってもらいたい。

 京都府亀岡市の痛ましい暴走事故、ちょっと違った点から疑問を持った。警察や学校が被害者の情報を加害者側に漏らしたとされて批難されてる件だ。では加害者はどうやって被害者を知るのか?被害者はどうやって加害者を知るのか?承諾を要件としたら永遠に知らないままになることもあり得る。
 お互いを知らなければ謝罪も出来ないし、損害賠償の請求もできないのでは?復讐とか逆恨みという点から制度的保証は別として、知るべき手段はあるのだろうか?あるとしたら今回漏らしたことは軽率で手続き違反ではあろうが、元々保護すべき個人情報には当たらないのでは?ないのならそれはそれで困ったものだ。つまり新聞やテレビで時間を割くべきはこの点じゃないのかなぁ。

 3ヶ月に渡ったウィルコムとの論争は無事に円満解決しました。で思ったのだけど、電話を使えなくするという督促方法、今回は明らかに会社側の損失になっている。私はウィルコムの電話に掛けてくる可能性のある人に論争の概要と他の電話番号を教えた。解決してももう彼らはウィルコムの電話に掛けてくることはないから、私も月2回くらい電話機2台が必要なとき以外電源を切るようになった。
 4月の備忘録。名城100選1城(園部城)。歌舞伎3舞台(金丸座、中村座、演舞場)、国宝3件(古今和歌集巻第八、史記、菊造腰刀:毛利博物館)でした。
 今年に入って4月末までに、県外22玉、県内132玉食べました。

2012年4月24日(火) 昨年の今日は南三陸町にいた。トンネルを抜けると景色が一変した衝撃は今も鮮明だ。復興という面からこんなに短くて、避難生活という面からこんなに長い一年。昨日だったか一昨日だったか複数の新聞に、打ち上げられた珊瑚を分析して南西諸島の大津波の痕跡を見つけたとの記事が載っていた。下地島の高台の津波で海から運ばれた言い伝えのある巨大な帯岩を見たときも、本当かな?と疑い、長い地球の歴史の一コマと思っていた…昨年、決してそれが過去の歴史でないことを知るまでは。

 6回を費やした「熱血うどん旅」の讃岐うどんの命名者、山田竹系さんや流政之さんの名前が挙がったが、結局は結論がでないままに終わった。次は信号機の数との比較かな(笑)。
 流政之さんが「あれは俺が名付けた」と語ったことは事実としても、あれは時代が名付けたのだと思う。今のうどんブームを作ったのは私だと語る人が複数いるのと同じように、1960年頃誰とはなく使い始めたのだろう。時代ってそういうものなんでは。

2012年4月22日(日) 昨日付の朝日「セルフうどん 打って出る」と県外資本の「丸亀製麺」や「はなまる」チェーンが全国的に躍進していることを伝えた。さぬきうどん協同組合は警戒感からロゴの登録や新メニューの開発に力を入れてるそうだが、方向が違う気もする。
 昨日この記事読んだあと東京に飛んで、「恩家」と「こくわがた」でうどんを食べた。美味しかったが、関西讃岐うどんで感じる、香川県の讃岐うどんが負けてる感は受けなかった。東京の讃岐うどんは香川県のコピーに過ぎないが、関西のそれは進化したものだ!この記事のすぐ後に、かな泉が民事再生法を申請したというベタ記事を載せる凝った紙面作りをしていたが、関西限定か、東京の朝日の紙面には載っていなかった。

2012年4月16日(月) 昨日、本屋で立ち読みしてて、ふと漫画で四国を紹介した旅行会社系出版の本を手にした。当然香川県の紹介はうどんが中心となるがホテルで見た節水の張り紙から、米作りより麦作りが水が少なくすむと理由づけるのはいかがなものか。それは事実だろうが、二毛作なんだから違うだろ!

 土曜日はこんぴら歌舞伎、二部は3時からなので丸亀の高級うどん店でもと思ってたら、連れが琴平辺にあると聞いた筍の里でタケノコ食べたいという。情報はそれだけ?文明の利器を使って無事たどり着きました。花吹雪のなか旬のタケノコの天ぷら美味しくいただきました。
 で、こんぴら歌舞伎、襲名口上がある部だけど休憩時間とのバランスが悪くて、盛り上がりに欠けた。打ち出しの四の切で、かけすじやブドウ棚を使って盛り上げるという演出も必要だったかも。 
 
 10日にスタートした熱血うどん旅、まずは「讃岐うどん」の命名者を探しに行く。この命名者『讃岐うどん物語』の中で麺類研究家の小島高明さんが「地名を冠せて『讃岐うどん』、と呼ばれるようになったのは、いったい、いつごろからのことだろうか。それを裏付ける資料も、納得のいく証言をしてくれる人も、なかなか見当たらないのが実情である」と書いた難問。新聞社の力で探り当ててくれれば画期的発見になる。
 で、最有力の候補者である朝日新聞の先輩記者の足跡を尋ねる。その候補者『随筆さぬきうどん』の著者山田竹系さんの略歴には「山陽・四国・朝日新聞など記者生活26年」とある。これを元朝日新聞記者とするのは司馬遼太郎が朝日新聞に縁が深いと言ってるみたいなものか(笑)。
 11日12日と続いたあと13日は休み。次は16日に掲載とのこと。果たして物証は見つかるのか?

2012年4月11日(水) 2012年4月スタート、と朝日のチラシにあった「熱血うどん旅」がいつまで待っても始まらないなぁ?と思ってたらやっと昨日載った。定番の怪しげなデータを怪しい注釈で紹介し、要潤が登場し、作家の椎名誠に聞く。ここは今に至るも讃岐うどん最高のエッセイを書いた村上春樹が欲しかった(笑)。
 全国紙休刊日に発行された9日付の四国、「37年前も『うどん県』」。1975(昭和50)年制作の「さぬきといえば=うどん」観光ポスター3種類が見つかり当時もうどんが主役だったとか。この3種類の写真、1977年発行の『随筆うどん・そば(山田竹系著)』にキャッチコピーが入らない形で撮影荒井義久氏として使われている。うどんが評判になる→うどんに力を入れる→うどんだけじゃないとうどん以外を目指す→うどんなんてと言う→うどんが見直される→うどんだけじゃないと言う→(歴史は繰り返す)。うどんが利用されるだけで陳腐化しなきゃいいけど…。
 「讃岐の国に来て1年。なぜに小麦の大産地でもないのに、日本一小さなこの県で日本一のうどんが生まれたのか。」朝日の高松総局長さん、これって間違いだと分かった上でプロローグとして書いてるんですよね(笑)。どれだけの連載になるのか知らないが、1975年4月の朝日さんの連載(『新風土記 四』に「うどん=香川県」として収録)には負けないようにね。ここまで書いて気付いた。うどん=香川県も先ほどの、さぬきといえば=うどんのポスターも同じ1975年、これはたまたまじゃなくて、このあたりにうどんブームがあったのだろう。

2012年4月9日(月) 週末は文楽!最高齢と言われる切場?早く若手育ってくれ。嶋さんに満足し地下鉄に乗ってTKU!土曜日曜の芝居が跳ねた後、なんば、日本橋近辺でお酒が飲めてうどんが食べられる店ないかなぁ?
 日曜は名城100選の園部城(陣屋)。主館部分は高校になってる。案内板も何もないけど、裁判所の前の土手、城の土塁じゃないかなぁ?町を囲っていた堀も土塁もほとんど跡形がない。もう少し歩き回るが楽しくなるような工夫があればいいのに。ふと、日本城郭保存協会を立ち上げることを思い立った。会長は私、会員を募ります。
 バスに時間があり、近くに一番古い天満宮があると聞いて行った。武部源蔵が道真公八男を育てたことが寺子屋になったのだそう。生身天満宮というのは道真公の帰京を生きてるときに祈ったから。今の宮司も武部さん!
 JRを嵯峨嵐山で降りて阪急嵐山まで、京の春をちょっと散歩(笑)。なんばまで戻って帰りのバスに乗る前、釜たけに行こうとしたら、ガードマンが迂回しろと道を遮る。どうも吉本のイベントがあったらしいが、そんなんで公道を自分のものにしていいのか(怒)。

2012年3月31日(土) 26日JR四国は、香川県庁のプロモーションと提携して高松駅の愛称を29日から期間限定で「さぬきうどん駅」にすると発表した。でもねぇ…うどんだけじゃないと言うより高松は讃岐うどんの発祥地でも主流でも中心地でもないし、讃岐うどんが出来たとき高松は存在しなかったし…うどん駅を名乗るのは僭越だよなぁ…そういう意味なら愛称付けるなら讃岐府中駅だろう…でも地元は菅原道真も国司をつとめた讃岐国の国府由来の駅名がいいと言うよなぁ…と思っていた。28日高松市長が、高松は盆栽やアートなどがあると「さぬきうどん駅」にクレームを付けた。中讃出身の市長、本音では、高松には自慢できるうどんはそんなにないと言いたかったろうが、そこは大人の対応で(笑)。29日高松駅は「さぬき高松うどん駅」となった(笑)。うどんに対してよりよくを考えない一連の便乗商法の底の浅さが招いた出来事ですね。
 「高松」が付け加えられことを伝えた30日付け朝日青鉛筆、JR社員の「確かにうどんだけじゃすぐ冷めますからね」落ちを付けたつもりだろうが、麺聖は分かった。この記者は二つの点でうどんが分かってない。こんなんで、本気で取り組むという4月からの讃岐うどんの連載、大丈夫なのか(笑)。

 歳をとったからだけではないと思うけど、1月2月3月は本当にあっという間に過ぎ去った。マイブームはウィルコムとの論争(笑)です。私の連絡先をPHSに設定している方、「ウィルコム社の都合で」止められてる可能性がありますので御用があればメールでのご連絡を!10日に1度くらいはチェックしてます(笑)。私は歌舞伎・文楽のチケットをとる時と田尾団長に3年に一度くらいクレームを言う時(笑)以外電話を使うことがないので、止められても困りませんから、納得いくまで論争しようと思ってます。それにしてもウィルコムの支払い担当の方、テレビドラマのサラ金の取り立て屋さんのような口調、公の電波で商いしててこんなんでいいのかな?

 3月の備忘録。名城100選1城(福知山城)。歌舞伎4舞台(新橋、中村座、南座)、国宝2件(清白寺仏殿、大善寺本堂)でした。
 今年に入って3月末までに、県外15玉、県内100玉食べました。

2012年3月26日(月) 田尾団長が23日付けの日記で、四国新聞の「ニュースに関心の高い子は好成績」という記事に突っ込んでた。私は、昔ある先生から「四国新聞を購読している家の子は学力が低い」という話を聞いたことがある。これってどう理解したらいいのかなぁ?四国新聞を読むと学力が落ちてくってことかなぁ(笑)。
 朝日新聞香川版で4月から「熱血うどん旅」という連載が始まるそうである。ミッションが「讃岐うどんのルーツを探れ」と「究極の讃岐うどんを見つけよ」って、おたくは東西新聞か?ちらっとチラシを見たら、薄い字で「香川県では信号機よりうどん屋が多いのは本当か」とあったけど、通説ではお馬鹿新聞(理由についてはサイトのどっかに書いてある)の四国が最初に言い出したことになっている。新説を探れるのか(笑)。

2012年3月19日(月) 第4回関西讃岐うどん西国三十三ヵ所巡礼〜達成者パーティーが日曜に行われた。達成者数300名超、これにうどん屋さんが加わり、広い新阪急ホテルの地下バイキング会場も満席!これ以上達成者が増えると立食以外は会場の確保が無理かもという主催者のうれしい悲鳴が聞こえてきそう(笑)。で、料理は和洋中にデザートも充実した高級バイキング。達成者は地元関西圏だけでなく箱根越えをする広がりをもっている。
 関西うどんのこの熱気と盛り上がり、これが巡礼世代の子や孫に受け継がれたとき、讃岐うどんの本場は間違いなく関西になるだろう。
 関係者の皆様お疲れさまでした
 
 パーティーが夜なので、それまで名城100選の福知山城に行った。本丸の石垣はよく保存され、銅門続櫓が移築保存され、天守閣も復元されているが、城を囲む内外の堀はまったく残っていない。丘陵の先端から本丸、二の丸、三の丸(伯耆丸)と続く連郭式城郭も二の丸の丘陵が今は削られている。町の中に外郭の石垣が残っているところもあったが、本丸以外は町の発展でほぼ消え去っていると言っていい状態。あちこちに観光協会が説明板を置く努力をしているが、昔を想像することは出来ない。せめて堀とか虎口が江戸城の見附の程度(規模じゃなく)でも残されていたら、城址と城下町探索が楽しいものになったことだろう。明智光秀の築城という歴史的価値を加えても100名城に選ばれなかったのも宜なるかな。
 堀を失った城は天守閣が復元されても風情に乏しい、天守復元の方が賛同者が多くなるのだろうが、埋められた堀や石垣・土塁の発掘復元という試みがあっていいと思う。

2012年3月6日(火) 週末、東京へ。瀬川でマグロ丼を食べ、丸香でうどんを食べ、国立へ。昼、歌舞伎を見たあと、マックで休憩、土曜の午後なのに黒い服を来た若い女性がいっぱいいる。就活中なのか?どうもみんな黒い服って好きになれないなぁ。あと演芸場で若手の落語。神田阿久鯉の講談『徂徠豆腐』よかった。翌日は国宝のノルマのため山梨へ。夜演舞場へ。染五郎は演技うまいけど顔が小さいから舞台栄えしないのが辛い。江戸の荒事より上方和事が似合うなぁ。翌々日の昨日は、あいにくの雨、隅田公園の平成中村座へ。一番安い桜席、舞台を真横から観る役者に一番近い席で大道具の組み立ても観られる、お金があってもこの席を選ぶと思う、スカイツリーは見られないけど(笑)。勘九郎君は着実に進歩している、お祖父さんに追いつけばいいなぁ。仲見世からすぐのうどん店でぶっかけを食べたが微妙な時間帯なのにちゃんと茹でた麺。東京でもうどんを作り置きしない店が増えたことを喜びたい。天気が悪かったので銀座でお土産の鹿乃子を買って空港に直行。時間が余ったので第2ターミナルにあるセルフの讃岐うどん店、太くて堅いだけの麺、これで商売になるのが不思議。

2012年2月29日(水) もう2月も終わりですね。ウィルコムと料金の問題で見解の相違が生じたため、しばらく接続してません。仕方がないので当分の間マックで接続することにします。
 週末、松竹座で染五郎のぶっ飛んだような芝居を見た(昼、夜ともカーテンコールがあった!)翌日、国宝と100名城のノルマ達成に挑んだ。国宝は長弓寺で達成!高取城に。それにしてもノルマがきつくなってきた。お里、沢市の壷阪寺経由で一度行ったことがあるけどスタンプはまだ。冬期間でバスが少なく6キロ、比高390メートルを歩くことになる。冬なのに汗をかきつつ登城。でも昨年4月の観音寺城よりはずっと楽!広大な城域と石垣に感動!崩れかけた石垣に整備の費用を思う。移築された建造物が城に復元されることを祈る。
 2月の備忘録。名城100選1城(高取城)。歌舞伎4舞台(新橋、松竹座)、文楽2舞台(国立小劇場)、国宝1件(長弓寺本堂)でした。
 今年に入って2月末までに、県外11玉、県内66玉食べました。

2012年2月20日(月) 昨日の四国新聞「香川知ってるつもり!?」は前週に引続きうどん店の数。定義が難しいことは麺聖も分かっている。だからこそ「本紙の調査で、県内に808店あることが分かった」は、本紙の調査では808店と推計した、にすべきであろう。例えば、三豊市では、四国が45店、全店制覇が54店とかなり乖離がある。四国の調査で5店の土庄町。タウンページのうどん店・そば店では「いっこう・おいでや・ます家・まるしょう・みしま家」、食堂で「川崎屋」。全店制覇には「おいでや・おおみね・フェリーターミナル・ます家」。わかば食堂はどうなったのか?山賊って2店あったけど?5店じゃなく8,9店あるのでは?四国の努力は認めるが、調査が杜撰。努力だけで認められるのは壁新聞か学校新聞でのこと。有料の新聞が新聞という力を使って数えたのなら、ちゃんと検証しなければその他の記事まで信憑性を失ってしまう。新聞社にその力がないのなら、元データを公開して読者に判別してもらえばいい(笑)。
 同じ記事のなかの「香川は信号機よりうどん店の方が多い」これを「大げさな例え」と書いてる。初出は確か四国新聞のコラム(笑)で信号機が千基の頃だったそうだから、食堂の扱い次第ではかなりの市町でいい勝負だったことだろう。ちなみにうどん店を今のように数えると信号機に抜かれたのは昭和54年頃になる。もう一つ、琴平町云々と何カ所かあったが、統計の使い方としては琴平町の人口千人当たり2.56店は香川のうどん店という点なら異常値として捉えるべきであろう。観光地の人口千人当たりのそば・うどん店の数(経済センサスと国勢調査から)は軽井沢町が1.84店、箱根町が2.67店のように当然高くなるから。それにしても札幌市のラーメン店、恐るべしだ(笑)。

2012年2月15日(水) 田尾先生が昨日付の団長日記に「大はしゃぎしている『うどん県』のプロモーション(プロモーションというよりただのツカミの宣伝だけだけど)…」と批判的に書いてある。うどん喰いにとっては、話題になってもうどんが美味しくなるわけではないし、企画そのものもうどん人気に便乗するだけでうどんを発展させる趣旨ではないので、またかと言ったところか。
 団長のうどん県、丸亀町再開発、瀬戸内芸術祭への批判は正論なんだけど、全国的には打ち切り同様だったのに香川県庁の全面的バックアップで県内だけ大ヒットした映画『UDON』の時には、ご自身が出演される関係だったためか正論が聞けなかった。田尾先生にして、人は立場で意見を言うと思ったものだ。
 そうそう出演と言えば、うどん喰いの集まりで麺聖はUDONに出てましたねと言われことがあった。覚えがないので、よく聞いてみると高校生が編集部にうどん点のリストを持って行く場面が、麺聖がホットカプセルに届けたことと「高高」の活動をミックスしたものだとか。世間はそう見るか!

2012年2月14日(火) 東京に文楽を聴きに行った。朝の一部はあわただしいのでパスして、十条から志茂に移転した「すみた」に。開店20分くらい前に着いたが既に行列が。驚いたのは地下的の向かいに座っていたカップルが私の後ろに並んだこと。かけはそうでもないが、ぶっかけは美味しい。文楽は東京公演らしく盛況で堪能したが、太夫の高齢化が心配。
 翌日は鈴本の早朝寄席。時松、司、歌太郎、美るく、充実していた。司が噺で落語家にしてはとさかんにハードルを下げていた美るく、かわいかったです(笑)。昼食は土呂まで足を伸ばし寿庵。武蔵野うどんの血が入った田舎うどん。銀座に戻りバレンタイン商戦で混み合う地下で頼まれていた銀座の蜂蜜を購入、演舞場の勘九郎襲名興業へ。襲名披露ということで、たくさんの声が掛かり華やかだが、そのなかの一人の声が、演舞場でよく聴き声だが、頻繁にかつすぐ後ろからだったので特にいらついた。気の抜けたような声の掛け方、抑揚なのかなぁ、好みの問題かもしれないがどうも好きになれない。

2012年2月10日(金) 昨日の『秘密のケンミンSHOW』香川県民大絶賛のうどんバーガーとあるが、私は知らない。どちらかと言えばやらせに近い演出、ネタが尽きてきたんだろうけど、こんなん見ると他の県の食べ物もそんなに県民に愛されてるものではないのかと疑ってしまう。
 さぬき市は香川県にあると言っても、うどん不毛の土地、だからこそこんなイロ物作ったのか(笑)。

2012年1月31日(火) 新しいパソコンは、ウィルコムでASAHIネットにPIAF接続していたのだが、先週、突然インターネットが見られなくなった。何かのインストルールが原因かと順調に動いていた時点に戻したが、ウイルスソフトはつながって更新しているようなのに、やはり見られない。仕方がないので、メーカーの富士通に相談しようとしたが、ユーザー登録が前提となっているので、ネット接続できないと相談も受け付けてもらえない。説明書の端の方に書いたあった番号でなんとか窓口にたどり着き、いろいろ指導を受けたが、ASAHIネットのDNSサーバを自動でも手動でも取得できない。何故そうなったのか分からないいまま約2時間、とりあえず接続できる方法は教えてもらった。
 ということで、原因と解決の方法を教えてくださった方には、神が降りてきて書いたとの噂もある『うどんグルメの旅』を麺聖のサイン入りで差し上げます(笑)。
 1月の備忘録。名城100選1城(岸和田城)。歌舞伎5舞台(国立、新橋、浅草、松竹座)、文楽2舞台(文楽劇場)、国宝1件(小桜韋黄返威鎧:厳島神社)でした。
 1月末までに、県外4玉、県内36玉食べました。

2012年1月22日(日) 昨日、栗林にできた丸亀製麺に行ってきた。味は良くも悪くもない。県内にここより劣る店はいっぱいある。ただ、かけ1玉が280円、釜上げを食べない私にとってCPが悪すぎる。あの立地だったら売れるのだろうか?波風を立てないための値段の気もする。
 それより気になったのは、看板にも店外にも書いてある「讃岐うどん」の文字。台湾での商標問題に怒った人たちが、怒ってないのが私には不思議だ。

2012年1月19日(木)  昨日、新しいパソコンのウイルスソフトを更新した。買ったあと試したところ64kの接続で7時間程度かかることがわかり、昨日は気合を入れて臨んだ。その間暇なので、テレビをつけていたら、VOICE21がうどん特集をしていた。たまたま映った県庁が行っている「讃岐うどん店巡り観光バス」のフロントに「うどんグルメの旅」の表示が…で、ちょっと傷ついた。我が『うどんグルメの旅』は著作物だから、商標登録はしてないけど、うどん業界でうどんグルメの旅を知らないのはもぐりだから…県庁と運行会社を相手取って傷ついたことへの慰謝料請求は可能なのだろうか?

2012年1月16日(月)  カード式のエッジを解約した。新しいパソコンにはPCカードスロットがなくウィルコムにアダプタを買いに行ったら売ってないとのこと。ビックで尋ねても私のカードに対応している汎用品はないとのこと。PCカードスロットがなくなったのに通信会社の責任はないが、アダプターくらいはどっかと提携して作る責任があるだろう。まぁ、古くからの客を1人失っても新しい客を2人獲得すればいいというのが当世風だから何を言っても愚痴になる。ウィルコムにはクレームとして申し入れたが、解約手数料の徴収は如何なものかと思う。
 日曜日は大阪で新麺会。うどん屋さん、ファン、メディア併せて200名以上の参加者。で、香川のうどん界どうですか?と何人かに聞かれた。私には昭和の終わり頃のように思えると答えた。ブーム以前の一番暗かった頃。でも、あの頃には、名店が隠れていたし、田尾さんも若くて才能にあふれていた。それに比べると今は、ちょっと心配になる。店だって人だって一線で活躍できる期間はそう長くはない。かく言う私だって、自分で言うのは何だが、昔は才能にあふれていた。今読み返しても自分が書いたものとはとても思えない名文章だ。うどん店が頑張ってくれなきゃしかたないが、うどんを食べて書ける客出てこないかなぁ!田尾さんだって私だって、もう駄文しか書けないのだから(笑)。
 関西うどんの元気さと繋がりを香川県のうどん界も見習わなければならない。

2012年1月11日(水) 新橋演舞場の歌舞伎。3階席最前列。2列目の普通の客がやたら大きな声を掛ける。タイミングは悪くない、声はきれいではない、大きすぎる、回数が多い。1,2回だったらほほえましいのだけど、重なるので不快に感じた客が多かったのだろう。で、劇場の人が注意したが、理屈をこねて反論していた。芝居はみんなで作るもの!分かって欲しいなぁ。

2012年1月4日(水) 新年おめでとうございます。
 うどん好きの我が家族、例の高松空港荷物受け取りのターンテーブルの「おしながき」にかけうどんがないことに憤慨してました(笑)。
 今年の目標は月平均で県内一日一玉、県外一週一麺。国宝月1件。月1城(ちょっと縛りを緩くして日本100名城スタンプ又は日本名城100選(秋田書店)の未制覇から)。
 昨日からパソコンが起動しない。更新もできない。新しいの買いに行かなければ。年明け早々思いやられる。
 本年もよろしくお願いします。

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