このごろ五  - 過去の部(05年4月〜05年12月) -

 永遠に続くんではないかと一部で心配されていた?いわゆるうどんブームも行政が乗り出したらブームは廃れるという大方の予想どおり、昨年末で終わった(ようである)。
 ただ麺聖の忠告を聞かなかった、ASWを巡る香川県庁の失策によって、軟着陸に失敗してしまった、無能な知事を選んだ自己責任とはいえ「ブーム」に投資したうどん屋は今大変であろう。
 うどんネタそのものよりうどんをもてあそぶ人たちへの糾弾、うどん以外の話の方が多くなってますが、お付き合いいただければ幸いです。なお、このごろに関する麺聖あて(から)のメール、私信を承諾なく公開することがあります。(2005.04.01記す)

 もっと昔、2002年11月〜2003年3月はこっち、2003年4月〜2003年9月まではこっち、2003年10月〜2004年9月まではこっち、2004年10月〜2005年3月まではこっち、先の方、2006年1月〜2006年6月まではこっち、2006年7月〜2006年9月まではこっち


 2005年12月28日(水)週末、代々木でフィギュア観てきました。じゃなくて、根の津と麺通団、しまだ(新宿)、でですけ(恵比寿)、他に行ってきました。で、フィギュアフリー遠くのスタンド席から観た素人の感想ですが、村主の演技は途中から競技場の観客全員が彼女の勝利を願っていた、ホント村主ワールド!これについでよかったのは恩田、すごく思いが伝わってくる力強い演技でした。もちろんトップ6人は他の組とは明らかに違うすばらしいものでした。
 22日公表の人口動態統計の年間推計や昨日報告の国勢調査の速報値から、かねて想定されていた日本の人口減少が現実のものとなった。「活力低下、地方に縮図(日経12/28一面)」、「国家百年の計早急に(日経12/28三面)」と危機感をあおるが、私なんか地球に優しい日本の人口は三千万人くらいのはず、三十年も前からこうなることは分かっていたのだからそんなに悲観することないんじゃない?と思ってしまう。まあ昔は医療制度や年金制度が今ほど充実していなかったからそれが少子化の原因じゃないわな!
 日経の「人口減と生きる」には「大変だといたずらにあおっているのではない。」と書くが、続けて「児童手当の拡充、母親向けの公共職業安定所『マザーズハローワーク』の新設なども効き目がすぐに表れないからといってやめてしまえば元も子もない。」なんてのを読むと、(浅学なのでマザーズハローワークの効能は分からないが)児童手当という名目で金をばら撒いても何も解決しないのは、乏しいけれど日経の編集委員よりは貧しさと向き合ってきたであろう私の経験から断言できる。国家百年でなく日経ビジネスモデルに危機感を抱いているように見えるが、こんな記事ではそれ以前の問題のようだ。
 「…貧しく、将来に希望がもてなかったのではない。それどころか、反対であったのだ。ただ、子を産み育てることの他に、快適な人生の過ごし方が増えたのである。」、こんな文章が『ローマ人の物語15パクス・ロマーナ[中]塩野七生著新潮文庫』の"少子対策"にあった。


 2005年12月19日(月) 週末、うどんと博物館と文楽の日程で東京に行って帰ってきました。ニュースでは全国的に大雪みたいですが、東京はいい天気でした。

 最近フィールドワークに出かけてもうどんに費やす時間が少なくなっている気がします。どうもそのあたりを田尾先生は知ってて激励と皮肉の意味で、「真性のうどん食いじゃ」と褒めてくれたのでしょう。寄る年波で一日中うどんを食べるのがしんどくなってきたのも理由のひとつですが、最大の理由は文楽にはまったことです。伝統芸能ということで一度は観なくてはと硬くて軽い気持ちで観たのですが、これがもう面白くって癒されて、三味線の音を聞きながらうとうとするのがこんなに気持ちがいいとは(退屈で寝ているのだろうと言われそうですが)。例えて言うなら、青春18きっぷで鈍行の旅をしながら、うとうとするときの心地よさです。そしてこれが、とても長いので(5千円くらいで、4時間も観ることが出来ます、他のライブと比べると非常に安いのです)今じゃ文楽の合間に博物館に行き、うどんを食っているありさまです。
 将棋をやっていたときの経験から天才は実戦のみで強くなるが、凡人は実戦とともに先人の経験と知識の習得が必要だということを学んだ私、何かいい参考書はないかとアマゾンで手に入れたのが、『恋する文楽(広谷鏡子著ちくま文庫)』なのですが、久しぶりに一気に読みました。私があれこれ言ってもなんなんで、文楽に興味がある人もない人も一読を!
 著者の広谷さん、プロフィールによると香川県出身で同い年のようですが、そういえば高校の同級生(単に同じ学年で同じクラスではない話したこともない関係をそう呼んでいいのか分かりませんが)にそんな名前の美人がいた記憶が…。広谷さんが提唱していた国立劇場の前庭に屋台村を作る話、大衆芸能は町とともに歩むのが正しいわけであんな辺鄙なところになぜ劇場をつくったのかと不思議に思ってましたから、私は酒飲みではありませんが賛成です。

 で、三井記念美術館で石田光成の正宗、国立劇場で広谷さんが本で注目していた若手、咲甫大夫と清志郎観てきました(観賞教室はほとんど寝てたので蓑紫郎は記憶にない)。えっ、うどんはどうしたって?一応、エン座と虎杖と古奈屋(カレッタ汐留)で食べました。


 2005年12月16日(金) 朝ふと見ると大麻山が真っ白だった。
 13日の朝日「課題残し見切り発車」と鳥取県の人権侵害条例(正式には鳥取県人権侵害救済推進及び手続きに関する条例というそうだが、長いのでその精神を適切に汲みとってこう略している)にネットを中心に反対運動が起きていることを伝えていた。前にも書いたが、ネットで発信している者の一人として私も人権侵害条例に反対である。記事にもあるが「人権侵害の多くは公権力による」、そこをほっといて、個人の人権と人権との対立を公権力で解決しようとするのは新たな人権侵害を生むだけある。
 うどん屋の評論をしても過料をくらう条例阻止のための「鳥取には行かない。鳥取のものは買わない。鳥取に関わらない。」運動も、かっての片山鳥取県知事の東芝不買運動より、自分の身を守る手段として正当性を持つと思う。
 15日の朝日第2香川版に「県庁の星」の映画ロケが県庁で行われたことが伝えられている。「…またロケ中は、スタッフの多くがうどんを食べ、助けられました」と監督が話した、こんなときこそ単なるリップサービスでないコメントを引き出すべきと思うが?同じ日の新聞の前の方(私は新聞を後ろから読む)に県庁の星の全面広告が掲載されたのでこの記事は広告と連動させたものだと分かった。だって監督の会見は10日だから。で、読書のプロから公務員までの書評が載っていたがみんな甘い。私は「県庁の星」馬鹿にしているようで、本質は県庁職員礼賛の狙いを持った本だと睨んでいる。
 ところで、その県庁の来夏の知事選、今日真鍋君が3期目を目指すことを表明したようだが、夢2000問題を起こした責任、そもそも県民に夢を与えられない人物は知事にふさわしくないので麺聖は支持しない。


 2005年12月12日(月) 観光関係の講義を持っていなくても、フィールドワークが欠かせない。 マスメディアはよく議員さん方の視察旅行を遊びだ税金の無駄だと言いふらしているが、 15年前に買ったコートを着続け自費で旅に出ている私はそうは思わない。 視察を活かせない議員がいたらそれはもともとの能力の問題、視察の無駄より 議員を続けさせる無駄の方が何倍も大きい、落とすことを主張すべき! 単なる観光が含まれる云々も角を矯めて牛を殺す議論だ。 まあ、記者クラブでぬくぬくと原稿を書いている記者さんたちには自分で確かめることの真の重要性は理解できないのであろう。
  で、週末、うどんと博物館と顔見世の日程で大阪、奈良、京都に行って帰ってきました。ジャンジャン横丁で串かつを食べ、ひと月前の正倉院展と打って変わって空いていた奈良博の特別展へ行き、 決して籐十郎の追っかけではないが南座の顔見世を観た。 うどんは船場と祇園と等持院へ行く途中の店で食べた。船場は高くて値段相応、等持院の途中は安くて値段相応。 祇園のカレーうどんは3度目にして外れた感じ。
  この間みずほ証券の誤発注が話題になったが、 みずほのシステムと情報開示に欠点はあるとしても 発行済み株式以上の単独の売りを受け付ける東証のシステムと危機管理体制はあまりにおそまつである。結果的に私は損失を被らなかったが、損していたら投資家の一人として東証を訴えたところである。


 2005年12月8日(木) 大東亜戦争開戦記念日。今日ホームページのカウンターが1,012,300人を超えた。国勢調査の速報では香川県の人口は1,012,261人(10月1日現在)。時点は違うが香川県の人口は減少傾向にあるので、10月1日から今日までの間に抜いたことは間違いない。もっとも比べる数字ではないが、一応人口を目標(目標をたてた時には102万2千人だった)としてきたので単純にうれしい。聞くところによると香川県知事の真鍋君は次回100万を切らないようにしろと命じたとか。
 プライバシーや安全を理由とした拒否率の高まりを考えると5年後に果たして国勢調査があるんだろうか?徴兵や徴税の目的があった時代ならともかく、人口の把握なんか住民基本台帳で足りる、その他、選挙人名簿、税務台帳などを自動的に集計すれば必要充分なデータは集まるはず。不要な総務省の役人を養うためだけにもっともらしい理由をつけ数百億円かける馬鹿な公共事業、必要と言うのはもはや穴を掘って埋めるケインズさんくらいになっている。
 そうだ100万維持のため5年後は9月の最終週から10月1日にかけての大炊出し大会で全国からホームレスを集めよう!と全国大会好きの真鍋君に提案しようと思ったが、国勢調査はともかく真鍋君が5年後も知事ってことはないか?


 2005年12月4日(日) 金曜日、竹清に何年かぶりに行ったら、土、日だけでなく水曜日も休みになっていた。てんぷらもちくわと卵の注文制に変わっていたが、一番驚いたのは麺がおいしくなっていたこと。たまたまだったのか、確かめにまた行かなければならなくなった。
 土曜日、12時前に宮武の前を通ったら駐車場が空いていた。速攻で攻めたら、30秒もせずに食べられた。日曜日、11時ごろ宮武の前を通ったら昨日よりちょっと車が込んでいた。攻めようと思えば出来たが、新規店という目的があったのでパスした。


 2005年12月1日(木) 急に寒くなってきたと思ったら、もう12月です。今年もあと1カ月しかありません。うどんだけは順調に玉数を重ね、今年に入って11月末までで県内423玉、県外77玉食べました。


 2005年11月27日(日) 土曜日は「さぬきの夢ラリー'05」参加店2軒に行った。1軒は美味しかったが1軒はいつものASWよりまずかった。どちらかというと夢2000よりASWのほうが「さぬきうどんのために生まれた」魔法の粉だ。
 日曜日は新規店2軒に行った。ここしばらく新規開業が減っていた気がするが、年末にかけて目立ってきている。


   2005年11月22日(火)  日本うどん学会の第3回全国大会が19日に開催されたようだが、残念ながら欠席。学会の日程を知ったときには、代休の月曜を含めての三連休が決まっており、バーゲンで航空券を買っていた。でも、みんなが仕事をしているときにさぼるのは大好きだが、うどんの勉強をしているときにさぼるのはポリシーに反する。で、カレーうどんの写真を載せておこう。ただ個人的にはカレーはご飯と食べるほうがずっと美味しいと信じている。

しまだ:表参道 虎杖:築地 くろさわ:六本木
  高松空港の売店で、(池上の)るみばあちゃんの写真入のお土産うどんを発見、私の美的感覚からはイラストにすべきと思うがいかが? 羽田でいつものように待たずに乗れるモノレールに乗ろうとしたら、経由地の大井町駅は土曜日の山手線内割引の対象でないようなので気分的に損をするのも嫌で京浜に乗ると、「かがやくけん、かがわけん。」キャンペーンの瀬戸内海を背景にした竹輪天うどんのポスターが、前回のポスターについては「インリン・オブ・ジョイトイの日記」の11月15日に「四国と言えば、去年東京のモノレールの車内に香川県の湖っぽい場所の超癒され観光ポスターが半年間くらい貼ってあって(今の香川県のうどんポスターじゃないよ)、私はそのポスターが大好きで、モノレール乗る度にいつも眺めながら、その場所にいつか行きたいと思ってたけど、未だに香川のどこにあるかもわからない・・・・」てなことも。インリン来てくれるのなら案内しますがな!
 東博で北斎展(12/4まで)を見ようとしたが、土曜の午後ということもあって15分待ち(帰りには40分待ちになっていた)断念して「華麗なる伊万里、雅の京焼」展(12/4まで)で国宝の「色絵雉香炉(石川県立美術館)」を見ることに。仁清の「色絵吉野山図茶壷(静嘉堂文庫美術館)」があった、丸亀藩の注文品とのこと、そういえばMOAの国宝の茶壷もそうだったような。仁清の「色絵法螺貝香炉(静嘉堂文庫美術館)」と永楽和全の「色絵絵替小角皿(東博)」が好き。
 次の日、よく考えると11月は九博、奈良博、京博で特別展を見てきた、東博を見れば完全制覇だとつまらないことに気付き9時前から東博に並ぶ、7人目だった。開館は少し早めたようだがそのときには表慶館から門のところまで4列の行列が出来ていた。北斎と聞くと何故か蛸を思い出す私、肉筆画の「蛸図(氏家浮世絵コレクション)」のタコの眼がかわいかった。最初はゆっくり見られたが開館30分で大混雑早々に立ち去った。
 泊まったところが茅場町だったので、耐震強度偽造で営業停止中のKホテルを見てきた。ひっそりとした中、従業員が掃除をしていた。民であろうと官であろうととんでもないことをする人はいる。民営化反対論者の私、今回の事件が民営化の弊害例と利用するつもりはないが、何でもかんでも民営化が正しいという論者に考え直していただけるのはありがたく思う。もう一度民がやるべきこと官がやるべきことをきっちりさせる必要がある。その考えから言えば、郵便と最低限の決済機能は官の役割になるはずである。多分この事件でマスメディアは検査を強化しろと主張し、官僚は火事場泥棒のように権益を拡大するのだろう。
 帰った日の21日の朝日第2香川版に大きく「民間の力で新名所」、北浜アリーの成功を書いてある。それはいいのだが見出しと論調が変!官が作るものと決め付けて書いてある。まちはそこに住んでいる人が作るのである、官と民の役割分担が分かっていない、そんな記者が分かったふりをして新聞を作っている。

 奈良公園  2005年11月14日(月) 金曜日は先月の休日出勤の代休で休み、都合三連休、京阪神と奈良に行った。大きな目的は正倉院展、文楽それに京都の紅葉だ。前日と言うか当日寝ている最中に脚がつった。職場を変わったストレスかな?前々回の異動時には蕁麻疹がでったけ。 それにしても改めて思ったけど高松って岡山と同じくらいの時間距離なのね!

 初日の小さな目的は正倉院展、祇園をどり、たけしの映画、京博、B府君と酒を飲むことだったが時間的にとても全部はだめである。別P君ごめん。まず正倉院展だが休日は混むからと金曜を選んだのに10時前に既に博物館の外は長蛇の列で内はとラッシュ状態、なんでも15日間で20万人を達成したそうである。 奈良博の平常展一年分の入館者より多かったりなんかして、でも大半は展覧会に協力している読売新聞の拡販員が配った只券を持った人たちだったりなんてことはないか?ここまで混むと会期の延長か高額の時間制も必要と思う。壁際の陳列ケースを順序良く見ている行列を無視しルートから外れてた碁盤(木画紫檀棊局)と碁石(紅牙撥鏤棊子・紺牙撥鏤棊子)、螺鈿の鏡(平螺鈿背八角鏡)と孫の手(犀角如意)をじっくり見て早々に退散した。
 早々と退散したついでに有料の近鉄特急と無料の京阪特急を乗り継ぎ昼食はお預けになったが祇園をどりの1時の部に間に合った。写真撮影は認められているようだがフラッシュはいかんやろ、と言うよりAFなんだから光量が足りない場合は光らないようなカメラをメーカーが作るしか解決方法はないと思う。 これで五花街の踊りのうち春の京おどり、都をおどり、鴨川をどりと併せて4つを見たことになるが、アットホームな京おどりが好みかな。 来年は上七軒の北野をどりを見に行こう!黒門市場
 踊りの後、祇園から新京極のMOVIXまで歩き、たけしの映画を見る。わざわざ京都にまで行って映画を見ることはないが松竹の歌舞伎会員は、直営館で千円で見られるから。私の周り三方は人がいたが、平日の日中とはいえ真ん中のあたりだけしか人がいない。映画は??天才は分からない。でも京野ことみさんももっときれいに撮ってあげればいいのに!
 5時過ぎ本来ならこれから飲みに行くのだが、特別展(最澄と天台の国宝)中の金曜日ということで、京博は8時まで延長、閉館が近づくにつれ、人が減ってじっくり見られるのがいい。独立行政法人になったばかりでその評価も定まらないうちに、民営化論議が出てきて博物館も大変だと思う。収集、研究が民営化されてよくなるとはとても思えないが、宣伝なんかは時の政権が広告屋さんで決まる時代だから、委託するのもいいと思うが。あまりに疲れたのでそのままホテルへ直行で寝る。

 土曜日は大阪日本橋の文楽劇場で通しで「本朝廿四孝」を見る。文楽は東京ではプラチナチケットだが、大阪は空席が目立つ、公演日数あるいは席数の関係からか?営業上は一般大衆の娯楽を高尚な芸術に祭り上げた東京の方が成功している。まっ東京はそばにしろラーメンにしろ高級で売るところだけど。昼と夜の部の間に黒門市場でカレーうどん麺太めと肉屋さんの店頭で揚げていたコロッケとメンチカツを食べる。終わった後、王将で餃子を食べ何故か「ぎょうざ倶楽部」の会員証をもらう。

岩倉実相院 日曜日紅葉を見に行く。昔に比べてと言っても私が写真を撮りに京都に行きだした20年前から比べても確実に観光客は増え穴場はなくなりつつあるそして紅葉の見頃も遅くなっている、そのうち12月初めが見頃になるか見知れない。紅葉だよりでも色づき始めばかりで見頃の表示が一つもないほど遅いし、混むのは嫌だからといろいろ迷った結果、少しでも北の方がいいだろうとに地下鉄に乗る。ブッシュ大統領が来るとかで、小さな地下鉄の駅にも朝から二人もパトロールの警官がいた。御苑にもコインロッカーにも影響がでる、何も観光客が一番多い11月の京都に来なくてもいいものを。国際会館前からバスで岩倉実相院へ、正解だった。開門時に私を含めて観光客3人、紅葉もまあばっちり。でも岩倉は田舎のためか病院、社会福祉施設が林立してきているが、京の郊外らしい統一性を持った景観作りを考えるべきであろう。他も回りたかったが、貸し切りバスが到着しだしたので、プロらしく早々に撤収し、神戸に向かう。
 灘駅で降りて日曜の午後なのに空いていた兵庫県立美術館の「アムステルダム国立美術館展」。正倉院展の混み具合との違いは主催の日経・神戸新聞と読売新聞の動員力の違いか?いいなと思ったのは「グラスに活けた花のある静物(ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム帰属)」。フェルメールの「恋文」を見て帰る。

  このごろ温かかったので忘れていたが、どこかの駅でクリスマスツリーを見た、師走もすぐそこ、南座の藤十郎襲名披露の顔見世ももうすぐだ。

 


 2005年11月6日(日) 土曜日は朝から宮武へ行った。9時前に4台の県外車、待たずに食べられた。大将「いまどこに行っき(勤め)ょん、観音寺?」、私「高松や」、大将「いつから?」、私「1日からや」、大将「半端やな、何か悪いことしたん?」、私「どうもそうらしいんや!」

 WebをLogするブログの定義については、勝谷さんの件で朝日は日記サイトと定義した。四国一日一言(11/5付)も「インターネット上のブログ(日記風サイト)」と書いている。ネットに劣ることが明白になってきたマスメディアは談合して、ブログをただの日記に貶める策略にでたようである。
 ネットを軽視する傾向は鳥取県の人権侵害条例に対する朝日の社説(11/4付)でも顕著で、表現の自由をマスメディアに替わって担うようになった個人の発信者への考察はない。

 朝日香川版(11/6付)に香川県庁がホームページのバナー広告を募集することが報じられていた。有料バナー広告については高松市の導入のときにも意見を述べたが、その分表示が遅くなる、通信料金は私が負担している、反対である。


 2005年11月4日(金) 3日の朝日、秋の叙勲「民間、最高の42%」そもそも勲章って軍人や役人に授けるもの、官民格差なんて騒がず、いらないって言えばいいだけものを。

 水曜日は、平日にもかかわらず、山鹿温泉に午前中から浸かる(別に産休代替にすねて休んだわけではない予定の有休である、もっと執念深い性格なので合法的にうらみは晴らしますけど)。昼食に習慣とはいえ熊本まで来て一般食堂のうどんを食べる。女性客が圧倒的に多い八千代座で玉三郎を見る、カーテンコールもとてもよかった。博多まで戻り、鉄なべ餃子と手羽先の煮を食べ、屋台に移り隣に座った地元の人となぜか万歩計について盛り上がる。

 文化の日は太宰府の九州国立博物館に行った。もともと10月にオープンしたここが目的だったが、貧乏性で他のことが気になりどんどん滞在予定時間が削られてしまった。9時半の開館にちょっと早いかなと思いつつ8時50分ごろ西鉄太宰府駅到着。散策路は閑散としていたが、上ってびっくり、長蛇の列、みんなエスカレーターで来たのね。とりあえず特別展「美の国日本」だが、開場早々ラッシュ状態、こんなときはいつもの手、最初の方をパスして人がいないとこまで進み、見始める。「花下遊楽図屏風(東博)」と「唐獅子図屏風(宮内庁三の丸尚蔵館)」を抑えてから逆走するが、市博物館で展示されて福岡の人にはなじみ深いはずの「金印」が何故か一番人気。文化交流展示室(常設展)で「火焔土器(十日町市教育委員会)」や「翰苑(太宰府天満宮) 」を見る、常設展にこんなに人がいるのを初めて見た。びっくりしたのはスタッフの方々がとてもよく勉強していて典籍などすらすら読んだこと。でも博物館が注目されるのはいいがこんなに人が多いとねえ、早々に退散しようとしたが入場制限で出口も制限されていた。参道の梅ケ枝餅をほお張り博多駅へ。新岩国で途中下車し応急修理の錦帯橋を渡り、吉川資料館で太刀「狐ケ崎」を見、岩国寿司を駅弁代わりに帰りの新幹線に乗った。


 2005年11月1日(火) おかげさまで1,000,000達成しました。ありがとうございました。昨日確認したときはまだ800近くも足りなかったのですが、今朝起きると達成してました。キリ番近くになると自動クリックするソフトでもあるんでしょうか?

 今日から11月、順光方向は偏光フィルターをかけたような、青い空でした、こんな日に仕事をするのは惜しい気もしますが、新しい職場です。腑に落ちない異動だったのでいろいろ聞きまわったところを総合すると「人事課に産休育休(会社は少子化対策に取り組んでいます)代替のアルバイトを要求したらあんたが来たんや」、会社における私の評価がよく分かる出来事です。でもこういう人事、一種のパワハラじゃないのかな?一度人事課に相談して見よう!

 今年に入って10月末までで県内367玉、県外72玉食べた。年間目標、県内1日1玉(の割)、県外1週1玉(の割)を達成しました。


 2005年10月30日(日) 昨日の土曜日四国学院の学園祭の平成こんとん食堂(30日まで)に行ってきた。朝方の雨にもかかわらず盛況。エビ天の入った「こんタコス」なかなかよかったが、冷えたときがちょっと??一緒に行った小4の姪が一人「ゆでこんとん」がおいしいと力説してた。キャンパスで見かけた女子学生、都会的な娘から田舎風の娘まで、多様性がいい。
 11月に転勤することになった。この5年で5枚目の辞令、期待されてると信じたいが??今の職場の状況を客観的に見れば私の次の異動は2月が(会社にとって)ベストなわけで、物事を客観的に判断できる私は1月まで緻密な計画に基づいて修行の予定を入れていた。私は仕事を良心に従って誠実にしているつもりなのだが、親にも親戚一同にも死ぬ3ヶ月前までに予定を入れるよう告げてるくらい他人に自分の時間や行動を干渉されるのは嫌い、修行と仕事のどっちかを犠牲にすることにならないかと今から不安である。その時はどっちを選ぶって?それは書かない方がいいでしょう、処分受けるの嫌ですから。
 もうすぐアクセスカウンターが1,000,000、感謝の気持ちをということで、999,999番、1,000,000番、1,000,001番をゲットされた方に伝説?の印刷版「うどんグルメの旅(七訂版)」をプレゼント!!えっ、そんな時代遅れのもん誰も欲しくないって、だから伝説なのです。


 2005年10月25日(火) 最近の郵便屋さんいじめ、教員の給与攻撃、議員年金の廃止騒動等々、誰かも言ってたが魔女狩りみたいで嫌だ、と意見を述べておいてまるで関係ないうどんネタ二つ。 
 月曜の朝日香川版大きく「カマタマーレ讃岐」なんでも高松FCの来期からの新チーム名だそうだ。麺聖は釜玉が「さぬきうどんの定番」というのには不満なのだが。
 火曜日の日経消費面「讃岐うどん『はなまる』指紋認証で割引実験」」、1カ月千円で来店ごとに百五円引き、つまりかけ小は毎回無料となる。それはそれでいいのだが、この指紋認証って本当に安全なの?暗証番号の流出は番号を変えればいい、登録された指紋データが流出したら指紋を削るのか?

 また行ったのと言われそうだが、週末は東京で、志野茶碗(三井記念美術館)、虚空蔵菩薩(東博)、燕子花図(根津美術館)等々を見た。ついでに都美術館でマティスの金魚(プーシキン美術館)を見たが、本当に子供が書いた絵のよう、ルソーの「セーブル橋の眺め」の不思議な風景が気に入った。 で、修行の成果、六本木くろさわの胡麻汁うどんは意外に拾いもんだった。
 11月は正倉院展で碁盤を見なきゃいかんし京都は紅葉。12月は南座藤十郎の襲名披露、ほんと仕事する暇がない。 


 2005年10月16日(日) 土曜日、新感線「吉原御免状」のチケットが手に入ったので急遽大阪に。梅田芸術劇場での公演は昼からなのに小心者で朝一番に出発し定刻どおり到着、あまりに早いので東寺に足を伸ばし名宝展で「舎利輦」他を見て時間をつぶす。大阪に取って返し、梅三小路のめりけんやで冷たいぶっかけを食べる、割りといける。東京とは違うレシピなのか?

 無理して手に入れたチケットは3列め(といっても1列2列はないので)かぶりつき。京野ことみがきれいだった、好みの問題だろうが松雪泰子よりずっと、それに青山劇場のときよりせりふがうまくなっていた。目の前の殺陣は迫力が違った、堤真一はもちろんテレビでは想像できないほど古田新太がかっこよかった。ことみさんお疲れモード?の吹出物まで見える、そんな席でした。

 終演後、新世界で軽く串かつを食べ、久しぶりの麺だらけ、10月にリニューアルして2になったばかりなのに閑古鳥。養助あとのうどんキュイジーヌの水餃子うどんを食べた、値段割引きの480円でもお得感が少なかった、麺聖が店にいた間誰も来ない大丈夫なのか。次はたも屋と思ったが、首里そばの誘惑には勝てなかった。川柳を募集していたのでつい投稿したくなった、「麺だらけ ナムコの鼻息 今何処」。


 2005年10月13日(木) 鳥取県のうどんがまずいと麺聖が書いたりしたら、信用を失墜させられた差別的だと鳥取県民に訴えられ、わざわざ香川県にまで調査にやって来て、拒めば有無を言わせず過料を取られ、名前を公表されるという「人権侵害救済推進及び手続に関する条例(長いので以下略して人権侵害条例と呼ぶ)」が12日鳥取県で成立した。ここまで拡大解釈はされないだろうが、たまたま経営者が障碍者や外国人だったらどうなるのだろう?一応ホームページで発信している者として鳥取県人権侵害条例の未熟さについて書いておく。

 朝日(10/13付)によると背景に「『人権問題に率先して取り組んできた』という県や県議会の自負があった」そうだが、いじめや虐待に救済は必要だとしても、表現の自由を一地方公共団体の人権侵害条例ごときで侵害可能と考えるのは無知もしくは驕りである。「『法務省による一元的なものでなく、地方が多元的に取り組んでいくべきだ』という、片山善博知事の中央に頼らない発想が根底にある(同じく朝日)」表現の自由は国民の人権、啓発はともかく制限にローカル色があってはたまらない。そんなにやりたければ日本から独立されるか(蟹つながりで本当に北朝鮮か韓国と合併なんかしたりして)、クライアントである鳥取県民だけ対象になさったらいい、少なくとも私は鳥取県の議員に投票していないのだから。

 最近土日は仕事か修行、だらりとする時間が持てなかったなあ、と用事もあったので午前中有休をとって久しぶりにだらりとした。用事を済ませて昼までにちょっと時間が余ったので、新しく出来たうどん屋に行った、なんとも不思議な入り口だった。だらりと出来る時間が一日に12時間以上あると理想的なんだけど(もちろんその間に睡眠もとるし、食事もするが)18時に帰宅して6時に起きるのは現実には難しい、賃金カットでいいから遅刻と早退を認めてくれればありがたいのだが、十数年後の退職まで(会社が存続していればの話だが)賃金は下がることはあっても上がらない、地位も上がらない社員のモチベーションを高めるにはいい方法だと思うのだが。
 
 11日小泉首相の靖国神社参拝を巡る大阪高裁の違憲判決に原告が上告しないことを決めたそうだ。違憲とされた首相側が上告できない判決を敢えて下すのは裁判官の自己満足と名誉欲に過ぎない(違憲判決をだすことを批判しているのではないので誤解なされないように)。
 同じく11日郵政民営化法案が大差で衆議院を通過した。1ヶ月前の選挙公約を破るN田議員を見ると、かって女性首相候補と呼ばれただけに終わってよかったと思う、H沼議員の方が立派である!勝谷さんではないが、小早川秀秋は惨めな結果になったが、島津は領土安堵で維新につながった。


 2005年10月11日(火)  朝日新聞では日記形式のウェブサイトをブログって定義したようである、ということは私のこのページも朝日の悪口差止め請求のときにはブログと呼ばれるのか?

 この三連休三日とも修行するつもりだったが、月曜は別の苦行が入ったので土日だけになった。まず土曜日、京博「最澄と天台の国宝」展(10/20まで)に行った。絵画、仏像、工芸、書跡がずらりと並び目移りがする。昨年の古写経展から古写経に目覚めた私には浅草寺経、慈光寺経などがうれしかった。圧巻は聖衆来迎寺の「六道絵」全15幅が一同に展示(展示替えのため10/30まで)された5室、有名な最澄自筆の「國寶」もよかった。いつまでも見ていたい、立ち去るようには足が動かなかったのが「一字蓮台法華経(龍興寺)」、最近ルーヴル美術館展(京都市美術館10/16まで)の「若き殉教の娘」でも同じ気持ちになったっけ。平常展は早来迎、瓢鮎図、目無経など充実していたが相変わらず閑散としていた。
 この後名古屋に向かい2時を過ぎても行列が長い「矢場とん」でみそかつ、御園座で顔見世・勘三郎襲名披露夜の部を見た。3等席でも花道上で傘を差した白波の五人全員が見られる貧乏人にも優しい劇場。夜食に「味仙」の台湾ラーメン。日曜日朝、地下街の喫茶店でコーヒー1杯の値段でサンドイッチと卵が付くモーニング、その後御園座の口上がある昼の部、せっかく見やすい劇場なのに補助席の頭がじゃま。勘三郎は3月、4月、5月と疲れからかだんだん精彩を欠いたようだったが今月は元気だった。鯱乃家でカレーうどんを食べる。ズシリとくる麺だった。


 2005年10月1日(土) 今日から10月、もう秋のはずなのに暑かった。どう考えても期日に間に合わないので土曜日なのに仕事。西の方のうどん屋に行きました。色紙が何枚か、なになに「麺通団…」誰のや?と見るとI原ディレクター、まっ団員になったと聞いたけど、ちょっと、やっぱ違うような!で、恒例の宮武の状況が報告できません。明日は大丈夫か?

 今日から道路公団が民営化、公団や郵便局がコンビニやって誰が喜ぶんや?民がやってる分野に官が進出してどうする。そもそも民がやれば人件費が安くなる?それって本当にいいこと?中国べったりの名古屋の車屋さんに洗脳されてません?

 今年に入って9月末までで県内333玉、県外63玉食べた。


 2005年9月24日(土) 常々日経や朝日新聞の悪口を書いているが、他意はない、定期購読しているからじっくり読む機会が多いからにすぎない。両紙とも会社で読む四国に比べれば内容に大人と子供のくらいの違いがあるのは認めている。 四国なんか、新聞は一紙とればいいと一面コラムに書くほど愚かな上に、香川県庁のお先棒を担いで世論操作を行うのだから始末が悪い。
 地方紙だから地方の文化に貢献でもしてるかというとそうでもない。うどんがブームになったときにはちゃっかり便乗してオアシスという広告用おまけ紙に「うどん遍路」なるものを連載していたが、いい店だけを紹介するのでもなく、全店紹介するでもないまま中途半端になっている。 そのオアシス、昨日(9/23)もそのいいかげんさを如何なく発揮していた。
 『香川発!!日本一』という特集の「冷凍うどん」に「冷凍うどんがお目見えしたのは49年。うどん王国に住む県民にとっても画期的な台所革命でした。」何が画期的なのか分からないが、そんな家庭もあるかもしれないから許すとして「香川の名を全国に知らしめた讃岐うどん人気は、加ト吉の冷凍うどんが最初かも知れませんね。」はいかんやろ、冷凍うどん登場の「49年」が昭和なら、讃岐うどんが全国的に注目された大阪万博が昭和45年やから、何のことはない、いわゆる第一次うどんブームに乗っかった結果になってしまうがな?
 「地域ぐるみで番外編」もちょっと変。信号機とうどん屋の数に触れているが、信号機の数は年々増えてきたはずだから、過去に信号機とうどん屋の数が一致した瞬間はあったはずである。「(…うどん店は15年7月で900店)讃岐うどんブームを迎えて、新たなうどん店が日々生まれているそうですから、この数字、まだまだ増えそうです。ということは、うどん店の数ももちろん1でしょう」っていったいいつのことを言ってるの?うどん店の数で香川県が全国一ということは香川県の人口から考えてありえないと考えますがいかが?
 まあ新聞社の経営者一族が代議士になるという発展途上国のようなことについては代議士本人や新聞社を責めるより、そんな人を選ぶ馬鹿な高松市民を責めるべきだからここでは深く追求しないが。


 2005年9月20日(火) 三連休の宮武の状況報告、土曜日、臨時休業。日曜日朝9時過ぎ、何ぼなんでもまだ空いてるやろうと。げっ!バスは止まってるし駐車場は既に満車、県道まで行列が、これはいかん、どこに行こうと迷ってたりしてるうちに西インターまで来た。あるセルフ店が開いていたので仕方なく入った、というのは昨年開業間もないころ??だったから。でも今回は美味しい収穫だった。
 まだ昼には早い走り回ってたら「王墓」の表示、で、神櫛王の墓と佐藤継信の墓を見学。でも櫛梨山(琴平と善通寺の境の山)にも神櫛王の墓があったと聞いたことがあったけど。そう言えば、神櫛王は小烏の先導で讃岐入りし、讃岐国造の祖となったそうで、その伝承をもとに「善通寺五岳太鼓」は創られた。
 11時半にある新規店、開店すぐに満席。遅いんは許すとして、開業間もないとはいえ手順が悪すぎる。麺と天ぷらの上がる時間はバランスをとらなきゃ、丼に入った麺が何分も並んで置いとかれとる、自分が食べる麺がだんだんまずくなってるわけで客として辛い。帰る途中13時前に再び宮武の前を通ったら上り車線は駐車場待ちの車で大渋滞、金倉川を渡ったとこまで車が並んどった。ということで、月曜(祝日)再挑戦、朝9時前から行列が出来てた。でも昨日よりは早い分少ないし時間もあるから待った、思ったより回転がよく20分たたないうちに食べ終えた。

 切手収集家の私、ドンキホーテと呼ばれてもまだまだ言い続ける!まあ私の辞書に勝ち馬の乗ると言う言葉はない、もっとも判官びいきもないが、人の行く裏に道あり…、の捻くれ者ではある。で、郵便屋さんの次は労組攻撃のようである。労働貴族って人たちもいるが、実際に被害を被るのは貧乏な労働者である。財界のお先棒を担ぐマスメディアに踊らされて、貧乏人が労組は古いなんて叫んでるうちに、金持ちに富は集中し、賃下げ、パート化で労働者の貧困率が高くなっていく。
 ところで郵政民営化法案に国民は圧倒的多数をもって信任を与えたように報道されている。総得票数は自民公明68,374,911票、その他67,502,440票、50.3%対49.7%何のことはない誤差の範囲内、これが民意の実態である。どっちが少数意見か知らないが尊重するのが民主主義の基本、再討論を期待する。


 2005年9月15日(木) 田尾団長の「平成のこんとんプロジェクト」をテーマにした四国新聞一日一言(9/10)は正しいような間違ってるような、「『「こんとん』をご存じだろうか。ほとんどの人が『知らない』と答えても無理はない。だって古すぎて誰も実物を見たことがないのだから。それは奈良時代に中国から伝わったうどんの先祖とされる食べ物だ。」と書くが、ウィキペディアで調べればワンタン(雲呑)に転送される、こんとんは今も昔も餃子かワンタンの仲間である。喜多村信節(1783〜1856)と伊勢貞丈(1717〜1784)以来うどんの先祖はこんとんが定説らしいが、形状からは索餅(さくべい)かはくたくの方に分がある。

 昨日の朝日香川版の「県職員を辞めてうどん職人に」に「年間60店が開店する一方、40店が閉じるという競争社会」なんか違うような気が、いえ数は全店制覇のデータでしょうからあってるはずですが、実態とは離れた感じがします。県庁職員が「自分の努力がお客さんに伝わ」らない仕事で「ちょっとした一言を大切にし」ないとはあまりにステレオタイプすぎるようで。
 で、いったい何が言いたかったの?どこかに深遠な目的がありそうですが、ないなら朝日も一票5千円の四国並みのレベルに落ちたと言えます。


 2005年9月14日(水) 早々に期日前投票をすましてた私、土曜日から火曜日まで超割で東京へ行った。

 土曜日、江戸東京博物館の歌舞伎フォーラム。「歌舞伎の美/効果音」なかなかがんばってたが、7月国立劇場の「歌舞伎のみかた」に比べるともう一工夫欲しい。菅原伝授手習鑑の「松王下屋敷」、公募の子役がよかった。バックステージツアーでは実際に「ばらし」を手伝わせてくれる、大道具さんにとっては邪魔してるだけだろうが、よかった。小劇場の大道具ってたった4人だけなのね。
 あと高円寺へ向かい、さぬきや。冷やしカレーうどんは絶品だった。

 日曜日、朝から東博。特別展の最終日で開館前から行列が出来ていた。でも本館に向かったのは私を含めたった二人。浄瑠璃寺の広目天、何度見てもいい。ライティングも感動的。同じ展示室にある伝浄瑠璃寺伝来の十二神将立像(重文)もいい。平常展の値段だけで見られる方の特別展(別料金のと二つの特別展があった)だけ見たがこの「模写・模造と日本美術」は拾い物。間違いなく立派な作品!できることなら平成館全体を使ってオリジナルと対比させてくれるともっとよかったが。
 夕方から国立劇場で文楽、昨日の続き?の「寺子屋」。終演後、新宿の麺通団に行く。限定と書いてたので「かすうどんありますか?」、「はい」、「じゃかすうどん大で」。でも出てきたのは温めなおした単なる麺、これをどう加工したら「かす」うどんになるの?とレジで聞くとやはり「かけ」と間違ってたようだ。味?好みはあろうが麺聖は???

 月曜日、早朝から築地の寿司大。隣の若いカップルの会話を聞くとはなしに聞いたが女性の方が明らかに大人で元気、がんばれ日本男児!
 一休みして歌舞伎座、昨日一昨日と話は前後するが図ったような「賀の祝」。幕間の昼食は隣の文明堂でハヤシライス、少し酸っぱいが濃厚な味、飲み物他もついて950円は安い。で豊後道成寺。出でびっくりした。セリが上がって出てきたのは若い娘さん!本当に85歳の雀右衛門?と思うくらいきれいだった。夜は人気演目だが私は苦手な勧進帳、今回は引き込まれた、いろいろ理由を考えたが富十郎の富樫がよかったのか。もちろん吉右衛門の弁慶もよかったのだが。

 火曜日、きれいな庭もあって落ち着いて見られる根津美術館。特別展「墨蹟と中世漢画(10/2まで)」、国宝一点、重文十九点。平日とはいえ開館から30分間観覧者は私一人、美術で人を集めるのは難しいのは分かるが寂しい。10月8日からの燕子花図の展示はきっと込むだろうが。
 帰りに浜松町でセルフの讃岐うどんを食べたが、時間をはずしたせいか、ちょっと麺がくたびれていた。

 旅行中、テレビも新聞も見なかったが、漏れ聞くところでは選挙は自民党の大勝、風見鶏たちは早々と転んだようだが、改革派の私は依然郵政民営化法案反対です。日本国に住民税を納めるより合衆国に住民税を納めることを選択する大臣や靖国を自己のために利用するだけの大臣、そんな卑しい精神の似非改革派が作った法案の偽善を利益誘導の守旧派が消え去った今堂々と追求しませんか!


 2005年9月7日(水) 九州を中心に西日本で被害が続出。早明浦ダムは一気に貯水率100%。やはり台風は恐ろしい、来て欲しいと願うものではない。

 うどん屋めぐりを本業とし、自慢じゃないが麺聖の趣味は切手収集、将棋、城めぐり、国宝ウォッチャーなどなど、マイナーなものである。今はこの手の趣味も評価されるようになりつつあるが、いまだに悲哀を味わってきた被害者意識を持っている。で昨日の四国博報堂社長が登場した朝日香川版「香川経済こっちからイキまい!」を読んでカチンときた。カチンときても事実なら受け入れるが、「うどんだけ食べに来るのは一部の『もの好きな人』です」、この広告屋さんプロとしてきちんと分析したのだろうか?時代は「一部の『もの好きな人』」を要求していると麺聖は思うが、その点は措いておくとして、この社長は資料で「一部」を証明する義務がある、話を展開するためだけに、うどん好きをマイナスイメージのもの好きにしたのであろう、麺聖は許さない。
 こうして持ち上げたもっと香川県を生かせる要素が「まずは『文化度』。たくさんある美術館を結ぶ取り組みは始まった」そんな今さら。麺聖が常々馬鹿にしている真鍋武紀君でさえ何年も前から田園美術館を提唱している。うどんを否定してまで力説するものではなかろう。実際にうどん屋めぐりをし美術館に行った人なら分かることだが、うどん屋めぐり以上に美術館めぐりする人は少数派である。日本最大の美術博物館=東京国立博物館だって常設展は閑散としている。美術館では人は呼べない、これが日本では定説で「ぐるっとパス」やら「関西文化の日」とやらで各地方各館苦労し工夫している。このままでは日経の美術好きの支局長と同じ、ただのハイソ趣味になるけど。
 ついでにいうと瀬戸内海はすばらしい、それは同感である。でも冬の島々は季節風が強くて寒い、厳しい海である。それを体験するのを否定はしないが「一部の『もの好きな人』」にされてしまいそうだ。


 2005年9月4日(日) アメリカのハリケーンの被害はすさまじいが、同じカテゴリー5の台風14号の雨を多くの香川県民は待ち望んでいる。災害は嫌だけど水だけは欲しい、勝手と言えば勝手なものではある。瓦が飛び木が折れる恐れのある我が家、私は水はいらないから来ないでと祈っている。

 まずは恒例の宮武の状況報告。土曜日11時半ごろ宮武の駐車場は半分くらい、店の前は人でにぎわっていたが行列なし。日曜日11時前、駐車場は八分程度、行列は県道近くまで伸びていた。

 総務省によると「選挙期間中にホームページを書き換えることは、選挙運動のためと認められる場合は、公選法に違反する」そうである。だとすると政党名を自動収集して更新するページなんかどう扱われるのだろうか?私なんかのページも為政者のお気に召さない場合には公選法違反で別件逮捕される?それも困るんで、政策論は当分お休みにしてマスメディア批判をしとこっ!でも憲法の保障する言論の自由を制限してまで何を保護するのか分からない。まあ何を保護するにしても必要最小限の合理的な制限とは言えないから違憲でしょうな。
 で誰の利益になるのかと考えてたところ、土曜日の日経1面「NTT・JR・JTなど」を見て分かった、まずマスメディアさんなのね。その日経の記事は政党紙のような特定政党への応援を堂々とそうとはふれずにしていた(新聞はその歴史から特定の主義思想を伝えるものである、それはそれでいい、ただサブリミナルのような報道は反則と思うが)。権力におもねるマスメディアや欲に目が眩んだ財界、アメリカとその手下の広告屋さん達にとってはネットを使った選挙運動が広がると困るんだろうな。


 2005年9月1日(木) 今日から9月、なったとたん早明浦ダムの貯水率がまたゼロになった。発電用水で1カ月、それがなくなっても死水をポンプアップして1カ月、多分大丈夫である、と先日冗談で書いたが本当に検討しているようである。とにもかくにもうどんは大丈夫であるし、幸いなことに企業生産への影響や風評被害もそんなにないようである。
 今年に入って8月末までで県内297玉、県外53玉食べた。


 2005年8月29日(月) 金曜日は築地場内でうどんを食べ、歌舞伎座では珍しいカーテンコールを見た。土曜日は築地場内で寿司を食べ、東京国立博物館で久隅守景の納涼図屏風を見た。日曜日は奈良国立博物館で東寺の両界曼荼羅を見て、千日前でカツ玉うどんを食べた。

 こう書くと平凡な日常だが実はハラハラしていた。水曜から木曜に来るはずの台風11号が木曜から金曜に上陸する予報に変わっていた。昔、五島うどんを食べに行ったときは台風に直撃された。この前は霧で青森に飛べなかった。運がいいとは決して思えない。
 でもマイルでもらった只の切符は変更できないから、ナイトステイの飛行機が来なくて、台風が東海地方を直撃しない場合のみ新幹線に、それだけである。まあ選択肢が少ないとき人は誤らない見本のような決断と結果ではある。

 築地場内のうどんは丸く好みではなかった、カーテンコールは楽しいが幕が閉まったら終わりというのも潔いと思う。土曜日の寿司大なめてました90分並びました、納涼図は名古屋で見られなかったからやっとという気持ち。曼荼羅鮮やかな色彩が残っているのは奇跡、カツは美味しかったけど麺はそれほどでも台抜きがベストか!


 2005年8月21日(日) 久しぶりに近場を攻めた。どこかの掲示板に「行くべきではない」と書き込みがあった宮武だが、麺聖は好きです。ツアーをする人なら、好みに合わなくても讃岐うどんの一つの型として行くべきである。この土日宮武は休みだったので、代わりに山下の混雑状況報告、両日とも11時ごろ駐車場には少し余裕があった。月に2日間だけ営業する西岡、秋になったら営業日を増やすかもれない、とのこと。

 市営プールが営業している善通寺市民の私でも、昨日の高松の天気は知らなくても、昨日の早明浦周辺の雨量は知っている。香川県人が早明浦の雨を待ち望んでいるのは事実だが、修学旅行に早明浦ダム、遠足に香川用水に行く香川県人にとって節水は生まれながらの習慣だから日常生活はなんの不自由なく送っている。朝日「うどん、石材…水不足に地場産業不安(asahi.comマイタウン香川8/16)」 、日経「水不足、敵は風評にあり(潮風8/20)」、こんなんをマッチポンプと言うのだと思う。
 でも、94年の渇水時には19時間の断水だった高松市、今回断水しないのは、住民、行政の努力もあろうが、実際のところは不況の影響が大なのだから、あまり自慢しすぎてもいけない。まあ、発電用水で1カ月、それがなくなったらきっと死水をポンプアップしてさらに1カ月、多分大丈夫である。

 衆院選の序盤、ここまでは争点を単純化した小泉自民党の圧勝である。どこからもオファーが来ないので、私の郵政民営化反対論、採るに足らない意見と無視されたのかと思っていたら、「郵便事業は国営を維持するが、郵貯など金融事業は民営化を含めた改革論議が必要(朝日8/20)」という比較的近い考えの候補者がいた。郵政民営化が踏み絵でも、こんな意見なら投票できると思って見たら、1区の候補者やがな、残念!
 「生き残りのため官業のまま拡張していく路線を認めるのか。」、「それとも民業に転じて自由競争に臨むよう求めるのか。」経済のプロを自認する日経(8/19郵便局崖っぷちの民営化から)はこんな見え見えの二者択一でお先棒を担いでいる。ここまでして民営化法案を支持するのは、そこに大きな利権が横たわっていると考える方が自然でしょう。
 「官業を縮小し、民業には手を出さない」、この論議が充分出来てません。小さな政府を目指すなら、これがまっとうな道である。えっ、理想論過ぎて出来しない!やる前から出来ないと言ってては改革なんか出来ません。

 で、各党のマニフェストの少子化欄(日経8/20から)、自民党「児童手当や子育て支援税制を検討」、公明党「児童手当の対象を中学3年生まで段階的に引き上げ」、民主党「所得水準に関係なく義務教育終了年齢まで子一人当たり月1万6千円支給」、どこも同じばらまき政党、これでは選択できませんがな。お金をばらまくことは決してお金に困っている人たちのためにならない。金銭感覚と働く義務を教えることの方が結果的にはためになる。これは私の偏った経験から間違いなく言える。


 2005年8月18日(木)  「山形ラーメン食べたいんやけど、通販知らん?」友人から電話がかかってきた。残念ながら知らない、「行けば!」と答えたら「あんたみたいに簡単には行けん」と言われた。別に簡単に行ってるのではない。近場や通販なんかでごまかすと海原雄山に叱られるから。食べるときは現地に行かなきゃ。ということで、讃岐うどんを食べたいのなら、香川県に来なきゃ。うどん屋は普通に営業してますから。
 全国ニュースで香川の渇水が報道されてるようだけど極端に雨が降らなかったのは香川用水の水源の高知の早明浦ダム周辺。私も歯を磨くときにコップに水を汲むなど地道に節水を心がけてるが、住んでいる仲多度善通寺では自己水源に余裕がある(水道の香川用水への依存率は県全体では45パーセントくらいだが、琴南、満濃、仲南はゼロ、善通寺、琴平が2割ちょっと、多度津が高くて4割。ついでに言えば綾歌郡の綾上もゼロ)。
 もっとも早明浦ダムの貯水率が0パーセントになる日は目の前。依存率の高い高松市などでは夜間断水になる可能性も残っている。94年の渇水時に休業したうどん屋が複数(決して多数ではなかった)あったのは事実、でも今では自衛手段も進んでいる、断水になっても、ほとんどの店では普段どおり営業できるだろう。
 ところで「貯水率が0パーセントになっても、発電用水を転用すれば1ヶ月持つ」、いったいどういうこと?

 昨日の読売新聞香川版の渇水特集「うどん店では夏場、ざるうどんの注文が増えるため、冬場より5割ほど、めんを冷やす水が多く必要になる」、何気なく読み進めてしまいそうだが、これって普遍的な真実ですか?水で冷やして大きなせいろに玉取りした麺が「かけ」、小さなせいろ(ざる)に取ったのが「ざる」になるだけでは?

 郵政民営化問題関連、前回は郵便について述べたので、今回は郵貯と簡保、その前にちょっと記念切手発行施策批判。切手収集家の私、郵政の小遣い稼ぎの記念切手の乱発には反対である。サービスの名の下の乱発でファンは減り続けている。
 で、郵貯だが、いまさら民営化させ巨大な銀行を作る必要はない。辺境、近境にかかわらず決済できる小額の官営郵貯にする方がベターでは?「莫大な資金を民間に運用させればうまくいく」機関投資家の運用成績が、ネット投資家より悪いのは周知の事実、根拠のない「民尊官卑」は有害なだけ。
 最後に簡保だが、私はよく分からない。反対論者にとっては郵便だけでは儲からないから、儲かる部分として必要?民営化論者にとっては過剰な人員を雇用し続けるため必要?全国一律の郵便と郵貯があれば保険はどこででも入れる。営利を目的としない共済だってある。巨大な保険会社を作る必要がないのは郵貯と同じ。官営、民営どっちにしても役目は終えたものを存続させる必要はないと思う。
 日本が現状維持で乗り切れないことは事実である。第一歩を歩み出すことに意味があるのも分かる。でも私の乏しい知識と偏った経験からは郵政民営化法案は後ろに二歩くらい歩み出しているとしか思えない。よって反対する。


 2005年8月15日(月)  私、学生時代に将棋をやってたので、将棋界の動きに興味はある。プロを目指すサラリーマンが1勝(3勝が必要)したとの記事があった。まずはおめでとう!いくつになっても夢をもつことは大切である。奨励会を卒業しないでプロになれる道を作るのはいいことである。
 で、あえて言わせてもらうが、プロ棋士になれる程度の才能の人をプロにしても仕方がない。名人(せめてA級八段)になれる器の人をすべきである。彼がどうかは知らないが、61年前に編入試験に受かった東海の鬼、花村九段は名人になれる人だった。

 土曜日の宮武、11時半ごろ駐車場満杯、行列は店を出たところの県道から駐車場までの距離の3分の1のところまで。日曜日の宮武、11時ごろ駐車場待ちの車数台、行列は店を出たところの県道から駐車場までの距離の2分の1のところまで。
 どっちの料理ショーの盛岡冷麺のオーナー、どうも讃岐うどんの「コシ」を誤解しているようでして、まっ、世間一般の理解でしょうが!

 郵政民営化を判別式とすると、小泉自民党が改革派で岡田民主党が守旧派になる!利権談合の度合いは自民の方が高いことは明らかなのに。
 へそ曲がりの私はどうも民営化を眉唾物と見ていた。日経主催で「官業の民間開放シンポ」なんてのが開かれると聞くとそれは確信に変わった。かっての「日経平均」の失敗以来、「成果主義」、「中国経済」、日経が旗を振ってきたものの数々の末路から考え、きっと民営化も間違いだ!


 2005年8月11日(木) 宮武のおっさんが出るそうなので、どっちの料理ショーを見よう!とテレビをつけたら、野球をやっていた。えっ、延長って止めたんじゃなかったの?見る機会を奪われた。 

 公示前だが世は選挙モードであるらしい、私だって政治の話くらいしゃべろと思えばしゃべれるぞ!民主党は政権を獲るつもりだそうだが、嘘でしょ?私の住む香川3区では不戦敗するのに。郵政民営化に反対した議員の全選挙区に対抗馬を立てられる自民党のほうに底力を感じる。ところで投票する義務があっても選択する権利がない選挙権って意味があるのですか?

 それで郵政民営化だが、郵便局の本業は名のとおり郵便である。私は郵便局の関係者でない、ただの切手収集家ではあるが、「郵便」民営化には反対である。戦後民主主義はたかだか60年足らずで破綻したが、前島密の作った郵便制度はIT化が進んだ130年以上経った今もびくともしてない。郵政民営化の議論でどうして郵便はおいとかれたままなのか?先進国はどこも民営だって?民営化好きのアメリカでさえ、郵便は国営なんだけど(多分まだ)!
 もう一つ株式会社にして、株を売れば国が儲かるって話、電電公社やJNRの例を見ても国民みんなの財産の価値をただ落としただけような気が。儲からない投資家の私はそう思ってます。

 どうでもいい話だが、今年の高松まつりのテーマは「ものっそ高松」だそうだ。と聞いても意味もニュアンスも分からん。「ものっそ」ってどういう意味?ものすごくのことか?方言も違う、やはり高松は遠い町である。


 2005年8月8日(月) 前回の宮武でもう「ブーム」は去った、やっとS級店に土日に行けると自信をつけた麺聖、土曜日は山越に挑戦した。10時半過ぎに家を出発、宮武の半分近く埋まった駐車場(行列なし)を横目に走る、11時ちょっとすぎ到着。駐車場は満杯、路上駐車もある。行列は交差点までは伸びていない。待つこと15分ほどでありつけた。この程度の待ち時間だとレジャーにちょうどいい。この前食べたのは確か昨年末、行く度に駐車場や店内が変わっている気がする。あと田村に寄ったが、ちょっと並んだ程度。
 日曜日は谷川に挑戦した。11時過ぎに家を出発、宮武のほとんど満杯に埋まった駐車場(行列あり)を横目に走る、12時ちょっと前到着。駐車場は満杯、路上駐車もある。行列は上の道までは伸びていない。待つこと30分ほどでありつけた。あと山内に寄ったが、少しも並ばなかった。でも、山内のおっちゃん、もっとがんばらないかんで!
 今週は4軒ともお盆での臨時休業はしないみたい。


 2005年8月5日(金) 昨日だったか一昨日だったか、ぼけーっとNHKの香川のニュースを見てたら「根拠のない楽観論がある」とかいうようなことを伝えていた。何でも昨年の水害にあった人たちに、どっかの先生が「昨年のような災害が起こると思いますか?」アンケートをしたら、5割近くが分からない、4割近くが起こるかもしれない、残りが起こらないと答えた、このことにいろいろ理屈をつけて楽観論と警鐘を鳴らしてた、大筋はこんなことだったと思う(なんせぼけーっとなので、詳細をネットで検索したが見つからなかった、大幅に違っていたら、ご容赦を)。
 私は何を問題にしているのかちっとも分からなかった。神様じゃあるまいし未来のことは分からない、そう考えて分からないと答えた人が一番多かったとしたら正常である。過去の統計から毎年水害が起こってはないので、確率的には低い、起こらないと答えた人がいても少しも不思議ではない。もちろん亜熱帯化している現状では昨年に続いて今年も起こる可能性は高いはずだ、こう考える人だっている。どの考えも充分根拠があるはずだが、なぜ楽観論と決め付けれるのか?
 少なくともNHKのニュースの要約の仕方では論理的な飛躍がある為にする警鐘としか思えなかった。

 昨日の新聞各紙に報じられたが、JA香川県が夢2000の不正に関して製造を委託していた製粉業者を訴えた。「(製粉業者に)製造を丸投げしチェックが甘かったために起きた問題だが、(県農協の)刑事責任は問われず、農協の関与はなかったと考えている。損害に対するけじめとして訴訟を起こした(朝日8/4)」というJAの見解である。
 さすがに食糧費及びタクシー疑惑から説明責任の大切さを学んだ香川県副知事から、指名を受けた理事長を迎えて、農協も現代的になった。せっかく刑事責任が問われず、隠していたらうやむやにできたのに、自ら「けじめ」を求めて民事裁判を起こすとは潔い。この際、安田製粉さんも隠していたことをきちんとしゃべり、農協の関与の実態を明らかにしていただきたい。


 2005年8月1日(月) 車でちょっと大分へ行ってきた。日田の咸宜園でいろは歌「鋭きも鈍きも ともに捨てがたし 錐と槌とに使いわけなば」を教えられ何故か会社のことを思い起こした。胡麻すりが得意で課長になったあの人は、昔、彼に対して胡麻をする人を重く用いると言ってたが、今では彼を嫌いな人も適切に評価出来るくらいに成長できたろうか?
 天領として栄えた日田だが、代官(郡代)所の跡は何もない。電柱地中化等街づくりに取り組んではいるが、大火のせいもあるのだろうが少し物足りない。補うものは祭りだが、それ以外の時期は辛い。

 うどんを食べに行ったのではないのだが、うどん屋の看板と唐あげの看板がやたら目に付く。茶店のようなところで、だんご汁を食べたがこれは文字どおり団子であり、線状のものではなかった。
 あと青の洞門にも寄った、菊池寛の小説から深い谷のイメージを抱いていたが、あたりは開けた場所、仁和寺にある法師になってなければ、私の中では、がっかり名所である。

 今年に入って7月末までで県内254玉、県外48玉食べた。


 2005年7月29日(金) 昨日は夕方、会社をダッシュで飛び出し、夏川りみのコンサート会場の丸亀市民会館へ向かった。途中ダッシュでジャンボ高木のぶっかけ大、冷たいのに熱い出しを食べた。ダッシュしすぎて開場まで間があったんで市民広場に立ち寄った、城との間の醜い建物が取り壊され、夕暮れの日差しを浴びた壮大な石垣が広がる。ええ感じや!昔ここに伊藤咲子や石野真子が来たこともあったっけ。あと邪魔なんが街路灯と交通標識や。建物の跡地はとりあえず駐車場になっとったみたいやが、将来も何も建てんで欲しい。でないと玉藻城を無残な姿にした高松市のような歴史を感じられない哀れなまちになってしまうから。
 えっ、コンサート?夏川りみは想像していたよりずっと細かった!


 2005年7月27日(水) 台風がそれて残念がるのは、罰当たり者だが、台風7号は残念だった。

 もうひとつ残念なのがNHKだった。プロXは今のところ見るつもりはないし、あの夢2000の回は、だめだったと発信し続けるつもりだが、最近夕方のラジオを聞いてNHKもいい番組を作ってるとちょっと見直してたのに、残念である。昨日の18時からのラジオ、19時からのテレビ、私はNHK高松放送局にチャンネルを合わせていた。なのに延々東京ローカルの台風情報、ニュースはどこへやった?テレビは30分ほど台風情報を伝えたが、10分に縮められる薄い内容、編集する能力がないので、どうでもいい映像を垂れ流したとしか思えない。結果論は酷だが、それなら3分とテロップでも充分だった。

 どうも情報が東京中心過ぎるような気がする。高松からは不可能でも大阪からならまともなニュースを発信出来るだろう。それも無理なら半井さんのトークの方がまだいい。私は法律は守るべきだと思っているから受信料の不払いを呼びかけはしないが、受信料支払い義務のないNHKが映らないテレビを買いたいと思う。

 高松放送局のみなさん、放送エリアの視聴者に本当に必要なニュースだったと思って放送しましたか?


 2005年7月25日(月) 大きな台風が近づいている。雨を適量だけ降らせてくれ!というのは人間の身勝手さか?
 誤解している人がいるようなので再度書くが麺聖はうどんを食べて生活しているのではない。職業を持っており、賃金分はきちんと働いている。ただその賃金は経営の失敗で下がった。経営者は赤字を減らす方策に首切り賃金カットしか打ち出せない無能者であった、無能なら無能なりに責任を取って辞めればいいのに。私は労働力を安売りしたくないので、サービス残業をせず、きちんと有休を消化することにした。
 もちろん有休もお金も有限なので、毎週県外に行っているわけでもない。その証拠に、この土曜日、日曜日には宮武のお客の動向を観察した。土曜日12時前、行列なし、13時過ぎにも行列なし。これは大丈夫と勇気を出して日曜日には食べに行った。10時前駐車場到着、車5台、三重、練馬など県外ナンバーのみ。ご主人に聞くとブームは終わった。三連休は込んでたが、平日はガラガラ。一見さんは減ったし、常連客も来ない。盆まではこんな状況が続くだろうとのこと。食べ終わるころには少し客が増えてきたがそれでも駐車場には全部で11台、内県内ナンバーは3台である。山下も昼過ぎ駐車場は余裕で空いていた。


 2005年7月20日(水) 昨日京都のBP君から電話があった。昨秋から京都で飲もうと誘っているのだが、私が京都に行くときは、彼が香川に来ているので、すれ違いのままである。そのことかと思ったら、田尾さんから、電話をするように伝えよと命じられたそうである。BP君と田尾さんと私は都会人らしく地下鉄でも使えるPHSのユーザーだったが、こっそり田尾さんは田舎もんが多く愛用する携帯に換えたようなのだ。50音順に電話帳を移しているって聞いてたが、ア、カ、サ、タ、ナ、ハなかなかマ行までたどり着かないなと思っていた。で番号登録をすると、あら不思議、誰やいたずら電話掛けとるのは?と不審に思ってた番号が田尾さんの名前に変わった。

田尾「『薬味にからしを使う』と書いとったことやけど?」
麺聖「そんなこと覚えてません」
田尾「ホームページに書いとったと質問がきたで」
麺聖「そんなもっともらしい薀蓄私が言うわけないから、山田先生のお言葉やと答えておいて下さい。現認したわけではありません」

 詳しく書くと昭和47年に四国郷土研究会から発行された山田竹系先生(先生にはこの他『随筆うどん・そば』という本もある)の『随筆さぬきうどん』からの引用である。万博後のこの当時、「東京などは、いまや三百軒の"さぬきうどん"屋が登場している。」とあるように、昔のうどんネタの宝庫である。そこに、ねりわさびなんかはもっての他で「湯だめうどんの薬味は、むかしから和がらしときまっている。」、「ショウがならまだ幾分か辛抱できるし、」と書かれてある。この時代の湯だめは夏の定番だったみたいで「湯だめは夏分だけと思いちがいしているのである。」と嘆いてもおられる。もっとも湯だめの説明には「さばいて湯を切って、まだ温かいうちに平たい鉢に盛って出すのが湯だめうどんである。」とあり、今とすこし趣が違う。

 ここで本題ですが、今でも「からし」をうどんの薬味として使ってる店ってあるのでしょうか?あったら教えて下さい!


 2005年7月19日(火) 京都の7月と言えば祇園祭、京都検定2級の私としては当然行かねばならない。で三連休は早くから京都に行くことに決めていた。宵山、山鉾巡行にいつものように京都、奈良の国立博物館巡り、加えて大阪日本橋の国立文楽劇場で、ゆっくりできるはずだった。

 ふと気付くと、早期割引につられて買った18日までの中之島のゴッホ展の前売券をまだ使ってなかった。17日の松竹座の勘三郎の襲名披露のチケットも昼夜通しで手に入れた。やはり貧乏人は走り続けなければならない運命のようである。

 16日は10時前に道頓堀に着くが町はまだ起きていないのでうどんも食べられない。松竹座のみで一日が終わった。でも見た歌舞伎のことより、10月の御園座のチケットが手に入るかどうかが一番気になる。言うまでもなく、宵山に行くのは不可能なので明日の山鉾巡行に絞る。

 17日、朝から河原町四条の永楽屋の前で人に押されながら巡行を見た。長刀鉾が姿を現したときには感動したが、やがて人の多さと暑さで息も苦しくなる、7番目の綾傘鉾でリタイアし、阪急で茨木に向かい「唐庵」を目指す。歩いている途中、東奈良遺跡というのを見つけた。何でもここの鋳型で作られた銅鐸が善通寺でも出土したそうである。で唐庵だが、堅すぎずいい麺である。ぶっかけのだしの量も多すぎず、開店すぐに満席、それもうなずける。京都に引き返し国立博物館を見て、七条から京阪で淀屋橋へ。ゴッホ展の夜間延長前を狙ったがすこし早すぎ、一番込んでいたようだった。40分館外で行列に並び、40分会場の人ごみをかき分けた。人が多いところは嫌なので早々に退散したが「 夜のカフェテラス」を見て幸せな気分だった。外国の絵に不案内な私そんな絵があることすら知らなかったがチラッと見たとたん引き込まれた。絵の名前を忘れないように絵葉書を1枚だけ買った。再度京都に戻り「味味香」の冷たいカレーうどんを食べる。これで麺がうまければ言うことないのだが。

 18日朝、奈良の国立博物館を経て、天王寺に向かう。開店すぐの「志のん」でぶっかけを食べるが、少し堅すぎた。千日前に行き、前に釜たけに行ったとき行列が気になった筋向かいの「千とせ」で肉うどんを食べる。麺は大阪仕様だが、メニューとしての完成度は高い。讃岐人にとって大阪の麺にはきつねより、肉の方がいいかもしれない。

 日本橋の文楽劇場まで歩く途中にノーブラ喫茶という看板を見かける。何となく大阪らしくて気になったが、桂川連理柵の時間が迫っていたので通過。東京ならプラチナチケットのはずだが、文楽発祥の地大阪では人気薄のようである。空席があった。終わった後、14歳のお嬢さんと30半ば過ぎのおっさんの心中なんて文楽以外ありえない!と思いつつ、黒門市場の「あそこ」でカレーうどんを食べながら、勝谷さんの出ている芸能番組を見ていたら小川範子の結婚を伝えていた。彼女が彼と知り合ったのは13歳のときで22歳差、心中したわけでないおめでたい話だがこういうことって実際あるのね。ここも麺が大阪仕様。


 2005年7月12日(火) 土、日、月また東京である。でも今度の目的は日曜の日帰り青森、秋田。弘前城に津軽そば、そして康楽館歌舞伎大芝居だ。土曜日、経由地羽田到着後築地へ。高い航空賃を使って香川まで安いうどんを食べに来ると不思議がる人がいたが、麺聖はこれはこれでバランスが取れていると思う。ということでバランスのために安いまぐろ丼を食べ、十条に向かう。11時前にすみたに到着、既に並んでいる人もいた。開店すぐに満席、かしわぶっかけを食べた。東京国立博物館で時間を過ごし、夜は虎杖でカレーうどん、翌朝に備え早めに切り上げた。雨が降ってきた、明日は晴れるかな?東京泊。

 翌朝晴天!浜松町でチェックイン、31番搭乗口、バスか、ついてない。でもこの程度ならなんでもなかったのだ。31番バス乗り場へのエスカレーター前の掲示板、青森7:45canceled、何?キャン、欠航?JALのお姉さん「霧です」、台風とかだったら分かるが、霧でねぇ、到着まで2時間以上もあるのに、飛んでって降りれなかったあきらめもつくが。10時発も未定、出発確定は14時発、間に合わない。三沢は手続き終了、秋田からは遠い。大館能代はANA、あきらめるしかない、弘前城も津軽そばも康楽館もあえなく幻となった。空席では上演者に申し訳ない、とりあえず行けないから当日売りしていいよと連絡しとこ。あーあ、松席そ−14番。せめて浜松町で知らせてくれてたら選択肢が広がってたのに、あいづ号で、喜多方ラーメンにだって行けたのに。なんか疲れたのでホテルで一休みし、気を取り直して歌舞伎鑑賞教室の国立劇場へ。当日売りは補助席だったが、正面後方!宙乗りを除けばよく見えた。それより、四の切の前にあった春猿と笑三郎の「歌舞伎のみかた」が秀逸、拍手拍手。終わってまだ1時過ぎ、新宿に出て一滴八銭屋の唐揚げが載ったぶっかけうどんを食べたが、少し麺が固く伸びがない。昨日のすみたでも感じたが、なぜ東京のぶっかけ、だしの量がこんなにあるの?その後麺通団に行ってひやあつを食べたが、勢いがない麺、久しぶりにはずれだった。暑かったし、何だかんだとあったので気力もなくなった、早め寝た。

 気を取り直して翌朝は6時に築地場内の寿司屋へ。店長「久しぶり」、私「四国からやからね」、店長「その割にはよく来ますね!」。そして、歌舞伎座の「NINAGAWA十二夜」へ。亀治郎と左團次がいい。菊之助はきれいだ、そうお姉さんよりずっと!なんて言うと怒られるか。仮面だけは好きになれない、どうにかならないかなあ?鏡が使われてて3階で見る私にとっては、普段見れない花道の演技が見えるのがよかったが、本当は別の意味があったのネ!歌舞伎にしては早めに終わって飛行機まで時間があったので浜松町の金比羅でぶっかけ683円。ここもだしの量は多い。


 2005年7月8日(金) 夕方テレビを見てたら、毎週田尾さんが出ている番組で、県内のうどん店を全店制覇したおじさんをとり上げていた。足かけ5年かけての達成だそうだが、ご苦労なことである、と言うか、世の中にはいろんな人がいるもんである(一応褒めてるので誤解のないように)。チラッと見ただけなのでどんな人か見逃したが、多分県外出身の人であろう。うどんを利用するだけでなく、こんなことに挑戦する香川県人が5人くらいいたら勝谷さんに「讃岐うどんブームは見事に去った。(『勝谷誠彦の××な日々』から)」なんて書かれることにはならなかったかと思う。
 定義が不明だが(『全店制覇』を制覇したのかうどん店を全店制覇したのかよく分からなかった)一応894軒で全店制覇だそうだ、もっと多くなるような気がするがそんなものか?念のために書いとくが、麺聖は15年かけて県内1100軒(当然廃業店を含む)以上回っているが、一瞬たりとも全店制覇したことはない。
 ここまで書くと麺聖が言いたいことが分かるでしょ?おじさんの偉業は偉業として、KSBさんは894という数字の検証をきちんと行ったのでしょうか?まさか全店制覇を使って778軒(2004年度版)+56軒(H14からH15の閉店)+60軒(H15年10月からのオープン)=894軒、なんて計算したのでは(これだと2004年度版で漏れていた10軒を忘れてます)?行ってないならマスメディアとしては失格ですよ!


 2005年7月3日(日) 昨日は半夏生だった。本来なら「半夏の禿げ上がり」と言って、梅雨末期の雷雨もからっと上がる日のようであるが、昨日一日で6月の一ヶ月に降った以上の雨が降った。濁流にユンボが飲み込まれそうな映像もあった。でも香川県全域で大雨の被害が発生したわけではないし、渇水が好転したわけでもない。そのあたりバランスよくマスメディアは伝えきれていない。

 今年の半夏生は7月2日だったが、太陽黄経が100度の日だから当然違う年もある、昨年は7月1日だった(04年夏至6月21日半夏生7月1日、05年夏至6月21日半夏生7月2日)。一方うどんの日は7月2日に固定である。ということで次の記事はもともと正確ではないが、それ以外に「今日は半夏生(はんげしょう)、すなわち『うどんの日』(7月2日付け四国新聞一日一言)」、「半夏生とは、夏至から11日目の日を指す。(中略)、この日を『さぬきうどんの日』としている県生麺事業協同組合(7月3日付け朝日新聞香川版)」、この二つ微妙に違っている。「うどんの日」なのか「さぬきうどんの日」?香川県人にとって、うどん=さぬきうどんだから同じことだが、全国製麺協同組合連合会(=全麺連)によると、うどんの日ではまずいらしく、さぬきうどんの日のようだ。一応日本記念日協会にはうどんの日として登録されている、その由来によると「香川県製麺事業協同組合が1980年(昭和55年)に設けた日」、あれっ、「生麺組合」or「製麺組合」?
 
 あるうどんやに行った。一般店で、おしゃれな店ではない、かけ大を食べた、量は多い。でも、520円は高すぎる、店主の薀蓄もじゃまである。そのあとに行ったセルフの200円の方がずっといい。


 2005年7月2日(土) 昨日の夕方から空梅雨一転警報である。日本は亜熱帯化しているようだ。1時間に50ミリの雨が見込まれるとき普通「おそれ」と言う、NHKでも全国ニュースではそう使ってたが、高松放送局は、早明浦ダム周辺の雨について「可能性」と言い直した、気持ちはそうだが。
 雨が小降りになったので出かけた、金倉川も土器川も激流である。おっ!休んでいるうどんやがある。水不足ではまだ休業した店はなかったはずだが、大雨の影響か?14時ごろ宮武に着いた。空いてるという読みが当たったかどうか、待たなかったが、席はいっぱい、客はそこそこいた。神戸、奈良、滋賀、帰りに駐車場のナンバーを見ると10台のうち9台までが県外車。
 徳島との水争いについては、田尾先生が団長日記に詳しく書いてるが、徳島県の知事ももう少し決断力がなきゃ、これじゃ若手改革派といってもただので出来の悪い官僚出身者、なんや真鍋君と一緒や。損(吉野川の河川維持流量を盗るわけでないから徳島県が損するとも思えないけど)得じゃない、人として当然の道である。飯泉君も四国州の初代知事になり損ねたな。


 2005年6月30日(木) 昨日は中村となかむらで食べた。今日は安並に行こうか!

 勤務先の研修案内を見てたら「ポスト讃岐うどんを探せ」というのがあった。概要の概要を書くと「関西のみならず、首都圏をはじめ全国各地でブームとなり」香川県の食のシンボルになった讃岐うどんに次ぐ食材として、何をどう育て、PRするか、行政や業界の役割、実現可能性を議論する。また食のまちづくりを行っている自治体も増え、競争が激化した状況を踏まえての現実味のある提言を求める、とある。
 講師はどこかの大学の先生(田尾先生ではない)らしいが、概要を先生自身が書いたのならちょっと心配である。そもそも現状認識が間違っている、讃岐うどんもよく知らないようだ。麺聖は、食でまちおこしを企むまちに、いっぱい行ったが、残念ながら業界団体や行政が主導して成功したまちには出合ったことがない。それに讃岐うどんが関西でブームなったなんて事実はない。
 無名な食材を全国に広めるためだけなら、麺聖ならNHKに頼む、適当な感動物語をでっち上げてもらう!少々協力金が必要だが、これほど現実味のあるものはないと思っている。事前の策は不幸な現実だが、業界団体や行政が何もしないことになる。

 鳥取県庁の職員がリストラになった話しがちょっと前にあった。今週の週刊ポストにその理由が載っていた。エクセルが使えんかったからだそうだ。鳥取県庁では広報や上司に見せる書類にエクセルやパワーポイントが必要なのだそうだ。多分解雇のために作った理由とは思うが、それが本当だったとしたら、世間の賞賛に反し(まさかITやコンサル業界に食い物にされているなんてことはないだろうが)鳥取県庁というのは見てくれや、体裁を重んじる馬鹿な役所である、と思ってしまった。
 私なんか鳥取県庁に勤めてたら真っ先に首である、なんせエクセルはよう分からんしパワーポイントなんて起動したこともない。資料を使いまわしたり、絵やグラフにもっともらしく加工したり、きっとボリュームのある資料がペーパーレスでできて便利なんでしょうね!簡素で独創性を追求する公務員の仕事に必須とは思えませんけど。
 ネット上にもいっぱいあるでしょ、きれいにまとまったり、画面が動いたりするサイト!でも重いだけで、いくら探しても中身が見つからないそんなサイト。
 
 今日で6月も終わり、1年も半分が過ぎる。今年に入って6月末までで県内219玉、県外35玉食べた。県内365玉=1日1麺、県外53玉=1週1麺は達成できそうだ。


 2005年6月27日(月) 昨日一昨日福岡へ行った。前に行ったのは2月、久しぶり?の福岡である。山笠の準備があちこちで進んでいる。東京にはバーゲン運賃の2万円で行けるのにずっと近い福岡には割引は何もなくJRで3万円近くもする。福岡にも飛行機を飛ばしてくれ!

 とりあえずバスに乗り、桜坂という優雅な名の急坂を越え、能古うどんへ。普通においしい。細い麺は全国どこでもコシがあって、のど越しがいい、地域差は少ないと思う。柳橋市場まで戻り、製麺所併設のうどん屋へ行く、大釜に火がついてなかったので、作り置きと推測してざるを注文したが想像を超えていた。ビニール袋から取り出した作り置きの茹で(あるいは下茹でした)麺を再度鍋で茹でて冷水につけて出来上がり。いくら軟らかいのが地元の好みとは言え、うどんとは思えない代物である(こう書くとまた抗議のメールが来るのか?他県を基準として讃岐うどんをまずいと言われたらいい気がしますかと。気にするという回答を予想しているのだろうが、味覚なんてそんものだと思っているから逆の立場でも麺聖は気にはしない。ついでに書いとくが、讃岐うどんが硬いというのはちょっと違う、全国にはずっと硬い麺がある、伸びるのが特徴である)。香川なら明らかに手抜きになるが、そこが奥の深いところ。そこそこ客は来ている、これがスピードを重視する福岡県内の、ざるうどんの一般的な作り方だったりなんかして。市場の魚屋さんでフグの唐揚げを買って食べ歩こうとするが骨があってちょっと無理。

 薬院から西鉄に乗って久留米に着く。西鉄バスを使って水天宮へ行き真木和泉の銅像を見る。かって城内だったブリジストンの工場横を久留米城まで歩き見学、神社境内になった本丸は比較的よく残っている。また西鉄バスに乗って、寺町に行き散策する、惜しい、もう少し修景すればとアドバイスしたい。高山彦九郎の終焉の地を見て五穀神社へ行き、「からくり儀右衛門」こと田中久重の胸像を見る。さすが有馬21万石の城下町、真木和泉に田中久重である、高松市ごときとは蓄積が違う。高松藩にだって平賀源内や久米通賢がいたって?そうそのあたりが、高松市が他の自治体を強引に合併する理由か?やがて香川県の東半分は高松市になってしまう。ひょっとすると、弘法大師や智証大師や麺聖の生誕地を手に入れるため善通寺市にも手を伸ばすかもしれない(なお空海の生誕地には善通寺説と海岸寺説とがある)。

 案内板を読んでいると地元の人が声を掛けてくれた。どこからと聞かれたので四国と答えたら、とても遠いところ来たような反応をされた。四国は全国どこへ行っても遠国扱いされる。久留米ラーメンを求め、神社近くの大砲ラーメンへ行くが改装中で休み。どこかにも書いたが、麺聖の旅は行き当たりばったり、昔は休みだとがっかりしたが、最近はまた行く理由ができたと思うようになった。仕方なくタクシー、「五差路の南京千両へ」、これで通じた。屋台風のつくり、博多ラーメンほど細くない麺、おいしい、感謝デーのようで、200円、申し訳なく思う。駅には近いようだが道がよく分からない、西鉄以外の100円バスが来た。やはり高松市とは格が違う。

 博多へ戻り、屋台へ。うどんが名物の屋台で酒を飲み食べる。うどんは必然的に作り置きになり、それほどでもないが、客がいい。福岡県地方も雨が降らずに水不足が心配されている。でも店のご主人が言うには屋台の水は心配ない、水不足で客足が遠のくことが心配なのだそうだ。自治体の意向により屋台は縮小される方向にあるようだが、住民の連帯にも観光客との交流にも役立っているのにもったいないことである。翌日は朝から博多ラーメンを食べ、天神中央公園を歩き地震のあとが残る貴賓館に寄り、博多座で海老蔵の源氏物語を見て帰ってきた。


 2005年6月15日(水) およそ購読料に値しない記事と思い(思ってなかったらもっと怖い)つつ掲載したら、予想通り(予想してなかったらもっと哀れ)馬鹿にされたため、もう書かないと談合したわけじゃないと思うが最近うどんに関する記事を朝日にも四国にも見ない。
 やっと見つけたのは、兵庫県に本社がある、讃岐うどん店をショッピングセンターに出店している会社が、25日から小田原に麺の複合店(讃岐うどん、ラーメン、焼きそば、カレーうどん)を出店するという、日経(14日)の小ネタのみである。
 うどんブームが去ったとマスメディアがよく使うのは、書くべき知識も内容もなくなり、記者たちがそう願っている、と同義語か?

 道州制があちこちで論議されている。常々述べているように私は、文化の香りがしない街づくりを進める高松市が嫌いである。当然四国州の州都には松山市を推薦するつもりであった。でも日経(14日四国経済欄)の「松山にラーメン横丁」なんて記事を読むとちょっと心配だ。「坂の上の雲のまちづくり」と北海道から九州のラーメン店、どう関連するのか?
 ラーメン店々を集客の目玉にしたサンポート高松の失敗から学んで欲しい。


 2005年6月8日(水) 夏は計画的に連続して休め、との上司の命に従い、ネクタイをしちゃいけないのだからもう夏だと判断して土、日、月、火と休んだ。でもこの休めとの命令、素直に受け取ってよいものか?超勤するなという命令には、サービス残業で対応し、連続休暇を求められたら、書類上は休んだことにする。こういうのが大人のサラリーマンとして求められてる気もする。
 行き先は東京、もちろん只のマイレージである。なぜそんなに貯まるのかと不思議がられるが、もちろん保険も電話もカード払い。自慢じゃないが財布というものは小銭入れ以外持っていない。お札の代わりはカードである。もっともお金をそんなに持っているわけないので、宿泊は築地と歌舞伎座に近い銀座を希望するも、予算に合うのは勝どきになる。


 土曜日、朝一便で飛ぶ、そのまま築地場外へ、きつねやでスタミナ丼を食べる、個人的には牛丼の方が安いし好きだ。ぶらぶら歩き、店頭で職人さんが焼いている丸武の玉子焼100円を食べる、お得。ただ特徴とは言え私には甘すぎるかな。地下鉄を乗り継ぎ神保町駅すぐの「丸香」へ、もっとしゃきっとすれば山越に近づくのだが。このあと東京国立博物館で時間を過ごす。ホテルに荷物を置き池袋へ、7時まで時間があったので「すみた」へ行こうと十条の駅に着いたとたん天気予報どおりの突然の豪雨、びしょぬれになってたどり着くも玉切れ。まあ基本的に電話を掛けることはしない主義なのでしかたない。
 気を取り直して東京芸術劇場で京劇水滸伝を見る。それにしても尚偉は美人だった。


 翌日は日曜、築地は休み。うどんやで朝食、もっとも東京では朝早くからやってるところは少ない。いろいろ調べた結果、新宿西口の「かのや」に9時半ごろに行く。椅子がある立ち食いうどんと割り切れば味はいい方だろうが、うどんは100円と信じる香川県人にとっては、安くはない。ところで関西風らしいが関西の何処なのか?讃岐ってことはないはな。10時に開店すぐの「麺通団」に、こんなもんだろう。
 丸の内線で勘三郎の襲名騒動も終わって静かになった歌舞伎座へ、昼夜通しである。でもなにかもの足りない、で原因を考えたが三津五郎が出ていないから?と考えた。そんなに歌舞伎を見てるわけではないが12月の三津五郎のたぬきがいまだに私の一番である。
 あと終了間際の「虎杖」へ行ってカレーうどんを食べ、歩いてホテルに帰る、泊まったホテルの住居表示は勝どきだが、築地と川を挟んだ対岸、ということは月島になるのか。勝鬨橋から見たマンション群は何故かきれいに感じた。


 3日目の月曜日、早起きして築地まで歩く。6時半ごろ場内到着。誰もいない岩佐寿司で食べる。飲み物は?ビールほとんど条件反射である。普段はアルコールをほとんど飲まないのに、つい頼んでしまう。美味しかった。まあ生まれてから今まで回転寿司を含めて8回(記憶にある限り、築地を除く)しかすし屋に行った事がない私が言うのだからあてにはならない。
 もう一度寝てちょっと早いかと思いつつ10時半ごろ昼食へ出発。時間に余裕があるときほど簡単に見つかる。路地というか隣の駐車場を通らないとその店には行けない。営業は11時半からと看板があったので周辺の路地を30分以上歩き時間をつぶす。もんじゃ焼の店が多いのは当然として豆腐屋、本屋、畳屋、駄菓子屋がある、チェーンの本屋しかなくなった香川県より健全な町だ。途中のれんにフライと書いた店を発見、気にはなったが、まだやってないから確かめられない。「蕎羅」にもどって、カレーうどんを食べる。なかなかしっかりした麺である。
 1時から帝劇でラ・マンチャの男を見る。後ろの方の正面、でも暗くてよく見えない。3時20分に終わった、次の予定は6時半、時間はある、麺聖としてはうどんやのひとつやふたつに行くべきだろうが、さっき月島を歩いたのでもんじゃモードが高まっている。同じ粉もんだからいいかと有楽町から月島に戻る。さとなおさんが「2番はありません」と書いてあった能登を目指す。朝、気になった店の前を通り、並んでたおばさんに聞くとレバー・フライが名物らしい、ってことは、伊丹由宇がどこかに書いてた店か!でもまずはもんじゃということで能登に行くがやっていない。引き返し並んでいる人に聞くと注文してから待つそうである。中を覗くといかにも職人さんといったご主人が、時間かかるよと言う。待つと答えると、何枚?1枚いや3枚。とっておくから4,50分して来ればと言ってくれた。で、もんじゃである。2番がないのでどこでも一緒だろうが、習性からか路地裏にあるあまりきれいでなさそうな店へ。飲み物は?ビール。やっぱり条件反射である。もんじゃなるもの見たこともなかったので店のお姉さんに焼いてもらう、商売とは言えうまいもんである、まだ生かと思う状況で食べられるみたいである。さっきの店に行くともう売り切れて並んでいる人はいない。絶品だった。いかにも職人さんというご主人の横にいかにもおかみさんという奥さんがいた。
 渋谷、コクーン歌舞伎、2階正面椅子席、よく見えたが、あの椅子で休憩15分を挿んで4時間弱は辛い、もう少しいい椅子に変えて欲しい。


 最終日火曜日、朝の築地場内、今日は大和寿司へ、6時半なのに並んでいる。ウニとかゲソ天以外のイカとか嫌いなはずだが食べられる。今までいやだった物は多分ウニとかイカの偽物だったに違いない。ホテルで休憩し少しは麺聖らしくしなければと、有楽町線に乗りそのまま直通で西武所沢へ。製麺所が隣りにある「あづまや」に、色の着いたイメージするとおりの武蔵野うどんである。複雑に西武線を乗り継ぎ一橋学園の「むぎきり」へ、洗練された武蔵野うどんといったところか。都心に戻り、東京国立博物館へまた行く、先日とは展示換えされており、国宝室には、山水屏風があった。神護寺の虫払いで何度か見た物と同じだと思うが、その時はその他大勢の扱いだった。ガラスのケースに入って陳列されるものだったとは本当に同じもの?最終便で帰ってきた。


 2005年6月2日(木) 最近新聞に署名記事や撮影者の表示が目立つ。時々レベルに達していない文や写真を見ると、ひょっとしてさらし者?と思ってしまう。

 昨日の朝日香川版からお笑いネタをひとつ。「『サンポート高松』オープン1年 にぎわい続くか」という記事に「商業施設の目玉だった3階のラーメンテーマパークは、オープン当初は2時間待ちの行列ができたが、今は『いつでも座れる』のが売り物に。ある店主(27)は『平日の客は100人未満。建物の集客能力を疑う』。」狙って書いてたら、すごくうまい小話だが…。でも現在の通説では高松拉麺築港をラーメンテーマパークとは呼ばない。この記事ネットと本紙とで微妙に見出し、語句等が違う、どっちが最新版か知らないが、ネットの「にぎわい広まるか」より本紙の「にぎわい続くか」の方が切実な現状を表している。

 この前の四国新聞に続いて、今日朝日香川版に「『さぬきの夢2000』4千万玉分」という記事が掲載された。麦秋ということで、うどんネタ、なんだかサザエさんみたい。昨年の夢2000キャンペーン参加60軒は県内800軒の1割にも満たない。100万県民が1人年120玉食べれば1億2千万玉、4千万玉は3分の1を占める。各店の作る玉数が等しいと乱暴に仮定すると今年は3軒に1軒で夢2000が食べられる、なんてことにはいくら生産量が増えてもならない。じゃー夢2000はどこに消えてるの?詳しい数値の分析は別府君に任せるとして、「不正表示乗り越えて」なんて小見出しを付けてるのに、不正表示の原因分析も行ってないし普及の課題にも触れていない。書いたのは真面目だけど洞察力がまだない高校生のアルバイトかな?そうだとしとしても平凡。
 ひとつ質問、記事によると県内のうどん用小麦の作付面積の100パーセントを「夢2000」にとの目標を達成したそうだが、その目標は誰がどんな理由で立てたのですか?


 2005年5月31日(火) 27日の日経の地方面に「高松市がバナー広告で収入126万円」という見出しがあった、市がホームページにバナー広告を掲載させて収入を得るというのである。引っかかった、私がホームページから情報を得ようとしたとき、バナー広告分、表示は遅くなる。つまり閲覧する私は不必要な広告を見させられた上、余分な通信料を負担するわけである。
 もっとも1アクセスあたり2.8円(1,260,000円÷12月÷37,500件/月)ももらえるのなら麺聖だって契約を願いたいものだが、個人や私企業はともかく、税金を取っている自治体がやるのは例えれば、受信料で経営するNHKがコマーシャル収入を得るような反則技である、まあ32Kで接続し常日頃無意味な画像やバナー広告にいらいらしている私のひがみでしょうか?


四国新聞の「シリーズ追跡・『さぬきの夢2000』その後」がネットに載った(ネット掲載5/29)。

空前の讃岐うどんブームを追い風に県産小麦「さぬきの夢2000」がデビューして五年。
期待と不安の中、
王国ならではの一家言を持つうどん食いたちの好不評を受けながら知名度は徐々に上がっていた。
そこへ冷や水を浴びせる県農協の不正表示事件が起き、
良くも悪くも全国の注目を集めることになった。(追跡から引用)
事実とちょっと違うと思った。麺聖はこう直した、
空前の讃岐うどんブームに県庁が悪乗りし県産小麦「さぬきの夢2000」がデビューして五年。
品質の低さと生産量の少なさを隠そうとするたくらみの中、
県庁記者クラブの記者たちの無責任な提灯持ちの声援を受けながら知名度は一気に上がっていた。
その背伸びに冷や水を浴びせる県農協の不正表示事件が起き、
王国を支えるASWを使った讃岐うどんは全国から偽物との批判を集めることになった。(麺聖添削)
 (夢2000かASWについての)「議論が起きたのは皮肉にも二〇〇四年の県農協による不正表示事件が発端だった」と追跡は書くが、夢2000かASWかの議論は当初からネット上で活発だった。記者たちがこうした論点に気付いたのは愚かにも二〇〇四年の県農協による不正表示事件が発端だった、と書くのならそれもいいけど。
 ジャーナリストとは、事実を隠し、過去の報道に責任を取らない、第三者のふりをして記事が書ける人たち、私もそんな無責任な文章が書ければどんなに気が楽かと思ってしまいます。


 今年に入って5月末までで県内178玉、県外23玉食べました。

 2005年5月26日(木) 昨日NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」の悪口とホットカプセルへのエールを書いた、今日新聞を見ると新たな展開があった。NHKはあっさりと高校に謝罪文を届けたようである。今回は不当に悪者にされた高校が抗議をした結果だが、同様に不当に悪者にされたしゃべれないASWの名誉は回復されないまま。そもそも今回も含めて視聴者にフィクションを事実と誤解させる発信をし続けてきた責任をNHKは取らないつもりなの?
 また四国新聞によると田尾団長がかって社長だった「恐るべき」や「全店制覇」の発行元のホットカプセルが来月末に清算するそうである。百店満点の写真の手を抜いたのは経営が思わしくなかったせいだったのか。そもそも田尾さんがいなくなってので経営が傾いたのか?それともフリーペーパーに押されタウン誌はじり貧になる運命だったのか、だとすれば転職した田尾さんに先見の明があったのか!編集や営業は徳島の「あわわ」に引き継がれるそうだが、蓄積されたうどんに関する資料はどこに行くのだろうか?引き取り手がないのなら麺聖が譲り受けてもよい。もっとも麺聖は資料をただ集めるのが好きなだけだから、分析のためには別府君の方がいいかもしれない。


 2005年5月25日(水) 大阪の高校のグリークラブを取り上げたNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」に事実と異なるとクレームがついたようだ。麺聖は夢2000の時に事実を巧みに加工し、夢2000を究極の小麦と誤認させる物語を作りあげていると批判した。今回NHKは「事実と大きく違う点はなかったと考える」と答えているが、事実と大きく違うフィクションならば視聴者は誤解はしない。ドキュメンタリーと称して事実と大きく違わない嘘を混ぜるから視聴者は誤解するのである。それを視聴率か協賛金目的で意識的に行っている(であろう)NHKには報道機関の資格はない。
 ホットカプセルが編集し香川県観光協会が発行した「さぬきうどん百店満点」を今日初めて目にした。発行が2004年の11月のものだったから最新版では訂正されていると思うが、広域図を広げたとたん??と思って詳細図と見比べうどん好きが作ったのなら犯さない間違いに気付いた(うどん棒本店は道の北とか窪川若井間は土佐くろしお鉄道とか釜玉の説明が月見うどんみたいとかいうのではない)。田尾社長他が退社したホットカプセルにとってうどんは単なるビジネスの対象だけになっていることを感じ少し寂しくなった。県内うどんやの大将や女将さんの舌を疑ったり、観光協会会員店ってスカな店なのねって嫌味はともかく、字が小さくて読みにくかったので写真だけながめたが、全店制覇のを使い回ししているらしい写真の下手さ加減は辛すぎる。ホットカプセルさんもビジネスならビジネスらしく素人のデジカメみたいな写真はボツにしなきゃ!


 2005年5月21日(土) 春日町のいきいきうどんに行った。新聞、雑誌、漫画があってよかった、じゃなくてうどんがよかった、期待してなかったのだが、大阪麺通団よりずっとおいしかった(社長、これくらい褒めとけばいいでしょか?)。実はこの店小町としてオープンし、ゆめかいどうになり、三度目の正直である。昔、中新町でつぶれたのか名前が変わったのか知らないが、まずくて行きたくなかったのに名前が変わったために三回行ってその度二度と行くもんかと思った店があった。最近はオープン間もない店が変わる、国分寺の花いちは04年春開業、夏はな庄になりちょっと前廃業、ラーメン屋から04年にうどんやに変わった丸亀のらせん家も廃業、まもなく別のうどんやがオープンするようである。
 いわゆるブームが終わったかどうかは別にして、バブルがはじけたのは間違いない。14時前に宮武の前を通ったら県道まで行列ができていた。


 2005年5月8日(日) 田尾先生に褒められた?ので「ゴールデンウィーク最後の土日にうどん屋がどないなことになっているか調査」に出かけた。土曜の11時半、宮武の店外に行列はなかった。長田、小縣家、中村、おか泉も想定の範囲内であった。
 「県外客は『ブーム』時と同じように来たが、香川県人のうち、いつもうどんを食べてる人は連休にわざわざうどんを食べるために並ばない、『ブーム』後ツアーを始めた県人は少し飽きてきた」という仮説を立ててみた。となると県外客が少ないであろう連休最後の日曜はS級店も空いてるはず、実証するため10時5分ごろ家を出発した。宮武予定通りの臨時休業、うらめしそうな県外ナンバーの車あり。長田、小縣家想定より少なめ。谷川に11時10分前くらいに到着、既に営業しているようす、坂の3分の2くらいの行列。今日は状況調査だけでなくS級店で実食する、で食べ終わるまで30分少しかかったが想定の範囲内。11時半ぐらいでも上の道まで伸びるか伸びないかの行列。農免を通って山内へ移動、12時5分前くらいに着く、下、中の駐車場は1台もない、上のも空いている、店内はほぼ満席だが並んでいる人はいない。道も込んでなく順調に12時半に家に帰ってこられた。


 2005年5月5日(木) 知恵熱?もいくぶん下がったようなので気分転換もかねて三連休は京、大阪へ行った。まず昔行ってたいしたことがなかったような記憶がある食博覧会・大阪へ1500円の入場料を払って行った、中ふ頭駅から会場までの道確かに来たことがある。やっぱりつまらなかった、まあアジア麺街道のとこだけの感想だが、サンメッセでもちょこちょこっとやればできる程度のもの、特にうどんとそばは100円に値しない。近所の人が行くにはいいだろうが遠くから交通費を使っていくもんじゃない。つまんないからみんなの記憶が薄れる4年に一度しか開催されないのかもしれない。
 翌日は北野天満宮で北野天神縁起を見た、同時に展示してあった鬼切丸になぜか感動する。近くの名物うどんを食べる、やっぱり太かった、そんなわけで二本しかない、うどんと思わなきゃこれはこれでいい。市バス一日乗車券を使ってたので、天満宮から四条烏丸、祇園経由で東山七条へ向かった。無謀だった。いつものことながら五条坂までは進まない。やっとのことで智積院に着いたらその価値に比例せず人は少なかった、障壁画は当然だが庭もよかった。京博では蕭白展をやっていた、それが狙いなのだが若冲の二番煎じをそんなにしてまで狙わなければならないのだろうか?私は入場者が少なくてもいい昨年の古写経展のようなのをやってもらいたい、でも独立行政法人ではそれも難しいか!
 三日目は忠岡町の正木美術館、小野道風の三体白氏詩巻を見た。時間があったので南海でそのままなんばへ、麺だらけはただのラーメン街になってしまったので寄る気もせず、近くの讃岐うどん店へ。そこそこ流行ってるようだった、でもエッジが立ってないのは麺聖の好みではなかった。この後国宝ウォッチャー??らしく千作、千五郎、七五三演ずる附子を見て、やっぱり空いていたこだまの自由席に乗って帰ってきた。


 2005年5月1日(日) 雪舟、平家納経、ヤマトタケル、勘三郎、相変わらずいろいろなものを見ました、そのせいか月末38度台の知恵熱が4日ほど続きました。連休に遠出するわけにもいかず、宮武の行列を観察しました。香川県庁のASWに対する悪質で稚拙なネガティブキャンペーンの風評被害もおさまったようで3日間とも大行列でした。
 麺聖のもとにも「夢2000を使ったうどん店を教えてください」なんてメールがきますが、うどんは麺を食べるもので粉を食べるものではありません、おいしいうどんはおいしいのです。
 今年に入って4月末まででうどんを県内139玉、県外17玉食べました。


 2005年4月17日(日) 昨日今日といい天気でした。人気うどんやの行列も長く伸びてました。「ブーム」は去ったのでしょうが、うどん人気は定着したと言えるでしょう。
 長年愛用のCE機では受け付けてもらえないサイトが増えたので困ったなあと思っていたのですが、DELLの新聞広告「いついつまで限定何パーセントoff」につられて新しいのを買いました。で週末はデータをコピーなどしておりました。今日の転送はそこからAir-H″で送ってみました。


 2005年4月11日(月) 京都検定2級の私は京都の人と季節を共有しなければならない、と理由を見つけて週末京都に行った。その前に、今元気な名古屋に足を延ばし、ざるきし(川井屋)、味噌煮込みうどん(角丸)、ミラカン(ヨコイ)を食べ麺聖の義務を果たした。万博でなく万博記念の愛知県美術館の「自然をめぐる千年の旅」展を見た。「琴弾宮縁起(観音寺蔵)」の前で「銭形のとこや」、鉄斎の富士山と双の「寒霞渓図(京都国立近代美術館蔵)」の前では「小豆島の寒霞渓ってこんなかったかなあ」と話す人がいる、どうも知名度がないのは香川県って名前だけのような気もする。建物の前に見たような石があった?速水さんの彫刻だった!
 翌日は御所の一般公開に行き左近の桜の方から入るのだと知識を整理し、『サライ』に「五花街のなかでは舞妓の数が一番多い」と書かれていた京おどりの、歌舞伎座より派手な鳴神の大道具と、若くかわいい舞子に感激し、醍醐の桜を見、円山公園の夜の枝垂れ桜で締めくくった。

 宮川町歌舞練場は舞台との距離が近くていい、目障りだったのはストロボを光らし写真を撮っている人たち。届く光量ではない、そのことを馬鹿どもに言っても無駄なのでとりあえずメーカーに注文したい。距離と光量を演算させ無駄な発光を止める設定にして欲しい、AFだから可能と思うが。
 一気に桜が開き、京都はとにかく人が多かった、大渋滞でバスは進まない、地下鉄は乗り場まで深く遠い、路面電車の復活を願う。


 2005年4月6日(水) もしかしておいしくなったかと「ブーム」以後にできたセルフ店の何軒かを再訪しているが、もしかしない店がほとんどである。最近は新規店よりつぶれた店が目立つようにもなった。残念なのはつぶれるのがまずい順ではないことである。
 麺聖の反対にも関わらず、JA香川県の理事長に香川県庁の元農林水産部長がなった。日経の四国経済こだま(4/5付)によると「抜てき」だそうだが、明らかに県庁の焼け太り人事である。「風通しの良い組織にしたい」、「現場に足を運ぶ」と抱負を述べたそうだが、同じような発言を現場を重視しない香川県知事から聞いたことがある。その県庁では大赤字の責任をとらされて部長がみんな辞めさせられたそうだ。でも、一番に責任を感じるべき辞めさせた側の知事、副知事、出納長は居座っている。およそ人間性を疑う三役の方々…じゃなく反対か、厚顔無恥の人間性を疑われるような人たちだからこそ出世できたんだ!
 日経同じ面の四国リポートのサンポートの記事、記者の不勉強さが分かる、「ラーメン店街では早くも1店入れ替え」。良くも悪くもラーメンコンプレックスでの短期間での店舗の入れ替えは業界標準、全国的ラーメンコンプレックスブームの失速、シンボルタワー開業当初の休日の混雑、その他の客の入りの悪さ、そのあたり全国的傾向と固有の現象とがごちゃまぜの考察である。(文化欄は一流なのに)経済誌としては二流で日本経済に間違った指針を与え続けてきた日経らしいが。麺聖はラーメン店街が黒字なら早々に撤退して再構築すべきと思っている。
 朝日の第2香川面の「香川経済こっからイキまい!(4/5付)」 に田尾教授が登場している。ゲリ通がうどんブームを仕掛けました、との問いかけに「ブームを意図したわけではありません」と肩肘張らず答えている。教授生活も3年目に入り自信がついたからでしょうか?


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