このごろ - 過去の部(03年10月〜04年9月) - 

 讃岐うどんがブームになりました。もうピークは過ぎたのでしょうか?まだブームが広がるのでしょうか?変化のスピードは速くなりました、更新の合間に起こったこと、行ったこと、感じたことを少し書こうと思ってます。うどん以外の話のときもあります。なお、このごろに関する麺聖あて(から)のメール、私信を承諾なく公開することがあります。

 もっと昔、2002年11月〜2003年3月はこっち、2003年4月〜2003年9月はこっち、先の方、2004年10月〜2005年3月まではこっち、2005年4月〜2005年12月まではこっち、2006年1月〜2006年6月まではこっち、2006年7月〜2006年9月まではこっち


 2004年9月29日(水) また台風が近づいている。昨日のデイリースポーツには驚いた。巨人中心のビジネスモデルが破綻した今、ポリシーなき縮小再編成はどこかのリストラのように失敗に終わるだろう。全国にオラがチーム、四国にも球団を!が理想だろうが、高速道路が出来るまでは、4県の人が一同に集まるには飛行機で東京か大阪に行く方が便利だった。外から見ると四国は小さくひとつだろうが、案外不便で遠いし仲もよくない。最大のネックは4県あわせても人口400万人余り、と思っていたら、「プロ野球に新リーグ!!四国4県4球団」の文字が踊っていた。各県1チームで香川のチーム名は「香川讃岐ヌードルズ」、デイリー独自予想ではあるが。

 全国各地に続々と出来たフードテーマパーク、ブームは讃岐うどんブームより短命だったようである、不思議なことに「明石ラーメン波止場」は流行っているが、「道頓堀ラーメン大食堂」、「池袋ひかり町ラーメン名作座」等々苦戦している。開業半年の高松拉麺築港、平日の2時過ぎかもしれないが、閑古鳥が鳴いていた。元々オフィスビルのサンポートはシャワー効果、噴水効果やプロムナード効果という複雑な狙いでなく直接の集客を目標にしているのだから、昼時や土、日にしか人が集まらないのなら、それを失敗と言う。もっと深刻なのが、10月で開業1年を迎えるなんばパークスの麺だらけ、土曜の3時頃に全店待ち時間ゼロ、食べている客もほとんどいない、ナムコ自慢のノウハウも通用せず飽きられてしまったようである。南海が球団を手放して、取り組んだ事業がこれだから、近鉄だけじゃなく鉄道会社はどこも経営の才がない。田尾団長に「いつ撤退するん?」と聞いたら、「教えられん」、その口調は真剣に撤退を考えていると見た。

 香川県庁のチェーンメールキャンペーンに関する質問がまた「知事へのメール」に掲載された、きっと真鍋知事の不誠実な態度が香川県への悪評となり、口コミで広がってるのだろう。私は香川県のことを思ってメールを送ったファンをクレーマーのように扱う知事を香川県民の一人として許さない。こんな知事を選んだことを香川県民として恥かしく思う。
 何があっても知事は謝らないようだから、私がお詫びする、心を痛めたうどんファンも多いであろうから。何度も香川県に来てくださってる皆さん、知事に代わって麺聖が謝ります、ごめんさい。メールありがとうございました、ご心配をかけて申し訳ありませんでした、真鍋は「チェーンメール」という言葉は知りませんでした(噂では知事だけでなく香川県庁の幹部の大半は知らなかったらしいし未だに事の重大さに気付いていない)これからはもっと勉強します、見限らずにまた香川県に来てください、そして香川県を全国に、皆さん自身の言葉で紹介してください、お願いします。


 2004年9月19日(日) やっぱり1週間早過ぎた、昨日ならストが見られたのに!松山市で日本うどん学会の第2回全国大会があったので元々無理だったのだが。
 朝8時半善通寺を高速バスで発ち10時半頃松山に着いた。一般店なのに代金先払いの鍋焼きうどんを食べ、石手寺にお参りし、掛け流しなのに何故か塩素で殺菌すると不評の道後温泉に入り、路面電車で大街道に戻り、そうめん&鯛めしを食べ、高速バスで9時前に帰ってきた。
 松山にも鉛筆のような建物が無秩序に建ち、汚く変化しようとしていた。でも路面電車、私鉄、バスなどの公共交通機関は充実していた、松山市をライバル視して、四国の州都を目指し高松市は植民地的合併に突き進んでいるが人口だけでなく、その点でも足下にも及ばない。ビルの間から見える城山や堀端を走る路面電車は美しい、玉藻城の天守閣復元なんかでは醸し出すことはできない、この点では完敗である。
 で学会はどうだった?いい講演があったけど充実した時間ではなかった。短大生はそれなりの発表をしたと評価するが、それとさしてレベルの変わらない先生方のでは学会と呼べない、もっと頑張らなきゃ!でも最近の研究って自分で体験するんじゃなくて、アンケートやネットなどで資料を集めそれをちょこちょこっとまとめただけなのね、資料の発掘は大切だし独創的で的確な分析も悪くはないけど…すべては食べることから始まる、それに尽きると信じる麺聖には少し寂しく感じられた、懇親会は有意義だったのかもしれない、会員じゃない麺聖は遠慮して出席しなかったが。


 2004年9月15日(水) プロ野球のストが延期になって残念だった、歴史に残る出来事が見られたのに!東京では四六時中うどんを食べてるわけじゃないので、時間に余裕がある、何かイベントは?と野球(立ち見であったが)と相撲(2階の椅子席)を予約した、それが11日の土曜日ドームでの巨人−ヤクルト戦だった。というわけで今までプロ野球を見に3回、キャンプへ1回しか行ったことがない私でもスト・合併について述べる権利があると思う。
 楽しみにしていたから、困る人がいるからスト反対なんて意見もあるが、それがストライキの本来の目的だから、反対の理由にしてはいけない。合併は企業の自由である、部外者が口を出すものではない、その意見には賛成である。ただ、こんなたとえはどうだろう。仮に鉄道会社の近鉄が阪神と赤字を理由に合併するのならばそれは自由である。でも路線は簡単に縮小できるのだろうか。それは経営者だけでなく、利用者も含めて議論する問題である。チームも路線と同じである。
 残念なのはファンの行動が署名以外見られず、他人事のようなことである。チームへの応援の意味で今まで以上に球場に足を運ぶ、あるいはチームの消滅を撤回しない経営者への反対の意思表示として意地でも球場には行かない、どちらでもいいはっきりとした行動をとるべきである。
 大差がついた試合だったが、古田選手会長のタイムリーとホームランを見られてよかった。


 2004年9月14日(火) 東村山のあるうどん屋で、開店前薪を割っていた、香川に知り合いがいる旦那さんにそっちのうどんは「堅いでしょ?」と言われた。多分堅さなら武蔵野うどんの方が上だ、讃岐うどんの特徴は粘りというか弾力というか、そこが一番違う。
 週末から月曜にかけて東京に行った。武蔵野うどん3杯、東京の讃岐うどん3杯、その他のうどん、ラーメン、ちゃんこ、カレーライス、牛丼、まぐろ丼各1杯の計12杯食べた。余った時間は、東京国立博物館、東京国立近代美術館、東京ドーム、国技館、築地などに行った。歳を取ってくる?とどうも出不精になるから、まあ一種の転地療法である。いろいろ書きたいことは明日に。


 2004年9月10日(金) 昨日の衆議院でNHKの不祥事を扱う委員会があった。目糞鼻糞の臭いがプンプンするが最近何故かNHKには厳しい朝日は今朝の朝刊で他紙と比較にならないくらい大きく扱った。
 今夏に開かれた特別展「プロジェクトX21」で、番組で取り上げた企業から協賛金(広告費)を募ったことが明らかになった。思い出して欲しい、夢2000を取り上げたプロXではメインゲストは開発者でなくさぬき麺業だった。あの不自然さには理由があったのだ、協賛金を得られやすい番組作り、なかなか商売上手である、受信料なんか必要ない?


 2004年9月7日(火) 今週も台風だ。先週の台風では我が家も木の枝が曲がり、瓦が飛ばされた。香川県は災害が少ないと私たちは過信していたようである。
 週末は最後の18きっぷを使い大阪、京都へ行った。大阪市立美術館で「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝」を見たあと、阿倍野の近鉄の四国物産展に寄った。物販で参加していた日の出の若大将が「ブームが去ったのをひしひし感じる」と言ってたが、うどん茶屋(白川)の行列も昨年に比べるとないに等しいものだった。
 やはり毎日食べている人達に目を向けない、ブームに便乗し自分たちの利益だけを考えて税金をつぎ込んだ県庁、農協、業界の夢2000振興策は落ち目のブームに効果はなかったようである。これからの讃岐うどんを考えるとき、田尾団長の若手職人のネットワーク作りも必要であろう。麺聖はそんな大それた事はできない、これからもおいしいうどんを食べ続ける、単純だがそれが讃岐うどんの今後につながるはずである。


 2004年8月30日(月) 昨日の四国「論点香川」は田尾先生の『モノ改革の可能性 お土産革新のチャンスだ』だった、田尾先生の結論に異を唱えるつもりはないが、説明に用いたうどんの解釈はいささか大胆すぎたようである、日本うどん学会のような素人向けならいいが、プロの客が多い四国の読者相手にはしっかりとした裏付けが必要だと思う。
 まず、今ブームのうどん店は「うどん」、「大・中・小」の商品構成で堂々と勝負している。ネーミングに凝るのが重要としても金科玉条のごとき位置付けは、うどんを例に引くのであれば間違っている。
 次に「店のブームの次はモノ(お土産)のブームだとは思っていた」これは悪い冗談である。店がブームになった、それはうどんそのものが評価されたことによる。麺聖はその実力から、お土産うどんがブームになってはならないと考える。仮になったら、誤解によるブームであり、客に対して申し訳なく思ってしまう。
 讃岐うどんがおいしい、じゃお土産うどんもおいしい、決して演繹されるものではない。全国と戦うにおいて店で食べるうどんが横綱ならお土産うどんはやっと十両である。嘘から出た真事になって欲しいと願っているが、まだまだブームに値するレベルではない。
 私はよその土地に行ったとき、その土地に住んでる人たちが、使ったり、食べたりする物を買って帰る。うどんや巡りをする人の間では、いわゆるお土産うどんでなく、パッケージデザインもネーミングもないパック詰めの生うどんを求める動きもあると聞いた。今の時代、お土産というジャンル自体の革新が必要なのでは!と思ってしまう。 


 2004年8月27日(金)  昨日の日経の四国経済に、さぬき麺業のセルフ特化店が開店(予定)との記事があった。好意的に見れば食べさせる店の重要性を再認識したと見えるが、穿った見方だとあまりの既存店の低迷のための苦肉のテコ入れ策の一つに見える。昨今のうどんブームで、かな泉にしろ、さぬき麺業にしろ儲けになるお土産うどんに力を入れすぎたためか店は手を抜いていると見ていた。麺聖の理想とするうどん屋とかけ離れた普段食べるには高く、お客を連れて行くには陳腐な、とても老舗の、かっての功績に値する店舗とは思えなかった。今回の展開がたとえブーム便乗であっても、その名に値する店であれば歓迎しよう。

 しつこいように触れるがチェーンメールの知事の回答、あれを読んで私は豊島問題を連想した。「産廃は有価物」と解釈し、「官は間違わない!」と主張した。あのときの真鍋君の涙はウソ泣きだったのか?


 2004年8月23日(月) うどんブームが去ったというのはどこの話というくらいの開店ラッシュである。週末は18きっぷで県外にいることが多かったので、昨日一昨日と久しぶりに県内のうどん店巡りをした。5月24日の更新時に1070軒掲載してから、本格更新のときにと掲載していない店がもう20軒近くになっている。

 香川県庁のチェーンメールキャンペーンに対する再質問と再回答が「知事へのメール」に掲載されていた。知事メールの偽善性が現れた好例だと思う。「チェーンメールという概念とそれがネットで禁止されていることを知りませんでした」と認めて謝ればいいものを、体裁を取り繕おうとするから、ますます状況が悪くなる典型である。こういう姿勢で多くの企業がつぶれているのを知事はどうお考えなのだろうか?チェーンメール運動は無知から生じたことであり今のところ実害は生じていないようなので、(そうであっても私はしかるべきポストの人が責任をとるべき誤りだったと思うが)、不祥事とは言えないのかもしれない、でもそれを隠そうとする姿勢は明らかに批判されるべき行動である。いつもは行政の揚げ足とりをするマスメディアもキャンペーンの提灯持ちをした関係からか(無知でことの重大さが分かってないのだろうが)沈黙している、立つんだ県政記者の諸君!
 香川県庁がお作りになった行動指針に「原則公開を徹底し、悪いことこそオープンにして」ってあるが建て前にすぎず、本気で実行してはいけないのですよね、真鍋さん!


 2004年8月20日(金) 昨日不愉快なことがあった、うどんの話ではない。私が契約しているD一生命の生保レディが、いい保険があります!と都合も聞かず設計書を持ってやってきた。私の保険は予定利率が高い時代の(保険料不変、55歳払い込み終了の)終身保険である。少なくとも彼女は私の家庭状況も財産も知らない、どうして設計ができるのだろうか?まさに顧客のためでなく生保会社の都合による逆ざや解消のための転換の勧めである。まあうどんの世界でも顧客を無視した県庁主導の農協と業界のための夢2000推進プロジェクトもあるから人のことは言えないけど。
 D一生命さんも生保レディを使って不誠実な営業をさせるのをそろそろ止めて、顧客のための人生設計が出来る営業員を養成し、且つ顧客に配当が支払えるような一人前の機関投資家に育って欲しいものである!


 2004年8月12日(木) 最近、釜かけうどんなるメニューを複数の新規店で見かけたが、本当に店の人はおいしいと思ってるのだろうか?麺聖は水で締めた直後の麺が一番おいしいと信じているのだが…差別化のためとはいえ店も大変なことである、でもセルフなのに客をむやみに待たせたり、かけを釜かけと偽ったりするくらいなら止める方がいい!


 2004年8月9日(月) 週末は熊本県と大分県へドライブしました。阿蘇山では火山ガス(亜硫酸ガス)の濃度が高く、駐車場から火口までのわずかな距離が遠く感じました。やっとの思いでたどり着いたとき、サイレンが鳴り響き強制退去となりました。お土産を売っていたおばさんは平然としてたのですが、ぜん息も気管支の疾患もなく心臓も体調もいい私ですが、気持ちはよくなかったです、でも名物だご汁と馬刺しですぐに元気回復しました。だご汁はその名のとおり線状でなく団子でした。
 宿泊した天ヶ瀬の湯はよかったです。昔はラーメンを食べただけの湯布院にも1時間ほど立ち寄りましたが、もてはやされる理由はさっぱり分かりませんでした。どうも貧乏人には関係のないところのようです。


 2004年7月31日(土) 東から西へ進む台風10号が通過中で四国はほとんど孤島状態である。本四架橋3本は無駄だったとよく言われるが確かに1本くらいはトンネルにしとくべきだった。元々雨量の少ないところに作った早明浦ダムの貯水率もきっと上がるだろう。うどん屋も休業した10年前の大渇水時に一息尽かせたのも、お盆に東から西へと進んだ台風14号だった。でも台風ってあんな遠くから自転車程度の速度で、よく来られるもんだと妙な感心をした。
 この春オープンしたばかりでマスメディアにも取り上げられている2軒の店に行ってきた(3回目)。最初の2回あんまりと感じた店は3回目にこれはと思うくらいおいしくなったが、最初の2回まあまあいいと思った店は3回目ははっきりまずくなっていた。後者の彼が手を抜いたわけではあるまい、多分方向性が分からなくなって悩んでいるのだと思う。早めに師匠に相談すればいいのだが…。
 今回のうどんブームの最大の遺産は若い人がこの業界に参入したことである。ブームは一方で開店間もない店もメディアに露出させることになった。四季を経験させ、昔ながらの口コミで評判が広がるのを待ちつつ、せめて一年じっくり育てるのが店とうどんのためになる。スピードが要求され消耗も速いIT社会と決別してゆるーく生きるのがうどんと香川県にとって相応しい、そんな選択肢もきっとある。


 2004年7月26日(月) 週末、神戸でフェルメールの『画家のアトリエ』を、奈良で「黄金の国・新羅」を見て来た。なんばの麺だらけにも寄ったが、昼時最大15分待ち程度と客が少ない、もう飽きられてしまったのだろうか?イベント店で営業しているそうめん茶屋も場当たり的な感じで且つ手順も悪いし、このあたりが限界か?
 実は一昨日、昨日はサンポートで、さぬきの夢2000物語フェアの一環の「『さぬきうどん』なんでも質問教室」があったんだが、夢2000の信奉者たちと議論するのも一般の人たちに迷惑だし、どう考えても麺聖は招かれざる客なので欠席した。でもなぜここまで強引に押し進めるのか?県庁の行動指針の「県民本位」って、(住専問題で農協を救済した元農水官僚の真鍋知事だから)業界・農協の視線で考えるってことなのだろうか?麺聖も県民税を納めている県民なんだけど!反対論者の意見は聞いてくれないのかなぁ?
 そう言えば県庁とマスメディアのIT音痴がばれてしまった例の口コミキャンペーンに対する「知事へのメール」の回答が香川県庁のホームページに掲載されていた。提言が理路整然とし優しさにあふれた格調高い文章なのに対し残念ながら知事の回答は理論的でない哀れで姑息な言いのがれに過ぎなかった。これも行動指針の「悪いことこそオープンにして」が空しく見える、改革は素直に誤りを認めることから始まるんじゃないんですかね?


 2004年7月18日(日) 香川県人は県外のうどん店には厳しいが、県内のうどん店に対する許容範囲は広い。S級の店で食べた翌日に、社員食堂の製麺所から仕入れたどうしようもない数時間物を食べている姿をよく見かける。でも店はそれに甘えず、何が客にとって一番のサービスか考えて欲しい。最近のプロ野球の合併問題でのオーナーの姿がうどんが衰退していたころの業界人や文化人のと重なって見える。それなりに経営者は努力はしていたのだろうが、結果に結びつかず、斜陽産業になっている。プロ野球の場合は加えて地域独占の鉄道会社や宅配に支えられた新聞社のトップという企業家でないオーナーの存在自体がマイナスに作用しているのだが。
 うどんブームは今でこそお土産うどんや冷凍うどんそれに店のおばちゃんとのふれ合い等々まで拡大解釈されているが、元々は出来立てのおいしいうどんを食べたいという素朴な客の行動であった(ウソのような話であるが少し前までは釜上げでないと出来立ての麺は食べられないことが多かった、それゆえ釜上げがもてはやされた。今では水で締めたばかりの麺が食べられる店が多いのであえて釜上げを選ぶ必要はなくなった。)。業界は、長年にわたって多店舗化、新メニューの開発、おしゃれな店づくりなど客を呼ぼうと努力をしてきたが実を結ばず、高齢で廃業するところも相次ぎ衰退への道をたどっていた。ブームの当初には努力していないような(実際は新鮮な麺を食べさせるという単純なそして最大のサービスを提供していた)製麺所がもてはやされることへの業界の反発もあったようだが、今では果実を取り込むべくさぬきの夢2000のブランド化を目指している、まぁどこまで客の側に立っているか怪しいものであるが。
 プロジェクトXでも、放送後に殺到した(らしい)?夢2000への問い合わせにそんな大した物ではないと誤解を解く必要はあるんだろうけど、それは置いとくとして、別府君が放送前(「さぬきうどん 食べ、歩き」6月29日のTopics)に「2004年度産の収穫が終わって出回る前の端境期のこの時期に注目が集まるってのは、タイミングが悪いと思うんですけどね」と指摘したように、業界や香川県庁が真剣に客のことを考えていたのなら(香川県知事さんなら「現場主義」と言うのだと思うが)、NHKさんに放送日の変更を申し入れてたことだろう。 


 2004年7月7日(水) 馥郁(ふくいく)たる小麦の香り。麺聖は疑問に思っていた。プロジェクトX、答えてくれなかった。延々さぬき麺業のコマーシャル・メッセージが流れた。それで終わりだった。
 
 麺聖はASWで作ったうどんを毎日でも食べられるし、何杯でも食べられる。国産小麦の香りは分からないし懐かしさも感じない、昨日のプロジェクトX「さぬきうどん 至高のうまさとは」はその辺に何も答えてくれなかった。一定以上の粉なら、うどんの味の良し悪しは腕の差によるところが大きい。番組にあった夢2000の好アンケート結果も、質問に誘導された点を別にすれば、さぬき麺業の香川さんが言うように「香川県の人たちは非常にうどんの味を知っている」から、普段店が食べさせていたちょっと手を抜いたうどんでなく、難しい小麦だからと丁寧に作ったうどんを本物だと感じ「客の顔に笑顔が広がった」ように見えた。
 


 2004年7月4日(日) 昨日、本屋で、RSK石原ディレクターの『必食!岡山ラーメン さぬきうどん(ソウルノート)』を、ちらっと立ち読みした。 麺聖はほとんどのうどんの本を購入してきたが、ブーム以後露出が多くなるにつれ、資料的価値があるか突っ込むときに限り買うようになった。で田尾団長の『恐るべきさぬきうどん第5巻(ホットカプセル)』も『超麺通団(西日本出版社)』も買ってなかった、今回買わないで批評するのもマナーに反しそうなので、3冊まとめて買ってきた。

 ほめ言葉は他人同士が言い合うものだそうである、うどんがブームになる前のVOICE21に出演したうどん喰いの仲間として言わしてもらうが、目新しさを出そうと努力はしているが残念ながら便乗本の域をでていない。石原Dは『必食!』で何を伝えたかったのだろうか?初期のVOICE21からは、おいしいうどんをみんなに知らせたいという純粋さや意気込みが伝わってきたが、最近の番組はうどんなら視聴率がとれるから作るそんな雰囲気が感じられる、この本からもそんな下心が見えてくる。
 我が『うどんグルメの旅』はうどん屋の点数付けのコピー紙から始まった。うどんは食べるものである、情報を集め発信し満足すべきものでもない。好みはいろいろある、でもまずいものはまずい、おいしいものはおいしいのである。それは明らかにすべきである。それがうどんのためである。一方田尾団長は『超』のあとがきに「団長のスタンスはそういうことなのである。『讃岐うどんの周りで遊ぶ』である。うどん屋にランクをつけることでもなければ、『これが讃岐うどんだ』とかいう定義をすることでもない。ましてや『あそこのうどんはまずい』とか『あそこのうどんは落ちた』などと批判をすることでもない。だって、批判をしても誰も喜ばないしおもしろくもないし、第一、何もおもしろいこと(遊びのネタ)が生まれないんだもの。」、食べる側から転向してしまったようだが、麺聖はネタのためにうどんを食べているのではない、おいしいうどんを食べたいのだ、喜ばれなくても、おもしろくなくてもそして辛くても、努力しない店、まずい店は退場させるべきである、食べる側からの健全な批判からおいしいうどんが生まれてくる。
 石原Dの『必食!』への田尾団長の特別寄稿「あれから10数年、お互いうどんにはまってちょっと学習して、アプローチの手法が変わってきましたね。石原さん、取材派のディレクターだから讃岐うどんの技術や歴史や人間模様に正攻法でアプローチし始めて、しっかり『識者』の王道を歩き始めたという感じがする。」とある。
 
 最近の讃岐うどんを取り巻く状況は、ブーム以前の不遇のときと似ている、教条主義を排除し、せっかく我々うどん喰いの手に取り戻したうどんを行政、業界、マスメディアがこぞって悪用している、麺聖はそう感じ敢えてうどん喰いの一人としてうどん喰いの側からの苦言、提言を積極的に発信している。いろいろなアプローチ、方向性があっていいだろうが、おいしいうどんを食べ感動し、みんなに知らせたい、もっとおいしいうどんはないかと探した、立場は違えど、そんな初心はいつまでも忘れないでいて欲しい、麺聖はそう願っている、そしてそれが王道であると信じている。


 2004年7月2日(金) 昨日?うどんの日!は今日でいいのかな?
 麺聖はさぬきの夢2000を否定している。開発段階での評価も低く、やっとASWの背中が見えた程度の未完成品を、自らは何も貢献しなかった棚ぼたのうどんブームに便乗しブランド化しようと目論む香川県庁、農協、業界の戦略はうどん喰いのためにならないのは勿論、今後もASWを目標に県産小麦の開発を進めるのであればマイナスになるだけと反対している。こんな麺聖の意見と理解し以下読んで欲しい。

 プロジェクトX(NHK7月6日放送予定第149回「さぬきうどん 至高のうまさとは 」)にさぬきの夢2000が取り上げられると聞いて、麺聖は耳を疑った。プロジェクトXは確か成功物語だったはず、夢2000に目新しい技術はないし、全国どこでも小麦の開発はやっている、粉は競争に参加したという程度(そのこと自体はオリンピックに参加するくらいすばらしいこと)だし、開発行為そのものの評価は未定である。プロジェクトXもネタ切れになったんか、いや感動して見てたのは、つまらんネタを大げさに描いたんにだまされてたんや、ブームに悪のりするとはNHKも終わったな、等々考えた。プロジェクトXに取り上げられたことが夢2000の不幸を象徴している。いわゆるブームは夢2000に関係なくおこった。夢2000によってうどんがおいしくなった事実はない。なのにブームの最中に登場した夢2000は、これからが大切な時期に業界や行政によって「究極の小麦」という実力からかけ離れた肩書きとブランド化という使命を与えられてしまった。そもそもブームに値するうどんは店で食べるうどんだけであるが、ブランド化が目指しているのは、少し劣る乾麺、半生麺の全国への拡大である。差別化という一部業界の要望も、今のままの力がない粉で製品を作り流通させることは、長い目で見ると客が離れる恐れを孕んでいる。

 今回は、議論を複雑化しないため自給率のことにはふれない。安全性も国内産、外国産にかかわらず要求されるべきものなのでふれない。開発費用は我々の税金で賄われているが、県民として費用と効果の説明を受け承認を与えた覚えはないがそのことにもふれない。もちろん個々の研究者・農家の努力・誠実さや名誉にケチをつけるものでないことは理解していただきたい。

 NHKのホームページのプロジェクトXの予告はかなり情緒的(Yahoo!テレビの方が簡潔)、こんな調子で番組が作られたら、うそではないけど大げさ、まぎらわしいものになる、頼むから客観的事実を積み上げていって欲しい。
 麺聖が気になった点を3点ほどあげる。まず「長雨が収穫時期の6月に続き、小麦は壊滅する」、6月は梅雨である雨が降るものである、播種、収穫に関わらず小麦の出来が天候に左右されるの昔も今も同じ、夢2000は特にこの点の解決を図っているのだろうか?
 次に「オーストラリア産の小麦だった。この小麦は、うどん用に極めて適していた」とさらりと書いてあるが、オーストラリアはさぬきうどんを研究し理想的な小麦を作ったのである、偶然でもたまたまでもない、そこにはプロジェクトXになるくらいの物語があったはずである。
 最後に「『香り高く、しかもオーストラリア産に負けない品質の、県独自の小麦を開発して欲しい』うどん職人は組合を通じ県に要望書を出す。その熱意はやがて県を動かした。」要望はあくまで職人からであって、常日頃うどんを食べているうどん喰いの声ではない。そもそも夢2000は昔の小麦の復元ではなく新品種である。香りが必要なら、オーストラリア産を香りが高いブレンドに変更してもらう選択肢もあるはずだが…。麺聖が言うことは何にも聞いてくれないけど、業界の言うことはよく聞くのね、香川県庁さんって。
 これらの点をNHKがどう解釈し描いているかが楽しみである、ブームをなぞり、これからが正念場の(香りで従来の国産小麦より劣り、腰でASWより劣る)県産小麦がただ出来てよかったなんて平凡なエンディングだったら麺聖は許さない。 


 2004年6月27日(日) 昨日、京都国立博物館の噴水の前で知り合いにばったり会った。香川県内でもめったに会わないのに…彼は元々文化財の専門家、偶然ではないか。「いやし」を求めてと彼は謙遜していたが、休日にもかかわらず熱心なことである。
 たびたび「このごろ」でも香川県庁の無駄使いの象徴と書いた東山魁夷美術館に彼が関わっていると聞き、ついプリント美術館と悪口を言ったが、彼のように第一線で働いている人たちの誠意と努力と能力では解決しない問題だから、嫌味を述べたことを反省した。そういえば彼には昔、松平の殿の相続対策で県庁が歴史博物館を建てたときにも苦情を言った覚えがある。
 こういうのは末端をいじめても駄目なんだよな、そうトップを追求しないと!ところでチェーンメールで香川県と香川県民の信用を失墜させた責を香川県庁のトップが取ったという声が聞こえてこないがどうなってるのでしょうか?県庁内で問題提起すらされていないのなら、県庁も終わりですね!記者クラブも何のためにあるのかな?向こう傷と言うにはあまりに無知でお粗末な、質として悪く重いIT社会では追放に値する行為だったと思うのですがねぇ?私用メールやサイトの閲覧のような軽微な罪を追求する暇があったらちゃんとお仕事してね!


 2004年6月23日(水) 昨日四国新聞を見てると香川県議会(本会議)でのこんな質問が載っていた「本当のさぬきうどんが味わえる拠点を設けよ。」。新聞の要旨が間違ってるといけないので議員の名は伏せるが、東讃の議員だったから本当のさぬきうどんはご存じないはずだが、拠点とは箱もののことだろうか?それでうどんがおいしくなるものでもあるまいし。サンポート、東山魁夷美術館と無駄な箱ものが大好きな真鍋知事が、はぐらかして答えたのは学習効果のあらわれかな、まあ作りたいけど金がない、が本音だろうが。

 昨日県庁で「さぬきの夢2000推進プロジェクト」検討会があったそうだが、メンバーは農協と業界関係者がほとんど、25人のうち消費者は1人だけ。学識経験者を入れて権威付けてもねぇー?夢2000の目指す方向が見えた、我々うどん喰いのためのものでないことは明らかなようだ。


 2004年6月20日(日) 昨日本屋に行ったら、はなまるの前田社長の「はなまるうどん」激安商売術(講談社)、が平積みされていた。いわゆる勝てば官軍物語だが、はなまるが吉野家の傘下に入った今となってはいささか哀愁も感じられる。吉野家のノウハウを求めてと説明されているグループ入りの理由も、株主の目から見ても子会社の運営が上手でない吉野家、本音はブランド力と財務力に頼る寄らば大樹のかげだと思う。
 「攻めを貫くめりけんや(香川経済レポート2004/6/15)」に、めりけんやの社長が「危惧した通りになった−。百円で売ったのでは採算はとれないのが当たり前。ましてや多店舗展開はうまくいくはずがない。」と自分とこ以外の各社の首都圏出店ブームがわずか1年半で頓挫したことに憤りを表している。ブームが1年半も続いたのは気まぐれな消費者を考慮すると驚きに値する。そもそも「はなまる」と「めりけんや」どちらもブーム便乗組(東京ではともにブームの先頭に立ってきたが)であることに違いはないし、顧客満足度では圧倒的に100円のはなまるの勝ちだと思うのだが…(ここだけの話田尾団長はめりけんや恵比寿店があの味で成功したならば自分も店を出すと本当に新宿に出店した)、めりけんや社長のことばも「溺れた犬は叩け」に聞こえてくる?
 麺聖は、東京のセルフ店はビジネスとして(そのこと自体が悪いわけでない)さぬき風うどんは追求しているが、まだまださぬきうどんを追求できていないと思う。いろいろな方向があっていいとは思うが「さぬき風うどんでも行く?」から「さぬきうどんに行く!」へ、ここまで求めるのは「願望」しすぎ?


 2004年6月17日(木) 2004年上半期日経MJヒット商品番付の西の横綱は『世界の中心で、愛をさけぶ』だそうだが、一気に読めたり、泣けるのは、安っぽい小説への感想になるが…。真鍋香川県知事は、県庁職員や県民に県庁が作成した宣伝文をコピーさせて、「お友達などに転送していただき、またそのお友達にも誰かに転送していただく」迷惑行為を「今回の試みは、最近のIT社会での新しい口コミ大作戦で、県民の皆様のネットワークをお借りし、みんなで全国へ向けてふるさと香川の情報を伝えようとするものです。(6月7日の知事記者会見:県庁のホームページから)」と全世界へふるさと香川のIT音痴を伝えてしまった。明かに口コミの意味を間違っている。多分ロケの誘致も知事にとっては「箱もの」を「映画」に置き換えただけなんだろうが、マスメディアは無能だからそのあたりの追求ができず浮かれている。知事はいわゆるうどんブームからブームの虚の部分だけを学んだようだ。
 私は椅子に長時間座る習慣がないので映画を見ることはないが、片山恭一さんの原作は話の種に読んだ。酷評されるほど悪い小説ではない。まだ行ったことがない宇和島の城下町をはっきりと感じた。中盤の理屈っぽさ、取って付けた終わり方等々を除いて再編集すれば、つたない文章も効果的な青春小説の傑作になる?と思った。
 でも何故ベストセラーなのに貶されるのかと調べていたら「柴咲コウも泣いた!世界の中心で、愛をさけぶに注目 (All About Japanよくわかるマーケティング2004/04/30)」に「顧客満足度は、事前の顧客の期待値に影響されます。」、なるほどね、気体!に胸を膨らましすぎて、食べてみたら、思ってたほどじゃないうどんと感じてしまったのね!


 2004年6月14日(月) 週末、マイルを使ってタダで東京に行って来た。心配された台風も影響なかったし、雨にもあわなかった。武者修行の旅では狙ったように台風や悪天候の予報に当たるが、結果的にはそこそこということが多い。波照間島へ行ったときも曇りで南十字は見えなかったが 、南極老人星(と信じている)を見た。運が悪い方だと思っていたが、そこそこいい方なのかも…。
 目的はいつまでもたどり着かない「武者修行の旅」での武蔵野うどんの取材。スカな脚本で可哀想な香川県出身の藤澤恵麻さんも「スタジオ日記 天花(東京新聞2004/06/12)」に「『東京にもこんなおいしいうどんがあったのか』と驚きました」と書いてあるように、何時来るかと見守っているが、ブームになったという話はまだ聞こえてこない。触感がモグモグで、ツルツルとリズムに乗って食べられない。それゆえよく噛んで食べるからすぐお腹一杯になる、その上腹持ちが後までこたえるほどいい、讃岐うどんのように武蔵野うどんがブームにならないのは、はしごができないことも理由の一つかと思う。
 でもある有名なお店でざる(簀)にラップを敷いてその上にうどんを載せていたのは興ざめだったなぁ。


 2004年6月7日(月) 昨日の朝刊に善通寺商工会議所の「創業塾」の折り込みチラシがあった。「こうして讃岐うどんは仕掛けられた!うどんブームの秘密は何か?ブームの仕掛け人が語る情報は加工して発信してこそ人を動かすことができる」と田尾教授が講義するそうである。ところでうどんっていつ、誰に、どのように仕掛けられたの?ブームの裏にそんなことがあったなんて、よく分からない麺聖は、ちょっと団長の語録を振り返った。

 「取材を重ねるうちに、さぬきうどんの店は観光客の来るうどん店と生活者のためのうどん゛屋″に大別されるのではないかという考えが浮上してきたのである。そしてこれまで、その『生活者のうどん屋』を紹介してきた全国的メディアは皆無に近かったのである(『恐るべき』第1巻1993)」、当然ながら、団長も初めから、ディープなうどん屋の全容をつかんで発信していた訳ではない、山越だって『ゲリラうどん通ごっこ』連載後に偶然発見している。
 「いやあ、まさかこんな展開になるなんて。単行本にするときも、売れる、売れんで議論が分かれたくらいですから(四国新聞1999.5.17追跡)」、この団長の言葉は控えめではなく本心と思う、つまり少なくとも『恐るべき』出版までは仕掛けてはなかったと言えよう。
 「『近年の讃岐うどんブームの要因は何か』という質問をよく受けるのであるが、最大の要因は『うどん店がおもしろいからである』」(四国新聞2002.6.9論点香川)」、要するに仕掛けより素材、百歩譲って素材の見極めが大切なのである。
 
 やはりそんなことはなかった、最近の団長の「讃岐うどんブームを仕掛けた」説は後知恵によるものである(たとえ計画的に仕掛けなかったとしてもそのことが団長の実績を下げるものではないと考えるが)。みんなで、もう一度「腹減ったけんうまいうどん食いたいがー。(『恐るべき』での麺通団のポリシー)に戻りませんか!


 2004年6月4日(金) 昨日の「どっちの料理ショー 讃岐釜玉うどんvs沖縄名物ソーキそば」、一応沖縄の岸本食堂でも食べたことのある麺聖は、沖縄そばと讃岐うどんって対極にあるのでなく、店のたたずまい、客と店との関係なんかほとんど重なりあってると思っている。沖縄そばの麺にもいろいろあってラーメンに似ているのからうどんの麺にそっくりなのまで幅広い、縁側に座ってのどかな景色のなかで、うどんに似た麺を魚系のだしで食べながら、おばー相手に会話すると、ゆっくりとときは流れ、そこはもう讃岐うどんワールド!麺聖の個人的意見ではあるが。
 でも釜玉が讃岐うどんを代表しないように、ソーキそばも沖縄そばを代表するもんではないと思いますが?

 香川県庁が、「もっと『かがやくけん、かがわけん』口コミ大作戦」=県職員をはじめ、県民が一丸となってメールを知り合いに送る、を行うそうだ。こういうのってチェーンメール(=ネット版不幸の手紙=「このメールを何人かに転送して下さい」とメール内容の転送を要請するメール)とよばれ、内容の真・偽、善・悪に関わらずネットワークやメールサーバーに過剰な負荷をかけるためネット社会では禁止されていると思ってたが?提灯持ちの四国、読売の朝刊やNHKは今日、好意的に報道してた、まあ彼らの能力では、ネット上の迷惑には思い至らないと納得。
 私なんか、チェーンメールを受け取ったら、送信者をネット社会の迷惑人として、今後の付き合いを考え直すけれど!うれしく思う人って多いんでしょうか、皆さんはどっち? 


 2004年6月1日(火) 以前うどん博物館についての相談を受けてから、ラーメン等のコンプレックスを意識して訪ねるようにしている。この日曜日もなんば麺だらけに行った、昼時でも最高30分待ちに過ぎなかった。回転の違いもあるかもしれないが、新横浜ラーメン博物館は他に何にもないところなのに人であふれている、なんばが交通の要衝ということから考えても背後地人口だけでは説明しきれないものがある。
 ということで、日曜日のBS、うどんだけを目的に香川県に来る人が多数いることに満足すべきであろうし、県外人の視点を意識していたとき、うどんは衰退し続けていたことを思い出すべきである、まあ批評しないのが武士の情けというものであろうが。
 ところで団長日記の5月30日付け、ちょっとした誤解を招いているので(サイトにメールと思ったが分からなかったので)補足しておこう。「葬式なんか、うどんは『長く後を引く』ということで絶対食べないもの。法事も7年過ぎるまで、同じ理由でうどんを出さないもの。」と団長は書くが、我が家では少なくとも一周忌と三回忌にうどんを食べた、うちだけが非常識だったのか?と思ったが、うどん屋も坊さんも親戚も不思議がってはいなかった。ネットで検索すると三回忌にうどんを食べた話がうち以外にあった、なになに浄土真宗で法事が長い、そうそう三部経を読むから合間にうどんでも食べんと、うちも浄土真宗だし、もしやと。
 いろいろ(本をどこに置いたか)探して『讃岐うどん物語』を発見、岩本仟子さんが「仏事とうどん」の題で書いてあった、「例えば浄土真宗では葬儀の仕上げの日(葬儀の日から七日目)からうどんを出す。そしてムカワレ、三年、七年、一三年、一七年、二五年、三三年、トイアゲの五〇年の年忌までの仏事の会食にうどんを出す。しかし、真言宗・天台宗では三年までは不幸が続かないようにとうどんをださない。現在私の生活している善通寺市では仏事には宗派に関係なくうどんを饗するところが多い。」、 ところでうどんを食べる習慣はいつの頃から?うちの父は昭和12,3年頃に財田の法事で食べた記憶があるそうである、前日の夜からうどんを納屋で打っていたそうである、とすると葬式にうどんを食べないのは、出したくても、忙しくてうどんを打つことが物理的に不可能だった名残かもしれない? 


 2004年5月30日(日)  『大阪の常識 東京の非常識(近藤勝重著 幻冬舎)』(今大阪では売れているらしい)を立ち読みしてたら、最近関東の学生さんが、大阪へ遊びに行き、いろいろな大阪の味を食べてきたが、うどんは食べてこなかった。理由を尋ねるとうどんの本場は讃岐だと答えた、それで著者が大阪のうどんの方が歴史があるのと嘆くところがあった。これってメディアの影響もあろうが、だしを追求した大阪と麺を追求した香川の違いが香川有利に現れてるのだと思う。

 ところで昨日の日経・四国経済「潮風」の「伐採された市民の声」を読んだ。栗林公園の樹木伐採を扱っている。この中の市民ってことばの使い方何度読んでも違和感がある(なぜ一部であろう市民を全体のように使うのか?と市民=高松市民か?)。それはまあ置いとくとして、歴史を持つもの、成長するものあるいは退化するものをいつの時代の状態に保つかは難しい、反発した市民だけでなく旧高松藩領の市民及び町民の間で大いに議論していただいたらと思う(そうそう玉藻城の天守閣復元についても是非の議論忘れずにしてネ)。
 勇み足と感じたのが、比較にあげた金刀比羅宮の新社務所建設の例、小普陀(栗林公園)=県栗林公園事務所=悪、新社務所=金刀比羅宮=善と結論付けているがそんなに単純なことだろうか、私には、記者が単純過ぎて大切なことに思い至らなかったと解釈した。
 自然いっぱいの琴平山に構造物を作る影響と元々人工の栗林公園の木の伐採、明らかに琴平山の歴史的及び自然景観への影響の方が大きいと思うけど?こんなのを木を見て森を見ずって言うんじゃなかった?そこを検証したのち善悪を付けてたのなら記者さんメールください、訂正し紹介しますから。


 2004年5月28日(金)  最近、NHKでしつこいくらい「おーい、ニッポン 私の・好きな・香川県」の番組宣伝がある。あいにく日曜日は用事、録画と思ったが、BSか、それに時間も長すぎるし、後でコンパクトにした一般放送も作ってネ!
 あちこちで話題になってるのが、NHKのうどんへの理解のなさ、「讃岐うどん発祥の地といわれる綾歌町(おーいのページのみどころから)」(新説ですか?)とか、「讃岐うどんの本場、香川県。県民がお店で食べる人気メニューNo.1は?(BSのトップページから)」のクイズなど、うどんを客寄せパンダとしか思っていない。
 「とことんプロジェクト」では県庁や観光協会の弱みにつけ込んだ「今こそ、うどんに続く新たな香川の魅力を打ち出さなくてはならないのだ!」、どうしてなの?過去を見ればこの考えがうどんの衰退を招いたことに気付かないの?素人の無知をいいことに協力を迫り番組を作るNHKが阿漕に見える。麺聖はうどんがある香川県はすばらしい!だからこそ、うどんを常日頃食べている者がこれからもおいいしいうどんを食べ続けられなければならないと主張してきた。県外からどう評価されようと、魅力的かどうかに関わらず我々はうどんを愛し食べ続けてきた、ブームと呼ぶとしてもたまたま結果として全国的競争力があっただけである、特定の誰かが発見したり、仕掛けたような薄っぺらいものではない。そんな視点に立つと、県民が見向きもしない、視聴率目当てに県外から見つめ直される、魅力なんて、しょせんお遊びになる。
 NHKには、麺聖の考えが杞憂になるような、プロの仕事を見せて(見られないけど)欲しい!それと香川県知事さん、単に長時間放送しただけなら感謝状なんか送らないでね!


 2004年5月25日(火)  昨日、中讃に比較的新しく出来たうどん屋に行った。釜だしかけ(だったと思う)なるお品書きがあったので、頼んでみたら、目の前のせいろに並んだ玉をテボで温め直し、出汁をかけ、ハイ釜だしかけと出てきた。おばさんそれは普通かけと言いますが?
 うどん屋の大将やおばさんの愛想の良さとか、人の良さがうどん屋を誉めるポイントになっています、それが不必要とは言いませんが、プロのうどん屋というのは、いつでも、誰にでも同じ物を提供できることと思います。興ざめしましたが、味は悪くなかったと思います、考え直して欲しいです。


 2004年5月24日(月)  昨日も徳島へ行った、初めのころはジャンパーを着て出かけていたのに、いつの間にか半袖の季節、まさに老い易く学成り難しである。でも、よ〜く数えてみたらラーメン24軒、鳴門うどん10軒、讃岐系うどん7軒、その他4軒で食べていた、千里の道も一歩よりを実践してるのかもしれない。


 2004年5月17日(月) マスメディアは年金問題で無意味な魔女狩りを行っている、私は自身の年金納付状況についてはノーコメントとさせていただく。年金を審議している国会議員じゃあるまいし、税金が3割も負担している年金を、未納分受け取らない殊勝な未納者が責められる制度は変である。収めた者が受け取る、収めない者は受け取らない自己責任でいい、もともと世代間扶養なんて画に描いた餅なのだから。
 マイルが貯まって期限切れになりそうだったので、金、土、日と東京に行った。ただで乗せてもらって言うのも厚かましいが、私のようなマイラーにとってはJASがJALになり使いにくくなった。3日間で9軒9杯12玉の讃岐系うどん(この他カレーうどん1杯、ラーメン3杯、ちゃんこ1杯)を食べた。
 今回のことは武蔵野うどんの続編に書く(予定だ)が、持ち上げて切れたのが1軒だけだったのは幸いだった、が2点ほど香川県人の麺聖には気になることがあった、いい悪いと言うより、うどんも東京風に進化しているということなんだろうが。一つは関東を代表すると言われている(らしい)複数の店で、あまり食べたことがない固い麺を食べた、ちまたではコシと表現されているが、あれは固い麺だ、例えれば一本うどんを細くしたようなものである。もう一つは熱い物は熱く、冷たい物は冷たくという王道に慣らされすぎて、ひやあつは東京では定着していない。メニューにあるのはあるんだが、微妙さで成り立つのに出汁の量が多すぎる。麺が隠れるか隠れない程度にしなきゃ、それ以上だとひやあつにした意味のかなりのとこが失われる。食べ終わったとき、出汁が無理して飲む干すほど残るひやあつはダメである。
 帰りの飛行機、「高松空港天候不順のため、着陸できない場合は大阪に着陸するか羽田に引き返します」とアナウンスがあったが、大阪に着いてもらっても困る。無事着陸したからいいようなもんだが、羽田から自宅まで2時間、伊丹から自宅まで2時間半、伊丹から高松空港経由(車を置いてある)だと4時間、出発時より遠くなってしまう。


 2004年5月13日(木) 昨日の夜、テレビせとうちでWBSを見ていたら、はなまるが映っていた、何でも2003年度の飲食業調査(日経実施、今日の日経、日経MJ掲載)の売上高伸び率で1位(売上高では171位)になったようである。フォー・ユーの事業撤退、(一応傘下に入るとされているが)はなまるの身売りと暗いニュースが続いていたから、昨年度のこととはいえ、久しぶりの明るいニュースである。
 ただ異業種からの参入を含め讃岐うどんとは限らないうどん店を含めたチェーンのセルフ方式のうどん店を今後も一括りにするなら業態は「セルフ式讃岐うどん」より、「(讃岐)セルフ型うどん」が適切と思う。はなまる自身は千葉に工場を持ってから微妙ないい回しを用い単純に讃岐うどんとは名乗っていなかったような気がするが。


 2004年5月8日(土) 昨日のニュースで伝えていた(今日の新聞各紙に載っている)が、吉野家がはなまるを支配下においた。どこかで書いたと思うが私は吉野家の(1株ではあるが)株主である、株主として、セルフうどんチェーンが魅力的な提携先とは思えない。ファーストフードの一形態としての讃岐うどんのブームが去った今、先発利益が大きいとは思えないし、残存者利益が見込まれるまでの間の負担の方が大きくなる可能性が高い。はなまるからの要請であるから買いたたく分の利益はあるかもしれないが、単品主義の吉野家がうどんを提供することは経費増をもたらすだけであり、メリットが見えてこない。
 ちょうどめりけんや、はなまるが東京に出店しだしたころ田尾団長に「東京のうどん店コンサルタントをしたらもうかるわなあ?」と尋ねたことがあった。「東京の専門家はすごいで、マーケティングやら何やらこっちの知識じゃついていけんで、ファーストフード店みたいやで」と言われた。「じゃあ吉野家の横に出せばいい」と思ったが、事実はそれ以上になった。結局彼らの知識やノウハウは小さなことで、ブームという大きなトレンドを読むことが重要だったのだ。そしてそれ以上に重要なのがブームとか情報でなく、ちゃんとうどんを食べさせることだと思う。やはり本物のコンサルタントが必要だ!


 2004年5月4日(火) 国宝を見て歩くのが好きだ、現在までに260件ほど4件に1件見たことになる。うどん屋巡りに例えれば200軒を越えたあたりの楽しい時期だろうか。例年5月の連休には神護寺の虫払いに行く、源頼朝像など4点の国宝がガラスを通さずに見られるのだ。今年もその予定だったが、東京で国宝数点を含む南宋絵画の特別展があるとの情報を得、迷っていた。新選組の影響か、京都駅に降りた途端バスを待つ長蛇の列、南禅寺展を見て(2回目)早々に東京へ行くことにした。
 そんなこんなの3日間主なところは次のとおりだ。1日京都国立博物館・新福菜館、2日根津美術館・根の津・東京国立博物館・横濱カレーミュージアム・新横浜ラーメン博物館、3日第一旭・奈良国立博物館。
 本業(麺類を食べる)と趣味(国宝を見る)のごちゃ混ぜの修行の旅だが、趣味も今風に言えば自己啓発となる。たくさん食べて見てどうなるのとの声もあろうが、量は質に転化すると信じている。
 よかったのは、京都国博での南禅寺展の希世霊彦(五山の文学僧)の生き方、根津美術館での南宋絵画展の玉澗(日は正しくは月)の画、東京国博の梅蒔絵手箱(三嶋大社)、カレーミュージアムの並んで待っている客の楽しませ方、ラーメン博物館のカフェバー35ノットの沖縄産水割りの水、奈良国博での法隆寺展の天寿国繍帳(中宮寺)であった。


 2004年4月30日(金) 先日のフォー・ユーのうどん事業撤退の記事に「ブーム」去りということばがあった。何となく分かったような気がするが、よく考えるとこのブームの定義をどこにも行っていない。東京(を含む首都圏)で「讃岐」うどんと名乗れば味と形と値段が讃岐うどんとかけ離れていても客が入ったのをブームと呼ぶのなら、2002年8月めりけんや恵比寿出店から、売り上げが落ち込んだ2003年夏くらいまでのほぼ1年間、甘く見ても2003年12月までで、新規出店もほとんど止まった今年はブームが去った(ある意味正常だと思うが)と言える。
 東京にブームが起こった原因である香川県内においての、全店制覇に言う新規店の増加が著しい1997年以降を(第三次)ブームと呼ぶのなら、麺聖の索引で2003年10月14日から2004年4月25日まで(1033軒から1067軒の)34軒増の現在、開店ラッシュの2001年、2002年、2003年の勢いはないとしても、まだ続いていると言える。
 便乗組み(の中にもいい店があるから一概に否定は出来ないが)の数でブームを探っても、讃岐うどんの堕落は見えようが本質が見えてこないし、ブームが去ったと認定しても無意味な気がする。休日に宮武でゆったりとうどんが食べられる日は当分来ないだろう。


 2004年4月25日(日) 日曜(18)徳島ラーメン(鴨島町)・半田そうめん(貞光町)、水曜(21)南禅寺展(京都市)、木曜(22)浪花餃子スタジアム(大阪市)・東山魁夷展(神戸市)、金曜(23)焼き鳥(今治市)・屋台の餃子(高知市)、土曜(24)うどん(小豆島)、イラクやロシア、アメリカに行った尊敬する人達の足元にしか及ばないが、我ながら地道に精進を続けていると思う。
 麺聖が軽蔑する食べないで語るという記事が昨日の四国新聞の「目指せ゛六軒制覇″」に載った。柳屋で1時間待ったのに山頭火他の待ち時間がない日曜の昼時があったことも信じられないが、高松拉麺築港全6軒のうちわずか2軒で食べただけで6軒全部を紹介し、「行って一言」とアドバイスした記者はラーメン通とかジャーナリストと名乗る資格はない。「2日あれば全店制覇も可能だろう」と書く前にまず実践すべきである、似非ラーメン通あるいは自称ジャーナリストという呼び名がふさわしい(反論があるのなら受け付ける)。
 オフィスビルであるシンボルタワーで「にぎわいを取り戻」そうと考えるのもなかなか斬新な発想だ(無知からこんな考えをする方が官民とも多い)が、「四国の新しいラーメン文化の港を築く」から名付けられた高松拉麺築港も今のところ単なるラーメン街に過ぎず「ラーメンとうどんを融合し、新しいめん文化を生み出したい(運営会社)」との意気込みからはほど遠い。官民とマスメディアの皆さんには、基本から勉強し直すことを薦めたい。
 ところで、四国新聞の一日一言(3/6付)で横浜の東山魁夷展が大人気だったことは、県庁が来春開館させる美術館にとって明るい話題だ、と意味不明の論理で県庁の御用を立派に努めた記者さんは、神戸で東山魁夷展が開催されていることを積極的に紹介しているのだろうか?本当に版画を集めた美術館が無駄(遣い)と考える能力がないのだろうか?協力、出張いくらでも代わりの方法はある、箱物にこだわる必要が私には理解できない。


 2004年4月18日(日) 新聞が信用できない話の続き、先日は朝日新聞の無能さを実証したが、今週は日経新聞から笑い話が2例届いている。
 10日の(日経の)四国経済欄、香川県観光協会が昨秋首都圏で行った香川県の知名度調査を「『香川=うどん』57%」と派手な見出しで報せている。「香川と結びつくイメージは讃岐うどんが57.3%を占め、圧倒的首位だった」ここまでならすごいと思うが、よく読むと首都圏の讃岐うどん店の利用者を中心にした調査と書いてある、野球場で好きなスポーツを尋ねたような、当たり前の結果である。記事を読む限りにおいて、経済紙の日経がどこに報道する価値を見いだしたか不明である、また記者が調査結果を理解し的確に伝えているようにも思えない。更にダメ押し、「訪れたい施設は讃岐うどん店が19.1%でトップ」これも極めて当然と思うが如何?
 16日の四国経済欄、県庁から発表になった香川県の昨年の観光客数について「香川の観光客、5.4%増」の大見出しに続いて「讃岐うどんブーム追い風」の小見出しがある。これが事実なら麺聖の貢献度は高い、香川県のイメージアップやにぎわいづくりなどに功労のあった人を表彰している香川県知事にそれ相応の報酬を請求する理由にしようと「ブーム追い風」と判断した根拠を読んでみると、「ブームに支えられ」という控えめな県庁のコメントをセンセーショナルに拡大解釈しただけのものだった。
 視聴率を競うテレビなら「うどん」で目を引かすだけで金になる、でも駅売りのスポーツ紙や週刊誌でない、宅配の新聞では何も生みださない、記事と記者への信頼を失わせるだけである。うどんを食い物にする記者諸君に独自の取材や考察をしろなんて注文しない、せめて提供されたデータをきちんと要約し読者に伝えて欲しい、それが記者クラブというギルドを守る君たちの義務である。


 2004年4月11日(日) 昨日は春の青春18きっぷの最終日、1回分残っていた、普通なら遠出するが、あいにく夜予定が入っている。私は城が好きだが天守閣が現存する12城のうち弘前城と宇和島城と備中松山城には恥ずかしながらまだ行っていない。高梁市の備中松山城に行くことにした。
 松山城は臥牛山(480メートルの内の小松山430メートル)にある山城で歩くと駅から80分ほどかかる(タクシーなら10分と徒歩15分)そうだが、遊歩道の入り口からは小1時間で登れますよという助言に年収200万で生き抜く方法を考えている私は歩くことにした。石垣で固めた寺や武家屋敷や御殿跡をぶらぶら歩き、遊歩道の入り口までは快調だった。が、すぐに視界がひらけない単調な上り坂と暑さで歩こうとしたことを後悔した、20分以上は歩きたどりついた東屋で、やっと650メートルまだ800メートルも残っていると分かったときは辛かった、バテバテ状態で何とか大手門跡にたどり着いた。高く築かれた石垣を見たらうれしくなって一気に本丸まで登った。青い空に天守閣がきれいだった。
 城から降りるともう昼過ぎ、古い商家の残っているあたりを歩いていたら「本格さぬき手打うどん」の看板、無視しては麺聖とは言えない。古い普通の食堂、メニューに「たぬき」がある、讃岐うどんとしては怪しいものである。暑かったのでざると思ったが、今の時間はできない、とのこと、「たぬき」を頼んだ。注文のやりとりを聞いていると、ざるや釜あげは麺が1時間半ほどたっているので、おいしいのものを食べてもらいたいからダメ、茹でるのには時間がかかる、自信があるのは真鴨を使った鉄鍋に入った鴨うどんとのこと、鉄鍋は生から茹でるのかな?よく分からないがこだわりはあるようである。で1時間半ものが出てきたわけだが、幅が1センチほどある平べったく少々は厚みもある麺でどこが讃岐?という形状だった。味は1時間半ものとしてはそれなりで一応うどんとは呼べる、皮肉でなく高梁うどんと名乗ればいいと思う。教会や藩校跡をぶらぶらしようと歩き出したとき「セルフ」を発見、オープンしたばかりの讃岐うどん店だった、これは県外にあるセルフ店らしい味。でもそこは観光駐車場、何故讃岐うどん?私は麺聖だからいいが、もっと高梁らしいものないのかな?


 2004年4月7日(水) 麺聖が新聞を信用していないことは以前にも書いた、少なくともうどんに関して、プロの仕事ではない記事が目立つ。そんなことないという人は、昨日の朝日香川版「『日本うどん学会』人気沸騰」を読まなかったある意味幸せな人である。読むと損するし、わざわざ買うのはドブに銭を捨てるみたいなもの、可哀想なのは私のような月極宅配購読者、まあ朝日の無能さを実証する資料的価値くらいはあるかもしれないが?
 見出しの「人気沸騰」は、ネオン街のお兄さんが80歳のお婆さんをして「若い娘いますよ」と言うくらいの見解の相違を越えたウソである。内容は各自確認していただくとして、事実はどれも昨年のこと、どこにも目新しい内容も意見もないし、更新をしないホームページ(お前はどうなのと言われそうだが)のアドレスまで読者に知らせる稚拙さ。なぜ今?あまりに不自然である、載せた裏事情を消費者(購読者)として知りたい!それが説明責任というのでは?何となくあの記事を載せたのなら購読料の返還を求める。
 「ブームに便乗した無秩序な記事が続いていないか。このまま行くとこのブームも去ることもありうる」、この言葉を朝日新聞に贈りたい。


 2004年4月4日(日) 昨日も最近習慣となった?徳島詣をした。目的地は徳島市内ではあるが少しはずれ、田舎の趣が残っている徳島ラーメンのたかはしとドキドキする怪しさ満載のうどんの宏榮。店の前で久しぶりに気体!で胸がふくらんだ。この気持ち、期待どおり短命に終わる(であろう)讃岐(に存在するだけの)うどんの新規店で、長いこと感じていなかったことに、ハッとした。


 2004年3月28日(日) 人間偉くなると周りが意見を言わなくなる、で本人は常に自分が正しいと錯覚する。東京で成功した人は故郷の劣った人達(?)にアドバイスする義務があり、劣った人達はありがたがって聞く義務があるようである。香川県庁の広報誌の4月号(ネットで読める)の『さぬきうどんの伸びないうちに』はまさにこれである。このビーエスフジ会長の白川さん、以前四国の月曜随想で『がんばれ!讃岐うどん(2003/2/17付け)』を書いていた、要約すると「田舎から都会に出た彼は、讃岐うどんがブームになり、自身は『観音寺ローカルのうどん』しか知らないが『本物はこんなもんじゃない』と友人に講釈する。鹿児島県人はブーム以前、黒豚には自信がなかったが、芋焼酎は『旨かもんは旨か』と飲んでいたことから『全国的にナンボの物かを比較できるのは、県外を知らない県人よりも、県を知っている県外人かも知れない』と分析し、『こんな嬉しいことはない』と結ぶ」、ほほえましく、着眼点もいい話であった。
 今回『かがわ羅針盤〜外海からの視点〜』で彼は「さぬきうどんは香川にとって久々の宣伝素材なのである」とマスコミ人らしくうどんを食べずに利用すべく舵を切らそうと一発花火の「さぬきうどんイベント」システムを提案する。彼が「一案を出そう」と述べた意見の大半がビジネスとして実現しているのもお笑いである、全店制覇、うどん巡礼、さぬき大使館等々として。彼が全日本広告連盟の大会(2003/5/14)で大賞に選ばれた「讃岐饂飩巡礼八十八箇所」すら知らないのなら、マスコミ人としても落第であろう。まあ民でできることを官でやらそうとするあたり郵政省の免許に頼ってきた業界人らしいが。
 「どうですか知事さん、県議会議員さん、(中略)つくってみませんか。」おもしろいこと、やりたいことは、自分が率先して行動に移すべきである。まず食べることから始まった、今回のうどんブームは過去とそこが違う。他人任せの人物を新コーナーの最初に選ぶ県庁の能力も疑わしい、少なくともマスコミ人や経済人の意見を無批判にありがたがり、編集者(の県庁職員が県民周知のうどんネタを知らないほど愚かな訳はないハズ)は内容の誤りさえ指摘できず、県民に(著者と県庁の無能さとパクリネタを)知らせるだけなら、そんなコーナーは今月号で止めるべきである、どうですか知事さん。


 2004年3月21日(日) さて、今日は毎週日曜日の「このごろ更新の日」だ、と言うつもりはないが、かろうじてこのごろだけ更新している、4月からはもっとうどんに力を入れられると思うので待っていて欲しい。昨日の深夜(早朝?)、詫間駅から善通寺まで歩いて帰った。金曜の夜、うどん店を計画している人達と語り合った。彼らが夢見るのはラーメンコンプレックスのうどん版である。ラーメン波止場や麺だらけのようなあわただしい空間はうどんには合わない。実現には関門が多いが、成功を祈ろう。他人の銭を自分の銭と勘違いしている無責任な連中とはつきあいたくないが、自分でリスクをとる人達に積極的に協力したい。いい気分のまま、最終の汽車に乗ったら、寝過ごした。タクシーもなく、始発までは5時間以上ある、幸い土曜は休み、歩いて帰ることにした。車なら20分の距離、始発で帰るよりは早く帰れるだろう。2時間半で無事家に着いた。
 日経(3/20付)にセシールの希望退職の記事が出ていた、従業員の方はいろいろ大変だろう。真相を知らない者がこんなときに言うのは不謹慎かもしれないが、通販の「さぬきうどん人気穴場店探検隊」のような安易な便乗、パクリをする、そしてそれを容認する姿勢が、今の不振を象徴している、そんな気がする。さぬきうどんの定義を「香川県内で製造されたもの」と安易に考え、「東京や大阪に出張した際に、何件かのうどん店で敵情視察したところ、哀しいかな、一部を除いては、本場とのレベル差は歴然で、がく然とすることが多い」と一昔前のうわさを平然と述べる(トップクラス同士を比較すれば甲乙つけがたいし、スカな店同士を比較しても同様)、付け焼き刃の証である、もっと勉強して「さぬきに本社があるセシール」しかできない企画で復活してもらいたい。


 2004年3月14日(日) 麺聖は山岡士郎のような味覚は持っていない、うまい、まずい、ふつうしか区別できない。小麦のかおりについてもよく分からない、それが遠くから運ばれるうちに消えるものか、元々かおりの強い品種があるものか、で、あるうどん屋さんに聞いた、「ASWでも茹で方でだせる」そうである。 
 昨日の日経四国経済「地域ブランド 市場化に挑む 県産小麦、うどんに輝き」まさに夢2000礼賛である。麺聖は安全、おいしい、安いのうち、一つでも外国産小麦と比べ勝るのならば受け入れようと思うが、まだ勝っていない、また伝統小麦の復活でもない、よって異議を唱える。
 まず、今までよりまずいものを高く食べさせるのは商道徳として許されない。遙か先を走るASWの背中がやっと見えたくらいである、開発者自身「通過点に過ぎない(2003/9/10日経)」と言っている粉を究極の粉のように報道するのは不適切である。「うどんの味で差別化するには、さぬきの夢2000という独自の小麦がすばらしい武器になる(吉原食糧常務)」、「当面は他県での生産は許可せず(県庁農業生産流通課)」と勇ましいがが既に全国各地で低アミロース小麦の栽培は行われている。夢2000が他の地域の国産小麦粉と比べて勝るデータを見たことはない、粉で本当に差別化できるか疑問である。それと香川県内でおいしい方から5本の指に入るうどん屋とまずい方から5本の指に入るうどん屋の粉は同じという事実もある。
 この10年のブームは客の側からの讃岐うどん再認識の過程である、県庁や農協や製粉製麺業者、文化人の側からの提言があるべきとは思うが、それが成果と事実を無視した業界の都合による夢2000の礼賛であるならばブームへの悪乗りにすぎない。生活に密着し、もうけを度外視したところから築かれてきた讃岐うどんブランドが、生活から乖離した新しい市場への「こだわり」で消え去る日も近いと感じた。もちろん無批判に報道するマスコミも同罪である。客を中心として前進したこの10年を振り返ると何だかと虚しくなる。
 日経の記者の名誉のために付け加えるが、たまたま昨日記事にあったので取り上げただけであり、彼が特に劣るという事実はあるかないかも知らない、他の新聞でも同様の報道はされている。まあ役人がしたたかというか、役人の思惑通りの記事が記者クラブを通し、何の検証もなく伝えられてるのである。うどん記事なら我々には悪影響はないだろうが、多分、我々にかかわる重要なことも同じように報道がなされると推測する、知る権利のために役立ちそうにはないし、うどん記事から類推すると新聞・テレビは不正確かつ不勉強である。


 2004年3月7日(日) 昨日は晴れたり、雪や雨が降ったり、風も吹く寒い一日だった、青春18きっぷで神戸に行った。途中の姫路駅で新快速を待つ(新快速は岡山からの電車が遅れても接続はとらない、反対はとる)間ホームの立ち食いで「えきそば」を食べる。学生時代鈍行で東京からの帰省時に食べて以来、姫路駅で時間とお腹に空き容量があれば食べることにしている。 
 目的は神戸市立博物館のイギリスの博物館展(Treasures from the World's Cultures : The British Museum after 250 Years)だ。土曜日で混雑していた。もう少し入場制限を強化すべき、外で待つのは我慢できるが、内で人の頭ばかり見るのはいやである。ファミレスではこれは接客の基本である。展示品だがその方面に知識がない私は、展示品の絶対的価値が分からない、まあ珍しいものを見せてもらったというところか。ただ日本の銅鐸が展示されているのを見て、市立博物館所蔵(常設展で展示)の桜ヶ丘の銅鐸より価値があるかどうか教えて欲しいと素朴に思った。こちらのほうは誰も来ないからゆっくり独占して鑑賞できる。
 なぜ書く必然があったのか分からないのが昨日の四国新聞一日一言。横浜の東山魁夷展が好評(25万人弱1日平均6千人弱)だったことは、番の州に専用美術館を作る理由にはならない、「スローフード」がもてはやされても、うどん博物館を税金で作るのが無駄(必要だと主張するうどん通と称する文化人もいるが)なように「癒やし」の時代でも東山魁夷美術館建設は有害である。もし版画255点の寄贈を受ける条件に美術館の建設があったのなら返すべきである。税金の使い道を追求すべき新聞(私はそう思っていないが新聞は常々そう書いてある)が、なぜ県庁に代わって世論操作するのか?それに回顧展と東山作品のよさを伝えたいなら先月終わった話だけでなく、4月から神戸(兵庫県立美術館)で開催されることも報ずるべきだ。
 同じ四国の「駐日豪大使が(香川県)知事表敬」記事の中、「知事は『オーストラリア産小麦を加工した本場のうどんを味わってください』と勧めた」これが事実なら、知事の本心ではあろうが、二枚舌である。オーストラリア産からの脱却を謀っていると言うべきだ。BSEや鳥インフルエンザで食が話題になっている、外国産が危険で国内産が安全と短絡的に考えることは危険だ、感染、凶作で地域全滅ということもあり得る(事実県産小麦の衰退は1963年の長雨による不作に始まった)。広大なオーストラリアで安全かつおいしい讃岐うどん専用小麦を共同開発という選択肢は考えて損はない。
 帰りに大久保のラーメン波止場でラーメンを食べた。14時ごろ少しあった行列も、15時には1軒を除いてなくなっていた。12月5日にオープンして昨日100万人(1日平均1万人以上)を達成したそうである。全国にラーメンテーマパークは30ほどだそうだが、競争が店を育てるより、店を食いつぶしている。スピードも大切だろうが、時間をかけることはもっと大切である。その点からラーメンテーマパークの将来は疑問である。周回遅れなのに、今や香川県経済を救っているうどんのようなものは、結果を性急に求める今の社会では二度と現れない、そんな気がする。一応ラーメン波止場8店全店制覇。


 2004年2月29日(日) 昨日徳島にうどんとラーメンを食べに行く(鳴門うどんに出会ってからかなりの頻度で行っている)途中インターを降り、引田町(信念に従いそう呼ぶ)のひなまつりに寄った。城が好きな私、古いまち並みも大好きである、加えて引田は城下町である。もっとも落ち着いた町を歩くのが好きで、どちらかというとイベントは嫌いである、まあ引田ICで降りるきっかけにはなった訳だが。
 麺聖はただうどんを食べてる、でも人が想像する以上に金と時間をかけている。人それぞれに価値観はあろうが、麺聖の優先順位1位はうどんで、仕事なんかはずっと後、うどんを食べるための資金を得る手段の一つと割り切っている。ところが最近時間が取れないので焦っている。このままではうどんの研究がおろそかになる。これは麺聖にとってもうどんにとっても不幸である。かと言って、時間があって金がないのと、どちらがいいか?シミュレーションしている。
 引田ひなまつり、まだ取り組みは始まったばかりである、「こんなに家に人が来てくれたのは初めて」と喜んでたおばさんの声を大切にしたい。麺聖の希望を言えば、まち並みにあったうまいうどん屋があれば最高である、ただ引田に昔からうどんを食べる習慣があったかどうかは知らない、元々なかったのなら求めはしない。3月3日まで開催される。


 2004年2月22日(日) 最近朝日新聞の悪口ばかり書いてる気がしたので、ためらってたが、1週間たっても誰も書かないようなので触れる。うどんの不幸は過小な評価と過大な期待にあると思うが、15日付け香川版のうどんのポスターが大きく載った「県の好印象度昨年全国41位『マイナー県』どう脱出」という記事、少なくとも次の3点でこの記事はダメである。
 まず「大手広告会社が98年に実施した意識調査で、香川県が『最下位』だったことをご存じだろうか」と始めるが、麺聖は知らない、不親切なことに内容説明がない、しかたなく事実関係をネットで探る、98年分は電通総研の調査らしいが詳細は不明、ただ引用例はかなりヒット。03年は「都道府県 印象 広告」で検索すると香川県の順位は不明だが多分これと思われる、南日本新聞の電通九州の調査を伝える2003年10月30日に。インターネットで全国の男女4000人が都道府県を2つずつ選んだ集計で、北海道、沖縄、京都の順、好印象というより、まあ行ってみたいところ調査である。
 麺聖思うに、最下位から41位は前進である、例に引くくらい調査を信頼するなら、順位のアップをまず喜び、しかる後、検証すべき、「振るわなかった」と切り捨てるのは科学的でないしフェアじゃない。例えば、「全国的に讃岐うどんブーム」だから順位があがった、こう仮説をたて検証する、それによって今後の対策が見えてくる。
 次にさぬき市がさぬきうどんを作っている云々、これでは子供新聞レベル。旧国名を全部言える人などそうはいない。賢い朝日の記者だって先日江戸と旧国名の讃岐を同列で論じていたくらいだから。これは好印象でも知名度のせいでもない、もっと重要な、地名は文化である、という理念である。旧讃岐国の一部分に歴史的正当性がない「さぬき」を僣称させた県庁と県民を責め、改名を迫る、大人の新聞ならこう論陣を張るべき。
 3点目「観光客900万人悲願」だったとは知らなかった、目標を持つことは否定しない、ただ、統計は異常値を排除して、考えるべきである。88年の瀬戸大橋開通時の観光客数をベースに行政もマスコミも論じ対策を練った、戦略の誤りはその点にあった。田尾教授が団長日記(2003年11月7日(金))に、香川県の「観光客数推移グラフを見る」と「主要観光地客数推移表を見る」から、讃岐うどん巡りブームの平成4年以降は、香川に来てうどん屋を回ってそのまま帰るという県外客が増えた、と分析しているのに、濡れ手に粟の昔を懐かしがっているマスメディアがいようとは。
 実はここまで書いて、この記事、隠しテーマで、マイナーって悪いこと?生活の豊かさこそ大切である!と県庁の一連の取り組みを税の無駄遣いと責める狙いがある、そのための日和見記事だ、だから「ニュースの裏側にある疑問やハッとする意外な事実を記者が探る」意気込みの割に内容がなかったのだ。少なくとも反対論が優勢になったときはそうすり替えるはずだ、ここまでの読みあってますか?お返事期待しています! 


 2004年2月15日(日) JR四国にバースデイきっぷという全線全車乗り放題1万円ぽっきりの切符がある。須崎まで往復すると普通に切符を買うより安い、昨日、進歩しない麺聖は昨年と同じように今年も高知にでかけた。
 全国には食でまちおこしを考えてる人達が大勢いる、特に麺を利用しようとする人から麺聖にアドバイスを求めるメールが来たことがあった、返事に、まず全国競争できる物か独りよがりか見極めること。珍しい麺、知られていない麺、かつ、おいしくとも成功しているところはほとんどない、止めた方がいい、と返事をする。うどんややらーめんやがいっぱい載ったパンフレットや店の前に飾るのぼりを作る。メディアが取り上げる、やがて熱がさめ色あせたのぼりや古色がついたパンフレットだけ残る。
 須崎もラーメンでまちおこしをしている。鍋焼きラーメンは全国的に知られるようになった。まずは知名度が上がり成功だ。観光客はゼロから30万人が目標だそうだ、例えるなら山越1軒できるだけでいい、成果は上がってるのだろうか。橋本食堂は他県ナンバーの車もあったし混んでいた、他の店はすいていた。でも統一して作ったであろうイラスト入りの黄色いのぼりは色あせてさびしく感じた。
 ラーメンだけ食べて帰ってもと、高知城に寄ることにした。瀬戸大橋がなかった時代の小学校の修学旅行以来である。入明駅で降り、うどんで腹ごしらえして向かう。うどんはぶっかけ450円、値段を除けば及第点、少し固すぎでツルツル感が弱いが。北から城に向かったことになる、無粋な建物があった、丸の内だが、現在は公園の外のようである。武器庫の跡の県警だった。お城の周りには高い建物や容積の大きいのは似合わない。ちょっとは考えろよ、と少し悲しい気持ちのまま天守閣に登った。お堀もほとんど埋め立てられている。城には堀が似合う、天守閣と堀どっちが残る城跡が好きかと尋ねられたら断然堀だ、堀が麺、天守閣はオプションだよな。 
 高知の町、今からでも何とかならないかなあ、路面電車が走る美しい南国の城下町、期待してますよ橋本さん!SLより費用がかかるけどこっちの方が大切でしょ?


 2004年2月11日(水) 拙い記事でも記者が正面から取り組んだ記事なら笑って無視しよう、でも自分の意見を正当化しようと架空の大衆がいるように偽装した記事は真・偽にかかわらず非難に値する。生まれる前から我が家はずっと朝日新聞である。悪口を書いても許される、と言うより書かれた新聞は反省すべきである。栗林公園の樹木伐採(伐採については県庁が悪いのか伝えた新聞が馬鹿なのか、判別不能。判断に必要な事実関係がよく分からない、例えば8年かけて41本伐採って多いのか、維持管理でないと主張するのは今年度の伐採か8年前からか、なぜ今伝えるのか等々)の記事があった。「『一方的な決定だ』説明不足に反発も」と大きく出たが、6日と10日の記事を詳細に読むと、たった2人(82歳の方と83歳の方が別人なら3人になるが)が意固地になっているだけ、それも記者の思いこみを正当化しようと無理強いして集めても2人しかいなかった?とも読める。(もちろん一人でも正しいことは正しい、私が常々述べている県民ホールと歴史博物館は玉藻城の歴史的景観にはじゃま!ぜひ朝日の紙面で採り上げて欲しいものである、同じ文化財と県庁がからむ案件である、それに私には何の相談もなかったのだから。)
 と言うことが書きたいのではない、10日の「(市民の反発が)」と言う補足表現にカチンときた。citizen(公民権を持った市民)でなく高松市民の意味で使っている。先ほどの2人とも高松市民である。私のような旧京極藩の領民はともかく先祖が栗林荘作庭の年貢を納めたであろう旧松平藩の領民も念頭の記事を作るべきである。高松市民のための記事は香川版でなく高松版に載せることを朝日に勧めたい。
 この朝日新聞の高松支店の人達も感染した東京のこと(強いもの、見てくれ)は気にするが他の町のこと(弱いもの、本当に大切なもの)を無視する「高松市民イコール市民」という高松市民のおごりに支えられ、高松市は瀬戸の都から掃いて捨てるほどあるミニ東京の一つに化けようと、帝国主義的合併に走っている。サンポートに鉄人の店やラーメン街ができるのは斜陽観光地にガラス館やオルゴール館ができるようなものである。高松にうまいうどんやがなかったのは、東京のまねに力を注ぎすぎた、それが原因と麺聖は思っている、まだ証明はしきれていない仮説であるが。


 2004年2月8日(日) 前に(2003年11月9日付けこのごろ参照)人間は進歩しないと書いたが、どうもこれは麺聖だけではないようだ。真鍋香川県知事が昨日のNHK四国スペシャル「元気が出る四国・4県知事会談」の冒頭で、にぎわいが大切でイベントや箱物に期待している旨を話していた、昨年の番組の再放送と思った(2003年1月12日付けこのごろ参照)。「箱物を整備するのではなく、香川が誇る伝統や歴史に目を向けた取り組みを進めたい(2003年2月24日付けこのごろ参照)」と、いいことまでたどり着いていたのに明らかに後退している、真鍋さんもっと勉強してや!


 2004年2月1日(日) 昨日も鳴門に行きました。高島の舩本や鳴門で一番古いとおかみさん自らが言ううどん屋で食べました。三八の黄色いスープのラーメンも食べましたが、連れは何時になったら「徳島ラーメン」が食べられるのかと不満げでした。
 考えてみたら高速で、徳島に行くだけで、観光地には寄ってません。昨日の朝日に03年度上半期の四国の観光客が四国運輸局の調査では、全体では微減、香川は4.9パーセント増とありました。うどんブームが追い風で香川は増加と分析されていましたが、うどんだけを食べに来る客はどこで統計に引っかかったのでしょうか?
 同日の新聞各紙に「200億円」の数字が踊っていました、特許権だけでなく、サラリーマンが仕事で書いた著作物も補償される時代が何時か来るのでしょうか?
 県庁が「さぬきの夢2000こだわり店」4店認証との四国の記事もありました。(選ばれた4店に不満というのではありませんが)愚策です、麺聖は行政がうどんに口を出すことに常々反対の意見を述べています、それは置いとくとしても、原料にこだわりいくら意欲があっても結果としての味が伴わなければ意味がないと考えます。味を選考の基準にしていない(記事からはそう読めます)認証制度などうどんにとって無駄というよりマイナスです、認証の撤回を麺聖は求めます。


 2004年1月28日(水) 昨日の朝日『うまいうどん 讃岐?江戸?』との見出しでうどんネタがあった。要約すると、練馬区のうどん屋さんが香大三木教授の研究室で、うどんを埼玉産、オーストラリア産、香川産の粉を使って打ち、機械で「破断応力」を測定した、結果腰に違いはあったが、味はそれぞれで、結局引き分けに終わったという内容。まあ購読料を返還すべき記事である。見出しは「変数」が粉だから「うまいうどん粉 香川?埼玉?」になるべき!
 あっそうそう、朝日の記者さん!校正係さん!「江戸」をどんな基準で使ったのですか?埼玉の旧国名はこの場合武蔵でいいのでは?そもそも東京イコール江戸ですか?時代劇で見る限り江戸は町奉行が支配する範囲(これに武家地、寺社地を含む)を指すのでは?これより広い考えもあるでしょうが、練馬って入ります?


 2004年1月26日(月) 18きっぷの期間も終わり、週末、徳島ラーメンでも食べようかと『麺本』を持って出かけた。一応目的は小松島の岡本中華、徳島ラーメンの元祖とも言われるいわゆる白系の店。善通寺ICから1時間ほどで鳴門IC、国道を南に小松島を目指した。
 麺本には徳島のうどん店情報も載っている。讃岐を標榜する店が多いなぁと眺めていたとき、ある店の名を見つけた。気にかかっていたことがあった、ずっと前「鳴門教育大(鳴門市高島)の近くに讃岐うどんとは全然違ったうどんやがある、食べに来てください」とメールをもらった、放ってた訳ではないがそのままになっていた。名前が確か舩本、末広店(徳島市末広町)ということは支店かのれん分けか。ちょっと寄り道した。
 平べったい細い麺、讃岐うどんとは確かに違うが、明らかにうどんだ、箸で持ち上げることが出来る、全体としてまとまっている。しばらく鳴門詣を続けることになる、そんな予感がした。


 2004年1月23日(金) 昨日、セシールの『ごちそう花便り』春号をたまたま目にした、さぬきうどん人気穴場探検隊といううどんの通販企画が載っていた。完全な便乗ものだが、知事と高松市長(彼らにはご苦労なことだったと思うが)をCDに出させて一役買ったと喜んでいる放送局もあるくらいだから、この程度のことでは足を引っ張るつもりはない。 思いっきり足を引っ張ろうと思ったのは、文章が田尾団長風なことである(団長本人が書いた可能性も否定しきれないが、署名がない)。私は似せてもそこに意志が追加されていれば新たな著作物だと考えるべきで、著作権のむやみやたらの主張は文化の発展を阻害する、との立場であるが、そこには何の発展も創造性も見られなかった、それを盗作と呼ぶ、香川県の数少ない一部上場企業がこんなことでは恥ずかしくなる。
 昨日の日経、四国、毎日など各紙(何故だか四国、毎日はかなり大きく扱っていた)に載っていたがサンポートにラーメンテーマパーク『高松拉麺築港』ができるそうである。ふと思ったのだが、この記事を書いた記者諸君は、何を持って「人気6店」と判断したのだろうか?店の確認はご自身でされたのだろうか?例えば何を持って「紀一(和歌山)」と報道したのだろうか?会社提供の資料をそのまま掲載したのだろうか?栄枯盛衰が激しいようで知らない店があった、数年前の本(2000軒載っているのと700軒載っている)で探しても載っていない店がある、ネットによるとどの店も各地のテーマパークに出店している。山頭火はラーメン村。新福菜館はラーメン博物館、ラーメン哲人館。紀一はラーメン国技場、山神山人はラーメン国技場、ラーメン劇場。柿岡やはViNAWALKラーメン処、京都拉麺小路、ラーメン劇場、ラーメン城下町。柳屋はViNAWALKラーメン処、ラーメン哲人館などなど(撤退済みも含む)。こうしてみてくると拉麺築港の「めん文化の融合と発展」というテーマは怪しく感じる。常々言っているが、こういうところを探るのが新聞である、時間的、紙面構成上それが出来ないのなら事実を正確に知らせてくれればいい。「讃岐うどんの地元・香川でもラーメン人気は根強いだけに、話題のスポットとなりそうだ(四国)」、「全国的ブームのさぬきうどんとの″めん対決″は話題を呼びそうだ(毎日)」記者諸君の感想は不要だ。
 同じ日の日経の1面に連載中の『働くということ』に「誰のため、何のための仕事か」と会社を辞めデートレーダーとして成功している同世代の方の話があった。仕事とは私にとって生きていくための賃金を得る場である、一方麺聖としては「うどん」のために活動している。うどんの功績で今の会社に就職したわけでもないし、会社のため麺聖になったのでもない。つまり麺聖の知識を会社のために使うつもりはまったくないし、今会社が行っていることは麺聖の主張に反している。責任感の強い私は、これでは辞めるしかないと思いつつ勇気がなく、今一つ踏み出せていない、信条に反せず働ける場所を求めて社内公募に応募した、4月には結果が出るが、これでダメだったら・・・。
 1994年の新横浜ラーメン博物館に始まったラーメンテーマパーク、ちょっと検索しただけで、あさひかわラーメン村、小樽運河食堂ラーメン工房、ラーメン国技場仙台場所、佐野拉麺浪漫館、REX大宮ラーメン七福神、武蔵浦和駅前ラーメンアカデミー、千葉ラーメン劇場、海老名ViNAWALKラーメン処、名古屋驛麺通り、熱田ラーメン哲人館、京都拉麺小路、道頓堀ラーメン大食堂、泉ヶ丘ラーメン劇場、明石ラーメン波止場 、博多ラーメンスタジアム、熊本ラーメン城下町、計画中の数もむちゃくちゃ多いようだ。「さぬきうどんと共存し、高松をめん文化の拠点にしたい(シンボルタワー開発)」、素直にはやりだから企画したと言えば、がんばって儲けてください!とコメントするのだが、つい皮肉を書いてしまった。こんな金太郎飴のような施設にこんな風に言われるんだから高松のめん文化も程度が低い!そっちのほうが問題だ。


 2004年1月18日(日) 青春18きっぷが1回分残っていた、そうだ京都に行こう!と昨日朝7時前に家を出た、通勤にかける往復3時間は人生には無駄で苦痛だが、京都までの片道5時間は喜びである。山陽線で検札があるが、この時期はかなりの人が18きっぷである、山陽線を下って香川へうどんツアーに行く人たちときっとどこかですれ違っているんだろうなぁ!とつい思う。
 昼頃花園駅から妙心寺を抜け、讃岐うどんの店(かけ並180円)へ、セルフの小さな店はいっぱいだった。そのあと「京の冬の旅」で特別公開中の妙心寺龍泉菴を拝観。こんな寒い日に冷たいお寺になんてと思うが、同好者多数。市バスで河原町三条まで行く、若いお嬢さんが店頭で呼び込みをしていたセルフの讃岐うどん店で(かけ並294円)食べる、客数人。駅に戻り、3時前、駅ビルの拉麺小路(11月1日オープン)へ、ほとんど行列がない、ちょっと待つだけで尾道ラーメン(650円)を食べる(これで小路では全7店のうち5店で食べたことになる)。JR、地下鉄で1時間ほどかけ4時前、なんばパークス麺だらけ(10月7日オープン)に到着、ラーメン店を含め、どの店も行列なし、へぎそば(760円)を食べる、イベント店の入れ替えが行われることは知ってたが、昨日が初日だとは知らなかったのでラッキー(これで全店制覇継続)。麺通団(かけ並360円)と、実力の割に客が少ないイタリアン(イタリア風ソースがのった新潟名物焼きそば450円)を食べる。発泡スチロールの容器とフォークがいけないのだと思うが、箸も用意されていた、今回はホワイトソースがけを食べる。途中の西明石で新快速から乗り換え6時頃マイカル明石のラーメン波止場(12月5日オープン)へ、唯一行列ができていた、宮崎ラーメン風来軒(630円)へ (これで波止場では全8店のうち5店で食べたことになる。)。以前より、はまんどの客が多かったので、どうしたのかと思ったら月間投票でトップになったと張り紙があった。
 西明石に戻り、あと姫路、岡山、坂出で乗り換えると家に着く、仕事のストレス解消に行ったはずだが、これだけ時間があるとつい仕事のことを考える、『成果主義 曲がり角に』と朝日の土曜版。「自分のキャリアにプラスにならない異動に従いますか-。(中略)大企業の社員2400人に聞いたところ、自分の価値観やポリシーをもって仕事に取り組んでいる若手ほど、『従わない』という答えが目立った」、「多くの企業は、いまだに序列や管理を重んじて、社員が自分なりのキャリアをつくっていくことに否定的。そんな中で成果主義を浸透させても、モチベーションを落とす人を増やすだけだ(高橋俊介慶応義塾教授)」、私のことだ、やはり私は間違ってない、そんなことをウトウトしながら考えた。
 時間帯?センター試験のせい?3フードテーマパークとも人が少なかった。もう飽きられきつつあるのだろうか?麺だらけも、香川経済レポート(11月25日号No.778)に編集長が 「ここもやはり人、人、人の波であった。もう人間を見るのが、嫌になるくらい人に溢れていた」と書いてあった面影すらなかった。「集客力の点では完全にラーメンに首座を奪われていたのが残念だった。地元香川と同じレベルで提供するのは至難の技だが、味のレベルアップを常に怠ってはならない。」はもっともなことだが、麺だらけで、オープン初日にお話をうかがった複数の高名なラーメンオタクさんによるとくじら軒は日本でトップクラスだそうである。裾野の広がりを考えると山越が店ごと移っても難しいだろう、麺通団がくじら軒に客数でかなわないのは必然のような気もする 。またラーメンのほうが他の店と差別化しやすいのは事実である。あの場所に谷川が出店するのは場違いであるように麺だらけのコンセプトにあう讃岐うどん店が存在するのかどうかも疑問である。でもオープンの賑わいが終わった後のこの落ち込みは想定の範囲内で収まっているのだろうか? 家に帰ったのは10時すぎ、うどん3玉、ラーメン2玉、そば、焼きそば各1玉、計7玉3324円。交通費3160円、拝観料600円、その他630円、合計16時間7714円也。


 2004年1月12日(金) 先週、小泉首相が日帰りで香川県、愛媛県を駆け抜けた、「讃岐うどんは腰が強いんだって。小泉内閣の腰も強くしてもらいたい」(日経2004/01/09)この一言が言いたかったのか、坊ちゃん列車に乗りたかったかが、今回の訪問の最大の理由では?と思う。
 その小泉さんを香川県につれてきたほどの讃岐うどんだが、12月27日の朝日新聞では、『出店競争熱々』と関西の讃岐うどん店が厳しい競争の時代に入り、積極派がある一方、メニューの見直しを始まる慎重派もあるとし、めんむすの松本邦泰社長の「関西ではブームが終わっている」というコメントを載せている。関西でブームがあったとは思えないが、今までのうどんに枕詞の「さぬき」を付けるだけで売り上げが伸びるのなら大阪の食い道楽も怪しい物であるから、現状はむしろ正常である。
 1月8日の日経MJも『讃岐うどん人気下火に?出店計画縮小やメニュー変更』と続く。「めんむす」、「つるまる(浪速うどん店)」など主に関西での計画変更を書いてある。『店舗システムの整備課題』と「店舗の仕組みを整えないままに大量出店に乗り出したため、壁にぶつかっている。きちんと店舗システムを整えれば、まだ伸びる市場だ(UFJつばさ証券佐々木加奈アナリスト)」の分析を載せている。
 でんぷんを添加し腰を偽装した麺とオプション方式と低価格は関東では通用したが、関西ではダメだったということか、店舗システムの整備が何を意味するかは不明だが、讃岐うどんを名乗ってもまずいものはまずい、まずそこを整備しないとネ!


 2004年1月2日(金) なんで東京で皿洗いをしないの?という声がありましたが、私は麺通団員ではありませんので、年末を沖縄で過ごしています、香川県は比較的温暖ですが、冬は寒いですから。ふと、思ったんですが、『うまひゃひゃ』のさとなおさんは讃岐うどんの他に沖縄についての著作がありますし、メイリングリストを管理する『讃岐うどん王国』のかずさんも沖縄にはまっているようです。沖縄と香川に共通点って何かあるんでしょうか?辺境!かな?
 沖縄の年越しそばは沖縄そばで市場のそばやさん(香川でいう玉売りの店)には行列ができています。宮古島のシギラのもずくそば(モズクを練り込んだ沖縄そば)は讃岐うどんにどこか似ていました。元日に伊良部島の渡口の浜(今まで私が見た沖縄の砂浜で一番砂が細かい気がします)で地元のおじさんに教わりながらカニ捕りを試みました。この前カニが横歩きをするのを見たのは何年前のことだったでしょうか。
 うどんがいわゆるブームになると、気が早いマスコミや行政はこぞってうどんの次に来るものを探そうとしています。彼らが危機感を煽るだけして何も生み出さなかったことが十年以上前にありました、彼らはうどんの価値を認めてこなかったのです。別に過去を責めているのではありません、今もうどんを大切にしてるのではなく、利用しているだけのように見えます。彼らにとっては「うどん」でなくてもいい??そんなことないよと四国新聞さん言えますか?知事さん言えますか?人それぞれの讃岐うどんでしょうけど。
 占いなど信じていませんが、ふと見た雑誌に「火地晋」とありました。勇将が戦場にのぞむ相、いい就職口を得る、財を得る等々いい年のようです。まあそこまで良くなくても、うどんをただ食べる、少なくともうどんを利用だけする奴らとは対決しよう、と思っております。


 2003年12月27日(土) 田尾教授が麺通団サイトの2003年12月24日(水)の団長日記に「ちなみに私のことを『うどんで先生になった』とバカにしているお会いしたこともない方々がおられますが、憶測でウソを書いちゃいけません。うどんで教授を引き受けるほどバカじゃありませんから(笑)。」と書いてある。田尾さんがゲリラのとき批判していたうどん業界のかなりの人達は儲けにつながると不本意ながら合流、やがてゲリラは官軍となった。努力をせず、売り上げが落ちた一部が、原因が田尾さんにあると、無意味な攻撃を仕掛けている、渋々従った人も時々本音が出る、こんな状態かと思う。
 特色がある店が紹介されたことにより、売り上げが落ちた平凡な店やいわゆるブームによる大資本セルフ店の低価格攻勢で客足が遠のいた店があることは承知している。有名店ばかり紹介し、客を連れていく、あんな店より自分の店の方がいい粉を使っているしおいしいと言ってくれる人もあると憤慨していた店主もいたが、それが客のニーズである、悪口では解決にはならない。
 うどんブームはラーメン界にも影響を与えているようで石神秀幸氏協力による『ラーメン発見伝(小学館ビッグコミックスペリオール2004年1月9日号)』にもさぬきうどんが登場している。ラーメンにライバル視されるとは光栄である。
 なお、尊敬する石神氏に枝葉のことで恐縮だが、讃岐の国が、干ばつには苦労したのは事実であるが、昔の讃岐の特産品であった讃岐三白(通説は綿、塩、砂糖)に米が入る「香川には『讃岐三白』と呼ばれる代表的な名産品があります。砂糖と塩、そして米です。(中略)讃岐米は、味がよく、硬質米であることから、良質のすし米として大坂(大阪)市場で知られていたといいます。(香川県庁の公式ホームページのデジタル映像館の『食通ばなし』)」説もあるくらいだから、米があまり穫れなかった(この文章いたるところで見かけるが出典はどこだろうか)という表現より危機管理からあるいは小麦の栽培に適していたというのが正しい。極太麺になったのは穫れる小麦の成分からの必然であり、近年に輸入小麦の特徴にあわせ細くなったのもまた必然である。
 あと何日かで今年も終わるが、私のサラリーマン人生にとって今年は最悪の年であった、うどんを食べているからと配置転換され、そこでの方針は麺聖の信条に反しているという、苦しみの下にある。今の会社での役割は辞めるにしろ、辞めずに賃金をもらうだけの存在になるにしろ、もう終わったのだと思っていた。でも先日、配置転換に関わっているであろう会社の偉い人が、大勢の前で、田尾団長を表彰したとか、雇ったとか自慢げに話していた。これを聞いて私は希望を持った、それほどまでにうどんを大切に考えているのならば、私は自由にうどんが食べられ、物が言える麺聖に来年はきっと戻れる、こう信じよう!来年が良い年になるように!せめて今年よりましな年になるように。


 2003年12月23日(火) 土曜日の巡礼パーティー、全体にお年を召したご婦人が多かった、これがブームの終わりの始まりかどうかは今後を待ちたいが、全体としての盛り上がりには欠けていた、と見た。盛り上がっていたという意見も多数 あるが、それは成人式と同じで、久しぶりに会う小グループの中(そのために集まる人たちを否定はしないが)だけの盛り上がりである。
 聞くところによると、先週の自転車の彼は、再び飛行機に乗って東京からパーティーに来ていたそうである。


 2003年12月20日(土) 同僚から新しいうどん屋の情報を得、この前の日曜に高速を使い食べに行った。寒川町(敢えてそう書く)の天ぷらが売りの店。一人の男性客が入ってきた、「あの人何かうどんツアーしよる雰囲気やなぁ」その男性を見て連れの一人が言った。
 食べ終わり、男山神社にお参りし、そういやメガマートの東のうどん屋の話があったな、ここまで来たんやからと、メガマートを目指した、だいたいの方向は分かるが道は知らない、細く、くねくねとした道を走り、少し広い道に出たとき、自転車に乗った先ほどの彼がいた。同じとこに行くん違うん、まさか、バス停を見ているけん違うわ、と言い合いながら、店を探そうとする前に看板発見、川の向こうにのぼりが立っていた。
 セルフの店、食べ終わったとき、突然連れが目配せした、えっ!彼がやってきたのだ。ということは道に迷ったのか、まぁキャリアが違うからな!と思ったが彼の青い自転車を見てまさか?やはり高松市のレンタサイクルだった。片道20キロの大川町(敢えてそう書く)まで、こんなツアー客には感謝したい。


 2003年12月8日(月) 金曜の『さなメモ』でさとなお氏が「このごろマナー無視のメールがわりと多くて」と嘆いていたが、この現象はメールには限らない。電話でもなんでも、自分の質問、疑問に相手はどんな苦労をしても答える義務があると考える人達がかなりいる。簡単なことはもちろん、特に興味を持つものや研究対象ならばこそ自分で調べるべきものである。誰がこの風潮を広めたかを考えた、多分マスコミがさきがけだと思う、少なくとも予習はすべきであろう。
 一昨日12月6日は、四国学院大学の勝谷誠彦さんの『21世紀の地域創造と文化マネジメント−破壊者たち、創造者たち−』と題した講演、昨日はサンメッセのさぬきうどん交流会に行った。
 まず、勝谷さんの講演はよかった。酒の話、麺の話という彼の得意分野かつ我々にも分かり易いネタから、地域を活性化していくとこまで展開したのはさすがである。住んでいる善通寺に大学があるよさを感じた。聴衆が少なかったのは、勝谷さんと言うより聴けなかった人達に気の毒だった。
 交流会のパネルディスカッションには『スローフードからの挑戦』という副題がついていた。「地粉と伝統製法によるさぬきうどんを追求し、香川の食文化を継承して、大いに発展させていくことが必要である(チラシから)」そうだが、麺聖はそれが何のために必要かが分からない、この命題は真とは思えない。乾麺会社の常務、一般店の店主、お土産うどんと県外店を展開する社長、テレビのアナウンサーというパネリストは(うどんの知識、実績は別にして)「家族や親しい友人とゆっくり食を楽しみながら、小規模でも質の良い素材を提供する生産者を守り(チラシから )」というスローフードからほど遠い。このメンバーとあの話(メンバーから想像つくでしょ)なら「うどんブームの恩恵を受けて」でしょ、そこから出発すべきであった、それなら他地域との差別化の必要から、先ほどの命題は真になり得た、今回のパネリストはコーディネーターも含め皆さんうどんブームが大好きだそうだが、できればブームに反対の店主(製麺所中心のブームを面白くなく思い、讃岐うどんとして、県外人に、山越を紹介したくないと思っている店主は実在する)を加えれば議論も深まった。
 最新の全店制覇には電話番号が入った。要望があったのだろうが、休みだったっていいじゃない、道に迷って行けなくてもいいじゃない、たまたま見つけたうどんやに入ればいい、たとえハズレに当たっても。それを含めての讃岐うどんであり、うどんツアーだ。田尾団長の言う讃岐うどんの特徴「ゆるーい」を麺聖はそう理解している。


 2003年12月6日(土) 週刊現代(12/13号)に「トレンドが変わった」と「明るい照明に広々としたオープンテーブル・・・低価格が人々を驚かせた。ゆったりとしたスペース、モダンな内装というアメリカンスタイルに、それまで***とは縁の薄かった多くの女性が魅了される」拾い読みをするとうどん屋にも見えてくるが、***は喫茶店である。90代半ばからブームになったセルフのコーヒー店の絶不調の状況を伝えている。ドトールが1059店舗、スターバックスが487店舗、その他もあわせての飽和状態がその原因だそうだ。なんだかうどんブームの行く末を暗示させている。
 同じ現代の漫画『ラーメン星の詩』に讃岐うどんが登場している。いまどき、小(1玉)80円のセルフ店があるとは思えない、製麺所で「うどん2玉くださいっ」と頼むと多分ビニールに2玉入れて渡されるはず等々突っ込みどころが満載、まあフィクションだからいいかぁ。でも一番変なのは、テボを並べ麺を茹でている場面である。作画家は香川県に来たのだろうか?もし目にしたとおり描いたのなら、それは冷凍うどんの店である。うどんは釜の中で泳がして茹でる、テボは温めるときに使う、ラーメンのように生からテボで茹でることはない。


 2003年11月30日(日) 今朝、宮武に行きました、ほぼ満席でしたが、まあ並ばずに食べれました。大将に「今フリーやったかなぁ?」と聞かれました、うどんに対する考えはそうですが、職業上はまだ違いますがな、でもその時は駐車場の整理にでも雇ってください、ととりあえずお願いしときました。県外からバスで来ている十数人の団体さんがいました。各自一杯は守っていましたので、まあ合格でしょうが、できれば支払いはまとめていただければと思います。うどん鉢を片付けて、テーブルを拭いてとは申しませんので。
 四国新聞で今日から『うどん天国 空前ブームの深層』という連載が始まりました。どこまで迫れるかプロの技を(突っ込みたくて)楽しみにしています。ところで讃岐うどんって客観的に本当にすごいのか、ちょっと調べてみました。まずは歴史。空海が讃岐に生まれ、1200年前に唐へ渡った(但しうどんと関連する資料はない、唐代には既に切麺があったと推測されているが、日本で切麺が出現したのは室町時代とされる)。『金毘羅祭礼図』から元禄年間に琴平にうどん屋があった(これは江戸、京,大阪に遅れてはないようだ)。正徳年間の百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』で小麦は諸国にある「而シテ讃州丸亀ノ産ヲ上トナス。饅頭トナシテ色白シ。」とされ品質はよかったようだ(もっとも「関東及ビ越後ノモノハ甚ダ粘リ、麩筋及ビ素麺トナシテ佳シ」と続く)。歴史上これ以上の資料を麺聖は知りません。小麦の穫れる地域なら全国どこにでも、はくたくが進化した伝統的な打ち込み系のうどんがありますし、純正な包丁切り麺でも、武蔵野、北関東、庄内など、香川県に限らず各地に残っています。
 うどんやの数が多いと言われています。でも絶対数では大阪府に負ける(大阪府麺類食堂生活衛生同業組合によると1300軒らしい)し、人口比では、比較相手がちょっと違うが、富士吉田市の人口55,000人に53軒と比べ、香川県の人口1,020,000人に800軒では威張れない。
 うどんブームの因を探る動きを麺聖はどちらかと言えば冷ややかな目で見ています、「そこにうどんがあった」以外は触媒です。皆さん触媒を発見して喜んだり分析していますが、意味はほとんどありません。歴史的事実を脚色で膨らますのではなく、地道に収集をし、資料を積み重ねるべきと思っています。「責任上麺聖やれ」、これが天命なのでしょうか?


 2003年11月27日(木) 三連休は紅葉の京都へ行きました。行きにちょっと寄り道して、なんばの麺だらけへ。もう開店は早まらず11時きっかりにオープン、7Fの庭園から入ったら、また一番乗りでした。場内整理が年齢も給料も高そうな方々から、若者たちに変わっていました。相変わらずラーメン3店の人気が高いようです。
 嵯峨野・嵐山、真如堂と醍醐寺に行きました。真如堂へは昔三脚を担いで社寺と花を撮っていたときよく行きました。ちょっと不便なところ(上が北として平安神宮の右上、銀閣寺の左下)にあり、浅野喜市先生の写真集『京都花の散歩道(1986年日本カメラ社)』でも「観光寺院にはない静けさがあり、ここは京都人だけの撮影地である」と書かれたように、紅葉のまっただなかにカメラマンが数人いるくらいでしたが、近年広告に取り上げられて有名になりました。日曜日に行ったのですが、山の下の交通量の多い白川通に貸し切りバス2台が路上駐車、駐車場待ちの車は列をなし境内は人人人、穴場のうどん店に観光バスが押し寄せ行列ができるのと同じです、ちょっと誇らしくもあり、少し残念でもあります。
 ぶらりと歩いた河原町通にこんぴらやを発見、感想?どこの讃岐うどん?御池、四条、河原町、烏丸通に囲まれた(だいたいのところ厳密には違う)ブロックにいきいき、はなまる、こんぴらやとセルフ店が進出しまし。ところで京都の讃岐うどんはどんな評価なんでしょうか?世の情報はほとんど東京発なので、京都の讃岐うどん事情がちっとも分かりません。
 それにしてもどこもすごい人で、テーマパーク京都の底力を見た思いです。紅葉は毎年去年の方がよかったと言われ続けてますが、それなりにきれいでした。野宮神社、落柿舎、滝口寺、祇王寺なんかは田尾先生の言う小ねたになるんでしょうか?


 2003年11月21日(金)  「本物は、あとからやってくる。」と讃岐うどん大使東京麺通団が9月に西新宿にオープンした。これもかなりずうずうしいコピーだったが、これを本歌取した「本ま者は、その後からやってきた。」で将八の東京渋谷店が12月にオープンするそうである。その将八のホームページを昨日見たが、口上書に、「五つ、香川県より『讃岐うどん大使』を任命されました。郷土の発展の為に最善の努力をすることを誓います。」には驚いた、「讃岐うどん大使」は麺通団の(香川県庁とは関係ない)肩書きではないか?本当に香川県庁が任命したのかと県庁のホームページを確認したが、そんな事実はなかった。いくら何でもここまでしたら、パロディではなくパクリになる、味に自信があるんなら、県庁の名を使ったり、紛らわしいこと書かなきゃいいのに!

 麺通団公式サイトの団長日記の11月19日に田尾団長が「うどんブームの仕掛け」について官庁相手の講演や日経新聞の取材を受けたこと等々を書いてある。ブームを探っている人達がいるのは麺聖も噂に聞いたことがある、どうも今は「『うどんブーム』を追求するブーム」のようだ。でも仕掛けはともかく、うどんブームについてだったら官庁や新聞社には莫大な情報が集められてあるはず、なぜ有効に使わないのか不思議である。例えば新聞社のデータベース、なければ縮約版で「うどん」記事を探すだけで必要な資料が集まるはず(集まらないならその新聞は読む価値がないか昨日できた新聞になってしまう)、なぜなさらないのか?資料は語ってくれませんか!


 2003年11月15日(土)  11日に「うどん博士」として知られた加藤有次先生がお亡くなりになられた。麺聖は93年のさぬきうどんシンポジウムと97年の国民文化祭のうどんフェアの2回講演を聴かせていただいただけの関係だが、87年から全国各地のうどんを訪ねTBSの「粉食文化−うどん街道」シリーズを担当されたということに驚きかつ尊敬、そしてうらやましく感じたことを覚えている。今で言うスローフードの先駆けの武蔵野手打ちうどん保存普及会の会長で、武蔵野台地と文化、地粉にこだわった方であった。ご冥福をお祈りしたい。

 昨日の四国の『続グルメの哲学』で北川先生が讃岐うどんについて「全国製麺類公正取引協議会の表示に関する基準では、『香川県内で製造されたもの』である」と述べ論を展開され「ぜひ、讃岐うどんの定義を守り、ブームに乗って県民の所得確保のための産業を発展させて欲しい。」と結んでいる。いわゆるブーム以後、讃岐うどんのブランドを守れと、よく提言、議論されるが、讃岐うどんの何を守るかが、論者によりことなり、分類されてはいない。商売を守るのか、文化を守るのか、味を守るのか。ところでこの基準、店で食べる分には適用されなかったはず、麺聖の理解ではそうだったのだが。
 仮にすべてのうどんに適用するとして、香川県で作った麺を讃岐うどんとすると、東京において、手打ちでその日に作った「すみた」のうどんが偽物で、工場で何日か前に、機械が作った「めりけんや(個別名をあげると差し障りがあるが、大会社ということと北川先生が触れられているので一応比較のため、気を悪くされないように)」が本物になる。また15パーセントも混ぜものがある冷凍うどんは讃岐うどんで、すみたは偽物ということにもなる。県外に出荷されているのは冷凍の他、乾麺、半生麺だが、聞いたところによると、それらにも混ぜものは必要だそうである。味を守る立場の麺聖の考えとは、離れた結果になる、「小さい店なら大きな影響はない。」のではなく、さか田やすみたのような小さな店の日々の活動が讃岐うどんの基礎を固めてきたのだ。
 県内産業保護のため、まずいものを救うだけの定義なら意味がない、はなまるなんかは、讃岐うどんと名乗らず、はなまるブランドとして全国展開している、時代に合わない基準や規約や規制に保護されても滅び去るだけ、自分で切り拓いていくのが正しい。

 店の評価を書くと「その店が長い年月営業してきてるのは支持する常連客がいるのだ、個人の好みでうまい、まずいとか、悪く言ってはいけない」と正論っぽい意見を述べる人がいる、どこか違うとひっかかっていた。香川県人に限らずうどん屋を何百軒も行った人はブームとか言われている今でも少数派なんだ。多くの人は自分のうどん屋リストにご近所の店しか載せていない、ちょっと興味のある人はこれにマスメディアから仕入れた穴場店がプラスされる、数百店を食べ比べて選択しているわけではないのだ。GajAの讃岐うどんベスト100も田尾団長の掌で遊ばされている、『恐るべき』の枠を抜け出していないのである、有名穴場店はそのまま選ばれるし、無名の穴場っぽいローカル店はまずくてもその地域の人から票を集め選ばれる。
 先ほどの「正論」を将棋で例えれば、田舎の村で一番強いとか名人とか言われた人がいた。近所の人もそう信じてた。客観的には県レベルで言えば大駒(飛車とか角とか)1枚弱い、全国レベルでは大駒2枚弱い、これだけのことである。将棋は直接対決できるがうどん屋はできない、それで正論が本当っぽく聞こえる。

 ミシュランかザガットかではないが、500店以上食べた人、100人に投票させ50店選ぶのならそこそこのものができると思うが、現実には無理、誰かの責任で決める方が少なくとも個性がでてうまくいく。
 キリンの88カ所巡礼も県庁の夢2000のラリーもGajAも(美味しい店を選定しているわけではないが、一般にはそう見られている)、根本の失敗は選んだ人たち企画に携わった人たちの誰一人として事前にしろ事後にしろ選んだ店全部に行き比較検証していないこと(事後に行った人はいるだろうがその人は自分が選んだとは恥ずかしくて手を挙げられないハズ)にある。
 提言のない論評は子供の議論になる、先ほどの讃岐うどんブランドを守る讃岐うどんの定義、「麺聖が認めた店が讃岐うどん」、こんな解決策でどうであろう?もっとも香川県内の「讃岐うどんの店」は(たたずまい、人の要素で下駄を履かせても)200店以下になってしまいますか! 


 2003年11月9日(日)   昨年の今頃、サンメッセのさぬきうどん交流会の感想を書いたのが「このごろ」の始まりである。人間は進歩しないものである、1年ほどたった昨日は善通寺にある重要文化財偕行社での日本うどん学会の第1回全国大会に行ってきた(麺聖は会員ではないが当日参加費を支払えば参加できる)。研究発表やシンポジウムでは、いい意見がそこそこでていたし、おもしろかった、100人以上も集まったことからも成功と言えよう。ただ時間が短く質疑、討論ができなかったのが残念。
 テーマはさぬきうどんの持続的発展、麺聖はうどんブームやツアーを観光振興とか経済活性化につなげる動きに反対である。もっともそれで金儲けをする才覚がある人の足を引っ張るつもりはないが。持続的成長に必要なのは地元の人が満足してうどんを食べ続けることである。これは経済学ではどうか知らないが観光学では常識であるらしいし、うどんを食べるのを目的に香川を訪れる人たちは地元の人が食べているうどんやに行くことを目的としている。行きつけのうどんやに近所の人が行けなくなった今のブームを住民は喜んではないし、有名店の周りの住民は我慢をしている。穴場はやがて観光うどんに変化し衰退する。一方それ以外の手を抜かず努力をしている多くの店でも、売り上げは落ちている(はずだ、県全体のうどんやの売り上げが伸びても、それ以上にうどんやの数が伸びているから)。結果、今のブームやツアーには反発の声が多い、浮かれているのは分析する力も提言する力も見られないマスコミとちゃんとした船頭のいない行政、他人に頼って金儲けをしようとするエセ企業家だけである。またブームで売り上げを伸ばしているお土産うどんも、全国的な価値を見れば、値段ではナンバーワンだが、味はそれほどでもない、讃岐うどんのブランドイメージを損なう可能性もある、どちらかと言えば便乗組に過ぎない。
 三宅会長の研究発表の結びの「さぬきうどんの代名詞『安くて、美味しいうどん』(日常性)を守り続けることが持続的成長を支える基本的要因」という主張には賛同するが、どうしたらそうできるか麺聖には分からない。少なくとも、美味しいうどんを食べたいとだけ願っている麺聖にとって今のブームは千載一遇の受難の年のように思える。2回目はそのあたりを皆さんで追求して欲しい。いい俳句も教えてもらった、お礼に1句「食べる  食べる   またうどん食べる」麺聖。


 2003年10月31日(金) 香川県庁(他)の主催でさぬきの夢ラリー’03が始まってるが、ある日ある参加うどん店で中年のおばさんが二人「さぬきの夢2000やから美味しいんや!」と話しあっていた。可もなく不可もない麺と、麺聖は思ったが、間違いなく夢2000だという確信は持てなかった。製粉技術の進歩のためか、色は白い、区別ができる舌をお持ちの方がうらやましい。
 香川県庁のホームページに知事へのメールという目安箱みたいなのがある。「さぬきの夢2000を無理やり使わそうと県庁が躍起になっているが、手打ちしにくい粉で開発費が無駄だ」という旨の提言があった。これに知事さんが「『さぬきの夢2000』とオーストラリア産を1:1の配合比で混合することで、食味評価が高く、生地・麺の安定性の向上した麺の製造が可能です。」と答えている、さすが農水省出身の真鍋知事、夢2000の限界をご存じである、なら何故「『さぬきの夢2000』を100%使用した『さぬきうどん』を提供するうどん店を巡るラリーを開催」するのか?何故県民にまずいと知ってて食べさせるのか?県庁の「県民本意」の行動指針って・・・、小麦農家だけがこの場合の県民・・・。
 ところでこの知事へのメールって本当に知事本人が返事を書いてるの?知事さんってそんなに暇?部下に調べさせても時間的に難しいはず、ひょっとして県民にウソをついているのでは?目を通して指示を与えていてもJAROに報告される「まぎらわしい表現」になる、本当に知事が返事を書いてくださっていると信じてメールを送っている県民をだましたくない正直者の麺聖が知事なら直ちに止めますが。
 小麦の開発は加藤有次先生著の『わが家はうどん主義!(2003リヨン社)』によると「(麦新品種緊急開発)プロジェクトにより、2002年度までに、日本めん用に新たに開発され、奨励品種とされた小麦が」、キタモエ(北海道)、ネバリゴシ(東北地方)、つるぴかり(群馬県)、あやひかり(埼玉県)、イワイノダイチ(栃木県、福岡県、大分県)、ユメセイキ(長野県)、キヌヒメ(奈良県)、ふくさやか(広島県)。夢2000も含め「これらの多くは、うどんづくりにより適した『低アミロース小麦』」とある、少なくとも香川県だけの独創的な施策ではない。


 2003年10月28日(火) 一昨日の日曜、なんばパークスへ行って来ました、2回目です。午前11時の開店は客が多いためか30分早まりました。麺だらけの全10店のうち、本店に行ったことのある、しばらく(博多ラーメン)とたかせ(山口県瓦そば)と稲庭養助(秋田県稲庭うどん)を除いて制覇しました。あいかわらずラーメン3店と瓦そばの人気は高く昼頃には90分以上待ちになってました。
 大阪麺通団も行列ができてましたが、よく見ると席が空いているのに列が進まない、列が進むのに席がないなど、さか枝なら3分の行列が30分くらいかかってます。麺は初日の「伸びるが、歯ごたえに欠ける」から「歯ごたえがあるが、弾力に欠ける」に変わってました、どっちの方向を目指しているのでしょうか、それとも打ち手の違いでしょうか。
 麺だらけのある7Fにエレベータを止めない、待ち時間の表示を館外にもする、列の並ばせ方を変えたなど初日から改善はしています。入館待ちもあり成功なんでしょうが、落ち着いて麺を食べる場所ではありません、それも狙いかもしれませんが、活気があるというプラスのイメージは持ちませんでした。日曜で特に客が多かったせいもあるのでしょうが、店の造りも、長居できるようにはできてません。昔、新横浜のラーメン博物館では、懐かしく感じ、印象としてゆったりと過ごしました。回転を上げつつ落ち着いた雰囲気に、できると思います。


 2003年10月26日(日) 最近あるうどん屋に行ったら、ご主人から「何でおるん?東京に行っとん違うん?」それは麺通団ですがな、麺聖は香川県におります、うどんを食べることはできても、うどん屋はようしません。生活の糧を得るため(社会のためとか、何かを目指してという目的意識は組織のためにも世のためにならないという信念を持っている)会社に行ってますがな。
 印刷版『うどんグルメの旅』を出してから13年余、うどんを一所懸命食べてきました、当初「点数つけるなんて失礼や」「好みがあるやろ」とか言われましたが、金を払った客が評価するのは当然の権利ですし、好みを越えたまずい店が実在します。絵とか映画の評価はよくあるでしょ、うどんの評価を許さないのは、うどんとうどん職人を低く見ている裏返しです。プロの技術には敬意を表すべきですし、劣る人には退場を言い渡すべきです。「一般的に言えるのはうどんそば店或いはラーメン店を開業した人達はよほど向上心のある店主でない限り、一旦店を始めるとすぐに井の中の蛙になる。よその店にはまず行かない。他の繁盛店のことを知ろうとはしない。そして自店の麺は最高だ。スープは最高だと自慢したがる。(『失敗しない麺専門店』藤井薫著2000大和製作所発行)」ネ!努力しない大将多いでしょ!

 ここ何日か引き際とかプライドとかが世間をにぎわせてます。その人たちへの評価にここでは触れませんし、私などと比べるのも失礼でしょうが気持ちは理解できます。私もこの3月に20年近く勤めている会社から麺聖の「うどん」に敬意を払わない扱いを受けました。仕事の評価については人事の専管でしょうが、うどんに関しては、私の尊厳に対する挑戦です。半年間辞めようか?と考え続けています。リストラにあって職が見つからない人達からは甘いと叱られるでしょうが、生きる手段としての仕事と人間の尊厳、どちらが大切なのか今思惟しています。


 2003年10月19日(日) 明日から香川県庁(他)の主催で、さぬきの夢2000のPRが目的の「さぬきの夢ラリー’03」が始まる(1/12まで)。行政による民間の八十八カ所巡礼をぱくった企画だが、その点は今回は置いておこう。問いたいのは趣旨である、夢2000の何を伝えたいのか、が見えてこない。夢2000は究極の小麦ではない、「あくまで通過点に過ぎない(日経2003/9/10)」と開発者の多田先生ご自身が述べている。
 参加76店を見ると、宮武がない、山越もない、県産小麦を半分使う田村もない、S級指定10店では満濃の長田だけ参加だから0.5店か。おか泉なんか3日間それも平日だけの参加である、県庁の圧力に耐えきれなかった良識派の店は期間限定で抵抗している、そんな風にも思える。それと主催者は事前に76店全部で食べたのであろうか?食べてないとすると無責任であるし、食べたのなら・・・、はっきり書くと、粉を使いこなせるかさえ不安なスカな店が(もちろん全部ではないが)がかなり含まれている。客に責任を持ち味にこだわる評判の店はASWを使う。まずい店は夢2000で差別化を図り、ますますまずくなり、客が離れる。こんな図式が見える。
 そもそも、安い外国産小麦を輸入し、高く売る、その差益で、国産小麦に補助金を支出する、こんな現状での国産小麦の振興は正常なことなのだろうか?ブランドかブレンドかの検討の不足、実力を過大評価した人たちの存在、讃岐うどんの評判を落とすのではないかと懸念している。「官民一体となって新品種の普及に取り組んで」いるらしい今こそ、麺聖のように、ケチをつける「頑固者が現れても不思議ではない」と思っている、「香川の人たちにとってうどんは人生なのだ」から!


 2003年10月11日(土) 歴史は繰り返すと言うが、歴史から学ぼうとしない人たちが讃岐うどんブームに続く何かを探そうと喘いでいる。最近、愛媛の人は麺聖に「香川県は元気に見える」と言った、そうなんだ、今を素直に喜べばいい、短所を気にするより長所を伸ばそう!そんな気持ちで30年かけてうどん以外の何かをじっくり作りませんか!
 このいわゆるブーム、週刊ポスト(10/17号小学館)の巻頭カラーを飾るまでになった。「行列のできる讃岐うどん」、店の選択は、相撲に例えると幕内クラスを選んでいる、でも何故か子供相撲の横綱がいるそんなところ、これってしゃれで入れたのかなぁ。今どき「子どものおやつはうどんの玉」なんて食生活はかなり珍しいが、「ブームではなくもはや定番。(蓮見さんの談)」これなんかは正確な認識なんだろう。
 素人のように食べて素直に語れない、作家の先生たちを憂えたのが、『エンタクシー(No.03扶桑社)』の「『食』の氾濫文脈」。『ベスト オブ ラーメン』を作った里見さん以後グルメ本がダメだという特集だが、讃岐うどん食いの立場から読むと、原稿を寄せた作家たちの文章が、無知と自慢話だらけ、ねらった編集者もやるもんだが、笑い物にされるのを承知で寄稿した作家も度量が広い。
  桐山秀樹さんは寿司とか蕎麦、ラーメンについて「日本人がほぼ毎週、人によっては毎日食べる「『食事』である。毎日食べるものであるから、味は誰にでもだいたい想像がつく。」さすが作家先生!想像力がたくましい、麺聖なんか麺を見るまでちっとも想像がつかない。想像と違ってたから、東京でいわゆるブームになったのである。
 伊丹由宇さんの言うように地酒、ご当地ラーメン、さぬきうどん等に「それぞれ仕掛け人がいて(中略)さぬきうどんは、『恐るべきさぬきうどん』という本を書いた麺通団の田尾和俊氏。」によるというのも、分析力に欠ける解釈である。「いい店ほど取材拒否の場合が多い」これも讃岐うどん店にはあてはまらない。この伊丹さん、自慢しいらしく、五千軒近くの店に行ったとか、自分の脚で探したとか書いてあるが、それって必要条件であって十分条件じゃないんだが?まあ次のブームに富士宮やきそばを予言したと書いてるくらいだから、情報収集力も劣るようだ。ライバル(らしい)勝谷さんは今年の1月に富士宮市で「恐るべき讃岐うどんVS底知れぬ富士宮やきそば」の行司役をしている、この時間の差が伊丹さん自ら認める「才能の差」ということなのか?でも、自分の部下の出世は素直に喜ばなきゃいけないでしょ、『江戸の旗本事典』(小川恭一著講談社文庫)にも旗本旧家の当主が「自分が見込んで引き立てたにせよ、御家人株上がりの出世頭にも温かい心持ちの殿様でありました。幕府後期、御家人層より出世してくる者を、旧旗本家の人がいびって騒動がおきた話は聞きません。考えておきたいことです。」とあります。
 里見さんが誰かは知らない麺聖も『ベスト オブ ラーメン』、『ベスト オブ 蕎麦』の文庫版を持って食べ歩いたことがある、いい本である。麺聖が武者修行の旅を始めたのはその影響かもしれない。


 2003年10月8日(水) 昨日は大阪球場跡の「なんばパークス」のオープンだった。9時ちょっと過ぎになんば駅に着いた、誰も並んでいなかった、日を間違えた?一応11時前には一面の人になった。ほぼ先頭をキープ、元のホームベースのあたりからキャニオンストリートを突進し、不親切な誘導を乗り越え、エスカレーターからエレベーターに乗り換えるという機転もきかせ、7Fの「浪花麺だらけ」の1番ゲット。2番3番に並んだ人はくじら軒をターゲットに来たラーメンマニアだった。オープン前の行列は土曜の山越くらいか。
 11時に開くはずなのに、内輪のセレモニーが続く、こんなん客がいないときにすましておくもの、並んでいる客は南海主催のセレモニーを見ているんだから、さすが大阪ヤジがとんだ。
 当然、大阪麺通団にも一番乗りだった。で、味は?70点(100点満点但しまずい店はマイナス評価)ぎりぎり合格かなぁ、東京は90点くらいだった。あとで内情を探ると、11時の開店と信じきった社長渾身の麺は、ナムコの自社と報道向けのセレモニーのために、あわれにも捨てられたようだった。
 ラーメン店の人気が高く3軒とも長蛇の列。うどんは、一番実績のない麺通団は善戦していたが、他の2軒は苦戦していた。ここで仮説、「うどん文化圏でない首都圏ではうどんは新鮮で受け入れられたが、大阪では日常、わざわざやって来てまでは食べない、よってブームにはならない。」。くじら軒のラーメンはおいしかった、でも、うどん界で「養助」はそれに匹敵する地位にある。また、行列が出来る東京の店を閉めてまで勝負をかけた「でら打ち」も行列がなかった。ABCが、東京で食べたことのある人を捜していたので若い店主のためにちょっと協力、彼らは麺聖と知らずに頼んだみたい、まぁ系列局の勝谷さんのことも知らない人たちだったから仕方ないか。
 入場制限がかかっていたので、出だしは「麺だらけ」成功か、でも食のテーマパークを何軒も手がけている割には、経験の蓄積が生かされてない、と思った。慣れない客でいろいろ大変だと思いますが、うどんグループさんラーメンに負けないようがんばってネ!


 2003年10月5日(日) 昨日の夜、某うどん店にうどん好き20人ほどが集まって、研究会が開かれた、半分くらいは県外からのメンバーだそうだ。うどん屋さん3人が試作した麺を食べ、いろいろ意見を言い合った。私も参加させてもらったが、皆さんの熱心なこと、彼らの情熱に比べれば麺聖の行動も常識の範囲内に入る、本当にそう思った、またその知識も深い、これもお世辞ではない。
 源内の店主がホームページで掲載した『うどん小話』をまとめ本として出版(著者発行藤田幸雄さん)した、ネットで読んだときもそう思ったが、どうもいわゆるうどん通が嫌いなようだ。その百六十二の不思議な国「讃岐」では「現代では、うどんのことを書けば先生になれる不思議な国″讃岐″です。今は第三次うどんブームであると小話百五十七で書きましたが、十年ごとにうどんの先生が現れます。三十年前は山田竹系さん(故人)、二十年前はS・Mさん、現在はT・Kさん。T・Kさんはうどんの本で大学の先生(教授ではありません)になりました。なんとも不思議な国です。」S・Mさんは佐々木正夫さん?じゃあT・Kさんは田尾団長のことと思ったが、彼は正真正銘の教授だから誰のこと?
 その十五の通には 「自称『うどん通』が増えてまいりました。(中略)本を出したり、インターネットで掲載するのであれば、本職のうどん屋以上の知識を持って欲しいものです。我々は皆、命がけで商売しているのです。自分の好みで店の判断はしないでください。」。
 じゃあ誰の好みで店を判断すんや?と思うがそれは置いとくとして、我々は客のプロである!知識が批評の絶対要件ではないし、歴史も由来も、うどん屋の経営方法もうどんの技術も知る必要もない。でも現実はいつの間にか自称うどん通がうどん屋以上に命がけでうどんを食べ、情報交換し、研究している、彼は認めたくないだろうが、こんな時代になった。深夜、神戸まで車を走らせて帰る人や、高松で泊る人、彼らを見ていると、命がけで商売しているうどん屋の比率より、命がけでうどんを食べている客の比率の方が高いのでは?と思ってしまう。


 2003年10月4日(土) ある地方の飲食店の大部分は味にこだわりお米は、新潟産コシヒカリを使用していました。一部の店ではその地方で穫れたことにこだわりコガネマサリを使ってました、でも味には苦労し炊き方を工夫して何とかやってきてました。最近その地方で、少し味がいいキヌヒカリが栽培され始めたので県庁は、新潟産コシヒカリからの転換を図りるため、地元産キヌヒカリを使用する飲食店を認証する制度を始めました。
 昨日の四国が報じた香川県庁が計画する「さぬきの夢2000こだわり店」認証制度はこんなことだと思う。マスメディアは隠しているが、ASWはお米で言えば新潟産コシヒカリである。その土地で穫れた物は大切にすべきであろう。新品種の開発も差別化のために必要であろう。でも実力は正確に知らせるべきである。
 夢2000はASWに比べて香りで優れ、従来の県産小麦に比べるとコシ・色で優る。でもこれをJAROに投書されないように表示すると、夢2000はASWに比べてコシと色が劣り従来の県産小麦に比べると香りで劣る、になる。無批判な夢2000への賛辞は決して讃岐うどんの発展にも香川県産小麦の振興にもつながらない。そこを伝えない新聞記者などは有害である。
 麺聖には、うどんブームに何ら関与しなかった香川県庁(そのことが讃岐うどん人気の秘密と信じている)が自分の手柄と主張したいため、悪あがきしている、そんな感じがした。手柄を主張する人を何人も聞くが、その人たちの功績は、うどんを愛し毎日うどんを食べ続けた人たちよりはるかに劣る。「認証店がまずいうどん屋を表す表示」になるよう、もとい、ならないよう祈ろう!


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