このごろ九 - 過去の部(07年01月〜07年06月) -

 07年1月記す。新しいうどん屋が続々出来てるようですが、ひっそりと廃・休業している店もあります。全体としてはどうなんでしょうか?今年の目標(平均ですが)、県内1日1玉、県外1週1玉、沖縄そば新規1月1軒。
 麺聖はうどんに関しては発言を控えません、当然訴訟も受けて立つつもりです。あと公人とマスメディアに対しては思ったことを書きます!(本編の更新は出来ないかもしれないけど)今年もがんばるぞ!なお、麺聖あて(から)のメール、私信を承諾なく公開することがあります。
 2002年11月〜2003年3月はこっち、2003年4月〜2003年9月まではこっち、2003年10月〜2004年9月まではこっち、2004年10月〜2005年3月まではこっち、2005年4月〜2005年12月まではこっち、2006年1月〜2006年6月まではこっち、2006年7月〜2006年9月まではこっち、2006年10月〜2006年12月まではこっち、2007年7月〜2007年12月まではこっち

2007年6月30日(土) 6月も終わり、そう言えば、富士宮に行ったのは今月初め、もう何ヶ月も前に感じられる。充実していたというか、あわただしかったというか、4回しか更新していない。

 質問から二ヶ月、イオンからも、一ヶ月経とうとする四国新聞からも相変わらず回答がない。私には不買と不誠実な事実を書くことしか手段がないが、客(読者)と真剣に向き合わない企業が流通業界のトップや新聞業界にいることは考えてみれば不思議だ。

 今年に入って6月末までに県内240玉、県外50玉食べました。新規開拓の沖縄そばの店(浦添のひかり食堂)に行きました。


2007年6月27日(水) 昨日の昼は満濃町にいた。やましょうに行って休み、太郎うどんに行って休み、仲南町の山の家も休み。山内まで行ってやっと昼食にありつけた。

 人は自分の経験からしか物事を考えられない、松岡先生に労働基準法を習い、20年以上労働者をやっている私は、24日付け団長日記に巧みな論点のすり替えを感じた。「長時間労働はなくせるか」の話で「(とにかく企業は悪だ。経営者は悪だという)威勢のよかったあの人たちが会社の経営をやったら、会社がつぶれることだけは間違いなさそう」ってのがあった。いかにも元社長の田尾さんらしい捉え方だけど、人は何のために働くかという話がすっぽり抜けてますよ。人は生きるために働いている、決して会社のためでも長時間労働で死ぬためにでもない、会社がつぶれても死ぬよりはずっといい。長時間労働を物理的になくせるならなくすべきであり結果会社がつぶれるのならつぶすべきだ、イデオロギー的と言われようがその方が幸せになる人がずっと多いと私は信じている。

 働き方については、22日付けの「さなメモ」にこんなんがあった。過去長時間労働をやってきた勝ち組サラリーマンのさとなお君は現在、忙しくても昼メシは抜かない、夜メシの時間は働かない、休日出勤は極力しない、月に一日は三連休に、などの個人的ルールを設定しているそうだ。負け組サラリーマンの私がそこだけ真似していいのか?とも思うが真似したい!仕事以外でも、さとなお君の精力的で多彩な活動は真似できないけど。

 山内で(多分韓国の)テレビ局が取材してたが、「こんな山の中までわざわざ…?」そうかなぁ、別府君みたいに歩くのならともかく善通寺からでも観音寺からでも1時間の昼休みに行って、食べて、帰れるんだから充分近いと思うんだけど!


2007年6月18日(月) 2週間ぶりに書く。この間隔を長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれであろう。どうも四国新聞さんは後者のようである。「うどんのルーツ」の質問メールを送って2週間、まだ回答がこない。そろそろ「読者を軽視する新聞」と呼んでもいいみたい!まあ質問をほったらかして7週間(再度の質問からも3週間)、行動規範の「すべてはお客様のために」がお客を無視することと同義語らしいイオンに比べればまだまだ可愛いと言えるが。と言うことで、私の買い物の選択肢からイオングループは消えた、永遠に。イオンにとっては何の痛みもないだろうが。

 昨日の朝日香川版「市町の『バナー広告』苦戦」、昔も書いたが私はバナー広告に反対である。時間制にしろパケット制にしろホームページを閲覧する側の私はお金を払っている。バナー広告の分、何故私が必要のないお金を余分に払わされるのか?「初期投資や維持費がほとんどかからず」と書いた朝日の記者には閲覧する側の根拠なき負担にまで踏み込んだバナー広告の是非を問う記事を書いて欲しかった。


2007年6月4日(月) 加ト吉の循環取引事件、ある新聞に「失われた消費者の信頼…」とあったが、いつ消費者の信頼を失ったのかな?記者の決まり言葉だろうけど!それより、私の勤めている会社が、連鎖倒産しないかがちょっと心配。

B-1グランプリ出品21品目  静岡県富士宮市で開催されたB級ご当地グルメ日本一を決める祭典「B−1グランプリ」に2、3日の両日行ってきた。予想二日間で10万人のところ、土曜が10万人、日曜が15万人と大盛況、土曜は4品目食べたが、混雑した日曜は会場に入るのにも待ち時間が、コナモン協会の方々のご厚意で試食させてもらっただけで、早々に退散した。21品目の内(ちょっと食べたのを含め)8品目食べたが、個人的によかったのは準グランプリにもなった青森県八戸市の「八戸せんべい汁」、他には「高砂にくてん」、意外なところで「たまごふわふわ」か。石毛先生にもお目にかかれた、三林京子さんにも会えた、よかった。グランプリには地元の利を発揮し2年連続で「富士宮やきそば」が輝いた。来年は久留米で開催予定。 
 羽田に向かう途中降りた川崎駅前で食べた、はなまるのぶっかけうどんは、だしの量が少々多すぎる嫌いはあったが思ったより美味しかった。
 上空から眺めた香川県、どこを見ても建物が点在している。コンパクトシティという考えは、機上の論議ではでてこない考えだと思う。

 帰って2日付けの四国新聞を読むと「世界麺フェスタ」の記事。「B−1グランプリ」より盛大なものが果たして出来るか?と傍観者の麺聖は意地悪く思ってしまう。ところでまたもや「『うどん』のルーツであるシルクロード沿線地域」とある。関連記事では小麦のDNAに触れていたけど…、先日の県観光協会のが元ネタなら誤報だ。麺フェスタの目玉は、うどんのルーツの発表ということを、四国新聞の社会的使命とやらで本気で取り組んでもらえればありがたいのだが。 


2007年5月31日(木)  『ドラえもん』の最終話を無断で漫画化して出版した人が出版社と藤子プロに謝罪した記事が載っていた。今の著作権法上はそうなのであろうが、創作という点からは、不幸な結末だ。昔話なんかは何人もの手を経て今の姿になってるわけだし、著作権が永遠に保護されてたら漱石の『明暗』の続編なんか書けなくなる。未完なわけだから、みんなに自由に創作させて、できのいいのを採用するほうがドラえもんだって幸せだろうに。

 残念なことにと言うか、多分こんなことだろうとは思っていたが「シルクロードが讃岐うどんのルーツ」というのは−小麦のDNAについて昨年発表した先生の新発見があったわけでもなく−単なる誤報と判明した。香川県観光協会から連絡があり、観光協会としては、麺の発祥の地は中国と考えており、新聞記事は記者との意思疎通を欠いた結果とのことだった。
 通説の中国発祥説も、現在の麺の分布状況、中国が文明の発祥地、各国の麺の名前が中国由来などを文化人類学的に判断しただけである。DNAで発祥地が分かれば画期的なことだと期待していたのも本心なのだが…。
 それにしても、自社で『讃岐うどん遍路』を作っているのに、新事実の確認もせず誤報記事を掲載した四国新聞の記者とチャック係には反省を求めたい。でも「うどんのルーツは、シルクロードに行きつきそうです(めりけんや便り06年11月号)」なんか読むと、梅原観光協会会長は本気でルーツと信じてるのじゃないかと思うけど?
 まあ間違いは褒められたことでないが、観光協会からは迅速かつ誠実に返事が来た、それに引き替えイオンの不誠実さ、同じ日にメールで質問(イオンは1ヶ月経って返事がなかった再質問)したのに。世間では今、官尊民卑ならぬ、民間はすぐれて官(やその外郭団体)は劣るとの民尊官卑の考えが広まっているのだが。

 今年に入って5月末までに県内192玉、県外41玉食べました。新規開拓の沖縄そばの店(夢二)に行きました。


2007年5月29日(火)  27日付け読売「庶民の味ピンチ」、バイオエタノールで穀物価格が上がりたこ焼き、讃岐うどんが値上げの危機との記事。小麦の値上げは、昨年のオーストラリアの干ばつが大きい、小麦粉25キロで60円の値上がり、と冷静な分析。確かに小麦粉だけなら、吸収できる範囲ではある。

 自分で言うのも何だが、私はかなりこだわる質である。こだわったから麺聖になれたし、今の私があるとも言える。が、ひょっとして、世間がクレーマーと呼ぶ、嫌われ者なんだろうか?だとしても、社長を出せ!知事を出せ!とも誠意を見せろ!とも言わない、真実追究の正当派だ!と周りに言ったら、それが一番扱いにくいと言われた。

 今、うどんに関して、こだわっていることが2つある。1つはこの前も書いた、イオンの「東京麺通団のマネしとるで」疑惑。イオンからは1月経っても回答が来ない、客からのメールを無視するって大胆!質問にさえ答えないお客様を軽視する企業!って書かれたらどうするんだろう?名誉毀損で訴えるとますますイメージ悪くするし、何よりイオン行動規範の「すべてはお客様のために」が口先だけってばれてしまう!ひょっとして、都合の悪いメールを無視できるのが一流企業の証かもしれない、だとしたら律儀に答えている真鍋君なんかは三流か!取りあえず二度目の質問メールを送った。

 もう1つは26日付けの四国新聞の「麺フェスタ 海外に売り込み」の記事。「空海が持ち帰ったとされる『うどん』のルーツであるシルクロード沿線地域の麺」の「ルーツ」や「讃岐うどんの源流であるシルクロードの沿線地域」の「源流」。「シルクロード沿線地域」がくせ者だが記事を読む限り、長安から東もシルクロードの一部とか、シルクロードの東端の長安・洛陽の周りを広く含むってことではないみたい。中国発祥の通説がシルクロードになるってのは大事件!ネットでは早々と通説派から「麺は中国が発祥」と書き込まれてるようだが、麺聖も恥ずかしいことに、シルクロード説の論文は読んだことがない。で、目下提供元であろう香川県観光協会に出典を問い合わせ中。
 筋のよい仮説ならうどんグルメの旅もかなり書き換えることになる、かもしれない。


2007年5月27日(日)  若冲の「動植綵絵」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)と「釈迦三尊像」(相国寺蔵)全33幅が相国寺で展示される(6月3日まで)。こう聞いて、この日しかないという昨日、京都に行った。展示室に入り、その空間にいられることが、うれしかった。自慢じゃないが、私が若冲を知ったのは古い、切手収集をしていたので、国際文通週間切手に1973年「群鶏図」が登場したときだ。同時期の高松塚古墳の寄付金付き切手とともに鮮明に覚えている。で、相国寺にこんなに人が集まったのは初めてだろう、どこからわいたのかという長蛇の列、じっくり見たかったのだが、後の人のことを考えると早々に退散せざるを得ない。毎年とは言わないけど、宮内庁さん、何年かに一度の里帰りをお願いします。
 同じ日各メディアで報じられたが、大徳寺聚光院の松栄、永徳父子の国宝障壁画のデジタル複製が完成し、京博に寄託された本物と入れ替えられたそうな。聚光院では何回見たことだろうか?冬には最後の方丈での姿を見た(秋に京博の特別展で公開される)。将来に残すため劣化しない複製は複製で大切だが、『京都発見』のどこかで梅原先生も書いてたかと思うが、現代の作家の後世に伝える障壁画も欲しい!
 私は麺聖!と思いだし、岡崎のなんとか麺蔵に行ったら改装中、せっかく京都まで来たのにと思い、足を伸ばし名古屋麺通団まで行くことにした。名古屋麺通団、田舎だった。名鉄の木田駅から、食べる時間を含め往復で1時間(正確には03分発で到着、04分発に乗った)かかった。ひやあつはまずまずだったが、同時にたのんだ、ぶっかけは、黒い液体の中に、麺がある感じで(ダシだけじゃなくバランスも麺も)まずかった。

 昨日の朝日のbeに著作権侵害を非親告罪にする検討が始まったことが載っていた。アメリカの要望らしいが、著作権が何のためにあるのかを忘れた議論だ。創作活動を活発にするために著作権は守られるべきで、そのために法がある。創作活動を萎縮させるのなら、著作権法による保護は害があるだけだ。創作活動にとってはチャイナ4000年の歴史も脅威だが、アメリカ200年の歴史の方がずっとたちが悪いかもしれない。


2007年5月22日(火)  昨日の朝日から笑い話「梅雨に十分な雨量がなければ、渇水になりかねない状況だ。」、梅雨に十分な雨量がなければ、早明浦ダムの貯水率が高かろうと低かろうと渇水になる可能性が高いのは普通のことなんだけど?

 人形浄瑠璃文楽「通し狂言 絵本太功記」を見てきた。文楽は寝ながら聞くのが一番と信じている私には珍しく、3分の2も起きていた。

 今回は金曜も月曜も休めなかったので、1泊2日。いったい東京で何をしているのかとの質問があったので、行動を記すと、朝一番で羽田へ、築地場外の瀬川で丼を食べる。突然の豪雨の中、国立劇場へ、通しで10時間ほど過ごす。跳ねた後、高円寺のさぬきやへ。翌朝、築地は休市なのだが、そんな機会にしか行くことのない、無休のチェーンの回転すしへ、ちょっと食べ過ぎたと感じつつ、昨日に引き続き、国立劇場へ向かう。前進座歌舞伎、腹もおきたので、3分の2はお休み時間。「毛抜」はやはり面白い、「新門辰五郎」がいい、声量は落ちたといえど梅之助は絶品、など。飛行機まで時間があったので、国立公文書館で(明治憲法と、今の)憲法原本を見て、丸亀城の絵図(コピー)を買い、帰ってきた。 


2007年5月15日(火)  連休後半の3日の午後から6日の夕方までメールをチェックしなかったら、241件たまっていた。ほとんどが、迷惑メールなのだが、私でさえそうなのだろうから、企業の関係者はさぞ、大変なことだろう。でも、だからといって返事すべきところを放置すれば評判が悪くなるし。
 さて、あんなところで流行るんか?という大方の県民の心配?をよそにイオン高松ショッピングセンターが昨月オープンした。素人が心配しなくても、流通業界トップがやるんだから勝算はあるんだろう、私にはどうでもいいことだ、と思っていたら大いに関係ができた。

 1999年に高松市から「文化奨励賞」、2003年に香川県から「かがわ21世紀大賞」、2007年には四国新聞から「四国新聞文化賞」を受賞した田尾教授の4月22日付けの団長日記に、イオン高松のことが書いてあった。「A藤『フードコート行ってん。うどん屋があるんやけどな、造り、東京麺通団のマネしとるで(笑)』田尾『ほんまかー!』」(中略)、「それから「『ない話』をしばらくやってA藤と分かれて、うどん屋を見に行ったら『亀坂製麺』といううどん屋さんが出てました。なるほどー、釜の前面の竈から天ぷらスペースにかけて、東京麺通団と同じや。東京麺通団もマネされるようになって(マネしたんかどうか知らんけど)名誉なことです(笑)。」、田尾さんはさらっと流しているが、讃岐うどんを愛し、うどん文化に誇りを持っている麺聖にとって事実なら見過ごしに出来ない大事件である。もっとも、針の先を大きく言う知将と団長のこと、鵜呑みには出来ないと、イオンに行って驚いた。そのまま、である。どっちかが、真似している(たまたま偶然ということもあるが、そのときは後で作った方には気の毒だが類似作となる)。

 取りあえず麺通団関係者はイオンが真似したと主張しているわけだから、ここはイオン側の見解を聞こうと、連休の前半にメールを(このイオンのメールシステム、やたら個人情報は聞いてくるし、内容は公表してはならないとか書いてある、客から意見を聞こうという姿勢が感じられない、会社都合のお客様の立場には立ってない代物、取りあえず、うどんグルメの旅で公表すると明言し)送ったが、クレーマーの1人として無視されたのか、2週間以上(暦の平日でも1週間以上)待っても回答がない。
 似ているのは、イオン関係者も否定できないはずだから、さっさと、相手がクレーマーだったら、なおさらのこと、どこどこにある店のデザインの方が早くから存在したという客観的事実を回答するだけでいいと思うのだが、回答に手間取るのは、ひょっとして?っと思ってしまう。でも、まさか流通業界トップのイオンがねえ…。

 イオンさん、このままでは、本当に「盗作?イオン高松!」ってことになるので、早急に御回答を!


2007年5月13日(日)  京都好きの私、当然のごとく京都新聞の電子版が毎日配信されるようになっている。ちょっとたまりすぎたな、とまとめて見ていたら10日配信の「まちの話題」に「武者修業した“うどん”披露 綾部・男性が一時帰郷(5月9日付け記事)」と山内で習ったあと手打ちうどんの武者修業のため、全国各地を回っている男性が紹介されていた。礼文島から出発…なかなかやるもんだ、でも、修行には敬意を表するが、「各地を回る中で納豆やみそだれ、あんこをうどんにつけるなどさまざまな食べ方を知ったほか、ハーブ園の主人と知り合ったことで、ハーブを練り込んだうどんを作り出すなどした」は方向性が間違ってる気もするが(これは記者の関心のズレのせいか)。遡って8日の配信には「讃岐うどん1500店をDB化 京大研究員、趣味で情報収集 (5月8日付け記事)」、京大までいって、世の中にはアホな奴がいるな!と読んでみるとB府君だった。考えてみるとそんな人間が、2人も3人もいたら恐ろしい?


2007年5月8日(火)  連休後半の3日、空港に向け綾川沿いを綾南から綾上に走っていたら、加ト吉の辺りで路駐が何台も、まだ10時前だというのに!池内の前にも県外車の路駐が数台。麺聖は客が一人も来ていないうどんやで食べ、飛び立ったが、そのうどんやと山越と、そんなに差があるのだろうか?この混雑うどん人気が持ち直したという意見もあろうが、連休の日数が少ないため、近場に流れただけだったりして?築地の虎杖で聞いたところによると、連休中の開市日の4日は築地も例年にない、年末並の大混雑だったそうだから!

 5日9時過ぎ、東博に行くと大行列、ダ・ヴィンチ展か。開館前には数百人は並んでいた、で平常展に向かったのは、わずか数人。香川県の真鍋とかいう(1円の大切さを必要以上に説き、莫大な金を失っている)経済に無知で経営に無能な知事じゃないけど、何のための節約かを忘れ、節約そのものが目的となった独立行政法人化により、博物館の入館料も値上がりしてるが、この先大丈夫か?

 上京中、ちょっとおさえ気味に(本当は歌舞伎座と演舞場で忙しかった)、うどんを食べさせる居酒屋と麺通団の2軒の讃岐うどん系の店に行った。別府君が極楽に寄せていたコメントではないが、そこそこの値段の、東京の讃岐うどん店のほうが、その辺りにある讃岐のうどんやより美味しいのは悲しいけれど真実である。


2007年4月30日(月)  連休(4/29から5/6)中、宮武が昨年同様休むそうで、恒例の定点観測もお休み。で、大阪で文楽を観、奈良博、京博と観てきた。私もそこそこ歌舞伎や文楽を観ているつもりだったが、たまたま隣に座った三重のお兄さん地震の時は金丸座に、松竹座、御園座、歌舞伎座も当然回っており最後にこの3連休文楽劇場で過ごすそうである。とても真似できん!

 奈良から京都への途中、別府君が案内人の『関西極楽さぬきうどん(西日本出版社発行)』に載っていた「さぬき庵」があるので行くことに。地図にあった東野公園にはすぐ着いたが、そこからが遠かった、別府君くらいの達人になるとすぐ行けるのかもしれないが、そんなに方向音痴でないはずなのに30分ぐらいはさまよった。あの地図、本当に歩いて作ったのかな?麺聖のグルメの旅の地図も2、3本線が引いてあるだけだが、自分なりにたどり着けるよう描いてある。 さぬき庵で、麺聖なりに作り直してみた。
  ついでに言うと、新幹線に乗る前に時間ができて行った梅田の「饂飩の四国」の地図も下手だ。駅を降りてだれもが目にするはずの、郵便局が書いてないし、駅と郵便局と店のあるブロックの間には2本道があるのに1本しか書いてない。地下から行かせるとしてもビル名と階数が書いてないし。どこから何を使って行かせるかの視点が欠けた地図である。
 電車の中で別府度チェック!をしたら、7,8,9,13,14,15の6つ(香川県人ということで8,13,14を除いても3つ)で、知り合いに「うどんマニアだ」と公言できるちょいべっぷー(4ランクのうち下から2番目)、になった。でも、「かわらまち」と言えば「河原町」でしょ!

 田尾団長が何か賞をもらったらしいが、そのときのコメント「私はサブカルチャーの人間で、うどんブームもマスコミの力がなかったらここまでなってないと思います(28日付け団長日記)」は違うだろう、麺聖は、マスコミの力がなくてもここまではなっていたと思う。一極集中をもたらした悪い意味でのブームにマスコミは尽力したが、便乗だけでうどんへの貢献度は低い、社交辞令の挨拶でもその当たりを皮肉るのが田尾さんだったのに?

 今年に入って4月末までに県内156玉、県外31玉食べました。新規開拓の沖縄そばの店(高良)に行きました。


 2007年4月27日(金)  昔、一鶴で骨付鶏を3本食べていたとき、親・ひな・親と食べていた。少食になり2本になってからは、ひな・親の順番になった。うどん屋で温かい系と冷たい系の麺を2杯食べるときは、麺聖は冷たい系を後にしている。でも、どうも世間は違うような、東京の讃岐うどん店では温かいのを後にしろとアドバイスを受けたし、札幌の讃岐うどん店で順番を指定せず、ざるとかけを2杯頼んだら、温かいのが後に来た。

 明日から連休、近年のS級店の混雑は凄まじいが、その理由の1つが、「ランキング症候群、自分で選べず上位に走る」(日経4月16日付け「ネットと文明」)なのは間違いないだろう。「上位を選べば間違いない。そんな行動が積もると人気の一極集中が生じる」、でも、元々、有名店以外の美味しい店を探そうと始まったのが、穴場店巡りだったのに!そして、その楽しさ、方法を伝えたいと発信したのが『恐るべき』であり、うどんグルメの旅だったと思っている。


 2007年4月16日(月)  一昨日昨日とこんぴら歌舞伎に行った。それで遠出は出来なかったので、久しぶりに宮武の行列を観察した。土曜の11時頃は駐車場は満杯、行列は県道まであと少し、日曜の9時前は駐車場10台くらい、外に行列はなし。14時すぎ、駐車場満杯、行列は県道に続いていた。こんぴらでは、300円(ぶっかけ1玉)、170円(かけ2玉)、470円(ざる1玉)と食べた。石段脇でも470円はちと高いような!
 「すっぽん」、「かけすじ」、「ぶどう棚」、「回り舞台」とあるもの全部?使った葛の葉のときの照明がよかった。

 統一地方選挙、やっと選挙ができる。県知事選と市長選は統一されてないし、県議選は無投票。かねがね主張しているが、無投票は信任投票に制度を改めるべきだ。で、私が市議選に出たとして、マニフェストは善通寺市制を町制に変える、無駄な公園は作らない、の2点でいくか!国や県に頼らず地元で出来ることをやる、これは正しい。でも裏返して言えば、地元では負担の大きすぎるものを無理に地元でやる必要はない。たかだか人口3万5千人、余分な事務など抱えずさっさと、県にでもどこにでも返上しスリムにすればいい。何を目的とするのか分からない、ランニングコストのかかるだけの公園はもちろん不要だ。


 2007年4月12日(木)  本広監督が、香川県のイメージアップやにぎわいづくりなどに功労のあった人を顕彰する第5回「かがわ21世紀大賞」の受賞者の1人に選ばれた。いろいろな考えはあろうが麺聖は反対である。安易なブームに警鐘を鳴らすふりをして、安易にブームに便乗した映画を作った監督を香川県民として褒め称える気持ちにはなれない。観客数にしても県庁が金を掛け必死に動員したわけで、閑古鳥が鳴いた香川県外の映画館を見た麺聖には、香川県のイメージアップに繋がったとは思えない。何より本広監督にしては失敗したと評される映画を理由に賞を差し上げるのは監督に失礼であろう。

 学生が自殺したことで准教授が懲戒免職になった、という記事があった。亡くなった学生さんを鞭打つつもりはないが、夏に提出された宿題を1月になっても提出しなくて留年させられても一般的には自業自得である。行間からは、問題のある准教授を大学が前々から処分したかったことが読み取れる。それにしても、大学院生並みの厳しい課題、課題がこなせなかったというだけで即留年というのもおかしい、との大学のコメント、大学ってそういうもんだろう、この大学こそおかしくないか!日本経済新聞の社説の要約や経済学の演習問題5題のどこが厳しいのか、メディアが宿題を全問掲載すればどこに問題があったのか分かるかもしれない。


 2007年4月1日(日)  昨日、五右衛門も出店していた「横濱カレーミュージアム」が閉店したらしい。2001年1月のオープン以来来館者数約900万人、跡地は娯楽施設になるらしい。たまたま昨日の日経のプラス1の「流行発見」は紙面でたどる2000ー2007年だった。フード・テーマパークが取り上げられたのが、2002年11月23日、今では凋落の一途である。讃岐うどんが取り上げられたのはその1月前の2002年10月19日、はなまる、めりけんやの東京進出の頃、紆余曲折はあったが、こっちの方が長続きしたようだ。
 
 今日は4月1日、麺聖が今日の讃岐うどんを築いた功労者に選ばれました。冗談!でも半分本気!歴史的には讃岐うどんに一番貢献したのは金子元知事と考えてるが、あるところで(うどん業以外の)メーカーの社長さんにこの話をしたら、麺聖のうどん店巡りなんか評論家的で自己満足に過ぎない、と言われた。彼によるとうどん屋さんはもっと努力しているらしいのだが、讃岐のうどん屋900軒で麺聖より努力しているうどん屋は100軒もないと麺聖は思っている。彼のメーカーさんとしてのプライドがそう言わせるのだろうが、作る側からではない、食べる側から興した今の流れ、これは誰にも止めることは出来ない!

 今年に入って3月末までに県内121玉、県外21玉食べました。新規開拓の沖縄そばの店(明石食堂、月桃(寄宮)他)に行きました。


 2007年3月28日(水)  昨日うどん屋でたまたま、久しぶりに『TJ Kagawa』を目にした。300号とかで『恐るべきさぬきうどん』の特集があった。ところで、そこに登場する「聖麺」って誰?TJ Kagawaさん、本当に香川のうどん文化と共に歩んだ18年だったの?

 春の人事異動、末期的症状だ。破綻の原因を作った人たちがそろって中枢に名を連ねる。たとえ優秀だったとしても、現在の苦境を予測できなかった結果責任がある、はず。そもそも予測できなかったことで舵取りのセンスがないと見るべきであろう。昔読んだ石川英輔の『SF水滸伝』か『SF三国志』にあった、偏った指導者が拡大再生産されるみたいだ!こんな人たちに再建を任せるという発想が間違っている。えっ私?異動しませんでした、移動しかかりましたが、あまりに机が片づかないので取り止めになりました。

 最近、新聞記者の能力が落ちた、と感じてた。典型的な例が26日の朝日香川版の「取引先4社が倒産 加ト吉の多額損失問題」。400字弱も費やして、取引先が倒産倒産とやたら繰り返したが、市場は循環取引に強く反応、適切な情報を得られなかった朝日の読者は損害を受けた、かもしれない。他の新聞のように「架空取引の疑いも 加ト吉の多額損失問題」こうした見出で整理した方がずっと読者に分かり易いはずだ。「加ト吉が取引先倒産による業績の下方修正について25日記者会見した。調査した監査法人からは、架空取引関与の可能性も指摘されており、現在過去の取引を精査している。3月期の特別損失は約75億円」、ほら、私でも100字もかからない。


 2007年3月22日(木)  

枝垂れ桜

 昨日は春分の日、別に意識したわけではないが、日の出と日の入りの大きな太陽を見た。ぽかぽかして、春らしくて桜も咲き始めていた。

 森進一の『おふくろさん』が話題になっている。法律家が作詞者の同一性保持権を侵害しているとしたり顔で述べている。でも法律違反かどうかはどうでもいいとは言わないが、主たる論点ではない。模倣し、付け加え、文化は発展する。改変は好評だったらしい、とすると作品としてはそっちの方が完成度が高い可能性もある。完成度が高い作品を排除するようでは何のための著作権法かと思う。

 今日の日経の「広がる″パパラッチ現象=vを読み、20日のこのごろを若干修正した。当初撮影可能だった九州国立博物館は禁止になったし、東京国立博物館も制限が増えた。都をどりも昔は撮影できたなぁ。年々撮影しにくくなっている。ところで、「来店者の中に携帯電話やデジタルカメラを使って料理を撮影するケースが相次いだ。撮影した画像をブログに無断で公開され、それをきっかけに禁止に踏み切った」、どこが禁止の理由なの?フィルムカメラだったらいいのか?公開が雑誌だったらいいのか?
 メモやテキストで放っておいたのを(12日から20日までの)日付順に整理し写真も入れてHTMLにした。


 2007年3月20日(火)  週末、東京に修行に行った。もちろん一人でである(しつこいようだが、修行は一人で行うものである。まあうどん屋せいぜい三、四百軒程度行ったぐらいでは理解できんかもしれんが)。とは言っても、いつも遊んでばかりだと思われるんも、しゃくなので、たまにはうどんの写真を!

福助 彩め 恩田
かみや 四国屋 スマイル亭
夢呆 いらっしゃい 七蔵

 店の選択はネットから、本から、通りすがりなどいろいろ。それにしても東京のうどんは硬い、もしくは、すいとんのような食感である。ブームが去ったためか閉店した店も多かった、地価の高いところでうどんだけでやっていくのは大変なんだろう、で、昼と夜との二毛作も必然か!
 実はもう1軒行ったのだが、こんなことがあったので載せてない。店主が「お客さん何してんの」と写真を撮っていた麺聖にきつい口調で言った。「別に撮ってもいいけど」、彼によるとブログでいろいろ書かれるので、ということらしい。麺聖は、自分が食べたものを記録に残すのは当然の権利という立場なので、特に写真禁止と書かれているとき以外は了解を取らない。また料理は著作物でないから公表は著作権者である麺聖の権利である。うどん屋に限らず写真禁止という店の理由、食べるのが遅くなる、真剣に料理を味わって欲しい、他の人に迷惑がかかる、ネットで書かれるのがいや等々あるが、麺聖は食べるのが早い、平均以上に味わっているつもり、フラッシュを使わないし音もしない、写真がなくても書くときは書く、適切に撮る限りにおいてはマナー違反にはならないと考えている。 


 2007年3月17日(土)  ホリエモンの一審判決があった。マスメディアの論調をまとめると、金がすべてではない、ということらしいが、最近これと正反対のことをマスメディアは主張している。官公庁の一般競争入札の推進だ。確かに一般競争入札の導入は談合の防止の1つの手段であるが、いつしかそれ自体が目的となったようで、安ければ安いほどいい、これなんかホリエモンの主張と同じに私には聞こえる。


 2007年3月12日(火)  先日の土、日はまじめに修行した、と言っても昔のようにたくさんは食べられない。昼に2軒ずつ計4軒8玉食べた。2軒連続して食べると、どっちがおいしいかがよく分かる。たまたまだが後で食べた方がおいしかった。決して空腹は最高のスパイスにはならない。
 日曜日に岸井の前を通ったら、駐車場に車が文字通りのすし詰め状態だった。テレビの影響力はまだまだ侮れない。


 2007年3月8日(木)  昨日の日経、小麦の「シカゴ相場高値圏」との記事の横に、「豪州小麦生産量、干ばつ前水準に回復、07年度国際価格も軟化へ」、との記事があった。讃岐うどんもちょっと安心か!

 火曜日の朝日、天声人語、何を言いたいのだろうか?私にはよく分からなかった。引用してた「日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦い取った西欧近代社会に致命的な遅れをとったからである(若桑みどり著『クアトロ・ラガッツィ ― 天正少年使節と世界帝国』)」、この引用の仕方から、記者の江戸時代に対する古くかつ偏った見方が伝わってくる。触れたことがあるように江戸時代は地球に優しい時代だったし、鎖国後、他国を植民地にはしなかった。この程度の歴史認識で新聞記者が務まるなら新聞記者っていい商売だ。


 2007年3月7日(水)  週末石垣島に行った。傍からは楽しそうに見えるだろうが決して遊んでいるわけではない。白鳥のように水面下では懸命に努力しているのだ。修行には、私はいつもなるべく一人で行くことにしている。こういうものは複数で行ったらいかんとさえ思っている。理由は、事を成すには感性を研ぎ澄まし、自分で考える力を鍛えることが必要である。独りよがりの感想や分析に陥ることを畏れるあまり他人の意見を聞いてては、自らの思索は深められず、とても麺聖は名乗れない。とはいえ一人で食べる焼肉がこんなに疲れるものとは思わなかった。那覇での後泊は別として、1泊2日27時間の滞在だ。

 タクシーの運転手さんに何度も来てるの?と聞かれ、3回(来た、今度が)4回と答えたら、まだまだやな、と言われた。何しに来たのかと尋ねられ、日本橋人形町のプレジール(寿司屋)でたまたま隣に座ったカメラマンのY口さんは食べたことがあって私は昔2回ほど行ったがやってなくてまだ食べてない明石食堂の八重山そばを食べに来た、とは恥ずかしくて言えないので、やまもとの石垣牛を食べに来たと答えたら、あきれられた。   

やまもと 平久保崎灯台 たけさん亭
玉取崎展望台から 明石食堂 離島旅客ターミナル
泡波 竹富島 竹の子

 もう一度食べたかった八重山そばの丸八はなくなったようだし、新しい離島旅客ターミナルは出来た、ちょっと見ぬ間にいろいろ変わっていた。わずか27時間でもそこそこ楽しめるものだ。腹ごなしに再訪した竹富島、竹の子でそばを食べたから腹ごなしもなにもあったものでないか。白い砂の道に赤い瓦と青い空、絵に描いたような沖縄だけど、ちょっと冷静に観察できた今回は電線が気になって仕方なかった。排水管は道路に埋めてるようだが、いっそのこと共同溝すればいいのに。

 那覇へ飛ぶ前に泡盛屋をのぞいたら、さとなお君が書いてあった「南雪」の古酒があったので花酒と併せて買った。「泡波」は?聞いてみると、プレミア付きだが、あるとのこと。先ほどの運転手さんのそんな金(いわゆる定価は3合で700円程度)を使うならうまい物でも食べるとの忠告も聞かず、(1升瓶もあったようだが)3合瓶を買った。那覇での後泊、鯨を見る予定は、天候が悪く欠航で中止。

 話は変わるが発掘調査により、天守閣復元の期待が高まっている高松城。城が大好きな私にとって天守閣の復元の是非は別として、城に興味を持つ人が増えるのはうれしい。5日付けの朝日に「高松城は1588年に築城したと伝わる」とあるが、私が最初に買ってもらった『日本名城100選(秋田書店)』では1588(天正16)年は生駒親正が築城に着手した年、完成は1590(天正18)年となっているが。それと今話題になっている天守閣の完成は松平頼重(水戸黄門の兄)入封後とどこかで読んだことがあるけど?記者は城に興味がないな、きっと!


 2007年2月28日(水)  それにしても平均というのは恐ろしい魔術だ。今月に入って更新4回、20日間もさぼっていたのに、平均すれば週1で更新してたことになっている。
 
 昨日の四国新聞の1面に「うどん価格に影響も」とサブタイトルがついた小麦粉の値上げの記事があった。いかにも香川らしいが、「高齢の経営者の中には、今回の値上げを機に、廃業する店も出ているという」、そんなものかとも思うが、25キロで62円の値上がり、1玉0.2円のコストアップが廃業の本当の理由だろうか?そのあたりを取材できるようになれば四国も学級新聞レベルから脱却できるのに。

 今日オープンしたうどん屋の昨日のプレオープンに行った。プレオープンと言っても特別な招待ではない、昼の普通の営業。よくあるようにチラシを配り、値引きし、割引券を渡していた。こういう客寄せって新規店にとって本当に必要で有効な手法なのだろうか?味も手順も確立していない(この店は手順よくさばいていた)とき、キャパを越える客を呼ぶのは間違っていると思うけど。それより開店したときの味が最高で、段々落ちていく店の方が問題か!

 今年に入って2月末までで県内84玉、県外11玉食べました。新規開拓の沖縄そばの店(てぃあんだー、玉の屋、他)に行きました。


 2007年2月27日(火)  週末東京に行った。築地周辺をうろちょろし歌舞伎座に行った。仮名手本忠臣蔵の通しだ。文楽で通しを見たことがあるが歌舞伎では初めて。何故か感動したのは、表門城明渡しの場で屋形がバックする大道具。幸四郎と吉右衛門を見てると段々と、昨秋の元禄忠臣蔵がダブって見えてきた。  

場外:海鮮丼 場外:桜ます 場外:築地丼
場外:鯨 場外:カレーうどん 場内:白子
場外:親子丼 場内:おまかせ 場外:ミニ丼

 あんまり関係ないけど、今ネットのあち、こちで話題のNHK大河の亀治郎、彼が昨年のこんぴら歌舞伎で六段目のおかるを演じていたってこと見た人でないときっと信じられないだろうな?
 
 新橋の「かおりひめ」に行って、うどんを食べたが、美味しくなかった。多分原因は夢2000なんだろうな?使いこなせていない!味が無理だとしたら(まずいものが多くても仕方がないという意見もあろうが)せめて量くらいはどうにかならないものか。


 2007年2月22日(木)  昨日今日と暖かかったので、昼休みはうどんを食べに少し歩いた。片道5分だと選択肢が7軒ほどしかないが10分に広げると面積どおり4倍に増える。
 昨日、日銀が公定歩合を、って今は言わないのか、無担保コール翌日物の金利の誘導目標を年0.5%に引き上げた。テレビに出てた有識者の多くは引き上げに反対のようだったが、一夜明けての、株式市場では大歓迎だった。果たしてテレビの論調は豹変するのか?

 まっ、日本経済の持続的成長には、賃上げと安定した雇用の拡大が一番と考えるが、経済界の見方は違うようだ。2月18日付けの朝日によると請負・派遣労働者の一部を正社員に採用すると表明していたキヤノンが先送りした。御手洗経団連会長のホワイトカラー・エグゼンプションのごり押しといい、一流の企業の経営者の考えることは、まっとうな労働者の私には分からない。


 2007年2月21日(水)  油断してたら2月もほとんど終わってしまってた。「このごろ」の更新が滞ってることで「忙しい?」って尋ねられたが、マイレージの導入を巡って明らかになった会社の身勝手さを広く知ってもらいたく更新を控えてた。いろいろ考えた、社長以下幹部のマイレージが貯まった頃を見計らって、内部告発ならぬ業務上横領罪で検察へ告発ってのはどうかな?

 先日書いた香川県庁の『うどんツーリズム元年』、本当に予算案が提出されたようだ。うどんとほとんど関係ない事業にうどんと名付けるとは、看板倒れと言うか、見掛け倒しと言うか、四字熟語で言えば、羊頭狗肉である。県民みんなが食べ育ててきたうどんがかわいそうだ。ついでに言えばこんな名前を考えた人たち、破廉恥と言うか、図々しいと言うか、四字熟語で言えば厚顔無恥である。
 四国経済連合会が行ったアンケートで讃岐うどんの知名度がトップになったそうだが、「すでに認知度の高い讃岐うどんなどのブランド力を活用しつつ(2月21日朝日から)」、うどんを利用するだけでなく、そろそろうどんへの恩返しを考える時期だと思うのですが…。


 2007年1月31日(水)栄町ボトルネック   週末超割で沖縄に飛んだ。風が強くて、さすがに痛くはなかったが、寒かった、何よりコンビニに使い捨てカイロがあったのには驚いた。22時過ぎ安里駅で出口を間違えさまよっていたら、店の前の椅子に腰を掛けてた相当お年を召したお姉さん達が次々に声を掛けてきた。その光景もおぞましいが、想像したくもないことが、その通りならもっと恐ろしい。栄町ボトルネックという居酒屋でオリオンビールと泡盛を飲みながら、沖縄そばと山羊の刺身を食べた。鉢に入れられた麺に自分でやかんに入ったダシを注ぐ、どこかで見たような世界があった。

 会社から、航空機での出張は法人用チケット契約に変えるから、マイレージ倶楽部の口座番号を用意しろとの通知があった。私はその現物支給制度では、取得したマイルの私的使用は業務上横領になるおそれもあるから就業規則で明確にして欲しい、それより(赤字で給料カットをしているくらいだから)出張に充てさせればと人事(担当)部長にメールした。部長から、よそでもほとんどのとこでマイルの自由使用を認めている、マイルの管理はコストがかかり経費削減に反する、出張が相当多い場合でないと関係ないし強制もできない旨の返事があった。
 私は、陸マイラーだけどマイレージ倶楽部に入ってマイルもそこそこ貯まっている。そのマイルと疑惑あるマイルが混同して、全体が疑惑あるマイルになることには我慢ができない。で、口座番号を知らせないとチケットをもらえないのなら、それもやむを得ないと思ってそう回答した。法を厳格に守ろう!と部下が提言し、上司は法に反さない解釈もあるから問題ないと答える、すばらしい組織だと再認識した。まあ、貯まったマイルで無料航空券がもらえるのは、何度も上京する経営失敗の責任を負っているはずの一部の幹部だけだから一般社員には関係ないことだけど。

 29日付の朝日香川版に池上閉店の記事が載っていた。土地の賃貸借契約が切れて閉店するとのことだが、それならわざわざ紙面を割くほどのことはない。紙面に書けない裏話があるのかもしれないが、それを書かないのなら学級新聞レベルの記事だ。

 今年に入って1月末までで県内42玉、県外6玉食べました。新規開拓の沖縄そばの店に行きました。


 2007年1月27日(土) 依然としてあちこちでうどん屋はできてるようで、あちこちでつぶれてるようだ。客のあまりのマナーの悪さやそうでなくても大量の車による近隣住民との摩擦で、有名店にとって駐車場の設置とガードマンの配置は事実上の義務となっている。浄化槽の設置も義務になるのだろうか?検討されている排水規制条例が平成20年度に施行されたら(内容によっては)一気に廃業が進むかもしれない。でも良質の温泉をつぶすと今話題の環境省の排水基準とどこか似ている気もする。ところで、うどん屋だけねらい打ちにしようとしても、うどん屋の定義すらない現状で、規制対象をどう表現するかは、法的には興味深い。
 
 三谷幸喜のギャグは合わないと軽くみていた私だが、昨年パルコ歌舞伎を観て、彼のすごさを知った。朝日に連載している『ありふれた生活(1/26付け)』の物忘れの話、私は彼とほとんど同い年なので、そうそうとうなずいて読んだが、「眼鏡をおでこにずり上げた状態で、眼鏡を探してしまったのだ」は、まだまだ甘い。私は眼鏡を掛けてる状態で、その眼鏡を探したことがある!そんなことで勝っても仕方ないけど。

 飲酒運転がいけないことは改めて言うまでもない。でも罪と罰を考えたとき最近あった2つの処分はどこか変だ。酒気帯び運転で検挙された群馬県の公立中学教諭が懲戒免職。酒気帯び運転で追突事故を起した毎日新聞の北陸総局長が諭旨解雇。罪の重さ、社会的地位・影響力、どう考えても逆でしょ?


 2007年1月21日(日) 久しぶりの完全休養の週末である。今年に入って、虎杖(築地)、かるかや(池袋)、千とせ(千日前)、今井(道頓堀)、おかる(祇園)と転戦してきた。ちょっと飛ばしすぎたと思って、家にいたら寝過ぎて腰が痛くなった。

 ホワイトカラー・エグゼンプション法案は国会に提出されないことになった。多様な働き方という政府の説明より「残業代ピンハネ」という本質を突いた訳語が浸透したせいだが、それだけだろうか?マスメディアに従事する人たちが、自分たちの年収が大幅に減ることをおそれ賢明に活動した成果でないかと思っている。

 何年も前から私は納豆を習慣的に食べている。最近よく品切れがあるなあと思っていたが、テレビでダイエットに効くと取り上げられたのが原因だったのか。その捏造が発覚し、これからは買いやすくなりちょっと安心。でも振り回されたメーカーが心配。ダイエットに効くかどうかは私を見れば明らかなのに、もっとも1日に1パックしか食べないから効果がないと言われればそれまでだが。

 国立新美術館が今日オープンする。所蔵品を持たない美術館などただの貸し展示場である。こういうのを美術館と考える人たちが、民間委託による効率化を求めようとするのは当然だな。文化はただの商品か?


 2007年1月8日(月)  6日付けの四国新聞を見てひっくり返りそうになった。「ことしはうどんツーリズム元年」の見出が。「(香川)県は、団塊世代の大量退職が始まる二〇〇七年を『うどんツーリズム元年』と位置付け、香川の個性豊かな歴史や文化、風土に讃岐うどんを絡めた『まち歩きツアー』を全国に売り込む。」、「事業名称は、ひと目で香川と分かる上、うどんのように粘り強く長続きするようにと願いを込めた。」とあった。
 四国新聞が「讃岐うどんツーリズム」を追跡に取り上げたのは1999年のこと、うどん好きの間ではうどん屋巡りをうどんツアーや、うどんツーリズムという言葉で呼びそれなりの共通認識を持って通用している。それを知ってか知らずか、香川県庁が「うどん」とほとんど関係ない事業に「うどんツーリズム推進事業」と名付けたり、「元年」と言う言葉を使うことは概念の混乱を招くことになると考えるが如何?
 麺聖は、うどんで数々の失敗を重ねてきた香川県庁にうどんをもてあそんでもらいたくないが、そのあたりも含めてあの真鍋君へのメールで聞いてみようか!

 現在地上デジタル放送は全世帯の8割で見られるそうだが、私の住んでいるところでは見られない。残りの2割に属している訳だがこれも都会と田舎の格差か!アナログ放送が終了した2011年7月25日、私はNHKに契約解除の電話をするのを楽しみに待っている。


 2007年1月3日(水)  あけましておめでとうございます。うどん初めとして山下と岸井に行きました。

 田尾教授の指導する四国学院の『インタレスト』2号に「2006年私の好きなうどん屋」というのがありました(「屋」と「店」表紙と内容の見出が違ってます)。200軒以上食べ歩いているであろう強者50人(麺聖は入っていない)が挙げた50軒の集計だそうです。総合ランクの10位までは麺聖も納得しましたが、20位代でも「何故」というのがありましたし、強者が1位に挙げた店ではかなり???が。好きな店なんで人それぞれなんでしょうが、どうしてまずいのにそんなに支持されるのか?と、今年はリストに挙った131軒を再確認しようかと思ってます。
 ところで労作は評価しますが、ちょっといちゃもん!200軒以上食べ歩いていると銘打ったということは、300軒さえ食べていない人がいるのだろう、つまり香川のうどん屋820軒として3分の1も食べてないで「制覇」や「強者」はいまや独りよがりの感がしないでもないが?今年の再調査では500軒以上のそこそこの者50人のアンケートを楽しみに待ちます!(1年もあるんだから昨年200軒だった人でもあと300軒。500軒のハードルが高すぎるってことないでしょ、何てったって強者なんだから)そして来年の800軒食べ歩いた50人のアンケートに繋がることを祈ってます。
 
 新年に入って考えたこと二題。3日付け朝日の一面の「ロストジェネレーション」に「『今の政治家はみな、徳川時代末期の幕臣と同じだ。身分制度が固まっており、有能な人が出てこられない…(ブロガー議員と呼ばれる平田渋谷区議の言葉』(これに続けて)幕末、新しい政治を志したのは、地方の若い志士たちだった」とあった。私が勉強した日本の歴史では身分制度があっても、技能者は旗本に登用されたし、幕末期の高官には部屋住や養子も多かった。御家人株を買った本人や御家人株を買った人の子の川路聖謨のように有能な人は出世している。明治政府の骨格は旧幕臣が作っている。別に趣旨をどうこういうのではないが、例示は正しくない。小・中・高校で歴史をちゃんと履修してれば、それが基礎体力になり社会人になってこんな誤りなどしなかったのに。それに歴史は勝った側から書かれ、前政権は不当におとしめられる、ことも忘れてはならない。地方出身の志士たちは、緑と水にあふれた江戸の町を醜い東京に変えてしまった!だけというのが少しバイアスはかかっている私の評価である。

 沖縄本島の北の方に古宇利島という160世帯ほどの島がある。1,960メートルの橋が架かり間接的に本島と陸続きになった。でも、事業費270億円、島民には悲願だったろうが、本当に地域振興になるのか?瀬戸大橋の苦戦から橋だけでは地域振興につながらないことを学んだ私は考えてしまった。270億円を100年(橋の耐用年数)で割って、毎年1世帯100万円配る方が離島振興に繋がったりして?ちなみに沖縄の有人島49(香川は24)である。

 私なりに昨年を漢字一字で表すと観劇の「観」、今年は飛ぶ・飛行機の「飛」にするつもりです?今年もよろしくお願いします。


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