木の道具と暮らし

木は生きているから

プラスチックや鉄やガラス等と違って「木」は体温を持っているかのようです。呼吸もしているような。人は、「木」の年輪・木理を見て心の安らぎを感じます。 山で伐られあらゆるモノに形を変えても生き続けている生物素材なのです。だから、人は心を通わせることができるのです。 「法隆寺の檜の梁や柱は千年経ってもより強くなっている」との報告もありました。生きているのです。しかし、生きているからこそ弱さも、虫に食われたり 菌に、腐ったりとガラスやプラスチックは腐ったりしません。人は、時が来れば死ぬのにガラスは死なない。だからこそ、大切に愛情を親しみを感じて大切に使う 喜びを感じるのかも?

木の不思議

「木」に触れた時、冬の寒い時でも、夏の暑くてどうしようもない時でも、なんか気持ちの良い感覚を覚えていませんか…冷え切った石でも無く、暑く日に照らされた鉄でも無く、 不思議な心地よい感触があります。「木」は人にとって優しい存在なのです。そこに人は、温もりを感じるのかも。「木」常に呼吸をしている事を 忘れてはなりません。「木」は空気中の水分を吸って常に自分を保ちます。お櫃に入れたご飯、白木の弁当箱「ご飯」の美味しさを思い出します。 金属のナイフと食器の触れる音、木のバターナイフの音、木がお皿に当たった時の感じは嫌味を覚えません。木は、弱いから陶器の器に当たったら我が身を削って衝撃を 収めます、優しいんです。

木の変化

白木の杓子使っていくと黒く汚れていく、はたまた青くカビが出て朽ちていく。なんだか使いにくいな。確かに上手く扱ってやらないとさっさと朽ちていきます。 しかし、中には使い込めば綺麗になっていく木もあります。「桑」「欅」「槐」「肥松」などがその材種です。杓子という用途では、熱いご飯の中に入れ、水で洗われて また、乾燥さすと。実は、なかなか過酷な環境なのです。それでも、「桑」「欅」「槐」の杓子は良い艶があります。「欅」は特に使い始め匂いが鼻につきますが、すぐに なくなっていきます。材も高級となりますが、「槐」「桑」「欅」の使い勝手は特別です。手入れ次第では、プラスチックのように最初から朽ちていくだけでなく「木」 の変化により愛着が増してくるのも「木」ならではないでしょうか。

不均質の魅力

コンピュータ・車・プラスチックの食器、等は全く均一な製品が出来上がります。しかし、「杓子」は木を削り出して作っていきます。合板を使うわけでも無く、天然木を 一から削っていきます。木の目・縦・横・板目・柾目など木の種類によっても硬さ、重さ、触れた感じと様々です。同じ材種でも微妙に違ってきます。全くと言って良いほど 不均一なのです。だからこそ、生きていいるものとして人は、親しみを感じ安らぎを覚えるのでしょうか。