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◆ カナヤマ世界の歴史ハンドブック。
KANAYAMA’S WORLD HISTORY HANDBOOK.
カナヤマ 世界歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 こ 』。
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■ 次の項目を選び、クリックして下さい。
□ 世界史辞典 (総合)。
□ こ ● 五十音順 (アイウエオ順)。
□ 見出し語 こか。
□ 見出し語 こさ。
□ 見出し語 こた。
□ 見出し語 こつ。
□ 見出し語 こは。
□ 見出し語 こま。
□ 見出し語 こら。
□ 見出し語 こん。
〇 ご 後。
(ご)。 《西暦》。
(= 紀元後)。
A.D. ; C.E.
(⇒ 紀元(後))。
(⇒ 西暦)。
○ 後の例:
後2世紀、後200年。
■ 後 (ご、= 紀元後)は、 西暦の、
紀元(後)(英:A.D. ; C.E.) と
いう意味である。
■ 後(ご)の例としては、後2世紀、
後200年があり、 その正式名は、
紀元(後)2世紀、紀元(後)200年
である。
■ 世紀の略語の1つには、Cがある。
● 例えば、前7Cは、紀元前7世紀
の省略形であり、 7Cは、紀元(後)
7世紀の省略形である。
〇 ご 呉。
(ご)。 《国名》。
(旧存在国)。
(紀元(後)222年ー280年)。
WU.
(⇒ 中国の歴史)。
(⇒ 中国歴史ガイドブック)。
○ 呉は、
中国の王朝、国家である。
○ 呉は、
中国の三国時代(魏、蜀、
呉)の一国である。
■ 呉 (ご、紀元(後)222 年ー280
年、英:WU) は、 中国の王朝、国家
であり、 中国の三国時代(魏、蜀、呉)
の一国で ある。
〇 こう 后妃 エリザベート。
(こうきえりざべーと)。 《人名》。
○ 后妃 エリザベートは、
オーストリア皇帝の美人妃
である。
(⇒ フランツ・ヨーゼフ
1世)。
■ 后妃エリザベート (こうきえりざ
べーと)とは、 オーストリア皇帝・
フランツ・ヨーゼフ1世が寵愛した、
美人の后妃(夫人)である。
〇 こう 広州。
(こうしゅう)。 《都市名》。
(アジア東部の都市)。
(= 旧名の南海(狭義))。
(⇒ 東西交通路)。
(⇒ 中国本土)。
(⇒ 中国の歴史、
○ 広州は、
アジア東部の、中国 本土
の沿岸都市である。
○ 広州は、
古代・中世世界の、南方・
東西海上交通路「海の道」
の終着重要拠点である。
■ 広州 (こうしゅう)は、 アジア東
部の都市であり、 旧名の狭義の
南海である。
■ 広州は、 アジア東部の、中国
本土の沿岸都市であり、 ユーラ
シア大陸(= ヨーロッパ・アジア大
陸)の、古代・中世世界の、南方・
東西海上交通路「海の道」の終着
重要拠点であった。
〇 こう 光緒帝。
(こうしょてい)。 《人名》。
(中国・清の皇帝)。
(皇帝即位:
1875年−1908年)。
(生没年:
1871年−1908年)。
(⇒ 西太后)。
(⇒ 中国の歴史、
○ 中国・清の皇帝。
■ 光緒帝 (こうしょてい、皇帝即位:
1875年−1908年、生没年:1871
年−1908年)は、 中国・清の第11
代皇帝である。
〇 ごう 後ウマイヤ朝。
(ごうまいやちょう)。
(旧存在国)。 《国名》。
(= 西カリフ国)。
(756年ー1031年)。
THE CALIPHATE OF CORDOBA.
(⇒ スペインの歴史、
○ 後ウマイヤ朝は、スペイン
を支配したイスラム教国。
■ 後ウマイヤ朝 (ごうまいやちょう、=
西カフリ国、756年ー1031年、英:THE
CALIPHATE OF CORDOBA) は、
756年から1031年までスペイン地域を
支配したイスラム教国である。
〇 ごう 豪領、濠領。
(ごうりょう)。 《領土名》。
(= オーストラリア(豪州、
濠太剌利)領)。
THE AUSTRALIAN TERRITORY.
(⇒ オーストラリア)。
(⇒ オーストラリア歴史
ガイドブック)。
■ 豪領、濠領 (ごうりょう、英: THE
AUSTRALIAN TERRITORY) とは、
オーストラリア(豪州、濠太剌利)領である。
〇 こー コーカサス。
《地名》。
(= コーカサス地方、カフカス)。
CAUCASUS, CAUCASAS,
KAVKAZ, KAVKAS.
(⇒ 北コーカサス)。
(⇒ ヨーロッパロシア)。
(⇒ ロシア)。
(⇒ ヨーロッ パ南西部)。
(⇒ ヨーロッパ) 。
(⇒ 欧米)。
(⇒ 南コーカサス)。
(⇒ アジア西部)。
(⇒ アジア) 。
(⇒ 世界)。
○ コーカサス
(= コーカサス地方)は、
北コーカサス
(= コーカサス北部) と、
南コーカサス
(= コーカサス南部)
に分かれる。
■ コーカサス (= コーカサス地方、
カフカス、英:CAUCASUS
CAUCASAS ;KAVKAZ,
KAVKAS) は、
ヨーロッパ南東部とアジア西部に
広がる地域である。
■ コーカサスは、
カスピ海と黒海に挟(はさ)まれた、
コーカサス 山脈の北側と南側の
地域である。
■ コーカサス(= コーカサス地方)
は、
北コーカサス (= コーカサス北部、
ロシア内の地域)
と、
南コーカサス (= コーカサス南部、
アゼルバイジャン、 ジョージア、
アルメニアの地域)
に分かれる。
● 北コーカサス(= コーカサス北部)
は、
ヨーロッパ南東部にあり、ロシア領内
にある。
● 南コーカサス (= コーカサス南部)
は、
アジア西部にあり、 アゼルバイジ
ャン、 ジョー ジア (= グルジア)、
アルメニアの領土の地域である。
〇 ご− ゴータマ・シッダールタ。
(= シッダールタ、ブッダ(仏陀)、
シャカ(釈迦))。
《仏教》。 《人名》。
(仏教の教祖)。
(生没年: 紀元前563年頃ー
前483年頃) (諸説あり)。
GAUTAMA SIDDHARTHA。
(⇒ シッダールタ)。
(⇒ 仏教)。
● ゴータマ・シッダールタの別名は、
シッダールタ、 ガウタマ・シッダールタ、
シャカムニ(釈迦牟尼)、 釈迦牟尼(し
ゃかむに)、 シャカ(釈迦)、 釈迦(しゃ
か)、 釈尊 (しゃくそん)、 お釈迦様
(おしゃかさま)、 ブッダ(仏陀)、 仏陀
(ぶっだ)、 仏(ほとけ)、 仏様(ほとけ
さま)、 御仏(みほとけ) などである。
■ ゴータマ・シッダール (= シッダー
ルタ、シャカ(釈迦)、ブッダ(仏陀)、生
没年: 紀元前563年頃ー前483年頃
(諸説あり)、英:GAUTAMA
SIDDHARTHA) は、 仏教の教祖(き
ょうそ、開祖、創始者)である。
■ 教祖とは、 その宗教、宗派をひら
いた人である。
■ 宗教には、 教祖(きょうそ)、 教典
(きょうてん)、 教義(教え)・規範(きょ
うぎ・きはん)、 教団(きょうだん)、
宗教形成・分布、 宗教内グループ(宗
教内分派)、 宗教施設、 宗教慣習・
行事、 聖地(せいち)、 教団 などが
ある。
〇 こー コートジボワール。
(現存独立国)。 《国名》。
国名略号: Ⓞ Ⓘ Ⓕ CIV。
● 国名: コートジボワール。
● 別名: 象牙海岸 (ぞうげかいがん)。
● フランス語国名: CÔTE D’IVOIRE .
● 英名別名: IVORY COAST。
● コートジボワールの位置 (英:THE
IVORIAN (COTE D’IVOIRE’S)
LOCATION) :
アフリカ西部。
● コートジボワールの国民 (英:THE
NATIONAL(S) OF COTE
D’IVOIRE) :
コートジボワール人 。
(英: IVORIAN(S))。
● コートジボワールの概要や歴史の
簡略表記載。
(⇒ アフリカ西部)。
(⇒ アフリカ) 。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 こー ゴート族。
(こーとぞく)。 《 民族》。
■ ゴート族は、 東ゲルマン人(族)
であり、 ヨーロッパ北部のゲルマン
人(族)の原住地から移動し、3世紀
に、ヨーロッパ東部のドニエプル川
東西両岸地域に移動、定住し、 ド
ニエプル川東岸地域に定住したゴー
ト族は東ゴート族となり、 ドニエプ
ル川西岸地域に定住したゴート族は
西ゴート族となる。
〇 こー コーラン。
(イスラム教の教典)。
《イスラム教》。
THE KORAN, THE QURAN。
(⇒ イスラム教)。
○ コーランは、イスラム教の
教典。
■ コーラン (英:THE KORAN ; THE
QURAN) は、 イスラム教の教典であり、
ムハンマド (= マホメット、英:Muham-
mad) の教え(教義)をしるした書物であ
る。
■ 教典は、その宗教の教え(教義)をしる
した、基本的な書物である。
■ 宗教には、 教祖(きょうそ)、 教典
(きょうてん)、 教義(教え)・規範(きょう
ぎ・きはん)、 教団(きょうだん)、 宗教
形成・分布、 宗教内グループ(宗教内
分派)、 宗教施設、 宗教慣習・行事、聖
地(せいち) などがある。
〇 ごか 後漢。
(ごかん)。 《国名》。
(旧存在国)。
(紀元 (後)25年ー紀元(後)
220年)。
LATER HAN.
(⇒ 中国の歴史、
○ 中国の王朝、帝国。
■ 後漢 (ごかん、紀元(後)25年ー紀
元(後)220年、英:LATER HAN) は、
紀元(後)25年から紀元(後)220年まで
中国本土を支配した、中国の王朝、帝国
である。
〇 こく 国際宇宙ステーション
(こくさいうちゅうすてーしょん)。
(= ISS(略称名))。
《宇宙開発》。
THE INTERNATIONAL
(⇒ 国際宇宙ステー
ション 天文学辞典 )。
■ 国際宇宙ステーション (こくさいうちゅう
すてーしょん、= ISS(略称名)、英:THE
は、 地球の軌道上を周回する宇宙船である。
〇 こく 国際語。
(こくさいご)。 《言語》。
THE INTERNATIONAL LANGUAGES.
○ 国際語は、人類(世界)共通
国際語、地域国際語、特定分野
国際語など。
■ 国際語 (こくさいご、英:THE INTER
-NATIONAL LANGUAGES) とは、
国家間、民族間での意思疎通用の言語であ
り、 人類(世界)共通国際語、 地域国際語、
特定分野国際語 などがある。
○ 現代世界人類共通国際語。
英語、 フランス語、 スペイン語、
ロシア語。
THE PRESENT-DAY GLOBAL
COMMON INTERNATIONAL
LANGUAGES.
(⇒ 現代世界共通国際語)。
ロシア語)。
■ 人類共通国際語、世界共通国際語とは、
各時代に、全世界的に通用する言語である。
■ 現代世界人類共通国際語 (英:THE
PRESENT-DAY GLOBAL COMMON
INTERNATIONAL LANGUAGES) は、
英語、 フランス語、 スペイン語、 ロシア語
である。
● 主要全世界的国際機関・利用語。
現代世界の、国連その他の主要全世
界的国際機関は、英仏西露・4言語を利用
している。
● 中等教育修了者・全世界カバー4言語。
現代世界の、世界各地の、中等教育
修了者(高卒者)は、 英仏西露4言語のど
れか1つを、学校で学習し、多かれ少なか
れ理解できる。
(⇒ 世界の言語 (概要))。
(⇒ 多国語会話ハンドブック)。
(⇒ 英会話ブック)。
(⇒ フランス語会話ブック)。
(⇒ スペイン語会話ブック)。
(⇒ ロシア語会話ブック)。
〇 こく 国際組織。
(こくさいそしき)。 《国際機関》。
(= 世界の各国際機関)。
INTERNATIONAL ORGANIZATIONS.
■ 国際組織 (こくさいそしき)とは、 世界
の各国際機関であり、 世界(地球上)の国
家間、民族間を結ぶ組織であり、 国連のよ
うな全世界的国際組織 と、 EUなどの地
域的国際組織がある。
〇 こく 国際単位系。
(こくさいたんいけい)。 《単位》。
(国際度量衡)。
(略称:SI)。
(⇒ 国際単位系 地理学辞典)。
■ 国際単位系 (こくさいたんいけい、略称:
SI(仏語)、英:THE INTERNATIONAL
SYSTEM OF UNITS) とは、 世界共通
に使用されている、度量衡などの単位である。
■ 略称 SIは、 フランス語名であり、
Le Système International d’Unités
の略称で、国際単位系という意味である。
英語名は、The International System
of Units である。
■ 国際単位系(SI)の接頭辞。
名称 英語名 記号
・ テラ (tera) T 1兆倍。
・ ギガ (giga) G 10億倍。
(例) ギガバイト (GB)。
・ メガ (mega) M 100万倍。
(例) メガバイト。
・ キロ (kilo) k 1000倍。
(例) キロバイト。
キロメートル (km)。
キログラム (kg)。
・ ヘクト (hecto) h 100倍。
(例) ヘクトパスカル (hPa)。
・ デカ (deca) da 10倍。
・ デシ (deci) d 10分の1。
(例) デシリットル。
・ センチ (centi) c 100分の1。
(例) センチメートル (cm)。
(1メートルの100分の1)。
・ ミリ (milli) m 1000分の1。
(例) ミリメートル (mm)
(1メートルの1000分の1)。
ミリリットル (ml)
(1リットルの1000分の1)。
・ マイクロ (micro) μ 100万分の1。
(例) マイクロメートル (μm)。
・ ナノ (nano) n 10億分の1。
(例) ナノメートル (nm)。
・ ピコ (pico) p 1兆分の1。
〇 こく 国民国家。
(こくみんこっか)。 《国家》。
NATION-STATE(S).
○ 国民国家は、 国家内の住
民が国民意識をもつことによっ
て成立する国家。
(⇒ 国家、独立国、国境、
民族、民族主義、民族国家、
多民族国家)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
■ 国民国家 (こくみんこっか、英:
NATION-STATE(S)) とは、 国家内
に居住する住民が、国民意識をもつことに
よって成立する国家である。
国民国家とは、 国家内の住民が国
民としての一体感をもち、政治・経済・社
会の共通性を基盤する国家である。
■ 国民国家は、 近代的な市民意識の
成長に伴(ともな)い生まれた国家である。
■ 国民国家には、プラスの側面とマイナ
スの側面がある。
■ 現代世界では、地球上で、約200カ
国の独立国家の国民国家があり、 各国
家の国土内の国民意識をもつ住民が、政
府をつくり、国土を統治している。
■ 日本は、明治時代以降、国民国家とし
て、歩んでいる。
■ 国家 (こっか)とは、 主権(統治権)、
国民、領域(= 国土;領土、領海、領空)を
もつ政治組織である。
■ 独立国 (どくりつこく、= 独立主権国
家、英:INDEPENDENT STATE(S))
とは、 主権(統治権)を持ち、それを自由
に行使できる国である。
■ 国家には、 民族国家と多民族国家が
ある。
民族国家 (みんぞくこっか)とは、 少
数民族は存在するが、国民の大部分が1
つの民族からなっている国家であり、 国
民の大部分の民族の共通の伝統や生活
習慣を背景とする同族意識に支えられた
国家である。
多民族国家 (たみんぞくこっか)とは、
多様な人種・民族から構成された国家で
ある。
日本、ドイツ、フランス、イタリアなど
は、民族国家である。
アメリカ合衆国、ブラジルなどは、
多民族国家である。
世界のグローバル化の進展の中で、
現在の地球上の多くの国家は、多かれ
少なかれ、多民族国家の性格をもって
いる。
■ すべての現存独立国・約200カ国の
概要や簡略史を、当辞典では、掲載して
いる。
「通称国家名」の見出し語から、各国
を参照してください。
■ 現在、地球上には、約200カ国の独
立国がある。
過酷な人類社会の中で、国家は、権
利・利益共有社会集団の政治組織であり、
郷土、民族、思想・信条、伝統、宗教などを
共有する特定の社会集団が、自分達の権
利、利益、自由・平等などを守るため、独
立主権国家を建国したために、約200カ
国にもなった。
■ アラブ・パレスティナ人のイスラエル国
からの独立志向、スコットランドのイギリス
からの独立志向など、今後も、特定の社会
集団が、同じ国家内にいては、自分達の
権利、利益、自由・平等などが守れないと
判断した場合、 その国家から分離して、
独立主権国家(= 独立国)を建国していくの
で、今後も独立国の数は、増えるであろう。
〇 こく 国民名リスト。
(こくみんめいりすと)。 《国民》。
THE NATIONALS LIST.
THE LIST OF NATIONALS.
○ 世界・現存独立国・約200
カ国・国民名一覧表。
○ 英語の国民名・通称国名形
容詞・対照付国民名リスト。
■ 国民名リスト (こくみんめいりすと、
英:THE NATIONALS LIST) は、
世界・現存独立国・約200カ国・国民名
一覧表であり、 英語の国民名・通称国
名形容詞・対照付国民名リストである。
〇 こく 国名・略号コード。
(こくめい・りゃくごうこーど)。
《略号コード》。
COUNTRY ABBREVIATION
CODE(S).
(⇒ 世界・現存国各国・各
○ 現在の世界各国の独立国の
略称の略号コード。
○ 現在の世界の国々・独立国約
200カ国のラテン文字略称コード。
○ 独立国の略称の略号コード
には、
(1) IOC国名略号コード
(Ⓞまたは❀)、
(2) ISO国名略号コード
(Ⓘ)、
(3) FIFA国名略号 コード
(Ⓕ) 、
がある。
■ 国名 ・略号コード (こくめい・りゃくごうこ
ーど、英:COUNTRY ABBREVIATION
CODE(S)) は、 国名の略称の略号コー
ドであり、 現在の世界各国の独立国の略
称の略号コードであり、 「世界・現存国各国・
各領土・略号コード・リスト」に記載されている。
〇 こく 国名・領土名・略号コード
一覧表。
(こくめい・りょうどめい・りゃくごう・こーど
いちらんひょう)。 《略号コード》。
THE COUNTRY AND STATE
TERRITORY CODE LIST.
(⇒ 世界・現存国各国・各
○ 現在の世界各国の独立国や
主要属領の略称の略号コード。
○ 現在の世界の国々・独立国
約200カ国とその主要領土のラ
テン文字略称コードのリスト。
○ 国・領土の略称の略号コード
には、
(1) IOC 国・領土名略号コード
(Ⓞまたは❀)、
(2) ISO 国・領土名略号コード
(Ⓘ)、
(3) FIFA 国・領土名略号コード
(Ⓕ)、
がある。
■ 国名・領土名・略号コード一覧表 (こ
くめい・ぞくりょうめい・りゃくごうこーどい
ちらんひょう、英:THE COUNTRY
AND STATE TERRITORY CODES
LIST) は、 国名や領土名の略称の略号
コードのリストであり、 現在の世界各国の
独立国や主要属領の略称の略号コードの
リストであり、 「世界・現存国各国・各領土・
略号コード・リスト」である。
〇 こく 国連気候変動枠組条約
締約国会議。
(こくれんきこうへんどうわくぐみじょうやく
ていやくこくかいぎ)。
《地球環境・環境問題》。
(国際会議)。
(= COP、国連気候変動会議、
気候変動会議)。
(1995年ー現在)。
(⇒ 国連気候変動枠組
条約締 約国会議 地理学辞典)。
■ 国連気 候変動枠組条約締約国会議
(こくれんきこうへんどうわくぐみじょうやくて
いやくこくかいぎ、= COP,気候変動会議、
国連気候変動会議、1995年ー現在、英:
THE COP OF THE UNFCCC) とは、
地球の環境問題を話し合う、国際会議である。
■ 国連気候変動会議。
● 《英語・略称名》。
(:THE COP (CONFERENCE OF
PARTIES) OF THE UNFCCC).
(:THE COP (CONFERENCE OF
PARTIES) OF THE UNITED
NATIONS CLIMATE CHANGE
(1995−PRESENT)).
● 《英語・正式名》。
THE CONFERENCE OF
PARTIES OF THE UNITED
NATIONS FRAMEWORK
CONVENTION ON CLIMATE
CHANGE.
〇 ここ ココ・シャネル。
(= ガブリエル・シャネル
(本名))。 《人名》。
(ファッション・デザイナー)。
(1883年ー1971年)。
COCO CHANEL.
○ ココ・シャネルは、
女性服のファッション界に
革命をもたらした女性で
ある。
○ ココ・シャネルは、
世界の女性のファッション
を現代化した、ファッション・
デザイナーである。
■ ココ・シャネル (1883年ー
1971年、 英:COCO CHANEL、
(本名)ガブリエル・ シャネル) は、
女性服のファッション界に革命を
もたらした女性であり、 世界の
女性のファッションを現代化した、
ファッション・デザイナーである。
● ココ・シャネルは、 女性の自由
を奪う男目線のファッションを嫌い、
女性の自由を追求するファッション
をつくる。
● ココ・シャネルは、 装飾性重視
の女性服を捨てて、 機能性重視の
女性服をつくった。
● ココ・シャネルは、 20世紀前半・
中頃、 ファッション部門、香水部門、
アクセサリー部門で活躍する。
ココ・シャネルは、 仕事 のため
には、すべてを犠牲にした。
● ココ・シャネルは、 帽子づくり
から女性服づくりに向かう。
ココ・シャネルは、 帽 子店経
営から女性服店経営に移る。
● ココ・シャネルは、 19世紀の派
手で窮屈な装飾の多い装飾性重視
の女性服を捨てて、 着心地のよい
シンプルで動きやすさを追求した
スレンダーな機能性重視の女性服
をつくった。 第1次世界大戦で、
スレンダーな女性服が着られるよう
になった。
ココ・シャネルは、ツイードの服 、
リトル・ブラック・ドレスもつくる。
● 父親に捨てられ孤児となり、孤
児院で育った、ココ・シャネルは、
修道院の孤児院で裁縫を仕事として
やらされ、 孤児院を出た後、恋人の、
上流階級の教養人・バルサン、実業
家・カペルの協力を得て、帽子・デザ
イナーやファッション・デザイナーと
なる。
● 女性服以外に、 ココ・シャネル
は、香水をファッション・アイテムの
1つに進化させた。
ココ・シャネルは、 たくさんの
香りを混ぜてCHANEL NO.5
イ(シャネルナンバーファブ、世界
の高級香水で現在一番売れてい
る香水) などの香水をつくる。
ココ・シャネルは、 リップスチ
ック、肩にかけるバッグなどもつくる。
〇 ごこ 五胡十六国。
(ごこじゅうろっこく)。
(旧存在国)。 《国名》。
(紀元(後)304年ー439年)。
○ 中国の諸王朝、諸 国家。
(⇒ 中国の歴史、
■ 五胡十六国 (ごこじゅうろっこく、紀元
(後)304年ー439年) とは、 304年か
ら439年まで中国本土に存在した、中国
の諸王朝、諸国家である。
〇 こす コスタリカ。
(現存独立国)。 《国名》。
国名略号: Ⓞ Ⓕ CRC,Ⓘ CRI。
● 国名: コスタリカ。
● 英語国名 : COSTA RICA.
COSTA RICA.
● コスタリカの位置 (英:THE
COSTA RICAN (COSTA RICA’S)
LOCATION) :
中部アメリカ、 中央アメリカ。
● コスタリカの国民 (英:THE
NATIONAL(S) OF COSTA RICA) :
コスタリカ人。
(英:COSTA RICAN(S))。
● コスタリカの概要や歴史の簡略表
記載。
(⇒ 中央アメリカ)。
(⇒ 中部アメリカ)。
(⇒ 中南米)。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 ごせ 5世紀。
(ごせいき)。
(= 401年ー500年)。
(世紀)。 《西暦》。
THE 5TH CENTURY.
■ 5世紀 (ごんせいき、英:THE 5TH
CENTURY) は、 西暦の、紀元(後)
401年から500年までの100年間である。
〇 ごぞ 語族。
(ごぞく)。 《言語》。
(= 同一系統の諸語)。
(⇒ 言語)。
○ 同一系統の諸言語の一群)。
■ 語族 (ごぞく)とは、 同一系統の諸
語であり、 同一系統の諸言語の一群で
あり、 共通の言語からうまれた同系統の
言語群である。
〇 こそ コソボ。
(現存独立国)。 《国名》。
国名略号: Ⓘ RKS。
● 国名: コソボ。
● 前セルビア領コソボ。
● 英語国名 : KOSOVO.
● コソボの位置 (英:THE
KOSOVO (KOSOVAR )
(KOSOVO’S) LOCATION) :
ヨーロッパ南東部、 バルカン半島。
● コソボの国民 (英:THE
NATIONAL(S) OF KOSOVO) :
コソボ人 。
(英:KOSOVAN(S))。
● コソボの概要や歴史の簡略表
記載。
(⇒ ヨーロッパ南東部)。
(⇒ ヨーロッパ) 。
(⇒ 欧米)。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 こだ 古代アテネ国家。
(こだいあてねこっか)。
《古代ギリシア》。
(古代ギリシアの都市
国家の1つ)。
(時期:紀元前800年頃
ー紀元前146年)。
(⇒ 古代民主政 アテネ)。
(⇒ 古代民主政)。
(⇒ 古代ギリシア)。
■ 古代アテネ国家 (こだい
あてねこっか、古代アテナイ
国家、紀元前800年頃ー前
146年)は、 紀元前800年
頃から前146年まで存続した、
古代ギリシアを本拠地とした
都市国家(ポリス)である。
■ 古代アテネ国家では、
民主政(民主主義)時代が、
紀元前508年から紀元前
322年まで、約180年 間続
く。
■ 古代民主政アテネ(民
主政時代の古代アテネ国
家、紀元前508年ー 紀元前
322年)は、古代アテネ 国家
の黄金時代である。
〇 こだ 古代イタリア人。
(こだいいたりあじん) 。 《民族》。
ANCIENT ITALIAN(S).
(⇒ ラテン人)。
(⇒ インド・ ヨーロッパ系諸族)。
(⇒ 古代ローマ 国家)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ 「古代イタリア人」 (こだいいたりあじ
ん、英:ANCIENT ITALIAN(S)) は、
インド・ヨーロッパ系諸族の民族である。
「古代イタリア人」は、後に中世以
後、ラテン系の諸族のイタリア人、ルー
マニア人、フランス人、スペイン人、ポル
トガル人に分化した。
■ 古代のインド・ヨーロッパ系諸族には、
「古代イタリア人」 (後に中世以後、ラテ
ン系の諸族のイタリア人、ルーマニア人、
フランス人、スペイン人、ポルトガル人に
分化)、 「古代ギリシア人」 (イオ ニア人、
アイオリス人、ドーリア人の3種族が1つ
にまとまり存続)、 「古代ゲルマン人」
(後にゲルマン系の諸族に分化)、 「古
代ケルト人」 (後にケルト系の諸族に分
化)、 「古代スラブ人」 (後にスラブ系
の諸族に分化)、 「古代インド・アーリア
人」 (後にインド・アーリア系の諸族に
分化)、 「古代イラン人」 (広義、後に
イラン系の諸族に分化) などがいた。
〇 こだ 古代エジプト。
(こだいえじぷと)。
(⇒ エジプト王国)。
《古代エジプト》。
ACIENT EGYPT.
(⇒ エジプトの歴史、
〇 こだ 古代エジプト人。
(こだいえじぷとじん)。
(消滅民族)。 《民族》。
ANCIENT EGYPTIAN(S).
■ 古代エジプト人。
<ハム系諸族。
<アフロ・アジア系諸族(= セム・ハム系
諸族)。
■ 古代エジプト人 (こだいえじぷとじん、
英:ANCIENT EGYPTIAN(S)) は、
偉大な古代エジプト文明を生み出した民
族である。
● 古代エジプト人は、紀元前3100年頃
から紀元(後)5世紀頃まで生存した。
古代エジプト人は、 紀元(後)5世
紀頃、東ローマ帝国の支配下で、キリス
ト教・ビザンチン文化を強要され、民族性
を変質し、中世エジプト人となる。
● 発掘調査で、古代エジプト人は、頭部
の後ろが長いという身体的特徴がある。
■ (古代エジプト人の言語)
古代エジプト人は、母国語として、
古代エジプト語を使用した。
■ (当時の居住地)
古代エジプト人は、エジプト地域を
中心に居住した。
■ 現代エジプト人は、 紀元(後)7世紀
以後、原住地・アラビア半島からエジプト
に移住してきたアラブ人である。
(⇒ アフロ・アジア系諸族
(= セム・ハム系諸族))。
(⇒ 民族)。
(⇒ 古代エジプト)。
(⇒ エジプトの歴史、
〇 こだ 古代オリンピック。
(こだいおりんぴっく)。
(= 古代オリンピック大会、
古代オリンピック競技大
会、古代五輪)。
《スポーツ競技大会》。
(紀元前776−
紀元(後)393年)。
○ 古代オリンピックは、
古代ギリシアで開催さ
れていたスポーツ競技
大会である。
■ オリンピックには、
(⇒ オリンピック)
(⇒ THE OLYMPIC
(A) 古代オリンピック と、
(B) 近代オリンピック が
(⇒ 近代オリンピック)
ある。
■ オリンピック (おりんぴっく、=
オリンピック大会 、オリンピック競技
大会、五輪、英:THE OLYMPIC
GAMES) には、 古代オリンピッ
ク と 近代オリンピック がある。
■ 古代オリンピック (こだいおり
んぴっく、= 古代オリンピック大会、
古代オリンピック競技大会、古代
五輪 、英:THE ANCIENT
OLYMPIC GAMES) は、
紀元前776年から紀元(後)393
年まで、古代ギリシアで開催され
ていたスポーツ競技大会である。
〇 こだ 古代共和政ローマ。
(こだいきょうわせいろーま)。
(= 共和政ローマ)。
(= ローマ共和国)。
(= 共和政時代の古代
ローマ国家)。
《共和政》。 《古代ローマ》。
ANCIENT REPUBLICAN
ROME.
(⇒ ローマ共和国)。
(⇒ 古代ローマ 国家)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ 古代ローマ 人)。
(⇒ ローマ市民)。
(⇒ コンスル(= 執政官))。
(⇒ 護民官)。
(⇒ イタリアの歴史、
◆ 古代共和政ローマ
(= 共和政ローマ、ローマ
共和国、= 共和政時代
の古代ローマ国家)。
■ 古代共和政ローマ (こだい
きょうわせいろーま)とは、
共和政ローマであり、 ローマ
共和国であり、 共和政時代の
古代ローマ国家である。
■ 古代共和政ローマ (こだ
いきょうわせいろーま、英:
ANCIENT REPUBLICAN
ROME, THE ROMAN
REPUBLIC) とは、 共和政
ローマであり、 ローマ共和国
であり、 共和政時代(紀元前
509年ー紀元前27年)の古代
ローマ国家(紀元前753年頃
ー紀元(後)476年) である。
■ 古代共和政ローマの政体
は、貴族政である。
■ イタリアを本拠地とする古
代ローマ国家(紀元前753年
頃ー紀元(後)476年)の共和
政時代は、
紀元前509年から紀元前27
年まで、約500年間続く。
■ 古代共和政ローマ国家の
主権者は、
古代ローマ市民のローマ貴族
とローマ平民である。
● 古代共和政ローマの、
古代ローマ市民の、ローマ貴
族は、
「元老院」(= セナトゥス)と「民
会」(= コミティア)の両方で政
治権力をもち、
ローマ平民は、
「民会」(= コミティア)で政治権
力をもつ。
● 古代共和政ローマでは、
独裁を予防するため、議決機
関の「元老院」(= セナトゥス)
と「民会」(= コミティア)がある。
■ 古代共和政ローマの議決
機関。
● 古代共和政ローマの議決
機関は、
任期終身の定員300人のロ
ーマ貴族で構成される「元老
院」(= セナトゥス) と、 古代
ローマ市民(ローマ貴族とロー
マ平民)で構成される「民会」
(= コミティア) である。
■ 古代共和政ローマ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は「元老院」(= セナトゥス)。
● 古代共和政ローマ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、
有力貴族の集まりで、任期終
身の定員300人のローマ貴
族で構成される「元老院」(=
セナトゥス)である。
● 古代共和政ローマの「元
老院」(= セナトゥス)は、
「民会」(= コミティア)と政務
官(= マギストラトゥス)に助
言する。
■ 古代共和政ローマの
「民会」。
● 古代共和政ローマの「民
会」(= コミティア)は、
古代ローマ市民(ローマ貴族
とローマ平民)で構成される。
● 古代共和政ローマで活躍
し、権限のあった「民会」(= コ
ミティア)は、 次の4民会で
ある。
古代共和政ローマの「民会」
(= コミティア)は、
(k) クリア民会、
(l) トリブス民会(= 市民会)、
(m) ケントゥリア民会
(= 兵員会)、
(n) プレブス民会(= 平民会)、
の4民会からなる。
■ 古代ローマ国家の議決機
関(議会)の民会は、
紀元前1世紀の共和政ローマ
末期には、元老院によって、
その実質的機能・権限は奪わ
れ、 形式的には、紀元(後)
3世紀まで存続する。
■ 古代共和政ローマの
公職者(役人)。
● 古代共和政ローマの主要
公職者(役人)は、
(q) コンスル(= 執政官)、
(r) 法務官(= プラエトル)、
(s) 造営官(= アエディリス)、
(t) 財務官(= クァエストル)、
(w) 属州総督、
(x) 護民官(= トゥリブヌス・
プレビス)、
(y) 独裁官(= ディクタトル)
などである。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者の、コンスル(= 執政
官)、法務官(= プラエトル)、
造営官(= アエディリス)、
財務官(= クァエストル)など
の、行政・軍事を担当する政
務官(= マギストラトゥス)は、
独裁を予防するため、
古代共和政ローマの「民会」
(= コミティア)によって、選出
され、 定員は複数で、任期は
短く1年である。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者の、属州総督は、元老院
(= セナトゥス)によって選出され、
護民官(= トゥリブヌス・プレビス)
は、民会(= コミティア)によって
選出され、 独裁官(= ディクタト
ル)は、非常時のみ、コンスル
(= 執政官)と元老院(= セナトゥ
ス)によって選出される。
● 護民官(= トゥリブヌス・プ
レビス)は、 元老院(= セナト
ゥス)や政務官(= マギストラト
ゥス)の決定への拒否権をも
つ。
■ 500年も存続し、大領土
国家になった古代ローマ
共和国(古代共和政ローマ)。
● 古代ローマ共和国 (古代
共和政ローマ、紀元前509年
ー前27年)が 、
約500年もの長期間存続し、
また、大領土国家になった
理由は、
当時の古代ローマ共和国(古
代共和政ローマ)は、元老院
とローマ市民(S.P.Q.R.)
が国家の主権者であり、
(ア) 「コンスル(= 執政官)」
2人(独裁政治)をもち、
(イ) 「元老院」
(少数共和政治(寡頭政治)、
貴族政治)をもち、
(ウ) 「民会」(= コミティア)
(民主政治)をもち、
内部対立はあっても、それら
が国政のバランスを保つ
「混合政体の国家」であった
ためである。
■ 広義のローマ国家。
● 広義 の「ローマ国家」とは、
(a)〜(e1)「古代ローマ国家」
と、(e2)「中世の東ローマ帝
国」であり、 イタリアを中心に 、
ヨーロッパ、北アフリカ、西アジ
アに存続した国家であり、
(a) ローマ王国
(= 王政ローマ、
紀元前753年頃(伝説では)
ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国
(= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)
(c) ローマ帝国
(= 帝政ローマ、
紀元前27年ー紀元(後)
395年)、
(d) 西ローマ帝国
(= 紀元(後)395年ー476年)、
(e1) 初期の東ローマ帝国
(= 初期のビザンティン帝国、
紀元(後)395年ー476年頃)、
(e2) 中世の東ローマ帝国
(= 中世のビザンティン帝国、
紀元(後)476年頃ー1453年)、
の6つのローマ国家である。
〇 こだ 古代共和政ローマと
古代民主政アテネと
の比較。
(こだいきょうわせいろーまと
こだいみんしゅせいあてねと
のひかく)。
《民主主義》。
(⇒ 古代共和政ローマ)。
(⇒ 古代民主政アテネ)。
(⇒ 古代ローマ 国家)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
(⇒ 古代 アテネ国家)。
(⇒ 古代ギリシア)。
◆ 古代共和政ローマと古代
民主政アテネとの比較。
■ 古代共和政ローマの政体
は、貴族政である。
■ イタリアを本拠地とする古
代ローマ国家の共和政時代
は、
紀元前509年から紀元前27
年まで、約500年間続く。
■ 古代民主政アテネの政体
は、直接民主政である。
■ ギリシャを本拠地とする都
市国家(ポリス)の古代アテネ
国家の民主政(民主主義)時
代は、
紀元前508年から紀元前
322年まで、約180年間続く。
■ 古代共和政ローマ国家の
主権者は、 古代ローマ市民の
ローマ貴族とローマ平民である。
● 古代共和政ローマの、
古代ローマ市民の、ローマ貴
族は、
「元老院」(= セナトゥス)と「民
会」(= コミティア)の両方で政
治権力をもち、
ローマ平民は、
「民会」(= コミティア)で政治権
力をもつ。
● 古代共和政ローマでは、
独裁を予防するため、議決機
関の「元老院」(= セナトゥス)と
「民会」(= コミティア)がある。
■ 古代民主政アテネの主権
者は、
古代アテネ市民である。
● 古代民主政アテネの古代
アテネ市民は、「民会」(= エク
レシア)で政治権力をもつ。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、議決機
関の「民会(= エクレシア)」と
「五百人評議会」がある。
■ 古代共和政ローマの議決
機関。
● 古代共和政ローマの議決
機関は、
任期終身の定員300人のロ
ーマ貴族で構成される「元老
院」(= セナトゥス) と、 古代
ローマ市民(ローマ貴族とロー
マ平民)で構成される「民会」
(= コミティア) である。
■ 古代民主政アテネの議決
機関。
● 古代民主政アテネの議決
機関は、
古代アテネ市民の総会である
「民会」(= エクレシア) と、
民会(= エクレシア)によって
選出された500人で構成す
る「五百人評議会」である。
■ 古代共和政ローマ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、「元老院」(= セナトゥス)。
● 古代共和政ローマ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、
有力貴族の集まりで、任期終
身の定員300人のローマ貴
族で構成される「元老院」(=
セナトゥス)である。
● 古代共和政ローマの「元
老院」(= セナトゥス)は、
「民会」(= コミティア)と政務
官(= マギストラトゥス)に助
言する。
■ 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、「民会(= エクレシア)」。
● 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、 古代アテネ市民の総会
である「民会(= エクレシア)」
である。
● 古代民主政アテネの「民
会」(= エクレシア)は、
「五百人評議会」議員を選出
し、主要公職者を抽選(くじ引
き)または選挙で選出する。
■ 古代共和政ローマの
公職者(役人)。
● 古代共和政ローマの主要
公職者(役人)は、
(q) コンスル(= 執政官)、
(r) 法務官(= プラエトル)、
(s) 造営官(= アエディリス)、
(t) 財務官(= クァエストル)、
(w) 属州総督、
(x) 護民官(= トゥリブヌス・
プレビス)、
(y) 独裁官(= ディクタトル)
などである。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者の、コンスル(= 執政官)、
法務官(= プラエトル)、造営官
(= アエディリス)、財務官(= ク
ァエストル)などの、行政・軍事
を担当する政務官(= マギスト
ラトゥス)は、 古代共和政ロー
マの「民会」(= コミティア)によ
って、選出される。
● 古代共和政ローマでは、
独裁を予防するため、政務官
(= マギストラトゥス)は、定員は
複数で、任期は短く1年である。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者の、
(r) 属州総督は、
元老院(= セナトゥス)によって
選出され、
(s) 護民官(= トゥリブヌス・プ
レビス)は、
民会(= コミティア)によって選出
され、
(t) 独裁官(= ディクタトル)は、
非常時のみ、コンスル(= 執政
官)と元老院(= セナトゥス)によ
って選出される。
■ 古代民主政アテネの
公職者(役人)。
● 古代民主政アテネの主要
公職者(役人)は、
アルコン(= 執政官)、ストラテ
ゴス(= 将軍)、民衆裁判所陪
審員などである。
■ 古代民主政アテネでは、
主要公職者の、アルコン(= 執
政官)、ストラテゴス(= 将軍)、
民衆裁判所陪審員は、
古代民主政アテネの「民会(=
エクレシア)」によって、選出さ
れる。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、主要公
職者は、「民会」(= エクレシ
ア)での抽選(くじ引き)または
選挙で選出され、定員は複数
である。
〇 こだ 古代ギリシア。
(こだいぎりしあ)。 《古代世界》。
(⇒ 古代民主政アテネ)。
(⇒ 古代 アテネ国家)。
(⇒ 古代民主政)。
〇 こだ 古代ギリシア人。
(こだいぎりしあじん)。 《民族》。
ACIENT GREEK(S).
(⇒ ギリシア人)。
(⇒ 古代ギリシア)。
(⇒ ギリシアの歴史、
○ 古代ギリシア人には、
イオニア人、 アイオリス人
ドーリア人の3種族がいた。
■ 古代ギリシア人のイオニア人やアイオ
リス人が、 第1波の約1600年頃からギ
リシア地域各地に侵入・南下した。
遅れて、古代ギリシア人のドーリア人
が、 第2波の紀元前1200年頃からギリ
シア地域各地に侵入・南下した。
■ 古代ギリシア人には、 イオニア人
(英:IONIAN(S))、 アイオリス人
(英:AEOLIAN(S) [i(:)óuljən〕)、
ドーリア人 (英:DORIAN(S)) の
3種族がいた。
● 古代ギリシア人の一派の、アカイア人
(英:ACHAEAN(S))は、 広義では、
イオニア人とアイオリス人であり、 狭義
では、アイオリス人 である。
■ 古代ギリシア人の祖先は、 インド・ヨ
ーロッパ系諸族の原住地のドン川流域や
カザフスタン地域から、 紀元前2000年
頃に、バルカン半島北部に移動してきた
インド・ヨーロッパ系諸族であり、 その後、
バルカン半島南部のギリシア地域各地に
侵入・南下する。
古代ギリシア人のイオニア人やアイオ
リス人は、 第1波の約1600年頃からギ
リシア地域各地に侵入・南下してきたイン
ド・ヨーロッパ系諸族であり、 古代ギリシ
ア人のドーリア人は、遅れて、第2波の紀
元前1200年頃からギリシア地域各地に
侵入・南下してきたインド・ヨーロッパ系諸
族である。
〇 こだ 五代十国諸国
(ごだいじゅっこくしょこく) 。
(旧存在国)。 《国名》。
(907年ー960年)。
○ 中国の諸王朝、諸国家。
(⇒ 中国の歴史、
■ 五代十国諸国 (ごだいじゅっ
こくしょこく、907年ー960年) は、
907年から960年まで中国本土に
あった、中国の諸 王朝、諸国家で
ある。
〇 こだ 古代民主主義。
(こだいみんしゅしゅぎ)。
(古代ギリシア)。
《民主主義》。
ANCIENT
DEMOCRACY.
(⇒ 民主主義)。
○ 古代民主主義は、
国の一部の男性市民のみ
が自由と平等で、選挙権・
被選挙権があり、直接民主
主義であり、奴隷、女性、
外国人には、選挙権はなか
った。
(⇒ 古代民主政アテネ)。
(⇒ 古代 アテネ国家)。
(⇒ 古代民主政)。
(⇒ 古代ギリシア)。
(⇒ ギリシアの歴史、
■ 古代民主主義 (こだいみんしゅ
しゅぎ、英:ANCIENT DEMO-
CRACY)は、 古代ギリシアの民主
主義であり、 国の一部の男性市民
のみが自由と平等で、選挙権・被選
挙権があり、直接民主主義であり、
奴隷、女性、外国人には、選挙権は
なかった。
◆ 古代民主政アテネ
(民主政時代の古代アテネ国家)。
■ ギリシャを本拠地とする都市
国家(ポリス)の古代アテネ国家
の民主政(民主主義)時代は、
紀元前508年から紀元前322
年まで、約180年間続く。
■ 古代民主政アテネの政体は、
直接民主政である。
● 古代民主政アテネでは、
都市国家(ポリス)の古代アテネ
の市民権をもっている者は、男性
は誰でも直接政治に参加できる。
■ 古代民主政アテネの主権者
は、古代アテネ市民である。
● 古代民主政アテネの古代
アテネ市民は、「民会」(= エクレ
シア)で政治権力をもつ。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、議決機関
の、「民会(= エクレシア)」と
「五百人評議会」がある。
■ 古代民主政アテネの議決
機関。
● 古代民主政アテネの議決
機関は、
古代アテネ市民の総会である
「民会」(= エクレシア) と、
民会(= エクレシア)によって
選出された500人で構成する
「五百人評議会」である。
■ 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は「民会(= エクレシア)」。
● 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、 古代アテネ市民の総会
である「民会(= エクレシア)」
である。
● 古代民主政アテネの「民
会」(= エクレシア)は、
「五百人評議会」議員を選出
し、主要公職者(役人)を抽選
(くじ引き)または選挙で選出
する。
● 古代民主政アテネでは、
「民会(= エクレシア)」が、
最高議決機関であり、 アテネ
の18歳以上の男性全市民で
構成され、 古代アテネの、
初めアゴラで開かれ、前5世紀
半ば(前460年頃)以後「プニ
ュクスの丘」で開かれ、 定例
会は年40回(月3、4回)開催
された。
議案は、「五百人評議会」
が準備する。
● 法や戦争など様々なことが
古代民主政アテネの「民会」(=
エクレシア)で議論され、投票
で議決を行い、多数決で決めら
れた。
■ 古代民主政アテネの
「五百人評議会」。
● 現実問題として、古代アテ
ネ全市民が「民会」(= エクレシ
ア)のすべての議決に参加す
ることは難しいため、 「民会」
(= エクレシア)によって、古代
アテネ市民から選ばれた500
人による評議会の「五百人評
議会」で、 古代民主政アテネ
国家の重要事項以外の事は、
決議された。
● 「五百人評議会」は、
古代アテネのアゴラで開催され、
「民会」(= エクレシア)の予備審
議やアルコン(= 執政官)の監察
も行った。
● 独裁を予防するため、「五百
人評議会」の評議会議員の任期
は1年と短く、 就任できるのは
一生の間2回だけ、それも連続
して就任することは禁じられて
いた。
■ 古代民主政アテネの公職者
(役人)。
■ ストラテゴス(= 将軍)は、
古代アテネ国家の、政治、財政、
外交、軍隊の統帥などを行う。
● 古代民主政アテネの主要公
職者(役人)は、 アルコン(= 執
政官)、ストラテゴス(= 将軍)、
民衆裁判所陪審員などである。
■ 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、主要公
職者(役人)は、「民会」(= エ
クレシア)での抽選(くじ引き)
または選挙で選出され、定員
は複数である。
● 古代民主政アテネでは、
主要公職者(役人)の、アル
コン(= 執政官)、ストラテゴス
(= 将軍)、民衆裁判所陪審員
は、 古代民主政アテネの「民
会(= エクレシア)」によって、
選出される。
■ 古代民主政アテネの公職
者(役人)には、
(a) アルコン (= 執政官、定
員9人、民会(= エクレシア)
での抽選(くじ引き)・選出)、
(b) ストラテゴス (= 将軍、
定員10人、民会(= エクレシ
ア)での選挙・選出、再任可)、
(c) 民衆裁判所陪審員
(民会(= エクレシア)での抽
選(くじ引き)・選出)、
(d) 下級役人 (任期1年、
再任不可)、
などがある。
〇 こだ 古代民主政。
(こだいみんしゅせい)。
《民主主義》。 《民主政》。
(古代ギリシア)。
ANCIENT DEMOCRATIC
GOVERNMENT.
(⇒ 古代民主政
アテネ)。
(⇒ 古代民主主義)。
(⇒ 古代 アテネ国家)。
(⇒ 民主政)。
(⇒ 民主主義)。
(⇒ 古代ギリシア)。
(⇒ ギリシアの歴史、
○ 古代民主政は、
直接民主政、集会制(議
会制)で、奴隷制を基礎
とする。
■ 古代民主政 (こだいみんし
ゅせい、英:ANCIENT DEMO-
CRATIC GOVERNMENT)
は、 古代ギリシ アの民主政であ
り、 直接民主政、集会制(議会
制)であり、奴隷制を基礎(基盤)
としていた。
◆ 古代民主政アテネ
(民主政時代の古代アテネ
国家)。
■ ギリシャを本拠地とする都
市国家(ポリス)の古代アテネ
国家(紀元前800年頃ー前
146年)の民主政(民主主義)
時代は、 紀元前508年から
紀元前322年まで、約180年
間続く。
■ 古代民主政アテネの政体
は、直接民主政である。
● 古代民主政アテネでは、
都市国家(ポリス)の古代アテ
ネの市民権をもっている者は、
男性は誰でも直接政治に参加
できる。
■ 古代民主政アテネの主権
者は、古代アテネ市民である。
● 古代民主政アテネの古代
アテネ市民は、「民会」(= エク
レシア)で政治権力をもつ。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、議決機
関の、「民会(= エクレシア)」
と「五百人評議会」がある。
■ 古代民主政アテネの議決
機関。
● 古代民主政アテネの議決
機関は、
古代アテネ市民の総会である
「民会」(= エクレシア) と、
民会(= エクレシア)によって
選出された500人で構成する
「五百人評議会」である。
■ 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は「民会(= エクレシア)」。
● 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、 古代アテネ市民の総会
である「民会(= エクレシア)」
である。
● 古代民主政アテネの「民
会」(= エクレシア)は、
「五百人評議会」議員を選出
し、主要公職者(役人)を抽選
(くじ引き)または選挙で選出
する。
● 古代民主政アテネでは、
「民会(= エクレシア)」が、
最高議決機関であり、 アテネ
の18歳以上の男性全市民で
構成され、 古代アテネの、初
めアゴラで開かれ、前5世紀半
ば(前460年頃)以後「プニュ
クスの丘」で開かれ、 定例会
は年40回(月3、4回)開催さ
れた。
議案は、「五百人評議会」
が準備する。
● 法や戦争など様々なことが
古代民主政アテネの「民会」(=
エクレシア)で議論され、投票
で議決を行い、多数決で決めら
れる。
■ 古代民主政アテネの「五百
人評議会」。
● 現実問題として、古代アテ
ネ全市民が「民会」(= エクレシ
ア)のすべての議決に参加する
ことは難しいため、 「民会」(=
エクレシア)によって、古代アテ
ネ市民から選ばれた500人に
よる評議会の「五百人評議会」
で、古代民主政アテネ国家の
重要事項以外の事は、決議さ
れた。
● 「五百人評議会」は、
古代アテネのアゴラで開催さ
れ、「民会」(= エクレシア)の
予備審議やアルコン(= 執政
官)の監察も行った。
● 独裁を予防するため、「五
百人評議会」の評議会議員の
任期は1年と短く、 就任でき
るは一生の間2回だけ、それ
も連続して就任することは禁じ
られていた。
■ ストラテゴス(= 将軍)。
● ストラテゴス(= 将軍)は、
古代民主政アテネ国家の、政
治、財政、外交、軍隊の統帥
などを行う。
● 民会(= エクレシア)の抽
選(くじ引き)・選出の能力と
経験のない最高官職のアルコ
ン(= 執政官)と異なり、 スト
ラテゴス(= 将軍)は、 国防の
責任者であるため、能力と経
験豊かな人が民会(= エクレ
シア)の選挙で選ばれ何度で
も再任可能なので、本来は
アテネ国防の責任者ではある
が、 ストラテゴス(= 将軍)が、
民主政アテネ国家の実際の 政
治運営を行う。
■ 古代民主政アテネの
公職者(役人)。
● 古代民主政アテネの主要
公職者(役人)は、 アルコン
(= 執政官)、ストラテゴス(=
将軍)、民衆裁判所陪審員な
どである。
■ 古代民主政アテネでは、
主要公職者(役人)の、アルコ
ン(= 執政官)、ストラテゴス
(= 将軍)、民衆裁判所陪審
員は、 古代民主政アテネの
「民会(= エクレシア)」によっ
て、選出される。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、主要公
職者(役人)は、「民会」(= エ
クレシア)での抽選(くじ引き)
または選挙で選出され、定員
は複数である。
■ 古代民主政アテネの
公職者(役人)。
● 古代民主政アテネの公職
者(役人)には、
(e) アルコン (= 執政官、定
員9人、民会(= エクレシア)
での抽選(くじ引き)・選出)、
(f) ストラテゴス (= 将軍、定
員10人、民会(= エクレシア)
での選挙・選出、再任可)、
(g) 民衆裁判所陪審員
30歳以上の男性市民から、
(民会(= エクレシア)での抽
選(くじ引き)・選出)、
(h) 下級役人 (任期1年、
再任不可)、
などがある。
〇 こだ 古代民主政アテネ。
(こだいみんしゅせいあてね)。
(= 民主政時代の古代
アテネ国家)。
《民主主義》。 《民主政》。
《古代ギリシア》。
(時期:紀元前508年
ー紀元前322年)。
ANCIENT DEMOCRATIC
ATHENS.
(⇒ 古代民主政)。
(⇒ 古代アテネ国家)。
(⇒ ストラテゴス(= 将軍))。
(⇒ アルコン(= 執政官))。
(⇒ 古代ギリシア)。
◆ 古代民主政アテネ
(民主政時代の古代アテネ国
家)。
■ 古代民主政アテネ (こだ
いみんしゅせいあてね、別名:
古代民主政アテナイ、民主政
アテネ(アテナイ)、英:
ANCIENT DEMOCRATIC
ATHENS)は、 民主政(民主
主義)時代(紀元前508年ー
紀元前322年)の古代アテネ
国家である。
■ ギリシャを本拠地とする都
市国家(ポリス)の古代アテネ
国家 (紀元前800年頃ー前
146年)の、民主政(民主主
義)時代は、
紀元前508年から紀元前
322年まで、約180年間続く。
■ 古代民主政アテネの終焉。
● 古代民主政アテネ(民主政
時代の古代アテネ国家)は、
紀元前322年に敗戦し、マケ
ドニア王国の占領再支配によ
って、終焉(しゅうえん)する。
■ 古代民主政アテネの政体
は、直接民主政である。
● 古代民主政アテネでは、
都市国家(ポリス、英:city-
state(s))の古代アテネの市
民権をもっている者は、男性
は誰でも直接政治に参加でき
る。
■ 古代民主政アテネの主権
者は、古代アテネ市民である。
● 古代民主政アテネの古代
アテネ市民は、 「民会」(= エ
クレシア)で政治権力をもつ。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、議決機
関の、「民会(= エクレシア、
英:The Ekklesia)」 と、
「五百人評議会」(英:The
Council of 500)がある。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、議決機
関の「民会(= エクレシア)」と
「五百人評議会」がある。
■ 古代民主政アテネの議決
機関。
● 古代民主政アテネの議決
機関は、
古代アテネ市民の総会である
(a) 「民会」(= エクレシア)
と、
(b) 民会(= エクレシア)によ
って選出された500人で構成
する「五百人評議会」
である。
■ 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、「民会(= エクレシア)」。
● 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、
古代アテネ市民の総会である
「民会(= エクレシア)」である。
● 古代民主政アテネの「民
会」(= エクレシア)は、
「五百人評議会」議員を選出
し、主要公職者(役人)を抽選
(くじ引き)または選挙で選出
する。
● 古代民主政アテネでは、
「民会(= エクレシア)」が、
最高議決機関であり、 アテネ
の18歳以上の男性全市民で
構成され、 古代アテネの、
初めアゴラで開かれ、前5世紀
半ば(前460年頃)以後「プニ
ュクスの丘」で(英:on the
Pnyx hill)開かれ、 定例会
は 年40回(月3、4回)開催
された。 民会の議案は、
「五百人評議会」が準備する。
● 法や戦争など様々なことが
この「民会」(= エクレシア)で
議論され、投票で議決を行い、
多数決で決められる。
■ 古代民主政アテネの「五百
人評議会」。
● 現実問題として、古代アテネ
全市民が「民会」(= エクレシア)
のすべての議決に参加すること
は難しいため、 「民会」(= エク
レシア)によって、古代アテネ市
民から選ばれた500人による
評議会の「五百人評議会」で、
古代民主政アテネ国家の重要
事項以外の事は、決議された。
● 「五百人評議会」は、
古代アテネのアゴラ (英:The
Agora of Athens)で開催さ
れ、「民会」(= エクレシア)の
予備審議やアルコン(= 執政官)
の監察も行った。
● 独裁を予防するため、「五百
人評議会」の評議会議員の任期
は1年と短く、 就任できるは一生
の間2回だけ、それも連続して就
任することは禁じられていた。
■ 古代民主政アテネの公職者
(役人)。
■ (f) ストラテゴス(= 将軍)。
● ストラテゴス(= 将軍)は、
古代民主政アテネ国家の、政
治、財政、外交、軍隊の統帥
などを行う。
● 古代民主政アテネの実際
の政治運営の指導者は、
ストラテゴス(= 将軍)である。
今日の大臣にあたる最高
官職のアルコン(= 執政官)は、
抽選(くじ引き)で当たった希望
者である。 それでは、国家の
政治運営に問題が起こる。
一方、国防の責任を負うスト
ラテゴス(= 将軍)は、 抽選
(くじ引き)ではなく、 能力と経
験豊かな10人を選挙で選出し、
何度でもその重任を認めてい
る。
そのため、抽選(くじ引き)
で選出の最高官職のアルコン
(= 執政官)は、重みがなくな
り、 ストラテゴス(=将軍)が
古代民主政アテネの事実上
の国政の指導者になってしま
った。
■ 古代民主政アテネの
公職者(役人)。
● 古代民主政アテネでは、
主要公職者(役人)の、
(e) アルコン(= 執政官)、
(f) ストラテゴス(= 将軍)、
(g) 民衆裁判所陪審員
は、 民主政アテネの「民会
(= エクレシア)」によって、
抽選(くじ引き)または選挙で、
選出される。
● 古代民主政アテネの
公職者には、
(e) アルコン (= 執政官、定
員9人、民会(= エクレシア)
での抽選(くじ引き)・選出)、
(f) ストラテゴス (= 将軍、
定員10人、民会(= エクレシ
ア)での選挙・選出、再任可)、
(g) 民衆裁判所陪審員
30歳以上の男性市民から、
(民会(= エクレシア)での抽
選(くじ引き)・選出)、
(h) 下級役人 (任期1年、再
任不可)、
などがある。
〇 こだ 古代民主政アテネと
古代共和政ローマと
の比較。
(こだいみんしゅせいあてねと
こだいきょうわせいろーまと
のひかく)。
《民主主義》。
(⇒ 古代民主政アテネ)。
(⇒ 古代共和政ローマ)。
(⇒ 古代 アテネ国家)。
(⇒ 古代ギリシア)。
(⇒ 古代ローマ 国家)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
◆ 古代民主政アテネと古代
共和政ローマとの比較。
■ 古代民主政アテネ(= 民主
政時代の古代アテネ国家)の
の政体は、直接民主政である。
■ 古代共和政ローマ(= 共和
政時代の古代ローマ国家)の
政体は、貴族政である。
■ ギリシャを本拠地とする都
市国家(ポリス)の古代アテネ
国家の民主政(民主主義)時代
は、 紀元前508年から紀元前
322年まで、約180年間続く。
■ イタリアを本拠地とする古
代ローマ国家の共和政時代は、
紀元前509年から紀元前27
年まで、約500年間続く。
■ 古代民主政アテネの主権
者は、古代アテネ市民である。
● 古代民主政アテネの古代
アテネ市民は、「民会」(= エク
レシア)で政治権力をもつ。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、議決機
関の「民会(= エクレシア)」と
「五百人評議会」がある。
■ 古代共和政ローマの主権
者は、 古代ローマ市民のロー
マ貴族とローマ平民である。
● 古代共和政ローマの、古
代ローマ市民の、ローマ貴族
は、「元老院」(= セナトゥス)と
「民会」(= コミティア)の両方
で政治権力をもち、ローマ平
民は、「民会」(= コミティア)で
政治権力をもつ。
● 古代共和政ローマでは、
独裁を予防するため、議決機
関の「元老院」(= セナトゥス)
と「民会」(= コミティア)がある。
■ 古代民主政アテネの議決
機関。
● 古代民主政アテネの議決
機関は、
古代アテネ市民の総会である
「民会」(= エクレシア) と、
民会(= エクレシア)によって
選出された500人で構成する
「五百人評議会」である。
■ 古代共和政ローマの議決
機関。
● 共和政ローマの議決機関
は
任期終身の定員300人のロ
ーマ貴族で構成される「元老
院」(= セナトゥス) と、 古代
ローマ市民(ローマ貴族とロ
ーマ平民)で構成される「民
会」(= コミティア) である。
■ 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は「民会(= エクレシア)」。
● 古代民主政アテネ国家の
最高権力者(最高決定機関)
は、
古代アテネ市民の総会である
「民会(= エクレシア)」である。
● 古代民主政アテネの「民
会」(= エクレシア)は、
「五百人評議会」議員を選出
し、主要公職者を抽選(くじ引
き)または選挙で選出する。
■ 古代共和政ローマ国家の
最高権力者は
「元老院」(= セナトゥス)。
● 古代共和政ローマの最
高権力者(最高決定機関)は、
有力貴族まの集りで、任
期終身の定員300人のロー
マ貴族で構成される「元老院」
(= セナトゥス)である。
● 古代共和政ローマの「元老
院」(= セナトゥス)は、
「民会」(= コミティア)と政務官
(= マギストラトゥス)に助言す
る。
■ 古代民主政アテネの公職者。
● 古代民主政アテネの主要
公職者は、 アルコン(= 執政官)、
ストラテゴス(= 将軍)、民衆裁
判所陪審員などである。
■ 古代民主政アテネでは、
主要公職者の、アルコン(= 執
政官)、ストラテゴス(= 将軍)、
民衆裁判所陪審員は、 古代
民主政アテネの「民会(= エク
レシア)」によって、選出される。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、主要公
職者は、「民会」(= エクレシア)
での抽選または選挙で選出さ
れ、定員は複数である。
■ 古代共和政ローマの
公職者(役人)。
● 古代共和政ローマの主要
公職者(役人)は、
(q) コンスル(= 執政官)、
(r) 法務官(= プラエトル)、
(s) 造営官(= アエディリス)、
(t) 財務官(= クァエストル)、
(w) 属州総督、
(x) 護民官(= トゥリブヌス・
プレビス)、
(y) 独裁官(= ディクタトル)
などである。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者の、執政官(= コンスル)、
法務官(= プラエトル)、造営官
(= アエディリス)、財務官(= ク
ァエストル)などの、行政・軍事
を担当する政務官(= マギスト
ラトゥス)は、 古代共和政ロー
マの「民会」(= コミティア)によ
って、選出される。
● 古代共和政ローマでは、
独裁を予防するため、政務官
(= マギストラトゥス)は、定員
は複数で、任期は短く1年で
ある。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者の、属州総督は、元老
院(= セナトゥス)によって選出
され、護民官(= トゥリブヌス・
プレビス)は、民会(= コミティ
ア)によって選出され、 独裁
官(= ディクタトル)は、コンス
ル(= 執政官)と元老院(= セ
ナトゥス)によって選出される。
〇 こだ 古代ローマ。
(こだいろーま)。 《古代世界》。
(= 古代ローマ国家)。
(⇒ 古代ローマの歴史)。
(⇒ 古代ローマ国家)。
(⇒ ローマ王国)。
(⇒ ローマ共和国)。
(⇒ 古代共和政ローマ)。
(⇒ ローマ帝国)。
(⇒ ローマ国家)。
(⇒ ローマの歴史)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ 古代ローマ国家。
○ (a) ローマ王国
(= 王政ローマ、
古代ローマ王国)。
THE KINGDOM OF ROME。
○ (b) ローマ共和国
(= 共和政ローマ、
古代ローマ共和国)。
THE REPUBLIC OF ROME。
○ (c) ローマ帝国
(= 帝政ローマ、
古代ローマ帝国)。
THE EMPIRE OF ROME。
(= 古代西ローマ帝国)。
THE WEST ROMAN EMPIRE。
○ (e1) 初期の
のビザンティン帝国)。
THE EARLY EAST
ROMAN EMPIRE。
■ 古代ローマ (こだいろーま、
英: ANCIENT ROME)とは、
「古代ロ ーマ国家」であり、
ローマ王国(= 王政ローマ)、
ローマ共和国(= 共和政ローマ)、
ローマ帝国(= 帝政ローマ)、
西ローマ帝国、
初期の東ローマ帝国、
である。
■ 古代ローマ国家
(こだいろーまこっか、古代ローマ の
国家 、英:THE STATE OF
ANCIENT ROME) とは、
(a) ローマ王国 (= 王政ローマ、
紀元前8世紀ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国 (= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)
(c) ローマ帝国 (= 帝政ローマ、
紀元前27年ー紀元(後)395年)、
(d) 西ローマ帝国
(紀元(後)395年ー476年)、
(e1) 初期の東ローマ帝国
(= 初期のビザンティン帝国、
紀元(後)395年ー476年頃)、
の5つの国家である。
■ 古代ローマの歴史 (こだいろー
まのれきし、英:THE HISTORY
OF ANCIENT ROME) とは、
「古代ローマ国家」の歴史であり、
紀元前753年頃(伝説では)の
ローマ王国誕生から、紀元(後)
395年のローマ帝国の分裂を経て、
紀元(後)476年の西ローマ帝国の
滅亡のまでの歴史であり、
(a) ローマ王国 (= 王政ローマ、
紀元前753年頃(伝説では)
ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国 (= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)、
(c) ローマ帝国 (= 帝政ローマ、
紀元前27年ー紀元(後)395年)、
(d) 西ローマ帝国
(= 紀元(後)395年ー476年)、
(e1) 初期の東ローマ帝国
(= 初期のビザンティン帝国、
紀元(後)395年ー476年頃)、
の歴史である。
■ 古代ローマ国家は、奴隷制
を基盤にしている。
● 古代ローマ国家では、戦争
が多い時期は、戦争捕虜など
が奴隷供給源であるが、平和
時は、捨て子、罪人、債務不履
行者などが奴隷供給源である。
■ 500年も存続し、大領土国
家になった古代ローマ共和国
(古代共和政ローマ)。
● 古代ローマ共和国 (古代
共和政ローマ、紀元前509年
ー前27年)が 、
約500年もの長期間存続し、
また、大領土国家になった
理由は、
当時の古代ローマ共和国(古
代共和政ローマ)は、元老院
とローマ市民(S.P.Q.R.)
が国家の主権者であり、
(ア) 「コンスル(= 執政官)」
2人(独裁政治)をもち、
(イ) 「元老院」
(少数共和政治(寡頭政治)、
貴族政治)をもち、
(ウ) 「民会」(= コミティア)
(民主政治)をもち、
内部対立はあっても、それら
が国政のバランスを保つ
「混合政体の国家」であった
ためである。
■ 古代ローマ国家。
● 古代ローマ国家 とは、
狭義の「ローマ国家」であり、
紀元前753年頃から紀元(後)
476年までの約1200年間、
イタリアを中心に、ヨーロッパ、
北アフリカ、西アジアに存続し
た国家であり、
(a) ローマ王国
(= 王政ローマ、
紀元前753年頃(伝説では)
ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国
(= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)
(c) ローマ帝国
(= 帝政ローマ、
紀元前27年ー紀元(後)395年)、
(d) 西ローマ帝国
(= 紀元(後)395年ー476年)、
(e1) 初期の東ローマ帝国
(= 初期のビザンティン帝国、
紀元(後)395年ー476年頃)、
の5つの「ローマ国家」である。
〇 こだ 古代ローマ国家。
(こだいろーまこっか)。
《古代ローマ》。
(= 古代ローマ の国家)。
THE STATE OF
ANCIENT ROME.
THE ANCIENT ROMAN
STATES.
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ ローマ王国)。
(⇒ ローマ共和国)。
(⇒ 古代共和政ローマ)。
(⇒ ローマ帝国)。
(⇒ ローマ国家)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ 古代ローマ国家。
○ (a) ローマ王国
(= 王政ローマ、
古代ローマ王国)。
THE KINGDOM OF
ROME。
○ (b) ローマ共和国
(= 共和政ローマ、
古代ローマ共和国)。
THE REPUBLIC OF
ROME。
○ (c) ローマ帝国
(= 帝政ローマ、
古代ローマ帝国)。
THE EMPIRE OF ROME。
(= 古代西ローマ帝国)。
THE WEST ROMAN
EMPIRE。
○ (e1) 初期の
のビザンティン帝国)。
THE EARLY EAST
ROMAN EMPIRE。
■ 古代ローマ国家。
● 古代ローマ国家 (こだい
ろーまこっか、古代ローマの
国家、英:THE STATE OF
ANCIENT ROME) とは、
狭義の「ローマ国家」であり、
紀元前753年頃から紀元(後)
476年までの約1200年間、
イタリアを中心に、ヨーロッパ、
北アフリカ、西アジアに存続し
た国家であり、
(a) ローマ王国
(= 王政ローマ、
紀元前753年頃(伝説では)
ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国
(= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)
(c) ローマ帝国
(= 帝政ローマ、
紀元前27年ー紀元(後)395年)、
(d) 西ローマ帝国
(= 紀元(後)395年ー476年)、
(e1) 初期の東ローマ帝国
(= 初期のビザンティン帝国、
紀元(後)395年ー476年頃)、
の5つのローマ国家である。
■ 500年も存続し、大領土国
家になった古代ローマ共和国
(古代共和政ローマ)。
● 古代ローマ共和国 (古代
共和政ローマ、紀元前509年
ー前27年)が 、
約500年もの長期間存続し、
また、大領土国家になった
理由は、
当時の古代ローマ共和国(古
代共和政ローマ)は、元老院
とローマ市民(S.P.Q.R.)
が国家の主権者であり、
(ア) 「コンスル(= 執政官)」
2人(独裁政治)をもち、
(イ) 「元老院」
(少数共和政治(寡頭政治)、
貴族政治)をもち、
(ウ) 「民会」(= コミティア)
(民主政治)をもち、
内部対立はあっても、それら
が国政のバランスを保つ
「混合政体の国家」であった
ためである。
〇 こだ 古代ローマ人。
(こだいろーまじん)。 《古代ローマ》。
(= ローマ人)。
(⇒ ラテン人)。
(⇒ インド・ヨーロッパ系諸族)。
(⇒ 古代ローマ 国家)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
● (広義) 古代ローマ人とは、 古代ロー
マ国家の支配地に住んでいた人々である。
● (広義) 古代ローマ人とは、 文化的に
ローマ(ラテン)化した人々である。
● (狭義) 古代ローマ人とは、 (古代)ロ
ーマ市民 (= 古代ローマの市民権を所持
していた人々)である。
● (狭義) 古代ローマ人とは、 古代イタリ
ア人である。
■ 古代ローマ人 (こだいろーまじん、=
ローマ人、英:ANCIENT ROMAN(S))
とは、
広義では、古代ローマ国家の支配地に住
んでいた人々であり、
広義では、文化的にローマ(ラテン)化した
人々であり、
狭義では、(古代)ローマ市民 (= 古代ロ
ーマ国家の市民権を所持していた人々)
であり、 狭義では、古代イタリア人である。
〇 こだ 古代ローマ円形闘技場。
(こだいろーまえんけいとうぎじょう)。
(= ローマ円形闘技場)。
《古代ローマ》。
AMPHITHEATER(S).
(: ANCIENT ROMAN
CIRCULAR ARENA(S)).
(⇒ コロッセウム)。
(⇒ ローマ帝国)。
(⇒ 古代ローマ 国家)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ 古代ローマ円形闘技場 (こだいろー
まえんけいとうぎじょう、英:ANCIENT
ROMAN AMPHITHEATER(S))
とは、 古代ローマ支配地各地に娯楽
のために建設されたローマ円形闘技場
である。
■ 古代ローマ円形闘技場は、 剣闘士
どうしや猛獣と剣闘士の戦いなどの娯楽
を提供するために、共和政・帝政ローマ
時代に、古代ローマで築かれた円形闘
技場である。
■ 古代ローマ帝国の支配地域の各地に
は、帝国の統治を安定させ、強化するた
め、たくさんの円形闘技場がつくられた。
そして、 約200年(紀元前27年〜紀元
後180年)にわたる、「ローマの平和」が
もたらされた。
■ 古代ローマ帝国の円形闘技場には、
帝国の支配地域の人々を、ローマ皇帝
と帝国の秩序に従わせる秘策が隠され
ていた。
古代ローマ帝国の統治安定政策
の「パンとサーカス」 (古代ローマ支配
地域の住民への無料・安価の食料と娯
楽の提供)での、「サーカス」 (無料・安
価の娯楽の提供) をするために、 古
代ローマ帝国は、支配地各地に、古代
ローマ円形闘技場をつくり、 円形闘技
場で古代ローマ支配地域の住民を、階
級別に座らせ、 ローマ皇帝を頂点とす
る階級社会を認めさせることができた。
〇 こだ 古代ローマ・コンクリート。
(= ローマンコンクリート)。
(建築・土木資材)。
《古代ローマ》。
THE ANCIENT ROMAN
CONCRETE.
(⇒ ローマンコンク
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ 古代ローマ・コンクリート (= ロー
マンコンクリート)は、 古代ロー
マで使用された 高性能なコンクリー
トであり、 頑丈で強固なコンクリート
であり、古代ローマで使用された建築・
土木資材である。
〇 こだ 古代ローマの歴史。
(こだいろーまのれきし)。
《古代ローマ》。
(= 古代ローマ国家の歴史)。
THE HISTORY OF ANCIENT
ROME.
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ 古代ローマ国家)。
(⇒ ローマ王国)。
(⇒ ローマ共和国)。
(⇒ 古代共和政ローマ)。
(⇒ ローマ帝国)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ 古代ローマの歴史 (こだいろーま
のれきし、英:THE HISTORY OF
ANCIENT ROME) とは、 古代ロ
ーマ国家の歴史であり、 ローマ王国
誕生の紀元前8世紀頃(伝説では紀
元前753年)からローマ帝国の分裂
の紀元(後)395年を経て、西ローマ
帝国の滅亡の紀元(後)476年まで
である。
(a) ローマ王国 (= 王政ローマ、紀
元前8世紀(伝説では紀元前7
53年)ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国 (= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)、
(c) ローマ帝国 (= 帝政ローマ、紀
元前27年ー紀元(後)395年)、
(d) 西ローマ帝国 (= 帝政・西ローマ、
紀元(後)395年ー476年)、
の歴史である。
■ 500年も存続し、大領土国
家になった古代ローマ共和国
(古代共和政ローマ)。
● 古代ローマ共和国 (古代
共和政ローマ、紀元前509年
ー前27年)が 、
約500年もの長期間存続し、
また、大領土国家になった
理由は、
当時の古代ローマ共和国(古
代共和政ローマ)は、元老院
とローマ市民(S.P.Q.R.)
が国家の主権者であり、
(ア) 「コンスル(= 執政官)」
2人(独裁政治)をもち、
(イ) 「元老院」
(少数共和政治(寡頭政治)、
貴族政治)をもち、
(ウ) 「民会」(= コミティア)
(民主政治)をもち、
内部対立はあっても、それら
が国政のバランスを保つ
「混合政体の国家」であった
ためである。
■ 古代ローマ国家
● 古代ローマ国家は、
紀元前753年頃から紀元
(後)476年までの約1200
年間、イタリアを中心にヨー
ロッパ、北アフリカ、西アジア
に存続した国家である。
● 古代ローマ国家とは、
(1) ローマ王国
(王政ローマ、紀元前753年
頃ー紀元前509年)、
(2) ローマ共和国
(共和政ローマ、紀元前509
年ー紀元前27年)、
(3) ローマ帝国
(帝政ローマ、紀元前27年ー
紀元(後)395年、
(4) 西ローマ帝国
(紀元(後)395年ー476年)、
である。
○ こっ 国家。
(こっか)。 《国家》。
(= 国(くに))。
(⇒ 独立国、国民国家、国境、
民族、民族主義、民族国家、
多民族国家)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
○ 国家は、主権(統治権)、国
民、領域(= 国土;領土、領海、
領空)をもつ政治組織である。
■ 国家 (こっか)とは、 国(くに) であ
り、 主権(統治権)、 国民、 領域(= 国
土;領土、領海、領空)をもつ政治組織で
ある。
■ 独立国 (どくりつこく、= 独立主権国
家、英:INDEPENDENT STATE(S))
とは、 主権(統治権)を持ち、それを自由
に行使できる国である。
■ 国民国家 (こくみんこっか、英:
NATION-STATE(S)) とは、 国家内
に居住する住民が、国民意識をもつことに
よって成立する国家である。
国民国家とは、 国民としての一体感
をもち、政治・経済・社会の共通性を基盤
する国家である。
■ 国境(こっきょう)とは、 国(くに、= 国
家)と国との境界であり、 国家の領域(=
国土)の境界線であり、 国家の主権(統
治権)が及ぶ境界線(限界線)である。
■ 国家 (こっか)とは、 主権(統治権)、
国民、領域(= 国土;領土、領海、領空)を
もつ政治組織である。
■ 主権(統治権)、 国民、 領域(= 国
土;領土、領海、領空)を、国家の三要素
(国家構成の要素)と言う。
● 主権(しゅけん)とは、 国家構成の要
素の1つで、 最高・独立・絶対の権力であ
る。
主権とは、 対内的には国内の政治
を決定し、 対外的には国民と領域に対
する外国の干渉を許さない統治権である。
● 国民(こくみん)とは、 国家構成の要
素の1つで、 法的に国籍をもち、1つの国
家を成立させている社会集団である。
● 領域(りょういき、= 国土)とは、 国家
構成の要素の1つで、 その国の主権(統
治権)の及ぶ範囲である。 国土とも言う。
領域(= 国土)は、 領土、領海、領空
から成っている。
■ 国家には、 民族国家と多民族国家が
ある。
民族国家 (みんぞくこっか)とは、 少
数民族は存在するが、国民の大部分が1
つの民族からなっている国家であり、 国
民の大部分の民族の共通の伝統や生活
習慣を背景とする同族意識に支えられた
国家である。
多民族国家 (たみんぞくこっか)とは、
多様な人種・民族から構成された国家で
ある。
日本、ドイツ、フランス、イタリアなど
は、民族国家である。
アメリカ合衆国、ブラジルなどは、
多民族国家である。
世界のグローバル化の進展の中で、
現在の地球上の多くの国家は、多かれ
少なかれ、多民族国家の性格をもって
いる。
■ すべての現存独立国・約200カ国の
概要や簡略史を、当辞典では、掲載して
いる。
「通称国家名」の見出し語から、各国
を参照してください。
■ 現在、地球上には、約200カ国の独
立国がある。
過酷な人類社会の中で、国家は、権
利・利益共有社会集団の政治組織であり、
郷土、民族、思想・信条、伝統、宗教などを
共有する特定の社会集団が、自分達の権
利、利益、自由・平等などを守るため、独
立主権国家を建国したために、約200カ
国にもなった。
■ アラブ・パレスティナ人のイスラエル国
からの独立志向、スコットランドのイギリス
からの独立志向など、今後も、特定の社会
集団が、同じ国家内にいては、自分達の
権利、利益、自由・平等などが守れないと
判断した場合、 その国家から分離して、
独立主権国家(= 独立国)を建国していくの
で、今後も独立国の数は、増えるであろう。
○ こっ 国境。
(こっきょう)。 《国家》。
(= 国(くに)の境界線)。
○ 国境は、国家の境界線。
(⇒ 国家、独立国、国民国家、
民族、民族主義、民族国家、
多民族国家)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
■ 国境(こっきょう)とは、 国(くに、= 国
家)と国との境界であり、 国家の領域(=
国土)の境界線であり、 国家の主権(統
治権)が及ぶ境界線(限界線)である。
■ 国家 (こっか)とは、 国(くに) であ
り、 主権(統治権)、 国民、 領域(= 国
土;領土、領海、領空)をもつ政治組織で
ある。
■ 国家 (こっか)とは、 主権(統治権)、
国民、領域(= 国土;領土、領海、領空)を
もつ政治組織である。
■ 主権(統治権)、 国民、 領域(= 国
土;領土、領海、領空)を、国家の三要素
(国家構成の要素)と言う。
● 主権(しゅけん)とは、 国家構成の要
素の1つで、 最高・独立・絶対の権力であ
る。
主権とは、 対内的には国内の政治
を決定し、 対外的には国民と領域に対
する外国の干渉を許さない統治権である。
● 国民(こくみん)とは、 国家構成の要
素の1つで、 法的に国籍をもち、1つの国
家を成立させている社会集団である。
● 領域(りょういき、= 国土)とは、 国家
構成の要素の1つで、 その国の主権(統
治権)の及ぶ範囲である。 国土とも言う。
領域(= 国土)は、 領土、領海、領空
から成っている。
■ 独立国 (どくりつこく、= 独立主権国
家、英:INDEPENDENT STATE(S))
とは、 主権(統治権)を持ち、それを自由
に行使できる国である。
■ 国民国家 (こくみんこっか、英:
NATION-STATE(S)) とは、 国家内
に居住する住民が、国民意識をもつことに
よって成立する国家である。
国民国家とは、 国民としての一体感
をもち、政治・経済・社会の共通性を基盤
する国家である。
■ すべての現存独立国・約200カ国の
概要や簡略史を、当辞典では、掲載して
いる。
「通称国家名」の見出し語から、各国
を参照してください。
■ 現在、地球上には、約200カ国の独
立国がある。
過酷な人類社会の中で、国家は、権
利・利益共有社会集団の政治組織であり、
郷土、民族、思想・信条、伝統、宗教などを
共有する特定の社会集団が、自分達の権
利、利益、自由・平等などを守るため、独
立主権国家を建国したために、約200カ
国にもなった。
■ アラブ・パレスティナ人のイスラエル国
からの独立志向、スコットランドのイギリス
からの独立志向など、今後も、特定の社会
集団が、同じ国家内にいては、自分達の
権利、利益、自由・平等などが守れないと
判断した場合、 その国家から分離して、
独立主権国家(= 独立国)を建国していくの
で、今後も独立国の数は、増えるであろう。
○ こっ COP。
(こっぷ)。 《国際会議》。
(= 締約国会議)。
THE COP.
(英:THE CONFERENCE OF
PARTIES)。
(⇒ COP 地理学辞典)。
■ COP (こっぷ)とは、 締約国会議(英:
THE CONFERENCE OF PARTIES)
であり、 3つのCOP(締約国会議)の、国連
気候変動会議、生物多様性条約会議、ラム
サール条約会議である。
■ 3つのCOP(締約国会議)。
● 国連気候変動会議。
● 英語・略称名。
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE UNFCCC).
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE UNITED
NATIONS CLIMATE CHANGE
(1995−PRESENT)).
● 英語・正式名。
THE CONFERENCE OF PARTIES
OF THE UNITED NATIONS
FRAMEWORK CONVENTION ON
CLIMATE CHANGE .
● 生物多様性条約会議。
● 英語・略称名。
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE CBD).
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE
BIOLOGICAL DIVERSITY
(1994−PRESENT)).
● 英語・正式名。
THE CONFERENCE OF PARTIES
OF THE CONVENTION ON
BIOLOGICAL DIVERSITY .
● ラムサール条約会議。
● 英語・略称名。
(:THE COP (CONFERENCE OF
PARTIES) OF THE RAMSAR
CONVENTION (1980−PRESENT)).
● 英語・正式名。
THE CONFERENCE OF PARTIES
OF THE CONVENTION ON
WATERLANDS OF INTERNATIONAL
IMPORTANCE ESPECIALLY AS
WATERFOWL HABITAT.
○ こっ COP 1−26。
(こっぷ1−26)。 《国際会議》。
《環境問題》。
(地球温暖化対策の気候変動
国際会議)。
(⇒ COP 1− 26
地理学辞典)。
THE COP OF THE
(= 第1回ー第26回・国連気候
変動枠組条約締約国会議)。
(= 1995年ー2021年・国連気
候変動枠組条約締約国会議)。
■ THE CLIMATE CHANGE
CONFERENCE 1995−20 21.
■ COP 1−26 (こっぷ1−24、英:
THE COP 1−2 6 OF THE
UNFCCC) は、
地球温暖化対策の気候変動 国際会議
であり、 第1回ー第26回・国連気候変
動枠組条約締約国会議であり、 1995
年ー2021年・国連気候変動枠組条約
締約国会議 (英:THE CLIMATE
CHANGE CONFERENCE 1995
−2021) である。
■ 2015年12月にパリで開催された
COP 21(第21回国連気候変動会議)
では、「パリ協定」が採択された。 そして、
「パリ協定」は、2016年11月に発効した。
● 「パリ協定」は、 COP加盟国のすべ
ての国に対し温室効果ガスの削減目標を
5年ごとに提出することなどを義務づける
協定である。
● ただし、190余りの国や地域が掲げる、
温室効果ガス削減目標は、努力目標であり、
法的拘束力はない。
● COPは、毎年開催されるが、2020
年は、新型コロナウイルス感染症の世界
的拡大(パンデミック)で開催されなかった。
■ 今までの2014年までの会議では、
先進工業国、 新興工業国、 開発途上国
の各国の利害が対立し、 地球温暖化に対
する有効な対策を、地球規模で採(と)れず、
大きな成果を得られなかった。
■ 国連気候変動会議。
● 英語・略称名。
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE UNFCCC).
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE UNITED
NATIONS CLIMATE CHANGE
(1995−PRESENT)).
● 英語・正式名。
THE CONFERENCE OF PARTIES
OF THE UNITED NATIONS
FRAMEWORK CONVENTION ON
CLIMATE CHANGE .
○ こっ COP 1−14。
(こっぷ1−14)。 《国際会議》。
(生物多様性会議)。
(⇒ COP 1−1 4 地理学辞典)。
(= 第1回ー第14回・生物多様
性条約締約国会議)。
(= 1994年ー2018年・生物多
様性条約締約国会議)。
■ COP 1−14 (こっぷ1−14、英:THE
COP 1−14 OF THE CBD) は、
生物多様性会議であり、 第1回ー第14回・
生物多様性条約締約国会議であり、 1994
年ー2018年・生物多様性条約締約国会議
である。
■ 生物多様性条約会議。
● 英語・略称名。
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE CBD).
(:THE COP (CONFERENCE
OF PARTIES) OF THE
BIOLOGICAL DIVERSITY
(1994−PRESENT)).
● 英語・正式名。
THE CONFERENCE OF PARTIES
OF THE CONVENTION ON
BIOLOGICAL DIVERSITY .
〇 ごひ 後氷期。
(ごひょうき)。
《氷河時代と後氷期》。
《 氷期と間氷期》。
(⇒ 古人類学辞典の、
(⇒ 古人類学辞典の、
地質時代)。
■ 後氷期。
● 後氷期 (ごひょうき)とは、 氷河
時代の第4氷期(ウルム氷期)が終わ
った後の、完新世の1万年前から現在
までの時期をいう。
■ 氷期と間氷期。
● 長い目で見ると、現在、地球は、
氷期(ひょうき) と 間氷期(かんぴ
ょうき)を繰り返している。
完新世の現在は、 間氷期であ
る後氷期(1万年前〜現在)である。
科学者は、未来に、再び、地球に氷
期がやってくると予想している。
■ 氷期。
氷期(ひょうき)とは、 地球の高緯度
地域の気温が低下する時期である。
氷期(ひょうき)では、地球 の高緯度
地域が非常に寒冷化し、高緯度地域
に大規模な氷床が存在し、低緯度地
域は乾燥化する。
■ 間氷期。
● 間氷期(かんぴょうき)とは、氷期
と氷期の間の時期であり、 地球全
体が温暖化し、比較的温暖な時期で
ある。
■ 氷河時代。
● 氷河時代 (ひょうがじだい)とは、
更新世の後期の90万年前から1万
年前までの時期をいう。
■ 氷河時代。
● 地球史で一番最近の、氷河時代
は、約90万年前から約1万年前まで
で、4つの氷期(ひょうき) と 3つの
間氷期(かんぴょうき) がある。
■ 氷河時代。
● 氷河時代 (ひょうがじだい)とは、
更新世の後期の90万年前から1万
年前までの時期をいう。
● 氷河時代 (ひょうがじだい)とは、
更新世 (こうしんせい、Ps、165万
年前〜1万年前) の後期の90万年
前 (第1氷期、ギュンツ氷期(90万
年前〜70万年前)) から 1万年前
(第4氷期、ウルム氷期、7万年前〜
1万年前) までの時期をいう。
■ 後氷期。
● 約1万年前から現在までの地球は、
間氷期の後氷期である。
■ 後氷期。
● 後氷期 (ごひょうき)とは、 氷河
時代の第4氷期(ウルム氷期)が終わ
った後の、完新世の1万年前から現在
までの時期をいう。
● 後氷期 (ごひょうき)とは、 氷河
時代の第4氷期(ウルム氷期、7万年
前〜1万年前)が終わった後の、完新
世 (かんしんせい、H,1万年前〜現
在) の1万年前から現在までの時期
をいう。
■ 後氷期。
● 氷河時代の第4氷期(ウルム氷
期、7万年前〜1万年前)が終わっ
た後の、後氷期の完新世(1万年前
〜現在)に、寒冷な気候が、温暖化
し、人類は、農耕・牧畜を本格的に
行い、文明を築き、発展していった。
◆ <氷河時代と後氷期の一覧表>。
◆ 氷河時代
(90万年前〜1万年前)。
■ 更新世(165万年前〜1万年前)
の後期
● 第1氷期、ギュンツ氷期
(90万年前〜70万年前)。
● 間氷期。
● 第2氷期、ミンデル氷期
(60万年前〜40万年前)。
● 間氷期。
● 第3氷期、リス氷期
(20万年前〜13万年前)。
● 間氷期。
● 第4氷期、ウルム氷期
(7万年前〜1万年前)。
◆ 後氷期。
(1万年前〜現在)。
■ 完新世(1万年前〜現在)。
◆ 地球の太陽周回。
■ 地球は、太陽に近づいて回った
り(周回したり)、太陽から遠のいて
回ったりする。
■ 地球が、太陽から遠のいて、回
っているいる時期が氷期 (ひょうき、
更新世の第1・2・3・4氷期)であり、
地球の高緯度地域が非常に寒冷化
し、高緯度地域に大規模な氷床が
存在し、低緯度地域は乾燥化する。
■ 一方、地球が、太陽に近づいて、
回っている時期が間氷期 (かんぴ
ょうき、更新世の間氷期、完新世の
後氷期) であり、 地球全体が温暖
化する。 現在は、完新世(かんしん
せい、1万年前〜現在)の間氷期で
ある後氷期(ごひょうき、1万年前〜
現在)である。
〇 こぷ コプト教。
(こぷときょう)。 《宗教》。
(キリスト教の宗派)。
(⇒ キリスト教)。
○ コプト教は、
キリスト教の単性論派の
一派である。
■ コプト教 (こぷときょう)は、
キリスト教の単性論派の一派の宗教
である。
〇 ごみ 護民官。
(ごみんかん)。 《古代ローマ》。
(= トゥリブヌス・プレビス)。
(高官・官職)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ 護民官 (ごみんかん、= トゥ
リブヌス・プレビス、英: Tribuni
Plebis)とは、 古代ローマ国家
の高官の官職 であり、 古代ロー
マ国家の共和 政時代に、平民の
利益擁護のために置かれた官職
である。
● 護民官は、 古代ローマの共
和政時代に、「民会(= コミティ
ア)」の平民会によって選出され、
執政官(= コンスル)や元老院の
決定に対して拒否権をもっていた。
これを「護民官特権」という。
■ 初代皇帝のアウグストゥス
(= オクタウィアヌス)の策略。
● アウグストゥス (= オクタウィ
アヌス)は、 1つ1つの名誉称号
や政治権力を積み重ね得ていき、
実質的な独裁者となり、ローマ帝
国(紀元前27年ー紀元(後)395
年)の初代皇帝 ( 皇帝在位:紀
元前27年ー紀元(後)14年) と
なる。
アウグストゥス (= オクタウィ
アヌス)は、 「プリンケプス」 (第
一市民、ローマ市民名簿筆頭者、
ラ:PRINCEPS) や 「インペラ
トール」 (最高司令官、ローマ軍
兵士が敬意と忠誠を示す司令官、
ラ:IMPERATOR)の名誉称号を
得、 ローマ領土の各地反乱をま
とめて押さえると言い「最高軍事
指揮権」を得、 また、ローマの神
々の「大神祇官」の地位も得る。
その上、更に、アウグストゥス
(= オクタウィアヌス)は、 古代ロ
ーマの平民ではなく貴族ではあっ
たが、「護民官特権」を 要求し、そ
の特権も得て、コン スル(=執政官)
や元老院の決定に対して拒否権を
得る。
〇 こも コモロ。
(現存独立国)。 《国名》。
国名略号: Ⓞ Ⓘ Ⓕ COM。
● 国名: コモロ。
● 英語国名: COMOROS。
● コモロの位置 (英:THE
COMORIAN (COMOROS’)
LOCATION) :
アフリカ東部、 インド洋の島。
● コモロの国民 (英:THE
NATIONAL(S) OF COMOROS) :
コモロ人 。
(英:COMORIAN(S))。
● コモロの概要や歴史の簡略表
記載。
(⇒ アフリカ東部)。
(⇒ アフリカ) 。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 こよ 暦
(こよみ、れき)。 《暦》。
(= カレンダー)。
THE CALENDAR.
(⇒ 暦(こよみ) 天文学辞典)。
(⇒ 太陽暦)。
(⇒ 太陰暦)。
○ 暦には、
太陽暦 と 太陰暦(=陰暦)
がある。
○ 太陽暦(= 陽暦)には、
グレゴリオ暦 と ユリウス暦
などがある。
○ 太陰暦(=陰暦)には、
太陰太陽暦 と 純粋太陰暦
がある。
○ 世界の現行中心暦や日
本の現行暦は、
太陽暦の、グレゴリオ暦で
ある。
■ 暦 (こよみ、れき、= カレンダー、英:
CALENDAR (S))とは、 一年中の月、
週、日、祭日などについて、日を追ってし
るしたものである。
● 暦 (こよみ・れき)は、カレンダーとも
称する。
■ 暦 (れき、こよみ、= カレンダー)に
は、 太陽暦 と 太陰暦(=陰暦)がある。
● 太陽暦は、 太陽の動きで計算された
暦であり、 太陰暦は、月の動きで計算さ
れた暦である。
● 暦 (英:THE CALENDAR) には、
太陽暦 (英:THE SOLAR CALEN-
DAR) と 太陰暦(=陰暦) (英:THE
LUNAR CALENDAR) がある。
■ 太陽暦 (たいようれき、= 陽暦)は、
太陽の動きで計算された暦であり、 グレ
ゴリオ暦(=グレゴリウス暦) と ユリウス
暦などがある。
● 太陽暦 (= 陽暦)は、 太陽の動きで
計算された暦であり、 グレ ゴリオ暦 (=
グレゴリウス暦、英:THE GREGO-
RIAN CALENDAR) と、 ユリウス暦
(英:THE JULIAN CALENDAR)
などがある。
■ 太陰暦 (たいいんれき、=陰暦) は、
月の動きで計算された暦であり、 純粋
太陰暦 と 太陰太陽暦 がある。
● 太陰暦 (=陰暦)は、 月の動きで計
算された暦であり、 純粋太陰暦 (英:
THE PURELYLUNAR CALEN-
DAR) と、 太陰太陽暦 (英:THE
LUNISOLAR CALENDAR) がある。
■ 世界の現行中心暦や日本の現行暦
は、 太陽暦の、グレゴリオ暦(=グレゴ
リウス暦)である。
■ 太陰暦の太陰太陽暦では、 暦と実
際の季節とのずれを調整するため、2,3
年に一度、1年を13カ月とする年があり、
その年は閏月(うるうづき)・1カ月を追加
する。
〇 こり コリントス同盟。
(こりんとすどうめい)。
(紀元前337年結成)。
《古代ギリシア》。
(⇒ 古代ギリシア)。
(⇒ ギリシアの歴史、
○ コリントス同盟は、
マケドニア王国とその支配
下のギリシア諸都市との同
盟である。
■ コリントス同盟 (こりんとすど
うめい)は、 古代ギリシアで、紀元
前337年に結成され、 マケドニア
王国 とその支配下のギリシア諸都
市との同盟である。
〇 ごる ゴルゴダの丘。
(ごるごだのおか)。
(= ゴルゴタの丘)。
(聖地)。 《キリスト教》。
The Hill of Golgotha.
(⇒ イエス)。
(⇒ エルサレム)。
(⇒ キリスト教)。
■ ゴルゴダの丘 (ごるごだのおか、
ゴルゴタの丘、英:The Hill of
Golgotha) は、 エルサレムにあり、
イエスが十字架の磔刑にされ、その
お墓がある場所である。
■ ゴルゴダの丘は、エルサレムの
キリスト教の聖地であり、 現在、約
22億人(地球の人類の約30%)の
キリスト教徒の聖地である。
■ ゴルゴダの丘の正確な位置はわ
かっていない。 エルサレムの旧城
壁内の、キリスト教教会の「聖墳墓
教会」(せいふんぼきょうかい)が建
っている場所、または、エルサレム
の旧城壁外の、「園の墓」(そのの
はか)が建っている場所を、 ゴルゴ
ダの丘とする説がある。
〇 こる コルテス 。
《人名》。
(スペイン遠征軍・指導者)。
Hernan CORTES。
(生没年:1485年ー
1547年または1548年)。
(⇒ アステカ王国)。
○ コルテスは、
メキシコ地域のアステカ
王国(帝国)の征服者(を
征服したスペイン人)で
ある。
○ コルテスは、
1521年に、アステカ王
国(帝国)を滅ぼす。
■ コルテス (生没年:1485年
ー1547年または1548年、西・
英:Hernan CORTES) は、
スペイン遠征軍(中米遠征スペ
イン軍)の指導者である。
● コルテスは、 メキシコ地域の
アステカ王国(帝国)の征服者(を
征服したスペイン人)であり、 15
21年に、アステカ王国(帝国)を
滅ぼす。
〇 ころ コロッセオ。
(= コロッセウム)。
(イタリア・ローマの円形
闘技場)。
《古代ローマ》。
THE COLOSSEUM OF ROME.
(⇒ 古代ローマ円形闘技場)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
○ ローマのコロッセオ(コロ
ッセウム)は、
紀元(後)72年に建設を開始
し、79年12月に完成した、
巨大な円形闘技場である。
■ ローマのコロッセオ (コロッセウ
ム、英:THE COLOSSEUM OF
ROME) とは、 ローマの円形闘技
場であり、 紀元(後)72年に建設を
開始し、79年12月に完成した、約
五万人を収容する巨大な円形闘技
場であり、 古代ローマ帝国の各地
の円形闘技場の1つである。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウ
ム)は、 「パンとサーカス」 (ロー
マ帝国支配地域の人々に食料と娯
楽を無料・安価で提供し帝国を安定
統治する政策) の娯楽(サーカス)
を提供する施設である。
〇 ころ コロナートゥス。
《古代ローマ》。
(= コロヌス制)。
(= 古代ローマの小作人
(コロヌス)制)。
(紀元(後)3世紀頃から
4世紀頃まで)。
○ 下層市民小作人化・
田園大所領農地経営。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ コロナートゥス (= コロヌス制)
とは、古代ローマの小作人(コロヌス)
制である。
● コロナートゥス(= コロヌス制)は、
下層市民を小作人化し、田園で大所
領農地を経営する方式であり、 古代
ローマで、紀元(後)3世紀頃から4世
紀頃まで存在した。
紀元(後)395年のローマ帝国
分裂後、コロナートゥス(= コロヌス制)
は、 中世ヨーロッパの小作人制・農
奴制へと発展する。
〇 ころ コロンビア。
(現存独立国)。 《国名》。
国名略号: Ⓞ Ⓘ Ⓕ COL。
● 国名: コロンビア。
● 英語国名: COLOMBIA。
● コロンビアの位置 (英:THE
COLOMBIAN (COLOMBIA’S)
LOCATION) :
南アメリカ。
● コロンビアの国民 (英:THE
NATIONAL(S) OF COLOMBIA) :
コロンビア人 。
(英:COLOMBIAN(S))。
● コロンビアの概要や歴史の簡略表
記載。
(⇒ 南アメリカ)。
(⇒ 中南米)。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 ころ コロンビアの歴史 。
(ころんびあのれきし)。
《各国史》。
THE HISTORY OF COLOMBIA.
(⇒ コロンビア歴史
ガイドブック)。
(⇒ 世界・各国史ガイドブック)。
〇 ころ コロンビア歴史
(ころんびあれきしがいどぶっく)。
《各国史》。 (簡略)。
THE GUIDEBOOK OF THE
HISTORY OF COLOMBIA.
○ コロンビアの歴史の
総合ガイドブック。
(⇒ 世界・各国史ガイドブック)。
〇 こん 混血民族系諸族。
(こんけつみんぞくけいしょぞく)。
《民族》。
THE MIXED RACIAL
■ 混血民族系諸族。
<民族。
(⇒ 民族)。
■ 混血民族系諸族 (こんけつみん
ぞくけいしょぞく)とは、
混血民族系諸語 (父母出身民族の
言語や混合語)を母国語とする民族
である。
● 混血民族系諸族は、
南北アメリカ・混血民族系諸族のムラ
ート、メスティソ等 や その他の世
界各地の混血民族系諸族である。
〇 こん コンゴ共和国。
(こんごきょうわこく)。
(:コンゴ(ブラザビル))。
(現存独立国)。 《国名》。
(:CONGO-BRAZZAVILLE)。
国名略号: Ⓞ Ⓕ CGO,Ⓘ COG。
● 国名: コンゴ(コンゴ共和国)。
● 英語国名 : CONGO (THE
REPUBLIC OF CONGO),
THE REPUBLIC OF CONGO)。
● 国名別名 : コンゴ-ブラザビル。
● 英語国名別名:
CONGO-BRAZZAVILLE 。
● コンゴ(コンゴ共和国)(:コンゴ-
ブラザビル)の位置 (英:THE
CONGOLESE (CONGO’S)
(:THE REPUBLIC OF CONGO’S)
LOCATION) :
アフリカ中部(中央部)。
● コンゴ(コンゴ共和国)(:コンゴ-ブラザ
ビル)の国民 (英:THE NATIONAL(S)
OF CONGO (THE REPUBLIC OF
CONGO )(:CONGO-BRAZZAVILLE)) :
コンゴ(コンゴ共和国)人。
(英:THE CONGOLESE (単複同形)
OF THE REPUBLIC OF CONGO
(:CONGO-BRAZZAVILLE))。
● コンゴ(コンゴ共和国)(:コンゴ-ブラザ
ビル) の概要や歴史の簡略表記載。
(⇒ アフリカ中部(中央部))。
(⇒ アフリカ) 。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 こん コンゴ-キンシャサ。
(= コンゴ民主共和国)。
(現存独立国)。 《国名》。
CONGO-KINSHASA.
(⇒ コンゴ民主共和国)。
○ コンゴ-キンシャサは、 コン
ゴ民主共和国 (英:THE DE-
MOCRATIC REPUBLIC
OF THE CONGO) の別名。
■ コンゴ-キンシャサ (英:CONGO-
KINSHASA) は、 現存独立国であり、
コンゴ民主共和国 (英:THE DEMO-
CRATIC REPUBLIC OF THE
CONGO) の別名である。
〇 こん コンゴ-ブラザビル。
(= コンゴ共和国)。
(現存独立国)。 《国名》。
CONGO-BRAZZAVILLE .
(⇒ コンゴ共和国)。
○ コンゴ-ブラザビルは、 コンゴ
共和国 (英:THE REPUBLIC
OF CONGO) の別名。
■ コンゴ-ブラザビル (英:CONGO-
BRAZZAVILLE) は、 現存独立国であり、
コンゴ共和国 (英:THE REPUBLIC OF
CONGO) の別名である。
〇 こん コンゴ民主共和国。
(こんごみんしゅきょうわこく)。
(:コンゴ(キンシャサ))。
(現存独立国)。 《国名》。
(:CONGO-KINSHASA).
国名略号: Ⓞ Ⓘ Ⓕ COD。
● 国名: コンゴ(コンゴ民主共和国)。
● 英語国名 : CONGO (THE
DEMOCRATIC REPUBLIC
OF THE CONGO).
● 国名別名 : コンゴ(キンシャサ)。
● 英語国名別名:
CONGO-KINSHASA。
● 国名別名(旧名):
ザイール (英:ZAIRE)。
● コンゴ(コンゴ民主共和国)(:コンゴ
(キンシャサ))の位置 (英:THE
CONGOLESE (CONGO’S) (:THE
DEMOCRATIC REPUBLIC OF
THE CONGO’S) LOCATION) :
アフリカ中部(中央部)。
● コンゴ(コンゴ民主共和国)(:コンゴ
(キンシャサ))の国民 (英:THE
NATIONAL(S) OF CONGO (THE
DEMOCRATIC REPUBLIC OF THE
CONGO) (:CONGO-KINSHASA)) :
コンゴ(コンゴ民主共和国)人 。
(英:THE CONGOLESE (単複同形)
OF THE DEMOCRATIC REPUBLIC
OF THE CONGO) (:CONGO-
KINSHASA))。
● コンゴ(コンゴ民主共和国)(:コンゴ(キ
ンシャサ)) の概要や歴史の簡略表記載。
(⇒ アフリカ中部(中央部))。
(⇒ アフリカ) 。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 こん コンスタンティウス・
クロルス。
(ローマ帝国皇帝)。 《人名》。
Constantius Chlorus.
● ローマ帝国皇帝、 西方皇帝(西方正帝)。
● 皇帝在位、紀元(後)305年〜紀元(後)
306年。
(⇒ ローマ帝国主要皇帝
一覧表)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ コンスタンティウス・クロルス (英・ラ:
Constantius Chlorus,皇帝在位 :
紀元(後)305年ー306年) は、
ロー マ帝国皇帝であり、 西方皇帝
(西方正帝) であった。
〇 こん コンスタンティウス2世。
(ローマ帝国皇帝)。 《人名》。
Constantius II.
● ローマ帝国皇帝、 東方皇帝、 統合皇帝。
● 皇帝在位、紀元(後)337年〜紀元(後)
361年。
(⇒ ローマ帝国主要皇帝
一覧表)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ コンスタンティヌス2世 (ラ・英:Cons-
tantinus II,皇帝在位 :紀元(後)337年
ー361年) は、 ローマ帝国皇帝 であり、
東方皇帝、 統合皇帝 であった。
〇 こん コンスタンティノープル。
(= コンスタンチノープル)。
(= 現在名のイスタンブール、
旧名のビザンティウム)。
(旧都市名)。 《都市名》。
CONSTANTINOPLE.
○ コンスタンティノープル
名称使用:
紀元(後)330年ー1453年。
(⇒ 東ローマ帝国)。
(⇒ ローマ帝国)。
(⇒ 古代ギリシア)。
(⇒ ギリシアの歴史、
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ ビザンティウム ⇒
コンスタンティノープル ⇒
イスタンブール。
○ 古代ヨーロッパの
ビザンティウム、
○ 古代末期・中世ヨーロッパ
のコンスタンティノープル、
○ 近世・近代・現代ヨーロッ
パのイスタンブール。
■ コンスタンティノープル (英:CON-
STANTINOPLE) は、 古代ヨーロッパ
では、ビザンティウムと呼ばれ、 古代末
期・中世ヨーロッパでは、コンスタンティノ
ープルと呼ばれ、 近世・近代・現代ヨーロ
ッパでは、イスタンブールと呼ばれる。
■ コンスタンティノープル。
○ ローマ帝国の都市。
○ 東ローマ帝国の首都。
○ 中近東の都市。
地中海沿岸の海上交通路、
陸上交通路の重要拠点。
■ コンスタンティノープル (= ビザンティ
ウム、イスタンブール)は、 帝政古代ロ
ーマの都市であり、 東ローマ帝国の首
都であった。
■ コンスタンティノープル (= ビザンティ
ウム、イスタンブール)は、 中近東の都
市であり、 地中海沿岸の海上交通路、
陸上交通路の重要拠点である。
■ コンスタンティノープルは、
ローマ帝国の都市であり、 東ローマ
帝国の首都であり、 中近東の都市
であり、 地中海沿岸の海上交通路、
陸上交通路の 重要拠点であった。
● 紀元(後)330年に、 ローマ帝国
(紀元前27年ー紀元(後)395年)の
皇帝・コンスタンティヌス1世が、 ビザ
ンティウムをコンスタンティノポリスと改
称し、ローマ帝国の首都とした。
● コンスタンティヌス1世(大帝)の存
命中は、コンスタンティノポリスと呼ばれ、
337年の皇帝死後は、コンスタンティノ
ープルと呼ばれる。
● 紀元(後)1453年に、オスマン・ト
ルコ帝国(1299−1922年)の皇帝・
メフメト2世が、コンスタンティノープル
を占領し、コンスタンティノープルをイス
タンブールと改称する。
■ コンスタンティノープ (コンスタンティ
ノープル名称使用:紀元(後)33 7年ー
1453年、英:CONSTANTINOPLE)
は、 現在のイスタンブールであり、
古代ヨーロッパのビザンティ ウムである。
■ コンスタンティノープは、 古代のビザ
ンティウムであり、 古代 末期・中世ヨ ー
ロッパのコンスタンティノープルであり、
近世・ 近代・現代ヨーロッパのイスタンブ
ールである。
■ 現在のトルコ地域のイスタンブールは、
旧名は、ビザンティウムであり、コンスタ
ンティノープルである。
● コンスタンティノープル (= コンスタン
チノープル、英:CONSTANTINOPLE)
は、 ヨーロッパとアジアの堺にある、中
近東の都市であり、 古代ヨーロッパのビ
ザンティウム (=ビザンチウム、英:BY-
ZANTIUM)であり、 現在のイスタンブ
ール(英:ISTANBUL) である。
● ビザンティウム (= ビザンチウム、英:
BYZANTIUM) は、 ヨーロッパとアジ
アの堺にある中近東の都市であり、 古
代ヨーロッパの都市であり、 古代・中世
ヨーロッパ都市のコンスタンティノープル
(= コンスタンチノープル、英:CONS-
TANTINOPLE) であり、 近世・近代・
現代ヨーロッパ都市のイスタンブール
(英:ISTANBUL) である。
● コンスタンティノープル (= ビザンティ
ウム、イスタンブール) は、 古代ギリシ
アや共和政・帝政古代ローマの都市であ
り、 東ローマ帝国の首都であり、 トルコ
(オスマン・トルコ帝国やトルコ共和国)の
都市である。
〇 こん コンスタンティヌス1世。
(こん すたんちぬすいっせい)。
(= コンスタンティヌス帝)。
(ローマ帝国皇帝)。 《人名》。
Constantine I ;
Constantinus I .
(⇒ ローマ帝国 ・主要皇帝
一覧表)。
(⇒ キリスト教)。
(⇒ イタリアの歴史、
● ローマ帝国皇帝、
西方皇帝(西方正帝)、統合皇帝。
● 皇帝在位、紀元(後)307年〜
紀元(後)337年。
■ コンスタンティヌス1世 (コンスタ
ンティヌス帝、英:Constantine I,
ラ・英:Constantinus I,皇帝在位 :
紀元(後)307年ー337年) は、
ローマ帝国皇帝であり、 西方皇帝
(西方正帝)、統合皇帝であった。
■ コンスタンティヌス1世 は、
軍制改革で「野戦機動部隊」の創
設と国境警備駐屯部隊の削減を
行う。
● その後のローマ軍は、国境警
備駐屯部隊が減り、以後のローマ
帝国の国境では、異民族の侵入を
容易にさせる。
■ コンスタンティヌス1世 は、
ローマ帝国内で、奴隷の供給が失
われ安定した労働力確保のため、
富裕層の地主に雇われ田畑を耕し
小作料を払っていた自由人の小作
農民(小作人、コロヌス)の移動を
禁じる。
● その後、移動を禁じられた小作
農民は、富裕層の地主に払う小作
料だけでなく、ローマ帝国から税金
も課せられる。
更に、ローマ帝国滅亡後の中世
ヨーロッパで、小作農民は、農奴へ
と移行する。
■ コンスタンティヌス1世 は、
キリスト教を公認する。
〇 こん コンスル。
(= 執政官 しっせいかん)。
(高官・官職)。 《古代ローマ》。
CONSUL.
○ コンスルは、
古代ローマ国家の共和政・
帝政時代の執政官である。
○ コンスルは、
古代ローマ国家の共和政
時代での統領、最高官職
である。
(⇒ 元老院(= セナトゥス)、
民会(= コミティア))。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ コンスル (= 執政官(しっせ
いかん)、英:CONSUL)とは、
古代ヨーロッパの、古代ローマ国
家の、共和政(ローマ共和国)時
代及び帝政(ローマ帝国)時代の
前期・中期にあった公職の執政
官である。
■ 古代ローマ国家の共和政ロ
ーマ時代では、 コンスル(= 執
政官)は、 国政及び軍事の最
高責任者であり、統領、最高官
職であり、 「民会」(コミティア)
によって、任期1年で、2名が選
出される。
■ 古代ローマ国家の共和政時
代では、 コンスル(= 執政官)は、
民会(コミティア)の「ケントゥリア
民会(= 兵員会)」によって選出
され、政治、軍事、裁判権が賦
与(ふよ)された統領であり、共
和政ローマの政治を指導した。
■ 古代ローマ国家の帝政(ロ
ーマ帝国)時代前期・中期(元
首政(= プリンキパトゥス)時代、
紀元前27年ー紀元(後)293
年)に、 コンスル(= 執政官)
は、 皇帝によって、実質的機
能・権限が奪われ、形式的に
存在する。
■ 500年も存続し、大領土国
家になった古代ローマ共和国
(共和政ローマ)。
● 古代ローマ共和国(共和政
ローマ、前509年ー前27年)
が約500年もの長期間存続し、
また、大領土国家になった理由
は、
当時のローマ共和国(共和政
ローマ)は、
ローマ市民と元老院(S.P.Q.
R.)が国家の主権者であり、
(ア) 「コンスル(= 執政官)
2人」 (独裁政治)をもち、
(イ) 「元老院」
(少数共和政治(寡頭政治)、
貴族政治)をもち、
(ウ) 「民会」(= コミティア)
(民主政治)をもち、
内部対立はあっても、それらが
国政のバランスを保つ
「混合政体の国家」
であったためである。
■ 古代ローマ国家。
● 古代ローマ国家は、紀元前
753年頃から紀元(後)476年
までの約1200年間、イタリア
を中心にヨーロッパ・北アフリカ・
西アジアに存続した国家であ
る。
● 古代ローマ国家とは、
ローマ王国 (王政ローマ、紀
元前753年ー紀元前509年)、
ローマ共和国 (紀元前509年
ー紀元前27年、共和政ローマ)、
ローマ帝国 (紀元前27年ー
紀元(後)395年、帝政ローマ)、
西ローマ帝国(紀元(後)395
年ー476年、帝政・西ローマ)、
である。
〇 こん コンモドゥス。
(ローマ帝国皇帝)。 《人名》。
Commodus.
● ローマ帝国皇帝。
主軸皇帝 (在位、紀元(後)180年〜紀元
(後)192年)。
(⇒ ローマ帝国主要皇帝
一覧表)。
(⇒ 古代ローマ)。
(⇒ イタリアの歴史、
■ コンモドゥス (ラ・英:Commodus)
は、 ローマ帝国皇帝であり、 主軸皇帝
(皇帝在位:紀元(後)180年ー192年)
であった。
● 五十音順 (アイウエオ順)。
■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
(過去の良き積み重ねが良き現在を
つくり、 現在の良き行為が、明るい
良き未来をつくる。)
(良き現在は、過去の人々の良き努力
や活動の積み重ねの成果であり、
明るい良き未来は、現在の人々の、
良き努力や活動の積み重ねによって
形成される。)
■ 上位のWEBサイト。
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◆ 世界史辞典。
● 見出し語は、グリーンでマークされています。
◆ 派生見出し語サイト。
■ 「こ」 基本・見出し語WEBサイト( ja−ko)
の、派生見出し語サイト 。
■ No. ja−ko−1612。
● 見出し語の項目 こ だ い ( だ 16 / い 12
付近 第1部・た・ア行グループ )。
〇 こだ 古代エジプト (こだいえじぷと)。
■ No. ja−ko−1614。
● 見出し語の項目 こ だ い ( だ 16 / い 14
付近 第1部・た・ア行グループ )。
〇 こだ 古代ギリシア (こだいぎりしあ)。
■ No. ja−ko−1616。
● 見出し語の項目 こ だ い ( だ 16 / い 16
付近 第1部・た・ア行グループ )。
〇 こだ 古代ローマ (こだいろーま)。
■ No. ja−ko−0873。
● 見出し語の項目 こ く み ( く 08 / み 73
付近 第1部・た・マ行グループ )。
〇 こく 国民名リスト
(こくみんめいりすと)。
『 さあ、世界の歴史を
詳しく見てみましょう。 』
■ 古代オリンピック
■ 古代オリンピック。
■ 名称 : 古代オリンピック
(こだいおりんぴっく)。
● 別名 :
古代オリンピック大会、
古代オリンピック競技大会、
古代五輪。
● 英語名:
○ THE ANCIENT OLYMPICS.
○ THE ANCIENT OLYMPIC GAMES.
■ 《スポーツ競技大会》。
■ 古代オリンピックは、
古代ギリシアで開催されていたスポーツ競技
大会である。
■ オリンピックには、
(⇒ オリンピック)
(A) 古代オリンピック と、
(B) 近代オリンピック が
(⇒ 近代オリンピック)
ある。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍 22115。
■ 古代オリンピック。
■ 古代オリンピック (こだいおりんぴっく、
= 古代オリンピック大会、古代オリンピ
ック競技大会、古代五輪、英:THE
ANCIENT OLYMPIC GAMES) は、
古代オリンピックは、 紀元前776年から
紀元(後)393年まで、古代ギリシアで開
催されていたスポーツ競技大会である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ オリンピック。
■ オリンピック (おりんぴっく 、=
オリンピック大会 、オリンピック競技
大会、五輪、英:THE OLYMPIC
GAMES) には、 古代オリンピッ
ク と 近代オリンピック がある。
■ 古代オリンピック。
■ 古代オリンピックは、 西暦・紀元前
776年から紀元後393年まで、
古代ギリシアのオリンピアで、 4年
ごとに開かれていた祭典行事である。
● ローマ帝国(紀元前27年〜紀元 (後)
395年)の皇帝・テオドシウス1世は、
ローマ帝国属領のギリシアで既に衰退
しつつあった古代オリンピックを、紀元
(後)393年に、廃止した。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ オリンピック。
■ オリンピック (= オリンピック競技大会)
には、
古代オリンピック と、
近代オリンピック と
がある。
■ 近代オリンピック (= 近代オリンピック
競技大会)には、
夏季オリンピック (1896年〜現在) と
冬季オリンピック (1924年〜現在) と
がある。
■ 近代オリンピック。
■ 近代オリンピックは、 フランスのクー
ベルタン男爵が提唱し、1896年に実現
する。
● 近代オリンピックの第1回オリンピック
競技大会は、 1896年の春、4月6日
から15日まで、ギリシアのアテネで開
催され、 14カ国、241人の選手が参
加した。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 2004年に、ギリシアのアテネで、
アテネ・オリンピック2004 (= 第28回・
2004年・アテネ夏季オリンピック大会)
が開かれる。
● 1896年に近代オリンピックの第1回
競技大会が開かれて以来、108年後、
再び同じギリシアで開かれた。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 近代オリンピック。
■ 近代オリンピック (きんだいおりんぴっ
く、= 近代オリンピック競技大会) は、
世界平和と国際交流・親善を目的とする、
国際オリンピック委員会(IOC)が主催す
る、1896年から(現在まで)、開催され
ている、スポーツの世界的な競技大会
である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 夏季オリンピックは、
1896年から(現在まで)開催されている、
夏季スポーツのオリンピック競技大会で
ある。
■ 冬季オリンピックは、
1924年から(現在まで)開催されている、
ウィンタースポーツのオリンピック競技大
会である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 古代共和政
ローマ
(こだいきょうわせいろーま)。
■ 古代共和政ローマ。
■ 名称 : 古代共和政ローマ
(こだいきょうわせいろーま)。
■ 別名 : 共和政ローマ、ローマ共和国。
■ 英語名 :
ANCIENT REPUBLICAN ROME。
■ 《共和政》。
■ 時期:紀元前509年ー紀元前27年。
■ 古代共和政ローマとは、
ローマ共和国であり、
共和政時代の古代ローマ国家であり、
共和政時代 (紀元前509年ー紀元前
27年)の、古代ローマ国家 (紀元前
753年頃ー紀元(後)476年)である。
■ 直接関連事項:
政官)、護民官、
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21537。
■ 古代共和政ローマ
(= 共和政ローマ、ローマ共和国、
= 共和政時代の古代ローマ国家)。
■ 古代共和政ローマ (こだいきょうわせい
ろーま)とは、
共和政ローマであり、 ローマ共和国であり、
共和政時代の 古代ローマ国家である。
■ 古代共和政ローマ ( こだいきょうわせい
ろーま、英:ANCIENT REPUBLICAN
ROME, THE ROMAN REPUBLIC)
とは、 共和政ローマであり、 ローマ共和
国であり、 共和政時代 (紀元前509年
ー紀元前27年)の、古代ローマ国家 (紀
元前753年頃ー紀元(後)476年)である。
■ 古代共和政ローマ。
■ 古代共和政ローマの政体は、
貴族政である。
■ イタリアを本拠地とする古代ローマ国家
(紀元前753年頃ー紀元(後)476年)
の共和政時代は、
紀元前509年から紀元前27年まで、
約500年間続く。
■ 古代共和政ローマの主権者。
■ 古代共和政ローマ国家の主権者は、
古代ローマ市民のローマ貴族とローマ
平民である。
● 古代共和政ローマの、古代ローマ市民
の、ローマ貴族は、
「元老院」(= セナトゥス)と「民会」(= コミ
ティア)の両方で政治権力をもち、ローマ
平民は、 「民会」(= コミティア)で政治権
力をもつ。
● 古代共和政ローマでは、
独裁を予防するため、議決機関の「元老
院」(= セナトゥス)と「民会」(= コミティア)
がある。
■ 古代共和政ローマの議決機関
の「元老院」と「民会」。
■ 古代共和政ローマの議決機関は、
(i) 任期終身の定員300人のローマ貴
族で構成される「元老院」(= セナトゥス)
と、
(j) 古代ローマ市民(ローマ貴族とロー
マ平民)で構成される「民会」(= コミティ
ア)
である。
■ 古代共和政ローマの「元老院」。
■ 古代共和政ローマ国家の最高権力者
(最高決定機関)は
(i) 「元老院」(= セナトゥス)。
● 古代共和政ローマ国家の最高権力者
(最高決定機関)は、
有力貴族の集まりで、任期終身の定員
300人のローマ貴族で構成される「元
老院」(= セナトゥス)である。
■ 古代共和政ローマの「元老院」(= セナ
トゥス)は、
「民会」(= コミティア)と政務官(= マギス
トラトゥス)に助言する。
■ 古代共和政ローマの「民会」。
■ (j) 古代共和政ローマの「民会」(= コ
ミティア)は、
古代ローマ市民(ローマ貴族とローマ平
民)で構成される。
■ 古代共和政ローマで活躍し、権限のあ
った「民会」(= コミティア)は、 次の4
民会である。
● (j) 古代共和政ローマの「民会」
(= コミティア)は、
(k) クリア民会、
(l) トリブス民会(= 市民会)、
(m) ケントゥリア民会(= 兵員会)、
(n) プレブス民会(= 平民会)、
の4民会からなる。
■ 民会(= コミティア)の衰退。
● 古代ローマ国家の議決機関(議会)の
民会(= コミティア)は、
紀元前1世紀の共和政ローマ末期には、
元老院によって、その実質的機能・権限
は奪われ、形式的には、紀元(後)3世紀
まで存続する。
● 古代ローマ国家の民会 は、
政ローマ(ローマ帝国)時代前期・中期
(元首政(= プリンキパトゥス)時代、紀元
前27年ー紀元(後)293年)では、
実質的機能・権限がないまま、形式的に
存在する。
■ (k) クリア民会 (くりあみんかい、
= クリア会、
ラ:Comitia Curiata、
紀元前8世紀後半〜紀元(後)3世紀)は、
古代ローマ国家の王政ローマから存在し、
ローマ市民の貴族が、
氏族単位で参加し、
1氏族1票であり、
王政ローマ (= ローマ王国、王政時代の
古代ローマ国家)では、
様々な国政を討議、決定したが、
共和政ローマ(共和政時代の古代ローマ
国家、ローマ共和国)では、
権限が縮小し、祭司の就任、養子縁組
などを行う。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ (l) トリブス民会 (とりぶすみん
かい、= 市民会、トリブス会、
ラ:Comitia Tributa、
紀元前5世紀〜紀元(後)3世紀)は、
共和政ローマ(= ローマ共和国、共和政
時代の古代ローマ国家)で、
全ローマ市民(貴族と平民)が、
行政区域(トリブス)単位で参加し、
1行政区域1票で、
古代ローマ国家の国政を討議、決定し、
上級造営官、財務官などを選出する。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ (m) ケントゥリア民会 (けんつぅりあ
みんかい、= 兵員会、
ラ:Comitia Centuriata、
紀元前5世紀〜紀元(後)3世紀)は、
共和政ローマ(= ローマ共和国、共和政
時代の古代ローマ国家)で、
全ローマ市民(貴族と平民)が、
階級区分単位で参加し、
1階級区分1票で、
古代ローマ国家の国政を討議、決定し、
重要裁判を行い、法案決定権をもち、
コンスル(= 執政官)、プラエトル(= 法
務官)、その他主要官職を選出する。
約半分の階級区分が貴族・富裕市
民の富裕層で、 貧しい市民の意見は
ほとんど反映されなかった。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ (n) プレブス民会 (ぷれぶすみんかい、
= 平民会、
ラ:Comitia Plebis Tributa、
紀元前5世紀〜紀元(後)3世紀)は、
共和政ローマ(= ローマ共和国、共和政
時代の古代ローマ国家)で、
ローマ市民の平民が、
行政区域(トリブス)単位で参加し、
1行政区域1票で、
古代ローマ国家の国政を討議、決定し、
法案決定権をもち、護民官などを選出
する。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代共和政ローマの
公職者(役人)。
■ 古代共和政ローマの主要公職者(役人)
は、
(q) コンスル(= 執政官)、
(r) 法務官(= プラエトル)、
(s) 造営官(= アエディリス)、
(t) 財務官(= クァエストル)、
(w) 属州総督、
(x) 護民官(= トゥリブヌス・
プレビス)、
(y) 独裁官(= ディクタトル)、
などである。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者(役人)の、コンスル(= 執政官)、
法務官(= プラエトル)、造営官(= アエデ
ィリス)、財務官(= クァエストル)などの、
行政・軍事を担当する政務官(= マギスト
ラトゥス)は、
古代共和政ローマの「民会」(= コミティア)
によって、選出される。
■ 古代共和政ローマでは、
独裁を予防するため、政務官(= マギスト
ラトゥス)は、定員は複数で、任期は短く
1年である。
■ 古代共和政ローマの公職者(役人)の
政務官(= マギストラトゥス)には、主に、
(q) コンスル
(= 執政官、国政と軍事の最高責任者、
定員2人、任期1年、
「民会」(= コミティア)で選出)、
(r) 法務官
(= プラエトル、司法担当、
定員4〜6人、任期1年、
「民会」(= コミティア)で選出)、
(s) 造営官
(= アエディリス、治安と祭事を担当、
定員4人、任期1年、
「民会」(= コミティア)で選出)、
(t) 財務官
(= クァエストル、国庫の管理を担当、
定員10人、任期1年)、
「民会」(= コミティア)で選出)、
などがある。
■ 古代共和政ローマでは、
公職者(役人)の、
(w) 属州総督は、
元老院(= セナトゥス)によって選出され、
(x) 護民官(= トゥリブヌス・プレビス)は、
民会(= コミティア)によって選出され、
(y) 独裁官(= ディクタトル)は、
非常時のみ、コンスル(= 執政官)と元老
院(= セナトゥス)によって選出される。
● (w) 属州総督は、
古代共和政ローマの元老院(= セナト
ゥス)によって、各属州に1人、選出さ
れる。
● (x) 護民官 (= トゥリブヌス・プレビス、
英:Tribuni Plebis) は、
平民の権利を守る役職であり、
古代共和政ローマの「民会」(= コミ
ティア)によって選出され、
定員2〜10人で、任期1年である。
護民官(= トゥリブヌス・プレビス)
は、
元老院(= セナトゥス)や政務官(= マ
ギストラトゥス)の決定への拒否権を
もつ。
● (y) 独裁官 (= ディクタトル)は、
非常時のみ選出され、
古代共和政ローマの、コンスル(= 執
政官)によって任命され、元老院(=
セナトゥス)によって指名されて、選出
され、定員1人で、任期は最長・半年
である。
■ 500年も存続し、大領土国家に
なった古代ローマ共和国
(古代共和政ローマ)。
■ 古代ローマ共和国 (古代共和政ロー
マ、紀元前509年ー前27年)が、
約500年もの長期間存続し、また、
大領土国家になった理由は、
当時の古代ローマ共和国(古代共和政
ローマ)は、 元老院とローマ市民
(S.P.Q.R.)が国家の主権者であり、
(ア) 「コンスル(= 執政官)」2人
(独裁政治)をもち、
(イ) 「元老院」
(少数共和政治(寡頭政治)、
貴族政治)をもち、
(ウ) 「民会」(= コミティア)
(民主政治)をもち、
内部対立はあっても、それらが国政の
バランスを保つ「混合政体の国家」で
あったためである。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ローマ国家。
■ 古代ローマ国家とは、
狭義の「ローマ国家」であり、
紀元前753年頃から紀元(後)476年
までの約1200年間、
イタリアを中心にヨーロッパ、北アフリカ、
西アジアに存続した国家であり、
(a) ローマ王国
(= 王政ローマ、
紀元前753年頃(伝説では)
ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国
(= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)、
(c) ローマ帝国
(= 帝政ローマ、
紀元前27年ー紀元(後)395年)、
(d) 西ローマ帝国
(= 紀元(後)395年ー476年)、
(e1) 初期の東ローマ帝国
(= 初期のビザンティン帝国、
紀元(後)395年ー476年頃)、
の5つの「ローマ国家」である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 広義のローマ国家。
■ 広義の「ローマ国家 」とは、
(a)〜(e1)「古代ローマ国家」
と、
(e2)「中世の東ローマ帝国」であり、
イタリアを中心に、ヨー ロッパ、北アフ
リカ、西アジアに存続した国家であり、
(a) ローマ王国
(= 王政ローマ、
紀元前753年頃(伝説では)
ー紀元前509年)、
(b) ローマ共和国
(= 共和政ローマ、
紀元前509年ー紀元前27年)、
(c) ローマ帝国
(= 帝政ローマ、
紀元前27年ー紀元(後)395年)、
(d) 西ローマ帝国
(= 紀元(後)395年ー476年)、
(e1) 初期の東ローマ帝国
(= 初期のビザンティン帝国、
紀元(後)395年ー476年頃)、
(e2) 中世の東ローマ帝国
(= 中世のビザンティン帝国、
紀元(後)476年頃ー1453年)、
の6つのローマ国家である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
□ 世界史辞典の先頭ページへ。
■ 古代民主政
アテネ
(こだいみんしゅせいあてね)。
■ 古代民主政アテネ。
■ 名称 : 古代民主政アテネ
(こだいみんしゅせいあてね)。
■ 別名 : 古代民主政アテナイ、
民主政アテネ、民主政アテナイ。
■ 英語名 :
ANCIENT DEMOCRATIC ATHENS。
■ 《民主主義》。
■ 時期:紀元前508年ー 紀元前322年。
■ 古代民主政アテネとは、
民主政時代(紀元前508年ー 紀元前
322年)の、古代アテネ国家(紀元前
800年頃ー前146年)である。
■ 直接関連事項:
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21536。
■ 古代民主政アテネ
(= 民主政時代の古代アテネ国家)。
■ 古代民主政アテネ (こだいみんしゅせ
いあてね、別名:古代民主政アテナイ、
民主政アテネ(アテナイ)、英:ANCIENT
DEMOCRATIC ATHENS) とは、
民主政(民主主義)時代(紀元前508年
ー紀元前 322年)の、古代アテネ国家
(紀元前800年頃ー前146年) である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネ (こだいみんしゅせ
いあてね、別名:古代民主政アテナイ、
民主政アテネ(アテナイ)、英:ANCIENT
DEMOCRATIC ATHENS) とは、
古代ギリシャ (英:Ancient Greece)
の、 民主政(民主主義)時代(紀元前
508年ー 紀元前322年)の古代アテ
ネ国家 (紀元前800年頃ー前146年、
英:The Athenian State)である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネ。
■ ギリシャを本拠地とする都市国家(ポリ
ス、英;CITY-STATE(S))の古代 アテ
ネ国家の民主政(民主主義)時代は、
紀元前508年から紀元前322年まで、
約180年間続く。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネの終焉。
■ 古代民主政アテネ(= 民主政時代の古
代アテネ国家)は、 紀元前322年に敗
戦し、 マケドニア王国の占領再支配に
よって、終焉(しゅうえん)する。
■ ラミア戦争で無条件降伏し古代アテ
ネの民主政(民主主義)は終焉。
● 古代ギリシャは、紀元前337年より、
マケドニア王国の支配下にあったが、
前323年のマケドニア王国のアレク
サンドロス3世(大王)死後反乱を起
こした、古代アテネ中心のギリシャ連
合軍とマケドニア王国軍との間のラミ
ア戦争( 紀元前323年〜前322年)
の、紀元前322年のクランノンの 戦い
で、 古代アテネ中心のギリシャ軍は、
アレクサンドロス3世(大王)の部将
だったアンティパトロス将軍が率いる
マケドニア軍に敗戦し、 古代アテネ
国家は、無条件降伏の和約を結び、
寡頭制への交代とマケドニア守備隊
受け入れを承諾し、マケドニア軍の
アンティパトロス将軍のアテネ入城と
古代アテネの反マケドニア派粛清・
追放で、古代民主政アテネの民主主
義は、終焉する。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネの政体。
■ 古代民主政アテネの政体は、
直接民主政である。
● 古代民主政アテネでは、
都市国家(ポリス、英:city-state(s))
の、古代アテネの市民権をもっている
者は、男性は誰でも直接政治に参加
できる。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネの主権者。
■ 古代民主政アテネの主権者は、
古代アテネ市民である。
● 古代民主政アテネの古代アテネ市民
は、 「民会」(= エクレシア)で政治権
力をもつ。
● 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、議決機関の「民会
(= エクレシア、英:the ekklesia)」 と、
「五百人評議会」(英:the Council of
500) がある。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネの主権者は、
古代アテネ市民 (英:Athenian
citizen(s),the Athenian(s))
である。
● 古代民主政アテネの古代アテネ市民
は、 「民会」 (= エクレシア、英:The
Ekklesia,The Ecclesia,The
Popular Assembly) で政治権力
をもつ。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネの議決機関。
■ 古代民主政アテネの議決機関は、
(a) 古代アテネ市民の総会である
「民会」(= エクレシア)
と、
(b) 民会(= エクレシア)によって
選出された500人で構成する
「五百人評議会」 (英:The
Boule,The Council of
500, The Popular
Council)
である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネの「民会」と
「五百人評議会」。
● (a) 古代民主政アテネの
民会(= エクレシア)。
■ 古代民主政アテネ国家の最高権力者は
(a) 「民会(= エクレシア)」。
● 古代民主政アテネ国家のの最高権力者
は、 古代アテネ市民の総会である、
(a) 「民会(= エクレシア)」である。
● (a) 古代民主政アテネの「民会」
(= エクレシア)は、
「五百人評議会」議員を選出し、 主要公
職者(役人)を抽選(くじ引き)または選挙
で選出する。
● 古代民主政アテネでは、
(a) 「民会(= エクレシア)」が、最高議決
機関であり、 アテネの18歳以上の男性
全市民で構成され、 古代アテネの、初め
アゴラで開かれ、 紀元前5世紀半ば(前
460年頃)以後「プニュクスの丘」で(英:
on the Pnyx hill) 開かれ、 定例会
(英:The Regular Meetings of the
Assembly)は 年40回(月3、4回)開催
された。
議案は、「五百人評議会」が準備する。
● 法や戦争など様々なことが、古代民主政
アテネの「民会」(= エクレシア)で議論さ
れ、投票で議決を行い、多数決で決めら
れる。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
● (b) 古代民主政アテネの
「五百人評議会」。
■ 現実問題として、古代アテネ全市民が
「民会」(= エクレシア)のすべての議決
に参加することは難しいため、 「民会」
(= エクレシア)によって、古代アテネ市
民から選ばれた500人による評議会の
「五百人評議会」で、民主政アテネ国家
の重要事項以外の事は、決議された。
● (b) 「五百人評議会」は、
古代アテネのアゴラ (英:The Agora
of Athens)で開催され、 「民会」(= エ
クレシア)の予備審議やアルコン(= 執政
官)の監察も行った。
● 独裁を予防するため、「五百人評議会」
の評議会議員の任期は1年と短く、 就
任できるは一生の間2回だけ、それも連
続して就任することは禁じられていた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネの公職者
(役人)。
● (f) ストラテゴス(= 将軍)。
■ (f) ストラテゴス(= 将軍)は、
古代民主政アテネ国家の、政治、財政、
外交、軍隊の統帥などを行う。
■ 古代民主政アテネ国家の実際の行政
(政治運営)の指導者は、ストラテゴス
(= 将軍)で ある。
古代民主政アテネ国家では、今日
の大臣にあたる最高官職のアルコン
(= 執政官)は、 希望者間の抽選(く
じ引き)で当たった者である。 それで
は、国家の行政(政治運営)に問題が
起こる。
一方、国防の責任を負うストラテ
ゴス(= 将軍)は、 希望者間の抽選
(くじ引き)ではなく、 能力と経験豊
かな10人を選挙で選出し、何度でも
その重任を認めていた。
そのため、希望者間の抽選(くじ
引き)で選出された最高官職のアル
コン(= 執政官)は重みがなくなり、
ストラテゴス(= 将軍)が事実上の国
政の指導者になってしまった。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネでは、 民会(= エク
レシア)の抽選(くじ引き)・選出の能力
と経験のない最高官職のアルコン(= 執
政官)と異なり、 ストラテゴス(= 将軍)
は、国防の責任者であるため、能力と経
験豊かな人が民会(= エクレシア)の選
挙で選ばれ何度でも再任可能なので、
本来は古代アテネ国家の国防の責任者
ではあるが、 ストラテゴス(= 将軍)が、
古代民主政アテネ国家の実際の行政
(政治運営)を行う。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
● 古代民主政アテネの公職者
(役人)。
■ 原則の、公職者(役人)の抽選(くじ引
き)選出。
● 古代ギリシャの古代民主政アテネ国家
では、公職者(役人)の任期を1年とし、
重任も禁止した。
また、公職者(役人)の選出法は、原則
として、希望者間の抽選(くじ引き)で行
われた。
抽選(くじ引き)選出法は、選挙より
公平で民主的と考えられた。
これは、当時の古代アテネ市民が、
抽選(くじ引き)選出が、 古代ギリシャ
の神々による選択と信任と考えていた
ためである。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 例外の、 ストラテゴスの選挙選出。
● 古代民主政アテネでは、
原則として、希望者間の抽選(くじ引き)
で公職者(役人)を選出した(決めた)。
しかし、選出にも例外はあった。
国防の責任を負うストラテゴス(= 将
軍)である。
国防の責任を負うストラテゴス(=
将軍)は、 希望者間の抽選(くじ引き)
ではなく、 能力と経験豊かな10人を
選挙で選出し、何度でもその重任を認
めていた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
● 古代民主政アテネの主要
公職者(役人)。
■ 古代民主政アテネでは、
独裁を予防するため、主要公職者(役人)
は、 「民会」(= エクレシア)での、希望者
間の抽選(くじ引き)で、または選挙で、
選出され、定員は複数である。
■ 民主政アテネの主要公職者(役人)
(英:the main official(s))は、
アルコン(= 執政官)、ストラテゴス(= 将
軍)、民衆裁判所陪審員などである。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代民主政アテネでは、
主要公職者(役人)の、アルコン(= 執政
官)、ストラテゴス(= 将軍)、民衆裁判所
陪審員は、 古代民主政アテネの「民会
(= エクレシア)」によって、希望者間の
抽選(くじ引き)で、または、選挙で、選
出される。
● 古代民主政アテネの公職者
(役人)。
■ 古代民主政アテネの公職者(役人)には、
(e) アルコン
(= 執政官、定員9人、民会(= エクレ
シア)での抽選(くじ引き)・選出)、
(f) ストラテゴス
(= 将軍、定員10人、民会(= エクレ
シア)での選挙・選出、再任可)、
(g) 民衆裁判所陪審員
30歳以上の男性市民から、(民会
(= エクレシア)での抽選(くじ引き)・
選出)、
(h) 下級役人 (任期1年、再任不可)、
などがある。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
□ 世界史辞典の先頭ページへ。
■ 国際語
(こくさいご)。
■ 国際語。
■ 名称 : 国際語 (こくさいご) 。
■ 英語名 :
THE INTERNATIONAL
LANGUAGES.
■ 国際語は、 国家間、民族間での意思疎通用
の言語である。
■ 国際語には、 人類(世界)共通国際語、 地
域国際語、 特定分野国際語 などがある。
際語(世界共通国際語) である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 61619。
■ 国際語 (こくさいご、英:THE INTERNA-
TIONAL LANGUAGES)は、 国家間、民
族間での意思疎通用の言語であり、 人類(世
界)共通国際語、 地域国際語、 特定分野国
際語 などがある。
■ THE PRESENT-DAY INTERNATIONAL
COMMON 4 LANGUAGES.
現代世界・国際共通4か国語。
■ 人類共通国際語、世界共通国際語。
■ 現代世界共通国際語。
語(世界共通国際語) である。
現代世界共通国際語の英語名は、 THE
PRESENT-DAY GLOBAL COMMON
INTERNATIONAL LANGUAGES である。
■ 主要全世界的国際機関・利用語。
現代世界の、国連その他の主要全世界的国
際機関は、 英仏西露・4言語を利用し ている。
■ 中等教育修了者・全世界カバー4言語。
現代世界の、世界各地の、中等教育修了
者は、 英仏西露・4言語のどれか1つを、 学校
で学習し、多かれ少なかれ理解できる。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 欧米諸国の領土獲得競争により、人類 は、英
仏西露4言語の人類共通国際語を手に入れ、
約5000語をもつ人類のコミュニケーション(意
思疎通)の一体化を実現できた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 地域国際語。
■ 現代世界・地域国際語。
■ 現代世界・地域国際語は、地球の各地域だけで
共通に利用される国際語である。
■ 特定分野国際語。
■ 現代世界・特定分野国際語。
■ ラテン語は、現代世界で、世界各地のカトリッ
ク聖職者の共通語である。
■ アラビア語は、現代世界で、アラブ諸国だけで
なく、イスラム教徒の共通語である。
■ 中国語の北京語は、現代世界で、中国内外の
漢人(漢族)の共通語である。
■ 古代ローマ
円形闘技場
■ 古代ローマ円形闘技場。
■ 名称 : 古代ローマ円形闘技場
(こだいろーまえんけいとうぎじょう)。
■ 英語名 : ANCIENT ROMAN
AMPHITHEATER(S).
ANCIENT ROMAN CIRCULAR
ARENA(S ) .
■ 古代ローマ円形闘技場の直接関連項目:
懐柔策の食料と娯楽の無料・低額提供)」。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21518。
■ 古代ローマ (紀元前753年頃ー紀元後
395年)では、 共和政ローマ (紀元前
509年ー前27年)の時代から、 古代ロ
ーマの各地で、円形闘技場がつくられ、
剣闘士の、人と人との試合、猛獣との格闘
などが行われ、ローマ市民を楽しませてい
た。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
○ 「グラディエイター」 ‘‘ GLADIATOR ’’
(2000年アメリカ映画)。
○ 古代ローマ帝国時代に、コロッセオ (コロ
ッセウム、ローマの円形闘技場)での剣闘
士の、試合、猛獣 や剣闘士との格闘のシ
ーン。
■ 古代ローマ帝国の、円形闘技場。
■ ローマ帝国の秩序に従わせる。
● 古代ローマ帝国の円形闘技場には、帝国
の支配地域の人々をローマ皇帝と帝国の
秩序に従わせる秘策が隠されていた。
■ 古代ローマ帝国(紀元前27年ー紀元 (後)
395年)の支配地域の各地には、 ローマ
皇帝の権威をたかめ、身分・階級制度を維
持し、 帝国の統治を安定させ強化するた
め、 たくさんの円形闘技場がつくられた。
● ローマの円形闘技場のコロッセウムも、
古代ローマ帝国各地の円形闘技場の一つ
である。
● ローマ帝国・初代皇帝のアウグストゥス (英:
THE EMPEROR AUGUSTUS (皇帝
在位:紀元前27年−紀元(後)14年) をは
じめ、 歴代のローマ皇帝が、この政策を行
った。
そして、 約200年(紀元前27年〜
紀元(後)180年)にわたる、「ローマの平和」
(英:PAX ROMANA 、狭義:五賢帝時代の
み」) がもたらされる。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 円形闘技場で、ローマ帝国の身分・階級制
を大衆に認識させる。
● 古代ローマ帝国 (紀元前27年ー紀元(後)
395年)は、 身分・階級制の社会であり、
ローマ皇帝を頂点とする階級社会であった。
● ローマ皇帝の下に、 元老院階級、 騎士
階級、 一般ローマ市民、 自由民、 奴隷
などの階級があった。
● 身分・階級社会のローマ帝国では、 支配
の秩序と安定を維持するには、 古代ロー
マ帝国の支配地域の一人一人に、身分・階
級を自覚させることが欠かせなかった。
● 古代ローマ帝国の円形闘技場には、身分・
階級に応じて、座席が区分されていた。
円形闘技場で試合・見世物を楽しみた
ければ、 身分・階級に応じた座席に座らな
ければならなかった。 円形闘技場で、古代
ローマの人々に身分・階級制度を視覚的に
見せつけた。
● 古代ローマ帝国の円形闘技場には、
ローマ皇帝または町の有力者など身分の
高い者が座る特別席があり、 ローマ皇帝
または身分の高い者は、試合・見世物を主
催し、特別席に座りながめ、 試合・見世物
の最後に、観衆の動向を見て観衆の意見
をとりまとめ、 親指を上下させ、 試合・
見世物の結果(良し悪し)の審判を行った。
古代ローマの人々に誰が権力者(自
分たちの支配者)なのかを認識させた。
● 古代ローマ帝国の支配地域の人々は、
円形闘技場の多くの娯楽を通して、ローマ
皇帝または身分の高い者に従うようになっ
た。 ローマ皇帝は、権威を高めた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ローマ円形闘技場。
■ 剣闘士の戦い、人と人との試合、猛獣との格
闘などの公演は、古代ローマ人の娯楽の1つ
であった。
■ 古代ローマ (紀元前753年頃ー紀元後395
年) では、 共和政ローマ(紀元前509年ー
前27年)の時代から、 古代ローマの各地で、
円形闘技場がつくられ、剣闘士の、人と人との
試合、猛獣との格闘、などが行われ、ローマ市
民を楽しませていた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ローマ帝国(紀元前27年ー紀元後395
年)の円形闘技場は、 「パンとサーカス」 (ロ
ーマ帝国支配地域の人々に食料と娯楽を無料
で提供し、帝国の支配を安定させる政策) の
娯楽を提供する施設であった。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ローマ帝国の円形闘技場 は、 帝政時
の古代ローマの闘技場で、 ローマ市民や現
地住民に無料で娯楽を提供するための、 公
共娯楽施設 である。
■ 帝政時の古代ローマでは、 古代ローマの各
地で、円形闘技場がつくられ、 剣闘士の、人
と人との試合、猛獣との格闘などの公演が無
料で行われ、 古代ローマ支配地の人々を楽
しませた。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ 古代ローマ帝国(紀元前27年ー紀元後395
年)は、 領土内のローマ市民や 現地住民に
「パンとサーカス」を提供することにより、即ち、
無料の食料と娯楽を提供することにより、 領
土の統治を安定させた。
■ ローマ帝国の領土の各地にある、円形闘技場
は、 古代ローマ帝国の円形闘技場で、 古代ロ
ーマ市民や現地住民に無料で娯楽を提供する
ための施設 である。 民衆の統治を円滑に行
うため、代々のローマ帝国皇帝 または ローマ
帝国の各地の有力者が、 円形闘技場に、無料
でローマ市民や現地住民を招待し、娯楽を提供
した。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
#theancientromanamphitheater-appearingscenes
♪♪ 古代ローマ円形闘技場が登場す
る、興味深い、ドキュメンタリー、
ドラマ、映画 。
★ 古代ローマ円形闘技場が登場する、
興味深い、ドキュメンタリー。
■ ザ・プレミアム 『 北川景子 垂直
タイムトラべル IN ローマ 』。
● 「 PRIMO 前編 TEMPO 」
(NHKテレビ・2015年1月18日・
本放送・ドキュメンタリー番組)。
■ ローマの円形闘技場「コロッセオ」の内部
を描く。
■ 様々な古代ローマの建築物を見せる。
● 「 SECONDO 後編 TEMPO 」。
(NHKテレビ・2015年1月18日・
本放送・ドキュメンタリー番組)。
■ ローマの円形闘技場「コロッセオ」の内部
を描く。
■ 古代ローマ・コンクリートの造り方を見せる。
■ 様々な古代ローマの建築物を見せる。
■ 『 ローマ皇帝の歩いた道 』 。
● 「前編 海を制したアウグストゥス」 。
(NHKテレビ・2004年4月19日・
本放送・ドキュメンタリー番組)。
■ 古代ローマ帝国の円形闘技場を述べる。
■ 古代ローマ帝国前期の全般を述べる。
■ 古代ローマ帝国前期の支配各地を述べる。
■ アウグストゥスの足跡をたどる。
★ 古代ローマ円形闘技場が登場する、
興味深いドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。
歴史のドラマ、映画は、史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事が混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 グラディエイター 』。
(英語題名:‘‘ GLADIATOR ’’)。
(2000年アメリカ映画)。
■ 『 ローマン・エンパイア 』。
(英語題名:‘‘ ROMAN EMPIRE ’’)。
(2003年イタリア映画、 主にオクタ
ウィアヌスを描く)。
■ 『 ローマ 』。
(英語題名:‘‘ ROME ’’)。
(2005年〜2007年アメリカ・テレビ
ドラマシリーズ、 カエサルの時代から
オクタウィアヌスの時代まで) 。
■ 『 エンパイア I,II,III 』。
(英語題名:‘‘ EMPIRE I, II,III ’’) 。
(2005年アメリカ・テレビドラマ・シリーズ、
主にオクタヴィアヌスを描く)。
■ コロッセウム
■ コロッセウム。
■ 名称 : コロッセウム。
■ 別名 : コロッセオ (イタリア語)。
● 英名 : COLOSSEUM。
■ 時期 : 古代ローマ帝国時代。
■ コロッセウム(コロッセオ)とは、
イタリア・ローマにある円形闘技場である。
■ コロッセウム(コロッセオ)とは、
古代ローマ最大の古代ローマ円形闘技場
である。
■ 古代ローマ円形闘技場の直接関連項目:
「古代ローマ円形闘技場」、「古代ローマ」、
「ロー 帝国」、
「パンとサーカス(古代ロー マ民衆懐柔策
の食料と娯楽の無料・低額提供)」。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21615。
■ ローマのコロッセオ。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
ローマ帝国皇帝のウェスパシアヌスと
ティトゥスによって、建設される。
● ローマ帝国皇帝のウェスパシアヌスは、
ローマのコロッセオ(= コロッセウム)を
紀元(後)72年に建設を開始 する。
● ウェスパシアヌスは、
紀元(後)79年6月に、コロッセオ(= コ
ロッセウム)の完成前に、死去し、次期
ローマ帝国皇帝になった彼の息子・ティ
トゥスが79年12月にコロッセオを完成
させる。
■ ローマのコロッセオ。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
紀元(後)72年に建設を開始し、紀元
(後)79年12月に完成する。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)の建
設地は、 ネロ帝が建設した黄金宮殿
「ドムス・アウレア」の人工池があった場
所である。
● 古代ローマ当時に、ローマのコロッセオ
(コロッセウム)の近くに、巨大な太陽神
の像「コロッサス」(高さ約30m)があっ
たので、「コロッセオ」と呼ばれるようにな
る。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオ。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
イタリアのローマ市にある、古代ローマ
帝国(紀 元前27年ー紀元(後)395年)
の最大の円形闘技場である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、 ロー
マ皇帝と民衆が交流する場でもあった。
■ 円形闘技場は、 古代ローマ各地にあった、
無料または低額でローマ支配地の大衆に
娯楽を提供するための公共娯楽施設である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
○ 「グラディエイター」 ‘‘ GLADIATOR ’’
(2000年アメリカ映画)。
○ ローマ帝国時代に、ローマのコロッセオ
(コロッセウム)での剣闘士の試合、猛獣
との格闘のシーン。
■ ローマの円形闘技場のコロッセオ。
■ ローマのコロッセオは、 コロッセウムとも
いい、古代ローマ最大の古代ローマ円形
闘技場である。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
古代ローマ帝国(紀元前27年ー紀元 (後)
395年)の各地にあった円形闘技場の1つ
である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオ。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
「パンとサーカス」 (ローマ帝国支配地域の
人々に食料と娯楽を無料・低額で提供し、
帝国を安定させる政策) の娯楽(サーカス)
を提供する施設であった。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオ。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
紀元(後)72年に建設を開始し、79年12月
に完成した、巨大な円形闘技場である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマの円形闘技場のコロッセオ(コロッセ
ウム)は、 イタ リアのローマにあった、ロー
マ帝国時代 (紀元前27年ー紀元(後)395
年)の巨大な円形闘技場であり、 無料でロ
ーマ市民に娯楽を 提供するための巨大な施
設であった。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオ(コロッセウム)では、
剣闘士の人と人との試合、猛獣との格闘など
の見世物が行われ、 ローマ市民を楽しませ
た。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオ。
■ 古代ローマの最大の円形闘技場のコロッ
セオ。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
古代ローマ帝国(紀元前27年ー紀元後39
5年)の 最大の円形闘技場であった。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
楕円形で、外壁の高さ52m(現在の17・
18階)、長径188m、周囲約530m、約
5万人の観客を収容した施設である。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)では、
剣闘士を戦わせる、剣闘士の人と人との試
合、猛獣との格闘などの見世物が行われた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオの設備。
■ コロッセオの設備。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
収容人員は約5万人で、 古代世界で最大
の闘技場で、 全天侯型スタディアムである。
高さが52mもあった。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)の中央
の広場が、アリーナ(アレーナ)で、通常、
白い砂が敷かれ、覆われていた (剣闘士
の試合などがコロッセオ(コロッセウム)に
いる観衆によく見えるように)。
また、アリーナの下に、古代の人力エレ
ベータ など沢山の舞台装置があった。
ロープで動かす開閉式の日よけ用の天
幕が張られていた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオ。
■ 階級・身分を大衆に認識させる場のコロッ
セオ。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)の座席
には、 広場に近い順に、ローマ皇帝、ロー
マ元老院議員、ローマ貴族、ローマ騎士階
級、ローマ平民、自由民、解放奴隷が座り、
公演を楽しんだ。
■ ローマ皇帝と民衆との交流の場のコロッセオ。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、 ロー
マ皇帝と民衆が交流する場であった。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
ローマ皇帝の力を宣伝する場であり、ローマ
皇帝とローマ市民がコミュニケーションをとる
場であり、 ローマ皇帝とローマ市民が会え
る唯一の場であった。
● ローマ皇帝は、政治上、民衆の声に耳を傾
ける必要があり、民衆の反応を知る場であ
った。
例えば、ティトゥス帝は、ユダヤ遠征中に
会い、愛したユダヤ人の王族の娘のベレニ
ケを夫人に迎えようと考え、ローマのコロッ
セオ(コロッセウム)で一緒に並んだところ、
異国のユダヤ人のベレニケは、ローマ市民
から冷淡な反応にあい、ティトゥ ス帝は、
結婚を諦(あきら)め、ベ レニケをユダヤに
送り返した。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ローマの円形闘技場。
■ 古代ローマ支配地域各所の円形闘技場。
● 古代ローマ (紀元前753年頃ー紀元 (後)
476年頃)では、 共和政ローマ(紀元前
509年ー前27年)の時代から、 古代ロー
マの各地で、 円形闘技場がつくられ、剣闘
士の、人と人との試合、猛獣との格闘などが
行われ、ローマ市民やローマ支配地域の民
衆を楽しませていた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コロッセオの建設。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
古代ローマ皇帝が 紀元(後)72年に建設
を開始し、紀元(後)79年12月に完成させ
た。
● ローマ帝国・皇帝のウェスパシアヌス帝
(帝在位、紀元(後)69ー79年)が、 ロー
マのコロッセオ(コロッセウム)の建設を、
紀元(後)72年に着工し(開始し)、 その
息子のローマ帝国皇帝のティトゥス帝(皇帝
在位、紀元(後)79年ー81年)が、コロッセ
オ(コロッセウム)を、紀元 (後)79年12月
に完成させた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマのコロッセオの建設。
● 平民出身のウェスパシアヌス帝は、 ロー
マ市 民の支持を得るため、ローマのコロッ
セオ(コロッセウム)建設を始め、その子・
ティトゥス帝が、 コロッセオ(コロッセウム)
を紀元(後)79年12月に完成させた。
● ウェスパシアヌス帝は、 ローマ市の中心 部
にあったネロ帝の黄金宮殿を壊し、そのネロ
帝の黄金宮殿の跡地に、紀元(後)72年に、
ローマのコロッセオ(コロッセウム)の建設を
開始し、紀元(後)79年6月に死去し、その
事業を継いで、ウェスパシアヌスの子・ティト
ゥス帝が、ローマのコロッセオ(コロッセウム)
を紀元(後)79年12月に完成させた。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、アー
チ構造、素焼きのレンガ、コンクリート、石材
などを使い、高所に資材を運ぶ滑車クレーン
も使った。
当時の最先端の、建築技術を使った、
建物であった。
石灰、水、火山灰(ヴェスヴィオ火山近
くの)を混ぜ合わせたセメントをつくり、その
セメントに砂や小石を混ぜて、 ローマンコン
クリートをつくり、ロー マのコロッセオ(コロッ
セウム)に使った。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コロッセオの建設資金と労働力。
● ウェスパシアヌス帝就任時、ローマ帝国は、
財政窮乏の状態であった。
ローマのコロッセオ(コロッセウム)建設
の資金源としては、 西暦・紀元(後)70年
代に、ローマ軍がユダヤ戦争で、ユダヤの
エルサレム等の寺院より略奪した財宝など
の戦利品を使い、また、約3万人のユダヤ
人を奴隷とし連行し建設にかり出し労働さ
せ、完成させる。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コロッセオ完成時の大興行。
■ コロッセオの「100日競技会」により、天災
に絶望感を感じていたローマ市民を鼓舞。
■ 紀元(後)79年8月に、ヴェスヴィオ火山
が噴火し、ナポリ近郊のポンペイが埋没し、
多数のローマ市民や民衆が犠牲となり、
死去する。 この天災は、ローマ市民にも
大きなショックを与えた。
ティトゥス帝が盛大な興行を行ったの
は、天災に絶望感を感じていたローマ市民
を鼓舞する意味合いもあった。
■ コロッセオ完成時の「100日競技会」。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)は、
紀元(後)79年12月に完成し、 ローマの
コロッセオ(コロッセウム)完成時、「100日
競技会」という100日間の 大興行を行い、
ローマ帝国 支配地の民衆を無料で招待す
る。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)完成時
の、ティトゥス帝 (皇帝在位、西暦・紀元
(後)79年ー81年)の、 100日間の大興
行で、模擬海戦、猛獣の殺戮、人と人との
剣闘士による試合などが行われた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コロッセオ完成時の構造。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)の完成
時の当初の広場は、円形の水路で囲まれ
ていて、また、開閉式の板で覆(おお)って
いた。
■ コロッセオ完成時の「100日競技会」での
模擬海戦。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)の、模
擬海戦では、ステージ(広場)の開閉式の
板やステージ(広場)を支えた地下の柱を
取り外し、 地下部分(地下空間)を露出
させ、 地下部分(地下空間)に水を注ぎ
込み、広場を水で満たし、船を浮かべて、
模擬海戦が行われた。
模擬海戦は、奴隷や罪人が兵士に
扮(ふん)し、 2手に別れて、どちらかが
全滅するまで行われた。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ドミティアヌス帝時のコロッセオ。
■ ティトゥス帝死後のドミティアヌス帝時の
コロッセオ。
● 西暦・紀元(後)81年に、 ティトゥス帝が
死去後、ティトゥス帝の弟の、ドミティアヌ
スがローマ皇帝(皇帝在位、西暦・紀元
(後)81ー96年)となる。
● ドミティアヌス帝は、 ローマのコロッセオ
(コロッセウム)を改造し、 6mの深さの
地下部分(地下空間)に構造物を置き、
開閉式の広場の会場をやめ、広場の会
場をふさいだ。
地下部分(地下空間)に通路、部屋、
約30機のリフトなど設備を設置し、地下
から広場の会場(アレーナ)に人や野獣を
運び、登場させた。 また、3階建てを、
4階建てとした。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ ローマ帝国時のコロッセオ。
■ それ以後のローマ帝国時代のコロッセオ。
● それ以後、ローマ帝国の代々のローマ皇
帝は、 ローマのコロッセオ(コロッセウム)
に無料でローマ市民を招待し、娯楽を提供
した。
■ 興行廃止・閉鎖後のコロッセオ。
■ コロッセオの興行廃止・閉鎖後。
● ローマのコロッセオ(コロッセウム)での興
行廃止・閉鎖後、 ローマのコロッセオ(コ
ロッセウム)は、 採石場となり、多くの石、
彫像、大理石が持ち去られ(剥ぎ取られ)、
422年に大地震で一部が破壊され、 現在、
元のコロッセオ(コロッセウム)の建造物の
3分の1が残っている。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
○ 「グラディエイター」 ‘‘ GLADIATOR ’’
(2000年アメリカ映画)。
○ 古代ローマ帝国時代に、ローマのコロッ
セオ(コロッセウム)での剣闘士の試合、
猛獣との格闘のシーン。
♪♪ ローマのコロッセオ(コロッセウム)
が登場する、ドキュメ ンタリー、ド
ラマ、映画。
★ ローマのコロッセオ(コロッセウム)が
登場する、ドキュメンタリー。
■ 『 古代ローマ コロッセオの秘密 』。
(英:THE ANCIENT SPLENDORS OF
ROME− THE COLOSSEUM)。
(2013年韓国・EBS制作ドキュメンタリー)。
★ ローマのコロッセオ(コロッセウム)が
登場する、興味深いドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事 が混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 グラディエイター 』。
(英語題名:‘‘ GLADIATOR ’’)。
(2000年アメリカ映画)。
■ 古代ローマ帝国時代の、ローマのコロッ
セオ(コロッセウム)での剣闘士の試合、
猛獣との格闘のシーンが登場する。
■ 古代エジプト人
(こだいえじぷとじん)。
■ 古代エジプト人。
■ 名称 : 古代エジプト人 ( こだいえじぷとじん)。
■ 英語名 : ANCIENT EGYPTIAN(S)。
■ 消滅民族。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
□ エジプトの歴史。
□ 古代エジプト。
□ エジプト歴史ガイドブック。
ドラマ。
■ 古代エジプト人 (こだいえじぷとじん)は、 消
滅した民族であり、 アフロ・アジア系諸族(= セ
ム・ハム系諸族)のハム系諸族の一派である。
古代エジプト人の英語名は、 ANCIENT
EGYPTIAN(S) である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代エジプト人は、 偉大な古代エジプト文明
を生み出した民族であり、 エジプト地域を中心
に居住し、 言語は、母国語として、古代エジプ
ト語を使用した。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代エジプト人は、 発掘調査で、頭部の後ろ
が長いという身体的特徴がある。
■ 古代エジプト人は、 多神教で神々を崇拝し、
肉体が滅んでも魂は不滅であるという死生観
があり、 神殿、ピラミッド、墓地の建造、ミイラ
づくりなどを行った。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代エジプト人は、紀元前3100年頃から紀元
(後)4世紀頃まで生存した。
エジプトは、紀元前1世紀に(紀元前30年
に)、古代ローマに征服され、それ以後、エジプ
トでは、古代エジプト人は、徐々に、ローマ化し、
ラテン化し、民族性を失い、紀元(後)4世紀頃、
消滅した。 代わって、中世エジプト人が出現し
た。
● 紀元前3100年頃から前332年までの大半
の時期のエジプトでは、支配者も、被支配者も、
古代エジプト人であった。 しかし、紀元前33
2年から紀元後395年までの時期のエジプト
では、 支配者が古代ギリシア人、その後、支
配者が古代ローマ人であり、 被支配者が古代
エジプト人であった。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
● エジプトは、紀元前1世紀に(紀元前30年
に)、古代ローマに征服され、それ以後、エジプ
トでは、古代エジプト人は、徐々に、ローマ化し、
ラテン化し、民族性を失い、紀元(後)4世紀頃、
消滅した。 代わって、中世エジプト人が出現し
た。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
● 中世エジプト人は、 初め、紀元(後)4世紀頃
より東ローマ帝国の支配(紀元後395年〜紀
元後642年の間)によりギリシア化し、 キリスト
教化し、後に、紀元(後)7世紀頃より(紀元後
642年以後)アラブ人の支配によりアラブ化し 、
イスラム教化した。
● 現代エジプト人は、 紀元(後)7世紀頃以後
(紀元(後)642年以後)、 原住地・アラビア半
島からエジプトに移住してきたアラブ人の子孫
である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 各時代の古代エジプト人。
■ 古代エジプト人独立時代の古代エジプト人。
エジプトに居住する古代エジプト人は、紀
元前3100年頃から前332年までの大半の
時期では、 古代エジプト人独立国家に統治
された。
古代エジプト人独立政権のエジプト王国
(紀元前3100年頃ー前332年)の時代は、
古代エジプト人が繁栄を極めた黄金期であっ
た。
古代エジプト人は、偉大な古代エジプト文
明を生み出した。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ギリシア人国家支配時代の古代エジプ
ト人。
エジプトに居住する古代エジプト人は、紀
元前332年から前30年までの時期では、 古
代ギリシア人国家に支配された。
古代エジプト人独立政権のエジプト王国
(紀元前3100年頃ー前332年)の滅亡後、
エジプトは、 紀元前332年から前30年まで、
古代ギリシア人国家に支配される。
マケドニア系古代ギリシア人のアレクサ
ンドロス大王 (王即位前336ー前323年、
生没年前356−前323年) が、 紀元前33
2年に、エジプトを征服し、その後、その後継者
の古代ギリシア人が、エジプトを統治した。
エジプトを支配した古代ギリシア国家は、
古代エジプト人の文化や多神教信仰に寛容で
あった。 しかし、ギリシア人の征服王朝に対し
て、古代エジプト人は、時々、反乱を起こした。
アレクサンドロス大王のエジプト領(紀元
前332年ー前323年)を引き継いだエジプト
征服王朝が、 プトレマイオス朝(紀元前304
年ー前30年)である。 プトレマイオス朝エジ
プトの最後の女王は、 マケドニア系ギリシア
人のクレオパトラ7世 であった。
プトレマイオス朝エジプト女王のクレオパ
トラ7世は、 共和政ローマのオクタウィアヌス
との戦い敗(やぶ)れ、 紀元前30年に、首都
のアレクサンドリアをローマ軍に占領されて、
ギリシア人のプトレマイオス朝は、滅亡した。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ローマ人国家支配時代の古代エジプト人。
その後、エジプトに居住する古代エジプト
人は、 紀元前30年から紀元(後)395年まで
の時期では、 古代ローマ人国家に支配された。
ギリシア人のプトレマイオス朝エジプト(紀
元前304年ー前30年)の滅亡後、 エジプトは、
紀元前30年から紀元(後)395年まで、 古代
ローマ人国家に支配される。
エジプトを支配した古代ローマ人国家は、
古代エジプト人の文化や多神教信仰に寛容で
あった。 しかし、古代エジプト人は、徐々に、
ローマ化し、ラテン化し、民族性を失い、紀元
(後)4世紀頃、消滅した。 代わって、中世エジ
プト人が出現した。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
#theancientegyptian-appearingscenes
♪♪ 古代エジプト人が登場する、興味深
い、ドキュメンタリー、映画、ドラマ。
★ 古代エジプト人が登場する、興味 深い、
ドキュメンタリー。
■ 『 エジプト発掘 』。
(第1〜4集シリーズ)。
(NHKテレビ・2009年放送ドキュメンタリ
ー番組)。
■ 四大文明の精華 『 神々とファ
ラオの遺産〜エジプト〜 』。
(「四大文明の精華」(第1〜4集シリーズ)
の第1集)。
(NHKテレビ放送ドキュメンタリー番組)。
★ 古代 エジプト人が登場する、興味
深い関連・映画、ドラマ。
● (注意) ドラマ、映画 は、フィクションです。
歴史のドラマ・映画 は、史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事 が、混じって、描かれてい
ます。 また、現代風にアレンジしてあります。
■ 『 ハムナプトラ/失われた砂漠
の都 』。
≪ ハムナプトラ 1 ≫。
(英語題名: ‘‘ THE MUMMY ’’)。
(1999年アメリカ映画)。
● 「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」 は、
古代エジプト と 1923年頃のエジプトが、
舞台。
● エジプト王国の、エジプト新王国で、エジプト
第19王朝第2代の、国王(ファラオ)のセティ
1世治世の、紀元前1290年頃の古代エジ
プト が登場する。
■ 『 ハムナプトラ 2/黄金のピラミ
ッド 』。
≪ ハムナプトラ 2 ≫。
(英語題名:‘‘ THE MUMMY
RETURNS ’’)。
(2001年アメリカ映画)。
● 「ハムナプトラ 2」 は、 古代エジプト と
1931年頃のエジプトやロンドンが、舞台。
● エジプト王国の、エジプト新王国で、エジプ
ト第19王朝第2代の、国王(ファラオ)のセ
ティ1世治世の、紀元前1290年頃の古代
エジプト が登場する。
● ナイル川の上流にある、エチオピア高原の
青ナイル川で定期的に毎年起こる氾濫(は
んらん)が、エジプトのナイル川の氾濫をも
たらしている。 その青ナイル川のエチオピ
ア高原の渓谷が、この映画で登場する。
■ 『 十戒 (じゅっかい) 』。
(英語題名:‘‘ THE TEN
COMMANDMENTS ’’) 。
(1956年アメリカ映画)。
● エジプト第19王朝の第3代ファラオ(国王)、
ラムセス2世が登場する。
● キリスト教の聖書の「出エジプト記」に登場す
る、モーゼと争った、ファラオ(エジプト国王)
は、ラムセス2世、 または、次代ファラオの
メルエンプタハと言われている。
■ 『 アレキサンダー 』 。
(英語題名: ‘‘ ALEXANDER ’’)。
(2004年アメリカ映画)。
● アレクサンドロス大王の生涯や東方遠征を
描いている。
■ 『 レジェンド・オブ・エジプト 』。
(英語題名:‘‘ CLEOPATRA ’’ または
‘‘ MEMORIES OF CLEOPATRA ’’) 。
(1999年アメリカ映画)。
● 主にクレオパトラ7世、カエサル、アントニウ
スを描く。
● プトレマイオス朝エジプト(紀元前304年〜
前30年)の最後の女王のクレオパトラ7世
(女王王位、紀元前51年〜前30年)を描く。
■ 『 クレオパトラ 』 。
(英語題名:‘‘ CLEOPATRA ’’)。
(1963年アメリカ映画)。
● 主にクレオパトラ7世、カエサル、アントニウ
スを描く。
● クレオパトラを演じた女優 : エリザベス・
テーラー。
● 紀元前48年に、カエサルが内乱の続くエジ
プトを訪れ、 そこで、クレオパトラと会い、恋
に落ちたことから、ストーリーが始まる。
■ 『 アレクサンドリア 』 。
(英語題名:‘‘ AGORA ’’)。
(2009年スペイン映画)。
● ローマ帝国(紀元前27年〜紀元後395年)
の末期に、 紀元(後)4世紀の、ローマ帝国
の属州エジプトの社会状況 や、 キリスト教
徒と科学者、古代の多神教の神々の信者と
の対立を描く。
■ ゴルゴダの丘
(こるごだのおか)。
■ ゴルゴダの丘。
■ 名称 : ゴルゴダの丘 (ごるごだのおか)。
■ 別名 : ゴルゴタの丘。
■ 英語名 : The Hill of Golgotha
■ ラテン語名 : Calvariae Locus。
■ ゴルゴダの丘 (ごるごだのおか)は、 エルサ
にされ、そのお墓があった場所 である。
ゴルゴダの丘の、英語名は、 The Hill
of Golgotha、 ラテン語名は、 Calvariae
Locus である。
聖地であり、 現在の、約22億人のキリスト教
徒の聖地 である。
(服)を脱がされ、 十字架に釘づけされ、 十
字架に磔(はりつけ)にされ、 息をひきとり、
聖母マリアがイエスの亡骸を受け取り、遺骸
は、お墓に納められた。
ゴルゴダの丘は、 イエスが十字架の磔
刑にされ、その遺骸を納めた墓があった場所
である。
■ ゴルゴダの丘の正確な位置はわかっていない。
エルサレムの旧城壁内の、キリスト教教会の
「聖墳墓教会」(せいふんぼきょうかい)が建って
いる場所、または、エルサレムの旧城壁外の、
「園の墓」が建っている場所が、 ゴルゴダの丘
とする説がある。
■ 聖墳墓教会。
■ 聖墳墓教会 (せいふんぼきょうかい、英:The
Church of the Holy Sepulchre) は、
紀元(後)4世紀に、 コンスタンティヌス1世の
母・ヘレナが、 当時ヴィーナス神殿となってい
た地に、それを取り壊して、 その跡地に建てた
キリスト教会 である。
■ 聖墳墓教会は、エルサレムの旧城壁内の、ゴ
ルゴダの丘といわれる場所にある教会であり、
イエス・キリストの、十字架・磔刑地や墓地の地
に建つといわれているキリスト教教会である。
■ 聖墳墓教会は、 現在、エルサレムのキリスト
教の聖地の1つ となっている。
■ 園の墓。
■ 園の墓 (そののはか、英:The Garden
Tomb) は、 19世紀に、ゴードンや一部の
学者がゴルゴダの丘と推定した地にある、墓地
である。
■ 園の墓は、 エルサレムの旧城壁外の、ゴル
ゴダの丘といわれる場所にある墓地であり、イ
エス・キリストの、十字架・磔刑地や墓地の地に
建つといわれている墓地 である。
■ 園の墓は、現在、エルサレムのキリスト教の聖
地の1つ となっている。
■ 悲しみの道 (= ヴィア・ドロローサ)。
■ 悲しみの道 (= ヴィア・ドロローサ 、苦難の
道) は、 イエス・キリストが、死刑を言い渡
され、十字架を背負い歩いた道 である。
■ 悲しみの道 (= ヴィア・ドロローサ)は、 エ
ルサレムの旧市街にあり、 アントニア要塞
(英:Antonia Fortress)のピラト総督の官
邸から、 ゴルゴダの丘と いわれる場所にあ
る、聖墳墓教会 (英:The Church of
the Holy Sepulchre) のイエス・キリス
トの十字架・磔刑地や墓地までの道のり で
ある。
■ エルサレムの、ローマのピラト総督 (英:
Pilate)の官邸から、 ゴルゴダの丘 (英:
The Hill of Golgotha)といわれる場所
にある、聖墳墓教会(せいふんぼきょうか
い)まで の全長約1kmの道は、 悲しみ
の道 (= ヴィア・ドロローサ、 ラ・英:Via
Dolorosa) と呼ばれる。
悲しみの道(= ヴィア・ドロローサ)は、エ
ルサレムの、アントニア要塞のローマのピラト
総督の官邸で、イエスが、裁判で死刑の有罪
判決を受け、 そこからゴルゴダの丘へ向か
う道を十字架を背負って歩いて、 ゴルゴダの
丘で、十字架にかけられお墓に葬(ほう)られ
るまでの道のり である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 聖墳墓教会。
聖墳墓教会 (せいふんぼきょうかい、英:
The Church of the Holy Sepulchre)
は、 キリスト教の聖地・エルサレムに建つ教
会 である。
エルサレムの、旧市街の、ゴルゴダの丘
といわれる場所にある教会で、 イエス・キリ
ストが 十字架の磔刑にされ、その遺骸を納め
た墓のある場所 に建つキリスト教教会である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ 古代ローマ人
(こだいろーまじん)
(= ローマ人)。
■ 古代ローマ人。
■ 名称 : 古代ローマ人 (こだいろーまじん)。
■ 別名 : ローマ人。
■ 古代ローマの詳細に関しては、「古代ローマ」
を参照してください。
■ イタリアの歴史の詳細に関しては、「イタリア
の歴史」を参照してください。
■ 古代ローマ人は、 ローマ人とも言う。
■ 古代ローマ人(= ローマ人)には、 次のような
意味がある。
古代ローマ人(= ローマ人)は、 狭義では、
古代イタリア人 である。
古代ローマ人(= ローマ人)は、 狭義では、
ローマ市民、 即ち、 古代ローマ国家 (= ロ
ーマ王国、ローマ共和国、ローマ帝国) の市
民権をもつ人々 である。
古代ローマ人(= ローマ人)は、 広義では、
文化的にローマ(ラテン)化した人々 である。
古代ローマ人(= ローマ人)は、 広義では、
古代ローマ国家 (= ローマ王国、ローマ共和
国、ローマ帝国) の支配地に居住していた人
々である。
■ 古代ローマ人(= ローマ人)は、 狭義では、
古代イタリア人 である。
古代イタリア人は、 人種的には、 初期の
ラテン人(= ラテン系の民族、原ラテン人)であ
り、 インド・ヨーロッパ語族の一派 である。
□ 世界史 辞典 の先頭ページへ 。
■ コンスタンティヌス
1世
(こんすたんてぃぬすいっせい)。
■ コンスタンティヌス1世。
■ 名称 : コンスタンティヌス1世
(こんすたん てぃぬすいっせい)。
■ 別名 : コンスタンティヌス帝。
■ 英語名 : Constantinus I、
Constantine I。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 91329。
■ ローマ帝国・皇帝のコンスタンティヌス1世
(英名:CONSTANTINE I) (帝在位、紀元
(後)306〜337年) は、 紀元(後)313年
に、 ミラノ勅令を出し、 キリスト教を公認し、
キリスト教の信仰の自由を認め、 325年に、
ニケーア公会議(二カイア宗教会議)で、 キ
リスト教のアタナシウス派の三位一体説を正
統とした (アタナシウス派の三位一体説が
確立するのは381年のコンスタンティノープ
ル宗教会議である)。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コンスタンティヌス1世の皇帝在位は、 紀元
(後)307年〜337年 である。 副帝を在位
に入れると306年〜337年 である。
■ コンスタンティヌス1世は、 ローマ帝国皇帝で、
西方皇帝(西方正帝)、 統合皇帝 である。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コンスタンティヌス1世の西方皇帝(西方正帝)
の皇帝在位 は、 紀元(後)307年〜324年で
ある。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コンスタンティヌス1世の統合皇帝 の皇帝在位
は、 紀元(後)324年〜337年 である。
■ コンスタンティヌス1世は、 紀元(後)307年
に、 ローマ帝国の西方皇帝(西方正帝)とな
り、 紀元(後)324年に、東方皇帝のリキニ
ウスとの戦いに勝ち、 ローマ帝国の単独(唯
一)の皇帝となった。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
■ コンスタンティヌス1世の生没年は、 紀元(後)
272年〜337年で、 自然死で死去する。
■ コンスタンティヌス1世は、 コンスタンティヌス
朝の皇帝 である。
■ コンスタンティヌス1世 (Constantinus I、
英:Constantine I) は、 コンスタンティヌ
ス大帝 (英:Constantine the Great) と
も称される。 キリスト教を公認する。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。
#constantinethefirst-appearingscenes
♪♪ コンスタンティヌス帝(1世)が登 場
す興味深い、ドキュメンタリー、ドラ
マ、映画。
★ コンスタンティヌス帝(1世)が登場す
る、興味深い、ドキュメンタリー。
■ 『 ザ・ローマ帝国の興亡 』 。
○ 英語題名: ANCIENT ROME−THE
RISE AND FALL OF AN EMPIRE。
○ 2006年 英BBC制作 ドキュメンタリー・
ドラマ 。
● 第5話 「 コンスタンティン 」。
○ EMPEROR CONSTANTINUS I
(ローマ皇帝 コンスタンティヌス1世)。
○ 紀元(後)4世紀。
■ コンスル
■ コンスル。
■ 名称 : コンスル。
■ 別称 : 執政官。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ 共和政・帝政の古代ローマの、官職。
■ コンスルは、 別名は、執政官で、共和政・帝政
の古代ローマの官職 である。
コンスルで有名な人物には、カエサルがいる。
■ 「コンスル」 (= 執政官、Consul)は、 古代ロー
マの共和政時代の統領、最高官職で あり、 「兵
員会」によって選出され、 政治、軍事、裁判権が
賦与(ふよ)された統領で、 共和政の政治を指
導した。 「兵員会」から、 任期は1年で、2名の
コンスル(= 執政官)が選ばれた。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ 「兵員会」 (へいいんかい、ケントゥリア民会、
ラ:Comitia Centuriata) は、 古代ローマの
共和政時代の政治機関で、 古代ローマの共和
政時代に、 コンスル(= 執政官)、 プラエトル
(= 法務官、Praetor) などを選出し、 和戦の
決定、立法(法案作成),重要な裁判などの決定
権をもった軍事組織・市政運営組織 であった。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ プロコンスル(= 元執政官、執政官経験者)は、
共和政・帝政ローマのコンスル (執政官、ラ:
Consul)) を任期満了で退任した者である。
属州総督には、 プロコンスル(= 元執政官)、
プロプラエトル(= 元法務官)が多い。
■ コルテス
(こるてす)。
■ コルテス。
■ 生没年 : 1485年〜1547、1548年。
■ 名称 : コルテス。
● 英語・西語名 : Hernan CORTES。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ メキシコのアステ カ王国(帝国)を征服したス
ペイン人。
■ 1521年に、アステカ王国(帝国)のあった、
メキシコ中央部を征服した。
■ コルテス (生没年:1485〜1547、1548年)
は、 メキシコのアステ カ王国(帝国)を征服した
スペイン人 である。
コルテスの英語・スペイン語名は、 Hernan
CORTES である。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ コルテスは、 1519年に、 500人の兵、 馬16頭、
船11隻 をもって、 中米のメキシコ東岸に上陸した。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ その後、 コルテスは、 インディオ (中南米先住
民)のアステカ族に敵対する、他のインディオの種
族を多数味方につけ、 彼らの力を借りて、 彼らと
共に、何度も、アステカ族の都・テノチチトラン(現在
のメキシコ・シティー)を攻め、 コルテス は、1521
年に、 遂に、アステ カ王国(帝国)の都・テノチチト
ランを、 征服した。
■ コルテスの征服後、 アステカ族の住む、メキシコの
中央部は、スペインに支配され、 スペインの植民地
となる。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
● 征服後、 スペイン人男性と現地のインディオの 女
性との結婚が多くみられ、混血の現地人が、多数、出
現する。
この人達が、メスティソ (MESTIZO、ラテ ンア
メリカでは、 白人とインディオ( 中南米先住民)との混
血人)で、 現在のメキシコ人の 多数をしめる。
また、征服後、スペイン人宣教師がインデ ィオに
キリスト教の一派・ローマ・カトリック教を、熱心に布教
し、 現在のメキシコ人の多くが、カトリック教徒 となる。
#-appearingscenes
♪♪ コルテス が登場する、興味深い、
ドキュメンタリー、ドラマ、映画。
★ コルテス が登場する、興味深い、ド
ラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事 が 混じって描かれていま
す。 また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 ウオリアーズ I、II、III 』。
(英語題名:‘‘ WARRIORS ’’ I,II,III.)。
● 2008年イギリス映画、BBC&ドキュメンタリー
チャンネル共同制作 。
■ 『 ウオリアーズ I 』。
(英語題名:‘‘ WARRIORS ’’ I)。
(ウオリアーズ・歴 史を動かした男たち・第1章)。
● 徳川家康 − 決戦!関ヶ原。 コルテス−アス
テカの最後。
■ 後漢
(ごかん)。
■ 後漢。
■ 後漢 (紀元後25年〜220年)。
■ 前漢の皇帝側近の宦官(かんがん)や外戚
(がいせき)が実権をにぎろうと争い、 紀元
後8年、外戚(がいせき)の王莽(おうもう)が、
前漢の皇帝を廃位して、 新(しん、紀元後8
年〜23年) をたてる。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ 新の王莽は実情に合わない急激な改革を行
ったため、各地で反乱がおき、新は、紀元後
23年に倒れ、その後、反乱の中で、 紀元後
25年に漢の一族の劉秀(りゅうしゅう)が、漢
を復興して (後漢(ごかん、紀元後25年〜
220年) をたて、 皇帝となる (光武帝(こう
ぶてい))。
■ 紀元後184年に黄巾の乱が起こると、群雄が
割拠して、紀元後220年に、後漢は滅びる。
● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。
■ 国際宇宙ステーション
(こくさいうちゅうすてーしょん)
(= ISS)。
■ 国際宇宙ステーション。
■ 名称: 国際宇宙ステーション
(英:THE INTERNATIONAL SPACE
STATION, ISS)。
■ 略称名: ISS。
■ 国際宇宙ステーション(ISS)とは、 有人宇宙船
で、国際共同利用する、宇宙空間にある研究所
である。
● 15カ国が参加。 現在、3ヶ月から半年で、宇宙
飛行士が交代し、実験や建設・修繕等を行ってい
る。
● TKKI カナヤマ 著 電子書籍。
■ 国際宇宙ステーション (= ISS)は、現在、有人
施設で、地上約400キロメートル上空にあり、地
球の軌道上を、1周約90分の早さで、廻ってい る。
● TKKI カナヤマ 著 電子書籍。
■ 国際プロジェクトのISS計画により、アメリカ、ロ
シア、日本、カナダ、ヨーロパ諸国の世界15カ国
が参加し、 国際宇宙ステーション (ISS)の建設
は、1998年に始まり、 宇宙空間で、有人施設
の「宇宙 の研究所」として、 2011年現在、完
成した。
■ 国際宇宙ステーション(= ISS)に付属する、日本
の実験棟「きぼう」は、 2009年に、完成した。
● TKKI カナヤマ 著 電子書籍。
■ コートジボワール
■ コートジボワール。
■ 名称 : コートジボワール。
● 仏語名・英語名 : CÔTE D’IVOIRE。
■ 別名 : コートジボワール共和国
(Fc14), 象牙海岸 (ぞうげかいがん)。
● 英語別名 : THE REPUBLIC
OF CÔTE D’IVOIRE (Fc14) ;
IVORY COAST。
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓞ Ⓘ Ⓕ CIV。
■ コートジボワールの位置
(英:THE IVORIAN (COTE
D’IVOIRE’S) LOCATION) :
アフリカ西部。
■ コートジボワールの国民
(英:THE NATIONAL(S) OF COTE
D’IVOIRE) :
コートジボワール人 。
(英: IVORIAN(S))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のコートジボワール (CIV)。
■ 国の面積 : 約 322,000 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 20,153,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 62.5 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : ヤムスクロ。 (Ca14)
(英:YAMOUSSOUKRO)
(実質的な首都: アビジャン (英:ABIDJAN)。
○ 実質的な首都機能は、アビジャンにある。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ コートジボワール (英:CÔTE D’IVOIRE)
は、現在、アフリカ西部 にある独立国 で
ある。
■ コートジボワールの別名は、 コートジボワー
ル共和国 (英:THE REPUBLIC OF
CÔTE D’IVOIRE) (Fc14) ; 象牙 海岸
(ぞうげかいがん、英:IVORY COAST) で
ある。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コートジボワールの位置 (英:THE IVORIAN
(COTE D’IVOIRE’S) LOCATION) は、
アフリカ西部 である。
■ コートジボワールの国民 (英:THE NATIONAL
(S) OF COTE D’IVOIRE) は、 コートジボ
ワール人 (英: IVORIAN(S)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
コートジボワール (英:CÔTE D’IVOIRE)
の略称名(略号コード)は、 Ⓞ Ⓘ Ⓕ CIV
である。
● 英語国名 : CÔTE D’IVOIRE .
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
◆ (Hi34) コートジボワール簡略歴史
一覧表。
○ 現在から過去へ。
■ 1960年 − 現在。
● コートジボワール共和国 の統治。
○ 1960年から現在まで、
コートジボワール共和国 (1960年−現在)
(独立国)が、 コートジボワール地域を統治
する。
○ 1960年から現在まで、
コートジボワール共和国 (1960年−現在、
英:THE REPUBLIC OF CÔTE
D’IVOIRE) (独立国) (英:THE INDE-
PENDENT COUNTRY) が、 コートジボ
ワール地域 (英:THE REGION OF
CÔTE D’IVOIRE) を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1893年 − 1960年。
● フランス支配下のコートジボワール。
○ 1893年から1960年まで、
フランスが、 コートジボワール地域を支配
する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コスタリカ
■ コスタリカ。
■ 名称 : コスタリカ。
● 英名 : COSTA RICA。
■ 国名別名 : コスタリカ共和国 (Fc14)。
● 英語 国名別名 : THE REPUBLIC
OF COSTA RICA (Fc14)。
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓞ Ⓕ CRC,
Ⓘ CRI。
■ コスタリカの位置
(英:THE COSTA RICAN (COSTA
RICA’S) LOCATION) :
中部アメリカ、 中央アメリカ。
■ コスタリカの国民
(英:THE NATIONAL(S) OF COSTA
RICA) :
コスタリカ人。
(英:COSTA RICAN(S))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のコスタリカ (CRI)。
■ 国の面積 : 約 51,000 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 4,727,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 92.5 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : サンホセ 。 (Ca14)
(英:SAN JOSE)。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ コスタリカ (英:COSTA RICA) は、現在、
中央アメリカにある独立国 である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コスタリカの国名の別名は、 コスタリカ共和
国 (英:THE REPUBLIC OF COSTA
RICA) (Fc14) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コスタリカの位置 (英:THE COSTA
RICAN (COSTA RICA’S) LOCATION)
は、 中部アメリカの、 中央アメリカ である。
■ コスタリカの国民 (英:THE NATIONAL(S)
OF COSTA RICA) は、 コスタリカ人
(英:COSTA RICAN(S)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
コスタリカ (英:COSTA RICA)の略称名
(略号コード)は、 Ⓞ Ⓕ CRC,Ⓘ CRI
である。
● 英語国名 : COSTA RICA.
COSTA RICA.
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ (Hi34) コスタリカ簡略歴史
一覧表。
○ 現在から過去へ。
■ 1839年頃 − 現在。
● コスタリカ共和国 の統治。
○ 1839年頃から現在まで、
コスタリカ共和国 (1821年−1823年、
1839年頃−現在) (独立国)が、 コス
タリカ地域を統治する。
○ 1839年頃から現在まで、
コスタリカ共和国 (1821年−1823年、
1839年頃−現在 、英:THE REPUBLIC
OF COSTA RICA) (独立国) (英:
THE INDEPENDENT COUNTRY) が、
コスタリカ地域 (英: THE REGION OF
COSTA RICA) を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1823年 − 1839年頃。
● 中央アメリカ共和国 の統治。
○ 1823年から1839年頃まで、
中央アメリカ共和国 (中米諸国連合、18
23〜1839年、英:THE REPUBLIC
OF CENTRAL AMERICA) (独立国)
が、 コスタリカ地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1821年 − 1823年。
● コスタリカ共和国 の統治。
○ 1821年から1823年まで、
コスタリカ共和国 (1821年−1823年、
1839年頃−現在 、英:THE REPUBLIC
OF COSTA RICA) (独立国) が、コス
タリカ地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1502年頃− 1821年。
● スペイン支配下のコスタリカ。
○ 1502年頃から1821年まで、
スペインが、 コスタリカ地域を統治する。
○ 1502年頃に、コスタリカ地域は、スペ
インに支配される。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ − 1502年頃。
● 中米インディオの独立居住。
○ 1502年頃まで、
先住民(英:NATIVES)の中米インディオ
(英:CENTRAL AMERICAN INDIANS)
が、 コスタリカ地域に、独立して居住する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コソボ
■ コソボ。
■ 名称 : コソボ。
● 英名 : KOSOVO。
■ 別名 : コソボ共和国 (Fc14) ;
前セルビア領コソボ。
● 英語別名 : THE REPUBLIC OF
KOSOVO (Fc14), FORMER
SERBIAN KOSOVO。
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓘ RKS。
● TKKI カナヤマ 著 電子書籍。
■ コソボの位置 (英:THE
KOSOVO (KOSOVAR) (KOSOVO’S)
LOCATION) :
ヨーロッパ南東部、 バルカン半島。
■ コソボの国民
(英:THE NATIONAL(S) OF KOSOVO) :
コソボ人 。
(英:KOSOVAN(S))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のコソボ (RKS)。
■ 国の面積 : 約 11,000 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 1,826,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 166 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : プリシュティナ。 (Ca14)
(英:PRISTINA)。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ コソボ (英:KOSOVO) は、現在、ヨ−
ロッパ東部、バルカン半島にある独立国
である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コソボの別名は、 コソボ共和国 (英:
THE REPUBLIC OF KOSOVO)
(Fc14)、 前セルビア領コソボ (英:
FORMER SERBIAN KOSOVO)
である。
● TKKI カナヤマ 著 電子書籍。
■ コソボの位置 (英:THE KOSOVO
(KOSOVAR) (KOSOVO’S)
LOCATION) は、 ヨーロッパ南東部の、
バルカン半島 である。
■ コソボの国民 (英:THE NATIONAL(S)
OF KOSOVO) は、 コソボ人
(英:KOSOVAN(S)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
コソボ (英:KOSOVO)の略称名
(略号コード)は、 Ⓘ RKS
である。
● 英語国名 : KOSOVO.
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ (Hi31) コソボ簡略歴史一覧表。
○ 現在から過去へ。
■ 2008年 − 現在。
● コソボ共和国の統治。
○ 2008年から現在まで、
コソボ共和国 (2008年−現在、英:THE
REPUBLIC OF KOSOVO) (独立国)
が、 コソボ地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 2006年 − 2008年。
● セルビア共和国支配下のコソボ。
○ 2006年から2008年まで、
セルビア共和国 (2006年ー現在、英:
THE REPUBLIC OF SERBIA) が、
コソボ地域 (英:THE REGION OF
KOSOVO) を支配する。
■ コモロ
■ コモロ。
■ 名称 : コモロ。
● 英名 : COMOROS。
■ 国名別名 : コモロ連合 (Fc14)。
● 英語 国名別名 : THE UNION
OF COMOROS (Fc14)。
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓞ Ⓘ Ⓕ COM。
■ コモロの位置
(英:THE COMORIAN (COMOROS’)
LOCATION) :
アフリカ東部、 インド洋の島。
■ コモロの国民
(英:THE NATIONAL(S) OF
COMOROS) :
コモロ人 。
(英:COMORIAN(S))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のコモロ (COM)。
■ 国の面積 : 約 2,240 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 754,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 337.4 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : モロニ 。 (Ca14)
(英:MORONI)。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ コモロ (英:COMOROS)は、 現在、ア
フリカ東部の島々 にある独立国 である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コモロの国名の別名は、 コモロ連合
(英:THE UNION OF COMOROS)
(Fc14) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コモロの位置 (英:THE COMORIAN
(COMOROS’) LOCATION) は、
アフリカ東部の、 インド洋の島 である。
■ コモロの国民 (英:THE NATIONAL(S)
OF COMOROS) は、 コモロ人
(英:COMORIAN(S)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
コモロ (英:COMOROS)の略称名
(略号コード)は、 Ⓞ Ⓘ Ⓕ COM
である。
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ (Hi34) コモロ簡略歴史一覧表。
○ 現在から過去へ。
■ 2001年 − 現在。
● コモロ連合 の統治。
○ 2001年から現在まで、
コモロ連合 (2001年−現在、英:THE
UNION OF COMOROS) (独立国)
が、 コモロ地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1975年 − 2001年。
● コモロ共和国 の統治。
○ 1975年から2001年まで、
コモロ共和国 (1975年−2001年、英:
THE REPUBLIC OF COMOROS)
(独立国) が、 コモロ地域 (英:THE
REGION OF COMOROS) を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1886年 − 1975年。
● フランス支配下のコモロ。
○ 1886年から1975年まで、
フランスが、 コモロ地域を支配する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コロンビア
■ コロンビア。
■ 名称 : コロンビア。
● 英名 : COLOMBIA。
■ 国名別名 : コロンビア共和国 (Fc14)。
● 英語 国名別名 : THE REPUBLIC
OF COLOMBIA (Fc14)。
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓞ Ⓘ Ⓕ COL。
■ コロンビアの位置
(英:THE COLOMBIAN (COLOMBIA’S)
LOCATION) :
南アメリカ。
■ コロンビアの国民
(英:THE NATIONAL(S) OF COLOMBIA) :
コロンビア人
(英:COLOMBIAN(S))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のコロンビア (COL)。
■ 国の面積 : 約 1,142,000 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 46,927,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 41.1 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : ボゴタ。 (Ca14)
(英:SANTA FE DE BOGOTA)。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ コロンビア (英:COLOMBIA) は、現在、
南アメリカ にある独立国 である。
■ コロンビアの国名の別名は、 コロンビア
共和国 (英:THE REPUBLIC OF
COLOMBIA) (Fc14) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コロンビアの位置 (英:THE COLOMBIAN
(COLOMBIA’S) LOCATION) は、
南アメリカ である。
■ コロンビアの国民 (英:THE NATIONAL(S)
OF COLOMBIA) は、 コロンビア人
(英:COLOMBIAN(S)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
コロンビア (英:COLOMBIA)の略称名
(略号コード)は、 Ⓞ Ⓘ Ⓕ COL である。
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
◆ コロンビアの歴史。
■ コロンビアの歴史に関しては、 「コロンビア
歴史ガイドブック」 も参照してください。
◆ (Hi37) コロンビア詳細歴史
一覧表。
○ 現在から過去へ。
■ 1886年 − 現在。
● コロンビア共和国 の統治。
○ 1886年から現在まで、
コロンビア共和国 (1886年−現在、英:THE
REPUBLIC OF COLOMBIA) が、 コロ
ンビア地域を 統治する。
○ 1903年に、パナマが、 コロンビア共和国
(1886年ー現在、英:THE REPUBLIC
OF COLOMBIA) から分離独立する。
● TKKI カナヤマ著 コロンビア史ガイドブック。
■ 1863年 − 1886年。
● コロンビア合衆国 の統治。
○ 1863年から1886年まで、
コロンビア合衆国 (1863−1886年、英:
THE UNITED STATES OF COLO-
MBIA) が、 コロンビア地域を 統治する。
● TKKI カナヤマ著 コロンビア史ガイドブック。
■ 1858年 − 1863年。
● グラナダ連合 の統治。
○ 1858年から1863年まで、
グラナダ連合 (1858−1863年、英:THE
GRANADINE CONFEDERATION) が、
コロンビア地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 コロンビア史ガイドブック。
■ 1831年 − 1858年。
● ヌエバ・グラナダ共和国 の統治。
○ 1831年から1858年まで、
ヌエバ・グラナダ共和国 ( 1831−1858年、
英:THE REPUBLIC OF NEW GRA-
NADA) が、 コロンビア地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 コロンビア史ガイドブック。
■ 1819年 − 1831年。
● グラン・コロンビア共和国 の統治。
○ 1819年から1831年まで、
グラン・コロンビア共和国 (1819−1831
年、 英:THE REPUBLIC OF GRAN
COLOMBIA) が、 コロンビア地域を統治
する。
○ コロンビア、パナマ、べネズエラ、エクアドル
の地域 (英:THE REGION OF
COLOMBIA,PANAMA,VENEZUELA,
AND ECUADOR) は、 1819年から
1822年までの間に、 スペイン軍と戦い、
勝利を収め、 グラン・コロンビア共和国を 構
成した。
1819年にコロンビアとパナマの地域は
グラン・コロンビア共和国を形成した。 18
21年にべネズエラがグラン・コロンビア共和
国に加わり、 1822年にエクアドルがグラ
ン・コロンビア共和国に加わった。
パナマは、1903年まで、コロンビアの一
部であった。
● TKKI カナヤマ著 コロンビア史ガイドブック。
○ 1830年に、べネズエラとエクアドルが、グ
ラン・コロンビアン共和国 (1819年〜1831
年、英:THE REPUBLIC OF GRAN
COLOMBIA) から分離独立する。
○ 1903年に、パナマが、 コロンビア共和国
(1886年ー現在、英:THE REPUBLIC
OF COLOMBIA) から分離独立する。
■ 1538年 − 1819年。
● スペイン領コロンビア
(スペイン支配下のコロンビア)。
○ 1538年から1819年まで、
スペイン王国 (1492ー1931年、英: THE
KINGDOM OF SPAIN) が、 コロンビ
ア地域 を支配する。
● TKKI カナヤマ著 コロンビア史ガイドブック。
■ − 1538年。
● 南米インディオの独立居住。
○ 1538年まで、
先住民(英:NATIVES)の南米インディオ
(英:SOUTH AMERICAN INDIANS)
が、 コロンビア地域に、独立して居住する。
● TKKI カナヤマ著 コロンビア史ガイドブック。
■ コンゴ共和国
■ コンゴ共和国。
■ 名称 : コンゴ共和国 。
● 英名 : THE REPUBLIC
OF CONGO (Fc14)。
■ 国名別名 : コンゴ (コンゴ共和国)、
コンゴ-ブラザビル。
● 英語 国名別名 : CONGO (THE
REPUBLIC OF CONGO) ;
CONGO-BRAZZAVILLE .
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓞ Ⓕ CGO,
Ⓘ COG。
■ コンゴ(コンゴ共和国)(:コンゴ-ブラザビル)
の位置
(英:THE CONGOLESE (CONGO’S)
(:THE REPUBLIC OF CONGO’S)
LOCATION) :
アフリカ中部(中央部)。
■ コンゴ(コンゴ共和国)(:コンゴ-ブラザビル)
の国民
(英:THE NATIONAL(S) OF CONGO
(THE REPUBLIC OF CONGO)
(:CONGO-BRAZZAVILLE)) :
コンゴ(コンゴ共和国)人。
(英:THE CONGOLESE (単複同形)
OF THE REPUBLIC OF CONGO
(:CONGO-BRAZZAVILLE))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のコンゴ共和国 (COG)。
■ 国の面積 : 約 342,000 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 4,140,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 12.1 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : ブラザビル。 (Ca14)
(英:BRAZZAVILLE)。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ コンゴ共和国 (英:THE REPUBLIC
OF CONGO) (Fc14) は、現在、
アフリカ中部にある独立国 である。
■ コンゴ共和国の国名の別名は、 コンゴ
(コンゴ共和国) (英:CONGO (THE
REPUBLIC OF CONGO)、
コンゴ (ブラザビル) (英:CONGO-
BRAZZAVILLE) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コンゴ(コンゴ共和国)(:コンゴ-ブラザビル)
の位置 (英:THE CONGOLESE
(CONGO’S) (:THE REPUBLIC OF
CONGO’S) LOCATION) は、
アフリカ中部(中央部) である。
■ コンゴ(コンゴ共和国)(:コンゴ-ブラザビル)の
国民 (英:THE NATIONAL(S) OF
CONGO (THE REPUBLIC OF CONGO )
(:CONGO-BRAZZAVILLE)) は、
コンゴ(コンゴ共和国)人
(英:THE CONGOLESE (単複同形)
OF THE REPUBLIC OF CONGO
(:CONGO-BRAZZAVILLE)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
コンゴ共和国 (英:THE REPUBLIC
OF CONGO)の略称名(略号コ ード)は、
Ⓞ Ⓕ CGO,Ⓘ COG である。
● 英語 国名別名 : CONGO (THE
REPUBLIC OF CONGO,
THE REPUBLIC OF CONGO)。
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ (Hi34) コンゴ共和国(コンゴ-
ブラザビル) の簡略歴史一覧表。
○ 現在から過去へ。
■ 1991年 − 現在。
● コンゴ共和国 の統治。
○ 1991年から現在まで、
コンゴ共和国 (独立国) (1991年−現在、
英:THE REPUBLIC OF CONGO) が、
コンゴ-ブラザビル(コンゴ共和国)地域を統
治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1970年 − 1991年。
● コンゴ人民共和国 の統治。
○ 1970年から1991年まで、
コンゴ人民共和国 (独立国) (1970−
1991年、英:THE PEOPLE’S
REPUBLIC OF CONGO) が、 コンゴ
-ブラザビル(コンゴ共和国)地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1960年 − 1970年。
● コンゴ の統治。
○ 1960年から1970年まで、
コンゴ (1960−1970年、英:CONGO)
(独立国)が、 コンゴ-ブラザビル(コンゴ共和
国)地域を統治する。
○ 1960年に、 コンゴ-ブラザビル(コンゴ共和
国)地域 は、フランスより、独立する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1885年 − 1960年。
● フランス支配下のコンゴ-ブラザビル。
○ 1885年から1960年まで、
フランスが、 コンゴ-ブラザビル(コンゴ共和
国)地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ − 1885年。
● アフリカ黒人の独立居住。
○ 1885年まで、
先住民のアフリカ黒人が、 コンゴ-ブラザビ
ル(コンゴ共和国)地域に、 独立して居住す
る。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
#thedemocraticrepublicofthecongo
■ コンゴ民主共和国
(こんごみんしゅきょうわこく)。
■ コンゴ民主共和国。
■ 名称 : コンゴ民主共和国。
● 英語名 :THE DEMOCRATIC REPUBLIC
OF THE CONGO (Fc14))。
■ 国名別名 : コンゴ (コンゴ民主共和国);
コンゴ (キンシャサ)。
● 英語 国名別名 : CONGO (THE
DEMOCRATIC REPUBLIC OF THE
CONGO) ; CONGO-KINSHASA。
■ 別名(旧名) : ザイール (英:ZAIRE)。
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓞ Ⓘ Ⓕ COD。
■ コンゴ(コンゴ民主共和国) (:コンゴ(キンシャ
サ))の位置
(英:THE CONGOLESE (CONGO’S)
(:THE DEMOCRATIC REPUBLIC OF
THE CONGO’S) LOCATION) :
アフリカ中部(中央部)。
■ コンゴ(コンゴ民主共和国)(:コンゴ(キンシャ
サ))の国民
(英:THE NATIONAL(S) OF CONGO
(THE DEMOCRATIC REPUBLIC OF
THE CONGO) (:CONGO-KINSHASA)) :
コンゴ(コンゴ民主共和国)人 。
(英:THE CONGOLESE (単複同形)
OF THE DEMOCRATIC REPUBLIC
OF THE CONGO) (:CONGO-
KINSHASA))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のコンゴ民主共和国 (COD)。
■ 国の面積 : 約 2,345,000 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 67,758,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 28.9 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : キンシャサ。 (Ca14)
(英:KINSHASA)。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ コンゴ民主共和国 (英:THE DEMO-
CRATIC REPUBLIC OF THE
CONGO (Fc14)) は、 現在、アフリカ
中部 にある独立国 である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コンゴ民主共和国の別名は、 コンゴ (コ
ンゴ民主共和国) (英:CONGO (THE
DEMOCRATIC REPUBLIC OF THE
CONGO)) ; コンゴ (キンシ サ) (英:
CONGO-KINSHASA) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コンゴ民主共和国の別名(旧名)は、 ザイ
ール (英:ZAIRE) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ コンゴ(コンゴ民主共和国)(:コンゴ(キンシ
ャサ))の位置 (英:THE CONGOLESE
(CONGO’S) (:THE DEMOCRATIC
REPUBLIC OF THE CONGO’S)
LOCATION) は、 アフリカ中部(中央部)
である。
■ コンゴ(コンゴ民主共和国)(:コンゴ(キンシ
ャサ))の国民 (英:THE NATIONAL(S)
OF CONGO (THE DEMOCRATIC
REPUBLIC OF THE CONGO)
(:CONGO-KINSHASA)) は、
コンゴ(コンゴ民主共和国)人
(英:THE CONGOLESE (単複同形)
OF THE DEMOCRATIC REPUBLIC
OF THE CONGO) (:CONGO-
KINSHASA)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
コンゴ民主共和国 (英:CONGO (THE
DEMOCRATIC REPUBLIC OF THE
CONGO (Fc14)) の略称名 (略号コ
ード)は、 Ⓞ Ⓘ Ⓕ COD である。
● 英語国名 : CONGO (THE
DEMOCRATIC REPUBLIC OF
THE CONGO).
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ (Hi34) コンゴ民主共和国(:コン
ゴ-キンシャサ)の簡略歴史一覧表。
■ 1997年 − 現在。
● コンゴ民主共和国 の統治。
○ 1997年から現在まで、
コンゴ民主共和国 (1997年−現在、コン
ゴ-キンシャサ、英:THE DEMOCRATIC
REPUBLIC OF THE CONGO) が、
コンゴ-キンシャサ(コンゴ民主共和国)地域
を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1971年 − 1997年。
● ザイール共和国 の統治。
○ 1971年から1997年まで、
ザイール共和国 (1971−1997年、コン
ゴ-キンシャサ、英:THE REPUBLIC OF
ZAIRE) が、 コンゴ-キンシャサ(コンゴ民
主共和国)地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1967年 − 1971年。
● コンゴ民主共和国 の統治。
○ 1967年から1971年まで、
コンゴ民主共和国 (1967−1971年、コン
ゴ-キンシャサ、英:THE DEMOCRATIC
REPUBLIC OF THE CONGO) が、
コンゴ-キンシャサ(コンゴ民主共和国)地域
を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1960年 − 1967年。
● コンゴ共和国 の統治。
○ 1960年から1967年まで、
コンゴ共和国 (独立国) (1960−1967
年、コンゴ-キンシャサ、英:THE REPUB-
LIC OF THE CONGO) が、 コンゴ-
キンシャサ(コンゴ民主共和国)地域を統治
する。
○ 1960年に、 コンゴ-キンシャサ(コンゴ民
主共和国)地域は、 ベルギーから、独立す
る。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 1885年 − 1960年。
● ベルギー支配下のコンゴ-キンシャサ。
○ 1885年から1960年まで、
ベルギーは、 コンゴ-キンシャサ(コンゴ民
主共和国)地域を統治する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ − 1885年。
● アフリカ黒人の独立居住。
○ 1885年まで、
先住民のアフリカ黒人が、 コンゴ-キンシャ
サ(コンゴ民主共和国)地域に、 独立して
居住する。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
#themixedracialpeoplesoftheworld
■ 混血民族系諸族
(こんけつみんぞくけいしょぞく)。
■ 混血民族系諸族。
■ 名称 : 混血民族系諸族
(こんけつみんぞくけいしょぞく)。
■ 英語名 : THE MIXED RACIAL
■ 《民族》。
■ 混血民族系諸族。
<民族。
● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 51027。
■ 混血民族系諸族 (こんけつみんぞくけいしょぞ
く) は、 混血民族系諸語を母国語とする民族
である。
● 混血民族系諸族 (英:THE MIXED RACIAL
PEOPLES OF THE WORLD) は、 混血
民族系諸語 (英: THE MIXED RACIAL
PEOPLES’ LANGUAGES OF THE
WORLD ; THE LANGUAGES OF THE
MIXED RACIAL PEOPLES OF THE
WORLD) を母国語とする民族 (英: THE
ETHNIC GROUP) である。
■ 混血民族系諸族は、 南北アメリカ・混血民族系
諸族のムラート、メスティソ等 や その他の世界
各地の混血民族系諸族である。
□ 世界史 辞典 の先頭ページへ 。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上