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◆ カナヤマ世界の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S WORLD HISTORY 

   HANDBOOK

 

 

 カナヤマ

 世界歴史辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 え 』。

 

 

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メ ニュー (目次)。  

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

 

□ 世界史辞典 (総合) 

          

□      ● 五十音順 (アイウエオ順)。

 

 □ 見出し語 えか

 □ 見出し語 えさ

 □ 見出し語 えた

 □ 見出し語 えら

 

 

 

 えい  英語

            (えいご)。

            (現存使用語)。 《言語》。  

            ENGLISH 

            THE ENGLISH 

          LANGUAGE

                  ■ 英語。 

             <西ゲルマン語 (= 西ゲルマン系諸語)。

             <ゲルマン語 (= ゲルマン系諸語)。

             <インド・ヨーロッパ語族

             (= インド・ヨーロッパ系諸語)。

              <言語。

                  ■ 英語 (えいご、英:THE ENGLISH 

            LANGUAGE) は、 インド・ヨーロッパ

            系諸語(= インド・ヨーロッパ語族)の、ゲ

            ルマン語(= ゲルマン系諸語の、西ゲル

            マン語(= 西ゲルマン系諸語の1つであ

            り、 現存使用語 である。

                  ● 英語は、アングロ・サクソン人(アング

            ロ・サクソン民族)の母国語として使用さ

            れている。

                  ● 英語は、 アメリカ合衆国、イギリス 、

            カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、

            その他のアングロ・サクソン人(アングロ・

            サクソン民族)が居住する地で、母国語と

            して使用されている。

            ● 英語は、 アメリカ合衆国・イギリス(米・

            英) 及び、 米・英の旧領土・占領地、 旧

            米・英友好国、 現米・英の友好国、 現米・

            英属領領土・占領地で、 多かれ少なかれ、

            理解される。

            ● 英語は、 フランス語、スペイン語、ロ シ

            ア語と並んで、 英・仏・西・露語の現代世界

            人類共通国際語の1つとして、世界各地で使

            用されている。

            ■ 英語の文字(ラテン文字)の歩み。 

            古代エジプトの神聖文字(= ヒエログリフ)

             ⇒ (前13C)フェ二キア文字 

             ⇒ (前11C)古代ギリシア文字 

             ⇒ (前7C)ラテン文字。

            ● 英語の文字であるラテン文字では、紀

            元前3000年頃に誕生した古代エジプトの

            神聖文字(= ヒエログリフ)を、紀元前13世

            紀頃に、フェニキア人が簡素化してフェニキ

            ア文字をつくり、 紀元前11世紀頃に、古

            代ギリシア人がフェニキア文字を変化させ

            てギリシア文字をつくり、 紀元前7世紀頃

            に、古代ローマ人がギリシア文字を変化さ

            せてラテン文字をつくった。

         (⇒ 英会話ブック)。 

         (⇒ 多国語会話ハンドブック)。 

         (⇒ 世界の言語 (概要))。 

          (⇒ アングロ・サクソン人)。

          (⇒ ゲルマン人

          (= ゲルマン系諸族 ))。

          (⇒ インド・ヨーロッパ系諸族)。

         (⇒ 世界の民族 (概要))。 

          (⇒ イギリスの歴史)。

          (⇒ イギリス歴史ガイドブック)。

          (⇒ アメリカ合衆国の歴史)。

          (⇒ アメリカ合衆国歴史ガイド

          ブック)。

 

 えい  英語通用圏。

            (えいごつうようけん)。

         (= 英語母国語・第一外国語地域)。

            (英語)。 《言語》。  

            THE ENGLISH USING AREAS.

       (⇒ 英語)。

                   ■ 英語通用圏 (えいごつうようけん)とは、 

             英語を、母国語、または、第一外国語 とす

             る地域 である。 

             ● 第1外国語とは、 ある1つの地域で、最 

             も理解される (最も知られている、または、

             最も使われている) 外国語である。

                   ■ 英語母国語地域は、 アメリカ合衆国本土・

             アラスカ、イギリス本土、アイルランド、カナダ、

             オーストラリア、ニュージーランド などである。

             ■ 英語・第1外国語地域は、 現・旧英米領

             アジア・アフリカ・中南米・太平洋地域、 ヨー

             ロッパ・アジア・アフリカ・南北アメリカ・太平洋

             地域の一部の地域、 などの地域である。

                   ■ 日本は、 英語を第一外国語とする地域な

             ので、英語通用圏である。

         (⇒ 英会話ブック)。 

         (⇒ 多国語会話ハンドブック)。 

         (⇒ 世界の言語 (概要))。 

          (⇒ アングロ・サクソン人)。

          (⇒ ゲルマン人

          (= ゲルマン系諸族 ))。

          (⇒ インド・ヨーロッパ系諸族)。

         (⇒ 世界の民族 (概要))。 

          (⇒ イギリスの歴史)。

          (⇒ イギリス歴史ガイドブック)。

          (⇒ アメリカ合衆国の歴史)。

          (⇒ アメリカ合衆国歴史ガイド

          ブック)。

 

 えい  英語の出現。

             (えいごのしゅつげん)。

          (西ゲルマン語)。 《言語》。

          (11世紀ー12世紀)。 

             THE APPEARANCE OF ENGLISH.

           ○ イギリスのイングランド地域

          で、 ノルマン朝時代(1066ー

          1154年)に、英語が誕生する。

           ○ 英語は、アングロ・サクソン

          語、中世フランス語、ラテン語な

          どが混合して形成される。

           (⇒ 英語)。

           (⇒ ノルマンの征服)。

            (⇒ イギリスの歴史)。

            (⇒ イギリス歴史ガイドブック)。

            (⇒ フランスの歴史)。

            (⇒ フランス歴史ガイドブック)。

           (⇒ 英会話ブック)。 

           (⇒ 多国語会話ハンドブック)。 

             ■ 英語の出現  (えいごのしゅつげん、

             11世紀ー12世紀、英:THE APPEA-

             RANCE  OF ENGLISH) では、 ノル

             マン人のイギリ スのイングランド征服後、

             イギリスのイングランド地域で、ノルマン朝

             時代(1066ー1154年)に、英語が 誕生

             する。

             ■ 英語は、  紀元(後)11〜12世紀に、

             イギリスのイングランド地域で、 主に、西

             ゲルマン語のアング ロ・サクソン語、中世フ

             ランス語、ラテン語などが混合(合成)して、

             つくられた(形成された)。

             ■ 12世紀に、英語が誕生。

             ● 中世フランス語を公用語としたノル

             マン朝の ノルマン人のイングランド征

             服後、 イングランド地域のアングロ・

             サクソン人は、 フランス語 とアングロ・

             サクソン語とラテン語の混じった言葉、

             即ち、英語を、12世紀には使うようにな

             り、ここに、「英語」が誕生する。

             ■ ノルマンの征服。

             ● 北フランス移住のノルマン人のイギリ

              スのイングランド地域征服後、征服者の

             ノルマン人たちは、 北フランスに長年住

             み、フランス化し、フランス語を使ってい

             たので、フランス語を、イングランドの公

             用語とする。

             ● ノルマン朝時代に、英語が出現する。 

             イギリスのノルマン朝時代に、 イングラ

             ンド地方に住むアングロ・サクソン人は、 

             家庭で、アングロ・サクソン語を話し、 

             公式の場や仕事では、公用語のフランス

             語を使い、 キリスト教会では、ラテン語

             を使い、言語の三重生活を送る。 そして、

             アングロ・サクソン語、フランス語、ラテン

             語がミックスされて、12世紀に、イングラ

             ンドで、英語(中世英語)が出現する。

 

 えい  英国。

              (えいこく)。 《国名》。

           (= イギリス)。

          BRITAIN, U.K.(THE 

          UNITED KINGDOM).

          (⇒ イギリス)。

               (⇒ 世界現存各国

                  (約200カ国)リスト)。

             ■ 英国 (えいこく、= イギリス、英:

             BRITAIN) とは、 イギリスである。

 

 えい  英国国教会。

             (えいこくこくきょうかい)。 《キリスト教》。

                    (= イギリス国教会、聖公会、

          (宗派名)英国教会派、監督派)。

          (キリスト教・プロテスタントの一派)。 

          (宗派グループ)。

          (宗教学上の分類)。

          THE ANGLICAN CHURCH. 

              (英:THE ANGLICAN CHURCH, 

              THE EPISCOPAL (EPISCOPA-

              LIAN) CHURCH, THE CHURCH 

             OF ENGLAND)。

          (⇒ ヘンリー8世)。

          (⇒ キリスト教)。

          (⇒ 宗教内グループ宗教)。

          (⇒ イギリスの歴史

          イギリス歴史ガイドブック)。

             ■ 英国国教会 (えいこくこくきょうかい、 

              英:THE ANGLICAN CHURCH, 

              THE EPISCOPAL (EPISCOPA-

              LIAN) CHURCH, THE CHURCH 

             OF ENGLAND) は、 キリスト教のプ

             ロテスタントの一派であり、 英国国教会、

             聖公会、 (宗派名)英国教会派、監督派

             とも称する。

                           ■ 英国国教会  (= イギリス国教会、聖

             公会) は、現在、イギリス、カナダ、オー

             ストラリア、その他イギリスの旧植民地に

             信徒が多い。

             ■ 英国国教会 (= イギリス国教会、聖

             公会) は、 イギリスのイングランド国王・

             ヘンリー8 世が成立させた、キリスト教・プ

             ロテスタントの一派の宗教である。

             ● 英国国教会 (= イギリス国教会、聖

             公会) は、 イギリスのイングランド国王・

             ヘンリー8世が、 政治的・経済的理由によ

             り、1534年に、首長令により、ローマ・カ

             トリック教会から分離独立して成立させた

             キリスト教・プロテスタントの一派である。

 

 えい  英雄伝。 

            (えいゆうでん)。 《史料、歴史資料》。

         ○ 別名: 対比列伝(たいひれつでん)

         ○ 著者: プルタルコス(プルターク)。

         ○ 紀元(後)2世紀に成立。 

         ○ 古代エジプトのクレオパトラ7世

          を知る貴重な史料。

       (⇒ 世界史・第一級史料

             リスト)。

            ■ 英雄伝 (えいゆうでん)は、 別名は対

            比列伝 (たいひれつでん)といい、 古代ギ

            リシアのプルタルコス(プルターク) (英:

            Plutarchos、生没年:紀元(後)46年ー

            120年頃)が著作し、紀元(後)2世紀に成

            立した書物である

            ■ 英雄伝 (= 対比列伝)は、 古代の地中

            海地域 (ヨーロッパ南部、 アジア西部、アフ

            リカ北部)を知る貴重な史料である。

            ■ ローマ帝政前期のギリシアの伝記作家

            のプルタルコスは、英雄伝 (= 対比列伝)で、

            古代ギリシア・ローマの歴史上の人物46人

            23組を対比し、比較、論評した。 また、その

            中で、古代エジプトのクレオパトラ7世も登場し、

            彼女を知る貴重な史料となっている。

 

 えい  英領。

             (えいりょう)。 《領土名》。

                     (= イギリス(英吉利)領、英国領)。

          THE BRITISH TERRITORY.

                    (⇒ イギリス)。

             ■ 英領 (えいりょう、英:THE BRITISH 

             TERRITORY) とは、 イギリス(英吉利)

             領、英国領である。

 

 えい  領バージン諸島 。 

             (えいりょうばーじんしょとう)。

                    (= イギリス領バージン諸島)。

          (現存領土)。 《領土名》。

          BRITISH VIRGIN ISLANDS.

       (⇒ イギリス領バージン

        諸島)。

             ■ 英領バージン諸島  (えいりょうばー

             じんしょとう、英:BRITISH VIRGIN 

             ISLANDS) とは、 イギリス領バージン

             諸島である。

 

〇 えヴ  エヴァンズ。

          (= エバンズ)。 《人名》。 

            (1851年−1941年)。

          Arthur EVANS.

          ○ イギリスの考古学者。

          ○ クレタ文明 (= ミノス文明、

                     エーゲ文明の1つ) の発見者。  

          (⇒ エーゲ文明

              エヴァンズ (= エバンズ、1851年−

             1941年、英:Arthur EVANS) は、 

             イギリスの考古学者であり、 1900年か

             ら1908年まで、ギリシアのクレタ島で、

             クノッソス宮殿などの発掘調査を行い、

             クレタ文明 (= ミノス文明、エーゲ文明の

             1つ) を発見する。

 

 えー  エーゲ文明

             (えーげぶんめい)。

          (ヨーロッパ古代文明)。《文明》。 

          (= クレタ文明 (= ミノス文明)、

                    トロヤ文明、ミケーネ文明など

          の文明)。

          (紀元前2600年頃ー前1200年

                    頃)。

          THE AEGEAN CIVILIZATION.

             ■ エーゲ文明 (えーげぶんめい、紀元前

             2600年頃ー前1200年頃、 英:THE                   

             AEGEAN CIVILIZATION) とは、 クレ

                        タ文明 (= ミノス文明)、 トロヤ文明、 ミケ

             ーネ文明(古代ギリシア人文明の1つ) など

             である。

             ● エーゲ文明 (えーげぶんめい、英:THE 

             AEGEAN CIVILIZATION) は、 紀元

             前2600年頃から前1200年頃まで、古代

             ヨーロッパの、エーゲ海地域を中心に栄え 

             た文明である。

             ● エーゲ文明は、 古代ヨーロッパ文明の

             1つであり、 オリエント文明(エジプト・西ア

             ジア文明)の影響を受けて誕生した青銅器

             文明である。

             ● エーゲ文明の前期には、 クレタ文明

             (= ミノス文明)が栄え、 後期には、ミケー

             ネ文明(古代ギリシア人文明の1つ)が栄

             えた。

             ■ エーゲ文明の最後に栄えた、ミケーネ

             文明は、 紀元前1200年頃に、消滅した。 

             原因は不明である。 これ以後、エーゲ海

             地域の、古代ギリシアは、 暗黒時代(

             元前1200年頃ー前800年頃) に入る。

 

 えー  エール。

          (= アイルランド)。

          (現存独立国)。 《国名》。

             EIRE.

              (⇒ アイルランド)。

          ○ アイルランド( 英:IRELAND

          の別名。

             ■ エール (= アイルランド、英:EIRE

             は、 アイルランド( 英:IRELAND)の

             別名である。

 

#eka

 

 えく   エクアドル

          (現存独立国)。 《国名》。

          ECUADOR

          国名略号:    ECU。  

             ● 国名: エクアドル

             ● 英語国名:  ECUADOR 

             ● エクアドルの位置 

              (英:THE  ECUADORIAN 

             (ECUADOR’S)  LOCATION) : 

             南アメリカ。

             ● エクアドルの国民 

             (英:THE NATIONAL(S) OF 

                          ECUADOR) :

             エクアドル人 

                          (英:ECUADORIAN(S)

             ● エクアドルの概要や歴史の簡略表

                          記載。

          (⇒ 南アメリカ)。 

          (⇒ 中南米)。 

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国各国(約200

          カ国)リスト)。

              (⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。

 

 えぐ  エグバート。  

          《人名》。

          (イギリスのイングランド国王)。 

          (イングランド王国の国王在位:

          829年ー839年)。

          (生没年:紀元(後)769年また

          は771年ー839年)。

                  EGBERT.

          ○ イングランド王国の成立者。

                    ○ アングロ・サクソン人の国王。

               (⇒ イギリスの歴史)。

                          ■ エグバート イングランド王国の王在

             位:829年ー839年、生没年:紀元(後)

             769年または771年ー839年、英:

              Egbert) は、 イギリスのイン グランド

             国王であり、 アングロ・サクソン 人の国

             王である。

             ■ イングランド王国の成立の有力な説

             には、 エグバートのイングランド統一の

             829年の説 と、 アゼルスタンのイング

             ランド統一の927年の説がある。

                            エグバート、または、アゼルスタンは、 

             イングランド王国 (紀元(後)829年また

             は927年ー1649年、1660年ー1707

             年) の成立者である。

             ■ 829年に、サクソン系の、ウェセック

             ス王国の王・エグバートが、 イングランド

             地域を統一する。

                         ■ エグバート (生没年:769年または

             771年ー839年、英:Egbert) は、アン

             グロ・サクソン七王国の1つ、サクソン系

             ウェセックス王国の王 (在位 :802年

             ー839年) であった。

 

#esa

 

 えじ  エジプト

          (現存独立国)。 《国名》。

          EGYPT

          国名略号:   EGY。 

             ● 国名: エジプト

             ● 英語国名:  EGYPT

              エジプトの位置 

             (英:THE  EGYPTIAN 

             (EGYPT’S) LOCATION) : 

             アフリカ北部。

              エジプトの国民 

             (英:THE NATIONAL(S) OF 

                           EGYPT) :

             エジプト人 

                          (英:EGYPTIAN(S)

             ● エジプトの概要や歴史の簡略表

                          記載。

          (⇒ アフリカ北部)。

          (⇒ アフリカ) 。 

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国各国(約200

          カ国)リスト)。

              (⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。

                    (⇒ 古代エジプト)。

                    (⇒ エジプト歴史ガイドブック)。

                    (⇒ エジプトの歴史)。

 

 えじ  エジプト人。

             (えじぷとじん)。 《住民》。 

          (エジプトの住民)。 

          EGYPTIAN(S).

                    (⇒ 古代エジプト)。

                    (⇒ エジプト歴史ガイドブック)。

                    (⇒ エジプトの歴史)。

              エジプト人 (えじぷとじん、英:EGYP-

             TIAN(S))とは、 エジプトの住民であり、

                            現代エジプト人と古代エジプト人とは異なる。

              現代エジプト人は、 セム系諸族の一

              派のアラブ人であり、アラビア半島からの

             植民者の子孫であり、  古代エジプト人は、

                 エジプト先住民の常住民(原住民)であり、

             ハム系諸族の一派である。

 

 えじ  エジプトの歴史 。

            (えじぷとのれきし)。

         (エジプト史)。 《各国史》。

          THE HISTORY OF EGYPT.

            (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

       (⇒ エジプトの歴史)。

          (⇒ 古代エジプト)。

             (⇒ 世界各国の歴史)。

                          (⇒ 世界・各国史ガイドブック)。

 

 えじ  エジプトの歴史

             (えじぷとのれきし) 。

          (エジプト史)。 《各国史》。

          THE HISTORY OF EGYPT.

             (⇒ エジプト歴史ガイドブック)。

          (⇒ 古代エジプト)。

             (⇒ 世界各国の歴史)。

 

〇 えじ  エジプト歴史ガイドブック

            (えじぷとれきしがいどぶっく)。 (詳細) 。

          (エジプト史)。 《各国史》。

          THE EGYPTIAN HISTORY 

          GUIDEBOOK

          ○ エジプトの歴史の総合ガイド

          ブック。

          (⇒ 古代エジプト)。

                         (⇒ エジプトの歴史)。

                         (⇒ 世界・各国史ガイドブック)。

 

 えじ  エジプト・アラブ共和国。

            (えじぷと・あらぶきょうわこく)。 《国名》。

         (エジプトの現存独立国)。

           (1971年ー現在)。

         THE ARAB REPUBLIC OF EGYPT.

                   (⇒ エジプト)。

            (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

       (⇒ エジプトの歴史)。

             エジプト・アラブ共和国 (えじぷと・あらぶ

            きょうわこく、英:THE ARAB REPUBLIC 

            OF EGYPT)は、 1971年から現在まで、

             エジ プトを統治している、現代 エジプト人政

             権の、独立共和国である。

 

 えじ  エジプト共和国。 

            (えじぷときょうわこく)。 《国名》。

         (エジプトの旧存在国)。 

                   (1953年 ー1958年)。

         THE REPUBLIC OF EGYPT.

                   (⇒ エジプト)。

            (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

       (⇒ エジプトの歴史)。

            ■ エジプト共和国 (えじぷときょうわこく、

            英:THE REPUBLIC OF EGYPT)

            は、 1953年から1958年まで、エジプト

            統治した、現代エジプト人政権の、独立共

            和国である。

 

 えじ  エジプト王国。

             (えじぷとおおこく)。 《国名》。

          (エジプトの旧存在国)。  

          (= 現代エジプト王国)。

                    (1922年ー1953年)。

             THE KINGDOM OF EGYPT.

                   (⇒ エジプト)。

            (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

       (⇒ エジプトの歴史)。

           ■ エジプト王国 (えじぷとおおこく、= 現

             代エジプト王国、THE KINGDOM OF 

             EGYPT) は、 1922年から1953年まで、

             エジプトを統治した、現代エジプト人政権の、

             独立王国である。 

 

 えじ  エジプト藩王国。

             (えじぷとはんおうこく)。

          (エジプトの旧存在国)。 《国名》。 

          (アリー朝、1811年ー1882年)。

             THE KHEDIVATE OF EGYPT

             OF THE ALI DYNASTY.

                   (⇒ エジプト)。

            (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

       (⇒ エジプトの歴史)。

              エジプト藩王国 (えじぷとはんおうこく、

             アリー朝、1811年ー1882年、英:THE 

             KHEDIVATE OF EGYPT OF THE 

             ALI DYNASTY) は、 ムハンマド・アリ

             ー(1769年ー1849年)がエジプトに成立

             させた、近代エ ジプト人政権の、独立藩王国

             である。

 

 えじ  エジプト文明。

             (えじぷとぶんめい)。

          (= 古代エジプト文明)。

          (エジプトの文明)。 《文明》。 

                       THE EGYPTIAN CIVILIZATION.

          ○ 紀元前3100年頃、エジプト

          で古代文明が起こる。

                    (⇒ 古代エジプト)。

             (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

        (⇒ エジプトの歴史)。

                         ■ エジプト文明 (えじぷとぶんめい、

             = 古代エジプト文明、THE EGYPTIAN 

             CIVILIZATION) が、  紀元前3100年

             頃に起こる。

 

 えじ  エジプト王国

             (えじぷとおおこく)。

          (= 古代エジプト王国)。

          (エジプトの旧存在国)。 《国名》。 

          (紀元前3100年頃ー前332年)。

          (第1王朝ー第31王朝)。

             THE KINGDOM OF EGYPT.

                    (⇒ 古代エジプト)。

             (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

        (⇒ エジプトの歴史)。

             ■ エジプト王国 (えじぷとおおこく、=

             古代エジプト王国、第1王朝ー第31王朝、

             紀元前3100年頃ー前332年、英:THE 

             KINGDOM OF EGYPT) は、 紀元

             前3100年頃から前332年まで、古代エ

             ジプトに存在した王国であり、 エジプト

             第1王朝から第31王朝まで、31の王朝が

             存在した。

 

 えじ   エジプト新王国。

                          (えじぷとしんおおこく)。

          (エジプトの旧存在国)。 《国名》。 

             紀元前1567年頃 ー前1085年

          頃)。

          ○ エジプト第18王朝からエジプ

          ト第20王朝までの王国。

          ○ 新王国で、アクエンアテン、ツ

          タンカーメン、ラムセス2世などの

          王が出現した。

                    (⇒ 古代エジプト)。

             (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

        (⇒ エジプトの歴史)。

             ■ エジプト新王国 (えじぷとしんおおこく、

             エジプト第18ー20王朝、紀元前1567年

             頃ー前1085年頃)は、紀元前1567年頃

             から前1085年頃まで、古代エジプトに存

             在した王国であり、 エジプト第18王朝から

             第20王朝まで、3つの王朝が存在した。

             ■ エジプト新王国では、 アクエンアテン、

             ツタンカーメン、ラムセス2世 などの王が

             出現した。

 

 えじ  エジプト中王国。

             (えじぷとちゅうおおこく)。

          (エジプトの旧存在国)。 《国名》。 

              紀元前2040年頃 ー前1786年

          頃)。

          ○ エジプト第11王朝からエジプ

                     ト第12王朝までの王国。

                    (⇒ 古代エジプト)。

             (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

        (⇒ エジプトの歴史)。

              ■ エジプト中王国 (えじぷとちゅうおおこ

             く、エジプト第11ー12王朝、紀元前2040

             年頃ー前1786年頃) は、 紀元前2040

             年頃から前1786年頃まで、古代エジプト

             に存在した王国であり、 エジプト第11王

             朝から第12王朝まで、2つの王朝が存在

             した。

 

 えじ  エジプト古王国。

             (えじぷとこおおこく)。

          (エジプトの旧存在国)。 《国名》。 

             (紀元前2686年頃ー前2181年

          頃)。

          ○ エジプト第3王朝からエジプト

          第6王朝までの王国。

                    (⇒ 古代エジプト)。

             (⇒ エジプト歴史ガイド

             ブック)。

        (⇒ エジプトの歴史)。

              ■ エジプト古王国 (えじぷとこおおこく、

             エジプト第3ー6王朝、紀元前2686年頃

             ー前2181年頃) は、 紀元前2686年

             から2181年頃まで、古代エジプトに

             存在した王国であり、 エジプト第3王朝か

             ら第6王朝まで、4つの王朝が存在した。

 

 えす  SI。

             (えすあい)。 (= 国際単位系)。

          (単位)。 《国際度量衡》。

          Le ystème nternational 

          d’Unités.

             (⇒ 国際単位系)。

             ■ SI (えすあい)とは、 国際単位系の

             略称であり、フランス語の、Le ystème 

             nternational d’Unités の略称で あり、

                          国際単位系という意味である。

 

 えす  エストニア

          (現存独立国)。 《国名》。

          ESTONIA

          国名略号:   EST

             ● 国名: エストニア。

             ● 英語国名:  ESTONIA 

              エストニアの位置 

              (英:THE  ESTONIAN 

             (ESTONIA’S) LOCATION) : 

             ヨーロッパ北東部、 バルト3国の1つ。

              エストニアの国民 

             (英:THE NATIONAL(S) OF 

                          ESTONIA) :

             エストニア人 

                          (英:ESTONIAN(S)

             ● エストニアの概要や歴史の簡略表

                          記載。

          (⇒ ヨーロッパ北東部)。

          (⇒ ヨーロッパ) 。 

          (⇒ 欧米)。

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国各国(約200

          カ国)リスト)。

              (⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。

 

 えす  S.P.Q.R.

             (えす・ぴー・きゅー・あーる)。

          (= 元老院ならびにローマ市民)。

           《古代ローマ》。

          (⇒ 古代ローマ)。

             ■ S.P.Q.R. (えす・ぴー・きゅー・あ

             ーる) とは、「元老院ならびにローマ市民 」

             という意味である。

             ● 共和政、帝政前・中期の古代ローマ市

             民は、 古代ローマ国家を、 S.P.Q.R.

             と表した。 

             ● S.P.Q.R.は、 共和政、帝政前・中

             期の古代ローマの政治権力を、元老院とロ

             ーマ市民が握っていたことを象徴する言葉

             である。

 

#eta

 

 えち  エチオピア 

          (現存独立国)。 《国名》。

          ETHIOPIA

          国名略号:   ETH。 

             ● 国名: エチオピア

             ● 英語国名:  ETHIOPIA

              エチオピアの位置 

             (英:THE  ETHIOPIAN 

             (ETHIOPIA’S) LOCATION) : 

             アフリカ北東部。

              エチオピアの国民 

             (英:THE NATIONAL(S) OF 

             ETHIOPIA) :

             エチオピア人 

            (英:ETHIOPIAN(S)

             ● エチオピアの概要や歴史の簡略表

                          記載。

          (⇒ アフリカ北東部)。

          (⇒ アフリカ) 。 

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国各国(約200

          カ国)リスト)。

              (⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。

 

 えと  エトルリア人。

            (えとるりあじん)。

          (消滅民族)。 《民族》。 

          ETRUSCAN(S).

         (⇒ イタリアの歴史

       代ローマ)。

             エトルリア人 (えとるりあじん、英:

            ETRUSCAN(S))  は、 古代イタリアで、

            イタリア半島の中部・北部に定住していた

            民族である。

             古代イタリア人のローマ人は、 エトル

            リア人の文化を吸収し発展した。 

               エトルリア人は、軍事力で勝る古代

            イタリア人のローマ人に滅ばされた。

 

 えど  エドワード懺悔王。

             (えどわーどざんげおう)。

          (イギリスの国王)。 《人名》。 

             EDWARD THE CONFESSOR.

                      (イングランド王在位:1042年ー

                    1066年)。

                      (生没年:1002年頃ー1066年)

                    ○ エドワード懺悔王は、

          イギリスの、イングランド王国

          のアングロ・サクソン人の国王

               (王在位:1042ー1066年)

                    ○ エドワード懺悔王は、

          キリスト教の聖人の1人である。

         (⇒ イギリスの歴史)。

                       ○ エドワード懺悔王は、

          イギリスに英語を誕生させる

           機会をつくった、イングランド

          国王である。

          (⇒ ノルマンの征服)。

                        (⇒ イングランド王国)。

          (⇒ 英語の出現)。

                        (⇒ イギリス歴史ガイド

           ブック)。

                        (⇒ イギリスの歴史)。

             エドワード懺悔王 えどわーどざん

             げおう、イングランド王在位:1042年

             ー1066年、生没年:1002年頃ー10

             66年、英:EDWARD THE CON-

             FESSOR) は、 イギリスの、イング

             ランド王国のアングロ・サクソン人の

             国王 (王在位:1042 ー1066年)

             ある。

             エドワード懺悔王は、キリスト教の

             聖人の1人でもある。

             ノルマンの征服を招いたエドワー

                ド懺悔王。

             ● ノルマンの征服

               1066年、ノルマンディー公・ウィ

             リアム(ギョーム2世)は、 エドワード

             懺悔王(ざんげおう)の後継者を宣言

             して、ハロルド2世を倒して、 イング

             ランド王国の国王・ウィリアム1世(ウ

             ィリアム征服王、王在位:1066年〜

             1087年)としてに即位する。

                        ● エドワード懺悔王は、アングロ・サク

             ソン王家の国王ではあったが、フランス

            を使うフランス北部のノルマンジー公

             国で成人し、 イングランド国王即位後

            もノルマン人貴族を重用し、イングランド

            の国内貴族と対立する。  このことが、

            王の死後、1066年に、イギリスのイン

            グランド地域に、フランス語を 使う北フラ

            ンスのノルマンジー公国主体のノルマン

            朝(1066−1154年)を成立させる機

            会を与える。

            ■ 12世紀に、英語が誕生。

            ● 中世フランス語を公用語としたノル

            マン朝の ノルマン人のイングランド征

            服後、 イングランド地域のアングロ・

            サクソン人は、 フランス語 とアングロ・

            サクソン語とラテン語の混じった言葉、

            即ち、英語を、12世紀には使うようにな

            り、ここに、「英語」が誕生する。

 

〇 えば  エバンズ

          (= エヴァンズ)。 《人名》。 

            (1851年−1941年)。

          Arthur EVANS.

          ○ イギリスの考古学者。

          ○ クレタ文明 (= ミノス文明、

                     エーゲ文明の1つ) の発見者。  

          (⇒ エーゲ文明

              エバンズ (= エヴァンズ、1851年−

             1941年、英:Arthur EVANS) は、 

             イギリスの考古学者であり、 1900年か

             ら1908年まで、ギリシアのクレタ島で、

             クノッソス宮殿などの発掘調査を行い、

             クレタ文明 (= ミノス文明、エーゲ文明の

             1つ) を発見する。

 

#era

 

 えり  エリザベート。

                        《人名》。  

               (= 后妃エリザベート(こうきえりざ

             べーと))。

          ○ オーストリア皇帝の美人妃。 

        (⇒ フランツ・ヨーゼフ

          1世)。

                 エリザベート (= 后妃エリザベート(こう

             きえりざべーと)) は、 オーストリア皇帝・

              フランツ・ヨーゼフ1世が寵愛した、美人の

              后妃(夫人)である。

 

 えり  エリザベス1世。 

            (えりざべすいっせい)。 《人名》。  

                   (イングランド王国の王在位:

         1558年ー1603年)。

         (生没年:1533年−1603年)。

          ELIZABETH I.

                  (⇒ チューダー朝)。

                         (⇒ メアリー・スチュアート)。

                         (⇒ イギリスの歴史

             イギリス歴史ガイド ブック)。

         ○ エリザベス1世は、

          イギリスの、イングランド

          王国の女王である。

 

                      ■ エリザベス1世 (えりざべすいっ

            せい、生没年:1533年−1603年

            英:ELIZABETH I)  は、 イギリス

            のイングランド王国のチューダー朝

            (1485年ー1603年)の第5代国王

                    であり、 イングランド王国の女王

            (王在位:1558年ー1603年)であ

            った。

            ■ エリザベス1世は、 

            イギリスの世界海洋国家の基礎を

            築く。

               イギリスのエリザベス1世は、 

            イギリスに攻めてきたスペイン軍

            の当時最強の無敵艦隊を、劣勢の

            イギリス海軍によって敗北させる。

            ■ エリザベス1世は、 1568年に

            スコットランドを脱出して保護を求め

            イングランドに逃れてきた、スコット

            ランド王国の元女王メア リー・スチュ

            アートを、長年監禁し、1590年 に

            エリザベス1世暗殺陰謀加担を理由

            に処刑する。

             ■ イギリスの、イングランド王国の

             チューダー朝(= テューダー朝)の

             5代の国王 

             <統治期間:1485年−1603年 >。

             (1) 初代国王ヘンリー7世

                 (王在位:1485年−1509年)。

             (2) 第2代国王・ヘンリー8世

                 (王在位:1509年−1547年)。

             (3) 第3代国王・エドワード6世

                 (王在位:1547年−1553年)。

             (4) 第4代国王・メアリ1世

                 (王在位:1553年−1558年)。

             (5) 第5代国王・エリザベス1世

                 (王在位:1558年−1603年)。

 

 えり   エリザベス2世 

              (えりざべすいいっせい)。

             《人名》。

          (イギリスの女王)。   

                    (女王在位:

          1952年−2022年)。

             生没年:

                     1926年− 2022年)。

           ELIZABETH II.

                  (⇒ ダイアナ妃)。

                    (⇒ イギリスの

                ウィンザー朝)。

                          (⇒ 大ブリテン・北アイ

            ル ランド 連合王国)。

          (⇒ イギリス

            (⇒ イギリスの歴史)。

            (⇒ イギリス歴史

             ガイドブック)。

 

                        ■ エリザベス2世 

              (王在位:1952年−2022年、

              (生没年:1926年− 2022年、

              英:ELIZABETH  II) は、

             イギリス王国 (大ブリテン・

             北アイルランド連合王国)の、

             ウィンザー朝(1917年ー現在)・

              第4代国王 (女王)(女王在位:

             1952年−2022年) である。

 

             ◆ 近・現代イギリス

            の王朝。 

             ■ イギリスのハノーヴァー朝

             1714年ー 1901年または

             1917年、英:THE 

             HANNOVER DYNASTY)

             の国王は、 次の通りである。

             ● ジョージ1世

               (1714年ー1727年)。

             ● ジョージ2世

               (1727年ー1760年)。

             ● ジョージ3世

               (1760年ー1820年)。

             ● ジョージ4世

               (1820年ー1830年)。 

             ● ウィリアム4世

               (1830年ー1837年)。 

             ● ヴィクトリア

               (1837年ー1901年)。 

             ■ イギリスのサックス朝  

             1901年ー1917年 、英:

             THE SAXE DYNASTY 

             OF BRITAIN) の国王は、

             次の通りである。

             ● エドワード7世

               (1901年ー1910年)。 

             ● ジョージ5世

               (1910年ー1936年)。 

             ■ イギリスのウィンザー朝  

             1917年ー現在、英:THE 

             WINDSOR DYNASTY 

             OF BRITAIN) の国王は、

             次の通りである。

             ● ジョージ5世

               (1910年ー1936年)。 

             ● エドワード8世

               (1936年1月ー12月)。 

             ● ジョージ6世

               (1936年ー1952年)。 

             ● エリザベス2世

               (1952年ー2022年)。 

             ● チャールズ3世

               (2022年ー現在)。 

 

 えり  エリス諸島。 

            (えりすしょとう)。

          (現行地名)。 《地名》。

          (南太平洋の島)。  

             THE ELLICE ISLANDS. 

             ■ 地名 : エリス諸島。

             ● 英語名 : THE ELLICE  

             ISLANDS.

             ● エリス諸島の位置 : 南太平洋

             地域の島々。

             ● ツバル(独立国、英:TUVALU)

             の主要領土(本土領土)。

             ■ エリス諸島 (えりすしょとう、THE 

             ELLICE ISLANDS) は、 南太平洋

             地域の島々であり、ツバル(独立国、英:

             TUVALU)の主要領土(本土領土)であ

             る。

             (⇒ ポリネシア

          (⇒ 太平洋地域

          (⇒ オセアニア)。

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国主要各領土

          リスト)。

 

 えり  エリトリア

          (現存独立国)。 《国名》。

          ERITREA

          略称:   ERI 。 

             ● 国名: エリトリア

             ● 英語国名:  ERITREA

              エリトリアの位置 

             (英:THE  ERITREAN 

             (ERITREA’S) LOCATION) : 

             アフリカ北東部。

              エリトリアの国民 

             (英:THE NATIONAL(S) 

                           OF ERITREA) :

             エリトリア人 

             (英:ERITREAN(S)

             ● エリトリアの概要や歴史の簡略表

                          記載。

          (⇒ アフリカ北東部)。

          (⇒ アフリカ) 。 

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国各国(約200

          カ国)リスト)。

              (⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。

 

 える  エルサルバドル

          (現存独立国)。 《国名》。

          EL SALVADOR

          国名略号: ESA SLV  

             ● 国名: エルサルバドル

             ● 英語国名 : L SALVADOR , 

              EL LVADOR.

              エルサルバドルの位置 

              (英:THE  SALVADORAN 

             (EL SALVADOR’S) LOCATION) : 

             中部アメリカ、 中央アメリカ。

              エルサルバドルの国民 

             (英:THE NATIONAL(S) OF EL 

             SALVADOR) :

             エルサルバドル人 

                          (英:SALVADORAN(S)

             ● エルサルバドルの概要や歴史の簡略表

                          記載。

          (⇒ 中央アメリカ)。 

                    (⇒ 中部アメリカ)。

          (⇒ 中南米)。 

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国各国(約200

          カ国)リスト)。

              (⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。

 

 える   エルサレム

          (= イェルサレム)。

          (聖地)。 《宗教》。《地名》。

             JERUSALEM.

          (⇒ キリスト教イスラム教

          ユダヤ教)。

          (⇒ 聖地宗教)。

          (⇒ 神殿の丘嘆きの壁

          岩のドーム)。

          (⇒ ゴルゴダの丘聖墳墓

          教会園の墓)。

              エルサレム (= イェルサレム、

             英:JERUSALEM)は、 レバント

             地域(= 地中海東部沿岸地域)の

             パレスティナ(パレスチナ)地方に

             ある都市である。

             ■ エルサレムは、 キリスト教、

             イスラム教、ユダヤ教の聖地である。

 

 える   エルサレム王国

             (えるされむおうこく)。

           (旧存在国)。 《国名》。

                (= イェルサレム王国)。

              THE KINGDOM OF 

          JERUSALEM

          (10991291年) 。

           (⇒ 十字軍)。

              エルサレム王国 (えるされむ

              おうこく、= イェルサレム王国、

              10991291年、英:THE 

              KINGDOM OF JERUSALEM) 

             は、

              キリスト教徒の十字軍 (1096年

              ー1291年)が、パレスティナ地方に

                           建国した王国である。

 

 える   エルサレム神殿 

             (えるされむしんでん)。

              《ユダヤ教》。 《宗教》。

          (ユダヤ教の神殿)。 

             (第1神殿(= ソロモン神殿): 

             紀元前10世紀ー前586年、

             第2神殿: 

             前515年頃ー紀元後70年)。

             (えるされむしんでん)。

          (⇒ 神殿の丘)。 

          (⇒ エルサレム)。 

          (⇒ ユダヤ教)。 

          (⇒ ソロモン神殿)。 

             ■ エルサレム神殿とは、 エルサ

             レムの「神殿の丘」に建っていた

             ユダヤ教の神殿であり、 

             (a) 「第一神殿」 (= ソロモン神殿、

             紀元前10世紀ー前586年) と、 

             (b) 「第二神殿」 (前515年頃ー

             紀元(後)70年) があった。

              「第二神殿」は、紀元前20年に、

             ヘロデ王により改築され 、 改築後

             の第二神殿を、ヘロデ神殿(紀元前

             20年ー紀元(後)70年)ともいう。

 

 えん  円形闘技場。

             (えんけいとうぎじょう)。

          《古代ローマ》。

             ANCIENT ROMAN 

             AMPHITHEATERS).

                           ANCIENT ROMAN CIRCULAR 

             ARENA(S).

       (⇒ 古代ローマ円形

        闘技場)。

             ■ 古代ローマの共和政・帝政ローマ

             では、 剣闘士ショーなどの娯楽を楽

             しむ、円形闘技場 (えんけいとうぎじ

             ょう、英:ANCIENT  ROMAN 

             AMPHITHEATER(S))が、盛 んに

             つくられた。

            

 

   ● 五十音順 (アイウエオ順)。

 

 

   ■  『 現在は、過去の成果であり、

       未来は、現在の成果である。 

         (良き現在は、過去の人々の良き努力

          や活動の積み重ねの成果であり、 

          明るい良き未来は、現在の人々の、

          良き努力や活動の積み重ねによって

          形成される。)

 

 

 ■ 上位のWEBサイト。

 □ (KOH)  カナヤマ オフィシャル  >

          ホームページ。 

 □ (Cse)   国際理解総合サイト    >

          われら地球市民 

 □ (Ke)   百科事典。          >

 □ (Khh)  歴史学ハンドブック。    > 

 □ (Ttwh) 世界史ハンドブック    > 

 □ (Ttwh) 世界史辞典 (総合版)。  >

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#jpdictionary(general)

 

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#e

 

◆ 派生見出し語サイト。

■ 「え」 基本・見出し語WEBサイト( ja−e)

   の、派生見出し語サイト

 

■ No. ja−e−1265。

● 見出し語の項目  え    ( じ 12 / ぷ 65 

   付近  第1部・し・ハ行グループ )。  

 えじ  エジプトの歴史

                        (えじぷとのれきし) 。

 

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#thetempleofjerusalem

 

■ エルサレム神殿 

     (えるされむしんでん)。

 

■ エルサレム神殿。

■ 名称 : エルサレム神殿 

                (えるされむしんでん)。

■ 別名 : イェルサレム神殿。

■ 英語名: The Temple of Jerusalem。

■ (ユダヤ教の神殿)。 《ユダヤ教》。

■ 存続期間 : 

   ● 第一神殿(= ソロモン神殿) : 

              紀元前10世紀ー前586年、

    ● 第二神殿 : 前515年頃ー紀元後70年。

■ エルサレム神殿とは、

   エルサレムの「神殿の丘」に建っていた

   ユダヤ教の神殿であり、 第一神殿(= ソロ

     モン神殿) と、 第二神殿 があった。

■ エルサレム神殿の直接関連項目:

   「神殿の丘エルサレム」、「ユダヤ教」、

   ソロモン神殿」、「嘆きの壁

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21519。

 

 

■ エルサレム神殿。

   ■ エルサレム神殿 (えるされむしんでん、

     紀元前10世紀ー前586年、 前515年頃

     ー紀元後70年は、 前515年頃ー紀元

     後70年は、エルサレムにあった、ユダヤ

     教の神殿である。

 

■ エルサレム神殿。

   ■ エルサレム神殿とは、エルサレムの「神殿

     の丘」に建っていたユダヤ教の神殿であり、

     「第一神殿」 (= ソロモン神殿、紀元前10

     世紀ー前586年) と、 「第二神殿」 

     (前515年頃ー紀元(後)70年) があった。

 

■ エルサレム神殿。

   ■ エルサレム神殿の第一神殿(= ソロモン神

     殿)は、 紀元前10世紀から紀元前586年

     までの間、エルサレムの「神殿の丘」に建っ

     ていた、ユダヤ教の神殿である。

     

   ■ エルサレム神殿の第二神殿は、 紀元前

     515年頃から紀元(後)70年までの間、

     エルサレムの「神殿の丘」に建っていた、

     ユダヤ教の神殿である。 

             

   ■ エルサレム神殿の「第二神殿」は、紀元前

     20年に、ヘロデ王により改築され 、 改築

     後の第二神殿を、ヘロデ神殿(紀元前20年

     ー紀元(後)70年)ともいう。

             

■ 嘆きの壁。

   ■ 嘆きの壁は、 第二神殿の外壁の西の壁」

    であり、 第1次ユダヤ戦争(紀元(後)66ー

    74年)最中の紀元70年に、エルサレム神殿

    の「第二神殿」とそれを囲む外壁が破壊され、

    破壊された第二神殿の外壁の残骸の西側の

    壁である。

 

 

#-appearingscenes

 

♪♪ エルサレム神殿が登場す る、興味

     深い関連ドキュメンタリー、ドラマ、

     映画。 

 

 エルサレム神殿が登場する、興味深

   い、ドキュメンタリー 。

 

■ 『 ザ・ローマ帝国の興亡  

    (英語題名: ANCIENT ROME − 

    THE RISE AND FALL OF AN 

    EMPIRE)。

    (2006年・英BBC制作・ドキュメンタ

     リー・ドラマ)。

  ● 第4話 

  ○ パレスチナ(PALESTINA)の第1次

    ユダヤ戦争。

  ○ 紀元(後)1世紀。

 

  ■ エルサレム神殿の「第二神殿」が登場

    する。

 

 

 エルサレム神殿が登場する、 興味深

   いドラマ、映画。 

  ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

    歴史のドラマ・映画は、 史実(歴史上の

    事実) と 架空の出来事が、 混じって、

    描かれています。 また、現代風にアレン

    ジしてあります。

 

 ■   ベン・ハー 』。

    (英語題名:‘‘ BEN-HUR ’’)。  

    (1959年制作アメリカ映画)。

 

  ■ エルサレム神殿の「第二神殿」が登場

    する。

 

  ■ 「ガレー船」、「戦車競技」などが詳細

    に描かれている。

 

  ■ 紀元(後)1世紀の古代ヨーロッパや

    古代西アジアの時代の人々、状況、

    風俗などを描く。

 

  ■ 古代ローマ帝国前期の時代の、古代

    ローマ帝国領土内の人々、状況、風

    俗などを描く。

 

  ■ 古代ローマ帝国支配下のパレスティ

    ナ(現・イスラエル地域)で、紀元(後)

    1世紀前半に生きた、名家出身のユダ

    ヤ人のベンハーの波乱の人生を描く。 

       イエス・キリストも各所に登場する。

 

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#thekingdomofjerusalem

 

■ エルサレム王国 

     (えるされむおうこく)。

 

  

  ○ 『 キングダム・オブ・ヘブン 』 

    (2005年アメリカ映画)のPRフォト。

 

 

■ エルサレム王国。

■ 名称 : エルサレム王国 

        (えるされむおうこう)。

■ 別名 : イェルサレム王国。

■ 英語名 : 

       The Kingdom of Jerusalem .

■ 存続期間 : 1099年ー1291年。

■ エルサレム王国とは、

   レバント地域(地中海東部沿岸地域)のパレ

   スチナ地方に、十字軍が建国した王国であ

  る。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 22122。

 

 

 □ 世界史 全体詳細年表 No.3

    (紀元(後)1年頃から紀元(後)1500年

     頃までの世界の歴史)。

 

 □ エルサレム王国が登場する、興

     味深い関連ドキュメンタリー、ドラ

   マ、映画 

 

 

 ■ エルサレム王国。

 

   ■ エルサレム王国 (えるされむおうこう、

     1099年ー1291年、英:The Kingdom 

     of Jerusalem) は、 十字軍によって

     エルサレムに樹立された王国である。

 

   ■ エルサレム王国は、 1099年に、第1次

     十字軍(1096年〜1099年)がパレステ

     ィナに建国(創設)した封建制君主国であ

     る。

       エルサレム王国は、 トリポリ伯領、

     ンティオキア侯領、エデェサ伯領などの

     十字軍諸侯領の宗主国(そうしゅこく)で

     ある。

       エルサレム王国の初代国王は、フラン

     ス人十字軍兵士のゴドフロア・ド・ブイヨン

     である。 国王は、 聖地エルサレムの

     管理に当たる。

        

   ■ 11世紀頃、ヨーロッパ・キリスト教徒の聖

     地である西アジアのエルサレムへ、セルジ

     ューク・トルコ帝国が、進出して、エルサレ

     ムに巡礼に訪れるキリスト教徒に迫害を

     加えたので、キリスト教のカトリック教会の

     教皇ウルバンヌ2世は、1095年に、クレ

     ルモンで宗教会議を開き、聖地回復を宣

     言する。

        その要請に応じて、フランスの騎士

     を中心に、1196年に、第1次十字軍(10

     96年〜1099年)が結成され、遠征軍が

     西アジアのエルサレムへ向かう。

        十字軍は、 セルジューク・トルコ軍

     と激戦を交わし、西アジアのレバント地域

     (地中海東部沿岸地域)に、 エルサレム

     王国、トリポリ伯領、アンティオキア侯領、

     エデェサ伯領の4国を形成(建国)し、 

     エルサレム王国が、3つの十字軍諸侯領

     の宗主国(そうしゅこく)となる。

 

 

   ■ エルサレム王国 (えるされむおうこう、10

     99年ー1291年、英:The Kingdom of 

     Jerusalem)とは、 

     レバント地域(地中海東部沿岸地域)のパレ

     スティナ(パレスチナ)地方に、キリスト教徒

     の十字軍(1096年〜1291年)が建国した 

     王国である。

       エルサレム王国の別名は、イェルサレム

    王国である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

  

 

 ■ 聖地エルサレム。

 

   ■ エルサレム(イエルサレム、英:Jerusa-

     lem)は、 キリスト教、イスラム教、ユダ 

     ヤ教の聖地 (英:The Holy Land)で

     ある。

 

   ■ 結局、十字軍は、 紀元(後)1099年か

     ら1187年までの間 と、 1229年から

     1244年までの間 のみ聖地エルサレム

     を奪取(占領・保持)した。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ エルサレム王国。

 

   ■ エルサレム王国 (1099年〜1291年)。

   ●  第1次十字軍(1096年〜1099年)が

     レバント地域(地中海東部沿岸地域)の

     パレスティナ(パレスチナ)地方を占領し、

     十字軍によって、聖地エルサレムを本拠

      地(首都)として、パレスティナ地方に、

     エルサレム王国(1099年〜1291年)

     が建国される。

 

   ● 1099年から1187年 まで、エルサ

     レム王国の十字軍は、聖地エルサレム

     本拠地(首都)とし、パレスティナ地方を

     領有する。

 

   ● しかし、1187年に、エルサレム王国

     は、 イスラム教徒のアイユーブ朝 (ア

     ユーブ朝、英: The Ayyubid Sul-t

     anate)のサラディンによって、パレステ

     ィナの、本拠地(首都)の聖地エルサレ

     ムやほとんどの領有地を奪われる。 

 

   ● 1187年から1191年まで、エルサ

     レム王国の十字軍は、本拠地(首都)を

     ティール(ティルス、チルス、英:Tyrus)

     とし、パレスティナの沿岸地のティール

     以外のパレスティナ地方の領有地を失

     う。

 

   ● しかし、第3回十字軍 (1189年〜11

     92年)によって、一部の領有地(ヤッファ

     以北のパレスティナの沿岸地のみ)も回

     復し、エルサレム王国は、1191年に、

     パレスティナの沿岸地のアッコン(アッコ、

     英:Akkon,Acre)に本拠地(首都)を移

     し、再建される。 

 

   ●  その後、1191年から1229年まで、

     エルサレム王国の十字軍は、本拠地(首

     都)をアッコンとし、パレスティナの沿岸地

     を領有する。

 

   ● 第5回十字軍(1228年〜1229年)

     の指導者の神聖ローマ皇帝フリードリッヒ

     2世の交渉によって、1229年にエルサ

     レムは、キリスト教徒の十字軍に戻る。

 

   ● そして、1229年から1244年までの

    間、エルサレム王国の十字軍は、また、

    聖地エルサレムを占領、保持し、本拠地

    (首都)し、パレスティナの沿岸地を領有す

    る。      

 

   ● しかし、1244年にイスラム教徒のアイ

     ユーブ朝のサルタンのサーリフの攻撃に

     よって、エルサレムは陥落し、キリスト教

        徒の十字軍はエルサレムを失う。

 

   ● その後、1244年から1291年まで、

    エルサレム王国の十字軍は、本拠地(首

    都)をアッコンとし、パレスティナの沿岸地

    を領有して、1291年まで存続する。

 

   ● しかし、1291年に、エルサレム王国

    の十字軍は、 マムルーク朝 (マメル

    ク朝、英:The Sultanate of Ma-

         melukes)のイスラム教徒によって、

    本拠地(首都)でパレスティナの十字軍

    の最後の拠点であったアッコンを奪われ、

    パレスティナから放逐(駆逐)される。  

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ エルサレム王国の首都(本拠地)。

 

   ■ エルサレム王国の首都(本拠地)は、

 

     (1) エルサレム

         (10991187年)、

 

     (2) ティール

         (11871191年)、

 

     (3) アッコン(アッコ)

         (1191年ー1229)、

 

     (4) エルサレム

         (1229ー1244年)、

 

     (5) アッコン(アッコ)

         (1244ー1291年)、

 

      の順に移動する。

 

 

 ■ 1187年のエルサレム陥落。

 

    ■ サラディンのパレスティナ征服。

    ● ファーティマ朝の宰相を務めていた

      サラディンは、 1169年に、

      エジプト地域の実権を掌握(しょうあく)

      し、自らアイユーブ朝を開き、1171

      年にファーティマ朝を滅ぼす。

 

    ● エジプトで、ファーティマ朝の宰相を務

      めていたサラディン (サラーフッディー

      ン、サラーフ・アッディーン、英:Saladin、

      Salāh d-dīn,王在位: 1169年−

      1193年,グルド人)は、 1169年に、

      エジプト地域の実権を掌握(しょうあく)

      し、自らアイユーブ朝 (アユーブ朝、

      1169年ー1250年、英:The 

      Ayyubid Sultanateを開き(創建し)、

      1171年にファーティマ朝 (969年ー

      1171年)を滅ぼす。

 

    ● パレスティナのエルサレム王国の隣国

      のエジプトでは、 1171年に、サラデ

      ィンが、 弱体化したイスラム教国のファ

      ーティマ朝を滅ぼし、サラディンが創建し

      たアイユーブ朝が支配する。 

         その後、サラディンは、パレスティナ

      の地からキリスト教勢力を駆逐するとい

      う信念の実現に生涯をかけて尽力する。

         そして、遂に、1187年に、サラデ

      ィンは、聖地エルサレムを含むパレステ

      ィナ地方を征服する。

 

    ■ サラディンのイスラム勢力の攻勢。

    ● 1174年に、サラディンは、シリアを傘

      下に収め、パレスティナ・シリア地域の

      レバント地域(地中海東部沿岸地域)の

      キリスト教勢力にも攻勢をかける。

 

    ■ エルサレム王国内の派閥争いと王後

       継者争いの激化。

 

    ● 1174年に、パレスティナのエルサレ

      ム王国では、 アモーリー1世(王在任:

      1162年ー1174年)が、死去し、代わ

      って、アモーリー1世の男子の若いボー

      ドゥアン4世(罹病王、王在任:1174年

      ー1185年、生没年:1161年ー1185

      年))が、エルサレム王国の国王となる。 

 

    ● しかし、エルサレム王国では、十字軍

     の、新来諸候派(宮廷派)と現地諸候派

     (貴族派)が対立し、派閥争い(勢力争い)

     が激しかった。 

         国王ボードゥアン4世は、両者の

     バランスを取りながら国政を運営する。

 

    ● 若いボードゥアン4世は、 罹病(らい

     びょう)が進んでいて、身動きが不自由で

     余命が短く、子供も望めなかった。

        ボードゥアン4世を継ぐ王位継承権

     をもつ者には、 同母姉のシビーユ、異

     母妹のイサベル、血縁男子のトリポリ伯

     レーモン3世がいた。

 

    ● 従来からの新来諸候派(宮廷派) と

     現地諸候派(貴族派)の勢力争いに、王

     位継承者争いが加わり、エルサレム王国

     の内部抗争は一層激しくなった。

 

    ● 新来諸候派(宮廷派)は、 王位継承

     者としてボードゥアン4世の同母姉のシビ

     ーユを擁立し、アニュス(ボードゥアン4世

     の生母)を中心にし、 ギー・ド・リュジニャ

     ン、ギーの兄のエメリー・ド・リュジニャン、

     トランスヨルダン領主ルノー・ド・シャティヨ

     ン、アニュスの弟の旧エデッサ伯ジョスラ

     ン3世などである。 

 

    ● 現地諸候派(貴族派)は、 王位継承者

     としてボードゥアン4世の異母妹のイサベ

     ル1世を擁立し、 トリポリ伯レーモン3世

     を中心にして、アモーリー1世の2番目の

     妻マリア・コムネナ(イサベル1世の生母)、

     バリアン(= バリアン・イベリン(イブラン)、

          バリアン・ ディブラン)、バリアンの兄のボー

          ドゥアン・イベリン(イブラン)(= ボードゥア

         ン・ディブラン)などである。

 

    ● ボードゥアン4世は、 同母姉のシビー

     ユに、モンフェラート侯ギョームを結婚させ、

     王後継者にした。しかし、ギョームは、妊

     娠したシビーユを残して死去する (その

     後、生まれた子がボードゥアン5世)

     王後継者争いは、再び、混沌としてきた。

 

    ● ボードゥアン4世は、 王位継承権をもつ

      トリポリ伯レーモン3世や勢力拡大を狙う

      イベリン(イブラン)一族を警戒して、

      1180年に同母姉のシビーユをギー・ド・

      リュジニャンと結婚させ、ギーを執政に任

      命し、その後、シビーユはギーとの間に

      2人の女子を出産し、 また、1183年に

      異母妹のイサベル1世をトロン領主オン

      フロワ4世(ルノー・ド・ シャティヨンの継

      子)と結婚させる。

      

    ● 1183年に、ルノー・ド・シャティヨン

      挑発に怒(いか)ったサラディン(サラー

      フ・アッディーン)が、ルノー・ド・シャティ

      ヨンの居城ケラク城を襲うと、ボードゥア

      ン4世は、病床にもかかわらず、輿(こし)

      に乗って出陣した。 

         この件で、ボードゥアン4世は、 

      執政のギーの能力に不満をもち、シビ

      ーユとギー・ド・リュジニャンの王継承

      権を奪って、5歳のボードゥアン5世を

      共同王とし、ギーの執政を解任し、代わ

      りに、トリポリ伯レーモン3世を執政に

      した。

 

    ● 1185年に、ボードゥアン4世が死去

      し、幼年のボードゥアン5世が跡を継い

      だが、病弱のため、即位後1年で早世

      し、再び、エルサレム王国の王後継者

      争いが再燃する。

          現地諸候派(貴族派)は、シビー

      ユの女王即位の条件として、夫のギー

      ・ド・リュジニャンと離婚を要求し、シビ

      ーユはいったんこれに同意する。

      しかし、シビーユは、女王即位と同時

      に、ギー・ド・リュジニャンを国王に戴

      冠した。これに対し、トリポリ伯レーモ

      ン3世、ボードゥアン・ディブランなど

      の現地諸候派(貴族派)は、イサベル

      1世を擁立し、クーデターを企てたが、

      イサベル1世の夫のオンフロワ4世

      が寝返って失敗に終わった。

 

    ■ 弱体化したエルサレム王国等のキリ

      スト教勢力と強力なアイユーブ朝等の

      イスラム教勢力との争い。

 

    ● 現地諸候派(貴族派)の反対派を排除

      して権力を握(にぎ)った国王のギー・

      ド・リュジニャンは、対イスラム強硬派

      のルノー・ド・シャティヨンと組み、アユ

      ーブ朝イスラム教国のサラディン(サラ

      ーフッディーンとの対決姿勢を強める。

      

    ■ 弱体化したエルサレム王国等のキリ

      スト教勢力と強力なアユーブ朝等の

      イスラム教勢力との争い。

 

    ● 1186年に、休戦条約を犯して、ルノ

      ー・ド・シャティヨンは、イスラム教徒のメ

      ッカへの巡礼者やキャラバンを虐殺し、

      残りを捕虜に取る。 サラディン(サラー

      フッディーンの捕虜解放交渉は、ギーと

      ルノーに無視され、ここに休戦は破れる。

         トリポリ伯レーモン3世は、サラディ

      ン(サラーフ・アッディーン)の圧力もあ

      って、イスラム勢力との融和を計ってい

      た。 ギーたちは、レーモン3世に対し

      て、イスラム勢力のサラディン(サラー

      フッディーンとの同盟を結んだこと を

      責め、大司教による破門もちらつかせ

      た。 レーモン3世は屈し、ギーと妥協

      する。 

 

    ■ ギーのエルサレム王国の十字軍 と 

       サラディンのイスラム軍 との戦い。

 

    ● 1187年に、エルサレム王国の国王

      となったギーは、イスラム勢力との

      いを始める。

         エルサレム王国の国王となった

      ギーは、 キリスト教徒の十字軍を連れ

      てエルサレムから出陣する。 トリポリ

      伯レーモン3世やバリアンも従軍する。

         1187年7月8日のハッティン

      (ハッティーン、ヒッティーン)の戦いで、

      ギーの率いるキリスト教の十字軍は、 

      サラディン(サラーフッディーン)の

      率いるイスラム軍と激突し、大敗する。 

      サラディンのイスラム軍は、エルサレ

      ム王国の十字軍の主力軍を壊滅させ

      る。 ギー、ルノー、テンプル騎士団総

      長、聖ヨハネ騎士団総長ら多くがサラ

      ディンのイスラム軍の捕虜となる。

 

    ● サラディンは、 エルサレム王国内の

      海岸沿いの都市、モンフェラート侯コン

      ラート1世(コンラド)が守るティール(テ

      ィルス、英:Tyrus,Tyre、攻撃したが

      落ちず)を除き、アッコン(英:Akkon,

      Acre)、ナビュラス(英:Nablus)、

      ヤッファ(英:Jaffa)、トロン、シドン

      (英:Sidon)、ベイルート(英:Beirut)、

      アスカロン(英:Ascalon)等を次々と

      落とし、エルサレム王国の首都(本拠地)

      のエルサレムに迫る。

 

    ■ エルサレム籠城戦(攻囲戦)。

    ● エルサレムでは、 戦場から戻ってき

      バリアン(= バリアン・ディブラン、バ

      リアン・イベリン、バリアン・イブラン)

      の他に、僅(わず)かな兵士しかいな

      かったが、 「聖地を異教徒に渡すより

      全滅した方がましだ」、 「必ず神の助

      けがある」 という強硬論が主流を占

      め、 バリアンは、イスラム軍指導者

      のサラディン(サラーフッディーン)

      の降伏勧告に従わず、住民(民間人)

      に武装させて、イスラム軍に抵抗した。 

         しかし、バリアンは、 衆寡敵せず、

      降伏し、1187年10月2日にエルサ

      レムを開城した。 イスラム軍指導者

      のサラディンは、 寛大な条件を示し、

      指導層や住民を解放した。

         エルサレム王国の十字軍が、 

      聖地・エルサレムを占領・保持できた

      時期は、 紀元(後)1099年から11

      87年までの間 と、 1229年から

      1244年までの間 のみである。 

 

    ■ 1187年のエルサレム陥落後のエル

       サレム王国。

    ● 1187年10月、エルサレムに残って

      いたエルサレム王国女王のシビーユ

      は、エルサエム開城後、娘2人と共に、

      トリポリに移る。 

         シビーユは、1188年に、夫のギ

      ーが解放されると、共にティールに向

      かったが、モンフェラート侯コンラート

      1世(コンラド)に入城を拒否される。 

         その後、シビーユは、エルサレム

      王国の残党を集めて、アッコンの攻略

      を開始する。 ギーと共に、コンラート

      1世も数年にわたるアッコン包囲戦に

      協力する。 

         1190年に、シビーユと2人の娘

      は、アッコン包囲中に、病没する。

      その後、コンラート1世は、第3次十字

      軍と共に、アッコン包囲戦を行い、11

      91年7月にアッコンを陥落させる。

         1190年に、エルサレム王国女王

      のシビーユの死去により、エルサレム

      王国の現地諸候派(貴族派)は、イサ

      ベル1世をエルサレム王国の女王

      (女王在位:1190年ー1205年)に

      推戴する。

        1190年11月に、イサベル1世は、

      モンフェラート侯コンラート1世と結婚

      する。 しかし、1192年に、コンラー

      ト1世は暗殺される。

         1192年に、イングランド王リチ

      ャード1世の提案により、イサベル

      1世は、妊娠していたが、リチャード

      1世の甥(おい)のシャンパーニュ伯

      アンリ2世と結婚する。そして、アンリ

      2世がエルサレム王国の共治王とな

      る。 ギー・ド・リュジニャンはエルサ

      レム王国の王位を放棄し、キプロス

      王国(1192年ー1485年)の初代

      国王となる。 一方、イサベル1世は、

      コンラート1世との間の女子マリーア

      を生む。 しかし、1197年に夫の

      アンリ2世が窓から落ちて死去する。

         1197年に、イサベル1世は、

      キプロス王エメリー・ド・リュジニャン

      (1194年に死去したキプロス王ギー・

      ド・リュジニャンの兄で、キプロス王

      位を継承した)と結婚する。そして、

      エメリーがエルサレム王国の共治王

      となる。

 

    ■ 第3次十字軍(1189年〜1192年)

       の攻撃。

    ● 西ヨーロッパでは、エルサレム陥落に

      衝撃を受け、聖地奪還のため、第3回

      十字軍(1189年〜1192年)が結成

      され、パレスティナへ向かった。

         1189年に出発した、第3回十字

      軍の指導者の一人の神聖ローマ帝国

      皇帝フリードリヒ1世は、陸路でパレス

      ティナへ向かう途中で、キリキアで11

      90年6月に死去(溺死)する。

         1191年に、第3回十字軍の指導

      者の一人のイングランド王リチャード

      1世は、パレスティナへ海路で向かう途

      中で、十字軍に反抗したキプロス島を

      占領し、1192年に、キプロス島を旧

      知のギー・ド・リュジニャン(エルサレム

      王国元国王)に譲渡する。

         1191年に、第3回十字軍の指導

      者のイングランド王リチャード1世とフ

      ランス王フィリップ2世は、海路で、パレ

      スティナに到着した。 

         二人は、「アッコン包囲戦」でアッ

      コンを陥落させ、守備するイスラム軍に

      勝ち、1191年7月12日にアッコンを

      奪取する。 その後、フィリップ2世は

      病気を理由に1191年7月末に帰国

      する。

           一人残った第3回十字軍の指導

      者のイングランド王リチャード1世は、

      1191年から1192年まで、パレステ

      ィナの各地で戦い、1192年に、聖地

      エルサレムに2回ほど接近したが、

      サラディン(サラーフッディーン)の大

      軍を目のあたりにして軍を退き、聖地

      エルサレムの奪取は成功しなかった。

         1192年になり、リチャード1世は

      率いる軍勢の疲弊や不満、他国の英

      領侵略等で帰国を望み、サラディンは、

      高齢で健康不安、ムスリム内部の不満

      等を懸念したため(ダマスカスで1193

      年病没)、両者は、休戦協定を結ぶに

      至る。 

         リチャード1世とサラディンは、

      戦闘と同時に1年以上に渡って交渉を

      重ね、最終的に1192年9月2日に、

      休戦協定を結んだ。 

         その休戦協定の内容は、

      (a) アッコン、ティールを含み、ヤッフ

      ァ以北のパレスティナの沿岸部をエル

      サレム王国の管理下に置き、

      (b) エルサレムはイスラム教徒の統

      治下に置き、

      (c) 非武装のキリスト教徒の巡礼者

      がエルサレムを訪れることを許可する、

      などというものである。

 

    ■ 第3次十字軍(1189年〜1192年)

         の成果。 

    ● 第3次十字軍(1189年〜1192年)

         は、 キリスト教徒の聖地エルサレム

      を奪回できなかったが、1187年のハ

      ッティン(ヒッティーン)の戦いの大敗以

      後のサラディン(サラーフッディーン

      の破竹の進撃を食い止め、レバント地

      域(東地中海沿岸地域)のパレスティ

      ナの沿岸部のいくつかの都市を取り戻

      し、エルサレム王国を滅亡から救い、

      特に、十字軍が、パレスティナ沿岸の

      アッコンを奪回し、キプロス島を占領す

      ることにより、レバント貿易を維持し、

      以後、100年弱にわたり、キリスト教

      勢力は、パレスティナの海岸線を保つ

      ことができた。

 

      

 

 ■ エルサレム王国の重臣・バリアン。

 

   ■ バリアン (生没年:1140年頃ー1193

     年)は、 パレスティナのエルサレム王国

     で生まれ育ち、 エルサレム王国の貴族

     のイベリン家(Iberin、イブラン家)出身で

     イベリン卿バリアンであり、 エルサレム王

     国の重臣であり、  マリア・コムネナ (エ

     ルサレム王国の国王・アモーリー1世の2

     番目の妻であった未亡人)と結婚し勢力を

     拡大する。

        バリアンは、 イスラム教徒との戦いで、

     1187年のエルサレム落城時、エルサレム

     王国の首都(本拠地)のエルサレム籠城戦

     (エルサレムの防衛と開城)の指揮をとる。

       バリアンは、 エルサレム王国の他の在

     地貴族と共に、1190年に、アモーリー1世

     マリア・コムネナとの間の娘のイサベル

     1世を、エルサレム王国の女王に擁立し、実

     現させ、実力者として勢力を振い、1191年

     以後、エルサレム王国の首都(本拠地)が

     アッコンに移動後も、本人やその子孫は、

     エルサレム王国やキプロス王国で繁栄する。

 

 

 ■ 1187年のエルサレム陥落前後

    のエルサレム王国の国王・女王。

    (アモーリー1世の一族)。

 

   ■ (1) エルサレム王国の国王の

          アモーリー1世

       (王在任:1162年ー1174年、

         生没年:1136年ー1174年)。

    ● アモーリー1世は、1番目の妻アニュス

      との間に、息子のボードゥアン4世と娘

      のシビーユを儲ける。

    ● アモーリー1世は、2番目の妻マリア・

      コムネナとの間に、娘のイサベル1世

      儲ける。

 

   ■ (2) エルサレム王国の国王の

         ボードゥアン4世 (罹病王)

       (王在任:1174年ー1185年、

        生没年:1161年ー1185年)。

     ● ボードゥアン4世は、アモーリー1世

      と1番目の妻・アニュスとの息子である。

     ● ボードゥアン4世は、 1183年から

       1185年までの間、ボードゥアン5世

       と共同統治を行う。

 

   ■ (3) エルサレム王国の国王の

         ボードゥアン5世 (少年王)

       (王在任:1183年ー1186年、

        生没年:1177年ー1186年)。

     ● ボードゥアン5世は、 ボードゥアン4

       の姉・シビーユとモンフェッラート候

       グリエルモとの息子である。

     ● ボードゥアン5世は、 1183年から

       1185年までの間、ボードゥアン4世

       と共同統治を行う。

 

   ■ (4) エルサレム王国の女王の

         シビーユ

       (王在任:1186年ー1190年、

        生没年:1157年ー1190年)。

     ● シビーユは、 アモーリー1世と1番

       目の妻・アニュスとの間の娘である。

     ● シビーユは、 1186年から1190

       年までの間、ギー・ド・リュジニャンと

       共同統治を行う。

 

   ■ (5) エルサレム王国の国王の

         ギー・ド・リュジニャン

       (王在任:1186年ー1190年、

        生没年:1150年、1159年、

              1160年ー1194年)。

     ● ギー・ド・リュジニャンは、 シビーユ

       の夫である (1180年に結婚)。

     ● ギー・ド・リュジニャンは、 1186

       年から1190年までの間、シビーユ

       と共同統治を行う。

 

   ■ (6) エルサレム王国の女王の

         イサベル1世

       (王在任:1190年ー1205年、

        生没年:1172年ー1205年)。

     ● イサベル1世は、 アモーリー1世

      と2番目の妻・マリア・コムネナとの

      間の娘である。

     ● シャンパーニュ伯アンリ2世は、 

       1192年から1197年までの間、

       イサベル1世と共同統治を行う。

     ● キプロス王エメリー・ド・リュジニ

       ャンは、 1197年から1205年

       までの間、イサベル1世と共同統

       治を行う。

   

 

 ■ 1244年のエルサレム陥落。

 

    ■ 1229年のエルサレム奪還。

    ● 第5回十字軍(1228年〜1229年)

      の指導者の神聖ローマ皇帝フリードリ

      ッヒ2世とアイユーブ朝(アユーブ朝、

      1169年ー1250年、英:The 

      Ayyubid Sultanate)のスルタンの

      カミールとの間で交渉が行われ、12

      29年2月に、ヤッファで宗教的寛容

      を条件とする十字軍へのエルサレム

      返還を約束する協定が締結され、

      1229年に、十字軍は、エルサレム

      を奪還する。

         1229年から1239年まで、エ

      ルサレムはエルサレム王国の十字軍

      によって占領・保持される。

        1239年11月に、イスラム勢力の

      ターウードは、エルサレムに奇襲を

      かけ、町をイスラム勢力の手に回復

      する。

        1943年に、イスラム勢力のター

      ウードは、他のイスラム勢力と対抗

      するため、十字軍勢力に同盟をもち

      かけ、同盟の条件として、エルサレム

      を十字軍に返還する。

         1243年から1244年まで、エ

      ルサレムはエルサレム王国の十字軍

      によって占領・保持される。

 

    ■ 1244年のエルサレム喪失。

    ● アイユーブ朝スルタン 対 エルサレ

      ム王国の十字軍 の戦い。

    ● イスラム勢力のサーリフは、エルサレ

      ムを攻撃し、十字軍勢力に勝利を収

      め、エルサレムをイスラム勢力の支配

      下に置く。

    ● アイユーブ朝のスルタンのサーリフ

      は、 1244年に、エルサレムを攻撃

      し、エルサレムを守る十字軍勢力と戦

      い、エルサレムを陥落させる。

         アイユーブ朝スルタンのサーリフ 

      は、 モンゴル軍に滅ぼされたコラズム

      国(ホラズム国、1097年ー1220年、

      英:Khorazm)からシリアに逃(のが)

      れてきたコラズム遺民と連合して、

      エルサレム攻囲戦を行い、十字軍勢

      力(英:the Crusader force,the 

      Crusaders)が守るエルサレムを陥

      落させる。

 

    ■ 第6回十字軍(1248年〜1254年)

      によって、エルサレムを奪還できず。

    ● 第6回十字軍(1248年〜1254年)

      のフランス王ルイ9世(英:Louis IX)

      が率いる十字軍が、1249年に、エジ

      プトのナイル川河口の港町のダミエッ

      タ(英:Damietta)に襲来し、町を占

      領下に置く。 十字軍の襲来時に病

      床にあったアイユーブ朝スルタンの

      サーリフは、エルサレムの返還と引き

      換えに十字軍のダミエッタからの撤

      退を提案したが、ルイ9世は、サーリ

      フの提案を拒絶する。

         1249年10月に、アイユーブ朝

      スルタンのサーリフは、死去する。

         更に、フランス軍の十字軍は、

      エジプトのダミエッタからマンスーラに

      進軍するが、サーリフ夫人のシャジャ

      ル・アッ・ドゥッル執政(政務代理)の

      アイユーブ朝のバフリー・マムルーク

      (サーリフ直属の奴隷騎士軍団、バ

      フリーヤ)が、 1250年2月9日に、

      マンスーラの戦いで十字軍に勝利を

      収める。

         1250年2月に、サーリフの息子

      のムアッザム・トゥーラーシャーが、エ

      ジプトに帰国する。 その後、スルタン

      に即位する。

         1250年4月7日に、フランス軍

      の十字軍は、追い詰められて、ファル

      スクールの戦いで、エジプト軍に降伏

      し、ルイ9世は捕虜となる。

         その後、捕われたルイ9世は、

      トゥーラーシャー存命中の合議に従い、

      フランス軍の十字軍の全兵士の撤退

      や身代金の支払いと引き換えに釈放

      される。

     ■ クーデターにより、アイユーブ朝が

       滅亡し、マムルーク朝が樹立される。

     ● スルタンに即位したトゥーラーシ

        ャーは、 1249年10月のサーリフ

      の死後に政務の代理を行ったサーリフ

      の夫人で義母のシャジャル・アッ・ドゥ

      ッルに敵意を表し、バフリー・マムルー

      ク(サーリフ直属の奴隷騎士軍団、バ

      フリーヤ)の兵士を投獄・免職し、トゥ

      ーラーシャー直属の部下を登用した。

         シャジャル・アッ・ドゥッルとバフリ

      ー・マムルーク軍団は、共謀し、1250

      年5月2日に、アイユーブ朝のスルタン

      のトゥーラーシャーを殺害する。 ここ

      に、エジプトのアイユーブ家の政権は

      滅亡する。 トゥーラーシャーの死後に、

      シャジャル・アッ・ドゥッルを君主とする

      政権が樹立され、マムルーク朝(マメル

      ク朝、1250年ー1517年、英:The

      Sultanate of Mamelukes)が成立

      する。

 

 

 ■ エルサレム王国。

 

   ● 第1次エルサレム王国 : 

                 10991187年。

   ● 第2次エルサレム王国 : 

                 1192年ー 1291年。

   ■ 1099年から1187年までの時期のエル

    サレム王国を、第1次エルサレム王国 (英:

    The First Kingdom of Jerusalem)

    といい、

     1192年から1291年までの時期のエル

    サレム王国を、第2次エルサレム王国 (英:

     The First Kingdom of Jerusalem)

     という。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

  ■ 第1次エルサレム王国(1099〜1187年)

    は、 第1次十字軍(1096〜99年)が建国

    した

       第1次エルサレム王国の本拠地(首都)

    は、 エルサレムである。

 

  ■ 第2次エルサレム王国(1192〜1291年)

    は、 第3回十字軍(1189〜1192年)が

    建国した。

       第2次エルサレム王国の本拠地(首都)

    は、 当初はアッコンで、後に、エルサレム

    なり、その後、アッコンとなる。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ 聖地エルサレム。

 

   ■ エルサレム ( イェルサレム、英:Jerusa-

     lem)は、 キリスト教とイスラム教とユダヤ

     教の聖地 (英:The Holy Land)である。

 

   ■ エルサレム王国の十字軍が、 

     聖地エルサレムを占領・保持できた時期

     は、 紀元(後)1099年から1187年ま

     での間 と、 1229年から1244年まで

     の間のみである。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 

 ■ 十字軍の概要。

 

   ■ 十字軍とは、 (西暦・紀元後)11世紀末

    の1096年から13世紀末の1291年まで

    の間に、西欧のキリスト教徒が、 キリスト

    教の聖地回復のために起こした、大遠征軍

    である。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

   ■ 十字軍は、 聖地・エルサレムのある、 レ

    バント地域(地中海東部沿岸地域)に遠征

    し、キリスト教諸国(1098年ー1291年)を

    建国した。 しかし、ヨーロッパから遠征した

    キリスト教徒の十字軍兵士(英:Crusader

    (s))の多くがヨーロッパへ帰国し、 レバ

    ント地域のキリスト教徒の人口が減少すると

    いう問題が起こった。

 

   ■ 十字軍は、主に7回行われ、 第1回十

     字軍(1096年〜1099年)と第5回十字

     軍(1228年〜1229年)は、 キリスト教

     の聖地エルサレムの 奪回に成功し、第2・

     3・4・6・7回十字軍は、聖地エルサレム

     の奪回失敗または 関心を示さなかった。 

 

   ■ 結局、十字軍は、紀元(後)1099年から

    1187年までの間 と、 1229年から12

    44年までの間、 聖地エルサレムを奪回し

    た。

 

   ■ キリスト教徒の十字軍とイスラム教徒は、

    聖地エルサレムの奪い合いを繰り返し、

    最終的に、キリスト教徒の十字軍は、イスラ

    ム教徒に聖地エルサレムを奪われ、聖地回

    復の目的を果たせず、キリスト教徒の十字

    軍は、失敗に終わった。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ 十字軍の第一目的 : 

    キリスト教徒の聖地エルサレム

    の独占支配。

 

    ■ 十字軍は、 聖地回復のため、即ち、

     キリスト教の聖地・エルサレムを、イスラム

     教徒からキリスト教徒に取り戻し(奪還し)

     独占支配するために、 キリスト教のローマ・

     カトリック教会が提唱し、それに賛同した

     キリスト教国のヨーロッパ各国の国王や諸

     侯が派遣した軍隊である。

 

   ■ 中世ヨーロッパ (紀元(後)476年頃ー

     1453年頃)では、 西ヨーロッパのキリス

     ト教徒は、 イエス・キリストの死去・復活

     地のエルサレムへの聖地巡礼を盛んに

     行なった。 現代日本の四国札所巡礼と

     類似している。 

        しかし、イスラム教徒支配地の中に

     ある、キリスト教聖地エルサレムへの巡

     礼がイスラム教徒によって妨げられること

     を、キリスト教徒たちは恐れた。 

        当時、イスラム教徒は、キリスト教徒

     のエルサレムへの聖地巡礼には寛大であ

     り、キリスト教徒のエルサレムへの聖地巡

     礼は原則できたが、時々、トラブルが起き、

     キリスト教徒のエルサレムへの聖地巡礼

     ができないこともあった。 

       というのも、エルサレムは、イスラム教

     徒にとっても聖地(教祖ムハンマドの昇天

     地)であり、 エルサレムでイスラム教徒と

     キリスト教徒との間でトラブルが起きること

     もあったため。 一部のキリスト教徒は、

     常に聖地巡礼ができるように、キリスト教徒

     の聖地エルサレムの独占支配を望んだ。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

    

    

 

 

 

◆ 十字軍 と 映画 『 キングダム・オブ・

   ヘブン 』。

 

   

   ○ 『 キングダム・オブ・ヘブン 』 

     (2005年アメリカ映画)のPRフォト。

 

 ■ 映画『 キングダム・オブ・ヘブン 』

    の解説。

 

  ■ フィクションの映画 『 キングダム・オブ・

    ヘブン 』は、 史実(歴史の事実)に基づ

    いているが、 フィクションの脚色も多数

    ある。 

 

  ■ 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』は、

    十字軍の実態を知るには、とても良い

    映画である。

 

  ■ 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』では、

    紀元(後)1187年前後の、ヨーロッパや

    西アジアの、時代状況や活躍する人物を

    描く。

 

  ■ 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』では、

    エルサレム王国(1099年〜 1291年)

    年)の首都(本拠地)のエルサレム喪失

    の1187年前後の状況を描く。

 

  ● 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』では、

    第1次十字軍(1096年〜1099年)が

    建国したエルサレム王国(1099年〜

    1291年)が、兵士不足や内部分裂等に

    より弱体化し、 十字軍が、1187年 に、

    聖地・エルサレムを喪失する状況を描く。

 

  ■ 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』では、

    十字軍の活躍を描く。 戦闘シーンは印

    象的である。

 

  ● 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』では、

    エルサレム王国 (1099年〜1291年)

    やレバント地域のキリスト教国が連合し

    た十字軍 と、 アイユーブ朝のサラデ

    ィンのイスラム軍との戦いを描く。

 

  ● 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』では、

    十字軍とサラディンのイスラム軍による、

    西暦1187年の、ハッティン(ヒッティーン)

    の戦い(会戦)や(キリスト教とイスラム教

    の)聖地エルサレムをめぐる攻防戦など

    を、壮大なスケールで描く。

 

  ■ 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』では、

    フィクションの脚色だが、最後のシーンで、

    フランスの村で、エルサレムから帰国し

    戻った主人公(鍛冶屋(かじや))のバリ

    アン と、 これから第3次十字軍(11

    89年ー1192年)に出発するイギリス

    のイングランド王・リチャード1世が、出

    会うシーンが印象的である。

 

 

  ■ フィクションの映画 『 キングダム・オブ・

    ヘブン 』は、 史実(歴史の事実)に基づ

    いているが、 フィクションの脚色も多数

    ある。 

 

    ● ティベリウスは、トリポリ伯レイモン3世

    をモデルにしている。

 

    ● 1187年のハッティン(ヒッティーン)の

    会戦では、史実では、バリアンもトリポリ

    伯レイモン3世(映画ではティベリウス)も

    従軍し、敗戦後、逃亡し、ティール(ティル

    ス、チルス)に到着している。

      バリアンは、 ティールから脱出し、エ

    ルサレムに帰還後、1187年にエルサレ

    ム籠城戦(エルサレムの防衛、開城)を指

    導する。

 

  ■ 映画 『 キングダム・オブ・ヘブン 』の

    人公のバリアンとシビーユの行動は、 

    1187年のエルサレム籠城の件以外は、

    ほとんどフィクションである。

 

   ● 映画の主人公であるバリアンとシビーユ

     は、 史実では、1187年のエルサレム

     陥落前も、エルサレム陥落後も、対立し、

     別々に行動している。

        映画の主人公の一人のバリアン(=

     バリアン・ディブラン、バリアン・イベリン、

     バリアン・イブラン)は、 実在の人物であ

     るが、 フランスで生まれ育ったのではな

     く、史実では、パレスチナで生まれ育ち、

     元々エルサレム王国の現地の貴族であ

     り、 エルサレム王国の国王・アモーリー

     1世の2番目の妻であった未亡人のマリ

     ア・コムネナと結婚し、 アモーリー1世と

     マリア・コムネナとの間の娘のイサベル

     1世(シビーユの異母妹)を、エルサレム

     王国の女王に擁立し、実力者として勢力

     を振い、 貴族派(現地諸侯派)であり、 

     新来派(宮廷派)のエルサレム王国女王

     となったシビーユ (映画ではバリアンの

     恋人となっている) とは、対立していた。

        1187年のハッティン(ヒッティーン)

     の戦いでは、映画では、バリアンは、従軍

     していないが、 史実では、従軍し、敗戦

     し、 当時のエルサレム王国敗戦存亡時

     の唯一の領地のパレスティナ沿岸のティ

     ール(ティルス、チルス)に逃げ込み、そこ

     から脱出して、エルサレムに向かう。

        史実と映画が一致するが、バリアン

     は、 1187年のエルサレム籠城戦(エル

     サレムの防衛と開城)の指揮をとる。その

     時、シビーユもエルサレムに残っていた。

 

 

 

#thekingdomofjerusalem-appearingscenes

 

♪♪ エルサレム王国が登場する、興味

    深い関連ドキュメンタリー、ドラマ、

    映画。 

 

★ エルサレム王国が登場する、興味深

   い関連ドラマ、映画。 

  ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

    歴史のドラマ、映画 は、 史実(歴史上の

    事実) と 架空の出来事 が、 混じって、

    描かれています。 また、 現代風にアレン

    ジしてあります。

 

 ■ 『 キングダム・オブ・ヘブン 』。 

     (英語題名 : ‘‘ KINGDOM OF 

                 HEAVEN ’’) 。  

     (2005年アメリカ映画)。

 

  ■ 紀元(後)1187年前後の、ヨーロッパ

    や西アジアの時代状況や活躍する人

    物を描く。

 

  ■ エルサレム王国(1099年〜 1291年)

    年)の首都(本拠地)の1187年のエル

    サレム喪失前後の状況を描く。

 

  ■ 十字軍の活躍を描く。 戦闘シーンは

    印象的である。

 

  

  ○ 『 キングダム・オブ・ヘブン 』 

    (2005年アメリカ映画) のPRフォト。

 

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#jerusalem

 

■ エルサレム 

 

■ エルサレム。

■ 名称 : エルサレム。

■ 別名 : イェルサレム。

■ 英語名 : Jerusalem。

■ エルサレムは、

  レバント地域(地中海東部沿岸地域)のパレ

  スティナ(パレスチナ)地方の都市である。

■ エルサレムは、

   キリスト教イスラム教ユダヤ教の聖地

     ある

● TKKI カナヤマ著 電子書籍 21515。

 

 

■ エルサレム。

  ■ エルサレムは、 レバント地域(地中海東

    部沿岸地域)のパレスチナ地方の都市で

    あり、 キリスト教イスラム教ダヤ教

    の聖地 である。  

      エルサレムの別名は、イェルサレムで

    ある。

      エルサレムの英語名は、Jerusalem 

    である。

  ● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

    

    

    

 

 

■ キリスト教の聖地 のエルサレム。

  ■ エルサレムは、 キリスト教の教祖のイエ

    (英:JESUSが死去した地であるため、 

    キリスト教の聖地となる。

 

  ■ イエが十字架にかけられて死去した

    場所は、 エルサレムの旧市街のゴルゴ

    ダの丘 (ゴルゴタの丘、英:The Hill of 

    Golgothaである。

  ● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

  ● ゴルゴダの丘の正確な位置はわかって

    いない。  エルサレムの旧城壁内の、キリ

    スト教教会の「聖墳墓教会」(せいふんぼ

    きょうかい、英:The Church of the 

    Holy Sepulchre) が建っている場所、

    または、エルサレムの旧城壁外の、「園の

    墓」(英:The Garden Tomb) が建っ

    ている場所が、 ゴルゴダの丘とする説が

    ある。

 

  ● エルサレムのヴィア・ドロローサ(= 悲しみ

    の道、ラ・英:Via Dolorosa)は、 エル

    サレムにあり、 イエスが、死 刑を言い渡

    され、十字架を背負い歩いた道であり、

    ラト総督の官邸からゴルゴダの丘まで (現

    在ある、旧市街のアントニア要塞のピラト総

    督の官邸から、聖墳墓教会または園の墓

    などのイエスの十字架・磔刑地や墓地のゴ

    ルゴダの丘まで)の道のりである。

  ● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ イスラム教の聖地のエルサレム。

    ■  エルサレムは、 イスラム教の教祖のムハ

    マド(= マホメット)が死去した地といわれ

    ているため、 イスラム教の聖地となる。

 

  ■ ムハンマド(= マホメット)が死去した(昇

    天した)地と言われている場所は、 エル

    サレムの旧市街の神殿の丘 (英:The 

    Temple Mount) にある「岩のドーム」 

    (英:The Dome of the Rock) とい

    うイスラム教寺院のある場所である。

    ムハンマド(= マホメット)は、 イスラム教

    徒を率いて、アラビア半島を征服後、シリ

    ア遠征の途中で、エルサレムで死去した

    (昇天した)と言われている。

  ● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ ユダヤ教の聖地のエルサレム。

  ■ エルサレムは、 ユダヤ教の礼拝の中 心

    地の神殿があったため、 ユダヤ教の聖

    地となる。

 

  ■ エルサレムの旧市街の「神殿の丘」にあ

    る「岩のドーム」というイスラム教寺院の

    ある場所が、 ユダヤ教の礼拝の中心 地

    となったエルサレム神殿の「第二神殿」 

    (バビロン捕囚後ユダヤ人が建てた神殿、

    紀元前515年頃〜紀元(後)70年) が

    あった場所である。

 

  ■ ユダヤ教の「第二神殿」とそれを囲む外

    壁は、紀元(後)70年に、ローマ将軍・

    ティトゥスにより破壊された。 その跡地

    に、紀元(後)691年にイスラム教のカリ

    フ(宗教指導者)のマリクにより「岩のドー

    ム」が建てられた。 

 

  ■ かってあったユダヤ教のエルサレム神殿

    の「第二神殿」を囲む外壁の西側の部分

    (残骸)(西側外壁)が、 「嘆きの壁」(なげ

    きのかべ、英:The Wailing Wall) で

    ある。

  ● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 十字軍とエルサレム王国。

  ■ パレスティナ(パレスチナ)地方の、エル

    サレム、または、他の地を本拠地に、キリ

    スト教徒の十字軍(1096年〜1291年)

    が建国した王国には、 エルサレム王国

    (第1次:1099年〜 1187年、第2次:

     1192年〜1291年、英:The King-

     dom of Jerusalem) あった。

 

  ■ 結局、十字軍は、 紀元(後)1099年か

     ら1187年までの間 と、 1229年から

     1244年までの間のみ、 聖地・エルサレ

     ムを占領した。

  ● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

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#thekingdomofegypt

 

■ エジプト王国  

     (えじぷとおうこく)。

 

■ エジプト王国。

■ 名称 : エジプト王国 (えじぷとおうこう)。

■ 古代エジプト王国。

■ 紀元前3100年頃〜前332年、

   エジプト第1〜31王朝。

■ 古代エジプトにあった王国で、31の王朝が交

  代した。

■ 古代エジプト 人が中心になって樹立した王国。

■ エジプトの歴史の詳細に関しては、 世界史辞

  典の「エジプトの歴史」を参照してください。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

■ エジプト王国 (えじぷとおうこう)は、 古代エ

  ジプト王国 (英:THE ANCIENT KINGDOM 

  OF EGYPT) で、 紀元前3100年頃から前

  332年まで、 古代エジプトにあった王国である。

    エジプト王国は、 エジプト第1王朝からエジ

  プト第31王朝まで (英:THE  EGYPTIAN

  1ST−31ST DYNASTY) あり、 31の王朝

  が交代した。

    エジプト王国の英語名は、The Egyptian 

  Kingdom, The Kingdom of Egypt で

  ある。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

    

    

 

 

◆ エジプト王国。

■ 一般的に、エジプト王国は、大きく、6つの時代

  に分けられる。

 

■ (1) 早期王朝時代。

   (英:THE EARLY KINGDOM PERIOD)。 

   (紀元前3100年頃 − 前2650年頃)。

   ● 古代エジプト王国・エジプト第1〜第2王朝

   (英:THE EGYPTIAN 1ST−2ND 

   DYNASTY)。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ (2) 古王国(こおうこく)時代。

   (英:THE OLD KINGDOM PERIOD)。 

   (紀元前2650年頃 − 前2200年頃)。

   ● 古代エジプト王国・エジプト第3〜第6王朝

   (英:THE EGYPTIAN 3RD−6TH 

   DYNASTY)。

 

■ (3) 第1中間時代。

   (英:THE 1ST MIDDLE PERIOD)。 

   (紀元前2200年頃 − 前2050年頃)。

   ● 古代エジプト王国・エジプト第7〜第10王朝

   (英:THE EGYPTIAN 7TH−10TH 

   DYNASTY)。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ (4) 中王国(ちゅうおうこく)時代

   (英:THE MIDDLE KINGDOM PERIOD)。 

   (紀元前2050年頃 − 前1778年頃)。

   ● 古代エジプト王国・エジプト第11〜第12王朝

   (英:THE EGYPTIAN 11TH−12TH 

   DYNASTY)。

 

■ (5) 第2中間時代。

   (英:THE 2ND MIDDLE PERIOD  

   (紀元前1778年頃 − 前1570年頃)。

   ● 古代エジプト王国・エジプト第13〜第17王朝   

   (英:THE  EGYPTIAN 13TH−17TH 

   DYNASTY)。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ (6) 新王国(しんおうこく)時代。

   (英:THE NEW KINGDOM PERIOD 

   (紀元前1570年頃 − 前1085年頃)。

   ● 古代エジプト王国・エジプト第18〜第20王朝      

   (英:THE  EGYPTIAN 18TH−20TH 

   DYNASTY)。

 

■ (7) 後期王朝時代。

   (英:THE LATE KINGDOM PERIOD  

   (紀元前1085年頃 − 前332年)。

   ● 古代エジプト王国・エジプト第21〜第31王朝 

   (英: THE  EGYPTIAN 21ST−31ST 

   DYNASTY)。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 (1) 早期王朝時代。

   (英:THE EARLY KINGDOM PERIOD)。 

   (紀元前3100年頃 − 前2650年頃)。

   ● 古代エジプト王国エジプト第1王朝〜第2王朝。

 

 エジプト第1王朝。

 紀元前3100年頃、 メネス (ナルメル)が、上下エジ

 プトを統一し、 エジプト王国 (紀元前3100年頃〜前3

 32年、エジプト第1〜31王朝) のエジプト第1王朝が始

 まる。 首都は、メンフィスである。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 (2) 古王国時代。 

   (英:THE OLD KINGDOM PERIOD)。 

   (紀元前2650年頃 − 前2200年頃)。

   ● 古代エジプト王国エジプト第3王朝〜第6王朝。

 

■ 紀元前2686年頃から、エジプト古王国 (紀元前26

 86年頃〜前2181年頃、エジプト第3王朝からエジプト

 第6王朝まで) 時代が始まる。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 エジプト第4王朝。

  (英:THE EGYPTIAN 4TH DYNASTY)。

● エジプト古王国時代の、紀元前2589年頃 から

  前2504年頃の間まで、 エジプト第4王朝の、

  クフ王(英:Khufu)、 カフラー王(英:Khafra)、 

  メンカウラー王(英:Menkaura) が、 ギザの

  3大ピラミッドを造営する。 巨大なピラミッド(英:

  Pyramid)を築いて、 神である王の絶大な権力

  を示した。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 (4) 中王国時代

   (英:THE MIDDLE KINGDOM PERIOD)。 

   (紀元前2050年頃 − 前1778年頃)。

   ● 古代エジプト王国エジプト第11王朝〜第12王朝 。

 

■  紀元前2040年頃に、エジプト第11王朝からエジプト

 第12王朝までの、エジプト中王国(紀元前2040年頃〜

 前1786年頃、エジプト第11〜12王朝) 時代が始まる。

 都をテーベとする。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 (5) 第2中間時代。

   (英:THE 2ND MIDDLE PERIOD  

   (紀元前1778年頃 − 前1570年頃)。

   ● 古代エジプト王国エジプト第13王朝〜第17王朝。

 

■ エジプト第15〜17王朝

  (エジプト、上下エジプト分裂支配、

  下エジプト・ヒクソス支配) 時代

   《紀元前1720年頃〜前1567年》。

 

■ 紀元前1720年頃〜前1567年の間、 下エジプトは、

 ヒクソスが支配し、 上エジプトは、古代エジプト人政権が、 

 を統治する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

 紀元前1720年頃、ヒクソスが、下エジプトに侵入する。

   下エジプトは、 ヒクソスのエジプト第15・16王朝が

 支配し、 上エジプトは、 古代エジプト人政権のエジプト

 第17王朝が、統治する。

   下エジプト東部は、ヒクソスのエジプト15王朝(大ヒク

 ソス)が支配し、 下エジプト西部は、ヒクソスのエジプト

 16王朝(小ヒクソス)が支配した。

   ヒクソスとは、異国の支配者達という意味である。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 (6) 新王国時代。 

   (英:THE NEW KINGDOM PERIOD 

   (紀元前1570年頃 − 前1085年頃).

   ● 古代エジプト王国エジプト第18王朝〜第20王朝。

 

■ 紀元前1567年頃に、エジプト新王国 (紀元前156

  7年頃〜前1085年頃、エジプト第18王朝からエジプ

  ト第20王朝まで) 時代が始まる。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ エジプト第18王朝

  (英:THE EGYPTIAN 18TH DYNASTY)。

 

 紀元前1567年頃、エジプト王国(紀元前3100年頃

 〜前332年、エジプト第1〜31王朝)の第18王朝が、ヒ

 クソスを撃退する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

■ 古代エジプト人政権のエジプト第18王朝のイアフメス

 1世が、ヒクソスを滅ぼし、エジプトを再統一する。

   以後、エジプト18王朝からエジプト24王朝までの、

 古代エジプト人政権の独立王国が、続く。

 

■ エジプト第18王朝の国王の、ツタンカーメン 

  (英:TUTANKHAMUN) が、 紀元前1361

  年頃から前1352年頃 まで、 王として古代エジ

  プトを統治する。

 

■ エジプト第19王朝

  (英:THE EGYPTIAN 19TH DYNASTY)。

 

■ セティ1世(英:SETI I)は、古代エジプトの国王

  (ファラオ)として、古代エジプトを統治した。

     セティ1世は、 エジプト王国の、エジプト新王

  国の国王で、 エジプト王国の、エジプト第19王朝

  の第2代国王 である。 

    セティ1世王在位は、紀元前1290年頃ー前

  1279年頃、または、 紀元前1294年頃ー前12

  79年頃である。

    セティ1世は、 エジプト国王・ラムセス2世の父

  である。

 

■ ラムセス2世(ラメス2世 、英:RAMESSES I I

  は、 古代エジプトの国王(ファラオ)として古代エ

  ジプトを統治した。

    ラムセス2世は、 エジプト王国の、エジプト新王

  国の国王で、 エジプト王国の、エジプト第19王朝

  の第3代国王 である。 

     ラムセス2世の、王在位 は、 紀元前1279年

  頃から前1213年頃まで である。 

● 紀元前1279年頃に即位した、ラムセス2世 (王

  在位、紀元前1 279年頃〜前1213年頃)は、 エ

  ジプト第19王朝の国王で、 エジプト繁栄期の王で、

  エジプト王の中で、 アブ・シンベル神殿を造営した

  のをはじめ、 王の神殿、記念碑、像などを一番多

  く残した。 

     紀元前1274年頃、エジプト王国のラムセス2

  世は、 ッタイト王国と、カデシュの戦い(英:the 

  Battle of Kadesh)を行う。 その後、 紀元前

  1259年頃に、ヒッタイトと平和条約 (英:the 

  Egyptian-Hittite Peace Treaty)を結ぶ。 こ

  れが、世界で最初の平和条約と言われている。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

 

 

◆ (7) 後期王朝時代。

   (英:THE LATE KINGDOM PERIOD  

   (紀元前1085年頃 − 前332年)。

   ● 古代エジプト王国エジプト第21王朝〜第31王朝 。 

 

■ エジプト第25王朝 

  (エジプト、ブラック・ファラオ支配 (ヌビア

  人王支配) 時代。

  《紀元前747年〜前671年》。

 

■ 紀元前747年〜前671年の間、 ブラック・ファラオ(ヌ

 ビア人王) が、 エジプト地域を支配する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

 紀元前747年、クシュ王国 (現在のスーダンにあった

 ヌビア人の王国)の国王が、 エジプト地域も支配する。

   ヌビア人の王・ピアンキが、 上下エジプトを支配する。

 それ以後のヌビア人の王達のエジプト政権が、 ヌビア人

 政権のエジプト第25王朝(クシュ朝)、 ヌビア人王が支

 配するエジプト王国 である。

 

■ エジプト第26王朝前半

  (エジプト、アッシリア帝国支配) 時代。

   《紀元前671年〜前655年》。

 

■ 紀元前671年〜前655年の間、 アッシリア帝国 が、 

 エジプト地域を統治する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

 紀元前671年、アッシリア帝国(紀元前12世紀頃〜紀

 元前609年)が、エジプトを統治する。

    アッシリア帝国よりエジプト地域の管理を委ねられた

 のが、アッシリア帝国支配下の、古代エジプト人政権のエ

 ジプト第26王朝(サイス朝) である。

 

■ エジプト第26王朝後半

   (エジプト、古代エジプト人独立王国統治

  時代

   《紀元前655年〜前525年》。

 

■ 紀元前655年〜前525年の間、 古代エジプト人政権

 の独立王国 が、 エジプト地域を統治する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

■ 紀元前655年に、アッシリア帝国から独立する。

   古代エジプト人独立のエジプト王国(紀元前3100年

 頃〜前332年)を再興する。

   紀元前655年に、古代エジプト人の政権のエジプト第

 26王朝(サイス朝)が、アッシリアの弱体化に乗じて、独

 立を達成する。 エジプト第26王朝(サイス朝)は、アケメ

 ネス朝ペルシアに滅ぼされる前525年まで、 存続する。

 

■ エジプト第27王朝

   (エジプト、アケメネス朝ペルシア第1次支

   配) 時代。

   《紀元前525年〜前404年》。

 

■ 紀元前525年〜前404年の間、 アケメネス朝ペルシ

 ア が、 エジプト地域を支配する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

 紀元前525年、アケメネス朝ペルシアにエジプトが征

 服される。

   紀元前525年、アケメネス朝ペルシア王・カンビュセ

 ス2世により、古代エジプト人政権の独立王国が征服さ

 れる。

   ペルシア支配下でのエジプト政権が、 エジプト第27

 王朝である。

 

■ エジプト第28〜30王朝エジプト、

  (古代エジプト人独立王国) 統治時代

   《紀元前404年〜前341年頃》。

 

 紀元前404年〜前341年頃の間、 古代エジプト人

 政権の独立王国 が、 エジプト地域を統治する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

■ 紀元前404年に、 古代エジプト人政権の最後の独立

 王国 (紀元前404年〜前341年頃) が、成立する。

■ 紀元前404年に、アケメネス朝ペルシアより独立する。

 古代エジプト人政権の独立王国(エジプト第28〜30王

 朝)が、再び、出現する。

 

■ 紀元前404年に、 古代エジプト人政権の最後の独立

 王国 (紀元前404年〜前341年頃) が、成立する。

   しかし、 紀元前341年頃に、アケメネス朝ペルシアが、

 その古代エジプト人政権の最後の独立王国を征服する。

   その後、紀元前332年に、アレクサンドロス大王が、エ

 ジプトを支配する。 ここに、エジプト王国 (紀元前3100

 年頃〜前332年、エジプト第1〜31王朝)は、消滅する。 

 それ以後は、古代エジプト人の住むエジプトは、他民族に

 支配され続ける。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ エジプト第31王朝エジプト

  (アケメネス朝ペルシア第2次支配) 時代

   《紀元前341年頃〜前332年》。

 

■ 紀元前341年頃〜前332年の間、 アケメネス朝ペルシ

 アが、 エジプト地域を支配する。

 紀元前341年頃に、アケメネス朝ペルシアにより、古代エ

 ジプト人政権の独立王国が征服される。

   紀元前341年頃に、アケメネス朝ペルシア王のアルタク

 セルクセス3世が、エジプト地域を再征服する。

   ペルシア支配下でのエジプト政権が、 エジプト第31王

 朝 である。

● TKKI カナヤマ著 世界史 辞典。

 

■ エジプト、

  アレクサンドロス大王 支配時代

   《紀元前332年〜前323年》。

● 紀元前332年〜前323年の間、 アレクサンドロス大

 王 が、 エジプト地域を支配する。

● TKKI カナヤマ 著 世界史 辞典。

 紀元前332年に、ギリシア人の、アレクサンドロス大王

 (アレクサンドロス3世、アレキサンダー大王、生没年:紀

 元前356年〜前323年) が、 エジプトに侵入し、占領す

 る。 紀元前331年に、アレクサンドロス 大王は、 ナイ

 ル川河口に、 アレキサンドリアを建設する。

■ 関連する「古代ギリシア」、「ギリ シアの歴史」も参照し

 てください。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

♪♪ エジプト王国 が登場する、興 味深く、

  映画、ドラマ、ドキュメンタリー。

 

★ エジプト王国 が登場する、 興味深い、

  ドキュメンタリー。 

 

■ 『 エジプト発掘 』。    

   (第1〜4集シリーズ)。

   (NHKテレビ・2009年放送ドキュ

   メンタリー番組)。

 

■ 四大文明の精華 『 神々とファ

  ラオの遺産〜エジプト〜 』    

   (「四大文明の精華」 (第1〜4集シリーズ)

   の第1集)。

   (NHKテレビ・放送ドキュメンタリー番組)。

 

 エジプト 王国 が登場する、興味深い

   関連 映画、ドラマ。 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

  歴史のドラマ・映画 は、史実(歴史上の事実) 

  と 架空の出来事 が、混じって、描かれてい

  ます。 また、現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 ハムナプトラ/失われた砂漠

    の都 』。 

   <ハムナプトラ 1>。

   (英語題名:‘‘ THE MUMMY ’’)。

   (1999年アメリカ映画)。

● 「ハムナプトラ/失われた砂漠の都」 は、 

  古代エジプト と 1923年頃のエジプトが、

  舞台。

● 古代エジプト王国の、エジプト新王国で、エ

  ジプト第19王朝第2代の、国王(ファラオ)の

  セティ1世治世の、紀元前1290年頃の古代

  エジプト が登場する。              

 

■ 『 ハムナプトラ 2/黄金のピラ

    ミッド 』。 

   <ハムナプトラ 2>。

   (英語題名:‘‘ THE MUMMY 

    RETURNS ’’)。

   (2001年アメリカ映画)。

● 「ハムナプトラ 2」 は、 古代エジプト と 

  1931年頃のエジプトやロンドンが、舞台。

● 古代エジプト王国の、エジプト新王国で、

  エジプト第19王朝第2代の、国王(ファラオ)

  のセティ1世治世の、紀元前1290年頃の

  古代エジプト が登場する。              

● ナイル川の上流にある、エチオピア高原の

  青ナイル川で定期的に毎年起こる氾濫(は

  んらん)が、エジプトのナイル川の氾濫をも

  たらしている。 その青ナイル川のエチオピ

  ア高原の渓谷が、この映画で登場する。

 

■ 『 十戒 (じゅっかい) 』 。 

   (英語題名:‘‘ THE TEN 

   COMMANDMENTS ’’) 。

   (1956年アメリカ映画)。 

● 古代エジプト王国エジプト第19王朝の第3

  代ファラオ(国王)、ラムセス2世が登場する。 

● キリスト教の聖書の「出エジプト記」に登場す

  る、モーゼと争った、ファラオ(エジプト国王)

  は、ラムセス2世、 または、次代ファラオの

  メルエンプタハと言われている。

 

■ 『 アレキサンダー 』 。 

   (英語題名: ‘‘ ALEXANDER ’’  )。

   (2004年アメリカ映画)。 

● アレクサンドロス大王の生涯や東方遠征を

  描いている。

 

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#egebunmei

 

■ エーゲ文明  

     (えーげぶんめい)。

 

■ エーゲ文明。

■ 名称 : エーゲ文明 (えーげぶんめい)。

■ 紀元前2600年頃から紀元前1200年頃まで、

  エーゲ海を中心に栄えた、青銅器文明。

■ 関連する、「古代ギリシア」、 「ギリシアの歴史

  も参照してください。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 91324。

 

 

■ エーゲ文明の前期には、クレタ文明 (紀元前

  1900年頃〜前1400年頃)が栄え、 と エー

  ゲ文明の後期には、古代ギリシア人の、ミケー

  ネ文明 (紀元前1600年頃〜 前1200年頃)

  が栄えた。

 

   

   

 

 

■ エーゲ文明 (総合)。

■ エーゲ文明 (えーげぶんめい、英: THE 

  AEGEAN CIVILIZATION) は、 紀元前26

  00年頃から前1200年頃まで、 古代ヨーロッパ

  の、エーゲ海地域を中心に栄えた文明 である。

     エーゲ文明は、 古代ヨーロッパ文明の1つ

   であり、 オリエント文明の影響を受けて誕生し

  た青銅器文明である。

     エーゲ文明は、 クレタ文明 (= ミノス文明)、

    トロヤ文明、 ミケーネ文明(古代ギリシア人文明

  の1つ)、 などである。

     エーゲ文明の前期には、 クレタ文明(= ミノ

  ス文明)が栄え、 後期には、ミケーネ文明が栄え

  た。

     エーゲ文明の最後に栄えた、ミケーネ文明は、 

  紀元前1200年頃に、消滅した。 原因は不明で

  ある。 これ以後、エーゲ海地域の、古代ギリシア

  は、 暗黒時代(紀元前1200年頃ー前800年頃) 

  に入る。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ エーゲ文明の前期には、 クレタ島を中心とする

  クレタ文明 (= ミノス文明、ミノア文明、紀元前

  1900年頃〜前1400年頃)が栄え、 エーゲ文

  明の後期には、 ミケーネ、ティリンス、ピュロスな

  ど、ギリシア本土を中心とする、ミケーネ文明(紀

  元前1600年頃〜前1200年頃)が栄えた。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

         

■ ミケーネ文明。

■ エーゲ文明の古代ギリシア人文明。

■ ミケーネ文明 (みけーねぶんめい)は、 紀元前

  1600年頃から前1200年頃まで、古代ギリシア

  人(イオニア人、アイオリス人)により、 ギリシア

  本土を中心に栄えた文明である。

     ミケーネ文明の英語名は、THE MYKENAI 

  (MYCENAE) CIVILIZATION である。

     ミケーネ文明は、 古代ヨーロッパの、エーゲ

  文明 (トロヤ文明、クレタ文明(= ミノス文明)、

  ミケーネ文明など) の1つである。

     ミケーネ文明は、 古代ギリシア 人の一派の

  アカイア人(イオニア人、アイオリス人)により、

  ギリシア本土を中心に栄えた文明 である。

     ミケーネ文明は、 紀元前1200 年頃に、

  滅した。 原因は不明である。 これ以後、エーゲ

  海地域の、古代ギリシアは、 暗黒時代 (紀元

  前1200年頃ー前800年頃) に入る。

     ミケーネ文明は、 ドイツ人のシュリーマンに

  より発見(発掘)された。 

     ミケーネ文明は、 線文字Bを使用した。 線

  文字Bをイギリス人のヴェントリスが解読する。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ ミケーネ文明 

  (紀元前1600年頃〜前1200年頃)。

     ミケーネ文明は、 アカイア人の、イオニア人

  とアイオリス人の文明で、 小国家が分立し、抽象

  的・幾何学的模様の陶器や戦士・馬・狩猟の壁画

  があり、 戦闘的・軍事的特徴をもつ文明であった。  

  巨石でできた城砦王宮(じょうさいおうきゅう)を中

  心とした小王国を建てた。 文字は、線文字Bを使

  用していた。 

     ミケーネ文明の、小王国は、専制権力をもっ

  た王がいて、貢納王政であった。 つまり、役人組

  織を使って農民から農産物などを徴収する貢納王

  政であった。 

     ドイツの、シュリーマンが、最初に、ミケーネ文

  明を発見する。 

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

★ ミケーネ文明関連映画。

■ 「トロイ」。

  (英語題名:TROY)。

  (2004年アメリカ映画)。

  ○ 紀元前1250年頃の、 エーゲ海地域のト

  ロイでの、 ミケーネ文明の 古代ギリシア人(イ

  オニア人、アイオリス人) と、 トロヤ文明 のト

  ロヤ人(トロイ人) との戦いを描く。

 

 

 クレタ文明。

 クレタ文明 (くれたぶんめい) は、 ミノス文明、

  ミノア文明ともいい、 紀元前1900年頃から前

  1400年頃まで、 ミノア人により、ギリシアのク

  レタ島を中心に栄えた文明である。

     クレタ文明(= ミノス文明、ミノア文明)の英

  語名は、 THE KRETA (CRETA) CIVILI-

    ZATION, THE MINOS CIVILIZATION

    である。

     クレタ文明 (= ミノス文明、ミノア文明) は、 

  古代ヨーロッパの、エーゲ文明 (トロヤ文明、ク

  レタ文明(= ミノス文明)、ミケーネ文明、の3文明)

  の1つ である。            

     クレタ文明は、 エーゲ文明 (トロヤ文明、

  クレタ文明(= ミノス文明)、ミケーネ文明、の3文

  明) の1つ である。

     クレタ文明(= ミノス文明、ミノア文明) は、 

  ギリシア人の一派のアカイア人(イオニア人、アイ

  オリス人)によって滅ぼされたという説がある。

      クレタ文明 (= ミノス文明、ミノア文明) は、 

  イギリス人のエバンズにより発見(発掘)された。

  絵文字や線文字Aを使用した。

    クレタ文明の滅亡の原因は不明である。 紀元

  前1400年頃、 ミケーネ文明のアカイア人(イオ

  ニア人とアイオリス人)が、 クレタ島に侵入し、ク

  レタ島を支配したという説がある。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ クレタ文明 

  (紀元前1900年頃〜前1400年頃)。

    クレタ文明は、 民族系統不明のミノア人の文明

  であり、 王の力は弱く、写実的で、ダイナミックな、

  彩色土器、動植物・魚や宮廷生活の壁画などがあり、 

  牡牛(おうし)が重要であった。  数百もの部屋が

  ある迷宮の、クノッソス宮殿があった。 文字は、絵

  文字と線文字A(2つとも未解読)を使用していた。 

  開放的で明るく平和な、海洋民族の文明であった。 

  文明の滅亡の原因は不明である。

    イギリスの、エヴァンズが、最初に、クレタ文明を

  発見(発掘)する。 

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

■ トロヤ文明。

■ トロヤ文明 (とろやぶんめい、英:THE TROIA 

  CIVILIZATION.) は、 トロイア文明ともいい、 

  紀元前2600年頃から前1250年頃まで、 トロ

  ヤ人により、 小アジア(トルコ地域)のトロヤを中

  心に栄えた文明である。

     トロヤ文明は、 古代ヨーロッパの、エーゲ文

  明 (トロヤ文明、クレタ文明(= ミノス文明)、ミケ

  ーネ文明など) の1つである。

     トロヤ文明は、 エーゲ文明 (トロヤ文明、

  クレタ文明(= ミノス文明)、ミケーネ文明、の3

  文明) の1つ である。

     トロヤ文明は、 ギリシア人の一派のアカイ

  ア人(イオニア人、アイオリス人)により、または、

  大地震により、滅んだ。

     トロヤ文明は、 ドイツ人のシュリーマンによ

  り発見(発掘)された。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

■ 紀元前1250年頃、 古代ギリシア人(イオニア人

  とアイオリス人)が、 トロヤを侵略し、 トロヤ文明

  を滅ぼしたという説がある。

 

■ 紀元前1250年頃、 エーゲ海地域で、トロイ戦争

  が起こる。 

● 1250年頃、 エーゲ海地域で、 トロイ(トロヤ、ト

  ロイア)戦争が起こる。 ミケーネ(ミケナイ、ミケーナ

  イ、英:Mycenae)が指導する、古代ギリシア軍が、 

  トロイ(トロヤ、トロイア)を攻め、 トロイに勝利し、古

  代ギリシア軍が、トロイの都市を破壊し、トロイ(トロ

  ヤ、トロイア)文明が滅んだと言われている。

 

● 古代ギリシアの2大叙事詩のホメロスの『イリアス』

  や『オデュツセイア』では、 古代ギリシャのミケーネ

  のアガネムオン王の后(夫人)・ヘレンが、 ミケーネ

  のアガネムオン王を訪問中のトロイの王子のパリス

  と恋に落ち、 王を捨てパリスのもとに走り去る。 

     怒ったアガネムオン王は、 他ギリシャの諸小

  王国の助けを得て、 王の后(夫人)・ヘレンを奪還

  すべく、 城壁都市のトロイを攻めて、 オデュツセウ

  スの戦略で勝利し、 トロイを滅ぼし、王妃(夫人)・

  ヘレンを奪還する、物語である。

 

● 古代ギリシアの吟遊詩人のホメロス(HOMEROS、

  ホーマー、実在人物がどうかは不明)が、『イリアス』

  や『オデュツセイア』の2つの2大叙事詩で、 トロイ

  戦争のついて、詠(うた)っている。

 

● トロイ戦争の証拠は、発掘調査では、 小アジア(ト

  ルコ地域)のトロイ(英名:Troy)でも、 ギリシアの

  ミケーネ (ミケナイ、ミケーナイ、英:Mycenae) で

  も、まだ見つかっていない。

 

● 発掘調査では、 トロイは、長い歴史を持ち、 紀元

  前2900年頃より紀元(後)550年頃まで、 トロイ

  の同じ地域に、 (9層に)9つの都市があった。 紀

  元前1250年頃に栄えていたトロイ都市 (トロイ遺

  跡第6層)は、 発掘調査では、 戦争ではなく、地震

  によって、破壊され、滅んだ。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

★ トロヤ文明関連映画。

■ 「トロイ」。

  (英語題名:TROY)。

  (2004年アメリカ映画)。

● 紀元前1250年頃の、 エーゲ海地域のトロイ

  での、 ミケーネ文明の 古代ギリシア人(イオニ

  ア人、アイオリス人) と、 トロヤ文明 のトロヤ

  人(トロイ人) との戦いを描く。

     

 

♪♪ エーゲ文明 が登場する、興味深

  い、ドキュメンタリー、映画、ドラマ。 

 

★ エーゲ文明 が登場する、興味深い、

  映画、ドラマ。 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

    歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実) 

    と 架空の出来事 が 混じって描かれています。

   また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 トロイ 』。 

   (英語題名: ‘‘ TROY ’’)。

   (2004年アメリカ映画)。

■ 紀元前1250年頃の、エーゲ海地域のトロイ

  での、 ミケーネ文明の 古代ギリシア人(イオ

  ニア人、アイオリス人) と、 トロヤ文明 のト

  ロヤ人(トロイ人) との戦いを描く。

 

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#ecuador

 

■ エクアドル 

 

■ エクアドル。

■ 名称 : エクアドル。

 英名  : ECUADOR。

■ 国名別名 : エクアドル共和国  (Fc14)。

 英語 国名別名  : THE REPUBLIC 

     OF ECUADOR (Fc14)。

■ 現存独立国。  《国名》。

■ 略称名 (略号コード) :   ECU

■ エクアドルの位置 

  (英:THE ECUADORIAN 

  (ECUADOR’S) LOCATION) : 

  南アメリカ。

■ エクアドルの国民 

  (英:THE  NATIONAL(S) OF 

  ECUADOR) :

  エクアドル人 

    (英:ECUADORIAN(S)

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

      

    

 

 

◆ 現在のエクアドル (ECU)

■ 国の面積 : 約 256,000  KM2。  

                         (Ar14)

■ 国の人口 : 約 14,666,000  人 

                         (Po14)

■ 人口密度 : 57.2   人/KM2。  

                         (Pd14)

■ 国の首都 : キト。           (Ca14)

           (英:QUITO)。       

○ 数値は、国連統計に基づく。

 

■ エクアドル (英:ECUADOR) は、現在、

  南アメリカ にある独立国 である。

 

■ エクアドルの国名の別名は、 エクアドル

     共和国  (英:THE REPUBLIC OF 

     ECUADOR) (Fc14) である。  

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ エクアドルの位置 (英:THE ECUADO-

  RIAN (ECUADOR’S) LOCATION) 

  は、 南アメリカ である。

 

■ エクアドルの国民 (英:THE  NATIONAL

  (S) OF ECUADOR) は、 エクアドル人 

    (英:ECUADORIAN(S))  である

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

 

■ 略称名 (略号コード)。

■ エクアドル (英:ECUADOR)の略称名 

  (略号コード)は、   ECU 

    ある。

● (): IOCコード 。

   (): ISO 3166-1 alpha3 コード 。

   (): FIFAコード。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

 

◆ (Hi34) エクアドル簡略歴史

   一覧表。

 

○ 現在から過去へ。

 

■ 1830年 − 現在。

  ● エクアドル共和国 の統治。

○ 1830年からから現在まで、 

  エクアドル共和国 (1830年−現在、英:

  THE REPUBLIC OF ECUADOR) 

   エクアドル地域を 統治する。

○ 1830年に、エクアドルは、 グラン・コロ

  ンビア共和国から分離独立する。

 

■ 1822年 − 1830年

  ● グラン・コロンビア共和国 の統治。

○ 1822年から1830年まで、 

  グラン・コロンビア共和国 (1819−1831

  年、英:THE REPUBLIC OF GRAN 

  COLOMBIA) が、 エクアドル地域を統治

  する。

○ コロンビア、パナマ、べネズエラ、エクアドル

  の地域は、 1819年〜1822年に、スペイ

  ン軍と戦い、勝利を収め、グラン・コロンビア

  共和国を構成した。

    1819年にコロンビアとパナマの地域は

  グラン・コロンビア共和国を形成した。 18

  21年にべネズエラが、グラン・コロンビア共

  和国に加わり、 1822年にエクアドルが、

  グラン・コロンビア共和国に加わった。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1533年 − 1822年

  ● スペイン領 エクアドル

    (スペイン支配下のエクアドル)。

○ 1533年から1822年まで、 

  スペインは、 エクアドル地域を支配 する。

○ 1533年に、  エクアドル地域は、スペイン

  に支配される。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 15世紀 − 1533年

  ● インカ帝国領 エクアドル

      (インカ帝国支配下のエクアドル)。

○ 15世紀から1533年まで、 

  ケチュア族のインカ帝国 (1438年〜1533

  、英:THE INCA EMPIRE) が、 エク

  アドル地域 を支配する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■  − 15世紀

  ● 南米インディオの独立居住

○ 15世紀まで、  

  南米インディオ (英:SOUTH AMERICAN 

  INDIANS) の、先住民(現地民) (英:NA-

  TIVE(S)) が、 エクアドル地域に、独立して

  居住する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

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#egypt

 

■ エジプト 

 

■ エジプト。

■ 名称 : エジプト。

 英名  : EGYPT。

■ 国名別名 : エジプト・アラブ共和国  

  (Fc14)。

 英語 国名別名  : THE ARAB 

   REPUBLIC OF EGYPT (Fc14)。

■ 現存独立国。  《国名》。

■ 略称名 (略号コード) :   EGY

■ エジプトの位置 

  (英:THE  EGYPTIAN (EGYPT’S) 

  LOCATION) : 

  アフリカ北部。

■ エジプトの国民 

  (英:THE NATIONAL(S) OF EGYPT) :

  エジプト人 

    (英:EGYPTIAN(S)

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

    ■ アフリカ。

            (英:AFRICA).

        

 

    ■ アフリカ諸国・地域。

       (英:THE AFRICAN COUNTRIES AND AREAS).

    

    ○ 各国・地域 略称名 (略号コード) : ISO コード (:)。

       (英: EACH COUNTRY AND AREA CODE : 

        ISO CODE  (:)).  

 

 

◆ 現在のエジプト (EGY)

■ 国の面積 : 約 1,002,000  KM2。  

                         (Ar14)

■ 国の人口 : 約 82,537,000  人 

                         (Po14)

■ 人口密度 : 82.4   人/KM2。  

                          (Pd14)

■ 国の首都 : カイロ 。        (Ca14)

          (英:CAIRO)。       

○ 数値は、国連統計に基づく。

 

■ エジプト (英:EGYPT) は、現在、北アフ

  リカ にある独立国 である。

 

■ エジプトの国名の別名は、 エジプト・アラブ

  共和国  (英:THE ARAB REPUBLIC 

  OF EGYPT) (Fc14) である。  

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ エジプトの位置 (英:THE  EGYPTIAN 

  (EGYPT’S) LOCATION) は、 

  アフリカ北部 である。

 

■ エジプトの国民 (英:THE NATIONAL(S) 

  OF EGYPT) は、 エジプト人 

    (英:EGYPTIAN(S))  である

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

 

■ 略称名 (略号コード)。

■ エジプト (英:EGYPT)の略称名 

  (略号コード)は、   EGY  である。

● (): IOCコード 。

   (): ISO 3166-1 alpha3 コード 。

   (): FIFAコード。

 

 

◆ エジプトの歴史。

■ エジプトの歴史の詳細に関しては、エジプト史

  ガイドブック」 を参照してください。

■ エジプトの歴史の詳細に関しては、世界史辞典

  の「エジプトの歴史」を参照してください。

 

◆ (Hi37) エジプト詳細歴史一覧表。

 

  ○ 現在から過去へ。

 

 イスラム教徒統治時代 。 

   (英: THE ISLAMIC PERIOD)。

   《紀元(後)642年〜現在》。

  ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1971年 −  現在。

   ● エジプト・アラブ共和国 の統治。

 ○ 1971年から現在まで、 

  エジプト・アラブ共和国 (1971年ー現在、英:

    THE ARAB REPUBLIC OF EGYPT) 

    が、 エジプト地域を統治する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1958年 − 1971年。

   ● アラブ連合共和国 の統治

 ○ 1958年から1971年まで、 

  アラブ連合共和国 (1958−1971年、英:

  THE UNITED ARAB REPUBLIC) が、 

   エジプト地域 (英:THE REGION OF 

  EGYPT) を統治する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1953年 − 1958 年。

   ● エジプト共和国 の統治。

 ○ 1953年から1958年まで、 

  エジプト共和国 (19531958年、英:THE 

  REPUBLIC OF EGYPT) が、 エジプト

  域を統治する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1922年 − 1953年。

   ● エジプト王国 (独立国) の統治。

 ○ 1922年から1953年まで、 

  エジプト王国 (独立国) (19221953年、

  英:THE KINGDOM OF EGYPT (THE 

  INDEPENDENT COUNTRY)) が、 エジ

  プト地域を統治する。

 ○ 1922年に、エジプト地域は、 イギリスより、

  独立する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1882年 − 1922年。

   ● イギリス支配下のエジプト。

 ○ 1882年から1922まで、 

  イギリス (英:BRITAIN) が、 エジプト地域

  を統治する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1811年 − 1882年。

   ● エジプト藩王国(アリー朝) (独立国) 

    の統治。

 ○ 1811年から1882まで、 

  エジプト藩王国(アリー朝) (独立国) が、

  エジプト地域を統治する。

 ○ 1811年から1882まで、 

  エジプト藩王国(アリー朝) (18111882

  年、英: THE KHEDIVATE OF EGYPT 

  OF THE ALI DYNASTY) (独立国) 

  (英:THE  INDEPENDENT COUNTRY))

  が、 エジプト地域を 統治する。

  ○ ムハンマド・アリーは、 1805年に、オスマン・

  トルコ帝国のエジプト総督に就任し、1811年に、

  エジプトを事実上独立させ、 エジプト藩王国(ア

  リー朝)の建国者、藩王 となる。

  ○ ムハンマド・アリー (生没年:1769〜1849年、

  藩王在位:1811〜1848年、英:MUHAMMAD 

  ALI) は、 1805年に、 オスマン・トルコ帝国

  (1299年〜1922年、英:THE OTTOMAN 

  TURKISH EMPIRE) のエジプト総督に就任し、

  1811年に、エジプトを事実上独立させ、 エジプト

  藩王国(アリー朝) (1811年〜1882年)の建国

  者、藩王 となる。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1517年 − 1811年。

   ● オスマン・トルコ帝国支配下のエジプト。

 ○ 1517年から1811まで、 

  オスマン ・トルコ帝国 (1299年〜1922年、

  英: THE OTTOMAN TURKISH 

  EMPIRE) が、 エジプト地域を 支配する。

  ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1250年 − 1517年。

   ● マムルーク朝 の統治。

 ○ 1250年から1517年まで、 

  マムルーク朝(マメルク朝)が、 エジプト地域を

  統治する。

  ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

  ○ 1250年から1517年まで、 

  マムルーク朝(マメルク朝) (1250−1517年、

  英:THE MAMLUK SULTANATE ; THE 

  SULTANATE OF THE MAMLUKS

  (MAMELUKES, MAMELUKS)) が、エジ

  プト地域を統治する。

 

   ● クーデターにより、アイユーブ朝が滅亡

     し、マムルーク朝が樹立される。

       1249年10月に、アイユーブ朝スル

     タンのサーリフは、死去する。

       1249年10月のサーリフの死去以後

     に執政(政務の代理)を行ったサーリフの

     夫人のシャジャル・アッ・ドゥッルが指導す

     る、バフリー・マムルーク(サーリフ直属の

     奴隷騎士軍団、バフリーヤ)は、 エジプト

     に侵略した第6回十字軍(1248年〜12

     54年)のフランス軍の十字軍に対し、12

     50年2月にエジプトのマンスーラの戦い

     で勝利を収め、追い詰めて、1250年4

     月にエジプトのファルスクールの戦いで、

     勝利を収め、ルイ9世は捕虜とする。

        サーリフの死後、エジプトに帰国し

     スルタンに即位したサーリフの息子のト

     ゥーラーシャーは、 サーリフの夫人で

     母のシャジャル・アッ・ドゥッルに敵意を

     表し、バフリー・マムルーク(サーリフ直

     属の奴隷騎士軍団、バフリーヤ)の兵士

     を投獄・免職し、 トゥーラーシャー直属

     の部下を登用した。

         シャジャル・アッ・ドゥッルとバフリ

      ー・マムルーク軍団は、共謀し、1250

      年5月2日に、アイユーブ朝のスルタン

      のトゥーラーシャーを殺害する。

         エジプトのアイユーブ家の政権は

      滅亡する。 トゥーラーシャーの死後に、

      シャジャル・アッ・ドゥッルを君主とする

      政権が樹立され、マムルーク朝が成立

      する。

   ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1171年 − 1250年。

  ● アイユーブ朝 の統治。

 ○ 1171年から1250まで、 

  アイユーブ朝(アユーブ朝) (1169−1250

  年、英:THE AYYUBID SULTANATE,

  THE SULTANATE OF THE AYYUBIDS) 

  が、 エジプト地域を統治する。

  ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 1169年 − 1171年。

   ● アイユーブ朝 と、 ファーティマ朝 の統治。

 ○ 1169年から1171まで、 

  アイユーブ朝(アユーブ朝) と、 ファーティマ 

  朝(カイロ・カリフ国、中カリフ国) が、 エジプ

  地域を統治する。

  ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ○ 1169年から1171まで、 

  アイユーブ朝(アユーブ朝) (1169−1250

  年、英:THE AYYUBID SULTANATE) 

  と、 ファーティマ朝 (カイロ・カリフ国、中カリ

  フ国、909−1171年、英:THE FATIMID 

  CALIPHATE) が、エジプ ト地域を統治する。

 

    ● ファーティマ朝の宰相を務めていた

      サラディンは、 1169年に、

      エジプト地域の実権を掌握(しょうあく)

      し、自らアイユーブ朝を開き、1171

      年にファーティマ朝を滅ぼす。

 

    ● エジプトで、ファーティマ朝の宰相を務

      めていたサラディン (サラーフッディー

      ン、サラーフ・アッディーン、英:Saladin、

      Salāh d-dīn,王在位: 1169年−

      1193年,グルド人)は、 1169年に、

      エジプト地域の実権を掌握(しょうあく)

      し、自らアイユーブ朝 (アユーブ朝、

      1169年ー1250年、英:The 

      Ayyubid Sultanateを開き(創建し)、

      1171年にファーティマ朝 (969年ー

      1171年)を滅ぼす。

 

 ■ 969年 − 1169年。

   ● ファーティマ朝 の統治。

 ○ 969年から1169まで、 

   ファーティマ朝 (カイロ・カリフ国、中カリフ

   国) が、 エジプト地域を統治する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ○ 969年から1169まで、 

  ファーティマ朝 (カイロ・カリフ国、中カリフ

  国、909−1171年、英:THE FATIMID 

  CALIPHATE ; THE CALIFATE OF 

  CAIRO ; THE CALIFATE OF THE 

  FATIMIDS が、 エジプト地域を統治する。

 

 ■ 800年 − 969年。

   ● エジプトのイスラム諸国 の統治。

 ○ 800年から969まで、 

  エジプトのイスラム諸 国 (英:THE EGYP-

  TIAN ISLAMIC COUNTRIES) が、エジ

  プト地域を統治する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 750年 −  800年。

   ● アッバス朝支配下のエジプト。

 ○ 750年から 800年まで、 

  アッバス朝 (東カリフ国)が、 エジプト地域を

    支配する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 ○ 750年から 800年まで、 

  アッバス朝 (東カリフ国) (750−1258年、

  英:THE ABBASID CALIPHATE ; THE 

  CALIFATE OF THE ABBASSIDS) が、

  エジプト地域を支配する。

 

 ■ 661年 − 750 年。

   ● ウマイヤ朝支配下のエジプト。

 ○ 661年から750 年まで、 

  ウマイヤ朝が、 エジプト地域を 支配する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 ○ 661年から750 年まで、 

  ウマイヤ朝 (661−750年、英:THE 

  UMAYYAD CALIPHATE ; THE 

    UMAYYA EMPIRE) が、 エジプト地域

    を支配する。

 

 ■ 紀元(後) 642年 − 661年。

   ● 正統カリフ・イスラム帝国の支配下の

    エジプト。

 ○ 642年から661まで、 

  正統カリフ・イスラム帝国 紀元(後)632

  −661年、英: THE RASHIDUN 

  CALIPHATE) の アラビア人・イスラム教

  徒が、 エジプト地域 を支配する。

 

   ○ 642年に、 正統カリフ・イスラム帝国 (英:

    THE RASHIDUN CALIPHATE、 紀元

    (後)632年−661) のイスラム軍が、エジ

    プトを占領する。

      その時に、642年に、アレクサンドリア

    図書館 (英:THE LIBRARY OF ALE-

    XANDRIA) が焼失する。

   ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 

 古代ローマ人・ビザンティン人 支配

  時代。 

   (英:THE ROMAN AND BYZANTINE

   RULING PERIOD)。

   《紀元前30年〜紀元(後)642年》。

 

 ■ 紀元(後) 395年 − 642年。

   ● 東ローマ帝国支配下のエジプト。

 ○ 395年から642まで、 

  東ローマ帝国(= ビザンツ帝国) (395年

  ー1453年) が、 エジプト地域を 支配す

  る。

 ○ 395年から642まで、 

  東ローマ帝国(= ビザンツ帝国) (395年

  ー1453年、英:THE EAST  ROMAN 

  EMPIRE ; THE BYZANTINE

  EMPIRE) が、 エジプト地域を支配する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 紀元前27年 −  紀元(後)395年。

   ● ローマ帝国支配下のエジプト。

 ○ 紀元前27年から紀元(後)395 年まで、 

  ローマ帝国 (= 帝政ローマ) (紀元前27

  年ー紀元(後)395 年、英:THE ROMAN 

  EMPIRE) が、 エジプト地域を統治する。

 

 ■ 紀元前30年 − 前27年。

   ● ローマ共和国支配下のエジプト。

 ○ 紀元前30年から前27年まで、 

  ローマ共和国(= 共和政ローマ) (紀元前

  509年ー前27年、英:THE ROMAN 

  REPUBLIC) が、 エジプト地域を統治す

  る。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 

 古代ギリシア人 支配時代。 

   (英:THE ANCIENT GREEK RULING 

   PERIOD)。

   《紀元前332年〜前30年》。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 紀元前304年 −  前30年。

   ● プトレマイオス朝エジプト の支配。

 ○ 紀元前304年から30年まで、 

  プトレマイオス朝エジプトが、 エジプト地域

    を支配する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 ○ 紀元前304年から30年まで、 

  プトレマイオス朝エジプト (紀元前304年−

  前30年、英:THE GREEK EGYPTIAN 

  KINGDOM OF THE PTOLEMY 

  DYNASTY) が、 エジプト地域を支配する。

 

 ■ 紀元前323年 − 前304年。

   ● 政治変革期のエジプト。

 ○ 紀元前323年から前304年まで、 

  エジプト地域は、  政治変革期 (英:EGYPT 

  IN THE POLITICAL CHANGING 

  PERIOD) であった。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 紀元前332年 − 前323年。

   ● アレクサンドロス大王支配下のエジプト。

 ○ 紀元前332年から前323年まで、 

  アレクサンドロス大王 (生没年:紀元前356−

  前323年、英:ALEXANDER THE GREAT) 

  が、 エジプト地域を支配する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 

 古代エジプト人統治時代 ・   

  エジプト王国(第1〜31王朝)時代。

   (英: THE PERIOD OF THE 

   ANCIENT EGYPTIAN KINGDOM 

   OF THE 1STー31ST DYNASTIES)。

   《紀元前3100年頃〜前332年》。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 紀元前3100年頃 − 前332年。

   ● エジプト王国(第1〜31王朝) の統治。

 ○ 紀元前3100年頃から前332年まで、 

  エジプト王国 (第1〜31王朝、紀元前3100

  年頃前332年 が、 エジプト地域を統治

  する。

 ○ 紀元前3100年頃から前332年まで、 

  エジプト王国 (第1〜31王朝、紀元前3100

  年頃前332年、英:THE KINDGDOM 

  OF EGYPT (OF THE 1ST−31ST 

  DYNASTIES)) が、 エジプト地域を統治す

  る。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 

 古代エジプト人独立居住時代 。 

   (英: THE PERIOD WHEN ANCIENT 

   EGYPTIANS LIVED INDEPENDENTLY) 。

   《紀元前12000年頃〜紀元前3100年頃》。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

 ■ 紀元前12000年頃 − 前3100年頃。

   ● 古代エジプト人の独立居住。

 ○ 紀元前12000年頃から前3100年頃まで、 

  現地民の、古代エジプト人が、 エジプト地域

  で、 独立して居住する。

 ○ 紀元前12000年頃から前3100年頃まで、 

  現地民(英:NATIVE(S))の、古代エジプト人 

  (英:ANCIENT EGYPTIANS) が、 エジ

  プト地域で、 独立して居住する。

 ● TKKI カナヤマ著 エジプト史ガイドブック。

 

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#estonia

 

■ エストニア 

 

■ エストニア。

■ 名称 : エストニア。

 英名  : ESTONIA。

■ 国名別名 : エストニア共和国  (Fc14)。

 英語 国名別名  : THE REPUBLIC 

   OF ESTONIA (Fc14)。

■ 現存独立国。  《国名》。

■ 略称名 (略号コード) :  EST

■ エストニアの位置 

  (英:THE  ESTONIAN (ESTONIA’S)

  LOCATION) : 

    ヨーロッパ北東部、 バルト3国の1つ。

■ エストニアの国民 

  (英:THE NATIONAL(S) OF 

     ESTONIA) :

  エストニア人 

    (英:ESTONIAN(S)

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

    

    

 

 

◆ 現在のエストニア (EST)

■ 国の面積 : 約 45,000  KM2。  

                       (Ar14)

■ 国の人口 : 約 1,341,000  人 

                       (Po14)

■ 人口密度 : 29.7 人/KM2。  

                        (Pd14)

■ 国の首都 : タリン 。       (Ca14)

           (英:TALLINN)。       

○ 数値は、国連統計に基づく。

 

■ エストニア (英:ESTONIA) は、現在、

     ヨーロッパ北部、 バルト3国の1つ にあ

  る独立国 である。

 

■ エストニアの国名の別名は、 エストニア

  共和国  (英:THE REPUBLIC 

  OF ESTONIA) (Fc14) である。  

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ エストニアの位置 (英:THE  ESTONIAN 

  (ESTONIA’S) LOCATION) は, 

    ヨーロッパ北東部、 バルト3国の1つ である。

 

■ エストニアの国民  (英:THE NATIONAL

  (S) OF ESTONIA) は、 エストニア人 

    (英:ESTONIAN(S))  である

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

 

■ 略称名 (略号コード)。

■ エストニア (英:ESTONIA)の略称名 

  (略号コード)は、    EST  

    である。

● (): IOCコード 。

   (): ISO 3166-1 alpha3 コード 。

   (): FIFAコード。

 

 

◆ (Hi34) エストニア簡略歴史一覧表。

 

○ 現在から過去へ。

 

■ 1991年 − 現在。

  ● エストニア共和国 (独立国) の統治。

○ 1991年から現在まで、 

  エストニア共和国 (1991年−現在、英:THE 

  REPUBLIC OF ESTONIA) (独立国) が

  エストニア地域を統治する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1940年 − 1991年

  ● ソ連領 エストニア

    (ソ連支配下のエストニア)。

○ 1940年から1991年まで、 

   ソ連 (1922年−1991年、英:THE 

   SOVIET UNION) が、 エストニア地域

   (英:THE REGION OF ESTONIA) を

   支配する

 

■ 1918年 − 1940年

  ● エストニア共和国 (独立国) の統治。

○ 1918年から1940年まで、 

  エストニア共和国 (1918年−1940年、英:

  THE REPUBLIC OF ESTONIA) (独立

  国)が エストニア地域を統治する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1917年 − 1918年

  ● 政治変革期のエストニア。

○ 1917年から1918年年まで、 

  エストニア地域は、 政治改革期であった 

  英:ESTONIA IN THE  POLITICAL 

  CHANGING PERIOD)。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1721年 ー 1917年。

  ● ロシア帝国(ロマノフ朝)領 エストニア。

○ 1721年から1917年まで、 

   ロシア帝国(ロマノフ朝) (1613年−1917

  年、英:THE RUSSIAN EMPIRE OF 

  THE ROMANOV DYNASTY) が、 エス

  トニア地域 を支配する。

○ 1721年に、 エストニア地域は、 ロシア帝

  国(ロマノフ朝) に支配される。

 

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#ethiopia

 

■ エチオピア 

 

■ エチオピア。

■ 名称 : エチオピア。

 英名  : ETHIOPIA。

■ 国名別名 : エチオピア連邦民主共和国  

  (Fc14)。

 英語 国名別名  : THE FEDERAL 

  DEMOCRATIC REPUBLIC 

  OF ETHIOPIA (Fc14)。

■ 現存独立国。  《国名》。

■ 略称名 (略号コード) : 

        ETH

■ エチオピアの位置 

  (英:THE  ETHIOPIAN 

  (ETHIOPIA’S) LOCATION) : 

  アフリカ北東部。

■ エチオピアの国民 

  (英:THE NATIONAL(S) OF 

  ETHIOPIA) :

  エチオピア人 

  (英:ETHIOPIAN(S)

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

    

    

 

 

◆ 現在のエチオピア (ETH)

■ 国の面積 : 約 1,104,000  KM2。  

                       (Ar14)

■ 国の人口 : 約 84,734,000  人 

                       (Po14)

■ 人口密度 : 76.7  人/KM2。  

                        (Pd14)

■ 国の首都 : アディスアベバ。  (Ca14)

      (英:ADDIS ABABA)。       

○ 数値は、国連統計に基づく。

 

■ エチオピア (英:ETHIOPIA) は、現在、

    アフリカ北東部 にある独立国 である。

 

■ エチオピアの国名の別名は、エチオピア

  連邦民主共和国  (英:THE FEDERAL 

  DEMOCRATIC REPUBLIC OF 

  ETHIOPIA) (Fc14) である。  

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ エチオピアの位置 (英:THE  ETHIOPIAN 

  (ETHIOPIA’S) LOCATION) は、アフリカ

  北東部 である。

 

■ エチオピアの国民 (英:THE NATIONAL

  (S) OF ETHIOPIA) は、 エチオピア人 

  (英:ETHIOPIAN(S))  である

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

 

■ 略称名 (略号コード)。

■ エチオピア (英:ETHIOPIA)の略称名 

  (略号コード)は、   ETH 

    ある。

● (): IOCコード 。

   (): ISO 3166-1 alpha3 コード 。

   (): FIFAコード。

 

 

◆ (Hi37) エチオピア詳細歴史

   一覧表。

 

○ 現在から過去へ。

 

■ 1995年 − 現在。

  ● 連邦民主共和国 の統治。

○ 1995年から現在まで、 

  エチオピア連邦民主共和国 (1995年−

  、英:THE FEDERAL DEMOCRATIC 

  REPUBLIC OF ETHIOPIA) が、  エチ

  オピア地域を統治する。

○ 1993年に、エリトリア地域が、エチオピア

  より分離独立する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1987年 − 1995年

  ● エチオピア人民民主共和国 の統治。

○ 1987年から1995年まで、 

  エチオピア人民民主共和国 (1987年−

  1995年、英:THE PEOPLE’S 

  DEMOCRATIC REPUBLIC OF 

  ETHIOPIA) がエチオピア地 域を統治

  する。

○ 1987年に、軍事評議会・議長のメンギス

  ツが、初代大統領に選出され、人民民主共

  和国が発足する。

○ 1991年に、メンギスツ大統領が、ジンバ

  ブエに亡命し、メンギスツ政権が倒れる。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1974年 − 1987年

  ● エチオピア共和国 の統治。

○ 1974から1987年まで、 

  エチオピア共和国 (1974年−1987年、

  英:THE REPUBLIC OF ETHIOPIA) 

  (独立国) がエチオピア地域を統治する。

○ 1974年に、エチオピア革命がおこり、軍

  の反乱で、ハイレ・セラシェ皇帝は、廃位さ

  れる。

○ 1977年に、メンギスツが、軍事評議会の

  議長に就任し、メンギスツ政権が樹立され

  る。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1941年 − 1974

  ● エチオピア帝国 の統治。

○ 1941から1974年まで、 

  エチオピア帝国 (1941年−1974年、

  英:THE EMPIRE OF ETHIOPIA) 

  (独立国) がエチオピア地域を統治する。

○ 1941年に、イギリス軍が、エチオピア地域

  占領し、イタリアの支配が終わり、1941

  年に、ハイレ・セラシェ皇帝 (皇帝在位:

  1930年−1935年、1941年ー1974年)

  が復位する。

○ 1962年に、エチオピア帝国は、 エリトリア

  地域を併合する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1936年 − 1941

  ● イタリア支配下のエチオピア。

○ 1936から1941まで、 

  イタリア (英:ITALY) が、  エチオピア地域

  を支配する。

○ イタリアのエチオピア侵略 (1935年ー19

  36年)により、 1936に、エチオピア地域

  は、イタリア占領される。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1935年 − 1936

  ● 政治変革期のエチオピア。

○ 1935から1936まで、 

  エチオピア地域 は、 政治変革期 (英:

  ETHIOPIA IN THE POLITICAL 

  CHANGING PERIOD) であった。 

○ イタリアの第2次エチオピア侵略 (1935

  年ー1936年、第2回エチオピア戦争) が

  起こり、 1935エチオピア 帝国は崩壊

  し、1936には、エチオピア地域 は、イタリ

  ア占領される。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 10世紀頃 − 1935

  ● エチオピア帝国(エチオピア王国) 

    の統治。

○ 10世紀頃から1935年まで 

  エチオピア帝国 (エチオピア王国、10世紀

  頃−1935年、英:THE EMPIRE 

  (KINGDOM) OF ETHIOPIA) (独立

  国) が エチオピア地域を統治する。

○ 1930年に、ハイレ・セラシェ (ハイレ・セラ

  ッシ、皇帝在位:1930年−1935年、1941

  年ー1974年、生没年:1892−1975年、

  英:HAILE SELASSIE) が、 エチオピア

  の皇帝に即位する。

○ イタリアの第1次エチオピア侵略 (1894

  ー1896年、第1回エチオピア戦争)が起こる

  が、 エチオピアは、1896年に、アドワの戦

  いで、イタリアを撃退する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 紀元(後)350年頃 − 10世紀

  ● アクスム王国 の統治。

○ 紀元(後)350年頃から10世紀頃まで 

  アクスム王国 (紀元前120頃ー紀元(後)

  10世紀頃) が エチオピア地 域を統治す

  る。

○ 紀元(後)350年頃、 クシュ王国は、アクスム

  王国によって滅ばされる。

 

■ 紀元前120 − 紀元(後)350年

  ● クシュ王国 と アクスム王国 の統治。

○ 紀元前120から紀元(後)350年頃まで 

  クシュ王国 (紀元前920年頃ー紀元(後)

  350年頃) と アクスム王国 (紀元前120

  頃ー紀元(後)10世紀頃) が エチ オピ

  地 域を統治する。

○ 紀元前5世紀からソロモン王とシバの女王の

  血筋と称した、セム語系アスクム人が、 紀元

  前120頃に、 アラビア半島南端から移住

  して、エチオピア 地域に、 アクスム王国を建

  国する。

 

■ 紀元前920年頃 − 前120年頃

  ● クシュ王国 の統治。

○ 紀元前920年頃から前120年頃まで 

  クシュ王国 (紀元前920年頃ー紀元(後)

  350年頃) (独立国) が エチオピア

  域を統治する。

○ 紀元前920年頃に、 黒人のクシュ人が、

  エチオピア地域に、クシュ王国を建国する。

○ メロエ王朝 (紀元前670年頃ー紀元(後)

  350年頃、都・メロエ) は、繁栄する。

 

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#eritrea

 

■ エリトリア 

 

■ エリトリア。

■ 名称 : エリトリア。

 英名  : ERITREA。

■ 国名別名 : エリトリア国  (Fc14)。

 英語 国名別名  : THE STATE 

   OF ERITREA (Fc14)。

■ 現存独立国。  《国名》。

■ 略称名 (略号コード) :

      ERI

■ エリトリアの位置 

  (英:THE  ERITREAN 

  (ERITREA’S) LOCATION) : 

  アフリカ北東部。

■ エリトリアの国民 

  (英:THE NATIONAL(S) 

    OF ERITREA) :

  エリトリア人 

  (英:ERITREAN(S)

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

    

    

 

 

◆ 現在のエリトリア (ERI)

■ 国の面積 : 約 118,000  KM2。  

                       (Ar14)

■ 国の人口 : 約 5,415,000  人 

                       (Po14)

■ 人口密度 : 46  人/KM2。  

                        (Pd14)

■ 国の首都 : アスマラ。      (Ca14)

           (英:ASMARA)。       

○ 数値は、国連統計に基づく。

 

■ エリトリア (英:ERITREA) は、現在、

   アフリカ北東部 にある独立国 である。

 

■ エリトリアの国名の別名は、 エリトリア国  

  (英:THE STATE OF ERITREA) 

  (Fc14) である。  

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ エリトリアの位置 (英:THE  ERITREAN 

  (ERITREA’S) LOCATION) は、 

  アフリカ北東部 である。

 

■ エリトリアの国民 (英:THE NATIONAL

  (S) OF ERITREA) は、 エリトリア人 

  (英:ERITREAN(S) である。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

 

■ 略称名 (略号コード)。

■ エリトリア (英:ERITREA)の略称名 

  (略号コード)は、   ERI 

    である。

● (): IOCコード 。

   (): ISO 3166-1 alpha3 コード 。

   (): FIFAコード。

 

 

◆ (Hi34) エリトリア簡略歴史一覧表。

 

○ 現在から過去へ。

 

■ 1993年 − 現在。

  ● エリトリア国の統治。

○ 1993年から現在まで、 

  エリトリア国 (1993年−現在、英:THE 

  STATE OF ERITREA) (独立国) が 

    エリトリア地域を統治する。

○ 1993年に、エリトリア地域が、 エチオピア

  より分離独立する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1962年 − 1993年

  ● エチオピア支配下のエリトリア。

○ 1962年から1993年まで、 

  エチオピア (英:ETH IOPIA) が エリトリ

  地域を支配する。

○ 1962年に、エチオピアが、エリトリア地域を

  併合する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1949年 − 1962年

  ● エリトリア (独立国)。

○ 1949年から1962年まで、 

  エリトリア (独立国)が エリトリア地域を統

  治する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1941年 − 1949年

  ● イギリス支配下のエリトリア。

○ 1941年から1949年まで、 

  イギリス (英: BRITAIN)が エリトリア

  域を支配する。

○ 1941年に、イギリスが、エリトリア地域を

  を占領する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1890年 − 1941年

  ● イタリア支配下のエリトリア。

○ 1890年から1941年まで、 

  イタリア (英:ITALY) が エリトリア地域を

  支配する。

○ 1890年に、エリトリア地域は、イタリアの植

  民地となる。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

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#elsalvador

 

■ エルサルバドル 

 

■ エルサルバドル。

■ 名称 : エルサルバドル。

 英名  : EL SALVADOR。

■ 国名別名 : エルサルバドル共和国  

  (Fc14)。

 英語 国名別名  : THE REPUBLIC 

    OF EL SALVADOR (Fc14)。

■ 現存独立国。  《国名》。

■ 略称名 (略号コード) : 

     ESA SLV

■ エルサルバドルの位置 

  (英:THE  SALVADORAN 

  (EL SALVADOR’S) LOCATION) : 

  中部アメリカ、 中央アメリカ。

■ エルサルバドルの国民 

  (英:THE NATIONAL(S) OF EL 

  SALVADOR) :

  エルサルバドル人 

    (英:SALVADORAN(S)

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。                   

 

    

    

 

 

◆ 現在のエルサルバドル (SLV)。

■ 国の面積 : 約 21,000  KM2。  

                       (Ar14)

■ 国の人口 : 約 6,227,000  人 

                       (Po14)

■ 人口密度 : 295.9  人/KM2。  

                        (Pd14)

■ 国の首都 : サンサルバドル。 (Ca14)

     (英:SAN SALVADOR)。       

○ 数値は、国連統計に基づく。

 

■ エルサルバドル (英:EL SALVADOR) 

    は、現在、中央アメリカ にある独立国 で

    ある。

 

■ エルサルバドルの国名の別名は、 エルサル

    バドル共和国  (英:THE  REPUBLIC 

  OF EL SALVADOR) (Fc14) である。  

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ エルサルバドルの位置 (英:THE 

  SALVADORAN (EL SALVADOR’S) 

  LOCATION) は、 中部アメリカの、中央

  アメリカ である。

 

■ エルサルバドルの国民 (英:THE 

  NATIONAL(S) OF EL SALVADOR

  は、 エルサルバドル人 

   (英:SALVADORAN(S))  である

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。     

 

 

■ 略称名 (略号コード)。

■ エルサルバドル (英:EL SALVADOR) 

  の略称名 (略号コード)は、  ESA

   SLV  である。

● 英語国名 : L SALVADOR. 

● 英語国名 : EL LVADOR.

● (): IOCコード 。

   (): ISO 3166-1 alpha3 コード 。

   (): FIFAコード。

 

 

◆ (Hi34) エルサルバドル簡略歴史

   一覧表。

 

○ 現在から過去へ。

 

■ 1841年 − 現在。

  ● エルサルバドル共和国 の統治。

○ 1841年から現在まで、 

  エルサルバドル共和国 (独立国) (1841

  年−現在、英:THE  REPUBLIC OF 

  EL SALVADOR) が エルサルバドル

  域を統治する。

○ 1841年に、エルサルバドル地域は、グアテ

  マラから分離独立する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1838年 − 1841年

  ● グアテマラ共和国支配下のエルサルバ

    ドル。

○ 1838年から1841年まで、 

  グアテマラ共和国 (1821−1822年、18

  38年−現在、英:THE  REPUBLIC OF 

  GUATEMALA) が、  エルサルバドル

  域を支配する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1823年 − 1838年

  ● 中央アメリカ共和国支配下のエルサルバ

   ドル。

○ 1823年から1838年まで、 

  中央アメリカ共和国 (中米諸州連合、1823

  〜1839年、英:THE  REPUBLIC OF 

  CENTRAL AMERICA) (独立国) がエ 

  ルサルバドル地域を 支配する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1822年 − 1823年

  ● メキシコ支配下のエルサルバドル。

○ 1822から1823年まで、 

  メキシコ エルサルバドル地域を 支配する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1821年 − 1822年

  ● グアテマラ共和国支配下のエルサルバ

   ドル。

○ 1821から1822年まで、 

  グアテマラ共和国 (1821−1822年、18

  38年−現在、英:THE  REPUBLIC OF 

  GUATEMALA) が エルサルバドル

  域を支配する。

○ 1821年に、エルサルバドル地域は、 グア

  テマラの一部として、独立する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1524年− 1821

  ● スペイン支配下のエルサルバドル。

○ 1524年から1821まで、 

  スペインが エルサルバドル地域を統治

  する。

○ 1524年に、エルサルバドル地域は、スペ

  インに支配される。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■  − 1524年。

  ● 中米インディオの独立居住

○ 1524年まで、  

  先住民(英:NATIVES)の中米インディオ 

  (英:CENTRAL AMERICAN INDIANS)

  が、 エルサルバドル地域に、独立して居住する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

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#theenglishlanguage

 

■ 英語  

      (えいご)。

 

■ 英語。

■ 名称 : 英語 ( えいご)。

■ 英語名 : 

  ENGLISH. 

  THE ENGLISH LANGUAGE

■ 現存使用語。 《言語》。  

■ 英語。

  <西ゲルマン語 (= 西ゲルマン系諸語)。

  <ゲルマン語 (= ゲルマン系諸語)。

  <インド・ヨーロッパ語族

   (= インド・ヨーロッパ系諸語)。

  <言語

■ アングロ・サクソン人の歴史の詳細 については、

  「イギリスの歴史」、「イギリス歴史ガイドブック」 、

  アメリカ合衆国の歴史」、アメリカ合衆国歴史

  ガイドブック」 を参照してください。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 62325。

 

     

 

   ■ 現代世界・国際共通4か国語。

   THE PRESENT-DAY INTERNATIONAL COMMON 4 LANGUAGES.

   

 

 

 

■ 英語。

■  <英語の上位分類>

● 英語は、 インド・ヨーロッパ語族(= インド・ヨ

  ーロッパ系諸語)の、ゲルマン語(= ゲルマン

  系諸語の、西ゲルマン語 (= 西ゲルマン系諸

  語の1つであり、  現存使用語 である。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。   

 

■  <英語の母国語民族>

● 英語は、 アングロ・サクソン人(アングロ・サ

  クソン民族)の母国語として使用されている。

 

■  <英語の母国語地域>

● 英語は、 現在、アメリ カ合衆国、イギリス、

  アイルランド、カナダ、オーストラリア、ニュー

  ジーランド、その他のアングロ・サクソン人

  (アングロ・サクソン民族)が居住する地で、 

  母国語として使用されている。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。   

 

■  <英語の通用地域>

● 英語は、 アメリカ合衆国・イギリス(米・英) 

  及び、 米・英の旧領土・占領地、 旧米・英友

  好国、 現米・英の友好国、 現米・英属領領

  土・占領地で、 多かれ少なかれ、理解される。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。   

 

■  <英語の通用分野>

● 英語は、 現在、フランス語、スペイン語、ロシ

  ア語と並んで、英・仏・西・露語の現代世界共通

  国際語の1つとして、世界各地で使用されてい

  る。

● 英語は、 現在、フランス語、ロシア語、ドイツ

  語と並んで、 英・仏・露・独語の現代世界有力

  学術国際語の1つとして、 世界各地の研究者

  に使用されている。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。   

 

 

■ 英語通用圏。

     (THE ENGLISH UNDERSTANDABLE 

     AREAS).

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 英語通用圏とは、 英語を、母国語、または、第一外

   国語 とする地域 である。 

○ 第1外国語とは、 ある1つの地域で、最も理解され 

    る  (最も知られている、または、最も使われている)

  外国語 である。

 

■ 英語母国語地域は、 アメリカ合衆国本土・アラスカ、

  イギリス本土、アイルランド、カナダ、オーストラリア、

  ニュージーランド などである。

 

■ 英語・第1外国語地域は、 現・旧英米領アジア・アフ

  リカ・中南米・太平洋地域、 ヨーロッパ・アジア・アフリ

  カ・南北アメリカ・太平洋地域の一部の地域、 などの

  地域である。  

 

 ■ 日本は、 英語を第一外国語とする地域なので、

   英語通用圏 である。

             

 

■ 英語の出現。

■ イギリスで、12世紀に、英語が誕生。

   1066年に、北フランスに住んでいたノルマン人

  がイングランド地方に侵入し、アングロ・サクソン

  人を征服し(ノルマンの征服)、 英王室のノルマ

  ン朝 (英名:The Norman Dynasty、1066

  年〜1154年) を樹立する。 

    征服者のノルマン人たちは、北フランスに長年

  住み、フランス化し、フランス語を使っていたので、

  フランス語を、イングランドの公用語とした。

    ノルマン朝時代に、英語が出現する。 ノルマ

  ン朝時代に、 イングランド地方に住むアングロ・

  サクソン人は、 家庭で、アングロ・サクソン語を

  話し、 公式の場や仕事では、公用語のフランス

  語を使い、 キリスト教会では、ラテン語を使い、 

  言語の三重生活を送った。 主に、アングロ・サク

  ソン語、中世フランス語、ラテン語がミックスして、 

  12世紀に、イングランド地方で、英語(中世英語)

  が出現する。

● TKKI カナヤマ 著 電子書籍。

 

■ 英語の出現。

■ イギリスに英語を誕生させる機会を

  つくった、イングランド国王。

    エドワード懺悔王 (イングランド王在位:10

  42年ー1066年、生没年:1002年頃ー1066

  年、英:EDWARD THE  CONFESSOR) は、

  アングロ・サクソン王家の国王ではあったが、

  ランス語を使うフランス北部のノルマンジー公国

  で成人し、イングランド国王即位後もノルマン人

  貴族を重用し、 イングランドの国内貴族と対立

  した。  このことが、王の死後、1066年に、イン

  グランドにフランス語を使うノルマンジー公国主

  体のノルマン朝(1066−1154年)を成立させ

  る機会を与えた。

     中世フランス語を公用語としたノルマン朝の

  イングランド征服後、 イングランドのアングロ・

  サクソン人は、 フランス語とアングロ・サクソン

  語とラテン語の混じった言葉、即ち、英語を、12

  世紀には使うようになり、ここに、「英語」が誕生

  した。

 

■ アングロ・サクソン人。

■ アングロ・サクソン人は、 インド・ヨーロッパ系諸

  の、ゲルマン人(族)(= ゲルマン系諸族) の、

  西ゲルマン人(族)(= 西ゲルマン諸族)の一派

  の民族 であり、 現存民族である。

     アングロ・サクソン人の英語名は、ANGLO-

  SAXON(S) THE ANGLO-SAXON PEO-

  PLE である。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。   

 

● アングロ・サクソン人 (英:ANGLO-SAXON

  (S),THE ANGLO-SAXON PEOPLE は、

  インド・ヨーロッパ系諸族 (英:THE INDO-

  EUROPEAN PEOPLES) の、ゲルマン人

  (族)(=ゲルマン系諸族 英: THE GERMANIC  

  PEOPLES) の、西ゲルマン人(族) (= 西ゲル

  マン諸族、英:THE WEST GERMANIC 

  PEOPLES) の一派の民族 (英:ETHNIC  

  GROUP(S)) であり、 現存民族である。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。   

 

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 『 あなたのハートには 

    何が残りましたか? 』

 

 

以  上。