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◆ カナヤマ世界の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S WORLD HISTORY HANDBOOK

 

 

 カナヤマ 世界歴史 辞典 

 日本語版

 見出し語 『 け 』。

 

 

メ ニュー (目次)  #jpmenu        

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 世界史辞典 (総合)                    

□      ● 五十音順 (アイウエオ順)。

 □ 見出し語 けな

 □ 見出し語 けら

 □ 見出し語 けん

 □ 見出し語 けんた

 

 

 けい  ケイマン諸島。

               (けいまんしょとう)。 《地名》。

          CAYMAN ISLANDS.

           地名略号:

               CAY, CYM。 

           ■ ケイマン諸島

          (現行地名)。 《地名》。

             ■ 地名: ケイマン諸島。

             ● 英語地名 

             YMAN ISLANDS.

             ● ケイマン諸島の位置 (英:THE 

             CAYMAN ISLANDS’ LOCATION): 

             カリブ海地域、 カリブ海の島。

             ● グローバル経済の重要拠点。

                 ケイマン諸島(= グランド・ケイマン島、

                           英:CAYMAN ISLANDS) は、 現在

             のグローバル経済の重要拠点であり、

             タックスヘブン(租税回避地)として、世界

             の富が集中する島の1つである。  

           ■ ケイマン諸島

                    (現存領土)。 《領土名》。    

             ■ イギリス領(英領)ケイマン諸島。

                            (英:BRITISH CAYMAN ISLANDS).

             ● 領土名別名: イギリス領(英領)

                            ケイマン諸島。

             ■ グランド・ケイマン島 (ぐらんど・けいま

             んとう、英:GRAND CAYMAN ISLAND ) 

             は、 カリブ海域のキューバ島の南にある、

             イギリス海外領・ケイマン諸島 (英:CAYMAN 

                ISLANDS OF UNITED KINGDOM  

             OVERSEAS TERRITORY) の1つである。

             ■ グランド・ケイマン島のジョージタウン(英:

             GEORGE TOWN)は、イギリス海外領・ケイ

             マン諸島の中心地である。

          (⇒ カリブ海地域)。

                    (⇒ 西インド諸島)。

          (⇒ 中南米)。

          (⇒ )。 

               (⇒ 世界・現存国主要各領土

          リスト)。

 

#kena

 

 けに  ケニア 

          (現存独立国)。 《国名》。

          KENYA

          国名略号:  KEN。 

             ● 国名: ケニア。

             ● 英語国名: KENYA

             ● ケニアの位置 (英:THE 

             KENYAN (KENYA’S) 

             LOCATION) : 

             アフリカ東部。

             ● ケニアの国民 (英:THE 

             NATIONAL(S) OF KENYA) :

             ケニア人。

            (英:KENYAN(S)

             ● ケニアの概要や歴史の簡略表

                           記載。

          (⇒ アフリカ東部)。

          (⇒ アフリカ) 。 

          (⇒ )。 

              (⇒ 世界・現存国各国(約200

          カ国)リスト)。

              (⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。

 

 けね  ケネディ。

          (= ジョン・F・ケネディ)。

           (アメリカ大統領)。 《人名》。

           JOHN FITZGERALD 

           KENNEDY.

          ○ アメリカ合衆国の大統領。

          ○ 大統領在任:1961年ー1963年。

          (⇒ アメリカ合衆国の歴史)。

          (⇒ アメリカ合衆国歴史

        ガイドブック)。

                         ■ ケネディ (= ジョン・F・ケネディ、ケネデ

             ィ米大統領、英:JOHN  FITZGERALD 

             KENNEDY) は、 アメリカ合衆国の大統領 

             (大統領在任:1961年ー1963年) である。

 

 けべ  ケベック。

          QUEBEC.

          (現行地名)。 《地名》。

           ■ ケベック。

             ■ 地名: ケベック。

             ● 英語地名  QUEBEC.

              ケベックの位置 (英:THE 

             QUEBEC’S LOCATION): 

             北アメリカ州のカナダ東部。

                 ケベックの住民 (英: THE 

              RESIDENT(S) (THE NATIVE 

              PEOPLE) OF QUEBEC):

             ケベック人。

             (英:QUEBECER(S))。

             ■ ケベック (英: QUEBEC)は、 

             北アメリカ州のカナダ東部にある。

           ■ ケベック。

          (現存領土)。 《領土名》。  

             ■ カナダ領ケベック。

                           (英:CANADIAN QUEBEC).

             ● 領土名: カナダ領ケベック。

             ■ ケベック (英: QUEBEC)は、 

             カナダ領である。

          (⇒ 北米アングロアメリカ)。

                    (⇒ 欧米)。

          (⇒ )。 

               (⇒ 世界・現存国主要各領土

          リスト)。

 

#kera

 

 ける  ケルト人(= ケルト族)。   

             (けるとじん、けるとぞく)。

              民族別名: ケルト族、 ケルト系諸族、

             ケルト(系)民族、 ケルト系民族の人

          《民族》。

                         CELT(S)

             THE CELTIC PEOPLES

          (⇒ インド・ヨーロッパ系諸族)。

          (⇒ 民族)。   

                  ■ ケルト

            (= ケルト族、ケルト系諸族)。

             <インド・ヨーロッパ系諸族。

             <民族。

                  ○ ケルトは、

          インド・ヨーロッパ系諸族の

          一派である。

                  ■ ケルト人 (けるとじん、= ケルト族、

            ケルト系諸族、英:CELT(S),THE 

            CELTIC PEOPLES は、 

            インド・ヨーロッパ系諸族の一派の民族

            である。

                  ■ <ケルト人(族)の

                原住地 と中間定住

                     ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、 

             ヨーロッパ中央部を原住地とし、 その

             後、ヨーロッパの西北部にも移動し、

             地とした、民族である。

                  ■ <ケルト人(族)の言語>   

                ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、

             言語は、母国語として、ケルト系諸言語

                          を使用する。 

                  ■ <ケルト人(族)の現居住地>

            (英:THE CELTIC INHABITING 

                          AREAS)

               ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、

             現在、ヨーロッパ北西部、北米アングロ

             アメリカ、その他の地域に居住する。

                 ■ <ケルト人(族)の細分類>    

            ● ケルト人(族)とは、

            (a) ガリア人 (消滅民族)、

            (b) ブリタニック系(= ブリトン人)

              ウェールズ人(民族)やコーンウォ

              ール人 (現存民族)、

            (c) ゲール系のスコットランド人(民

              族)やアイルランド人(民族) 

              (現存民族)、

            (d) フランスのブルターニュ人、スペ

              インのガリシア人

             その他のケルト系民族である。

 

 げる  ゲルマニア。

          《地名》。

          GERMANIA.

          (= 現・ドイツ・ポーランド地域)。

          (⇒ ゲルマン人 (族))。

          (⇒ ドイツの歴史)。

          ○ ゲルマニアは、

          ライン川以北の古代ヨーロ

          ッパ中央部の名称 である。 

             ■ ゲルマニア (英:GERMANIA)

             は、 ヨーロッパの中央部に位置し、 

             古代のライン川以北の中央ヨーロッ

             パの西部の名称であり、 現在のド

             イツ・ポーランド地域に相当し、ゲル

             マン人の定住地の1つであり、西ゲ

             ルマン人(族)の定住地である。

 

 げる  ゲルマン人

          = ゲルマン族)。 

             (げるまんじん、げるまんぞく)。

             民族別名:  

             ゲルマン族、ゲルマン系諸族、ゲル

             マン(系)民族、ゲルマン系民族の人

          《民族》。 

          THE GERMANIC 

          PEOPLES

          (⇒ インド・ヨーロッパ系諸族)。

          (⇒ 民族)。   

             ■ ゲルマン人

             (= ゲルマン族、ゲルマン系諸族)。

             THE GERMANIC PEOPLES

             <インド・ヨーロッパ系諸族。

             THE INDO-EUROPEAN 

             PEOPLES

             <民族。

             THE ETHNIC GROUP

                    ○ ゲルマン人(族)は、

          インド・ヨーロッパ系諸族

          の一派である。

             ■  ゲルマン人(族) ( げるまんじ

             ん(ぞく)、= ゲルマン系諸族、英:

             THE GERMANIC PEOPLES) 

             とは、 ゲルマン(族 )への帰属

             意識をもち、ゲルマン系言語を母

             国語とする人々である。

             ■ ゲルマン人(族)(= ゲルマン

             系諸族)は、 インド・ヨーロッパ系

             諸族の一派の民族である。

                    ■ <ゲルマン人(族)の言語>

                             ゲルマン人(族)(= ゲルマン

              系諸族)は、言語は、ゲルマン系

              諸語を母国語として、使用する。

                    ■ <ゲルマン人(族)の細分類>

                     ●  ゲルマン人(族)は、

              西ゲルマン人(族)、北ゲルマン人

                          (族)、東ゲルマン人(族)などに分

              かれる。

                     ● ゲルマン人(族)(= ゲルマン

              系諸族)とは、 

             (a) 西ゲルマン人(族)

              の、アングロ・サクソン人(民族)、

              ドイツ人(民族)、オランダ人(民

             族)などの現存民族、

             (b) 北ゲルマン人(族)

             (= ノルマン人)

             の、ノルウェー人(民族)、スウェ

             ーデン人(民族)、デンマーク人

             (民族)などの現存民族、 

             (c) 東ゲルマン人(族)

             の、東ゴート人(族)、西ゴート人

             (族)、ヴァンダル人(族)など

             の消滅民族、

              (d) 系統不明のゲルマン人

             (族)の、スエビ人(族)ランゴ

              バルド人(族) などの消滅民族、

             その他のゲルマン系民族である。

                   ■ <ゲルマン人(族)

                                  の原住地>

               インド・ヨーロッパ系諸族 

             一部は、 「北コーカサス」 (カフ

             カス山脈北部地域、黒海北東岸と

             カスピ海北西岸の間の地域)の原

             住地からヨーロッパ各地を移動し、

             紀元前1500年頃、 ヨーロッパ

             北部の「スカンジナビア半島中南

             部、ユトランド半島、ドイツ地域北

             部」の地域に移住し、そこを原住

             地とし、ゲルマン人(族)となる。

                    ■ <ゲルマン人(族)の

                  中間定住地>

              ● 更に、ゲルマン人(族)(= ゲ

             ルマン系諸族)は、 ヨーロッパ北

             部の「ゲルマン人(族)原住地」か

             ら移動して、 ヨーロッパ中央部の

             西部(ゲルマニア(ドイツ・ポーラ

             ンド相当地域))には、紀元前後

             頃(今から約2000年前)に定住

             し、 ヨーロッパ東部には、紀元

             (後)3世紀頃に定住する。

                その後、紀元(後)4世紀より、

             「ゲルマンの大移動」が約200年

             間に亘(わた)り起こり、 ゲルマン

             人(族)は、ヨーロッパ西北部、南

             部の各地や北アフリカの各地に定

             住する。

                    ■ <ゲルマン人(族)の

                  現居住地>

              ● ゲルマン人(族)(= ゲルマン

                           系諸族)は、 現在、ヨーロッパの

              北部、西北部、中央部 や、 北米

              アングロアメリカ、オーストラリア、

              ニュージーランド、その他の地域

              に居住する。

 

#ken

 

 げん  元。 

             (げん) 。 《国名》。

           (旧存在国)。

             (1271 年ー1368年)。

                     YAN. ÜAN

          ○ 中国本土、モンゴル地域、

          東満州(= 中国東北部)、・中

          央シベリア南部を支配した、モ

          ンゴル人の帝国。

        モンゴル帝国及びモンゴ

        ル系諸 国

        (⇒ 中国の歴史

        中国歴史ガイドブック)。

                         ■ 元 (げん、1271年ー1368年、英:

             YANÜAN) とは、 中国本土、

             モンゴル地域、満州(= 中国東北部)、東・

             中央シベリア南部を支配し た、モンゴル人

             の帝国である。

 

 げん  言語

             (げんご)。 《コミュニケーション》。

             THE LANGUAGE.

               ■ 言語とは、 ヒト(人類)間のコミュニケー

             ションの手段である。

          (⇒ 世界の地域 (全大区分各地域))。

          (⇒ 世界の国家 (全現存約200カ国

                の概要、通称国名で各項目参照)。

          (⇒ 世界の人種 (概要))。

          (⇒ 世界の民族 (概要))。

          (⇒ 世界の言語 (概要))。

          (⇒ 世界の宗教 (有力宗教の概要))。

          (⇒ 世界の歴史  (重要国の全時代詳

                 細史、 世界現存約200カ国の簡略

                 史・ 通称国名で各項目参照))。

          (⇒ 多国語会話ハンドブック)。  

 

 げん  原始時代。

             (げんしじだい)。 《時代区分》。

          (≒ 先史時代)。

          THE PRIMITIVE AGE.

          (⇒ 時代区分)。

          ○ 約5000年前以前。

                  ■ 原始時代 (せんしじだい、≒ 先史時

             代、英:THE PRIMITIVE AGE) とは、

             約5000年前以前である。

             ■ 人類の時代は、 歴史時代 (約5000

             年前ー現在、英:THE HISTORIC AGE) 

             と、 先史時代 (約5000年前以前、英:

                        THE PREHISTORIC AGE) に区分さ

             れる。

 

 げん  元首政。

             (げんしゅせい)。 《古代ローマ》。

                          (= プリンキパトゥス)

          PRINCIPATUS.

        (⇒ プリンキパトゥス)。

             (⇒ 古代ローマ)。

             (⇒ イタリアの歴史

              イタリア歴史ガイドブック)。

                        ■ 元首政 (げんしゅせい、= プリ

             ンキパトゥス紀元前27年ー紀元

             (後)293年、ラ:PRINCIPATUS

             とは、  古代ローマ国家の、ローマ

             帝国(= 帝政ローマ、紀元前27年

             ー紀元後395年)の前期・中期の

             政治体制である。 

 

 げん  玄奘

             (げんじょう)。 《人名》。

                  (= 玄奘三蔵 (げんじょうさんぞう))。

          (中国・唐の仏僧)。 《人名》。

                    (紀元(後)602 年ー664年)。

          ○ 中国の初唐の仏僧、訳経僧。

          ○ フィクションの小説「西遊記

          (さいゆうき)」 の三蔵法師のモデ

          ルとなった仏僧。

                  (⇒ 東西交通路シルクロード)。

          (⇒ 中国の歴史

          中国歴史ガイドブック)。

             ■ 玄奘 (げんじょう、紀元(後)602年

             ー664年)は、 玄奘三蔵(げんじょうさん

             ぞう)ともいい、 中国・唐の仏僧であり、

             経典を求めてインドに旅行した。

             ■ 玄奘は、 フィクションの明代の小説・

             西遊記(さいゆうき)の三蔵法師のモデル

             となった人物である。

 

〇 げん  玄宗。

             (げんそう)。 《人名》。

             (皇帝帝位:

           712年−756年)。

          (生没年:

           685年−762年)。

             ○ 中国の唐の皇帝。

        (⇒ 楊貴妃)。

          (⇒ 中国歴史ガイドブック)。

          (⇒ 中国の歴史)。

             ■ 玄宗 (げんそう、帝位:712

             年−756年、生没年:685年−

             762年、英:Hsüan-tsung) は、 

             中国の唐(618年−907年)の

             皇帝である。

             ■ 唐の玄宗皇帝の妃(きさき)の

             一人が、楊貴妃(ようきひ)である。

 

〇 げん  現代世界

                人類共通国際語

             (げんだいせかい

             じんるいきょうつうこくさいご)。

          (国際語)。 《言語》。

             THE PRESENT-DAY GLOBAL 

             COMMON INTERNATIONAL 

             LANGUAGES.

          ■ 英語、フランス語、

          スペイン語、ロシア語

          の人類共通国際語。

           (⇒ 英語フランス語

           スペイン語ロシア語)。

             ■ 現代世界人類共通国際語 (げん

             だいせかいじんるいきょうつうこくさい

             ご) とは、

              英語、フランス語、スペイン語、ロシ

              ア語の4つの人類共通国際語である。

             ● 主要全世界的国際機関・利用語。

               現代世界の、国連その他の主要

              全世界的国際機関は、英仏西露・

              言語を利用している。

             ● 中等教育修了者・全世界カバー

               4言語。

                 現代世界の、世界各地の、中等

              教育修了者(高校卒業者)は、英仏西

              4言語 のどれか1つを、学校で学習

              し、多かれ少なかれ理解できる。

              ● 欧米諸国の覇権・領土 (植民地)

              獲得競争により、 人類は、英仏西露

              4言語の 人類共通国際語を手に入れ、 

              約5000語をもつ人類のコミュニケー

              ション(意思疎通)の一体化を実現で

              きた。

              ● 世界には、 

              (a) 英語通用圏(= 英語母国語・第

                 一外国語地域)、 

              (b) フランス語通用圏(= フランス語

                 母国語・第一外国語地域)、 

              (c) スペイン語通用圏(= スペイン

                 語母国語・第一外国語地域)、 

              (d) ロシア語通用圏(= ロシア語母

                 国語・第一外国語地域) 

              がある。

           (⇒ 人類共通国際語、世界

            共通国際語)。

           (⇒ 国際語)。

           (⇒ 世界の言語(概要))。 

           (⇒ 多国語会話ハンドブック)。 

           (⇒ 英会話ブック)。 

           (⇒ フランス語会話ブック)。 

           (⇒ スペイン語会話ブック)。 

           (⇒ ロシア語会話ブック)。 

 

〇 げん  現代世界有力学術

                国際語。

             (げんだいせかい ゆうりょく

             がくじゅつこくさいご)。

          (国際語)。 《言語》。

             THE PRESENT-DAY 

             INFLUENTIAL ACADEMIC 

             INTERNATIONAL LANGUAGES.

          ■ 英語、フランス語、ロシ

          ア語、ドイツ語の、有力学術

                     国際語。

           (⇒ 英語フランス語

          ロシア語ドイツ語)。

             ■ 現代世界有力学術国際語 

             (げんだいせかい ゆうりょくがくじゅ

                          つこくさいご)とは、

              英語、フランス語、ロシア語、ドイツ

             語の4つの有力学術国際語である。

             ● 全世界的学術利用語。

               現代世界では、 世界各国で、

             科学技術の学術研究論文は、英仏

             露独語の4言 語のどれか1つで記述

                          されることが多い。 

          (⇒ 国際語)。

          (⇒ 世界の言語 (概要))。 

          (⇒ 多国語会話ハンドブック)。 

          (⇒ 英会話ブック)。 

          (⇒ フランス語会話ブック)。 

          (⇒ スペイン語会話ブック)。 

          (⇒ ロシア語会話ブック)。 

 

 げん  現代民主主義

             (げんだいみんしゅしゅぎ)。

          《民主主義》。

        (⇒ 民主主義          

                           PRESENT-DAY DEMOCRACY.

          ○ 現代民主主義:

          選挙制、成人男女普通選挙、

          多数決、権力の分散。

             ■ 現代民主主義 (げんだいみん

             しゅしゅぎ)は、一般的に、 選挙制、 

             成人男女普通選挙、多数決、権力

             の分散、 議会制民主主義をベース

             にしている。

 

#kenta

 

〇 げん  現代民主政。

             (げんだいみんしゅせい)。

          《民主主義》。

        (⇒ 民主政

              PRESENT-DAY DEMOCRATIC 

              GOVERNMENT.

                            現代民主政:

           選挙代議員制、複数政党制

           責任内閣制または大統領制、

           三権分立、法治主義、共和

           国制または立憲王国制。

                         ■ 現代民主政 (げんだいみんしゅ

              せい)とは、 一般的に、選挙代議員

               制、 複数政党制、 責任内閣制また

              は大統領制、 三権分立、 法治主義、 

              共和国制または立憲王国制である。

 

 げん  原中国人。

             (げんちゅうごくじん)。

          (漢人)。 《民族》。

          PROTO-CHINESE.

              ■ <原中国人の出現>。

               モンゴロイドの、原中国人(げんちゅう

             ごくじん、英:PROTO-CHINESE) が、 

             紀元前6000年前頃(今から約8000年

             前)に、中国本土の、華北の黄 河流域と

             華中の長江流域に出現する。

        (⇒ 前漢)。

           (⇒ 中国の歴史

          中国歴史ガイドブック)。

              ■ <漢人(漢族)の出現>。

             ● 漢人(漢族、漢民族) ( かんじん、英:

                       HAN CHINESE) は、 原中国人が中心

             (中核)となって、他の諸民族と混血、文化融

             して、出 現した。

              ● 中国の漢 (かん、紀元前202年ー紀元

             (後)8年、紀元(後)25ー220年)の時代に

             なって、 華北・華中に居住 していた原中国

             人が、 秦や前漢の華南の征 服により、中国

             本土の、華南の諸民族と混 血、文化融合して、

             現在の漢人(漢族、漢民族)が出現する。

 

 けん  剣闘士興行

             (けんとうしこうぎょう)。

             (= 剣闘士試合等)。

          《剣闘士》。

              ■ 剣闘士興行 (けんとうしこうぎょ

              う、剣闘士 試合等)とは、 古代ローマ

              国家で行われた剣闘士の興行(試合

              等)である。

 

 けん   ケントゥリア民会 。

               (けんとぅりあみんかい)。

           (= 兵員会)。

           (民会)。《古代ローマ》。

           ○ ケントゥリア民会は、

           古代ローマ国家の民会

           の1つである。

           ○ ケントゥリア民会は、

                      共和政ローマで活躍した

           民会、議決機関、政治機

           関である。

           (⇒ 民会)。

           (⇒ 共和政ローマ)。

              (⇒ コンスル(= 執政官))。

              (⇒ 古代ローマ)。

              (⇒ イタリアの歴史

              イタリア歴史ガイドブック)。

                         ■ ケントゥリア民会 (けん

                            つぅりあみんかい、= 兵員会、

               ラ:Comitia Centuriata、

               紀元前5世紀〜紀元(後)3世

               紀)は、

                古代ローマ国家の民会の1つ

               である。

                         ■ ケントゥリア民会(= 兵員

               会)は、 

               共和政ローマ(共和政時代の

               古代ローマ国家、ローマ共和

               国)で、 活躍し、権限のあっ

               た民会、議決機関(議会)、政

               治機関である。

                        ■ ケントゥリア民会(= 兵員

               会)は、

               共和政ローマ(共和政時代の

               古代ローマ国家、ローマ共和

               国)で、 

               全ローマ市民(貴族と平民)

               が、

               階級区分単位で参加し、

               1階級区分1票で、

               古代ローマ国家の国政を

               討議、決定し、重要裁判を

               行い、法案決定権をもち、

               和戦の決定、立法(法案作

               成)、重要な裁判などの 権

               限をもち、

               コンスル(= 執政官)、プラ

               エトル(= 法務官)、その他

               主要官職を選出する。 

                  約半分の階級区分が

               貴族・富裕市民の富裕層で、

               貧しい市民の意見はほとん

               ど反映されなかった。

                        ■ ケントゥリア民会(= 兵員

               会)は、

               古代ローマ国家の共和政時

               代に、コンスル(= 執政 官)、

               プラエトル(= 法務官)などを

               選出し、和戦の決定、立法

               (法案作成)、重要な裁判

               どの権限をもった。

              ■ 古代ローマ国家の「民会」

              (= コミティア)は、 

              クリア民会、 トリブス民会(=

              市民会)、 ケントゥリア民会

              (= 兵員会)、 プレブス民会

              (= 平民会)の4民会である。

               ■ 古代ローマ国家の議決機

              関(議会)の民会は、 

              紀元前1世紀の共和政ローマ

              末期には、元老院によって、

              その実質的機能・権限は奪わ

              れ、形式的には、紀元(後)

              3世紀まで存続する。

                         ■ ローマ共和国(共和政ロー

              マ、前509年ー前27年)が約

              500年もの長期間存続し、また、

               大領土国家になった理由は、 

               当時の古代ローマ国家が、ロー

               マ市民と元老院(S.P.Q.R.)

               が国家の主権者であり、 

              (ア) 「コンスル(= 執政官)2

              人」(独裁政治)をもち、 

              (イ) 「元老院」 

              (少数共和政治(寡頭政治)、

               貴族政治)をもち、 

              (ウ) 「民会」(= コミティア) 

              (民主政治)をもち、 

              内部対立はあっても、それらが

              国政のバランスを保つ

              「混合政体の国家」

              であったためである。

                         ■ 古代ローマ国家は、紀元前

              753年から紀元(後)476年ま

              での約1200年間、イタリアを

              中心にヨーロッパ・北アフリカ・

              西アジアに存続した国家であ

              る。

              ● 古代ローマ国家とは、

              ローマ王国 (王政ローマ、紀

              元前753年ー紀元前509年)、 

              ローマ共和国 (紀元前509年

              ー紀元前27年、共和政ローマ)、 

              ローマ帝国 (紀元前27年ー

              紀元(後)395年、帝政ローマ)、 

              西ローマ帝国(紀元(後)395

              年ー476年、帝政・西ローマ)

              である。

 

 げん  原爆。 

             (げんばく)。

           《核開発・実験・爆弾・拡散・

                      汚染》。

          ATOMIC BOMB(S).

                    (⇒ 核開発核実験、

                核爆弾、核拡散、

                核汚染、水爆)。

              ■ 原爆 (げんばく)は、 

             原子爆弾であり、核分裂(英:neuclear

                      (atomic) fission)による爆弾である。

              ■ 核汚染とは、 原爆 や水爆など

             核爆弾のよる、地球規模の環境汚染

             である

             ■ 対米瀬戸際戦術で、2016年1月

             に北朝鮮が行った第4回目の核実験

             は、 高技術力を伴う水爆の核実験

             ではなく、 ブースト型原爆(従来の原

             爆を強化した原爆)の核実験(地下核

             実験)と推測される。

 

 けん  拳法。

             (けんぽう)。 《格闘技》。

          (= 拳術)。

        (⇒ 少林拳

         少林寺拳法)。

          ○ 拳法とは、「中国拳法(=

          チャイニーズ・カンフー)」、

          「少林寺拳法」、「日本拳法」

          などの格闘技である。

          ○ 「中国拳法(チャイニー

          ズ・カンフー)」の一流派には、

          少林拳がある。 

                         ■ 拳法 (けんぽう、= 拳術)とは、 

              「中国拳法(= チャイニーズ・カンフ

              ー)」、 「少林寺拳法」、「日本拳法」

              などの格闘技である。

                 ■ 「中国拳法(チャイニーズ・カンフ

              ー)」の一流派には、少林拳がある。 

 

 げん  元老院

             (げんろういん)。 《古代ローマ》。

          (= セナトゥス)。

          (古代ローマ国家の政治機

           関、議会)。 

          THE SENATE.

             (⇒ 民会(= コミティア)、

            コンスル(= 執政官))。

             (⇒ 古代ローマ)。

             (⇒ イタリアの歴史

              イタリア歴史ガイドブック)。

                         ■ 元老院 (げんろういん、= セ

              ナトゥス、英:THE  SENATE

              紀元前8世紀後半〜紀元(後)5

              世紀頃) とは、 古代ローマ国

              家の、王国(王政)、共和国(共

              和政)、帝国(帝政)時代の国家

              の政治機関であり、国家の議決

              機関(議会)であり、国家の諮問

              機関である。

                        ■ 元老院(= セナトゥス)は、

              古代ローマ国家の少数の富裕

              貴族の利益を代表する議決機

              関(議会)であり、 ローマ市民

               全体(貴族と平民)の利益を代

              表する議決機関(議会である

              民会に対抗する古代ローマ国

                       家の政治機関である。

              ■ ローマ共和国 (共和政時

              代の古代ローマ国家)(紀元前

              509年ー紀元前27年)では、 

              元老院は、 実質上の支配機

              関であり、 外交、軍事、政治

              などの古代ローマ国家の政治

              の中心を担った政治機関であ

              り、議決機関(議会である。 

              ■ ローマ帝国 (帝政時代

              古代ローマ国家)前期・中期 、

              元首政(= プリンキパトゥス)時

              代、紀元前27年ー紀元(後)

              293年)に、 議決機関(議会)

              の元老院は、皇帝によって、

              徐々に、実質的な権限を失っ

              ていく。

              ■ 元老院は、 ローマ帝国や

              西ローマ帝国の時期には、

              質的な権限を失い、皇帝の承

              認機関、皇帝の諮問機関など

              となる。

              ■ 元老院は、 現代の欧米各

              国の上院のモデルとなった 議

              決機関(議会)である。

              ■ 500年も存続し、大領土国

              家になった古代ローマ共和国

              (共和政ローマ)

                         ● 古代ローマ共和国(共和政

              ローマ、前509年ー前27年

              が約500年もの長期間存続し、

               また、大領土国家になった理由

              は、 

               当時のローマ共和国(共和政

              ローマ)は、

               ローマ市民と元老院(S.P.Q.

               R.)が国家の主権者であり、 

              (ア) 「コンスル(= 執政官)

              2人」 (独裁政治)をもち、 

              (イ) 「元老院」 

              (少数共和政治(寡頭政治)、

               貴族政治)をもち、 

              (ウ) 「民会」(= コミティア) 

              (民主政治)をもち、 

              内部対立はあっても、それらが

              国政のバランスを保つ

              「混合政体の国家」

              であったためである。

              ■ 古代ローマ国家。

                        ● 古代ローマ国家は、紀元前

              753年頃から紀元(後)476年

              までの約1200年間、イタリア

              を中心にヨーロッパ・北アフリカ・

              西アジアに存続した国家であ

              る。

              ● 古代ローマ国家とは、

              ローマ王国 (王政ローマ、紀

              元前753年ー紀元前509年)、 

              ローマ共和国 (紀元前509年

              ー紀元前27年、共和政ローマ)、 

              ローマ帝国 (紀元前27年ー

              紀元(後)395年、帝政ローマ)、 

              西ローマ帝国(紀元(後)395

              年ー476年、帝政・西ローマ)、

              である。

 

 げん  元老院議員

             (げんろういんぎいん)。

          《古代ローマ》。

             SENATOR(S).

        (⇒ 元老院)。

             (⇒ 古代ローマ)。

             (⇒ イタリアの歴史

              イタリア歴史ガイドブック)。

                        ■ 元老院議員 (げんろういんぎ

              いん、英:SENATOR(S))とは、 

              古代ローマの王政、共和政、帝

              政時代の政治機関の議会の議員

               である。

              ● 元老院議員は、 古代ローマ

              のエリート集団であった。

 

 

   ● 五十音順 (アイウエオ順)。

 

 

   ■  『 現在は、過去の成果であり、

       未来は、現在の成果である。 

         (良き現在は、過去の人々の良き努力

          や活動の積み重ねの成果であり、 

          明るい良き未来は、現在の人々の、

          良き努力や活動の積み重ねによって

          形成される。)

 

 

■ 上位のWEBサイト。          

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#jpdictionary(general)

 

◆ 世界史辞典。

 

● 見出し語はグリーンでマークされています

 

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#ke

 

◆ 派生見出し語サイト。

■ 「け」 基本・見出し語WEBサイト( ja−ke)

   の、派生見出し語サイト

 

■ No. ja−ke−4728。

● 見出し語の項目  げ    ( ん 47  /ご 28 

   付近  第1部・ん・カ行グループ )。  

 げん  言語 (げんご)。  

 

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#kentoushikougyou

 

  剣闘士興行 

      (けんとうしこうぎょう)。

 

   

   ○ 「グラディエイター」 ‘‘ GLADIATOR ’’ 

      (2000年アメリカ映画)。 

   ○ 古代ローマ帝国時代に、コロッセオ (コロ

       ッセウム、ローマの円形闘技場)での剣闘

       士の試合、猛獣 との格闘のシーン。

     

 

 

 剣闘士興行。

■ 名称 : 剣闘士興行 (けんとうしこうぎょう)。

■ 剣闘士興行とは、

   古代ローマで行われた剣闘士の興行(試合

   等)である。

■ 剣闘士興行の直接関連項目:

   「古代ローマ」、「古代ローマ円形闘技場」、

   「ローマ共和国」、「ローマ 帝国」、

   「パンとサーカス(古代ローマ民衆懐柔策

    の食料と娯楽の無料・低額供給)」。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 22119。

 

 

 ■ 剣闘士興行。

  ■ 剣闘士興行 (けんとうしこうぎょう)とは、

    古代ローマで行われた剣闘士の興行(試合

   等)である。

 

 ■ 剣闘士興行。

  ● 剣闘士興行は、 剣闘士試合場で、

    民衆が観戦する中で、 剣闘士という武器

    を持った戦士がお互いに戦い、勝負を決め

    る試合などを行う。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 ■ 古代ローマで剣闘士興行の隆盛。

  ■ 古代ローマでは、 古代ローマ支配地の

    人々の娯楽(サーカス)の1つとして、

    剣闘士興行(試合等)が盛んに行われ、 

    古代ローマ支配地の各地に、剣闘士興

    行場(試合場)がたくさん造られる。   

 

  ■ 古代ローマでは、 剣闘士興行場(試合

    場)やその他の娯楽の施設として、円形

    闘技場が古代ローマ支配地の各地に、

    たくさん造られる。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

  ■ 古代ローマでは、 パンとサーカス(古代

    ローマ民衆懐柔策の食料と娯楽の無料・

    低額供給)の一環として、 剣闘士興行

    (試合等)が盛んに行われ、 古代ローマ

    支配地の各地に、剣闘士興行場(試合場)

    がたくさん造られる。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

#-appearingscenes

 

♪♪ 剣闘士興行(試合等)が登場する、

    興味深い、ドキュメンタリー、ドラ

     マ、映画。

 

★ 剣闘士興行(試合等)が登場する、

   興味深いドラマ、映画。

  ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

   歴史のドラマ、映画は、史実(歴史上の事実) 

   と 架空の出来事が混じって描かれています。 

   また、 現代風にアレンジしてあります。

 

 ■ 『 グラディエイター 』。 

    (英語題名:‘‘ GLADIATOR ’’)。

    (2000年アメリカ映画)。 

 

 

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#thepresentdaycommoninternationallanguages

 

■ 現代世界  

   人類共通国際語  

     (げんだいせかい

          じんるいきょうつうこくさいご)。

 

■ 現代世界人類共通国際語。

■ 名称 : 現代世界人類共通国際語 

        (げんだいせかいじんるい

        きょうつうこくさいご)。

■ 英語名 : 

   THE PRESENT-DAY GLOBAL 

   COMMON INTERNATIONAL 

   LANGUAGES.

■ 英語フランス語スペイン語ロシア語

  の人類共通国際語(世界共通国際語)。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 91415。

 

 

■ 現代世界人類共通国際語とは、 英語フラン

  ス語スペイン語ロシア語 の4言語の人類  

  共通国際語(世界共通国際語) である。

          現代世界人類共通国際語の英語名は、 

  THE PRESENT-DAY GLOBAL COMMON 

  INTERNATIONAL LANGUAGES である。

 

   ■ THE PRESENT-DAY INTERNATIONAL 

     COMMON 4 LANGUAGES.

     現代世界・国際共通4か国語。

   

 

 

 

■ 主要全世界的国際機関・利用語。

    現代世界の、国連その他の主要全世界的国

  際機関は、 英仏西露・4言語を利用し ている。

 

■ 中等教育修了者・全世界カバー4言語。

     現代世界の、世界各地の、中等教育修了

  者(高卒者)は、 英仏西露・4言語のどれか1つを、

  学校で学習し、多かれ少なかれ理解できる。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

■ 欧米諸国の覇権・領土(植民地)獲得競争により、

  人類は、 英仏西露4言語の人類共通国際語を手

  に入れ、 約5000語をもつ人類のコミュニケーシ

  ョン(意思疎通)の一体化を実現できた。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

■ 現代世界人類共通国際語。

■ 欧米諸国の覇権・領土(植民地)獲得競争の副

  産物として、人類は、人類共通国際語を手に入

  れ、 人類のコミュニケーション(意思疎通)の一

  体化を実現できた。

 

■ 欧米列強の植民地支配の果実。

     現代世界人類共通国際語は、 弱肉強食

  世 界での、欧米列強の植民地支配の果実

  (成果)である。 人類のコミュニケーション(意

  思疎通)の一体化を実現した。

 

■ 例えば、国際語の英語は、 英語を話すイギ

  リス本国の植民地支配の果実(成果)である。 

     イギリス本国は、 アジア、アフリカ、オ

  セアニア、南北アメリカの世界各地で、多くの

  植民地をつくった。

     アメリカ合衆国は、かって、イギリスの植

  民地であり、英語を話すアングロ・サクソン人

  が、イギリス本国より多数アメリカへ新天地を

  求めて移住した。 しかし、イギリス本国は、 

  北アメリカ大陸の植民移住者に重税を課し、

  1776年に、英語を話すアングロ・サクソン人

  の植民者が、独立の主体となり、反乱を起こ

  し、アメリカ合衆国を建国したので、国家独

  立後、英語が、アメリカ合衆国の主要語とな

  った。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

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#thesenate

 

■ 元老院 

     (げんろういん)。

 

■ 元老院。

■ 名称 : 元老院 (げんろういん)。

■ 元老院は、

  古代ローマ国家の 議決機関(議会)、諮問機関

  である。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21615。

 

 

 ■ 元老院。

   ■ 元老院 (げんろういん)は、 

     古代ローマ国家の 議決機関(議会)、諮問

     機関である。

 

 ■ 元老院。

   ■ 元老院は、 古代ローマ 国家のエリート

     集団であった。

 

   ■ 古代ローマ国家の、元老院は、

     ローマ王国(王政ローマ)では、王への

     助言機関、 ローマ共和国(共和政ロー

     マ)では、 立法機関で実質的な統治機

     関、 ローマ帝国(帝政ローマ)、西ロー

     マ帝国、初期の東ローマ帝国では、皇帝 

     の諮問機関であった。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ 元老院。

   ■ 元老院の、ラテン語名は、Senatus (

    ナートゥス)で、 英語名は、the Senate 

    で、 フランス語名は、le Sénat、 スペ

    イン語名は、el Senado で、 イタリア語

    で il Senatoで、ドイツ語で、der Senato 

    である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ 元老院と現代の上院。

   ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の元老院は、 

     ヨーロッパ人が経験した主要な共和政体

     である。 その影響を受け、 「高い権威を

     もった、合議制による国家の意思決定機関」 

     と言う意味で、 現代の、欧米諸国 や 欧

     米諸国の旧宗主国の国々で、二院 制議会

     のある国々の上院には、 元老院(ラ:

     Senatus) の名称を用いることが多い。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ 古代ローマ国家の元老院

   ■ 古代ローマ、元老院 (ラ:Senatus、

    英:The Senate) は、 古代ローマ国家

    政治機関である。 

      しかし、ローマ王国(王政ローマ)、ローマ

    共和国(共和政ローマ)、ローマ帝国(帝政

    ローマ)、西ローマ帝国、初期東ローマ帝国

    では、役割が異なっていた。

 

   ■ 古代ローマ国家の 元老院は、  

     ローマ王国(王政ローマ)では、王への助言

     機関(諮問機関)、 ローマ共和国(共和政

     ローマ)では、コンスル (= 執政官)など政務

     官や民会(= コミティア)への助言機関(諮問

     機関)で、立法機関(議決機関)で実質的な

     統治機関、 ローマ帝国(帝政ローマ)、西ロ

     ーマ帝国、初期東ローマ帝国では、 皇帝へ

     の助言機関(諮問機関)であった。

 

   ■ ローマ王国(王政ローマ)では、元老院は、 

     王に助言する氏族長老の集い(年長者会議)

     である。

 

   ■ ローマ共和国(共和政ローマ)では、元老

     院は、  コンスル(= 執政官)など政務官

     や民会(= コミティア)に助言を行う助言機

     関(諮問機関)であり、 立法機関(議決機

     関)であり、実質的な統治機関であった。

        ローマ共和国(共和政ローマ)の元老

     院は、 現代の欧米各国の上院のモデル

     となった 議決機関(議会)である。

         ローマ共和国(共和政ローマ)の元

     老院は、 有事の際に正規軍を出動させる

     権利を有していた。

 

   ■ ローマ帝国(帝政ローマ)、西ローマ帝国

     初期東ローマ帝国では、元老院は、 

     皇帝に助言を行う助言機関(諮問機関)で

     あった。

        ローマ帝国(帝政ローマ)前期・中期

     の元首政時代では、 皇帝は、「元老院、

     軍隊、市民の推戴(すいたい)によって、

     帝位の正当性を受ける」といった伝統があ

     った。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ 古代ローマ国家の元老院

  ■ 古代ローマ国家の元老院は、 

    紀元前753年頃より、 紀元(後)5世紀頃

    まで存続した。 

       元老院は、古代ローマ国家の諮問機

    関であり、 貴族、富裕者、高位の官職を

    経た者などが、元老院議員に任じられた。

      ローマ王国(王政ローマ)では、 

    元老院は、古代ローマ国家の王の助言機

    関であった。

      ローマ共和国(共和政ローマ)では、 

    元老院は、 古代ローマ 国家の最高立法機

    関であり、諮問機関であり、 実質上の支配

    機関であり、 行政(政治運営)の中心機関

    であった。 

      ローマ帝国(帝政ローマ)、西ローマ帝国

    初期東ローマ帝国では、 

    元老院は、権限が縮小され、古代ローマ国

    家の皇帝の諮問機関となる。

       紀元(後)395年のローマ帝国分裂

    後は、 古代ローマ国家の元老院は、

    西ローマ帝国と東ローマ帝国に各1つ存在

    した。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の

    元老院。

   ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の元老

     院は、 現代の欧米各国の上院のモデル

     となった 議決機関(議会)である。

 

 ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の

    元老院。

   ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の、元老院

     では、通例、コンスル(= 執政者)が、会議

     を招集し、議題を提示し、議員の公職序列

     順に指名諮問を行い、採決を主導した。 

       初めに指名される長老議員の発言は、

     重視された。 また、発言者へ歩み寄り(賛

     意表明)だけの議員もいた。

 

 ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の

    元老院。

   ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の、元老院

     は、 実質上の支配機関であった。

        元老院は、 貴族、富裕平民の利益を

     代表する、政治機関であった。

        元老院は、 外交、軍事、政治など古

     代ローマ国家の政治の中心を担った議会 

     である。

   ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の元老院

     は、 有事の際に正規軍を出動させる権

     利を有していた。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の

    元老院議員。

   ■ 「元老院議員」 (英:Senator(s))は、

    古代ローマ国家のローマ共和国(共和政

    ローマ)では、主に、公職経験者か ら選出

    され、任期は終身であった。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の

    元老院議員。

   ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の、元老院

     は、 定員300人で、後に定員は増加した。 

       ローマ共和国(共和政ローマ)では、

     元老院は、 古代ローマの立法・諮問機関

     であり、 貴族や平民で政務官など高位の

     官職を経た者(重要な役職を務めた者)が、

     元老院議員に任じられた。

       元老院議員は、 貴族や平民の高位公

     職経験者(重要役職経験者)などからなり、 

     最上級の社会身分で構成された。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 ■ ローマ共和国(共和政ローマ)の

    元老院議員。

   ■ 元老院が実質上の支配機関であったロー

         マ共和国(共和政ローマ)では、 元老院

     議員は、専横を極めた。 しかし、

   ● ローマ共和国(共和政ローマ)では、 

     公職の要職をめざす者は、約10年にわ

     たる軍隊経験が必須であった。

        一方、古代ローマ国家の要職の官職

     は、ほぼ全て、選挙で選出された。

   ● 元老院議員は、 軍隊経験を持ち、要職

     の公職経験者から選出された、軍事や国

     政の経験や見識を備えたエリート集団で

     あった。 

    ● ローマ共和国(共和政ローマ)では、 

     名家出身だからといって、元老院議員にな

     れるわけではなく、 また、元老院議員は、 

     世襲によってその身分が継承されることは

     なかった (元老院議員身分の世襲は、認

     められなかった)。

   ● 元老院議員の任期は、終身制であり、

     一度議員になったらその身分を失うことは

     なく、長期的視点に立って古代ローマ国家

     の政策を示すことができた。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

         

 

 ■ 古代ローマ国家。

   ■ 古代ローマ国家とは、

     狭義の「ローマ国家」であり、

     紀元前753年頃から紀元(後)476年

     までの約1200年間、

     イタリアを中心にヨーロッパ、北アフリカ、

     西アジアに存続した国家であり、

     (a) ローマ王国 

                (= 王政ローマ、古代ローマ王国、

         紀元前753年頃(伝説では)

               ー紀元前509年)、

     (b) ローマ共和国 

        (= 共和政ローマ、古代ローマ

          共和国、

         紀元前509年ー紀元前27年)、

     (c) ローマ帝国 

        (= 帝政ローマ、古代ローマ帝国、

         紀元前27年ー紀元(後)395年)、

     (d) 西ローマ帝国 

       (= 古代西ローマ帝国、紀元(後)

         395年ー476年)、

     (e1) 初期のローマ帝国 

        (= 初期のビザンティン帝国、

         紀元(後)395年ー476年頃)、

     の5つの「ローマ国家」である。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

   

   

 

 

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#genjo

 

■ 玄奘  

     (げんじょう)。

 

■ 玄奘。

■ 名称 : 玄奘 (げんじょう)。  

 別名 : 玄奘三蔵 (げんじょうさんぞう)。

■ 生没年 : 602年〜664年。

■ 玄奘は、

   中国の初唐の仏僧、訳経僧である。

■ 玄奘は、

   フィクションの小説「西遊記(さいゆうき)」の

   三蔵法師のモデルになった仏僧である。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21517。

 

 

  ■ 玄奘 (げんじょう、生没年:紀元(後)602

    〜664年) は、  唐(とう、中国)の仏僧

    であり、 インド方面旅行 (紀元(後)629

    年〜645年)を行い、 法相宗(ほっそうし

    ゅう)の開祖(かいそ)であり、 「大唐西域

    記」(だいとうさいいきき)を記する。 

 

  ■ 玄奘は、 フィクションの小説「西遊記 (さ

    ゆうき)の三蔵法師のモデルになった仏僧 

    である。

 

  ■ 日本に来日した、鑑真和尚(がんじんおしょ

    う)は、 玄奘の孫弟子である。

 

  ■ 玄奘の別名は、 玄奘三蔵 (げんじょうさ

    んぞう) である。 

 

  ■ 玄奘は、小説・西遊記で三蔵法師 (さん

  ぞうほうし)と呼ばれているが、三蔵法師 (さ

  んぞうほうし)は、尊称名で、固有名詞ではな

  い。 

 

  ■ 仏教の経蔵、律蔵、論蔵の三蔵に精通した

  僧侶(法師)を、尊称して、三蔵、または、三蔵

  法師という。 また、転じて、訳経僧を意味する

  場合もある。 インドや西域から仏典をもたらし、

  漢訳した人々を、尊称して、訳経三蔵という。

  三蔵法師の人々の中で最も有名な三蔵法師は、

  玄奘である。

 

■ 玄奘は、 仏教の教えを求めて、 約17年間を

  かけて、インド向旅行を行い (中国の唐から天

  竺(てんじく、インド)へ行き中国の唐へ戻り)、 

  その後、仏教の本当の教えを伝えたいと、沢山

  の仏教経典(きょうてん)を漢訳した。

 

■ 玄奘は、 13歳頃に出家したが、 従来の中国

  仏教に疑問を抱(いだ)き、その解決を志(こころ

  ざ)し、 仏教の本当の教えを求めて天竺(て

  んじく、インド)をめざし、 西暦・紀元(後)629

  年に、26歳頃、中国の長安(西安)を発し陸路

  で、 諸国を巡歴(じゅんれき)し、 天竺(インド)

  に赴(おもむ)き、 天竺(インド)のナーランダー

  僧院 (ナーランダ寺、ナーランダ大学)で学び、 

  経典などを携(たずさ)えて、 645年に、43歳

  頃に、約17年間の総距離・約3万kmの天竺巡

  礼(てんじゅくじゅんれい)の旅を終え、中国の

  長安(西安)に帰国した。

    玄奘は、唐の皇帝への手紙で、 天竺(インド)

  への旅の体験を次のように述べている。 

     「見渡すかぎりの砂漠を渡り、 切り立った

  雪深い峰々を超え、 激流が絶壁を洗う道を歩

  く旅でした。 風俗は千をもって数えるほど様々

  で、 困難や危険は万をもって数えるほどでし

  た。」

     玄奘は、インドで、約11年滞在した。 玄奘

  の願いは、インドで手に入れた、仏教の経典を漢

  訳し(翻訳し)、その仏教の教えを中国の人々に

  広めることであった。

     中国への帰路、 タリム盆地のホータンで、

  出発時の無許可出国の許しを得るため、 唐の

  第2代皇帝の太宗(たいそう)に手紙を出し、

  太宗から、入国許可の他に、帰りの安全と手厚

  い援助の申し出を受けた。

     玄奘は、中国に帰国後、唐の皇帝に会い、

  仏教の経典の漢訳(翻訳)を、国家事業として

  行うことの承諾を得て、高価な紙、漢訳(翻訳)

  の多数の人員、仏典保管・漢訳施設を手に入れ、 

  玄奘は、残りの人生を仏教の経典の漢訳(翻訳)

  に没頭する。

 

 ナーランダー僧院

    ナーランダー僧院(ナーランダ寺、ナーランダ

  大学、紀元(後)5世紀に設立) は、 玄奘 が、

  インドで、仏教を学んだ学院である。 玄奘が学

  んだ当時、仏教の最高学府であった。

     ナーランダー僧院は、 グプタ朝時代に建立

  され、紀元(後)7世紀には、数千人の僧が学ぶ。 

  講座内容は、仏教学、文法学、医学、天文学、数

  学に及び、インド最大の総合大学であった。

     玄奘は、インド到着後、ナーランダー僧院

  で、 紀元(後)7世紀に、約5年間、仏教をはじ

  め諸学問を学び、優秀な成績をおさめた学生と

  評価された。 

 

 

◆ 仏典漢訳。 

 

  ■ 二大訳聖。

  ● 鳩摩羅什玄奘2人の訳経僧(やっきょう

    そう)が、仏典漢訳に重要な役割をはたし、

    国や日本で使う漢訳仏典の基礎をつくる。 

      鳩摩羅什と玄奘は、二大訳聖と言われる。

 

  ● 仏典漢訳。

    サンスクリット語などのインド言語の仏典を、 

    西域(さいいき)のクチャ(亀茲国(きじこく))

    出身の鳩摩羅什 (くまらじゅう、クマラジー

    ヴァ、英:Kumarajiva、紀元(後)344 年

    〜413年) や 中国・唐の玄奘(げんじょ

    う、玄奘三蔵) などの仏僧が、漢訳した 

    (漢語(中国語)に翻訳した)。 

       鳩摩羅什より前の訳経を、古訳 といい、

    鳩摩羅什から玄奘前までの訳経を、旧訳

    (くやく)といい、 玄奘以後の訳経を新訳

    (しんやく)という。

 

  ■ 三蔵法師。

  ● 仏教の経蔵、律蔵、論蔵の三蔵に精通した

  僧侶(法師)を、尊称して、三蔵、または、三蔵

  法師という。 また、転じて、訳経僧を意味する

  場合もある。 インドや西域から仏典をもたらし、

  漢訳した人々を、尊称して、訳経三蔵という。

  三蔵法師の人々の中で最も有名な三蔵法師は、

  玄奘である。

  ● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 玄奘は、 経典(きょうてん)の漢訳に業績をあ 

  げ、玄奘以後の訳経は、 新訳と称される。

     玄奘は、 持ち帰った657部の経典をもと

  に、仏典(ぶってん)1335巻を翻訳した。

     玄奘 は、インドから持ち帰った経典などを

  火災から守るため、 長安(現在の西安)に、大

  慈恩寺(だいじおんじ)を建立(こんりゅう)した。

 

■ 「大唐西域記」 (だいとうさいいきき、7世紀前

  半)は、 唐僧・玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の

  インド旅行記 である。

 

 

◆ 西遊記。  

■ 「西遊記」(さいゆうき)は、 唐僧・玄奘三蔵(げ

  んじょうさんぞう)のインド旅行記・大唐西域記(だ

  いとうさいいきき、7世紀前半)をモデルにつくら

  れた、フィクションの明代の口語長編小説 であ

  る。

 

■ 小説の「西遊記」(さいゆうき)の三蔵法師 (さ

  んぞうほうし)は、 玄奘をモデルにしたものであ

  る。

    フィクションの小説の「西遊記」(さいゆうき)

  は、 明代の口語長編小説 で、 唐の仏僧・玄

  奘が経典を求めてインドへ旅行した史実をもとに

  して作った、フィクションの小説 である。 

    

 

◆ 玄奘のインドへの長期旅行。

  ■ 古代、中世の世界東西交通路は、 東西

  交易(貿易)、東西文化交流などの道であった。

    古代、中世の世界の東西交通路には、「草

  原の道」、 「オアシスの道」、 「海の道」 の

  3つがあった。

    「シルクロード」は、東西陸上交通路の、「オ

  アシスの道」の、幹線交通路(=幹線路) である。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

  

 

  ■ 古代、中世の世界の「東西交通路」。

  ● ホワイト・ライン : 

     古代、中世世界の「草原の道」。

  ● グレイ・ライン  : 

     古代、中世世界の 「オアシスの道」。

    ○ 「シルクロード」は、「オアシス の道」

        の幹線交通路(=幹線路)。

  ● ブラウン・ライン : 

     古代、中世世界の 「海の道」。

 

 

◆ 中国からインドへの行路(陸路)。

   (紀元前2世紀頃〜紀元(後)8世紀頃)。 

  ■ 中国からインドへの行路(陸路)は、古代・中

  世世界の、東西陸上交通路の「オアシスの道」

  の、幹線交通路(シルクロード) と 派生(支

  線)交通路 を利用する。

 

  ■ 中国からインドへの行路(陸路)によって、

    インドの仏教の、大乗仏教(大衆部仏教)、

    仏塔、ガンダーラの仏像が、 中国にもたら

    され、 更に中国から日本や朝鮮半島へも

    たらされた。

 

  ■ 中国からインドへの行路は、一般的に、

    次のような行路を通る。  

  ■ 中国の洛陽、長安(ちょうあん、西安) ⇒ 

   甘粛回廊の、敦煌(とんこう、沙州(さしゅう)) 

   ⇒ タリム盆地の、疏勒(そろく、カシュガル) 

   ⇒ ウズベキスタンの、サマルカンド(= マラ

   カンダ) ⇒ アフガニスタン北部の、バクトラ

   (バルフ) ⇒ アフガニスタン中部の、カブー

   ル ⇒ アフガニスタン・パキスタンの国境の、

   カイバル峠 ⇒ プルシャプラ(= パキスタン

   北西部のペシャワール、ガンダーラ地方の中

     心都市)⇒ パキスタン北東部・パンジャブ地

   方の、タクシラ(= タキシラ) ⇒ 北インド中央

   部の、マトゥーラ ⇒ 北インド東部のパータリ

   プトラ (ブッダガヤ、ナーランダー僧院に近い)。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

  ■ パキスタン北西部の、プルシャプラ(= 現在の

  ペシャワール)は、 ガンダーラ地方の中心都市で、

  古代・中世世界の、東西陸上交通路の、「オア

  シスの道」の、幹線交通(幹線路)である、「シ

  ルクロード」の、派生(支線)交通路の中継重要

  拠点 であった。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

◆ 玄奘の、中国からインドへの行路。

  ■ 玄奘のインド方面長期旅行 : 

      紀元(後)633年〜645年。

  ■ 中国の唐の僧・玄奘 (げんじょう、三蔵法師 、

  紀元(後)602年〜664年)は、 紀元(後)63

  3年から645年までのインド方面長期旅行 で、

  東西陸上交通路のオアシスの道」の、幹線 交

  通路(シルクロード) や 派生(支線)交通 路を

  使って、 中国とインドを行き来した。

  ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 ■ 行き。

   ■ 玄奘は、次のような経路を通って、中国から

     インドへ行った。  

   ■ 中国の唐の、長安 ⇒(陸路)⇒ 沙州(敦煌) 

   ⇒(陸路)⇒ サマルカンド ⇒(陸路)⇒ バクト

   ラ(バルフ) ⇒(陸路)⇒ カブール ⇒(陸路)

   ⇒ カイバル峠 ⇒(陸路)⇒ プルシャプラ ⇒

   (陸路)⇒ タクシラ ⇒(陸路)⇒ マトゥーラ ⇒

   (陸路)⇒ 北インド東部の、パータリプトラ。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

   ■ 中国の唐の長安(ちょうあん、現在の西安) 

   ⇒(陸路)⇒ 甘粛回廊の、沙州(さしゅう、敦煌

   (とんこう)) ⇒(陸路)⇒ ウズベキスタンの、

   サマルカンド ⇒(陸路)⇒ アフガニスタン北部

   の、バクトラ(バルフ) ⇒(陸路)⇒ アフガニス

   タン中部の、カブール ⇒(陸路)⇒ アフガニス

   タン・パキスタンの国境の、カイバル峠 ⇒(陸路) 

   ⇒ パキスタン北西部の、プルシャプラ(= プルシ

   ャープラ、現在のペシャワール、ガンダーラ地方

   の中心都市) ⇒(陸路)⇒ パキスタン北東部・

   パンジャブ地方の、タクシラ(= タキシラ) ⇒(陸

   路)⇒ 北インド中央部の、マトゥーラ(マツーラ)

   ⇒(陸路)⇒ 北インド東部の、パータリプトラ 

   (ブッダガヤ、ナーランダー僧院に近い)。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 ■ 帰り。

   ■ 玄奘は、次のような経路を通って、インドから

     中国へ帰った。  

   ■ 北インド東部の、パータリプトラ ⇒(陸路)⇒ 

   タムラリプティ ⇒(陸路)⇒  インド内陸部各地 

   ⇒(陸路)⇒ ダイブル ⇒(陸路)⇒ タクシラ ⇒

   (陸路)⇒ プルシャプラ ⇒(陸路)⇒ カイバル 

   峠 ⇒(陸路)⇒ カブール ⇒(陸路)⇒ バクト

   ラ(バルフ) ⇒(陸路)⇒ カシュガル(疏勒) ⇒

   (陸路)⇒ 沙州(敦煌) ⇒(陸路)⇒中国の唐の、

   長安。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

   ■ 北インド東部の、パータリプトラ (ブッダガヤ、

   ナーランダー僧院に近い) ⇒(陸路)⇒ インド

   北東部の、タムラリプティ ⇒(陸路)⇒ インド内

   陸部各地 ⇒(陸路)⇒ パキスタン南部の、ダイ

   ブル ⇒(陸路)⇒ パキスタン・北東部・パンジャ

   ブ地方の、タクシラ ⇒(陸路)⇒ プルシャプラ

   (= パキスタン北西部のペシャワール、ガンダー

   ラ地方の中心都市、花の都の意) ⇒(陸路)⇒ 

   アフガニスタン・パキスタンの国境の、カイバル峠 

   ⇒(陸路)⇒ アフガニスタン中部の、カブール ⇒

   (陸路)⇒ アフガニスタン北部の、バクトラ(バル

   フ) ⇒(陸路)⇒ タリム盆地の、カシュガル(疏

   勒(そろく)) ⇒(陸路)⇒ 甘粛回廊(かんしゅく

   かいろう、河西回廊)の、沙州(さしゅう、敦煌(と

   んこう)) ⇒(陸路)⇒中国の唐の、長安(ちょうあ

   ん、西安)。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

    

    

 

 

♪♪ 玄奘が登場する、興味深い、映画、

    ドラマ、ドキュメンタリー。 

 

 玄奘が登場する、興味深い、ドキュメ

   ンタリー。 

 

■ 『 シルクロード物語〜

     文明が交差する道  

   最終話(第4話)‘‘ インド〜 

   仏教のふるさと天竺 ’’ 』。  

    (フジテレビ・2013年11月16日・

    本放送・テレビ・ドキュメンタリー番組)。

  ■ 仏教の教えを求めてインドを訪問した、

    玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)などにつ

    いて述べる。 

  ■ 紀元(後)7世紀の、玄奘三蔵(げ

    んじょうさんじょう)の旅行ルートとその

    訪問地を述べる。 

  ■ 玄奘は、中国の長安(西安)から

    インドのナーランダ学院へ、インド国内

    へ、インドのナーランダ学院から中国の

    長安(西安)に戻る。

  ■ ブッダの生涯について述べる。

  ■ 東西文化交流について語り、東西陸上

    交通路のシルクロード (=「オアシスの

    道」の幹線交通路) の派生(支線)交

    通路に位置する、北インドで発生した仏

    教について述べる。 

  

  ■ 紀元(後)1世紀に、インド北部のマトゥ

    ーラで出現した、マトゥーラ仏像につい

    て述べる。

 

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#kenya

 

■ ケニア 

 

■ ケニア。

■ 名称 : ケニア。

 英名  : KENYA。

■ 国名別名 : ケニア共和国  (Fc14)。

 英語 国名別名  : THE REPUBLIC 

    OF KENYA (Fc14)。

■ 現存独立国。  《国名》。

■ 略称名 (略号コード) :  KEN

■ ケニアの位置 

  (英:THE  KENYAN (KENYA’S) 

  LOCATION) : 

  アフリカ東部。

■ ケニアの国民 

  (英:THE NATIONAL(S) OF KENYA) :

  ケニア人。

  (英:KENYAN(S)

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

        

    

 

 

◆ 現在のケニア (KEN)

■ 国の面積 : 約 580,000  KM2。  

                        (Ar14)

■ 国の人口 : 約 41,610,000  人 

                        (Po14)

■ 人口密度 : 71.7  人/KM2。  

                         (Pd14)

■ 国の首都 : ナイロビ 。      (Ca14)

           (英:NAIROBI)。       

○ 数値は、国連統計に基づく。

 

■ ケニア (英:KENYA)は、現在、アフリカ

  東部にある独立国 である。

 

■ ケニアの国名の別名は、 ケニア共和国  

    (英:THE REPUBLIC OF KENYA) 

  (Fc14) である。  

 

■ ケニアの位置 (英:THE  KENYAN 

  (KENYA’S) LOCATION) は、 

  アフリカ東部 である。

 

■ ケニアの国民 (英:THE NATIONAL(S) 

  OF KENYA) は、 ケニア人

  (英:KENYAN(S) である。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

 

■ 略称名 (略号コード)。

    ケニア (英:KENYA)の略称名 (略号

  コード)は、  KEN  である。

● (): IOCコード 。

   (): ISO 3166-1 alpha3 コード 。

   (): FIFAコード。

 

 

◆ (Hi34) ケニア簡略歴史一覧表。

 

○ 現在から過去へ。

 

■ 1964年 − 現在。

  ● ケニア共和国 の統治。

○ 1964年から現在まで、 

  ケニア共和国 (1964年−現在) が ケニ

  地域を統治する。

○ 1964年から現在まで、 

  ケニア共和国 (1964年−現在、英:THE  

  REPUBLIC OF KENYA) が ケニア

  地域 (英:THE REGION OF KENYA) 

  を統治する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1963年 − 1964年

  ● イギリス連邦自治領・ケニア の統治。

○ 1963年から1964年まで、 

  イギリス連邦自治領・ケニア (1963年−1964

  年、英:KENYA,THE COMMONWEALTH 

  REALM (:KENYA,THE DOMINION OF 

  THE COMMONWEALTH OF NATIONS) ) 

  (独立国) が ケニア地域を統治する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

■ 1895年 − 1963年

  ● イギリス支配下のケニア。

○ 1895年から1963年まで、 

  イギリスが ケニア地域を 支配する。

● TKKI カナヤマ著 電子書籍。

 

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#thecelticpeoples

 

■ ケルト人 (族)  

    (= ケルト系諸族) 

     (けるとじん(ぞく)

     = けるとけいしょぞく)。

 

■ ケルト人(族)。

■ 名称 : ケルト人(族)(= ケルト系諸族)。

        (けるとじん(ぞく)、

         = けるとけいしょぞく)。

■ 英名 : CELT(S)

   THE CELTIC PEOPLES

■ 別名 : ケルト族、 ケルト系諸族、

      ケルト(系)民族、 ケルト系民族の人。

■ ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、

   インド・ヨーロッ パ系諸族の一派である。

■ ケルト人(族)(= ケルト系諸族)。

  <インド・ヨーロッパ系諸族。

  <民族。

■ ケルト人(族)の直接関連項目:

  民族」、「インド・ヨーロッパ 系諸族」、

  「イギ リスの歴史フランスの歴史

  「スペインの歴史」 。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21628。 

 

 

 ■ ケルト人(族)(= ケルト系諸族)。

 

   ■ ケルト人(族)は、

   (a) ガリア人 (消滅民族)、

   (b) ブリタニック系(= ブリトン人)のウェー

      ルズ人やコーンウォール人 (現存民

      族)、

   (c) ゲール系のスコットランド人やアイル

      ランド人 (現存民族)、

   (d) フランスのブルターニュ人、スペイン

      のガリシア人、

    その他のケルト系民族である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

  ■ ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、 

    インド・ヨーロッ パ系諸族の一派の民族 

    である。

      ケルト人の別名は、 ケルト族、 ケルト

    系諸族、 ケルト(系)民族、 ケルト系民族

    の人である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ケルト人(族)(= ケルト系諸族)。

 

   ■ ケルト人(族)(= ケルト系諸族)の言語。 

   ● ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、

     言語は、母国語として、ケ ルト系諸言

     語を使用する。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

   ■ ケルト人(族)(= ケルト系諸族)

      原住地と中間定住地。

   ● ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、 

     ヨーロッパ大陸中央部を原住地とし、

     その後、ヨーロッパの、イギリス諸島

     (アイルランド島と大ブリテン島)へ

     拡大移住し、アイルランド島や大ブリ

     テン島北部・西部などに定住する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

   ■ ケルト人(= ケルト系諸族)の現居住地 

     (英:THE CELTIC INHABITING 

      AREAS)

   ● ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、

     現在、ヨーロッパ西北部、北米アングロ・

     アメリカ、その他の地域に居住する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ケルト人(族)。

   ■ 古代ヨーロッパの当時は、

     ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、

     文字を持たず、絵・模様などで表現し、自然

     崇拝で、神秘的なもの、妖精などを好んだ。 

        スペイン北西部のガリシア地方には、

     紀元前4世紀〜前1世紀のケルト人(族)

     (= ケルト系諸族)の遺跡がある。

   ● ケルト人(族)(= ケルト系諸族)(英:

     CELT(S),THE CELTIC PEOPLES) 

     は、 かっては、ヨーロッパ各地に居住して

     いた。 しかし、他の民族により、ヨーロッパ

     の西方に追われる。  

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ケルト人(族)。

  

   ■ 現在のケルト人(族)(= ケルト系諸族)

   ● 現在、ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、 

     大ブリテン島のウェールズやスコットランド、 

     アイルランド島、 フランスのブルターニュ

     半島、 スペイン北西部のガリシア地方 

     に居住している。

 

   ● 現在、ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、 

     大ブリテン島のウェールズやスコットランド、 

     アイルランド島、 フランスのブルターニュ

     半島、 スペイン北西部のガリシア地方 

     (英: WALES, SCOTLAND OF 

     THE GREAT BRITAIN ISLAND, 

     AND THE IRISH ISLAND,AND 

     BRETAGNE PENINSULA OF 

     FRANCE, AND THE GALICIA 

     REGION OF NORTHWESTERN 

     SPAIN) に居住している。

 

   ● 現在、ケルト人(= ケルト系諸族)は、 

     バグパイプなどの楽器をもつ。  

 

   ● スコットランド、アイルランド、スペイン・

    ガリシア地方などのバグパイプは、 音色

    (ねいろ)が異なる。

 

   ● スペイン北西部のガリシア地方のケルト

     文化は、 1975年まで、スペインのフラ

     ンコ政権により一時弾圧され、衰退した

     が、現在は、復興している。 ガリシア地

     方のバグパイプであるガイタの奏者(そう

     しゃ)も多数いる。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ケルト人(族)。

   ■ ヨーロッパ大陸の中央部に移動した、

    インド・ヨーロッパ系諸族の一派のケルト人

    (族)(= ケルト系諸族)は、 紀元前8世紀

    頃に、 ヨーロッパ大陸の中央部に定住し、

    原住地とする。 

       その後、ケルト人(族)(= ケルト系諸

    族)は、 紀元前8世紀から前1世紀まで、 

    ヨーロッパ大陸の中央部から周辺地域へ

    移動し居住地を拡大し、 イギリス諸島

    (大ブリテン島、アイルランド島)、イベリア

    半島、ヨーロッパ東部へも移動する。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

   ■ ケルト人(族)の原住地。

   ● インド・ヨーロッパ系諸族の一部は、 

    「北コーカサス」 (カフカス山脈北部地域、

    黒海北東岸とカスピ海北西岸の間の地域)

    を原住地とし、 

    「北コーカサス」の原住地から ヨーロッパ各

    地を移動し、 紀元前8世紀 頃に(今から

    約2800年前に)、 ヨーロッパ大陸の中央

    部 (フランス地域北東部付近)に移動し、

    定住して、ケルト人(族)となる。 

 

   ■ ケルト人(族)の中間定住地。

   ■ ヨーロッパ大陸中央部を原住地とした、

    ケルト人(族)(= ケルト系諸族)は、 紀元 前

    8世紀から前1世紀まで、 ヨーロッパ中央部

    から周辺地域へも移動し居住地を拡大し、 

    ヨーロッパ東部、ガリア地方(フランス地域、

    ベルギー地域、スイス地域)、イギリス諸島

    (アイルランド島、大ブリテン島)、イベリア半

    島へも移動する。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

    ■ ケルト人(族)の撤退地。

    ● ヨーロッパ北部を原住地とするゲル

    マン人(族)は、 南下して、ヨーロッパの

    中央部や東部へも移動し、ヨーロッパ中

    央部や東部に定住していたケルト人 (族)

    を圧迫しながら勢力をひろげ、 ケルト人

    (族)を追いたてて、  居住地を拡大し 、

     ライン 川以北、ドナウ川以北から黒海

    北岸地域にいたるまでのヨーロッパ

    央部やヨーロッパ東部に移動し、ヨー

    ロッパ中央部には、 紀元前後頃(約

    2000年前)までには、移動し 定住し、

    ヨー ロッパ東部には、 紀元(後)3世紀

        までには、移動し 定住する。  

 

 

 ■ ケルト人(族)のガリア人。

 

   ■ インド・ヨーロッパ系諸族の一派で、

     ヨーロッパ大陸の中央部を原住地と

     するケルト人(族)(= ケルト系諸族)が、 

     紀元前6世紀頃に、 ヨーロッパ南部の

     ガリア地方(フランス 、ベルギー、スイ

     ス)全域にも移動し定住して、ケルト人

     の「ガリア人」となる。 

        その後、古代ヨーロッパで、ガリア

     人は、ローマ化し、古代イタリア人と混

     血・文化融合して、中世ヨーロッパで、

     フランク人(族)とも混血して、フランス

     人(民族)となる。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ケルト人(族)のゲール人ブリタ

    ニック人

 

   ■ ヨーロッパ大陸中央部を原住地とする、

     インド・ヨーロッパ系諸族の一派の、ケルト

     人(族)(= ケルト系諸族)は、 紀元前5世

     紀頃に、 大ブリテン島(イングランド、ウェ

     ールズ、スコットランドの地域) や アイル

     ランド島にも渡り、 定住して、ゲール人

     (= ゲール系諸族) や ブリタニック人(=

     ブリタニック系諸族) となる。

 

   ● イギリス諸島(大ブリテン島とアイルラン

     ド島)のケルト人は、 後に、ブリタニック

     系のウェールズ人やコーンウォール人、 

     ゲール系のスコットランド人やアイルラン

     ド人、その他のケルト系の諸族に分化する。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ケルト人(族)のケルト・イベロ人

   ■ インド・ヨーロッパ 系諸族の一派で

     ヨーロッパ大陸の中央部を原住地と

     するケルト人(族)(= ケルト系諸族)が、 

     紀元前4世紀頃に、 ヨーロッパ大陸

     のイベリア地方(スペイン・ポルトガル

     地域)にも移動し、定住し、 その後、

     イベリア半島先住のイベロ人と混血し

     てケルト・イベロ人が形成される。 

       その後、古代ヨーロッパで、ケルト・

     イベロ人は、ローマ化し、古代イタリア

     人と混血・文化融合し、中世ヨーロッパ

     で、西ゴート人(族)やムーア人とも混

     血して、スペイン人、ポルトガル人とな

     る。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

    

    

 

 

 

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#thegermanicpeoples

 

■ ゲルマン人(族) 

    (= ゲルマン系諸族)。 

     (げんまんじん(ぞく))。

 

■ ゲルマン人(族)。

   (= ゲルマン系諸族)。

■ 名称 : ゲルマン人(族)(= ゲルマン系諸族)。

        (げんまんじん(ぞく)、

         = げるまんけいしょぞく)。

■ 英名 : THE GERMANIC PEOPLES

■ 別名 : ゲルマン族、 ゲルマン系諸族、

         ゲルマン(系)民族、

         ゲルマン(系)民族の人。

■ ゲルマン人(族) (= ゲルマン系諸族)。

  <インド・ヨーロッパ系諸族。

  <民族。

■ ゲルマン人(族)は、

   インド・ヨーロッ パ系諸族の一派である。

■ ゲルマン人(族)の直接関連項目:

  「民族」、 「インド・ヨーロッパ 系諸族」、

  「ドイツの歴史」、  イギリスの歴史

   フランスの歴史スペインの歴史」 。

● TKKI カナヤマ著 世界史辞典 21623。 

 

 

 ■ ゲルマン人(族)。                  

   ■  ゲルマン人(族) (げるまんじん (ぞく)、

     = ゲルマン系諸族、英:THE GERMANIC 

     PEOPLES) とは、  ゲルマン人(族)への

     帰属意識をもち、ゲルマン系言語を母国語

     とする人々である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)。

      ■ ゲルマン人(族)(= ゲルマン系諸族 )は、  

     インド・ヨーロッパ系諸族の一派の民族で

     ある。

 

   ■ ゲルマン人(族)は、

     紀元前1500年頃、ヨーロッパ北部 を原住

     地とし、その後、ヨーロッパ各地に移動し

     各諸族を形成し、更に、一部は、世界各地

     にも移動し、定住する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)の言語。

       ■ ゲルマン人(族)(= ゲルマン系諸族)は、

     言語は、ゲルマン系諸語を母国語として、

     使用する。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)の原住地。

   ■ インド・ヨーロッパ系諸族の一部は、 

     カスピ海北西岸と黒海北東岸の間の

     「北コーカサス」(カフカス山脈北部)

     の原住地からヨーロッパ各地を移動し、 

     紀元前1500年頃(今から約3500

     年前に)、 ヨーロッパ北部の、「スカン

     ジナビア半島中南部、ユトランド半島、

     ドイツ地域北部の地域に移住し、そこ

     を「ゲルマン人(族)原住地」にし、

     「ゲルマン人(族)」(= ゲルマン系諸

     族)となる。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)の中間定住地。

    ■ 更に、ゲルマン人(族)(= ゲルマン系

      諸族)は、 ヨ ーロッパの北部の「ゲ

      ルマン人(族)原住地」から移動して、  

      ヨーロッパ中央部の西部(ゲルマニア

      (ドイツ・ポーランド地域))には、

      紀元前後頃(今から約2000年前)に

      定住し、 ヨーロッパ東部には、紀元(後)

      3世紀頃に定住し、各諸族を形成する。

         その後、紀元(後)4世紀より、

      「ゲルマンの大移動」が約200年間に

      亘(わた)り起こり、 ゲルマン人(族)は、

      ヨーロッパ西北部、南部の各地や北アフ

      リカの各地に定住する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)の現居住地。

    ■ ゲルマン人(族)(= ゲルマン系諸族)は、

      現在、ヨーロッパの北部、西北部、中央

      部 や、 北米アングロアメリカ、オースト

      ラリア、ニュージーラン、その他の地域に

      居住する。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)。

   ■ ゲルマン 人(族)とは、

   (a) 西ゲルマン人(族)(= 西ゲルマン系諸族)

     の、アングロ・サクソン人(民族)(イングラ

     ンド地方の多数派イギリス人) フランク人

     (族)のドイツ人(民族)やオランダ人(民族)

     (現存民族)、

   (b) 北ゲルマン人(族)(= ゲルマン系諸族、

     = ノルマン人)の、ノルウェー人(民族)、スウ

     ェーデン人(民族)、デンマーク人(民族、=

         デーン人)、

     アイスランド人(民族) (現存民族)、

   (c) 東ゲルマン人(族)(= 東ゲルマン系諸族)

     の、西ゴート人(族)、東ゴート人(族)、ヴァ

     ンダル(族) 、ブルグント(族) (消滅

     民族)、

   (d) 系統不明のゲルマン人(族)(= 系統不明

     のゲルマン系諸族)の、スエビ人(族)、ラン

     ゴバルド人(族) (= ロンバルド人(族) ) 

          消滅民族)、

   その他のゲルマン系民族である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)の細分類。

    ■ ゲルマン人(族)(= ゲルマン系諸族)は、 

     (a) 西ゲル マン人(族)

        (= 西ゲルマン系諸族)、 

     (b) ゲルマン 人(族)

        (= ゲルマン系諸族)、 

     (c) 東ゲルマン人(族)

          (= 東ゲルマン系諸族)、

     の3グループに分かれる。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

    ■ (a) 西ゲルマン人(族)。

   ● 西ゲルマン人(族)(= 西ゲルマン系諸族)

     は、 アングロ・サクソン人(民族)、 フラン

     ク人(族)のドイツ人(民族)やオランダ人

     (民族)などの現存民族である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

    ■ (b) 北ゲルマン人(族)。

   ● 北ゲル マン人(族)(= ゲルマン系諸族)

     は、 ノルマン人= 北ゲルマン人)であり、 

     ノルウェー人(民族)、 スウェーデン人(民

     族)、 デンマーク人(民族)、アイスランド人

     (民族)などの現存民族である。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

    ■ (c) 東ゲルマン人(族)。

   ● 東ゲルマン人(族)(= 東ゲルマン系諸族)

     は、 西ゴート人(族)、東ゴート人(族)、

     ヴァンダル(族) 、ブルグント(族)、

     などの消滅民族であり、 消滅して、現在

     はいない。

        ヴァンダル(族)は、ゲルマン人(族)

     ではないという説もある。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

             

    ■ (d) 系統不明のゲルマン人(族)。

   ● 系統不明のゲルマン人(族)(= 系統不明

     のゲルマン系諸族)は、 

     スエビ人(族)、ランゴバルド人(族)など

     消滅民族であり、 消滅して、現在はいない。

 

 

 ■ 西ゲルマン人(族)

    (= 西ゲルマン系諸族)。

 

  ● フランク人(族)。

   ■ フランク人(族)(英:The Franks)は、 

      西ゲルマン人(族) (= 西ゲルマン系諸族)

    の一派で あり、 在のドイツ人(民族)

    オランダ人(民族)などである。

   ● フランク人(族)は、 オランダ地域、ドイ

    ツ地域、ベルギー地域、フランス地域、スイ

    ス地域、オーストリア地域、イタリア地域北

    部・中部などを支配するフランク王国(紀

    元(後)481〜843年)を樹立する。 

   ● フランク人(族)は、 

    ヨーロッパ北部の「ゲルマン人(族)原住

    地」からオランダ地域へ移動し、そこを

    「フランク人(族)の原住地」とする。

        その後、ドイツ地域にも移動・定住

    し、最終的に、ヨーロッパ中央部の、オラ

    ンダ地域、ドイツ地域、オーストリア地域、

    スイス地域北部に定住する。 

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

  ● アングロ・サクソン人(族)。

   ■ アングロ・サクソン人(族)は、  ゲルマン

      人(族)(= ゲルマン系諸族)の一派で あり、 

    アングル人(英:the Angles)、サクソン人

    (英:the Saxons)、ジュート人(英:the 

    Jutes)などであり、 現在、イギリス地域

    のイングランド地方に居住する、アングロ

    サクソン人(族)である。

 

   ● アングロ・サクソン人(族)は、 

     ヨーロッパ北部の「ゲルマン人(族)原住

     地」のデンマーク地域のユトランド半島や

     ドイツ地域北部の原住地から紀元(後)

     5世紀頃にイングランド地方へ移動し、 

     最終的に、イギリス地域の大ブリテン島

     のイングランド地方を定住地とする。

        その後、イングランド地方で、 アン

     グロサクソン人(族)は、 イングランド

     地方を支配するアングロ・サクソン七王

     国、イングランド王国などを樹立する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ 東ゲルマン人(族)

    (= 東ゲルマン系諸族)。

 

  ● 西ゴート人(族)。

   ■ 西ゴート人(族)(英:The Visigoths)

     は、 東ゲルマン人(族)(= 東ゲルマン

     系諸族)の一派であり、 現在は存在

     しない民族である。

   ● 西ゴート人(族)は、

     ヨーロッパ北部の「ゲルマン人(族)原

     住地」から、ヨーロッパ東部の黒海北

     西岸 (ウクライナ地域西南部・モルド

     バ地域のドニエプル川(英:The 

     Dnieper River)西岸地域・カルパ

     ティア山麓)へ移動し、そこを「西ゴー

     ト人(族)の原住地」とする。

        その後、西ゴート人(族)は、イタ

     リア半島に侵入し、「ローマ劫掠(ごう

     りゃく)」(西ゴート人の410年のロー

     マ略奪)やイタリア各地で略奪を重ね、

     その後、フランス地域南部、イベリア

     半島へ移動し、定住し、「西ゴート王

     国」(415年ー711年)を樹立する。 

        その後、西ゴート人(族)は、イベ

     リア半島の現地民と混血して、消滅す

     る。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

  ● 東ゴート人(族)。

   ■ 東ゴート人(族) (英:The Ostro-

     goths)は、 東ゲルマン人(族)(= 東

     ゲルマン系諸族)の一派であり、 現在

     は存在しない民族である。

   ● 東ゴート人(族)は、

     ヨーロッパ北部の「ゲルマン人(族)原

     住地」から、ヨーロッパ東部の黒海北

     西岸 (ウクライナ地域西南部・ドニエ

     プル川(英:The Dnieper River)

     東岸地域)へ移動し、そこを「東ゴート

     人(族)の原住地」とする。

         その後、東ゴート人(族)は、

     イタリア半島へ移動し、イタリア半島に

     定住し、イタリア半島などを支配する

     東ゴート王国(497年ー553年)を樹

     立する。 その後、東ゴート人(族)は、

     消滅する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

  ● ヴァンダル人(族)。

   ■ ヴァンダル人(族)(英:The Vandals)は、 

     東ゲルマン人(族)(= 東ゲルマン系 諸族)

     の一派であり、 現在は存在しない民族で

     ある。

   ● ヴァンダル人(族)は、

     ヨーロッパ北部の「ゲルマン人(族)原

     住地」から、 シレジア(ポーランド南西部・

     チェコ北東部、英:Silesia)へ移動し、そこ

     を「ヴァンダル人(族)の原住地」とする。

         ヴァンダル人(族)の一部は、南下し、

     北アフリカに定住し、北アフリカ中部、西部

     などを支配する、カルタゴを首都とするヴァ

     ンダル王国(紀元(後)429年〜534年)を

     樹立する。

         ヴァンダル人(族)は、建国後、艦隊

     を率いて、北アフリカより海を渡って、シチ

     リア島、サルデニア島、コルシカ島、バレア

     レス諸島を征服し、455年にローマ占領

     (略奪)を行う。

        534年に、 ヴァンダル王国は、東ロ

     ーマ帝国の皇帝・ユスティニアヌス1世(大

     帝)の軍によって滅ぼされる。 

         ヴァンダル王国滅亡後、そのヴァン

     ダル人(族)の一部は、「ヴァンダル人(族)

     の原住地」のシレジアやその周辺に戻り、

     その後、消滅する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

 ■ ゲルマン人(族)

    (= ゲルマン系諸族)。

   ■ インド・ヨーロッパ系諸族の一部は、 

    カスピ海北西岸と黒海北東岸の間の、

        「北コーカサス」( コーカサス(カフカス)

    山脈北部)の原住地からヨーロッパ各

    地を移動し、 紀元前1500年頃(今

    から約3500年前に)、 ヨーロッパ北

    部の、スカンジナビア半島中南部、ユト

    ランド半島、ドイツ地域北部の地域の

    「ゲルマン人(族)原住地」に移住し、

    「ゲルマン人(族)」(= ゲルマン系諸

    族)となる。

       その後、ヨーロッパ北部を原住地とす

    ゲルマン人(族)は、 北上してスカンジ

    ナビア半島北部やアイスランド島へも移動

    し、定住する。

       また、ヨーロッパ北部を原住地とする

    ゲルマン人(族)は、 南下して、ヨーロッパ

    の中央部や東部へも移動し、ヨーロッパ中

    央部や東部に定住していたケルト人 (族)

    を圧迫しながら勢力をひろげ、 ケルト人

    (族)を追いたてて、  居住地を拡大し 、

     ライン 川以北、ドナウ川以北から黒海北

    岸地域にいたるまでのヨーロッパ大陸中央

    部やヨーロッパ東部に移動し、 ヨー ロッ

    パ中央部には、 紀元前後頃( 今から約

    2000年前 )までには、移動し 定住し、

    ヨー ロッパ東部には、 紀元(後)3世紀ま

    でには、移動し 定住する。  

      しかし、 紀元(後)375年に、アジアの

    東方からやって来たのフン族 (英:The 

    Huns)が、 黒海北部に現れ、東からヨー

    ロッパ各地のゲルマン人(族)(= ゲルマン

    系諸族)の定住地を征服または圧迫し、 

    ヨー ロッパ 東部やヨー ロッパ大陸中央部

    を定住地とした、ゲルマン人の諸部族 (東

    ゴート人(族)、西ゴート人(族)、ヴァンダル

    人(族)、アングロサクソン人(族)、フランク

    人(族)、その他のゲルマン系諸族)は、 

    定住地より移動を開始し、約200年間に

    及(およ)ぶゲルマン人(= ゲルマン系諸族)

    の大移動が始まる。

 

 

 ■ 北ゲルマン人(= ノルマン人)。

    ■ 北ヨーロッパに定住したゲルマン人(族)

    (= ゲルマン系諸族)は、 ノルマン人= 北ゲ

    ルマン人)と呼ばれる。 現存する、ノルマン

    = 北ゲルマン人)は、 デンマーク人 (民

    族)、 スウェーデン人(民族)、ノルウェー人

    (民族)、アイスランド人(民族)などである。

 

   ■ 北ゲルマン人(族)(= ノルマン人は、

        スカンジナビ ア半島中南部の原住地から、

       北上してスカンジナビア半島北部、アイス

    ランド島、南下して、ユトランド半島にも移

    動し、定住する。 

       ユトランド半島には、紀元(後)五世

    紀まで、アングル族、サクソン族等が定住

    していたが、アングル族、サクソン族等が

    紀元(後)五世紀にイングランド地方に移

    動した後に、移動し、定住する。

 

    ■ 北ゲルマン人のノルマン人は、スカンジ

    ナビア半島中南部の原住地から、 最終的に、 

    ヨーロッパ北部の、スカンジナビア半島北部、

    ユトランド半島、アイスランド島などに定住し、 

    デンマーク人(民族、= デーン人)、スウェー

    デン人(民族)、 ノルウェー人(民族)、アイ

    スランド人(民族)となり、 現在の、デンマー

    ク王国、スウェーデン王国、ノルウェー王国、

    アイスランド共和国を樹立する。

 

 

 ■ 西ゲルマン人(族)。

    ■ 北西ヨーロッパや中央ヨーロッパに定住

    したゲルマン人(族)は、西ゲルマン人(族)

    と呼ばれる。 現存する、西ゲルマン人は、 

    アングロサクソン人(族)、ドイツ人(民族)、

    オランダ人(民族)などである。

 

    ● 西ゲルマン人(族)の、アングロサクソ

    ン人(族)は、最終的に、 イギリスのイング

    ランド地方に定住し、現在のイギリス連合王

    国を樹立する。

 

    ● 西ゲルマン人(族)の、フランク人(族)

    は、 最終的に、オランダ地域、ドイツ地域、

    オーストリア地域、スイス地域北部に定住

    する。 

 

    ■ オランダ人(民族)。

    ● オランダ人(民族)は、 オランダ地域

    に定住し、現在のオランダ王国を樹立する。

    また、オランダ人(民族)は、ベルギー 地域

    北部にも定住し、 ベルギー南部に定住す

    るフランス人(民族)(= ワロン人)と共に、

    現在のベルギー王国を樹立する。

 

    ■ ドイツ人(民族)。

    ● ドイツ人(民族)は、 ドイツ連邦共和

    国やオーストリア共和国を樹立する。

    また、ドイツ人(民族)は、 フランス人(民

    族)、イタリア人(民族)、ロマンス人(民族)

    と共に、スイス連邦を樹立する。

   ● TKKI カナヤマ著 世界史辞典。

 

 

    

    

 

 

 

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 『 あなたのハートには 

   何が残りましたか? 』。

 

 

以  上。