1999年4月
1999年5月
1999年6月
1999年7月

1999年8月
1999年9月
1999年10月
1999年11月

1999年12月
1999年総集編
2000年1月
2000年2月

2000年3月
2000年4月
2000年5月
2000年6月

2000年7月
2000年8月
2000年9月
2000年10月

2000年11月
2000年12月
2000年総集編

1月29日()おやっ?

半月前、あんなに降った雪が最近の暖かさや雨ですっかり少なくなり、職場から見えるグラウンドは部分的ではあるが、とうとう地面が見えてきた。ただし除雪で道路の隅に積まれた雪はホコリを被ったままだ。

今朝起きた時には、日が昇って明るくなるのが少しは早くなったなあと感じたし、夕方の暮れるのも遅くなってきた。日中ふわふわと漂っていた雪が一時強く降って「また大雪か?」と思ったりもしたが、しばらくして止み、そのうち融けてしまった。

春よ、来い。

1月27日()玉電最期の日

下北沢と三軒茶屋の5km程を、路面電車のようにのんびり走る東急世田谷線。この路線はかつて渋谷から二子玉川まで走っていた東急玉川線の生き残りだというのは今更言うまでもない話だが、その時代から走りつづけてきた旧型車は、今日とうとう最期の日を迎えた。明日からは全部サザエさん型の新車に置き換え。「鉄」としては…もう一度行きたかったなー(泣)。

でも今日は出勤日。おまけに関東地方の雪で、小松-東京便は羽田空港の雪のために全便欠航。冬のボーナスは散財でことごとく玉砕し、結果論で言っても今日の上京は無理だったのか…。

というわけで仕事を終えてジムへ直行してエアロを2本。初めてOhイントラとゆっくり話すことが出来た。なかなか気さくな人で会話もはずんだ。メインパートの振付の話やらレッスンで使う曲の話やら…。もっとも2本目のレッスンはおなじみMイントラ。最近はMイントラのレッスン仲間も増え、いつしか「部活動」と称している位だ(笑)。それも広報・勧誘担当Sくんの頑張りで1回に1人ずつ部員が増える位という盛況さ。

今日入部(?)したYmさんはボクのことを「学生さんだと思ってたー!!」えっ!!ちょっとウレシー。そのボクは4日後にはとうとう39回目の誕生日なんだが(泣)。

1月26日()信号待ちの怪

ずっと前から気になっている事が一つある。

クルマで信号待ちをしていると、まだ前方の信号は赤だというのに、列の中には必ずと言っていい位ジワジワと少し車間距離を詰めるクルマがいる。これはこの辺だけの現象か、それとも全国的なものなのかは判らないが、実に奇怪な現象だと思う。もっとも発進加速ではその程度前に出たところで、どう違う…というものでもないのに。

Dレンジに入れたままブレーキを踏んでいるのが面倒で、つい弛めてみたくなるのが人間の習性というやつか。それともただセッカチなだけなのか。どちらにしろ、異常に車間を空けて停まったなと思ったら案の定チョロチョロと…というのが多いように思える。

AT車が多くなったのも理由の一つかとも思うが、時々MT車でもやっているのを見かけるのは…。

1月22日()昨日は県民除雪デー

大雪は先週半ばで峠を越し、やれやれといったところ。

水曜は北陸線特急が全部運休するなど、まだまだ大雪の影響は大きかったが木曜あたりからどうやら平常に戻った。
その水曜の夜にはジムへ行ってみたものの、ガラガラ。19:30からのレッスンはいつもの半分も来なかった。おかげで大きく動くことも出来たし筋コンディショニングも充実していたが、レッスンが終わってOイントラが一言、「皆さん除雪で筋肉使ってたんですねえ。すみません(笑)」続く20:40からのステップリーボックTは開始直前たったの3人しかいなかったので、Wイントラがショック顔。それではあんまりなので初めてそのレッスンを受けてみた。

もっとも火曜の12:20からのレッスンを受け持つSイントラは福井から通っている。いつもなら電車だそうだが、この日は北陸線がズタズタだったのでクルマで来たという。それも朝5時に家を出て、7時間かけて定刻20分前にはちゃんとジム入りしたというから驚きだ。

土曜、日曜は「県民除雪デー」。ただし土曜は朝マイナス3℃近くまで冷え込んだせいで道路の雪はカチカチに固まっていて路面から剥がれる気配もなく、除雪は断念。でもちゃんとジムには行った(爆)。改めて日曜は朝から家の前の除雪に励んだ。厚さ10〜20センチの圧雪をスコップで起こして路面を確保。でも知らん顔を決め込む家や、道路はやらずに玄関先を申し訳程度に雪かきするだけの家も多くて困ったものだ。

「おー、キレイになった(おー、いいがになった←金沢弁)」と喜ぶのもつかの間、ジムへ。雪で先週来れなかったYちゃんも来て安心した。

1月16日()15年ぶりの大雪

土曜から降り出した雪は日曜こそ22cmと大した事はなかった。ここ数年「大雪のおそれ」などという予報にはスカを食わされるのに馴れていたせいか、この雪には驚いた。なにしろ金沢の日曜の夜からの24時間積雪量は60cmを超え、ついに今朝の積雪は85cmにも達し、昭和60年以来15年振りの大雪。

昨日は起きてビックリ!あわてて家の前を除雪して、いつもよりずっと早く家を出たものの、まず家を出て10mの間でクルマがスタック。ようやく脱出したが、道路は大渋滞。普通なら20分程度で会社につくはずが、何と2時間30分もかかってようやく着く始末。会社ではそのまま半日かけて除雪。帰りは大雪に馴れたせいか、渋滞は朝ほどではなく約1時間で帰宅。

昨日の小松発着航空便は、朝8時に出るはずのJAS便が夜の6時10分に10時間以上遅れてようやく出発。結局昨日はたったこの1便だけの運航だったらしい。JR北陸線は相次ぐ踏切でのクルマ立往生で断続的にストップしたもののなんとか運転していたが、とうとう昨日夜には今庄付近で上り貨物列車が立往生、夕方から夜にかけて大阪・名古屋に向けて出発した特急は軒並み足止めとなり、1000人以上の乗客はそのまま電車内で夜を明かしたという。今朝ようやく除雪が済み運転再開。でも今日も特急の間引き運転は続いているらしい。

北陸道は昨日午前中は雪と事故で通行止が続いていたものの、午後には除雪や事故処理が進んで順次開通。しかし朝の高速道通行止でやむなく国道8号線へ迂回した大型トラックがあちこちで立往生し、国道8号線は終日石川県内全域で渋滞。能登有料道は除雪のために夜間通行止にしたが、その影響で国道159号線は大渋滞…というより全く流れず、羽咋から通勤している会社のMくんはとうとう帰宅を諦め、引き返して会社に泊まったらしい。

今日はようやく小康状態になってきた。気温もプラスになったようだ。この分なら小松空港の運航も再開されているだろうし、JRもダイヤの乱れが回復に向かっているだろう。でもまた今夜から新たな寒気が入るとか…(絶句)。

1月11日()ああ北陸人って

エアロビクスを始めるまで、ユーロ系などのいわゆる「パラパラ」の曲なんて、てんで眼中にはなかった。でも最近は身体が求める…という感じになってしまった(笑)。

昨日CDレンタル屋で何気に借りたCDを聞いていたら、レッスンでおなじみの曲がいっぱい入っていて、エアロを始めたばかりの頃に使われていた曲、少しエアロに馴れてきた頃の曲、ようやく中級クラスを受けるようになったもののハイインパクトにヘトヘトになりながらの頃の曲など、いろいろ。思わず「あ、これだ…」と呟きながらしみじみ感慨にふけっていた。

共感するところがあって、思うまま書いてみた8日の日記だけど、QYAさんの日記を読んだら書いてみて良かったなと思った。

ボクは北陸人のああいうところ、大嫌い。大学で建築を学んだせいか、その思いは強い。

まだ大学生の頃、ある交番の立替が問題になった事があった。兼六園の入口に建っていたそれは老朽化で建替えという事になったのだが、大学の教授が設計したプランは土壇場でボツになった。
兼六園の入り口という場所にモニュメンタルなものをと設計され、新聞に模型写真が掲載された直後の事だった。「奇抜すぎる」「金沢にふさわしくない」という話が持ちあがり、結局は瓦がのった鉄筋コンクリート造という小屋のようなものが「金沢らしい」となり、そのまま建てられてしまった。

建築の意匠が理解されなかった。悔しかった。ただ瓦がのっていれば、レンガが使われていれば、という安直なファサードが「金沢らしさ」だという概念が強すぎるのに愕然とした。計画に始まり、構造、工法、材料など全てを吟味し、それが最終的に広く感動を与えるものが建築なのだ。単に外観だけ過去のものを真似るだけでは感動はありえない。それに気がつかず、ただ観光客に媚を売るだけのようなものが建築として受け入れられるべきではない。そんな安直さに迎合したものには感動はない。

伝統、文化という言葉がしきりに出る金沢だが、それを「真似る」のと「伝承する」という違いを理解してほしい。ただプライドが高いだけで判っているつもりの北陸人のなんと多いこと。そんな連中が権力を握っているから変革を求めるものは握りつぶされる。

何事も首尾良く穏便に事が済めば、それで己の責任が全うされる。うわべだけ知っていれば、それで全てが満足する。それで天狗。そういう不完全な人間が北陸人。

1月8日()北陸人

雨だの雪だのと暗い天気にウンザリしてきた。今年に入ってずっとこんな調子。

QYAさんの日記を読んでいて、気になっていたのは北陸人の性格の悪さ。確かに「自分が楽をする」という言葉を勘違いしている輩は多い。多すぎる。他人の事を一緒に喜べず、つい嫌味を口走る輩、これも多すぎる。

実は北陸に住むボクも同じ目にあっている。「楽をする」というのは「人に押し付けて自分がサボる」ことではない。だがそう勘違いしているバカ上司が、実はボクの上司でもある。ああ情けなや。上司が「楽をする」というのは部下との信頼関係や上司として成すべき事を抜きには語れまい。立場を利用して手を抜くなど、上司にあらず。(月給泥棒と言う)

前の会社では「自分が楽をしたかったら、業者にやらせればよい」という訳のわからない事を強要された。営業サイドからすればそれでいいかもしれないが、同じ請負金額で今までにない事まで強要される業者サイドは、そのまま「持ち出し」が必要になる。それを折衝して調整するのがボクがやっていた設計監理班の仕事だったが、もともとスジの通らない話ではないか。

去年まで8年間出向していた会社では「業務改善研究」なるものがあり、ボクも参加させてもらった。論文では何度も功績を認めてもらった。ただし、出向元では評価などしてもらえず、逆に「そんな言われてもいないことをして、何になる」とバカにされたり、「あいつは(出向先から)良く思われようとしている」などと陰口をたたかれ、それに耐える毎日だった。

北陸人はプライドが高すぎる。加えて井の中の蛙。原因はそれに尽きると思う。

何事も自分本意。自分が最高。だから他人は自分に服従すべきで、それで自分が楽になれば良し。自分の言う事だけが正論。そう考える輩が多いのだ。古い観念にとらわれて、いま日本が、世界がどうなっているのか知ろうとしない。それが北陸人の悪いところ。己を知ることが出来ない。己以外は認めない。

もっと自分を捨てて、世間を見てほしいよ北陸人。見聞を広げようともしないから、会社も街もファッションもメディアも変わらないし、性格だって変わらない。感動する心まで失ってしまった。今までボクがこの日記で言ってきた北陸に関する憂いも、すべてそれが原因となっている。「保守王国」…。そのとおりだな。

1月6日()そんな…

街はどこもバーゲン一色。今日はせっかく2人とも休みだし、片町へ出掛けることに。

半年ほど前からHOMMEも置くようになった金沢のゴルチエだが、気になっていたカットソーとジーンズが売れ残っていてオフになっていた。こりゃ散財しないテはあるまい(爆)。続いてタワレコでCDを見ていたら、武富士のCMで有名になったSYNCHRONIZED LOVEや、少年隊の仮面舞踏会のカバーのCOME ON FEEL THE ECSTASYなんかが入ったダンス系CDを買ってしまった。32カウントではないのでエアロにはそのまま使えないけど、我らがMイントラはこれを編集して32カウントに直し、現在レッスンで使用中。

メインパートでみんなノッてきたところに武富士のCMだから、笑ってしまうんだけどねえ。

遅めのお昼を「風民」で取り、夕方からのジムでのエアロ2本に備える。

帰り際、ある古本屋を覗いてみた。「鉄」雑誌のバックナンバーはないかとふらり立ち寄ってみたら…なんとそこには1年分毎に束になった「鉄」雑誌が山積み。もしかして…と思って見てみたら、長年探している鉄道ジャーナル1973年2月号(特集:日本の私鉄)があるではないか!!

でもその年のバックナンバーは、その2月号以外は手許にあるので「バラ売り出来ませんか?」と店主に聞いてみたら
「その一塊は買い手がいて、後で値段を交渉してからじゃないと売れないねえ。折り合いがつかなかったら店に出すけど、今売るわけにはいかないので…。20万とか30万という金額になるだろうから、一括して売れるかは判らないけど」
という返事。

ずっと熱い想いで探していたものが目の前にあるというのに、ボクは泣く泣くその場を離れるしかなかった。せめて…と思い、荷造りロープの束からパラパラと片隅だけページをめくってみたら、そうだ、あの記事が、あの写真が、ほんの少しだけ…。

1月5日()お休みモードは全エリア制覇!

会社の仕事始めは5日。でもボクの勤務する現場は実質4日から始まった。それで今日5日は?と言えば、年末年始に仕事をしたせいか会社から有休を取ってくれと頼まれ、お休み。ハッピーマンデーでどうもピンとこない成人の日の8日まで都合4連休。

昨日4日は「ジム始め」。仕事を定時に切り上げて早速エアロ2本と筋トレに励んだ。うーん鈍ったなあ。いかんいかん…というのが正直なところ。

それじゃ身体の正月ボケが治らんではないかと、今日の休みはジムへ。エアロ1本とプールで1kmばかり泳いで、ついでと言っては何だが、去年ジムに入会した時からやってみたかったゴルフレンジで1時間フリー打席へ。ホントはジム入会の理由はプールとゴルフレンジだったのだが、入会直後から筋トレ路線に転向して、しかもエアロにドップリ(笑)。とうとうゴルフレンジは1年近くも実現出来なかった。

久しぶりにクラブを握ったが、感触はまずまず。これでジムの全エリアを制覇したぞ。

1月3日()荒れ模様

昨日2日からは季節風が強まってきた。台風なみの強風が吹き荒れて…

その昨日は当番で半日出勤。午後は妻の実家でゆっくりと過ごす。

この辺で「雑煮」と言えば澄まし汁に切り餅が入っただけのもの。それにセリや削り節などをのせるのが一般的だが、妻の実家では珍しく丸餅だった。聞けば「切るのがめんどくさかった」というが。とにかく、極めてシンプルなのが金沢の雑煮。でも考えて見れば、雑煮を名のっておきながらそりゃ雑煮ではない気がするなあ。有名無実かなあ?

年末から年始にかけてのテレビ特番はそれほど見る事が出来なかったが、それで良かったような気がする。どこの局もタレント頼りのくだらないバラエティばっかり。もう、うんざり。紅白は全部見たが、時間が長くてダレた。たった一言だけのチョイ役応援ってのも、可哀想だなあ。そんな中で真剣に見たのは「箱根駅伝」と「平成教育委員会」の二つだけだった。

1月1日()今年もよろしくです

新世紀。金沢の元旦は時折小雨模様だったが、穏やかでまずまずの年明け。むしろ雪なし正月に喜ばなくてはならない位。そんな訳でニュースで必ず取り上げられる「初日の出」というのは、ずっと縁がない。

相変わらず年末年始も仕事があったり、暮れに叔母が他界したこともあってバタバタしつつも、我が家は無事新年を迎えた。これがかえって毎年余ってしまう重箱の総量規制にも繋がったようだ(笑)。

恒例『ウチの正月料理』

年越し蕎麦は海老天をのせて

刺身は豪華に伊勢海老なぞ

加賀料理の「治部煮」

さて今年は何処へ旅立とうか(爆)。

12月に漸く念願かなった玉電(東急世田谷線)だが、旧型車の置き換えは当初計画よりも早く進行し(今年夏頃と思われていた)、早くも今月24日に勇退が決まった。しかも…ラスト1ヶ月ということで旧型車のうち2両は、グリーン一色からかつての玉電時代のツートンカラーに塗り替えられて最期の活躍と聞く。ああ、困った。新年早々(笑)。